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第 2章 真実を聞き出す極意

第 2章 真実を聞き出す極意

服装とあいさつが基本第一印象が大切目的意識をもって臨む質問に対する反応聞き込み先に犯人が隠れていたトイレから分かること目に真剣さが表れているか聞き込みは「デンセンマン」方式でチラシも有効目撃情報にミスリード

服装とあいさつが基本 私は退官後、ある航空会社で働いています。

最近では各空港に単身出向いて、そこで働く社員にロービングを実施することがあります。

ロービングとは「巡回指導」という意味ですが、私の場合、空港で働く社員にコンプライアンス、特に反社会的勢力や悪質クレーマーへの対応についてレクチャーすることです。

レクチャーといっても、一方的な講義形式ですと、どの程度理解してもらえているか判断がつきません。

そこで、どうしても現場で活用してほしい項目に関しては、受講者の中から 1人を指名して、質問に答えてもらうことにしています。

このとき、誰を指名するかで、レクチャーがうまくいくかどうかが決まります。

そして誰を指名するかは、レクチャーが始まる前にあらかじめ決めているのです。

では、私がどの点にポイントを置いて、指名する人を選んでいるか。

それは、私が空港に着いて、あいさつに回った際の、個々の反応や立ち居振る舞いなどです。

私が「おはようございます。

こんにちは」とあいさつします。

そのとき、時間に余裕があるにもかかわらず座ったままで応対する人、私に腰を下ろすことすら勧めない人、上衣があるにもかかわらずワイシャツのまま、また、上衣のボタンも掛けない人……。

こういう人は指名しません。

ちなみに検事は必ず上衣を着てあいさつをします。

きちんとあいさつをする、身だしなみを整える、ということは、社会人として最低限のマナーです。

他人に不快感を与えないための配慮というと、まずは服装と態度でしょう。

お互い同じ会社なんだからそんなこといいじゃないか、という意見もあるでしょう。

しかしそれでは、航空会社が理念として掲げる「一期一会のおもてなし」もかけ声だけに終わってしまいかねません。

身内にきちんと接して初めて、お客様に対しても、おもてなしの心が生まれるはずです。

そう考えるのは、私だけではないでしょう。

みなさんも表情や身だしなみから受ける第一印象で、人物を判断されていることが多いと思います。

一度受けた印象はなかなか変わるものではありません。

ですから、服装と身だしなみには十分気をつけたいものです。

第一印象が大切 服装や身だしなみに気をつけるのは、刑事といえども同じです。

刑事というと、みなさんはテレビドラマなどの印象から、コートやスーツはヨレヨレ、シャツもシワシワ、ネクタイは曲がって、というイメージを抱いているかもしれません。

しかし、現実の刑事は意外にもこざっぱりとした身なりをしています。

私も現役時代は、身だしなみには注意を払っていました。

とくに、聞き込み捜査の際には、身なりに気を配っていました。

事件が発生すると、捜査員は現場の周辺で聞き込みを実施します。

現場から立ち去る者を見た、ホシを知っている、などの有力情報を入手できれば、初動が早くなり、犯人の早期検挙につながるからです。

反面、初動時の聞き込みにおいて、捜査員に技術が不足していたり、また捜査に不手際があったりして、有力情報を入手できないと、犯人の検挙に長い時間を要することもあります。

ふつう、聞き込みの対象者とは、初対面です。

そういう相手には、第一印象が大切。

そこで捜査員は、相手や場所に合わせた服装や言葉づかいをします。

具体的に言うと、たとえば山の手の高級住宅街で聞き込みをする場合は、背広を着てネクタイをきちんと締めます。

言葉づかいも、「奥様は……」「ご子息は……」「事件当時はどちらにいらっしゃいましたか。

そうですか……」「お車は運転される……」など丁寧な口調を心がけます。

一方、庶民的な下町で聞き込みをするときは、ラフな格好の方が好感を持たれます(だからといって、ダボシャツにステテコ、雪駄履きでは、刑事の品格を疑われますので、それなりの身だしなみが必要ですが)。

