洞察56育成という言葉が独り歩き洞察57チャンスは平等ではない洞察58部下は上司を観察している洞察59名監督が持つ度量洞察60相談者の利益より大局観を洞察61兼任コーチの果たす役目洞察62変化する勇気を持て洞察63予想外の飴と鞭?洞察64鉄は熱いうちに―部下を叱る鉄則洞察65優しい父と厳しい母の存在洞察66受け売りで始まる技術習得
洞察55指導者が持つべき言葉の力
指導者にとって、言葉は重要な意味合いを持つ。指導者が発した言葉が何気ない一言であったとしても、指導される側は言葉の意味通りに、あるいはそれ以上の意味を持って受け取ることがある。
当然だが「上司からの指示なのだから従え」「そんなことも分からないのか」といった一方的な言い方をしていては、信頼関係を築くことは難しい。
部下は上司の言動を観察している。一方的に言われた部下にしてみれば、自分の方を向いていないと感じてしまうからだ。とりわけ、部下を指導する場面では、かける言葉には細心の注意を払わなければならない。
私自身、ヤクルトで兼任コーチをしていたときには、今の言い方は失敗だったと反省する場面が多かった。
そんな中で一つだけ言えることがあるとすれば、最後は選手本人に選ばせなければならないということである。
例えば、守備練習である。
選手に「今日はゴロを捕球する練習を100球やろう」と一方的に指示を出すのではなく、「今日の練習は何球ぐらいやろうか?」という問いかけをする。それに対して選手が「100球やります」と答えれば、選手が設定した分だけの練習に付き合うのである。
どちらの場合でも、結果として試合でエラーをすることはあるだろう。だが、練習量を選手に選ばせていれば、エラーは練習が足りなかった自分の責任だと感じることができる。
エラーをしないためにはどんな練習が必要かを自発的に考えるようにもなるだろう。そうして選手から助言を求められた時、いくつかの方法論を提示するのがコーチの本来の仕事なのである。
それが、コーチに指示された通りに練習をこなすだけの関係になってしまっては、選手は「言われた通りにやっているのに何で上達しないのだ」と不満を持つことにつながる。
果ては「言われた通りにやったから、疲れが出てしまった」と失敗の言い訳をする選手もいるかもしれない。
そんな受け身の姿勢では、いつまでたっても上達することはできない。もちろん、何でも選手に意見を求めればいいというわけではないだろう。選手によって年齢や実績、チーム内での置かれた立場も異なるからだ。
ただ、選択させ、発言をさせることによって責任が生じれば、自覚を促すことができる。
一方で、場合によっては選手が開き直れる環境を作る方が良いケースがあるのも確かだろう。
選手心理の難しさ、繊細さについて改めて考えさせられたのが、2015年シーズンの巨人・阿部慎之助だった。阿部は同年のシーズン、体への負担を軽くするために捕手から一塁手にコンバートされた。
開幕から本来の実力からすれば物足りなさを感じる場面が多かったのだが、チーム事情で捕手に復帰した試合では、阿部らしい思い切りの良いスイングを取り戻しているように見えた。
一塁手から慣れ親しんだ捕手へ。一見すれば、負担が重くなったようにも感じるが、かえってその方が開き直れたのだろう。
「捕手だから打てなくても仕方がない」と肩の荷を下ろしたことで、重圧から解放されているようにも感じた。
阿部ほどの実績がある選手でも、これだけ繊細なのである。
洞察56育成という言葉が独り歩き
育成という言葉が、独り歩きをしてしまうことがある。
全国で野球教室を開催すると、少年野球の指導者や保護者の方から「選手の育成と試合での結果のどちらを重視すべきでしょうか」と聞かれることがある。
選手の育成を重視すべきか、それとも、試合での結果を重視するべきか。どちらが重要かと問われれば、どちらも重要だとしか答えようがない。
少年野球の年代では、試合で経験を積まなければ、実戦の中でルールを覚えることができない。練習でのモチベーションにつながる成功体験を得ることもできないだろう。
一方で練習する時間を十分に取らなければ、基本的な技術が向上することはないだろう。
どちらが重要かではなく、どちらも大切なのである。
育成か結果かの二者択一ではなく、育成があった上での結果だと言い換えることもできる。ところが、いつからか育成という言葉が独り歩きをしてしまい、良い結果が出ない状況への言い訳となるケースが多くなった。
これは少年野球に限った話ではないだろう。
以前書いたラグビー日本代表の例も、似た側面があるだろう。
2015年のラグビーワールドカップで、優勝候補の南アフリカ戦に勝利した日本代表を変えたのが、エディー・ジョーンズヘッドコーチの指導法だったと聞いた。
