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第6の習慣シナジーを創り出す

 

目次

創造的協力の原則

私は、聖人の願いを己の指針としたい。危機的な問題においては結束を、重要な問題においては多様性を、あらゆる問題においては寛容を。──大統領就任演説ジョージ・H・W・ブッシュ

ウィンストン・チャーチル卿は、第二次世界大戦時下にイギリス首相に任命されたとき、「私のこれまでの人生は、まさにこのときのためにあった」と語った。

同じ意味で、ここまで学んできた習慣はすべて、シナジーを創り出す習慣の準備だったと言える。

シナジーを正しく理解するなら、シナジーは、あらゆる人の人生においてもっとも崇高な活動であり、他のすべての習慣を実践しているかどうかの真価を問うものであり、またその目的である。

どんなに困難な試練に直面しても、人間だけに授けられた四つの能力(自覚・想像・良心・意志)、Win-Winの精神、共感の傾聴のスキル、これらを総動員すれば、最高のシナジーを創り出すことができる。

そうすると、奇跡としか言いようのない結果に到達できる。それまで考えてもみなかった新しい道が拓けるのである。

シナジーは、原則中心のリーダーシップの神髄である。原則中心の子育ての神髄である。

人間の内面にある最高の力を引き出し、一つにまとめ、解き放つ。ここまで学んできたすべての習慣は、シナジーの奇跡を創り出すための準備だったのである。

シナジーとは、簡単に言えば、全体の合計は個々の部分の総和よりも大きくなるということである。

各部分の関係自体が一つの「部分」として存在するからである。しかもそれは単なる部分ではなく、触媒の役割を果たす。

人に力を与え、人々の力を一つにまとめるうえで、もっとも重要な働きをするのである。しかし創造のプロセスに歩み出すときは、とてつもない不安を感じるものだ。

これから何が起こるのか、どこに行き着くのか、まったく見当がつかず、しかもどんな危険や試練が待ち受けているのかもわからないからだ。

冒険心、発見しようとする精神、創造しようとする精神を持ち、一歩を踏み出すには、確固とした内面の安定性が必要となる。

居心地のよい自分の住処を離れて、未知なる荒野に分け入って行くとき、あなたは開拓者となり、先駆者となる。

新しい可能性、新しい領土、新しい大地を発見し、後に続く者たちのために道を拓くのである。自然界はシナジーの宝庫だ。

たとえば二種類の植物を隣り合わせて植えると、根が土中で入り組み、土壌を肥やし、一種類だけを植えた場合よりもよく育つ。

二本の木材を重ねれば、一本ずつで支えられる重量の和よりもはるかに重いものを支えられる。

全体は各部分の総和よりも大きくなるのである。一プラス一が三にも、それ以上にもなる。

ところが、自然から学べるこの創造的協力の原則を人間関係に応用するのはそう簡単なことではない。

家庭には、シナジーを観察し練習する多くの機会がある。男女の結びつきがこの世に新しい命を送り出すことこそが、まさにシナジーである。

シナジーの本質は、お互いの違いを認め、尊重し、自分の強みを伸ばし、弱いところを補うことである。

男と女、夫と妻の肉体的な違いは誰でも認めるところである。しかし社会的、精神的、情緒的な違いはどうだろうか。

これらの違いもまた、充実した人生を生きるため、お互いのためになる豊かな環境を生み出す源となるのではないだろうか。

これらの違いこそが、お互いの自尊心を育み、価値を生かし、一人ひとりが成熟して自立し、やがて相互依存の関係を築く機会を与えてくれる環境をつくるのである。

シナジーは他者と社会に奉仕し、貢献する、次の世代のための新しい脚本を創り出すことができるのではないだろうか。防衛的でもなく、敵対的でもなく、自己中心的でもない脚本だ。

