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第7章組織勝つ組織の必然性

目次

洞察67外部の血が組織を変える

ヤクルトが3度、日本一になった1990年代、他球団を自由契約になったり、トレードで移籍してきた選手が次々と活躍して、メディアからは「野村再生工場」と呼ばれた。ヤクルトしか知らない私は、外の世界が知りたかった。

ましてや他球団で実績を作った人ばかりで、どういう人物なのだろうという興味もあった。移籍してきた選手には、自分から話を聞きにいったものだった。

1996年に西武を自由契約になって移籍してきたのが、二遊間を組んだ辻発彦さん(現西武監督)だった。初めてあいさつをした時には「辻さんってでかいんだな」と驚いたことを覚えている。

西武時代の1993年に首位打者になった辻さんはバットを短く持ち、寝かせるように構えていた。

つなぎ役だった打撃スタイルからも体が小さいイメージを持っていたのだが、実際には身長が182センチメートルもあった。

話を聞くと、社会人野球の日本通運では本塁打を期待される4番打者だったという。それがプロの世界に入ると、目の前には石毛宏典さんや秋山幸二さんたちがいた。

当時の広岡達朗監督による指導の下、「全部を変えないと試合に出られない」と、それまでとは別のプレースタイルを作り上げたのだという。

ヤクルトに移籍した当時は40歳手前のベテランだったが、球場に早く来ては、黙々と練習していた。

辻さんの姿にはプロ野球の世界を生き抜く上で「徹する」ことの大切さを教わったと思う。

プロフェッショナルとは何かを教わったのは、1995年に近鉄からトレードでヤクルトに移籍してきた吉井理人さん(現日本ハム投手コーチ)だった。

投手型の性格、野手型の性格というのを前述したが、まさに投手という性格で、周りにどう思われようが気にしなかった。

マウンドに上がれば、とにかく勝つために執念を燃やしていた。だから、試合中に味方のミスで足を引っ張られようものなら、ベンチに帰ってからが大変だった。ボールやグラブを投げ付けて暴れるのは当たり前。

ベンチの隅に置いてあった給水タンクをグラウンドにぶちまけて、試合中のグラウンドに氷が転がっていることもあった。移籍直後、まだ家が決まっていない吉井さんは球団寮に住んでいた。

入団1年目の私はいつも寮までタクシーに同乗させてもらっていた。車中ではいろんな話をさせてもらっていたのだが、決まって言うのは「練習せえへんやつはアカン」ということだった。

私が吉井さんが投げる試合でエラーをしても怒られることがなかったのは、練習している姿をどこかで見てくれていたからかもしれない。

そんな吉井さんだが、一つだけ恐れているものがあった。それは、雷だった。登板中に遠くで雷が鳴り始めると、もう投げることができなかった。

セットポジションに入っていても、雷の音がすると、プレートを外してしまうのだった。

「野村再生工場」と呼ばれることが多かった当時だが、移籍してきた選手たちは周囲にも良い影響を与えていた。

チームとは異なった環境でプレーしてきた選手の考え方や言葉は、刺激になることが多かったからだ。外部からの血がチームに良い影響を与えることがある。組織は閉鎖的になると活性化しない。

刺激を与えるためには、極端に言うのなら「言うことは言うが、やることはやる」という組織にとっては「毒」のような存在が必要なときがある。

こんなことを書くと、吉井さんに「誰が毒や」と雷を落とされるだろうか。

洞察68勝負事に定石はない

2014年のシーズンから、評論家として各球場を回らせてもらうことになった。バックネット裏から野球を見ることになったわけだが、同年で印象深かったのは巨人が見せた強さだった。

2014年の巨人は主力選手が軒並み不調で、思うような個人成績を残すことができなかった。それに加えて、故障者も続出した中でリーグ3連覇を果たした。

クライマックスシリーズのファイナルステージでは阪神に敗れることになったが、これまで見せてきたものとは異なる種類の強さを感じたからだ。

巨人には、他球団が「これは勝てない」と感じるような絶対的な強さはなかった。それでも、他球団は勝ち切ることができなかった。原辰徳監督(当時)は144試合で実に113通りのオーダーを組んだという。

それがシーズン終盤の9月に入ると、主軸を固定して動かさなかった。主力選手でも大事な局面ではバントをさせるし、結果を残せなければ、スタメンから外すこともいとわない。平等の中に競争があったといえる。

