はじめに 他人を平気で振り回す迷惑な人は、どこにでもいる。 たとえば、知り合いの 40代の男性は、会う約束をしていても、自分のちょっとした都合で何回も約束の時間を変える友人に振り回されて困っている。スマホ時代だから相手はそれほど困らないはずと思っているのか、あまり罪悪感を覚えていないように見えるため、よけいに腹が立つという。 こういうことがあまりにも頻繁だと、ストレスになるので、「約束の時間は、あまり変えないでほしい」とメールでそれとなく注意したこともあるらしい。しかし、「そんなけつの穴の狭いことを言っていたら、出世できないよ」という返信が戻ってきて、それ以来何も言えなくなったそうだ。 このように、他人をさんざん振り回しておきながら、「自分は悪くない」と思い込んでいて、むしろ相手を責めるのが、こういう人の特徴である。この手の思い込みは、「自分は絶対正しい」という信念につながりやすい。そういう信念にもとづいて、独りよがりの正論を振りかざす人もいる。 たとえば、「休日に家でゴロゴロしているのはもったいない」「終電まで飲んでいる奴が、翌日いい仕事ができるはずがない」といった正論を持ち出して説教する人は、その典型だろう。この手の正論はたしかに正しいので、反論しにくい。ただ、たまにならかえってストレス解消になることもあるはずなのに、そういう効果など無視して、堕落としかとらえない。しかも、「堕落は悪」という持論にもとづいて説教するので、周りから煙たがられている。もっとも、そのことに当の本人はまったく気づいていないようだ。 このように、自分の持論を他人に押しつける人は少なくないが、その際「あなたのためを思って」という殺し文句で、いかにも相手のためを思って助言しているように装う場合もあり、なかなか厄介だ。たとえば、知り合いの 20代の女性は、「あなたのためを思って」と言いながら自分の意見を押しつける友人に辟易している。困ったことに、いい意見であることはほとんどない。「会社なんか辞めればいい」とか「上司なんて無視していればいい」という類の意見である。こういう意見を聞くと心穏やかではいられない。そのため、「でも、次の職場が決まってないと、なかなか会社を辞められないよね」と反論すると、この友人は自分の意見を否定されたように感じるのか、怒りだすらしい。 友人であれば、つき合わないという選択肢もあるが、職場の上司や同僚ではそういうわけにはいかない。自分が確認した書類なのに「見たこともない」としらを切ったり、自分が指示した案件なのに「知らない」と言ったりする上司は、どこにでもいる。あるいは、連絡事項をきちんと伝えたはずなのに、「聞いてない」と言いだす同僚もいるだろう。 こういう人に共通するのは、「自分は悪くない」と主張したい自己保身の欲求である。わが身を守りたいからこそ、事実とは違うことでも平気で言うわけで、この手の人ほど、自分の責任を追及されると、話題を巧妙にすり替えて逃げようとする。責任転嫁の達人であることが多いので、こちらが責任を押しつけられるかもしれない。 職場であれば、どうしても嫌だったら退職という選択肢もあるが、家庭ではそうもいかない。たとえば、私の外来を受診した 40代の専業主婦の女性は、理想の家族になるための提案をするくせに、その提案からかけ離れたことをする夫に閉口している。 この夫は、理想の家族になるべく「家族のことを思いやる」「家族の誕生日は全員で祝う」「健康的な家族を目指す」といったことを思いつきで提案し、家族に強要するらしい。ところが、夫自身は、家族のことを思いやるどころか、とにかく自分の実家優先であり、それに対して妻が少しでも反論すると、すぐにカッとなる。また、家族の誕生日より友人との約束を優先し、妻の誕生日に平気で学生時代の友人と一緒に飲みに行く。おまけに、家族には健康的な生活を送るように口うるさく説教するくせに、自分はしょっちゅう深酒をして帰宅が午前様になる。一事が万事この調子なのだが、そのことを家族から指摘されると不機嫌になるという。 こういう言行不一致の人はどこにでもいるが、それが家族の一員だと実に迷惑だ。何よりも困るのは、自分自身の言行不一致に気づいておらず、気づこうともしないことだ。そのせいで妻が「何を言っても無駄」と無力感にさいなまれ、うつになっても、その責任の一端が自分にあるとは夢にも思わないのが、他人を平気で振り回す人の特徴である。 逆に、妻が夫を追い詰めているのに、そのことに全然気づいていない場合もある。たとえば、やはり私の外来を受診した 30代の男性は、「家族サービスが足りない」「早く出世してほしい」などと妻からうるさく言われて、「帰宅拒否症になっている」と訴えた。どうも、この妻は、夫には何かと求めてばかりいるのに、自分は夫に優しくするわけでもなく、家事を頑張るわけでもないようだ。そのため、夫は帰宅するのが嫌になり、最近では残業を進んで引き受けるようになったらしく、ネット上で「帰宅拒否症」という病名を見つけ、自分もそうではないかと思って受診したのだとか。 このように、他人を平気で振り回す人は周囲に迷惑をかけるのだが、そのことに本人が気づいてない場合が多い。ときには、振り回されている側も気づいてないことさえある。そこで、本書では、他人を平気で振り回す人の実態を分析し、処方箋を提案したい。 まず、第 1章で、他人を平気で振り回す人が用いるさまざまな手段について、具体例を紹介しながら、解説する。他人をちょっとだけ振り回すことは誰にでもあるので、そういうときに出やすい言動を第 2章では紹介する。あなた自身が他人をちょっとだけ振り回す人になっていないか、わが身を振り返りながらお読みいただきたい。 次に、第 3章では他人を平気で振り回す人の精神構造について、第 4章では振り回されやすい人の要因について分析する。さまざまな問題は、振り回す人と振り回される人の相互関係の中で起こることが多いので、この相互関係を理解しなければならない。 最後に、第 5章で、振り回されないための処方箋を提案したい。考え方と対処法に分けているが、両方とも身につければ、鬼に金棒のはずである。 あなたが誰かに振り回されてさんざんな目に遭っていたら、あるいは誰かに振り回されて嫌な思いをしたくないなら、ぜひお読みいただきたい。
他人を平気で振り回す迷惑な人たち 目次はじめに
第 1章 「他人を平気で振り回す人」が増殖する現代
振り回す人とそれに支配されるイネイブラー相手を道具としかみなさない人お金の力で支配したがる人自己保身のため事態を逆転させる人自己正当化のために用いる否認と投影のメカニズム子どもの自立を妨げる親のダブルバインド職場を掻き乱すダブルバインド相手の領域に平気で割り込む人相手の価値を否定せずにはいられない人恩に着せてばかりで自分では何もしない人
他人を平気で振り回す人は、侮辱したり妨害したりして、相手の精神状態を不安定にしながら、その意欲や能力をそいでいく。相手が、自分は劣っており、誰かに頼らなければ人並みのことができないと感じるようになったら、しめたものだ。まっとうな要求や手段では獲得できないようなものを手に入れられるのだから。 この章では、そのために使われるさまざまな手段について、具体例を紹介しながら解説したい。これらの手段は単独で用いられるわけではない。他人を振り回す人は、しばしばいくつかの手段を組み合わせて効果的に周囲を混乱させようとする。 したがって、自分が振り回されていることに早めに気づき、よく観察して、どの手段が用いられているのかを見きわめなければならない。振り回す人とそれに支配されるイネイブラー 支配は、他人を平気で振り回す人がしばしば用いる手段である。いや、むしろ、相手を支配するために振り回すのだといえるかもしれない。だから、鶏が先か、卵が先かという議論になるのだが、振り回している当の本人は、多くの場合、自分が相手を支配しようとしていることにも、振り回していることにも気づいていない。そのため、罪悪感も自責感も覚えず、ときには威嚇や暴力によって恐怖を与えるようなことも平気でする。 何よりも重要なのは、支配しようとする相手を全然尊重せず、相手が何を言っても聞こうとしないことだ。たとえば、営業課の 30代の男性課長は、まじめで気の弱い 20代の部下の男性がちょっとでもミスをするたびに、怒鳴りつけて罪悪感や恐怖心を抱かせ、自分の煩わしい仕事を押しつける。 そのせいで、この部下はノイローゼ気味になっており、仕事ができない自分が全面的に悪いと思い込んでいる。いや、そう思い込まされている。まるで、カルト宗教の信者のように課長の言いなりになっている。 しかも、この課長は、少しでもいいと思われるアイデアが浮かんだり、ちょっとでも不安を覚えたりすると、その日のうちに指示を変えてしまう。また、重箱の隅をつつくように企画書にケチをつけて何度も修正させるため、部下が言われるままに直しているうちに、最初に提出した企画書と同じ内容になったことが何度もある。