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第 3章 慢性上咽頭炎が起こる原因

目次

慢性上咽頭炎に興味をもったきっかけ

第 2章で紹介した患者さんたちは、私が慢性上咽頭炎の治療を施し、そして症状が改善した方たちのほんの一部です。

そして読者のみなさんは、「上咽頭に慢性的に起こっている炎症」を治すことで、これまで治らないとされてきた病気や、一生薬を飲み続けなければならないような病気に、劇的な効果がある場合があることをわかっていただけたと思います。

それではこれから、慢性上咽頭炎について詳しくお話ししていきたいと思いますが、その前に、そもそもなぜ私がこの鼻の奥の炎症に興味をもったのかについて、少しお話ししましょう。

腎臓病の患者さんの話をよく聞くと、花粉症や副鼻腔炎(蓄膿)などがなくても「なんとなく鼻の奥の調子が悪い」「いつも鼻がつまっている感じがする」「のどの奥に違和感がある」と自覚する人が多いことに以前から気づいていました。

また、こうした自覚症状をもっている人には腎炎のみならず、関節リウマチ、気管支喘息、膠原病などの自己免疫疾患(免疫システムの乱れによって、白血球が自分の体を攻撃することで起きる病気)を患っている人が少なくない、ということも実感としてわかっていました。

ところが今日の医療では臓器別、分野別の専門性がどんどん重要視される傾向にあり、日常の診療で、リウマチ専門医や呼吸器専門医、腎臓専門医が、のどや鼻の調子を患者さんに問いかけることはほとんどありませんし、患者さんも、のどや鼻の症状が自分の病気と関係しているとは思ってもいないので、こうした症状は患者さんを診療する際にはなおざりにされてしまっています。

患者さんによっては自覚症状が気になるからと耳鼻咽喉科の専門医を受診する人もいるでしょう。

ところが、たとえファイバースコープで検査しても「とくに異常はありませんね」と医師から説明されるのがおちです。

なぜなら、鼻の奥の、のどちんこ(口蓋垂)の裏にある上咽頭の慢性炎症を、肉眼で判別することはたいへん難しいからです。

かくいう私も、日常の診療で多くの患者さんを診ていることの積み重ねと、風邪をきっかけに IgA腎症が悪化する患者さんが少なくないことから、鼻の奥の部位が人間の免疫システムにおいて何らかの役割を果たしているのではないか、ということをうすうす感じてはいましたが、どうも確証が得られずにいました。

そんなとき I g A腎症の治療でお世話になっていた耳鼻科医であり、 20年来の友人の仙台日赤病院耳鼻咽喉科部長松谷幸子先生が「鼻咽喉の役割─文献的考察」(山野辺守幸、重野鎮義:耳展 47: 460‐ 464 , 2004)という論文を紹介してくれました。

この論文こそが、私が上咽頭炎 =鼻咽腔炎という概念を知るきっかけとなったのです。

この論文を読んで、 ① 1960年代に鼻咽腔炎と全身諸疾患の関連について、堀口申作東京医科歯科大学耳鼻咽喉科教授を中心に数多くの報告がなされたこと、 ②肩こり、鼻咽喉違和感、鼻閉、胃部不快感、便不整、めまいなどは鼻咽腔炎が関与するひとくくりの「鼻咽腔症候」とみなすことができること、 ③上咽頭は、生物の胚(誕生の前の状態)の発生について研究する発生学的に見れば、内胚葉からできていて、空気の通り道である気道の一部であると同時に、胃や腸などと共通の性格をもっている可能性があることを知りました。

ちなみに、内胚葉とは内側の細胞層で、発達して消化管の主な部分を形づくります。一方、外胚葉とは外側の細胞層で、ここからは主に皮膚や神経系、感覚器などがつくられ、鼻腔は外胚葉からできています。

また、この論文により堀口氏が、鼻咽腔炎治療は自己治癒能力(薬などを使わずとも、人間が本来もっている力で病気を治す能力)を向上する医療であると考えていたことも同時に知りました。

この考えは、私のこれまでの臨床経験に照らし合わせても実に腑に落ちるものでした。

と同時に、なぜこれほどまでに重要な事実が広く世の中に受け入れられずに霧散してしまったのかということに興味を覚えました。

上咽頭炎とは何か

ここで上咽頭炎について簡単に説明しましょう。

上咽頭炎には ①急性上咽頭炎と ②慢性上咽頭炎があり、一般的に認識されているのは、風邪をひくことで生じる ①の急性上咽頭炎です。

急性上咽頭炎は、上咽頭に細菌が付着して、上咽頭細菌叢という病原微生物の集まりができることで起こり、一般には風邪と呼ばれます。

この細菌叢のうち、肺炎球菌、インフルエンザ菌、モラクセラ・カタラーリスの3つが風邪をひきおこす代表的な細菌で、これらの細菌が上咽頭で増殖していくと、のどの痛み、鼻水、咳などの症状のほかに、中耳炎や急性副鼻腔炎を発症します。

こうした急性の炎症で、原因が細菌感染である場合は抗生剤が効きます。そして、多くの医師は上咽頭の炎症というとこの急性炎症の状態を考えます。

しかし、堀口氏が報告した鼻咽腔炎は ②の慢性上咽頭炎のことで、急性上咽頭炎とは異なるものです。

第 1章で、塩化亜鉛を塗って出血した慢性上咽頭炎があると思われる患者さんの治療を耳鼻科医にお願いしたら、「強くこすりすぎたため」「見たところ、上咽頭には異常は認められない」という返事をいただいた、とお話ししたとおり、ファイバースコープを入れて見ただけでは、上咽頭の慢性の炎症を見つけるのは困難です。

さらに慢性の炎症は耳鼻科医の多くが認識していない炎症状態であり、抗生剤では治せない炎症なのです。

②の慢性上咽頭炎が起きる原因として、私は ⑴ウイルスや細菌などの感染、 ⑵自律神経による影響の二つを考えていますが、大事なことは、この慢性炎症は抗生剤や抗菌剤などでは治せない炎症であるということです。

この炎症を治すためには、堀口氏が行っていたように塩化亜鉛の塗布で炎症を焼くのがいちばんの治療法となります。

では、なぜ慢性上咽頭炎には抗生剤や抗菌剤が効かないのでしょうか。その理由は人間の免疫システムが大きく関わっています。

そこでこの章では、慢性上咽頭炎が起きる原因について、私なりに調べてわかったことについてお話ししていきたいと思います。

少し難しいお話ですので、飛ばして第 4章に進んでいただいてもかまいません。

ヒポクラテスの時代から気づかれていた病巣感染

まず、慢性上咽頭炎が起きる原因の一つとして挙げたウイルスや細菌などの感染、つまり「病巣感染」についてお話ししていきましょう。

病巣感染とは、体のどこかに細菌などに感染した場所(病巣)があって、それが原因で感染した場所とは違う、離れた場所に病気が起きることです。

たとえば、第 1章で説明した IgA腎症と扁桃炎の関係がこれにあたり、扁桃は IgA腎症における原病巣になります。ですから、 IgA腎症は炎症を起こしている扁桃を摘出することが有効な治療となるのです。

こうした病巣感染の考え方は、古くは医学の父といわれるヒポクラテス(紀元前 460年〜紀元前 377年)の時代からありました。

ヒポクラテスは迷信や呪術が幅を利かせていた原始的な医学を、科学としての医学へ発展させた古代ギリシア時代の医師です。

「何一つ見逃すな」という彼の厳しい言葉からもわかるように、病気を治そうという目で患者さんを診ること(医療的観察)を重視するのが彼の考えでした。

ヒポクラテス医学の特質として次の5つが挙げられます。

①普遍性よりも個体性(特殊性) ②理論よりも経験を重要視 ③観察と記録の重要性 ④自然治癒力の尊重 ⑤ヒポクラテスの誓い(医療の倫理)

