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第 2章 初対面でも簡単に本音が見抜けるテクニック ~人は見た目でこんなにわかる外見からその人の本音を見抜くコツがある

◆決まって同じ髪型の人は仕事ができる ◆スーツやネクタイでわかる男の性格とは? ◆〝ひもつきの靴〟を好む人は成熟度が高い ◆〝鞄の硬さ〟で相手の本音が見えてくる ◆メガネで見抜ける! その人の深層心理 ◆携帯の〝着信音〟でも相手の性格は見抜ける ◆大型犬と小型犬、飼い主の違いとは? ◆前向きで立ち直りも早い〝猫愛好家〟 ◆習い事や資格好きは、レベルアップする自分を見るのが好き ◆酒の席でわかるその人の本性とは? ◆〝通〟を気取る人、〝鍋奉行〟の意外な資質とは?

決まって同じ髪型の人は仕事ができる 若者たちを見ると、そのときの流行がわかるというが、そのなかでも髪型は、まさにその典型である。

各メディアでタレントの髪型が伝えられると、流行に敏感な若者たちがそれを真似する。

まわりのほとんどがそれを真似しているのだから、流行に乗り遅れたくないと、たいていの人は同じようになるわけだ。

十代の頃は、それがまた楽しい時期でもある。

目くじらを立てて言うほどのことではないが、社会人になっても相変わらず真似しているとなると、そこにはその人の本音が見え隠れする。

つまり、このような人たちは、自分自身のアイデンティティが確立されていない人間、いわゆる幼児性が抜け切れていない人といえる。

こういう心の働きを心理学では〈投影〉というが、自分がなりたい人の髪型を真似することで、その人のようになりたい欲求を満足させているのだ。

最近では、女性では石原さとみさん、男性ではジャニーズのグループ・嵐のメンバーなどが、彼らから真似される筆頭になるのだろうか。

逆に流行に関係なく、自分の髪型、スタイルを守っている人はそのようなことはしない。

男性だったならば、いくら長髪が流行ったとしても短い髪型のままずっと通している。

そのほうが自分のキャラクターを相手に印象づけるのに都合がいいこともわかっているのである。

もちろんこういう人は仕事ができる。

自分のスタイルというものを持っているから、仕事でも自分のスタイルを守って、実力を発揮できるからだ。

ただ髪型を変えないといっても、不精で何もしない、あるいは流行に無頓着なためにその気にならない人はその範疇には入らないので注意してほしい。

そのような人は見ればすぐわかる。

髪の手入れなどはほとんどしないので、ボサッとした髪型になっているはずだ。

女性に限っていえば、お化粧やファッションなどにもそれは見て取れる。

男性の場合、お化粧はしないだろうし、ファッションもさすがに社会人になればタレントの真似をする人は少ないかもしれない。

女性は流行に敏感なので、ある程度の年齢になるまでは、そっくり真似している人も多い。

とくに髪型やお化粧には敏感に反映されるようだ。

さすがに年配者になると、それほど大きな差はなくなってくるが、髪型を含めたファッション全体を見て、自分の個性を大事にしている人は、仕事でもきちんと自分の個性を発揮できる人といえるだろう。

