フォロワーによる組織変革世代交代でのリーダーシップリーダーのプライドコントロールポジションリスペクトリーダーを交代させる組織から立ち去る
フォロワーによる組織変革本章では、一般にいわれるリーダーシップ論とは全く違った角度であるフォロワーの立場でリーダーのあり方を考察してみたいと思う。
一般的にはなじみが薄いかもしれないが、実はさまざまな場面で必要な視点である。
フォロワーがフォロワー自身のことよりも、リーダーのリーダーシップに重点を置く状況とは組織がどのような状態だろうか。
端的に言うと、フォロワーがリーダーを成長させなければならない状況だ。
それは、リーダーの世代交代であったり、己のリーダーシップを十分に発揮しきれていないリーダーを持つ組織に当てはまるだろう。
世代交代でのリーダーシップ旧リーダーと新リーダーの世代交代がその最たる例である。
若いリーダーが完璧でなくても、組織としては将来を見据えて新しいリーダーを育成していかなければならない。
日本の企業であれば、高度成長期に日本経済の基盤を作り上げた多くの企業の創始者は、後継者への引き継ぎにとても苦労した。
とにかく目の前の日本復興だけに精一杯突っ走った後、息が切れた状態で次の世代にバトンを渡す。
誰もがバトンの渡し方を教わったこともなく、ただただ思いを込めて渡してきた。
陸上競技のリレーのように、会社組織でも、バトンの渡し方は企業間競争においてとても重要なスキルである。
リレーのランナーには、バトン渡しだけの練習があり、レース前には必ずバトンを渡す際のお互いの間合いを入念にチェックする。
しかし、企業やチームのリーダーの世代交代では、リハーサルも事前の入念なチェックもなかなかできない。
そんなときこそ、フォロワーがリーダーのリーダーシップを考えなければならない。
優秀なフォロワーに、新リーダーのスタイルにあったリーダーシップをうまく発揮させるための努力が求められる。
世代交代の目的や方法は組織によってさまざまであるため、唯一正しい解は出せない。
しかし、世代交代をする上での最大公約数をあえて掲げるならば、良き財産、良い風土はできる限り継承し、かつ、悪しき文化を破壊し、新しい叡智を築くことではないだろうか。
要するに、温故知新である。
言うは易しであるが、これを実現するのは難しい。
もちろん、世代交代のノウハウはなかなか手に入らない。
どの組織も苦労していることだろう。
これは、企業に限ったことではなく、スポーツのチームや自治会や町内などの街づくりにおける地域活動でも同じだ。
世代交代に関して、ラグビーの祖国、イングランド代表元主将・マーティン・ジョンソン氏は次のように述べている(2000年、英国レスター市、インタビューより要約)。
──世代交代で大切なことは、まず、新しいリーダーを既存の組織のルールに従わせること。
もちろん、既存の組織のやり方が全て正しいとは限らないが、最初は必死に学ばせる。
同時に、既存組織の年配陣は、新しいリーダーの考えや文化を細心の注意を払いながら吸収しようと努力する。
新しい組織の価値基準を作っていくのは、実は、経験と余裕のある既存組織の年配陣の方だ。
また、成果が出ても新しいリーダーには簡単に満足させてはならない。
一選手としての成果、リーダーとしての成果の両方が顕著になってはじめて認めてあげる。
役割に対する責任への厳しさは、最初に叩き込まなければ、後になっては教え込むことができないからだ。
それは、言葉だけでなく、雰囲気でも感じてもらうことが大切だ。
緊張感の中で継承しなければならない。
──これは、世代交代の一つのヒントとなるだろう。
大切なのは、新しく加わる側と既存メンバーの両者が、適度な緊張感の中で、学び合いながら新しい組織を作り上げていくことである。
リーダーのプライドコントロール組織に対する忠誠心が高く、かつ、経験知も豊富なフォロワーが、純粋に組織を改善、成長させたいと考えたとき、リーダーや組織全体に対する要求が高くなるのは当然である。