従来の日本代表は体力勝負では世界に勝てないと決め付けていたが、世界標準のパワーがなければ同じ土俵に立てないと、徹底的に体力面を鍛え直したのだという。
従来の考え方も発想としては間違ってはいなかったはずだ。
体の大きな海外の選手相手には体格的に当たり負けてしまうから、世界でも日本人の良さを出せるような技術を育てようと考えたのだろう。ただ、それでも結果が出ない状況が続くのなら、アプローチを変えていかなければならない。
意図せずして、技術面を育成しようという考えが、世界の舞台で結果が出ないことへの言い訳になっていた部分があったのかもしれない。
長年目をそらしていた体力的な課題に真正面から取り組んだのが、エディー・ジョーンズヘッドコーチの日本代表だったというわけだ。
結果を考えて逃げ道を作ってしまうと、本当の意味で前進することはできない。自分では真っすぐに進んでいると信じていても、実際には斜めに進んでしまっていることもある。
アプローチの仕方を間違えば、目的地から遠ざかってしまう。育成も、結果も、両方を求めていいはずなのである。
これは、選手を指導する際に長所を伸ばすのか、短所を直すのか、という問題にも通じるように思う。もちろん、短所を直そうとすることで、選手個々が持っている長所が失われてしまうという考え方もあるだろう。
しかし、野球選手は欠点を直さなければ試合で使ってもらえないのだから、短所を直しながら、長所を伸ばすことが必要だと思うのである。
5段階評価のチャート表があるとして、一点に集中したからといって5まで達するかは分からない。全ての項目で5になるよう、全力で追いかけてもいいはずなのである。
洞察57チャンスは平等ではない
プロ野球の世界には、コーチという役職がある。上司である監督の考えに沿って働き、部下である選手を指導する。その意味では、一般企業の中間管理職に置き換えることができるかもしれない。
2009年から現役を引退するまでコーチ兼任としてプレーしたが、コーチングの難しさを感じる場面が多かった。コーチの仕事の目的は、組織の勝利を第一に考えて行動することに尽きる。
その上で担当する選手が一軍の試合で通用するよう、一流になれるように指導をする。時には選手をおだてて乗せることが必要な場面もあるだろうし、厳しく接することも必要になるだろう。
ただ、この組織の勝利を第一に考えて行動するという点がブレてしまっては良いコーチとはいえない。では、選手全員に同様に接するのが正しいのだろうか。それは間違いだと考えている。
「チャンスを平等に与える」と言えば聞こえは良いが、プロの世界では必ずしもそうとは限らない。この選手は組織の中心になれる能力があると判断したのなら、他の選手よりも時間を使って教える。
勝負の世界である以上、等しくチャンスを与えることが目標ではない。あくまでチームの勝利が目標だからだ。
ここでコーチが考えなければならないのが、他の選手から文句が出ない状況を作ることだ。
例えば、選手を期待値で判断してA、B、C、Dとランク付けした場合、球団としてもAランクの選手を優先して育てたいと考えるのは当然だ。
実際、ドラフト1位で入団した選手は、4位や5位で入団した選手よりも優遇されることが多い。
ところが、選手というのは正しく自己分析ができていないものだ。実力が少し上の選手に対しても、自分の方が上だと思ってしまう。
その2人に特別な差をつけると、「どうしてあいつだけ優遇されるのか」と不平不満が生まれることがある。特別扱いをするときには力関係を明確にした上で、明らかに上と思われる選手を選ばなければいけない。
2014年の交流戦でヤクルトの山田哲人が首位打者になった。
ヤクルトの二塁手には実績のある田中浩康(現DeNA)もいるが、小川淳司監督は前年の途中から山田を起用し続けてきた。
山田は2011年にドラフト1位で入団し、その年は球団の方針で二軍のイースタンリーグで114試合全試合に出場した。
公式戦で一軍に上がることはなかったが、中日とのクライマックスシリーズ(CS)のファイナルステージに先発出場した。
同年のオフには彼からの要望に応じて、愛媛県松山市での自主トレに連れていくことになった。山田の潜在能力の高さは誰もが認めていたが、特別扱いには他の選手から不満が出てもおかしくはなかった。
だから何よりも心掛けたのは、山田には他の選手以上に厳しく接することだった。ノックの練習で少しでも緩慢なプレーを見せたときには、捕れないところに何球も続けて打球を打った。
翌年のシーズン中も何度も呼んで叱りつけた。やり過ぎだと思った選手もいたことだろう。