スーツやネクタイでわかる男の性格とは? 前項でもお話した「流行」を真似るのは圧倒的に若い人たちだが、社会人になると気にならなくなるかといえば、そうとは限らない。

とくに男性の場合、タレントと同じ格好をしようとは思わないが、それ以外の流行ならば一応取り入れる。

そういう人は意外に多いかもしれない。

例えば、社会人の基本であるスーツだ。

それほど極端ではないが、スーツにもその時代によって流行はある。

ゆったりめに作ってあったり、ウエストのところを絞り気味に作ってあったり。

あるいは襟の幅や大きさにしても時代によって変化があるし、ある特定のブランドが流行することもある。

最近は、細みのスーツが流行しているらしい。

当然、彼らは流行しているスーツがあれば、自分もそれを着て通勤する。

そうすることで仲間意識が生まれ、自分だけが取り残される不安を消しているのだ。

そういう人を〈〝同調性〟の強い人〉という。

逆に流行に関係なく、自分の好きなスーツを時代に関係なく着ている人は、束縛を嫌い、自分自身を表現することを好む。

なかには上着はジャケットを着て、ズボンはそれに合わせたものをはいている人もいる。

このような人は、基本的に上下とも揃ったスーツを着ているサラリーマンとは違い、自分の個性を大切にする。

彼らのような人は自分に自信がある人で、仕事もできる実力派であることが多い。

スーツの色についても同じことがいえる。

外国の方から非難を受ける濃いグレー色のスーツ。

〝どぶねずみ色〟などと揶揄されることもあるが、まだまだ日本のサラリーマンの圧倒的多数は紺やこの色を着ている。

最近の若者は黒も多いようだ。

彼らはこの色を着ていると安心するのだろう。

この色を好む人も同調性の強い人間である。

できるだけ多数派にいたい欲求が強く、孤立するのを嫌う傾向がある。

一方、茶色系統のスーツを好む人はお金にこだわりの強い人と言われている。

茶色とお金が深層心理でお互いに結びついていると考えられるからだ。

◉ネクタイ嫌いな人は、自由指向が強い つぎにネクタイを見てみよう。

まずはネクタイをするのが好きか嫌いかだ。

もちろん好き嫌いに関わらず、仕事で強制的にしなければいけない場合は、判断基準にはならない。

しかしそれでも嫌々ネクタイをしている人とそうでない人との差はある。

それは自由指向が強いか、そうでないかだ。

ネクタイを締めるということは、それだけ束縛されることにつながるので、自由を大事にする人はネクタイを締めない人が多くなる。

だいたいネクタイを締めない職業の人は自由指向が強いし、それを求めて仕事を決めているといってもいいだろう。

服装に規制のない会社で、ほとんどの人がネクタイを締めているのに、ごく一部の人だけがネクタイを締めていない場合。

そのような人たちは自分の能力に自信を持っていて、それを表わすためにわざとネクタイを締めないケースもある。

こういう人は実力は外見とは無関係であると思っていて、それを表現するために敢えてネクタイを締めていないのである。

しかしなかには現実逃避型の人もいる。

仕事や会社が嫌で、そこから逃げたい気持ちが強く、その反抗の気持ちがネクタイを締めない行為につながっている場合だ。

本人にしてみればそれが精一杯の抵抗なのかもしれない。

さらに柄で見てみると、斜めのストライプ柄を好んでしている人はオーソドックスなタイプで同調性が強く、無難に何でもひと通りはこなすが斬新な発想でまわりをびっくりさせることはない。

逆に派手めの柄を好む人は、いつも同じことをしているのに耐えられず、新しいことを求めて行動する。

そのためまわりを驚かせる場合もあるが、新しいものに目移りばかりしているので、中身が伴わない人もいる。

水玉柄を好む人は、自信に満ち溢れている人だ。

実力も備わっていて、行動力もあるが、その割には派手めの柄を好む人よりは穏やかな人が多い。

もともと彼らには人気者になりたい欲求があり、とくに女性にモテたいために女性の話をよく聞いてあげるのが特徴である。

〝ひもつきの靴〟を好む人は成熟度が高い 初対面で人の本音を見抜く方法として、相手の持ち物をチェックするのも有効である。

なぜならそこに、その人のこだわりが強く出ているからだ。

初めに、足元に注目したい。

ビジネスパーソンならきちんとした靴を履いているはずだが、最近では I T企業を中心に、スニーカーやサンダル履きもあるらしい。

しかし、ほとんどの人は現在でも革靴を履いているはずだ。

ではその靴のどこに目を向けるか。

それはひもがついているかどうかである。

とくにビジネスパーソンが履く靴の場合、だいたいがひもなしタイプか、ひもありタイプかに分けられると思う。

その違いを見てみよう。

まずひもなしタイプの場合。

このタイプは何事にも結果を早く出したい、せっかちな人が多い。

どちらかといえば、面倒くさいのが嫌いで、細かい仕事などはあまりやりたがらない。

ただ物事を合理的に考えるのは得意なので、その特性を活かす方向で仕事をすればいい結果を得ることができる。

つぎにひもありタイプの場合。

こちらは社会人として成熟していて、目先だけに捕らわれず、常に将来を見据えて物事を考えられる人だ。

細かいことも嫌がらずにやり、手を抜くこともない。

ビジネスパーソンとして考えた場合は、ひもありタイプが適しているが、あまり細かいことに汲々とするのも善し悪しなので、要はバランスよく、それぞれのタイプの一長一短を活かしていくのがいいだろう。