私がヤクルトで野球を学ばせてもらった野村克也監督を一言で表現するのなら、「厳しいようで優しい」監督だった。

選手に緻密な野球を求めた野村監督は、しっかりと考えてプレーしていれば、結果が伴わない場合でも選手を尊重してくれるタイプの上司だった。

使われる側としてみれば、普段は厳しいと感じることが多いが、大事な局面では優しさを感じることが多い。厳しいようでいて、優しいのである。

一方の原監督は「優しいようで厳しい」監督と表現できるだろうか。

主力以外の脇役の選手でも、カウント3ボールから打つことを許すなど自由を与えていた。普段は伸び伸びとしたプレーを認めていたわけだ。

ところが、大事な場面で結果を残すことができなければ、次の試合では容赦なく先発メンバーから外していた。優しいようでいて、厳しいのである。

両監督とも選手の首根っこをつかまえることに長けているという部分では同じなのだが、その手法は全く異なっていた。

原監督には打撃ケージの裏で話を聞く機会があった。

2014年にフリーエージェントで広島から加入したピッチャーの大竹寛は、打順が3回り目となる六回に相手打線につかまり、失点する傾向が強かった。選手として壁にぶつかっていたのである。

「監督さんとして、どう考えるのですか?」と聞くと「基本的には、選手にその壁を越えさせてあげたいと考える」という答えが返ってきた。選手としての階段を上らせるため、課題を乗り越える機会を与える。

例えばシーズン序盤であれば、ある程度打ち込まれたとしても、我慢して続投させる。結果として、時には試合に負けることもある。それでも、シーズンは長い。

選手が壁を乗り越えることができれば、チームの力になることを分かっているからできるのだ。続けて、こうも話していた。

「でも、駄目だったときは、時期を見て考える」シーズン終盤や、チームにとって大事な局面で危険な兆候が見られれば、早い回で交代を告げる。チーム全体の士気にかかわる状況ならば、個人への情は捨てて切り捨てることさえある。

この話を聞いたとき、原監督は常に「線引き」を意識しているのだと感じた。

勝負事にこれをやっていれば大丈夫という定石はない。そのときの最善の選択肢は何なのか。組織が置かれた状況や時期によっても、答えは変わってくるだろう。

その時点でのベストを選択することができるか。優れた指導者に共通するのは、最善の選択肢を選び続けられるバランス感覚ともいえる。

勝負事にこれをやっていれば大丈夫という定石はない。そのときの最善の選択肢は何なのか。組織が置かれた状況や時期によっても、答えは変わってくるだろう。

洞察69日本代表という組織に必要な視点

2020年東京五輪で金メダルを狙う野球日本代表に、稲葉篤紀監督の就任が決まった。稲葉とはヤクルトに同期入団した間柄で、2008年の北京五輪でもチームメートだった。

心情からいえば、2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でコーチを務めた経験を最大限に生かして戦ってほしいと思っている。

ただ、誤解を恐れずに書くのなら、日本代表の監督はプロ野球の監督経験者が相応しいというのが私の持論である。

実際にオブザーバーである識者メンバーを務めた侍ジャパン強化委員会でも、意見を求められた際には同じ趣旨の発言をした。

日本代表という組織は、監督が思うようには動きづらい場所だ。野球の日本代表は12球団の主力選手で構成され、制約も多い。

例えば、2015年のラグビーワールドカップで優勝候補の南アフリカに勝利した日本代表を率いたエディー・ジョーンズヘッドコーチのように、所属チームでのパフォーマンスを度外視して強化練習に時間を費やすというのは考えにくい。

12球団との交渉や調整という部分でも、監督の力量が求められる場面がある。ましてや、自国開催となる東京五輪では金メダル獲得の期待が高まり、想像以上の重圧にさらされることになる。

