相手の本心を暴く「質問」とは?質問に「ふつう」と答える人の性格とは「ということは、つまり?」で相手に話させる会話術「自分好き」な人をひそかに見抜く技法誠実かどうかは、「出身地」を聞けばわかる「僕の身長は何センチだと思います?」でわかる他人からの印象「きたない言葉」を多用する人の深層心理「わからない」は、「嫌い」という言葉に置き換える「あなたは朝に強い人ですか?」と質問してみよ「あ〜ヒマだ」と言う人は内心、とても焦っている column‐ 2 本当に「いい会社」を見分けるならココを見よ
質問に「ふつう」と答える人の性格とは アンケート調査のときに、「ふつう」とか「どちらでもない」という、どっちつかずの答えを選ぶ人がいる。
イエスかノーで、はっきりとした答えができない人である。
「あなたは、お金持ちになりたいですか?」「う〜ん、よくわかんない」「あなたは、政治に興味がありますか?」「ええと、ふつう」「あなたは、自分が好きですか?」「う〜ん、どうなんだろう」 このような反応をとりがちな人には、ある共通した性格がある。
それは〝自信のなさ〟だ。
彼らは、自分に自信がないからこそ、にぶい反応しかとれないのである。
ブリティッシュ・コロンビア大学のジェニファー・キャンベル博士によると、性格テストで自信がある人と、自信がない人を集めて、両方に 25の質問をぶつけたところ、自信があるグループでは、平均 3・ 8秒で答えを言ってきたのに対して、自信がないグループでは平均 4・ 5秒もかかったそうである。
自信がない人は、返事までに、ワンテンポの間が空くのだ。
しかも、キャンベル博士によると、自信のないグループでは、「ふつう」とか「わからない」というどっちつかずの反応が多かったそうである。
彼らは、答えるのも遅く、しかもはっきりとした意見を述べなかったのだ。
もしあなたが、「ランチはイタリアンにしましょう。
それでいいですか?」と聞いてみて、「う〜ん…………ええと……、あの……、まぁ……なんでもいいや」と相手が答えてくるなら、その人物は、おそらく自信がない人である。
自信があるかどうかは、その人の答え方と間の取り方で、わりと正確に見抜ける。
あなたが何かを尋ねてみて、さっさと答えが返ってくるのなら、おそらくは自信家だ。
彼らは自分の意見に自信を持っていて、容易に、それを変更することはない。
逆に、返答に時間がかかるようなら、自信がないのである。
しかも、返答してくるとき、どっちつかずの答えを言うのなら、なおさら自信がないとみてよいだろう。
何を質問しても、「よくわかんない」が口ぐせの子どもは、たとえテストで 100点をとっても、それが自信を持つことにつながらず、「たまたま問題がやさしかったからだよ」というような、ひねくれた考え方をする。
自信がない人は、他の人から励まされようが、勇気づけられようが、それをそのまま受け取れないのである。
ちなみに、自分が自信のないことを相手に悟られたくないのなら、何を聞かれても、「さっさと答える」ようにするのがよいだろう。
自信がなくとも、ハキハキと答えていれば、相手の目には、あなたが自信家であるように映るからである。
そうやって自信があるような演技をしていると、そのうちに本当に自信がついてくることもあるのだから、ぜひやってみてほしい。
「ということは、つまり?」で相手に話させる会話術 相手のホンネを読むテクニックのひとつとして、会話の前半部分をあなたがしゃべり、後半部分を相手に話させるという方法がある。
前半をこちらが話すことによって、相手も話しやすい雰囲気にすることが狙いである。
「……ということは、つまり?」 「……だとすれば、当然?」 「……ということは、それを言いかえると?」「つまり、あなたのお考えでは……」 というセリフで水を向ければ、相手も、「ええ、賛成というわけです」とか、「ええ、その案でけっこうです」という結論を出してくれる。
会話の前半部分をあなたがしゃべってしまえば、相手も後半部分を話さないと落ち着かない気分になる。
中断された文章というのは、どうにも気になるからだ。
雑誌の記者や、テレビの討論番組の司会者などは、インタビューしている相手が口を濁して語ってくれないときには、このような誘い方をよくする。
「……ということは、あなたは彼を愛して……?」 と言われれば相手も、「ええ、愛していません」「ええ、愛しています」 という答えを出さないと落ち着かない心持ちになるわけである。