靴はあまり人目につかないので、洋服や髪型、ネクタイなどと較べて手を抜かれることが多い。

一見、颯爽とした格好で風を切って歩いている紳士の足元を見ると靴が汚れていたり、貧弱なヨレヨレの靴を履いていたりすることがある。

このような人の場合は、見栄えのいいところには注意を払うが、どこかにスキができやすいタイプだ。

その点、靴にも手を抜かず、手入れを怠らない人はスキのない人といえる。

スーツやネクタイと同様、靴にも目を配り、そのときどきで履く靴を変えるなど、すべてにスキを見せない。

靴のかかとの減り具合でも、その人がわかる。

体重をどちらにかけるかで減り具合も違ってくるが、かかとの外側のほうが減っている人は隠し事が苦手なタイプ。

逆に内側が減る人は自分のことは人に話したがらないタイプだ。

だいたいがどちらかに偏るものだが、かかとの減り方が外側、内側とも均等の人は人間的にも成熟している人が多い。

仕事ももちろんできるタイプで、性格的にもバランスが取れている。

〝鞄の硬さ〟で相手の本音が見えてくる 鞄といってもそれこそ無数にあるが、ここではビジネスパーソンが手にしている鞄について見てみよう。

すると意外に種類が多くはないことがわかる。

プライベートとは違い、仕事で使うものだから仕事用の鞄であることが相手にわからないといけない。

そのためいくつかの種類に限定されてしまうのかもしれない。

若手会社員がスーツの上にデイパックやバックパックを背負って通勤している姿をよく見かけるが、これなどは時代の流れではあるが、仕事で使う鞄には見えない場合もある。

通常、ビジネスではどのような鞄が使われるのか。

個人的なこだわりは別にして、大きく分けるとつぎの二種類に分けられる。

一つが硬い鞄で、もう一つが柔らかい鞄だ。

まず硬い鞄。

このような鞄を持ち歩いている人はどのような人か。

その多くは人によく会う仕事をしている人だ。

その理由は硬い鞄を持っていることで自分が固い人間であること、つまり堅実な人間であることをアピールしたいのだ。

職業でいえば、金融関係や公務員、税理士や弁護士などがそれに当たるだろうか。

そのどれも信用を売りにしているはずだ。

イメージ的にも硬い職業といっていいだろう。

そのため鞄もそういうイメージを与えるために硬く、色もだいたいが黒かこげ茶、デザインも画一化されたものがほとんどだ。

こういう鞄を持っている人は、堅実さを前面に出したいので、個性的なものよりは一般的であっても硬いイメージの鞄を持つのである。

逆に柔らかい鞄。

こちらのほうは固定観念を嫌い、自由な発想で仕事をしたいタイプの人が持つことが多いので、先ほどとは正反対のイメージだ。

職業も一人でする仕事、例えば自由業の人やマスコミ関係、デザイン関係、エンジニアなどで、常識や既成の概念に捕らわれないで仕事をしなければいけない人が柔らかい鞄を持つことが多い。

