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第6章 世之介流会話術

目次

「おパ力」に思われる話し方

前章の、長兵衛の喋り方がなぜ「おパカ」に聞こえたのか||。 それにはこんなワケがありました。 小さい子の喋り方の真似はとてもカンタンですよね。 幼い舌ったらずな感じで、ちょっと語尾を上げて話せばいいからです。 「あのねl、エミちゃんねl、今日ね1、ユウタくんとねl、かえりにねl」 とまあ、こんな感じ。かわいらしい感じではあります。 ところが、これを大人がやったら普通は眉をひそめられます。ただただ「幼 く」映るだけですから。ましてや声のト1ンが高いと、その「幼い」イメージはぐんと強くなります。 一方、その逆の低音の語尾下がりは、利口そうで大人っぽい印象を与えます。 放送局の女性のアナウンサーなどは中音域がいいといわれますが、それは聞き やすさはもちろんですが、利口そうに聞こえるという目的もあるのです。 まあ、アメリカのニュース番組のアンカーマン(日本でいうキャスター)は、 異常なくらい低音ですし、北朝鮮のあのアナウンサーに至つては低音というよ り脅しているくらいに聞こえますが: だから最初の登場の場面、語尾上がりで「おパカ」に思えた長兵衛のイメー ジは、ずっと続いたわけなんです。 実は、身投げをしようとしている若者を助けるとき、長兵衛の声は語尾が下 がり、とても利口そうに聞こえるはずなんです。ところが、最初のイメージが 覆ることはない。つまり、人は第一印象をなかなか払拭できないということな んです。 しかし、トlンが高くて語尾上がりは「おパカ」で良くなくて、トーンが低 くて語尾下がりは「利口そう」だから良いのかというと、必ずしもそうでもあ りません。

声が低いと利口そうに聞こえる反面、暗い印象にもなりがちです。一方の高いほうは幼稚に聞こえるかもしれませんが明るい印象は残ります。

アフターファイブ。仕事を終えて居酒屋で一杯、という場面。 元気そうな店員が「いらっしゃいませ1!」と笑顔で声をかけてくれたら、 思わず「飲むぞ!」というムlドが高まり、仕事を終えた開放感が広がるはず です。もしそれが暗いト1ンで、しかも語尾下がりで「いらっしゃいませえ」 とやられたら「早めに引き上げようね」という気になってしまいます。 ところが、高級そうな宝石店で、先ほどの居酒屋のように、 「いらっしゃいませl!こちらの商品、本日お安くなってますよ。たったの 一OO万円、たったの一OO万円!」 などと甲高い声で言われたら、まず買う気は起こらないでしょう。 そういうところでは、低く語尾下がりで、 「いらっしゃいませ。どういったものをお探しですか?」 と言ってもらわないと信用できませんよね。つまりひとは、その場所の先入観や雰囲気、またその時の心持ちなどによって、ケースバイケースで、求めている相手のイメージや声と言葉が存在する、 と し亙 うことなんです。 もしも、こうした「印象」をうまく使い分けられれば、よりスムーズな人間 関係が創り出せるともいえるでしょう。 元気よく迎え入れてくれる居酒屋の店員の声は、だれからも気さくに話しか けられるような存在感を感じさせてくれます。ある意味で親しみゃすく、決し て目上ではない存在。 先日聞いた話によると、学校でも人気のある先生のほとんどは、大きな声で それも語尾上がりで生徒たちに挨拶しているそうです。それが非常に生徒に近 い存在として受けとめられるからなんでしょうね。

会話の悩み|コミュニケーションの基礎

わたしはスクールの生徒さんたちに、会話のどんなことで悩んでいるかをよ く聞くようにしています。それにはやはり傾向があるようです。一つめは、思っていることが言えない。二つめが、思っていなかったのに言 ってしまって後悔する。三つめは、人前でうまく話せない。だいたいこの三つ でしょう。