一度、部下が「最初の形に近いですよね」と言いかけたところ、課長に睨みつけられたため、以後何も言えなくなってしまったという。 巧妙なのは、この課長が鞭だけでなく飴も使っていることだ。「課長になりたいのなら、これくらいの仕事は難なくこなせるようにならなければ」と言って、部下にクレーム処理などの厄介な仕事を押しつけるのである。 この部下は、課長に完全に支配され振り回されているわけだが、ここまで支配されるようになった一因として、最初の頃はそれほど警戒していなかったことがある。当初は、「君ならできると思うからこそ、厳しく注意するんだ」とか「完璧な企画書を提出したら、君の評価が上がるはず」と言われていたので、この部下は「課長は、自分に目をかけてくれているんだ。自分の能力を認めてくれているんだ」と思い込み、唯々諾々と従っているうちに、こういう事態になってしまった。 同じようなことは、男女関係でも起こりうる。いや、もっと多いだろう。最初は、誘惑や賛美によって、相手の愛されたいという愛情欲求に働きかける。いったん、男女の関係になると、支配へと暴走する。 そのせいでクタクタに疲れ果て、心身に不調をきたして心療内科を受診した方の話を聞くと、交際当初は、向こうから猛烈にアタックされたとか、信じられないくらいほめられたということが多い。 たとえば、 30代の派遣社員の女性は、勤務先の正社員の男性に振り回されて困っている。 この男性は、彼女に部屋の掃除をさせ、食事も作らせ、そのたびに「君は家庭的だから、いいお嫁さんになれる」などと言って、結婚をほのめかす。月末になると、お金まで借りるが、返してくれたことは一度もない。 女性のほうも、自分が結婚を餌に利用されているだけなのではないかと薄々感じてはいる。しかし、派遣という不安定な身分に不安を覚えていることもあって、できるだけ早く結婚したいと思っており、彼の要求に唯々諾々と従っている。 彼の部屋を掃除していて、他の女のものと思われる長い髪の毛を見つけたときも、「満員電車の中で揺られていたときに女の子の髪の毛が服について、そのまま持ち帰ったんだろう」という彼の言い訳を彼女は信じた。いや、信じようとしたという。これは、彼女の結婚願望が非常に強く、現時点で結婚できる可能性がありそうなのは彼だけなので、信じるしかないという事情によるようだ。 この男性は、こうした事情につけ込んで利用することしか考えてないように私の目には映る。彼女がここまでつけ込まれたのは、この会社に派遣されて働くようになった当初、彼が親切に教えてくれたとか、「きれいだね。最初、 20代にしか見えなかった」とほめてくれたという事情にもよるようだ。見え見えのお世辞だとわかっていても、こういう言葉にときめくのが女心だと熟知しているわけで、凄腕の女たらしにしか見えない。 もっとも、彼がここまで好き放題できるのは、振り回されている女性が「イネイブラー( enabler)」になっているからだろう。イネイブラーとは、直訳すると「 ~できるようにする人」という意味である。問題行動を陰で助長している身近な人を指し、「支え手」とか「世話焼き人」と訳されることが多い。 一番イネイブラーになりやすいのは、アルコールや薬物への依存症者の家族である。たとえば、表向きは夫のアルコール問題に悩んでいるように見える妻が、お金を与えたり、飲酒によるトラブルの尻拭いをしたりして、結果的に夫のアルコール依存を助長していることが結構ある。こういう場合、妻はイネイブラーとしての役割を果たしているが、当の本人にはその自覚がない。 他人を平気で振り回す人の周囲にもしばしばイネイブラーがいて、好き勝手な振る舞いを許容している。最も多いのは、この女性のように、かすかな希望や淡い期待を抱いており、関係が切れることを恐れている場合である。そういう場合、他の女のものと思われる長い髪の毛を見つけて何となくおかしいと感じても、目の前の不快な現実から目をそむけ、見て見ぬふりをしようとする。 このような現実否認を続けるためにも、自分は大事にされていないし、尊重もされていない、むしろ見くびられ、なめられていることに薄々気づいていながら、そんなことはないと自分で自分にひたすら言い聞かせる。 こういうイネイブラーが周囲に一人でもいることは、他人を平気で振り回す人にとって願ったり叶ったりだ。むしろ、イネイブラーになりそうな人を嗅ぎ分ける嗅覚が鋭く、イネイブラー予備軍を選んで振り回しているともいえよう。 先ほど紹介した、まじめで気の弱い 20代の部下の男性も、典型的なイネイブラーである。自分が課長から怒鳴りつけられるのは、自身の不手際や理解不足のせいだと思い込んでいる。しかも、恐怖で萎縮しており、波風を立てたくないという願望も強い。そのため、課長から煩わしい仕事を押しつけられても、それをきちんとやり遂げれば、認めてもらえるのではないかと期待しながら、どんなに面倒な仕事でも文句一つ言わずやる。 これこそイネイブラーの理想像である。こういうイネイブラーが周囲にいると、他人を振り回す人は「少々のことは許される」と思い込んで、暴走しやすい。つまり、他人を振り回す人とイネイブラーの相互関係の中で、さまざまな問題行動が起こるのである。 こうした相互関係については、後の章でさらに深く掘り下げたい。相手を道具としかみなさない人 この男性は、結婚願望の強い女性を道具とみなして利用しているように見える。こういうことは、家庭という密室ではより起こりやすい。しかも、逃げ場がないので、家族に振り回され、追い詰められた挙げ句、息が詰まりそうになっている人も少なくない。 たとえば、「女は家事、子供は勉強するのが仕事」と口癖のように言う経理部長の 50代の夫は、専業主婦の 40代の妻が家事をほんの少しでもサボると、激高して「家にずっといるんだから、家事くらいちゃんとしろ」と叫ぶ。また、中学生の娘が進学校に行けなければ人生が終わると信じているようで、「勉強しろ」と口うるさく言う。 そのため、夫が家にいると、妻も娘も気が休まらない。夫の帰宅時間が近づくと、妻は動悸がして、過呼吸になりかけることもある。娘は、それまでリビングでテレビを見ていても、勉強部屋に避難する。 この夫は、まじめで努力家なのだが、世間体を極度に気にするところがあるので、妻が家事をきちんとしないせいで家の中がグチャグチャになっていたり、娘が勉強しないせいで進学校に入れなかったりすると、自分の価値が損なわれると思っているのだろう。裏返せば、妻も娘も自分の付加価値を高める道具としかみなし
ておらず、道具として役に立たなくなったら家族の一員として失格と思っているのである。 親が子供を道具としてしかみなしていないために起こる悲劇はいくらでもある。その典型が、自分が叶えられなかった夢を子供に託そうとする親だろう。 たとえば、甲子園出場経験のある高校球児だった 40代の夫。大学からも声がかかるほどの実力だったが、怪我のためプロ野球選手になる夢を諦めざるを得なかった。その無念さゆえか、小学生の息子に自分の夢を託しているようで、勉強や友人関係よりも野球を優先させる人生を息子に強要。自分の言うことを聞かせるため、妻や息子に暴力を振るうこともある。 自分が叶えられなかった夢を息子や娘に託して、敗者復活をもくろむ親は結構いる。こういう親は自分自身の自己実現のために子供を利用しているにすぎない。フロイトが「ナルシシズム入門」で述べているように、「子供は両親の適えられなかった夢を実現すべきであり、父親の代わりに偉人や英雄になり、母親の満たされなかった夢を遅れて償うために、王子を夫として迎えるべき」と思い込んでいる。つまり、「いじらしいものであるが、根本的に子供っぽいものであり、蘇生したナルシシズム以外のものではない」(ジークムント・フロイト『エロス論集』中山元編訳、ちくま学芸文庫)。もっとも、その自覚がない場合がほとんどだ。むしろ、全て子供のためと信じている。 この手の親に振り回される子供も、しばしばイネイブラー予備軍の素質を持っている。一言でいえば、親の願望や期待を満たそうとする頑張り屋で、〝いい子〟だ。しかも、親に愛されたいという愛情欲求が人一倍強い。 こういう性向を親のほうも見抜くのか、子供を振り回す親ほど、「自分の言う通りに頑張れば、愛してあげるけど、そうでなければ愛してあげない」というメッセージを暗に送り続ける。つまり、条件付きの愛情しか与えないわけだ。 すると、子供のほうは、「頑張らなければ、愛してもらえない。親の愛情を失うかもしれない」という喪失不安にさいなまれ、さらに頑張る。野球を何よりも優先させることを強いられている息子も、今のところは父の期待に応えようと懸命に頑張っているようだ。 もちろん、親が条件付きの愛しか与えないことによって、子供が頑張り、それなりに成功した『巨人の星』のような事例もあるだろう。ただ、親の条件付きの愛に振り回された挙げ句、拒食症や不登校になった事例を数多く診察してきたので、この手の親が子供を自分の思い通りに支配しようとして振り回す危険性を警告せずにはいられない。