ビジネスや〝ここ一番〟における声にまつわる4つの悩みをサクサク解決!
普段の会話については、これまでお伝えしてきたエクササイズだけで十分に対応できます。でも、大事な打ち合わせ、会議でのプレゼンテーション、営業などではどうでしょう?準備ができていたとしても、プレッシャーがかかる場面では思うように話せなくなることもあるでしょう。こんな「ここ一番」をどう乗り切るか?本番に強い人は、意識する・しないにかかわらず、大舞台でも、平常心で自分らしく話せる術を身につけています。それをモノにできたら、人生の質が一変すると思いませんか?この章では、1あがり症から開放される法2スピーチで魅了する法3議論で意見をきちんと主張できるようになる法4度胸を磨き、リーダーシップを高める法以上の4つについて解説していきます。声にまつわるこれらの悩みを解消し、さらにステップアップしましょう。「ささやき」と「ハミング」であがり症改善まず、「1あがり症から解放される法」について。人前で緊張しないで話すにはどうしたらいいでしょうか?ポイントは呼吸です。自信に満ちた話し方ができない人は、じつは自分でも気づかないうちに呼吸がとても浅くなってしまっています。呼吸が浅いと、がんばっても思うように声は出てこないのです。人前で話すことに苦手意識を持っている人は、話し方のノウハウをあれこれと覚えようとしますが、大事なのはそれよりも心と体の余裕、落ち着きです。呼吸が安定し、心に余裕が生まれるだけでも、話す内容に説得力が出てきます。対策としては次の2つをおすすめします。レッスン12緊張に強くなるエクササイズウイスパード・アーハートフル・ハミングの「ウイスパード・アー」は、「アー」(Ah)とささやくように呼吸をすることで、体の緊張をとりのぞいていくことを目的にしています。いざ、本番直前になって落ち着こう、落ち着こうと言い聞かせても、なかなか余裕は生まれません。また、緊張すると呼吸が浅くなるからといって、無理に深呼吸をしてもあまり気持ちは落ち着かないでしょう。人前に出ると緊張しやすい人は、日ごろから実践しておくほか、会議などの前にも、胸に手を当てて、「アー」と静かに吐き出して、十分にリラックス効果を得るようにするといいでしょう。の「ハートフル・ハミング」は、胸の響きを感じながらハミングすることで、温かな声を手に入れることが本来の目的ですが、体の緊張をとりのぞくのにも役立ちます。こちらも大事な場面の前に習慣づけると自然とリラックスでき、落ち着いて話せるようになっていくでしょう。ハミングができないときは、胸に手を当てるだけでも一呼吸置くことができ、気持ちは落ち着きます。このほか、次の~を心がけるといいでしょう。「上手に話す必要はない」「緊張しても構わない」と言い聞かせる。会議室に入っただけでドキドキしてしまうときは、「うまく話せなくてもいい」「緊張しても構わない」と心のなかで唱えてください。ただ機械的に言葉を唱えるだけでも、気持ちが冷静になり、安心感が得られます。すぐに緊張してしまう人は、「緊張をしないようにする」ことばかりにエネルギーを使ってしまいますが、本来であれば、「必要なことを伝える」ことにそのエネルギーを使ったほうがいいはずです。口下手でも何でもいい、とにかく伝えたいことを伝える。ただそのことだけにエネルギーを注ぐようにするのです。そうすると冷静さが得られるうえに、気持ちのこもった話し方を生み、少々拙くても、相手に伝わるでしょう。部屋に入ったら、胸に手を当てながら部屋全体をゆっくり見回す。何度も利用している会議室でも、ゆっくり見回していくといろいろなものに目が止まるはずです。逆に言えば、私たちは見ているつもりで、ほとんど何も見ていないところがあります。たとえば、フェンス越しに景色を見ている場合、景色のほうに焦点を合わせるため、フェンスは目に入りません。目に入るものすべてが脳で情報として認識されるわけではなく、脳はその瞬間に必要な情報だけを受けとっているのです。ですから、少し視野を広げてみると、景色もフェンスも認識できます。それと同様、意識してゆっくりまわりを見渡すと、視野が広がります。あがりやすい人ほど無意識のうちに目を一点にばかり集中させてしまう傾向があり、視野を狭くしています。部屋をゆっくり見渡し、自分に危害を加えるものがないことを確認してください。そうしたことに気づけるだけで、物事に落ち着いて対処できるようになります。声もずっと出しやすくなるでしょう。