特定の選手にチャンスを多く与えるからには、周囲に「あいつなら仕方がない」と思わせる状況を作らなければならない。
コーチには周囲を納得させるだけの理由と厳しさが必要になる。そのバランスを見誤ると、組織は崩壊してしまうだろう。勝負の世界である以上、等しくチャンスを与えることが目標ではない。あくまでチームの勝利が目標だからだ。
洞察58部下は上司を観察している
ヤクルトに入団して3年目の1997年のことだ。ペナントレースが盛り上がる夏場に32打数連続で無安打と、全く打てなくなってしまった。
下位打線の8番が定位置だったとはいえ、2割8分あった打率は2割5分まで落ちた。
守備力を買われて試合に出してもらっていたが、その守備でも8月30日の中日戦(ナゴヤドーム)でエラーをしてしまった。
試合後には「これは先発メンバーを外されるかもしれないな」と覚悟していた。
「なんや、宮本は打てない上にエラーもするのか」案の定、当時の野村克也監督は翌日の先発メンバーから外そうとしていたという。打てない、守れないでは監督として当然の判断だった。
その時に進言してくれたのが、内野守備走塁コーチだった水谷新太郎さん(現ヤクルト二軍チーフ兼内野守備走塁コーチ)だった。
「まだ、エラーは(シーズンで)2個目です。守備はちゃんとやっているので、先発から外さないでください」もちろん、水谷さんから直接聞いたわけではない。
後日、チームの関係者から、人づてに耳にしたのだった。当時の野村監督といえば、チーム内では泣く子も黙るほど怖い存在だった。
一歩間違えれば、コーチとしての自分の立場が危うくなるかもしれない。こんな話を聞いて、選手が意気に感じないわけがなかった。
広岡達朗さんが現役時代の守備を絶賛していたという水谷さんは、ノックを打つのが非常にうまかった。守備練習は反復練習の側面が強い。難しい打球ばかりを捕る練習をしても、決してうまくはならない。
ゴロのバウンドにリズムを合わせることが重要なのだが、水谷さんの場合は、自然にバウンドが合うようにノックを打ってくれていた。数メートル先ではずませれば、最も良い形で捕球することができる。
力加減を計算しながら打っていたのだろう。守備練習では自然と良い癖が身に付いていった。水谷さんは背番号「6」を着けた先輩でもあった。
「宮本を何とか使い物にしよう」という思いは、選手の側にも伝わってきていた。少し話は変わるが、当時、同期入団の稲葉篤紀(現日本代表監督)とともにある日課があった。
遠征先での試合が終わると、バットを持って泊まっていたホテルの駐車場や部屋に集合するのだ。待っていたのは、松井優典ヘッドコーチだった。
「本拠地ではもちろん、遠征先でもバットを振ろう。1時間でも、2時間でも付き合ってやるぞ」息抜きに飲みに出かけるチームメートを横目に、毎日1時間近くバットを振るのだ。
端から見れば、異様な光景だったと思う。ようやく終わった後、慌てて食事に出かけていた。前回、コーチには特別扱いも必要と書いたが、これが松井さんの特別扱いだったのだろう。
正直、逃げ出したいと思うこともあったが、今思えば、あそこまでできるコーチは少ないかもしれない。選手の側もコーチを観察している。
コーチに情熱があるかないかは、敏感に感じ取っている。情熱を持って指導してくれるコーチに対しては、選手も応えようとするものだ。
洞察59名監督が持つ度量
部下に信頼される上司であるためには、部下の話を聞く耳を持つことである。
理想の上司のイメージランキングで上位にくることが多い星野仙一さん(現楽天球団副会長)とは、2008年の北京五輪で監督と主将の関係だった。
短い期間ではあったが、星野さんからは多くのことを学ばせてもらった。
「俺ら、こう見えても、聞く耳はあるから」主将に指名されてあいさつをしたとき、星野さんから最初にかけられた言葉だった。
北京五輪では投手コーチは前回大会のアテネ五輪から引き続いて大野豊さん、ヘッド兼打撃コーチは田淵幸一さん、守備走塁コーチは山本浩二さんが務めていた。
選手からすれば、いずれも年代の離れた名選手である。ともすれば選手側から意見が言い出しにくい環境になりがちだが、五輪のような短期決戦では致命傷になりかねない。そうならないよう、相談しやすい環境作りをされていた。
例えば、外出のルール作りだ。五輪の前年に行われたアジア予選は台湾で行われた。試合後には緊張からの解放感から、宿舎のホテルを出て外で食事をしたいと考える選手もいたと思う。
とはいえ、言葉の通じない場所で食事をしては、ドーピング違反に該当する食材を食べてしまうかもしれない。と同時に、何か一つの欲求を我慢すれば、最終的に良い結果が待っているのではないかという私自身の考えもあった。