簡単に言うならば、 ①一般的で当たり前と思われている症状よりも個々の患者さんの症状のほうが大切である。

②教科書で学んだことよりも、実際の診療の場(臨床の現場)で学んだことのほうが重要である。

③治療中の患者さんの変化をよく見て、それをきっちりと記録しておくこと。

④薬などに頼るのではなく、患者さん自身がもっている免疫力と病気を治そうという力を尊重すること。

⑤医師として倫理観をもち、患者さんの健康と生命を第一として任務につくこと。

ということになるでしょう。

ヒポクラテスはこの5つを実践することによって、のどの病気と関節リウマチとの関係を見出したとされていますが、これらの重要性は現代の医療現場においても色あせることはありません。

100年前に世界を席巻した病巣感染

さて、ヒポクラテスの時代からあった病巣感染という考え方が、実際に世間に広く知れわたったのは 20世紀の初頭になってからで、具体的には、扁桃と歯の二つが注目されました。

とくに歯については、 1911年に英国の医師 W・ハンターが『ランセット』という権威ある医学雑誌に「病気に罹った歯は、そこから排出される細菌によって遠く離れた部位に二次的に病変(病気)を生じさせる」という口腔敗血症( Oral Sepsis)説を発表し、「アメリカの歯科医師は不潔な冠やブリッジを製作して、全身的に病気をつくる罪人だ」と激しく糾弾したことがきっかけとなり、欧米で注目されるようになりました。

さらに 1916年には米国の内科医 F・ビリングスは動物実験などを通じて病巣感染( Focal Infection)説を提唱し、病巣感染を起こす中心的な部位は扁桃(扁桃病巣感染)と歯(歯性病巣感染)であるとしました。

つまり、虫歯や扁桃炎があると、全身、あちらこちらに病気をひきおこす可能性があると考えられたのです。

これらの説は、当初は狂信的な支持を得ました。

その結果、虫歯を放っておくと溶連菌などの細菌感染によって、心臓病や敗血症などの重篤な病気をひきおこす恐れがあるとされ、どんどん歯が抜かれていったようです。

イギリスではどんどん抜歯された結果、 40歳以上の 2人に 1人が 1本も歯がない状態であったとされています。

また当時の記録によれば、米国ボストンの、ある大きな教育病院に 1920〜 1930年の間に入院した患者さんの半数は、病巣感染治療のために歯がすべて抜かれ無歯の状態であったと記されています。

このように一時期、病巣感染という概念は欧米でたいへん大きな注目を集め、活発な議論が交わされました。

そして心疾患、腎疾患、胆囊炎、消化性潰瘍などの内臓疾患から関節炎、皮膚炎、神経疾患に至るさまざまな疾患に、病巣感染症という考え方が当てはまると考えられたのです。

しかし当時は免疫学が未熟で、現在の「病巣に侵入したウイルスや細菌などに刺激されたリンパ球や抗体が血流に乗って体中を移動して、遠く離れた場所で病気を起こす」という考え方はなく、あくまでも「病巣感染の原因となった細菌やその毒素が離れた臓器に到達して、直接病気を起こす」と考えられていました。

人間の免疫システムについては、後ほど詳しくお話ししますので、先に進みましょう。

この仮説を証明するためにさまざまな実験が行われましたが、当時は、免疫システムもまだ解明されていなかったこともあり、すでに医学界では主流の

考え方となっていた「疾病の局在論」を覆すまでには至りませんでした。

「疾病の局在論」とは、近代医学の祖と称せられるフランス人医師ビシャ( 1771〜 1802年)が提唱した考えで、「われわれ人間の体の組織には、それぞれ特有の性質があり、その組織、たとえば胃、腎臓、皮膚などが病気に冒された場合には、それぞれの組織特有の病変を表わす」という考え方です。

つまりビシャは、ヒポクラテス以来の「病気は体全体を観察することで理解し、体全体を治療する」という「疾病の全体論」という考え方ではなく、「病気は組織だけに表われる」という「疾病の局在論」という考え方を提唱し、その考えがあっという間に医学界の主流となっていきました。

ちなみに、現在の臓器別の医療はこのビシャの考えの上に成り立っています。

こうした背景もあり、一世を風靡した「病巣感染説」そのものに異を唱える研究者も多く現われ、結局 1940年代から始まった細菌を直接殺す「抗生剤治療」の普及とともに「病巣感染説」は医学の表舞台から姿を消していきました。

そしてハンターらによって、一時激しく糾弾されたアメリカ歯科学会は、信頼の回復と歯科学の発展のために懸命な努力をし、ついに 1951年、米国歯科学会誌「 Journalof American Dental Association」6月号の全 51ページを使って、虫歯とそのほかの病気にはなんら関連性はない、という病巣感染説の否定を行い、この論争に終結宣言をしたのです。

このような歴史から、欧米では病巣感染症という概念そのものが医学教育の現場からも半世紀以上にわたり忘れ去られ、今日に至っています。

しかし、近ごろではまた、歯周病と流産の関係、歯周病と冠動脈疾患の関係などが指摘されており、病巣感染という考え方が見直され始めた兆しはうかがえます。

一方、日本では、病巣感染論争の終結宣言が出た 1951年はまだ戦後の混乱期であったため、医学界で病巣感染説の火がすぐに消えることはありませんでした。

とくに扁桃に関心の高い耳鼻科医の間で病巣感染説の考えは引き継がれていったのです。

実際に 1970年代まで、繰り返し扁桃を腫らして熱を出しているような子どもには、盛んに扁桃摘出が行われました。

また一部では、扁桃を切れば成績が上がる、身長が伸びるといったようなことまで期待されて、摘出手術が行われていたということもあったようです。

しかし 1970年代になって、扁桃摘出によってポリオ(小児まひ・急性灰白髄炎)に対する免疫反応(抗体反応性)が低下する(その後の検証で実際には抗体反応性は低下しないことが証明されました)といった批判的な報告が相次ぎました。

加えて、それまでのなんでもかんでも扁桃が原因と考え、摘出していったことに対する反動もあり、 1980年代以降、病巣感染の除去を目的とした扁桃摘出は、手のひらに膿のような皮膚炎ができる治療困難の掌蹠膿疱症以外の病気ではほとんど行われなくなりました。

しかし、 2000年代になり睡眠時無呼吸症候群や IgA腎症の扁摘症例の増加などによって、扁桃摘出の手術件数は全国的に再び微増傾向にあります。

上咽頭で何が起こっているか

以上が病巣感染の歴史ですが、ここでもう一度、上咽頭に話を戻したいと思います。

なぜ私が慢性上咽頭炎を「病巣感染」の原因の一つに挙げたのかといえば、原病巣として指摘された扁桃や歯に、この上咽頭も加えられると考えるからです。

上咽頭という部位は、鼻の奥、のどちんこの裏側に位置します。

そして鼻の孔から入った空気が鼻腔を抜けて方向を下向きに変える場所で、空気が滞留しやすくつねにじめじめしていて、細菌やウイルスに感染しやすい場所です。

一方で、空気の通り道である鼻腔と上咽頭には、入ってきた空気を加温、加湿、浄化する作用があります。

つまり、鼻から取り入れた空気は、どんなに冷たくても上咽頭を通るときには 31〜 34度に調整され、気管に達するときには体温に近い 36度にまで加温されています。

同時に湿度の調節も行われていて、上咽頭で湿度 80〜 85%、下気道では 95%になるとされています。

また上咽頭の表面は鼻腔や気管と同じように、繊毛円柱上皮細胞(以下、繊毛上皮細胞)で覆われています(次ページの写真参照)。

この繊毛はつねに口の方向に向かって動いています。

そして繊毛上皮細胞の表面からは絶えず粘液が分泌されていて、ほこりや細菌などの外からの異物を押し流し、痰として排出する働きをしています。

ちなみに中咽頭、下咽頭は扁平上皮細胞に覆われています。

つまり空気の単なる通り道で、たとえほこりや細菌が外部から入ってきても、押し流して痰として排出するような働きはありません。

上咽頭の成り立ちがわかったところで、慢性上咽頭炎と病巣感染について、免疫学の観点から詳しく説明したいと思います。

私たちの体の免疫システムを担うのは「白血球」で、白血球は「顆粒球」「リンパ球」「マクロファージ(血液の中では単球と呼ばれますが、この本ではわかりやすくするために、単球もマクロファージと表記します)」から構成されています。