その種類もデザインも硬い鞄よりは圧倒的に豊富なので、自分に合ったものを選べるし、それを持つことで自分の気持ちを高める役割も果たしている。

◉鞄は好印象を与える最高の道具 鞄の種類とは別に、鞄をどこに持っていくかがポイントになることもある。

例えば、会議の席に手ぶらでいく人は印象が悪くなるので、特別に持っていくものがない場合でもせめて小さめの鞄に資料やノートぐらいは持っていきたいものだ。

人は第一印象でかなりの先入観を持つものだ。

多少、オーバーな演出でも相手の印象を良くしたい。

その意味からいっても、取引先との打ち合わせには鞄は持っていくべきである。

たとえ手帳一冊あれば足りるときでも、中身がぎっしり入っていそうな鞄を持っていこう。

中は空でも構わない。

ただ鞄を開けるときは見られないようにしてほしい。

そうするだけでも相手の印象はだいぶ違ってくる。

それだけ真剣に臨んでいると思ってくれるのだ。

しかし逆に鞄を持っていかないほうがいい場合もある。

いや持っていく場合でも、軽くしてさりげなく持っていくといったほうがいいだろうか。

それは仕事相手から宴席に誘われたときだ。

この場合は、あまり重い鞄は持っていかないほうがいい。

なぜなら重い鞄を持っていくと印象が堅苦しくなり、この宴席を設けたために仕事が終わらなかったのかもしれないと気を遣わせてしまうからだ。

そうならないためにも、もし鞄を持っていくならば軽くしていくこと。

可能ならば、手ぶらでいったほうがいい。

できるだけ仕事を印象づけるものを持っていかないようにすることだ。

鞄一つでも、相手に与える印象は大きく変わる。

そして相手の本音も見抜けるのだ。

メガネで見抜ける! その人の深層心理 今ではビジネスパーソンの必需品ともなっているメガネ。

最近は視力の矯正だけに留まらず、男女ともに自分の個性を主張するアイテムとしての利用価値が高くなっている。

ひと昔前ならば、メガネを嫌ってコンタクトレンズをつけている人が多かったようだが、現在はファッションツールとしてもさまざまなものが市販されている。

当然、そこには「他者を意識したその人の深層心理が隠されている」。

その点に注目し観察することで、相手の考え方や性格などを素早く見抜くことができるかもしれない。

じつは、ひと口にメガネと言っても、多種多様な新種が出現している。

最近また流行しつつある太くて黒い縁のメガネから、逆に細く繊細なイメージのメガネ。

形も四角いものもあれば丸いものもある。

また、最近ではサングラスをかけている人の割合も多い。

芸能人などはメガネがトレードマークになっていて、強烈な個性を演出する道具としても認知されているが、一般の方も、同じものを掛けていたりする。

ここでは紙面の関係上、代表的な種類のメガネをかけている人の「隠された心理」をあなただけにお知らせすることにする。

*太くて黒い縁取りのメガネをかけている人 以前ならば、まさに真面目を絵にかいたようなメガネの代表として知られていたメガネだ。

しかし、今では昔とは違ったイメージもあるようだ。

黒に限らないが、縁の太いメガネをかけている人は、自分自身を大きく変えたい欲求が強い人の可能性が高い。

とくに、若い人の場合、太い縁のメガネをかけているのは、じつは自己顕示欲が旺盛な人のようだ。

しかし、その反面、素顔の「本当の自分」に自信がない人とも言えるだろう。

もともと、メガネや帽子などのアイテムは自分の素顔を隠すツールとして利用されてきた。

いわゆる、「自分を守る仮面」のような意味合いになるだろうか。

自分の素のままを見せるのが嫌な場合。

例えば、「強い不安がある」「自信がない」 ときなども当てはまる。

つまり、強い個性を発揮する太くて黒い縁取りのメガネをかけている人は自分の素顔を見せたくない、まったく違う自分を演出したい気持ちが強い人と言えるだろう。

*縁がないメガネ、フレームが細いメガネをかけている人 逆に、あまり強い個性を発揮しない「縁がないメガネ」や「フレームが細いメガネ」をかけている人は、保守的な性格が強い人かもしれない。

心の奥底には自分を演出したい欲求はあるのだが、大胆にイメージを変えることに抵抗がある。

そのため、印象が大きく変わらないメガネとして「縁がないメガネ」や「フレームが細いメガネ」を選ぶことが多いようだ。

*メタルフレームのメガネをかけている人 このタイプのメガネをかけている人は、相手に知的なイメージを与える。

一見、クールな印象だが、意外に「内に秘めた情熱は熱い」ものがあるようだ。

本人はそれほど自覚をしていないかもしれないが、「情熱とクールさが同居している」ために、ときにまわりを驚かすような行動をとることがあるだろう。

◉ファッションとしてサングラスをかけている人は本心を知られたくない 最近ではサングラスをかけている人は珍しくないが、それでも外出時だけでなく、常時、サングラスをかけている人は自分の「本心」や「素顔」を他人に知られたくない人が多い。

本人はファッションとしてかけているつもりでも、そこには他人の目を強く意識しているという「自意識過剰」な潜在意識が隠されている。

すべての人がそうとは言えないけれども、素顔は意外にも気の小さな人や繊細な人も多く、じつはやさしい性格の人もいる。

人は見た目の印象とは異なった内面が潜んでいるのだ、と覚えておくのも参考になるかもしれない。

携帯の〝着信音〟でも相手の性格は見抜ける 携帯電話をほとんどの人が持つようになった今、どうしても気になるのが着信音だ。

携帯電話を買うと、メーカーで設定された着信音が入っているが、自分の好きな曲をダウンロードして、着メロとして使っている人も結構多い。

もちろんそれは本人の自由だから構わないが、公共の場所や大勢の人が利用する場所だと困ることがある。

例えば、仕事中の社内で突然、大音量で着信音が鳴れば迷惑この上ないし、電車の中でマナーモードにしないまま着信音を鳴らす輩がまだまだ大勢いる。

なかには病院内で当たり前のように電話をしている恐ろしい人もいるくらいだ。

今は電子機器が使われている場所では誤作動を起こす危険性があるので、そのような場所では禁止されているが、それ以外の場所でもまわりに迷惑をかけるようなところでは、常識で考えてもマナーモードにするのが普通だろう。

では、平気で自分の好きな着信音や着メロを大きな音で鳴らす人とは、どのような人なのか。

これはまわりに気配りができない幼稚な人、あるいは我が強く、自己中心的な人といえる。

最近の携帯電話には、いろいろな機能がついていて、マナーモードはもちろんのこと、バイブレーター機能もあるので、敢えて着信音や着メロを鳴らさなくても充分に使いこなすことができる。

例えば、電話に出なくても着信履歴で相手の電話番号がわかるし、アドレス帳に登録さえしておけば相手が誰かもすぐわかる。

用事が終わった後に液晶画面をのぞけばそれで用は足りる。

それにも関わらず、自分が好きだからといってスイッチを切らずに着信音や着メロを大きな音で流す人は周囲から信頼を得るのは難しいだろう。

社会人になってだいぶ経つのに、大きな着信音や着メロを鳴らし、それに出た後も我が物顔で大声で話している人を時折り見かけるが、こういう人はまわりよりも自分のことを優先させる自信家であることが多い。