主将として星野さんに「期間中は外出禁止にしましょう」と提案すると、「おまえが言うなら、それでいいんじゃないか」とすぐに認めてくれた。
聞く耳を持つという姿勢は、試合中も同じだった。選手の立場ではあったが、事前に「守備位置も含めて頼むぞ」と言われていたので、守備位置に関しても意見することがあった。
記憶に残るのはアジア予選の韓国戦だ。4対3と1点差に追い上げられた直後の八回二死二塁、投手は岩瀬仁紀(中日)という場面だった。
打者は右の強打者だが、勝負を懸けて前進守備の守備隊形を敷くべきだという思いがあった。岩瀬は低めへのボールが多く、制球が安定している投手だ。この日も低めへのボールが多かった。
対する打者は長打があるタイプとはいえ、岩瀬相手に外野手の頭を越える打球が飛ぶとは考えにくい。試合の展開の上でも、一度同点に追いつかれてしまうと、日本が厳しい状況に追い込まれるという考えがあった。
「外野を前に来させます」リスクを冒してでも、外野手を前進させる。私の判断に星野さんと山本さんは「おう」とうなずいた。外野手の前進守備はセオリーの一つではあるが、コーチ経験のない私の判断を信用してくれたわけだ。
結果はライナー性の打球でレフト前ヒットだった。
外野を前進させていたことで二塁走者は三塁を回ったところで止まることとなり、岩瀬が次の打者を見逃しの三振に抑えて逃げ切った。
今振り返ると、もし打球が左中間や右中間を抜けて逆転につながっていれば、私の責任となっていたかもしれない。
星野さんにはそうした責任を背負う度量があったわけだ。部下に任せて、万が一の場合には責任を取る。
星野さんの下で貴重な経験ができた。
「俺ら、こう見えても、聞く耳はあるから」主将に指名されてあいさつをしたとき、星野さんから最初にかけられた言葉だった。
洞察60相談者の利益より大局観を
人はさまざまな場面で決断を迫られる。誰もが最善の選択をしようとし、時には決断を下せずに悶々と頭を悩ませることもあるだろう。
決断力があるかどうかは、能力の一つということができる。決断の遅い人間というのは、周囲に迷惑をかけてしまうことになるからだ。
プロ野球の場合、選手の移籍を例に取れば分かりやすい。ある選手が移籍を決断するかどうかで、所属するチームにも、獲得を検討しているチームにも編成全体に影響が出てしまう。
彼が残ることで戦力外になる選手もいるだろう。決断に時間がかかる分だけ、周囲の対応が遅れてしまうわけだ。当然、決断の早さは周囲の評価にも関わる。
指導者といった組織の上に立つ立場の人間ほど、せっかちな性格が多いというのもうなずける。
物事を決断をする上では、親身になって考えてくれる理解者が近くにいれば、手助けになる場合も多いだろう。
とはいえ、当事者の考えに追従するだけの存在では、良き理解者ということはできない。
私自身、現役時代に一度だけフリーエージェント(FA)権を行使しての移籍が頭をよぎったことがあった。ショートからサードに守備位置がコンバートされた2008年のことだ。サードに新しい外国人選手を獲得しようと球団が動いているという話が耳に入ったことがきっかけだった。
ショートというポジションへのこだわりが強かったが、チーム全体のことを考えてサードへのコンバートを受け入れた直後だった。
40歳が目前となり、年齢的なことを考えれば仕方がない部分はあると理解していた。だが、起用するつもりがないのであれば、他球団へ移籍した方がいいと感情的になってしまったのである。
「チームを出ようかなと思っています」付き合いの長い知人に相談すると「ちょっと、待てよ」と即座に止められた。
「今は感情的になっているけれど、おまえはこれまでチームの中心選手としてやってきて、サードへのコンバートを受け入れた。それが『外国人選手が来るから出ます』では、これまでの行動を否定することになるんじゃないのか?」と言うのである。
「現役でいられるのは、長くてもあと数年。それならば、外国人選手と勝負しろ。勝負して負けたら現役を辞めればいいだけだし、逃げないで戦えよ」と言われたときには「それもそうだな」と考えた。
ベテランと呼ばれる立場になり、チームの若手選手に厳しいことを言う場面も多くなっていた。それが現役時代の晩年に自分のチーム内での立場が悪くなったからといって、他球団に移籍をする。それでは、これまでの価値観を否定することになってしまう。納得できる理由が提示されれば、決断を迷うことはなかった。
知人との会話の最後には「分かりました。残ります」と話していた。
結局、新しい外国人選手を獲得することはなかったのだが、あのときの判断は間違っていなかったと思っている。
私自身、何か相談を受けた際には相談者の利益よりも、物事を大局的に考えて助言するように心掛けている。