お金の力で支配したがる人 他人を振り回す手段としてしばしば用いられるのが、お金による支配である。たとえば、「不自由なく生活させてやっているのはおれのおかげ」と威張り散らす 30代の夫に、妻も息子も怯えている。この夫は、家事を一切手伝わず、育児にもまったく協力しない。しかも、何事にも自分を優先してもらわないとすぐに不機嫌になり、「誰に食べさせてもらっていると思ってるんだ」と怒鳴る。 今どき、こんなアナクロ夫がいるのかと、心療内科を受診した妻から話を聞いたとき耳を疑ったのだが、事実らしい。「おれは九州男児だ」というのも口癖で、 4歳の息子への躾は虐待とも思えるくらい厳しく、ことあるごとに「それでも男か!」と怒る。どうも、この夫自身が幼い頃から父親に厳しく躾けられてきたらしく、父親も家庭では威張り散らしていたようだ。つまり、父親と同じパターンで家族を支配しようとする「反復強迫」に陥っている。 妻のほうに経済力があれば、ここまで夫に振り回されることはないのだろうが、専業主婦の妻は耐えるしかない。経済的に夫に依存せずにすむようにパートにでも出ようかと思い、夫に相談したところ、大反対され、「おれの給料ではやっていけないということか。遣り繰りがへたなんじゃないのか。おまえなんか、働いたって、雀の涙くらいしか稼げないだろうから、やめとけ」と怒られた。 このように、お金の力で支配して振り回す人は、相手の経済的自立を阻害することが多い。相手が経済的に自立したら、恩着せがましく威張ることも、自分の思い通りに支配することもできなくなるからだ。 お金による支配が行われるのは、夫婦間だけではない。むしろ、親子間(義理の関係も含めて)のほうが多い。 たとえば、 30代の会社員の男性は、郊外にある妻の実家の近くに妻の両親から家を買ってもらったのだが、その弱みにつけ込まれて、思い通りに操られるのではないかと危惧している。この男性は都内で働いており、本心ではありがた迷惑だったが、妻の気持ちを考えて引っ越しに同意した。ところが、しょっちゅうアポなしで妻の両親が家に遊びに来るため、夫のストレスが爆発。夫婦喧嘩の引き金になっている。最近では、姑が部屋の模様替えを勝手に行ったため、夫は離婚も考えているという。 この両親は、お金を出してやったのだから、娘夫婦の生活に土足で踏み込んでも許されると思い込んでいるようだ。また、自分たちの幸福と娘夫婦の幸福を混同しており、自分たちにとっていいことは娘夫婦にとってもいいことだと信じている。それが、娘夫婦の離婚の引き金になりかけているのだから、とんでもない勘違いである。 こういう話は結構あるようで、 30代の専業主婦の女性も、夫の両親に家を建ててもらってから吐き気がするようになったということで、私の外来を受診した。夫の両親はかなり裕福らしく、土地を買って家を建ててくれたのだが、問題は、家具も照明もカーテンも全て姑が決めてしまったことだ。息子夫婦の意見なんか全然聞かずに。 この女性は、夫に「住むのは私たちなんだから、お義母さんに全部決めてもらうのは、ちょっと……」と言ったのだが、夫は「家を建ててもらったんだから、それくらい決めさせてやれよ」と取り合ってくれなかったという。 姑は、百パーセント自分の思い通りにしないと気がすまない性格のようで、孫の教育についても「〇歳までに〇〇を習わせて、〇〇の学校に入れて……」と綿密な計画を立てているらしい。その計画にもとづいてしょっちゅう口出ししてくるうえ、「私は三人の息子をみんな国立大学に入れました」と成功体験を持ち出すので、嫁としては何も言えなくなってしまうのだとか。 この姑は、自分の息子が高学歴であることを何よりも誇りにしているためか、学歴至上主義で、「いい学校に行かないと、一生不幸になるのよ」「いい学校に行くためには、幼児教育が大切」というのが口癖らしい。こうした価値観にもとづいて孫を教育すべく、頼まれもしないのに息子夫婦の家に来て英会話を教えたり、絵本を読んだりするので、嫁は辟易している。もっとも、姑は、自分の価値観が絶対に「正しい」と思い込んでおり、自らの振る舞いが嫁を辟易させているとは、夢にも考えないようだ。 夫の両親に建ててもらった家なので、嫁としては姑に「来るな」と言うわけにもいかず、渋々受け入れてはいる。だが、吐き気の原因が毎日のように押しかける姑にあることは、自分でも気づいているので、何とかしたいが、どうにもできないという。こうした現状を聞くと、お金による支配の怖さに戦慄すると同時に、「ただより高いものはない」という言葉は真実だと痛感する。自己保身のため事態を逆転させる人 事態を逆転させて、自分自身が悩んだり苦しんだりせずにすむようにするのも、他人を平気で振り回す人がしばしば用いる手である。自分自身の苦悩や葛藤と向き合うのは不快だし、耐えられないので、それを他人に投げつけて批判し、攻撃する。投げつけられた側は、やり込められて混乱する。「なぜ自分がこんなことを言われなきゃならないんだ」と怒りたくもなるが、他人を振り回す人によって巧妙にかき立てられる罪悪感のせいで、何も言えなくなってしまう。 たとえば、 50代の総務部長の男性は、やたらと会議を開きたがり、終了時間を気にせず自分の感覚でダラダラとしゃべる。厄介なことに、部長の提案に対して部下が少しでも批判したり、反対意見を述べたりすると、とたんに機嫌が悪くなり、感情的になって攻撃する。そのため、部下は賛成するしかなく、会議は部長の提案や意見を追認するだけの場になっている。 もっとも、賛成したらしたで、困ったことになる。部長の提案を実行して、うまくいかなかったら、部長は上司に「会議で、 ○ ○という部下が強引に推し進めたんです。部下の戦略ミスです。私は『大丈夫か?』と疑問を投げかけたんですが……」などと言い訳して、部下に責任転嫁するからだ。 責任を押しつけられた部下としては、「部長が提案したんじゃないですか。僕らは賛成するしかなかったから、そうしただけなのに、こっちの責任にされたら困ります」と言い返したいところだが、形だけにせよ、賛成したのは事実なので、何も言えない。裏返せば、部長は部下に共同責任を負わせるために、全員が賛成するように仕向けているのだとも考えられる。そのために、批判や反対意見に過剰反応し、あえて感情的になって攻撃するのだとすれば、なかなかの策士である。 このような責任転嫁は、もちろん自己保身のためだろう。現在の地位や収入を失いたくないからこそ、部下に平気で責任を押しつけるのだが、同じようなことを
部下がする場合もある。 たとえば、ある会社では、自分が失敗するたびに、「そんな仕事の仕方、教えてもらっていませんよ!」と逆ギレする新入社員の女性がいて、上司は頭を抱えている。この新入社員は、手取り足取り教えてもらわないと、仕事ができない。また、何事にも受け身で、指示されるまで動かない。自分で工夫して仕事をする気は毛頭なく、報連相(報告・連絡・相談)もできないため、周囲に迷惑をかけているのだが、その自覚が当の本人にはまったくないようだ。それどころか、ちょっと厳しく注意されると、涙ぐみながら「それってパワハラじゃないですか」と訴えるので、上司は何も言えなくなるという。 たしかに、パワハラは許しがたい行為である。だが、企業でメンタルヘルスの相談を受けるたびに、パワハラだと言い立てることによって、自分の能力や努力が足りないせいではないと自己正当化しようとする社員もいないわけではないと感じる。 たとえば、別の会社では、 20代の男性社員が、取引先への対応が拙く、先方からクレームがあったため、課長から叱責されたのだが、それに対して、この社員は「クレーマー体質の取引先を自分に押しつけた課長が悪い!」「パワハラだ!」などと逆ギレして、大騒動になった。 このように、大げさに騒ぐことで難を逃れようとする傾向が認められたため、人事部でも問題になった。しかし、誰も厳しく注意できなかった。心療内科を受診して、「抑うつ状態」の診断書をもらってきており、「配慮を要する」と記載されていたからだ。 しかも、この診断書を盾に嫌な仕事も残業も一切しなかった。おまけに、繁忙期になると、うつを理由に半月ほど休むこともあった。それなのに海外旅行には行っていたようで、その写真をフェイスブックにアップしていた。 彼の場合、診断書が自宅近くの開業医から出されたものだったので、国公立の病院を受診してセカンドオピニオンを聞いてくるようにとの助言を間接的に伝えた。すると、新たに診断書を提出することはなかったが、勤務態度は多少改善した。また、パワハラだと騒ぎ立てることもなくなった。 詐病だと決めつけるつもりはないが、中には病気を利用しているような印象を与える事例もある。うつや自律神経失調症などの精神疾患は、身体疾患と比べて客観的な検査データが少なく、本人の訴える症状や申し立てる病歴にもとづいて診断されるので、精神科医の診断能力にゆだねられる部分が比較的大きいからだ。 そういう特質につけ込み、診察室で病気のふりをして、薬や診断書を手に入れようとする患者が少数にせよ存在するのは、否定しがたい事実である。