保身だけを考えて政治的に立ち回る脚本ではなく、心を開いて人を信じ、分かち合う生き方の脚本である。

所有欲に縛られ、何でも自分勝手に決めつけて生きる脚本ではなく、人を愛し、人のためを思って生きる脚本なのではないだろうか。

シナジーを創り出すコミュニケーション

他者とのコミュニケーションが相乗効果的に展開すると、頭と心が開放されて新しい可能性や選択肢を受け入れ、自分のほうからも新しい自由な発想が出てくるようになる。

それは第2の習慣(終わりを思い描くことから始める)に反するのではないかと思うかもしれないが、実際にはその正反対であり、第2の習慣を実践していることに他ならない。

たしかに、シナジーを創り出すコミュニケーションのプロセスでは、先行きがどうなるか、最後がどのようなものになるのかわからない。

しかし内面に意欲がみなぎり、心が安定し、冒険心が満ちてきて、前に考えていたことよりもはるかに良い結果になると信じることができるはずだ。それこそが最初に描く「終わり」なのである。

そのコミュニケーションに参加している人たち全員が洞察を得られるという。

そして、お互いの考えを知ることで得られる興奮がさらに洞察力を深め、新しいことを学び成長していけるという確信を持って、コミュニケーションを始めるのである。

家庭でもその他の場面でも、ささやかなシナジーさえ体験したことのない人は大勢いる。

このような人たちは、自分の周りに殻をつくり、防衛的なコミュニケーションの仕方や人生も他人も信用できないと教わり、脚本づけられているからである。

だから、第6の習慣を受け入れられず、創造的協力の原則を信じようとしない。これは人生の大きな悲劇だ。人生を無駄に生きてしまうことにもなりかねない。

持って生まれた潜在能力のほとんどが手つかずのまま、生かされることもなく人生が過ぎていってしまうからである。

効果的でない人生を送る人は、自分の潜在能力を発揮することなく日々を過ごしている。

たとえ人生の中でシナジーを経験することがあったとしても、些細なことであり継続もしない。

あるいは記憶を手繰りよせれば、信じられないほど創造力を発揮した体験が呼び起されるかもしれない。

若い頃の一時期に何かのスポーツで本物のチームスピリットを体験した記憶かもしれない。

あるいは何か緊急事態に遭遇し、自分のわがままやプライドを捨て、居合わせた人たちと結束して人命を救ったり、危機的状況を解決する方法を考え出したりした記憶かもしれない。

多くの人は、これほどのシナジーは自分の人生には起こるはずもない奇跡のようなものだと思っていることだろう。だが、そうではない。

このようなシナジーを創り出す経験は日常的に生み出せるのであり、毎日の生活で経験できるのだ。

しかし、そのためには、内面がしっかりと安定し、心を開いて物事を受け入れ、冒険に心躍らせる必要がある。

創造的な活動のほとんどは、予測のつかない出来事がつきものである。先が見えず、当たるのか外れるのかもわからず、試行錯誤の連続である。

だから、こうした曖昧な状況に耐えることができる安定性、原則と内なる価値観による誠実さがなければ、創造的な活動に参加しても不安を感じるだけで、楽しくもないだろう。こういう人たちは、枠組み、確実性、予測を過度に求めるのだ。

教室でのシナジー

本当に優れた授業はカオスのほんの手前で行われる──これは教師としての長年の経験から私自身が実感していることである。

「全体は各部分の総和よりも大きくなる」という原則を教師も生徒も本当に受け入れているかどうかが、シナジーを生むための試金石になる。

教師も生徒も、授業がどのように展開していくのかわからない局面がある。

そのためにはまず、誰もが自分の意見を安心して述べ、全員が他者の意見に耳を傾け、受け入れ、学び合う環境をつくることが大切だ。

それがブレーンストーミングに発展する。

ここでは人の意見を「評価」したい気持ちを創造力と想像力、活発な意見交換によって抑える。すると、普通では考えられないようなことが起こる。

新しい発想や考え方、方向性に教室全体が湧きたち、興奮の渦と化すのだ。

この雰囲気を言い表すぴったりの言葉は見つからないが、そこにいる全員が興奮を感じとることができる。

シナジーとは、グループの全員が古い脚本を捨て、新しい脚本を書き始めることだと言ってもいい。大学でリーダーシップに関する教鞭をとっていた頃、忘れられない体験をした。

