第6章つきあい──対人関係のマインドセット対人関係の能力とは?/恋愛こそマインドセットしだいで変わる!?/すべてを相手のせいにしてしまう人たち/夫婦関係や友だちづきあいから成長する/内気なマインドセット/いじめと復讐
第6章つきあい──対人関係のマインドセット「まことの恋が平穏無事に進んだためしはない」──。
これはシェークスピア劇の名台詞だが、そもそもまことの恋を見つけることからして容易ではない。
恋の道は艱難辛苦の連続だ。
それにこりて、幸せな関係を求めるのを止めてしまう人もいる。
その一方で、心の傷を癒して新たな恋に向かう人もいる。
その違いはいったいどこにあるのだろう。
それを解明すべく、100名以上の人々につらかった失恋体験を語ってもらった。
初めてニューヨークにやって来たときは、信じられないほど寂しかった。
知っている人は1人もいないし、自分はよそ者なんだって痛いほど感じました。
みじめな気持ちで1年ほど暮らした頃、ジャックと出会ったんです。
会った瞬間に、この人だ、と思いました。
というか、もうずっと前からお互いによく知っているような気がしました。
それからまもなく一緒に暮らすようになって、何をするのも一緒。
私はずっと一緒に暮らすつもりだったし、彼もそう言ってました。
2年間は本当に幸せでした。
ある日、家に帰ると書き置きがあったんです。
もうここにはいられない。
探さないでほしいって、ただそれだけ。
それからずっと連絡がありません。
電話が鳴ると今でも、ひょっとして彼かな、と思ってしまいます。
これと似たような話をしてくれた人が、どちらのマインドセットにも大勢いた。
失恋の痛手はだれにでも経験がある。
けれども、それにどう対処したかは、人によってまちまちだった。
失恋体験を語ってもらった後で、次のような質問をした。
その体験はあなたにとってどんな意味を持つものでしたか。
それにどう対処しましたか。
どうしたいと思いましたか。
硬直マインドセットの人たちは、相手に拒絶されると、自分を否定されたように感じた。
消えないインクで、額に「魅力なし」と書かれたような!そして激しい憤りを感じた。
硬直マインドセットの人には、受けた傷を癒す手立てがない。
だから、自分を苦しめた相手に痛手を負わせてやりたいと念じることしかできない。
先ほどの体験を語ったリディアも、激しい恨みをずっと抱き続けたという。
「仕返ししてやりたい。
できることなら、痛い目にあわせてやりたい。
それが当然の報いだもの」硬直マインドセットの人たちが望んだのは、とにかく復讐すること。
ある男性はこう語った。
「彼女はぼくの価値を奪い去っていった。
どうやって償ってもらおうか、1日たりと考えなかった日はない」。
この研究に参加してくれた私の友人が、離婚体験について語ったときの言葉が印象に残っている。
「私が幸せになるか、彼が不幸になるか、ふたつにひとつしかないとしたら、当然、彼に不幸になってもらうわ」「復讐は甘美なり」という箴言の作者、つまり復讐することで救われると思っていたその人は、硬直マインドセットだったに違いない。
しなやかマインドセットの人は復讐を好まない。
同じようにつらい失恋体験をしても、その後の対処の仕方がまるで違っていた。
しなやかマインドセットの人たちは、相手を理解して、許し、そして前向きに進もうとした。
深く傷ついてもそこから何かを学びとろうとした。
「彼女とあんな結末を迎えたことで、コミュニケーションの大切さを痛感した。
それまでは愛さえあれば何でも解決すると思っていたが、関係を育てていく努力が必要なことに気づいた」。
この男性はさらに「どんな相手とならばうまくいきそうかもわかってきた。
人とのつきあいはすべて、自分にふさわしい相手を知るのに役立つと思う」と語った。
フランスに「すべてを理解することは、すべてを許すことなり」ということわざがある。
すべてを許すなんてもちろん無理だが、相手を恨んでいるかぎり、新たな一歩を踏みだすことはできない。
しなやかマインドセットの人たちがまずしようとしたのは、相手を許すことだ。
ある女性はこう語った。
「私は聖人じゃないけれど、心の平穏を得るには、あの人を許して忘れるしかないと思った。
彼にはひどいことをされたけれど、過去にばかりこだわっていたら、これからの人生が台無しになってしまう。
そう思って、ある日やっとこう祈れるようになった。
『彼にも私にも幸せが訪れますように』と」マインドセットがしなやかな人たちは、自分を完全に否定されたとは感じなかった。
だから、お互いのためになること、将来もっと良い関係を築いていくのに役立つことをそこから学ぼうとした。
過去にとらわれずに、未来を大切にするすべを心得ていた。
いとこのキャシーは、しなやかマインドセットの典型だといってよい。
数年前、23年間連れ添った夫が家を出て行ってしまった。
その直後に、事故に遭って脚を怪我する。
まさに踏んだり蹴ったりだったのだが、ある土曜の晩、ひとりぼっちの家の中で考えた。
「ここに座って自己憐憫にひたっていてどうなるの!」(この言葉はしなやかマインドセットの呪文かもしれない)。
そして、その怪我した脚でダンスに出かけ、未来のダンナさまに出会ったのである。
対人関係の能力とは?ベンジャミン・ブルームは才能ある人々にかんする研究の中で、ピアニスト、彫刻家、オリンピック水泳選手、テニス選手、数学者、神経学者については調べたが、対人関係能力に優れた人々のことは調べなかった。
当初は予定していたものの、対人スキルが重要な役割を担う職業は、教師、心理士、経営者、外交官など、じつに多岐にわたる。
ブルームの努力にもかかわらず、だれもが納得できるような社会的能力の評価方法は見つからなかったのである。
それがひとつの能力なのかどうか、よくわからないこともある。
対人スキルが抜群の人に会っても、人間関係の天才とは考えない。
すてきな人、魅力的な人だなと思う。
また、おしどり夫婦に会っても、夫婦関係の天才とは言わない。
気の合った夫婦、相性の良い夫婦だと言う。
これはどういうことなのだろう。
私たちの社会では、すべてのことが人間関係に左右されるにもかかわらず、対人スキルの重要性がきちんと理解されていない。
だからこそダニエル・ゴールマンの『EQこころの知能指数』(講談社)があれほど大きな反響を呼んだのだろう。
その本には「社会的—情緒的スキルというものがたしかに存在する。
それがいかなるものかを説明しよう」とある。
マインドセットの視点からみると、その理解がさらに深まる。
人はなぜ、必要なスキルを学ぼうとしないのか、持っているスキルを活用しないのか。
心機一転、新たな人とつきあいはじめても、結局また破局を迎えてしまうのはなぜか。
恋愛が往々にして悲惨な戦場と化するのはなぜか。
そして何より重要なことに、いつまでも愛し愛される関係を続けていける人びとがいるのはなぜかがわかってくる。
恋愛こそマインドセットしだいで変わる!?ここまでの話では、自分の人間的資質は変えようがない、と信じているのが硬直マインドセットだった。
けれども、人間関係について考える場合には、さらに2つのことがら──パートナーの資質と人間関係それ自体に対する考え方──がかかわってくる。
