長いほど妻に都合がいい離婚裁判
これまでに結婚というのは、ある種の毎月分配型の特殊な債券の譲渡である、ということが理解できたと思う。しかし、結婚と金融商品の取引で大きく違うのは、その契約の手続きにかかる時間だ。
金融商品の取引は 5分もあれば済むのだが、結婚するには男女が出会って、通常は 1年以上の交際期間を経て、契約成立となる。
離婚とは、この契約の解約条項をめぐる攻防と言えるのだが、これは夫側が高額所得者の場合は、通常は何年もかかるのだ。
この章では、離婚に至るまでの法的なプロセスの概要を説明する。
その前に、実際には日本の離婚の約 9割が、裁判所を経ない協議離婚である、ということを述べておく必要があろう。
どれだけ浮気をして、どれだけ暴力を振るい、酒とギャンブルに散財してしまった夫でも、男にまともな所得も貯金もなければ、奥さんにも名うての弁護士にも何もできない。文字通りお手上げである。どんな立派な法律があり裁判所があろうと、ない金は取れないのである。
実際に、日本の離婚する家庭の 9割程度は、夫に大した所得もなく、それゆえに弁護士を雇い、法廷闘争を続ける経済合理性がなく、奥さんは子供を連れて出て行き、「何もいりませんから離婚してください」と、飲んだくれの亭主に、ほとんどボランティア精神で奥さんにつきあっている弁護士といっしょにお願いしに行き、離婚を成立させるわけである。
しかし、夫が、医師や弁護士、大企業のサラリーマン、ある程度の規模の会社経営者など、まともな職業で、比較的高額な所得を得ている場合、離婚裁判は長期化する。
それは、すでに説明したように、奥さんは、婚姻費用を長期間にわたって搾り取り続けることにより、経済的な利益を得ることができるからだ。
まずは、別居中の奥さんから、婚姻費用分担請求の調停か審判が家庭裁判所に申し立てられる。
調停は、家庭裁判所のボランティア同然の調停委員の下で、双方に納得いく仕送り金額を話し合いで決定しようということであるが、すでに説明したように、所得からほぼ自動的に決まる算定表があり、奥さんはこれより下の金額で合意するとは考えられず、結局は、最後は裁判官が出てきて算定表に基づいて決定する。
このときに奥さんから、源泉徴収票や確定申告書類の提出を求められ、それらの提出を拒めば、奥さんの言い値が通るだけである。
また、奥さんという立場で税務署に行けば、納税記録の書類を貰ったりすることもできるので、それらから婚姻費用が算出されることもある。
審判では、こうしたボランティアのおじちゃん、おばちゃんの前での協議をすっ飛ばして、最初から、提出された所得を証明する書類を元に、裁判官が婚姻費用算定表を使って、その金額を決定する。
奥さんは、調停でも審判でもどちらでも好きなほうを選べる。
ちなみに、調停でも審判でも、家庭裁判所では、申立人と相手方で別々の待合室が用意されており、双方が交互に調停委員、または裁判官がいる部屋に入って、いろいろと主張を述べるので、お互いに顔を合わせる必要はない。
むしろ、顔を合わせられないように、控え室も離れており、時間が重ならないように順番に呼ばれる。双方が顔を合わせるのは、最終的な金額が決定され、それを裁判官から言い渡されるときだけである。
つまり、一度、こうした法的プロセスがはじまってしまえば、かつて愛し合っていたはずの夫婦が、一言もお互いに口をきくことはなくなり、全ての夫婦のコミュニケーションは、弁護士と裁判所を通して、ということになるのだ。そして、双方の弁護士もそれを望む。
さて、ある程度以上の金額で婚姻費用が決まってしまえば、奥さんは、あとは好き放題、自分の人生をエンジョイするだけである。
よって、取り立てて何か離婚する必要を感じていなかった夫側から、離婚裁判を起こさなければいけないことになる。なぜならば、離婚が成立しない限り、この婚姻費用を永遠に払い続ける必要があるからだ。コンピ地獄である。
日本では調停前置主義と言って、いきなり離婚裁判はできないことになっている。夫婦の問題はまずは話し合い、というわけだ。
調停と裁判の違いは、双方が和解できなかった場合、調停は調停不成立で何も起こらないが、裁判は裁判官が強制的に判決を書くことである。
ちなみに、これらの調停、裁判の申し出には、奥さんの住所が必要で、奥さんがどこに住んでいるのかわからない場合も多いが、奥さんは婚姻費用請求の際に、自分の住所を書く必要があり、裁判所はそこに、訴訟に関連した書類を送付してくれる。ただし、その住所は、プライバシー保護の観点などから、夫は教えてもらえない。
いったんコンピ地獄になってしまえば、奥さんのほうには、離婚裁判を長引かせるインセンティブが生じるので、調停でお互いにわかり合える、などとは露程も思わないほうがいい。
ボランティアの調停委員のおじちゃん、おばちゃんの前で長々と話していても、時間の無駄、金の無駄である。なるべく早く、お互いに同意できないという結論、つまり調停不成立にしなければいけない。そうしないと裁判ができないからだ。