新学期が始まって三週間ほど経ったときのことである。一人の学生が個人的な体験をクラスの全員に話して聞かせた。洞察に富み、感情を揺さぶる話だった。

その体験談を聞いた全員が謙虚で敬虔な気持ちになり、勇気を出して話した学生に尊敬と感謝の念を抱いた。

これがきっかけとなって、教室の中にシナジー効果を生もうとする創造的で豊かな土壌ができた。

他の学生たちも、自分の体験や意見を次々と述べた。自信をなくしているのだと、率直に打ち明ける学生もいた。

クラスに信頼関係ができ、安心して発言できる環境ができあがっていたから、誰もが心を開いて自分の考えを話し、皆が真剣に耳を傾けた。

学生たちがそれぞれ準備していた発表を行う予定だったが、授業が思いもかけない展開をみせたので、予定を変更し、そのままディスカッションを進め、お互いの考えを膨らませ、洞察を深めていった。

かくしてリーダーシップ論の授業は、まったく新しい脚本に沿って進められることとなったのである。このプロセスに私自身も深く引き寄せられ、夢中になっていた。

まさに創造的なプロセス、まるで魔法のような展開に、すっかり魅了されてしまったのである。

あらかじめ用意していた授業に戻そうという気はいつの間にかすっかり消え失せ、新しい可能性を感じ始めていた。

そのプロセスは単なる絵空事ではなかった。一人ひとりが成熟し、内面が安定し、発言内容もしっかりしていた。

私が用意していた授業プランをはるかにしのぐものだったのだ。

私たちはそれまでのシラバスや教科書、研究発表のスケジュールをすべて捨て、授業の新しい目的、プロジェクト、課題を設定した。

あまりに強烈な体験だったため、それから三週間ほど経ってから、私も学生たちもその体験を他の人たちにどうしても知ってもらいたくなった。

そこで、このリーダーシップ論の授業でお互いに学んだことや考えたことを、一冊の本にまとめることにした。

新たな課題を決め、新しいプロジェクトを立ち上げ、新しいチームを編成した。

まったく新しい学習環境を得て、学生たちは以前のクラスでは考えられないほど熱心に研究に取り組んだ。

この経験を通して、高い独自性、クラスの一体感、シナジー文化を創り出した。シナジーの文化は学期が終わっても途絶えることはなく、卒業後も同期会が開かれた。

あれから何年も経った今でも、集まればあの授業の話になる。あのとき起こったこと、シナジーが創られた理由の話に花が咲く。

私が不思議に思うのは、あれほどのシナジーを創り出すためには強い信頼関係が必要であるのに、それがほんのわずかな時間で確立されたことである。

その大きな理由は、学生たちがそれだけ人間的に成熟していたからだろう。

最終学年の最終学期に入っており、単に教室で講義を聞くのではなく、何か別の体験を求めていたのだろう。

自分たちで創造できる有意義で新しい何か、エキサイティングな何かを求めるハングリー精神があったのだと思う。

彼らにとっては、「機が熟した」瞬間だったのだ。さらに、彼らの中で正しい「化学反応」が起きたのだ。

シナジーとは何かという講義を聴かされ、それについて話し合うよりも、実際に体験するほうがはるかに強烈だったのだろうし、彼らにしてみれば、教科書を読むよりも自分たちで新しいものを生み出すほうが納得のいく体験だったのだろう。

これとは逆に、あと一息でシナジーに到達するところでカオスの淵に引っかかったまま進まず、結局はただの混乱で終わってしまった体験もある。ほとんどの人がこのような体験をしているのではないだろうか。

残念なことに、一度このような苦い経験をしてしまうと、次に何か新しい経験のチャンスに巡り合っても、以前の失敗が頭をもたげるのである。

シナジーなど絶対に無理だと最初から決めつけ、シナジーに通じる道を自分から断ち切ってしまうのだ。

それは、ごく一握りの生徒の悪い行いを理由に規則をつくる管理者のようなものだ。

他の大勢の生徒たちの自由や創造的可能性を抑えつけてしまう。

あるいは、可能な限り最悪の脚本ばかりを想定し、そんな脚本を法律用語で書き上げ、創造力や起業精神を抑え込み、シナジーを創り出す可能性を摘んでしまう企業経営者もいる。

これまで多くの企業の経営陣にコンサルティングしてきた経験を振り返ってみて、記憶に鮮やかに残っているのは、ほとんどがシナジーの効果が得られたときのことだと断言できる。

