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第 1章 私は人の「この一瞬」に着目する

[はじめに]プロ野球界で磨かれた人間を見抜く力 私がプロ野球の世界に入って、すでに 60年がたった。

テスト生として南海に入団し、なんとか 1軍に這い上がろうと必死になって練習し、ようやく 1軍の試合に出られるようになったのが入団 3年目のことだった。

その後、リーグを代表するキャッチャー、また強打者として活躍するようになり、南海でのプレイングマネジャーを皮切りに、ヤクルト、阪神、楽天で監督も務めさせていただいた。

いま振り返ると、私の野球人としての実績を支えてきたものは、人間を観察し、洞察する力であった。

キャッチャーとしての仕事は、ピッチャーが投げたボールがバッターの前を通り過ぎるときの打者の瞬時の反応を観察し、それを分析、洞察して次の配球に生かしていくことである。

まさにそれは人間観察に明け暮れた毎日だった。

よくホームランを打ったバッターが、試合後のインタビューで「うまく体が反応しました」などと言うことがあるが、そんなものはすべて信用できない。

ヤマを張っていたくせに、企業秘密だから本当のところはけっして語らないのだ。

キャッチャーはそうしたバッターの本心を、マスク越しから見たちょっとしたしぐさから読む能力が求められるのだ。

バッティングにおいても同じだ。

私は 1軍に上がって数年後、技術的限界にぶつかり、さらに成績を伸ばすために野球技術以外の方法を模索し始める。

それが相手ピッチャーのクセや、配球の傾向などを調べ、読みの戦いで優位になり打ち勝つことだった。

相手ピッチャーやキャッチャーの性格、人間性を普段から見抜き、どういった配球の傾向があるのか、また、ときには球種ごとの投球のクセを見つけるため、擦り切れるほど相手ピッチャーの投球映像を見たこともある。

まさにこれも、人間観察眼が求められるものだった。

指揮官となってからはより、人を見る眼が必要とされた。

指導者は人を見つけ、育て、活かしていかなければならない。

選手観察をして、一人ひとりの性格や人間性にあった育て方、起用が必要となってくる。

本書は、そうした私がプロ野球界で磨いてきた人間観察眼のすべてを明かしたものだ。

キャッチャーとして、バッターとして、そして監督として実体験から学び得てきた「人を見抜く」ノウハウを紹介していく。

どのような点に私は着目し、そこにどのような人間の本質が出るのか。

そしてそれぞれのタイプの人間をいかに育て、組織の中で起用していくのかを明かしたつもりだ。

この本の内容が、野球ファン、野球関係者のみならず、一般企業などの組織のリーダーの方たちにも役に立てば著者としてこれほどうれしいことはない。

野村克也

リーダーのための「人を見抜く」力 > > > >目次 はじめに プロ野球界で磨かれた人間を見抜く力第 1章 私は人の「この一瞬」に着目する ベンチ前にボールを転がして人間性を見抜く 失敗したときの一瞬の反応に着目する ほめていい人間か見極める 技術を「盗もう」という人間か見る 不器用な人間かという視点で見る 新人が入ってきたときの観察の仕方 責任感のある人間かどうかを見抜く キャッチャーとは人間観察が仕事である つまらない単純作業に直面したときどうするか 「根拠」をもって行動している人間かを見る 試合中のベンチ内の会話でレベルを見抜く 誰とつき合っているかで将来性を見抜く 選手のインタビューから組織力を見抜く まわりに感謝する気持ちがあるか見る第 2章 どんな人間か本質を見破る方法 人には超一流、一流、超二流、二流の 4タイプがいる 超二流、二流の人への指導法 超一流、一流の人への指導法 挨拶でその人を見極める 旅館のスリッパの脱ぎ方を見よ 「恥の意識」があるかどうかを見極める その指導者は知識に飢えているかを見極める バカにできない血液型で見た人間分類 バッターは4つのタイプに分類できる 防げるミスか、防げないミスかを見極める 親孝行なやつかどうかを見極める エース級のピッチャーに必要な資質 参謀役に向いているのはどんな人物か 現場のリーダーであるキャッチャーに必要な資質 部下の本当の「やる気」を喚起するリーダーの視線第 3章 「人」を見抜いて指導する カラを破れずにいる選手を大化けさせるには 短所から目を背ける選手への指導 限界に打ちのめされている選手への指導 私が決して選手を殴らなかった理由 コーチは言い過ぎない人間が適任 手のひらを見れば、どんな選手かがわかる 固定観念を捨てたとき成長できる 「一流の脇役になれ」と指導した宮本慎也 「 ~とは」がない選手への指導 コツコツやっている選手を見逃してはならない あがり症の選手へのショック療法 ベテランに近づいた選手への指導 子を見れば親がわかる 名キャッチャーがなかなか輩出されない理由 部下に「早く結婚しろ」と言う理由 読書が人を成長させる第 4章 個々の適性を洞察して組織を伸ばす なぜ組織には適材適所が必要なのか 動きたがる指揮官はヘボである リーダーは派閥をつくってはならない 野村門下生への大事な注意事項 キャッチャーの成長が組織の成長 天狗になる選手をつくらない指導 監督のタイプも一回りして昔のタイプに戻ってきた チームリーダーに必要な人間性とは 組織の力量は、監督の力量以上にはならない 先入観をもって選手を見てはいけない 鈍感人間が多くなった理由 どんなリーダーも、自分の仕えたリーダーの影響を受けている

第 1章 私は人の「この一瞬」に着目する

ベンチ前にボールを転がして人間性を見抜く 私は常々「鈍感は悪である」と言い続けてきた。

はっきり言って、鈍感な人間は何をやってもダメだ。

「感じる力」がないと、人は伸びていかないのだ。

たとえばバッターボックスに立ち、相手ピッチャーの第 1球を迎える。

「お ー、速いな」と感じる。

極端なことを言えば、これだけだっていい。

なんにも感じない人間は、「よし、次は打ってやるぞ」といった意気込みだけだ。

しかし「速い」と感じた人間は、「この速い球をどう打ったらいいか」と考えるようになる。

つまり人は、「感じる」から「考える」のだ。

何も感じない人間は、考えることもないし、せいぜい「気力だ!」と思うくらいだ。

どんな世界でも同じだと思うが、やはり自分の頭を使って考えるやつが伸びていくものだろうし、それが「感じる」ことのできる人間なのだ。

感じる力のある人間は、誰に言われなくてもまわりのさまざまなことに関心をもつ。

「なんでさっきは、あんな配球をしたのだろう」、「なんで構える前に、ああいうしぐさをしたのだろう」、「あの人がさっき言ったのはどういうことなのだろう」と、自然とまわりのことに関心がいき、それが自分の技術的ヒントになったり、相手との読みの勝負を優位にさせたりする。