調停は最短でも 3 ~ 6カ月程度、長い場合は 1年以上かかる。裁判所は、調停を 1カ月に 1回程度の頻度でしか入れてくれないので、 3カ月と言っても、 3回協議するだけである。
ビジネスマン的な感覚では 5分のミーティングで決まるようなことは、裁判所では半年かかると思っていいだろう。
それから、長い、長い離婚裁判がはじまる。
まずは家庭裁判所であるが、粛々と、奥さんがどれだけひどい人物で、悪行の限りを尽くしていて、昔も今も奥さんのことをまったく愛していない( =実質的な破綻状態)ということをひたすら弁護士といっしょに主張し続けることになる。
また、奥さんのほうも、夫がどれだけひどい人物で、それに耐え抜き、止むに止まれぬ理由で別居している、という主張をする。
奥さんは、離婚したくない、また元の生活に戻りたい(そうすることにより婚姻費用を最大化できる)、という虚偽の主張をし続け、一方で夫の悪事の数々をまくし立てる、というとても奇妙な論理を展開することになる。
なぜ、有りもしない夫の数々の悪事を訴えるかというと、離婚の主たる原因が夫にある、つまり夫は「有責配偶者」であるという認定を裁判官がすると、離婚成立が著しく困難になるからである。相手を有責配偶者にさえしてしまえば、コンピ地獄を非常に長期化できるのだ。
1年間書面で罵り合う
離婚裁判とはいっても、手続き上の流れは通常の民事裁判といっしょである。ちがいは、すでに説明したように、最初に調停を少なくとも 1回はやらなければいけないこと、そして、第一審が地方裁判所ではなく、家庭裁判所であることだ。
まず原告(訴える方、以下は夫が原告と仮定する)が訴状を弁護士といっしょに作成する。これは数十ページからときに 100ページ以上になることもある。
どういう経緯で結婚に至ったか、どのような結婚生活であったか、そして、それがどのように破綻していったかが説明される。特に重要な部分が、結婚生活が破綻したのは、全て奥さんが悪いということをしっかりと立証することである。
奥さんが、家事(子供がいれば育児も)をまったくやらなかった、金を浪費した、異常な性格であった、そして、浮気を繰り返したり暴力を振るったりもした、などということが述べられる。
これは後でくわしく説明するのだが、どちらが悪くても、実質的に結婚生活が破綻しているならば、たとえ悪い方からの訴えであっても、別居期間が長期(最低数年以上 ~ 10年程度)にわたり、修復の見込みがなく、さらに未成熟子(扶養の必要が認められている子)もいないならば、離婚を認めようという、「破綻主義」に現在の日本の司法は傾きつつある。
ところで、傾きつつある、と言っても法曹界の時間感覚はビジネスマンのそれとはまるで違い、この 20年ぐらいのトレンドで、次の 10年で変わるかもしれないし、変わらないかもしれない、という程度なのだが。
とにかく、この破綻主義を味方につけるために、夫がいかに奥さんを最初から最後まで愛していなかったのか、結婚は何かのはずみでやってしまった誤りであって、愛情などは最初からなかったのだ、ということも事細かに訴状に書かれていく。まったくもって愛情がなければ、修復の見込みもない、ということになるからだ。
優秀な弁護士なら、たいていの人を、極悪非道のとんでもない異常人格で、更生の余地のないような人物として描くことができる。この際に、暴力なら診断書、浮気の証拠なら携帯電話のメールのコピーなどの様々な証拠もいっしょに提出される。
また、録音されたものは、文字起こしをして提出しないといけない。
たとえば、ちょっとした夫婦喧嘩で奥さんに引っ搔かれたり、叩かれた場合は、次のような書面にしてくれる。
「被告は、原告に対して、爪で引っ搔く、殴るなどの暴力を加えるようになった(証拠 1診断書)。包丁を持って『殺すぞ』と脅すようなことも頻繁にあった(証拠 2テープの文字起こし)。こうした被告の暴力は、ほぼ毎日行われた」
そして、夫が愛人の家に転がり込んで、家に帰らなかった場合は、次のようにさも相手が悪いように表現される。
「こうした度重なる暴力により、原告は、精神的に疲弊した。原告は、自宅で生活することが苦痛でしかなかった。原告は、被告の暴力的な言動により、満足に睡眠をとることすらできなくなり、これ以上、被告との同居を継続することはできないと考えるようになった。やむにやまれず、原告は、 ○月 ×日、家を飛び出して、別居を開始した」
このような訴状を作成し裁判所に提出したあと、原告と裁判所が相談して、第 1回口頭弁論期日が決められる。
通常は訴状を提出してから 1、 2カ月先である。そして、被告に、訴訟がはじまったことを郵便で知らせてくれる。被告は、第 1回口頭弁論期日までに、訴状に対する答弁書を提出しなければいけない。これを提出せずに、口頭弁論を欠席すると、被告はすぐに敗訴してしまう可能性もある。
調停とちがい、裁判では、どちらかが不服でも最終的にはひとつの結論が国家権力によって導かれるのである。
被告は、答弁書で、原告が言っていることは、いかにデタラメで、支離滅裂で、さらに提出された証拠も恣意的なものであり、真実はまったく異なる、ということを主張する。
