第 2章 どんな人間か本質を見破る方法
人には超一流、一流、超二流、二流の 4タイプがいる プロ野球の世界に入ってくる選手たちは、自分の力に自信をもって飛び込んでくる。
アマチュア球界ナンバーワンバッター、 10年に 1人の逸材……秋のドラフト会議が迫ると、決まってマスコミはこのような言葉で候補選手を持ち上げ、入団が決まると周囲も期待してしまう。
もちろん、前評判通りの活躍を見せる選手もいる。
最近だと巨人の菅野智之や楽天の則本昂大のように、「さすがドラフト上位で指名されただけのことはある」と評価がさらに高まっていく選手ももちろんいるが、全員がそうした評価を得られないのが現実である。
メジャーで活躍している田中将大(ニューヨーク・ヤンキース)、ダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)らのような何十年に 1人現れるかどうかという、天賦の才能に恵まれている選手は、ほんのひと握りだけだ。
私は選手を「超一流」、「一流」、「超二流」、「二流」と4つのタイプに分類しているが、田中やダルビッシュは、間違いなく「超一流」のレベルにある。
実力実績はもちろんのこと、その練習態度やチームへの献身の姿勢、言動なども含めて選手の模範となり、チームの要となるべき人材だ。
こういった人格の部分も兼ね備えて初めて、超一流といえるのだ。
一方、「一流」というのは、実績を残すだけで、人間的な部分においては評価されないようなレベルの選手だ。
常時 1軍で試合に出場し続けて、一定以上の成績を残している選手だが、その反面、チームのために犠牲になるという精神にも欠けているような選手だ。
当然、誰からも尊敬されるというタイプではなく、チームのリーダーにはなり得ないような選手だ。
さらにその下には「超二流」がいるが、彼らは努力はしているものの、突き抜けることができないタイプだろう。
そこそこ実力がついてきて、試合にも出られるようになってきた。
しかし、レギュラーを取るまでには、成長しきれないタイプ。
そういったタイプの選手は、基本的に鈍感人間だ。
もう 1歩成長するために、自分に何が足りないのか。
どうすれば自分はレギュラーとして、生き残れるのか。
感性の鋭い人間であれば、自分なりの生き残りの術に気づき、試行錯誤しながら成長していくことができるのだ。
この部分に欠けているのが、このタイプの選手だ。
この下に「二流」のレベルがある。
二流選手とは、いい素質をもっているのに、努力もしないタイプ。
これまで素質だけで野球をやってきてそこそこ通用したが、プロに入ったらそうは甘くない。
高いレベルの中にいては、努力もしない選手はいずれ消えていく。
こういった選手は、「自分の実力はこの程度だ」、「これくらい練習しとけばいいだろう」といった自己限定人間がほとんどだ。
一流になる人は、絶対、満足しない。
限定や満足がなく、常に「もっと」、「もっと」というタイプだ。
ここが、一流と二流の大きな違いでもある。
「あきらめ」が役に立つときはたったひとつ、それは新しくやり直すときだけである。
超二流、二流の人への指導法 先ほどの項目で、私は選手を超一流、一流、超二流、二流の 4タイプに見分けると述べたが、ここではそれぞれのタイプ別に指導者としていかに接したらいいかを考えてみたい。
まず、超二流と二流の選手だが、おそらくプロに入ってきた選手の大半がこのタイプだろう。
超二流選手はそれなりに努力もしているし、そこそこ実力もついてきたが、レギュラーまではもう 1歩という選手。
彼らは往々にして鈍感人間であることが多く、どうすれば自分が一皮むけて成長できるかのヒントを感じ取る能力に欠けているものだ。
ただ漫然と投げて、打って、走って、守って練習していることが多い。
この手のタイプには、まず何事にも疑問を持つように、コーチなどの指導者が質問を投げかけたり、問題提起をして敏感な感性を育てなくてはならない。
いいコーチは選手に技術や考え方を押し付けたりしない。
まず、選手が自分で考え、試行錯誤して答えを出すまで、自分の考えを言わないものだ。
むしろ問題点や解決策に選手自身が気づくように導くのが、いいコーチである。
私が指導者は「気づかせ屋」になりなさいというのはこういう意味だ。
また、技術的なアドバイスをするよりも、「どうしたらチームに必要な戦力となることができるのか、それを考えなさい」と、選手自身の野球に取り組む考え方自体を教えてあげることも重要だ。
1軍での居場所を確保するために、どうやったら自分は「駒」として生き残っていけるかを、選手自らが率先して考えるようになると、自然と野球に対する取り組み方も変わってくる。
自分の実力と、チームメートの実力、チームの中での自分の立ち位置、チームに自分がどのように貢献すれば他の選手より必要とされるのかなどを知れば超二流から脱却できることもある。
たとえばアマチュア時代から強打者で、プロでも長打力を磨こうと考えていたが、プロの世界ではもっと上のレベルの強打者たちがいることに気づき、単打でつなぐバッティングや、走力、守備力を売りにして 1軍に必要とされる選手になろうと考え、実際に成功する選手もいる。
こういった、野球に取り組む考え方の変革を促すことも指導者としては大切だ。
さて、「二流」のタイプに話は移るが、この手の選手は自己限定人間がほとんどだ。
いい素質をもっているのに、何か壁にぶつかると、「自分の実力はこんなもの」と考え、努力をしないタイプだ。
