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第6章アクノレッジメントで何が変わったのか

目次

コーチング研修

田中課長はその大柄な体をピクリとも動かさず、鋭い目つきを携えたまま、プロ・コーチの言葉にじっと耳を傾けていた。

「単にほめることだけがアクノレッジメントではありません。

部下に対して君を大事にしている、大切にしている、メンバーの一員として認めている、こうしたことを伝えるすべての行為、言葉がアクノレッジメントです」大橋がいっていた「存在を認める」というやつだな。

この手法を取り入れたことで大橋がうまくいったというのを思い出した田中課長は、それまで以上に自分の集中力が高まるのを感じた。

「結局人が動く時というのは、重要感、つまり、この人から重要な一人物として扱われている、それなら一肌脱ごうと強く思った時だと思います。みなさんも顧客を接待しますよね。

男性が女性を口説こうと思えば、やっぱり何らかの形で接待しますよね。部下も同じだと思いませんか。本気で動かしたいなら、部下を接待するんです。

接待という言葉はネガティブな意味でとらえられることもあるかもしれませんが、大切にしていますよと改めて伝えることが接待だというふうに考えてください」

部下を接待?そんなふうには考えてもみなかった。そこまでしなければいけないのか、という想いと、そこまですれば確かに何かが変わるのかもしれないなとの相反する想いが交錯した。

「何か質問やコメントはありますか?」同期入社の佐藤課長が手をあげた。「この研修は私たちの上司に受けてもらいたいですね」そこかしこから笑いがこぼれた。

確かにそのとおりだな、と田中課長は思った。自分が上司からほめられたのなんて、いつが最後だっただろう。

部下という立場にたってみれば、確かにもう少し、上司が自分にこのアクノレッジメントというのをしてくれたら、もっと働きやすくなるだろう。

厳しい経営環境の中で、毎月毎月営業目標が未達なのを、ただ「何でなんだ」と責められても、追い込まれていくだけで、そこから新しい解決策はなかなか出てくるものではない。

「でもほめてばっかりいたら、部下がつけあがりませんか」最近課長に昇進したばかりの杉山課長が挑むような声で発言した。

「何でもない時にほめればその可能性もあると思います。基本的には何か約束をして、その約束を果たした時にほめるのが良いと思います。

それは、売上を達成した時などだけではなくて、少し急ぎの仕事をこなしてくれたとか、チームの飲み会を企画運営してくれたなんていう、上司がほめるという行為の対象として見逃しがちなものも入るかもしれません」

「それから、ただ何でもいえばほめることになるかというと、そんなことはありません。ある人にとっては心地良く感じるほめ言葉が、別の人にとってはそうでもないということもありますから。相手がどんな言葉を聞きたいと思っているのか、考える必要があります」

田中課長はふと、今年で中学二年になる息子のことを考えた。

自分のゴルフ好きが高じて、息子が小学校の高学年の時からゴルフを習わせている。週末はいっしょにラウンドすることも珍しくないが、最近はついきつく指導してしまい、重苦しい雰囲気になることが続いていた。

怒ることが逆に息子にプレッシャーを与えてしまうと頭でわかっていても、ついこちらが期待するスピードで上達しない息子に雷を落としてしまうのだ。

先々週の日曜日も、前々からの課題であるアプローチショットでミスを連発した息子に、「どうして何度もいっているのにわからないんだ」とどなってしまった。

いつもはうつむくだけの息子が、この日は「もう、ゴルフなんかやりたくない!」といい返してきた。それがずっと気になっていた。息子が今いちばん聞きたいほめ言葉は何だろうか。

田中課長はほんの少し息子の視点から世界を見始めている自分に気が付いていた。プロ・コーチの話は終盤に差しかかっているようだった。

「アクノレッジメントは、いってみれば生き方ですから。二種類の人しかいないんですよ。すきあらば人のアクノレッジメントをしようと思って生きている人と、いつ自分はアクノレッジメントされるんだろうとずっと待っている人と」

田中課長は頭を後ろから殴られた思いがした。視界がその瞬間さっと晴れわたるのが感じられた。生き方か。確かに自分は後者だな。

〈ケース1〉山中君に対する働きかけ

その翌日、会社に向かう電車の中で、研修の最後に出た課題のことを振り返っていた。

「二人の部下を選び、とにかく二週間徹底的にアクノレッジメントしてみてください」二週間後にはフォロー研修があり、その結果について発表することになっている。何もしないわけにはいかない。