その3つすべてについて、マインドセットが硬直という場合もある。
自分の資質は変えようがない、パートナーの資質も変えようがない、人間関係の質も変えようがないと信じている場合である。
つまり、相性が良いか悪いかは最初から決まっており、あとは座して審判が下るのを待つのみ、というわけだ。
しなやかマインドセットの人は、その3つとも、良い方向に変えていけると信じている。
自分も成長するし、パートナーも成長するし、お互いの関係も改善できる、と。
硬直マインドセットの人にとっての理想のパートナーは、出会った瞬間からぴったりと息が合い、それが永遠に続く相手である。
「2人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」というお伽噺の終わり方が、それをみごとに表している。
彼または彼女とは、たまたま一緒になったのではなく、赤い糸で結ばれた特別な仲なのだと思いたいのだ。
それはまあいいのだが、マインドセットが硬直していると問題になることがふたつある。
硬直マインドセットの場合1努力が必要だなんて知らなかった!硬直マインドセットの問題点のひとつは、すべてがおのずとうまくいって当然と思っていることだ。
夫婦は助けあって問題を解決し、つきあい方のコツを身につけていくものだとは思っていない。
愛さえあれば何でもかなうと信じている。
王子さまのキスで、いばら姫が長い眠りから目覚めたように。
王子さまの出現で、シンデレラのみじめな暮らしが一変したように。
シャーリーンは友人から、マックスという男性のうわさを耳にした。
オーケストラのチェロ奏者で、今度この町にやってきたのだという。
あくる日の晩、シャーリーンは友人と連れだってオーケストラの公演を聴きに行った。
終了後に楽屋を訪ねたとき、マックスがシャーリーンの手を取って「今度ゆっくり会いましょう」と言ってきたのだ。
彼女は、彼の情熱的でロマンチックなところに惹かれ、マックスの方も、彼女のチャーミングな物腰やエキゾチックな風貌に惹かれた。
デートを重ねるごとに2人の仲はますます熱くなり、お互いに相手のことを深く理解しているような気になった。
食べ物の好みも、人間の見方も、旅行の趣味もまるで同じ。
お互いに、生まれてこの方ずっと一緒だったように感じていた。
ところが、時がたつにつれて、マックスが気むずかしくなってきた。
もともとそういう性格だったのに、最初はわからなかったのだ。
不機嫌になると、彼はひとりになりたがった。
シャーリーンが「悩みごとがあるなら話して」と言うと、彼は苛立って「いいからひとりにしてくれ」とますます口を閉ざした。
そのたびに、シャーリーンは突っぱねられたようなショックを味わった。
彼の感情の浮き沈みのせいで、楽しみにしていたデートや、2人だけのディナーが台無しになることもあった。
突然行きたくないと言われて、やむなくキャンセルしたり、一晩中むっつり黙りこくっている彼に我慢してつきあったり。
シャーリーンが他愛ない話で会話を盛り上げようとすると、マックスは「ちっともぼくを理解していない」と不満をつのらせた。
お互いに相手のことで心を痛めていることを知っている友人たちが、何が問題なのかをきちんと話しあうようにと勧めた。
けれども、残念なことに、シャーリーンもマックスも、相性さえ良ければ努力などする必要はないと思っていた。
お互いの望んでいることが自然にわかり、それを尊重しようとするものだと。
結局、お互いの心が離れていくのを止めることができずに、2人は破局を迎えることになる。
しなやかマインドセットの恋人たちもやはり、最初は激しく燃え上がるが、いつまでも愛ですべてが解決するとは思っていない。
よい関係を長く続けていくためには、いずれ生じてくる意見の齟齬を努力で乗り越えていく必要があると思っている。
ところが、硬直マインドセットの人はそうは考えない。
能力があれば努力は不要だと信じているのが、硬直マインドセットである。
人間関係にも同じ信念を当てはめて、「相性が良ければ、何事もおのずとうまくいくはず」と信じている。
人間関係の専門家に、そのように考えている人はひとりもいない。
結婚の心理にもくわしい精神科医、アーロン・ベックによると、夫婦関係を築いていく上で最悪なのは、「努力しないとうまくいかないのは、関係そのものに深刻な欠陥があるからだ」と思ってしまうことだという。
夫婦関係の研究の第一人者、ジョン・ゴットマンは次のように述べている。
「夫婦関係を維持していくには、たえず軌道修正を加えていく努力が欠かせない。
2人を結びつけようとする力と引き裂こうとする力とが、つねに拮抗した状態にあるからだ」個人で何かする場合もそうだったように、努力しなくてもうまくいって当然、という考えが根底にあると、人間関係を培っていく上でどうしても必要なことをしなくなってしまう。
破局を迎えるカップルがあまりにも多いのはたぶん、愛しあっているなら厄介なことは一切しなくてよいと思いこんでいるからだろう。
言わなくてもわかるはず──努力を怠りがちになる背景には、以心伝心で通じるはずという期待がある。
夫婦は一心同体なのだから、わざわざ言わなくても、こちらが何を考え、何を感じ、何を求めているか、わかってくれて当然だと。
でもそんなことはあり得ない。
説明しなくても通じると思っていると、とんでもないことになる。
著名な家族心理学者、イレーン・サベージがこんな話を紹介している。
結婚して3か月になるトムが妻のルーシーに言った。
「ぼくらの間には不協和音が生じてるね」。
それを聞いて、ルーシーはすっかり落ちこんでしまった。
あの人は私ほど結婚生活に満足していないんだわ、と邪推したのだ。
そして、自分から別れ話を切りだすべきかしらとまで思いつめてしまった。
けれども、セラピーを受けてようやく、トムの言葉の意味をくみとることができるようになった。
彼は、微妙ところにまで気を配ってさらに息の合った夫婦になろうというつもりで「不協和音」と言ったのだ。
まったく同じ考えのはず──言わなくても通じると思っている、なんておかしな話だが、考えようによっては当然なのだ。
硬直マインドセットの人の多くが、夫婦はまったく同じ考え方をするもの、と信じているのである。
意見がまったく同じならば、わざわざコミュニケーションを交わす必要なんてない。
自分の考えがそのまま、パートナーの考えだと思えばいい。
レイモンド・ニーらは、夫婦を1組ずつ呼んで、結婚生活に対する考え方を話しあってもらった。
硬直マインドセットの人たちは、結婚生活に対する自分とパートナーの考え方にわずかでも食い違いがあると、動揺したり機嫌が悪くなったりした。
夫婦はまったく同じ考え方をするもの、という信念が脅かされるからである。
夫はこうあるもの、妻はこうあるものという考え方に、夫婦でまったく食い違いがないということはあり得ない。
結婚したら、妻は仕事をやめて夫に養ってもらうものと思う人もいれば、平等に共稼ぎするのが当然と思う人もいるだろう。
結婚したら、郊外の戸建てに住むものと思う人もいれば、自由気ままな愛の巣があればよいと思う人もいるだろう。
マイケルとロビンはつい最近大学を卒業したばかりで、もうすぐ結婚することになっていた。
