帝王とはフォロワーではなく、フォローが多い人
SNSが浸透した現在、共感というキーワードを、多くの人が意識するようになりました。SNS上では、多くの共感を集める人が、当然フォロワーも多くなりますよね。ただ、いつの間にかそれが評価の基準になってしまい、違和感を覚えています。
帝王学では、人を笑顔にすることを第一に考えます。言い換えれば、人の役に立てるか否かが問われるのです。
その人の魅力や考え方に共感する人が多いから、フォロワーが増える。
もちろん話はわかりますが、やはり私は共感される側よりも、共感する側のほうが人の役に立っているのではないか、と考えています。
共感されることではなく、共感することを意識して人の話を聞くようになり、そういう人が増えていくと、たとえ小さくても、声を上げた人が報われる世の中になります。これぞ、帝王学が目指す世の中です。
おじいちゃん(永田雅一)は戦後、敗戦国となった日本において、映画で多くの笑顔を満たそうと奮闘していました。
言ってみれば、フォローすることしか考えなかったのです。結果、大映の映画は多くの観客を集め、現在に伝わる名画を残しています。
フォロワーが多い共感される側の人を、否定しているわけではありません。当然、彼らには何かしら光るものがあるから、フォロワーが多いのでしょう。
でも、ただフォロワー数を増やすことが目的になっている人が、少なくないのが現状です。
それよりも、人の心に目を向けて、さまざまなことを感じ取れる人間になりたいと思いませんか? 私は、フォローは応援と同義と考え、フォロワー数よりもフォロー数に重きを置いています。
たとえば私の元には、多くの若い人が相談に来ますが、出資することだけが応援ではありません。
私の元に相談に来てくれた人が、明日から前向きになれる言葉をかけることも応援だと考えているので、必ず「夢について聞かせてくれてありがとう、自分軸を大切にしていれば、得るものが必ずあるからね」などと声をかけるようにしています。
それだけでも「来てよかった」と思ってもらえますし、縁があればいずれは関わることになるでしょう。私を頼ってくれた人が、少しでも笑顔で帰れるように努めています。人を笑顔にすること。
たとえ相手の要求を完全に満たすことができなくても、誰かを応援するときは、この帝王学の初歩をより意識してください。
口が悪くてもいいが、「この二つのルール」は守る
話題のレストランやスイーツ、不祥事を起こした飲食店など、飲食業界には善悪さまざまなニュースが、つねにあふれています。
飲食業のコンサルタントをしていると、各メディアから専門家としてコメントを求められることも多く、よく「あの店、どう思います?」と聞かれることがあります。
いいニュースならともかく、問題は悪いニュースについてコメントを求められる場合です。そういう人たちは、おおむね偏った見方をしていて、聞き方にトゲがあります。つまり、暗に批判的なコメントを求めているのです。
私は基本的に、飲食店を継続的に経営されているだけでリスペクトしています。
同じ時代に、同じ業界に携わっているだけでも、何かの縁です。ですから、応援することはあっても批判はしません。
もし指摘したいことがある場合は本人に言うので、批判的な意見を求めてきた第三者に言うことはありません。
率直に「問題を起こした飲食店について〝何か問題を感じますか?〟と、批判的なコメントを求めてくるあなたに問題を感じますね」と言ってしまいます。
だからメディアで、私の意見が採用されることはほとんどありません。また、相手によって言い方も変えません。これは、コンサルタント業務をお請けしているクライアント企業においても同じです。
現場のスタッフには厳しいことが言えても、経営者など上層部には意見ができないということもありません。
たとえクライアントの社長でも、間違っていると思ったら(言い方に精一杯の配慮はしますが)言いたいことは伝えます。
普段から口が悪いので、つねに「裏」と言われることもありますが……基本的に裏表がないのが私のスタイルです。
「ありのままの自分」を批判してくる人は無視せよ
多くの日本人が他人軸で生きているように見えます。他人にどう見られるか、どう評価されるかばかりを気にしているのです。結果、否定されることを警戒し、ありのままの自分を出すことができなくなっています。
些細な失敗や外聞を恐れ、言い訳したり隠そうとしたりする人が大勢いるのです。
しかし、社会的地位が上になっても、年長者になっても、正直で誠実な人のほうが成功できるという現実は変わりません。
わからないことは「わからない」、苦しいときは「助けてほしい」、失敗したら「すみません」と言えるほうが評価されます。