しかし改めてアクノレッジメントをすると思うと、多少身構えてしまう気もする。果たして自分にできるだろうか。一方で、何とか沈滞した課のムードを変えたいという想いも強くあった。研修というと通常、打ち上げ花火で終わることが多い。

つまりその時はなるほどと思うことが多くても、いざ現場に帰るとそうした意識が薄れ、いつもと同じようにふるまってしまう。

今回はフォロー研修もあるし、まな板の鯉のつもりになって、とりあえず課題をこなしてみるのも悪くないな。

そんなことを考えているうちに、電車はいつもの駅に到着した。五〇人近くは入るであろう大きなそのオフィスには、まだまばらの人影しかなかった。

田中課長以外、課にはまだ誰も来ていなかった。がらんと空いた机を前にして、ほんのちょっとだけ気分が高まるのを感じた。ほどなくして二、三人の社員と共に田中課長の部下である山中君が入ってきた。

アクノレッジメントの対象に選んだ一人である。山中君は入社して八年目。そつなく仕事をこなす器用さはあるが、何としてでも目標を達成してやろうというような貪欲さがない。

そろそろ中堅と呼ばれる年代であり、周りに対する影響力をもっと持ってほしいが、自分の仕事以外に自発的に関与しようとはしない。

田中課長は幾度となく彼にもっとリーダーシップを発揮してほしいと説いてきたが、そのたびに「がんばります」という判で押したような言葉が返ってくるだけで、一向に行動が変わる様子は見られなかった。

研修中に山中君のことに関してプロ・コーチと交わした会話が蘇ってきた。

「田中さんと山中さんの間でどういうことが起こっているかは大体わかりました。ところで、田中さんは山中さんのタイプは何だと思いますか」

「多分アナライザーだと思います」

「そうですね。話を聞きながら私も山中さんはアナライザーなんだろうなと思っていました。田中さんは山中さんに声をかける時は、どんなふうにされてますか?」

「声をかける時ですか……最近どう?とかっていってますね」

「声をかけること自体は良いことですが、『どう?』と漠然と聞くのはアナライザーに対してはあまり良くないですね。山中さんの反応はどうですか?」

「あんまりぱっとしないですね。一瞬沈黙が流れて、何がですか?と素っ気のない応答が返ってきます」

「そうすると田中さんは何と切り返すんですか?」

「『何がって営業だよ、営業、どうなってんだ』って、すぐいらいらしちゃうんですよね」

「田中さんはコントローラーですからね。コントローラーは即答が返ってこないと、いらついてしまう傾向があります。少し待つ練習が必要ですね。それから、アナライザーは間口の広い質問をされることをあまり好まないんですね」

「間口の広い質問?」

「ええ。『どう?』というような。なぜかというと、アナライザーは常に話をする時は自分の考えや意見を正確に伝えたいと思う傾向があります。

ですから、『どう?』という間口の広い質問をされると、どこから始めてどこで終わらせれば正確に伝えたことになるのかというシミュレーションがつかないために、軽い混乱が起こります。

アナライザーにとって『どう?』と問いかけられるのは、ある意味で朝起きがけに牛丼を食べさせられるくらい苦しいことなんですよ」

「朝から牛丼ですか。それは嫌ですよね……」

「そうですね。アナライザーに質問する時はなるべく間口を狭く、何を聞いているのかがわかるようにしたいですね。それから山中さんをほめてますか?」

「ほとんどほめないですね。いや、前はやっぱりほめたほうがいいかなと思って、何回かいってみたんですけど、特に喜んだふうもなくて。それどころか、何でそんなこというんだみたいな顔もされたので」

「どんなふうにほめたんですか?」

「ええっと、『すごいね』とか『よくやってるな』とか」

「それでは向こうは喜ばないですね」

「そうなんですか」

「ええ、アナライザーに接する基本は理由と具体性です。漠然としたほめ方をすると、かえってこの人わかってないんじゃないか、みたいに思われてしまいます。ですから、何をほめているのか具体的にわかるようにしたいですね。