私も舞台に上がったときに、会場全体を見回したあと、胸に手を当てておじぎをしています。たったこれだけで気持ちが落ち着き呼吸が深くなり、大舞台であってもいつも通りの自分でいられるようになります。大舞台を、逆に楽しめるようになるのです。いざ発言する場面では、同席している人の顔をすぐに見ず、足からテーブル、手もと、胸もと、顔と広くゆっくり見ていく。あがり症の人に限って、最初に人の目を見てしまう傾向があります。これだとかえって緊張が増すばかり。うまく話せるはずがありません。あがってしまう人は、「相手に攻撃されるのでは」という恐怖心が内面にあるため、人を見るだけで体に緊張が走ってしまうところがあります。この恐怖心を克服するには、相手が自分に危害を加える存在ではないことを確認する必要があります。相手をゆっくりと広く見ていくのです。相手はあなたに危害を加えようとしているわけではなく、ただ話を聞こうとしているだけ。ピストルを持っているわけでも、殴りかかろうとしているわけでもありません。緊張した経験があまりない人は大げさだと思うかもしれませんが、あがり症の人はそうした事実確認をし、まず安心すること。相手がとりあえず危害を及ぼさない人だとわかれば、心の余裕が生まれてきます。相手から質問を受けたら、心のなかでゆっくり「1、2」と2まで数えてから答えるようにする。質問を受けて慌ててしまい、しどろもどろになってしまう人は、答える前に、心のなかで「1、2」と数字を唱えてください。呼吸が自然とゆったりし、余裕が生まれるはずです。それから回答すればいいのです。こうした約束事(ルーティンワーク)を決め、会議のたびに実行するようにしていくと、次第に数字を数えなくても慌てなくなっていきます。スピーチでたくさんの人を魅了する法次は、「2スピーチで魅了する法」をお伝えしましょう。堂々と自信を持って話せるようになるには、鼻の一帯を響かせるテクニックが特に必要になります。「片鼻呼吸」、「鼻瞑想」、「微笑みエクササイズ」などで、鼻の通りをよくすることを心がけましょう。あと意識してほしいのは、最初の一言。スピーチの第一声で口ごもってしまい、動揺して、うまくペースがつかめないままプレゼンが終わってしまった経験はありませんか?第一印象は、相手に記憶されやすいものです。第一声をうまくキメられたら、あとのスピーチはうまくいきやすくなります。第一声を気持ちよく発するために、胸の響きを利用したとても簡単な「微笑みの発声法」を紹介します。本番の前に何度か繰り返しておくと、それだけで気持ちが落ち着いてくるでしょう。人前で話をする前日など、時間をとってしっかり練習することをおすすめしますが、普段から微笑むことを意識するのが一番。続けるうちに、声を発する前に胸に手を当てるだけで、反射的にできるようになるでしょう。レッスン13微笑みの発声法
肝心のスピーチが始まって以降も同様です。「部屋に入ったら周囲をゆっくり見渡す」のと同様に、話の合間もときどき周囲を見回し、一拍置きながら、「さて」「ところで」といった言葉を効果的に使うといいでしょう。そのうえで微笑みながらスーッと息を吸いこみ、声を発すれば印象は大きく変わります。また、最初のうちはそれだけで精一杯かもしれませんが、徐々に胸の響きも意識するようにしてください。慣れてきたら胸に手を当てなくても、意識するだけで胸の響きが感じられるようになり、場の空気も和やかになっていきます。接客や営業では?声の響きをこう変えよう「微笑みの発声法」のコツをつかめたら、応用編として接客や営業の仕事にも役立ててみましょう。