白血球の中でもっとも数が多いのは顆粒球で、顆粒球のほとんどを占める「好中球」は、体内に侵入してきた細菌など、外からの異物と真っ先に戦う、いわば先兵隊の役割を担っています。

またリンパ球には、「 Tリンパ球」「 Bリンパ球」」「 NK(ナチュラルキラー)細胞」があり、ウイルスやがん細胞などを殺す専門集団としての役割があります。

また Tリンパ球には、免疫システムの司令官ともいえる「ヘルパー Tリンパ球」と、攻撃部隊である「サイトトキシック(細胞障害性) Tリンパ球」があり、このうちサイトトキシック Tリンパ球は標的であるウイルスなどに接着して直接相手を破壊し、 Bリンパ球は「免疫グロブリン(抗体)」というタンパク質の接着弾をつくり、それを体内に放出してウイルスなどの病原体を攻撃します。

一方、マクロファージは、ウイルス、細菌などの微生物だけでなく、ほこりや花粉などの体内に侵入してくるあらゆる異物、あるいは役目を終えて死んだ仲間の細胞の死骸も食べてしまう細胞です。

このため「貪食細胞」とも呼ばれますが、同時に、細菌やウイルス、花粉などの抗原が侵入したことを免疫の司令官であるヘルパー Tリンパ球に伝える役割も果たしています。

これが免疫システムにおける白血球それぞれの役割です。

次にこの免疫システムが作用することで、上咽頭で何が起こっているのかについてお話しします。

少しややこしくなりますが、後ろの「上咽頭劇場」を参照(* 4)しながら読み進めてください。

空気とともに上咽頭に侵入してきた細菌やウイルスが上咽頭の繊毛上皮に付着すると、私たちの体の免疫システムが動き出します。

まず、敵の侵入を察知した繊毛上皮細胞が、マクロファージや好中球にサインを出して攻撃を指令します。

指令を受けたマクロファージと好中球は動き出し(これを医学的には活性化といいます)、細菌やウイルスを攻撃し始めます。

また、繊毛上皮の攻撃指令を受けてリンパ球の仲間、ヘルパー Tリンパ球も動き出します。

ヘルパー Tリンパ球には攻撃の司令官的役割があり、ウイルスをやっつけるようサイトトキシック Tリンパ球に攻撃の指令を出すと同時に、 Bリンパ球にも指令を出し、ウイルスを攻撃するための接着弾(抗体)である免疫グロブリン( IgAや IgG)をつくらせ、それで攻撃させます。

上咽頭ではこうした攻撃が繰り広げられ、細菌やウイルスなどの抗原の侵入を堰き止めています。

これが「炎症」という状態ですが、この炎症状態が長引くと私たちのもつ免疫システムが誤作動を始めます。

免疫システムが誤作動を始めると、どんなことが起きるのか、さらに説明しましょう。

上咽頭では、侵入してきた細菌やウイルスなどの異物をやっつけるため、マクロファージ、好中球、ヘルパー Tリンパ球、サイトトキシック Tリンパ球、免疫グロブリン( IgAや IgG)が戦いを続けますが、元気づいてしまった(活性化した)ヘルパー Tリンパ球、サイトトキシック Tリンパ球、免疫グロブリン( IgAや IgG)は、今度は新たな標的を求めて上咽頭を脱出して、血流に乗って全身に移動し始めます。

するとまず、血液の中で静かに休んでいたマクロファージが移動してきたヘルパー Tリンパ球の攻撃指令を受け取り、目を覚まして元気になり、活性化します。

こうして元気づいたマクロファージは、同じく血液の中で静かに休んでいた好中球に指令を出し、こちらも元気づかせます。

そして血液の中で活性化したヘルパー Tリンパ球、サイトトキシック Tリンパ球、マクロファージ、好中球は新たな標的を探して暴れ出し、最終的になんの問題もない自分の細胞を攻撃し始めるのです。

一方、血流に乗って流れていった免疫グロブリン( IgAと IgG)も、気に入った場所(腎臓など)を見つけると、その組織にくっついて留まり沈着し、病気を起こしたりします。

このように、自分の正常な細胞を攻撃し始める状態を自己免疫疾患(腎炎や関節炎、慢性皮膚炎などの病気の総称)と呼びますが、そもそもの原因を考えてみれば、それは上咽頭で起こった炎症が始まりでした。

上咽頭に侵入したウイルス、細菌などが原因で起こった炎症で、リンパ球が刺激されて活性化し、活性化したリンパ球や抗体が血液に乗って体中に移動して、体のほかの部位に病気を起こしたのです。

以上が上咽頭炎が原病巣になって腎炎などの二次疾患が生じるメカニズムです。

扁桃病巣感染や歯性病巣感染のときも上咽頭炎と同じようなメカニズムが働きます。

上咽頭のもつ免疫システムの特性

前項で、「空気とともに上咽頭に侵入してきた細菌やウイルスが上咽頭の繊毛上皮に付着すると、敵の侵入を察知した繊毛上皮細胞が、マクロファージや好中球にサインを出して攻撃を指令します」とお話ししましたが、ふつう、免疫システムでは、攻撃指令を出すのはマクロファージかヘルパー Tリンパ球です。

ところが、上咽頭では上咽頭の繊毛上皮細胞そのものが攻撃指令を出しているようなのです。

この上咽頭特有の現象を証明するために、上咽頭の細胞を採り、詳しく調べてみることにしました。

口腔内や鼻腔を綿棒で擦っても細胞はあまり採れませんが、上咽頭を擦った綿棒には、驚くほど多くの細胞が採れました。

そして、その細胞を顕微鏡で調べてみると、なんと、その大半がリンパ球だったのです。

リンパ球は骨髄でつくられ、血液中や脾臓、扁桃、リンパ節などのリンパ器官の中に多く存在します。

人間の体の免疫システムに深く関わっていて、ふつう体の表面にはあまり存在しません。

にもかかわらず、外界と接する空気の通り道である上咽頭という表面に、たくさんのリンパ球が露出していること

を発見し、私は衝撃を覚えました(前出の写真参照* 5)。

つまりこれは、上咽頭が外からの異物の侵入に対しリンパ球を使って最初に防御する役目を担っているということに違いなく、外から安全に空気を吸い込んで酸素を取り入れるために、人間の体にはいかに精巧で重装備な機能が備わっているかということを示すものです。

次に上咽頭から採取した細胞を特殊な方法で染色すると、上咽頭の繊毛上皮細胞には MHCclass Ⅱという抗原がありました。

MHCclass Ⅱ抗原というのは、侵入した細菌を捕まえたマクロファージなどの表面に現われるもので、その細菌の情報を免疫の司令官であるヘルパー Tリンパ球に伝達する重要な役割をしています。

その伝達物質が上咽頭の繊毛上皮にあったということは、先ほどお話ししましたように上咽頭の繊毛上皮そのものに、マクロファージと同様の、侵入した抗原(細菌やウイルスなど)の情報をリンパ球に伝達する能力があるということを示しています。