それからアナライザーは自分がこう、何ていうかマニアックにやっていることを認められるとうれしいんですね。専門性を認知されたいんです。ですから他の人はちょっとやっていないようなことを承認されると、とても強く動機付くはずですよ」

田中課長は周りに気づかれないように一回深く息を吐いた。

そして、いつもよりも少し大きめの声で山中君に声をかけた。

「おはよう。いつも早いな」。

山中君は一瞬驚いたような顔をして田中課長を見た。

「おはようございます」。

「昨日A社に訪問することになってたんだったよな。どうだった、向こうの反応は?」

「ええ、新商品のご案内に行ったんですが、向こうの部長さんもけっこう興味を持ってくれたようでした」

「そうか、良かったな。あの商品はまだ市場がどんな反応を返すのかつかみきれてないところがあるんだけど、きっと君の説明が良かったんだろ。どんなふうに説明したんだ?」

「えっと、そうですねえ……」。

田中課長から営業について聞かれる時は、いつも結果がどうかということだけだった。それが今日はどこが良かったのかと尋ねてくる。山中君は一瞬戸惑いながらも答えた。

「今までの商品と何が違うのかをわかりやすく表にまとめてみたんですよ。で、相手の会社にとって特にメリットとなるような差異のところは太字にして、導入後どこが変わるのかが一目瞭然でわかるようにしました」

「いいアイデアだな、それ。他の営業の人間にも共有してもらえるといいな。今日午後会議やるだろ。そん時に、こういうやり方もあるぞって、発表するか」

「ええ、構いませんけど」

「じゃあ、そうしよう。あとクロージングに向けて何かサポートできることがあったらいってくれな」

机のパソコンに視線を戻す課長を見ながら、山中君の頭の中にはいくつもの「?」が浮かんでいた。

「そういえば、課長確かコーチングとかいう研修に出るっていってたな。それで対応が違うのか。でも最初だけだろうな、こういうのはだいたい長く続かないからな」。

課の会議

午後の会議の席上で一五人の課のメンバーを前に田中課長は切り出した。

「今日の会議はいつもなら受注の読みについて聞かせてもらう会議なんだけど、今日は、ちょっと他のことに時間を使いたいと思ってるんだ。

今、営業していてどんなところに行き詰まりや問題点を感じているのかを一人ひとりから出してもらって、それはどんなふうに解決できるかということについて、みんなで考えたいと思っている」いつもの会議かと思っていた一五人は、いったい何が始まるんだという表情で田中課長を見つめた。

田中課長はそのまま続けた。

「たまたま今朝山中君と話した時に、新商品の営業方法について聞いてみたんだ。そしたら結構いい資料を作ってるんだよね。あとで山中君からちょっと話してもらおうと思ってるけど、そういうことは他にもずいぶんあるんじゃないかと思うんだ。

もちろんすぐに答えがでないこともあると思うけど、それは継続して考えていけばいいわけだし。いずれにしてもお互いがお互いのノウハウを共有して、一歩でも二歩でも前に進みたいと思っている。よし、それじゃあ、誰からでもいいからいってくれないか」沈黙が流れた。

一〇秒、二〇秒……。田中課長にはとてつもなく長い時間に感じられた。誰かを指名してしまおうと思ったが、ぐっとこらえた。……三〇秒、ついに水沼係長が口を開いた。

「いちばんの問題は内勤作業が多いことだと思うんですよ。顧客数もうちの課は他の課以上に多いですから、請求業務だけでも非常に時間がかかる。

それに加えて、やれマーケティング調査をしろだとか、やれ取締役会用の資料を作れとか、これでは外に営業に行く時間がどんどん少なくなってしまいます」

「確かに最近内向きの仕事は増えてるな。その中で数字をあげなければならないわけだから、相当なチャレンジであることは確かだと思うよ。

ただ、そうした資料の作成は会社の戦略上どうしても必要なことだから、うちの課だけがやらないわけにはいかないだろう。

とすると、どうすればもっと内勤作業を効率的に進めることができるのか、みんなで知恵を絞って考える必要があるな。

誰か、自分はこんなふうに工夫して時間の捻出に成功しているという人はいないか」入社五年目の白井君が手をあげた。

「やっぱり朝早く来るとか、夜遅くまで残るとか、そうなっちゃいますよね。でも最近は残業規制もあるし、その中でやっていくのは相当のストレスですね」山中君が続いた。

「僕は基本的にはそういう資料作りは好きじゃないんですよ。だから営業事務の女性にとにかく任せるようにしてます。最初教えるのは大変だし、手間がかかるんですが、それを乗り越えると、ずっと自分が楽になります。多分他の方よりも事務の人に任せている量は多いんじゃないかな」

