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第 3章 「気づいていない」ステージから「気づいてる」ステージへの昇格 Ⅱ

目次

Section 1 自己肯定感を高める

気づいてるステージへ昇格するための必須条件の1つと言っても過言ではないのが、「自己肯定感を高める」ことです。

気づいてるステージにいる人たちの考え方の1つに「やりたいことはやるし、やりたくないことは極力しない」というものがあるとお話しさせていただきましたが、この考え方を実践するためには自己肯定感を高めることが必要なんですね。

なぜなら、自己肯定感とは「自分を肯定する」こと。

「そんなもん、言われなくても知っとるわ」と思った方もいらっしゃるでしょうが、自己肯定感、つまり「自分はこのままでもいいんだ」と思うことができないと、「世間体や人の評価」に縛られてしまうからなんです。

やりたいことがあるのに、人目を気にしてできない。やりたくないのに、周りがなんて言うかわからないからやってしまう。

ようは、自分はこのままでもいいと思えないから、世間体や人の評価を気にして言動に制限がかかってしまうんですよね。

では、さまざまな本やネット上のコラムで自己肯定感の高め方が書いてありますが、そういった情報をたくさん仕入れているのにもかかわらず、自己肯定感が低いまま現状から一向に抜け出せない人が多くいるのはなぜでしょうか? それは、どこまでいっても次の2つに行き当たります。

  1. 自分のことを知らないから
  2. 世間体や人の評価がベースになった成功体験を積み重ねているから

どういうことか、詳しくお話しさせていただきます。

①自分のことを知らないから

本書では自分を知ることの重要性をくどいぐらいに書いてきたつもりではありますが、どうして自分のことを知らないと自己肯定感が高まらないのかと言うと、たとえるならこういうことになるんですよ。

とあるミュージシャンがプロデューサーに対し「この曲をもっとよくしたいので、アレンジをしてください」と依頼したとします。

しかし、このミュージシャンが持ってきた曲は、楽曲と呼べるような代物ではなく、どういう音楽がやりたいのか? どういうアレンジをしてほしいのか? どういうことを伝えたいのか? が、プロデューサーにはまったくわかりません。

「えっと……これをどういう風によくしたいの?」と聞いたら、「かっこよくしたいんです!」とミュージシャン。

さらに踏み込んで「うーん。どういう風にかっこよくしたいの?」と聞いたら、「いや、その……そこまで考えてません」と言うではありませんか。

はい。ここで言う楽曲とは、「自分」なんです。

楽曲と呼べる代物ではないということは、未完成で楽曲の方向性も決まっていないということであり、これを人に置き換えると、自分のことをまったくわかっていない上に、どういう人間になりたいかもわからないということを意味します。

楽曲をよくしたいということも人に置き換えると、自己肯定感を高めたいということになりますね。

しかし、自己肯定感を高めたいと言っても、その人が自分でどういう人間かわかっていなければ、肯定のしようもないし、なにを高めていいかもわからないじゃないですか。

そういった理由から自分を知っていく中で、自分がどういう人格なのか? なにがないのか? を把握する必要があるわけです。

本書を読んで自分のことを知り、客観的思考を手に入れて固定観念の解除もできている方は、この部分をすでにクリアされていますね。

②世間体や人の評価がベースになった成功体験を積み重ねているから

多くの自己啓発本にはこぞって「成功体験を積み重ねよう」と書かれていますが、「前提」となるものを間違えたまま成功体験を積み重ねると、せっかく自信がついても「あるもの」を失ったとき、その自信は一瞬で崩れ去ると言っても過言ではありません。

その前提とは「世間体や人の評価」であり、あるものとは「人の評価」です。

次の図を見てください。

この場合だと、行動する動機が世間体や人の評価ベースになっているため、いくら成功体験を積み重ねようが、行動する動機が変わらない以上、エンドレスで人の評価ばかり気にしてしまうんですよ。

そして、せっかく積み重ねた自信も世間体や人の評価に基づいているため、人の評価がなくなるにつれ、どんどんなくなっていきます。

よく、有名になることやお金持ちになることが幸せにつながるわけではないと言われていますが、かなりの有名人や、ものすごい成功を収めている人でも、幸せじゃない人が存在するのは例外なく、世間体や人の評価に縛られているからと言っていいでしょう。

「有名になりたい」という動機は、世間の注目を集め人の評価を求めたものだとわかりやすいですが、「お金持ちになりたい」という動機は、なぜ世間体や人の評価に基づいたものなのでしょうか? では、ここで皆さんに質問です。

「お金好きですか?」 おそらくほとんどの人がここで「好き」という答えを出すと思うのですが、もう1つ質問させていただきます。

「そのお金を持ったらどんなことがしたいですか?」 好きと答えた人は、「いい暮らしがしたい」とか「いい物が買いたい」とか「毎日おいしいものを食べたい」といった感じで、衣食住に関することを答えられるのではないでしょうか。

それではさらに踏み込んだ質問をさせていただきます。

「その暮らしをしている自分を周りからどんな風に思ってもらいたいですか?」 できればここで「こんなこと言ったら性格悪いと思われそう」なんてことは考えずに、腹黒くていいので、素直に答えてみてください。

そうすると、お金を持った自分がどう思われたいか、こんな答えが出てくるのではないでしょうか。

「すごくいい家に住んでるねって思われたい」「そのブランド物のバッグ、いいなあって言われたい」「毎日贅沢なもの食べれて羨ましいって思われたい」「俺もお金あったらそんな美女つれてみたいよって言われたい」「そんな高い車に乗れてすごいって思われたい」

ほら、人の評価に行き着くやん。結局、ほとんどの人はお金がほしいんじゃなくて、お金がある自分を評価されたいだけなんですよね。

もちろん、「子供の頃からずっと貧乏だったから、一度はお金持ちになってみたい」という方もいらっしゃるかもしれませんが、過去に貧乏を馬鹿にされたことがある人なら、「そいつらを見返したい」という気持ちがある場合が多いので、やはり人の評価に行き着きます。

決して人の評価を求めることが悪いと言っているわけではありません。世間体や人の評価を前提にして積み重ねた成功体験は、ひどく脆いと言いたいんです。

前述のように、この前提で行動するうちは他者の目を気にして行動が制限されてしまいますし、人の評価はいくら求めても際限がありません。

では、なにを前提に行動すればいいかと言うと、それは「やりたいこと」「楽しいこと」「わくわくすること」です。

しかし、「それが簡単にできれば世話ないよ」と思っている人が多いのも事実。なので、こういった人たちにはまずリハビリが必要になるんです。

そのリハビリは2つありまして、1つ目はなにをするのかと言うと、「自己満足」を日常にちりばめることなんですよ。

自己肯定感を高めるために、「自分のことをほめましょう」と書かれている本がよくありますが、自分で自分のことをほめたことがあまりない人は、自分にほめる部分がないと思い込んでいるので、試しになにか自分のことをほめてみたとしても、馬鹿らしくなってすぐやめてしまいます。

