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第 3章 「人」を見抜いて指導する

カラを破れずにいる選手を大化けさせるには「進歩とは変わること、変わることが進歩である」とは、私がよく選手たちに説いた言葉だ。

私は「変化」の重要性を、ことあるごとにミーティングなどの場で選手たちに訴えてきた。

プロ野球選手においては、努力しないなどという選手は論外であるが、そこそこがんばっているのに、なかなか 1軍に定着できないような選手もいる。

そういった選手には、私は変化の重要性を説いたものだ。

いままでそれなりに頑張ってきたのに結果が出ないというとき、今後も同じように取り組んでいても同じ結果になることがほとんどだ。

結果を出して、生き残っていきたいと考えるなら、何かを変えなくてはならない。

それは練習方法やフォームであったり、バットといった道具だったり、「考え方」の部分だったりする。

たとえば、これまでのプレースタイルに執着して結果が出せないのであれば、どういうプレースタイルの選手に変化すれば、チームのなかで必要とされて生き残れるのかを見つけ、そこを目指すことはこれまでの「考え方」自体の変化でもある。

たとえばこれまで速球派の投手としてプレーしてきたが、そこに限界を感じて技巧派に転ずる投手もいるが、それはまさしくこれまでの野球に対する考え方をチェンジしたといえよう。

プレースタイルが変われば、必然的に練習方法やフォームなども変わるかもしれない。

これら一連の変化こそ、「進歩」そのものだ。

しかし人間にとっては、「変化」することは難しいことでもある。

一般の社会においても、自己変革ほど難しいものはない。

なかなかこれまでの自分を変えられず、多くの人が結果を残せないまま終わるのも事実だろう。

私は人が「変化」できない理由を、こう考える。

・現状維持を望んでいるから・変化することが自分にとって不利だと考えているから(変わることで、いまより悪くなるのでは……)・まわりから変わらないほうがいいと言われて、変化する勇気をもてないから このように考えているうちは、自己変革などできないだろう。

なぜなら、いままでの居心地のいい自分でいるほうがラクだからだ。

そのためには、変化に対して以下のようなとらえ方をしなければならない。

・変化することは、進歩の証である・変わることに楽しみを見出す・変わることは何かを失うのではなく、何かを得ることだ こういった考えは、私自身が長いプロ生活のなかで試行錯誤を繰り返し、変化しながら生き残ってきたという実体験から出たものだ。

誰でもこれまで考えていたこと、やっていたことを変えるのは勇気がいるものだ。

変えてみて、前よりダメになってしまったらどうしようと、不安になる気持ちもわかる。

しかし実際、長年球界を見ていると、変化できずに消えていく選手たちがたくさんいるのだ。

変化を拒んでいては、確実に終わりがくる。

それならば座して死を待つより、変化を楽しみ、自己変革に挑戦することのほうがその選手のためでもある。

「野村再生工場」などと言われたベテラン選手たちの再生も、こういった「変化こそ進歩である」という考えによってなし得ることができたものだ。

変化を恐れるな、変化は進歩であるという教えは、どのような仕事をする人にもあてはまることだろう。

目の前にある障害を乗り越えていくには、自分が変わるしかない。

最大の障害は、実は自分自身のなかにあるのだ。

短所から目を背ける選手への指導 どんなにドラフト上位で指名されても、たいていの高校生は技術、肉体面とも未完成な場合が多い。

プロで通用するレベルに達していないからこそ、即戦力にはなり得ない。

そこで 2軍で数年の間は育成させる時間が必要となってくる。

だが、大学や社会人から入団してくる選手となると、ドラフト時から即戦力として首脳陣は考えて指名することもある。

実際に春季キャンプで私が見て、「すぐに 1軍で使える」と判断した選手には、私が育成方針の指針を示すこともあった。

具体的に言うと、長所を伸ばすより短所を直すことを最重要テーマとして掲げていた。

人は誰でも、自分の得意な部分に関しては一生懸命練習して磨きをかけるものだが、不得意な部分についてはなるべく見ないようにしようとする。

改善に取り組んだとしても、長所を伸ばす練習のついでにやるくらいで、しっかり取り組む姿勢をとれないことが多い。

しかしそれでは、その選手はいつまでたっても伸びていかない。

私はまず短所を、徹底的に改善するよう試みるべきだと考えている。

なぜなら、長所はある程度放っておいても、時間とともに上達していくものだが、短所は意識して本格的に取り組まなければよくならないからだ。

そればかりか短所が残っていることで、せっかくの長所も十二分に生きてこないことがある。

しかし、短所が改善されると、これまでの長所もいっそう伸びてくるものなのだ。

だからこそ、まずは短所の克服が育成のスタートラインだ。

この段階をへて、 1軍である程度通用するような段階になると、今度は「特徴づけた戦力にしていく」ことを重要視していた。

これはどのような選手を目指すべきかを念頭に置きながら育成していくのだ。

チームの指揮を執る監督にしてみたら平均的にソツなくこなす選手よりも、何か1つでも秀でた能力を持っている選手のほうが、試合で起用しやすいものである。

そこでキャンプやオープン戦などで選手を実際に見て、「あの選手の特徴はなんだ?」とコーチに確認する。

俊足が特徴の選手であれば、その部分を磨くように指示したり、「ストレートはそれほど早くないが、変化球のコントロールがよい」という特徴をもったピッチャーであれば、先発ではなく中継ぎで起用するためのコンディションの整え方を教えたりと、個々の戦力を特徴づけるよう育成していったのである。