「なるほど、そうだったのか。そうしたら特にどういうポイントを教えておくと任せやすくなるのか聞かせてくれないか」山中君がどうすれば営業事務により多くの仕事を振れるようになるのか話しているのを聞きながら田中課長は思った。

「こいつ、けっこういろいろやってるんだな」。

会議は二時間に及んだ。

それぞれが思いの丈をすべてぶつけたかというと、必ずしもそうではなかった。

そんなこと、ここでいっても解決になんかならないだろう、とあからさまに顔に出しているスタッフもいた。

問題点について話してはいるものの、内容が抽象的で、その場をとりつくろうためにとりあえずいっているという感じのスタッフもいた。

しかし、全体的に見ればそこそこ満足のいく会議だった。少なくともいくつかの課題に対しては解決案が出され、それを試行することが決定された。

今後、こうした単なる営業報告会ではない、問題点を出し合ってその解決策について模索するミーティングを週に一回持つことが確認され、会議は終わった。

自分の席に戻り、ところどころポイントをメモした自分のノートに目を落としながら、田中課長は先ほどの会議について思い返していた。

いつもなら問題点が出されれば即座に自分が答えを出し、その実行を指示していた。

アクノレッジメントという観点からすれば、一人ひとりの提案やアイデアを価値のあるものとして扱うのは意味があることかもしれないが、中にはあまり効果的でないと思われる提案もあった。

しかし会議に臨む前に、今回はとにかくどんな意見も否定しないで受けとめると決めて臨んだこともあって、そうした提案にも、ついやってみるかと承認を与えてしまった。

果たしてそれで良かったのだろうか。

スピードが要求される昨今の環境の中で、やはり最適と思われるアドバイスを自分が下してしまったほうが良かったのではないだろうか。

そして何よりも、急に違ったコミュニケーションのスタイルを取っている自分を、課員はいぶかしく思ってはいないだろうか。

会議中の予想だにしなかった気分の昂揚とは裏腹に、そんな迷いが田中課長の中には渦巻いていた。研修にいっしょに参加した他のメンバーは、今ごろどんな思いで仕事に臨んでいるのだろうか。

新しいコミュニケーションを積極的に試しているだろうか。あいつは結構やってるだろうな。あいつはやってもなかなかうまくいかないタイプだな。

あいつは頑として自分のやり方を変えないな……。そんなことを考えていたら、二週間後に控えた電話会議が妙に待ち遠しいものに思えた。

〈ケース2〉岡本主任の場合

夕方近くなって、もう一人アクノレッジメントの対象にあげた岡本主任が帰社した。主任といっても歳は田中課長よりも三つ上になる。

岡本主任は優秀な営業マンで、目標はほぼ毎四半期達成している。

そうした意味では頼れる営業マンなのだが、一方で長年付き合いのある数社の顧客に収益源が依存しているという問題がある。

営業本部全体として、これから五年一〇年先を見越して、新規顧客の割合を三年間で二〇%引きあげるという目標を掲げているが、それについては我関せずで協力する素振りを一向に見せない。

田中課長としてはかつての先輩ということもあり、対応に苦慮していた。岡本主任に関しては、研修中に参加者とペアを組み、お互いにコーチングをしあう中で対処方法を考えた。

山中君の時のようにその会話を自分の中で反芻してみた。

「田中さん、その岡本さんて人は、タイプはコントローラーじゃないの」「なんでわかるの?」「だって、このテキストに書いてあることが全部当てはまるじゃない。

人からいわれることが嫌いで、物いいが単刀直入で、人を寄せ付けない印象があって。で、田中さんもコントローラーでしょ。コントローラー同士は気を付けないとぶつかりやすいみたいだね」

