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第6章雑談力は雑草力。厳しい時代を「生き抜く力」そのもの

43雑談で、つながりを確認する雑談を交わすことは、居場所のない、所在ない状況に置かれたとき、自分と周囲のつながりを確認できる手段でもあるわけです。クラスに来た転校生や会社の違う部署から異動してきた同僚など、みんなが雑談で盛り上がっているのに、ひとりだけがその輪に加われない。仲間はずれとかイジメというのではないけれど、〝蚊帳の外〟になってしまう状態を経験した方も多いと思います。多数派が開放的ではなく、盛り上がっても他の人を受け付けない状態というのは、よく起こりうることなのです。そういうとき、蚊帳の外に置かれた人は、ものすごく疲れを感じています。だからこそ、活性化している多数派のほうから、その人に意識的に話を振ってあげると、蚊帳の外状態だった人の緊張が解れて、気持ちの疲れもとれる。それがひいてはその場全体の空気をも和ませることになります。こうしたケースで場の雰囲気を和ませるか、硬くするかは、多数派の人たちのほうに責任があります。多数派から少数派やひとりの人に橋を架けてあげるべきなのです。そして、もっともポピュラーで、もっとも効果的な『架け橋』となるのが、あまり意味のないムダ話、つまり雑談です。同じように、所在ない状態のたとえでわかりやすいシチュエーションのひとつが、仕事の付き合いや義理で断れない立食パーティです。こうしたケースでは、たいてい周囲は知らない人たちばかり。乾杯のグラスを持ったまま、誰と話すでもなく立ち尽くすという経験をお持ちの人も多いのではないでしょうか。私がそうしたパーティに招かれたときは、『1回のパーティで1人、知り合いを増やす』と決めて、出席している誰か(もちろん初対面の人)と雑談をするようにしています。では、誰に話しかけるか。私と同じように、知り合いもいなくて居心地が悪そうにしている人に声をかけるのです。「いやぁ、知らない顔ばかりで輪の中に入っていけませんよね」すると、その人も話し相手がいなくて困っているので、かなりの確率で話に乗ってきてくれます。「ひとりで来ちゃったので、ホント、手持ち無沙汰で困っちゃいますよ」「まったく。私も上司の代役で来てるんで、居場所がなくて」などと、しばらく他愛もない雑談をしていると、すっかり知り合いになれたりする。ですから、立食パーティなどで人間関係を広げようと思ったら、まずは暇そうにしている人、立ち尽くしている人、話題を振られていない人に声をかけることをおすすめします。そういう人は、話しかけられるのを待っている。あるいは、微妙な気まずさ、居づらさに耐えている。だからこそ、雑談を振られるとホッとする。その安堵感によって打ちとけて、相手との間に橋が架かります。つまり雑談相手が登場することで、孤独から解放されるということ。その際、雑談の内容は問題ではありません。話を振るという行為、雑談をするという行為が大事なのです。こうした場で、自分からさりげなく雑談ができるか。居心地悪そうにしている人に橋を架けてあげられるか。雑談は、人を孤独から救うだけでなく、見ず知らずの人と人とを結びつける格好の糸口になるのです。

44私たちの中にある、「甘え上手」を取り戻す1970年代に『「甘え」の構造』という本が出版されました。また、私は今年(2010年)、著者の土居健郎先生との対談本を出させていただきました。土居先生のお話によれば、「甘え」とは日本人特有の感情なのだといいます。また欧米には「甘え」に該当する言葉が存在しないともおっしゃっています。昔の日本人にとって「甘え」とは、克服しなければならない感情でした。「甘え」という言葉を持たない欧米人が、子どもの頃から甘えずにきちんと自立しているのに比べて、日本人は何かと甘えている。子どもはもちろん、いい大人、いい社会人まで甘えている。だからその感情は社会に出るときには克服しておかねばならないもの。