三つめは、ほとんどだれでもそう思っているようですね。多くの人がそう答えます。

でも、考えてみれば、あんまり初対面でぺらぺら話せる人もどうかと思いま すよね。何かを売りつけよう、何かに勧誘しようとしていることも多いようで すし、昨今は。じゃ反対に、どうしてそういう人たちは話がうまいのか。それ は目標があるから、思い込んでいるものがあるからに他ならないのです。 そう考えてみると、普通の人がただ何となく長く話すのはどう考えてもムリ なんですよね。 話がうまくできない人は、きっと自分のテlマがないからと考えられます。 だったら、テーマを持ってみたらどうでしょうか。 たとえば食事の時。食後にコーヒーか紅茶を頼んだ時に、 「わたし、ダ1ジリンが好きなんですよね。紅茶の中でも何の料理にでも合うし、、、」

「あ、そうなんだ。僕もダlジリンのミルクティがいちばん好きだなあ」 ね、もう話ができるでしょ?どんどん続いていくし、広がってくる。 「コミュニケーション」と聞くと、みなさんすぐにうわべだけを見て、 かをしようとしてしまう。おもしろく喋るにはどうしたらいいの? つい何 とかそん なふうに考えてしまう。 でも実際に大切なのは、そんな目先のテクニックではなくて、ふだんからの勉強や好奇心なんです。

じゃあ、本当のコミュニケーションはどこから始まっているのか? それは、この本の冒頭にあったように「心地よい挨拶」から始まっているの です。そこから、相手の懐に入り込めれば、ムリにおもしろい人に思われよう などと考えなくても、いいコミュニケーションはとれていくものなのです。そしてもう一つ大切なのが「自己開示」。 これは読んで字の知く、自分をオープンにすることです。 男女の恋愛状況で言えば、「自己開示」はかなり仲良くなったときに始まる 行動といえるでしょう。それは向性でもいっしょです。 「実はね、うちの弟がね:::」 「学生時代にさ、こんな親友がいたんだけどね」 こういう話をされたら、よほど苦手な相手じゃない限り、「うんうん、それ でそれで?」と興味を抱いてくれるはず。 異性だったら「あれ?これはだいぶ自分に好意を持ってくれてるなあ」と 思うところです。 そうやって、ある部分の自分をさらけ出すことは、相手の心を聞くことにも つながってくるわけです。

「自分で体験した」という説得力

女性だってスペシャリストになってくると、人前で話さなければならない機 会がどんどん増えてきます。 できれば、人の心を掴むおもしろい話をしてみたいのが人情ですね。 ところが、自分で話そうとすることがおもしろいのか、おもしろくないのか判断できない、ということがある。実際、ものすごくよくあることのようです。 そんなとき、わたしはこんなアドバイスをします。 それは「本物を見なさい」ということ。 よくある女性どうしの会話でも、 「たいぞうクンねえ」と言ったとします。あの注目を集めた小泉チルドレンの 杉村太蔵クンのお話ですね。 「うんうん、あれねえ」とせいぜいテレビなどで観た感想を言う。訴は続いて いても、実際は話のクッションばかりで何の核心もないのがほとんどですね。 ところが、中の一人が、 「わたしねえ、あのたいぞうクンに会いに行ったのよ」と言ったならばどうな るでしょう? 全員「エ|||ツ!」と絶対に声をあげることでしょう。

「どうだつた?」と質問攻めになることは明らかですよね。 ここから会話が、俄然おもしろくなることは目に見えています。 そのぐらい「実際に会った」「実際に観に行った」という訴は人を引きつけ るものなのです。実際に見て、自分で体験して、感動した、がっかりした、と

いう話こそ説得力を持つものはないのです。 それは、事実を持っていればスターになれる、と言い換えてもいいでしょう。 サッカーのトヨタカップを、実際に凍えるような寒さに震えながら国立競技 場で観た人と、暖かい部屋の中でこたつに入ってテレビを観ていた人とでは、 説得力がまるで違う。当然ですよね。 テレビでも雑誌でもなく、自分というメディアが体験したことほど強いもの はないのです。 「でも、なかなか実際に行けるものじゃないでしょ」 確かにそうかもしれません。でも、よく考えてみてください。 たいぞうクンに会いには行けなくても、トヨタカップには行けなくても、自 分にはリアルな実際の職場や住んでいる町の体験があるはずです。 それを話せばいいのです。実体験した話には、きっと誰もが身を乗り出して くれるでしょう。もちろん、行動力を持っていろんなところに行ってみることに越したことは ありません。行動力のある人の話は、確実に人の興味をそそります。またおも しろいことに、行動派の人はすでに話し上手であることも多いのです。