「無意識の内に結構張りあってる気はするよね。僕もコントロールされたくないほうだから、先にコントロールするように仕かけるみたいな。どうするのがいいのかな?」

「田中さん自身コントローラー傾向が強いわけだからさ、田中さんが彼の立場だったらどうしてほしいかって考えてみたらいいんじゃない。

自分より年下の人間が上司でさ、受注目標は達成してるのに、会社からはそれじゃだめだ、新規を取れ、といわれる。自分だったらどんなふうに思う?」

「やっぱり面白くないよね」

「そんな時、上司にはどうしてほしいと思う?」

「ん~、そうだね……新規を取るのはいやではないと思うんだよね。もともとコントローラーは狩猟型の人間が多いと思うし、目標達成志向だから。ただ自分の実績や自分自身を認めていない人からこうしろっていわれても、何いってるんだって思うよな。

一言『任せるから』とかいってもらえればすごくやる気になるだろうね。それで後は、四の五のいわずに見ててくれる。それこそが信頼の証って考えるよね」

「いいじゃない、それ。任せるからっていってみたら」「いや~、それはちょっとなあ……」「これから先ずっとうまくいかないのと、一瞬ちょっといやな思いをするのとどっちがいいかっていったら、答えは決まってるだろ。うまくいかなくてもともとじゃない」

「そうだなあ……じゃあ、いってみるか。だまされたと思って。何か、打開策が見つかってほっとしたよ。なかなかコーチングうまいじゃない」

「自分のこととなるとまた話は別だけどな」研修の時、いったんは「任せる」というと心に決めたものの、実際に岡本主任を前にすると、それが想像以上に「重い」言葉として迫ってきた。

長い間友だちでいた女性に、「好きだから付き合ってほしい」と告げる時のような気持ちだなと田中課長は思った。

「何を今さら」みたいな顔をされるかもしれないし、何か企んでるんじゃないかと思われるかもしれない。今日はやめて明日にするかと思いかけた時、岡本主任が話しかけてきた。

「課長、B社の件ですが、値引き要請を受けてましてね。ボリュームによっては五%ぐらいまけてもいいんじゃないかと思ってるんですが、よろしいでしょうか?」

よろしいでしょうか?といいながらもそれを認めてしかるべきだとの強い調子に、一瞬抵抗感を覚えたものの、その抵抗感を上から覆い隠すかのように「任せる」という三文字が頭の中でフラッシュした。

「B社は基本的に岡本さんに任せてますから、それでお願いします。ただ利益目標の管理だけはお願いしますね」岡本主任は一瞬何が起こったのかわからないような顔をした。

そして「ええ、それはわかってます」と短く言葉を返して席に帰っていった。

席に戻ってからしばらく岡本主任の中で「任せてますから」という言葉が繰り返し流れた。田中課長との間でこちらの意見がすんなり通ることは珍しかった。

何か肩透かしを食らわされたような気がする反面、久しぶりにすがすがしさを感じた。一方、田中課長の中でも同じ言葉がリフレインしていた。「任せてますから」。体の芯がほんの少し熱くなるような気がした。

息子との会話

その週の土曜日、田中課長は息子と三週間ぶりのゴルフにでかけた。

前回の息子の「ゴルフなんかやりたくない」という言葉は、この一週間息子の顔を見るたびに田中課長の頭の中に浮かんだ。

そのことをどう思っているのか、聞きたい欲求にかられたが、なかなか切り出すことができなかった。前の晩、田中課長は息子にインターネット上でタイプ分けの診断テストをやらせてみた。