例えば、後輩選手が誰かと言い争っている場合、相手が悪い場合でも「今回はおまえが我慢して謝ればいい」と言ったこともある。
一方で今回頭を下げれば、後々まで響きそうな場合は「絶対に謝るな」と伝える。相談者の利益を優先すれば、結果的に不利益となることもある。
「相談してきたからといって、おまえに今だけ良いように考えようとは思わないぞ」というのが基本姿勢である。
洞察61兼任コーチの果たす役目
2009年から現役を引退するまで、兼任コーチを務めた。40歳が目前となり、若い選手から助言を求められる場面が増えていた。
グラウンド上で周囲の目を気にせずにアドバイスがしやすいようにと、球団と当時の高田繁監督(現DeNAゼネラルマネジャー)が兼任コーチという肩書きを付けてくれたのである。
兼任コーチになったとはいっても、あくまでも軸足を置いているのは選手の立場である。コーチとして、担当する分野が決められていたわけではなかった。
改めて説明すると、プロ野球のチームには投手コーチ、打撃コーチ、バッテリーコーチ、内野守備走塁コーチ、外野守備走塁コーチ、トレーニングコーチなど、部門別にコーチが存在している。
ビジネスマンの世界に置き換えるなら、トップの下で部下を束ねる各分野の中間管理職といったところだろうか。
そこでまず、兼任コーチになって決めたのが、コーチとして選手に話した内容は担当部門のコーチにも伝えるということだった。
兼任コーチとして担当する分野が決められていたわけではないので、守備はもちろん、バッティングや走塁の分野でも、若い選手にアドバイスを求められる機会があった。
求められれば、気付いた点は伝えるようにした。ところが、教わる側の選手からしてみれば、各部門の担当コーチがいるわけで、教える人間が2人いるということになる。
例えば、ある選手のスイングを見て「ヘッドの位置をこうした方が良い」とアドバイスをしたとする。一方で打撃を担当するコーチが、全く反対の指導をすることもあるだろう。
それでは、選手が困ってしまう。
「宮本さんはこう言ったのに、担当コーチは反対のことを言っている。どちらにすればいいのだろう」と頭を悩ます選手もいるだろう。
中にはそれぞれのコーチの機嫌を損ねないようにと、顔色ばかりをうかがって練習する選手も出てくるかもしれない。それでは本末転倒になってしまうし、継続的な指導はできない。
そこで、兼任コーチとして選手にアドバイスを求められたときには、選手に話した内容を担当コーチに伝えるようにした。
助言の内容を報告しておけば、担当コーチも「宮本が言ったから、こういった練習を続けているのだな」と納得してくれると考えたからである。
もう一つ、兼任コーチになったときに決めたのは、コーチ会議には参加をしないということだった。監督とコーチ陣で行うコーチ会議では、チームの方針や作戦が決められる。
シーズン中には選手の起用法や、一軍、二軍選手の昇格、降格も話し合われる。そのコーチ会議の場に選手である私がいては、不都合だと考えたからである。
選手がコーチ会議の場にいることで、監督やコーチの判断に影響を与える可能性がある。
あるいは私と全く同じ実力の選手のどちらかを二軍に降格させなければならないという状況になれば、自分から「宮本を二軍に落としましょう」と進言しなければならないだろう。
兼任コーチという存在がチームの足かせになることは避けなければならないと考えたのである。
洞察62変化する勇気を持て
若手を指導する上で、大切なことは何だろうか。その一つが、目の前の課題に対して根気強く取り組ませることだ。「この方法を続けていけば成功できる」というモチベーションを維持させることである。
前項で、2009年から現役を引退するまで兼任コーチを務めた経緯を書いた。兼任コーチとして若い選手を指導することになって痛感したのは、選手に根気強く取り組ませることの難しさだった。
小川淳司監督が就任した初年の2010年の秋季キャンプから、ある中堅選手を指導することになった。アマチュア球界から鳴り物入りで入団し、球団からは人間性も含めて将来の中心選手になれると期待をかけられていた。
ところが、プロでは期待されたほどの成績を残せずにいた。簡単に言えば、壁にぶつかっていたのである。彼のことは以前からかわいがっていたこともあって、兼任コーチとしてバッティングを指導することになった。
指導を始めるに当たって、小川監督には「つぶすことになっても良いでしょうか?」と聞きにいった。当時の彼は打撃フォームに技術的に明らかな欠点を抱えていた。
その欠点を直すためには、一度打撃フォームを壊す必要があった。その中で、彼本来の良さが消えてしまう可能性もあったからだ。