もし、このようなタイプと一緒に仕事をする場合には、そこをうまく押さえてくすぐってあげれば意外にうまくいくものだ。

◉静かな着信音は、「携帯が嫌い」 では逆に、着信音や着メロに地味でおとなしいものを選んで使っている人は、どうだろうか。

今ではさまざまなジャンルからダウンロードできるから、にぎやかな曲はもちろんのこと、静かでうるさくない曲、あるいはメロディなどを着信音や着メロにすることができる。

そのため実に多くの音があちらこちらで鳴り響くことになる。

そのなかから地味であまりうるさく感じない着信音や着メロを使っている人は、電話がかかってきたときに驚きたくない人、あるいはドキッとするのを好まない人だ。

以前に電話がかかってきたときに悪い思い出があったとか、電話自体にあまり振り回されたくない意識が強い人などは、穏やかな着信音や着メロを好むようである。

そのような人には、些細なことで頻繁に電話をするのは避けたほうがよさそうだ。

大多数の人が携帯電話を持っている時代、わざとそれを持たない人も少しではあるがいる。

そのような人の場合はどうか。

第一の理由は、自分の時間を邪魔されたくないからだ。

固定電話と違い、携帯電話はどこでもかかってくる。

そのため自分のペースを乱されることも多く、それを嫌う人は持たない。

第二の理由は、仕事とプライベートをきちんと分けたいためだ。

平日の昼間は仕事だから仕方がないとして、自宅に戻った夜とか、休日にまで電話をされたくない人は持たないようにしている。

あるいは仕事用は持っていても、プライベートには使わない場合もあるだろう。

だいたいこの二つの理由が考えられるので、覚えておくといい。

もちろん携帯メールの字が小さくて読めないから持たない、使い方がわからないので持ちたくても持てないご高齢の方などはそこから除こう。

大型犬と小型犬、飼い主の違いとは? その人の趣味から、どのような本音が読めるか考えてみたい。

趣味にもいろいろあるが、最初はペットを見てみよう。

するとそこにはその人の願望が隠されているので面白い。

何といってもその代表格は犬だ。

その人が住んでいる環境、いわゆる住宅事情によっても変わるが、何を飼うかでその人の心が読めるのだ。

まずは大型犬を飼っている人と小型犬を飼っている人に分けて考えてみる。

犬にも流行があり、どの犬を飼うかはそれに左右されることもあるが、そこには飼い主の気持ちが多分に入っているといっていい。

大型犬が好きで飼っている人。

この場合はペットを友だち感覚で捉えている人だ。

自分の兄弟のようにつき合い、犬を支配するというよりは一緒になって、何かをする気持ちが強い。

大型犬は当然、力も強い。

散歩も小型犬と違って大変だ。

何度も強い力で引っ張られて往生することもあるだろう。

でも飼い主はそれが楽しいのだ。

大型犬は小型犬と違い、一緒にいると安心感があるので、その感覚が好きで飼う人もいる。

気性の荒い犬は別にして、人気のあるラブラドール・レトリバーやゴールデン・レトリバーなどは落ち着きがあって賢い犬なので、友だちのようにつき合えるはずだ。

気性の荒い犬をきちんとコントロールできないのに、何匹も飼っている人がたまにいるが、この場合は自分の力を誇示したいだけの人だ。

強いものを手に入れて、それを自分は支配しているのだと見せびらかしたい欲求のために犬を飼っている。

性格的にも横暴で、未熟な人といえるだろう。

一方、小型犬が好きで飼っている人は、友だち感覚というよりは子ども感覚といったほうがいいだろうか。

とにかく可愛がりたい、抱きしめたい欲求がとても強い人だ。

そして何よりも自分を裏切らない、自分の言うことを聞いてくれる、自分の自由になる存在を犬に求めているのである。

現実では人に裏切られ、ウソをつかれている自分が、そこにはいるに違いない。

よく考えてみれば、そのようなことはその人だけではなく、誰にでも当てはまるのだが、そのギャップを埋めたい欲求が、他人より強い人が犬を飼う場合、小型犬を選ぶようだ。

一人暮らしの女性や水商売の女性、あるいは年配の女性が小型犬を飼うケースが多いが、これも今、話したような理由が多いのではないか。