どこかで「これくらいやればいいだろう」と考える甘さがあり、「もっと」、「もっと」という貪欲さがない。
厳しい言い方だが、こういった選手にはプロの世界では特に指導することもない。
プロなのだから、やりたくないのであればやめればいい。
誰も引き止めはしないし、代わりはいくらでもいるというのが現実だ。
超一流、一流の人への指導法 次に超一流と一流の選手への指導法である。
超一流は実績はもちろん、他の選手の模範となるような人格も備わっており、リーダーとしてチームを牽引し、ここ一番で頼りになる存在だ。
もちろんチーム内の人望も厚い。
引き続き現状に満足することなく、より高いレベルのプレー、チームへの献身をするよう指導していけば、指揮官の組織運営も楽になる。
一流選手の場合は、少々やっかいなタイプもいる。
1軍のレギュラークラスの選手で、一定以上の成績は残すものの、人格的にまだまだ未熟な選手もいるのだ。
たとえば、組織に献身するという意識が希薄な選手だ。
こういった実績だけの選手には、チームへの貢献心の大切さや、野球をやめたあとでも誰からでも尊敬されるような人間性を磨きなさいと指導していく必要がある。
それがひいては、本当に現役を引退したあとに、その人間を助けることになるのだ。
ヤクルト時代で言えば、私が監督に就任した当初の池山隆寛がまさにそうだった。
池山は、「ブンブン丸」と言われて本人もそのネーミングを喜んでいたことに、私はいつも引っかかっていた。
ヤクルトの監督に就任したとき、私はチームにどんな選手がいるのだろうと、全員の個人成績や性格をチェックした。
池山の成績に目をやると、たしかにホームランは 30本以上打っていたが、打率は 2割 5、 6分程度で三振数が 100を超えていた。
いくらレギュラーで一定以上の成績を残していたとしても、自分勝手なバッティングで、チームに対する貢献心が希薄だと思えた。
そこで私は、ユマキャンプで池山と 2人で話す機会をもった。
「お前はブンブン丸と呼ばれているが、そのことをどう考えているんだ?」「自分はブンブン丸が持ち味だし、それが個性だと思っています」「お前は監督やチームが何を要求しているか、考えたことがあるか?」 「………」「考えてみろ。
毎年 100個も 150個も三振されていたら監督は困るんだよ。
監督が困るということはチームが困る。
そのことを本当に真剣に考えたほうがいいよ。
そもそもブンブン丸っていうのは、マスコミが新聞を売るためにつけたものだ。
選手が考え、なすべきことは、どうすればチームの成績が上げられるかだ。
チームのために何ができるか考え、それを実践することが大切なんだ。
いまからお前はブンブン丸を封印しろ!」 池山は悔しかっただろう。
なにせ自分のキャラクターを否定されたに等しい言葉を浴びせられたからだ。
その後も私は事あるごとに、マスコミを通じて、「池山には変わるように言い続けているけど、何度言っても心に響かないやつだな」「ブンブン丸はいつまでたってもブンブン丸のままだ!」 と厳しく非難し続けた。
すると少しずつだが、彼はチームバッティングをするようになっていく。
当時の池山の変化について、広島のキャッチャーだった達川光男と私が雑誌の対談をする機会があったときにこう語っていた。
「池山はカウントが 3ボール 2ストライクになると、『ピッチャーは必ずストライクを投げてくるものだ』と思っていた。
ところが野村監督が就任して 3年目になる頃には、バッターボックスのなかで『ボールなら振らないぞ』と呪文のように唱えていたんです。
あの池山がそこまで変わったのかと、私はマスク越しに驚きました」 池山の変貌ぶりを見て、達川は「今年のヤクルトは怖い」と感じたそうだ。
実際にこの年のヤクルトは 14年ぶりのリーグ優勝をはたしたが、達川の話を聞いて、「池山がここまで考えるようになったか」とうれしく思ったものである。
実際、その後の池山は人間的にも成長し、チーム内でも選手たちの人望を得ていた。
現役引退後には、コーチとして楽天やヤクルトでユニフォームを着ている。
あのまま独りよがりの野球を続けていたら、いまの彼がないことだけは確かだ。
挨拶でその人を見極める 私たちスポーツの世界はもちろんのこと、一般社会においても、挨拶は人間関係の基本だ。
昔から「礼に始まり礼に終わる」という言葉があるくらい重要なものである。
しかし最近は、挨拶自体が軽んじられているように思えて仕方がない。
その原因は、感謝の気持ちが欠けていることにあるように思える。
「おはようございます」、「ありがとうございました」、「失礼します」、「お疲れさまでした」と昔から当たり前とされてきた心遣いは、常に自分はまわりの人たちの力を借りて生きているという意識があって、自然と表われる態度でもある。
自分一人の力でここまで来たと、どこか思い上がった気持ちがあるから、挨拶自体がおろそかにされることになるのかもしれない。
私は監督時代から、選手たちの挨拶を見て、しっかりとできるやつなのか、常識のないやつなのかは見分けていた。
挨拶というのは小事、細事であるが、それができる人間のほうが当然、見込みもある。
逆にできない人間というのは、感謝の気持ち、周囲への配慮に鈍感な人間である。
感度の鈍い人間というのは、プロの世界ではなかなか成長しないものだ。
楽天時代、入団して間もない田中将大が本拠地の Kスタ宮城(現コボスタ宮城)で登板したとき、ご両親がスタンドで観戦していたことがあった。
試合後、そのことをチームの関係者から聞いていた私は、ご両親が私のところに挨拶に来るかもしれないと監督室で待っていたものの、いつになっても来る気配がない。