マイケルは放浪生活を好むタイプ。
結婚後はニューヨークのグレニッチビレッジでロビンとともにヒッピーのような暮らしをするつもりでいた。
それにぴったりの部屋を見つけたときには、ロビンも大喜びすると信じて疑わなかった。
ところが、その部屋を見たとたん、彼女はカンカンに怒りだした。
これまでずっと狭苦しいアパートでがまんしてきたのに、またこんなところで暮らすの!結婚したら、ピカピカの車が停めてある立派な家で暮らすものと思っていたのに、と。
お互いに期待を裏切られたような気分になり、2人の関係はそこで行きづまってしまった。
夫と妻の権利・義務について、夫婦で違ったことを考えていながら、その食い違いに気づいていない場合がある。
次の空欄を埋めてみてほしい。
「夫である私にはする権利があり、妻にはする義務がある」「妻である私にはする権利があり、夫にはする義務がある」
妻にとっても、夫にとっても、何より腹立たしいのは、自分の権利が侵されること。
それから、相手が勝手に何かを自分の権利だと思いこんでいることである。
ジョン・ゴットマンがこんなことを述べている。
「私が面接した新婚男性の中に、『ぼくは皿洗いなんかしませんよ、絶対に。
それは女の仕事ですから』と得意げに語る男性たちがいた。
2年後、次のように聞いてきたのはその人たちだった。
『もうセックスレスなのは、どうしてなんでしょう?』」伝統的な役割分担をする夫婦がいてもかまわない。
2人で話しあって決めればよいことだ。
けれども、それを当然の権利と考えるのは間違っている。
財務アナリストのジャネットと、不動産代理業をしているフィルが出会ったとき、フィルは新しい家を買ったばかりだった。
友人を大勢ディナーに招いて、新居お披露目パーティをしたいと思っていたのだが、ジャネットが「やりましょうよ(Let’sdoit)」と言ってくれたので大喜び(ただし彼女は、「’s」つまり「us」〈2人で一緒に〉のところを強調していた)。
けれども、ジャネットの方が料理やもてなしの経験が豊かだったので、準備はほとんど彼女がひとりでこなした。
それは喜んでやったことだった。
幸せそうなフィルの顔を見るのが嬉しくてたまらなかったからだ。
問題は、ゲストが到着してから後だった。
フィルはジャネットばかり働かせて、自分はまるでお客さま。
ひき続き彼女が全部やってくれるものと思っているようだった。
ジャネットは頭にきてしまった。
こういう場合には、陰でそっと彼と話しあうのが賢明なやり方なのだが、ジャネットはそうはせず、彼をこらしめてやろうと考えた。
仕事をほったらかしにしたまま、一緒になってパーティーを楽しんだのだ。
さいわい、権利の主張のしあいという、お決まりのパターンにはならずにすんだ。
ジャネットの気持ちが伝わったのである。
それ以来、相手も同じように考えているはずと勝手に思いこまないで、何でも話しあうようになった。
人間関係は、育む努力をしないかぎり、ダメになる一方で、けっして良くなりはしない。
まず、お互いの考えや希望を正確に伝えた上で、矛盾する点をはっきりさせ、解決していくことだ。
「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」ではなく、「いつまでも幸せに暮らす努力を続けましたとさ」というべきだろう。
硬直マインドセットの場合2問題が起きるのは性格的な欠陥がある証拠だ!硬直マインドセットの問題点の2つ目は、夫婦間にトラブルが起きるのは、根深い性格的な欠陥がある証拠だと思っていることだ。
けれども、挫折を経験せずに、偉業を成しとげることなどできないのと同じように、衝突して苦しんだ経験もなしに、息の合った夫婦になれるはずがない。
硬直マインドセットの人は、もめごとについて話すとき、必ずそれを何かのせいにする。
自分を責めることもあるが、たいていパートナーに矛先を向ける。
しかも、相手の性格的欠陥を槍玉に挙げる。
それだけでは終わらない。
パートナーの人格を問題にしながら、相手に怒りや嫌悪の感情を向けるのだ。
そして、変えようのない資質からくる問題なのだから解決のしようがない、というところにまでいってしまう。
だから、硬直マインドセットの人は、パートナーに欠点を見つけると、相手を軽蔑するようになり、夫婦関係全般に不満を抱くようになる(それに対し、しなやかマインドセットの人は、パートナーに欠点を見つけても、夫婦関係そのものがいやになったりはしない)。
また、硬直マインドセットの人は、ときとして、パートナーの欠点や夫婦関係の問題に目をつむり、それと取り組むのを避けようとすることがある。
だれもが、イヴォンヌは浮気をしているのでは、と思っていた。
不審な電話がかかってくるし、子どもたちの迎えにはよく遅れるし、「女ばかりでの夜遊び」が増えているし。
何かしていても上の空のことが多かった。
夫のチャーリーは、「これもたぶん一時のことさ。
女にはみなこういう時期があるもの。
男ができたわけじゃないよ」と言って無視しようとした。
チャーリーの親友が、よく調べてみるように勧めた。
けれども、チャーリーは現実に直面するのを恐れていた。
本当のことを知って、それがもし悪い結果だったら、自分の世界がめちゃめちゃに壊れてしまうからだ。
マインドセットが硬直している彼は、次のいずれかの結論に行き着くはめになる。
①自分の愛する女性は悪人だった、②自分は悪人だ、だから彼女が離れていったのだ、③2人は相性が悪い、だから夫婦関係の修復は不可能だ。
そのいずれであっても、自分の力ではどうしようもない。
解決しうる問題があるなんて、彼には思いも寄らなかった。
じつを言うと、イヴォンヌは、彼に振り向いてほしくて必死でメッセージを送っていたのだ。
もっと私を大事にして、私のことを気にかけて、と。
しなやかマインドセットの人ならば、彼女に、というよりも、その状況にきちんと立ち向かっただろう。
どこに問題があるのかをよく考えてみるはずだ。
場合によっては、カウンセラーとともに問題を探ったりもするだろう。
状況を把握した上で、次にどうするかを決めればいい。
解決すべき問題があるということは、少なくとも、関係を修復するチャンスはまだ残っているということなのだ。
みんなろくでなし──ペネロープの友人たちは、家にこもったまま、「いい男なんていないわねえ」とグチってばかり。
でもペネロープは違う。
どんどん探しに出かけていく。
そして、これはと思う相手を見つけては、そのたびに夢中になる。
「とうとう出会ったのよ」と友人に報告する頃にはもう、ブライダル雑誌をめくり、地元の新聞に載せる結婚通知を書きはじめていたりする。
毎回なかなかすてきな男性なので、友人はみんな結婚の話を真に受けてしまう。
ところが、その後でかならず何かが起こるのだ。
ある男性は、趣味の悪い誕生日プレゼントを贈って愛想を尽かされ、また別の男性は、料理にケチャップをかけて嫌われ、その他にも、服のセンスがあんまりだ、携帯電話のマナーがなっていない、デート中にテレビを見るなんて……と数え上げれば切りがない。
ペネロープは、人間は変わらないと信じているので、こんな欠点がある人とは一緒に暮らせないと思ってしまうのだ。