『「甘え」の構造』が出版された時代は、そう考えられていたのです。しかしながら、今は逆です。今の日本人の課題は、「上手に甘えられないこと」ではないかと思うのです。ただ、ここでいう「上手に甘える」は、うまくコントロールして甘えるということ。「それはただの甘えだ」といった、いわゆる「相手に依存する精神的な弱さ」とは性質が異なります。では「上手に甘える」とはどういうことか。それはかわいがられるということ。甘えた相手が、その甘えを許容してしまう、という状態を作ることです。たとえば、近所のオバちゃんに「お兄ちゃん、おはぎを作ったんだけど、食べない?」と言われたとします。しかしあなたは甘いものが苦手。さてみなさんはどうしますか?「けっこうです」と普通に遠慮する「甘いもの苦手なんですよ」と理由を言って遠慮するこの時点でです。食べないことを判断する人っていうのは、これはもうダメなんですよね、甘え下手。ここは素直に、「いただきます」「ああ、そうですか、じゃ、いただきますね」が正解。最初、断っておいて「いや」っていうのも、まだまだ二流。相手のオバちゃんは「ああ、そうですか、じゃあ遠慮なく」っていきなり食らうわけです。で、食べたら、そしたら、やっぱり「おいしいですね」とか言いながら、で、さらにまだたくさんあるようだったら、もうひとつ踏み込んで、「じゃ、悪いけど、もう1個、いいですか」みたいに言うと、「いや、いいわよ、いいわよ」とか、「もう、若い人は食べないとねえ」という展開になります。このように、雑談ができるということは、甘え上手になるということでもあるのです。

45人は誰もが、本当は話したがり屋私が以前、高齢者を対象にしたゼミを開講していたときのことです。当然集まっているのは70代のおじいさん、おばあさんばかり。みなさん勉強熱心で、まじめに私の講義に耳を傾けてくれました。あるとき、ひとつのテーマについてお互い自由に語り合うという授業をしました。するとその日を境に、ゼミ生たちが急速に打ちとけ始めたのです。それまではあいさつする程度だったのに、あっという間に仲よくなった。ゼミにも活気が出て、何よりもみなさんがすごく元気になったのです。実は話がしたくて仕方なかったのでしょう。聞けば、家ではそんなに話をする機会がない、と。講義も聞きたいが、それ以上に同世代のゼミ生たちと語り合うことが楽しい、と。あまりに好評なので、毎回のように自由に話す授業にしました。そうすると私がしゃべる時間よりも、全員でいろいろ語り合う時間のほうが圧倒的に多くなる。それ以降、ゼミを休む人がほとんどいなくなりました。テーマや内容はともかく、まず話すこと。それが彼らの格好のストレス解消になったのです。つまり、人にとって「話す」というのは何よりの健康法だということ。気の置けない雑談をすることで、人はみなストレスを解消して元気になれるのです。仕事が早く終わって残業もないのに、まっすぐ家に帰らない(帰れない?)世のお父さんたちも、実は同じです。行きつけの店へ寄って飲んで帰るのも、半分は話をしたいから。一杯飲んで、大将や常連さんと世間話をしてから帰りたい。その気持ちはわかります。改まってカミさんと向き合っても何を話せばいいかわからない。子どもたちには煙たがられる。家に帰っても、何を話したらいいかわからない。だから家に帰る前にワンクッション、どこかで話をしたくなる。それに、頭の中を仕事モードからいきなり家庭モードに切り替えるのではなく、中間領域を作りたいという欲求もあると思います。仕事の話でも、家庭の話でもない、まったく意味のない世間話をすることで、頭をクールダウンしたいのです。人は誰もみな雑談がしたい。雑談を欲しているのです。私たちは誰もがみんな、話をすることに飢えているのです。