まずは短所を直す。

それによって長所を伸ばし、さらには特徴だった戦力としていくことが育成の基本と考えている。

「長所を伸ばすは、短所を鍛えろ」である。

限界に打ちのめされている選手への指導 プロに入って必死になって練習に取り組んでいれば、どんなに努力しても乗り越えられない技術的な壁にぶち当たるときが必ずくる。

これはプロ野球界のことにかぎらず、どんなスポーツ、どんな仕事でも同じだろう。

どんなに努力しても自分の素質やセンスでは乗り越えられない限界が必ずある。

たいてい人は、その限界にぶつかると、あきらめの境地になり、向上心も失っていくものだ。

しかし私は、限界を知ったところから、本当の勝負は始まるものだと考えている。

だから壁にぶつかっている選手たちには、「技術的限界を感じたところから、プロとしての本当の闘いが始まるのだ。

限界を知って、初めて自分のもっている新たな可能性に気づくことができるのだ」 と説いたものだ。

現役時代の私がまさにそうだった。

ようやく 1軍からお声がかかってチャンスをモノにし、 4年目にホームラン王のタイトルを獲ったのだが、その翌年から、大きな壁にぶつかっていた。

カーブがまったく打てないのだ。

なんとか克服しようと、さまざまな練習をし、努力もしたが、どうしても打てない。

そのときばかりは、「俺はなんて不器用に生まれついたんだ」、「なんて反射神経、運動神経が鈍いんだ」と自分の技術的限界に打ちのめされ、失意のどん底にいた。

しかしその時期から私は、なんとかバッティングでいい成績を残すために、技術力以外の方法はないものかと考え、相手チームのピッチャーの投球のクセや配球の傾向などを研究するようになるのだ。

これが功を奏し、私はホームランバッターとしてのちに大成し、三冠王を獲るまでの成績を残す打者となることができた。

ピッチャーの場合も同じである。

たとえば、アマチュア時代に 150キロ近い直球を投げてバッターを封じていたピッチャーが、プロではその速球が通じないということもある。

どんなに体を鍛えて、速球に磨きをかけようと努力してみたが、やはりコントロールが甘いと、プロの打者には簡単に打たれてしまう。

「もう自分の直球は通用しない」と、限界を認識したのなら、そこからが勝負になる。

簡単にあきらめるのではなく、それでは自分の別の部分を生かして生き残っていく方法はないものかと、新たな可能性を探ることが重要だ。

限界にぶつかるということは、「自分を知る」ことでもある。

本当の自分が見えてきたとき、そこに新たな可能性が見えてくるはずだ。

努力をした結果、技術的限界にぶつかっても、何も絶望する必要などない。

技術的な限界は誰にもあるものだからだ。

技術的限界はあっても、挑戦するということにおいて限界はないということを知らなければならない。

新たな可能性を探求することに、限界はない。

私が決して選手を殴らなかった理由 新聞を読んでいると、毎年のように高校野球の現場で暴力事件の記事を目にする。

先輩が後輩を殴ることもあれば、指導者が選手を殴る場合もある。

最悪の場合、大会への出場停止という最も重い処分となる場合があるが、いつまでこんなことを続けているんだろうと呆れてしまう。

気合いだ、根性だと言って監督が選手を殴って、はたして選手は上手くなるのだろうか。

私には、はなはだ疑問だ。

プロ野球の監督にも、鉄拳制裁もいとわない熱血監督はいる。

そういった監督が、ある種の「恐怖」で組織をまとめ上げ、好成績を残すこともあるが、私が目指しているチーム運営とはまったく違う。

私は幼いころに父を戦争で亡くし、ずっと母子家庭で育った。

父に殴られてしつけられたこともなく、そういった育ちが鉄拳指導を避ける私の指導法につながっているのかもしれない。

私は選手個々がプロとしての自覚をもち、誰かに強制されるのではなく、自分の頭で考えながらレベルアップし、組織の勝利のために自主的にまとまっていって結果を勝ち取るような組織がベストだと考えている。

アマチュアは強制でもいい。

しかしプロは自主性の世界であるはずだ。

だから厳しい言い方になるが、できない選手がいても、殴る必要などないのだ。

下手なら使わなければいいだけだ。

代わりはいくらでもいる。

それがプロの世界だ。

一方、殴って指導するというのは、アマチュア的な指導ということもできる。

学生野球であれば、生徒も限られている。

そのメンバーのなかで、結果を残していかなければならない。

代わりはいくらでもいる、というわけにはいかない。

そのため、なんとかこの選手を一人前にしたいという思いが募るあまり、手を出すということもあるのだろう。

しかし、繰り返しにもなるが、殴ったからといって、私はそれで選手が上手くなるとは思わない。

チームで活躍するためには、その選手に何が欠けていて、それをどう改善していくのか。

そのために何をやっていくか。

そういった理をもって、指導しなければ選手は伸びないと私は考えている。

また、叱ることと、感情的に怒ることを混同している指導者もいるが、これは論外だ。

指導者が、憂さ晴らしや感情のはけ口として選手を怒ることは慎まなければならない。

そんなことをしても、選手の成長には何もつながらない。

選手への愛情のない、ただの怒りは言われた選手自身がすぐわかるものだ。

「ほめる」と「叱る」は同意語で、どちらも愛情が底辺に存在するものだ。

しかし「怒る」、「怒鳴る」は感情から来るものである。

コーチは言い過ぎない人間が適任 コーチを務める人間にとって必要な適性とは、いかなるものだろうか。

若い技術の未熟な選手が少しでもよくなるようにと考えて、積極的に手とり足とり教えるコーチがいるが、これはいただけない。

常日頃から私はコーチたちに「教えすぎるな」と命じていた。

メジャーリーグにも「教えないコーチが名コーチである」という名言がある。

教えすぎると選手が自ら考えようとする姿勢を奪ってしまいかねない。

一から十まで「ああしなさい、こうしなさい」と指示され、選手がただ一方的に「はい、はい」と聞いているだけでは、自分で考えることすらできない、受け身型の人材をつくってしまうことにもなりかねないのだ。