「会社の研修でやったんだけど、人にはある程度タイプっていうのがあるらしいよ」

「血液型みたいなやつ?」

「四つのタイプに分けるところは共通してるけどな。ほらお父さんには部下がいるだろ。その部下のタイプを考えないでコミュニケーションを取るとまずいって話なんだよ」

「へえ~。じゃあ友だちと付き合う時も気を付けるといいのかな」

「多少はあるかもしれないな。ちょっとお前もやってみるか。インターネットでできるらしいから」息子のタイプはサポーターだった。

まさしくあいつはサポーターだな、そう田中課長は思った。多くの友達から好かれていて決して敵を作らない。

コントローラーからすると優柔不断と見えることもあるが、逆にいえば周りの意見や考えをいつも視野に入れていて、独善的に物事を進めることがない。

研修でプロ・コーチが話していた、コントローラーの上司とサポーターの部下との間で起こる典型的な問題についての一節が蘇ってきた。

「サポーターは結果だけでなく、結果に至るプロセスや努力にも承認を与えてほしいと思っています。

『よくやってるね』『ありがとう』『助かるよ』、そうした言葉を頻繁に聞きたいのがサポーターです。

ところが、コントローラーはサポーターに仕事を振った際に、サポーターが期待するほどは頻繁に承認を与えない。

コントローラー自身は目標を達成した時だけ承認を受ければそれで良いと思っていますからね。

そうするとサポーターの中にどんどんフラストレーションがたまってくるわけです」

「サポーターの能力を一二〇%引き出すためには、とにかく頻繁に行動を承認することです。それで良い、それで良いと。図に乗る心配なんてサポーターにはしなくていいんです。でないとある時たまったマグマが一気に爆発、なんてことになりかねませんから」

上司と部下の間だけのことではないなと、田中課長は思った。この前の息子の自分に対する反抗は、まだ小規模の爆発であったはずだ。

「大きな噴火にいたる前に何とかしないとな」。

息子のタイプ分け診断を見ながら、田中課長は一人つぶやいた。

今日は怒らない、とにかく良いところを見つけてほめる──田中課長は一番ホールに向かって歩きながら、自分に何度かいい聞かせていた。

三番のミドルホール。息子の第二打はグリーンの右横の、下向きの傾斜に落ちた。

傾斜はかなり急で、またグリーンは左下がりになっているため、グリーンの端ぎりぎりの地点に高いところから真下に落ちるようなボールを打たないと、ボールはピンに近づかない。

少しでも強く低い放物線のボールを打ってしまうと、ボールはピンの逆側に転がり出てしまう。かなり難しいショットである。息子は前回アプローチで怒られたこともあり、かなり緊張しているように見えた。

田中課長は思わず声をかけた。

「これは結構難しいショットだよな。うまく行かなくても全然問題ないよ。失敗したらさ、後ろもまだ来てないし、何回か練習してみようよ。気楽に打ってみて」

不思議なものでも見るかのように息子は一瞬田中課長のほうを見た。そして小さく頷いて、またボールに眼を戻した。顔から緊張の色が消えていた。

息子の打ったボールは、ここしかないという位置に落ち、そしてピンの手前四〇センチぐらいのところで止まった。

「ナイスショット!!」。

田中課長は満面の笑みを浮かべてこぶしを空高く突き上げた。

「なかなかあの位置に落とせないぞ、あのボールは。うまく打ったなあ」。

息子も少し照れくさそうな顔をしながら右手でガッツポーズを作った。

「お父さんからほめられるとうれしいね。たまにはほめてよ」「鬼コーチはやめたんだ。これから良いところはバンバンほめるからな。でもいい加減な練習するといつでも叱り飛ばすからな」