肝心なのはボキャブラリー

これまで紹介してきたように、楽しい会話には、さまざまなテクニックが必 要とされます。 それでも、わたしの経験と研究では、その中でもっとも重要なものは、結局 のところ「ボキャブラリー」に尽きるという結論にたどりつきました。 より多くのボキャブラリーは、高価なボディス1ツやコスメ、アクセサリー 以上に、その人を魅力的に伝える最高の武器といえるでしょう。 一つのエピソードも貧弱なボキャブラリーで伝えられるのと、豊富なボキャ ブラリーを使い、生き生きとした語り口で話されるのとではまったく違います。 では、ボキャブラリーを増やすにはどうしたらいいのでしょうか?

新聞や本を読む?いい言葉をメモしておくつ-

いやいや、それでは一向にボキャブラリーは増えてきません。 なぜなら、自分の言葉として使っていないからなんです。 先に述べたように、言葉は口にすることで強いパワーを生み出してくれます。だから、同じように口に出してみる、つまり自分のものにしない限り「ボキ ャブラリーが増えた」とはいえないわけなんです。 とはいえ、新聞や本やテレビ、ラジオで知った言葉をいつ口にするのか。 そうですよね。友だちどうしでもそんな機会はそうそうありません。 でも、実は格好の方法があるんです。 それは俳句なんです。 突然ですが、今、わたしは声を大にして言いたい! みなさん、俳句を始めましょう! 俳句は、ウンウンと悩んで言葉を絞り出し、それらをたった一七文字で自分 だけの世界観を表現する、という日本独特のカルチャーです。

ボキャブラリーが身につく俳句のススメ

わたし自身、五年ほど前からこの俳句の魅力に取り付かれ、自ら阜子角という俳号を名乗り、俳句の会『かいぶつ句会』に参加しています。榎本了壱さん主宰のその会は、静々たるメンバーが顔を揃え、そのレベルもかなり高度な もの。さらにその名のとおり、ユーモアも毒もたっぷりなのがすごいところで もあります。 この会から毎月発行される同人誌『かいぶつ句集』はすでに三O号を数え、 わたしも草創期から、毎回自分の俳句の作品とセットになった俳句小説といえ るような作品を連載しています(これがなかなか評判でファンレターもいただ くほどなんです。ちょっと自慢です)。 俳句だったら、自分が探し当てたボキャブラリーを使えるうえに、気に入っ た言葉を使って、句会で自分が発表できるんです。 そう、自分で詠むということは、自分の頭に残り、さらにはその言葉が自分 のものとなってゆく||。まさに、言葉のパワ1の理にかなった「使える言 葉」が蓄積されていくのです。 俳句には、ほかでは見かけないさまざまな言葉が登場してきます。 「季語」はご存知ですよね。そう、俳句で用いられる季節を表す言葉のこと。 たとえば「風薫る」などは春の季語としてあまりに有名ですね。また、「風 ひかる」、「山笑う」なんていうのも春の季語なんです。

春といえば、こんな有名な句もあります。 持夫、く愛宕の星の匂ひかな其 角 其角は、百蕉の高弟にして、大酒飲みでシャレ好きの遊び人で知られていま した。昔のNHKがあった愛宕山に、星のように白い梅が咲いて、そこから梅 の香りがしてきたのでしょう。かつて澄んだ空気の時代には、梅の香りは心地 よかったんでしょうね。そんなところから、「梅」には「匂い草」という別名 もあります。「春告げ草」も「梅」の別称。また、よろずの草木に先駆けて咲 く花ですから、「花の兄」などという呼び方もあります。

持一一輪一輪ほどのあたたか3 嵐雪

いかがですか、待ちわびた春を喜ぶ気持ちが伝わってくるでしょ。 また、夏の季語には「虎が雨」などというものもあります。 これは、仇討ちで知られる曽我兄弟の兄十朗祐成の愛人だった虎御前が、五 月二八日の仇討ちのその日に十朗が死んでしまい、その死を嘆いて泣いた涙が 天に届き、毎年その日に涙雨が降るということなのだそうです。