心理学では、中断された物事は相手にとって落ち着かない気分にさせることが知られており、これを「ゼイガルニク効果」と呼んでいる。
発見者であるロシアの心理学者の名前をとった法則だ。
中途半端に中断されると、私たちは、最後まで終わらしてしまいたくなる。
連続ドラマも中途半端なところで終わると続きが見たくなってしまうし、中途半端なところで読むのをやめた小説も最後まで読まないと落ち着かない。
仕事もそうで、やりかけの仕事は、その日のうちに片づけてしまいたくなるものであり、それを翌日まで持ち越したくないという心理が働く。
中断された物事は、なんとなく気分が悪く、お尻のあたりがムズムズしてくるのだ。
会話でもそうなのであり、中途半端なところであなたが会話をやめると、相手は最後まで言いきってしまいたくなるのである。
政治家は、イエスかノーで質問されても、のらりくらりと質問をかわすテクニックを身につけているが、ふつうの素人には、そんな芸当はできるものではない。
そのため、あなたがうまく水を向ければ、相手も自分なりの結論を出してしまうものなのである。
相手のホンネを探りたいときには、うまく水を向けよう。
あなたが上手に水を向ければ、相手もホンネを出さざるを得なくなるはずだ。
「自分好き」な人をひそかに見抜く技法 女性に多いのだが、いちいち自分の名前を会話の端々に挿入する人がいる。
「ええと、クミはねぇ〜」「マナミが好きなのはねぇ〜」 などと、自分の名前を、必要もないのにわざわざ言うのである。
このような場合、男性であれば、「俺」や「僕」ですませることが多く、女性のように自分の名前を言うことは珍しい。
さて、女性で、自分の名前を会話に挿入するクセのある人は、どのような特徴があるのだろうか。
だいたい予想できると思うが、こういうタイプは、おしなべて「ナルシスト」である。
自分が好きなので、自分の名前も頻繁に口にするのだ。
ノース・アラバマ大学のミスティ・マーラーによると、自分の名前を好むかどうかを調べれば、その人が自分をどれだけ好きなのか、自分をどれだけ誇っているのか、すなわち、どれくらいナルシストなのかがわかるという。
だから、その人がどれくらい自分の名前を好きなのかがわかれば、その人のナルシスト度までをも判断することができるのだ。
「自分の名前を好む」のかは、自分の名前を挿入しておしゃべりすること以外でも、他にもいろいろな点で観察することができる。
たとえば、署名の大きさ。
自分の名前を好きな人は、名前を書くときにも、堂々と、大きく書く。
したがって、自分の名前を大きく書いているようなら、その人は自信家であり、ナルシストでもあるということがわかるのである。
逆に、自分が嫌いな人は、小さな署名をするものである。
子どもの習字を見ると、自分に自信がない子どもに名前を書かせると、とても小さく、しかも歪んでいる字を書く。
本人の自信のなさが、自分の名前を書くときにもあらわれてしまうのだ。
あるいは、名前を呼ばれてからの返答の早さでも、その人が自分の名前をどのように思っているのかを見抜くことができる。
もし自分の名前を好きなのなら、「ねぇ、内藤くん!」とか「誼人さん!」と呼びかけられたときに、すぐに「はい!」と返事をするであろう。
自分の名前が好きなら、すぐに反応するはずだ。
ところが、自分の名前をあまり好きではない人は、名前を呼びかけられても、すぐには返事をしないのである。
しばらく間があいてから、「あっ、俺のことだっけ……」ということで、あわてて返事をしてくるところがあるのだ。
これらのポイントについて注意していれば、相手がどれくらい自分のことを好きなのかがわかるはずだ。
もしナルシストのところがあるタイプだと思ったら、どんどんお世辞を言ってあげるとよい。
そういうタイプは、人にホメてもらうことが、三度の飯よりも好きだからだ。
誠実かどうかは、「出身地」を聞けばわかる 大まかな傾向としていえば、大都市の住人よりも、田舎の住人のほうが親切である。
俗に、「都会の人は冷たい」というけれども、これはある程度までは正しい。
たしかに、都会にも下町があって、人情にあふれた人がいないわけではないのだが、全体としてみれば、それは少数である。
