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第 3章思い込みのワナに気づく

目次

「マインドトーク」のせいで重大な選択を間違える

ある中堅商社に勤める 30代の男性は、異動願いを出す時期に、希望の部署に移るチャンスをみすみす逃してしまいました。彼は入社したときから高い能力を発揮し、上層部からも注目される存在でした。

だから、いろいろな部署のトップが、「ウチに来ないか」と彼に声をかけてくれました。しかし、彼の希望する北米部の部長だけはそうではありませんでした。

エレベーターで一緒になっても、ランチタイムにばったり会っても、とくに何も言ってはくれません。そのうち、彼にはこんな思考回路ができあがってしまいました。

「オレ、北米部の部長に嫌われてるんじゃないかな」「ほかの部長とは、明らかにオレに対する態度が違うし」「そういえば、同期の上村も北米部に行きたがってたよな」「きっと、オレの知らないところで、人事の話が動いているんだ」「そうだ、北米部は上村が欲しいに決まっている」 彼はそう結論づけ、よく声をかけてくれる東アジア担当部長がいる部署に異動願いを出しました。

さて、本当に北米担当部長は彼のことを嫌っていたのでしょうか。実は違いました。北米担当部長は普段から口数が少なく、自分のほうから若い部下に声をかけることはほとんどありませんでした。

そういう人だから部下に対しても公平で、彼に特別な態度で接することがなかっただけ。彼の優秀さはちゃんとわかっていました。

だから、彼が東アジア担当部署を選んだことをちょっとがっかりしたようです。

彼の行動には、紛れもない認知のゆがみが見られます。事実とは違うことを、まるで本当のことであるかのように思い込んでしまっています。

このように私たちは、認知のゆがみによって重大な選択を間違えることがあるのです。もう一つ、認知のゆがみでおかしな選択をしてしまったケースを見ていきましょう。

今は仕事でもプライベートでも、誰かと連絡をとるときにメールを使うことが当たり前になっています。電話のように時間を気にすることなくいつでも送れるメールは、たしかに便利です。

しかし一方で、ひどく認知をゆがめる原因にもなっています。その場で相手と言葉をやり取りする電話と違って、メールは妄想し放題。

相手の真意とは違うことを勝手につくりあげるには、持ってこいのツールなのです。ある 20代後半の女性は、恋人に携帯メールを送ったのに返信がないことでどんどん妄想を膨らませていきました。

そのとき、相手の男性は出張先で、携帯電話をホテルに置き忘れたまま上司と夕食に出ていただけなのですが、彼女にはそうは思えなかったようです。

「何度もメールしているのに見ていないはずがない」「おかしい、いつもと違う」「私、何か彼のこと怒らせちゃったのかな」「いや、そもそも、出張なんてウソなんじゃないか」「そういえば、前にもこんなことがあった」「そうだ、私はだまされていたんだ」 客観的に見るとあまりにも唐突な結論ですが、本人は妄想に凝り固まっています。

結局その日は酔っぱらって寝てしまった彼とまったく連絡がとれず、彼女には妄想を巨大化する時間がたっぷりとありました。

「私たちもうダメだよね。別れよう」 翌朝、突然かかってきた電話で言われ、彼は面食らってしまいました。何とか思い留まってもらおうと説得を始めました。

しかし、あまりにも勝手な思い込みを聞かされているうちに、彼自身すっかり嫌になってしまいました。

本当は、二人の間に何の問題もなかったのに、彼女は認知のゆがみのために問題をつくりあげ、別れるという選択をしたのです。

口から発する「言葉」の支配力を知る

不安や猜疑心といったネガティブな感情は、すべて頭の中のマインドトークによって生産され、まったく非論理的にどんどん高じていきます。そのとき冷静な判断力は失われ、重要な選択を間違えてしまうことになります。

私たち人間がこれほどまでに認知をゆがめてしまう原因の一つに、言葉に対する敏感さがあります。

マインドトークが無意識のうちに私たちの思考に大きな影響を与えるように、人の口から発せられる言葉は、さらに過度な反応を呼び起こします。

ある30代の女性は、ずっと仲良くしてきた学生時代の親友と、会社帰りに待ち合わせて食事をしました。最初は他愛ない話をしていたのですが、だんだんお互いの会社のグチになっていきました。