自分が扱う商品やサービスのよいところを紹介する際に、多くの人は、「うまく伝える」ことばかりに意識を向けてしまいがちです。しかし、お客さん側が知りたいのは、商品やサービスのよさはもちろん、相手が信頼できる人であるかどうかでしょう。「この人がすすめるものなら、大丈夫だろう」と思ってもらうための第一歩は、言葉の巧さではなく、落ち着きや誠実な態度であるはずです。お決まりのセールストークを披露するときも、声の響かせ方を変えると効果が倍増し、お客さんの気持ちを惹きつけやすくなります。そう、意識してほしいのは、TPOに応じた「声の響かせ方」なのです。シーンによって声を響かせる場所を変えていくと、よりスムーズに相手に気持ちが伝えられるようになります。どの部分を響かせるのかは、話す場所の明るさや天候など、場の雰囲気から判断しましょう。雰囲気がちょっと暗いなと感じたら、「鼻」を響かせ、明るい声で話しましょう。そうすると場の暗い空気に飲みこまれにくくなります。逆に、明るいと感じた場合は、話し相手の状態にあわせます。たとえば、元気な話し相手と対等に渡りあいたい場合は、「鼻」を響かせ、声に強さとパワーをプラスするのが効果的です。聞き役にまわりたい場合は、「胸」を響かせ、優しく聞き入れる意志をアピールしたほうが、話しあいがスムーズに進み、共感を得やすくなります。話し相手が、もの静かでおとなしい場合は、「鼻」や「眉間」を強く響かせながら思いを伝えると、嫌がられてしまうかもしれません。その場合、「胸」の響きを意識しながら優しく接したほうがいいでしょう。このように、相手の状態に応じて響かせ方を変えると、コミュニケーションがうまくいきます。議論が得意な人に押されず、意見をきちんと主張するには?次に、「3議論で意見をきちんと主張できるようになる法」について解説していきましょう。高圧的な人が話し相手である場合、相手は鼻の響きだけを特化させているため声も大きく、自信にあふれています。そのため、自分に気の弱いところがあると相手の勢いに押されて、言いたいことも言えなくなってしまいます。こうした相手と議論をしても言いくるめられることなく、豊かなコミュニケーションを生み出す秘訣はどこにあるのでしょうか?大事なのは、「議論に勝つ」ことを必要以上に意識しないこと。勝とうとすると相手の土俵にのってしまい、それだけでペースを乱されてしまうからです。ですから、ただ「場が豊かになればいい」と思うことです。そのためには、これまで以上の「落ち着き」が求められます。なぜなら、激しい議論をしたがる人は、自分が優位に立つために、相手の心にずかずかと入りこみ、心を乱そうとするところがあるからです。心地よい距離感をあえて壊して、機先を制しようとするのです。準備が整っていないまま反撃(反論)しても、返り討ちに遭ってしまうだけですから、まずは「豊かになる態勢」をつくること。心を落ち着かせ、相手の攻撃をうまく受け流す。そして、余裕ができたら自分の意見も言う──そのために活用してほしいのが、次の「議論を豊かにする言葉」です。レッスン14議論を豊かにする言葉威圧感を覚えたら、「首をラクに、頭を前に上に」と唱える。相手からの威圧感を覚えると、反射的に首がすくみ、それが全身の過緊張につながります。この首の緊張がリセットできないと、心に生じた相手への恐怖心はなかなか消えません。これが少しずつ蓄積されると「議論したら負ける」「押しが強い相手には反論できない」というコンプレックスになりがちです。ここではあまり難しく考えず、相手から威圧を感じたら、「首をラクに、頭を前に上に」とおまじないのように心のなかで唱えてください。体を動かそうとしなくても、そう思うだけでいいのです。「ただ言葉だけで?」と思うかもしれませんが、いったん意識するだけでも緊張はほぐれ、平静になることができます。