テレビには、「田舎の人に泊めてもらおう」という企画の番組があるが、けっこう田舎の人は見ず知らずの人でも平気で泊めてくれる。
もし同じことを都会でやれば、おそらくはたいてい断られてしまうであろう。
「知らない人には、かかわらないほうがいい」「知らない人は、無視していたほうがいい」 というのが都会人のルール。
他人に対して無関心でいて、積極的にかかわらないほうがいいという気持ちは、地方の人よりも、都会の人のほうが強いようなのである。
西フロリダ大学のステファン・ブリッジズ博士は、ルイジアナとフロリダの都市部と小さな町の両方で、いろいろな場所に、 1000通を超える手紙を歩道にちょこちょこと置いておいたことがある。
手紙には、きちんと送付先が書かれていて、すでに切手が貼られていた。
だから拾ってポストに投函してくれさえすれば、手紙は届くことになっていたのである。
なお、手紙の送付先は、大学の実験室の住所になっていた。
ブリッジズ博士は、こういう仮説をたてた。
「都会の人は冷たくて、小さな町の人は親切だ。
だから、小さな町の人たちは、拾った手紙を、親切に投函してくれるだろう。
都会の人は、手紙が落ちているのを見かけても、通り過ぎてしまう。
だから、あまり手紙は戻ってこないはずだ」 戻ってきた手紙のパーセンテージを見ると、小さな町では 42・ 4%の手紙が戻ってきて、都会では 34・ 9%だった。
仮説どおり、小さな町の人のほうが、親切だったのである。
世間話をするときには、相手の出身地を聞いてみるのも、その人が親切なのかどうかを知ることができるのでいいアイデアだ。
現在は都会で暮らしていても、地方で生まれ育った人は、地方の人と同じくらい親切であることもある。
「郷里は、どちらになるんですか?」「どちらのご出身なのですか?」 などと質問してみて、もし相手がどこかの小さな町で育ったというのなら、その人の性格には、親切なところがあると見抜くことができる。
義侠心があって、困っている人を見捨てることができないタイプである。
もちろん私は、あくまでも大まかな傾向を指摘しているだけであって、「都会で生まれ育った人は、みんな悪魔のように冷たい」などと極端なことを言っているわけではないことに注意してほしい。
都会の人にも親切で、温かい心を持った人はたくさんいる。
だが、その数は、地方出身者に比べると、相対的に少ないのである。
「僕の身長は何センチだと思います?」でわかる他人からの印象 あなたが他人にどう思われているのかが気になるなら、自分の身長を相手に推定してもらうとよい。
「ねぇ、ねぇ、僕の身長って、何センチくらいだと思う?」 このように質問して、その結果が、現実のあなたの身長と、どれくらいズレるのかを調べてみれば、相手にどう評価されているのかが正確に読めるからだ。
たとえば、あなたの身長が 172センチであるとして、相手の答えが「 168センチ」だったとしよう。
このように、相手の答えが、実際の身長よりも低く推定された場合には、「あなたはナメられている」ということが読める。
逆に、相手の答えが、「 175センチ」のように、実際のあなたの身長よりも高い方向だった場合には、「あなたは尊敬されている」ということがわかるのである。
実際の身長よりも低く言われた →あなたは心理的に〝下〟に見られている実際の身長とほぼ同じ身長を言われた →あなたは心理的に〝同等〟に見られている実際の身長よりも高く言われた →あなたは心理的に〝上〟に見られている このルールを発見したのは、オーストラリアン・ナショナル大学のポール・ウィルソン教授。
ウィルソン教授が、自分の講義に参加している大学生に対して、「今日は、ゲストとして、ケンブリッジ大学の〝教授〟にお越しいただきました」としてある人物をクラスに招き入れ、彼が立ち去った後で、「彼の身長はどれくらいだったと思いますか?」と質問してみると、平均して「 184センチ」という答えが返ってきたという。
ところが、別のクラスにおいて、「今日はゲストとして、ケンブリッジ大学の〝学生〟に来てもらいました」と紹介してお話をしてもらい、彼が立ち去った後で、同じように彼の身長を推定してもらったところ、今度は平均して「 177センチ」という答えが返ってきたそうである。
まったく同じ人物でも、肩書きが「教授」と紹介されると、心理的に〝上〟に見られて、身長も高く評価されることがこの実験からわかったのである。