とかく世間というのは、その人のキャリア、スキル、学歴、家柄など、さまざまな要素で評価しがちです。
でも、実際にビジネスをする場合、その人が信頼できるかどうか、裏表なく隠しごとせずにウソがないかどうかのほうが、よほど肝心なのです。
そのためにも、自分らしくいることが大切です。
とくに何か失敗したときは、ありのままを、実際にあった通りのすべてを、一語一句間違わず露出させること。少しでも自分をよく見せようとして言い訳したり、格好つけて失敗を薄めて説明したりするのはもってのほかです。
アホと言われても恥をかいても、自分をさらけ出すことが信頼につながっていくからです。
お笑いで、狙ってやったことが逆にしらけたりすると、よく「スベった」と言いますが、シーンとなった瞬間を笑いに変えるのがプロであり、本当のスベリ芸でしょう。
ここで寒い言い訳なんかしていたら、笑いが成り立ちません。
飲食業界でも、似たようなシチュエーションは多々あります。
たとえば、コース料理の最後に特別なケーキを落としてしまったとき、しっかりお詫びして、替わりに改めてお出ししたスイーツで逆に喜んでいただくような。
アドリブからヒット商品が生まれることは少なくありません。
でも、このシチュエーションで言い訳は禁物です。
まずは起こしたこと、その結果をありのまま受け止め、お詫びし、誠意を尽くして行動することが大事です。
仕事などでの失敗は、ありのままを露出することが信頼につながると前述しましたが、おじいちゃんからも「お前が、ありのまま自分らしく振る舞ったときに批判してくる人間は、お前の人生に必要ないから無視しなさい」と言われてきました。
「ありのまま」とは「実際にあった通りのすべて」と辞書には書かれています。これは、そのままの自分でいていいとか、努力や改善もせず言いたいことを言っていいとか、そういう意味の「ありのまま」ではありません。おじいちゃんが言う「ありのまま」とは、ウソ偽りのない自分をさらけ出して振る舞うということ。失敗も努力も考えもやり方も、すべて見せるということです。
ウソ偽りのない自分をさらけ出して振る舞っていると、自然と物言いがストレートになりますし、怖がって近寄ってこない人もいます。
批判されることも多々ありますし、当然、賛否両論出てくるでしょう。でも私は、この帝王学に沿って生きてきましたが、それでまったく問題ありませんでした。
むしろ、面倒な人づき合いの煩わしさから解放されて、快適に過ごせています。
必要以上に他人を思いやったり、八方美人でいたりすると、有象無象のいろんな人が寄ってきてしまうので、本当に大切な人が来なくなります。
ありのまま振る舞ったのに批判してくる人がいたら、その人はあなたの人生に必要ない存在です。ためらうことなく、速やかに視界の外に置いてください。それができさえすれば、人間関係の悩みなんて、ほぼ解決できると断言します。
自分に甘く、他人に甘く。心地よさを求めよう
人は、互いに補完し合いながら生きているので、自分の苦手なことや短所は、他人の得意なことであり長所でもあります。つまり「短所は克服しなくてもいい」ということです。
需要と供給が成り立つので、苦手なことは自ら克服するよりも、さらけ出したほうがいいからです。必ず助けてくれる人が現れるため、お互いのメリットになります。
何より、人生は一度きりなので、できる限り自分が心地よくいることが大事です。私は自分に甘いので、他人にも甘いです。それは、自分の人生はもちろん、他人の人生もよくしてあげたいから。自分を満たし、他人も満たす。その状態だからお金と幸せが結ばれるのです。
上下関係が厳しいクライアント企業の職場でも、私は、そこで働く若いスタッフには甘いので、彼らは何でも話してくれるようになります。
他愛のない会話をするうちに、店の雰囲気もわかってきますし、アドバイスや指摘も前向きに聞いてくれるようになります。
普段から相手を肯定し、ほめているので、どんな話も聞いてくれるようになるのです。
言い方や関係性によっては、どんなに真っ当な指摘や注意でも「ムカつく」という理由で聞いてもらえないことが多々あります。
でも、本人の耳に入らないと意味がありません。若い人が年長者の(逆の場合も)アドバイスを聞き入れてくれれば、メリットも大きいでしょう。
自分にも他人にも甘いスタンスは、お互いにプラスになるのです。自分が心地よくいるために、何かイヤなことがあった日は、必ず好きなことをするようにしましょう。
たとえば、いつもより高めのおいしいランチを食べたり、普段は発泡酒を飲んでいるならプレミアムビールを買ったり、前から気になっていた有名店のスイーツを食べたり、意図的に幸せな気持ちになれる時間をつくってみてください。