結局、彼の両親は私の元を訪れることはなかった。
その後も田中が登板する際には、ご両親がスタンド観戦していたことが何度もあったらしいが、一度も私はお会いしたことがない。
一度くらいは、「いつも息子がお世話になっております」と挨拶に来てくれてもいいのではないかと思っていたものだ。
誤解しないでいただきたいが、私はけっして偉ぶりたいわけではない。
自分の息子が組織に所属し、世話になっている組織の長に「よろしくお願いします」と声をかけるのは、ごく自然な親の情だと私は思うのだ。
むしろ親であれば、息子の上司はどんな人間なのか会ってみたいと思わないのだろうか。
試合をしている球場、つまり息子の仕事場にまで来ているのに、そのまま帰ってしまうということが私には不思議でならなかった。
これと同じことがヤクルト時代にもあった。
日本一になってオーストラリアへ選手やそのご家族と優勝旅行に行ったときのことだ。
旅立とうとした成田空港のロビーで、私が同行の記者たちと談笑している前を、古田敦也とお母さんが通って行った。
顔がそっくりだったので、お母さんだと私はすぐわかったのだが、その後、飛行機でも、また、現地についてからも、古田がお母さんを連れて私のところに挨拶にまったく来ない。
不思議に思った私は、記者の人たちに、「いまは昔と違ってこっちから出向いてお母さんに挨拶しなきゃいけない時代になったのかな」と話してみると、「いえ、それは違います。
どんなに時代が変わっても、教え子や部下の親が上司や先生に挨拶に来るものでしょう」と言う。
結局、いよいよ日本に帰るという日になって、シドニーの空港で古田はお母さんを連れて私のところにやってきて、「ご挨拶が遅れまして、母親です」と言う。
どうやら新聞記者から挨拶に行ったほうがよいと促されて、慌てて私のところに来たようだった。
たかが挨拶であるが、そういった小事に気づかない鈍感なところが当時の古田にはあり、野球選手としても、人間としてもまだまだだと思ったものだ。
「人間的成長なくして、技術的成長もない」とは、私が選手たちによく説くことだが、まさにプロの高いレベルでの戦いとなると、最後はそういった人間性の部分になってくるのだ。
プロ野球選手の看板を外しても、一般の社会人として恥ずかしくない人間か。
そういった部分が、野球における最終的な差になって表れてくるものなのだ。
そして、その人間性のいろはの「い」が挨拶ということもできるだろう。
だからこそ、小事といえども、挨拶はおろそかにできない。
古田が監督として、満足のいく結果を残せなかったのも、そんなことが関係していたのではないかと考えている。
旅館のスリッパの脱ぎ方を見よ 長年野球界に携わっていると、日常のふとした動作や言動にそれぞれの選手の性格や傾向を分析してしまう習性が私にはある。
キャッチャーとして、常に洞察力を働かせていたからかもしれないが、グラウンド以外でもふと選手たちの行動が気になることがあるのだ。
あるとき選手のスリッパの脱ぎ方を見て、ハッと気づかされたことがあった。
南海の監督時代、キャンプや遠征などの宿舎で、全体ミーティングをするとき、部屋の入口で選手たちが脱いだスリッパを何気なく観察していた。
するとポジションごとの特徴がよく表れたのだ。
ピッチャーというのは、エース級ともなればお山の大将的な性格で、基本的に「俺が、俺が」という性格が多い。
部屋に上がるときも、スリッパは歩いてきた歩幅のまま脱ぎ捨てたり、ちゃんと脱いだ後にそろえるような人間はまずいない。
もちろん、前の人が散らかして脱いだスリッパにもまったく気づかない。
しかし、キャッチャーはその逆になる。
スリッパが散らかっていたりすると必ず気づき、人の分までそろえたりする。
キャッチャーは、どうしても細かなことに目配りし、それを分析、観察、洞察することが仕事なだけに、細かなことに敏感だ。
やはり、ポジションごとに自然と性格も違うものなのかと思ったこともあったが、一人例外がいた。
江夏豊である。
超一流のピッチャーであり、豪快かつ無頼でいかにもピッチャーらしい性格のやつだと最初は思っていたが、よく観察するとどうも違う。
実は非常に細かくて、周囲に対して敏感で繊細な人間だった。
マスクをかぶっていていちばん意外だったのは、江夏のロージンバックの扱い方だった。
普通、ピッチャーがロージンを手に付けたあとは、そのまま足元にポンと投げ落とすことが多いのだが、江夏だけはいつも投げたりせず、丁寧に地面に置くのだ。
これ以外にも、江夏の繊細な部分をいくつも見てきて考えたのは、もしかするとある性格の人間がその適性のあるポジションにつくのではなく、そのポジションを務めるうちに性格がそうなっていったのではないかということだ。
つまり環境が人をつくっているということなのだろう。
「恥の意識」があるかどうかを見極める「プロとして恥ずかしい」という言葉は、よく監督時代に選手たちに口にした言葉だ。
とくに技術的に未熟だった楽天の選手たちに対しては、厳しく言い続けてきた。
プロとは何かという問いに、私は「当たり前のことを、当たり前にやることがプロである」と定義していた。
プロであればできて当然のことは、きっちりでき、また難しいことも、さも簡単なことのようにこなしてしまう、それがプロだと思うのだ。
しかし、技術の未熟さからくる単純ミスが出るのも野球である。
そんなとき、ミスした選手が、「こんなミスをして情けない。