だからといって、いくら正しいことでも、自分の立場を飛び越えて、闇雲に行動するのは逆効果だ。
リーダーが最も傷つくのは、リーダーとしてのプライドを傷つけられることである。
実際、プライドや面子さえ担保してあげれば、リーダーというのは基本的にご機嫌だろう。
フォロワーというのは、己の立場やリーダーとの関係をわきまえて行動しなければならない。
その際のちょっとしたエチケットをご紹介しよう。
まず「正論は刃物」だと思うこと。
例えば、組織に歪みを感じる。
そして、その歪みをリーダーにぶつける。
誰しも、正しいことを指摘されるといい気分ではない。
なぜか。
組織を正論通りにするために、リーダーは日々、四苦八苦しているからだ。
「言われなくても、私が一番分かっている」というのが、リーダーの本音だろう。
だからといって、組織が正しい状態でないことを、リーダーがあえて公言することも得策ではない。
評論家と同じになるからだ。
正論は、人を傷つけやすい。
「この組織は、ここがおかしい!皆さんも、そう思いませんか!」特に、組織の中で正論を公然と声高らかに吐くことは、リーダーと集団全体を痛めつけるかもしれない。
一方で、リーダーの耳元で正論をささやく。
小さく、控えめに。
「なんだか、ここ、ちょっとおかしい気が……」これは、リーダーの新たな気づきになるかもしれない。
そして、組織の勇気に変わる可能性も秘めている。
要するに正論や論評は使い方である。
正論自体が正しいのではなく、正論はツール(道具)として利用するのが望ましい。
フォロワーのもう一つのエチケットとして、「要望」は「質問」へ変換すること。
企業でも一社員がもっともらしい意見を訴え続けていると、往々にして生意気だと思われる。
「このルーティン(作業)は、無駄なので、なくしてください!」たとえ、それが正しいとしても、組織の中には礼儀というものがある。
もちろん、直球で要望することを歓迎するリーダーもいるが、多くはない。
仮にそうしたリーダーであっても、単なる要望ではなく、リーダーに本質的、かつ、ポジティブな質問をして、お互いの認識を深めあう方が、お互いにとってハッピーである。
「このルーティン(作業)について、もっともっと効率化を図りたいと思っているんですけど、何かいいアイディアありますか?」どんなに小さなことでも、問題提起して、改めてメリットや効率化を熟考する中で、無駄か否かを判断し、合意の下で改善されることがベストな解決方法と言えよう。
ポジションリスペクトリーダーの言っていることが納得できない。
組織では不滅のフレーズだ。
もし、こうした思いを抱いたときに、まず考えなければならないことがある。
それは、リーダーの立場になってあげることである。
そして、その立場に敬意を払うこと。
それがポジションリスペクトだ。
これも、リーダーのプライドコントロールの一つの考え方である。
リーダーは、下の人間の立場になって考えるべきだとよく言われる。
確かにそうだ。
自分の視点だけで指導や指示をしても、うまく理解してもらえないこともある。
一方で、フォロワーに対して、リーダーの立場になってものごとを考えろという暗黙知はない。
そもそも、リーダーは下の者の気持ちになって言動してくれる人が望ましいという甘えがある。
一方で、部下の気持ちを摑めない上司はダメ上司と呼ばれるが、上司の気持ちを分からない部下はダメ部下だとは言われない。
リーダーは自分だけの力で、自分の言っていることをフォロワーたちに理解してもらわなければならない。
フォロワーが理解できないのは、リーダーとしての力量が足りないという結論をつけやすい。
誰もが分かっていることであるが、最も理想的なことは、お互いが分かり合っていること。
これに、フォロワーが努力することも重要である。
まず、相互理解ができない、あるいは難しい理由を論理的に説明すると次のようになる。
リーダーたるもの、その発言に責任が生じるため、組織としての言動をするべきか、その人自身の個人的な考えで言動をするべきか、とても判断が難しい。