ワインの酔いも手伝って、日頃の不満が次から次へと出てきます。友人は、もっぱら仕事の内容についてグチっていました。ノルマが多くて大変だの、取引先の要求が細かいだの、プレゼンが負担だの……。

一方、彼女が最もグチりたいのは後輩のことでした。

「二つ下の子がね、ちょっと美人だと思ってチャラチャラしててさ。部長に媚びてるっていうか。部長も部長でね……」 すると、まだ話は途中なのに友人は言ったのです。

「ふーん、そうなんだあ」 このとき、彼女の中で「カチン」と何かスイッチが入りました。それは認知がゆがんだ音だったのかもしれません。

彼女には、友人の「ふーん、そうなんだあ」が妙に引っかかりました。何か小馬鹿にされたような気がしたのです。もちろん、友人にそんなつもりがあったかどうかはわかりません。

おそらく、そうではなかったでしょう。でも彼女にはそう感じられたのです。

「ああ、私の言っていることなんて、くだらないと思っているんだ」「自分は仕事ができるけど、私は違うというわけね」「考えてみれば、会うといつもこのパターンだもんね」「学生時代から、私を一段、下に見ていたところがあったし」 そう思い始めたら、どうにもこうにも気持ちのコントロールがきかなくなり、「疲れているから」と食事もそこそこに解散することになりました。

それ以来、お互いに連絡もとっていません。私たちは、理解できない言葉に対しては、何も思いません。

あなたが、アフリカの言葉やアラブの言葉を理解できなければ、彼らから面と向かってどんなひどいことを言われようと傷つくことはないでしょう。

でも、ことこと日本語で言われると、微妙な解釈をしてしまうことがあります。言った本人は深い意味はないにもかかわらずです。

「あれ? コピー用紙が切れてる」 先輩が発した一言で、自分の不備を指摘されたように思い込んでしまう新入社員。先輩は、ただ事実を言っただけで、誰かを責めるつもりなど毛頭ありません。

「おまえ、最近顔色がヤバくないか?」 友人はほんの軽い気持ちで言ったのに、自分が悪い病気ではないかと疑ってうつ気味になってしまう人もいます。

言葉は、それを発した人の思惑とはまったく違った一人歩きを始めます。あなたが人とのコミュニケーションで何かしらのショックを受けたときは、落ち着いてそのときの状況を振り返ってみましょう。

そして、そこでどんな会話が交わされたのかを分析してみましょう。

紙に書き出して客観的に眺めてみると、案外「どうってことない」言葉だったのではありませんか? それをマインドトークがつくりあげた妄想で、ことさら大きな問題にしてしまっていることがほとんどなのです。

過去にとらわれる人は問題を抱え続けることになる

嫌な思い出を、しつこく反芻するのが好きな人もいます。本人は「好きでやっているんじゃない」と怒るでしょうが、周囲からしたら、そういう趣味なのだと思えるほどです。

「あのときは本当に悔しかった」「アイツから言われたあの言葉だけは一生忘れない」「思い出すたびに不愉快になってくる」 だったら思い出さなければいいのに、あえて思い出すのです。

そして、雪だるまを大きくするように、嫌な思い出を大きくします。こうやって不幸を育てるのは、とてもバカげたことです。

自分自身、貴重な人生を台無しにしてしまうし、周囲の人たちも決して愉快になりません。当たり前のことですが、過去には戻れません。過去に戻ってその不愉快だったことを取り消すことはできません。

しかし、取り消す必要もありません。なぜなら過去はすでに存在しないからです。どんなに不愉快だったことも、その人の頭の中に存在しているだけで、今という現実には存在しません。