だって、「自分にほめるところがない =自分のことが嫌い」という図式になりますし、嫌いだと思っているものをほめてもしっくりくるはずがありませんからね。

そういった理由から、自分のことをほめるという行為は、ある程度、自己承認できていて、自分の良さが漠然とでもわかっている人だからできる行為だと言ってもいいでしょう。

では、なぜ自己満足を日常にちりばめることが必要になるのか。

ひどく乱暴な物言いになりますが、自己肯定感ってなんなのかと言うと、「自己満足の寄せ集め」だと僕は思っています。

もちろん、学術的には間違っているかもしれませんが、自己肯定感が高い人って例外なく自己満足を日常にちりばめていますね。

たとえばこんな風に。

「今日の俺、なんかイケてるんじゃね?」「私の部屋、なんて快適なんだろう」「さっき入った定食屋、初めて行ったけどめっちゃ当たりじゃん」「今日の私、仕事めっちゃ早い!」「なんとなく見た映画が超おもしろかった」「食べる量減らしたら、早速やせてきた!」「このアーティスト、知らない人多いけど超かっこいいんだよね」「今まで来たことなかったけど近所のこの公園、めっちゃ落ち着くわ ~」「ネットショップで買ったこのワンピ、超かわいいんだけど!」 といった感じで。

こういった軽い感じの「思わずテンションが上がった」という体験って、よほどネガティブな感情に支配されている人でもないかぎり、日常で誰しもが体験し得ることではないでしょうか。

このような「思わずテンションが上がる小さな出来事」を日常にちりばめることが、自己肯定感を高める土台を作る上で必要な行為なんです。

自己満足という言葉は悪い意味で使われていることが多いですが、そもそも自分が納得して満足できるものじゃないと、心からの喜びは得ることができません。だから自己満足が必要なんです。

ポイントとしては、自己満足を感じたらその感覚にひたること。

ここで「人が見たらどう思うのか?」をすぐ気にしてしまう人は、自己満足を感じてもひたる余韻が短くなってしまい、起こったわけでもないのに、否定されることを先にイメージして、ネガティブなことばかりを考えます。

本当にこの時間は無駄でしかないので、ついネガティブなことを考えてしまう人は、考える前に自己満足できるものがほかにないか、探す訓練もしたほうがいいでしょう。

見ようとしていないだけで、「思わずテンションが上がる小さな出来事」は「意識して」見ることさえできれば、きっと見つかります。

それに、自分を否定してくる人は所詮、その人の主観でしか見ていないということを忘れてはいけません。

2つ目のリハビリは、ふだんから「自分が」いいなと思ったものを選ぶ習慣を身につけることです。

どういうことかと言うと、自分がいいなと思ったものは妥協しちゃいけないということなんですよ。たとえばこんな風に。

「こっちの 1280円のランチ、美味しそうだな。でもそっちの定食は 680円で安いんだよなあ」 1280円のランチを食べましょう。

そして、後で節約すればいいだけです。

「この 5万円のバッグ、超かわいい! でも似たような感じで 1万円のバッグがあるけど、やっぱりちょっと違うんだよね……」 5万円のバッグを買いましょう。

迷っているのが値段なんだったら買うべき。買う理由が安さなんだったらやめましょう。

「今日会社の飲み会があるみたいだけど、家で見たい映画があるんだよな。強制参加じゃないけど、顔出しておいたほうがいいのかな……」 映画を見に家へ帰りましょう。

あなたがいなくても飲み会は回ります。

仮病というのはこういうときに活用できることを忘れてはいけません。

「このケーキ、めっちゃ美味しそう! でもなあ。食べたら太るしなあ……。家にあるチョコで我慢しようかどうしよう」 ケーキ食べましょう。

食べてから摂生すればいいだけです。

「バリ島行きたいなあ。でも今は沖縄の方が安いんだよな……」 バリ島に行きましょう。

沖縄に行ってはいけません。

とまあこんな感じで、日常にある選択肢を「妥協せずに選ぶ」ことが真に「やりたいこと」を選択するために必要なリハビリになります。

よく考えてみてください。

今まで妥協して選択したことって、妥協した分の結果と満足感しか得られなかったはずです。

むしろ場合によっては、不満しか残らなかったこともあるのではないでしょうか。

それに、「小さないいな」をちゃんと選択できない人が、「大きないいな」を選択できるわけがありません。なので、誰かに直接的に迷惑がかからないような「いいな」と思えることを選択する習慣を身につけましょう。

これもまた、自己満足を増やし、自己肯定感を高めるために必要な訓練です。

そうやって、自己満足を日常にちりばめ、「小さないいな」を妥協せずに選ぶことが当たり前になってくると、生きづらさを感じていた人は随分と生きやすくなっているはずです。

世間体や人の評価の縛りから抜け出しさらに自己肯定感を高めるべく、次のセクションでも引き続き、その具体的な方法をお話しさせていただきましょう。

気づいてるステージ・ねこフィールドに昇格するまであと少しです。

Section 2 やりたいことはやる、やりたくないことはしない

▼「やりたいこと」「楽しいこと」「わくわくすること」を構成しているもの

前セクションで成功体験を積み重ねるには、行動する前提になるものを間違えてはいけないとお話しさせていただきました。

では、どういった前提であればいいのかというと、それは「やりたいこと」「楽しいこと」「わくわくすること」。

現代では各方面で「やりたいことをしよう」とか「わくわくすることをしよう」と言われているので今更感がいなめませんが、いまいちこの意味を深く理解していない人が多いような気がします。

どういうことかと言うと、影響力のある著名人が「やりたいことをやるために徹底的に自己中になっていい」といった類のことを言うと、「やりたいことをやる =ワガママに好き放題する」という意味で履き違える人が結構な数でいるんですよね。

たしかに、なりたい自分になるためには、自分の道を突き進むためにワガママを貫き通さないといけない場面も多々あります。

しかし、やりたいことをやるという本来の意味を履き違えている人たちは極端に言うと、「自分の欲望のためなら周囲に迷惑をかけてもかまわない」という解釈に近いとらえ方をしているんじゃないかと僕は思います。

言うまでもなく、自分の欲だけのために人に迷惑をかけまくる人の未来が明るいわけがありません。

「徹底的に自己中になっていい」というのは、周りがどれだけ反対しようが否定しようが、「自分の信念」を貫くという意味なんです。

この信念というのは自分が信じた正しい道であり、信念を貫いた先には、自分も周囲も幸せになれることが前提です。

もちろん、信念を貫いた先の景色は未来のことになるので、どうなるかは誰にも予測不能ではありますが、少なくとも悪いことをしようという前提ではありません。

「スロット行きたいから、彼女にお金借りてでもやりに行く」とか、「楽しそうだしバイト先の冷蔵庫の中に自分が入った写真を SNSでアップする」とかは、世間で言われるような「やりたいことをやる」ではなくて、ただ自分の欲望に従って後先考えずに行動しているだけなんですよね。

こんな間違った解釈の「やりたいことをやる」がまかり通るんだったら、いずれ世の中は犯罪だらけになってしまいます。

では、「やりたいこと」「楽しいこと」「わくわくすること」とはなんなのか。

これらの元になる4つの欲求がありまして、それが次のようになります。

①「好奇心」

わからないものに対してその理由や意味を知りたいといった、物事を探求したいという欲求です。行きたい、見たい、言いたい、食べたい、などの行為も含まれます。

②「能力の上昇」

自分にある能力やできることを向上させ喜びを得たいという欲求です。芸術に関すること、コミュニケーション能力、創造性、身体能力など、自分の得意分野を伸ばす行為になります。