相手に尊敬されていたり、仰ぎみられるときには、身長までもが高く推定されるものなのだ。
したがって、もしもみなさんが自分の身長を他人に推定してもらうとき、相手の答えが実際の身長を下回るようなら、あなたは軽く見られている、という証拠になる。
ガッカリするかもしれないが、ともかく他人の目には、あなたは〝下の人間〟として映っているのである。
もう少し軽く扱われない方法を覚えないと、いつまでもあなたはナメられつづけることになって、困ることになるだろう。
ちなみに、私は他人にナメられない方法についての本も書いている(『他人に軽く扱われない技法』大和書房)ので、もし興味があれば、ぜひこちらの本もお読みいただきたい。
「きたない言葉」を多用する人の深層心理 その人が、どんな言葉を使うのかによっても、その人の行動と性格を読むことができる。
言葉グセには、その人の基本的なパーソナリティがよくあらわれるからだ。
そこで今回は、人をののしるような言葉を多用する人の心理について分析してみよう。
「バカ野郎!」「お前なんて、死んじまえ!」「二度と、その顔を見せるな!」 口を開けば、怒りっぽい言葉がぽんぽんと飛び出してくる人がいる。
怒りっぽい言葉グセを持つ人は、「気が短いんだろうな」とみなして、ほとんど間違いはないが、さらにいくつかの特徴をも読みとることができる。
すなわち、 予測しにくい行動をとる 落ち着きがない 衝動的である といった特徴である。
彼らは、昨日までは普通に出勤していたのに、いきなり辞表を提出してみたり、いきなり結婚したりして、周囲を驚かせることが多い。
その行動が、うまく予測できないのだ。
カリフォルニア大学のリサ・ファスト博士が 2008年に発表している論文によると、怒りっぽい言葉を好んで使う人をよく知る友人に、「あの人は、どういう性格の人ですか?」と尋ねてみると、「予測不能」という評価が返ってくるそうである。
怒りっぽい言葉グセのある人は、衝動的、発作的に行動する。
カッとなって、ナイフで相手を刺してしまうという事件を起こす人がいるが、そういう人は、怒りっぽい言葉をよく使う人であろうと推測できる。
衝動的な人というのは、何をするかわからないところがあるからだ。
私は、ののしり言葉や侮蔑語をすぐ口に出す人とは、基本的に付き合わないようにしている。
彼らは、瞬間湯沸かし器のようにカッとなるところがあるから、こちらも言葉に気をつけなければならず、神経もすり減るからである。
付き合いやすいという点でいえば、あまり怒りっぽい言葉を使わない人のほうがよい。
そういう人は、行動ものんびりしていて、予測しやすい。
だから、次に何をするのかがわかるので、いらぬ気をつかう必要がないのだ。
ちなみに、ファスト博士によると、「自分は」、「私は」、「僕は」などと、自分自身について述べることが多い人には、「気分屋」とか「うぬぼれ屋」という特徴があるらしい。
言葉グセからも、けっこういろいろなことがわかるものである。
「わからない」は、「嫌い」という言葉に置き換える 商品の説明をしているとき、お客さんから、「あなたの言っていることは、よくわからないな」 と言われたとしたら、それはあなたの説明がヘタだということではなく、「私は、あなたが嫌いなんだ」と翻訳して考えるとよい。
相手は、「わからない」のではなく、ただ「嫌い」なのだ。
ただ、それを正直に指摘すると、あなたが傷つくと思うので、「わからない」などという、〝よくわからない〟言葉を選んで使っているだけなのである。
「この企画の趣旨と意図がよくわかんないんだけど……」 と言われたら、本当にわからないのではなく、そもそもその企画が気に入らないと相手は言っているのである。
だから、いくら説明してもムダである。
「わからない」という言葉は、「わかりたくない」「わかりたくもない」という意味が隠されていて、つまりは「嫌い」と同義なのである。
上司に最新のパソコン・ソフトの使い方を教えてほしいと頼まれたとき、ちょっと説明してみて、「よくわからない」と言われたら、それ以上は説明してもムダである。
わかる人には一瞬でわかるのだし、わからない人にはいくら説明してもわかってもらえない。
なにしろその上司のホンネは、「こんなソフトは使いたくもない」だからである。
私たちは、自分が受け入れたくないことに対しては、心理的な抵抗を感じてしまう。