だから、過去にとらわれている人は存在しないものにとらわれているだけなのです。

あなたが通勤電車の中で見知らぬ男にぶつかられ、かつ舌打ちされたとしましょう。朝から不愉快ですね。1日中、何かにつけ思い出し、嫌な気持ちになるかもしれません。

しかし、それはもう過去のことです。「ぶつかられたうえに舌打ちされた」というのは、過去には事実であったかもしれないけれど、今は事実ではありません。

今現在のあなたには、誰もぶつかってきていないし、舌打ちもしていません。

こうやって「今」「現実」にフォーカスしていくと、ほとんどのことは解決します。解決できないことなど存在しないと言ってもいいでしょう。

逆に、過去に気持ちを持っていきがちな人は、絶えず問題を抱えていることになります。しかも過去には戻れないから、その問題は一向に解決しないというわけです。

「本当に自分は何をやってもうまくできないのか?」

物事に対する認知のしかたは人によって違いますが、大きく分ければ「自分をラクにする認知」と「自分をつらくする認知」の二つがあります。

自分をラクにする認知は、目の前で起きている事実に即して冷静に判断することで成立します。

一方、自分をつらくする認知は、勝手な思い込みで事実をねじ曲げたり、何の根拠もない憶測で物事を判断することで決定づけられます。

では、今の自分がどちらの認知を行っているか見極めるには、どうしたらいいのでしょうか。

それは、出来事に対してなんらかの感情が湧いたとき(認知したとき)に、それを見つめて、次のように自問してみることで可能になります。

「自分が感じている今のこの気持ちには、根拠があるか、ないか?」 意識的に問わずにいると、「根拠があるからこそ感じているんだ」と当然のようにスルーしてしまいます。

しかし、案外そうではないのです。

たとえば、仕事でミスをしてしまったとき。

「ああ、ミスしてしまった。まったく、オレは何をやってもうまくできない」 という感情が湧いたとしましょう。

この場合、ミスをしてしまったのは事実ですが、「何をやってもうまくできない」という思いには極端な決めつけが見てとれます。こんなときは、冷静に自分に聞いてみてください。

「本当に自分は何をやってもうまくできないのか?」

実際、やったことが全部失敗する人などまずいません。落ち着いて考えてみれば、「この仕事はミスしてしまったけれど、この前の仕事はちゃんとできた」と、客観的な判断が下せるはずです。

このようなプロセスを経ることで、「ミスをした」ことと「ちゃんとできた」ことを両方客観的にとらえられるので、反省はしても「私は何もできない」といった根拠のない極端な落ち込み方はしなくてすみます。

「同期の山田は何でもできる。それに比べてオレは何かにつけ劣っている」 などと、基準を自分ではなく他人に置き、自己評価を下げてしまっているようなときも、その根拠を問い直してみれば客観的になれます。

「いや、オレは Aはできなかったが Bはできた。同期の山田は Aと Cはできたけれど Bはできなかった。オレにはできないことが多いけれど、できたこともある。誰でもできることもあればできないこともあるんだ」 こうした、ゆがみのない認知に落ち着くことができるでしょう。

「できなかったこと」にフォーカスしない(できない自分を許す)

要するに、問題なのは「できなかったことにばかりフォーカスする」ということです。

頭の中で 1日に 7万回も浮かんでは消えるマインドトークのほとんどがネガティブなもののため、どうしても私たち人間は、負の側面を過大評価するクセがあります。

できたことを喜んであげればいいのに、できなかったことをわざわざ拾いあげては自分を責め立てるということをします。

そうした認知のゆがみをそのまま放っておくとどんどん自分を追い込んで、結果的にとてつもない負のスパイラルをつくりあげてしまいます。

そもそも、もし「何をやってもうまくいかない」が事実だったとしても(そんなことはありえませんが)、それがどうしたというのでしょう。

「人ができたことを自分ができない」のは、そんなに悪いことなのでしょうか。問題は「できないこと」ではなく、「できない自分を許せないこと」にこそあります。

できない自分を許せないという偏狭な態度で物事に臨むから、無用のプレッシャープレッシャーがかかって、本来できることもできなくなってしまうのです。

変わりたいのに変われなくて悩む人は、往々にして自分を攻撃しては苦しんでいます。でも、できない自分を許せる寛容さがあれば、心折れることなく何度でもチャレンジができるでしょう。もっと自分を許しましょう。