③「主体性意欲」

自分の意志や判断で責任を持って、選びたいものをちゃんと選びたいという欲求です。人に言われてやる行為ではなく、自分が「これをやりたい」と思ったことを「自発的に」やる行為になります。

④「他者との結びつき」

自分と他者とをつなぎ、関係を築きたいという欲求です。社会貢献、信頼関係の構築、ボランティア、 SNSでの発信などがこれにあたります。

この4つが、「やりたいこと」「楽しいこと」「わくわくすること」を構成するものになりまして、かならずしもこれら4つが重なりあった状態でないといけないことはありませんが、4つ重なりあっていた方がより強い衝動になります。

それに、なにかを始めたいと思ったとき、ほとんどの場合が単純な動機からくる主体性意欲が多いですね。

僕自身、振り返って考えてみると、悲恋改善アドバイザーになった最初のきっかけは「家でできる仕事がしたい」という主体性意欲からでした。

世間を賑わすロックスターが、最初に音楽をやろうと思った動機が「女の子にモテたいから」というのと同じ感じです。

それから、「他者との結びつき」は後回しになる場合があります。

たとえば、「どうしてもイラストを描く仕事がしたい」という人がいたとしましょう。

この人の最初の欲求は、「イラストが描きたい」「イラスト関連の仕事がしたい」という「主体性意欲」とイラストを描くことによる「能力の上昇」の2つだったとします。

そしてこの2つの欲求を満たし続けていくと、今度は「もっと大勢の人に自分のイラストを見てもらいたい」という欲求が出てきました。

この欲求こそが「他者との結びつき」なんです。

「え、ちょっと待って。

他者との結びつきって人の評価を求めてるってことになるんじゃないの?」と思った方がいらっしゃるかもしれませんね。

鋭い意見です。

しかし、「他者との結びつき」は「人と共有したい、分かち合いたい」という欲求であり、「見せたい」「知らせたい」といった動機からくるので、他者から承認を得たいというものではないんですよ。

それに、僕は一言も人の評価を求めてはいけないとは言っていません。

世間体や人の評価を前提にして行動してはいけないと言っただけです。

その前提を「やりたいこと」「楽しいこと」「わくわくすること」に変えて行動すると、次のような連鎖が起こります。

いかがでしょうか。

やりたいことに向けて行動し、その結果を人に評価してもらう順で連鎖させることにより、どんどん自分の軸が確立され自己肯定感が高まっていくわけです。

言うまでもなく、人の評価がやりたいことの前に来てしまうと、評価ばかりを気にしてやりたいことが制限されてしまうので、この順序は逆になってはいけません。

そうやってやりたいことをして評価を得るという連鎖を繰り返し、さらなる高みを目指そうとすると、その人には信念が芽生えてきます。

その信念がどういったものか、先ほどのイラストを描く仕事がしたい人を例に出すと、「日本中の子供たちが笑顔になるようなイラストを描きたい」といった感じのものです。

この信念に基づき、周囲がなんと言おうと自分を信じてやりたいことをやり抜くのが、前述の「徹底的に自己中になる」ということなんですよ。

「やりたくないことはしなくていい」と、世間でもよく言われるようになってきました。

やりたくないことはしないと言うと、「自分勝手」「ワガママ」「世間知らず」という見方をする人もいらっしゃることでしょう。

しかし、やりたくないことを徹底的に省くことによって、次のような効果があります。

  • やりたくないことを省くことで、ストレスが大幅に軽減される
  • やりたくないことに割く時間が減るので、時間の無駄がなくなる
  • やりたくないことを切り捨てることで、やりたいことが明確にわかる
  • 「それはやりたくない」「これがやりたい」と自己主張ができる

いかがでしょうか。

やりたくないことをしない人生を歩けるようになると、かなり精神的な負担が減ると断言できます。とはいえ、この「やりたくないことはしない」という解釈を間違って捉えている人が多いのも事実。

どういうことかと言うと、自分の本能に基づいた上での「やりたくないことはしない」と考えている人が結構な数でいるということです。

たとえば、働きたくないから仕事をサボって寝るとか、我慢したくないから食べたいだけ食べるといった感じで、「堕落」「怠惰」の意味での「やりたくないことはしない」という捉え方になっているんですよ。

もちろん、たまにはそんな「やりたくないことはしない」もありでしょう。

頑張り続けると人間、いずれどこかでガタがきますからね。

ですが、堕落と怠惰を習慣にした生活を悔い改めない人間は、最初はよくてもきっといつか後悔する未来が目の前にちゃんとやってきます。

「それでも全然かまわない」という後先のことをまったく考えない、よほどのチャレンジャーでもないかぎり、堕落と怠惰をベースにした「やりたくないことはしない」は将来の自分の首を絞めると言っていいでしょう。

ある母親が、身勝手な都合で子供を産んでおいて、「子育てしたくない」という理由から育児に手を抜きまくり、ろくに愛情をかけずに子供の生命が最低限維持されるだけの育児をしていたら、この子供が大人になったときに、母親は我が子に恨まれまくって苦しめられるような未来がやってくることも可能性としては十分にあるわけです。

では、「やりたくないことはしない」の本来の意味はなんなのか? それは、自分が設定したゴールにまったく関係のないことはしなくていい、という意味です。

1つの例として、ここに小説家を目指している男性がいたとしましょう。

この人は、小説家になるためにバイトをしながら、執筆活動を行っています。しかし、彼はできればバイトはしたくありません。でも、執筆だけでは生活ができないんです。

となると、この人が取るべき行動は、自分がやりたいことをやるために、小説一本で生活ができるようになるまで、バイトを続けることです。

バイトしたくないと言ってバイトを辞めたら、彼は生活ができなくなってしまいますし、この場合、彼にとってのバイトは小説家になるというゴールに向かうために、必要なものとなるわけです。

ここでやりたくないことを極力しないためには、せめて精神的な負担が少なく、時間の融通がきき、執筆活動に専念できるようなバイトを選択することではないでしょうか。

そして、小説家として生計が立てられるようになったとき、ようやくやりたくなかったバイト生活から解放されるというわけです。

ですが、この男性に「小説家にもなりたいけど、バイトは嫌だ。だから、そこそこの会社で正社員になっていい暮らしがしたい」という欲が出てしまい、お金を稼ぐことが主目的の仕事をするようになると、これは本来のゴールとはまったく関係がないので、横道に外れてしまいます。

もちろん、横道に外れた経験も小説にしてしまえばいいかもしれませんが、ゴールを見失い横道には外れた人間は欲に支配されているので、なかなか軌道修正ができません。

しかも、お金を稼いでいい暮らしをするという新たな目的が増えてしまったため、その分、執筆にかける時間が減ってしまいます。

もちろん、小説家になれなくても趣味でラノベとかを書いてそこそこのいい暮らしができればいいんじゃないか? といった意見もあるでしょうし、それは否定しません。

もしかすると、趣味で書いたラノベが当たることもあるでしょう。

ただ、真に自分がやりたいことを成し遂げるためにストイックになれない人間は、下積みがちゃんとできていないので、もし成功したとしても土台がしっかりしていないため、なにかあったとき簡単に足元をすくわれてしまいます。