さらに、夫こそが異常人格者であり、浮気と暴力を繰り返したとんでもない人物である、ということを主張する。
これはすでに説明したように、夫が有責配偶者だと裁判官に思われれば、夫からの離婚請求が著しく困難になるからである。
しかし、それほど極悪非道な人物であっても、やはりまだ愛していて、もう一度やり直したい、との主張も同時にしなければいけない。なぜならば、「それじゃ、別れれば」という至極もっともなことを言われると、婚姻費用を搾り取れないからである。これが離婚裁判のまことに奇妙なところなのである。
ちなみに、口頭弁論などと呼ばれているが、実際には原告も被告も裁判所に来ることはほとんどなく、双方が雇った弁護士が、裁判所に提出した書類を眺めるだけである(書類は期日の数日前までに裁判所と相手の弁護士に FAXで送られている)。
裁判官は、それぞれの主張を読んで、食い違っているところなどを指摘しながら、次の第 2回口頭弁論期日までに、反論のための書類(これを準備書面という)を提出するように言う。
この第 2回口頭弁論期日は、通常は 1カ月程度先の日に設定される。
つまり、離婚裁判に限らず、民事裁判というのは、原告が訴状を提出、その訴状に対する反論である答弁書を被告が提出(第 1回期日)、それぞれがまた準備書面で反論する(第 2回期日)、その反論に対する反論をお互いに提出(第 3回期日)、というように、約 1カ月ごとに口頭弁論の準備書面を提出し続けるゲームなのである。
離婚裁判の場合は、これが 5 ~ 10回程度は続く。つまり 1年近くは、こうして書類上で夫婦がお互いをこれでもかというほど罵り合うのである。
このプロセスを通して、訴状や答弁書、証拠、準備書面などで、通常は電話帳 2、 3冊分ぐらいの文書が積み上げられる。
こうして書類上で双方の主張が出尽くしたあとに、証人尋問と本人尋問が行なわれる。通常は、この尋問の前に、裁判官から和解するように強烈なプレッシャーがかけられる。
裁判官が和解話を持ちかける理由
裁判では、かつては愛し合った夫婦同士が、文書でお互いをこれでもかと罵り合うわけである。そこにあるのは、双方の金に対する愛情である。少しでもたくさん金を取りたい奥さんと、少しでも自分の金を守りたい夫との血みどろの法廷闘争である。
そんな夫婦も大変だが、犬も喰わない夫婦喧嘩を、 1年以上も聞かされ続けられる裁判官も大変である。そして、家庭裁判所の裁判官は、こんな進行中の裁判をひとりで 100 ~ 200件も抱えているのである。
日本の官僚は、昔ほどの輝きは失ってしまったが、現在でも、貧しくとも優秀で勤勉である、と世界から評されているが、日本の裁判官も例外ではない。
彼ら、彼女らは、労働基準法などお構いなしに、毎日残業続きである。週末も、この文書に書き起こされた、犬も喰わない金欲まみれの夫婦の痴話喧嘩を読み続けるのである。
さて、裁判官の出世で何が大事かということを考えることは、裁判というゲームの仕組みを理解するために極めて重要だろう。
それは第一に年間の事件の処理件数である。そして処理というのには、当然、和解も含まれている。
判決文を書くには、お互いの主張とその反論を精読して、提出された証拠と突き合わせながら、矛盾点をあぶり出し、慎重に事実認定し、法律、過去の判例に基づき、間違いのない結論を導かないといけない。
そして、判決文と、その結論に至った理由など、裁判官は、相当にたくさんの文章を書かなければいけない。一方で、和解では、いくらの金銭をいつまでに払う、というぐらいのことを書くだけでいいので、楽だ。事情はどうであれ、お互いにそれで納得したのだから、裁判官がこれ以上は関わらなくていいのだ。
判決の場合はどうなるのか。
裁判にまで行っているということは、夫婦関係がお互いに抜き差しならない関係になっているということだから、第一審の家裁の判決で双方が納得することはなく、控訴される可能性が高い。そして、第二審の高等裁判所にまで行くことになる。
裁判官には厳然たるヒエラルキーがあり、家裁での判決が、高裁で覆るのは、サラリーマンでいえば、上司にお前のやり方は間違っている、と言われるようなものだ。
つまり、判決を書いても、家裁の裁判官としては、高裁でひっくり返って出世競争で減点されるという大きなリスクを抱えることになるだけで、労多くして功少なしである。これも裁判官が必死に和解させようとするインセンティブになる。
ちなみに、日本は三審制と言われるが、最高裁は、基本的には、憲法の解釈だとか、過去の判例の変更だとか、そういう日本の法体系に関わることしか審査しないので、事実上の二審制となっている。
つまり、最高裁では、ふつうは事実認定は争われず、そもそも高裁では過去の判例に照らしてこうした判決になったが、その判例自体が間違っているとか、そういうことしか争われないのだ。だから、離婚裁判は高裁でおしまいである。
高裁も、また一から裁判をするのではなく、第一審の家裁の続審であり、あの電話帳のように積み重ねられた書類の上に、新たな書類を積み重ねて、家裁の裁判官はここがちょっとおかしいとか、そういうことを審理するだけである。