ジョギング習慣を身につけようと張り切っていたのに、雨が続いたらすっかり嫌になってしまった? 当然です。私も雨の日に走るのは嫌いです。

英会話の勉強を 3日続けただけで放り出してしまった? なるほど、まさに「三日坊主」というやつですね。しかし、「三日坊主」という言葉があるくらいなのだから、誰でもそうなるということでしょう。

私たちには、「仕切直し」という選択肢が残されています。何度でもその宝刀を抜いていいのです。

これまであなたが変われずにいたのは、その宝刀を抜くときに「また今度もダメなんだろう」などと認知をゆがめていたからです。これからは、正しく自分を許してあげましょう。そこから、すべてのセルフマネジメントが可能になると言ってもいいでしょう。

グーグル社の社員研修にもつかわれた「マインドフルネス」

正しく自分を許し、無理な苦しみを伴わずに目的をかなえたり、自分を変えたりするために、私たちはどうすればいいのでしょう。

まずは、「自分の認知はすぐにゆがむ」という認識を持つことが何より必要です。

頭の中に勝手に浮かんでしまうマインドトークをゼロにはできませんが、認知のゆがみを最小限に抑えることができれば、あなたは大きく変わっていくはずです。そして、認知のゆがみを少しでも避けるためには、事実をありのままにとらえるだけに留めることが重要です。

何が起きても、ただ「目の前の現実」にのみ意識を向け、それに対する印象や考え、好き嫌いといった感情を入れずに、そのままの状態で受け止めます。

そうした試みが、「マインドフルネス」あるいは「 ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)」と称されて、心療内科や精神医療の分野で注目されています。

たとえば、立ち寄った銀行の ATMに行列ができていたら、「行列ができている」とだけ認識します。

「なんだよ、こんなに混んでるのか。まったく今日はついてないな」 「3番のやつ、すいぶんグズついてるな。お昼休みがムダになるじゃないか」 などというのは、もはや事実とは違った妄想なのです。

もし事実だけに目を向けようとしても、なおよけいな思考や感情が湧いてきたときは、それにとらわれず、「ああ、今の自分は面白くないと思っているのだな」と受け止めるだけにします。

マインドフルネスは、これまで盛んに用いられてきた「認知行動療法」をさらに進化させたものと考えていいでしょう。

認知行動療法とは、認知のゆがみを客観的に正し、本人がとらわれている問題心理から抜け出すという治療法です。今、「電車に乗るとお腹が痛くなる」という症状に悩むビジネスパーソンが増えています。急な便意が怖くて、停車駅の少ない快速電車には乗れない重症者もいます。

このとき、電車の中にお腹の調子を悪くする物質が漂っているわけではありません。だから「電車に乗るとお腹が痛くなる」という認知にはゆがみがあります。

もし、休日に遊びに行く電車の中では大丈夫だったり、また帰りの電車内では無事であることがほとんどなら、「会社に行こうとするとお腹が痛くなる」というほうが事実に近いでしょう。

しかし、それでもまだ事実とは遠いところにいます。もっと本質的な理由があるはずです。おそらく、会社に行くことに何かしらの抵抗感があるからこそ、お腹に生理的反応が起きるのです。

それは上司との関係性の問題なのか、自身の業績に関する悩みなのか、あるいは交際していた同僚にふられ、その人の顔を見るのがつらいといった理由かもしれません。

そうした本質的原因と真正面から向き合うことを避けて、「電車と腹痛の関係」に目を向けていては、いくらお腹の薬を飲んでも完治は望めません。

そこで客観的に事実を掘り下げ、少しでも正しい認知を行って本質的な原因に対応し、かつ電車に乗るという行動を繰り返して「電車に乗ってもお腹が痛くならない」状態になったとき、その人は根本的に苦痛から解放されます。

これが認知行動療法です。

マインドフルネスは、こうした認知行動療法の流れをくみながら、「今」「現実」に意識を向けることで、認知のゆがみを正していきます。

これはなにも心療内科などでのみ用いられるものではありません。アメリカでは、多くの企業が社員のセルフマネジメントのためにマインドフルネスのメソッドを取り入れています。グーグル社では、集中力や創造性を高めるという目的で、 2007年から社員の研修に導入しているそうです。