「自分へのご褒美」という言い方をする人もいるかもしれませんが、ご褒美と言っても数百円 ~ 1000円前後で済むはずです。
私は、自分のマインドが負に振れているなと感じたときは、あえて自分に甘くするので、ご褒美パターンをいくつも持っています。
職業柄、そのほとんどが食事にまつわるものですが、たとえば「ザ・リッツ・カールトン東京」のラウンジでお茶するとか、お気に入りのパティスリーのケーキを食べるとか、おじいちゃんとの思い出も多い麻布十番の「麻布永坂更科本店」に行くとか。
たくさんの〝ご褒美必殺技〟を持っていますが、そういった場所で過ごす時間は貴重です。かかる費用以上のプライスレスな時間を過ごすことができるから。自分を甘やかすことでゆとりが生まれて、他人にも甘くできるのです。
「友人」を減らして、「人脈」も狭めるべき
SNSが普及してからというもの、多くの人とつながることができるようになったので、めちゃくちゃ友人が多いという人も珍しくなくなりました。
ですが、時代がどう変わろうと、人間は、心が通じ合える本当の友人を多く持つことはできないでしょう。モノだって、たくさん持ちすぎていると大切にしなくなります。友人も同様で、増えれば増えるほど、一人一人を大切にしなくなってしまいます。
また、どんなに気を配っても、人間には 1日 24時間しかありません。大勢の友人を、平等かつ大切に遇するのは、心理的にも物理的にも不可能です。
おじいちゃんからも「大切なものを大切にできるように、余計なことに時間を取られないようにするためにも、ありのままでいなさい」と言われてきました。
ありのままの自分を批判する人は友人ではなく、無視の対象です。この姿勢で、大いに友人をふるいにかけるべきでしょう。人脈にも同じようなことが言えます。
いまだに「人脈を広げることがビジネスパーソンの基本」みたいな流れがあるようですが、それで本当に学びが得られるのか、大いに疑問です。
あまりにも人脈に期待しすぎている風潮を、至るところで感じます。
たとえば、異業種交流会で有名人と知り合ったら、まわりに「こんなすごい人と知り合いだよ」と振りかざしたり、ビジネスで何かしらワンチャンあるんじゃないかと狙ったり……。それは人脈とは言えないでしょう。
実際、そんな出会いから何か大きなビジネスが始まった、という話はあまり聞きません。逆に、詐欺まがいの投資話や、借金の申し込み話ならよく聞きますが(笑)。
「人脈は広げる必要はない。出会うべき相手は必然的に出会えるし、探さなくても向こうからやってくる」と、おじいちゃんからも言われてきました。
多くの友人(?)に囲まれ、派手な食事会をしている人を SNSなどで見ると、たしかに楽しそうだとは思いますが、うらやましいとは思いません。
本当に大切な相手を大切にするためにも「友人は少なく、人脈は狭く」です。
嫌われよう。「本当に大切な人」を見極められる
ありのままの自分をさらけ出したら、嫌われるかもしれません。
ほかにも、勤めていた会社が経営破綻して、自分の表面的な彩りが失われたら、やはり友人が少なくなるかもしれません。
人から距離を置かれる、嫌われるという背景はさまざまです。
でも、多くの人が去っても、残ってくれる人は必ずいます。人生においてマイナスの出来事や挫折は、本当に大切なものを見極めるラッキーチャンスなのです。
有名人なら、ネガティブなニュースやスキャンダルが出た瞬間に、周囲から距離を置かれることがありますよね。
私の友人の、ある芸能人の話です。
彼は世間から広く支持を集めていましたが、不倫がバレてからは一転、大惨事になりました。
そのとき、私は「お前、そんな見た目のくせに、そんなにモテんの? ふざけんなよ。紹介しろよ」と電話をかけました。
あえて「心配したよ」「大丈夫?」とは、違う角度から彼をイジったわけです。
すると、そこから友人同士のバカ話になりました。
彼はイメージとのギャップが大きすぎて叩かれまくって、まわりからごっそり人が去っていったのですが、最後には「ありがとう、気が紛れた」と、電話の向こうから明るい声で言ってきました。
ここまでの事件は、普通の方ではそうは起こらないでしょう。
でも、そのときに残った人こそが大切な人だと気づけるので、ありのままの自分でいればいいだけです。
もちろん、不倫を擁護するつもりはありません。
ただ私は、おじいちゃんからこう教わってきました。
「ありのままに振る舞ったお前を『好きだ』と言ってくれる人が、お前の人生にとって大切なんだ」 帝王学においては、人から嫌われたときなど、人間関係を棚卸するきっかけに過ぎません。
ぜひ、必要のない人から「嫌われる勇気」を持ってください。
「アンチを歓迎せよ」とはどういうことか?