コーチに就任したての頃はどうしても、「自分のもっている技術を選手に教えなければいけない」と考えがちだが、これは大きな間違いである。

本人が何か失敗をしたり、壁にぶつかって試行錯誤を繰り返し、その問題点や改善点などを意識しているときであれば、コーチの指摘を聞くこともあるだろうが、本人自身が何も悩まず、問題意識ももっていない段階でいろいろと教えても、まず選手はコーチの話を聞かない。

聞いていたとしても、頭の中を素通りしていくだけだ。

指導の根本理念は選手の問題意識を高めることである。

コーチにとって必要なことは、選手たちが悩み、試行錯誤を繰り返している段階をじっと見守ってやる忍耐力だ。

ついアドバイスをしたくなるが、もし選手の成長を本当に願うのなら、選手自らが自分なりの答えを導き出すまで、先に指導者が答えを言ってはいけないのだ。

もちろん選手の練習方法や目標などが、明らかに間違っているときは注意するのだが、基本的にコーチは、選手たちが自分で成長していくことをサポートするだけでいい。

もし悩み抜いた選手がやってきて、「どうしたらいいか教えてください」と言ってきたとしても、「現役時代に自分はこうやって考え、こう努力して克服した」と自分や他の選手のエピソードを伝えるだけでいい。

けっして「こうしなさい、ああしなさい」と押し付けるのではなく、「自分はこうしたが、君はどう思うか」と、疑問を投げかけて、その選手が何かを気づくように導くことがコーチの本当の仕事だ。

その際、天才肌でかつて名選手だったコーチだと、「なんだ、こんなこともできないのか」と突き放してしまうこともよくあるが、これでは選手は育たない。

逆に、現役時代は不器用で苦労しながら技術を体得してきたコーチだと、試行錯誤してきたプロセスもあるので、的確なアドバイスが選手にもできるという面がある。

名選手が必ずしも名指導者ではないというのは、このためである。

コーチの最大の仕事は、選手が自分の力で正解を見つけられるように導くことだ。

教え込もうとしても、それは無理なことである。

選手自身が自分で学び、選び取っていったものしか、身にはつかないものだからだ。

基本的には「問題意識」を持たせる指導法がいいのではないだろうか。

手のひらを見れば、どんな選手かがわかる 毎年2月 1日はプロ野球のキャンプインの日にあたる。

キャンプイン当初は、合宿所の庭などで、夜間の自主練習と称して、多くの選手たちが素振りをするものだ。

これはいまも昔も変わらないことだが、やがてオープン戦が始まると、素振りに出てくる選手が次第に減り始める。

だいたい 3分の 2が出てこなくなる。

公式戦が始まると、さらに出てくる選手は少なくなる。

最後は毎晩、素振りに出てくるのが 1人か 2人ということになる。

素振りというのは単純作業で、面白味もなく即効性もないものだから、どうしても続かない。

しかしその面白味のないものだからこそ、コツコツと続ければ絶大な効果があるものといえるのかもしれない。

南海に入団当初の私も、必死になって素振りをした。

キャンプはもちろん、シーズンが始まっても、素振りだけは欠かさず毎日続けていた。

するとある日、鶴岡監督が選手全員を集めて「手のひらを見せろ」と言ったことがあった。

なんのことかと思いつつ、選手全員が監督に手のひらを見せると、「なんだお前たち、女みたいな手をしおって! バット振ってるのか! 手のひらにマメができていないじゃないか!」と激怒したことがあった。

毎日素振りをしていれば手のひらに自然とマメができるものだ。

固くなってゴツゴツした手触りは野球選手の勲章と言ってもいい。

私はみんなが庭で素振りをしなくなってからも、一人黙々と素振りを繰り返していた。

おかげで手のひらはマメだらけだ。

私は自信をもって鶴岡監督に手のひらを見せると、「おっ、野村はいいマメをつくっているじゃないか」と、私の手をみんなに掲げて、「野村の手をよく見ろ。

これがプロ野球選手の手だ」とほめられたことがあった。

このときばかりは本当にうれしく、それ以来、私の素振りもますます力が入った。

しばらくの間はスイングがよくなるための素振りではなく、マメづくりが目的の素振りになったくらいだ。

平気で人の二倍、三倍は毎日、素振りをしていた。

その結果、 2年目の秋季練習から飛距離が急激に伸び、練習でも 10球打ったら 7 ~ 8球をスタンドインさせることができるようになるまでレベルアップしていた。

人目につかず、地味で、面白味のない作業であるが、それだからこそ、継続すれば大きな効果がついてくる。

指導者が、その地味な努力を知っていてくれるというだけで、選手はまたやる気にもなるものだ。

野球選手の手には、その努力の痕跡がすべて刻み付けられているのだ。

固定観念を捨てたとき成長できる 自分の思い込みで物事を見ていると、真実を見誤ることもある。

以下のエピソードは、その一つの例だ。

私はプロに入った当初は、いわゆる長距離バッターが多く用いたグリップの細いタイプのバットを使っていた。

遠心力を利用して球を遠くに飛ばすには、グリップエンドの細いバットが最適だと、当時の選手は誰もがそう疑わずにいた。

そのため私も、グリップの細いバットを使うようになった。

しかし当時の私には、技術が伴っていないこともあり、よく練習や試合でバットを折ってしまうのだ。

当時の私はまだ 2軍選手で、頻繁にバットを買うようなお金も持ち合わせていなかった。

そこで 1軍のロッカーまで行って、先輩たちに「バットをください」と頼んで歩くこともよくあった。

そしてあるとき、いつものようにバットを折ってしまって、先輩たちのところにもらいに行くと、その日にかぎって、グリップエンドの太いバットしか残っていないことがあった。