シナジーに至るには、そのプロセスの早い段階で必ずと言っていいほど大きな勇気を必要とする瞬間があった。

自分自身にとことん正直になり、自分の本当の姿を見せ、自分の内面、あるいは組織や家族の状況に正面から向き合い、その結果、どうしても言わなければならないことに気づくからである。

それを口にするのは、大きな勇気と本当の愛情がなければできることではない。だから、相手も心を開いて正直になり、自分自身をさらけ出す。その瞬間からシナジーのコミュニケーションが始まる。

こうしてコミュニケーションはどんどんクリエイティブになり、やがて、最初は思ってもみなかった洞察が生まれ、斬新な計画となって実を結ぶのである。

カール・ロジャース(訳注:米国の心理学者)は「もっとも個人的なことはもっとも一般的なことである」と教えている。

自分の本当の姿を見せ、自信を失った経験も含めて自分のことを率直に話すほど、それを聴いている人たちは、自分の経験を正直に話しても大丈夫なのだという気持ちになる。

するとあなたの正直さが相手の精神を養い、そこに真の創造的な共感が生まれ、新たな洞察や学びがもたらされる。

こうして次第に気持ちが高揚していき、冒険心が刺激されて、コミュニケーションのプロセスはシナジーへと向かっていく。

ここまでくれば、短い言葉でも会話が成り立つようになる。

ときにはつじつまの合わない言葉を言ったとしても、お互いに何を言わんとしているかすぐにわかる。そこから新しい世界が見えてくる。

新しい理解、新しいパラダイムから、それまでになかった選択肢を生み出し、新しい可能性を開き、全員で新たな案を検討し始める。

このようなプロセスから生まれたアイデアは、宙ぶらりんのまま具体的に実現しないこともあるかもしれないが、たいていは現実に即した有意義な解決策になるものだ。

ビジネスでのシナジー

同僚たちと会社のミッション・ステートメントを作ったとき、とても印象深いシナジーを体験した。

社員のほぼ全員で山に登り、雄大な自然の中で最高のミッション・ステートメントに仕上げようと、まず第一稿を書くために話し合いを始めた。

最初はお互い尊敬し合い、ありきたりな言葉で慎重に話していた。

しかし、会社の将来についてさまざまな案や可能性、ビジネスチャンスを話し合ううちに、だんだんと打ち解け、自分の本当の考えをはっきりと率直に話せるようになってきた。

ミッション・ステートメントを書くという目的が、いつの間にか全員が自由にイマジネーションを働かせ、一つのアイデアが別のアイデアに自然とつながっていく活発なディスカッションの場となっていた。

全員がお互いに共感しながら話を聴き、それと同時に勇気を持って自分の考えを述べた。お互いを尊重し、理解しながら、シナジーを生む創造的なコミュニケーションをしていたのだ。

そのエキサイティングな雰囲気を誰もが肌で感じていた。そして機が熟したところで、全員で共有できるビジョンを言葉にする作業に戻った。

言葉の一つひとつが私たち全員にとって具体的な意味を持っていた。一人ひとりが決意できる言葉に凝縮されていた。

完成したミッション・ステートメントは、次のようになった。

我々のミッションは、個人や組織が、原則中心のリーダーシップを理解し実践することにより、価値ある目的を達成する能力を大きく高められるようにエンパワーすることである。

シナジーのプロセスがミッション・ステートメントとなって実を結び、その場にいた者たちの心と頭にその一言一句がくっきりと刻まれた。

このミッション・ステートメントは、私たちが仕事を進めるうえでの基準となり、どうあるべきか、どうあるべきでないかを明確に示す道標となったのである。

もう一つ、素晴らしい成果につながったシナジーを体験したときの話をしよう。

ある大手保険会社から、年間の事業計画を決める会議のアドバイザーを頼まれた。活発なディスカッションにしたいので助言してほしいということだった。

会議にはすべての役員が出席し二日間にわたって行われることになっていた。会議の数ヵ月前に準備委員会のメンバーと会い、打ち合わせをした。

彼らの説明によると、事前に質問用紙に記入してもらったり、直接話を聴いたりして、四つか五つの重要課題を決め、それぞれの課題について役員が対応策を準備し、会議で発表するのが例年のパターンだということだった。