先程も述べたように、日本の裁判官は、東大や京大出身で、在学中に超難関試験と言われている司法試験を突破したような優秀で勤勉な人ばかりなので、高裁で家裁の判決がひっくり返るようなこともあまりない。
こうなっては、事実上の一審制だ。このような理由で、裁判官もなるべく和解させたい。
それで隙を見つけては、裁判官は、和解の話をちょくちょく持ちかけてくるわけだが、その和解へのプレッシャーがクライマックスに達するのが、ちょうど準備書面を 5 ~ 10回ほど交換し合ったあとに訪れる「尋問」の前である。
書面上で、ほぼお互いの主張が出尽くし、どの事実関係でお互いが矛盾したことを主張しているのか、争っているのかが明らかになったころに、この尋問の期日が決められる。
尋問では、夫婦がお互いに裁判所に来て、裁判官の前で、自分の弁護士、そして相手の弁護士の質問に次々と答えていかなければならない。証人が来る場合は、証人にも尋問を行なう。
これは原告にも被告にも負担になることで、裁判官にしてみたら、和解させる大チャンスである。
そこで、裁判官は何をするかというと、奥さんが納得する金額を夫が出すように仕向けて、なんとか金で解決させようとするのだ。
「日本の法律ではこのままでは離婚が認められる可能性はそんなに高くない」と、夫が裁判で負けそうなことを匂わす。離婚が認められなければ、このうんざりする離婚裁判があと何年も続く。
そしてその間、婚姻費用が毎年搾り取られていくのだ。こうして、奥さんに提示する和解金額がどんどん吊り上がっていく。そして、裁判官は、今度は奥さんのほうには、こんなことを言うのである。
「さすがに、これは離婚が認められるかもしれませんね。旦那さんもこれだけ払うと言っているんだから、裁判を続けるよりも、ここで和解したほうが得かもしれませんよ」 じつは、弁護士のほうも、早く和解して欲しいのである。
弁護士の報酬は、着手金と成功報酬で、夫側の弁護士としたら、成功報酬は通常は離婚成立時に払われることになっているので、とにかく離婚が早くできればできるほどいい。
奥さんのほうの弁護士の成功報酬だが、これも取れた金額の何割というように契約している場合が多く、ここでゴソッと和解金が取れれば、成功報酬もはずむというものだ。時は金なり。弁護士も早く和解したいのだ。
こうして婚姻費用を搾り続けたい妻に対して、夫、夫の弁護士、裁判官みなが和解のプレッシャーをかけることになる。
よっぽど婚姻費用が多額で、その婚姻費用に対するインセンティブが成功報酬に盛り込まれていない限り、内心は妻の弁護士も「奥さん、そろそろ和解してくれないかな」と思っている。
このことは、毎月婚姻費用を搾り取られ、忙しい仕事の合間に離婚裁判なんかに関わらなければいけなくなったビジネスマンの夫にはせめてもの救いだ。
じつは話し合いや調停より楽な裁判
離婚裁判はこれからいよいよ佳境に入る。尋問というのは、夫も妻も法廷に出てきて、裁判官の前でお互いの主張や反論をするので、ドラマなんかを見ていると、いかにも裁判という感じがする。
さて、この尋問の解説をする前に、ひとつ重要なことを述べておく。
それは何かというと、ビジネスマンにとって、離婚裁判はじつは楽である、ということだ。
これまでに説明した裁判の流れを思い出せば、どれほど離婚のための裁判が大変かと思ったかもしれない。その通りだ。
そして、世間で売られている、離婚に関する本を読んでも、裁判というのは、時間的にも精神的にも非常に大変だと書かれている。その通り。
しかし、信頼関係のなくなった妻やその両親との話し合い、調停での調停委員との話し合いと比べると、じつは裁判のほうが楽なのである。なぜならば、あの電話帳ほどの厚みのある書面を書くのは、自分ではなく、弁護士だからだ。大変なのは、弁護士なのである。
ここを間違えてはいけない。
妻との直接の話し合いがどれほど大変かは、個々の事情によると思うので、ここでは調停と裁判の違いを解説して、裁判のほうがいかに楽なのか解説しよう。
まず、もっとも重要なことは、調停は本人が行かないといけないが、裁判は、次項で解説する尋問以外、本人は行かなくてもいいのである。
そして、裁判所は平日の昼しかやっていない。これが何を意味するかというと、調停では毎月会社を休まないといけなくなるということだ。
これはビジネスマンにとってはかなりの負担になる。会社の上司に、来月のこの日は有給休暇を取ります、と毎月毎月言わないといけなくなるのだ。
一方で、裁判では裁判所に行くのは、弁護士だけである。本人はふつうは行かない。そして、弁護士は、訴状や準備書面を書くために、夫にいろいろインタビューする。
しかし、文章を書くのは弁護士なのである。夫はそれをチェックするだけだ。
そして、もちろん弁護士は、こちらの都合に合わせて、夜とか、週末にミーティングをセットしてくれる。これだけでも、ほとんどのビジネスマンにとってはかなり負担が軽減されるだろう。
そして、もうひとつの調停との違いは、裁判では、裁判官を頂点として、夫の弁護士、妻の弁護士の 3人で話が進んでいくことだ。
