「ない」か「ある」か、どちらを見るかで人生が激変する
お客様がいらしてくださるかどうかは、飲食店のみならず、商売をする上でとても重要です。
イタリア料理店の「 LA BETTOLA(ラ・ベットラ)」を手掛ける落合務シェフに、以前インタビューさせていただいたことがあります。
昨今ではイタリア料理界の重鎮である落合シェフですが、独立したばかりのころは全然お客様が入らなかったそうです。
もちろん、来店してくださっているお客様もいたので、料理をお出ししつつ、お客様の席に座って、一緒にワインを飲みながら「見てください、ヒマで閑古鳥なんですよ」と愚痴を言うことも少なくなかったと言います。
そんな毎日が続いていたある日、常連のお客様に、こう言われたそうです。
「落合くんは、空席しか見えないんだね。店内には座っている人もいるんだけど」 落合シェフは、そう言って帰られたお客様が伝えたかったことを考え、ハッと気づきました。
翌日からは来てくださったお客様に全力を尽くすようになり、空席が多くても、そこに目を向けず、席を埋めてくださっているお客様に集中したそうです。
そうやって気づいたら、 1年半くらいかかったけれど、満席の店になったと……。
たとえ少なくても「ある」ほうに目を向けるという話に、私は衝撃を受けました。
というのも、私が従事するコンサルタント業務では、店舗の立て直し依頼も多かったからです。
そこで私は、依頼のあったオーナーがどういう視点で仕事をしているかを、落合シェフの話を念頭に置きながら見ていくように意識しました。
その結果、 100%の確率で、不足に目を向けている人(店)は再生しづらく、「ある」ものに目を向けている人は、だいたいなんとかなることに気づいたのです。
「ない」ものを求めているだけでは叶わない
この話は、じつは永田家の帝王学にも通じています。ある日、私は、おじいちゃん(永田雅一)が遺してくれたノートを読み返していました。
おじいちゃんが「お前のために」と、いろいろな帝王学の教えを書き溜めて、私に遺してくれたノートです。
そのノートをパラパラめくっていたとき、私は一つのエピソードに目を止めました。
原宿に住んでいた子どものころ、おじいちゃんは休日、よく私を「キディランド原宿店」に連れていってくれました。
ですが、私が欲しがるおもちゃを、買ってくれるときと買ってくれないときがあったのです。
ノートには、このように書かれていました。
「お前がかわいいから、欲しいものは何でも買ってあげたかったし、うちには買う金はふんだんにあった。なぜ買ったときと、買わなかったときがあるかわかるか? いつでも買う金があるなら、買う必要はない。欲しいものが手元になくても、買う金がある段階で、それはもう手に入ったのも同然だ」
「何でも買えるからこそ、基本的には買わない」というスタンスと言いましょうか。ミニマリストとは言わないまでも、ムダなものは持たないということです。
つまり、衝動買いをしないことで、本当に持つべきものがわかるという考え方です。
お金は、それ自体に意味があるというより、〝活きたモノ〟に変えることで意味を成します。そういう使い方が人を笑顔にし、次のお金を生んでいくのです。
子どもだったから、売り場でおもちゃを見れば単純に欲しがりましたが、おじいちゃんは一貫して、私が本当に欲しがっていたものだけ買ってくれていました。
たとえば、ミニカーです。
私は子どものころミニカーが好きで、数あるおもちゃの中でも、とくにミニカーは贔屓して、飾り棚の中にきれいに飾っていました。
遊んだ後は、きちんとその中に片づけて、子どもながらかなり大切にしていたのです。おじいちゃんは、それがわかっていたので、割とミニカーは買ってくれました。
ミニカーで遊ぶことがなくなっても、私は捨てがたく、長いこと取っておいたのですが、親戚の子が欲しがったので、大切に保管していたコレクションを譲ることにしました。
おじいちゃんの教えが、次の世代の思い出につながったのです。
さらに、おじいちゃんのノートは続きます。
「今お前が持っているおもちゃは何か、そのおもちゃにはどんな楽しさがあるか、わかるか? お前は今、すでにおもちゃをたくさん持っているんだ。でも、お前は、もっと違う何かを欲しがる。人生も同じことだ。今あるもののありがたさに気づきなさい」
落合シェフの「ある」ほうに目を向けるエピソードと、おじいちゃんの教えは、同じことを言っていたのです。