「すごいことを言うな」と思ったかもしれませんね。
アンチを歓迎せよ、だなんて(笑)。でも、これは偽りなく本心です。
第 2章で「ラーメン二郎」について触れましたが、世の中、アンチだけが存在するということはありません。
アンチがいるから、猛烈なファンが生まれます。
前項で紹介しましたが、不倫がバレて世の中から大バッシングを受け、いろんな人が去っていった彼も、私のような友人が残っていたわけです。
むしろ、自分の人生に必要のない人(アンチ)が明確になり、ふるいにかけられることで、相手にしなくていい人がわかります。
大切な人が見極められるようになるので「アンチを歓迎せよ」なのです。私は時間がもったいないので、ムダな知り合いを増やしたくありません。おかげで、大切な人を大切にできる人生を送っています。
他人の成功を喜べば、自分も満たされていく
必要のない人は無視していいわけですが、一方で永田家の帝王学においては、他人の成功を自分事のように喜ぶことも欠かすことができません。
他人の成功や、ラッキーな出来事をうらやむのは自然な感情ですが、度が過ぎると嫉妬や憎悪の感情が生まれてしまいます。妬み嫉みといった負の感情を抱いているときには、決して好循環はめぐってきません。
他人の幸せを自分事として喜ぶことで、自分が成功したような気持ちになって満たされ、そうなると好循環がめぐってきます。つまり、自分が満たされることが大事なので、自分のためにも他人の幸せは喜んだほうがいいのです。
おじいちゃんからは「今ある感情と同じ感情の未来が訪れる」と教わりました。未来は、 1秒 1秒の先にあります。今イラっとしていたら、 1秒後にもイラっとしている未来が来ます。感情は、じつに連鎖しやすいものなのです。
ですから、いい感情を保てると、いいことが起こりやすくなるし、他人にもやさしくなれる。いい感情でいる 1秒後には、いいことが起こると――。
だから「ポジティブでいい感情を保ち、他人がうまくいっているときは、自分のことのように喜びなさい」と言われてきました。
「宝くじが当たった人のことを心から喜んであげたら、メシの 1回も奢ってくれるだろう」とも言われましたが(笑)。
実際、ビジネスでもなんでも、自分一人の力でうまくいった、というのは大きな間違いです。仮に、成功したきっかけは自分であっても、多くの人を巻き込んだ結果、今があるという思いを持つことが大切です。自分を満たし、また自惚れを防ぐ意味でも、他人の成功を自分事のように喜ぶことが必要なのです。
プロとして信頼してくれる人は大切にしたい
ありのままの自分を好きでいてくれる人は大事にするべきですが、もう一つ、自分をプロとして信じ、頼ってくれる人も大事にしたほうがいいでしょう。
これは、頼ってくる人への好き嫌いもあるかもしれませんが、それ以上にプロとしての矜持が問われているからと言えます。
たとえば私は、飲食業界のコンサルタントという仕事柄、知り合いが食事会をする際、彼らから店の手配を頼まれることが多々あります。
そういうときは、まず「どういった意味合いの食事会なのか」を聞いておきます。
仮に、 8人で開催する誕生会だとしたら、お店の手配とは別に、あらかじめ人気店から人数分のケーキを差し入れしておいて、最後に出してもらうようにしたりします。
プロとしてできることに、手を抜くような真似はしません。
これは、私が飲食業界のコンサルタントだからできることですが、一歩踏み込んで考えれば〝私を頼ってくれている〟という見方もできます。
大事な会合ゆえに、プロとしての私をあてにしてくださっているのです。
もしかしたら、便利な存在だと思われているかもしれません。
でもそれ以上に、その人たちの食事会が楽しいものになるところまでフォローすることが、プロとしての使命だと捉えています。
私の仕事を評価してくださっている方に向けて、自分なりにできる仕事をしていくだけです。
ケーキの差し入れなどができないときは、予算をお聞きして、通常お出しできないメニューをサービスで出してもらうようお願いしたりもします。