私がこれまで一度も使ったことがないタイプのバットだった。

私はグリップエンドの太いバットは、単打専門の非力なバッター用のものだと、信じて疑わなかったからだ。

ところが、いざバッティング練習で使ってみると、これまでのようにバットを折らないどころか、気持ちいいほどパカパカといい当たりを連発した。

オーバーフェンスする打球も増え、「あれ、オレはこういうタイプのバットのほうが合うのかな」とそれまでの考え方をあらため、その後、グリップエンドの細いタイプのバットを使用することは一度もなかった。

ある年のオールスター戦の試合前、巨人の王貞治が私がどんなバットを使っているか興味があったらしく尋ねてきたことがあった。

私がこれだと渡すと、「えっ、ノムさんはこんなにグリップの太いバットを使っているの!?」と驚き、「細くしたら、もっとホームランがでるんじゃないの」と言っていた。

王は典型的な長距離ヒッターである。

彼の頭の中にも「ホームランを打つバッターはグリップエンドが細いバットを使って、遠心力で遠くに飛ばすものだ」という認識があったのだろう。

彼が信じられないといった面持ちでいたのが、いまでも忘れられない。

「グリップエンドの細いバットのほうが飛距離が出る」というのは、単なる固定観念、誤った先入観だったのである。

私は偶然にも、この固定観念の誤りに気づいたのだが、それ以来、くれぐれも自分の思い込みで物事を判断しないよう、気を付けるようになった。

かくも、人が抱く先入観、固定観念のたぐいは、これほどあやふやなものなのである。

「一流の脇役になれ」と指導した宮本慎也 野球は筋書きのないドラマである。

これは昔から言われている言葉だが、たしかにプレーボールからゲームセットの瞬間まで、何が起きるかわからない。

しかし、誰もが主役になれるわけでもない。

テレビドラマや映画、舞台も同様で、主役と脇役のそれぞれの役割があって、一つの物語が完成する。

これは野球でも同じことだ。

プロ野球に入ってくる選手は、大半がアマチュア時代にエースで 4番を打っていたようなチームの中心選手ばかりである。

しかし、いざプロの世界に入ると、自分よりもはるかに技量のある選手を目の前にして、「チーム内でどんな役割をはたしていけばいいのか」と考えさせられてしまうものだ。

1994年に大学、社会人を経てドラフト 2位でヤクルトに入団した宮本慎也は、まさにそうした選手だった。

宮本は高校時代に全国制覇を経験し、その後も野球界のエリートコースを歩んできた、いわば優等生だ。

だが宮本は、プロの世界ではバッティングは非力で、入団当初はまったくと言っていいほど使い物にならなかった。

それを補ったのは彼の守備力で、ゴロさばきやバウンドの合わせ方、送球のコントロールに至るまで、流れるような動きは一級品そのものだった。

チーム内を見渡しても、彼と同じレベルの選手はショートで不動のレギュラーとなっていた池山隆寛くらいなものだ。

だが、その池山もアキレス腱に爆弾を抱え、ショートの守備範囲は故障前と比べて狭くなっていた。

そこで私はルーキーの宮本の守備力の高さに期待して、池山をサードにコンバートし、彼をショートに抜擢した。

ただし宮本には、「お前さんは自衛隊だ。

つまり守るのみ。

打順は 8番をくれてやるが、バントと右打ち(進塁打)の技術を磨きなさい」とあらかじめ伝えてグラウンドに送り出した。

そしてことあるごとに、「一流の脇役になれ」と彼には言っていた。

当然、目立った役回り、華々しい活躍をしてみたいという気持ちも彼のどこかにあったであろうが、チーム内の自分の役割に徹して技術を磨くことを私は求めた。

宮本自身、この言葉を理解してくれたのだろう。

その後、犠打と右打ちは宮本の代名詞となり、職人技の域に達した。

そして入団 18年目の 2012年、 41歳 5ヵ月にして 2000本安打を打ち、この年同時に 400犠打も達成した。

2000本安打を打ち、 400犠打を達成したのは、後にも先にも宮本だけだ。

通算ホームラン数も 62本と少なく、大振りせずにコンパクトにスイングすることだけに徹した結果だった。

宮本は身長 177 ㎝とプロの中ではけっして身体が大きいわけではない。

一生懸命 4番バッターのマネをして大振りしたところで結果がついてくるわけではない。

宮本自身、何を期待されてレギュラーを任されているのか、私の言葉を汲み取っていた。

彼は主役の座を追い求めずに、見事なまでの脇役を演じ切ったのだ。

思えばかつての V 9時代の巨人がそうだった。

3番に王、 4番を長嶋に打たせ、重量打線を組むのかと思いきや、 1番は足の速い柴田勲、 2番は小技のうまい土井正三を置き、適材適所に打順を配置していた。

主役と脇役がそれぞれ自分の役割をはたしていたからこそ、チームとして打線が機能していたのだ。

巨人が V 9という偉業を達成できたのも、川上さんが各選手の特性を見極めた結果である。

引退時の記者会見で宮本は、「野村監督にプロで生きる術を教わった。

足を向けて寝られない」とコメントを残してくれた。

まさに指導者冥利に尽きる言葉だった。

この会見前、私の自宅まで報告に訪れるという気遣いも見せてくれた。

野球のプレーだけでなく、周囲の人間に気配りのできる人格者だということも、ここに記しておきたい。

「~とは」がない選手への指導 2013年引退した山﨑武司は、オリックスを解雇されて楽天にやってきたとき、選手としてのピークを過ぎたとみなされていた。

山﨑は中日時代の 1996年に当時の巨人の若き主砲だった松井秀喜を抑えてホームラン王に輝き、その後も最多勝利打点のタイトルを獲得するなど、 90年代の中日の中心選手だった。