そしてそれこそが、その人間の成長のきっかけになっていくのだ。

だから、感じる力のない人間は伸びないということになる。

私は監督時代、よく選手たちの感じる力をこっそりと試していた。

選手たちがバッティング練習のためベンチを出ていく。

そんなタイミングで私は、ベンチの前に無造作にボールを一つ転がしておくのだ。

しばらくすると、練習を終えた選手たちがベンチに戻ってくる。

そのときの反応をこっそり見るのだ。

足元にボールが転がっているというのに、まったく気づかないやつもいるし、気づいていてまたいでいくやつもいる。

こんな選手たちは、このままでは今後の成長の見込みもあまりないと思えてくる。

逆に、そっと拾って、もとあった位置に転がしていくやつ、戻していくやつは、細かな目配り、気配りができる選手で、それは些細なことに感じる力をもっている選手といえる。

当然、前者よりは数段見込みがあると私は判断していた。

こういった感じる力は、もちろんもって生まれた感性なのかもしれないが、その基本は情熱や熱意、夢や希望といった強烈な思いから発生するものだと考えている。

その意味で、いまの日本は平和ボケなどとも言われるが、その生きるための強烈な思いをもちづらい社会なのかもしれない。

私がプレーしていたころに比べ、時代を追うごとに鈍感人間が増えているように思えるのだ。

これからの人々に貧しかった私たちと同じように、豊かになりたいという強烈なモチベーションをもてというのは、不可能なのかもしれない。

しかしいまの時代には、いまの時代なりの強い思いをもっている若者がいることも確かだ。

私がみるかぎり、そういった若者たちを支えているのは、親やまわりの人々への「強い感謝の念」であるように思える。

失敗したときの一瞬の反応に着目する プロ野球の世界というのは、野球エリートの集団である。

各地域で名をはせた実力者たちが集まったハイレベルな世界でもある。

そこでは常に激しい競争が繰り広げられ、その中で実力を伸ばし大成する選手もいれば、高いレベルの闘いに敗れ、そのまま消え去る選手もいる。

むしろアマチュアではちやほやされていたが、プロでは芽が出なかったという選手がほとんどだ。

はたして大成した選手と大成しなかった選手、この両者の違いはどこからくるのだろうか。

彼らの伸びしろや、将来の見込みがどれほどのものか、私は彼らがふと見せる表情から見抜くことがある。

私がいちばん着目するのは、選手たちが失敗をしたときだ。

野球というスポーツは試合中にさまざまな失敗が起こるものだ。

バッターがチャンスに凡退する、ピッチャーがピンチに打ち込まれた、大事な場面で守備のエラーをする……と数え上げたらきりがないくらいある。

その失敗をしてベンチに戻ってくるときの、選手の表情を私は横目でしっかり見ている。

本当に悔しがっているのか、それともあまり感じていないのかという点を見ているのだ。

悔しがっている選手は必ず伸びていく。

悔しくて、情けなくて、申し訳ないと唇を噛んでいるような選手はまだいい。

しかし中には、「仕方がない」と思っているのか、まったく心が動いた様子もなく、淡々としている選手もいる。

こういった選手は厳しい言い方になるが、まず将来はない。

次のチャンスを与えても、また同じような失敗を繰り返してしまうことが多いのだ。

一方、悔しさを感じている選手は、同じ失敗を繰り返さないために次はどうするか、ということを自然と考えるのだ。

悔しいという感情があるから、初めて頭を使って、なぜ失敗したのか、次はどう改善するのかといったことを必死になって模索するのだ。

そういうプロセスがまさに、成長なのではないだろうか。

これは野球界だけにかぎらず、一般のビジネスの世界でも同じではないだろうか。

何か失敗をする、そのときに悔しさを感じられる人間だけが伸びていく。

だからこそ、リーダーは部下が失敗したときこそ、その一瞬の表情を見逃してはならない。

ただ、いくら悔しいとはいえ、失敗したときにモノに当たったり、ベンチ裏で暴れたりするような選手は当然論外だ。

三振したバッターがベンチを蹴り上げたり、ノックアウトされたピッチャーがグラブを投げつけたりするシーンがたまに見受けられるが、ほめられた行為ではない。

バットやグラブは大事な商売道具だ。

それを乱暴に扱うなんて、気でも狂ったとしか思えない。

ふがいないプレーをしたのはすべて他ならぬ自分のせいである。

それならばなぜそのような失敗をしてしまったのか、自分自身と向き合うことが大切で、こういった行為はそこから逃げていることのように私には見える。

それにテレビ中継があったときに、三振した選手がベンチ内で暴れているシーンを、プロ野球ファンや野球少年たちが見たらどう思うだろう? プロのアスリートたるもの、「常に多くの人から注目されている」という意識をもたなければならい。

私自身、現役時代はもちろんのこと、監督になってからもけっしてモノに当たるようなマネはしなかった。

ただし、勝負に対する執着心でいえば、チーム内の誰にも負けないくらい私は強くもっていたと自信をもって言える。

現役時代、キャッチャーをやっていて打たれたとき、あるいはバッターとして打ちとられたときは「こんちくしょう」と思ったものだし、監督になってからだって負ければ悔しくて悔しくて仕方がなかった。