46大人は若者のムダ話を聞きたがっている会社の上司や親戚のオジサン・オバサンなど、年上の人との雑談が苦手な若者が増えています。それはなぜか。確かに「面倒だから話したくない」という若者側からのコミュニケーションの拒絶もあるでしょう。しかし、どうやらそれだけではないようです。以前NHKの『めざせ!会社の星』という番組で、若いOLさんが「私のこんな趣味の話をしても、上司はどうせ興味を持たないと思う」とコメントしていました。このように「話はしたいけど、通じるかどうか不安で話せない」と思っている若い人もかなり多いのです。「世代が違うとコミュニケーションが取れない」というのは、中年以上のオジサン・オバサンだけの悩みではない。若い人も悩んでいます。世代が違うから話が合わないだろう。話をする前からそう思い込んでしまうため、会話がギクシャクしてしまうわけです。しかし、心配は無用です。上司や仕事先のオジサンといった年配の人たちは、若い人たちが想像している以上に、若い人の話を聞きたがっています。私と同世代か上の世代の人たちは、若い人の考えていること、興味を持っていることに、すごく関心がある。ところが、女子社員に下手なことを言おうものなら、すぐにセクハラになる時代です。上司のオジサンたちも、若い人たちにどうやって話しかけていいのかがわからないのです。私もよく知人たちに「イマドキの大学生ってどんな感じなの?」と聞かれます。職業柄、ある程度、イマドキの学生諸君の様子はわかるのですが、接点のない人ほど、関心度合いが高いのです。オジサンたちはみんな、若い人の話を聞きたがっています。話すという行為はもちろん、話題になっていることを情報として知りたいとも思っています。若い人の趣味や話題は、オジサンたち年配者にとっては想像以上に価値がある。だからオジサン・オバサンに、無理して話題を合わせようとしなくてもいいのです。私のところの学生はみなサービス精神があって、「先生、今はこれが流行ってるんだけど、知ってました?」「え、知らないの?これはで、なんです。覚えておいたほうがいいですよ」などと、若者の話題を教えてくれます。オジサン・オバサンたちは、自分の子どもが話を聞かせてくれることが何よりの喜びだった世代。晩ご飯のときに子どもから「今日、学校でちゃんが〜」という話を聞くのが無上の喜びだった世代です。そんな彼らが、若者の話は聞きたくないとハナッから拒絶することは、そうそうないはず。だから、若い人も遠慮せずにもっと年上の人たちと雑談をしてほしいのです。無理に話題を探さなくてもいい。自分たちの間で普段交わされているような話題でいい。意外にそれがオジサンにとっては雑談の種火になることがあるのです。若者との会話で得た情報が、彼らの次の雑談のネタになるのですから。ほんの30秒ぐらいで構いません、今の若い世代の〝旬〟を聞かせてあげる。「イマドキの話をしすぎたかな」と思っても、心配いりません。若い世代のほうからハードルを下げてあげる。ハードルの低さを示すように雑談を仕掛けてあげると、オジサンたちは、その架け橋ができたことを喜んでくれるはず。そしてオジサンたちは、周りの同世代のオジサン仲間に「ウチの若いのに聞いたんだけど、今はこれこれ、こうなんだよ」と得意気に話しているかもしれません。オジサンにとって若者のムダ話は、意外にもバリューのあるものなのです。

47知らぬ間に私たちは、雑談に影響されているほかの人と話していると、最初はただ話を合わせていただけの話題でも、徐々に興味を覚えはじめることがよくあります。たとえば誰かに「最近、時代小説にハマッていましてね。藤沢周平なんていいですね。江戸時代の暮らしぶりが伝わってきておもしろいんですよ」などと話を振られたとしましょう。聞いている側はそれほど時代小説に関心がなくても、雑談の中で時代小説の魅力やおもしろさが語られ、その話を聞いているうちに、「そんなにおもしろいのなら、今度何か1冊読んでみようか」となることがあるものです。たとえば『論語』が大好きなどという学生はあまりいません。あるとき『論語』を読んで、自分で「ここがいい」と思った部分を、具体的に引用しながら隣の人に紹介するという授業をしたことがあります。すると最初は「『論語』なんて読んだことないから、どこがいいかなんてわからない」と嘆いていた学生たちが、後半になると『論語』に関して人にそこそこ語れるレベルまで詳しくなっていきます。