したがって、この男性社員もその一人ではないかと疑ったわけだが、このような疑いをこちらが抱いていることは、本人の前では口が裂けても言えない。それこそ、パワハラとかドクハラ(ドクターハラスメント)とか騒ぎ立てて、大変なことになるからである。自己正当化のために用いる否認と投影のメカニズム 先ほど紹介した上司も部下も、自らの内なる「悪」を否認し、他人に投影して攻撃する典型である。そうすれば、忌まわしい「悪」など自分にはないかのようなふりをすることができるからだ。 他人を平気で振り回す人には、この否認と投影がしばしば認められる。同様のメカニズムゆえに全世界を振り回したのが、ヒトラーである。 ユダヤ人を「悪」とみなし迫害すべきと断じたヒトラーの妄想的確信は、彼の出自の曖昧さに由来する可能性が高い。というのも、ヒトラーの家系図は祖父の代で不明瞭になっており、彼の出自についての真相は藪の中だからだ。しかし、そのことより重要なのは、こうした不確かさにヒトラー自身も気づいていて、打ち消せない疑念にさいなまれていたのではないかと思われることである。 ドイツのジャーナリスト、ハラルト・シュテファンは「明らかにされない過去のために、他者の人種的純粋性を、それが証明困難であればなおさら厳しく求めるという、心理的にはよく実感できる衝動が生まれた」と述べている(ハラルト・シュテファン『ヒトラーという男』滝田毅訳、講談社選書メチエ)。 この衝動が、全てのドイツ人が「アーリア人証明書」を要求されるようになる事態を招くが、これは、実は、反ユダヤ主義を掲げるナチスの指導者にユダヤ人の血が流れているのではないかと詮索されるような事態から身を守るための、無意識の心理的防衛だったと考えられる。つまり、ユダヤ人の血という「悪」など自分にはないと頑強に否認したかったからこそ、それをユダヤ人全体に投影し、徹底的に攻撃したのである。 このような心理的防衛はしばしば用いられる。配偶者や恋人の浮気を疑って激しく責める場合にも、同様のメカニズムが働いていることがある。 たとえば、妻同伴で心療内科を受診した 40代の男性は、「妻が他の男とメールをしていたことがわかってから不安になった」と訴えた。夫は不安でたまらず、妻の帰りが少しでも遅れると、「浮気しているのではないか」と妻を責めるようになった。そのため妻は携帯を買い替え、家にいるときは常に夫の前に置くようにしたうえ、外出も控えるようにした。こうした妻の配慮にもかかわらず、夫は妻を疑い責め続けたので、耐えきれなくなった妻が夫に受診を勧めたようだ。 もっとも、夫は「僕は病気ではない」と頑強に主張した。そのため、軽い精神安定剤を処方して「不安になったときに飲むように」と指示したのだが、ほとんど服用しなかったらしく、そのうち来院しなくなった。 この夫婦には後日談がある。夫が若い女の子と仲良く腕を組んで歩いているのを、病院のスタッフが目撃したのだ。 妻の浮気を疑い、執拗に責めて、「嫉妬深い」夫を演じると、少なくとも二つの効用がある。まず、自らの浮気願望という「悪」を妻に投影し、妻のそれを激しく攻撃すれば、妻も自分と比べてさほど善良ではないと思えるので、良心の呵責から解放される。また、妻の浮気をうかがわせる材料を探し出して責めることによって、そんなやましい欲望など自分自身にはないかのようなふりもできる。 いずれにせよ、自己正当化のためである。他人を平気で振り回す人は、無意識のうちに否認と投影のメカニズムを用いながら、「自分は悪くない。シロだ」と叫ばずにはいられないのである。子どもの自立を妨げる親のダブルバインド 相矛盾するメッセージを送ることによって、相手を混乱させ、身動きできなくするのも、他人を平気で振り回す人がしばしば用いる手であり、精神医学では「ダブルバインド」(二重拘束)(注)と呼ばれている。言葉では「頑張りなさい」と励ましておきながら、相手が実際に頑張って活躍すると、不機嫌になるわけで、要は、言語レベルと非言語レベルのメッセージが 180度異なる。(注) ダブルバインド( double bind)は、コミュニケーションの一様態である。イギリスの人類学者、ベイトソン( Bateson, G.)が、統合失調症患者の家族のコミュニケーション病理をダブルバインド(二重拘束)として理論化したことから、統合失調症の発症要因として、ダブルバインドが重視されるようになった。 ただ、最近の研究では、ダブルバインドは、統合失調症患者の家族に特異的な現象ではなく、うつや人格障害などの患者がいる家族でも認められることがあるとされている。(グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』佐藤良明訳、新思索社) たとえば、母親が息子に「キスしてくれないの?」と言っておきながら、いざ息子が母親に顔を近づけてキスしようとすると、母親は顔を後ろにそらせて、避けようとする。言語レベルでは、息子に「愛している」というメッセージを伝えておきながら、非言語レベルでは、息子の愛を拒絶し、甘えん坊を罰するようなそぶりをするわけである。 このような相矛盾するメッセージを送られると、息子としては、母親に甘えていいのかどうか、近づいていいのかどうか迷い、混乱するだろう。言語レベルのメッセージと非言語レベルのメッセージのどちらを信じればいいのかわからず、身動きが取れなくなるかもしれない。 こういう相矛盾するメッセージが家族間でやり取りされることは結構あるようだ。たとえば、知り合いの女性は、 50代の夫が子供に「頑張れ」と口では言いながら、子供がいい成績をとっても、クラブ活動で表彰されても、決してほめようとはせず、かえって不機嫌になるので、困っている。どうも、この夫は、実家がそれほど裕福ではなく、成績優秀だったにもかかわらず、大学進学を諦めるしかなかったらしい。そのせいか、学歴コンプレックスが相当強そうだ。妻は、短大を出ているので、妻に対しても学歴の面では劣等感を抱いているのかもしれない。 妻の目には、夫がわが子に対して嫉妬しているように映るらしい。妻としては、夫をかわいそうとは思いつつも、このままだと子供に悪影響を与える恐れがあるので、離婚したほうがいいのではないかと悩んでいるという。 子供の結婚をめぐって、ダブルバインドのメッセージを送り続ける親も少なくない。知り合いの 60代の女性は、 40代の息子と二人暮らしで、「息子がなかなか結婚してくれなくて……」と、しょっちゅう愚痴をこぼしている。息子にも、「早く結婚して、家を出て。そうすれば、お母さん自由にできるから」と言っている
らしい。 この息子は、高学歴で公務員、そのうえ優しいので、これまで結婚しなかったのはなぜなのかと疑問に思っていたのだが、最近その謎が解けた。この母親は、息子が交際相手の女性を家に連れてくるたびに不機嫌になり、自分があら探しして見つけたさまざまな欠点を後から息子に伝えるのだという。また、何度も息子に見合いをさせているのだけれど、息子は気に入っても、母親のお眼鏡に適わないということで断ったことが何度もあるのだとか。 この母親は、息子に「早く結婚して」というメッセージを送りながら、同時に「結婚しないで。私を捨てないで。私を一人にしないで」というメッセージも送り続けている。優しい息子は、母親の暗黙のメッセージを無視することができず、 40歳を過ぎても未婚のままで、母親のダブルバインドに振り回されているのだろう。 イギリスの作家、サマセット・モームの短編小説「ルイーズ」(サマセット・モーム『コスモポリタンズ』龍口直太郎訳、ちくま文庫)では、娘をダブルバインドによって縛りつけようとする母親の姿が見事に描かれている。 娘の結婚を口では願っていると言いながら、恋人ができるたびにつぶそうとする母親(ルイーズ)がいた。ある青年が娘に結婚を申し込み、娘のほうも快く受け入れたのだが、結婚が無期延期になってしまう。「病弱の母をひとり残して家を出る気になれない」というのがその理由だった。そこで、この青年の友人が、母親に会って「自分の娘さんまで、同じようにその一生を台なしにしようとしてるんですよ」と言い放つ。 この言葉が功を奏したのか、娘は結婚式を挙げることになる。しかし、結婚式の朝、母親は心臓発作を起こして死んでしまう。 実に怖い話だが、いくつかの重要な点を示唆しているように思われる。まず、娘の幸福と母親の幸福が完全に一致するなんて、実際にはあり得ないということだ。この母娘のように、娘が結婚して幸せになろうとすれば、病弱な母親を捨てなければならないのだから。 母親は、娘に捨てられたくないので、「あなたのことを一番わかっているのはお母さんよ」とか「あなたは一人では何もできない」とか言いながら、娘が自分に依存し続けるように仕向ける。娘が母親に依存した状態から抜け出して自立しようとすると、「あなたはお母さんを捨てるのね」と涙ぐんで訴え、罪悪感を与えることさえある。 