だが、その後は首脳陣批判などでチームで冷遇される経験もし、中日での晩年やオリックスでの 2年間は本人も満足のいく成績が上げられなかった。

しかも私が楽天の監督に就任したとき、「野村監督とは合わない」と決めてかかっていたらしい。

そのうえ「オレの現役生活は終わった」と本気で考えていたという。

事実、久米島でキャンプインした初日、私は山﨑のあまりにも長すぎるユニフォームのズボンの裾を目にして、「ユニフォームは舞台衣装だぞ。

そんなズボンを履いてケガでもしたらどうするんだ」と注意したところ、「なんでそんなことまで言われなきゃいけないんだ」と内心反発していたそうだ。

だが、いざ練習が始まり、バッティング練習を始めると、チーム内では他の誰よりもボールを遠くに飛ばしていた。

ホームランを打つのは天性のなせる業である。

それなのにどうして試合で実力を発揮できないんだろう。

本当にもったいないと考えていた私は、あるとき山﨑を呼んで 1時間ほど話す機会をもった。

「君にとって野球とはなんだ?」、「バッティングとはなんだ?」と問うてみたが、彼はまったく答えられなかった。

聞いてみると、これまで 20年を超える野球人生のなかで、一度も考えてバッターボックスに立ったことがないと言うではないか。

野球というスポーツは、一球投げて休憩、また一球投げて休憩する休む時間の多いスポーツだ。

それは、一球、一球の間にしっかり考えなさい、備えなさいという意味なのだ。

だからこそ、バッターであれば、しっかり相手ピッチャーの配球を読んだりすることが大事になってくる。

それなのに山﨑はこれまで、配球などの頭を使った部分にはまったく興味がなく、素質だけでバッティングをしていたのだ。

「お前もキャッチャー出身じゃないか。

相手の立場になって考えてみろ。

お前をバッターボックスに迎えて、相手はホームランを打たれたくないのだから、インコースで勝負してくる確率は低いだろ。

なら、インコースばかりマークしてないで、相手の立場になって備えというものをしなさい。

バッティングは『備え』で結果は 8割決まるものだよ」と機会があるごとに、彼には説いた。

野球は確率のスポーツだ。

確率の高いほうを選択すれば、必ず結果はついてくる。

そのことを彼は 40歳を目前にして理解し、楽天でさらに大きく飛躍した。

素質だけで漫然と勝負していても、必ず壁にぶつかるときがくる。

そのとき、「野球とは何か?」、「バッティングとは何か?」といった根源的な問いをこれまでしてこなかった選手は、もう 1ランクステップアップすることができないものだ。

指導者は常にこういった選手には、本質的な質問を投げかけ、「仕事」に対する深い理解へと導くことが重要なのだろう。

山﨑は 39歳でホームラン王と打点王のタイトルを獲得し、 2013年まで現役を続けた。

その飛躍のきっかけとなったのが、私との出会いだったと彼は言ってくれているらしいが、指導者としては、なんともうれしいかぎりである。

コツコツやっている選手を見逃してはならない ひと口にプロ野球選手といっても、当然、さまざまなタイプがいる。

華やかなところがあり、ファンや監督、コーチにもアピール上手な選手もいれば、そういったことは苦手で、闘志を内に秘めて頑張るやつもいる。

ただ、指揮官として見極めるべきことは、アピールの上手、下手にかかわらず、その選手が地味な努力をコツコツ継続している人間かどうかという部分だと考える。

「努力は裏切らない」という言葉があるとおり、やってきた努力は必ずいつか花となる。

ただ、努力は即効性がなく、また効果が現われるのも個人差がある。

すぐ結果となる選手もいれば、何年もたってから効果が出る選手もいる。

なかなか効果が現われない選手は、「いくらやっても、俺はダメだ」とどこかの時点で努力することを諦めてしまうことがほとんどで、そうならないためにも指導者は、「努力に即効性はない。

効果が現われるのは個人差がある」ということを、ことあるごとに選手たちに説き続けることが大切だ。

そして指導者自身も、選手たちの結果を焦って求めず、その努力を信じて見守り続ける必要があるのだろう。

私がヤクルトで監督をしていたころ、よくコツコツがんばっていると感心させられる選手の代表格は、宮本慎也や稲葉篤紀、真中満、カツノリといった選手たちだった。

室内練習場で自主的に、いつでもボールを打っていたものだ。

宮本はプロ入り当初は、バッティングについてはさほど期待していなかったが、こういった日々の地道な努力の積み重ねが開花し、 2000本安打を打つまでの打者となれたのだろう。

稲葉においても、パ・リーグを代表するような打者として成長した。

「努力は裏切らない」というのは、何も技術的進歩のことだけを言っているのではない。

一生懸命、地道に取り組んでいれば、誰も見ていないようでいて、必ずその努力を見ている人がどこかにいて、いつか認められるものだということも言い表している。

私自身がいい例だ。

南海を退団してから、野球評論家となった私は、これまでのユニフォームを着ていた生活との違いに悩み、人生の師と仰いでいた草柳大蔵さんに相談したことがある。

そのとき草柳さんは、「野村さん、よい仕事をしていたら、必ず見ていてくれる人はいるものです。

ユニフォーム時代の仕事と変わったかもしれませんが、常に全力で取り組むことですよ」と言ってくださった。

この言葉を胸に私は、野球評論の原稿を 1本書くにしても、他の評論家には絶対負けないもの、私なりの視点、考え方を伝えようと必死で努力したものだ。

すると、私とは縁もゆかりもないヤクルト球団の当時の社長が、「あなたの解説を聞き、原稿を読んで、ぜひうちのチームの監督になってくれないかと思いました」と、監督就任の依頼にやってこられたのだ。