言葉づかいも、主語を省いて「どこに行ってたの?」「見かけない男に心当たりがないかね?」「元気かい。

○ ○どこにいるの?」などと、ざっくばらんで親しみやすい口調を心がけます。

ただ、高級住宅街と下町のどちらにも共通するのは、最初のあいさつと、最後に協力して頂いたお礼を述べる点です。

ちなみに刑事は聞き込みをする際、カバンを携行しています。

その中には、捜査員の腕章、手帳(メモ)、白手袋、地図帳、傘が必需品として入っています。

なかでも傘は大事です。

雨に濡れて風邪でもひけば仕事になりませんし、相手にうつすと迷惑をかけてしまいます。

ですから一流の刑事は常に傘を持ち歩いています。

刑事の仕事は健康でいることが前提です。

私の経験則で語るなら、刑事の仕事を通して鍛えた体力や精神力をもってすれば、少々の飲酒や睡眠不足で身体を壊すことはありません。

健康を害している刑事を見ると、特別な病気は別として、仕事以外のことに原因があるように思えてなりません。

目的意識をもって臨む 聞き込みは捜査員のコミュニケーション能力が最も試される局面です。

警察手帳を見せれば市民は率先して捜査に協力してくれると思ったら大間違い。

多くの人は警察の者だと名乗っただけで、関わりあいになるのを嫌がって口が重くなってしまいます。

ですから、聞き込みの際には、まさに「聞く力」が必要です。

最近では防犯カメラが普及してきたこともあり、「わざわざ苦労して、話を聞きに回ることもないだろう」という考えも出ています。

たしかに、人間のあやふやな記憶に頼るよりも、防犯カメラをチェックした方が容疑者を特定しやすいという側面もあります。

けれども、人間が全身で異変を察知する能力には科学を超えた超能力のようなものがあります。

防犯カメラはあくまで視覚だけですが、人間の場合、聴覚や嗅覚などの五感や、五感を超えた皮膚感覚のようなもので不審者の存在を感じることができます。

ですから、聞き込みを通して情報を得るというのは、捜査において非常に大事なことなのです。

聞き込みの場合、あらかじめ「どんなことを聞くか」という目的意識をもって臨まないと効果はありません。

漠然と質問していたのでは、捜査に必要な情報を得られないからです。

また、聞き込み対象を選ぶ際の優先順位が狂ってしまうこともあります。

これは、ビジネスにおける交渉と同じです。

交渉によって自社にどんな利益がもたらされるか、その目的を理解していないと、交渉をしても結論が出ないまま延々と先送りとなり、思うような成果が挙がらないことはよくあると思います。