これが、一方では「早く結婚しなさい」と娘に言いながら、同時に娘の自立 =結婚を妨げようとする母親の本質である。心理学者の小倉千加子氏は「今の日本の母親たちの最大の問題点は、娘に依存しないと生きられないということです。これが娘の晩婚化の最大の原因になっているといってもよい。だから娘の自立を恐れるという感情が強い」(小倉千加子『増補版松田聖子論』朝日文庫)と述べているが、まさに核心をついている。 このように、現在わが国には母親の呪縛によってがんじがらめになった息子や娘が多いが、その核になっているのがダブルバインドである。こうしたダブルバインド状況から抜け出すには、「お母さんの幸福と私の幸福は必ずしも同じではない」と伝えなければならない。それがなかなかできない息子や娘が増えているからこそ、非婚化が進んでいるのではないだろうか。職場を掻き乱すダブルバインド 同様のことは、職場でも起こりうる。会議の際に、上司から「自由に発言しなさい。自由闊達な議論こそが、会社の発展につながる」と言われて、真に受けた若い社員が、仕事の分担に対する不満やプロジェクトの古くささなどを率直に述べたところ、上司の機嫌が悪くなり、それ以後きつく当たられるようになったという。 また、忘年会で「今日は無礼講だ。遠慮せず、じゃんじゃんやりなさい」という上司の言葉を真に受けて飲み過ぎた新入社員が、酒の勢いで上司への不満をぶちまけたところ、上司の顔色が変わり、周囲があわててとりなしたという話を聞いたこともある。 こういう話は、程度の差はあれ、どこにでもあるはずだ。われわれは、言語レベルと非言語レベルで同時にメッセージを出しているので、互いに矛盾することもあり得る。しかも、ほとんどの場合、相矛盾するメッセージの発信者は、そのことに気づいていない。敵意や反感を抱いている上司や取引先に対して、愛想笑いをしながらお世辞を言っているつもりでも、顔が引きつっているとか、目を合わせないようにするという場合、非言語レベルでのメッセージに無意識が出ていると見るべきだろう。 とくに日本では、本音と建て前を使い分けることが当然とされており、相手の非言語レベルでのメッセージを読み取って行動することを暗黙のうちに要求される。それがうまくできないと、「空気が読めない( K Y)」と揶揄されることもある。そのため、非言語レベルでのメッセージを読み取らなければならないという重圧に、われわれは日々さらされている。 われわれが振り回されやすいのは、相矛盾する二つのメッセージの発信者が権力や影響力を持っている場合である。その典型が上司だろう。上司が一体何を望んでいるのか常に気にかけつつ、ときにはその真意を忖度しなければ、部下は仕事ができない。そのため、上司から相矛盾するメッセージが送られると、まじめな人ほど混乱する。ときには、「フリーズ」して凍りついたようになり、何もできなくなる。 たとえば、ある会社の 30代の営業社員の男性は、直属の上司である 40代の男性課長から、「頑張ってくれたまえ。君には期待しているよ」と励まされたので、頑張ったところ、営業成績が社内でトップになった。課長も喜んでくれるはずと思ったのだが、予想に反して、機嫌が悪くなり、目も合わせてくれなくなった。また、別の会社の 20代の営業社員の女性も、 30代の女性主任から「頑張ってね」と励まされていたのに、いざ自分が営業成績を伸ばして表彰されると、この主任は彼女を露骨に避けるようになったという。そのため、二人とも、目立った営業成績をあげると、周囲からの反発が強くなるので、ほどほどのほうがいいのかもしれないと思い始めているのだとか。 課長も主任も、「頑張れ」という言語メッセージを送りながら、それとは裏腹な態度を示しているが、その根底には嫉妬が潜んでいるように見える。バブル崩壊後の長期化する経済停滞の中で、年功序列は崩れてきており、後輩や部下に自分のポストを奪われるのではないかと危惧するのも無理からぬことだ。そのため、後輩や部下の活躍に対する嫉妬を抑えられず、激励や祝福の言葉を送りながらも、それと矛盾するメッセージを非言語レベルでは出してしまう。 こういう人は、嫉妬、そしてそれに由来する敵意や反感などのネガティブな感情を言語レベルでは抑圧しようとすることが多い。このような嫌な感情が自分の心の中にあるなんて認めたくないからだ。 もっとも、抑圧しようとすればするほど、「抑圧されたものの回帰」というフロイトの言葉通り、ネガティブな感情が非言語レベルで出てしまう(ジークムント・フロイト『モーセと一神教』渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫)。 ちょっと漏れるどころか、だだ漏れになる場合もある。そうなれば、他人を混乱させ振り回すことも少なくないが、その自覚が当の本人にはほとんどない。相手の領域に平気で割り込む人 他人の領域を尊重せず、独りよがりの思い込みにもとづいて勝手に割り込むのも、他人を平気で振り回す人にしばしば認められる特徴である。しかも、本人は親切のつもりでやっていることが少なくなく、罪悪感などみじんも抱かない。一番問題が起きやすいのは、やはり家庭である。 たとえば、以前勤務していた大学で私のゼミに所属していた女子大生は、次のように訴えた。「うちのお母さんは、私の部屋に無断で入ってきて、勝手に整理するんです。本棚の本を並べ替えたり、机の上の資料を別の場所に移動させたり。そのため、必要な本や資料がどこにあるのかわからなくなり、しょっちゅう探し回らなければならないので、『やめて』って言ったんですが、『あなたの部屋が散らかっているから、整理してあげたのよ。嫌だったら、自分できちんと整理しなさい』と言い返されました。それからも、私のいないときに勝手に整理しているみたいで、大学でもらったプリントをゴミと一緒に捨てることもあるので、困っています」 彼女の母親は、娘の抗議にも聞く耳持たずで、あくまでも娘のためによかれと思って勝手に整理しているのだろうが、娘にとっては大迷惑である。似たような話を、一人で暮らしている 20代の会社員の女性からも聞いたことがある。「先週、久しぶりに有休を取って家でゆっくりしてたんですね。ちょっと朝寝坊して、朝風呂に入って出てきたら、母がいたんです。びっくりしました。母がお節介ということは子供の頃からよくわかっているので、合い鍵は渡していなかったのですが、私が実家に帰ったときに、私のバッグから鍵を勝手に取り出して合い鍵を作ったみたいです。私が今まで知らなかっただけで、これまでも私が会社に行っている間に、合い鍵で勝手に開けて入っていたみたいなんですね。私が『お母さん、なんでこんなところにいるの!』と、ちょっと怒って言ったら、『あんたこそ、平日で会社があるはずなのに、どうして家で休んでるの』と逆に叱られました」
らしい。 この息子は、高学歴で公務員、そのうえ優しいので、これまで結婚しなかったのはなぜなのかと疑問に思っていたのだが、最近その謎が解けた。この母親は、息子が交際相手の女性を家に連れてくるたびに不機嫌になり、自分があら探しして見つけたさまざまな欠点を後から息子に伝えるのだという。また、何度も息子に見合いをさせているのだけれど、息子は気に入っても、母親のお眼鏡に適わないということで断ったことが何度もあるのだとか。 この母親は、息子に「早く結婚して」というメッセージを送りながら、同時に「結婚しないで。私を捨てないで。私を一人にしないで」というメッセージも送り続けている。優しい息子は、母親の暗黙のメッセージを無視することができず、 40歳を過ぎても未婚のままで、母親のダブルバインドに振り回されているのだろう。 イギリスの作家、サマセット・モームの短編小説「ルイーズ」(サマセット・モーム『コスモポリタンズ』龍口直太郎訳、ちくま文庫)では、娘をダブルバインドによって縛りつけようとする母親の姿が見事に描かれている。 娘の結婚を口では願っていると言いながら、恋人ができるたびにつぶそうとする母親(ルイーズ)がいた。ある青年が娘に結婚を申し込み、娘のほうも快く受け入れたのだが、結婚が無期延期になってしまう。「病弱の母をひとり残して家を出る気になれない」というのがその理由だった。そこで、この青年の友人が、母親に会って「自分の娘さんまで、同じようにその一生を台なしにしようとしてるんですよ」と言い放つ。 この言葉が功を奏したのか、娘は結婚式を挙げることになる。しかし、結婚式の朝、母親は心臓発作を起こして死んでしまう。 実に怖い話だが、いくつかの重要な点を示唆しているように思われる。まず、娘の幸福と母親の幸福が完全に一致するなんて、実際にはあり得ないということだ。この母娘のように、娘が結婚して幸せになろうとすれば、病弱な母親を捨てなければならないのだから。 母親は、娘に捨てられたくないので、「あなたのことを一番わかっているのはお母さんよ」とか「あなたは一人では何もできない」とか言いながら、娘が自分に依存し続けるように仕向ける。