まさに見ている人は、いたのである。

前述の選手たちの例にしても、真中は 2015年のシーズンからヤクルトの監督に就任するようだし、カツノリも 2015年からヤクルトの 1軍バッテリーコーチになることが決まった。

やはりコツコツと努力していた選手は、コーチなどの指導者として残っていることが多い。

彼らが現役時代に地道に汗を流している姿を、球団関係者がどこかから見守っていたということだろう。

あがり症の選手へのショック療法 監督が選手にかける言葉一つで選手は意気に感じ、発奮することはある。

とくに私は滅多に選手に声をかけることがなかったから、その効果は大きかったようだ。

ヤクルトの監督時代、山本樹というサウスポーのピッチャーがいた。

山本は岡山の高校から龍谷大を経て、 92年ドラフト 4位で入団した。

だが、 2軍の試合では結果が出るものの、 1軍に上がってくると打たれてまた 2軍に戻る……というパターンが続いていた。

ブルペンでは素晴らしいボールを投げているのに、マウンドに上がると実力の半分も出せない、いわゆる典型的な「ブルペンエース」だった。

「打たれたら申し訳ない」、「点をとられたらチームに迷惑をかける」とマイナス思考に陥ってしまい、誰に言われたわけでもないのに自分で勝手にプレッシャーをかけ、極度に緊張してしまってはコントロールを乱してフォアボールを連発してしまう。

これが山本のピッチングパターンで、入団してから 3年間も続いていた。

「彼は何を言ってもダメなのかな」 さすがの私も彼の気の小ささは、もうダメなのかと諦めかけていた。

しかしもう一度だけ、ショック療法を彼にしてみようと考えた。

緊張などしないくらい真剣にやってみろ、と喝を入れたかったのだ。

私は山本をマウンドに送り出すとき、最後通牒のつもりでこう言った。

「山本、今日の試合で結果を出せなければクビだからな」 山本は当時、結婚していて子どもが生まれたばかりだった。

「子どもを抱いたとき、この子のためにもしっかりしなきゃいけないとか、オレはこの子の親なんだとか感じないのか? 子どものためにがんばれ。

尊敬される父親になれ。

このままだとお前の野球人生は終わってしまうぞ。

いいか、次が最後のチャンスだぞ」 なんと結果的にこの言葉が功を奏し、山本は開き直った。

それまでおどおどしていたマウンドでの態度が一変し、思い切り腕を振って投げ、チームに勝利をもたらした。

試合後に私は、「打たれたって、何も命を取られるわけじゃないんだ。

開き直るとはこういうことだ。

その気になればなんだってやれる」 とあらためて言った。

この日のピッチングをきっかに自信をつかんだのだろうか、山本は別人のように生まれ変わり、巨人の松井秀喜と数多くの名勝負を繰り広げるほどのピッチャーに成長していった。

そして先発としてチームに欠かせない戦力へと、その役割をはたしてくれたのだった。

人間、ぎりぎりまで追い詰められて必死になったときには、まわりを気にしたり、緊張したりする余裕もなくなるのだろう。

ショック療法が功を奏した、山本の例だ。

ベテランに近づいた選手への指導 高校や大学、社会人からプロの世界に入ってきて、プロ野球選手としてピークを迎えるのはだいたい 20代後半あたりである。

そして 30を迎えると、「あと何年、プロ野球選手としてプレーできるのだろうか」と、誰しも「引退」の二文字が頭をよぎるものだ。

いくら本人が「オレはまだまだ若い連中には負けない!」と考えていたとしても、それを判断するのは選手本人ではなく、首脳陣であり、フロントの役目である。

チームの中心となる有望な若手選手が出てきて、チームに新陳代謝が起き始めたとき、世代交代は確実に起こる。

これこそ野球界の厳しい現実なのだ。

一般社会で 30代、 40代というと、働き盛りである。

だがプロ野球選手の場合、ほとんど全員がこの時期に引退する。

つまり失業してしまうのだ。

わき目もふらず、ひたすら野球だけをやってきて、いざ引退してから「これから先、どうやって生きていけばいいのか」と慌てふためいてももう遅いのである。

私は中堅からベテランにさしかかった選手たちには、「引退後の未来設計図」を描きながら野球を続けてほしいと思っていた。

30代半ばにさしかかった選手には、「引退後のことをよく考えなさい。

野球をやっている時間よりも、引退したこれから先の人生のほうがよっぽど長いんだぞ」 と常々言っていた。

現役時代、どんなにすごい記録を残していても、それはあくまでも野球選手としてのことであり、一般社会ではなんの役にも立たない。

それよりも野球の技術や知識以外の教養や、社会人としての常識を身につけ、人間性を高めることのほうが、引退後の人生にはよっぽどプラスなんだということを、選手たちによく言い聞かせていた。

他のチームで私のような教育をしていた監督がいたという話は聞いたことがない。

実際に私がこのような話を選手にすると、「初めてそのようなことを言われました」と感謝されたこともあった。

「ユニフォームを着ていたときは考えていませんでしたが、いざユニフォームを脱いで現役を離れると、監督の言葉が頭の片隅をよぎるんです」と、あとあと気づいてくれた選手も実際にいたものだ。