リーダーは、個人としての思想だけで行動できない。
リーダーの立場や役割が別の人格として、言動を制限してしまうからだ。
例えば、自分の部下やフォロワーと議論をしている際、本当は分かってあげたい、君の言うとおりだ。
私個人であれば、全く賛成なのに。
しかし、今の私の立場では、反論やダメ出しをしなければならない……。
つらいなあ、といったケースだ。
こうした場合は、必ずといっていいほど、理解をしてもらえない。
部下が上司の立場になることは、簡単ではない。
しかし、優秀なフォロワーになるためには、それができなければならない。
その際の一つのコツが、ポジションリスペクトである。
簡単にいうと、リーダーそのものの人格ではなく、リーダーという立場(ポジション)に敬意を払う(=リスペクトする)こと。
実際にリーダーに不平不満があっても、そのリーダーの立場になって冷静に考えれば、やはり致し方ないと思えることは少なくない。
結局、自分がリーダーになったときに、全くそのリーダーと同じことをやってしまうようなケース。
自分がリーダーになって初めて気づくリーダーとしてのジレンマや辛さがそれである。
そんな悩むリーダーに対して、ポジションリスペクトができるフォロワーが多くいてくれれば、リーダーは己のリーダーシップを発揮しやすい。
よくあるパターンが、フォロワーが組織に対して、新しい提案や今までやったことのない異例の提案をした場合。
リーダー自身も、自分が現場にいた若いころを思い出すと、若手の提案に大賛成だ。
しかし、今の会社の現状からすると、イエスと言えない場合だってある。
イエスと即答できないからといって、単なるノーではなく、「もう少し、待て」なのか「じっくり根回ししよう」なのか「アプローチや言い方を変えろ」なのかさまざまなケースがあるのだ。
ポジションリスペクトの効果が発揮されるのは、企業や団体などの大きな組織だけではない。
実は、親子間、家族間、夫婦間でも、大いに有効だ。
例えば、いわゆる中流家庭に生まれた娘。
結婚したいお相手は、会社経営者で20歳以上も年上のバツイチの男性。
父親は都心の大企業に勤め、出世街道に乗り、現在は常勤の役員クラス。
両親は閑静な住宅街に住み、母親は近所の裕福な奥様方とのコミュニティの中で日々楽しく過ごしている。
二人の結婚は、当然のように娘の両親から反対されており、交際して5年も経つのに、一向に会ってもらえない。
両親の反対の理由は、親と同世代ともいえる彼氏の年齢、年の差から生じる娘や子どもが生まれた場合の将来への不安など。
当然、娘もその両親の心配はよく理解できる。
だからといって、理屈で反対されることに、いささか嫌気や怒りも芽生えてきた。
実は、親が反対する理由は、論理的なものだけではない。
娘が幸せになってくれることが最も大切と思ってるのは、どんな親にも共通していえる。
一方で、親の立場として反対しなければならない理由があるのだ。
父母共に、それぞれのコミュニティに対する娘の結婚話をする際の体裁がある。
例えば、母親にとって、娘の結婚までの経緯が、聞いているだけで誰もが幸せになるようなストーリーになれば、近所の奥様コミュニティに対しても、胸を張って話せるだろう。
そのためには、必ずいったんは、親の立場として、誰もが心配と思うようなことに反対しなければならない。
母親にとって最高のパターンは、奥様コミュニティでこう話している姿である。
「私も最初に話を聞いたときは、娘のことを思ってすごく反対したのよ。
けれど、それから時間をかけて二人の姿を見てると、とても幸せそうに見えてねえ。
その彼も、なんだか、どんどん若返っている気がしてね、もう今ではまったく心配ないわ」娘は、反対される時点で、論理的な反対理由と共に、親が関わるコミュニティにおける立場(ポジション)にも、リスペクトする必要がある。
そうすることで、余裕を持って、時間を過ごすことができるだろう。
ポジションリスペクト。
これも、筆者の造語であるため、一般的には言われていないが、リーダーに不満があるときに、ストレスの矛先を切り替えるちょっとしたスイッチとなれば、組織の多くの人がハッピーになれるかもしれない。