先入観で「なんとなく趣味じゃない」と思っていたものでも、いい点を見つけることによって、次第に興味がわいてくる、知らず知らずに好きになる、ということがあります。いいところを口に出して人に話しているうちに、「あれ、意外と『論語』もおもしろいじゃん」となってくることも多いのです。また、前述した「ほめる」にしてもそう。相手が、自分から見たら全然イケていないネクタイをしていても、それを、「かわいいですね」「お茶目ですね」「チャーミングですね」などとほめているうちに、何となくその人本人がかわいく、お茶目に、チャーミングに見えてきたりすることがあります。つまり、雑談で自分が聞いたことや話したことに、自分自身が影響を受けているのです。雑談でも話題が、話している自分にはね返ってくる。よく「目標を達成したければ、挑戦していることを人に宣言しろ」といいます。これは自分の胸の内に秘めているよりも、第三者に公言・宣言してしまえば、否応なしに目標達成へ向けて努力せざるをえなくなるということです。たとえば会う人会う人に、雑談で今挑戦しているダイエットの話をしまくることで、自分のモチベーションが維持できたりするもの。「最近、運動不足の解消にジョギングを始めたんです。まだ3日目ですけど」などと他の人に話すことで、三日坊主になりそうな自分にやる気が戻ってくるのです。雑談を利用して自分自身の視野や感性、好奇心の幅を広げることができる。また雑談で人に話すことによってモチベーションがアップする。「情けは人の為ならず」他人に情けをかければ、巡り巡って自分に情けが返ってくるといいますが、まさに「雑談は人の為ならず」なのです。

48集中力を高めるために、あえて雑談タイムを入れる私は大学で授業をするとき、必ずどこかで「雑談タイム」のような時間を設けています。そもそも学生諸君はしゃべりたがっています。何かしら話がしたい。会話がしたい。しゃべっている間は人間、眠りません。授業でも本題よりも、チラッと挟む余談や雑談のほうをしっかり覚えていたりします。どんな人間でも、集中力はそうは長く続きません。学生たちだって普通に授業を聞いていれば、頭がボーッとしてくるのは、ある意味仕方のないことなのです。1時間半、最初から最後までずっと集中していろなんて、言うのは簡単です。自分のペースで話ができる先生はいいけれど、聞いている学生にとっては「そんなの無理だよ」となるのが当然です。そこで私は、90分の授業のうち、私が45分間講義をしたら、そのあとの15分間は学生たちにさまざまな課題を与えて話をさせる。そしてまた講義に戻るのです。つまり授業中に雑談する時間を作っているわけです。ただし課題を与えてあるため、雑談とはいえまったくのフリートークではありません。その課題の周辺情報を何かしら取り入れながら、話を展開させていく必要があります。それでも学生たちはみんな水を得た魚のように話をしています。講義を聞いているときよりも元気がいいくらい。すると雑談タイムのあとは、みんな集中力も高まり、講義にも身が入ります。つまり雑談で気分転換することによって、彼らの脳が活性化するのです。雑談で学生の脳を活性化させてから講義に向わせる。これが私の授業テクニックです。雑談タイムを入れると、学生が眠らない上に、学生同士の交流が深まって友だちが増え、次の授業への出席率も非常に高くなる。いいことだらけですから。このように本題とは関係のない雑談には、疲れた脳を休め、切り替え、活性化するという効果があります。煮詰まった会議などでも「ちょっと一服」というブレイクタイムを作ることで、そのあと活発な議論がおこなわれたりするもの。「一服する」とは、肉体的な疲労を癒すだけでなく、その間に他愛もないムダ話をすることで脳の休息と活性化を図るという意味においても、非常に効果的なのです。