寝白粉香にたちけり虎が而日野草城

わたしの俳号「屯子角」は、やはり夏の季語の一つ「カブトムシ」を表す言 葉です。歳時記などによると、サイカチの木にカブトムシがつくことから、 「屯子角虫」または「屯子角」などと呼ばれるようになったとあります。 前にお伝えしたように、わたしの芸名「世之介」は、井原西鶴の「好色一代 男」の主役「但馬屋の世之介」に由来しています。俳人でもあった西鶴(サイ カク)の音を俳号に入れたかったのと、いつまでも子供心を忘れない句を詠み、 そのうえ大好きな音楽、ビートルズ(カブトムシ)にも通じるようにと、欲張 った挙句に探し当てた俳号なんです。 さて、秋の季語に移しましょう。 、、、、吋人 「駈矧鳴く」なんて言葉も立派な秋の季語として出てきます。 秋の夜に、または雨の中、地中から「ジジ1ッ」と聞こえる音を「ミミズの 鳴き声」としたものなんです。もちろん、ミミズが鳴くわけはありませんから、

実際には蟻姑の声をミミズに例えたものですけれど。その声を「歌女鳴く」などという色っぽい表現もありますね。

俳句にはこのように、想像や、見た目から別の表現にしたりすることも少な くありません。 じゅずこ たとえば、オタマジャクシのことをその姿から「数珠子」などと言ったり、 もんしろちょう 紋白蝶のことを「菜の花蝶」と呼んだりします。また、「カタツムリ」は「蛸 牛」と書くことから「かぎゅう」としたり、「まいまい」、「ででむし」などと 多様な呼び方があります。 俳句には興味深い言葉がたくさん出合えて、まったく飽きません。 それじゃ、お言葉に甘えて(?)、『かいぶつ句会』で発表したわたしの作品 をいくつか。

こんな映像的な遊びが言葉を使ってできるって、なかなか素敵なことだと思 いませんか。最近は、テレビなどでも何かとウンチク番組が幅を利かせていますね。

でも、ウンチクはひと言説明されれば「へえ1」で終わってしまう。結局、 言葉とその意味をくっつけただけですよね。 わたしも小学生の息子と一緒にいたりすると、 「犬も歩けば棒に当たるってどういう意味?」 なんて聞かれたりしますが、 「それは、こうこうこうという意味だよ」 で終わってしまいます。その先に進むべき道が何もないんです。 ところが俳句の場合、ある言葉を使おうするとき、その言葉が持つ裏のウラ まで考えて使おうと思うから、考えた末、結局違うものを詠むことになってし まったり、今度こそあの言葉をモノにしてやろうと考えたり、もう楽しいった らありゃしないんです。それを自分で声に出してよんで、人によまれて評価されて(もちろん感心されたり失笑を買ったりですが)、自分の頭に刻み込まれる。そんな意味でも、俳句は、ボキャブラリーを増やす会話術の入り口として非 常にすばらしいものでもあるのです。 どどいつ もちろん、俳句と同様に今流行っている川柳や都々逸でも構いませんが、わたしとしてはやはり俳句をお勧めしたいところです。

世之介の、ギャグ講座

ここでせっかくですから、わたしの専円である「お笑い」のことについても すこしお話ししましょう。 数年ほど前から、空前のお笑いブlムといわれるようになりましたね。これ は、第五次お笑いブlムと呼ばれることもあるようです。 バラエティでもクイズ番組でもお笑い芸人のオンパレー ド。それも同じ顔ぶれ。彼らが一日中、局から局に飛び回っているのが手に取 るようにわかります。 テレビをつけると、 アン、力lルズの「ジャガジャガジャガジャガジャガー」、レギュラーの「あるある探検隊、あるある探検隊!」、そして呆れるほど出ているレイザlラモ ンHGの「フォl!」などなど、子供たちだけでなく、飲屋街のネクタイを締 めたサラリーマンまでが大声で叫んでいるのを目にします。 楽しく笑うことはとてもすばらしいことです。