けれども、こうした欠点のほとんどは、深刻な性格上の問題などではなく、ちょっと言えば改めてもらえる類のものである。
ペネロープは、すでに完璧にできあがった人がどこかにいる、と思っていたのである。
人間関係の専門家、ダニエル・ワイルは、結婚相手を選ぶということは、問題をワンセット選びとることだと述べている。
問題のひとつもないパートナー候補などどこにもいない。
よい関係を築いていく秘訣は、お互いの限界を認めあった上で、そこからこつこつと積み上げていくことなのである。
欠点は直せるもの──ダニエル・ワイルは、自分のクライアントである夫婦、ブレンダとジャックのこんな話を紹介している。
ブレンダは仕事から帰ると、だらだらと要領を得ない話をジャックに聞かせた。
ジャックはうんざりしながらも、その気持ちを隠して誠実に耳を傾けようと努めた。
本当は彼が退屈していることに気づいているブレンダは、話を面白くしなくちゃと思い、話題を変えて、やはり職場のプロジェクトのことを延々としゃべった。
ジャックは今にも爆発しそうだった。
2人とも心の中ではかっかしていたのである。
ブレンダはなんて退屈なやつなんだ。
ジャックはちっともわかってくれようとしない。
私たちは相性が悪いんだ。
じつは、どちらにも悪気などなかった。
ブレンダは、その日の職場での手柄をジャックに聞いてほしかったのだが、自慢話だと思われたくないから、遠まわしに、どうでもいいようなことばかりしゃべった。
ジャックはジャックで、ぶしつけな人間だと思われたくないから、いったい何が言いたいのさと尋ねることもできずに、話が終わるまでじっと待っていた。
ジャックがひとこと、こう言えば良かったのだ。
「ねえ、そんなにくわしく話されても、何が言いたいのかわからなくて、いらいらしちゃうよ。
その仕事がどうしてそんなに楽しかったのか、それを聞かせてよ」これはコミュニケーションの問題であって、人格や性格の問題ではなかった。
けれども、マインドセットが硬直していたせいで、もうあんな相手と一緒にやってられるかという気持ちになってしまったのだ。
硬直マインドセットの2人が一緒になると、相手の長所がことごとく欠点に見えてきたりする。
アーロン・ベックが紹介しているテッドとカレンの話を読むと、なぜそうなるのかがよくわかる。
テッドとカレンが出会ったとき、2人は互いに自分にないものに惹かれあっていた。
カレンは眩しいくらいに伸びやかで明るい女性。
世界の重荷を一身に担っているような生真面目なテッドにとって、楽天的な彼女の存在は、人生を一変させてくれるものだった。
「言うこと、やること、すべてが可愛いんだ」ともう夢中。
一方、カレンにとっても、岩のごとく落ち着いたテッドは、初めて経験する「父親のような」男性。
安心感を与えてくれる、頼りがいのある存在だった。
ところが何年もたたないうちに、テッドはカレンを無責任きわまりない空っぽ頭と思うようになった。
「ものごとを真面目に考えたことなんてないんだから……まったく当てにならないよ」。
一方、カレンはテッドを、自分の考えを振りかざして一挙手一投足に文句をつけてくる人と思うようになった。
けれども、2人は何とか破局に至らずにすんだ。
相手に腹を立ててレッテル貼りをするのではなく、助けあって行動することを学んだのだ。
カレンが仕事に忙殺されていたある日、テッドが帰宅すると、家の中は散らかり放題だった。
むっとして文句を言いそうになったが、ベックに教わった通り、口をつぐんで自問してみた。
「どうするのがいちばん賢明だろうか」。
その答えとして、まず家の中を片づけはじめた。
カレンを批判するよりも、手助けすることを考えたのである。
この結婚は救えるか?──アーロン・ベックが、カウンセリングを受けるカップルに禁じているのは、次のような硬直マインドセットの考え方だ。
私のパートナーは変われるはずがない、私たちの関係に改善の余地はない。
ほとんどの場合、そうした思いこみは間違っている──。
といっても、前向きには考えにくいケースもある。
ビル&ヒラリー・クリントン夫妻の場合がそうだ。
ビルは大統領時代に、モニカ・ルインスキーとの関係について国民と妻に噓をついた。
ヒラリーは初めのうち、彼を弁護して「夫には欠点もあるでしょう。
けれども、私には一度も噓をついたことがありません」と関係を否定した。
ところが、特別検察官の捜査報告書が提出されるなどして、しだいに事実が明らかになり、ヒラリーは夫の裏切りを知って激怒した。
ビルは更正不能で信用ならない夫なのか、それとも、大いに援助を必要としている人間なのか、彼女は判断を迫られることになった。
ここで重要な点を述べておこう。
パートナーに変わる力があるからといって、必ずしも実際に変わるとは限らない。
変わりたいと願い、変わることを決意し、具体的な行動を起こさなければ、可能性のままで終わってしまう。
クリントン夫妻は、1年のあいだ、毎週カウンセリングに通った。
カウンセリングを通じて、ビルは、アルコール中毒の親に育てられるうちに二重生活を送るようになったことや、その一方で、幼い頃から過重な責任を担うようになっていたことに気づく。
たとえば、少年時代のビルは、継父の暴力から何としても母親を守ろうとする一方で、何をやろうが、どんなことになろうがかまわないというような無責任な面も持ちあわせていた。
テレビに出演して、ルインスキーとは何の関係もないなどと本気で誓ったりしたのも、そんなところに原因があった。
国民はヒラリーに夫を許すように求めていた。
ある晩、スティーヴィー・ワンダーからホワイトハウスに、訪問してもいいかと電話がかかってきた。
ヒラリーのために許しの力の歌を作ってきた彼は、その夜、彼女にその歌を演奏して聞かせた。
それでもヒラリーは、自分に噓をつき、自分をだました相手を許すことなどできなかっただろう。
許す気になれたのは、その人間が自分の問題と真剣に闘って、成長しようと努力していると思えばこそなのだ。
すべてを相手のせいにしてしまう人たち硬直マインドセットの人にありがちなことだが、一時は、人生の希望の光だったはずのパートナーが、自分の敵に思えたりする。
なぜ、愛する人を敵になどしたがるのだろうか。
他のことでしくじったときは、なかなか人のせいにできないが、人間関係がうまくいかない場合には、相手のせいにしやすい。
硬直マインドセットの人が失敗したときに矛先を向ける対象は決まっている。
自分の変えようのない資質を責めるか、パートナーのそれを責めるか。
となれば当然、相手のせいにしたくなるだろう。
硬直マインドセットの人にとっては、人を許すということがどれほど難しいか、覚えているだろうか。
なぜ難しいかというと、まず、拒絶されたり仲違いしたりすると、ダメ人間の烙印を押されたような気分になってしまうからだ。
そして、もうひとつには、もしパートナーを許して、相手に非はないと認めたら、その分自分が責任を背負うはめになるからである。
パートナーが善人だとしたら、悪いのは自分。
自分がいけなかったということになる。
親との関係でも、これと同じようなことが起こりうる。
親子関係がうまくいかないのは、親と自分、どちらのせいか。
十分に愛してもらえなかったのは、親がひどい親だったからなのか、それとも、自分が可愛げのない子だったからなのか。
