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第6章 課題を分離し、境界線を引く

目次

第6章課題を分離し境界線を引く

1 人間関係の基本は「境界線を引くこと」

以下のような場面を想像してみてください。

あなたが外出先からマンションの自分の部屋に戻ると、友人がかばんの中からあなたの携帯電話を勝手に取り出して、メールを盗み見していました。

その時、あなたはどのような気持ちになるでしょうか。

「勝手に見るな! 人の携帯を見るなんて、なんて失礼なヤツだ!」 このように怒りを覚えることでしょう。それは当然です。

「親しき仲にも礼儀あり」 家族や友人など、いかに親しい関係にあったとしても、人と人の間には適度な距離が必要です。

そして、人は相手のプライバシーに踏み込んではいけません。人と人の間にある境目を心理学では「境界線」と呼びます。

この境界線は、国と国なら国境線、家と家なら垣根に当たります。私たちは国境や垣根を無断で越えてはいけないことを知っています。

しかし、それが個人の人間関係になると、途端に曖昧なものになります。たとえば、あなたが家族との間で深刻な悩みを抱えているとします。その悩みは他人には理解できるはずのないもの。

しかし、友人はそこに土足で踏み込んできました。「それはあなたが悪い。あなたが謝るべきだ」「そんなことは気にしないでさっさと忘れなさい」

また、私たちは自ら境界線を越えて、他人に余計なおせっかいを焼いてしまうこともあります。相手に境界線を踏み越えられる場合もあれば、自分から踏み越えてしまう場合もあるのです。

しかし、境界線は常に守られなければなりません。境界線を踏み越えて相手の課題に踏み込まないこと。

そして、相手が境界線を踏み越えてきた場合は、それを許さず、はっきりとNOと言うことが大切です。

あらゆる人間関係トラブルの根源

これまで皆さんと共に学んできたアドラー心理学では、このことを「課題の分離」と呼び、人間関係の基礎であると考えます。

あらゆる人間関係のトラブルは課題の分離ができていないことから起きるのです。親が境界線を越えて、子どもの課題に土足で踏み込む。妻が境界線を越えて、夫の課題に土足で踏み込む。上司が境界線を越えて、部下の課題に土足で踏み込む─。人間関係はそれが原因で壊れてしまうのです。

たとえば、以下のようなケースはすべて課題の分離ができていないことによる人間関係のトラブルです。

・母親が子どもに「勉強しなさい」と強制する。子どもは勉強したくないと反発する。

→勉強するかしないかは子どもの課題。親が子どもの課題に土足で踏み込んでいる。

・妻が夫に「洋服の趣味が悪い」と言い、服を買い換えるよう伝える。

→どのような服を着るかは夫の課題。妻が夫の課題に土足で踏み込んでいる。

・病院からもらったクスリを飲まない母親を叱りつけ、息子がクスリを飲ませようとする。

→クスリを飲むか飲まないかは母親の課題。息子が母親の課題に土足で踏み込んでいる。

・上司が要領の悪い部下の仕事ぶりを見て、やり方を変えるよう強制する。

→どのような方法を選ぶかは部下の課題。上司が部下の課題に土足で踏み込んでいる。

このように、課題の分離ができていないケースは枚挙に暇がありません。

しかも、相手の課題に土足で踏み込んでいる方も、踏み込まれている方も共に罪の意識はありません。やがて、両者は関係がうまくいかないことにイライラし始めます。

何かがおかしい。そう感じるのです。しかし、その原因が課題の分離にあることには気づきません。「相手の課題に踏み込んではいけない」という原則を知らない人がほとんどだからです。

本書が提唱する「ほめない」「叱らない」「教えない」部下育成は、まさに課題の分離から発想された方法です。課題の分離は相互尊敬、相互信頼の前提と位置づけられます。

「課題の分離」は冷たい考え方か

課題の分離の考え方をお伝えすると、必ずいただく質問があります。それは前にも触れた「相手に対して冷たいのではないか」という疑問です。

課題の分離により、相手の課題に踏み込まないことが「無関心」と同じであるかのように受け止められるのです。

しかし、それは違います。

これまで繰り返し学んできた通り、課題の分離は相互尊敬、相互信頼に基づいて相手を見守ることです。

「あなたなら、きっと自分の力で正しい判断をすることができる」「あなたなら、もし失敗したとしてもそこから何かを学び、修正できるに違いない」

このような期待と信頼があるからこそ、あえて人間関係を壊してしまうような過分な介入を行わないということなのです。

もちろん、課題を分離するというのは、一言も意見を言わないことではありません。アイ・メッセージを活用し、境界線を踏み越えない範囲で自分の意見を表明すればよいのです。