相手に苦手意識を感じたとき、体は緊張し、呼吸は浅くなっています。まずは呼吸を意識してください。意識するだけでも呼吸は深くなります。気持ちは落ち着き、自分を客観視できるようになるため、苦手意識からも離れられるようになります。結果として、平常心がとりもどせるのです。反論したくなったら、「胸は響いているか」と考える。異論・反論を返すときは、すぐに反応せず、胸の響きを意識するようにしましょう。ただ自問するだけでも、意識は自然と胸に集まり、激しい口調が和らぎ、落ち着いた状態で自分の思いが伝えられるようになるからです。強引に言い負かして議論に勝ったところで、相手が心の底から納得するとは限りません。場合によっては、恨みを買ってしまうこともあるでしょう。相手に納得してもらうことが、本当の意味で議論を豊かにする道です。周囲の理解や協力を得るために、声の調子を整えよう意見を通しても、そこで終わりではありません。自分が通した意見を具体化させていくには、周囲の理解や協力、共感を得る必要があります。リーダーの立場にある人や、みんなの力を借りて何かを成し遂げたいという目的がある場合は、胸の響きを大事にしていきましょう。胸の響きを意識すると、トゲのある言い方しかできなかった人も、温かみのある話し方に変わっていきます。ちょっと毒のある言い方でも、相手の受けとり方は好意的に変わるでしょう。マツコ・デラックスさんや梅沢富美男さんは、こうした「愛のある毒舌」で多くの支持を集めるようになりました。胸を響かせると、気に障る言葉でも受け入れられてしまうのです。相手との議論に関しては、鼻をうまく響かせられないと言葉がストレートに届かず、確かに議論に勝つのは難しいところがあります。でも、前述の議論を豊かにする言葉を繰り返し、呼吸が浅くならないようにすれば、第一段階として、無理矢理言い負かされたり、言いくるめられたりすることは確実に減っていきます。そのうえで、胸の響きを大事にしながら意見を伝えることです。胸の響きは優しさのほか、熱い思いも呼び起こしてくれます。聞く耳を持つ人はさらに増えていくでしょう。人をまとめるリーダーシップは、「丹田」から生まれるここまで解説してきた1~3のコツがつかめてくると、誰とでも落ち着いて対話ができるようになり、「4度胸を磨き、リーダーシップを高める法」に自然とつながっていくでしょう。リーダーにはただ引っ張るだけでなく、人と人とをつなげ、まとめる力(=ハーモニー)が求められます。この点については、指揮者としての私の経験からお話ししましょう。指揮者の最大の仕事の一つは、いい音楽が生み出されるための「場」をつくることにあります。演奏家の一人ひとりが勝手な自己主張をしていてはハーモニーが生まれず、人を魅了するパフォーマンスにはなりません。指揮者は、演奏をする皆が心地よいと感じられる方向へと誘導していく、文字通りのコンダクター(案内人)なのです。会議などでも、こうした指揮者のような立場の人がリーダーシップをとると話が早く進みます。そのために何が大事なのか?まずは、第2章で取り上げた「上虚下実」を思い出してください。首や肩など上半身の過緊張をとりのぞき(=上虚)、足腰を安定させる(=下実)ことが発声の基本です。「モンキー」の立ち方で発声をしたあと、座った状態でお腹に手を当てて、丹田を意識してください。じつはこの丹田が、リーダーシップ、つまり、まとめる力を磨くうえでとても重要になってくるのです。丹田とは、腹の一帯に広がっている気力の源で、古来、ここが充実すると生命力がみなぎるととらえられてきました。お腹にエネルギーがみなぎった状態は「胆力」と呼ばれ、何事にも動じない強い意思となって表れます。胆力がつくと、文字通り、腹の据わった生き方、話し方ができるようになるのです。この丹田を響かせることで生まれるのが「腹の声」だと考えてください。指揮者の仕事と重ね合わせると、指揮者は、オーケストラ、合唱団、吹奏楽団など演奏集団のおへそ(丹田)に当たります。誰かがミスをしたり、うまくできなかったりしたときに動揺しては、すべてのバランスが崩れてしまいます。一喜一憂せず、全体のバランスを把握しておくために演奏集団の中心になり、方向づける必要があるのです。体の中心に強い意志の力が宿ってきて、ささいなことに動じない胆力が生まれる腹の声を磨く方法である「丹田呼吸法」「丹田発声法」「丹田瞑想法」を紹介しましょう。レッスン15丹田呼吸法イスに座ってリラックスし、背もたれによりかからず、頭を「前に上に」と考えます(図「「前に上に」とは?」参照)。両手を使って丹田に手を当てます。そのまま口からゆっくり息を吐き出し、すべて吐き切ったら鼻からゆっくりと息を吸いこみます(「5秒吸って、5秒吐く」が目安。慣れてきたら、長くし