49雑談でデトックス。雑談でガス抜き心にちょっと気がかりなことがあると、誰かに話したくなることがあります。そして聞いてもらうことで気持ちがずいぶん楽になることもあるでしょう。話している相手が最近少しイヤになっていることやストレスを感じていることをそっと聞き出してあげると、それが雑談のキッカケになることがあります。私もときどき同僚の先生に「最近の大学生はどうですか?大変じゃないですか?」などと聞くことがあります。すると、何かしらのストレスを抱えている先生ほど、レスポンスが返ってくる。たとえば、「実はこの間、ウチの学生が実習先に大遅刻しまして。先方は『もうおたくからは二度と受け入れない』とえらい剣幕なんです。その後始末で頭が痛くて」「今って先生が学生ひとりひとりにいちいち電話をかけて『君、単位が足りてないけど大丈夫?』って確認を取らなきゃいけないんです。イマドキの学生はまったくもう」という感じで、話が展開することがあります。大学に限らず、学校の先生が日常の仕事で抱えている気がかりの種は、ほとんどが学生のこと。同じ立場の先生に話すことで少しは気が晴れるという思いがあるのかもしれませんが。知識や教養を語り合うより、どうでもいい意味のない話を広げて、展開させて盛り上がる。これが雑談です。基本的に雑談はポジティブな話題で盛り上がりたいのですが、こうしたケースは別です。あえて今、相手の困りごと、それも身の上相談のような深刻な問題ではなく、ちょっとイヤになっているという程度の問題を話題として引き出してあげる。そしてその問いかけに応えて話が返ってきたら、「わかるわかる、そういうこと。私も経験ありますから」と同調、共感する。もしくは、「えっ、そうなんですか。そんな学生がいるんですか!」と驚いてあげることが大切です。イヤなことや気がかりを吐露したときに、それを聞いた相手が共感してくれる、あるいは「信じられない」と驚いてくれると、人は自分の考え方や思いが少し肯定されたという気持ちになります。「そういった場合は〜」などと正面からアドバイスしなくてもいい。相手にとっては、話したことだけでストレスが減ってくるというもの。こうしたケースでは、「話をする技術」以上に「話を聞く技術」の重要度が高くなります。あくまでも話を聞くという立場をとり続け、相づちを打つように反応して相手の心に溜まっているストレスを軽く吐き出させて発散させる。それも雑談の大きな効能です。雑談で人間関係のちょっとしたガス抜きをするのです。このガス抜きはすごく大切なこと。今、毒素を体外に排出する健康法が注目されています。いわゆるデトックス。雑談は心にスペースを空けるようにガスを抜いてくれる。心のデトックスなのです。心を癒し、心のガス抜きをする。これも雑談が、人間関係というコミュニケーションの中で担っている、重要な役割です。

50日本人の共感力を生かして英会話力アップ英会話スクールに通ってもなかなか上達しない人、外国人を見ると無意識に目をそらせてしまう人英語、とくに英会話コンプレックスを持つ日本人は、今も非常に多い。確かに英語を読む、英語を書くというのは、そう簡単ではありません。とくに英語論文を読む、英語で契約書を作成するなどはかなりハイレベルな英語力を必要とされるでしょう。外資系企業に勤める友人いわく「レベルが高すぎて、普通の人にはたどり着けない世界。英語の専門家レベル」だそうです。一朝一夕に身につくものではありません。しかしほとんどの人にとっては、そこまでレベルの高い英語を求められる場面など、めったにありません。日本人の多くは、日常会話や海外旅行で使うレベルの英会話ができなくてコンプレックスを感じているのです。私は、日本人が英会話を苦手としているのは雑談力がないからだと考えています。外国旅行先で外国人と英語で立ち話をする、ちょっとした交流をする。これはつまり英語で雑談をするということ。普段は日本語でする雑談を英語でするだけのことなのです。雑談ですから、肩肘張って話す必要はなし。とにかく言おうとしていることがそれとなく伝わればいい。結論が必要ないのも日本語の雑談と同じ。