恥ずかしくて仕方ない」と感じているようであれば、成長していく可能性がある。
逆に、「まぁ仕方ない。
こんなときもあるさ。
次はがんばろう」などと思っているような選手だと、将来はない。
「何故ではじまって、何故で終わる」。
この精神こそが、すべての行動についてまわらなければならない。
「プロとして恥ずかしい」という、恥の意識がない人間は、伸びていかないものだ。
「恥ずかしい」と思わない人間は、「まぁ、この程度でもいいだろう」という現状維持の意識につながっていく。
現状に満足してしまった瞬間、人の成長は確実に止まる。
だからプロとしての高いプライドを持ち、恥の意識を持つものだけが自分を高め続けられるのだ。
しかしこういったことは、プロ野球選手だけにかぎったことではないだろう。
どのような仕事をしていても、営業マンは営業のプロだし、経理の人は経理のプロだ。
業界によっても、サービス業のプロもいれば、金融のプロもいるだろう。
みんな、自分の仕事においてはそのプロフェッショナルであることに変わりない。
そして、それぞれの仕事においてミスをしたとき、「プロとして恥ずかしい」と思える人間のほうが、大成していくのではないだろうか。
その根底にあるのは、自分はこの仕事のプロであるという強いプロ意識と、高い理想だ。
自分の仕事にプロ意識を持ち、失敗や課題にぶち当たったときに、「まあこれでいいだろう」ですませず、「プロとして恥ずかしい」と考えられるかどうかが、その人が成長できるかどうかの分かれ道となる。
「恥の意識」と「プロ意識」は同意語であるのだ。
その指導者は知識に飢えているかを見極める 阪神の監督を退任した 2002年秋、当時から親交のあったシダックス・志太勤会長からお声がかかって、シダックスの野球部監督に就任することになった。
シダックスの野球部は創部が 1993年と歴史が浅かったが、キューバ革命後では初めてとなるキューバからの現役野球選手の海外派遣を受け入れて、創部 2年目にして都市対抗に出場するなど、会社を挙げて野球に力を注いでいた。
だが、私に話が来た当時は低迷期に入っていた。
志太会長自身、野球部の廃部すら考えていると、落ち込んだ様子だった。
そこで志太会長を励まそうと、「がんばって続けてください」と言うと、「それなら野村さんが監督をやって、選手たちに正しい野球を教えてあげてほしい」と言われたので、監督を引き受けることにしたのだ。
アマチュアの監督になっていちばん驚いたのは、選手はもちろん、その指導者たちも野球知識に非常に飢えているという点だ。
彼らとしては、最高の舞台であるプロではプレーしたことがないという意識があるから、私のようなプロでずっと飯を食ってきた人間の知識を欲しているのだ。
たとえば私が練習試合に出向くと、相手チームのスタッフに「こちらにどうぞ」と別室に案内され、そこで相手の監督に質問攻めにされるのだ。
こういう場合はどうすればいいのですか、と戦術面や技術面、育成面など多岐にわたって熱心に聞いてくる。
おかげで私は、自分のチームの練習が見られないなどということもよくあった。
選手たちも、同様にとても知識欲が旺盛だった。
私にしてみれば南海、ヤクルト、阪神時代に教えたことと同じことを選手たちに伝えただけのつもりだったが、高校、大学と野球を続けてきて私のようなアドバイスは初めて聞いたと、目を輝かせながら話す選手もいたものだ。
こうした姿勢は、プロの世界でも見習うべきものだろう。
プロ野球では、これほど知識欲の旺盛な選手も少なかったし、ましてや指導者を務めている人間が、私に野球学や指導論についてアドバイスを求めてくることなどほとんどなかった。
唯一、一人だけいたのがオリックスの森脇浩司だ。
彼はソフトバンクのコーチ時代によく私を質問攻めにしたものだ。
試合で対戦するときは、必ず試合前にやってきて私に質問をぶつけてくるのだ。
事前に質問項目を箇条書きしてあり、それに沿って熱心に聞いてくる。
質問をするという行為は、相手に自分の理解力やレベルをあらわにすることでもあり、プロの指導者をしている人間としては、プライドがあるだけに聞きづらい面もあるのだろう。
しかし私自身は監督をやっているときでも、疑問点、どうしても知りたいことがあれば、恥ずかしさなどかえりみず、頭を下げて教えを乞うたものだ。
そうした知識への貪欲さが、指導者を伸ばしていくのだと私は考えている。
2014年、オリックスのチーム成績がよかったのも、森脇が監督となり、その考えがチームに浸透してきたことと無縁ではないのだろう。
バカにできない血液型で見た人間分類 いまから 20年以上前、血液型の本がブームになった。
当時はまったく興味がなかったが、あることをきっかけに私も関心をもつようになった。
きっかけは名球会での集まりだった。
たまたま「彼は何型だ?」、「あいつはこんな性格だぞ」などと話しながら、名球会名簿を取り出して 1人 1人チェックしてみたことがあったのだ。
すると日本人でもっとも多いとされる A型の選手が少ないことがわかった。
A B型はもともと少ないのだろうが、なんと圧倒的に多かったのは B型と O型だった。
本によると、 B型は芸術性が高くわが道を行くタイプが多い。
現在の総理大臣である自民党の安倍晋三さんや、民主党から袂を分かって新党を立ち上げた小沢一郎さん、そして維新の党の橋下徹大阪市長らはすべて B型だ。
マイペースで自分流を確立して大成するという部分があるようで、だから名球会に B型が多いのかもしれない。
O型は社長などの各界トップに立つリーダーに多いといわれる。