さらに、上咽頭からたくさん採れたリンパ球の特徴を、フローサイトメトリーという白血球中のリンパ球を解析する方法で調べてみました。

すると、上咽頭から採れたリンパ球の特徴が、口蓋扁桃のリンパ球の特徴と非常に似ており、またしても驚かされる結果となりました。

「上咽頭リンパ球・扁桃リンパ球・抹消血リンパ球の成分割合」の表から、上咽頭の表面にあったリンパ球には末梢血リンパ球に比べて次のような特徴が見られました。

① Tリンパ球に対する Bリンパ球の比率が高い( Bリンパ球優位)。

② Tリンパ球の中では、サイトトキシック Tリンパ球に対するヘルパー Tリンパ球の比率が高い(ヘルパー Tリンパ球優位)。

③ Bリンパ球も Tリンパ球も活性化している。

これは、上咽頭の粘膜では、 Bリンパ球が侵入者を攻撃する抗体( IgAや I g G)を盛んにつくっていることを表わしています。

さらに、ヘルパー Tリンパ球が優位の状態であることは、ヘルパー Tリンパ球が免疫システムの司令塔としてさまざまな指令を出し続けていることを表わしていて、この状態が全身の免疫システムに少なからぬ影響を及ぼしている、つまり病巣感染をひきおこしていると考えられるのです。

さらにこの表からは、 Tリンパ球も Bリンパ球も活性化していることがわかります。

そして、注目すべきこととして、先述の三つの特徴が扁桃リンパ球の特徴とまったく同じであるということです。

以上から、口腔の奥に位置する口蓋扁桃が、「塊」として口から侵入するさまざまな抗原、病原菌などに対する門番としての働きをするのに対し、上咽頭は「面」として、もっぱら気道から侵入する抗原や病原体などに対する門番としての働きをしているといえます。

ただし、注意したい点があります。

私のこれまでの経験では IgA腎症の患者さんには、扁桃だけに病巣の元である炎症がある場合と、扁桃と上咽頭の両方に原病巣がある場合の 2パターンあると思われます。

つまり、 IgA腎症に関していえば、慢性上咽頭炎のみに原病巣があって、扁桃に問題のない患者さんはほとんどいないようです。

ですから、治療の第一選択はあくまでも扁摘パルスとなるのです。

言い換えると、慢性上咽頭炎が原病巣として働く場合があることは間違いないと思われますが、すべての二次疾患(病巣感染が原因で起こる疾患)の原病巣ではないということです。

ですから、上咽頭の炎症を治せばすべての二次疾患が治るわけではないということは、明記しておきたいと思います。

自律神経と上咽頭の関係

次に、慢性上咽頭炎をひきおこすもう一つの原因、「自律神経の乱れ」についてお話ししましょう。

上咽頭と自律神経の深い関係については、堀口氏らがすでに 1960年代にかなりの部分まで解明していますので、堀口氏らの研究をもとに話を進めていきます。

慢性上咽頭炎の歴史についてお話しするうえで、忘れてはならない人物が二人います。

一人はすでに何度も出てきている堀口申作氏、そしてもう一人は上咽頭炎という考え方を最初に世に発表した山崎春三氏です。

山崎氏は大阪医科大学の耳鼻咽喉科の初代教授でした。

日本における慢性上咽頭炎(当時、山崎氏は鼻咽頭症候群、先述の堀口氏は鼻咽腔炎と呼んでいました)の本格的な研究の歴史は 1960年代に始まりますが、山崎氏の論文によれば、彼はすでに 1928年ごろには慢性上咽頭炎特有の症状に気づいていたようです。

その集大成を 1964年に行われた第 65回日本耳鼻咽喉科学会で「鼻咽頭症候群、症候と該部位に関する病理学的研究」として発表しています。

ここでは、私が手に入れることができた 1961年に報告された「鼻咽頭症候群及び症候と病理学的研究」(耳喉 33: 97‐ 101 , 1961)という論文から、山崎氏の考え方を私なりの解釈を加えて紹介します。

山崎氏は慢性上咽頭炎が原因で起こる症状を「鼻咽頭症候群」と呼び、以下の 13の症状があるとしました。

①肩こり ②仰向けに寝たときの後頭部のしびれ(首のこり) ③のどの異常感 ④鼻咽頭からのどへ痰が流れる(後鼻漏) ⑤鼻のつまりと軽い鼻水 ⑥目のかすみ ⑦話し声のかすれ、もしくは鼻声 ⑧胃部の不快感(キリキリした痛みではない) ⑨便通の不整(下痢と便秘) ⑩焦燥(あせり) ⑪憂鬱 ⑫取り越し苦労 ⑬怒りやすい こうした症状はいまでは「自律神経失調症」と一括りにされて呼ばれているもので、病院に行ってさまざまな検査をしても異常が見つからず、多くの場合、精神安定剤や抗うつ薬を投与されてしまいます。

しかし薬を飲んでもすっきりとせず、根本的な解決がないままに不快症状を抱えて生活することが実際には少なくありません。

山崎氏の考え方は、これらの原因不明といわれる不快症状は慢性上咽頭炎によってひきおこされている可能性があるということです。

逆に言えば、慢性上咽頭炎を治療すればこうした不快症状が治るかもしれないということになります。

さて鼻咽頭症候群の診断方法ですが、山崎氏は綿棒を使って直接、上咽頭上壁に触れることによって、咽頭の異常感の原因が上咽頭にあることを確認していました。

実際「のどが痛い」という症状がある場合、本当に痛いのは上咽頭であることが多く、この点に関しては、現在、上咽頭治療に精通している耳鼻科医が皆、指摘しています。

どうして上咽頭に炎症があるとのどが痛いのかについては、後ほど詳しくお話しします。

気圧の変化と偏食が鼻咽頭症候群をひきおこす

山崎氏は鼻咽頭症候群をひきおこす原因・誘因として、次の 4点を挙げています。

① 10歳のころから退縮するアデノイド(咽頭扁桃)(次ページイラスト参照)に代わって 17〜 18歳で症状が出現する。

②風邪により起こる急性鼻咽頭炎 ③気象変化前 ④偏食(とくに動物性タンパク、脂肪の摂りすぎと野菜不足) アデノイドは上咽頭の一部で上咽頭の後壁にありますが、 6歳ぐらいを頂点としてだんだんと小さくなります。

乳幼児は免疫のシステムが未熟であるために、大きなアデノイドによってさまざまな細菌やウイルスなどの外敵から体を防御しています。

またそれだけではなく、さまざまなウイルスに対する抗体をつくり、体の免疫システムをつくるうえで、アデノイドは重要な役割を果たしています。

しかし、成長するにしたがってその役目を終え、アデノイドは小さくなっていくのです。

山崎氏の考える原因の ①については、慢性上咽頭炎がおおよそアデノイドが小さくなった(退縮)後の年齢から起きることから、推論されたのだと思われます。

しかし、実際には慢性上咽頭炎の患者さんでアデノイドが残っている人もいますし、アデノイドと上咽頭の面積を比べると上咽頭のほうがはるかに広いので、必ずしもアデノイドの退縮と慢性上咽頭炎の因果関係はないのではないかと私は考えています。

次の ②の風邪が急性鼻咽頭炎をひきおこすということについては、すでにお話ししたとおりで、実際、風邪で起こった急性上咽頭炎の状態をファイバースコープで見ると、上咽頭が赤く炎症し、表面に分泌物が認められます。

私が注目したのは ③気象と ④食事です。

現在でこそ、気圧の変化に対して自律神経が敏感に反応するということや、食事と自律神経の働きの深い関連性については、さまざまな研究によって明らかになっています。

しかし山崎氏は 50年も前にこうした関係に注目していたわけで、まさしく慧眼といえます。

ここで簡単に気圧と自律神経、食事と自律神経の関係についてお話ししましょう。

自律神経には交感神経と副交感神経があり、交感神経は活動しているときやストレスがあるときに活発になり、副交感神経はリラックスしているときに活発になります。

このバランスが崩れると免疫システムの乱れや血流障害、アレルギーの発症など、さまざまな問題が起きてきます。

現在では、高気圧は交感神経優位(より活発に働く)の状態をもたらして好中球の働きを活発にさせ、低気圧は副交感神経優位の状態をもたらしてリンパ球の働きを活発にさせ、それぞれが免疫システムに影響を与えることもわかっています。