そうした気持ちをもちつつ、どうすれば打てるようになるか、あるいは抑えられるようになるのか、「次は絶対に負けない」と、日々努力し、反省し続け、成長してきたのだ。

反省とは過去に向かってやるものではない。

未来に向かってやるものなのだ。

ほめていい人間か見極める 最近はほめる技術のある上司が、人を育てるという風潮がまん延している。

少々のことには目をつぶって、なんとかやる気を出してもらおうと、元気づけたり、おだてたりしていると聞く。

下手に叱ればへそを曲げてやる気をなくしたり、最悪、会社を辞めてしまうこともあるからだという。

プロ野球の世界も例外ではなく、叱られたからといってさすがに辞める人間はいないが、ちょっと厳しく叱ったりすると落ち込んで立ち直れない選手もいるという。

そのため、なるべくいいところをほめて、やる気を育てながら伸ばしていこうという考え方もある。

しかし私は、こういった考え方には反対だ。

指導者が安易にほめることは慎まなければならないと考えている。

「人をダメにする方法、それはほめることだ」と常々言っているくらいで、まず、選手をほめることをしない。

的確なタイミングでほめないかぎり、ほめるということは、その人間をつぶしかねないと考えているのだ。

私は、人間の成長段階に応じた指導者の対応を、3つにわけて考えている。

それは「無視」、「賞賛」、「非難」の3つだ。

まず、入団したての選手は「無視」の段階だ。

プロの世界のことも何もわからず、自分のレベルさえわかっていない。

こういった時期に、指導者があれこれとかまうと、自分で考えて取り組む姿勢が身につかなかったり、下手にほめたりすると、勘違いをすることもある。

だから、まずは無視する。

それに対して新人たちは、なんとか指導者に認められたいと、必死に自分の頭で考えて努力するのだ。

そして、ようやく実力がついてきて、 1軍に上がれるような段階になると、それは「賞賛」のステップだ。

指導者もその人間の努力を認めてやり、よくがんばっていることをほめてやる必要がある。

声をかけられた選手は、いままで無視されていたが、やっと監督に認められたと、さらなるやる気につながっていく。

そして、その後も順調に成長し、チームの主軸にまで成長したとしたら、そこからは「非難」の段階だ。

どんな人間でも、常に向上心を持ち続けることは難しく、気が緩むときがある。

とくに 1軍の主軸選手にまでなれば、慢心も生まれる。

そこでほめそやしていれば、天狗になりかねないし、さらなる努力をする姿勢も失われてしまうにちがいない。

現状に満足することなく、いかにすればもっとチームの勝利に貢献できるのか。

個人的な技術の革新だけでなく、リーダーとしての組織への貢献という視点で自分の野球を考えてもらえるよう、指導者は非難することでそういった選手に気づかせ、育てる必要があると考えている。

誰だって、人によく思われたいという気持ちはある。

部下をあまりほめず、厳しいことばかり言っていては、嫌われることもあるだろう。

しかし、本当にその人間を成長させたいと考えれば、いま言った厳しい対応にたどり着くと私は思っている。

ただ褒めるだけが愛情ではないのだ。

私自身もいま思い返せば、そういった選手経験をしてきた。

南海に入団して間もない頃、鶴岡一人監督とは会話すらしたことがなかった。

しかし入団 3年目に 1軍に抜擢されたとき、試合前にダッグアウト裏で鶴岡監督とすれ違った際に、「お前、本当に良くなったな」とほめてくれたのだ。

私はこの言葉を聞いて、踊りだしたいくらいうれしかったことを覚えている。

このときかけられた言葉が、その後のやる気や自信にもなった。

しかし、結局、鶴岡監督にほめられたのは、この 1度きりだった。

以後、私が主軸選手になっていくなかで、監督の口をついて出てくるのは厳しい叱責ばかりだった。

「お前は二流ピッチャーはよう打つけど、一流ピッチャーは打てんのう」と言われたり、後に史上初の三冠王を獲ったときですら、「何が三冠王じゃ。

でかい面するんじゃねえ」と一喝された。

あまりにも悔しかった私は、いつかこの監督に認めてもらおうと必死になってプレーし、さらなる高みを目指した。

それが結果として、私を一段レベルの上のプレーヤーへと成長させてくれたのだ。

もし若いときに優しい言葉ばかりかけられていたら、いまの私はなかっただろう。

指導者が「ほめる」には、タイミングを見極めなければならない。

ちょうどその相手が、実力をつけ始めた時期、そこでその人間のやる気を後押ししてやるようにほめることが大事なのだと私は考えている。

まさに〝人を見て法を説け〟である。

技術を「盗もう」という人間か見る 両リーグを代表する選手たちが集まるオールスター戦は、名選手たちの技術をじかに見て勉強したり、また、さまざまな選手たちの性格、人間性などを垣間見られるかっこうの機会であり、情報収集の場でもある。

私は入団 4年目にホームランを 30本打って初めてタイトルを獲ったものの、翌年から 2年間は打率は 2割 5分前後を行ったり来たり。

三振数は 100近くあり、自信をもってバッターボックスに立つことすらできなくなっていた。

その原因はカーブがまったく打てなかったことにあった。

私がバッターボックスに立つと、「カーブのお化けが来るぞ!」とファンの方に野次られるほどの状況であった。

カーブをどうやって打てばいいのか、私は悩みに悩み、コーチや監督にも聞いてみたが、的を射たアドバイスなどもらえなかった。

「ボールをよく見てスコーンと打ちゃあええんだ」。

監督からは、この程度のアドバイスしかなかった。

そこで私はオールスター戦に出場した際、当時のリーグを代表する強打者だった山内一弘さん(毎日)と中西太さん(西鉄)が談笑しているところを、タイミングを見計らって尋ねた。

「先輩方はどうやってカーブを打っているんですか。

どういうふうに対応してらっしゃるんですか」 勇気を出して聞いてみたものの、返ってきた答えは、「そのうち打てるようになるよ」「経験や」 といったそっけないものだった。