ようするに、横道に外れた状態で夢を叶えたとしても、その夢は長続きしないということです。

基本的に、やりたいことをやって、やりたくないことをしない生活を長期的に送っている人は、例外なくストイックになった期間があり、下積み生活をしっかり経験しています。

やりたいことをやっている人は、それをするにあたって必要な、やりたくないこともちゃんとやっているんです。

たまに、「成功者になりたい。でもプライベートも恋も遊びも充実させたい」といった能書きをたれている人がいますが、万が一こういう人が成功したとしても、その期間は短命に終わります。

なので、「やりたくないことはしない」の本来の意味は、ゴールに向かうために必要じゃない、やりたくないことはしないという意味になりまして、最初に設定したゴールにたどり着くために必要なやりたくないことは、下積みとしてちゃんとしなければいけないということになりますね。

そういった理由から、ゴールに関係がないような、行きたくない飲み会や引き受けたくない頼まれごとは、断ってもなんら問題がありません。

では次に、なぜやりたいことが明確に決まっているにもかかわらず、それに向けて行動ができないのかについてお話しさせていただきます。

▼なぜ人はやりたいことをやれず、やりたくないことをしてしまうのか?

やりたいことが明確に決まっているのに、なぜ自分のやりたいことを選択できない人が多いのか。それはどこまでいっても、「世間体や人の評価」に縛られているからです。

たとえば、年齢を言い訳にしてやりたいことができない人は、「もう歳だしこんな年齢で新しいチャレンジをするのは馬鹿げている」といった感じで、世間体を気にしています。

お金を言い訳にしてやりたいことができない人は、「失敗したら大損してしまうし、そうなったらお金がない自分なんて誰にも相手にしてもらえない」といった感じで、人の評価を気にしています。

ようするに、自分がやりたいと思っていることが、「世間的に見てどう映るのか」「周囲の人間はどう思うのか」という他者の視点に基づいたものであり、「自分がどうしたいのか」が前提ではないため、多くの人がやりたいことを選択できないというわけです。

さらに掘り下げてお話しすると、実は自分がやりたいことを選択するとき、そこにはかならず犠牲になる人が現れます。

友達とご飯を食べに行く約束をしていて、友達が「焼き肉が食べたい」と言ったとき、あなたが「いや、今は肉の気分じゃない。お寿司が食べたい」と言ってそれを通したら、友達は食べたかった焼き肉が食べられません。

もっと大きな例で言うと、政治家が「次はこれこれこういう公約を実現させます」と言ったら、賛成する政治家や国民もいれば、楯突く政治家や反対運動を起こす国民もいるといった具合に。

前セクションでお話しした、「小さないいな」を選択するときでも、犠牲になる人を直接的に知らないだけで、実はちゃんと存在しています。

「さっきまで ○ ○のハンバーグが食べたかったけど、今は × ×のラーメンが食べたい」と思ってラーメンを食べたら、本来なら 1人単価が上がるはずだったハンバーグ屋さんの利益が下がるといった感じです。

直接的にかかわっていない人の犠牲に対しては無頓着な人が多いですが、これが直接的に関わっている場合だと話が変わってくるんですよね。

どういうことかと言うと、やりたいことを選択してそこに犠牲がともなう場合、親密さや関係性の深さによって、直接的にかかわる人に対して次のような感情を抱いてしまうからです。

それは、

  • 罪悪感
  • 良心の呵責
  • 自分が悪者になりたくない

という3つのものです。

この3つの感情を捨てきることができず、やりたいことをやれない人が世の中には多く存在します。

たとえば、ここに女優になりたいと願っている女性がいるとしましょう。しかし彼女の母親は、自分の娘にどうしても安定の道を歩いてもらいたい、わざわざリスクを取るような選択をしないでほしいと心から願っているとします。

娘であるこの女性は母親のそんな気持ちを知っていましたが、どうしても女優になる夢を諦めきれず、母親を説得します。

しかし、母親は「母さんはね、アンタが普通の仕事をして普通に結婚してくれるだけで安心するの。芸能界って怖いところだって言うし、女優になって売れるのなんてほんの一握りの人間なのよ。母さんはそんなことのためにアンタをここまで育てたんじゃない。お願いだからその夢は諦めてちょうだい」と言ったとします。

ここで自分のやりたいことを選択できる人は、家を飛び出してでも自分の夢を叶えるために行動します。

ですが、それができない人は母親の言うことを気にして、「ここまで育ててくれた母を裏切ることはできない」といった罪悪感に苛まれ、「たしかにお母さんの言うとおりかもしれない。私に女優なんてできっこない」といった感じで、今度は「自分が女優になってはいけない理由」の証拠を探しだすんですね。

その結果、できない理由をいくつか考えて自分の中で折り合いがついたとき、この女性は自分の夢を諦めるというわけです。

このメカニズムは、やりたくないことをしてしまう人にも共通していることでして、たとえば、会社を辞めたくて仕方がないのに、「今、自分が辞めると周りの人間に迷惑がかかるから辞めることができない」と思っている人がいるとしましょう。

この人は、自分が辞めたことによって周りから恨まれそうという不安を抱えていて、「自分が悪者になりたくない」と思っているかぎりは会社を辞めることができません。

そして、「仕事があるだけ幸せなことだし、贅沢言っちゃいけない」とか「同僚に仲良いヤツも結構いるし」といった感じで、「辞められない理由」を探しだし、不平不満を感じながらも会社にとどまることを選択するわけです。

では、なぜ「罪悪感・良心の呵責・自分が悪者になりたくない」といった感情を抱えたあと、できない理由の証拠探しをしてしまうのか。

それは、できない理由があればあるほど、「あれはしょうがなかった」といった感じで、自分への言い訳がしやすくなるからです。

ようは、「やりたいことなのにできなかった自分」「やりたくないのにやってしまった自分」を自覚してしまうと、「結局その道を選んだのは自分」と認めざるを得なくなるので、そうならないために逃げ道がほしいだけなんですよね。

▼「やりたいことはやるし、やりたくないことはしない」

人生を歩むために必要な考え方 では、「罪悪感・良心の呵責・自分が悪者になりたくない」という感情を抱えたとき、この感情を払拭するためにはどうすればいいのか? 身も蓋もありませんが、やりたいことをして、やりたくないことをしないために、自分を貫くしか方法がありません。

とはいえ、前述の感情に振り回されやすい人だとなかなか自分を貫くことができないので、自分を貫くために意識していただきたいことが2つあります。

それが次のようになります。

  • ①恩を今返そうとしない
  • ②万人に好かれようとしない

どういうことか1つずつ詳しくお話しさせていただきますね。

①恩を今返そうとしない

先ほどの、女優になりたいけれど母親に反対されている女性の例だと、彼女は母親に対しての罪悪感に縛られて自分の進みたい道を諦めようとしています。

彼女は、母親さえ説得することができれば自分の夢を追いかけることができますが、どうにもそれは叶いそうにありません。

「自分の夢を叶えるために身内さえ説得できないようなヤツはダメ」と言う人もいますが、たとえ夢を叶えるための勝算があってそれを身内に力説することができできたとしても、世の中には物分かりの悪い大人がたくさんいるので、かならずしも説得できないとダメということはないんですよね。