思いがけないサプライズに、みなさんとても喜んでくださいます。
そういう意味では、あなたをプロとして見ていない人とは、つき合いを変えたほうがいいでしょう。
たとえば、飲食店を開業したと聞いたらやってきて、会計時に「負けてくれない?」とか言ってくるような友人です。
こういう人に「せっかく来てくれたんだから」と、サービスする必要はありません。
そもそも、本当に友人でしょうか? 私だったら、友人のお店だからこそ、おススメのメニューを聞いたりして、しっかりお金を使います。
人間関係を整理できた、いい機会だったと捉えましょう。
ちなみに私は、プロとは「プレゼントの達人になれる人」だと捉えています。プロとして誇れる仕事がある人は、それを最大限活用すればきっとプレゼントの達人になれます。
自分をプロと見て信頼してくれる人とは、長くつき合いたいものです。
コミュニケーション密度と相手の達成感を上げる
私の帝王学では「会話した内容」「かけた時間」「接した回数」の3つをかけ合わせたものを、コミュニケーション密度と呼んでいます。
たとえば、レストランでの接客での流れ。
「いらっしゃいませ」と言って、お席にご案内し、水やおしぼりなどをお出しする。
ご注文をお聞きして料理を運び、追加注文に対応する……。
そういう中で、料理の説明をする際に、食材についてのストーリーやトリビアを織り交ぜて話したり、お客様が来店された理由を伺ったり、席に何度も足を運び、時間をかけて少しずつ深い内容を話していくのです。
こうしてコミュニケーションの密度を上げていくと、我々に対する信頼感も高まり、リピートにもつながります。
一方で、後輩の社員に、こんこんと長時間説教したとします。
よく「後輩のためを思って、言いたくないけど説教した」なんて話も耳にしますが、説教の内容なんて全然、相手に残ってないケースがほとんどでしょう。
コミュニケーション密度は信頼関係と比例するので、コミュニケーションを重ねていない相手に時間をかけて説教しても、話が入っていきません。意味がないのです。
コミュニケーション密度において「会話した内容」「かけた時間」「接した回数」の中で、私は「接した回数」がもっとも意義があると考えています。
接客でも、長話をするよりも足しげく通うほうが信頼関係は生まれやすいように、私は従業員とのコミュニケーションでも回数を重要視しているので、新入社員が相手でもこちらから「おはよう」と声をかけます。
それで終わりではなくて、少し間をおいて「そう言えば」と別のテーマに移る。
そうして話す回数を増やしていくと、相手もだんだんと話してくれるようになります。お互いに話すことに慣れ、聞くことにも慣れて、コミュニケーション密度が上がるにつれ、人間関係も良好になります。
年長者が年下の相手と話す場合など、上下関係があったりすると、無意識に力関係が働いてしまい、つい自分ばかり話して、一方的な達成感で終わることもあるでしょう。
どんな関係性においても、どう伝えたかではなく、どう伝わったかが肝心です。もっというと「伝える」より「聞く」の姿勢のほうが大切です。
コミュニケーションにおいては、自分の達成感だけではなく、相手の達成感も上げないとダメなのです。信頼関係を築くためにも、いかに相手にしゃべってもらうかを考えましょう。
そこで、会話のキャッチボールが大事になってくるわけですが、一つの質問に対して 3往復くらい会話できるイメージをしましょう。
何か質問をして答えが返ってきたら、その答えに対する質問をする。「会話が続かない!」とお悩みの方も多いようですが、質問力を上げると、会話が長く続くようになります。
自分も正解、他人も正解。価値観は十人十色
人とのコミュニケーションにおいて、年齢や性別を気にすることは基本的にやめたほうがいいでしょう。多様性という言葉が近年ポピュラーになりましたが、みんな違う考え方でいいし、自分もみんなと違っていいのです。