娘が母親に依存した状態から抜け出して自立しようとすると、「あなたはお母さんを捨てるのね」と涙ぐんで訴え、罪悪感を与えることさえある。 これが、一方では「早く結婚しなさい」と娘に言いながら、同時に娘の自立 =結婚を妨げようとする母親の本質である。心理学者の小倉千加子氏は「今の日本の母親たちの最大の問題点は、娘に依存しないと生きられないということです。これが娘の晩婚化の最大の原因になっているといってもよい。だから娘の自立を恐れるという感情が強い」(小倉千加子『増補版松田聖子論』朝日文庫)と述べているが、まさに核心をついている。 このように、現在わが国には母親の呪縛によってがんじがらめになった息子や娘が多いが、その核になっているのがダブルバインドである。こうしたダブルバインド状況から抜け出すには、「お母さんの幸福と私の幸福は必ずしも同じではない」と伝えなければならない。それがなかなかできない息子や娘が増えているからこそ、非婚化が進んでいるのではないだろうか。職場を掻き乱すダブルバインド 同様のことは、職場でも起こりうる。会議の際に、上司から「自由に発言しなさい。自由闊達な議論こそが、会社の発展につながる」と言われて、真に受けた若い社員が、仕事の分担に対する不満やプロジェクトの古くささなどを率直に述べたところ、上司の機嫌が悪くなり、それ以後きつく当たられるようになったという。 また、忘年会で「今日は無礼講だ。遠慮せず、じゃんじゃんやりなさい」という上司の言葉を真に受けて飲み過ぎた新入社員が、酒の勢いで上司への不満をぶちまけたところ、上司の顔色が変わり、周囲があわててとりなしたという話を聞いたこともある。 こういう話は、程度の差はあれ、どこにでもあるはずだ。われわれは、言語レベルと非言語レベルで同時にメッセージを出しているので、互いに矛盾することもあり得る。しかも、ほとんどの場合、相矛盾するメッセージの発信者は、そのことに気づいていない。敵意や反感を抱いている上司や取引先に対して、愛想笑いをしながらお世辞を言っているつもりでも、顔が引きつっているとか、目を合わせないようにするという場合、非言語レベルでのメッセージに無意識が出ていると見るべきだろう。 とくに日本では、本音と建て前を使い分けることが当然とされており、相手の非言語レベルでのメッセージを読み取って行動することを暗黙のうちに要求される。それがうまくできないと、「空気が読めない( K Y)」と揶揄されることもある。そのため、非言語レベルでのメッセージを読み取らなければならないという重圧に、われわれは日々さらされている。 われわれが振り回されやすいのは、相矛盾する二つのメッセージの発信者が権力や影響力を持っている場合である。その典型が上司だろう。上司が一体何を望んでいるのか常に気にかけつつ、ときにはその真意を忖度しなければ、部下は仕事ができない。そのため、上司から相矛盾するメッセージが送られると、まじめな人ほど混乱する。ときには、「フリーズ」して凍りついたようになり、何もできなくなる。 たとえば、ある会社の 30代の営業社員の男性は、直属の上司である 40代の男性課長から、「頑張ってくれたまえ。君には期待しているよ」と励まされたので、頑張ったところ、営業成績が社内でトップになった。課長も喜んでくれるはずと思ったのだが、予想に反して、機嫌が悪くなり、目も合わせてくれなくなった。また、別の会社の 20代の営業社員の女性も、 30代の女性主任から「頑張ってね」と励まされていたのに、いざ自分が営業成績を伸ばして表彰されると、この主任は彼女を露骨に避けるようになったという。そのため、二人とも、目立った営業成績をあげると、周囲からの反発が強くなるので、ほどほどのほうがいいのかもしれないと思い始めているのだとか。 課長も主任も、「頑張れ」という言語メッセージを送りながら、それとは裏腹な態度を示しているが、その根底には嫉妬が潜んでいるように見える。バブル崩壊後の長期化する経済停滞の中で、年功序列は崩れてきており、後輩や部下に自分のポストを奪われるのではないかと危惧するのも無理からぬことだ。そのため、後輩や部下の活躍に対する嫉妬を抑えられず、激励や祝福の言葉を送りながらも、それと矛盾するメッセージを非言語レベルでは出してしまう。 こういう人は、嫉妬、そしてそれに由来する敵意や反感などのネガティブな感情を言語レベルでは抑圧しようとすることが多い。このような嫌な感情が自分の心の中にあるなんて認めたくないからだ。 もっとも、抑圧しようとすればするほど、「抑圧されたものの回帰」というフロイトの言葉通り、ネガティブな感情が非言語レベルで出てしまう(ジークムント・フロイト『モーセと一神教』渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫)。 ちょっと漏れるどころか、だだ漏れになる場合もある。そうなれば、他人を混乱させ振り回すことも少なくないが、その自覚が当の本人にはほとんどない。相手の領域に平気で割り込む人 他人の領域を尊重せず、独りよがりの思い込みにもとづいて勝手に割り込むのも、他人を平気で振り回す人にしばしば認められる特徴である。しかも、本人は親切のつもりでやっていることが少なくなく、罪悪感などみじんも抱かない。一番問題が起きやすいのは、やはり家庭である。 たとえば、以前勤務していた大学で私のゼミに所属していた女子大生は、次のように訴えた。「うちのお母さんは、私の部屋に無断で入ってきて、勝手に整理するんです。本棚の本を並べ替えたり、机の上の資料を別の場所に移動させたり。そのため、必要な本や資料がどこにあるのかわからなくなり、しょっちゅう探し回らなければならないので、『やめて』って言ったんですが、『あなたの部屋が散らかっているから、整理してあげたのよ。嫌だったら、自分できちんと整理しなさい』と言い返されました。それからも、私のいないときに勝手に整理しているみたいで、大学でもらったプリントをゴミと一緒に捨てることもあるので、困っています」 彼女の母親は、娘の抗議にも聞く耳持たずで、あくまでも娘のためによかれと思って勝手に整理しているのだろうが、娘にとっては大迷惑である。似たような話を、一人で暮らしている 20代の会社員の女性からも聞いたことがある。「先週、久しぶりに有休を取って家でゆっくりしてたんですね。ちょっと朝寝坊して、朝風呂に入って出てきたら、母がいたんです。びっくりしました。母がお節介ということは子供の頃からよくわかっているので、合い鍵は渡していなかったのですが、私が実家に帰ったときに、私のバッグから鍵を勝手に取り出して合い鍵を作ったみたいです。私が今まで知らなかっただけで、これまでも私が会社に行っている間に、合い鍵で勝手に開けて入っていたみたいなんですね。私が『お母さん、なんでこんなところにいるの!』と、ちょっと怒って言ったら、『あんたこそ、平日で会社があるはずなのに、どうして家で休んでるの』と逆に叱られました」
この母親も、娘のマンションに勝手に入ったことに後ろめたさも罪悪感も抱いていないようだ。むしろ、一人暮らしをしている娘の安全を守るために、ときどきこっそりと入って監視するのは当然だくらいに思っているのかもしれない。 ここで紹介した母親は、両方とも支配欲求と母子一体感が強い。そのため、娘を独立した一個の人格として尊重しておらず、その領域を平気で侵害する。それに対して娘がいくら抗議しても一切聞こうとしないのは、血のつながった娘にだって母親に立ち入ってほしくない領域があることに考えが及ばず、自分のやっていることがあくまでも正しいと信じているからだろう。 相手の領域への侵害が起こるのは、親子間だけではない。夫婦間でも起こり得る。たとえば、週末が近づくと不安でたまらず、夜も眠れないと訴えて心療内科を受診した 60代の専業主婦は、自分の生活空間を夫に侵害されるように感じていた。 子供はみな独立し、彼女は夫と二人で暮らしている。ただし、夫は数年前から仕事の都合で地方へ単身赴任をしていて、週末になると帰ってくる。そして週明けにまた赴任先へ戻るという生活である。 日頃は夫とは離れて女一人で暮らしているので、夫が帰ってきて安心するのかと思いきや、そうではない。彼女は金曜日の夜が近づくと動悸が激しくなり、睡眠薬を飲まないと眠れなくなるという。「主人が帰ってくると想像するだけで、不安で不安でたまらなくなるんです」と彼女は訴えた。 というのも、その夫は潔癖症で、家に帰ってくるなり、「靴の並べ方が違う」などと怒鳴り、靴箱の靴を全部取り出して並べ替えるのだという。さらに、彼女が毎日掃除しているにもかかわらず、夫は掃除機をかけ直し、物の置き方を納得のいくように変えてしまう。このような夫の振る舞いは、妻の掃除や整理の仕方が悪いと暗にほのめかしているようなものだ。 子育てに夢中になっていた頃は見えないことも多く、経済力もないので、何かあっても感情を押し殺して耐えてきた。しかし、二人暮らしになり、週末、夫が帰ってくるたびにこれまで以上の細かいダメ出しがあるので、彼女は気が休まる暇がない。