とくに、身内が気づいていないステージ以下のフィールドにいる場合だと、彼らは主観で物事を考えてしまうので、どれだけ勝算がある話であったとしても、反対する傾向が強いです。

となると、やはり夢に突き進むか諦めるかの二択に行き着くのですが、ここで諦めることを選択する人は、かならずと言っていいほど相手に悪く思われることがないよう、「今」あることをしようとしています。それが恩返しです。

この女優になりたい女性の場合だと、母親に対して今、育ててもらった恩を返したいけれど、今の自分ではそれができないし、罪悪感の払拭をすることもできないから、夢を諦めるという選択を彼女はするわけです。

ではここで、彼女が母親の反対を振り切って家を出て、女優になるために精一杯努力し、晴れて一流女優の仲間入りをした場合。

彼女は自分の夢を叶えただけではなく、心配をかけた母親に対して「ここで」ようやく恩返しができるようになります。

恩返しとしては、「あのときは私のワガママで家を出てごめんね。でも、今は女優としてしっかりやってるから安心してね。今度 ○ ○っていうドラマにも出るんだよ」と言って、自分が活躍している姿を母親に見せたり、「心配かけたお詫びと言ってはなんだけど、今度家族で温泉旅行に行こう。私、招待するよ」と言って、旅行をプレゼントしたりすることができますよね。

このように、「自分を貫いて直接的に犠牲になった人に対し、あとで恩を返す」という考えでいると、自分を貫きやすくなります。

ただし、この恩返しをあとにできないかもしれない場合も人生には存在します。

どういうことかと言うと、自分を貫いたことによって直接的にかかわった誰かに恩返しができず、その誰かが犠牲になったままの状態になるということです。

たとえば、先ほどの女優になりたい女性の母親が娘の夢を反対するだけではなく、余命宣告をされていた場合、母親がいつ亡くなるかわからないので、こういった状況で自分のやりたいことを容赦なく選択できる人はそうそういないと思います。

この場合の考え方としては、自分がやりたいことを選択して後々になり、一生消えない罪悪感や良心の呵責に苛まれる可能性が高そうなら、やりたいことを後回しにしたほうがいいのではないか? というのが僕の見解です。

女優になりたい彼女の場合だと、母親の死後に自分の夢を追いかけるということです。

体力的な問題や、年齢制限が設けられていることでもないかぎり、夢はいくつになっても追いかけることができます。

年齢を言い訳にしてできないと思ってしまうのは、世間体や人の評価に縛られているか、所詮その程度の熱意しかない夢だったということです。

なにかを始めるにあたって遅すぎることはないですし、やりたいことを後回しにしていざスタートするとき、どうしても年齢が気になるのであれば、自分を奮い立たせるべく、自分と同じ境遇で夢を叶えた人のサンプルを探してみてはいかがでしょうか。

ちなみに、恩返しと言ってもそんな大層なものばかりではなく、どちらかと言うと「借りを返す」とか「配慮する」という感じで考えていただいたほうが、わかりやすい場合もあるかもしれません。

一例を出すと、どうしてもやりたくない仕事を仲のいい同僚に代わってもらった人がいたとしましょう。

その同僚が仕事を終えたあとに、「本当に助かったよ。お礼にランチおごるよ」といった感じで借りを返したり、「ありがとう、今回助けてもらったから、次なにか頼みたいことがあったらいつでも言ってきてね」といった感じで「恩は忘れないよ」という配慮をすることです。

こういった恩返しをせずに自分を貫き続ける人は、周囲の人間から嫌われやすく、ただのワガママな人になりますね。

たとえば、「なにがあっても定時で帰る」というスタンスを職場で徹底している人がいたとします。

この人は、周囲の人間が仕事をしていたり、就業時間内に業務が終わらないぐらい忙しい日があったりしても、かならず定時になると「お疲れさまでした」と平気な顔をして帰宅します。

ここで恩返しをしていない人は、周囲から「なんだよアイツ! 周りのことなにも考えてない!」と反感を買うのは当然ですよね。

しかし、ここで恩返しを日頃からしている人は、いつも仕事でちゃんと結果を残していて、周囲の人間に、「いつも先帰ってごめんな。

でも、どうしても残業したくないんだよ俺(笑)、そのお詫びと言ってはなんだけど、自分に手伝えることがあったら言って?」 という風にコミュニケーションを心がけ、上の人間にもしっかり取り入ることを忘れず、これからも定時で帰れるように、極力自分の立ち位置をよくする言動を日頃から心がけています。

とはいえ、恩返ししてもこの人のことを否定的な目で見てくる人はかならず存在します。

そういった場合、どうすればいいか。それが、次のようになります。

②万人に好かれようとしない

「罪悪感・良心の呵責・自分が悪者になりたくない」という感情に振り回されやすい人の多くは、「万人に好かれようとしている」という背景があります。

しかし、万人に好かれる人も物も歴史上存在しないですし、つい八方美人になってしまうという人は例外なくと言っていいほど、人間関係の線引きができていません。

どういうことかと言うと、「嫌われてもいい人」と「嫌われたらまずい人」の線引きができていないということで、その線引きができていない人ほど、人から嫌われることに異常な恐怖心があるんですよ。

批難されることを承知でもっとわかりやすく言うのであれば、「どうでもいい人」と「どうでもよくない人」の区別です。

では、この区別をどうやってつけるのかと言うと、次のようになります。

「どうでもいい人」

  • 所属しているコミュニティー(会社や趣味の集まりなど)から遠のいたとき、二度と会わないような人
  • 友達にできないような人
  • かかわっても自分にとって特に利益がない人
  • 嫌われたところで大して害がない人

「どうでもよくない人」

  • 所属しているコミュニティーから遠のいても、関係を続けられそうな人
  • 友達にできる人
  • かかわることで自分にとって利益がある人
  • 嫌われると自分の立場が危うくなる人 という感じです。

「でも、こうやって人間をどうでもいい、どうでもよくないって決めるのは、倫理的におかしいじゃないか?」と言う人がいらっしゃるかもしれませんね。あのですね。

キレイ事言うてる場合とちゃうやろ。そんなキレイ事に縛られてるから、いつまで経っても生きづらさが消えへんねん。

万人に好かれようとしている人は、人の顔色を窺うことをやめることができず、「どうでもいい人」にまで好かれようとしてしまい、本来なら接点すらなかった相手なのに、接点ができたことにより、しなくていい人付き合いを増やしてしまうことがよくあります。

ただ、接点ができただけにとどまっていれば別にかまわないのですが、実は接触した相手がエネルギーバンパイアで、自分からエネルギーを奪う人種だったというケースは別に珍しいことではありません。