十人十色なので、年齢や性別はそもそも関係のないものです。
もちろん、日本の社会で生きるためには、年長者へのリスペクトが大切です。一方で年少者へのリスペクトも必要なので、やはり年齢は関係なくなります。
年長者から学べることもあるけれど、年少者から学べることだってあるからです。
ほめ言葉なのか「若いのにすごいね」って言う人がいます。この言葉が出るのは、世代間ギャップがあり、どことなく上から目線なので、ピュアな気持ちで年少者から学ぶことはできていないという証拠です。
日本語の表現は複雑ですが、美しい言語なので、敬語を使うのはいいことです。
ただ、敬意を込めるなら善意も込めるべきです。
私は 20歳以上年下の若い人の話も、いつも興味深く聞いています。そうすると、相手も親しみを込めて話してくれるものです。
たとえ、私が知っていることを聞かされても「へー、そうなの?」と素直に言えます。実際、多くの学びを得られます。
たとえば、若い人は TikTokを活用していることが多いですし、使い方を教えてもらえたりもします。
そもそも、年代が異なる人の価値観を俯瞰して見ることができる時点で、すでに学びがあるわけです。そういう一見、軽い出来事の一つ一つが、思いがけないシーンで役立つことが多々あります。
他人の考えを肯定して受け入れることで、視野が広がり、自分を成長させてくれるのです。
自分の価値観で生き、自分の価値観を押しつけない
価値観は、人それぞれで、さまざまです。友人関係では、自分という輪と、友人の輪のどこかがリンクして共感し合ったり、異なる価値観にぶつかり合ったりします。
長いつき合いの友人だったら、異なる価値観がぶつかったとき、お互いを理解もしているので、落としどころが見つかることも多いでしょう。
でも、そこまで深く理解し合えていない相手とは、どうすべきでしょうか。
人は、基本的に自分の価値観で生きているので、異なる価値観を持つ相手と向き合えば衝突します。お互いに自分の価値観が正解だと思っているので、それは当然です。
こういうとき、まず、自分の価値観を根本的に捨てる必要はありません。むしろ、自分の価値観で生きるべきです。
その上で、相手の意見には耳を傾け、自分の意見はさておき、相手に譲ってあげればいいでしょう。それは決して、負けではありません。
たとえば、重たそうな荷物を持っている人がいたら、女性でもお年寄りでも手伝ってあげればいいでしょう。
あるいは、電車内で自分が優先席に座っていなかったとしても、満席の状態でお年寄りが乗り込んできたら、シンプルに席は譲るものです。
始発駅で長時間並んで、やっと座った席かもしれないけれど、席を譲ることも、誰かを手伝うことも、負けではないのです。
百歩譲って「いや、お年寄りのケースとは違いますよ。それは〝譲った〟でしょう? さっきのは完全に〝負け〟です」と言われたとしても、私の意見は変わりません。
ビジネスにおいては「負けてあげる」ことが、おもてなしとなる可能性もあるからです。
時折、こちらが提供しているサービスや料理を、いかにも知った風で誤った知識を語り出すお客様がいますが、そこを折れてあげるのです。
語っていた内容が違っていても、否定せずに「勉強になります。ありがとうございます」と負けてあげる。そうすれば、相手は達成感に満ちて、自分のことをいいやつだと捉えてくれます。
それでいいと思いませんか? 些細な価値観の相違があるときは、相手に花を持たせれば相手は笑顔になり、結果的に自分の評価が上がって、報酬につながることも少なくありません。
帝王学に対して「何が何でも勝つ!」ための教え、というイメージをお持ちの方もいると思います。ですが、永田家の帝王学は「相手を笑顔にすること」が第一です。
その先に幸せがあり、お金とつながっていると考えれば、自ら負けてあげることは、不自然な教えでもなんでもないのです。
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