「感情」は現実ではない

マインドフルネスのメソッドでセルフマネジメントを行うということは、徹底して事実に向き合うということです。というと、なんだかずいぶん厳しいことをやらなければならない感じがするかもしれません。しかし実際はまったく逆で、とてもシンプルで簡単なことです。なぜなら、事実以外は考えないでいいということだからです。

事実を見据えるということを、人間はとかく避けて通ろうとします。とくに、その事実が歓迎したくない内容であればなおさらです。

たとえば、怒りや不安といったマイナス感情に支配されているとき、そのことについて直視するのは、誰でも嫌なものです。

しかし、事実にフォーカスしないで曖昧に放置してしまうから、認知のゆがみも手伝って、よけいにマイナス感情が増幅していきます。

重要なのは、怒りや不安といったマイナス感情は、「現実」や「今」にはまったく存在しないということです。考えてみれば当然なのですが、すべてのマイナス感情は過去の後悔と未来への心配によって起きるものです。今この瞬間には存在しません。

だから、そのことについて直視するのは、本来、痛くも痒くもないことなのです。

マイナス感情に引きずられそうになったときは、いたずらにそれを膨らませるのをやめて、意識を「現実」と「今」に戻すことを心がけてください。

怒り、不安のほか、悲しみ、嫉妬など、何らかのマイナス感情に気づくことができたら、どうして自分はその感情を抱くに至ったのかを考えてみましょう。そもそものきっかけは何であったかを見つけるのです。

「オレはどうしてこんなに不愉快な気分になっているんだろう。きっかけはいったい何だったのか。部下の ○ ○が報告をあげなかったからだ。いや、そもそもは部下たちが何度言っても自発的に報告をしてこないことが腹立たしいのだ。だから、ここ何日もイライラしているんだ」 といったように、自分の感情をさかのぼって見ていきましょう。

次に、そのきっかけによって自分が怒りを増幅させてしまう理由をもう少し掘り下げて考えてみます。

「それにしても、ここまでイライラしているのはなぜだろう。オレだけが使えない部下を持っているという不公平感か。いやしかし、他部署だって似たようなもんだ。もしかして、オレの被害者意識が強すぎるのかもしれない。それとも、部下の一人も満足に指導できていない自分に対してがっかりしているのか。いや業績さえ上がっていれば、ここまでイライラしないな。やっぱり自分の業績の問題か」

こうした形で自分との対話を進めていくと、怒りの本質が見えてきます。

そうすれば、自分が真っ当な理由で怒っているのか、それとも勝手な思い込み、すなわち認知のゆがみによって怒っているのかということも理解できます。

ここまでわかれば、その後の対処もしやすくなるでしょう。部下への指導法を変える、業績改善のための具体策を探るといった具体的な行動も起こすことができるでしょう。

さらに、自分自身の認知のゆがみに気づけば、精神的にもうんとラクになります。

「そもそも部下を全員、意のままに操るなんてことはできない。自分の指導力不足というよりも、コミュニケーション不足が今の事態を引き起こしているのではないだろうか。だったら、これからはもっと部下と話をするようにしよう」 こうして、事実に基づいた非常に現実的でゆがみの少ない認知に行き着くことができます。

自分の抱えている怒りの「本当の原因」

マイナス感情の原因のほとんどは、実は自分がつくり出しています。でも、自分の感情がマイナスに傾いたとき、自分以外の誰かや何かのせいにすることがよくあります。その最たるものが「怒り」です。

「アイツが言ったとおりにしたのに」「政治がいけない」「今日に限って雨が降るもんだから」 原因はすべて「外」にあるというわけです。

こうした思考をそのまま放置しておくことは、常に爆弾を抱えているような状態と言っていいでしょう。ちょっとしたきっかけで怒りが大爆発しやすくなるのです。

さらに、怒りの原因が自分の中にあるかもしれないとは露ほども思わず、原因を自分の外にしか探さないので、根本的な解決ができなくなってしまいます。

怒りという感情は、周囲がつくっているのではなく、間違いなく自分がつくり出しています。

その証拠に、同じレストランで同じように待たされても、「まだかよ」と怒る人と、「早く食べたいな」と楽しみにできる人がいるではありませんか。

つまり、怒りやすい人は、外にその原因を求めやすい人なのです。さらに言えば、「もっと自分を大事に扱ってほしい」という思いが強い人ほど怒りも強くなる傾向があります。

道を歩いていてすれ違った人と肩がぶつかるといった日常的で些細なトラブルにおいて、ものすごく怒る人と怒らない人の違いは、自分が他人にどう扱われているかということへの執着の違いである場合が多いものです。