チームスポーツである野球でも、リーダーシップを発揮する人間が大成するというのは想像できることだ。
こう見てくると、 B型と O型に名球会メンバーが多いというのはなかなか的を射ているのではないか。
私の経験則から言っても、 4番やエースには、 B型か O型の選手が多い。
バッターで言えば王貞治や松井秀喜、落合博満らは O型、長嶋茂雄や張本勲、そして私は B型だ。
ピッチャーだと鈴木啓示や山田久志、東尾修らは O型、金田正一さんや稲尾和久、野茂英雄らは B型になる。
なかでも B型は個性的で人の意見にあまり耳を傾けたりはしないが、自分を律する点では厳しく、行動で模範を示すタイプが多い。
先に挙げた例で言えば、金田さんや長嶋、私がそうだし、後輩で言えば野茂やイチローらも B型人間だ。
そう聞くと納得される人も多いのではないだろうか。
また O型は組織に忠実で、協調性があり、リーダーシップに富んでいる血液型だ。
過去の歴代監督で言えば、水原茂さんや西本幸雄さん、古葉竹識、森祗晶、星野仙一らがこれに当てはまる。
A型はチームの中心選手というよりも、コツコツ長く地味に頑張る選手が多いようだ。
新井宏昌や広瀬叔功、谷繁元信らがまさにそうだ。
さらに A B型は掴みどころがなく、理解し難いタイプが多い。
村田兆治や前田智徳、監督で言えば南海時代の監督だった鶴岡さんが挙げられる。
ただ、ここで誤解のないように付け加えさせてもらえば、私は血液型に選手の起用法を左右されたことはない。
選手起用はあくまでも、客観的な視点から決めてきた。
ただ、何かのプレーのあとに、「そういえばあいつは A型だったからな」とか、「やっぱり B型か」、といった見方をしたことはある。
また、そういった見方をするたびに、なかなか血液型も当たっている部分があると感じているのも事実だ。
私は、 8割がたは環境や育ちで、残り 2割がもって生まれた素質、たとえば血液型などだと考えている。
絶体絶命のピンチや、千載一遇のチャンスがやってきた際には、もって生まれた 2割の部分が顔を覗かせることが多い。
そう考えている。
バッターは4つのタイプに分類できる キャッチャーの仕事でいちばん必要なのは、「人間観察眼」である。
マスク越しに相手のバッターのスイングや、そのタイミング、ちょっとしたしぐさを読み取り、次の配球に生かしていく。
相手バッターの考えていることを事前に読み取れ、裏をかければ、当然、打ち取ることも容易になる。
そのため私は、バッターを大まかに4つのタイプに分類していた。
実戦のなかで対戦する際に、マスク越しに観察して気づいた点をもとに考えていくと、一般的に次の4つのタイプのどこかにバッターは分類される。
A型 =直球に合わせながら、変化球に対応しようとするタイプ B型 =インコースかアウトコースか、打つコースを決めるタイプ C型 =レフト方向かライト方向かといったように、打つ方向を決めるタイプ D型 =球種にヤマを張るタイプ 日本のバッターには A型の選手が多い。
しかし、このタイプで好成績を残し続けられるのは、イチローや松井秀喜などの天才バッターくらいだろう。
しかし、彼らでも B型と併用している。
また、 D型のバッターであっても、カウントが追い込まれると、 A型に変わることがある。
これは、変化球を狙っていて、ストレートが来たときに「見逃し三振をしたくない」、「ストレートに食い込まれたくない」というバッター心理が働くからだ。
B型は、「前の打席でインコースを長打したので、この打席はインコースには投げてこないな」と、コースで判断するようなバッターだ。
また、ボールカウントや走者の状況によってコースに絞るのだ。
C型は打つ方向を決めるタイプ。
右バッターであれば引っ張ると見せかけて実は右方向に流し打ちをしたり、二塁にランナーがいて進塁させなければならない場面で三遊間ががら空きになっていたら、思い切り引っ張るというように、頭を使ったり、相手をだますようなバッティングをすることもある。
ただしここまで挙げたタイプは、それぞれがきっちりと分類できるわけではない。
ある場面では A型だが、チャンスの場面では B型や C型に変わったり、いろいろなタイプが試合状況で組み合わされる場合が多い。
そのため、間近でバッターのしぐさを見ているキャッチャーがどう読み取るかということがいっそう大切になってくる。
ただ、「基本的にこのバッターはこういう傾向だ」という打者分析が事前に出来ていれば、相手を抑えられる確率は必ず高くなると私は考えている。
全打者は共通して、「変化球への対応」を考えているものである。
キャッチャーの最初の仕事は、試合が始まる準備段階で相手チームの打者分析、すなわち「変化球への対応」をどうしているかを観察し、分析することである。
防げるミスか、防げないミスかを見極める 野球というスポーツにおいては、さまざまな局面において、ミスが生まれる。
その際、指揮官として大切なのは、それらのミスが、防げるミスなのか、防げないミスだったのかを見分けることだ。
たとえばある選手が、盗塁を試みてアウトになったとする。
この際、アウトになった結果だけを取り上げて怒ってしまっては、その選手は次、盗塁を試みるときに躊躇してしまうことになるだろう。
指揮官が怒ったことがきっかけで、消極的なプレーになってしまっては意味がない。
それよりもこういったとき大切なのは、そのミスが防げるものだったのかどうか、という視点である。