それまでの会議では、お互いに遠慮して率直な意見交換ができず、議論が白熱することはたまにあっても、保身と面目をかけたWin-Loseの展開になっていたという。

たいていは決まりきったプロセスをたどるだけの創造的ではない退屈な会議だった。

準備委員会のメンバーにシナジーの威力のことを話すと、彼らもその可能性の大きさを感じたようだった。

最初はかなり尻込みしていたものの、例年のパターンを変えてみようと決心した。

準備委員会は、重要課題について匿名で「提案書」を作成し提出するよう各役員に依頼し、集まった提案書を役員全員に配り、会議の前によく読んで、それぞれの課題をさまざまな角度から理解しておくよう伝えた。

さらに、自分の考えを述べるよりも人の意見を聴くことに重点を置き、自分の立場を守ろうとするのではなく、皆で協力しシナジーを発揮して、より良いものを生み出そうとする姿勢で会議に臨んでほしいとも伝えておいた。

私は会議初日の午前中を使って、第4、第5、第6の習慣の原則とスキルを役員たちに手ほどきした。

それ以降の時間は、会議を創造的なシナジーの場にすることに使った。シナジーの力が解き放たれると、信じられないほどのエネルギーを生み出した。

例年のお決まりのパターンはきれいに消えてなくなり、会議は熱気に包まれた。一人ひとりが心を開いて発言を熱心に聴き、受け止める。

そこに新しい洞察が加わり、それまで思ってもみなかった選択肢が次々と出てきた。

会議が終わる頃には、会社が直面する重要課題を全員が、まったく新しい視点から理解していた。あらかじめ作成されていた提案書は、もはや不要となっていた。

お互いの考え方の違いを尊重し、それを乗り越えて、全員が共有できる新しいビジョンがかたちをなしていったのである。

人は一度でも本物のシナジーを経験すると、それ以前の自分に戻ることはない。あれほど心が広がり、胸躍る冒険にまた出会えることを確信できるからである。

だからといって、以前に経験したシナジーをそっくりそのまま再現しようとしても、うまくいくものではない。

しかし創造的なことを成し遂げようという目的意識ならば、いつでも再現できる。東洋に「師を真似ることを求めず、師の求めたものを求めよ」という至言がある。

これにならえば、過去のシナジー体験を真似るのではなく、それとは異なる目的、より高い目的を達成するための新しいシナジーを求めることができるのである。

シナジーとコミュニケーション

シナジーは心を湧き立たせる。創造することは心を湧き立たせる。心を開いたコミュニケーションが生み出すものには、驚くべきものがある。シナジーは、大きな成果、意味のある進歩につながる。

それは否定しようのないことである。だから、リスクを負ってでもシナジーを起こす努力はする価値があるのだ。

第二次世界大戦後、アメリカ合衆国は新設された原子力委員会の委員長にデビッド・リリエンソールを任命した。リリエンソールは各界の実力者を集めて委員会を組織した。

どの委員もそれぞれの分野で強い影響力を持ち、自らの揺るぎない信念に基づいて行動する人物だった。

それぞれに強烈な個性を放つ人物で構成された原子力委員会は、きわめて重要な任務を帯び、メディアも大きな期待を寄せる中、委員は皆、一刻も早く仕事に取りかかろうと意欲的になっていた。

ところが、リリエンソールは委員同士の信頼口座の構築に数週間を費やし、委員たちがお互いの興味、希望、目標、懸念、経歴、判断基準、パラダイムを知り合える機会を設けた。

立場を超えた人間同士の交流を促し、絆を強めることに時間を使ったのである。

彼のこうしたやり方は、「効率的ではない」とみなされ、厳しい批判にさらされた。

だが結果的には、委員同士が結束し、全員が心を開いて率直に話し合える環境ができ、実にクリエイティブでシナジーにあふれた委員会ができたのである。

お互いを心から尊敬していたから、意見の相違があっても、かたくなになって対立することはなく、お互いに本気で理解しようとした。

委員一人ひとりが、「あなたほど知性と能力に優れ、責任感の強い方が私とは違う意見を持っているからには、私がまだ理解していないことがあるのでしょう。それをぜひとも知りたい。あなたのものの見方、考え方を教えてください」という態度を持つようになっていた。