「もしかしたら、全然打てなくなるかもしれません。でも、あのままでは打てない。私に預けてもらえませんか」その日からマンツーマンでの指導を始めた。
シーズン中には全体練習の前に二人で室内練習場に向かい、バットを振り続けた。自分の練習の合間にはティー打撃のボールを上げた。
彼自身も何かを変えなければいけないと強く思っていたのだろう。文句を言わず、ひたむきに練習に取り組んでいた。
少しずつだが打撃フォームの欠点も改善され、翌年のシーズンの打率は前年に比べて上がり始めた。
ところが、指導する過程で直面したのが、少しでも結果が出なくなると、すぐに元の打撃フォームに戻してしまうという問題だった。数打席安打が出ない。それが数試合続くといった状況に置かれると、今取り組んでいる方法論が信じ切れない。
アマチュア時代に結果を残した以前の打撃フォームの方が良かったのではないかと疑ってしまうのだろう。
私がヤクルトに入団した当時の野村克也監督は「壁にぶつかったときには、変化する勇気を持て」という話を何度もされた。その言葉を借りるなら、変化し切れないのである。
そこで彼には、論理立てて根気強く話し続けることにした。教える側がいくら強制しても、本人がモチベーションを維持できなければ意味がない。一時的に選手をおだててやらせても、ろくな結果にはつながらないからである。
コーチングという点においては、指導する側もされる側も、即効性を求めてはいけない。一時的に結果が出たとしても、技術として身に付かなければやがて失われてしまうからだ。
大切なのはやはり、継続することなのである。指導する側もされる側も、即効性を求めてはいけない。一時的に結果が出たとしても、技術として身に付かなければ、やがて失われてしまうからだ。
洞察63予想外の飴と鞭?
「飴と鞭」という言葉がある。若手を指導する場合においては、優しく接する場面と厳しく接する場面を使い分けることの例えとして使われることが多い。
年の離れた若い選手とコミュニケーションを取る上では、モチベーションを維持できる環境を作ることも重要な要素である。
現役時代、グラウンド上では若手に厳しく接することが多かったが、一緒に食事に行ったときなどには冗談を言い合ったりすることもあった。時には若い選手と同じ目線に立って話すことも必要だと感じていたからだ。
中でも「飴」と呼べるかは分からないが、ベテランになってからは、若い投手が初勝利したときに腕時計を買ってプレゼントするようにしていた。
始めたのは、古田敦也さんが現役を引退した2007年頃からだった。
長くチームのリーダー的役割を務めた古田さんが引退したことで、今度は自分がチーム全体に目を配る必要が出てきていた。
当時のチームは世代交代に差しかかった時期で、投手陣には2006年の高校生ドラフト1位だった村中恭兵、2007年の同1位だった増渕竜義という若い投手が在籍していた。
二人は将来、先発ローテーションの軸になることが期待されていた投手だった。
そこで、村中と増渕に「初勝利したら時計を買うてやるから、おまえら頑張れよ」と声をかけたわけだ。
どうして腕時計だったかといえば、先輩たちから「男はいい時計を着けるべき」と教えられてきていたし、プロ野球選手として、時間を大切にしてもらいたいという思いもあったからだった。
村中は3年目の2008年、増渕は1年目の2007年に初勝利を挙げ、約束通りに数十万円する腕時計を購入して手渡すことができた。
2008年に高校生ドラフト1位で入団した由規にも、同じ年に初勝利した際に時計を手渡した。ここら辺までは良かったのだが、全く予想していなかったことが起こった。
いつの間にか、チームの若い選手たちの間で「初勝利すると、宮本さんが腕時計を買ってくれるらしい」という話が広まっていったのである。
村中や増渕、由規には腕時計を渡したのに、他の若い選手が初勝利したときには買わないというわけにもいかない。ポジションも投手だけというわけにもいかないので、野手に渡す機会も増えていった。
若手が初勝利や初本塁打するたびに、腕時計を買って手渡していた。これまで計算したことはないのだが、引退するまでに購入した腕時計の総額はかなりのものになっていたのではないだろうか。
思わぬことになった腕時計だが、うれしい出来事もあった。
2012年に通算2000本安打を打った試合の後、チームメートが記念として「ウブロ」のビッグバンカーボンという腕時計を準備してプレゼントしてくれたのだった。
全く予想していなかったことだったが、今でも大切に使わせてもらっている。
洞察64鉄は熱いうちに——部下を叱る鉄則