聞き込みの目的(特に事件が起きた直後の初動時)については、だいたい以下の項目が挙げられます。

■ 犯人の人台や不審者を把握する。

■ 犯行前の足どり(前足)や犯行後の逃走経路(後足)を明らかにする。

■ 地取内での検索により凶器や犯人の遺留品等を発見する。

■ 被害者の人間関係や性格、交友、生前の行動、事件前の足取りを入手する。

■ 事件の目撃者や犯人を知っている者など、事件に関係する者を浮上させる。

■ 犯行日時の特定に関する情報を収集する。

質問に対する反応 では、聞き込みの手順について具体的にお話ししましょう。

聞き込みは 2人 1組で行います。

漫才のように役割分担がはっきりあるわけではありませんが、通常、相手に質問をする方が「ツッコミ」役、そのやりとりを補助的に記録するのが「ボケ」役になります。

相手にまず、「こんにちは」などとあいさつします。

続いて警察手帳を取り出し、「捜査一課の久保です。

連れは ○ ○署の × ×刑事です」というぐあいに所属と名前を名乗ります。

このとき、ベテランの捜査員の中には、警察手帳を提示しない者もいます。

警察手帳を見せられると、緊張したり警戒心を抱く人もいるからです。

もっともベテラン刑事の場合、全身から醸し出す雰囲気だけで相手に自分が刑事であることを伝えることができますから、わざわざ警察手帳を取り出すまでもありません。

刑事の顔そのものが「警察手帳」なのです。

このとき捜査員は、相手があいさつに応じた際の言葉やしぐさ、態度などに注目します。

特に顔の動きは見逃しません。

顔を下に向けたときは、質問事項を真剣に考え、そのときの場面を思い出そうとしていることが多いようです。

このとき捜査員は、相手が思い出して口を開いてくれるまでは、気を長くして待つことです。

顔を右や左に振るのは、質問事項を受け入れない、考えようとしないことが多いようです。

このとき捜査員は、質問の趣旨を具体的に説明し続けて、質問に答えてもらえるよう重ねてお願いをします。

なかには顔が上を向く人もいます。

こうした反応はクセではなく、警察と関わりあいになるのを迷惑に思っているか、あるいは警察に対する反発心のような感情が表に現れたものです。

そんな態度に、「失礼だな」と感じることはありますが、相手が持っている情報を引き出すのが第一の目的ですから、いちいち気にしてはいられません。

聞き込みは、刑事の都合ではなく、相手の都合に合わせて行うことが大切です。

こういう場合は、時間をおいて再度訪問すれば、今度は真摯に答えてくれることもあるのです。

ときには、どうして嫌がるのかを知るために、「どうかなさったんですか?」と聞いて、探りを入れることがあります。

するとたいてい、「いや別に……」「何も話すことはない」という答えが返ってきます。

このように、相手が嫌々ながらでも応じたのであれば、次は相手が容易に答えられるような質問、たとえば「庭に咲いている、あの赤くきれいな花は、何という名前ですか」「表札の文字が素晴らしいのですが、どなたが書かれたのですか」といった他愛ない質問をします。

こうして、話が途切れないよう話題を変えたりしながら、「当日事件を目撃しているのではないか」「犯人に心当たりがあるのではないか」など、聞き込みを拒否する理由を頭の中でチェックしていくのです。