チームマネジメントの難しさは容易に想像できる。

もちろん、稲葉監督に反対というわけではないが、監督としての経験、実績という部分を考えれば、日本代表の監督は監督経験者が務めるのが相応しいと考えていた。

その上で日本代表という組織に必要なものとは何だろうか。私は稲葉監督を支える意味でゼネラルマネジャー(GM)制を敷いた方が良いと考えている。

2017年のWBCで指揮を執った小久保裕紀監督は、自ら米国に足を運んで大リーガーへの出場交渉を行っていた。本来は代表監督に負わせるべき分野の仕事ではない。

こうした経緯を踏まえると、代表監督を支える立場の経験豊富な人間が必要になるだろう。GM制とはいっても、プロ野球でのGM職とは求められる仕事は異なる。

編成面で一からチームを作っていくというよりは、監督が動けない部分を補佐する意味合いが強い。大リーガーへの出場交渉やトレーナー、スコアラーといった環境整備の面で監督を支える役割が求められる。

その意味では日本プロ野球(NPB)が主導して人選するよりも、監督自身が選んだ方が良いだろう。

監督と気心の知れた人物でなければ、円滑に進めることができないからだ。監督がGMと相談しながらチーム作りを進める。監督が現場に集中できる環境を作り上げる。「勝つ組織」を作るためには、稲葉監督をサポートする体制作りが必要になる。

コーチ陣に関しても、できるだけ稲葉監督と気心の知れたメンバーをそろえたい。

結果が伴わない場合には「友達内閣」などとメディアから批判されることが多いコーチ人事だが、こうした指摘は結果論で的を射ていない。そもそも、首脳陣同士の意思疎通ができていなければ組織が機能するはずがないからだ。

長いシーズンを戦う所属チームとは異なり、日本代表のような短期決戦では特にその傾向が強まる。一つ付け加えるとしたら、三塁コーチャーは現役のコーチから選んでほしい。三塁コーチャーは経験がものを言うポジションだ。

現場から離れていると感覚にズレが生じ、一瞬の判断を誤る可能性があるからだ。

稲葉監督は大きな覚悟を持って就任の要請を受諾したはずだ。東京五輪の結果が野球界に及ぼす影響は計り知れない。東京五輪以降に正式種目として採用されるためにも、野球界全体で「勝つ組織」を作り上げてもらいたい。

洞察70キャプテンは必要ない

書店を見渡せば、リーダー論について書かれた本が並んでいる。それだけ組織におけるリーダーというテーマが関心を集めているということなのだろう。

プロ野球の世界でも、チームリーダーとしてキャプテンを指名するチームが増えている。

地位は人を作るという言葉があるが、チームの中心選手としての自覚を促すため、首脳陣が20代前半の選手をキャプテンに据える場合さえある。

批判を恐れずに書けば、私はプロ野球のチームにはキャプテン制度は必要ないと考えている。いつの頃からだろうか、キャプテンという役職がもてはやされるようになった。

2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪で日本代表のキャプテンを務めた私が、メディアから注目されたという側面もあるのかもしれない。

もちろん、日本代表のような即席のチームをまとめるためには、リーダーシップを取れる選手の存在が必要になるだろう。

短期決戦を戦う上で、首脳陣の考えを円滑に伝えるキャプテンを置くのは選択肢といえる。しかし、1年間という長いシーズンを戦うチームでは、必ずしもキャプテン制度は必要ないと感じている。

プロ野球選手は個人事業主である。選手全員が個人と家族の生活を懸けて戦っている。良い成績を残せば翌年の年俸が上がるし、成績を残せなければ戦力外通告を受け、仕事を失うことさえある。

ところが、チームリーダーとしてのキャプテンは、個人よりもチームを最優先に考えなければいけない立場にある。もしも、自分のポジションを奪われてしまったときに、ポジションを奪った選手を心から応援できるのかという矛盾を抱えることになる。

ヤクルトに在籍した当時の田中浩康(現DeNA)がそうだった。

キャプテンを務めていた時期があったのだが、若手の山田哲人が台頭したことによって二塁の定位置を奪われる形になった。そこで先ほどの問題が出てくる。

定位置を奪われた相手を応援できないのであれば、本当のキャプテンとはいえない。一方で定位置を奪われた相手を応援できないのは、個人事業主として当然の考え方だともいえる。

それならば、キャプテン制度自体が必要ないのではないだろうか。もちろん、団体競技におけるチームワークは重要な要素である。組織の士気を高める上でときにはキャプテンが必要な場面もあるだろう。