なんの参考にもならず、ひどく落胆したのをいまでも記憶している。

その後、私が引退したあと、神宮の室内練習場で山内さんと話をする機会があったので、当時のことを尋ねてみた。

「先輩、あのとき私、一生懸命聞いたのに、教えてくれませんでしたね」 と言うと、「そりゃお前さんはライバルだったからな。

企業秘密は簡単に教えられんよ」 と返された。

なんとか先輩方の優れた技術を盗もうと貪欲だった私を、山内さんは脅威に感じてくれていたようだ。

しかし、人の技術を盗もうという姿勢は私だけではなく、一流の選手になればなるほど、そういった意識を強くもって野球をしていた。

みな一流選手は自分の形をもっているが、それはすべて人の模倣から最初は入っているものなのだ。

人のすぐれた技術を真似して、自分でやっていくなかで、試行錯誤がなされ、自分流が形づくられていくものだ。

だからこそ、優秀な選手ほど、名選手の技術やノウハウを知りたい、盗みたいという意欲が旺盛だ。

実際、前述の山内さんもそういったタイプで、オールスター戦ではそのプロ意識にさすがだと思わされたことがあった。

たしか私が入団 4年目に、初めてオールスター戦に出場したときだった。

現役の晩年だった川上哲治さんがバッターボックスに立ち、私がマスクをかぶっていた。

山内さんはたしかレフトを守っていたはずだ。

相手の攻撃が終わりベンチに戻ると、山内さんは私をつかまえて、川上さんの打席を克明に聞くのだ。

「 ○球目のコースはどのへんや」、「 ○球目の球種はなんや」と、そのしつこさに圧倒されるくらいだった。

それは当然、大打者・川上さんの技術を少しでも研究したい、盗みたいという思いから出ている。

自分流のスタイルというと、一から十まで自分で考えたオリジナルでないと通用しないと思われがちだが、それは違う。

まずは優秀な技術を模倣し、実際に試したりしながら自分なりの発見、気づきを得て、自分だけの形をつくっていくものなのだ。

だからこそ技術を盗もうという意識がなければ、一流のところにまでは登っていくことができないのだ。

不器用な人間かという視点で見る 私はテスト生で南海に入団し、 1軍に上がるまでに 3年を要した。

入団した当初は、プロのレベルの高さに愕然とし、どうすればクビにならず、 1軍まで上がることができるだろうかと必死になって練習を続けた。

そして、自分なりの試行錯誤を経て、ようやく 3年目で 1軍にお呼びがかかるようになれた。

いま思い返しても、私はお世辞にも器用なタイプではない。

器用な人ならそんな手間も時間もかけずにできることを、時間をかけてコツコツ努力してやっと 1軍まで這い上がった。

しかし手前味噌になるが、私は「不器用が最後に勝つ」と常々思っている。

だから人間のことを、器用なやつか、不器用なやつかといった視点で時々見てしまうこともある。

ここで言う器用とは、何か技術を教えられたときに、試してみてパッとできてしまう、あるいはすぐに理解して自分のものにしてしまうようなタイプだ。

逆に不器用とは、技術を習得するにも人より時間がかかるタイプ。

一見、器用なタイプがいいように見えるが、長い目で見れば、最終的には不器用が勝つように世の中はできているのではないか。

器用な人、天才的な人は、すぐある程度できてしまうだけに、努力をしない傾向がある。

球界を見ても、器用な人、天才的な人に、まず努力家はいない。

逆に、私も含め不器用な人間は、自分が不器用なことを知っていて劣等感をもっている分、放っておいても努力するものだ。

亀のようにゆっくり技術を習得し、一度、習得するとけっして忘れない。

労を惜しまず、スピードはのろいが絶えず努力し続け、その差が長い目で見ていくと最後の差になってくる。

やはり、「努力」は裏切らないのだ。

いつか、形になって返ってくる。

努力したけど報われなかった、などという選手もいるが、その人間は本当に努力し続けたのだろうか。

私は「努力に即効性はない」とよく選手たちに言っていたが、人はみな、比較的短期間に努力の結果が現われると考えてしまいがちなのだ。

そうやって期待しているから、なかなか思うような効果が出ないと、自然と努力することをあきらめてしまう。

しかし、個人差はあるが、努力の効果は必ず出るものだと私は考えている。

すぐ出る人もいれば、じわじわと出る人、何年もたってからいきなり出る人もいるだろう。

そこを認識して、忍耐強く歩み続けられる不器用人間こそ、実は成功への近道を歩んでいるのではないかと私は考えている。

新人が入ってきたときの観察の仕方 毎年、プロ野球の世界での成功を夢見て、有望なアマチュア選手が入団してくる。

すべての選手が当然 1軍に上がれるわけではなく、過酷な競争を勝ち抜いたほんの数名の新人だけが、ようやく 1軍の舞台を踏むことになる。

私はスカウティングの段階では選手を事前に見たりすることもなく、すべてスカウトに任せていたので、 1軍に上がってきて初めてその新人たちと接することがほとんどだった。

新人たちの扱いは、指揮官としても気を使うものだ。

私は監督として、ことさら彼らに話しかけたり、コミュニケーションを取ろうとはしない。

それは、彼らがどういう人間か知りたくないということではない。

組織を預かる人間としては、まずは、その新しい人材がどんな人間なのか本当に知りたいものだし、私自身もそういう思いをもっている。

しかしこの段階で私が直接、新人たちとコミュニケーションを取ったとしても、なかなか彼らも本性を見せない。

やはり監督に対する、装った顔しか見せないものだ。

そこで私は意地が悪いのかもしれないが、新人が入ってきたら、とにかくその人間の言動をじっくり観察するようにしている。

同僚と話しているとき、コーチと話しているとき、先輩たちと話しているとき、取材を受けているときなど、聞いていないようなふりをしながらさりげなく近くで会話の内容や受け答えの仕方を見る。

練習の様子もそれとなく観察する。

雑用や単調な練習にどう取り組んでいるか。

近くに誰もいないような一人のときにどんなふうに練習しているか観察する。

こういった観察をすると、だいたいその人間が、どういう意識で野球に取り組んでいるのかや、常に頭を使って主体的に物事に取り組んでいるのかなどが見えてくる。

まわりへの配慮や敏感さ、性格的なこともある程度わかる。

このような情報は、なまじ監督の私がコミュニケーションを取るより、ちょっと離れたところから観察しているほうが得られやすい。

また、あまり新人のときからちやほや監督が話しかけると、彼らも勘違いしかねない。

まだ彼らはプロの世界のことも、プロのレベルの奥深さなどもまったくわかっていない。

そのような段階で簡単に手を差し伸べては、今後自分の頭で考え、基礎を固めて、自分流を形づくっていくこともできなくなり、常に、誰かの指示待ち人間にもなりかねない。

プロの世界の厳しさを知り、自分の実力を痛感するなかで必死に努力を続け、ようやく 1軍でも少しは活躍できるようになってきたという段階くらいで、初めて監督がほめるくらいでいいのだろう。