ところが、笑わせることは本当に難しい。それが商売のわたしが言うのだか ら間違いありません。 だれもが笑いを求めている現代では、おもしろいことを言う人はそれだけで 学校や職場の人気者です。よくある笑わせ方に、自虐ギャグというものがあります。 これは、今ならピン芸人のヒロシなどの独り語り芸で知られていますが、実 は古くからコント芸人たちが、へマをやったり、転んでみせたり、ドジで間抜 けな部分を見せることで成立してきた伝統的なギャグでもあります。 みなさんは、こんな場面に出くわしたことはありませんか? 結婚式の会場などで、あきらかにスピーチ下手のおじさんが汗を拭き拭き、 懸命になりながらスピーチを読んでいます。その途中、泣きそうな顔で「これ、 ずっと練習してきたんですけど:::」とひと言つぶやく。 それだけでドッとウケたりすることがあるでしょう。「下手なスピーチだなあ」とだれもが思っていたところに、本人が自分で「こ れでも練習してきた」とパラすものだから、会場は笑いの渦になるのは当然です。 このひと言は、同時にスピーチをしているおじさんの人柄をも表し、偉ぶら ない正直ないい人、という印象を植えつけてくれます。結果的に、いただけな かったはずのスピーチが、印象に残るいいスピーチになってしまうんですね。 あれがもし計算で言ったなら、立派な自虐ギャグといえます。 正直言いますと、わたし自身このテクニックを利用する時があります。 ここぞ、と思ったギャグを言ったのに、直後に一瞬の沈黙が訪れるという状 況。夢にまで見る恐怖の場面です。 わたし自身、もしかしたらお客さんもみんなドッと大爆笑と思っていたはず なのに、誰一人クスリとも笑わない。怖いですよ、これは。でも、よくあるん です。ちょっとした「聞のズレ」だったり、笑い声がかぶって聞こえなかった り、とか。まあ、実際におもしろくなかったり、ということもありますが ( 干 」ー れも自虐です)。 そんなシ1ンとした瞬間、わたしはちょっと聞を取って、お客さんを待たせ てから、 「やっぱり、言わないほうがよかった」とひと言つぶやきます。ハラハラしていたお客さんはここでドッときます。

いや、これ実はかなりの高等技術なんですけどね。 それでお客さんは、自分が優位に立った気になるんです。すると、反対に親 しみが湧いたせいもあって、どんどん噺に引き込まれてくるということもある。 スピーチのおじさんのように、正直なひと言が聴き手の心を掴むわけですね。 企業秘密なんですが、それを私たちは、テクニックでやってしまうのです。 ・: いや、実は偶然だったりもするんですが:・

親爺ギャクの真実

「コーヒーがこlひい(濃lい)ねえ。へつへへへ」自分で言って自分で笑う親爺ギャグ。よくいますね、こんなおどこにでも、 じさんは。 親爺ギャグとひと口にいってもほとんど巷で使われる場合、「ダジャレ」をさしていることが多いようです。

俗に「酒落」「ダジャレ」と言いますが、内容によって洒落や地口

に分類されます。 広辞苑をひいてみると||、 「酒落」とは、座興に言う気の利いた文句。同音をいかして言う地口のこと。 一方の「地口」とは、俗語などに同音、または声音の似た語をあてて、違った 意味を表す酒落。例えば「着たきり雀(壬口切り雀こなどと書かれています。 「澗落」も「地口」も同じような扱いです。 ところが、私たち噺家の解釈では、一つの言葉に対して二つ以上の意味が重 なったときを澗落と呼び、ただ似ている言葉を並べただけのものを地口と呼ん でいます。

「ダジャレ(駄酒落ことは、その名のとおり、二つの意味こそ持っているものの、つまらないしゃれ。まずいしゃれのこと。よくあるものを並べてみましょう。 「吹っ飛んでいるねえ、布団だけに」 「水臭いねえ君は」「そりゃそうだよ。プlルの中にいるんだから」 これらは酒落なんですね。まあ、「ダジャレ」と言ってもいいかもしれません。

一方の地口とは||。 たとえば、「へビが血を出してる」「ああ、へlビ1チ1デI(A、B、C D)」 「お地蔵さんが電話してんの」「ああ、じぞう電話(自動電話)」 こういうのは地口なんですね。まったくもう、と思うくらいに、ただ音が似 ているというだけの言葉遊びです。 これが、完壁にクセになってしまっているおじさん、よくいますね。 「コ1ディネlトはこlでね!と」「コピl用紙はA4でえ1よん」「本日は、これで帰さん(解散)」:::。条件反射で、ただただ垂れ流すように出てくる地口。これは、やり過ぎると、ホントに嫌われます。