これで、話し合い(実際に夫と妻が顔を合わせることは尋問の日までないが)が非常に論理的かつ建設的になる。なぜか? それは弁護士も裁判官も頭がいいからだ。彼らはビジネスマンと同じ言葉を話す。つまり論理的なのだ。
もちろん、たった 10分やそこらの口頭弁論(実際にはすでに事前に送られた書面を当事者は前もって読んでいる)を 1カ月に 1度の頻度で開催していき、 1年もかけて些細な問題を話し合うなどというのは、ビジネスマンの感覚的にはおかしいとしかいいようがないのだが、裁判官も弁護士も、とにかく法律の論理や、合理性といったものを理解している。
だから、ビジネスマンと会話ができるのだ。
一方で、妻は、とにかく夫の全財産を奪い取ってやるとか、夫の人生をめちゃくちゃにしてやるとか、感情むき出しで、論理的、合理的に会話をすることができない。
そういう人と長い間、話し続けるのは、大変に困難であり、精神的にも非常に疲れる。
法律はこうなっているから、このまま裁判を続けても、合理的に考えれば、奥さんが勝ち取れる金額は最高でもこれぐらい、下手したらこれぐらいになっちゃいますよ。
だったら、間を取ってこれぐらいで離婚して、お互いに別々の人生を生きていったほうが建設的じゃないですか、という話にはなかなかならない。
なぜならば、妻の目的は、自分を裏切った夫を破滅させてやることなのだから。そして、調停委員のおじちゃんとおばちゃんも、こういう妻と同じ種類の人たちだ。つまり、ファクトやロジックで物事を考えない。
だから、話し合いで解決できないと思ったら、とにかく調停を早く終わらせるに限るのだ。もちろん、話し合い、または調停で、ポンと離婚が決まればそれに越したことはない。
だから、夫(婚姻費用を支払う立場のほう)は、ここで金をケチるべきではない。しかし、妻があまりにも法外な金額を要求していたり、妻の目的が自分を破滅させることだ、ということがわかったら、とにかく早く裁判をはじめるべきなのだ。
ビジネスマンにとっては、離婚裁判は、明日朝早くから会社に行かなければいけないのに、寝る前にケンカをふっかけられてグチグチ言われる夫婦生活よりもはるかに楽なのである。
尋問は役者の才能が問われる
ここまでは双方の弁護士と裁判官で話が進んできており、原告も被告も裁判所に行くことは和解交渉のとき以外はなかったのだが、尋問は本人が行かないといけない。
尋問されるのは相手を訴えている原告、訴えられている被告、そして第三者が証拠についてなんらかの証言をしてくれるなら、さらに証人が加わる。
裁判官は法廷の奥の一段高いところから我々を見下ろしている。裁判官の前には書記官などが数人座っている。見習いの裁判官が横に座っている場合もある。
そして、法廷の右と左に、それぞれ原告とその弁護士、被告とその弁護士に分かれて座っている。証言をする人が真ん中の席に行き、そこで噓偽りを決して言わないことを宣誓させられたあとに、質問に答えていくのである。
ここまでの様子はドラマの中で出てくる裁判と同じである。
法廷ドラマでの尋問シーンは、お互いの弁護士が雄弁に論争し、裁判官が真実にハッと気付き、被告や原告が涙を流したりするのだが、これは実際の尋問とはまるで違う。
まず、尋問で弁護士同士が議論を戦わせるということは原理上ありえないし、また、原告と被告が議論することもない。まずは、尋問に先立ち、原告、被告の双方が陳述書を裁判所に提出する。
陳述書では、いままで毎月積み上げてきた電話帳数冊分の書面のなかで特に主張したい部分や、相手の主張の矛盾点などを浮き彫りにする事柄を、本人がしゃべっているかのような口語調で書き記す。
尋問というのは 3種類ある。主尋問、反対尋問、そして裁判官尋問である。
主尋問では、自分が雇っている味方の弁護士からの質問に本人がひとつずつ答えていく。
反対尋問では、相手の弁護士、つまり自分の敵の弁護士からの質問に本人がひとつずつ答えていく。
そして、最後に裁判官がいくつか質問する。
つまり、どちらにせよ弁護士というのは、ただ質問するだけなのである。だから、弁護士同士が議論するということはないのだ。
さらに、こうした尋問でのやりとりは書記官が全て記録しており、録音もしているが、お互いの言葉が重なり合っていると何を言っているのかわからない。
だから、質問を最後まで言わせて、それに対する答えも最後まで言う、ということになる。
口げんかみたいに相手の言葉が終わらない間にしゃべり出せば裁判官に注意されるのだ。
また、事前に裁判官との相談で、証言したいことの内容などから時間がきっちりと決められる。
通常は、主尋問と反対尋問で合わせて 1時間程度である。
これを超えて証人が長々としゃべっていると裁判官に途中で終了させられてしまう。このように議論が進むので、その様子もドラマで見るような光景とはかなり違う。
主尋問(味方の弁護士との質疑応答)では、当然だが、弁護士がどんな質問をするのかは前もって知っているので、これは尋問の日までに入念にリハーサルすることになる。