多くの人たちは、もっと収入を上げたいと思っているかもしれませんし、もっと自分に適した仕事を探しているかもしれません。あるいは、もっと素敵なパートナーを探しているかもしれません……。
けれど、それは、今「ない」ものを求めているだけではないでしょうか? 年収を 700万円に上げたい。もちろん、その思いはわかります。
でも、仮に今の年収が 300万円なら、まずは「 300万円でも豊かに暮らせていること」に目を向けるべきです。今の状況でも、どれだけ恵まれているかということを理解できていれば、その先に次のステップが見えてきます。
現実を見定めると次の夢が叶いやすいというのが、永田家の帝王学であり、不足に目を向けているとより飢餓的な状況が訪れるというのが、おじいちゃんの教えなのです。
永田家では不足に目を向けて生じた欲求は、いい結果にならないと考えています。
欲そのものは否定しませんが、今、自分が持っているもののありがたさに気づき、足りていることへ感謝した上で生じた欲求だけを、帝王学では是としているのです。
自分を満たすために「小さな幸せ」をつくろう
自分自身を満たせていないと、お客様にも伝わってしまうので、いい接客はできません。全力でつくり笑顔をしても、お客様は心から笑っていないことに気づきます。
本当に仕事を楽しんでいる人の笑顔は、お客様の心を打ちます。自ずと、いい接客ができるものです。
ボランティア活動だって、活動するその人自身が豊かでなければ、きっと続けられないでしょう。
日本人は、被害者意識が強い人が多いのか、なぜか「人のため」を優先しないと許されない風潮がありますが、まずは自分を満たすことです。
たとえば、自身が満たされているお金持ちの人がいるとして、その人は納税もしてくれています。それだけで、相当な社会貢献です。
満たされている人は気持ちが穏やかですし、他人にもやさしいから、まわりの気持ちを和ませることができます。
「無財の七施」という仏教の教えがありますが、まさにそれではないでしょうか。
ただ、急に心にゆとりを持とうとしても、難しいかもしれません。そこで、まず些細なことでいいので、日々の生活の中から幸せを見出してみてはいかがでしょうか。
私は、朝に目が覚めただけで「今日も生きられる」「恵まれている」と実感します。
就寝中に急病で亡くなってしまった方はたくさんいます。
明石家さんまさんの座右の銘「生きてるだけで丸儲け」ではありませんが、本当にそう思いませんか?
朝起きて、さわやかな空気を感じることができたら、それすらありがたいと感じますし、些細な一つ一つの出来事を嚙みしめるようにして生きています。
「今」に意識を集中させると、朝起きて、支度して、玄関から外に出るまでだけでも、 10コくらい幸せなことがあるものです。
たとえば、私は朝のカフェでお茶する時間が好きですが、そんなゆとりがなければ缶コーヒーでも、保温ポットに入れて持ち歩いているコーヒーでもよく、とにかく自分が心地いいと感じる時間をつくればゆとりが生まれてきます。
だいたい「できない」「時間がない」と言う人は、やろうとしていない部分も少なからずあるような気がします。小さな幸せは、日々の生活の中につくれるのです。帝王学は、そんな小さな幸せを、お金と結ぶものです。
この本を読んでいただいた方々は、ぜひ今この瞬間から、小さな幸せをつくるように意識してみてください。
「こうなると、どうなるか」の想像力を働かせる
円安や世界情勢の影響で、 2022年現在、日本では年内に 1万品目以上が値上げされるという物価高になっています。
メディアでは値上げは悪とばかりに、街中インタビューなどで「値上げで家計が苦しい」「困っている」という意見を取り上げています。
でも、同じ出来事でも、どの立場で、どんな視点で捉えるかで、印象は異なるはずです。
私の場合「もし、おじいちゃんが生きていたら、どんなふうに今の日本の状況を説明するだろうか」とも考えます。
というのも、おじいちゃんは、私を想像力豊かな人間に育てようとしてくれていたから。
「こうなると、どうなるか」ということを、いつも自発的に考えるよう仕向けていてくれたのです。
値上げからは少し話が逸れますが、子どものころ、友だちとケンカして帰宅すると、必ずおばあちゃんから「どうしてケンカになったのか」ということを聞かれました。