もし、この選手が、相手ピッチャーがけん制球を投げてくるタイミングやクセを事前にわかったうえで盗塁を試み、それでもアウトになっていたのならば私は怒らない。
準備をしたうえで臨んだが、たまたま想定外の展開になり、失敗に終わったというのであれば、それは防げないミスということができるからだ。
しかしその逆に、そういった事前の情報収集や準備を怠り、本来ならば避けられたであろう失敗をしたのであれば、その選手に対して、今後の「備え」を徹底するように指導しなければならない。
とかく指導者とは、「結果」をみて部下を叱責しがちなものだ。
かくいう私も、南海の選手時代は、鶴岡監督によく「結果」で怒られたものだ。
私の要求したボールが、相手バッターにドンピシャのタイミングで打たれ、ベンチに戻ってきたとき、鶴岡監督に、「なんのサインを出したんだ!」と怒鳴られたので、「真っ直ぐです」と答えたら、「バカたれ、相手はプロなんだぞ!」と一喝されたことがあった。
そこで次に同じような場面が訪れたとき、私は勝負球を変化球の配球にしたのだが、またもや打たれてしまった。
「なんのサイン出したんだ!」と怒鳴る鶴岡監督に、「カーブです」と答えると、今度も「バカたれ!! 相手はプロだぞ!」と一喝されてしまった。
これでは結局、何がいけなかったのかもわからない。
あの場合、どういうリードが正解なのか私は知りたくて、怒鳴られることを覚悟して恐る恐る監督に聞いた。
「では、ああいう場面では、どういうボールを要求すればいいんですか?」 少しの沈黙があったあと、固唾をのんで答えを待っている私に監督は、「なんだと! 勉強せぇ!」 とこれだけだった。
南海時代は一事が万事こういった状況だったので、常に「結果」で怒られる理不尽さを味わうこととなった。
どんな監督もコーチも、自分が選手時代に経験したことがベースとなって、自分の指導法を形づくっている。
その意味では、私の「結果」で叱責しないという考え方は、南海時代の経験に基づいてつくられたものなのだろう。
親孝行なやつかどうかを見極める その昔、川上哲治さんが巨人戦のテレビ解説で、 1人のバッターが登場するなり、「この選手は伸びますよ」と言ったことがあった。
アナウンサーがどうしてですか、と尋ねると、「この子は親孝行なんです」と返した。
それが淡口憲治という、兵庫県出身の左打ちの選手だった。
聞けば彼は巨人に入団したときから、遠征で関西方面に行くたびに、西宮市に住む実家の母親のところに顔を出していたというではないか。
私も長年、プロ野球界を見てきたが、川上さんの意見にまったく同感だ。
親孝行をする選手であれば、野球の世界で必ずや成功をおさめ親を喜ばせたい、稼いだお金でこれまで野球をさせてくれた親に楽をさせたい、そう考えるはずだ。
そういった思いが、厳しいプロの世界で大成するための猛烈な努力の原動力となる。
プロで成功したいと考えて努力するとき、自分のためだけにがんばっている人間よりも、誰かのためにがんばっている人間のほうが、ここ一番での踏ん張りがきくことがある。
「誰かのために」という代表例が、自分を育ててくれた親である。
その親に対する感謝の気持ちが強いモチベーションになるのだ。
かくいう私も、父親が戦死して幼少の頃から母子家庭の貧乏な生活が続いていたにもかかわらず、それでも野球を続けさせてくれた母に恩返しがしたいという一心で、プロの世界で野球を続けてきた。
一流プレーヤーとなって大金を稼ぐには、日々の練習の積み重ねと飽くなき探求心が必要だと考え続けて、それを常に実践してきた。
もし私が裕福な家の子どもだったら、いまの私は存在していないのかもしれない。
人間が伸びるにはハングリーさは当然必要だが、それと同時に「親に感謝する」という気持ちも決して忘れてはならない。
さてその後の淡口だが、長嶋監督に見出された後に藤田元司さんが監督のときに、外野の一角を担う巨人の中心選手として活躍した。
晩年は近鉄に移籍したが、これも大阪を本拠地にしている近鉄に移籍すれば、母親にいつでも顔を見せることができるという思惑もあってのトレードだった。
そして移籍 1年目の 1986年から活躍し、仰木彬監督のときにはチームのリーグ優勝にも貢献した。
89年に引退後は巨人、日本ハム、ヤクルトで 2012年までバッティングコーチを務めた。
縁もゆかりもない日本ハム、ヤクルトからお声がかかったのは、巨人時代の同僚だった高田繁がそれぞれのチームでゼネラルマネージャーだったことも大きい。
彼も淡口の人間性を評価して、指導者として招聘したのだろう。
実際に不振にあえいでいた稲葉篤紀を復活させるなど、その指導力はたしかなものだったようだ。
エース級のピッチャーに必要な資質 そもそもピッチャーは全員、個人主義的な部分がある。
たった 1人で 9人の相手バッターに対峙し、前面に立って試合をつくっていくわけだから個人主義的になって当然だ。
とくに名球会の集まりなどに行くと、ピッチャー出身者の性格はわかりやすい。
みんな自信家で、ともすれば過信気味だ。
自己中心的で、謙虚さなどは持ち合わせていない人がほとんどだ。
こういった性格も、生まれつきと言うよりも、ピッチャーをやってきた環境によって形づくられたものなのかもしれない。
とにかく見ている人みんなの注目を浴びて、試合をつくっていくのがピッチャーなわけで、少々過信気味でも、「俺が、俺が」というように自己顕示欲の強い人間でなければ務まらない。
とくに各チームのエース級、ましては名球会に名を連ねるようなピッチャーであれば、かなりの自己中心的な人間がほとんどだ。