あまりに有名な小話のネタに、「隣りの空き地に固いができたってね」 「へえ1」 というのがあります。これは、あまりに有名すぎてくだらなく思われがちで すが、「塀」と感嘆符の「へえl」という、二つの意味が重なっているので、 立派な酒落なんです。 同じように、 「鳩が何か落としたよ」 「ふーん」 これも酒落になります。 同じ酒落でも、こんなものもあります。 「今度、あの会社の顧問になることになってね」 「顧問になると、常識やセンスが問われるようになりますよね」

「まぁそうだよね」

「ーーへへ、顧問センス」 わかります?これは、英語のコモンセンス(常識)という言葉と、「顧問」 と「センス」を当てた、三つの言葉が組み合わさった、かなり高尚な酒落。

「へえl」や「ふーん」とは、ちょっと次元が違いますね(自慢してます)。 だから、親爺ギャグを連発する人の言葉をよく聞いていると、ただの音だけ が一緒で意味のない地口を言ってるのか、二つの世界を持った酒落を言ってい るのかがわかるはずなんです。 話は変わりますが、以前から不思議に思っていたことに、(なんで酒落好き に女性がいないのか||)という疑問があります。耳と脳のシステムが違うの かしら。実際、ほとんど見かけませんよね。きっと女性の場合、酒落を言って も自分に得にならないからなんでしょうね。

この間、友人とお酒を飲みながら、俳句の話をしていた時のこと。当然、俳 句と言えばわたしがそこにいる全員の先生役なんですが、 「俳句を詠むのが専業の人は?」 「俳人だよね」 「で、発句や連句の総称は?」

「俳話かな」 「古池や、などと使われている俳句らしい世界観のある『や』は?」 「切れ字でしょ」 などと、友人に聞かれるままに答えていたんです。 でその時、全員の頭の中に、それもまさに同時に、突如としてあるイメージ が浮かんだんです。 ぼろぼろになった男が、夜道を行ったり来たり||。それも、お尻のあたり を押さえながら・・・・・・。 一瞬の沈黙があって、みな目を見合わせて大笑い。そう、同音の別の漢字が ひらめいちゃつたんです。 それは||、「廃人」に「俳佃」、そして:::。 まあ、このへんにしときましょ。 そうなんですね。この友人はわかっていながら、わ、ざとわたしに聞いてきて いたんですね。これには、ブロのわたしも「やられた!」と思いました。 さて、そんな酒落ですが。二つ以上のイメージを重ねて話すというのは、意 外にできそうでできないものです。だから、酒落を連発できるおじさんは、案

外頭のいい人かもしれません。 もしかしたら、二つの異なるイメージを重ねた世界を話せる人のギャグは、 笑えないこちらのほうが考えものかもしれない。 そんな意味では、こちらのほうからそんなアドバイスをして、もっと高度で 知的な酒落を言ってもらって、楽しい会話を提供していただくのも賢い考えな んです。 「つまり『豚もおだてりゃ木に登る』ってことですかね」「トンだことかもしれませんが」 ||お後がよろしいようで。

とっておきのテクニック

最後に、わたしのとっておきのテクニックを伝授いたしましょう。 わたしが、この「言葉のパワ1」について研究するようになってから、講演 する機会が増えたことは先に話しました。 そんな講演で、必ずわたしがすることがあります。それは、わたしの講演が終わり、大拍手のなか退場するという最後の最後に 行ないます。出口に消えそうになった瞬間もう一度会場に戻るんです。そして 何か言って笑わせる。司会の方にギャグをぶつけたりして。これは絶対にウケ ます。最初から用意しているギャグですからね。 最後の最後に、笑わせて、つまり楽しませて終わる。 「終わりよければすべてよし」とは本当によく言ったものです。 最後の最後に笑ったら、すべて楽しかった、という印象が残るんです。 恋愛でもそう。ダメな男は、この最後、その夜の別れ際が甘いんですね。別 れる間際というのは、人間がかなり敏感になる大切な一瞬。それを大事にしな い男は絶対しくじる。 たとえば、見送られた電車でずっと手を振られたらグッときますよね。 恋人どうしでも別れ際にグイッと抱きしめられるのと、じゃあねと背を向け て帰ってしまうのでは天と地ほどの違いがあります。これは、わたしの経験で はなく一般論なんですが、念のため。 多少、イマイチのことがあっても最後に楽しかったらそれでオーケー。 よく、宴会などが終わった後に、最後に路上でギャグをやる人がいます。