その結果、万人に好かれようとする人は拒絶することもできず、エネルギーバンパイアに搾取され続けるという事態が起こります。

この部分の対処については、後述させていただきますね。

「人類みな兄弟」という言葉があるように、人とたくさんかかわることはもちろん大切なことなんですが、これをしていいのは人間関係の線引きがちゃんとできる人だけです。

線引きができるから、いろんな人とかかわっていく中で「この人はちょっとヤバい」とか「自分のためにならない」と思ったら、その時点で距離を置くことができるわけです。

しかし、線引きができない人だと、「嫌われたくない」という気持ちが先行して距離を置くことができません。

なので、できない人はまず、「どうでもいい人」と「どうでもよくない人」の区別をつける必要があるでしょう。

とはいえ、それでも万人に好かれようとしてしまう人は、次頁の図を見てください。

これは 262の法則と呼ばれるものでして、この法則の元々の考えは、どれだけ優秀な人材を集めて組織を作ったとしても、 2割の人間が頑張り、 6割の人間がふつうに取り組み、残り 2割の人間がサボったり手を抜いたりするというものです。

この法則は人間関係にも当てはまることが多く図のようになるのですが、なにが言いたいかと言うと何度かお話ししているように、自分のことを否定してくる人はなにをしても否定してくるということです。

たとえば、嫌いな芸能人ランキングでトップを取るような人だと、それだけ世間の人から嫌われているという事実に着目しがちですが、「めっちゃ好き」の数がそれほど多くないだけで、その芸能人を支持している人もちゃんと存在します。

それは、好きな芸能人ランキングでトップを取る人も同じでして、「嫌い」と言う人はかならずいるはずです。

なので、 100人いたら 100人が嫌うなんてことはありえないですし、どれだけ今所属しているコミュニティーで否定されている人でも、場所が変われば打って変わって歓迎されることはよくあるんですよね。

それに、万人に好かれようとする行為は、まさしく世間体や人の評価に基づいたものであり、人の目ばかり気にしてしまう人は、残念ながらただの自意識過剰です。

ようは、「自分はそれだけ注目されている」という前提を作っているということで、「どうせ自分はみんなから嫌われているに違いない」といった思い込みを抱えている人も、例外なく自意識過剰が原因になっていると言えるでしょう。

みんな、それほど暇じゃないし、ここ日本では他人に興味がない人が多いという事実があることをお忘れなく。

先ほどの 262の法則に当てはめてもわかることですが、 6割もの人があなたに無関心だということです。

▼トライアンドエラーを繰り返さないと見えないものがある

第 2章セクション 4で少し触れましたが、なりたい自分に近づくためには、「失敗も必要」です。どういうことかと言うと、失敗を経験しないことには、そこから新しいルートが見いだせないんですよ。

たとえば、ある人が一念発起して自己改革するべく行動を起こしたとします。せっかく行動を起こしたのにもかかわらず、そのチャレンジは失敗に終わったとしましょう。

ここで、「どうせ自分には無理だったんだ……」と思って失敗を後悔するだけだと、この人は今までどおりの人生を歩むことになります。

しかし、「失敗したけれどなにがいけなかったんだろう?」「なぜ失敗したんだろう?」と振り返ることができたとき、この失敗体験から次の方向性を示す新しいルートが現れます。

上の図をご覧ください。

このように、なりたい自分に近づくためには、トライアンドエラーを繰り返さないといけないんですよ。

それでも、できるだけ失敗したくないという人がいらっしゃるかもしれませんが、失敗体験をできるだけ少なくする方法が1つだけあります。

それは、自分のことを知ることです。自分のことを知れば知るほど、やる前から「これは自分にはできないだろう」「これは自分には向いてないな」と判別できるようになります。

しかし、自分を知るセクションでお話ししたように、人や経験を通じてでしか自分を知るきっかけを手に入れることはできません。

ということは、そのきっかけを手に入れるために、苦労を伴うことだって十分にあるわけです。なので、自分のことを知らないうちは、「失敗してもいいから行動する」という心構えが必要になります。

ここで、自分の行動を制限するような固定観念が外れている人は、重い腰が以前よりもぐんと軽くなっているのではないでしょうか。

自分の話で恐縮ですが、僕は今の仕事に就くために、実は 4回ほど別の仕事で起業しようとして失敗しています。

ですが、この 4回の失敗がなければ確実に今の仕事にはたどり着いていませんでしたし、このどれかの経験が欠けていても、今の僕は「絶対に」存在していません。

すべて、今の自分にたどり着くために必要な失敗だったのです。

一流ボーカリストと呼ばれる人でも、売れなかった頃はオーディションに落ち続けて歌唱力を酷評された時代があります。

偉大なる発明家も、大量の失敗作を作っています。球界の大スターでも、スランプを経験し、試合に負けて悔しい思いをした過去があります。

いくら成功している人でも、失敗経験がない人を探す方が難しいんですよ。

自分のことを知り尽くしている人でも、自分を知り尽くすまでに、同じ経験をしているのではないでしょうか。

多くの人が失敗することを恐れていますが、失敗することは決して悪いことではありません。失敗することよりも、チャレンジしないことのほうがダメなんです。

だって、ノーミスってノーチャレンジってことですからね。失敗した数は、それだけチャレンジした数ということになるんですよ。

なりたい自分になるために、どうか失敗を恐れずにチャレンジをしてください。

▼人生で大きな二択はかならずやってくる

人は人生の中で、今後の生き方が大きく変わるような選択を迫られる場面を何度か経験します。

その選択は一瞬の判断ではなく、熟考してから決める場合が多く、二択で成り立っていまして、次のようになっております。

「安牌の道」

  • 一般的にみて安定している
  • 危険なことがほぼない
  • 周りの人もこの選択をすることでよく思う
  • 普通の人ならこの道を選択することが多い
  • 今の自分で無理なくできそう
  • 先の見通しがたちやすい
  • 人並みの幸せが手に入りそう

「リスクある道」

  • 安定するかどうかは自分次第
  • 飛び込んでみるまでどうなるかわからない
  • 周りの人は反対することが多い
  • 普通の人ならこの道を選択しないことが多い
  • 努力が必要だが成長も感じられやすい
  • 先の見通しがたたない
  • 成功すれば人並み以上の幸せが手に入りそう

実はこの選択肢のベースになっているものがありまして、それが次のようになります。

「安牌の道」 ベースになっているもの:世間体や人の評価

「リスクある道」 ベースになっているもの:本当は自分がやりたいこと

本書の今までの流れからすると、リスクある道を選びましょうということになりそうですが、その道を選ぶと今後の人生が大きく変わることになるので、どちらを選べば正解ということはありません。

今のままでも十分幸せだから、その幸せを維持したいと言う人もいるでしょうし、やりたいことは十分にやってきたから、今はちょっと落ち着きたいと言う人もいるでしょう。

ですが、もっと人生を大きく変えたい、さらなる飛躍がしたいと思っている人は、リスクある道を選択したほうがいいのではないでしょうか。

ただし、その場合注意が必要なのが、自分を過信して調子に乗ってしまうことです。「なんとなくいけんじゃね?」程度の考えでリスクある道を選ぶと、失敗する可能性が高いんです。