そのほうが、その人間を大いに成長させることができると、私は確信している。

毎年2月 1日からキャンプが始まり、全員がシーズンのスタートを切る。

「ようし今年はがんばるぞ!!」という思いは、みな同じである。

ところがいまも昔も変わらないのが、努力の持続性である。

キャンプ中の夜間練習を例にとっても、2月の下旬になると大半が出てこなくなる。

それは、「努力に即効性なし」という真理を理解していない選手が多いからだと私は考えている。

責任感のある人間かどうかを見抜く キャッチャーという仕事では、「打たれたら俺が全責任を負う」というような責任感が不可欠だ。

責任感のないやつは、何事においても成長しないのではないだろうか。

責任感のない人間は、「無難」なところに落ち着きやすいものだ。

たとえばキャッチャーで言えば、無難なプレーとはバッターのアウトコース低めへの配球である。

サインに困ったら「アウトコース低め」と言うくらい、バッター攻略の原点であり、「まぁ、ここに投げておけば長打はないだろう」といった無難なサインだ。

そこには、キャッチャー独自の視点で打者を観察し、洞察して得られた攻略法は反映されていない。

こういった無難なサインに陥りがちなキャッチャーは、自分なりの根拠をもってサインを出し、失敗してしまうことをとても恐れている。

いざ失敗してしまったときに、自分が責任を取りたくないという気持ちが強く働くから、いつも無難なほうに流れていくのだ。

一方、「失敗したら、自分が全責任を引き受ける」と覚悟ができている人間は、自分なりの感性でバッターと勝負していく。

すると、打たれることもあるだろうが、そのときには自分で根拠をもって勝負したぶん、なぜ失敗したのか、次どうすればうまくいくのかを真剣に考えるから、その失敗を契機に飛躍的に成長していくことができる。

責任感の希薄な選手の場合は、いつまでも勝負しないので、派手な失敗はないぶん無難にみえるかもしれないが、成長もないといえる。

ケガなどの際にも、プロ野球選手としての責任感が垣間見えるときがある。

チームへの責任感や、プロとしての責任感がある選手は、ちょっとしたケガでは絶対に試合を休まない。

2012年に阪神を引退した金本知憲も、多少のケガでは休まなかった。

「ケガをしていても、自分で言わなければケガじゃない」 そう言って、実際に左手首を骨折したままで試合に出場し、右腕一本でライト前にヒットを打ったこともあった。

その影響で阪神の選手もちょっとやそっとのことではケガで休まなくなったという。

現役時代の私も、金本と同じように骨折をおして試合に出場していたことがある。

まだレギュラーになって間もない頃、左手の親指を骨折した。

病院で特製のギブスを作ってもらい、指をサポートしていたが、ピッチャーのボールをミットで受けたときにピリッと痛みが走るし、バットを振って空振りしたときには激痛が走った。

それでも誰にも言わなかった。

4番の私が簡単に休んでしまっては、チームの士気に影響するという責任感もあったが、その一方で休んでいる間にキャッチャーのポジションを奪われるのではないかという恐怖感もあった。

実は私もレギュラーの先輩がケガで休んでいる間に、ポジションを奪ったのである。

プロの世界では、いくらでも自分の代わりはいるものだ。

そのことを知っている選手は、簡単には試合を休まない。

金本も当然、私と同じ気持ちだったのだろう。

ある意味、そういったことが、プロのプライドであり、プロとしての責任感でもある。

こうした責任感をもつものが、自分をぎりぎりまで追い詰めながら成長させていくことができるのだと、私は考えている。

キャッチャーとは人間観察が仕事である 私は京都の峰山高校でキャッチャーを始め、プロにおいてもキャッチャー一筋、このポジションを極めようと日々必死で探究してきた。

その私がいま考えるのは、キャッチャーに必要な三大要素とは、「分析」、「観察」、「洞察(目に見えない心理などを読む)」の三つだということだ。

まさにそれは、人間観察そのものである。

キャッチャーが相手バッターを抑えようと考えるとき、まず、行き着くのは、バッターにはみんな、ある一つの共通テーマがあるということだ。

それが、「変化球への対応」である。

プロの好投手の変化球となると、いくらプロレベルのバッターといえども、簡単に打つことができないものだ。

さらに、バッターが待っている配球の裏をかいた変化球だとしたら、ミートすることさえ難しい場合もある。

つまり変化球をどう打つかという壁にぶつかり、ほとんどのバッターは自分なりの対処法を練っていく。

この対処法別に私はバッターを 4タイプに分類した。

詳しくは後述するが、直球を基本的に待って、変化球に対応しようとする A型。

アウトコース、インコースなど打つコースを決める B型。

レフト方向、ライト方向など、打つ方向を決める C型。

球種にヤマを張る D型の 4タイプである。

いつもは A型だが、カウントが追いつめられると D型になる選手もいたり、必ずしも厳密に 4タイプに分けられるものではなく、複雑に絡み合っていることがほとんどだ。

しかし基本的に、このバッターはどういう傾向でバッターボックスに立っているかを事前に分析できていれば、打ち取れる可能性は高くなる。

こうした各バッターの傾向、タイプ分けを、私は実際の試合で、マスク越しにバッターたちを見ながら行っていった。

バッターの前をピッチャーが投げたボールが通り過ぎる瞬間の、バッターの反応はどうだったのか。

こまかな体の動きなどを瞬時に読み取り、自分なりのデータとして蓄えて彼らの狙いを分析していくのだ。

だからこそ、キャッチャーの仕事は人間観察そのものであるというのである。

また、試合のときだけにかぎらずどんなときでも、キャッチャーはバッターたちの人間観察を怠らないものだ。

オールスター戦などは私も、情報収集の場とはっきり意識して臨んでいた。

他チームのバッターと、ベンチ内でちょっとした会話をしたり、誰か別の人間と話している会話などをそれとなく聞いているだけでいい勉強になったものだ。

ちょっと話を聞けば、少なくとも、頭を使ってプレーしているタイプか、それとも素質だけで何も考えていないタイプかはすぐわかる。

もし何も考えていないタイプとわかれば、こちらもこれからの勝負の中で、あまり考えすぎないでシンプルにいけば抑えられるものだ。

一方、頭を使うタイプだと、こちらも頭を使って勝負しないと勝てない。

そういったこともみえてくる。

キャッチャーという仕事の中で、私の洞察力、観察力は鍛えられ、さらに監督を任されるようになってからは、戦術や選手起用、育成などの面では、相手チームの選手のみならず、自チームの選手にも目配りが必要となり、さらに観察眼は磨かれていったようだ。