企業が頭を悩ませる、顧客からのクレーム問題についても同様の傾向が見てとれます。

小さなクレームが大きな問題に発展するのは、サービスそのものより、顧客に「自分は大事に扱われていない」と思わせてしまったことに 9割の原因があるとされています。

ランチタイムに飲食店で出された料理が間違っていた。自分はペペロンチーノを頼んだのにボンゴレが出てきた。

「あれ? オレが頼んだのはペペロンチーノだよ」 このときに、状況を知った店員が丁寧な謝罪をし、気遣いをもって対応すれば、間違えられたこと自体は不快だったとしても、客側の怒りは膨れ上がらないケースが多いでしょう。

それによって、大事なランチタイムにロスが出たとしても、店側の誠意が感じられれば我慢できるものです。ところが、店員に少しでも横柄な態度をとられた場合はそうはいきません。

「つくりなおして済む問題か?」「オレの時間を返せ」 客の怒りはおさまらなくなっていきます。

このとき、「この店員のせいで不愉快になっている」と誰もが思いますが、実は「自分は軽んじられている」という自らの認知が怒りを増幅しているのです。

強風の影響で電車が遅れたからと駅員に詰め寄っている人も、「電車が遅れたこと」について怒っているようでいて、実は「自分が大事に扱われていない」という認知で怒りを爆発させています。

考えれば誰でもわかりますが、電車が遅れたのは駅員のせいではありません。また、駅員一人の力で運転再開できるわけでもありません。

駅員はその事実を告げているだけなのに、忙しそうに対応されたことで「大事に扱われていない」と傷つき、事態をどんどん複雑にしていきます。

しかしながら実際には、相手をないがしろにしてやろうと思う人などそうはいないはずです。対応が不充分だったからといって、自分が軽んじられているとまで感じるのは行き過ぎです。まさに、認知のゆがみに振り回されているのです。

「自分軸」で生きるために「今」を見る

このように、怒りの原因が自分の外にあるととらえることは、自分という人間が、周囲の環境や他人の言動に左右されているということにほかなりません。

自分という車のハンドルを握っているのが他人だなんて、面白くないことだとは思いませんか? マイナス感情の本質を見るのを避けて、その解決を外に求めても無意味です。

「状況がもっとよければ」「誰かがこうしてくれたら」という願望は、ごくまれにかなえられることもありますが、ほぼすべての場合、自分の思惑どおりにはいかないものです。

言うまでもなく、他人の考えることは自分のそれとは違うからです。

自分自身の行動によって改善していかない限り、マイナス感情から解放されることはありません。

身の回りのことが順調に進んでいるときとは違い、少しでもうまくいかなくなると、人はつい投げやりになります。でも、ハンドルまで放り出してしまう状態を幸せだと思いますか? 答えは聞くまでもありません。

何かのせいにして、大切な今を自分軸で生きられないのはつまらないことです。

あなたは自分の人生のハンドルを誰かほかの人に握らせたいですか? そうではないから、本書を手に取り、ここまで読み進めてくれたのでしょう。

自分の人生のハンドルを自分で握って、目指す場所に行きたいから、それができる自分に変わろうとしているのでしょう。

何度も述べてきたように、人間には認知のゆがみがつきものです。それによって、人生のハンドルを切り間違えることがままあります。しかし、ハンドルから手を離してはいけません。自分の人生を走る車を運転しているのは、ほかならぬあなたなのですから。

過去の出来事を悔やんだり、未来への不安で縮こまったり、周りの環境を恨んだりするのはやめましょう。「今」「現実」を主体的に生きることでしか、あなたの人生はいいものにできないのですから。

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