マインドセットが硬直していると、そんな醜い思いにとらわれたまま、抜けだせなくなってしまう。
まさしく私がそうだった。
母は私を愛してくれない人だった。
幼い頃からずっと私は、母を責め、母を恨むことで何とかやってきた。
ところが、そうやって自分をかばっているだけでは、どうにも満たされないものを感じるようになった。
お互いに愛しあえる母と娘になれたらどんなにいいだろう。
でも、冷淡な親に取り入るようなことだけはしたくない。
そのとき、私ははたと気づいたのだ。
親子関係の半分は私が握っている。
親子関係の半分は私の意志で変えられる。
少なくとも、母を愛する娘になることだけなら、自分が望めばできる。
母がどうするかは、ある意味で、たいしたことではない。
私が一歩前進したことに変わりはないのだから。
それでどうなったか。
母への恨みをすっぱりと捨て去り、歩み寄る努力をするようになって、自分が大きく成長した気がした。
その後のことは本当はどうでもよいのだが、一応お話ししよう。
思ってもみなかったことが起きたのである。
3年後に、母の口からこんな言葉を聞いた。
「当時、『あなたは子どもたちを愛していない』なんて人に言われたら、きっと憤慨していただろうけど、今にして思うと、やはりそうだったのね。
自分自身が親に愛されなかったからなのか、自分のことで精一杯だったからなのか、愛するってどういうことかわからなかったからなのか。
でも、ようやくわかったわ、愛するってどういうことなのかが」そのとき以来、25年後に亡くなるまで、母と私の距離はますます縮まっていき、お互いの中で大きな位置を占めるようになった。
数年前に母が脳卒中で倒れたとき、医師からは、もう言葉がしゃべれず、回復の見込みもないと言われた。
ところが、病室に入った私を見るなり、母は「キャロル、すてきな服じゃない」と言ってくれたのだ。
あの最初の一歩を踏みださせたものは、何だったのだろう。
拒絶されてもいいから前に進もうという気にさせたものは、何だったのだろう。
マインドセットが硬直していたときの私は、人を責め、恨まずにはいられなかった。
そうすることでやっと、自分は悪くない、ダメ人間なんかじゃないと思うことができたのだ。
ところが、マインドセットがしなやかになってからは、人を責める気持ちを捨てて、前に歩みだせるようになった。
しなやかマインドセットが私に母を与えてくれたのだ。
夫婦関係や友だちづきあいから成長する結婚してしばらくは、自分と異なるパートナーの性格や考え方に戸惑うばかりで、その違いにどう対処すればよいのか、まだよくわかっていない。
息の合った夫婦であればだんだん、どう対処すればよいかがわかってくるし、それを学ぶ中で、互いに成長し、関係も深まっていく。
しかし、このようにうまくいくためには、相手は自分の味方なのだという信頼感が欠かせない。
ローラはほんとうに結婚相手に恵まれたと言える。
当初彼女には、自己中心的ですぐに自己防衛に走るところがあった。
よくわめいたり、ふくれたりもした。
けれども、ジェームズはそれをけっして自分に向けられたものとは受けとらず、彼女がそばにいてくれることにいつも感謝していた。
だから、かっとなった彼女
がジェームズに当たっても、彼女の気持ちを鎮めてやり、納得のいくまで話しあうようにした。
そうしているうちに、ローラもだんだんとわめいたりふくれたりしなくなった。
こうして、心から信頼できる間柄になると、今度はお互いの成長に大きな関心を払うようになった。
ジェームズは会社の設立を志しており、ローラも、その構想を練ったり問題となりそうな事柄を検討したりするのにずっとつきあった。
一方、ローラはかねてから童話を書くのが夢だった。
そんな彼女にジェームズは、「とにかくアイデアを文字にして冒頭だけでも書きはじめてみたら」と言って励まし、「だれか知りあいの挿絵作家に連絡をとってみるといいよ」と勧めた。
こんなふうにして、夫婦それぞれがやりたいことを実現し、なりたい自分になれるように、互いに助けあう関係ができあがっていった。
夫婦の場合と同じように友だちづきあいの中でも、お互いの成長をうながしたり、お互いの良さを認めあったりということができる。
友だちどうしで知恵と勇気を分かちあえば、未来に向かって踏みだそうという気持ちになれるし、良いところをほめあえば、なくしていた自信を取り戻すことができる。
そのどちらも重要だ。
だれにでも、とりあえずほめて元気づけてほしいときがある。
「彼と別れたの。
でも私が悪いんじゃないと言って」「試験で赤点を取ってしまったの。
でも私はバカじゃないと言って」こういうときにこそ、友だちを励ましつつ、しなやかメッセージを送るチャンスだ。
「この3年間、あなたは本当によくやってきたよね。
彼は何の努力もしなかったんだもの、別れるって決めたのは正解だと思うよ」「試験のとき、何かあったの?内容をちゃんと理解してる?十分に勉強した?個別指導を受けた方がよさそうかしら?」しかし、どんな人間関係にも起こりうることだが、自分の力量を証明したいという欲求が、間違った方向に進んでしまう場合がある。
シェリ・リーヴィの研究は、友だち関係にまつわる重要なことがらを明らかにしている。
リーヴィは、思春期の少年たちの自尊心のレベルを測定した後、その少年たちに、女子に対するネガティブな一般通念──たとえば、女子は男子よりも数学が苦手であるとか、合理的思考では女子は男子にかなわないとか──をどの程度信じるかを尋ねた。
その後でもう一度、その少年たちの自尊心のレベルを測定した。
硬直マインドセットの少年たちは、ネガティブな一般通念に賛成を表明することによって、自尊心のレベルが上がった。
つまり、女子は男子ほど頭が良くないと思うことで、自分に自信が持てるようになったのである(しなやかマインドセットの少年たちは、そのような通念にあまり同意しなかったが、したとしても、それによって自尊心がアップすることはなかった)。
相手が自分より劣っているほど気分がいい──このようなメンタリティは、友だち関係をそこなう。
だれにでも経験があるだろう。
才気煥発で魅力あふれる愉快な人なのに、一緒にいると、自分が救いようのないダメ人間に思えてくるような人。
「私が勝手にいじけてるだけなのかしら」と思ったりする。
いや、そうではない。
そういう人たちは、自分がいかに優れているかを見せつけるために、あなたを踏み台にしているのだ。
あからさまにけなしてくる場合もあれば、そういう気持ちは隠しているのに、何げない言動の中にふとそれが出てしまうこともある。
いずれにせよ、自分の価値を誇示するために、あなたをダシにしているのである。
「苦しいときの友が真の友」ということわざがある。
困窮している友人を毎日助けてくれるような人が本当にいるのかどうかは別として、たしかに、この考え方には一理ある。
けれども、困っているときに助けてくれる友人を探す以上に難しいのは、何かいいことがあったときに一緒に喜んでくれる友人を見つけることではないだろうか。
すてきなパートナーにめぐりあえたとき、やりがいのある仕事をもらえたり、昇進したりしたとき、子どもの出来がいいとき、その話を聞いて嬉しいと感じてくれる人が実際にどれだけいるだろう。