だがその性格はまだいいが、それがチームの勝利をないがしろにした利己主義になってはいけない。
利己主義的なピッチャーとは、チームの勝利よりも、自分の記録や成績を優先する、「自分が勝てばそれでいい」と考えるピッチャーのことだ。
こうしたピッチャーはいざという大舞台で、人間的に信頼できない。
プロ野球選手である以上は、個人の記録や成績を重視するのは当然のことではあるが、それを優先しているばかりでは、チームの勝利には結びつかない。
それでは真のエースとは言えないのである。
2013年、楽天の試合で田中が登板すると、チームの雰囲気が「なんとか田中に勝たせてやろう」と一致し、結束していった。
8月にチームが 5連敗したときに食い止めたのも田中だった。
「あそこで田中が負けていれば、チームはズルズルと落ちていった」と佐藤義則ピッチングコーチが話していたというから、田中に対する信頼感は絶大なものだったのだろう。
真面目で思いやりがあり、チームのことを第一に考える人柄が魅力だと話す後輩選手も、あとを絶たなかったそうだ。
田中はまさにチームの鑑へと成長したのだろう。
自己中心的でなければ務まらない、しかし、利己主義では投げる資格がない。
ピッチャーとはそういう役回りなのかもしれない。
参謀役に向いているのはどんな人物か 野球界にも監督を支える参謀役がいる。
それはヘッドコーチの場合が多いが、一般社会でいえば、社長を支える専務や常務といったところだろう。
私は参謀役には、内野手出身者がいいのではないかと考えている。
内野手というのは、そのポジションの特性として、常にチームメートとの連携が求められており、協調性も自然と身についていて、それなりに野球全体を見る視点ももっていることが多いからだ。
私が南海で選手兼任監督だったときに、ヘッドコーチの就任をお願いしたのはドン・ブレイザーで、まさにそんな人物だった。
ブレイザーは内野手としてメジャーリーグの経験も豊富で、最初、南海に選手として移籍してきたときは、遠征に行くと私はよく彼を食事に誘い、大リーグの情報を聞きだしていた。
彼の話はメジャーの情報だけにとどまらず、野球に関する最新の知識や哲学もあり、私は深い感銘を受けた。
このブレイザーとの出会いがきっかけで、私はより野球の奥深さに興味をもっていったのだった。
ブレイザーは当時の日本野球にはなかったさまざまな概念を持ち込み、日本における「シンキング・ベースボール」の基礎をつくった人間でもある。
また、監督を支える参謀ということで言えは、はっきりとものを言える人材も適任だと考える。
私がヤクルトで監督を務めていたときの尾花高夫投手コーチがこのタイプだった。
指揮官としては、いつも自分の考えが正しいと思っているわけではない。
時と場合によっては、「なるほど、そういうことか」といった視点やアイデアを欲しているものだ。
しかし多くのスタッフは、監督に対して気を使い、なかなか自分の意見を披歴しようとしない。
そんなとき、指揮官の前で自分の考えをはっきり言える人間は大切な存在である。
また彼は、選手に対しても、監督が言いづらいような厳しいことを、はっきり言うことができた。
選手たちに誤解され嫌われ役になってしまうのだが、そういった面も、監督としては大いに助かる部分といえる。
現場のリーダーであるキャッチャーに必要な資質 キャッチャーという仕事は、試合中はグラウンド上で 1人だけ自軍チームの選手のほうを向き、ほとんど監督と同じようなことをやっている。
ピッチャーの配球や守備体系などに指示を出し、現場で実際に戦術を組み立てているのがキャッチャーだ。
たとえるなら、監督は企業の社長で、キャッチャーは現場の責任者、部長といったところか。
そのような役回りのキャッチャーであるが、このポジションに必要な資質は、「このピッチャーをなんとか勝たせたい」という熱意と、「功は人に譲る」という精神だ。
よくキャッチャーのことを女房役と言うが、これは言い得て妙で、なんとかピッチャーのよさを引き出して、ピッチャーを引き立ててやるというキャッチャーの仕事をよく表している。
基本的に困っている人を助けたい、助けになってやりたいという性質が強く、ピッチャーが勝つことを自分のことのようにうれしく思え、「自分のリードのおかげ」などと思わず、功を人に譲れる謙虚さももっている人間が適任だ。
自分で言うのもおかしな話だが、私という人間は生まれながらにキャッチャー体質の人間だ。
これは長年キャッチャーを務めてきたからこういう性格になったのではなく、もともと私にはそういう傾向があったと思える。
しかしなかには、プロのキャッチャーをそれなりに務めていながら、まったくキャッチャー向きではない選手もいて驚かされることもある。
私が西武での現役時代、レギュラーのキャッチャーは田淵幸一だった。
田淵は法政大学で当時の東京六大学の記録だった 22本のホームランを放ち、 68年にドラフト 1位で阪神に入団した。
阪神時代は江夏豊との黄金バッテリーで巨人と対峙し、またセ・リーグのホームラン王にも輝いたことのある強肩強打のキャッチャーだ。
だが、西武に来たときには阪神時代のケガの後遺症もあり、肩は衰え、体格も太り気味になり、バッティングだけの選手になっていた。
ではリード面はどうだったかというと、これまたピッチャーに対する思いやりがまったく感じられなかった。
田淵とは西武球場でロッカールームが隣同士だったこともあり、よく話をした。
だが、「キャッチャーとはどういう仕事をするべきか」について、彼の口からまったく聞かされることはなかった。