私が「〇〇くんが、僕にバーカって言うから叩いた。それで叩き返してきたからケンカになった」と答えると、おばあちゃんは「それで? 仲直りできたの? できてないの? だったら〇〇くんは今どんな気持ちだろう」と聞いてきます。
そこで私が「多分イヤな気持ちでいると思う」と答えると、さらにおばあちゃんは「乙はどうしたい? 仲直りしたいの? 仲直りしたいなら、どうしたら仲直りできる?」と私に質問する……といったやり取りを、食卓で根気強く続けてくれました。
そのやり取りを踏まえて「おじいちゃんに話してごらん」という流れになるので、おじいちゃんにその日の出来事と自分の気持ちを整理して話すと、おじいちゃんが「よくそこまで考えたな」とほめてくれる、ということが日常的にありました。
不思議なもので、気分が悪かったケンカも、この禅問答のような会話をすると、なぜだか心地いいものに変わっていきました。納得感というか腹落ち感というか、自分の中で落としどころが見つかるという感覚です。
仲直りするために「ごめんなさいが言えるか」と考えたとき、言えないなら手紙を書くといった解決策を自ら導き出す訓練を、知らず知らずのうちにできていたのです。
「視点の持ち方」と「柔軟な思考」は必須
値上げに話を戻すと、さまざまな事情から値上げ自体はやむを得ない部分があります。これは、じつのところ値上げが先か、賃上げが先かという「ニワトリとタマゴ」のような話でもあります。
値上げが生活を圧迫するのは理解できますが、値上げ =悪という流れは少々一方的な見方です。
そもそも、ここ数年は小麦やバターなど、さまざまな食品が値上げしていました。
また、価格は変えずに容量を減らす〝ステルス値上げ〟も話題にのぼり、 SNSではヨーグルトやお菓子など、数年前の商品と比較した画像もよく見かけるようになりました。
この値上げの波、おじいちゃんだったら、きっと納得感のある結論を導き出せるよう、それぞれの立場から物事を見るよう促してくれるはずです。
まず「どうして値上げするのか」を考えると「コロナで世界経済が止まってしまったから」「原油高だから」「ロシアのウクライナ侵攻により主に穀物の輸入が滞っているから」「円安だから」「日本は食料自給率が低く輸入に頼っている国だから」など、さまざまな要因を導き出せるでしょう。
次に「なぜ原油高が値上げの要因になるか」といえば「輸入食材を運ぶタンカーにも国内のハウス栽培にも原油が必要だから」など、理由には背景が存在しています。
では、ここで視点を変え、値上げを受け入れないとどうなるか、考えてみましょう。企業努力によって値上げを回避した場合「企業は利益を圧迫して赤字に転落するかもしれない」し、すると「雇用を維持できなくなるかもしれない」ので「商品の研究開発も遅れるかもしれない」ですし、当然「リストラ」や「給与カット」もあるかもしれません。
そうなると、収入が減って経済が回らなくなる……という社会全体に悪循環が生まれてきます。
一方で「値上げを受け入れる」と、企業は適正な利益や雇用を保持できて、場合によっては給与も上げることができるかもしれない……というイメージがわきます。
値上げを受け入れる社会と受け入れない社会、みなさんならどちらを選びますか? このように、少し想像力を働かせて、いろいろな視点から物事を俯瞰すれば「値上げを受け入れる →いずれ収入も増える」「値上げを受け入れない →収入が下がる」ということが見えてくるでしょう。
値上げされると、短期的には消費が冷え込む可能性がありますが、長期的に考えて適正な原価率でものをつくれるように価格設定をすれば、その後は給料を上げる余力だって生まれてくるかもしれません。
物事は一元的にではなく多角的に見る、短期・長期的視点から想像力を働かすことは、帝王学においては非常に大切です。
なぜなら「人を笑顔にする」には「視点の持ち方」と「柔軟な思考」が必要だからです。
そうしなければ、自分の思い込みだけで判断し、子ども時代の私みたいに「自分の気持ちにばかり目が向いて、相手のことを考えられない」ということになりかねません。
帝王学には「誰かのせい」というのは存在しない
食糧危機の話をすると、よくこんなことを言う人がいます。
「円安なら国内産のものを選べばいい。たとえば、牛肉も輸入牛が高いなら和牛を食べればいいのでは?」 じつは、話はそう単純ではありません。
なぜなら、日本で飼育されている牛が食べている飼料は、ウクライナとロシア由来のものが約 30%を占めているからです。