やりとりで盛り上がる、気心が知れる、場の空気がなごむというファクターがあればそれでいいわけです。伝わればいいのですから、文法や構文を気にする必要はありません。文法など無視した〝日本人英語〟でまったくノープロブレムです。それなのに、私たちは自分で勝手にハードルを高くしてしまっている。そもそも日本人は英語をまったく知らないわけではありません。中学や高校では授業でみんな習っているわけですから。ただ英語は知っていても英語を話す機会がなかっただけ。会話をし慣れてないだけなのです。むずかしくて高尚な話をするつもりはない。英語で雑談したいだけ。極端な話、アメリカの小学校低学年の子ども程度の英会話ができればいい。子どもの話にはオチもなければ結論もない。文法だってかなり怪しいけれど、少ない語彙で必死に話している。雑談するなら、そのレベルで十分。そう思えば英会話のハードルはグンと下がるはずです。雑談で大切なのは共感することです。一方が何かを話したら、もう一方が「そうそう」「それ知ってる」「そういうの、あるよね」と応える。相手の言うことに共感し、同調することで雑談はより盛り上がる。そして、これは日本語も英語も同じなのです。自分の話を受け入れてくれる人と話すほうが、誰だって楽しくて心地いいに決まっているでしょう。『NOと言えない〜』じゃないけれど、日本人は、とりあえず何でも頷いて同調してしまいがち。知らないことでも「ああ、そうですよね」と、つい言ってしまう。だったら私たち日本人は、英語もまずは「同調英語」から入ればいい。これが意外に通用する、使えるものなのです。名づけて『metooEnglish』。日本人の、何でも同調してしまう心の弱さを利用した英会話法です。要は、とりあえず相手の話に対して「metoo」「metoo」と相づちを打つ。よくわからなくても、話題について知らなくても、とにかく「metoo」と言う。「Doyouknow?」「yes,yes」「Doyoulike?」「yes,yes」自分が知らないものでも、相手が好きと言えば「metoo」と話を合わせる。これは日本人は大得意ですから。すると不思議なもので、「metoo」を言っているうちに、会話が自然と盛り上がってくるんです。そもそも、「って知ってる?」「知ってる知ってる、いいよねえ、あれ」日本語の雑談でも、実はこの程度の話しかしていないことが多い。雑談ですから、決して高尚な会話などしていません。つまり、それと同じレベルの雑談を英語ですればいいだけのこと。ストーリーのあるまとまった話をするなら、ある程度話す内容を準備しておかないと難しい。ネタをネタとして聞かせるには、それなりの話術が必要になります。しかしネタを話すのと、立ち話的に雑談をするのとはまったく別物。雑談は話したそばから話題が変わってしまっていい。だから話が続かないときや、話題がわからなくなったら「bytheway(ところで〜)」という力技で、自分がわかる話題に持っていけばいいのです。「metoo」と「bytheway」、これらは日本語の雑談で話題を転換していくポイントを英語で表現しているだけ。つまり日本語も英語も雑談の仕方には、何ら変わりはありません。ですから、私たちは英会話を英語の勉強の一環とは考えないほうがいい。英語力ではなくて、雑談力のひとつ『英語で話す雑談力』として位置づけるべきだと思います。英語で雑談というのは、英語の勉強とは別ジャンルととらえるべきです。英会話は雑談力の一部である。つまり、雑談力が身につけば、英会話力も伸びる。雑談力は英会話力をも凌駕するスキルなのです。