たとえば、ここに小さなアパレルショップを経営している男性がいたとしましょう。彼の夢は、自身の店を拡大してチェーン展開することです。

微小ではあるものの、月ごとに売上が上がっていますが、店舗を拡大するには、販売戦略や従業員の教育などまだまだ問題があります。

そんな彼に、不動産経営をしている友人が、「すごくいいテナントがあるんだけど、お前の店、 2店舗目とか考えてない?」と話を持ちかけてきました。

彼はまだ 2店舗目を開店することは考えていませんでしたが、テナントの資料を見てみると、想像以上によかったため彼の心は大きく揺れ動きます。

「勝負するにはまだまだ問題が山積みなんだよなあ。すごくいいテナントなんだけど、今の俺に 2店舗も経営できるかなあ。でも月ごとに売上は上がっているからなあ。うーん」 悩んでいる彼に友人はこう言います。

「難しそうなら別の人に言うからかまわないけどどうする? そんなに長くは待てないけれど」 すると彼は、せっかくのいいテナントが誰かの手に渡ってしまうという焦りから、「よし、ここで一発勝負してやる! ここ最近、売上もいい感じだし!」 と決意し、 2店舗目をオープンすることに。

しかし、 2店舗目をオープンした翌月から売上は下降の一途をたどり、半年も経つと彼は経営難に陥っていました。

この場合、なにがいけなかったかと言うと、次のようになります。

  • 店舗を拡大するにはまだ問題が山積みになっている
  • 今の自分の経営手腕に自信がない
  • 月ごとの売上が上がっているから大丈夫だろうという安易な考え
  • 元々なかった話で本人もまだそのつもりじゃなかったのに、この話がなくなるかもしれないとわかるやいなや焦って決断

ようするに、ただの勢いだけでリスクある道を選択してしまったということなんです。

せっかく小さいながらも夢の一歩となる自分の城を手に入れているのに、勝算がない状態で浮足立って調子に乗ってしまった結果、経営が上手くいかなくなったんですよね。

とはいえ、こういったビッグチャンスをものにできない人に大きな成功はありえないという意見はあるかもしれませんが、それは基盤がちゃんと整っていて勝算がある人の場合だけです。

それに、自信がない人が見切り発車で出発しても成功するわけがありません。

なぜなら、勢いだけで出発しているので、なにか上手くいかないことが起こるたびに、さらに自信がなくなっていくからです。

以上の理由から、リスクある道を選択するには十分な注意が必要になるのですが、そうは言ってもやらなかった後悔はやった後悔よりも尾を引くというのは本当なんですよ。

なので、この大きな二択がやってきたときは熟考期間をできる限り設け、「安牌の道」でも「リスクある道」でも、後悔しない選択をしてください。

もちろん、未来のことは誰にもわからないので、そのとき後悔しないだろうと思っていても、あとになって後悔することもあるかもしれません。

そうならないためにも、熟考して答えが出たときは、どちらを選んだとしても「自分はこの道を突き進む」という覚悟を決める必要があるのではないでしょうか。

ようは、流されたり焦ったりしてなんとなくで決めてはいけないということです。

Section 3 さらなるアイデンティティーの確立

▼ブレない自分を強固なものにするため、さらにアイデンティティーを確立する

「おいおい藤本、一体いつになったら気づいてるステージに上がれるんだよ!」としびれを切らしている方も、そろそろいらっしゃるかもしれませんね。

なので、気づいてるステージへ昇格するための方法を簡単にまとめました。

  • すべては自己責任であるとわかる(自分以外の誰かのせいにしない)
  • 自分を知る
  • 自分にないものと悪い部分を自覚する
  • 客観的思考を身につける
  • 生きづらさの原因を作っている固定観念を解除する
  • 自己肯定感を高める
  • 世間体や人の評価に縛られずやりたいことをやる
  • ゴールに必要がないやりたくないことはしない

この 8項目をすべてクリアされている方、おめでとうございます。

これらの項目をすべてクリアできているなら、あなたはすでに気づいてるステージ・ねこフィールドに昇格されていると言っていいでしょう。

ここまでの道のりは相当険しかったのではないでしょうか。

ステージアップされた方なら、「ありのままのあなたでいいんだよ」とか「頑張らなくていいんだよ」という言葉がひどく陳腐で、メンタルが弱っている人に向けた、心に優しいおかゆみたいな台詞だったんだとわかっていただけているはずです。

そんなあなたは今、心の底からちゃんと、「幸せだ!」と言い切れるのではないでしょうか。

人間の悩みは過去と未来にしか存在しません。なぜなら、「今」は 1秒後には過去になりますからね。そして、その悩みの原因は、すべて「対人関係」が元になっています。

異性の悩みも、仕事の悩みも、将来の悩みも、お金の悩みも、すべての悩みの元は対人関係が原因です。

だって、この世に自分しか人が存在していないのであれば、比較対象がないし、悩む原因が出てこないですからね。

たとえ、病気になって身体を悪くしても自分しかこの世にいなければ、「なんか前よりしんどいけど、身体のシステム的にこういうもんなのかなあ」で終わりです。

元気な人が周りにいるから羨ましいと思うし、心配してくれる人がいるから悲しませたくないと思うし、もう一度遊びたい仲間がいるから治したいと思うわけです。

そんな対人関係が元になっている悩みでもっとも根深いのが、本書で何度もお伝えしている「世間体や人の評価」に縛られた考え方なんですよ。

世間で常識とされていることや風潮に惑わされ、他者が下した評価を真に受けてしまい、他者から承認を得ることを目的とした生き方をしているうちは、「絶対に」幸せになることはできません。

なので、前述した 8項目をすべてクリアしている人はすでに、「世間体や人の評価の呪縛」から解き放たれていると言っても過言ではないでしょう。

しかし、せっかくステージアップしたのにもかかわらず、ステージダウンしてしまう人がいるのは、残念ながらどこまでいっても、世間体や人の評価をふたたび気にしてしまう生き方にシフトしたからなんです。

なぜ、そんな現象が起こってしまうのかと言うと、それは「承認欲求」が原因。

残念なことに、ねこフィールドに滞在していた人たちが「こんなに頑張って幸せになった自分をわかってほしい」とか、「もっと地位とか名誉を手に入れて認められたい」といった承認欲求にかられて、人の評価を求めすぎてステージダウンしてしまうというケースが後を絶ちません。

そうならないためにもこのセクションでは、ステージダウンしないためにアイデンティティーをさらに確固たるものにする方法を、次章では、気づいてるステージにとどまるために必要な心構えと在り方をお話しさせていただきます。

それでは早速、さらなるアイデンティティーの確立についてお話しさせていただきます。

▼今さらだけど、アイデンティティーってなに?