率直に話し合える人間関係が生まれ、素晴らしい組織文化が形成された。下の図は、信頼関係がコミュニケーションの質にどのように影響するかを示したものである。

もっとも低いレベルのコミュニケーションは低い信頼関係から生じる。

自分の立場を守ることしか考えず、揚げ足をとられないように用心深く言葉を選び、話がこじれて問題が起きたときの用心のためとばかりに予防線を張り、逃げ道をつくっておく。

このようなコミュニケーションでは、結果はWin-LoseかLose-Winのどちらかしかない。

P/PCバランスがとれていないから、コミュニケーションの効果はまったく期待できず、さらに強く自分の立場を防衛しなければならない状況をつくり出すという悪循環に陥ってしまう。

中間のレベルはお互いを尊重するコミュニケーションである。それなりに成熟した人間同士のやりとりである。

相手に敬意は払うけれども、面と向かって反対意見を述べて対立することを避け、そうならないように注意して話を進める。だから、相手の身になって共感するところまでは踏み込めない。

知的レベルでは相互理解が得られるかもしれないが、お互いの立場の土台となっているパラダイムを深く見つめることなく、新しい可能性を受け入れることはできない。

一人ひとりが別々に何かをする自立状態においては、、お互いを尊重するコミュニケーションのレベルでもうまくいく。

複数の人間が協力し合う相互依存の状況でも、ある程度まではやっていけるだろう。

しかしこのレベルでは、創造的な可能性が開かれることはない。

相互依存の状況でお互いを尊重するコミュニケーションをとると、たいていは妥協点を見つけて終わりである。妥協とは、一プラス一が一・五にしかならないことである。

どちらも二を求めていたけれども、お互いに〇・五ずつ諦めて一・五で手を打つことだ。

たしかにこのレベルのコミュニケーションでは、それぞれが自分の立場を守ろうとするかたくなな態度はないし、相手に腹を立てることもなく、自分のいいように相手を操ろうという魂胆もなく、正直で誠意あるやりとりができる。

しかし、個々人のクリエイティブなエネルギーが解き放たれず、シナジーも創り出せない。低いレベルのWin-Winに落ち着くのがやっとだ。

シナジーとは、一プラス一が八にも、一六にも、あるいは一六〇〇にもなることである。

強い信頼関係から生まれるシナジーによって、最初に示されていた案をはるかに上回る結果に到達できる。

しかも全員がそう実感でき、その創造的なプロセスを本心から楽しめる。そこには小さいながらも完結した一つの文化が花開く。

その場限りで終わってしまうかもしれないが、P/PCのバランスがとれた完璧な文化なのである。

シナジーに到達できず、かといってNoDeal(取引きしない)を選択することもできない、そんな状況になることもあるだろう。

しかしそのような状況であっても、真剣にシナジーを目指していれば、妥協するにしても、より高い妥協点が見つかるものである。

第3の案を探す

コミュニケーションのレベルが相互依存関係の効果にどう影響するのか、もっと具体的に考えてみよう。

次のような場面を想像してみてほしい。

ある男性が、今年の長期休暇は家族と湖に旅行して、キャンプと釣りを楽しみたいと思っているとしよう。彼にとっては一年前から温めてきた大切な計画だ。湖畔のコテージを予約し、ボートのレンタルも手配してある。息子たちもこのバカンスを心待ちにしている。

ところが妻は、この休暇を利用して年老いて病床にある母親を見舞いたいと思っている。母親は遠く離れた場所に住んでいるから、頻繁に会いに行くことはできない。

彼女にとって長期休暇は絶好のチャンスなのである。夫と妻の希望の違いは、大きな争いの原因になりかねない。

「もう計画はできているんだ。息子たちも楽しみにしている。湖畔旅行に行くべきだ」と夫は言う。

「でも母はいつまで元気でいられるかわからないのよ。少しでもそばにいてあげたいの。母とゆっくり過ごせる時間は休暇のときしかとれないわ」と妻が応じる。

「一年も前からこの一週間の休暇を楽しみにしてきたんだ。子どもたちにしてみたら、おばあちゃんの家に行って一週間も過ごすなんて退屈だろう。騒ぎたいだけ騒ぐだろうから、お母さんに迷惑をかけるだけだ。それにお母さんは今すぐどうこうっていう病状じゃないんだし。近くにきみの姉さんも住んでいて、ちゃんと世話だってしてくれているじゃないか。大丈夫だよ」