私がマスクをかぶるときには「打たれたらすべてキャッチャーの責任だ」という覚悟をしていた。
うかつなリードができないからこそ、徹底的に相手を研究する。
とくに当時の西武には経験が浅いながらも若くて伸び盛りのピッチャーが数多くいた。
彼らになんとかして勝ち星をつけてあげたい、勝利の喜びを知ってもらいたい、その一心でリードしていたものだ。
だが田淵は違った。
当時、こんなことがあった。
大ピンチでストレートを勝負球に選んで、打たれて負けた試合のあとのことだ。
気になった私が「なぜ、追い込んでストレート勝負をしたの? その根拠は?」と聞くと、「投げたのはピッチャーじゃないですか」と答えられ、これ以上追究してもむだだと思い聞くことをやめたことがあった。
彼の「ノムさん、あれはピッチャーの失投だから仕方がないですよ」と悪びれた様子もないのには本当に驚かされたものだ。
実際、キャッチャーのなかには、打たれたらピッチャーが悪い、抑えたらキャッチャーの俺のリードがよかったなどと思いがちで、それが言動に出てしまうような選手もいる。
しかしこれでは、投げているピッチャーがへそを曲げるのは確実だ。
他の選手だって、そういったキャッチャーの姿勢を見れば、信頼や尊敬の念はけっしてもたない。
現場で試合を組み立てるキャッチャーが、チームメートから信頼されないような組織がまとまるわけもなく、チームとしての力も発揮できないだろう。
これは一般の企業でも、同じことではないだろうか。
部長が部下の成功を自分のことのように喜べず、功を横取りするような人間性だったら、その組織はバラバラになってしまうだろう。
リーダーたるもの、部下の成長に情熱を傾け、功は人に譲る精神を持つことが大前提だ。
部下の本当の「やる気」を喚起するリーダーの視線 プロ野球は3月下旬に開幕し、 10月上旬までシーズンが続く、いわば長丁場の闘いである。
そのため、選手のコンディションには細心の注意を払わなければならない。
チームのエースや 4番打者がケガで戦線離脱せざるを得ない状況ともなれば、チームの浮沈にかかわる一大事となる。
チームを預かる監督としては、 1軍選手はもちろん、可能なかぎり 2軍の状況も把握しておくことが大事になってくる。
1軍の選手にアクシデントがあり、 2軍から新たな選手を補充しようなどというとき、日ごろから 2軍の試合などを見ていて情報が頭に入っていれば的確な判断がすぐできる。
私も南海のプレイングマネジャー時代は、よく 2軍の試合を見たものだ。
関西のチームは 1軍も 2軍も同じ球場で試合をやることも多く、昼間に 2軍が試合をし、夜が 1軍の試合ということがよくあった。
だから比較的簡単に、 2軍の試合を見ることができたし、そこでさまざまな情報を収集することもできた。
しかし、ヤクルトの監督時代は、少し事情が変わった。
ヤクルトでは 1軍は神宮で試合をするが、 2軍のグラウンドは埼玉県の戸田にあるのだ。
自宅から車で 2時間ほどかかっただろうか。
そのため、気楽に 1軍の試合の前に 2軍を見るということもできなくなってしまった。
ただ、当時のヤクルトには若くてイキのいい選手も多く、磨けば光るダイヤモンドの原石がいないものかと、なるべく機会をつくっては、若い選手たちを見るようにしていた。
指揮官であれば、当然 1軍の選手を中心に目配りすることになるのだが、ある程度、視野を広げて、その下の段階にいる 2軍選手のこともときには「見る」ことが大切なのだろう。
それは、 2軍選手の情報収集という側面だけではなく、選手のモチベーションを引き出す面においても効果があるかもしれない。
これは私が南海に入団したばかりのころの思い出だ。
私はプロ入りしてから 2年間は技術面はもちろんのこと、体力も 1軍選手に比べたら到底そのレベルに達していなかった。
事実、プロ入り 1年目のオフに、球団からクビを宣告され、なんとか懇願して球団に残してもらったような 2軍選手だった。
いまでも記憶に残っているのが、 2軍が練習しているときに、当時の鶴岡監督がグラウンドに現れたときの思い出だ。
なんとか監督にアピールしたいと必死になったものだ。
バッティング練習をしているときも、チラチラと監督のほうに視線が行ってしまう。
ヒット性のいい当たりを打って、「いまの俺のバッティングを見ていてくれたか」と横目で監督を見ると、そっぽを向いていて一気に落胆したり、逆に、ボテボテのひどいバッティングをして、「こんなところを見ていてくれるなよ」と監督を見ると、しっかり見ていたりする。
監督の一挙一動に影響されながらも、とにかく監督に認められたいと必死になって野球に取り組んだものだ。
こういった思いは、時代が変わったといえども、いまの若い選手たちにも当然あるものだと私は思っている。
1軍の監督である私が、 2軍の試合や練習を見るというのは、そういったモチベーションを上げる側面もある。
いくら言葉で「がんばれ」と言っても、その人間の気持ちを本当の意味で駆り立てることは難しい。
人に言われたからやるのではなく、自らやるものでなければプロの厳しい世界では生き残っていけない。
極端に言えば、私は 2軍の選手たちが練習するグラウンドに姿を現すだけでいい。
そのときにことさら、言葉をかける必要などもない。
1軍の監督である私が「見ている」だけで、彼らの心の底にあった「やる気」を喚起するきっかけになることもあると思っている。
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