【一課長の目 その 8】質問の反応を見る時は、相手の顔の動きに注意する。

聞き込み先に犯人が隠れていた それでも相手が拒否する場合、それも端から拒否する場合は、それ相応の理由があると考えていいでしょう。

実はそのことで苦い思い出があります。

【事件 6――傷害犯の一人息子をかくまった母親】 私が新宿署の捜査係長だった頃のことです。

ある傷害事件の聞き込みで、 1軒の家のインターホンを鳴らしました。

出てきた中年の女性に「警察の者です」と名乗ったのですが、すぐさま「警察? 知りません。

関係ないです」と一方的に切られ、それっきりこちらの呼びかけに応じてくれようとはしなかったのです。

「おかしいな。

何を苛立っているのだろう」と同行の主任に話すと、主任も「警察が嫌いなんでしょう。

失礼な人だ」と言います。

本来ならここで、聞き込み先の家族構成などを調べるべきなのですが、不快感の方が先に立って、そのまま放置しておきました。

それから 1週間後、犯人の身元が目撃情報によって割れ、逮捕するためすぐに現場に向かいました。

その現場が見覚えのある外観――そう、インターホン越しに聞き込みを断られた家だったのです。

犯人はこの家に住む中年女性の一人息子でした。

母親は、帰ってきた息子の着衣に血がついていたので、外でケンカをしてきたのだろうと思ったと言います。

その矢先に警察が来たのですから、このとき彼女は「息子は捕まる」と観念したようです。

けれども警察が案外すんなり帰って行ったのでほっとしたのでした。

このように、聞き込み先に犯人が匿われていることは、よくあります。

そのとき私は腰を据えて聞き込みをしなかったことをおおいに反省しました。

トイレから分かること あいさつが終わったら、次は世間話です。

「暑いですね」「寒いですね」「雨で……」など天気の話題から始まり、「お宅の外壁はきれいですね。

いつ建てられたのですか」といった住居に関することや、「お宅のワンちゃんは可愛いですね。

ウチも柴犬を飼っていまして……」といったペットに関することなど当たり障りのない話題を相手に振ります。

政治や宗教の話題がタブーなのは、世間一般の会話と同じです。

こうしてやりとりをする間も、目は相手の動作に注意を払います。

何かクセのようなものがあれば、頭の中にインプットしておきます。

ただ、注意を払うといっても、相手のことを頭のてっぺんから足のつま先までジロジロ見れば、警戒心を抱かれてしまいます。

初対面では、相手に良い印象を持ってもらうことが大事です。

そうしないと、次に聞き込みに訪れた際、本音を引き出すことができないからです。

また初対面の相手の場合、同じ質問を 2回せず、 1回で終え、早々に引き上げることも大事です。

ただ、軒先や玄関先のような場所で立ち話をするのではなく、できるだけ屋内に入れてもらい、落ち着いて会話ができるようにします。

「軒先から母屋へ」が聞き込みの鉄則です。

時には、必要もないのにトイレを借りることもあります。

トイレや台所(特に冷蔵庫内)など通常他人の目に見えないところは、その家庭の生活感が滲んでいます。

こうした場所をきれいにしているということは、全体的にきちんとした家庭であるため、住人の発言を信用していいという判断材料にするわけです。

【一課長の目 その 9】トイレがきれいだったら、住人の発言を信用していい。

目に真剣さが表れているか 聞き込みで、相手の答えが曖昧だった箇所については、おいとまする際に、後日改めて伺う旨を伝えます。

「宿題」をお願いするのです。

このとき、相手の真剣さを知るために目の動きをチェックします。

たとえば、「帰宅途中で不審な人物に遭遇した」という情報を聞き込んだとします。

不審者とは、具体的には、定時通行者(ふだん見かける人)でない者、定時通行者であっても犯罪の痕跡――着衣に血痕がある、刃物による傷痕がある、声をあげていた、足早であったなど、その行動がふだんと異なる点――がある者のことです。

私「見かけない人を目にした時間を覚えていますか」 目撃者「時計では確認しませんでした。

しかし、会社のタイムレコーダーで退社時間が分かります」 私「それでは、明日会社のタイムレコーダーの時間を教えて下さい」 目撃者「分かりました」 このように、二度三度と回を重ねながら、犯人や被害者の情報をくわしく聞き出していくのです。

この「分かりました」と言った時の目の真剣さから、相手が信用に値するかどうかを確認します。

中には、次回の約束をする時、視点が定まらない人もいます。

そのような人の場合、一緒に会社に出向いてタイムレコーダーの時間を確認する必要があります。

目撃時間が重要な場合には、そのタイムレコーダーの時刻に誤差があるかどうかを確認することも大切です。

【一課長の目 その 10】「相手の目の真剣さ」に注意。

聞き込みは「デンセンマン」方式で 聞き込み先については、地取り区域内を「点、線、面」の 3点から優先順位をつけて当たっていきます。

■「点」ホシ、目撃者、被害者の友人・知人、被害者の生前の生活実態を知っている者、街の広報マンやニュースが集まる場所・人(町会長・理容院・美容室・酒屋・スナック・コンビニエンスストア・スーパー・新聞販売店・ガソリンスタンド等)、交通機関、警察の外郭団体など。

■「線」:犯人の「前足」「後足」や車利用犯人の行動経路前足:犯人が事前に被害者の行動を監視する場合、どの場所で行うか。

後足:犯人は逃走の際、徒歩だったのか、車を使ったのか、公共交通手段だったのかを、目撃者の証言や防犯カメラの分析によって特定する。

放火事件は、特に線の捜査で目撃者の確保を図る。

■「面」:「点」「線」以外のところ公園や施設等、敷地の広い所、裏通りや目立たない集合住宅、裏路地の奥まった家など。

これは落としがちです。

地取り捜査は犯人を割り出す、浮上させることを目的に行うので、担当者は、「線」 →「点」 →「面」の順に聞き込みを行うのではなく、可能性のある「点」「線」「面」の聞き込みを同時並行で行います。

このやり方を、名字に「神」の字があることから「神の姓を持つ」と自称していた捜一の U先輩は、その昔流行ったテレビのお笑い番組のキャラクターに因んで「デンセンマン」方式と呼んでいます。

たとえば、被害者に抵抗のあとがないような「濃鑑」の強い事件の場合、被害者の交友関係を浮き彫りにすることが最優先事項となります。

そこで、地取り担当者は割り当てられた地取り内で、被害者が出入りしている店や業者、親しくしている人物、被害者を知っている人物から聞き込みを開始します。

これが「点」の聞き込みです。

また、連続放火事件のような場合は、最寄り駅などから放火現場に向かう道順に着目して、犯行時刻前後に近隣に不審者がいなかったか、その目撃者探しのために「線」の捜査を優先します。

ちなみに、連続放火には次の3つのパターンがあります。

① 同じ通りに沿って放火する ② 円形内に放火する ③ 駅やバス停といった公共交通機関のある場所の周辺で放火する このうち、 ①はその通りの先に犯人が住んでいることが多く、 ②は円の真ん中に犯人が住んでいることが多くあります。