◉犬を人間のように扱う人は精神的に依存度が高い この頃では、小型犬を室内で飼っているケースがほとんどだ。

ということは、それだけ犬と触れ合う環境が密接になっているということでもある。

以前ならば、たいていは家の外で飼っていたので自ずと人間と動物の境目、境界線があったが、最近ではそれがない。

そのため犬なのか、自分の子どもなのか、わからない飼い方をしている人も増えている。

洋服を着せるなどは、もはや当たり前だ。

しかし、あまりにも犬との接し方が密接すぎる人は、過保護の親が子どもを育てるのと同じように、犬に対しても精神的依存度が高くなる。

ついには自分の家に友だちを連れてきても、犬の世話を先にしてから友だちにお茶を出すなど、これでは本末転倒と言わざるを得ない。

どんなに小型犬を可愛がっても、ペットはペットでしかない。

何でも言うことを聞く犬と、言うことを聞かない人間。

そもそもそれを較べるのが間違いで、人間関係でできた大きな穴を小型犬で埋めようとしていると、そのうち孤立した人間になってしまうかもしれない。

また従順な犬を飼いたがる人も同じ傾向がある。

他人の影響を受けやすく、自己主張が苦手なので、それを犬を飼うことでおぎなおうとしているのだ。

多少は言うことを聞かない犬でも、手なずけるぐらいの努力はしてもらいたいものである。

前向きで立ち直りも早い〝猫愛好家〟 猫が好きな人についても考えてみよう。

これは意外にわかりやすい。

なぜなら犬と猫の性格・習性の違いを分析すればすぐにわかるからだ。

犬や猫を飼う理由を聞いたとき、なかにはその外見が好きだからという人もいるだろうが、やはり好きになる理由は、その性格や習性が好きだからというのがいちばん多いと思う。

ではその違いは何か。

まず犬の場合。

それは人間に対して従順なところではないか。

種類によって多少の違いはあるにせよ、きちんと訓練をすれば飼い主の言うことをきくようになるはずだ。

ほとんどの犬好きの人たちは犬に芸を仕込んで、それを誰かに見せるのを好む。

そのため犬を飼っている人もいるくらいである。

ところが猫の場合はどうか。

みなさんもおわかりだろうが、猫は飼い主の言う通りにはまずならない。

一生懸命芸を仕込もうとしても無理だ。

もし飼い主に媚を売るときがあるとしたら、それはお腹が空いているときか、たまたま遊んでほしいときである。

ということは、猫を好きな人、飼う人は猫に何を望んでいるのか。

それは犬のまったく逆で、人の言うことを聞かない、自由奔放な姿が好きで飼うのである。

社会人になって、あるいは学生の場合でも構わないが、なかなか自分の自由には生きられないのが世の常だ。

当然、そこには不平不満がある。

しかし猫を飼うことでマイペースで生きることを見つめ直したり、世の中が自分の思い通りにならなくてもいいじゃないかと思えるようになるのだ。

猫を飼う人は犬を飼う人とは異なり、猫を訓練しようとは思わない。

最低限のしつけ、例えばトイレぐらいは教えるかもしれないが、あとは自由にさせておく。

その姿が自由にならない自分の心を癒やしてくれるといってもいいかもしれない。

猫好きは犬好きよりも前向き思考であり、思う通りにならなくてもあきらめるのが早く、立ち直りも早い人といえるだろう。

猫好きな人全部が、そうとは言い切れないが、人間関係でも相手を自分の思う通りにしようとは思わないため、他人は他人、自分は自分と割り切ってつき合うことができる。

その点が犬好きな人と大きく違うところだ。

猫とのつき合い方を考えても、犬のようにベッタリ寄り添う関係にはならず、つかず離れずの関係が保てるので、それが人間関係にも投影される。

つまり、犬好きは主従関係がはっきりしている縦社会での、密度の濃い関係を好むのに較べて、猫好きは横社会の自由・束縛のない関係を望むのである。

犬や猫を飼っている人がいたならば、そこが大きく違う要素となるので、相手の本音を間違えないようにしよう。

習い事や資格好きは、レベルアップする自分を見るのが好き 勉強するのが苦にならない学生時代や、記憶力が衰えていない二十代ならばわかるが、さすがに三十代半ばを越えてくると、〝新しいこと〟にチャレンジするのはつらくなるものだ。