ビジネスマンにとっては、小学校の学芸会以来の演劇の舞台だ。それで弁護士に、裁判官は涙に弱いので、なんとかここで泣けませんか、みたいなことも言われ、必死に涙を流す練習まですることになる。
ここまでできれば立派な役者だ。
反対尋問(敵の弁護士との質疑応答)では、どんな質問をされるかわからないのだが、これもある程度の想定をして、必死に練習することになる。
それで間違っても、「じつは一度浮気したことがあります」なんて言わないように、弁護士に何度も念を押される。有責配偶者に認定されたらひとたまりもない。
ここまで読んでいただければ、尋問といえども、それはかなり形式的なもので、実際のところそれまでの「書類審査」のほうで、だいたい裁判の行方は決まっているのではないか、と思った方も多いだろう。ふつうのビジネスの紛争なら、それはその通りだ。しかし、離婚裁判は違う。
離婚裁判では、尋問の重要性は、その他の裁判よりはるかに高い。それは離婚裁判では、その性質上、決定的な証拠というのはまず出てこないからである。
浮気をした、されたと言っても、相手が愛人とセックスをしているところをビデオに撮るなんてことはまず不可能である。暴力を振るわれたと言っても、実際に後遺症が残るような深刻なものであることもまず稀である。
要するに、証拠もないままお互いの主張するストーリーの説得力を争うことになるのだ。弁護士は脚本家で、あなたは役者なのだ。
これまでに弁護士が書いてきた脚本が、尋問での役者の演技力次第で感動を呼ぶ素晴らしいストーリーになったり、駄作になったりするのだ。
この尋問ではさまざまなテクニックがあるのだが、相手が前もって準備できないように、電子メールのコピーなどを隠しておき、反対尋問でいきなり質問したりすることもある。
「○月 ×日に、あなたは □ △さんと食事に行っていますね?」「行っていません」 そこで待ってましたとばかりに、「それでは、この電子メールはなんですか?」と言って、証拠を見せて、相手を動揺させて、ポロッとこちらに有利な証言を引き出すのだ。
少なくとも裁判官には、この人物は噓つきでいままでの証言はデタラメだという印象を与えることができる。ここで感情豊かな表現をしたり、涙を流したりするのは、どちらかというと女性のほうが得意である。女性はみな生まれながらにして女優なのだ。
それに彼女たちは、婚姻費用で暮らしているので、舞台稽古の時間がたっぷりとある。一方で、ビジネスマンは、毎日の仕事で忙しく、こうした演劇の練習が十分にできない。ここでも、男のビジネスマンは不利なのである。
いよいよ判決の日
さて、尋問が終わると 1カ月程度で、書記官が作った文字起こしが出てくる。
すでに説明したように、ふつうのビジネスの裁判では、尋問はやや形式的なところがあって、それまでの口頭弁論での準備書面の応酬ですでに 7割程度は結論が決まっているのだが、離婚裁判ではそもそも決定的な証拠が双方にほとんどなく、夫婦の水掛け論の繰り返しになるので、尋問は大切である。
離婚裁判では、それまでの準備書面での議論は 5割ぐらいで、おそらく尋問の重要度は 4割程度になる。この尋問の文字起こしが出てきた時点で、裁判の行方の 9割方が決まることになる。最後の 1割であるが、それは最終準備書面である。
これが、お互いに尋問の証言内容に対して、書面で反論し合う最後のチャンスになる。
ここまでで実質的には裁判の全てが決まる。
裁判官は、尋問が終わった時点で、双方の弁護士を呼んで、最終準備書面でどういう反論があるのか話を聞けば、自分が判決を書くのだから、判決がどうなるか当然だがわかる。
それで親切な裁判官は、ここで前もって、判決がどうなるかほとんど教えてくれることになる。こうして最後の和解交渉がはじまる。やはり、裁判官は、判決より和解のほうが楽でいいのだ。
原告(離婚したいと訴えている夫)の敗訴が決まっている場合、夫側の弁護士は「残念ながら、離婚が認められる可能性は極めて低い。だから、もう本当に出せるだけの目いっぱいの金額を旦那から引き出してきなさい。それで奥さんを説得するから」などと裁判官に言われる。こうして夫は全財産を積むことになる。
ここでケチって払わなかったら、これから何年もかけて婚姻費用で取られるだけであり、全財産で離婚してくれるのだったら、そっちのほうが得だということになるからだ。
原告勝訴が決まっている場合は、今度は妻側が「これは離婚が認められる可能性が高いですね。奥さんも、ここで意地を張るよりは、和解して金をもらったほうが得ですよ。新たな人生を歩み出そうじゃありませんか」などと言われる。
このような場合は、夫が支払う金額はかなり減ることになる。ここで和解ができなかったら、いよいよ判決である。判決文は裁判官が法廷で読み上げる。ここで当事者たちが法廷に来ても結果は変わらないのだから、誰も来ない。
裁判官が誰もいない部屋でひとりで読み上げる。
弁護士ぐらい来てもいいものだが、控訴するには判決を知ってから 14日以内にしないといけないというルールがあり、判決をその場で聞くより、郵送で判決文を受け取ったほうが、知るタイミングが遅れるので時間稼ぎができるのだ。