リーダーに思い切り自分らしさを出して組織を引っ張ってもらうために、フォロワーとしてできることは、リーダーの個人としての思想と役職人格としての言動のバランスを理解してあげることである。
リーダーを交代させるフォロワーがリーダーシップを考えなければならないネガティブなケースがある。
それは、どうしようもないダメなリーダーを持ってしまった組織である。
例えば、天下りであったり、派閥争いであったり、また、うまく組織内政治を利用してズルい昇進を成立させたリーダーを迎え入れる組織である。
企業が壁にぶち当たり、なんとか部下だけの力で困難を乗り切れそうなところに、往々にして、そのようなダメリーダーはやってくる。
ありがちなのは、何もしていないのに、その最後の手柄だけを持っていくダメリーダー。
もっと最悪なのは、組織の上層部がその実情を知らずに、ダメリーダーの声高な主張に騙され、彼に高い評価を与えてしまうことだ。
もちろん、そんなダメリーダーに限って手柄を持っていくときの主張は天下一品である。
その他、組織のビジョンを示してくれない、フォロワー自身の実力が発揮できない、やる気をダウンさせる、無駄な仕事が増える、うまくコミュニケーションが取れない、組織としての成果が出ないなど、言い出せばきりがないだろう。
ダメなリーダーを組織に迎えるのは、フォロワーとしてはとても悲しく残念なことである。
これらに似たような話は意外と多い。
では、このような場合、フォロワーたちはどうすればよいのか?極論するならば、反乱を起こすこと。
クーデターやボイコットを通して、フォロワーが力技でリーダーを代えてしまう。
もちろん、それにはたくさんの必要条件がある。
参考になる事例や具体的な話は控えたいが、一つの大きな条件としては、組織におけるパワーバランスの中で、フォロワー側が優勢であることが挙げられる。
だからこそ、原則として、常日頃からフォロワーがそれぞれしっかりと存在意義を認識し、フォロワーシップを発揮しておかなければ、いざというときに戦うことができない。
要するに、フォロワーがフォロワーシップを発揮していくということは、フォロワーがリーダーシップを発揮していくことにも繫がるのである。
組織から立ち去る最終的に、組織の中で自分のアイデンティティ(存在価値)を見出せなかったら、そこから立ち去ることが正解だ。
しかし、だからといって早まってはいけない。
なぜなら、そう簡単に自分の価値やアイデンティティは、見出せるものではないからだ。
例えば、企業に入社したとする。
半年や1年そこらで、新入社員の存在意義が確立されるはずがない。
10年後の将来はともかくとして、もし、3ヶ月の時点で真の存在意義が新入社員の全員に生まれるとしたら、その組織はある意味リスクが高いといっても過言ではないだろう。
なぜなら、企業側は、新入社員の個としての存在価値を組織のどの部分に組み込むかを、ある程度時間をかけて見定めていかなければならないからだ。
多くの企業が、入社3年を一区切りとするのは、それが見定め期間だからである。
もちろん、時代の流れや社会全体のスピード化の影響により、3年というスパンは長いという意見も否めない。
したがって、最近では企業側も3年という一区切りを四半期や半年という設定にしているところも少なくない。
しかし、個が組織になじむスピードとしては四半期や半年は早すぎるだろう。
ある程度の見定め期間を経て、それでも組織に対して存在価値を見出せなかったら、最後の切り札を出すべきだ。
そうした状況下であれば、結局はリーダーにとってもフォロワーにとっても組織にとっても、脱退することが全てに対して最もメリットがあるはずだ。
その際は、勇気を持って、外へ踏み出してほしい。
あなたが知らない素敵な組織は、世の中にたくさん溢れているから。
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