「私の母親でもあるのよ。そばにいたいの」「毎晩電話すればいいじゃないか。クリスマスには家族全員が集まって一緒に過ごす計画になっているだろう?」「そんなのまだ五ヵ月も先の話じゃない。

それまで母が元気でいられる保証なんかないのよ。とにかく、母は私を必要としているの。行ってあげたいのよ」

「お母さんは大丈夫だって。僕と息子たちだって君を必要としているんだよ」「母のほうが釣りより大事だわ」「君の夫と息子たちのほうがお母さんより大事だと思うがね」

こんなふうに話は平行線をたどり、行きつ戻りつしながら、そのうち妥協点を見出すかもしれない。

たとえば休暇は別々に過ごし、夫は子どもたちを連れて湖に行き、妻は母親を見舞う。そしてお互いに罪悪感と不満だけが残る。

子どもたちは両親のそんな気持ちを感じとり、休暇を思いきり楽しめなくなる。あるいは夫のほうが折れて、しぶしぶ妻の母親の家に行くかもしれない。

そして、その一週間が家族全員にとってつまらない休暇になるという自分の確信を裏づける証拠を、意識的にせよ無意識にせよ、妻にあてつけることになるだろう。

逆に妻が譲歩し、湖への家族旅行に同行するかもしれない。むろん、彼女は釣りもキャンプも楽しもうとしない。

その後、母親の病状に少しでも変化があろうものなら、過剰に反応するだろう。万一容態が悪化し亡くなるようなことにでもなれば、夫はずっと罪悪感を抱くだろうし、妻も夫を許すことができないだろう。

どの妥協案を選択しようと、それから先何年にもわたって、このときの休暇がことあるごとに持ち出され、相手の無神経さ、思いやりのなさ、優先順位の決め方の甘さを裏づける証拠に使われることになる。

ケンカの火種はずっとくすぶり続け、夫婦の絆を断ち切ってしまいかねない。

自然に湧き出る愛情に満ち、しっかりとした絆で結ばれていた家族が、こうした出来事が積み重なり、やがて憎み合う関係に変わってしまうのは珍しいことではない。

夫と妻はこの状況をそれぞれ違う目で見ている。その違いが二人の間に溝をつくって引き離し、関係にヒビを入れている。

しかし、その違いがあってこそ、二人がもっと近づき、絆を強くすることもできるのである。

効果的な相互依存の習慣を身につけ、実践すれば、新しいパラダイムを土台にしてお互いの違いを認め、より高いレベルのコミュニケーションがとれるようになるのだ。

夫婦はお互いの信頼口座にたくさんの残高を持っているのだから、相手を信頼し、心を開いて率直にコミュニケーションをとることができる。

夫婦ならWin-Winを考え、お互いのためになり、それぞれが最初に出した案よりも良い第3の案があるはずだと信じられる。

夫婦は相手の身になり共感して話を聴き、まず相手を理解しようと努力できるのだから、相手の価値観や関心事の全体像をとらえ、それを踏まえ、お互いのためになる決断を下すことができる。