先のトラブルの例では、次のようなアイ・メッセージでの意見表明が考えられます。母親が子どもに「勉強しなさい」と強制する。子どもは勉強したくないと反発する。

→母親のアイ・メッセージ「あなたが勉強の楽しさに気づいてくれるとお母さんはうれしいな(けれど、するかしないかを決めるのはあなたよ)」

・妻が夫に「洋服の趣味が悪い」と言い、服を買い換えるよう伝える。

→妻のアイ・メッセージ「私はあなたにはこのような服が似合うと思うの。私はこういう色使いが好きだな(けれど、どの洋服を選ぶかを決めるのはあなたよ)」

・病院からもらったクスリを飲まない母親を叱りつけ、息子がクスリを飲ませようとする。

→息子のアイ・メッセージ「私はお母さんに長生きをしてもらいたい。だからきちんとクスリを飲んでほしいんだ(けれど、飲むか飲まないかを決めるのはあなたです)」

・上司が要領の悪い部下の仕事ぶりを見て、やり方を変えるよう指導する。

→上司のアイ・メッセージ「私は以前このようなやり方をして非常に効率が上がった。参考になればいいな(けれど、この方法を採用するかどうかを決めるのはあなたです)」

このように、過度に相手に踏み込まずに意見を中立的に主張することを「アサーティブなコミュニケーション」と呼びます。

境界線を越えて相手の課題に土足で踏み込むわけではなく、かといって無関心や冷酷でもない。適切な関係性とコミュニケーションの姿をイメージしていただけたでしょうか。

2 「結末を引き受けるのは誰か」を考える

「課題の分離」で考えると、勉強をするかしないかを決めるのは子ども自身であるということになります。

つまり、それは子どもの課題であって、親の課題ではない。だから、親は子どもに勉強を強制してはならない。アドラー心理学は親子関係のあり方をこう教えます。

しかし、子どもが勉強をしないことで、親はイライラした気持ちになります。その時、イライラするのは親の課題です。本来、子どもの課題であるはずのことが気になって仕方がない。

子どもをコントロールしたくなり、子どもの考え方を変えたいと思う。それでイライラする。

だから、親は「我が子を信じて、イライラしないようにする」という自分自身の課題に向き合う必要があります。

では、「それは誰の課題か?」を明らかにするためには、どうすればいいのでしょうか。答えはとても簡単です。

「その課題の結末を引き受けるのは誰か?」 そう問えばいいのです。先の例で言うなら、勉強しないことで将来の選択肢が狭まり、困るのは子ども自身であり、親ではありません。

宿題をせずに先生に叱ら叱られるという結末を引き受けるのも、勉強をしない子どもにほかなりません。

「その課題の結末を引き受けるのは誰か?」と自問することで、他人の課題に土足で踏み込むことが減るでしょう。そして、人間関係を壊さずに適切な距離感で人と接することができるようになるのです。

子どもが勉強しないと、なぜイライラするのか

さて、子どもが勉強しないと、親はなぜイライラするのでしょうか。考えられる理由として、以下のようなことが挙げられるでしょう。

  • 「いい学校に進学した方がよい人生を歩める」ということを子どもに理解させたいと思うから
  • 「自分がした苦労を子どもにはさせたくない」と思うから
  • 「子どもは正しい判断ができない。だから、代わりに親が判断すべき」と思うから
  • 「子どもがいい学校に進学しないと私が恥をかく」と思うから

これらに共通する考え方は、「私は正しい」「あなたは間違っている」という縦の関係です。アドラー心理学では「縦の関係である限り、人間関係はうまくいかない」と考えます。そうではなく、横の関係で接するのです。