ところが世の中には年齢に関係なく、新しいことにチャレンジするのが好きな人がいる。

つぎからつぎへと自分の目標を見つけてはチャレンジし、それをクリアすると、またつぎの目標に向かっていく。

そのような人たちが、よく目指すターゲットが、習い事や資格だ。

さすがに資格といっても難関資格と言われるものにチャレンジする人は滅多にいないが、それ以外ならばまさに趣味のように、新しいものに挑戦し続けるのである。

ではなぜ、そのようなことができるのか。

そしてそれを成し遂げることが可能なのか。

潜在欲求に、自分の知識を深めたい、少しでも仕事の役に立てばいいという気持ちはあるが、それ以上に強いのが、「習い事や資格にチャレンジしている自分が好き」 なのだ。

どんどんレベルアップしていく自分を見たいがために、挑戦しているといってもいい。

このような人は、おそらく子どもの頃から何かに挑戦し、クリアしてきた経験があるに違いない。

スポーツだったり、習い事だったり、勉強だったりするが、それをクリアし、ステップアップするたびに自分が向上する快感を覚えたはずだ。

それが大人になっても忘れられないために、またチャレンジするのである。

特徴的なことは、自分が習う、自分が勉強するという主体性をとても大事にする。

つまり人から教えられてするのではないということだ。

社会人になって年齢を重ねると、時代の流れの速さについていけないこともある。

例えば、パソコンなどは、今の若い人は子どもの頃から触れているので、何の苦労もなく使いこなすことができる。

年配の人はそうはいかない。

仕事でどうしても必要なので、仕方なく若い部下から教えてもらって使うが、そこにはもの凄いストレスがかかるわけだ。

自分で率先して覚えたり、勉強するのであれば、大変ではあるがそれほど大きなストレスはかからない。

なぜならクリアできなくても会社をクビになることはないからで、その違いが習い事や資格に挑戦する原動力になっているともいえるだろう。

そんな人をうまく動かすには、その人自身の主体性を尊重してあげればいい。

◉「趣味はガーデニング」は、自分らしく生きたい人 最近では一時期ほどの人気はなくなったようだが、ガーデニングを趣味にしている人も多い。

なかには定年になってから農業をやり始める人もいる。

都会では土に触れる機会がほとんどなく、自然に触れたい願望もあるのだろうが、ガーデニングを趣味にしている人にはつぎの特徴がある。

一つには自分で作り出すことに喜びを感じていることだ。

いろいろな材料を買ってきて、それを使って自分の好きなように小さな自然を作るわけだから、そこに喜びや、生きがいを見出している人もいる。

二つにはそれを見て楽しむ、あるいはそれを育てる楽しみもあるに違いない。

ただ植物を育てるには根気がいるし、手間もかかる。

心に余裕がなければ枯れてしまうこともある。

ガーデニングを趣味にしている人は、根気と心の余裕がある人ともいえる。

何よりも、植物や土と常に触れ合うことで、自分らしい生き方をしたい、取り戻したいと思っている人が多いのではないだろうか。

定年間近になった人が土に親しみたくなるというのも、社会のなかで働き続けて見失った自分をもう一度取り戻し、人間らしい生き方をしたいと願うからだろう。

それには自然に触れ合うのがいちばんいいと思ってガーデニングを選ぶのだ。

ガーデニングに限らず、プライベートで自然と触れ合う欲求が強い人は、同じような傾向があると理解してほしい。

酒の席でわかるその人の本性とは? 社会に出て働くようになると急に増えてくるのが、宴席への誘いだ。

仲間同士の一杯から、上司から誘われる酒の席、ときには所属する部署での宴会もあるだろう。

そこでここでは居酒屋などへ行ったときに、相手がどのような行動をとるかで本音を見抜くチェック方法をいくつかお教えしたい。

まずは料理の注文の仕方だ。

これにはその人の性格が表れる。

例えば、相手の意見を聞きながら頼む人。

自分の食べたいものを一方的に言うのではなく、相手と相談しながら決めていくタイプである。

お互いに食べたいものを言い合いながら、その店のお勧めや食べるもののバランスなどを考え、話し合いで決めていく。

このような人は協調性に富む人だ。

日本人には比較的多いかもしれない。

小さいときから協調性を大切にするように教育を受けているので、欧米などの個人主義とは違い、いかにも日本人的な性格といえる。

つぎに自分の食べたいものを素早く決めて注文し、それから相手にも好きなものを注文するように促すタイプ。

これは一見、冷たいように思われるかもしれないが、実際は合理的な考えの持ち主といえる。

前者のように相手と相談していたのでは時間もかかるし、人数が多いときなどにはなかなか注文が決まらない場合もある。

その点、各自が好きなものを頼んでいけば混乱もないし、時間の節約にもなる。

そう考えれば、実に合理的だ。

人間関係でも、情などに振り回されることがなく、物事を客観的に判断できるので、仕事でも継続して一定の成績を収めることができる人間である。