また ③の場合、その駅やバス停付近に犯人の出入りしている店が存在することがよくあります。

容疑者を絞っていく時、このことを念頭において捜査するのです。

さて、残る「面」の聞き込みについてですが、公共交通機関が終了した深夜に、犯人もしくは不審者が逃げ込んだ地域があれば、その地域を「面」として、その中の建物をしらみつぶしに聞き込みをして、犯人宅や隠れ家を浮上させるのです。

この項の最後に地取り捜査を行う際に留意すべき点を、以下に挙げておきましょう。

■ 次に訪れる家の実情を、あらかじめ隣の家で聞いておく。

■ 地域の中の広報マンを探す。

■ 町会で被害者と接点を持つ者は誰かを明らかにしておく。

■ 真の協力者を得る。

チラシも有効 こうした聞き込みで重要なのは、通り一遍のやり方で終わらせてはならないということです。

相手が協力してくれなかったり、よく思い出してくれなかったからといって、「はい、そうですか。

ではもう結構です」ではいけないのです。

相手の記憶を引き出すためにも、何度も足を運んで、繰り返し、繰り返し聞かなければなりません。

単なる御用聞きではいけないのです。

人々の記憶を引き出したり、事件について気に留めておいてもらうためにチラシを配布することもあります。

このチラシは A 4判で横書き。

そこに「 ○ ○事件発生、情報を求めています」と赤字で見出しを掲げ、事件の発生場所や概要、遺留品・被害品等やお願い事項、連絡先の捜査本部の電話番号を記載します。

チラシには 2通りの作成方法があります。

事件の発生を知らせて住民の関心を得たいのであれば簡潔に作成しますし、遺留品や被害品を解明したいのであれば、それらを詳細に記載します。

目的によって作成方法に違いがあるのは、企業のチラシと同じです。

聞き込みの際にチラシを渡せば、家族で夕食の時などに事件の話が持ち上がり、「そういえば……」と事件に関する記憶を呼び覚ましてくれる人も出てきます。

中には、チラシに記載の連絡先に電話をかけて情報提供をしてくれる方もいるのです。

古くさい手法ですが、このように有効でもあるのです。

目撃情報にミスリード それほど聞き込み情報というのは大事なものですが、その一方で、人の記憶ほどアテにならないものもありません。

相手に記憶違いや思い込みがあったりすると、誤った情報に振り回されることもあります。

また、聞き込みをした相手に問題があると、捜査が大きくミスリードされるので要注意です。

【事件 7――女性強盗殺人事件】 私が鑑識課理事官から捜査第一課理事官に異動になった頃のことです。

下町と称される地域で、ある年の7月初旬に、母と子 4人家族の長女A子さん( 22歳)が、一軒家の自宅 2階で亡くなっているのが、妹さんによって発見されました。

直接の死因は鼻口部閉塞又は頸部圧迫による窒息死。

A子さんは顔面、両手掌部を切りつけられ、電気コード等で両腕を後ろ手に緊縛、さらにパンティストッキングで鼻口部及び頸部を締めつけられていました。

家族によると、A子さんの財布が失くなっており、それには現金約 2万円とキャッシュカードなどが 3枚入っていたと言います。

おそらく犯人が奪い取ったのでしょう。

鑑識が現場を観察した結果、和室の掘ごたつの上に置いてあった、絵はがきケースの表面に、血のついた指紋を発見しました。

この絵はがきケースは、A子さんがアルバイト先の研修旅行に参加した際、現地の美術館で買ったものでした。

事件の前の晩、A子さんと彼女の母親は、この絵葉書を話題にお茶を飲んだと言います。

母と娘の最後の時間でした。

絵葉書ケースについていた血液は、 DNA鑑定でA子さんのものであることが認められました。

また、そこについていた指紋は、その付着状況からして犯人の遺留指紋として認められました。

これを過去の犯罪者の指紋と照合したのですが、該当者はいません。

つまり前歴者の犯行ではないということです。

そこで捜査本部は、被害者の友人・知人のみならず、地取りにおいても協力を願い、指紋の採取を強力に推進しました。

しかし、なかなか該当者が見つからず、事件解決の糸口が見いだせぬまま、事件発生から半年、 1年、と時が過ぎていきました。