牛の飼料のように間接的自給率まで含めると、さらに食料自給率が低くなるので、円安でも輸入に頼らざるを得ないのが現状なのです。
どうして、こういう安易な見方をしてしまうのかというと、問題の原因を自分の外でばかり探そうとするからでしょう。
ここで視点を変えて、柔軟に「これは自分の問題だ」と捉えられたら「何か自分にできることはないか?」という思考に行きつくのではないでしょうか。
日本に比べて、欧米では「何か自分にできることはないか?」という考え方は一般的です。
「いや、ちょっと待って。世界的な食糧危機に、一国民の自分ができることなんて何もないよ」という方がいらっしゃるかもしれません。
何の関係もないことだと。でも、じつは二つ、みなさんも関わっていることがあります。それは「経済の停滞」と「フードロス」です。
日本は経済でも先細り、人口減少にも歯止めがかからなくなっていますが、中国やインドなど、経済発展が著しく人口が多い国は経済的に強いです。
両国との輸入合戦において、日本は食材を運ぶタンカーやコンテナを買い負けています。
たとえば、どこかの国から食材を輸入するとして、運送会社は帰りもコンテナをパンパンにして帰りたいはず。しかし日本は、帰りの片道は空っぽになりがちです。
一方、中国やインドは帰りもパンパンですし、コンテナ 1台あたりの金額も日本より高く設定できます。
運送会社だったら日本と中印、どちらに物を運びたいか……ということは、想像力を働かせなくても容易にわかるでしょう。
また、日本は食料自給率が低く、今は輸入しづらくなっているのにもかかわらず、未だにフードロスは世界でトップクラスです。
食べられるのに捨てている食品が本当に多いという事実があります。「今ある」ものに目を向けず、そもそも食料を大事にしていません。つまり、めぐりめぐって、一人一人の日々の生活が値上げの要因であるとも言えるのです。
誰かのせいにしがちなのも日本人の特徴ですが、その一端は誰もが担っているのですから、やはりすべて自分のせいということになります。
帝王学にも「誰かのせいというのは存在しない」とあります。たいていの問題は少なからず自分にも原因があり、経済の停滞といった社会的な問題も例外ではありません。
こういうとき、よく政治家を悪者にする人を見かけますが、その政治家を選んでいるのだって、私たち一人一人の国民です。
「自分の 1票なんてたかが知れている」と開き直る人もいます。
もちろん、たった 1票ですから、国政選挙においては 1%どころか、 0・ 001%くらいしか影響はないかもしれません。
ですが結局、国というのは、その 0・ 001%の積み重ねの上で成り立っているのです。複数の視点と柔軟な発想力を持つことで、こうした思考ができるようになります。お金と幸せを結ぶ上では、とても重要なことです。
「大企業がアテにならない」は飲食業界では常識
コロナ禍によるおよそ 2年間で、さまざまな事柄に、強制的にストップがかかったことで、価値観やライフスタイルが大きく変化しました。
人々の生活が変われば、本来ビジネスも変わっていくべきなのですが〝巨体〟の大企業ほど、ついていけていないのが現状です。
私は今、 40代半ばと脂の乗り切ったタイミングで、コロナを境にした転換点を迎えられたことに、じつはけっこうワクワクしています。
その理由は、おじいちゃんと福澤諭吉にあります。
私は慶應義塾出身なので、福澤先生の影響を受けているのですが、先生は幕末 ~維新という大きな転換期を迎えたとき、だいたい今の私と同じくらいの年齢でした。
幕末期、福澤先生はオランダ語を学んでいましたが、横浜に語学を試しに行ったら誰にも通じません。
これからは英語の時代だと気づかされて、挫折を味わい、いったん田舎に帰りましたが、英語を学び始めます。
さらに、海外視察へ行くための船になんとか乗り込み、外国でさまざまな価値観を目にします。
帰国後は、日本をよくするため、優秀な人材を輩出するために慶應義塾を設立し、今に残っているのです。
一方、おじいちゃんは明治生まれで、第 2次世界大戦の戦前・戦中・戦後でのし上がった人です。
日本が帝国主義から民主主義に変わった激動の時代、おじいちゃんは、その変化の波を武器にしました。
その当時の年齢が、今の私と同じくらいです。
私は、福澤先生やおじいちゃんがそれぞれの転換点を迎えた同じくらいの年齢で、コロナという転換点を迎えていることはチャンスだと捉えています。
激動期こそ「帝王学が役立つ」理由とは?