そういう人は確実に人気があります。みな、その人のいい印象を抱いて家路につくわけですからね。

おわりに

それにしても、 す。 つくづくとんでもないタイトルの本を書いてしまったもので 『なんで挨拶しなきゃいけないんですかあly』|| 唐突なその問いかけの、答えはおわかりいただけたでしょうか。 なにげない挨拶にも、返事にも、ヒトは自分では気がつかないうちに心とカ ラダが反応しています。しっかりとした挨拶や返事をしていると、ヒトは前向 きに仕事に取り組め、充実した日々の暮らしを送る準備ができます。 そして、脳は「言葉」の前にとても正直に答えてくれるーーという真実を再 認識してみてくだい。 私たちが頭で理解していると思い込んでいることと、脳が本当に感じている ことが、実際は食い違っていることもあるのです。プラス言葉かマイナス言葉か、それによって私たちはコントロールされてしまうのです。 マイナス言葉によって、血がドロドロになってしまうという事実。時には人 を「死」にまで追い込んでしまう「言葉」の恐怖1| 。 一方で、周囲と自分を劇的に変えてくれるプラス言葉の存在感||。 「言葉」は自分自身を健康に、快適に、そしてキレイにまでしてくれる「暗証 番号」であり、スイッチです。「言葉」には、私たちの人生までも左右する大 きなパワーがあったのです。そして、その使い方には、ちょっとしたテクニッ クが必要なこともお伝えしました。本文中に数多く登場したOリングによる実 験は、その事実を証明してくれます。 「言葉のパワl」を理解し、上手に使いこなせば、家族、友人関係、恋人、学 校、会社などあらゆる人間関係が良好になり、毎日を楽しく過ごせるようにな るはずです。 さらに、落語や俳句、一言葉遊びを楽しむことで、だれでも会話の達人になれ るのです。 私たちのDNAの中には、人間が人間として生きなければいけない本能というものが蓄積されています。 地震などの災害や、または紛争が起こったら、きっと私たちの本能はあっと いう聞に動き始めるはずです。 私たちの知らない聞にも、そうした危機や非日常を表す言葉に対する反応は 磨かれているのかもしれません。 「危険だ」「逃げろ!」||そう言葉を聞くとビクッとしてしまうような言葉 への反応。 また一方で、心地よい言葉に快い反応を示してしまうのは、おそらくDNA がそうさせるのでしょう。 それでも、現在の私たちの「言葉に反応する」能力は鈍化しているように思 えてなりません。目を覆うような事件が次から次に起きています。それは「言葉に反応する」 能力に磨きをかける作業が、まだまだ足りないからと思えてならないのです。 もっと、楽しい言葉で遊んで、美しい言葉にうっとりするように心がける必 要がありそうです。 たくさんのプラス言葉に固まれた暮らしこそが、もしかしたら本物の「幸福」なのかもしれません。 さて、最後に一つだけ実験をしてこの本を終わりにしたいと思います。 ここまでおつきあいしていただいたみなさんですから、要領はもうおわかり ですね。 ﹇実験行﹈ 被験者はそのままの状態で、次の言葉を言ってください。 たいほみえふびん 「逮捕ユスリ見栄カモ不偶」 被験者が言い終わったら、協力者は「ハイ」という合図で、両手の指を被験 者のリングに通して輪をつくり、被験者の指を聞こうと引っぱります。このと き被験者はリングを聞かれないように、指に力を入れます。 同じ要領で今度は次の言葉を発してみてください。 よたろうのんS すけベいけいは〈 「与太郎香気助平軽薄」どうですか?リングはどちらが聞きましたか? いやあ、実はわたし、その結果にものすごくドキドキしています。 第六章でお話ししましたよね、最後の最後で笑いを取る、と。 前者のそれぞれの言葉のお尻の文字、後者のあたまの文字をつなげてみてく ださい。 ね、とても結果が心配です。並んでいる言葉がこれですから・: それでは、ひと笑いしていただいたところで、世之介の「言葉のパワl」の 一席、これにてひとまずオシマイです。次は、高座でお会いいたしましょう。 もしかしたら、続編でお会いしたりして。 ではでは。

金原亭世之介

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