横の関係とは「正しい」「正しくない」という文脈ではなく、「建設的か」「非建設的か」というとらえ方を指します。

そして、建設的な方向を向きつつ、相互尊敬、相互信頼に基づいた互恵的な人間関係を目指します。子どもや部下が自分の力で課題を解決できるようになる。それを支援し、邪魔しない。相手を勇気づける。それが横の関係です。

「勉強しなさい」と叱責するなど、子どもの課題に親が土足で踏み込むことは、相互尊敬、相互信頼の観点から非建設的であると考えられます。

子どもが自分の力で課題を解決できるよう、能力開発を支援し、勇気づけるという点からも、同じように非建設的であると言わざるを得ません。

これは職場での人材育成にも、そのまま当てはめられます。私たちは人とのコミュニケーションに関して、常に以下の自問を続けることが大切です。

「このコミュニケーションは相互尊敬、相互信頼に基づく人間関係という点から見て、建設的だろうか」「このコミュニケーションは相手の能力開発を支援し、勇気づけるという点から見て、建設的だろうか」 このように考えれば、自らの課題であるイライラは少しずつ解消していくことでしょう。

そのイライラの向かう先は決して建設的なものではないからです。

「迎合」も「支配」と同様に不健全

「課題の分離」ができていない例として、相手の課題に土足で踏み込む支配的な関係があるとお伝えしてきました。

しかし、支配される側、相手にNOと言えない側にも問題があります。相手に「迎合」していることになるからです。

「支配」と「迎合」は境界線を越える矢印の向きが逆さまです。支配は自分から境界線を越えて相手の課題に踏み込みます。

一方、迎合は相手が境界線を越えて踏み込んできたことを自ら許している状態です。そして、そのいずれもが、課題の分離ができていない状況と言えます。

では、迎合とは具体的にどういう状況か。ケースを基に見ていきましょう。

あなたは恋人と数年の交際の末、結婚をしようと決心しました。そこで、両親に報告したところ、思わぬ反対に遭ってしまいました。

「そんな人との結婚は許しません。もし、結婚するなら、親子の縁を切る」とまで言われたのです。あなたは驚き、そして憤慨します。そして、何とか親の許可をもらおうと必死に説得を試みました。

しかし、親は全く聞く耳を持ちません。結局、あなたは結婚を延期することにしました。親を悲しませたくない。そう思い、泣く泣くあきらめたのです。あなたはそれ以来、親を恨むようになりました…。

このケースにおける「あなた」の行動は典型的な迎合であると言えるでしょう。つまり、境界線が引けず、課題の分離ができていないのです。

あなたが誰と結婚をするかは、あなたの課題であって親の課題ではありません。境界線を越えてあなたの課題に土足に踏み込んでいるのは両親です。そんな時、あなたは毅然として NOと言うべきでしょう。

しかし、それができないとすれば、あなた自身が境界線を越えての侵入を許していることになります。つまり、迎合によって課題の分離ができていないということになるのです。

また、あなたの結婚に対してどのような意見を持つかは「親の課題」です。その意見を変えようと説得することは、親の課題に土足で踏み込む支配を試みていることになります。

そうした意味で、あなたは二重に課題を分離ができていないことになります。もし、課題の分離ができていたならば、明るくカラリと笑って両親にこう告げることができるでしょう。

「理解してもらえなくて残念です。でも、私はこの人と結婚します。理解してもらえたら、とてもうれしいのだけれど」

親の意見を変えようと、支配的に説得をすることはしないはずです。これこそが課題の分離ができている健全な関係なのです。

3 「感情」に関しても課題を分離する

課題の分離は「誰がそれを決めるべきか」という「責任」だけに関わるものではありません。それは「感情」においても同じこと。

つまり、相手の感情を変えようと支配してはならず、また同様に、支配に対して迎合してはならないということです。

それぞれについて見てみましょう。あなたが仕事やプライベートでたくさんの問題を抱えているとします。そして、気分は落ち込み、とても何かを楽しめる状況にはなかったとしましょう。