最後は自分で仕切るタイプだ。

馴染みの店などでは、その傾向がとくに顕著になる。

この店では何がいちばんおいしいとか薀蓄を述べながら、てきぱきと注文する。

確かによく知っているだけあって、頼んだ料理もおいしいのだが、相手からほめてもらうことを期待してやっている面もある。

そのような人にはわざとでもいいから感謝の言葉を添えてあげるといい。

ただサービス精神は旺盛なのだが、思い込みの激しいところがあり、頑固な一面も持っているので、いざというとき融通が利かない欠点もある。

それをわかってつき合えば楽しい関係を築きやすいタイプだ。

◉会計のときに垣間見えるプライドと見栄 人の本性はお金が絡むときにはっきり出ると言われる。

ということは、食事が終わり、お酒も飲んだ後の会計のときの態度にも注目してほしい。

ここにもその人の考え方や性格がにじみ出るのだ。

一緒に行ったメンバーによって、お金の払い方は影響されるので、飽くまでも同僚や友だちなどとプライベートで行った場合を考えてみよう。

なぜなら、仕事の延長で部下が上司に誘われて飲みに行ったときなどは、行く前から上司が払うのは決まっているからだ。

まずは同僚や仲間の場合。

例えば平社員同士で飲んだときなどだ。

そのときに先輩だからと多めに出す人は序列を気にする人だ。

とくに体育会系出身の人に多いが、そうではない場合でも先輩・後輩の間柄を大事にする人はこの部類に入る。

当然、縦社会の規律を重視するから、上司に対しても反抗的な態度は取らない。

ただ後輩を大事にする代わりに、上下関係のマナーを守らないと、厳しく指導することもある。

なかには仕事が自分よりできる後輩がいても、それを認めようとせず、頑固に先輩風を吹かせる人もいる。

つぎに男女混合で飲みに行った場合。

そのときに必ず男だからと余計に払うのが当たり前と言う人。

これは女性に気を遣うというよりは見栄っ張りな性格だ。

本人はいつものようにやっているだけなのだが、あまりに男とか女とかを意識した発言が続くと、女性から反発を買うこともある。

割り勘にする場合でも、請求書が回ってきたときに、いちばん先に「一人 ○ ○ ○ ○円」と言い出す人がいるが、こういう人は仕切りたがり屋。

ただ仕切るといっても、先頭に立って何かをするのではなく、細かなことの世話を焼く程度の仕切り屋だ。

こういう人は宴会の幹事などをやらせると生き生きと働くタイプである。

酒の席ではいろいろな本音がわかるので、人間観察にはもってこいの場所といえよう。

〝通〟を気取る人、〝鍋奉行〟の意外な資質とは? どこにでもいるのが〝通〟を気取る連中だ。

自分の知識をひけらかし、それをまわりに認めさせるのを生き甲斐にしている。

とくに隣に若い女性などがいたら大変だ。

いかに自分が物知りなのか、食べ物に造詣が深いかを延々力説する。

高級な寿司屋のカウンターなどに常連ぶって座っている親父によく見られるが、そのような人に限って、話すのに夢中になり、やたら酒ばかりをあおって、せっかくのお寿司が干からびてしまっているのだ。

お店にとってはお金を落としてくれる常連なので文句も言わず、それなりに接客しているが、心の中ではバカにされているのを彼らは知らない。

申し上げておくが、本当の通と、通ぶっているのではまったく違う。

例えば、馴染みの店に行っても通を気取っている人は、これ見よがしに「いつもの」などと言う。

そうしてそれが出てくると「待ってました」とばかりに話し出す。

しかし本当の通はそんなことはしない。

お店の人から声がかかるのを待っている。

常連なのだから、お店の人はその人のことをよく知っている。

だから相手に任せて楽しむのである。

どんなに格好をつけても、人の本性はわかってしまうものだ。

通を気取る人たちは自己顕示欲が強すぎるために我慢ができない。

そのため、つぎからつぎへとすべての知識をひけらかし、まわりの空気を読むことができない。

同じ自己顕示欲の塊とも呼べるのが、宴会の席に現れる鍋奉行だ。

まわりが嫌がっているにも関わらず、自分の知識をひけらかしてリーダーシップを取ろうとする。

もともと彼らは真面目で明るく、悪い人ではないのだが、頑固で融通が利かない。

そのため信用を得ることは難しく、本当のトップリーダーにはなれない。

せめて鍋くらいなら許してあげると、まわりの善意でそうさせてもらっているだけだ。

そこを勘違いしている人が多いのではないか。

人を使える人は、自分を押し出すだけではなく、臨機応変に立ち回れる人でもある。

ときにはその場を仕切る場合もあるが、人に任せるほうがいいと思えば自分は身を引く。

そして頑張った人をほめることを忘れない。

それができる人こそ人望を得ることができ、リーダーになれるのだ。

もしあなたが鍋奉行のように仕切るのが好きなタイプならば、一歩下がることを覚えよう。

そうすれば逆にまわりがよく見え、自分の立場もわかってくる。

自分を出せば出すほど、人は離れていくのである。

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