ても構いません)。丹田を意識しながら、3分間呼吸を続けます。
丹田呼吸をするとお腹が自由に動きだし、内臓の働きが活発になるため、実践していくと健康増進にもつながります。丹田を意識するということは、体全体のバランスを整えることを意味します。逆に言えば、丹田を意識していないと体のバランスは乱れ、ささいなことで頭に血がのぼり、心も不安定になりやすくなります。頭で考える割合が増えるため、その分、不安や迷いが生まれます。下半身が安定せず、見た目にも軽い印象を与えてしまうため、この人についていこうという信頼感が得られにくくなります。発声や話し方についても同様です。フースラーの理論では、上半身(上唇のつけ根、胸、鼻、頭頂、額、首の後ろ)を響かせることに焦点が当てられていました。このように、西洋音楽を学んでいってもほとんど意識されることはありませんが、昔から丹田を磨くことが大事にされてきた日本では、このカテゴリーに当てはまらない「腹の声」もとても大事にしてきました。この丹田を響かせる第一歩が、丹田呼吸法なのです。慣れてきたら、次の丹田発声法も行なってください。レッスン16丹田発声法イスに座り、丹田に手を置き、「丹田呼吸法」を3~5分ほど繰り返します。リラックスしてきたら、お腹から全身に波紋が広がるように、「オー」(O)とゆっくり発声します。「オー」(O)という発音をするのは、母音のなかでも、おごそかで深い響きが必要となるからです。たとえるなら、遠くから聞こえてくる「ボーッ」という汽笛、あるいは「ゴーン」というお寺の鐘などにイメージが近いかもしれません。お腹の響きを感じながら、ゆっくり、ゆっくりと続けていきましょう。さらに5~10分続けていくと、次の「丹田瞑想法」につながっていきます。レッスン17丹田瞑想法「丹田発声法」を行なったあと、目は開けたまま、「オー」という発声の振動が体全体に広がっていくのを感じます。静かに呼吸を繰り返しながら、この振動が体の外に向かって波紋のように広がっていくのをイメージします。*丹田呼吸法、丹田発声法と併用しながら、5~10分ほど続けましょう。慣れてきたら、時間をのばしても構いません。この瞑想法のポイントは、自分の意識を体の中心から外へ外へと広げていくことです。この外へ向かっていく感覚を徐々に広げていくと、じんわりとした振動が徐々に部屋全体に拡散し、自分の意識そのものが広がっていく様子が感じられるようになるでしょう。私の場合、日常でも、指揮者としてタクトを振っているときも、こうした振動の広がりを忘れないように心がけています。指揮者の丹田から波紋のように広がる振動は、演奏者から観客へと伝わり、会場全体を一つに結びつけています。それは、ベートーベンの『第九』にも出てくる「歓喜」そのものです。私はそうした演奏者や観客と一体になる喜び(歓喜)を、幾度となく経験してきました。なぜかみんなとうまくいくハーモニーを生み出す「根源の思い」とは?昔の日本人は、こうした胆力を持った人が多く、それが人を惹きつける魅力、リーダーシップとして発揮されていました。体を「頭」「胸」「腹」という3つの場所に分けた場合、胆力は「腹」に深く関わっていると考えられてきました。ただ、私たち現代人がよく使っているのは、頭でつくられる「考え」のほうでしょう。主義主張と言い換えてもいいかもしれませんが、それは一人ひとり異なっているため、ただぶつけ合うだけでは話は平行線になります。ときに争いが生まれてしまうこともあるわけです。これに対して、胸から湧きでる「感情」は個人にとどまらず、社会全体を覆っている「気分」とも重なり合っています。そのため、感情を大事にすると共感しあえる余地が広がっていきます。しかし、胸の響きは状況によって移ろいやすい面があります。あまり依存しすぎると情に流され、いきすぎると攻撃的になるわけです。要するに、頭だけでも理屈に偏りますし、胸だけでは感情が暴走し、心が不安定になります。その意味では、頭も胸もあまりアテになりません。そこで注目されるのが、最後の腹に宿った「思い」です。