そんな時、あなたと共に暮らすパートナーが呑気にテレビを見ながら大笑いし、あなたに対して「この番組めちゃくちゃおもしろいね!」と明るく声をかけてきました。

「私がこんなに苦しんでいるのに、呑気に笑い転げて…。私の苦労が全くわかってない!」。あなたの心の中に怒りの感情がわき起こってきました。

そして、パートナーの呼びかけに「ふん!」と無視をして横を向きました。パートナーは「どうしたの?」と不思議な表情をしています。

この場合のあなたは、まさに感情に関する課題の分離ができていません。自分の感情と同じ感情を相手に求める。それは不健全な人間関係です。

人はそれぞれ異なる感情を持ってしかるべきです。同じ環境に身を置いていても感じ方は千差万別。ですから、相手の感情を変えようとしてはいけないのです。このケースを職場に当てはめると、どうなるでしょうか。

たとえば、営業の目標数値の達成率が低いままで、気になって仕方がない上司がいたとしましょう。

一方、部下は数字が厳しいことをわかっているのに、のんびりとランチを楽しみ、おしゃべりをしています。当然、上司のイライラは募ります。

しかし、いくら上司だからといって、ここで部下の感情を変えることはできません。それをしようとすると、人間関係がおかしくなります。

上司、部下の関係であったとしても、相手と自分の感情は分離しなければならない。それが感情における課題の分離ということなのです。

陰口を言われても気にしない

もう1つケースを見てみましょう。あなたと職場で仲のよい Aさんの態度が急によそよそしくなりました。

以前なら休憩時間に一緒に食事をしたり、おしゃべりをする間柄だったのに、なぜか自分を避けているようです。

そして、あなたは、あなたとあまり仲がよくない Xさんと Aさんが、 2人で楽しそうに話しているのを見ました。

2人はあなたを見つけると、黙り込み、話題を変えたようです。そして、あなたが通り過ぎると、こそこそと噂話を始めました。

あなたは「すべての謎が解けた」と思います。

XさんがAさんにあなたに関するよからぬ風評を吹き込んでいるに違いありません。そうでなければ、 Aさんが手のひらを返したように態度を変えることは考えられないからです。あなたはこのことが気になって仕方がありません。

どうすればいいのか…。

Aさんに「 Xさんの話は嘘だ」と伝えたらいいだろうか…。それとも、 Xさんに「変な噂をばらまくのはやめてくれ!」と言うべきか…。

しかし、どこにも証拠はありません。

あなたは仕事も手につかないほどの精神状態に追い込まれてしまいました。

このケースもまた感情における課題の分離ができていない典型例です。この場合、あなたは Aさんの感情や Xさんの感情を変えようと必死になっています。

しかし、それこそ、相手の課題に土足で踏み込む行為そのものです。噂話を信じるかどうかは Aさんと Xさんの課題です。あなたの課題ではありません。

また、それにより、あなたが嫌われたとしても気にする必要はありません。あなたを好きになるか嫌いになるかはあなたの課題ではないからです。

それも Aさんと Xさんの課題なのです。あなたは Aさんの感情や Xさんの感情と自分の感情を分離すればいいのです。

つまり、嫌われることを恐れないこと。噂話をされることを気にしないこと。これが課題の分離ができる健全な人の対応だと言えるでしょう。

部下の感情に責任を負ってはいけない

感情に関わる課題の分離において、管理職は「部下の感情に責任を負ってはいけない」という点についても注意を払う必要があります。たとえば、あなたが部下に仕事を依頼したとしましょう。

その時、部下は「なぜ私がやらなければならないのですか」という態度を取りました。管理職であるあなたは、もちろん、よくよく考えたうえで部下に仕事を頼んだつもりです。

しかし、部下は納得がいかない様子です。

「私よりも暇な人がたくさんいるじゃないですか。なぜ私ばかり仕事が増えるのですか。不公平ではないですか」。部下がこのように感じているのは間違いありません。

しかし、あなたは作業の平準化という視点だけで仕事を割り振っているわけではありません。部下一人ひとりの能力を冷静に見極めています。

また、「仕事を任せる」ことによる部下の能力開発も常々考えています。しかし、そうした思いは相手に伝わらなかったようです。

結局、仕事を依頼した部下は不満たらたらで引き受けました。そして、事あるごとに自分が大変であることをアピールします。あなたはそれを見るたびに「自分が責められている」と感じます。