折から長期にわたって捜査が続けられている事件の見直しが、特命捜査として行われることになりました。

そして、その対象となる事件には、A子さんの事件も含まれていました。

そこで、この事件の遺留指紋について、鑑識課で再度検討が行われた際に、「指紋が似ている者がいる」という話が持ち上がったのです。

指紋は特徴点が 12点以上合致しなければ、その者の指紋であるとは言えません(これは国によって異なります)。

1点でも足りなければ、該当者ではないわけです。

そこで、私はこの事件の捜査を、私の運転担当に下命しました。

すると、意外なことが分かったのです。

似ている指紋は、A子さん宅の近所に住む Xという 60歳の男から採取されたものですが、故意に指先のみを押捺したものだったのです。

それでは、面積が小さすぎて特徴点が取れません。

特徴点がすべて一致するかどうかを調べるためには、鮮明な十指を押捺する必要があるのです。

そのため「該当者なし」ということになったわけです。

なぜ指先のみの指紋採取でよしとしたのでしょうか。

それは、犯人を目撃したという人の証言によって、 Xが犯人の特徴(特に身長)を備えていなかったからです。

目撃者は、現場から道路を 1本隔てた一軒家に住んでいる B子さん( 80歳)でした。

聞き込みの際に B子さんは、こう話していました。

「A子さん宅の前を通りかかったところ、中から 1人の男が出てきた。

誰だろうと後ろ姿を見ると、A子さん宅の門扉を出て右に歩いて行った。

年齢は 30〜 50歳くらいで、身長 165 ~ 170センチ、髪はボサボサだった」 B子さんは質問にためらうことなく答え、目撃再現(目撃した時間や場所などに関する目撃者の説明)にも不審な点がなかったので、捜査指揮官は彼女の供述を信用し、犯人の身長を 165 ~ 170センチと特定しました。

Xの身長は 145センチですから、この範疇に入りません。

よって協力者指紋採取の対象外であると、地取捜査員は判断したのです。

ここに落とし穴がありました。

B子さんが目撃したのは視界の良い昼間でした。

もし目撃したのが夜間だったら、犯人の身長については、もっと幅を持たせていたはずです。

また、後で B子さんが精神の病気で通院治療していたということも分かりました。

だから「目撃談も信用できない」というわけではありませんが、高齢でかつそういう病気にかかっている場合、記憶の正確な再現ということになると、どうしても疑問符をつけざるをえません。

聞き込みを行う場合、あらかじめ目撃者の病歴や生活態度なども把握しておかないと、こういうことが起きてしまうわけです。

鑑識課での結果を踏まえて、 Xに再度話を聞くことになりました。

Xは、現場からわずか 250メートルのところに工場兼自宅を有していました。

Xは当初から聞き込みの対象でもあったのですが、その際「事件当日は外出せず、一日中家の中にいた」とアリバイを主張していました。

また「事件の 2、 3日前にバイクで転倒し、ケガをしていた。

そのことは ○ ○交番に届け出ている」と供述をしていたのです。

しかし、交番に確認したところ、その事実はありませんでした。

身体検査許可状をとって Xの指紋を採取した結果、遺留指紋と、特徴点がすべて照合しました。

こうして犯人は、事件発生から 1年 6か月後にようやく逮捕されたのです。

Xが、宅配便の配達員を装ってA子さん宅に侵入したことは、下駄箱に置いてあった印鑑入れの印鑑が、玄関の三和土に落ちていたことから明らかでした。

1階居間で朝食を終えたA子さんはこれに応対しようと出たところ Xに刃物で切りつけられたのです。

2階まで逃げるA子さんを Xは追いかけて切りつけ、さらにひもで縛ってとどめを刺したのです。

前途ある若い女性の命を奪った、実に酷い犯行です。

そもそもは、犯人の身長を 165センチ以上と特定し、それ以下は捜査対象者から外し、採取した指紋の印象状況も確認しなかった、そのことが犯人逮捕の遅れにつながったわけです。

反省すべき点の多い事件だったと言えます。

【一課長の目 その 11】目撃者の病歴や生活態度をきちんと把握する。

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