相手チームとの駆け引きに勝ち、自軍の選手たちを適材適所で活用するという意味では、組織のリーダーにおいても、人間観察力は大いに求められる能力だ。

つまらない単純作業に直面したときどうするか それなりに 1軍で結果を残すような選手になるためには、きっちりとした「基礎づくり」が大切だ。

このときの「つくる」とは、「体づくり」、「基本づくり」、「自分の形づくり」の意味がある。

こういったことは、単純作業の持続でしか得られないものだ。

面白味のない作業をコツコツ、コツコツ繰り返し、頭ではなく体に覚えさせていく段階だ。

これは何もプロ野球の世界にかぎったことではなく、一般のどんな仕事においても同じではないだろうか。

まず、「基礎づくり」の段階は、地味な作業を繰り返し行うことが求められるものだ。

その段階において、はたして単純作業を持続できる人間かどうかという点が、その後の飛躍に大きく影響してくる。

野球でいえば、素振りなどはそのいい例だ。

私は南海、ヤクルト、阪神、楽天と監督をしてきたが、これまで、室内練習場などでマシーン相手に打ち続けているような選手はいたが、素振りをシーズン通してコツコツとやっている選手は、まずいなかった。

私はテスト生で南海に入団して以来、プロの世界でなんとか生き残るために、必死に日々の練習に取り組んできた。

キャッチングの技術はもちろんのこと、打てなければレギュラーになれないと悟った私はひたすら素振りをした。

当時の練習環境は劣悪である。

フリーバッティングで 1日 5本打たせてもらえるかどうかであるから、足りない分は素振りで補うほかなかった。

気がつけば毎日、 200回、 300回と振っていた。

結果的にスイングスピードが速くなり、 2年後、練習でもある日を境に、ボールを遠くへ飛ばせるようになっていた。

10球打てば、 7、 8球がオーバーフェンスするようになり、練習が毎日、毎日楽しくて仕方がないくらいに感じた時期だった。

でも、そんな時期は逆に、「一晩寝たら、このコツを忘れてしまうんじゃないか」と不安で仕方なかったのも事実だ。

当時の宿舎は二人部屋だったが、朝になると、一緒の部屋の選手が、「お前、夜中に怖いよ」と言うのだ。

自分ではまったく覚えていないのだが、夜中に寝ぼけながら突然布団の上に立ち上って、素振りをしていたというのだ。

それだけ、飛ばす感覚を忘れるのではないかと不安でいっぱいだったのだろう。

こういったバッティングのコツは、まさしく理論を学んだからつかんだのではない。

単純作業の繰り返しによって、感覚やイメージとしてつかんだものである。

その後、私がパ・リーグを代表するバッターになってから、長嶋茂雄が当時の新聞で、「いまの現役選手でスイングスピードが速いのは、ノムさんと榎本喜八(毎日)だけだ」とコメントするのを読んだことがある。

私も長嶋のスイングスピードの速さには一目置いていただけに、その彼が私を評したこのコメントを正直、うれしかったのを覚えている。

長嶋の打席でマスクかぶっていると、もう見逃すのだろうと思った瞬間から、バットが出てくることが何度もあった。

いまの現役の選手たちをみても、あれだけコンパクトでスピードの速いスイングをする選手は見当たらない。

もしかするとそれは、最近の選手たちが、マシーン相手の練習ばかりで、素振りをあまりしなくなったことと関係があるのかもしれない。

「根拠」をもって行動している人間かを見る 人間なら誰でも、失敗やミスをするものだ。

特に野球というスポーツは、バッターは 3割打てば好打者だ。

逆に言えば、 10回のうち 7回は失敗するとも言える。

私は選手たちが結果を出せず、失敗してベンチに帰ってきても、その結果によって叱責したりすることだけは慎もうと考えていた。

選手がミスをしたとき、リーダーとして見極めなければいけないのは、その選手が、「根拠」をもってプレーして失敗に終わったのか、それとも、なんの根拠もなくただ漫然とプレーして失敗に終わったのかという点だと思うのだ。

たとえば、打たれて帰ってきた自チームのキャッチャーに、打たれた事実を責めても意味がない。

「なんであそこで、あのサインを出したんだ」と、その行動の根拠を問うことが大切だ。

そこで明確な根拠が選手から示されれば、私は叱責するようなことはしなかった。

「こういった考え方、見方もあるんじゃないか」といった、私なりの別の視点があれば付け加えることもあったが、ことさら選手の失敗を責めたりはしなかった。

なぜなら、自分で考えて「根拠」をもって勝負して、それで失敗した人間は、なぜ自分の考えでは失敗したのか、次に失敗しないためにはどうすればいいのかを、必ず考えるはずだからだ。

いちばん問題なのは、「なぜだ?」と聞かれても、明確な答えが出せない選手の場合だ。

こういったタイプの選手は、漫然と行動した結果がミスにつながっていることが多く、その失敗を糧とすることもなく、次も同じように失敗することが多い。

そういった場合は、私も厳しく指導をするようにした。

失敗した「結果」を責めるということではなく、なぜ考えて、自分なりの根拠をもってプレーしないのだという点を指摘し、常に考えて野球に取り組む姿勢を意識させようと心がけたのだ。