「同一性」「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」「特定のある人・ものであること」がアイデンティティーと言われています。

うーん。なにを言っているのかさっぱりわかりません。もっと嚙み砕いて言うならば、次のようになります。

  • 自分らしさ
  • 個性

さらにわかりやすく説明すると、「アンタ誰?」と聞かれて、「私は ○ ○という人間です」と答えられたら、それがあなたのアイデンティティーになります。

しかし、アイデンティティーは「自己同一性 =自己認識」が必要になるので、自分で思っていなければ、それはアイデンティティーにはならないんです。

たとえば、売れっ子の芸人がいたとして、いくら周囲の人が「めっちゃ売れてますよね」と言ったところで、言われた本人が「よせやい、そんなじゃねえよ」と言って認めなければ、この人は芸人というアイデンティティーはあるけれど、売れっ子というアイデンティティーはありません。

ちゃんと自分のことを知り、自分にないものと悪い部分を自覚した人は、「自分はこれこれこういう人間です」とアイデンティティーを証明することができる

のですが、ここでもっとブレない自分を強化するための方法があります。それは、「自分の分身をつくる」こと。

今からお話しする方法は、気づいてるステージに昇格した人だけではなく、ステージアップに向けて頑張っている人にもぜひ実践していただきたい方法になります。

その方法とは「創造行為」になりまして、ようは、モノを作る趣味や習慣を持ちましょうということですね。

オーストリアの精神科医・心理学者フランクルは、人間が生きる意味を見いだす上で重要な「3つの価値」を話しています。

1つ目が「体験価値」。

これは、なにか作品にふれたり、誰かと時間を共有したり、どこかに赴いたりといった、自らが体験することの価値です。

そして、2つ目が「態度価値」。

これは、今の自分が生きている意味を考え、起こった出来事にどんな意味があるのか、これからどうしたいか、その意味を考える価値です。

わかりにくいので補足させていただきますと、たとえば、仕事が忙しく頑張らないといけないときに最愛の恋人に振られてしまい、失意のどん底にいた女性が、冷静になって自分を取り戻してから、「この別れはもっと仕事を頑張れということかもしれない。よし、もう前を向いて歩こう」といった感じで、起こっている出来事から意味を見いだすようなことですね。

最後が「創造価値」。

なにか作品を作り出す価値になりまして、この創造価値を持つことが、さらなるアイデンティティーを確立する方法になるんです。

「でも自分には、作品を作り出す能力なんてない!」と言う方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなに難しく考えなくても大丈夫。

モノを作る趣味という観点で考えると、こんなにも種類があるんです。

・ブログ/作曲/絵画・イラスト/習字/フラワーアレンジメント・ステンドグラス/刺繍/皮工芸/ミニチュア/アクセサリー作り ・WEB制作/レビュー投稿/ドライフラワー/バルーンアート・裁縫/華道/ガーデニング/粘土細工/レゴ/陶芸/ちぎり絵・ドール/ You Tube投稿/プラモデル/ケーキ作り etc. いかがでしょうか? モノづくりと言ってもこれらの例はほんの一部ですので、探せばまだまだあります。

その中で自分が興味あるモノづくりを始めてみればいいんですよ。

そして続けていく中で「なんか合わないな」と思ったら、また別のモノづくりを探してみましょう。

ちなみに、「1つの物事を続けられないヤツは堪え性がない」なんて風潮は、昭和時代にできた根性論、精神論なので、プライベートなのに楽しくない趣味に割く時間の意味をよく考えたほうがいいですね。

では、なぜ創造行為が自分の分身を作ることになるのか? それは、自分が作った作品だから愛着が湧き、思い入れが強くなるほど我が子のような存在になるからなんです。

もちろん、たった一度の創造行為ではなかなか愛着が湧かないので積み重ねることが必要になるのですが、積み重ねれば積み重ねるほど確実に思い入れが強くなり、愛着が湧いていきます。

そうすると、自分が作ったモノが増えるほど「自分にはこれがある」と強く言えるようになるので、さらにアイデンティティーが確固たるものになっていくわけです。

僕の例で言うと、藤本には現在「ブログ」「ギター弾いてみたの動画投稿」「 WEB漫画」という3つのモノづくりがあります。

これらの創造行為を積み重ねるとどういった現象になるのか、それが次ページの図のようになります。

この循環を繰り返すことによって、どんどん自分の分身に愛着が湧いていき、アイデンティティーが強固なものになっていきます。

しかも、自らつくった分身たちは、成長すればするほど「心のよりどころ」になるので、メンタルが疲れてしまったときに過去につくった作品を見返して、「そうだ、自分にはこれがあった」と自分を奮い立たせる起爆剤として活用することも可能です。

他者にすがるのは感心しないけれど、自分がつくった作品にはすがり放題ですからね。自分の作品に対して、「あ ~ええわ ~お前最高やわ ~」と悦に入るだけなので、誰にも迷惑をかけていません。

同居している人が住みづらくなるぐらいの巨大な作品とか、見た人の多くが不快にしか感じないような作品をつくった場合はさておき。

なので、ぜひとも創作行為を始めていただきたいのですが、モノづくりも、千里の道も一歩からで、自分の分身となる「愛しい我が子」に成長するまでは正直時間がかかります。

そうなるまでに挫折してしまう人が多いのですが、途中で諦めないためにも、ここで上達しない人の特徴あるあるをご紹介いたしましょう。

  • 調べない
  • 基礎を無視する
  • すぐ応用に手をつける
  • 上手い人の作品や技術を見て「自分は無理だ」と心が折れる
  • 変にプライドが高い
  • 試行錯誤しない
  • すぐに結果を求める
  • 結果が出ないかもしれないことはやらない
  • 努力が嫌い

これらの項目って実はモノづくりだけではなく、すべての物事に共通することでもあるんですよね。「すごいなあ」と思ってしまうあの人にも、「かならず」初心者の時代があったことを忘れてはいけません。

莫大な時間を1つの物事に費やしたから、その人は「すごい」んです。

もちろん、今お話ししているのは趣味で始めるモノづくりのことですから、そこまで気合いを入れて考えなくてもいいかもしれませんが、前述の項目に当てはまりすぎている人はふだんからいろんなことができていないはずですし、この機会にモノづくりを通じて謙虚さを忘れず、物事を「追求する」癖をつけたほうがいいのではないでしょうか。

「できていないはず」という言い方は上から目線のようで申し訳ありませんが、できていると思っているのは本人だけで、周りから見たらまったくできていないということがよくあります。

たかが趣味と馬鹿にするなかれ。

人間は素養にないことはできないですし、逆に素養にあることは派生してほかの物事でもできるので、趣味を通じて追求心や努力する習慣が身につき、さらに派生していくことは、決して珍しいことではありません。

しかも、モノづくりを趣味にすると追求心や努力するといった素養が身につくだけではなく、次のような効果もあるんです。

  • 時間を忘れてトランス状態になりやすい
  • 老けにくい
  • 右脳を使うので悩む時間が少なくなる
  • いかに創造に使う時間を確保できるかを意識するようになり、暇な時間がなくなる
  • 他の人とは異なる視点で物事を見ることができる
  • 常に新しい何かに触れることができる

いいことづくめですね。

以上の理由から、今まで創造行為をしたことがない人は、ぜひともモノづくりを趣味にしていただきたいです。

あなたが作った自分の分身は、心のよりどころになるだけではなく、相乗効果であなたの人生を豊かにしてくれることでしょう。

とはいえ、いくら自分の分身を作ると言っても、「じゃあ子作りすればいいんだ」などという安直な考えは起こさないように。先進国であるにもかかわらず、その中で幸福度がかなり低いこの日本に、「子供がほしいから」という親のエゴでノープランで生まれてくる子供の身にもなってください。モノづくりと子作りを混同してはいけません。

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