「私の判断は間違っていたかもしれない…」 そんな思いに駆られることが増えました。このケースにおいても、あなたは感情に関する課題の分離ができていないと言えます。

もし、あなたが熟慮の末に部下に仕事を依頼したのであれば、部下の機嫌がよかろうが悪かろうが、気にする必要はありません。部下の機嫌が悪いことに責任を感じてはいけません。

仕事を割り当てられた部下が、どのような感情を持つかは部下の課題です。あなたの課題ではありません。部下に対して適切に仕事を配分するという「責任」に関する課題は、あなたの課題です。

しかし、仕事の割り当てによって、部下が喜ぶか悲しむかは、自分の課題ではない。上司は部下の感情に対して責任を負ってはいけないのです。

4 部下を支配しても、迎合してもいけない

今でこそ、アドラー心理学を学び、それを部下育成に応用できるようになった私ですが、かつては全く人を育てられませんでした。

課題の分離ができておらず、部下に対して「支配」と「迎合」を繰り返していたのです。名プレーヤーは必ずしも名監督ならず、とはよく言ったものです。かつての私はプレーヤーとして成功を収め、若くして管理職に昇進しました。

しかし、管理職としての準備ができておらず、部下にどのように接するかで迷い、右往左往していました。

最初に私が取ったスタイルは「指示・命令型」つまり支配型でした。言葉はソフトなのですが、言っている内容は「私の言う通りにやってくれ」というものでした。初めはやんわりと、余白を残して曖昧に。

しかし、それでうまくいかないと、徐々に指示を具体的にしていきました。

「この資料はこのような構成で作ってくれ」「このお客様にこのようなメールを送ってくれ」「会議の進行プログラムはこの順序でいこう」 細かな指示を次々に出し、部下が「はい」と返事をして前に進めていくことを求めました。

しかし、やがて部下たちは表情が暗くなっていきました。どうやら、私の命令に従うことが嫌になってきたようなのです。私はいつの間にか「支配」していたことに気づきました。そして、部下が暗い表情で仕事をしていることに対して、申し訳ない気持ちになりました。

同じ頃、部下が集まっては「小倉さんのやり方に納得がいかない」と批判をしているのを耳にしました。それを聞いた私はますます自分を責めるようになりました。

「部下から受け入れられない上司はダメ上司である」。

そう思ったのです。

そして、私はどうすれば彼らの機嫌が直るか、必死に考えました。そして、思いついたのです。指示・命令と強制をやめればいいのだ、と。

それからの私は部下に「自由気ままに」やらせることにしました。そうすることで、部下に機嫌よく仕事をしてもらおうと思ったのです。

「迎合」の果てに訪れた最悪の結果

しかし、その結果は最悪のものでした。

当時、まだアドラー心理学も知らず、管理職としての信念も確立されていなかった私は、最悪の選択肢である「放任」を選択してしまったのです。

私が態度を変えた後、組織はあっという間に最低の状態に陥りました。部下たちの意識はどんどん低くなり、昼休みを過ぎてもオフィスに戻ってこないほど、規律が緩んでしまいました。

意識だけでなく、業績も急降下しました。まずい…。このままでは組織が立ち行かなくなる…。私は強烈な危機感を抱きました。

そこで、再び命令と強制の支配型に戻すしかないと考えました。

「あなたたちに任せていたのでは大変なことになる。もう一度私が号令をかけ直す。しっかり指示を受け止めて頑張ってほしい」 すると、職場の雰囲気が変わるのがわかりました。

「せっかく自由にさせてもらっていたのに…」「また前のように命令されるのか」 部下たちは、かつてのやり方に戻ることに強い拒否感を示したのです。

部下たちのやる気がない。私の方針に反発を感じている。

それを感じた私は「またもや、間違ったことをしてしまった」と強く反省しました。そして、部下たちが暗い表情で、不機嫌になっている原因はすべて自分であり、自分が悪いのだと思うようになりました。