コロナ禍において飲食店は、強制的に休業させられたり、時短営業させられたり、酒類販売を制限・禁止されていました。
でも、誰かのせいという考えは、私の中には存在しません。そこに不満を言っているヒマがあったら、自分にできることをしようと気持ちを切り替えました。
じつは 2020年4月、最初の緊急事態宣言が発出された数日後、私は YouTubeで「これからはゴーストレストランだ」と話しています。
ほとんどの日本人が「ゴーストレストラン」という単語を知らなかったとき、私は「これからはデリバリーとテイクアウト、 ECでモノを売る時代だ」と言っていました。
コロナをまだ誰もよくわかっていなかった当時、 3か月くらいで明けると思っていた人も多くいましたが、今、時代はほぼ私の思った通りに変わっています。
いまだにコロナ前のように、元通りに戻ると思っている人もいるようですが、 2年以上染みついた生活習慣はなかなか戻りません。
お酒を飲んだらコロナに感染するわけでもないのに、飲み会は少ないままで、とくに今 2軒目の需要は本当にありません。
世界中がロックダウンをしている映像を目にした瞬間、私は「これからは違う価値観が生まれる」「福澤先生やおじいちゃんと同じ年齢で、自分は転換の時代に生きている」と運命を感じました。
今、私は、自分の出番が来たと気持ちが昂っています。
時代の波は、もちろん、私だけに影響するものではありません。
帝王学は、平時においても役立つ教養ですが、時代の転換期においては、さらに役立ちます。
なぜなら「人を笑顔にすればお金がもらえる」という原理原則は、平時よりも、混迷し、誰もが余裕をなくしている激動期のほうが尊くなるからです。
ぜひ、みなさんにも「自分の出番が来た」と自覚していただきたい。
そのとき、この本で語った教えが、必ず役に立つはずです。
これからは「共感」と「感動」がキーポイント
これまでのビジネスのやり方は、プレゼンテーションも含めて「説得」することが多くを占めていました。企業同士のプレゼンに限らず、スーパーマーケットの棚にある商品もそう。いかにしてうちがすぐれているか、安いかを説得しているわけです。でも、これからはメリットや価格ではなく、共感や感動がキーポイントになっていきます。
たとえば「当店では、お客様が召し上がって余った食材の生ゴミだけを分別して、コンポストで土に戻して循環の畑を運営しています」とか。
あるいは「当店でお出ししているコーヒーは、フェアトレードで購入した豆を使っています」とか。
自分たちの芯にある活動や思い、理念に共感したもの、感動したものにお金が払われる時代に変化していくはずですし、実際すでになってきています。
接客においても、かつてはスマートで、可もなく不可もないサービスがよしとされました。
もともと日本人は、お客様に満足度を上げるというよりは、不満が生まれないような接客が得意です。でも、これからは、多少リスクを冒しても、お客様の一挙手一投足を見極めてサービスすることが感動を生む、そういう時代になっていくと考えています。
なぜなら、お客様は、お店や、そこで働くスタッフに期待を持っているからです。その期待を上回ることで感動が生まれます。
言わずと知れた有名店「ラーメン二郎」が、まさにそうです。
本店は三田にあり、じつは慶應義塾のソウルフードでもあるので、私も学生時代は「ラーメン二郎」に並ぶか、授業に出るかで悩んだものです。
「ラーメン二郎」は、強烈なファン(ジロリアン)がいる一方で「あんな重たいラーメン食べられない」というアンチもいます。
注文の仕方も独特で、とにかく尖ったラーメン店ですが、まったく批判を恐れていませんし、彼らのサービスに感動した人々が、次々とファンになっていきます。
この「ラーメン二郎」の媚びない姿勢が、大勢のジロリアンたちから共感を寄せられている事実は、みなさんも大いに参考になるのではないでしょうか。
サービスを超えるための「準備」と「判断」
たとえば、初めて行くレストランでのディナー。
事前に予約はしてあるものの、来店したときに入り口で「いらっしゃいませ。ご予約の山田様、ご案内いたします」と、自分が名乗る前に言われたらびっくりしませんか? 私は長年、飲食業界でやってきているプロフェッショナルなので、それができます。
と言ってしまえばそれまでですが、少しの準備と判断さえであれば、じつは誰にでもできることなのです。
まず、開店前に予約リストを見て、予約状況を頭に入れておきます。
仮に当日の予約のお客様が 7組だとしても、だいたい同じ時刻には来店しないものですから、予約のお客様の案内でバタバタすることは少ない。