おわりに雑談力は、生きることそのもの雑談力、それは雑草の持つ生命力のようなものです。どんな土地でも、それこそコンクリートからでも、ちょっとしたすき間を見つけては生えてくる都会のタンポポのように、孤独で心を閉ざしている人や不機嫌そうな男性がいても、気にせず雑談を仕掛けて、社会とつながっていく。雑談力がある人とは、そんな雑草力のある人であるような気がします。必要のある話、本筋に関係のある話だけでは、その本題が終われば、「ハイ、おしまい」になってしまいます。本当のコミュニケーションはなかなか図れない。そんなコンクリートのような空気のすき間から出てくる雑草のようなムダ話こそが、人間関係を底の部分でつないでくれます。こういう人は苦手、こういう人は合わない、話すのが苦手で恥ずかしい、面倒くさい。だから自分が雑草を生やせるのは仲間内だけ確かに今の世の中は、雑草が生えにくくなっているように思えます。しかし、きれいな花を一本だけ植えてそれだけを大事にしようとしても、ポキッと折れたらそれで終わり。雑草も生えないようなところに、花が咲くはずもありません。「助けて」と言えず、孤独死した30代の男性。2009年秋に『クローズアップ現代』というNHKの番組で取り上げられ、続編が放送されるほど大きな反響を呼びました。また、わが子を虐待して幼い命を奪ってしまう親や、イジメにあっても誰にも相談できずに自ら死を選ぶ子どもたちは後を絶ちません。そんな胸が締めつけられるような事件があちこちで起こっています。「あのとき声をかけていたら」「もう少し話を聞いてあげていたら」長引く不況、リストラ、貧困、ストレス何かと厳しい今の日本ですが、普段から近所の人でも相談センターの人でも友人でも、誰かと少しでも雑談を交わす環境があれば、このような事態に陥る前に、ゆるやかに解消できることがあるのかもしれません。どんな人でも、ひとりで生きているのではありません。誰もが周りの人とコミュニケーションをとりながら、その中で生きています。現代社会は人間関係が希薄になったと言われ続けていますが、それでも、今でも、人は人とのコミュニケーションなしで生きられません。そして、そのコミュニケーションの、もっとも土台となるのが日常の他愛のない会話であり、日々の何気ない雑談なのです。これからの時代、雑談力を身につけることは、強く生き抜く力を身につけることそのもののように感じてなりません。そして、自分が強く生き抜くための力でありながら、同時にその力は、周りの人々を生かす力にもなる。話すことで人は救われ、聞いてもらうことで人は癒される。雑談力とは、言葉を持つ私たち人間だけが持っている、生きるための力なのではないか、と私は思っています。そう、大げさではなく、雑談力は生命力でもあるんですね。そして、少しだけカッコよく言えば、雑談は人生のすべてです。誰もが、生まれて、雑談を身につけながら成長し、雑談しながら生きて、そして最期も雑談して終わる。それが人間です。雑談とは「生きる力」そのものである。私はそう思っています。2010年4月齋藤孝

[著者]齋藤孝(さいとう・たかし)1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大大学院教育学研究科学校教育学専攻博士課程等を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社)をはじめ、『1分で大切なことを伝える技術』(PHP新書)、『地アタマを鍛える知的勉強法』(講談社現代新書)、『「読む・書く・話す」を一瞬でモノにする技術』(大和書房)、『コメント力』(ちくま文庫)、『座右のゲーテ』(光文社新書)、『齋藤孝のアイデア革命』、『売れる!ネーミング発想塾』、『ロングセラーの発想力』(いずれもダイヤモンド社)など多数。雑談力が上がる話し方30秒でうちとける会話のルール2010年4月8日プリント版第1刷発行2013年5月27日電子版発行著者齋藤孝発行所ダイヤモンド社〒1508409東京都渋谷区神宮前61217http://www.diamond.co.jp/電話/03・5778・7232(編集)03・5778・7263(製作)カバー・本文デザイン鈴木大輔(ソウルデザイン)撮影佐久間ナオヒ(ひび写真事務所)編集協力柳沢敬法製作進行ダイヤモンド・グラフィック社編集担当和田史子

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