キャッチャーというポジションは、 1球、 1球、ピッチャーに対して、サインを出さなければならない。

ここは真っ直ぐ、ここは変化球と、そのサインごとに根拠がなければ出せないものだ。

「こんなものでいいだろう」というくらいの気持ちでサインを出しているようでは、到底、まともなキャッチャーになどなれない。

かつて楽天の監督 2年目のとき、私はルーキーの嶋基宏を積極的に起用した。

嶋は高校時代は内野手で、キャッチャーを本格的に始めたのは大学時代からだった。

キャッチャーとしての変なクセもついておらず、中学時代の通信簿をマネジャーを通じて調べさせたら、学校の成績もオール 5だったので彼を抜擢することとなった。

キャッチャーは試合中に得られるさまざまな情報を記憶して、配球を組み立てることも求められるため、ある程度、頭のいい人間でなければ務まらないというのが私の持論だ。

ところが嶋には思わぬ弱点があった。

よく言えば繊細、悪く言えば臆病で心の弱い面があり、思い切ってインコースを攻める配球の組み立てができないのだ。

外角一辺倒の配球ばかりしてしまう。

これは私が、バッター攻略の基本として、「サインに困ったときは、原点だ。

原点とはアウトコース低めだ」と指導したからだろう。

あまりにアウトコースが多いので、「お前はいつも困っているのか」と聞くと、「はい」と答えられて、思わず頭を抱えたこともあった。

キャッチャーというのは、ボールがバッターの前を通過したときに、タイミングが合っているのかどうか瞬時に打者の反応を読み取り、その洞察力で次のボールを決めるものだ。

しかし、嶋は当初、そういったことに気づく敏感さに欠けている部分があった。

だから、自分なりの考えや根拠ももてなかったのだろう。

いくら常に根拠をもとうと思っても、観察力や洞察力など周囲に対する「敏感さ」に欠けていると、何かに気づき、自分なりの根拠をもつまでに至らないという面もあるのだろう。

いずれにしても、「なぜ、あの配球にしたのだ?」、「根拠はなんだ?」という投げかけを、嶋には本当によくしたものだ。

その問いかけが、彼のキャッチャーとしての成長にもつながっていったのだろう。

2013年の巨人との日本シリーズでは、ルーキーの則本昂大や美馬学、辛島航といった経験の浅いピッチャーを内外角にボールを散らしてうまくリードしていた。

その結果、楽天は球団創設初の日本一の栄冠をつかみ取ることができたのだから、私が楽天の監督時代、嶋に口酸っぱく言っていたことが、それなりに彼のプラスにもなったのだろうとうれしく思っている。

いまや「優勝チームに名捕手あり」の時代である。

ヤクルト時代の古田がそうであったように、嶋の成長に合わせて楽天も強くなってきたと言っても過言ではないだろう。

試合中のベンチ内の会話でレベルを見抜く 野球の試合にはヤジはつきものだが、そういったヤジも含めたベンチ内の会話に耳を傾けていると、そのチームのレベルが自然とわかってくることもある。

たとえば「ストライク入らないぞ!」、「ピッチャービビってるぞ」と相手を罵倒するようなヤジは低レベルな野球をやっていると見ていい。

少年野球ならいざ知らず、プロでもこのような言葉でヤジっていることがあるのだから、情けなくなってくる。

これが強いチーム、常に優勝争いを演じているようなチームのベンチをのぞくと、大きな声を出すのは自分のチームの選手を励ますときくらいで、あとは相手チームの選手を洞察したうえでの会話を選手同士でしていることが多い。

たとえばこんな具合だ。

選手 A「あのピッチャー、さっきまでは決め球に外角にスライダーを投げてきたけれど、このイニングからは真っ直ぐを投げてきていないか?」選手 B「そういえばこのイニングからキャッチャーを代えてきたから、配球を変えたのかもしれないな」選手 C「このキャッチャーはグイグイくる傾向が高いから、さっきと同じ配球をイメージしていたら相手の思うツボだぞ」選手 A「わかった、念のため次のバッターにあのキャッチャーの配球の傾向を伝えておこう」 こうした会話が選手同士でできているチームは、強いチームだ。

常に選手たちも試合に集中している表われであり、そういったチームでは、仮に試合に出場していない選手であっても、「試合に参加している」意識が高いから、途中出場した場合でも、委縮したり緊張したりすることなく、すんなりと試合に入っていけるものだ。

ときには監督である私も、「いや、そうじゃない。

キャッチャー心理から考えると、こうなんだ」などと、そういったベンチ内の選手同士の会話に参加することもあった。

相手をけなしたり、自軍選手を応援したりするだけのヤジは、試合に集中していなくても誰でも口に出して言えることだ。

そうしたチームは、相手チームに対する分析不足であったり、常に状況を観察して考えながら個々の選手たちが野球をやっていない表れでもあるので、対戦相手としてはそれほど怖さを感じなかった。

ベンチは休憩場所ではない。

準備をする場所なのだ。

誰とつき合っているかで将来性を見抜く 私は監督時代、選手たちとプライベートのつき合いはしなかったが、選手個々がどの選手と仲がいいのかということはそれとなく気にしていた。

よくも悪くも、どういう人とつき合っているかで、その後の人間的成長が左右されかねないからだ。

楽天時代で言えば草野大輔に対する評価は高かった。

草野は延岡学園高から社会人野球を経験して、 28歳のときにプロ入りした。

しかも契約金のすべてを本人の実家と奥さんの両親にすべてあげたというエピソードもある。

他人の心を思いやる気持ちをもった、遅咲きの苦労人だ。

もちろん野球の技術も秀でたものがあり、アマチュア時代からバッティングの技術は評価されており、社会人野球の指導者たちも草野の実力には一目置いていたという。

あまり選手をほめることのなかった私も、彼の技術力はほめたことがあるくらいだ。

また、野球の技術だけではなく、取り組む姿勢や、チーム優先主義を貫く人間性も評価していいものだった。

だから、当時の楽天の若手が草野と一緒に行動しているところを見たり、コーチなどから聞いたりすると、「草野を手本にするのなら、いい影響を受け継いでくれるな」と私も安心していたものだ。

反対にこの選手についていったらマイナスになるなという選手もいる。

ここではあえて名前を伏せさせてもらうが、チーム優先主義を考えることのできない、「自分さえ打てればそれでいい」と考えているような自己中心的なベテラン選手など、「頼むからこの選手にはついていくなよ」と心配したものだ。

また、そうした選手ほど、自分を高めるような努力をせず、「いまのままでもいい」と自己限定している人間が多く、こうした選手と一緒にいると、一緒にいるほうも知らないうちに同じような考え方になってきてしまう。