腹に宿ったものは、頭でつくられる「考え」、胸から湧き出る「感情」とは異なり、もっと深いところにある「思い」と重なり合います。指揮者や演出家のようにたくさんの人の思いをまとめ、ハーモニーを生み出すことが求められる仕事では、この深い世界とつながることが求められます。人と人をまとめ、心地よくつながるには、さらに深いところにある思い=腹を意識する必要があるのです。これは皆さん一人ひとりにも大切なことでしょう。「言霊」を操ることが極意ここまでの体の話をふまえ、私自身が目指している「話し方の極意」についてお伝えしましょう。たとえば、胸に宿る感情にはどこかふわふわしていて、移ろいやすいところがあります。これに対して、「腹が据わる」と言うとどうでしょうか?そこには、感情よりももっと強い意志、決意などが感じられます。何かに突き動かされるような大きな思い、大いなる意思につながった不動心と重なることもあるでしょう。この感覚が仕事に活かせたら、何が変わるでしょうか?新商品を売る場合、最後の最後は、「その商品を本当にすばらしいと思っているかどうか?」という根本が問われてくるはずです。声を響かせることができれば優れたセールストークが生まれ、たくさんの利益が得られるかもしれませんが、それがすべてではありません。世界を一変させるような発明や発見をする人は、もっとずっと深いところ、まさに腹の底から来るような強い意志をもって、自らの仕事に打ちこんでいるはずです。歌でも、もっとも問われるのはこの意志の部分でしょう。スピリット、ソウルなどと呼ばれることもある核になるものが宿ることで歌が生まれ、それ自体が強いメッセージになります。自分は本当に何を伝えたいのか?すべての根本にあるこうした意志の部分が一番、大事になってきます。私は西洋音楽を長く学び演奏することで、そのすばらしさを実感する機会を数多く得てきました。しかし、日本の歴史のなかにも、「腹を大事にする」という、世界に類を見ない伝統が残されています。すなわち、胆力を磨き、腹を据えて生きることが、言葉や立ち居振る舞いにも強い力を宿し、世の中に大きな影響を与えていく……この意思とつながった言葉の力を「言霊」と呼び、敬う気持ちを持ってきました。困難なことに突き当たっても、すべては自分の気持ち次第です。腹をくくり、強い意志が持てるようになれば、ほかの誰でもない自分の声が出せるようになるはずです。この章で紹介した丹田を磨く3つのレッスンを通し、こうした極意もコツコツと養っていきましょう。日本の伝統文化が教えてくれる声の奥深さ西洋音楽の世界に身を置き、トランペット奏者、指揮者と活動の場を広げていた私ですが、能楽師の安田登氏と出会ったことで、自分のそれまでの価値観が大きく変わるほどの影響を受けました。安田氏が能の一節をうたいながら舞われる姿を拝見したとき、これまで経験したことのない深い感動に襲われたのです。私はそこに、西洋音楽にはない、生命の息吹そのものの響きを感じました。「腹には思いが宿っている」と言いましたが、能のような伝統芸能が大事にしてきたのはこの響きです。言葉や文字が生まれ、コミュニケーションの手段が広がったように思われていますが、そこには表しきれない思いが心の奥に隠れてしまい、肝心なことが伝わらなくなった面もあったでしょう。フースラーの理論では、体の6つの場所を徐々に解放させていきながら、最後に全身を響かせることを目指しますが、能では体の中心にある「思い」に一気につながろうとするのです。その意味では、西洋音楽の目指している世界のさらに先に、能が表現している世界があると言えるかもしれません。西洋音楽からこぼれ落ちてしまったもののなかにも、人に深い感動をもたらすエッセンスはひそんでいるのです。そうした奥義をいきなり会得することはできませんが、体の感覚を少しずつ磨いていき、そのすばらしさが感じとれるようになると、ものの捉え方の幅が広がっていき、心が豊かになります。私自身、西洋と日本の文化のすばらしさを学びながら、そのよいところを融合させた新しい発声法を伝えていきたいと思っています。