その抵抗のあらわれが、「わからない」という言葉なのである。
本人は、「わからない」という言葉を使って、自分の殻に引きこもってしまうのだ。
カウンセリング心理学の分野では、患者にとって苦痛なことをセラピストが指摘すると、「先生のおっしゃることは、よくわかりません」といって患者が逃避行動を起こすことがよく知られている。
これも抵抗の一種である。
セラピストは、患者がそういうセリフを使ったときには、それ以上ムリに説明したりはしない。
「それじゃ、他のことをお話しましょうか」 といって、無理強いはしないのである。
患者が、セラピストの指摘を受け入れる準備が整っていないうちには、何を言っても抵抗されるのがオチなので、「わからない」という言葉を聞いたら、違う話題を持ち出すのである。
もし相手から、「あなたの説明はわからない」と言われても、「俺って、説明がヘタなんだなぁ〜」などと反省しなくともよい。
説明の技術を磨いても、あなたが相手に嫌われているなら、どう説明しようが、「やっぱり、わかりません」と言われるに決まっているからである。
むしろ、あなたがやるべきことは、好かれるための努力をすることである。
あなたがだれにでも好かれる人間なら、どんなにヘタな説明をしようが、「わからない」と言われることはなくなるはずだからだ。
「あなたは朝に強い人ですか?」と質問してみよ「あれぇ〜。
あの書類どこに置いたっけ?」「すみません、お名前をど忘れしてしまいまして……」 世の中には、置いた場所をすぐに忘れてしまったり、人の名前を思いだせなかったり、街を歩いていると、よく人にぶつかってしまうタイプがいる。
俗っぽくいえば、「うっかり屋さん」である。
こういうタイプに共通してみられる特徴は、何かあるのだろうか。
実は、あるのである。
なんと朝型人間ほど、うっかりしている人が多いという驚くべきデータがあるのだ。
人間は、朝起きてからすぐに元気いっぱいの朝型人間と、夕方になってから元気が出てくる夜型人間にわけられるのだが、朝型人間のほうがうっかりタイプが多いのである。
イタリアのフィレンツェ大学の心理学者ルキアノ・メカッチィ博士が、 390名の人たちを調査したところ、本やカードの置き場所を忘れたり、大切な約束を忘れたり、テーブルに足をぶつけたりと、そういうことをよくするうっかり屋さんには、朝型人間が多いという傾向が発見されたというのである。
朝型人間というと、エネルギッシュで、猪突猛進タイプが多いので、あまり細かいことには気にしないことが多い。
そのため、うっかり屋さんが多くなってしまうのであろう。
かくいう私も、午前中にだいたいの仕事を片づけてしまって、午後にはのんびりするという朝型人間であるが、思い当たるフシはいくらでもある。
ちょこちょこ〝ど忘れ〟はするし、話をしている最中に、喉元まで出かかっている専門用語が出てこなくなるということはしばしばだ。
きめ細かい作業をようする仕事には、朝型人間は向いていないのかもしれない。
彼らは、粗忽なところがあって、適当にやってしまうところがあるのである。
「ま、いっか」というのが朝型人間のモットーだともいえる。
朝型人間の悪口ばかりをいってもしかたがないから、もう少し好意的な読心術についても述べておこう。
ミシガン州立大学のバーバラ・ワッツ博士によれば、朝型人間には次のような特徴が見られるそうである。
意欲的である リーダーシップがある 時間のムダを嫌う(計画的) 朝型人間には、「うっかり屋さん」が多いとはいえ、それを補ってあまりあるほどのバイタリティがあるのであって、バランスはとれているといえよう。
朝型人間だからダメだとか、夜型人間だからいい、ということは一概には言えない。
それぞれに長所と短所があって、どちらが悪いということではないのである。
「あ〜ヒマだ」と言う人は内心、とても焦っている フリーで仕事をしていると、エアポケットのようにいきなりスケジュールが空いてしまうことがある。
私もかなりの仕事を抱えているほうだと思うが、それでも 1週間くらい、いきなりヒマになってしまうことがあるのである。
入れていた仕事が急にキャンセルされて、次の仕事までにぽっかりとスケジュールが空いてしまうのだ。
では、こうやっていきなりヒマができた人間の心を読んでみよう。