そして、この判決で双方がお互いに納得できなければ、高等裁判所に控訴することになる。
高等裁判所では、すでに述べたように、また一からやり直しというわけではなく、これまで積み上げられた電話帳のような準備書面の数々、そして家庭裁判所での判決文に基づいての続審となる。
しかし、控訴審は、一審の判決文に対する反論を裁判官が読んで、 1回の審理で結審してしまうことが多い。
結審というのは、ボクシングでいえば試合終了の意味で、その後に、第一審の家庭裁判所で行なったような、準備書面での応酬や証人尋問などを行なわないことを意味し、すでにこれまでに提出された書面や一審の判決文に基づき、これから高等裁判所の裁判官が判決(ボクシングでいえば、判定結果の通知)を書くことになるのだ。
だから、最初の判決がなぜ間違っているのかをよっぽど上手く説明できない限り、控訴審は数カ月程度で終わってしまう。
日本は実質的には二審制なので、最高裁に上告しても棄却されるだけで、これでひとまず離婚裁判は終わりである。
婚姻費用の権利を守りぬいた奥さんにはお疲れ様と言いたい。そして、離婚できなかった旦那には、また次にがんばろうと言ってあげたい。こうして第 2ラウンドは、また、家庭裁判所に戻ることになる。
振り出しに戻るのだ。
ちなみに、当然だが、離婚が高裁で認められた(最高裁まで行く場合は最高裁で)場合は、それで終了だ。それで離婚という結論は出たのだから、また、裁判をやり直して、婚姻関係を復活させられることはない。
一方で、離婚を求める裁判は、何度でも起こせる。なぜならば、時間の経過とともに離婚事由は変化しているからだ。
裁判を通して積み上げた別居期間の実績で、実質的な婚姻関係の破綻だと認められるかもしれない。婚姻費用を搾り取られている側は、相手が離婚してくれるまで、離婚裁判をひたすら繰り返していくことになるのだ。
裁判所で認められる5つの離婚原因
そもそも日本の法律ではいかなる場合に離婚が認められるのか? それは民法 770条 1項に書いてある。
民法 770条 1項
- 1 配偶者に不貞な行為があったとき。
- 2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
- 3 配偶者の生死が 3年以上明らかでないとき。
- 4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
- 5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
3と 4は読んで字のごとくそのままの意味である。
5は要するに、性格の不一致など、なんでもありうるという意味であるが、ふつうはこういう包括条項を濫用するのは避けるものである。
それで見慣れない言葉があるのは 1と 2である。1の不貞というのは浮気のことだ。裁判所で浮気といえば、肉体関係、つまりセックスをしたかどうかが全てであり、いわゆるプラトニックな恋愛というのは全く不貞行為に当たらない。浮気か本気かというのもぜんぜん関係ない。問題となるのはセックスの有無だけだ。
さらに裁判所が考える配偶者以外の相手とのセックスの罪にも濃淡があって、継続的にセックスをする相手がいた場合は文句なしに「不貞行為」になる。柔道で言えば「一本」だ。
しかし旦那がソープランドに 1回行ったとか、その程度のものでは離婚の理由となる不貞行為として認められる可能性は低い。柔道で言えば「有効」ぐらいは取れるかもしれないが。
また、一時の迷いで旅先で一夜限りの関係を持ったなどというのは、ソープランドよりは罪が重いだろうが、それが離婚を認めるほどの不貞行為になるかどうかは、男女の別や裁判官の価値観によって意見が割れるところだろう。まあ、「技あり」ぐらいだ。
そして、当たり前だが、不貞行為は密室の中で行われるので、証明するのは言うほど簡単ではない。
ラブホテルに入って行くところの写真や浮気相手との多数の電子メールのコピーがあれば一本を取れるのだが、実際には、そこまで強力な証拠が出てくることはほとんどないだろう。
2の悪意の遺棄のほうは、夫婦は同居して、互いに協力し合わなければいけないのだが、家を出ていき、稼いでいる方なら生活費を渡さず、主婦なら家事も育児もしない、という意味だ。家庭を全く顧みない、というやつである。これも離婚理由になる。
さて、 5の包括条項だが、この中で特に強力な離婚理由になるのは暴力である。後遺症が残るようなひどい暴力、継続的な暴力などは離婚理由になる。これはまた柔道でいえば「一本」だ。
しかし、不貞行為にも罪の濃淡があるように、暴力行為も、夫婦喧嘩したときにちょっと取っ組み合って軽い怪我をした、ビンタされた、ぐらいならせいぜい「有効」だろう。
継続的であったことを証明する複数の診断書や、暴力を止めるように何度も訴えた電子メールなどがあれば、とても有力な証拠となる。
離婚裁判という試合では、裁判官という審判の前で、性格の不一致とか、浮気を疑われる間接的な証拠、軽い怪我の診断書、出て行って長い間帰って来なかったこと、姑との不仲だとかといったことを寄せ集めて、合わせ技で、「有効」や「技あり」を積み重ね、判定勝ちに持ち込むことが目標になる。