「朱に交われば赤くなる」の典型的な例と言ってもよい。

若手選手は野球ではもちろんのこと、人生経験もまだまだ未熟な面があるので、どの先輩の後ろ姿を追いかけていくかによって、その後の野球人生が決まってくるものだ。

ましてや楽天は球団としての歴史が浅いからこそ、いい伝統を築きあげていかなければならないと感じていた。

そうしないと、これから先、入団してくる新人選手にまで影響を及ぼすことになるからにほかならない。

こうした事情から、若手の選手たちは人間性のしっかり備わった先輩とつき合ってほしいと願ったものだ。

また、組織を預かるものとしては、それぞれの交友関係をそれとなく知って、組織全体がいい方向に向かっているかどうかも、常にチェックしておくことが必要なのかもしれない。

ちなみに草野は 2012年に現役引退をした後は、楽天のアンバサダーに就任し、選手へのインタビュアーなどを務めるかたわら、野球解説者としても活動していた。

そして 2014年には楽天の 2軍バッティングコーチに就任したのである。

彼の人間性を高く評価していたからこそ、球団側もチーム内で仕事を与え、若手選手たちを指導してほしいと考えていたのだろう。

こうした選手が一人でも多く出てきたチームは、後輩選手たちが先輩のよい部分を継承し、さらに強くなっていくものだ。

「中心なき組織は機能しない」という原則論がある。

チームで言えば、エースと 4番打者である。

監督が選手に「彼を見習え!!」と言える中心選手がいると監督も仕事がしやすいし、チームもうまく機能していくものだ。

選手のインタビューから組織力を見抜く チームの教育が選手たちにしっかりなされているかどうかは、選手たちの試合後のインタビューを聞けばよくわかる。

発する言葉の中に、知らず知らずのうちにその選手の本音が出てくるからだ。

そのため私は楽天監督時代、コーチ陣に対して、「テレビやスポーツ新聞などで、選手が発言する際の心得を指導しておきなさい」と指示を出したこともある。

楽天のときには、こんなこともあった。

ある選手が他チームから移籍してきて、試合で活躍したのでヒーローインタビューを受けていた際、 「○ ○選手の今年の目標はなんですか?」 と質問されて、 「3割、 30本以上のホームランを狙います」 と答えていた。

こういった発言は、組織を無視した個人主義以外の何物でもない。

チームのことを第一に考えていたら、「優勝することです」という回答が自然に出てくるものなのだ。

事実、王貞治が福岡ソフトバンクの監督時代、小久保裕紀や松中信彦ら、チームの中心選手たちは必ず、「今年は王さんを胴上げしたいです」とインタビューで答えていたものだ。

彼らもリーグ優勝や日本一を何度も経験し、その喜びを実感したからこそ、口から出た本音の言葉なのであろう。

小久保や松中のインタビューを見聞きするたびに、ああいう考え方が自然と言葉となって出るチームは強くなるものだと確信したことがある。

「今年はできれば 15勝はしたいです」、「絶対に本塁打王を獲りたいです」などと個人の目標しか話さない選手たちのいるチームは、強くなることはあり得ない。

強い組織とそうでない組織との差は、こうしたところから読み取ることができる。

選手がインタビューでどんな発言をしているのか、この点を読み解くとチームとして強いか弱いかがはっきりわかってくるのだ。

まわりに感謝する気持ちがあるか見る 私が幼少の頃は、太平洋戦争の最中の物資が豊かでない時代に育ったこともあり、「いまよりいい暮らしをするためにも、お金を稼いでやるぞ!」というハングリー精神が、生きていくうえでの原動力となった。

戦争で父を亡くし、その後は母親が女手一つで私を育ててくれた。

貧しい家庭であったのに、なんとかやりくりして、私に野球を続けさせてくれたのも母だった。

だからこそ、「将来は野球選手になってお金を稼いで、母親を楽にさせる」という思いが常にあった。

1年でも長く野球で稼ぐためにも、もっと野球を勉強しようと貪欲にもなれた。

しかし、いまはモノに恵まれている。

衣食住に何かと困った昔と同じように、いまの若い人たちにハングリーさを求めても、それは無理だ。

貧困とかけ離れた生活を送っている人たちが大半だろうし、少々貧しかったといっても、昔ほどの極貧ではないだろう。

ではいまの若い選手は、何をモチベーションにしてがんばっていけばいいのだろうか。

私はそれは、「人に対する感謝の気持ち」だと考えている。

野球を心おきなくやらせてくれている親や、指導してくれている監督やコーチ、応援してくれる仲間など、まわりの人たちの支えがあっていまの自分があるということに気づき、「ありがとう」の思いをもつことが大事だと思うのだ。

そう考えると、大相撲の横綱である白鵬は、長きにわたって相撲界を牽引しているが、彼を見ていると、優勝したときには必ず周囲の人に感謝の気持ちを言葉で表しているのをよく目にする。

モンゴルに住む両親、奥さんや子ども、親方や後援会の人たち……優勝インタビューの際、白鵬が自身を取り巻くすべての人に感謝の念を表している姿を見て、「なるほど、だから彼は強いんだな」と感心したことがあった。

反対に自分のことしか考えていない、自分中心な選手は大成しない場合が多い。

なぜなら周囲に気配りができず独りよがりな人間では、支援してくれる人間もまわりに集まりづらいだろう。

また、目標をもったとしても、自分だけのためにがんばっている人間は、いまひとつ粘りに欠けることが多い。

逆に、自分を支えてくれている周囲の人々を常に意識している人間は、その思いに応えようという気持ちがモチベーションとなって、とことん頑張り抜くことができるのではないだろうか。

指揮官として私は、常々、選手たちの育った環境や、彼らが何をモチベーションにして野球に取り組んでいるのかという点に興味をもって見てきた。

その私の球界での経験から言っても、やはり、「感謝の心」は人間を成長させていく原動力だと思える。

野球にかぎらず、人間は多くの人たちに支えられて成り立っている。

それに対する「感謝の心」を持つことによって、人は大成していくのではないかと思う。

「感謝の心」こそ、感じる力の源ではないだろうか。

第 1章 私は人の「この一瞬」に着目する

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