常識的に考えれば、ストレスフルな仕事から解放されるわけで、自由な時間ができ、精神的にもくつろいだ気持ちになると思うであろう。
ところが、まるで逆なのである。
人間というのは、自由な時間ができると、かえって何をしてよいかわからずに、パニックになってしまうものなのだ。
内心は、すごく焦ってしまうのだ。
米国メリーランド大学のマリベス・マッティングリー博士によると、オフィスの OA化やロボット化によって、従業員は面倒な仕事から解放され、自由な時間も増えた。
だからといって、人々が精神的にくつろげるようになったかというと、むしろ逆に、焦る人が多くなったという。
博士によると、 1975年時点では、「あなたは、いつでもせかせかした気分を感じますか?」という質問に対して、「イエス」と答える割合は 27・ 6%だったそうだが、それが 1998年になると 35・ 1%に増えたというのだ。
OA化によって仕事が減り、自由な時間が増えると、むしろ内心の焦りを誘うようになってしまったのだ。
何もしない時間があるからといって、その人が精神的にものんびりできるかといえば、それは違うのである。
むしろ、ある程度までは、忙しくしているくらいのほうが、精神的には落ち着いていられるのである。
「やるべきこと」を抱えているのは、たしかに負担には違いないが、だからといって、「何もしなくていい」と言われると、私たちはどうしてよいのかわからないのだ。
教育の分野でも、「ゆとり教育」などといって学校の学習時間を減らしても、子どもたちにとってはいい迷惑であることが、いまやはっきりしてしまった。
「さぁ、これから自由な時間をあげますよ、これでのびのびしてくださいね」 などと言われても、子どもたちだって困ってしまうのである。
むしろ、学習塾にでも行って、忙しくしてもらったほうが、「やるべきこと」が見つかるので、イキイキしてくるものなのだ。
のんびりしている人を見つけたからといって、「いいなぁ〜、お前は。
自由な時間があってさ」 などと言うと、相手には皮肉と受け取られかねない。
相手からすれば、忙しく飛びまわっているあなたのほうが、とても羨ましく見えるものなのだ。
そういう心を察してあげて、失言をしないように気をつけよう。
column‐ 2本当に「いい会社」を見分けるならココを見よ 就職活動をしている学生が、希望する会社を選ぶときには、会社の所在地や、給料、福利厚生などに目を向けがちだ。
おしゃれな街で、高給が保証されているなら、それだけでいい会社ということになるのだろう。
だが、それは間違いである。
就職しても大丈夫な会社なのか、いい会社なのかを見分けるポイントは給料などではない。
では、どこに注目するのが正しいのか。
それはズバリ、転職率と、退職率である。
この数字に注目すれば、その会社がどれだけいい会社かわかる。
すでに勤めている社員が満足しているほどのいい会社なら、「転職したい」という人も、「退職したい」という人も少なくなるはずで、転職率も退職率も当然のように低くなる。
その点、年間の転職率が驚くほど高い会社は、社員を牛馬のように使いまわし、弊履のごとく捨て去る会社が多い。
だから逃げ出す人が多いのである。
組織心理学では、社員の満足度や士気を測定するときに、「転職意図」をそのバロメーターとすることが多い。
たとえば、「あなたは半年以内にどれくらい転職する気持ちがありますか?」のような質問をすることで、その人の満足度の指標とするわけである。
もちろん、転職する意図が小さいほど、その会社はいい会社であるし、社員の満足度も高いとみなすわけだ。
子どもを学習塾を通わせるときにも、同じような視点を持つのがよい。
ふつうの学習塾は、有名校への合格率などをさかんにアピールしているが、そんなことには目を向けなくてもいいのだ。
調べるのは、他の生徒の「退塾率」なのである。
退塾率が高くて、生徒がどんどん入ってはやめていくような塾は、ロクな塾ではない。
本当に教え方のよい塾なら、生徒はやめることはない。
だからムリな勧誘もしていないことがほとんどである。
本書は、「人」を見抜くための判断の手がかりを提供するものであるが、「組織」や「会社」を読むこともできるのである。
正しい判断の手がかりさえつかめば、会社も個人と同じように読心術できるわけだ。
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