強迫的ともいえるほど細部にこだわる夫のあら探しに、彼女はすっかり参ってしまったのである。 専業主婦の妻にとっては、家庭こそが職場であり、自分なりに頑張って掃除や整理をしているにもかかわらず、夫が単身赴任先から帰宅するたびに、細かくダメ出しされたら、あらゆる努力を否定され、自分の生活空間を夫に侵害されるように感じるのは当然だろう。 この女性が現在何よりも心配しているのは、夫が定年退職したら一体どうなるのかということだ。実際、彼女の友人の一人は、夫が定年退職してずっと家にいるようになってから、体調を崩して通院しているらしい。友人の夫は元銀行員なのだが、とくに趣味もなく、外出も嫌いなので、ずっと家にいる。暇なせいか、食器の洗い方や洗濯物の干し方、掃除機のかけ方や買い物の仕方など、銀行員らしい几帳面さで何かと細かいルールを決めて、それに従わせようとする。 夫が銀行に勤めていた頃は、何人も部下がいて、自分の命令一つで思い通りに動かしていたらしく、定年退職後は自分が部下の代わりにされているように妻は感じており、正直なところ、うんざりしている。そのくせ、夫が家事を手伝うことはない。最近では、近所の人のゴミ出しにまで細かくクレームをつけるため、近所との関係も悪くなっているようだ。 これは、典型的な「主人在宅ストレス症候群」である。夫が定年退職後一日中家にいるようになると、夫が知らず知らずのうちに与えるストレスによって妻が心身に不調をきたすわけで、私の外来に通院している患者にも多い。 夫婦が一緒にいる時間をできるだけ減らすしかないのだが、行くところがない夫は、ほとんど外出しない。かといって、妻が趣味やスポーツなどのために外出しようとすると、夫の機嫌が悪くなり、「おれの昼飯は、どうなっているんだ。おまえは外で豪勢なランチを食べて、おれは家でお茶漬けか」などと難癖をつける。おまけに、「何時に帰るんだ」と詰問し、その時間をちょっとでも過ぎると、妻の携帯に電話して「どうなってるんだ! おれの夕飯はどうする気だ!」と怒鳴るので、妻はおちおち買い物もしていられない。 他人の領域を平気で侵害する人は、部屋にズカズカと上がり込んだり、洋服ダンスや机の引き出しを勝手に開けたりするような生活空間の侵害にとどまらず、考え方や生き方、好みや対人関係、さらには人生における重要な選択や決断などの精神的な領域にまで口出しするようになる。 たとえば、アパレル業界で働く 20代の男性は、結婚を前提に交際中の彼女から転職を勧められている。「転職しないんだったら、結婚しない」とまで言われており、困っている。彼の勤務先では休日出勤は当たり前で、残業も多いが、そのわりに給料が安いので、彼女の気持ちもわからないではない。ただ、彼としては、厳しい業界とはいえアパレル以外の仕事は考えられないため、どう彼女を説得するか悩んでいる。 彼女が彼に転職を勧めるのは、やはり結婚を前提にしているからだろう。結婚は共同生活なので、その経済的基盤が揺らぐ可能性があると、いくら好きでも結婚にはなかなか踏み切れない。だから、彼女を一概に責められないのだが、彼の勤めている会社に未来はないと判断し、しきりに転職を勧めるのは、自分の思い通りに彼を動かそうとする支配欲求の表れのようにも見える。 こういう女性と結婚したら、一生尻に敷かれて苦労しそうだと思うが、スタイル抜群の美人らしく、彼のほうはべた惚れなので、本当に悩んでいる。もしかしたら、その美貌のおかげで男性にちやほやされてきた彼女は、「私の言うことだったら男の人は何でも聞いてくれるはず。聞いてくれて当たり前」と思い込んでいるのかもしれない。そうだとしたら、これからも彼が重要な選択や決断をしなければならない岐路に立たされたときに、あれこれ口出しして振り回すはずである。相手の価値を否定せずにはいられない人 とにかくケチをつけないと気がすまず、他人の価値を否定することによって振り回す人もいる。こういう人は、相手の心の中に疑惑や不信感、罪悪感や恥などを芽生えさせ、自信を失わせようとする。その結果、もんもんと思い悩むとか、家事や仕事に支障をきたすという反応を引き起こせれば、してやったりとほくそ笑む。 たとえば、業績がよく、できる人材が集まった部署に異動してきた販売促進部の 40代の男性部長は、前任者のやり方を全て否定しなければ気がすまないタイプで、部下の多くが困っている。この部長は、パイプ役として調整する能力はあるものの、仕事のスキル自体はそんなに高くないようだ。それでも、プライドが高いため、とにかく前任者のやり方にケチをつけ、ひたすら部下にダメ出しすることで威厳を保とうとする。 しかも、メディアで新たな手法が脚光を浴びるたびに、すぐに導入したがり、その研修に参加するように部下に命じる。そのため、「これまでのやり方で、うまくいっていたし、業績もよかったのに、なぜ変えるんだ」という不満があちこちで出ているのだが、この部長はまったく耳を傾けようとしない。それどころか、「どうだ。新しいやり方のほうが、うまくいくだろう」と同意を求めてくるので、部下は答えに窮するという。 この部長は、新しい部署で果たして自分が認められるのかという不安にさいなまれているからこそ、前任者のやり方を全て否定せずにはいられないのだろう。裏返せば、認められたいという承認欲求が満たされておらず、何となく自己不全感を抱いているということでもある。 こうした自己不全感は、主に二つの理由によって強まる。まず、部長が、この部署では〝新参者〟だということだ。また、業績がよく、できる人材が集まった部署なので、部下のほうが優秀だったら、自分の立場がなくなるのではないかという不安を抱いている可能性も考えられる。要するに、自信がなく、不安が強いからこそ、前任者のやり方を否定せずにはいられないのだが、その自覚はないはずだ。 常識的に考えれば、前任者のやり方で業績がよかったのなら、それをそのまま継続すればよさそうなものだが、そういう理屈は他人を平気で振り回す人には通じない。とにかく自分のほうができるのだと優位性を誇示せずにはいられず、何が得で何が損かという現実原則で判断することができない。 こういう人が上司だったら、部下は振り回されて大変だが、同僚の中にも、他人の価値を否定せずにはいられない輩がいる。たとえば、「いい大学を出ているのに使えないな」「いい大学を出ているのに、こんなこともわからないの?」が口癖の三流私大出の建設部の 40代の男性社員。努力は人一倍するので、そこそこ実績はあるのだが、学歴コンプレックスが強いせいか、自分よりも高学歴の相手には手厳しい。能力や実績を正当に評価せず、嫌味ばかり言う。逆に、自分と同じ三流私大出身者に対する評価は甘いように周囲の目には映る。 彼の場合、強い学歴コンプレックスゆえに、高学歴の相手に対して嫌みを言わずにはいられないわけだが、逆に高学歴にもかかわらず社会に出てから思うような実績をあげられないせいで、他人の価値を否定せずにはいられない場合もあるようだ。 たとえば、私の後輩は、「自分より学歴が低い上司の下で働きたくない」と口癖のように言う高学歴の 30代の女性の友人に手を焼いている。この女性は、頭がいいと思っているためか、何でも批判する。二言目には、「そんなことだから、だめなのよ」とバカにするらしい。 こういう性格がわざわいして、仕事で少しでも嫌なことがあると「自分に相応しい仕事じゃない」とすぐに辞めてしまう。今では転職活動をしても相手にされず、塾講師のバイトで食いつないでいる。それでも、相変わらずプライドだけは高く、友人の仕事に「大学を出ているのに、よくそんな仕事できるわね」「そんな仕事、やりがいないでしょ」などと上から目線でケチをつけるので、敬遠されているようだ。