たとえば、晴れた天気のいい日には交感神経が優位になって、エネルギーの代謝をあげますが、曇りがちな日や梅雨どきは、やる気が出ない、体がだるいなど体調が変化します。

これは副交感神経の働きで呼吸や脈がゆるやかになるからです。

私は「気圧の変化が自律神経に影響して、免疫システムを乱す」という関係が慢性上咽頭炎をひきおこしていると考えていますが、実際、「天気が崩れる前に自律神経失調症が悪化する」という現象は、多くの人が経験していることです。

一方、食事と自律神経の関係ですが、 1食を 5分以内で食べ終わるほどの早食いは交感神経優位の状態で、奥歯でよく嚙んで十分に時間をかけて食事をする場合は副交感神経優位の状態です。

そして、消化吸収時には副交感神経が働いて消化を促進します。

ところがリラックスさせる副交感神経も、活発になりすぎるとアレルギー症状をひきおこしますので、バランスが大切といえます。

食事の内容も影響します。

肉食に偏っていると交感神経優位の状態をもたらし、野菜を中心とした食事をしていると副交感神経優位の状態をつくります。

なぜなら、肉類はアミノ酸からつくられる酸性食品なので消化時間が短く交感神経を活発にさせ、野菜はアルカリ食品で体内から活性酸素を奪って副交感神経を活発にさせます。

事実、「アデノイドが腫れている子どもは偏食である」ということは、山崎氏が活躍した 1960年代以前からよく知られていたことです。

偏食が自律神経に影響して免疫システムを乱れさせるため、慢性上咽頭炎の発症に関係しているだろうことは、十分に考えられます。

このことは慢性上咽頭炎の治療をするうえでも重要になってきます。

さらに山崎氏たちは人や動物を使ってさまざまな実験を行い、とても興味深い現象を観察しています。

たとえば、現在であれば倫理的にありえないことですが、患者さんの上咽頭の上壁に交感神経を刺激する作用のあるアドレナリンを注射すると、「のどに異物がつまった感じがする」という症状(ヒステリー球)の鼻咽頭症候がひきおこされたという報告もしています。

また、うさぎを使った実験から、鼻咽頭症候が自律神経を介して生じる異常だということも証明しています。

こうした実験などにより山崎氏たちは、鼻咽頭上壁の自律神経系はさまざまな物質に対して非常に敏感に反応する特殊な部位であることを証明しました。

堀口申作氏が提唱した鼻咽腔炎

1960年代の初めに山崎氏によって提唱された「鼻咽頭症候群」という考え方は、その後、東京医科歯科大学耳鼻咽喉科教授(当時)の堀口申作氏らによって研究が進められました。

この堀口氏こそが歴史上、もっとも精力的に鼻咽腔炎について研究した医師です。

そして医療の表舞台から鼻咽腔炎という概念が消えてしまった今日でも、知る人ぞ知る治療として、塩化亜鉛を上咽頭に塗布する鼻咽腔炎の治療が一部の耳鼻科医に継承されているのは、ひとえに堀口氏の功績だといえます。

かくいう私も堀口氏がいなければ慢性上咽頭炎という概念にたどり着くことはできなかったと思います。

ちなみに、鼻咽腔炎は、現在では一般に慢性上咽頭炎といわれますが、堀口氏は鼻咽腔炎といっていたので、この項では鼻咽腔炎とします。

堀口氏は 1960年代から鼻咽腔炎について数多くの臨床研究を行っています。

その集大成が 1984年に一般読者向けに発刊された『 Bスポットの発見』(光文社カッパ・サイエンス)です。

タイトルにある Bスポットの Bは鼻咽腔の「び」を表わします。

この本で堀口氏は先の山崎氏が提唱した「鼻咽頭症候群」の枠を超えて、次に挙げる多種多様な原因不明で治療方法も未確立、かつ生活面で長期にわたって支障をきたす疾患(難治性疾患)と鼻咽腔炎の関連性を報告しています。

①めまい、 ②低血圧、 ③自律神経失調症、 ④神経症、 ⑤心身症、 ⑥チック症、 ⑦関節リウマチ、 ⑧扁桃炎、 ⑨糖尿病、 ⑩膠原病、 ⑪アレルギー(花粉症・アトピー性皮膚炎)、 ⑫喘息、 ⑬口内炎、 ⑭歯痛、 ⑮歯槽膿漏、 ⑯胃潰瘍、 ⑰レイノー 以上の 17疾患ですが、まず注目していただきたいのは、これらの 2/ 3以上の疾患が堀口氏の専門だった耳鼻科領域外の疾患であることです。

患者さんが自ら進んで耳鼻科を受診することはまずないはずで、とくに大病院で働く医師の場合、診療科の領域が異なる病気の診療については尻込みしてしまうのが習性になっています。

ところが、堀口氏らは、診療科を隔てる垣根がとくに高い大学病院という医療施設において、勇気をもって精力的にその壁を越えることに挑んだことをうかがい知ることができ、当時の苦労を想像することができました。

彼の本には、 58例の喘息患者に鼻咽腔炎治療を行った症例を医学誌上に発表したところ、反論されるならまだしも黙殺されたという経験が書かれています。

治療による効果を実感し、それを報告しているにもかかわらず、医学界ではまったく認められなかったという、当時の堀口氏の悔しい思いが切々と伝わってきました。

堀口氏はさまざまな種類の疾患で、かつ多くの患者さんに鼻咽腔炎の治療をした経験から、鼻咽腔炎治療による影響は、「自律神経の制御作用」と「遠隔部位の疾患に対する作用」に集約されると考えました。

「自律神経の制御作用」、つまり自律神経のバランスを整えるという観点は、先の山崎氏の考え方とほぼ同じですが、「遠隔部位の疾患に対する作用」、つまり病巣感染によってひきおこされる病気に注目したことは堀口氏の功績といえるでしょう。

ちなみに、堀口氏の本では免疫システムの異常にまでは言及されていませんが、それは、当時は免疫学が未熟であったからで、仕方がないことです。

しかし、因果関係は明らかになっていないとしているにもかかわらず、堀口氏は二次疾患(病巣感染によって起こる病気)を鼻咽腔炎治療で治していたわけで、これは驚くべきことです。

上咽頭の免疫システムと自律神経の関係

このように、山崎氏や堀口氏によって、いまから 50年以上も前から上咽頭と自律神経の関係は明らかにされていました。

ここでは免疫システムと自律神経との関係について詳しくお話ししましょう。

極度のストレスや働きすぎなどにより、交感神経優位の状態が続いて自律神経のバランスが崩れると、免疫力の低下が起こりますが、これは直ちに上咽頭の免疫システムに影響を与えると考えられます。

その結果、上咽頭の慢性的な炎症がさらに悪化して、さまざまな不快症状が現われると推察されます。

ではなぜ、免疫力の低下が、直ちに上咽頭に影響するのでしょうか。

それは上咽頭にある繊毛上皮細胞がつねに活性化していることに関係します。

活性化した繊毛上皮細胞は、何かのきっかけがあれば、すぐに戦闘準備状態から戦闘態勢に移れる状態、つまりマクロファージや好中球、 Tリンパ球に指令を出す状態になれるということです。

そのきっかけは、なにも細菌やウイルスの侵入である必要はありません。

ストレスがあるとか、ただ寒い場所にいたとか、ほこりっぽい場所にいたとか、そんな小さなきっかけで、自律神経のバランスが崩れ、上咽頭の慢性炎症が悪化します。

実際、慢性上咽頭炎の患者さんの上咽頭から、病原菌が検出されないことがしばしばあります。

つまり、炎症に細菌やウイルスが関わっていないということです。

これは難しい言葉で説明すると、内在抗原向け免疫システムといい、細菌やウイルスなどの外からの侵入物に対する(外来抗原向け)免疫システムではなく、自律神経の乱れや体の老化、細胞のガン化、血管内皮の損傷など、自分の体の中で起こるさまざまな問題に対処するためにつくられた免疫システムによって起こる現象なのです。