ただ、それは圧倒的な力を持っている存在や、何があってもレギュラーを外されない選手に限るのではないだろうか。

「この選手を育てるために」「主力としての自覚を持たせるために」という理由でキャプテンを指名する風潮には首をかしげてしまう。

12球団を見渡してみると、キャプテンを務める人間がひげを生やしたり、金髪にする姿も目立つようになってきた。考え方が古い、時代遅れだと言われればそれまでである。だが、組織の模範となるべきリーダーとして相応しいとは言えない。

残念に感じるのは私だけだろうか。私はプロ野球のチームにはキャプテン制度は必要ないと考えている。

おわりに

「経済誌で連載を持ってみませんか?」現役を引退した翌年の2014年、事務所の社長から打診されたときには驚いてしまった。

聞けば、「週刊ダイヤモンド」から連載の依頼があったのだという。

はじめにでも触れたが、私は野球一筋の人間だ。経済の第一線で働いている読者に向けて、何が書けるというのだろうか。中には野球に興味がない方もいるだろう。

最初は断ろうかとも思ったが、ふと野球選手が経済誌で連載を持つのも面白いと考えるようになった。結局は興味の方が勝り、依頼を受けることにした。

毎回の文字数は1200字である。当初は戸惑いもあったが、自由に筆を進めることにした。

次第にビジネスマンの方から「毎回読んでいます」「前回は少年野球の話を書いていましたね」などと声をかけてもらうことが多くなっていった。

こうして1年の予定だった連載は2年半続き、130回近くを数えることになった。

本書はこの「週刊ダイヤモンド」での連載の内容を元に、大幅に加筆したものである。プロフェッショナルの仕事とは何か、結果を出す指導者の言動とは何か。

とりわけ意識していなかったのだが、書き進めるうちに野球界の話が一般社会に重なる部分も多いと感じるようになっていった。グラウンドに目を向ければ、今のプロ野球には深みが失われてしまっているように感じる。

球速の速いボールを投げる、打球を遠くに飛ばすという部分では、トレーニング方法の改善などもあって昔よりも優れているかもしれない。

どちらも野球の原点であり、競技の醍醐味は増しているともいえるだろう。

一方で、長い歴史の中で築き上げてきた「プロ野球らしさ」は薄れてしまっているように感じる。プロ野球は「やるか、やられるか」の世界である。1球に選手の家族全員の生活を懸けて戦っている。

選手のアスリート化が進み、そういった勝負師としての側面が薄れているのは残念でならない。野球は他のスポーツに比べ、弱者が強者に勝つ確率が高い競技と言える。

だからこそ準備を重ね、思考を重ねて、知恵を絞り出そうとする。やり方次第では、弱者が強者を倒すことができる。

一般社会の方々がプロ野球に自分の人生を重ねることができるのも、そうした物語に惹かれるからだろう。

時代の変化を受け入れなければならないことは理解しているつもりだが、「プロ野球らしさ」の魅力を伝えていくことも野球への恩返しだと思っている。

本電子書籍は2017年10月25日にダイヤモンド社より刊行された『洞察力』(第1刷)を、一部加筆、修正の上、電子書籍化したものです。

[著者]宮本慎也(みやもと・しんや)1970年、大阪府生まれ。

PL学園高校、同志社大学、プリンスホテルを経て95年にヤクルトスワローズ入団。

2004年アテネ五輪、08年北京五輪の2度の五輪で野球日本代表のキャプテン、プロ野球選手会会長を務める。

WBC優勝チームのメンバー。

2012年2000本安打と400犠打を達成(通算2133安打、408犠打)。

ゴールデングラブ賞10回受賞の守備の達人でもある。

13年に引退後はNHKの解説者、日刊スポーツ野球評論家、少年野球大会主催、雑誌連載、講演会活動など多方面で活躍。

著書に『歩』、『意識力』、『師弟』(野村克也氏との共著)。

洞察力——弱者が強者に勝つ70の極意2017年10月25日プリント版第1刷発行2017年10月27日電子版発行著者——宮本慎也発行所——ダイヤモンド社〒150‐8409東京都渋谷区神宮前6‐12‐17http://www.diamond.co.jp/電話/03・5778・7232(編集)03・5778・7263(製作)装丁————————華本達哉写真————————加藤昌人本文デザイン————大谷昌稔DTP・製作進行——ダイヤモンド・グラフィック社編集担当——————鈴木豪

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