たとえば「 18時に 2名の吉田様」「 18時半に 3名の鈴木様」「 19時に 2名の山田様」という具合です。
予約のお客様というのは、来店されて、こちらが「いらっしゃいませ」とお声がけすると、たいてい「予約の……」と言おうとされます。
ですから私は、その言いたそうな雰囲気を察知して、その前に「山田様でよろしいでしょうか?」と言うのです。
たしかにリスクは大きいですが、これも失敗を恐れず行動してきた過去があり、たくさん失敗してきたからこそなせる業です。
予約されたのが男性か女性かというプロフィールも参考になりますし、お客様のお足元を確認する際、靴からはいろいろな情報を読み取ることができます。
また、多くのお客様を見ていると、予約なしで来店されるフリーのお客様は、入り方が違うことにも気づいてくるはずです。
ですから、ご入店されるこの時点で、受付が予期していないことをサービスすることが大切です。
まずお客様が名乗られる前に、こちらから名前をお呼びしスムーズにご案内する。
これで一つ目の感動が生まれます。
さらに、ご案内した山田様が、カップルだったとしましょう。
飲み物や食事をお持ちしながら、もし「このお店、来てみたかったし、記念日に来ることができてよかったね」という会話を耳にしたら、どんな記念日なのかを推察しながらサービスをし、その過程で結婚記念日だということがわかったとします。
そこで、最後のデザートをお持ちするタイミングで、デザートに「結婚記念日おめでとうございます」と書かれたプレートが飾られてあったら……ここでも感動をいただけるでしょう。
「お客様」には小さい感動を積み重ねよう
アルコールのご注文を見ているだけでも、感動ポイントを生むことができます。
多くのお客様は、 1杯目の飲み方や種類で、アルコールが強いかどうかのプロフィールがわかります。
たとえば、 1杯目にビールを「カーッ」と勢いよく飲み干される方は、次もビールの場合が多く、ある程度、飲まれたらハイボールに変わる場合もあります。
また、 1杯目にシャンパンやスパークリングワインを注文される方は、とくに女性で多いのですが、ずっと〝泡〟を飲み続けられるケースが多く、男性の場合は、 1杯目が泡でも、 2杯目はワインに移行するお客様が多い……といった具合です。
さらに言えば、男性が頼む泡は、一緒に来店している女性につき合って飲んでいるのか、好きで飲んでいるのかも配慮が必要です。
いずれにしても、飲み物を追加で頼まれるタイミングで、お客様のほうから「すみませ ーん」と言わせてはいけません。
アルコールの減り具合を見て、とくに何を飲まれるか決めていないようだったら「次のお料理は『白身魚のカルパッチョ』ですので、こちらの白ワインがおススメですが」と言うか、または「お次どうされましょう? ハイボールにされますか?」と言うのがハマるのか。
声のかけ方一つで、ハマったときは感動をいただけます。
ですから、自信があるなら「ハイボールでよろしいですか?」と言ってみてもいいし、そこにリスクを感じるときは「お次どうされますか?」でいいと思います。
私は、今までたくさん失敗してきましたから、お客様の一挙手一投足を見るだけでわかるようになってきました。
ハイボールと踏んだら「ハイボールなども、何種類かウイスキーをご用意できますが」と、さらに踏み込んだ内容でお声がけします。
これは何も、飲食業に限った話ではないでしょう。
どんな業界にお勤めの方でも、必ずお客様がいらっしゃるはずです。
がんがん突っ込んだサービスをして、小さい感動を積み重ねていくこと。その小さい感動が 2回でも 3回でも生まれたら、かなりお客様の記憶に残るはずです。こういうコミュニケーションの積み重ねが、本当のサービスなのです。
努力と結果は比例しなくて当然。期待を手放せ
「努力したのに報われなかった」「がんばっているのに評価されない」という言葉をよく耳にします。言いたいことはわかりますが、私は「そうでしょうね」と思ってしまいます。
私はこの仕事が好きなので、時にトランス状態に入ったかのように、時間を忘れて集中することがあります。
まわりの人から見たら、それは尋常じゃないレベルで努力をしているように見えることもありますが、自分では努力だと思っていません。それは、好きでやっていることだからです。
「努力しないとダメだぞ」と、苦しみながら重ねた努力は結果が比例しません。なぜなら、そこに笑顔がないから。帝王学の初歩を踏み外しています。
ですから、好きなことを突き詰めて取り組んだほうが、報われやすいのです。