このように私たちの体は、外敵に対するだけでなく、体の中で起こるトラブルに対応しても免疫システムが働くようになっているために、自律神経のバランスが崩れることによって免疫力が低下すると、それに応じて上咽頭の炎症が悪化すると考えられるのです。

つまり、上咽頭が「病巣感染」として感染を起こしていないにもかかわらず、自律神経の乱れによって起こった上咽頭炎の悪化によって、めまいや胃部不快などの自律神経障害だけでなく、腎臓病や関節炎などの二次疾患も起きるということです。

このことは、病原菌による慢性の感染が必ず存在する扁桃の「病巣感染」とは異なり、上咽頭に病原菌がなくても起こる「病巣炎症」という状態が生じている証拠といえます。

たとえば、疲労などがきっかけで毎月風邪をひくような、いわゆる、しょっちゅう風邪をひく人がいますが、これはまさに病原体が体に侵入していないのに風邪をひいてしまったもので、上咽頭における慢性炎症の悪化が原因と考えられます。

この悪化した慢性炎症が二次疾患をひきおこすと、病巣炎症といわれます。

上咽頭の慢性炎症が悪化しやすい人は首の後ろを数分間冷やしただけで、炎症が急激に悪化し、感染を起こしているわけではないのに風邪の症状が出てきます。

ただし、こうした風邪は上咽頭で細菌と好中球の戦闘がないため、上咽頭から出る痰は、粘膜から分泌された粘液が主体のいわゆる白い痰で、病原菌や好中球の死骸が入った黄色い痰ではありません。

また、ストレスによって起こる体の反応のうち、自律神経のバランスが乱れたり、内分泌ホルモンのバランスが乱れたりするのは、自律神経と内分泌系をつかさどる視床下部によってひきおこされることはよく知られています。

上咽頭は空気の通り道としてはもっとも視床下部に近い場所に位置するため、ストレスの影響を受けやすいのかもしれません。

したがって、ストレスがきっかけで起こるさまざまな不快症状に、慢性上咽頭炎治療が効果を発揮すること

を考えれば、日ごろから上咽頭の慢性炎症を悪化させないように心がけることが、ストレスに強いこころと体をつくることになると言えるでしょう。

急性上咽頭炎が慢性上咽頭炎になることがある

これまでお話ししてきたことをもう一度まとめると、上咽頭炎には風邪によって起こる急性上咽頭炎と、慢性上咽頭炎があり、慢性上咽頭炎が起こる原因として、病原微生物の感染が関わる炎症と、自律神経の乱れによって起こる炎症がある、ということがおわかりいただけたと思います。

そして私が問題にしているのは慢性上咽頭炎なのですが、読者のみなさんは、なぜ上咽頭に慢性炎症が起こるのだろうか、という疑問をもたれているのではないでしょうか。

この項では上咽頭に慢性炎症が生じる原因についてお話ししていきましょう。

風邪が原因で上咽頭は急性炎症を起こすことはお話ししたとおりです。

上咽頭に風邪などの細菌やウイルスが侵入してくると、私たちの体の免疫システムが働いて攻撃を開始し、細菌やウイルスなどをやっつけます。

ということは、各人がもつ自己治癒力、つまり免疫力が高ければ、風邪(急性上咽頭炎)はすぐに治る病気なのです。

ところが寝不足が続いている、疲れている、ストレスがあるといった免疫力が下がっている状態で風邪をひくと、風邪はなかなか治らないものです。

私は腎臓内科医として、風邪をひいたことをきっかけとして血尿が出たり、ネフローゼ症候群が再発したり、あるいは、ひどい風邪のあとに急速進行性腎炎と呼ばれる急激に腎機能が低下する、たちの悪い腎炎を発症したりする患者さんをたくさん診てきました。

こうした経験から、「風邪は万病の元」という言葉が、ある意味で真理であることを実感しています。

「風邪は万病の元」という言葉は、前漢時代(紀元前 202〜紀元 8年)より前に書かれた、中国の古典医書『黄帝内経素問』に載っている「風邪は百病の初め」「風邪は百病の長」が出典とされていますが、人びとは、すでに 2000年以上前から、風邪が原因でさまざまな病気がひきおこされることに気づいていたといえます。

ではなぜ「風邪は万病の元」になるのでしょうか。

風邪のひき始めの上咽頭では、マクロファージや好中球が侵入してきた細菌やウイルスなどの病原微生物と激しく戦い、戦闘後の死骸が痰や鼻水となって体の外に排出されます。

実際、風邪のひき始めの患者さんの上咽頭を綿棒で擦ってリンパ球を採取したところ、上咽頭表面からはリンパ球以外にも、たくさんの好中球やマクロファージが採取できました。

これはまさに、免疫システムの先兵隊である好中球やマクロファージが、侵入してきた病原微生物と激しく戦っていることを示しています。

さらに調べてみると、リンパ球の中でもヘルパー Tリンパ球、サイトトキシック Tリンパ球がともに元気な状態(活性化された状態)になっていることがわかりました。

これは、ヘルパー Tリンパ球は司令官として、マクロファージに戦闘態勢をとるように指令を送り続け、サイトトキシック Tリンパ球は攻撃部隊として上咽頭で外敵(病原微生物)と戦っていることの証明と言えます。

その後、 5日経った風邪の回復期にもう一度、この患者さんの上咽頭を綿棒で擦ってリンパ球を採取したところ、今度は Bリンパ球が動き始めて(活性化して)戦闘状態に入り、代わりに Tリンパ球の活動(活性化)が抑えられていることがわかりました。

つまり Bリンパ球が IgA抗体、 IgG抗体という接着弾をつくって、最初の戦闘(風邪のひき始め)で処理しきれなかった病原微生物を、この接着弾で撃破しているという状態です。

そして、これらの接着弾で最終的にきちんと病原微生物を撃破できれば、何も問題なく風邪は治るのです。

ところが、風邪が風邪で終わらず、さまざまな病気をひきおこすことがあります。

IgA腎症の患者さんの上咽頭のリンパ球を調べてみると、風邪をひいていないのにもかかわらず、ヘルパー Tリンパ球とサイトトキシック Tリンパ球の活性化がいつまでも続いていることがわかりました。

つまりヘルパー Tリンパ球から戦闘指令がつねに出され続けている状態となっているのです。

これが先ほどお話しした病巣感染の状態で、リンパ球が上咽頭にとどまらず、血液に乗って全身をかけまわり、血中のマクロファージや好中球を勢いずかせ、遠く離れた腎臓や血管などで見境なく戦闘を起こし、自分の細胞を標的として攻撃を起こしている状態を反映しています。

この標的が腎臓の糸球体であれば腎炎を起こし、血管内皮細胞であれば血管炎を起こして皮膚に紫斑が現われ、皮膚の表皮であれば湿疹を起こし、関節の滑膜であれば関節炎となります。

まさしくこの病巣感染を起こした状態が「風邪」と「万病」を結ぶ鍵となり、急性上咽頭炎が慢性上咽頭炎に変わるきっかけとなるのです。

慢性上咽頭炎はすべての人がもっている炎症

風邪が契機となって慢性上咽頭炎になることがある、ということはおわかりいただけたと思いますが、実は程度の差こそあれ、すべて人の上咽頭では絶えず炎症が起こっているのです。

それは上咽頭という部位の宿命ともいえる現象です。

上咽頭というのは上気道の中でかなり広い空間をもつ部位です。

そのため、鼻から入って狭い両方の鼻腔を通過して鼻の奥で合流した空気は、この広い空間で速度が落ち、さらにここで空気の流れる方向が下向きに変わるため空気が滞留しやすく、空気中の細菌やほこりが上咽頭の表面に付着しやすいという特徴があります。