私が野球の技術や戦術だけでなく、人間教育にも力を入れていたのは、選手たちが引退後に一般社会で生きていくことを見越してのことでもあった。

引退後も監督やコーチ、あるいは解説者として野球界に携わって生きていけるのは、ごく一部の人間だけである。

野球界に残るにしても、別の世界に行くにしても、そのとき必要とされるのは、「プロ野球選手」という看板を降ろしたときに、人間としても信頼され、尊敬される人かどうかという点だ。

そのことをベテラン選手や力の落ちた選手には悟らせたくて、私はよく彼らに、「人生について」語りかけたものだ。

これは、野球しか知らない「野球バカ」の人間にさせないためにも、監督の大事な仕事の一つでもある。

子を見れば親がわかる 子どもというものは、親の大きな影響を受けて大きくなる。

礼儀や行儀などの習慣や、ものの考え方、生活態度などは自然と親と似てくるものだ。

とくに礼儀作法は、人間関係の基本だ。

相手の存在を尊ぶ気持ちが大切で、その心を形に表したのが挨拶やお辞儀、つまり礼儀ということなのだろう。

人間は 2人以上いれば人間関係は生まれるわけで、人と人を結ぶものが礼儀であるとすれば、野球のチームワークにおいても、礼節を守ることは基盤である。

しかし、いくら親が礼儀作法を口うるさく子どもにしつけたとしても、その親自身が実践していなければ、子どもは最終的には親のやっていることと同じようなことをするようになる。

その意味で親の責任は重大だ。

言い換えれば、選手の人間性を知るヒントとして、その親を見れば、だいたいのことがわかるともいえる。

礼儀作法がなっていなかったり、生活態度がよくないような親だと、その選手もそういう部分をもっていることが多く、普段は気づかなくても、何かのタイミングでその本質があらわになることもある。

よく聞く話だが、スカウトマンやアスリートの代理人業をやっている人たちは、お目当ての選手の親がどういう親かがとても重要なのだという。

親が子どものアスリートとしての、また人間としての成長を第一に考えている親ならまだいいのだが、お金や名声、親の事情ばかり考えていると、その選手自体がつぶれてしまうこともあるという。

また、人間性の部分でも問題があるような親だと、その選手もあとあとトラブルを起こすようなことにならないかと心配になるのだという。

いずれにしても、子どもというのは、親の姿を映す鏡ということだ。

リーダーであれば、自分の部下の親がどういった人間なのか、何かの機会に一度会っておくことも、必ずプラスになることなのかもしれない。

「子どもを見れば親がわかる」、「選手を見れば監督がわかる」のである。

名キャッチャーがなかなか輩出されない理由 現在、 12球団を見渡して「これは!」と思うキャッチャーは誰かと聞かれれば、実は誰もいないと答えるしかない。

いまやベテランの域に入った巨人の阿部慎之助や FAで西武からソフトバンクに移籍した細川亨ら、一応候補者らしき人材を挙げてみたものの、「分析」、「観察(目に見えるものを見る)」、「洞察(目に見えないもの =心理を読む)」、「判断」、「決断」、「記憶」という視点で見ていくと、キャッチャーとしてはまだまだの選手ばかりだ。

実は私はこうした現状が来ることを、いまから 25年以上も前に予想していた。

私は野球評論家時代に、港東ムース(中学生のチーム)というシニアリーグの監督を務めていた時期があったのだが、当時、誰一人としてキャッチャーをやりたがろうとしなかったのだ。

私がキャッチャーに向いていそうな子を指名して、なんとか事なきを得たものの、キャッチャーというポジションの魅力や面白さが子どもたちにはほとんど浸透していないことに、少なからずショックを受けた。

いつの時代もそうだろうが、野球をやっていてみんなが一度はやってみたいと思うポジションはピッチャーだ。

小高いマウンドの上からバッター相手に投げ、ビシビシストライクをとって三振や凡打に抑える姿は、誰が見ていても格好いいと思うものだ。

そして私の時代は、ピッチャーに次いで人気が高かったのがキャッチャーだった。

マスクをかぶり、プロテクターやレガースをつけて守備につく。

全身を装備で固めて野手に対して指示を送る姿に憧れて、キャッチャーをやっていた子どもが、当時は多数いたものだ。

ところがいまの子どもたちは違う。

キャッチャーのフル装備や、立ったり座ったり、あるいは内野にゴロが飛んだら、ファーストにカバーに行かなければならない姿を目にして、「きつそう」、「つらそう」、「夏場は汗をかいてたいへんそう」などと、まったくよいイメージが湧かないと答えているではないか。

私は子どもたちの話を聞きながら、「将来的にキャッチャー受難の時代が来るぞ」と予測していたが、図らずもその予感は的中してしまった。

いまの子どもたちが憧れるキャッチャーといえば、間違いなく巨人の阿部だろう。

だが、彼が突出しているのはリード面ではなくて、 3割を打ち、ホームランも 30本以上打てる卓越したバッティングセンスのほうだ。

「バッティングは 2割 5分でいいから、配球を徹底的に勉強しなさい」と言ってスタメン起用し続けた古田敦也とは、やはり大きな差異がある。

いまの阿部が古田の域に達したかと言えばまだまだ物足りない。

阿部はすでに 35歳を超えたが、まだまだもうひと花咲かすことのできる年齢だ。

ファーストへのコンバートも取りざたされているが、ぜひともキャッチャーとしてもう一段上のレベルを目指してほしいし、さらにはキャッチャーの奥深い魅力を子どもたちにも訴えてほしいと私は願っている。