この女性も、先ほど紹介した部長と同様に、実は自信がなく、不安にさいなまれている可能性が高い。また、承認欲求が満たされず、自己不全感も強いからこそ、他人の価値を否定せずにはいられないのだろう。 こんなことをするのは、他人の価値を否定すれば、自分の価値を相対的に高められると思い込んでいるからでもある。他人の価値の否定が自分の価値の上昇を実際にもたらすわけではないのに、思い込みが相当強いので、厄介だ。場合によっては、訂正不能で、妄想の域にまで達していることさえある。 友人に対してもその価値を否定せずにはいられない人は、しばしば自分自身を過大評価しており、プライドが高い。しかも、自分の優位性を誇示したいとか、自己正当化したいという欲望も人一倍強いようだ。それと軌を一にして、友人の幸福や成功を妬んで、それを破壊したいという欲望が胸中に芽生える。だからこそ、 17世紀のフランスの名門貴族、ラ・ロシュフコーが見抜いているように、「親友が逆境に陥ったとき、われわれはきまって、不愉快でない何かをそこに見出す」。これは、否定しがたい真実であり、そういう性向がわれわれの内部に潜んでいる事実から目をそむけてはならない。 なお、他人をおとしめて、その価値を否定することに対して、最近では「ディスる」という言葉がよく使われるようになった。これはネット上でも頻繁に登場する言葉だが、それだけ他人の価値を否定して自分の価値を相対的に高めようとすることが日常的に行われているのではないだろうか。恩に着せてばかりで自分では何もしない人 何かにつけて恩に着せ、その見返りを最大限要求するくせに、自分では他人に対して何もしないのも、他人を平気で振り回す人にしばしば認められる特徴である。 たとえば、広報課の 20代の女性社員は、何かというと大風呂敷を広げ、「私が知り合いの新聞記者に頼んで取り上げてもらうから任せて」「私の知り合いの大学教授に頼んで学生さんに紹介してもらうから少し待って」などと言うくせに、全然結果を出せない。しかも、周りにはしょっちゅう厳しいことを言い、手助けなんか全然しないのに、自分がちょっと困ると「友達と土日に遊びに行く予定があるから休日出勤できないの。手伝って」と甘えたお願いをする。 頼まれた側が断ると、「あの人は、私が困っていても助けてくれない。本当に冷たい」「私は、あの人が困っていたときに手伝ってあげたのに」などと陰口を言いふらす。そのため、同僚が手伝わざるを得なくなるのだが、一度手伝うと、こんどはそれが当たり前と思うのか、甘えたお願いを繰り返す。 こういう人が同僚にいたら困るだろうが、友人としても迷惑な存在である。たとえば、私の知り合いは、ちょっと相談に乗ってもらって感謝すると、その恩を返せと言わんばかりに、すかさず「今月のノルマに協力して」と頼んでくる証券マンの 30代の男性の友人に辟易している。頼りになるのはたしかだが、小さなギブで大きなテイクを期待するようなところがある。そのため、最近では周囲から「あいつは友達じゃなくて、単なるずうずうしい営業マンだよ」と嫌われているようだ。 もっとも、そんなことは一切気にしていないらしい。「困ったことがあったら、いつでも相談に乗るよ」と口癖のように言うのだが、相談したらまたノルマ達成のために利用されるのではないかと私の知り合いは危惧している。 要するに、相手の感謝にずうずうしくつけ込むわけだが、こういうタイプはママ友にもいる。たとえば、他人を頼ってばかりいるのに、他人から頼られると断るママ友はその典型だろう。用事があるたびに自分の子供を預けたり、自分の子供の習い事の発表会があるたびに「見に来てくれない?」と頼んだりするくせに、こちらが同じ頼み事をすると、「その日はバアバが来るから」「娘の習い事があるから」と何かと理由をつけて、必ず断る。 頼み方が上手なので、頼まれるとついつい引き受けてしまうのだが、こちらが頼んだときは巧妙に断られるので、むっとする。ただ、そのことで怒ると、「あの人は怒ると怖い」という噂を広められそうなので、ぐっとこらえるしかない。 このように他人にさまざまな頼み事をするくせに、他人から頼まれると断るのは、主に二つの理由によると考えられる。まず、とくに根拠があるわけでもないのに、特権意識を抱いており、「これくらいのことはやってもらって当然」と思い込んでいる可能性が高い。また、自分が他人にやってあげたことは過大評価し、自分が他人からやってもらったことは過小評価するのも、一因と考えられる。 いずれにせよ、こういう人は、他人からやってもらったことに対してあまり感謝しないし、他人をさんざん振り回しても、後ろめたさも罪悪感もほとんど覚えないようだ。そのため、腸が煮えくり返ることもあるが、それをこちらが表に出しても、平然と頼み事をする厚かましさは全然変わらないので、実に厄介である。
第 1章では、他人を平気で振り回す人が用いる手段について解説したが、こういう手段を自分自身も知らず知らずのうちに使って、他人を混乱させたり服従させたりするようなことはないだろうか。「もしわれわれにまったく欠点がなければ、他人のあら探しをこれほど楽しむはずはあるまい」とラ・ロシュフコーも言っているように、他人のあらは容易に目につくのに、自分自身のあらは見えにくい。だから、ちょっとだけ振り回すくらいのことは、もしかしたら自分も無自覚のうちにやっているかもしれないと振り返るまなざしが必要だ。 たとえば、息子を服従させるために母親が用いる次の手は、ごくありふれたものだろう。母親「さあ、出かけるわよ。おもちゃを片づけて」息子「いやだ。ママ、僕はもっと遊んでいたい」母親「だめ、だめ。もう時間だから、出かけないと。さあ行きましょう」息子「いやー。ママ、僕はまだおもちゃで遊びたいんだ」母親「いいわ、そんなわがままを言うのなら、ママは一人で行きます。あなたをおうちに置いて行くから、一人でお留守番してね」 この母親は息子を連れて出かけようとしているが、息子は家で遊びたがっており、葛藤が生じている。どこにでもある光景である。 こういう場合、母親はどんなふうに振る舞うのか? 最初の二つの直接的な言葉では、母親が望む方向に息子を誘導できず、失敗に終わっている。そこで、もっと有効な別の手はないかと考えた母親が思いついたのが、脅しである。言うことを聞かなければ、息子を連れずに外出する、つまり息子を置き去りにすると、それとなく脅している。 この手法を用いれば、母親は親の権威を露骨に振りかざすという直接的な手段に訴えずにすむ。いわば、遠回りだが狡猾な手法によって、「ママの命令に従わない聞き分けのない子供は、捨てることもいとわない」というメッセージを脅しながら伝えているのだ。 このようなメッセージを受け取った子供は、どんな反応をするだろうか? このメッセージを信じるか、信じないかによって、反応は異なるだろう。 まず、母親の言葉を信じれば、子供は恐怖を抱くはずだ。母親が自分を捨てるかもしれない可能性を突きつけられるのだから。これはどんな子供にとっても脅威である。だからこそ、子供を服従させるために有効なのであり、そのことを熟知している親ほどこの手を頻繁に用いる。 こういう親は、無意識のうちに「おまえは私を満足させてくれない。だから、おまえは私にとって大切ではない。おまえを愛してもいない。したがって、私はいつでもおまえを捨てることができる。私はおまえがいなくても生きていけるのだから、おまえを置き去りにして、出ていけるんだ」というメッセージを子供に送っている。 こんなメッセージを親から受け取ったら、子供は自尊心を傷つけられ、自分を責めるだろう。もしかしたら、自分なんか生まれてこなければよかったと思うかもしれない。当然、子供の心に深い傷を残すので、親のほうが充分な愛情を示しつつ、安心させるようにする〝埋め合わせ〟が必要になる。残念ながら、無自覚のままこういうメッセージを送っている親が圧倒的に多く、子供は愛情を失うのではないかという喪失不安にさいなまれる。 一方、母親の言葉を信じなければ、誰かを脅して従わせるためには嘘も許されるということを学習する。この手を親が多用するほど、自分が望んでいる方向に他人を動かせない場合には、嘘をつき恐怖を与えて脅せば、うまくいくのだと子供は思うだろう。親がこの手で自分を動かしているのだから、自分がこの手を使っても許されると考えて正当化する子供もいるかもしれない。 いずれにせよ、子供は親が用いるさまざまな戦略を模倣するので、親が他人を思い通りに動かすのに脅しという手法を用いていれば、子供も同様の手法によって対人関係を切り抜けようとする。 とくに、親が用いた手法によって自分が傷つき、不安や恐怖を抱いた場合は、皮肉なことに同様の手法で他人を振り回すようになる可能性が高い。親から受けた仕打ちで自分がつらい思いをしたのなら、同じことを他の人にはしなければよさそうなものだが、実際には、なかなかそうはならない。 これは、フロイトの娘、アンナ・フロイトが「攻撃者との同一視」と名づけたメカニズムが働くためである。このメカニズムによって、自分に不安や恐怖を与えた人の属性を自分のものとして取り入れ、その攻撃を模倣する。そうすることによって、不安や恐怖を与えられる者から与える者に変化する。いわば、「外傷的経験を処理する方法として受動的役割から能動的な役割をとるように変化する」わけで、一種の防衛メカニズムといえよう(アンナ・フロイト『自我と防衛』外林大作訳、誠信書房)。 先ほど紹介した母親の手法を用いて子供を自分の思い通りに動かそうとする親は、どこにでもいる。また、「攻撃者との同一視」もありふれたメカニズムであり、その結果攻撃の連鎖が至るところで起こっている。当然、ちょっとだけ他人を振り回して、自分の思い通りにしたり、鬱憤を晴らしたりすることも、ひそかに行われている。その意味では、「みんなちょっとだけ振り回す人」といっても過言ではない。 そこで、この章では、自分では気づいていないかもしれないが、結果的に他人を振り回すことになるさまざまな言動を取り上げて分析したい。中には、ちょっとだけではすまず、他人の傷口に塩を塗るような振る舞いもあるはずだ。
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