その結果、上咽頭の表面はつねに細菌やウイルスといった外の刺激にさらされるため、絶えず炎症が起きているのです。

この状態こそが慢性上咽頭炎といわれるもので、人間であれば誰もがもっている炎症なのですが、問題は人によっては体に悪さをするほどの炎症になる

ことがあるということです。

医学的にはこの違いを「病的炎症」「生理的炎症」といいますが、「病的炎症」とは「リンパ球が戦闘状態に入っている」、「生理的炎症」とは「リンパ球が戦闘準備状態にある」と言い換えられます。

上咽頭に塩化亜鉛を塗って血が綿棒に付着する人は、「病的炎症がある」と考えられますが、私の経験では約 8割の人が病的炎症の状態であって、そのうちの 2割程度の人が、のどが痛い、鼻がつまる、頭痛がする、肩がこるなどの自覚症状をもっている、ひどい「病的炎症」の状態だと推測されます(次ページイラスト参照)。

一方、「生理的炎症」の人の上咽頭に塩化亜鉛を塗布しても、綿棒に血は付着しません。

では、どんなことがきっかけで、症状のまったくない「生理的炎症」から「病的炎症」に変わったり、程度の低い「病的炎症」がひどい「病的炎症」に変わったりするのでしょうか。

きっかけの一つは、先ほどからお話ししている風邪です。

風邪をひいて急性上咽頭炎になったとき、きちんと治さないでいると、慢性上咽頭炎の状態が「病的炎症」に変わってしまいます。

そのほか、ストレスや過労、寒さなどの自律神経のバランスが崩れることも、「病的炎症」に変える原因となりえます。

つまり、疲れがたまっていて、体調がすぐれず、免疫力が下がっていると、簡単に慢性上咽頭炎が「病的炎症」状態に変わってしまう。

上咽頭とは、それほどにデリケートな場所であり、言い換えれば私たちの体の状態を測るリトマス試験紙のような場所だと考えられます。

アレルギー疾患にも上咽頭炎治療が効く

現在、日本人を悩ます代表的なアレルギー疾患といえば、花粉症、喘息、アトピー性皮膚炎ではないでしょうか。

実際、この 3疾患の患者数は多く、花粉症は日本人の約 20%、喘息は成人の 3%、子どもの 5%(成人と子どもの合計で約 400万人)、アトピー性皮膚炎は成人の 10%、子どもの 20%とされています(厚生労働省保健福祉動向調査平成 17年度より)。

アレルギーの発症に免疫システムが関わっていることはよく知られていることですが、免疫システムに深く関係する上咽頭炎の治療は、アレルギーに対しても効果があるようです。

前述した堀口氏も、その研究の中で、花粉症、喘息、アトピー性皮膚炎に鼻咽腔炎の治療が有効であったと報告しています。

実際、私も IgA腎症の治療のために上咽頭炎の治療を行っている何人もの患者さんから、花粉症が軽くなった、という話を聞いています。

余談ですが、堀口氏は日本で最初に「スギ花粉症」を報告した斎藤洋三東京医科歯科大学助教授(当時)の師匠にあたる人で、鼻咽腔炎(慢性上咽頭炎)の治療で花粉症がよくなったという症例をたくさん見ていたことは容易に想像できます。

ただ、アレルギー疾患、なかでも花粉症というのはプラセボ(偽薬)効果が高い疾患で、患者さんに「これは花粉症によく効く薬です」といって、小さな飴玉を渡しても、何割かの患者さんは必ず効果が出てしまう病気です。

したがって、しっかりとしたコントロール試験(一般的に使われている薬や偽薬と比較する)をしたあとでなければ科学的な評価は出せませんが、私のこれまでの経験からも、花粉症と喘息の患者さんで上咽頭炎治療の効果がある人は少なくないと思います。

また、アトピー性皮膚炎については、知人の皮膚科医が上咽頭炎の治療を取り入れたところ、有効な症例がかなりあると報告してくれました。

ただ、慢性上咽頭炎の治療が、何か一つのアレルゲン(花粉など、アレルギーをひきおこす物質)だけに効果があるとは考えにくいのです。

ですから、私は慢性上咽頭炎の治療はアレルギーそのものを起こしにくくする治療であると考えています。

つまり、上咽頭に慢性の炎症があるということが、アレルギー疾患を発症しやすい状態をつくっているのではないか、と考えています。

実際、花粉症などのアレルギーをもっている人で、スギ花粉だけに反応するという人は意外に少なく、ヒノキ、ブタクサ、ダニなど複数のアレルゲンに反応することがしばしばです。

こうした人は花粉などの外からの刺激に対して過敏に反応する体質であるといえます。

では、なぜ慢性上咽頭炎があると、アレルギーが発症しやすくなるのでしょうか。

免疫学的には、上咽頭においてリンパ球の臨戦態勢の程度が高いことがアレルギーを起こしやすいことにつながっていると考えられます。

つまり、慢性上咽頭炎が病的炎症であると、ほんの少しの刺激によってすぐにアレルギー反応のスイッチが入るのではないかと私は考えています。

また自律神経の視点からは、副交感神経が優位の状態が続くと花粉症、アトピー、喘息などのアレルギー性疾患が生じやすいとされています。

なぜなら、副交感神経優位の状態になるとリンパ球が増加して、活性化するため、アレルゲンへの攻撃態勢も増加し、アレルギーを起こしやすい状態をつくり出すのです。

ところで、慢性上咽頭炎の病的炎症があると自律神経のシステムに乱れが生じることはこれまでに述べましたが、病的炎症が治まることで自律神経のバランスが安定してくると、副交感神経優位の状態も治まり、アレルギーを発症しにくくさせると考えられます。

ということは、慢性上咽頭炎を治療してアレルギーを発症しにくい体質に変えれば、いろいろなアレルゲンに対して有効である可能性があるかもしれません。

慢性上咽頭炎という考え方を広めたい

このように人間の免疫システムの中で重要な働きをしている上咽頭という場所ですが、あまり有名な部位とはいえません。

とくに慢性上咽頭炎という考え方については、耳鼻咽喉科の教科書にも載っていませんし、大学の授業にも出てきません。

もちろん現時点では、耳鼻科学会で話題になることもありません。

ところが、いまから 50年以上前の日本では、東京医科歯科大学耳鼻咽喉科の堀口氏を中心に、さかんに慢性上咽頭炎(鼻咽腔炎)の研究がされていました。

そして堀口氏は、慢性上咽頭炎(鼻咽腔炎)の研究成果を『 Bスポットの発見─現代医学が取り残した「難病」の震源地』という一般書にまとめました。

しかし私が調べた限りにおいては、国際的に見ても慢性上咽頭炎の研究が英語論文として報告された形跡はありませんので、この考え方は日本で発見され、世界に伝播することなく、結局は国内においてすら歴史の風雪の中で埋没してしまった考え方のようです。

しかし本質的に重要なものはいったん表舞台から姿を消しても、何かのきっかけがあれば新しい時代に合った進歩した形で再興してくる、そんな運命をもっています。

私の役割は、埋もれてしまった慢性上咽頭炎の概念と重要性を、もう一度世の中に出す「掘り起こし屋」でもあると思っています。

最近、医学界の一部には「温故創新」といって、古くて埋もれてしまった重要な知見をもう一度掘り起こしてさらに発展させ、新しい治療法を生み出そうという動きがあります。

免疫学の進歩で、 50年前にはわからなかった人間の免疫システムが解明されたことにより、上咽頭の重要性も病巣感染という概念の正しさも明らかにすることができるようになりました。