同時に、こうも思いました。もう一度、自由気ままにやらせるしかないのか。再び放任するしかないのか、と。

しかし、それでうまくいくとは到底思えません。私は「支配」と「迎合」の間を行ったり来たりしました。そして、どこに正解があるのかわからず、途方に暮れていました。

そんな時に出合ったのがアドラー心理学であり、それを活用したリーダーシップ理論です。私はようやく見えた出口に大きな安堵を覚えました。

そして、早速、その考え方に基づいた組織マネジメント、人材育成を始めたのです。その後、試行錯誤を繰り返しながら、私は「やはり、この道しかない」と確信するに至りました。

それこそが本書でお伝えしている「ほめない」「叱らない」「教えない」部下育成法です。部下が自分の力で課題解決できるように勇気づける第三の道。支配でも迎合でもない新しい方法なのです。

支配と迎合はコインの裏表

この私の経験からもわかる通り、支配と迎合はコインの裏表です。一見、正反対のようで、実は同じ考え方に基づいています。

相手や場面によって、表になったり、裏になったりするだけです。支配、迎合に陥ってしまう原因は何でしょうか。答えは境界線が引けていないということです。

つまり、相手との関係で越えてはいけない境界線を引けていないから、自分が相手を支配してしまうし、相手からの支配を許す(迎合する)のです。

この悪循環を断ち切るには、相手との関係にきちんと境界線を引くしかありません。

相手の課題に土足で踏み込むことをやめて、相手が自分の課題に踏み込んでくることに NOと言うのです。

そして、「感情」においてもきちんと境界線を引くことが大事です。相手の感情を変えようと支配しないことです。

たとえ、嫌われても、陰口を言われても相手の感情を変えようとしないこと。そして、陰口やマイナスの感情に自分が支配されないようにすること。これらのことを肝に銘じておきましょう。

責任と感情の両面で境界線をしっかり引き、課題の分離ができるようになったら、それは上司としての「信念」を確立したことの証拠にもなるでしょう。これでようやく、リーダーとしてのスタンスが定まるのです。

5 上司の仕事は環境を作ること

社会心理学者のクルト・レビンが提唱した公式に「 B = f( P・ E)」というものがあります。Bとは「 Behavior(行動)」のこと。ここでは部下の行動と位置づけます。

小文字の fは関数記号。

そして、 Pとは「 Personality(性格や能力)」を指し、ここでは部下の性格や能力とします。

Eは「 Environment(環境)」で、上司が作る職場環境と定義すると、 B = f( P・ E)は、次のように説明できます。

たとえば、部下がものすごく頑張って目標達成をしたとします。

レビンの公式に当てはめると、その行動は P =部下の性格や能力の素晴らしさと、 E =上司が作った職場環境の2つの要因によってもたらされたと考えます。

逆に、部下が全く頑張らず、目標を達成できなかった場合も同様です。上司はそんな時、その行動 = Bの原因を、 P =部下の性格や能力のせいばかりにしがちです。しかし、本当は E =上司が作った職場環境の影響もある。

つまり、部下の行動を作り出しているのは、上司の作る環境でもあるという視点を常に持っておく必要があるのです。

これまで学んできた「課題の分離」は、どちらかというと、適度に相手との距離を取りましょうというメッセージに集約できます。

こう言うと、「上司は部下に影響を与えることはできないし、また影響を与えるべきではない」というふうに受け取られてしまうかもしれません。

しかし、私の本意はそこにはありません。

お伝えしたいのは、まさに B = f( P・ E)、つまり、上司は E =職場環境を作ることに専念し、それによって部下に間接的に影響を及ぼすべきだという提案です。

適度な距離がいい。適度な距離を保つからこそ、逆に部下が自分の力で課題を解決する力が高くなる。そんな提案なのです。

無理に水を飲ませることはできない

You may take a horse to the water, but you cannot make him drink. (馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない)

私が大きな気づきを得た西洋のことわざです。不遜なたとえかもしれませんが、これを上司と部下に置き換えると、わかりやすいでしょう。ここで言うところの「水」は部下のやる気です。

そして、「水辺」とは、水を飲みたくなるような環境、すなわちやる気が出るような環境です。上司は部下のために、やる気が出るような環境を作ることはできるが、無理矢理やる気を出させることはできない。