他人の失敗や不幸で自尊心が脅かされるということはない。
だから、困っている人に同情するのはそれほど難しいことではない。
優越感を感じていないと自尊心を保てない人にとって、いちばん厄介なのは、他人の長所や成功を認めることなのである。
内気なマインドセット内気、あるいは引っこみ思案というのは、ある意味で、これまで述べてきたことの裏返しとも言える。
これまで、他人を踏み台にして優越感を得ようとする人たちについてお話ししてきたが、内気な人というのは、他人に自尊心を踏みにじられるのを恐れている人たちなのである。
人前で自分を否定されたり、恥ずかしい思いをさせられたりするのを恐れていることが多い。
内気な性格だと、友だちを作ったり人間関係を発展させたりということがなかなかできない。
内気な人は、初対面の人に会うと不安になって心臓がドキドキし、顔が赤くなる。
視線をそらして、なるべく早く会話を切り上げようとする。
内面には素晴らしい魅力を秘めていても、初対面の人にはそういう自分を出すことができない。
マインドセットは内気さとどう関係するのだろうか。
ジェニファー・ビアは何百人もを対象に調査をおこなった。
まず、1人ひとりのマインドセットと内気度を調べてから、その人たちを2人ずつ対面させたのである。
そのときの一部始終を録画しておき、あとから、訓練を受けた評価者がそれを観察して、どのような相互作用がなされたかをチェックした。
この研究でまずわかったのは、硬直マインドセットの人の方が内気になりやすいということだった。
それは理屈に合っている。
硬直マインドセットの人は、他人の評価を気にするので、自意識が過剰になり、それだけ不安も強くなるからである。
しかしながら、どちらのマインドセットにも内気な人は大勢おり、もっとくわしく調べると、さらに興味深いことが明らかになったのである。
内気な性格が人づきあいの妨げになったのは、硬直マインドセットの人の場合だけだった。
しなやかマインドセットの人たちは、内気であってもそれが人間関係の妨げになることはなかった。
観察者の評価によると、内気な人たちは、いずれのマインドセットであっても、最初の5分間はとても不安そうな様子を見せた。
ところがそれから後、しなやかマインドセットの人は優れたソーシャルスキルを発揮して、楽しい交流を行なうことができた。
もうそうなると内気とは思えなかった。
このような結果になったのは当然と言える。
内気でもマインドセットがしなやかな人は、人との交わりをチャレンジと受けとめ、不安を感じはしても、初対面の人との出会いを積極的に受け入れた。
それに対して、内気でしかもマインドセットが硬直している人は、ソーシャルスキルが自分より長けていそうな人との接触を避けようとした。
何かヘまをやらかすのではという不安が先に立ってしまうのである。
このように、硬直マインドセットの人としなやかマインドセットの人とでは、苦手な場面に臨む姿勢がまるで異なっていた。
しなやかな人たちは前向きにチャレンジしたが、こちこちに硬直した人たちは失敗を恐れて尻込みした。
内気でもマインドセットのしなやかな人たちは、交流を続けるうちに不安や気後れをあまり感じなくなっていった。
一方、マインドセットが硬直している人たちは、なかなか不安が消えず、目をそらしたりしゃべらずにすまそうとしたり、いつまでもぎごちないままだった。
こうした違いが対人関係にどんな影響を及ぼすかは明らかである。
内気でもマインドセットのしなやかな人は、内気さを自分でコントロールできる。
つまり、初対面の人とも積極的にかかわり、いったん不安がおさまれば、ごく普通に対人関係を発展させていくことができる。
内気さに縛られていないのだ。
ところが、マインドセットが硬直している人は、内気さにがんじがらめになってしまう。
初対面の人とは距離をおこうとし、やりとりがはじまっても心のガードをはずすことができず、不安からのがれることができない。
セラピストで精神医学者のスコット・ウェッツラーが、クライアントのジョージについてくわしく記しているが、このジョージという男性は、内気でしかもマインドセットが硬直している人間の典型だ。
ジョージは極度に内気な性格で、特に女性に対してそれがひどい。
「頭が良くて機知に富んだ、自信あふれる男に見られたい。
がつがつしたモテない男には見られたくない」。
そう思うと緊張してこちこちになり、よそよそしい態度しかとれなくなってしまうのだ。
ジョージの職場に、ジーンという魅力的な女性がいた。
そのジーンが彼に気のあるそぶりを見せはじめると、ジョージはどうしたらよいのかわからなくなり、彼女を避けるようになった。
そんなある日、近くの喫茶店で、ジーンが近づいてきて「このお席、空いてますか?」という。
とっさに気の利いた言葉が出てこなかった彼は、こう答えてしまった。
「お好きにしてください。
座っても座らなくても、ぼくはかまいません」ジョージ、あなたは何をやってるの?彼は、相席を勧めて断られてもショックを受けたりしないように──関心のない風を装って──自分を守ろうとしたのだ。
そして、この気づまりな状況にはやく終止符を打とうとしたのだった。
それは、とりあえず成功した。
たしかに、関心がなさそうに見えたし、やりとりはまたたく間に終わった。
なにしろ、ジーンはさっと帰ってしまったのだから。
ジョージは、ジェニファー・ビアが調査した人たちと同様、品定めをされるのが恐くて、人づきあいができなくなっていたのである。
ウェッツラーは、他人の評価にばかり注意が向いてしまうジョージの性格を少しずつ改めていった。
そうするうち、ジーンには彼を見下して恥をかかせる気などなく、ただ近づきになりたいのだということが彼にもわかってきた。
相手の評価よりも人間関係の進展に注意を向けることで、ジョージもようやく人とのやりとりができるようになった。
不安に負けないでジーンに近づき、失礼な返事をしたことを詫びた上で、ランチに誘った。
彼女は快く応じてくれた。
彼が恐れていたような批判的な言葉はひとつも返ってこなかった。
いじめと復讐本章の冒頭で述べた拒絶ということについてもう一度考えたい。
人から冷たく拒絶される体験は、恋愛関係だけに限ったことではない。
学校ではそれが毎日のように起きている。
小学校に入るともう、いじめの標的になる子が出てくる。
本人は悪いことなどしていないにもかかわらず、嘲笑され、肉体的・精神的に痛めつけられるのである。
気の弱い性格や、容姿、出身階層、頭の良さ(良すぎても悪くても)などがいじめを誘発する要因になる。
毎日のようににいじめを受けて、悪夢のような目に遭わされた上、その後何年にもわたって抑うつと怒りに苦しみ続けることもある。
悪いことに、学校側は何も手を打とうとしないことが多い。
教師の見ていないところで行なわれる場合がほとんどだし、教師のお気に入りの生徒が加害者であるケースが少なくないからだ。
そのような場合に、問題児または不適応児と見なされるのは、加害者ではなく被害者の方である。
私たちの社会は、いじめの問題をずっとなおざりにしてきた。
それが、近年頻発している学校銃撃事件の引き金になったと言える。