そして患者さんたちへの診療経験と予想以上の効果、患者さんたちの喜ぶ声を通して、臨床の現場からも、慢性上咽頭炎の治療の効果を実感することができました。

にもかかわらず、なぜこれほど治療効果の高い治療法が、医療の現場から忘れ去られてしまったのか、次にその原因について触れたいと思います。

堀口博士たちの精力的な活動によって、 1960年代から 20年間ぐらいは鼻咽腔炎の治療が注目され、耳鼻科でも盛んに治療が行われた時代があったようです。

腎臓内科では、私の知る限り、過去に鼻咽腔炎の概念が注目されることはありませんでしたが、腎臓病を中心とした小児科の難病を広範に扱った名著『食物アレルギーと病巣感染がひきおこす 小児難病と治療の研究』(松村龍雄著/中山書店 1992年)には、ネフローゼ症候群などの治療として、鼻咽腔炎の治療がたびたび登場します。

少なくとも 90年代でも、一定数の医師の間では、腎臓疾患における鼻咽腔炎治療の有効性が知られていたと考えていいでしょう。

しかし、現在では日本腎臓学会の専門医で、鼻咽腔炎とその治療について知る人はほとんどいません。

わずかに拙書『慢性免疫病の根本治療に挑む』(悠飛社 2007年)や『 IgA腎症の病態と扁摘パルス療法』(メディカル・サイエンス・インターナショナル 2008年)、また私が運営する IgA腎症根治治療ネットワーク( http:// www. iga. gr. jp/)などを通して、腎炎に慢性上咽頭炎が関与していることがあるという認識をもつ数少ない医師と患者さんがいるのみという状況です。

では、なぜ一世を風靡した画期的な治療法ともいうべき鼻咽腔炎治療は幻の治療になってしまったのでしょうか。

私はその理由は三つあると考えています。

一つ目は診療報酬が低いということです。

医師が行う医療行為の収入は、疾患それぞれの治療や処置につけられた診療報酬点数で決まるということはご存知だと思います。

手術などは比較的点数が高いのですが、ちなみに慢性上咽頭炎の処置料は 12点( 1点 = 10円)です。

これは風邪をひいたときなどに耳鼻科で受ける吸入と同じ処置料で 120円です。

慢性上咽頭炎の治療に欠かせない塩化亜鉛という薬も安価で、上咽頭炎の治療というのは患者さんの医療費負担がとても安くてすむ治療です。

しかし反対に医療を行う側にとってみれば、半ば「患者さんへのボランティア」という気持ちがないと続けられないような、経営的にまったく魅力のない治療なのです。

そのため現在ではほとんどの耳鼻科医が上咽頭炎治療に関心をもたないというのは、十分にうなずけることです。

実際に慢性上咽頭炎の治療で耳鼻科に通院している患者さんに聞いてみると、塩化亜鉛を塗布するだけだと支払いは 500円程度だといいます。

1日に診療できる患者さんの数には限りがあり、病院の収入という点を考えれば、大勢の患者さんに慢性上咽頭炎治療を行っていたら、従業員に満足な給与も支払うことができないという事態にもなりかねません。

二つ目の理由は治療に伴う痛みです。

人間誰しも痛いことや苦しいことは嫌いです。

上咽頭炎の治療効果は確かに目を見張るものがあるのですが、第 2章で紹介した患者さんたちの例からもわかるように、もし上咽頭に炎症がある場合、塩化亜鉛を上咽頭に塗布したときの痛みはかなりのものがあります。

これは極端な例ですが、私の患者さんで「お産より痛かった」と言った人もいたほどです。

実は、風邪のひき始めに上咽頭に塩化亜鉛を塗布する治療をすると劇的な効果が期待できるのですが、この治療をすると塩化亜鉛を染み込ませた綿棒には血液がべったりと付着し、同時に患者さんは強い痛みを感じます。

「○ ○耳鼻科に行くと風邪がすぐに治る」という評判がたてば、その耳鼻科はうれしいでしょう。

しかし反対に「風邪をひいて ○ ○耳鼻科に行ったら、すごく痛い治療をされた」という風評が流れてしまったら、開業医にとってはたいへんな痛手となります。

患者さんは「痛みのデメリット」と「治る速さのメリット」を天秤にかけるわけで、とくに痛みというのは人によって感じ方にかなり差が出るものです。

開業医としてはそんなギャンブルのようなことはやりにくいでしょう。

つまり十分に効果があるとわかっていても、患者さんに苦痛を与える治療は敬遠されるのが実際の医療なのです。

このことは上咽頭炎治療だけでなく、慢性上咽頭炎という概念が普及するうえでの大きな障壁になっているのではないかと私は考えています。

三つ目の理由は、堀口氏らによる鼻咽腔炎治療が、頭痛や自律神経機能の異常だけでなく、糖尿病や膠原病、関節リウマチといったあらゆる難病に効くと報告されたため、かえって医師たちに懐疑心をもたせてしまい、この病気の考え方そのものが広まらなかったのではないかと思います。

医学は「この治療をすれば必ず治る」という必然性の科学ではありません。

治るかもしれないけれど、治らない場合もあるという蓋然性(確率)の科学です。

たとえば胃潰瘍とピロリ菌の関係はよく知られていますが、胃潰瘍の患者さんの、 65〜 80%の人の胃の中にピロリ菌がいますが、しかし実際には、ピロリ菌がいる患者さんの 20%以下にしか潰瘍は発症しません。

また効力の高い胃薬と 2種類の抗生剤の併用療法でピロリ菌の除去は可能ですが、この方法でも 20〜 30%の患者さんはピロリ菌の除去に失敗します。

つまりピロリ菌があるから必ず胃潰瘍になるのではなく、またピロリ菌の除去も必ず成功するわけでもないのです。

「医学は必然性の科学ではなく、蓋然性の科学である」ということは、医学部の学生のうちにきっちりと教育されていて、医者であるならば、自らのもつ医療常識にしっかりと刷り込まれています。

したがって「何にでも効く」「これで必ず治る」というふれ込みの治療に対しては、本能的に「これは危ない」と感じ、懐疑心を抱くことになるのです。

さらに、新しい治療薬や治療法の効果を評価する場合は、プラセボ(偽薬)を使ったり、すでに行われている標準的な治療と比較したりした臨床研究が必要です。

加えてその研究結果は欧米の権威ある医学雑誌(『ランセット』や『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』など)に投稿され、厳しい審査を受けた後に論文として初めて公表されます。

それで初めて共有されるエビデンス(根拠)となるのです。

ところがその治療がたいへん新しくて珍しいもので、画期的なものであればあるほど、論文掲載のハードルは高くなります。

しかしそのハードルを越えない限り、世界に普及する治療として、後世に生き残ることはできないのです。

堀口氏らの鼻咽腔炎治療に関する研究は間違いなく偉大な功績ではあったでしょうが、残念ながら当時、このハードルを越えることはできなかったようです。

科学的評価に耐えられる鼻咽腔炎に関する英語論文を探しましたが、見つけることはできませんでした。

しかし、患者さんに対する実際の診療で本当に役に立つのは、治療のガイドラインに掲載されている知識よりも、個々の医師たちによる臨床経験によって育まれた経験知やセンスであると私は思います。

堀口氏とその一門の先生方が、喘息や膠原病、花粉症、関節リウマチ、頭痛など、さまざまな病気の患者さんたちを、鼻咽腔炎治療という極めて安く、しかも簡単にできる治療方法で救ったことは疑う余地はないと思います。

科学的評価に耐えうる論文がないにもかかわらず、知る人ぞ知る治療方法として、いまも一部の臨床医の間で続けられていることが、その治療のもつ底力を物語っていると思います。

私自身は学者として非力で、今後、慢性上咽頭炎の概念が後世に残るための科学的立証を行うことは容易なことではありませんが、臨床経験を積めば積むほど、人類の健康に役立ち、幸福に導く可能性をもったこの概念を何とかもう一度、表舞台に引き出さなければならないという思いが強くなっています。

そして、その第一歩として、この本を世に出すことにしました。

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