このように理解すればいいのではないか。

先に学んだ B = f( P・ E)をわかりやすく解説すると、このことわざになると私は理解しています。

上司は部下の頭の中に手を突っ込んで、思考や価値観を変えることはできません。そうではなく、環境を作ることに専念するのです。

たとえば、上司自身が範を示す。もしくは、同僚たちの素晴らしい成功事例をリアルタイムで共有できるようにするのです。

そして、部下に「自然の結末」や「論理的結末」を体験させる。それこそがまさに環境を作ること。上司がすべきことです。

押しつけるから反発されるのです。適度な距離を置くことで、部下は自分の意思で選択するようになります。

距離を置きつつ、上司が環境作りをすれば、それが部下を勇気づけ、サポートすることになる。私はそう思っています。

喉の渇いていない馬の口を水に突っ込むのではなく。水辺に連れて行く。そして、喉が渇くような環境を作る。繰り返しになりますが、その姿勢を貫くことが大切です。

ニーバーの言葉に表れる教育の神髄

神よ、願わくは我に変えられることを変える勇気と変えられないことを受け入れる忍耐力と両者の違いを理解する知恵を与えたまえ 神学者ラインホールド・ニーバーの言葉です。

この言葉にある人との接し方は、アドラー心理学の考えに極めて近いため、アドラー信奉者たちに繰り返し引用されています。

私はこの言葉に込められた願いこそが、本書の「ほめない」「叱らない」「教えない」部下育成の神髄ではないかと思います。課題を分離し、境界線を引く。

しかし、傍観するのではなく、相手を変えようとするのでもなく、信じて見守る。環境を作ることに専念する。

そうした上司の進むべき道が、この言葉に凝縮されているように思うのです。本書に書かれた内容を実践しても、一朝一夕に結果は出ることはないでしょう。

しかし、この方法以外に道はない。私はそう信じています。ゆっくりとした足取りでもいい。本書に共感してくださる管理職の皆さんと、この言葉を胸に、この道を信じて歩いて行きたいと思います。本書が悩める皆さんの一助になることを願います。

あとがき

フロイト、ユングと並び称されるアドラー心理学。しかし、これまでその教えが世の注目を集めることはありませんでした。そのアドラー心理学が今、脚光を浴びています。

これからは、本書で述べてきたようにビジネスにおける人材育成に応用される機会も増えていくことでしょう。

「はじめに」でも述べた通り、本書はこれまで子育てや児童教育で学ばれることが多かったアドラー心理学を企業組織に当てはめ、なおかつ、長年リーダーシップ開発を行ってきた筆者なりの解釈を加えたものです。

そのため、アドラー心理学のメッセージと少し異なる内容もあるかもしれません。場合によっては、一部にアドラー心理学の定石に反する部分もあるでしょう。

しかし、部分的な相違はあるにせよ、全体を通じた思想や哲学はアドラーの教えと一致するはずです。恐らく、アドラー先生も草葉の陰からうなずきながら本書を見守ってくれるものと私は信じています。

本書を執筆するに当たっては、本書の核となる「勇気」および「勇気づけ」の定義をはじめとして、多くの部分で、私の師匠である有限会社ヒューマン・ギルド代表取締役、アドラー・カウンセリング指導者の岩井俊憲先生の教えを引用させていただきました。

私がアドラー心理学を学んだのは、岩井先生およびヒューマン・ギルド社が主催する研修やカウンセラー養成講座を通じてのことです。

また、アドラーの書籍を精読するに当たり、岩井先生から解釈や読み方のご助言もいただきました。

改めて、岩井先生に感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。

また、本書の執筆では、アドラーおよびその高弟であるルドルフ・ドライカース、ハロルド・モサック、ドン・ディンクマイヤー、 W・ B・ウルフなどの著作の日本語版を参考とさせていただきました。

これらの翻訳をしてくださった岸見一郎先生、岩井先生をはじめとする先達のご尽力に敬意を表したいと思います。

長年にわたりアドラー心理学を啓蒙されてきた諸先輩方とともに、アドラーの教えが企業の人材育成に根付くことを祈念いたします。

心理カウンセラー、組織人事コンサルタント 小倉 広

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