もっとも悪名高いコロンバイン高校の事件で、銃を乱射した少年は2人とも、長年にわたって残酷ないじめを受けてきた生徒だった。
一緒にいじめられていた仲間のひとりが、高校で味わった屈辱的な体験の数々を語っている。
廊下のロッカーに閉じこめられては、ののしり言葉を浴びせられる。
他の生徒たちはみな、それを見てせせら笑っているだけ。
ランチの時間には、ランチトレイを床に叩き落とされたり、わざと転ばされたり、食べ物を投げつけられたり、食べている最中に背後からいきなり顔をテーブルに押しつけられたり。
体育の時間の前には、教師のいないロッカールームでさんざん殴りつけられたりもした。
いじめ加害者とはいじめは、人に優劣をつけるところからはじまる。
どっちがえらいか、どっちが上か。
そして強い方が弱い方を、くだらない人間と決めつけて、毎日にようにいやがらせを加える。
いじめ加害者がそこから得ているものは、シェリ・リーヴィが調査した少年たちの場合と同じく、自尊心の高揚感だ。
加害者は特に自尊心が低いというわけではないが、他人を見下し、卑しめることによって、自尊心の高揚感を味わうことができるのである。
また、だれかをいじめることによって、仲間内での地位が上がる場合もある。
仲間から一目置かれたり、強い、かっこいい、面白いという評価を受けたり、あるいは仲間から恐れられる存在になったり。
いずれにしても、それによって仲間内での地位が上昇するのである。
人をいじめるという行為は、硬直マインドセットと大いに関係がある。
いじめの根っこにあるのは、人間には優れた者と劣った者がいるという考え方なのだ。
いじめの加害者は、劣った人間だと評価した相手をいじめの標的にする。
コロンバイン高校で銃を乱射した生徒のひとり、エリック・ハリスは、恰好のいじめの標的にされていた。
胸部に奇形があり、背が低くて、パソコンオタク、しかもコロラドの出身ではないよそ者だったから、いじめてもかまわない劣った人間という評価が下されたのである。
いじめ被害者と報復いじめを受けた者が、それにどう反応するかということにも、硬直マインドセットが関係してくる。
いじめを自分に対する評価だと感じると、人は自分を卑下したくなる。
人に見下され、自分の価値を否定された人は、今度は自分が相手を見下してやりたいと思うようになる。
私たちの研究では、ごく普通の人たちが──子ども、大人を問わず──冷たい仕打ちを受けたことに対して激しい復讐心を抱いていることがわかった。
高学歴で、重要な職務に就いている大人たちが、拒絶や裏切りの体験を語ったあと、「あの人を殺してやりたい」「あんな女、絞め殺すのは簡単さ」といった言葉を口にした。
校内暴力と言うと、ひどい家庭の無責任な親に育てられた悪い子だけのことのように思いがちである。
けれども驚くなかれ、ごく普通の子どもでもマインドセットが硬直していると、たちまち激しい復讐心を抱くようになる。
ある学校の中学2年生たちに、次のようないじめの話を読んでもらい、それが自分の身に起こった場合を想像してもらった。
新学年が順調にすべりだしたように思っていると、突然、人気者の生徒たち数人が、あなたをからかったり、ののしったりするようになった。
最初は、そんなこともあるさとやり過ごしていた。
でも、いつまでたってもいじめはやまない。
毎日つきまとわれてはバカにされ、服装や容姿をからかわれ、ダメなやつと罵倒される。
みんなの前で、来る日も来る日も。
その後で、「あなただったら、どう思う?どうします。
どうしたいですか」と尋ねた。
まず、硬直マインドセットの生徒たちは、いじめを自分に対する評価と受けとめ、「自分を虫けらみたいな嫌われ者だと思うかな」「自分をさえない不適格者だと思うな」と答えた。
さらに、「いじめた相手への怒りを爆発させる」「顔面をぶん殴ってやる」「相手にも同じことをやってやる」など、激しい復讐心を示した。
そして、「いちばんの目標は復讐することだ」という主張に強く賛成した。
自分を見下したやつを、今度は自分が見下してやる──コロンバイン高校の襲撃者、エリック・ハリスとディラン・クレボルドのしたことは、まさにこれだった。
彼らは長い時間をかけて、だれを殺し、だれを生かしておくかを決めていったのである。
私たちの研究によると、しなやかマインドセットの生徒たちは、いじめを自分に対する評価と受けとめるよりもむしろ、いじめる側の心の問題としてとらえる傾向があった。
仲間に認めてもらうため、あるいは、自尊心を満たすためにそんなことをするのだ、と。
「私をいじめるのはたぶん、家庭に悩みごとがあるか、学校の成績のことで悩んでいるからだと思う」「ぼくをいじめて気分を晴らすなんて、もうやめたらいいのに」また、相手を諭してみようとする生徒が多かった。
「心を開いて話してみる。
なんで私にそんなことを言うのか、なんで私にそんなことをするのか聞いてみ
る」「相手と向きあって話しあい、そんなことをしてもちっとも楽しくないことに気づいてもらう」そして、しなやかマインドセットの生徒たちは、「最終的には相手をゆるせたらいいと思う」「いちばんの目標は、相手が心を改めてくれるように手助けすることだ」という主張に強く賛成した。
札つきのいじめっ子を諭したり、改心させたりといったことが、はたしてできるのかどうかはよくわからない。
でも、仕返しすることに比べたら、建設的な一歩であることはたしかだ。
もともとはマインドセットがしなやかな子でも、長いこといじめを受けているうちに、だんだんマインドセットが硬直していくこともある。
特に、周囲の人びとが見て見ぬふりをしたり、いじめに加担したりした場合には、なおさらそうなりやすい。
人から愚弄され、侮辱されているのにだれも助けに来てくれないと、自分はほんとうにそういう人間なのだと思うようになる、と被害者たちは言う。
自分で自分に劣った人間というレッテルを貼り、それを信じるようになってしまうのである。
いじめる側は、相手を劣った人間だと決めつけ、いじめられた側は、それを信じこむ。
こうして、いじめ被害者の心に残った傷が、ある場合には、被害者を抑うつや自殺に向かわせ、ある場合には、暴力へとかりたてる。
何ができるか?いじめられている子ども自身には、いじめをやめさせる力などないのが普通である。
特に、いじめに加担する仲間がいる場合には、いじめをやめさせることなど到底できない。
けれども、学校にはそれができる。
学校全体のマインドセットを変えていくことによって、いじめをなくすことができるのである。
学校の文化が、硬直マインドセットを助長、または容認している場合が少なくない。
自分は他の子より優れているのだから他の子をいじめてかまわない、という考え方を許してしまっている学校。
あるいは、適応能力に問題のある子がいじめを受けるのは致し方のないことだと考えている学校。
そんな学校が、いじめを助長・容認しているのである。
けれども中には、優劣をつけあうような雰囲気を排し、助けあって自分を高めていこうとする気風を作りだすことによって、いじめの発生を劇的に減らしている学校もある。
セラピストであり、スクールカウンセラー、コンサルタントでもあるスタン・デーヴィスは、いじめ防止プログラムを開発して効果をあげている。