column「声」という漢字の語源からわかること声という文字のルーツをご存知でしょうか?声という字は、もともと「磬」という字が関係していました。そこには、「石板をぶら下げた楽器をたたくことで聞こえてくる音」という意味があります。わかりやすく言えば、巫女さんのような神様に仕える人が石をたたくと、「今年の田植えはいつにしなさい」といったお告げ=聲(声)が降りてくる。……そこに声の語源があると考えられているのです。ここから読みとれるのは、「声は異界からやってくるものである」という、昔の人のとらえ方でしょう。たとえば、毎朝、人に会えば「おはようございます」という言葉が出てくると思いますが、誰もいなければこうした声は出てきません。同じ言葉であったとしても、そのときの相手の雰囲気で響き方はいくらでも変わってくるでしょう。つまり、声は自分で出すのではなく、相手によって引き出されるものという側面があるのです。そうとらえると、日常で会話することの意味合いも変わってくると思いませんか?石の楽器をたたくと聞こえてくるということは、声の本質が「響き」にあるということです。人と人の関係も、響き合えばうまくいき、心地よさが得られます。それは、歌うこととまったく変わりはありません。ハーモニーは他者との関係のなかで生まれ、育っていくのです。こうした響きが感じとれるようになると、1人の前で歌う場合と、50人を前に、100人を前に歌う場合で、声の出し方が変わってくるようになります。それはその場の空気を感じとり、目の前にいる人が何を望んでいるか聞きとることができる力と言っていいかもしれません。相手に思いを伝えるには、しゃべることよりも、相手の存在を感じとり、相手の声に聞く耳を持つことが求められます。しゃべろうとすると自分のことばかりで、相手の存在が見えなくなります。ですから、聴こうとすることです。口を使いたければ、それ以上に耳を使い、まわりの空気を感じとらなくてはなりません。そうするほどに、自然と声が出てくるようになります。それがコミュニケーションをし、人とわかりあい、共感しあえることの、大事な土台になっていくのです。
香西克章(こうざい・かつあき)指揮者、ボイストレーナー。広島県出身。1994年、国立音楽大学音楽教育学科卒業。中学時代にトランペットに出会い、松崎祐一、中山冨士雄、関山幸弘、C・ゴードン、C・リーチ各氏に師事する。また、音楽家の高山顕・千晶氏に音楽の基礎を学ぶ。1988年より指揮者の高階正光氏(斎藤指揮法)に師事。以来、オーケストラ、ブラスバンド、合唱の指揮など幅広い音楽活動を行なうかたわら、「アレクサンダー・テクニーク」などさまざまな身体技法(ボディーワーク)、能など日本の古典芸能を研究。「心身の緊張を手放すことで、声が解放される」という発想に基づき、独自の発声法、ボイストレーニング法を編み出す。セミナー・講座を各地で開催。また、中国、ドイツ、クロアチア、チェコなどでコーラスマスターを務めるなど、その多彩な活動は国内外で注目を集めている。★「アレクサンダー・テクニーク」を学びたい方は、日本アレクサンダー・テクニーク協会(JATS,JapanAlexanderTechniqueSociety)へお問い合わせください。http://www.alextech.net/
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