イチローさんは、引退したのに野球をやっています。彼にその理由を聞いたら、多分「好きだから」と答えるでしょう。イチローさんは、単純に好きだから今も練習しているだけで、努力しているつもりなんてないかもしれません。
子どもでも、毎日ガリガリ勉強する子は、テストではいい点数を取る一方、飛びぬけた成績ではないことがほとんどです。
そもそも勉強が好きで得意な子は、必死にやらなくても、突拍子もなくいい成績を取ります。
「好きこそものの上手なれ」であって、努力したからいい結果が得られるというのは勘違いです。
さらに言えば「期待を手放せ」ということです。
これは、みなさんが逆の立場、期待される側に立てば、いかに「期待を手放したほうがいいか」がわかります。
たとえば、会社の上司から「きみに期待している」と言われたとします。でも、それは上司の勝手です。
私だったら「期待しないほうが、あなたもがっかりしないですよ」と言っちゃいますね(笑)。
いかに「期待を手放したほうがいいか」が、おわかりいただけたでしょうか。
誰かや何かに期待するという行為は、自分の価値観で勝手に決めているだけなので、その期待が外れた瞬間にストレスが発生します。
「努力したのに報われなかった」「がんばっているのに評価されない」というのが、まさにこの状態です。それに、価値観は十人十色ですから、自分が期待する相手の価値観だって異なって当然です。
上司や会社が「きみに期待しているぞ」と言うのは、見せかけのアゲでしかなく、言われたほうはただプレッシャーをかけられているだけです。
相手に対して「期待しているぞ」と言うのは「俺の言う通りにしろよ」という意味でしかありません。そう言われたら「あなたの(他人の)人生のエキストラを演じているわけじゃない」と気づくべきです。
「期待しない」「期待されても相手にしない」というのは、自分軸で生きる上で大切なことです。同時に、期待は「人を笑顔にする」ためにも邪魔です。この手の期待は相手に見透かされ、不快を感じさせてしまうからです。今すぐ手放すことをおススメします。
ピンチをチャンスに変える「変化を楽しむ力」
営業できない、営業できると思ったらお酒が提供できない、席数が制限される、時短営業させられる……など、いわゆるコロナ禍は飲食業界にとっては大ピンチでした。
でも、私自身においては、コロナ禍のおかげで飲食業界に携わる人間として、かなりパワーアップできた自覚があります。
どんな業界でも言えることですが、ピンチがピンチで終わる人もいれば、チャンスに転換できる人もいるのです。
コロナで店は営業できなくなりましたが、時間はできましたし、利益に比例する金額ではありませんが、協力金だって出ました。
そういった時間とお金を、どうプラスに転換させるか。そういった視点を持つべき時期だったのです。
それなのに、国や自治体への不満ばかり言う人が大勢いましたよね。協力金が少ないとか、営業の自由を規制する権利があるのかとか……。でも正直、そんなのどうでもいいわけで、不満があるなら普通に営業すればよかったのです。
それが自分の人生であり、考えであるなら、世間から叩かれようが関係ありません。自分軸で生きたらいいだけです。
肝心なのは「ある」ものに気づけるか、「ない」ものにばかり気を取られてしまうか、それだけです。
コロナのような大ピンチのときだって、「ある」ものに目を向けて、ピンチをチャンスに変えた例は、ここで紹介するには足りないほど無数にあります。
コロナにより人々の価値観が大きく変化して、従来の枠組みが崩壊するということは「ゲームチェンジ」のタイミングでもあります。
これまで、業界の重鎮みたいな人たちが、地位と金と権力でやってきた世界でしたが、そんな重鎮たちは、コロナで何をしていいかわからなくなっているのです。
コロナを境にした新ルールにおいては、若い人にもワンチャンありますし、実際それを活かした人は大勢います。
なんとかして今までの常識で生き抜いてやろうと思っていた老害たちが、この激動する社会情勢についていけなくなっているのですから。
私の父は団塊の世代ですが、 2000年ごろパソコンが普及したとき「俺はパソコンなんて覚えなくていい。パソコンなんて使わないまま終わる」と言っていましたが、 60代半ば過ぎてから、さすがにヤバいとなってパソコンを使い始めるようになりました。
でも、もし、パソコンが普及し始めたころに使い始めていれば、父だってもっと若かったし、世界観が変わっていたはずです。
ときどき TikTokでバズっているお年寄りがいますが、あれはとても素敵な生き方ですよね。大きな変化に恥をかいてもいいからついていく、変化を楽しむ気持ちがある……前向きにチャレンジする精神は、どんな状況になっても大切なのです。