いつになく息子とのゴルフが楽しいな、田中課長はそう思った。

コーチとの対話

フォロー研修を一〇分後に控え、田中課長はこの二週間のことを振り返っていた。アクノレッジメントに対する意識の集中をいつも感じたかというと、決してそうではなかった。

自分が忙しい時に要領を得ない説明をされたりすると、厳しい言葉を返してしまうこともままあった。顧客への対応の悪さを頭ごなしに指摘したこともあった。

しかし、トータルで見ると、それまでとは比べ物にならないくらいの多くのアクノレッジメントを部下に伝えたという自負があった。

宿題をきちんとやってそれを発表することをわくわくしながら待っている子どものような気分だな、そう田中課長は思った。

フォロー研修は、電話回線上でプロ・コーチや他の研修参加者と会話するシステムになっている。開始時間の一分前にアクセスすると、プロ・コーチの声が聞こえてきた。

「おはようございます。お名前をどうぞ」

「おはようございます。田中です」

「あっ、田中さんお久しぶりです。何か声の調子がアップテンポでいいですね」

「ええ、けっこうこの電話会議楽しみにしてたんで」

「そうですか、田中さんにそんなふうにいっていただけるとうれしいですね。これからみなさん電話会議に入ってこられると思いますので、少々お待ちいただけますか」

ピーッという発信音が次々に聞こえ、いっしょに研修に参加した課長たちが電話会議に入ってきた。

朝の八時という時間のわりには、みんな一様に声の調子が明るかった。五人揃ったところで、プロ・コーチが切り出した。

「まずは、二週間ご苦労様でした。きっとこの二週間いろいろなことを試されたと思います。うまくいったこともあるでしょうし、うまくいかなかったこともあると思います。もしうまくいかなかったことがあれば、それはどんなふうに改善できるのか、この場でコーチングしていきたいと思います。

では、どなたからでも結構ですから、アクノレッジメントを二人の部下に試してみてどんなことがあったのか、かいつまんで教えてください」

「はい、じゃあ佐藤からいきます」

「佐藤さんどうぞ」

「一人プロモーターの部下がいるんですけど、彼に集中的にアクノレッジしてみました。プロモーターはほめ言葉に質を要求しない、何をいわれてもとにかく木に登ると聞きましたので、それこそだまされたと思って、仕事ぶり、スーツ、企画書、いろんなものをとにかくたくさんほめました。

正直驚きました。本当に満面の笑みを浮かべて喜ぶんで。昨日も普段は営業レポートをいちばん遅く出すやつが、いちばん先に持ってきたりして。こんなに簡単だったらもっと前からほめておくべきでした」

「佐藤さん、だからいったじゃないですか。プロモーターはスポットライトに弱いって」「いや~、やってみるもんですね」「ぜひ継続してやってみてくださいね。では、次の方お願いできますか」「はい、じゃあ田中いきます」「あっ、田中さんお願いします」田中課長はこの二週間で取った行動を簡潔に話していった。

山中君のこと、会議のこと、岡本主任のこと、そして息子とのゴルフのこと。

そして最後にこう付け加えた。

「研修の時に聞いた、この世の中には二種類の人がいる。一方はすきあらばアクノレッジメントしようとしている人で、もう一方はアクノレッジメントされることを待ってる人だ、という話がものすごく印象に残りましてね。

結局部下の前で偉そうにふるまいながら、どこかで自分がアクノレッジされたかったんだなって思いました。

自分がそうされたいんなら、まず部下をアクノレッジしなきゃいけないと強く思ったんですよね」「自分の言葉をそんなふうに受け止めてくれて、とてもうれしいですね。

実は、私自身が、このコーチングというのを始めて、いちばん良かったなと思うのがそれなんです。

私も昔はどちらかというと、誰か自分のことをアクノレッジしてくれないかなとずっと待っていました。

でもコーチングに触れて、相手からアクノレッジされる前に、まず自分から相手をアクノレッジしようと思うようになった。

その結果手に入れたのは、人に対する恐れが前よりもずっと少なくなったということなんです。

昔は人前で話をしていても、ちょっとした人の表情の変化に影響を受けたものですが、最近それがとても少なくなりました。

この違いは大きいなって思うんですね。人に影響されなくなったから、前以上に人が見える。だから相手に対してさらに多様なアクノレッジメントを伝えることができる。好循環ですよね。

もっとお互いがお互いをアクノレッジするようになれば、きっと日本の会社はもっと居心地の良い、それでいて生産性の高い場所になると思うんですけどね」「そうですね」。答えながら、田中課長は自分のもやもやが晴れていくのを感じていた。

鈴木義幸(すずきよしゆき)株式会社コーチ・エィ取締役社長。

慶應義塾大学文学部を卒業後、株式会社マッキャンエリクソン博報堂(現、マッキャンエリクソン)勤務を経て渡米。

ミドルテネシー州立大学大学院臨床心理学専攻修士課程を修了し、テネシー州立女子刑務所で女囚の行動変容プログラムのファシリテーターを務める。

帰国後、1997年のコーチ・トゥエンティワンの設立に参画し、コーチ・エィ設立と共に副社長に就任、2007年より現職。

著書には『コーチングが人を活かす』『図解コーチングスキル』(以上、ディスカバー)、『セルフトーク・マネジメントのすすめ』(日本実業出版社)などがある。

【コーチ・エィのURL】http://www.coacha.com/

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