当たり前のことだが、部下や後輩を叱るのは難しい作業である。ビジネスマンの世界で上司に求められるマネジメント技術の一つが、叱る技術だという。
最近は「部下をどう叱っていいのか分からない」「頭ごなしに叱っても部下が理解しているのか自信がない」などと頭を悩ませている管理職も多いと聞く。
プロ野球の世界でも、若い選手が試合や練習でミスをしたときや、プレーがチームに悪影響を及ぼしていると判断した際には、注意をしなければならない場面が出てくる。
では、部下を叱るタイミングは、いつがベストなのだろうか。私が心掛けていたのが、なるべく指導するべきプレーが出たその瞬間、その場で注意をするということだった。
若い選手が試合中にミスをしたときには、ベンチに戻ってきた直後に「今のプレーは違うだろう」「別のアプローチをした方が良かったのではないか」と声をかける。
もちろん、試合中だから指導できる時間は限られている。
試合中に改善点を伝え切れなかった場合には、試合が終わってから補足して説明することになるわけだが、指導される側の若い選手にすれば「今のプレーは問題があったのだな」とその場で気付くことができる。
試合後に改善点を補足する際にも、試合中に一度注意されているので理解が早い。一方で、試合が終わってから時間に余裕を持った状況で注意をするという考え方もあるだろう。
だが、それではなぜミスをしてしまったのかを、ミスをした瞬間の考えや感情を伴って考えることが難しい。
指導される側が「そういえば、そんなこともあったな」と少しでも距離を置いて考えてしまう時点で、指導の効果が薄れてしまう。
現役時代を振り返れば、ヤクルトに入団した時の野村克也監督の指導法が、前者そのものだった。定位置をつかみかけた頃のことだ。
試合の勝敗を左右する大事な場面の打席で凡打した際には、ベンチに戻ってから野村監督の横に直立不動で立たされたことがあった。
打席では何の球種を狙っていたのか。その球種を狙う根拠は何だったのか。あの独特の低い声で問い詰められることになった。
時には味方の攻撃が終わり、守備につかなければいけなくなっても、野村監督の説教は終わらなかった。
周りにいたコーチが「監督、そろそろ攻守交代です」と声をかけてくれてようやく解放され、慌てて守備位置まで走ったこともあった。
ただ、そうして一度叱られた内容は、忘れることがなかったのである。もちろん、時代は変化している。現代の若者には、伸び伸びとプレーできる環境を整える方が向いているという側面がある。
若手を萎縮させてしまうから、その場では指導しない方が良いという考え方があるのは理解できる。ただ、その場で指導した方が本人の「気付き」につながるのは確かだろう。
叱ること自体が目的になってしまってはいけない。
わざわざ若手を萎縮させる必要はないが、萎縮した中でも力を出せるようになることが、本当の実力につながることも多い。
ビジネスマンの世界でも、同じことがいえるのではないだろうか。若手が間違った行為をした場合には、なるべくその場で指導した方が本人の気付きにつながりやすい。
やはり、「鉄は熱いうちに打て」なのである。叱ること自体が目的になってしまってはいけない。
わざわざ若手を萎縮させる必要はないが、萎縮した中でも力を出せるようになることが、本当の実力につながることも多い。
洞察65優しい父と厳しい母の存在
どんな時であっても、家族の存在というのは大きいものである。私自身、家族の支えがなければ、19年間も現役を続けることはできなかった。
妻や子供たちにはもちろん、丈夫な体に生んでくれた両親には感謝している。私が生まれ育った宮本家は優しい父と、厳しい母というバランスが絶妙に取れていた。
子供に対していつも優しかった父だが、現役時代に一度だけ、厳しい内容の手紙が届いたことがあった。プロ入りして4年目、1998年のシーズン中のことだった。当時はショートのレギュラーをつかんだ頃である。
野村克也監督には、毎日のように厳しい指導を受けていた。自分では精一杯プレーしていたつもりだったが、毎日野村監督から叱られ、次第に選手としての自信を失っていた。
ついに我慢し切れなくなったとき、実家の父親に電話をして愚痴を漏らしてしまった。「もう、嫌になってきた」数日後、電話口では黙って聞いていた父親から一通の手紙が届いていた。
「お前は一生懸命やっていると思うが、一生懸命やるというのは誰でも同じだろう。その上を行くのが、本当のプロなんじゃないのか」仕事に一生懸命取り組むのは、当たり前のこと。
それ以上何ができるかを考えて努力するのが、本当のプロとしての姿勢ではないのか——。
幼い頃から厳しいことは滅多に言わない父だっただけに、文面に込められた気持ちが伝わってきた。