部下に「早く結婚しろ」と言う理由 結婚は人生最大のイベントでもあり、またその人にとって転機にもなる。

とくにプロ野球選手は結婚して早く身を固めたほうが、責任感が芽生えて選手生活にもプラスになることが多い。

考えてみてほしい。

プロ野球選手は 20歳そこそこの若者であっても、ひとたび活躍すれば、同世代のサラリーマンでは考えられないほど高い給料を手にすることができる。

数千万円、いや、活躍次第によっては 20代半ばで億単位のお金を手にすることだってできるだろう。

そんな大金を若いうちに手にしたら、夜の街に繰り出して遊ぼうと考えても不思議ではない。

しかし、一度でも夜遊びの楽しさを知ってしまうと、野球に身が入らなくなってしまうことがあるのだ。

それも、地味な練習などつまらなくてやってられないと思えてしまうのだ。

また、不摂生な生活を続けることで、コンディション不良になって成績を残せなくなるなんてことだって考えられる。

そうなると、やはり、早いうちに嫁さんをもらって、私生活の部分もケアしてもらったほうが、選手生活にもプラスだと考えられるのだ。

南海時代、鶴岡監督は独身の若い選手がいると必ずと言っていいほど、「お前、いま付き合っている彼女はいるのか?」と聞いていた。

その選手が「いないです」などと答えようものなら、「だったらオレがいい人を紹介してやるよ」と言っては、お見合いの場をセッティングしていた。

かくいう私も鶴岡監督からシーズンオフに、「お母さんを連れて、俺の家に来い」と言われたことがあった。

これは確実に結婚話だとわかったが、無下に断るわけにもいかず、母親を田舎まで迎えに行って、車で一緒に監督の家まで行ったことがあった。

監督の家へ向かう道すがら、「これは結婚話だから、まだ早いって言って、断ってくれ」と母親には事前に念を押しておいて、断ってもらったこともあった。

私としても、監督の紹介である以上、一度お相手に会ってしまえば嫌でも絶対断れない。

そういう事態だけはやはり避けたいので、「自分の嫁くらい、自分で探します」と言って、最終的にお断りさせていただいた。

その一件以来、鶴岡監督から、「彼女はいるのか?」と聞かれることは二度となかった。

しかし、鶴岡監督が口癖のように「早く結婚しろ」と言っていたことにも意味がある。

実は私も監督時代、鶴岡監督のようによく若い選手たちに「早く、結婚しなさい」と言っていた。

さすがに、女性を紹介したりすることまではしなかったが……。

やはり、結婚をすれば家族を守り、養っていかなければならないという自覚が出てくるのは事実だ。

そうした考え方ができることによって、落ち着きや安定感といったものが、自然と備わってくることもある。

家族がいれば、自然と規則正しい生活になっていく。

規則正しい生活ができるようになれば、独身の頃のように毎晩遊び歩くなんてことはしないだろうし、健康だって保たれる。

いい仕事をするには日ごろから体調管理をして健康体でなければならない。

「仕事に集中する」という点から考えれば、野球選手だけにかぎらず、一般的な仕事においても、早婚はなかなかいいものだと私は考えている。

読書が人を成長させる 京都の田舎の高校しか出ていない私は、学歴コンプレックスが強かった。

そこで私は自分にはない知識を得ようと、本を読みあさった。

そのきっかけを与えてくださったのは、評論家の故・草柳大蔵先生である。

野球評論家として歩みだした私は、その基本を勉強したくて、草柳さんのご自宅を訪問し、アドバイスを求めたことがある。

書斎に通された私は、その膨大な数の本を見て呆然とし、己の無学や無知をあらためて思い知らされた。

草柳さんから、「もっと本をお読みなさい」とそのとき言われたことがきっかけとなり、政治、経済、哲学、小説など、ジャンルにこだわらずさまざまな本を読みあさった。

この時期の読書の経験が、私の監督としての基礎固めだったともいえる。

読書を通じて知った言葉の一つに、「鞍上(あんじょう)、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)」という言葉がある。

鞍上とは馬の鞍の上、いまでいう乗り物の中、厠上はトイレの中、そして枕上は枕元、つまり寝室である。

人間はこうした場所にいるとリラックスし、じっくりと物事を考えることができるのだという。

1980年に西武で現役引退してからヤクルトの監督に就任するまでの 9年間、私はまさに「鞍上、厠上、枕上」で、さまざまな本を手にして、わからない言葉があれば辞書で調べ、大切だと思うところには線を引き、そこをまたノートに書き写すといった作業を繰り返した。

私の言葉が説得力をもっているのだとしたら、それはこのときの読書経験の賜物である。

また、「生涯一捕手」という言葉も、草柳さんから教えていただいた作家の吉川英治先生の「生涯一書生」がもとになっている。

チームの指揮官ともなれば、コーチや選手を納得させるための「言葉」が必要になってくる。

自分の編み出した方法論や考えを人に伝えようとしても、言葉を知らなければうまく伝えることができない。

そうしたときに各界の偉人が書き残した言葉は実に的を射ていて、誰にでもわかりやすくとても役に立つのだ。

そのような意味から、私は読書の必要性を強く感じている。

ただし、気をつけなければならないのは、目的意識もなく、ただ漠然と読んでいるだけでは意味がないということだ。

私は常に野球を意識しながら、「野球だったらどうなるか」と頭の片隅で考えながら読書をしていた。

吉川先生の本のなかで、こんな一節があった。

「やさしい、難しい、どっちも本当だ。

しかし、難しい道を踏んで、踏んで踏み越えて、真に難しいを苦悩した上ではじめてやさしい。

これを知った人でなければ本物ではない」 私はこの言葉の頭に「野球は」と入れてみた。

するとまさに野球の真理も言い当てているではないか。

こうした発見があるからこそ、私は若い選手たちにも読書を勧めていた。

1つの専門を極めようとすることも大切だが、読書によってそれまで自分が知らない、新たな知識を獲得することによって、その専門の分野をより深く極められるようになっていくものだと、私は考えている。

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