ノルウェーのダン・オルウエーズの研究にもとづいて作られたこのプログラムは、いじめ加害者の変化をうながすとともに、被害者をサポートし、加えて、傍観者たちに、いじめられている子を助けに入れるだけの力をつけさせようというものだ。
彼の学校では数年のうちに、肉体的いじめが93パーセント、精神的いじめが53パーセント減少した。
小学校3年生のダーラは、太めで、ぶきっちょ、泣き虫で、恰好のいじめの標的になっていた。
クラスの半分がいじめに加わり、毎日のようにダーラを殴ったり、ののしったりし、そのことで仲間意識をたしかめあっていた。
しかし、デーヴィスのプログラムをはじめてから数年後に、ダーラに対するいじめはやんだ。
ソーシャルスキルを身につけたダーラには親しい友だちもできた。
その後、その子たちが中学に入学して1年ほどたった頃、ダーラが訪ねてきて、その1年間のできごとを話してくれた。
それによると、小学校からのクラスメートたちがずっとダーラの味方になって、友だちを作るのを助けてくれたり、いやがらせをしようとする新しいクラスメートから彼女を守ってくれたりしたのだという。
この一件で、デーヴィスは、いじめっ子の側を変えることにも成功している。
じつは、中学に入ってすぐにダーラを助けにまわった生徒の何人かは、小学校のときに彼女をいじめていた子どもたちだったのである。
デーヴィスはどのようにしたのだろう。
まず、いじめはいけないことを一貫して説きつつ、いじめっ子を人間として否定するのを避ける。
いじめっ子を非難するのではなく、むしろ、その子たちが学校に来るたびに、自分はみんなに好かれ、受け入れられていると感じるようにする。
そして、いじめっ子に良い変化がみられたら、かならずそれをほめる。
ただしこの場合も、その子をほめるのではなく、その子の努力をほめるようにする。
「きみはこのごろ友だちとケンカしてないね。
みんなと仲良くしようと頑張っているんだね」。
おわかりのように、デーヴィスがやっているのは、子どもたちをしなやかマインドセットに導くことなのだ。
自分は今、努力してどんどん良くなっている、と感じるように仕向けるのである。
最初は、いじめっ子の側に自分を変えるつもりはなくても、そのような働きかけを受けているうちに、努力してみようという気になるかもしれない。
スタン・デーヴィスは、ほめ方、叱り方、マインドセットにかんする私たちの研究を取り入れたプログラムで、素晴らしい成果を上げたのである。
彼から次のようなお便りをいただいた。
ドゥエック博士先生の研究を拝読し、子どもに対する私のアプローチがすっかり変わりました。
子どもの行動にフィードバックを与える際の、こちらの言葉の使い方を変えることで、すでに良い成果が表れています。
来年は、こうした(マインドセットをしなやかにするような)言葉のかけ方で生徒の意欲を引き出していく取り組みを、学校全体で行なうつもりです。
スタン・デーヴィス有名な児童心理学者のハイム・ギノットも、教師がいじめっ子にどのように接すれば、友だちをランクづけするのをやめて、相手を思いやり、その向上を願えるようになるかを述べている。
次に紹介するのは、ある教師が8歳のクラスのいじめっ子に宛てて書いた手紙である。
注目してほしいのは、けっして君は悪い子だと言わずに、優れたリーダーシップを認めてアドバイスを求めることで、その子を尊重する気持ちを示している点である。
ジェイくんへアンディのお母さんからうかがったのですが、今年、アンディはとてもつらい思いをしたようです。
悪口を言われたり、仲間はずれにされたりして、悲しく寂しい気持ちになったそうです。
先生はとても心配です。
そこで、クラスのリーダーでみんなのことをよく知っている君に相談することにしました。
君は苦しんでいる人の気持ちがわかる子だと思います。
どうすればアンディを助けられるか、君の考えを聞かせてくれますか。
先生より『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたいじめにかんする記事には、エリック・ハリスとディラン・クレボルドのことが「不適応のティーンエージャー」と書かれている。
それは間違ってはいない。
2人はたしかに学校に適応できていなかった。
一方、2人をいじめていた生徒たちが不適応者と呼ばれることはまったくない。
実際そのとおりで、彼らは学校の環境にすっかりなじんでいた。
それどころか、学校の文化を作り支配していたのは彼らだったとも言える。
一部の人間に、他の人間を残忍に扱う権利があるという考え方はおかしい。
スタン・デーヴィスが言うように、私たちの社会はすでに、女性にいやがらせをしたり、黒人を非人間的に扱ったりする権利をきっぱりと否定した。
それなのになぜ、子どもに残忍な仕打ちをする者をまだ容認しているのだろう。
それを認めることは、いじめる側の子どもに対する侮辱でもある。
彼らには変わっていく力があるとは思えない、と言っているようなもので、彼らが変わっていくのを助ける機会を逃すことにもつながるからだ。
マインドセットをしなやかにするには?▼あなたは人から冷たく拒絶されると、自分が否定されたように感じて、恨みや復讐心をいだくだろうか。
あるいは、傷ついても相手を許そうとし、そこから何かを学んで前向きに歩もうとするだろうか。
これまででもっともひどい仕打ちを受けたときのことを思い出してほしい。
そのときの感情をすべて再現し、しなやかなマインドセットでそれを見つめてみよう。
その経験から何を学んだだろう。
自分が人からされたいことと、されたくないことがわかったのではないか。
その後の人間関係で役立つことを学んだのではないか。
あなたはその相手を許して、その人の幸せを祈ることができるだろうか。
恨みを忘れることができるだろうか。
▼あなたの描く理想のパートナーはどんな人だろう。
相性がぴったりの人──考え方がまったく一緒で、妥協も努力もしなくていい相手──だろうか。
もう一度考えてみよう。
波風の立たない人間関係などありえない。
マインドセットをしなやかにして考えてみると、問題が起きたときこそ、理解と親密さを深めあう絶好のチャンスなのだ。
パートナーに自分の考えや不満を率直に言ってもらい、それにじっくり耳を傾け、辛抱強く親身になって話しあおう。
お互いの距離があまりにも縮まったことにびっくりするかもしれない。
▼あなたはすぐ人のせいにするタイプではないだろうか。
パートナーのせいにばかりしていると関係がこじれてしまう。
できれば、そこから一歩進んで、人のせいにするクセを直したい。
人のあらさがしをして、非難ばかりしているのはもうやめよう。
▼あなたは引っこみ思案な性格だろうか。
それならばぜひ、マインドセットをしなやかにしてみよう。
そうすれば、内気のままでも、人づきあいに支障をきたすことがなくなってくる。
今度人の輪に飛びこんでいくときは、こうに考えよう。
ソーシャルスキルは伸ばすことができるし、人づきあいの場は品定めをするところではなく、ともに学び、楽しむための場なんだ、と。
いつもそんなふうに考える練習をしよう。
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