プロ野球選手として、自分を恥じた瞬間でもあった。優しかった父親とは対照的に、母親は子供心にも怖い存在だった。
口癖は「やるからには一番になれ。泥棒になるんでも、やるからには一番にならんといかん」。
まさに大阪のおかんという感じだった。母らしいエピソードがある。少年野球では投手をしていたのだが、ある大会の準決勝と決勝の日、朝起きると39度の発熱があった。
病院に連れていかれ、母が医者に「この子は野球の試合があるから、注射を打ってくれ」と訴えたのだが、医師からは「この熱で野球をしたら、死ぬかもしれませんよ」とドクターストップがかかった。
ところが、母は頑として譲らなかった。
「マウンドで死ねたら、この子は本望です。私が責任を取ります」最後は医師も母の迫力に押され、解熱剤を注射してくれた。
結局、2試合とも完投して優勝することができたのだが、その日の夜は寝込んでしまった。厳しいばかりの母が、そのときばかりは優しく看病してくれたのを覚えている。
優しい父と厳しい母だったが、子供の夢を全力で応援してくれた。
シニアを卒団してPL学園高校に進みたいと考えたときには、体が小さかったことから周囲には反対する声もあった。「宮本がPLなんて10年早いわ」「甲子園に出たら、逆立ちして歩いたるわ」と言われたこともあったという。
そんなとき、両親は「未来の宮本慎也の夢を奪わないでください」と立ち向かってくれたという。あの両親の下で育っていなければ、今の私はなかった。
洞察66受け売りで始まる技術習得
上司は部下の専門分野に強くなければならない。
部下から質問を受けた際や、部下が壁にぶつかっているときには「それは、こうした方が良い。なぜなら、こういった理由があるからだ」と部下が納得する理由とともに解決策を示すことができるのが、本来の上司の姿といえるからだ。
プロ野球のコーチの仕事にも同じことがいえるだろう。
選手から技術的な改善点を質問されたときや、壁にぶつかっていると感じたときには、選手が納得する理由とともに方法論を示すことができなければならない。
コーチという仕事を全うするためには、担当する分野について勉強し、選手からのどんな問いかけにも答えられる知識を身に付けておきたいものだ。
ただ、時には質問の答えに窮する場面も出てくるだろう。野球はどれだけ突き詰めようとしても、全てを分かり切ったとはいえない競技である。
実際、私も現役を引退する間際になって、初めて気付かされることも多かった。
答えに窮する質問を受けた際、危険なのが「こう答えておけばいいのだろう」とその場をごまかすために曖昧な答えをすることである。
あるいは、上司としての体裁を守るために「なんだ、そんなことも分からないのか」と答えること自体を拒否するようになっては、指導者として失格である。
部下は上司が思っている以上に、上司の言動を観察している。その場をごまかすために答えていることや、体裁を守るために答えから逃げていることは、言外に伝わってしまう。
そんなことでは、選手との信頼関係を築くことはできない。
それよりは「申し訳ないが、今は分からない。いろんな人に話を聞いて勉強してみるから、少し時間をくれないか」と素直に認める指導者の方が信頼できる。
時には他人からの受け売りによって得た考えが、知識につながることも多いからだ。
ここで言う「受け売り」は、決して悪い意味ではない。「受け売り」という言葉を辞書で引くと、「他人の意見や考えなどを、そのまま自分の意見のように言うこと」と書いてある。
「あの上司の話は、本の受け売りばかりだ」「受け売りで中身がない」などと、とかくネガティブなイメージで使われることが多い言葉だが、技術を習得する上では受け売りから始まることも多いように思う。
現役時代にこんな経験をしたことがある。
ある年下の選手と打撃の話をしている際に「インサイドのボールは少しでもバットが出ていれば、カットしてファウルすることができる」と言ったことがあった。
その選手は驚いて聞いていたのだが、しばらくすると、同じ話を自分の意見として他の選手に話しているのを見て、驚いてしまった。
誤解してほしくないのだが、これは全く悪いことではない。むしろ、技術を習得する上で素晴らしいことである。私との会話にヒントを得て技術として身に付け、実感を得ていたのだろう。
実際、試合では素晴らしい成績を残していた。受け売りも平気な顔で話せるようになれれば、一流なのである。
「申し訳ないが、今は分からない。いろんな人に話を聞いて勉強してみるから、少し時間をくれないか」と素直に認める指導者の方が信頼できる。
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