日々は決断の山。感情も「意識して」決めよう
決断というと、何か重要な契約のようなイメージを抱く人がいるかもしれませんが、そもそも私たちは毎日、小さな決断を積み重ねて生活しています。
たとえば、何か理不尽なことにあったとき、怒るか怒らないかを決める。これだって立派な決断です。
感情を自分で決めることは大切です。じつは、感情を決めている人はかなり少なく、反応に振り回されている人が大半なのです。
仮に、思いがけず賞賛されたとします。つい突発的に反応してしまいがちですが、そういう場合に喜ぶかどうかも、自分で決めるべきです。
人はコミュニティで生活していますから、起きている事柄に対して、反応しながら暮らしています。それは、ある意味で便利な生き方でしょう。
でも、私は些細な事柄でも受け止めて、自分はどうするかを決めて行動しています。そうすることで、自分の未来の感情まで決まるからです。
たとえば、朝、新宿の通りで信号待ちをしていたとします。
通勤・通学の時間帯ですから、向こう側にもたくさん人がいますし、信号の色が青に変わったら一斉に歩き出すはずです。
ここで、すれ違う際、相手とぶつからないように気をつけるのは当然です。あちらから避けてくれたと、相手をいい気分にします。
ですが、そもそも相手に「避けてくれた」と意識させないことが、さらにその上を行くサービスと言えるでしょう。
最初から、誰ともぶつからないような位置を取って歩いていけばいい。
つまり「気を遣う」をしのぐ、「気づかれない」サービスです。
おそらく「何で自分から避けなきゃいけないんだ」と不満に持つ人もいるでしょうし、もしかしたら、わざわざぶつかりに行く人もいるかもしれません。
しかし、ここで「自分からは譲らない」「ぶつかってきたら怒る」と決めたとして、その場合どんなリスクがあるかを考えたら、その決断が正しいとは思えません。
少なくとも、自分の感情がプラスになることはないでしょう。
直前に道を譲って、相手にいい気分になってもらうか。最初から道を空けて、自分を満たすか。絶対に譲らず不満を抱くか……決めるのは自分です。
自分の感情を自分で決めることは、おそらく世間で思われているよりも大事です。不要な悪感情に振り回されることがなくなりますし、衝動的な行動も取らなくなります。何より、自分軸で考えることを意識すると、自分の感情をいい方向に変えたいと努めるようになります。自分の感情を決めることで、人生まで好転し始めるのです。
「3秒ルール」の実践で「決められる人」になる
もし、何かにつけて決めることが苦手だったら、ランチに何を食べるかというのを意識して決める練習がおススメです。
私も、ランチに何を食べるかを決め、一口食べたら必ず「おいしい」と言う、そんな些細なことを一つ一つ決めていきました。
おそらく、多くの人は毎日、決めて行動していることはほとんどなくて、流されているだけなのではないでしょうか。
朝、目覚ましのアラームが鳴ったとき、上機嫌に起きるか不機嫌に起きるかさえ決めごとの一つです。
しばらくベッドでダラダラするのか、パッと起き上がって、すぐ顔を洗うかということも決めるべきです。
なんとなく流れにしないことが大切ですが、仮にいい流れができてきたらルーティンにすると決めるのもアリ。ただ、マンネリ化してきたら、新たに決め直しましょう。
私は決断力がない人と食事に行くと「メニューを 3秒で決めなさい」と言います。
これは、おじいちゃんの教えでもあります。だいたい、どれを食べてもおいしいものですから、心配いりません。
いつまでも迷っている人に限って、あとで「それ一口ちょうだい」となります。それだったら最初から 3秒で決めなさい、ということになりますよね。
日々の些細な決断を意識的に実践していくと、重要な決断のタイミングで決められるようになります。
決めることが苦手なままだと、決めた後になって「ああ、やっぱりあっちにしておけば……」と後悔したり、結果において他人の顔色をうかがったり、評価を気にしたりしてしまうようになるのです。
自分の人生というドラマは自分が主人公で、関わる人たちは共演者です。自分で決めて、自分のタイミングで自分の言葉で話す。他人に言わされていることなんて一つもありません。
他人軸で他人の人生というドラマのエキストラにならないためにも、自分を主役に据えた「自己中」で生きていきましょう。
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