しかし、これらの民法で定められる離婚事由は、奇妙なことだが、むしろ離婚しないために使われる。
離婚騒動が裁判まで行って泥沼化するわけは、これまでに解説してきたように、一にも二にも婚姻費用にあるからだ。日本という先進国では、人は人にいっしょに住むことやセックスを強制することは決してできない。
だから、究極的には、金銭の授受がないのなら、結婚しているかどうかは、ただ役所の書類の上だけの話であり、どっちでもいいのである。
ある程度の婚姻費用を受け取っている奥さんは、婚姻期間をなるべく長引かせることこそが目的なので、自らに不貞行為などの非がないことを主張しつつ、相手の不貞行為を攻撃し、それでもなお再び円満な婚姻関係に戻りたいと訴えることになる。
相手の不貞を証明すれば、相手は有責配偶者として認定されてしまい、有責配偶者からの離婚請求は認められにくいので、この状態を維持しておけば、婚姻費用を長期にわたって防衛できるからである。
有責主義から破綻主義へ
幸いなことに、最近の日本の裁判所では、実質的に破綻している夫婦であるならば、片方がどうしても離婚したいと言っているなら、離婚を認めてやろうじゃないか、という方向に進んでいる。これを破綻主義という。
そして、たとえ有責配偶者(離婚の原因を作った方、ふつうは愛人を作った方のこと)からの離婚請求であっても、いくつかの条件を満たせば離婚が認められるようになってきている。
これらのことは結婚という金融商品の価値の評価に影響を与える。
結婚というのはある種の債券の譲渡契約であることを、第 1章で説明したわけだが、その債券の価値、つまり、離婚するときに所得が少ない方(通常は妻である)がもらえる金額は、以下の式で見積もられる。
結婚債券の価値 =離婚成立までの婚姻費用の総額 +離婚時の財産分与額 +慰謝料 ここで「離婚成立までの婚姻費用の総額」という項の価値は、どの程度離婚が認められ易いかで大きく変わってくるのだ。
さて、まずはこうした破綻主義になってきた経緯について解説しよう。
最高裁は、昭和 27年の判決(最判昭 27・ 2・ 19民集 6巻 2号 110頁)で、愛人を作った夫が離婚請求をしていた事件で、「もしかかる請求が是認されるならば、被上告人(妻)は全く俗にいう踏んだり蹴ったりである。法はかくの如き不徳義勝手気儘を許すものではない」として請求を棄却した。
それ以来、有責配偶者からの離婚請求は許されないという判例理論が確立した。有責主義である。
つまり、「離婚成立までの婚姻費用の総額」というのは青天井だったのだ。
しかし、その 35年後の昭和 62年の最高裁(最判昭 62年9月 2日民集 41巻 6号 1423頁)で、別居期間 36年を経た 74歳の夫から 70歳の妻に繰り返しなされていた離婚裁判で、この夫婦の関係は実質的に破綻していて関係の修復の見込みがないとされ、有責配偶者からの離婚請求を認めるという画期的な判決が出たのだ。
この判決以来、いわゆる有責主義から破綻主義への流れが生まれたわけである。
こうした破綻主義により、明らかな離婚理由がなかったり、あるいは有責配偶者からの離婚請求であっても、実質的に破綻している夫婦の場合は、離婚できるようになった。
しかし、誰でも離婚が認められるわけではなく、次のような条件が満たされなければいけないとされた。
- 1.夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及んでいる
- 2.未成熟の子が存在しない
- 3.相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる
等離婚を認容することが著しく社会正義に反すると言えるような特段の事情が認められない 簡単に言うと、別居期間が長くて、未成年の(経済的に自立していない)子がおらず、離婚によって奥さんが生活ができなくなるなどということがなければ、愛人を作った夫からの離婚請求も認められるというわけだ。
この別居期間というのがどれほど必要かというと、これは裁判官によってまちまちなのだが、最初の判例では 30年以上だったのが、どんどん短期化され、 20年、 10年でも認められるようになってきており、最近では 10年以下で認められるケースも出てきた。
つまり、有責配偶者であっても、「離婚成立までの婚姻費用の総額」は 10年分ぐらいになってきており、有責配偶者でない場合は 5年分ぐらいで目処が立つようになったのだ。
しかし、破綻主義に傾いてきたとは言え、それは昭和の時代の判決から少しずつ変わってきているのであり、夫婦の愛情が破綻しているか確かめるための別居期間というのが、 5年、 10年単位だというのは、目まぐるしく変わるビジネスの世界と比べると、まったく別世界の話のように感じられる。
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