高い信頼口座の残高、Win-Winを考える姿勢、まず相手を理解しようとする努力、これらの要素があいまって、シナジーを創り出す理想的な環境ができあがる。

仏教ではこれを中道と言い表している。この言葉の本質は妥協ではない。たとえるなら三角形の頂点であり、より高い次元の選択を意味する。

夫婦は、「中道」すなわち、より高次の道を探し求めるとき、お互いの愛情そのものがシナジーを創り出す要素であることを実感するはずだ。

お互いのコミュニケーションが深くなるにつれ、夫は母親に会いたいという妻の願いを深く理解する。

母親の世話を姉に任せきりにしていることに対して、少しでも負担を軽くしてあげたいという妻の思いを察する。

母親がいつまで元気でいられるかわからないのだから、妻にしてみれば釣りよりも母親を見舞うほうが大切なのももっともだと理解するのである。

そして妻のほうも、家族で旅行し息子たちに一生の思い出に残る経験をさせてあげたいという夫の気持ちを理解する。

夫が息子たちと釣りのバカンスを楽しむために道具を揃え、釣りの教室に通っていたことも知っている。

この旅行を家族のかけがえのない思い出にする大切さも強く感じている。だから、二人はお互いの望みを一つに合わせることにする。

向かい合って対立するのではなく、同じ側に立って問題を眺めてみる。お互いの希望を理解して、両方の希望をかなえられる第3の案を見出す努力をする。

「近いうちにお母さんを見舞ったらどうだろう。週末の家事は僕が引き受けるし、週明けだけちょっと人を頼めば、家のことは心配ないよ。行ってきたらいい。君にとってお母さんと過ごす時間がどれだけ大事か、僕にもよくわかっているから。

それとも、ひょっとしたらお母さんの家の近くにキャンプと釣りができる場所があるかもしれないね。

計画していた湖ほどの場所じゃなくても、屋外で楽しめることに変わりはないんだし、君の希望もかなえられる。子どもたちだってお母さんの家の中で暴れまわることもないしね。それに親戚と一緒に楽しめることだってあるかもしれないよ」

こうして二人はシナジーを創り出す。話し合いを続けて、お互いが納得できる解決策を見つけ出す。それは最初に出していたそれぞれの案よりも良い解決策になるはずだ。妥協ではなく、二人とも満足する解決策になる。

シナジーから生まれる解決策は、PとPCの両方を高めることができるのだ。お互いの希望を出して取引し、ほどほどのところで妥協するのではない。シナジーは二人の関係をも変える力を持っているのである。シナジーのプロセスは、二人が望むものを与え、そして二人の絆を強めるのである。

ネガティブなシナジー

白か黒かの二者択一でしか物事を考えられない人にしてみれば、第3の案を探すのはそれこそ途方もないパラダイムシフトだろう。しかし、その結果の違いは驚くほどである。

間同士の相互依存で成り立つ現実の世界で生きているにもかかわらず、それに気づかずに問題を解決したり、何かを決定したりするとき、人はどれほど多くのエネルギーを無駄に使っていることだろう。

他人の間違いを責める。政治的な工作に奔走する。ライバル心を燃やして対立する。保身に神経をとがらせる。陰で人を操ろうとする。人の言動の裏を読もうとする。

こうしたことにどれだけの時間を浪費しているだろうか。

まるで右足でアクセルを踏みながら左足でブレーキを踏んでいるようなものである。しかし多くの人はブレーキから足を離そうとせず、さらに強くアクセルを踏み込む。

もっとプレッシャーをかけ、自分の主張を声高に叫び、理屈を並べて自分の立場をより正当化しようとするのだ。

こんなことになるのは、依存心の強い人が相互依存の社会で成功しようとするからである。

依存状態から抜け出ていない人たちにとっては、自分の地位の力を借りて相手を負かそうとするWin-Lose、あるいは相手に好かれたいがために迎合するLose-Winの二つに一つしか選択肢がないのである。

Win-Winのテクニックを使ってみたりはするものの、本当に相手の話を聴きたいわけではなく、相手をうまく操りたいだけなのだ。このような状況でシナジーが創り出される可能性はゼロである。

内面が安定していない人は、どんな現実でも自分のパラダイムに当てはめられると思っている。自分の考え方の枠に他者を押しこめ、自分のクローンに改造しようとする。

自分とは違うものの見方、考え方を知ることこそ人間関係がもたらす利点であるのに、その事実に気づかないのだ。同一と一致は違うのである。

本当の意味での一致というのは、補い合って一つにまとまることであって、同一になることではない。

同一になることはクリエイティブではないし、つまらないものである。自分と他者の違いに価値を置くことがシナジーの本質なのである。シナジーに関して、私は一つの確信を持つに至っている。

それは、人間関係からシナジーを創り出すには、まず自分の中でシナジーを創り出さなければならないということだ。

そして自分の内面でシナジーを起こすには、第1、第2、第3の習慣が身についていなければならない。

これらの習慣の原則を理解し実践できている人なら、心を開き、自分の脆い部分をさらけ出すリスクを負っても、内面がぐらつくことはないし、Win-Winを考える豊かさマインドを育て、第5の習慣の本質を体現できるのである。

原則中心の生き方によって得られる非常に現実的な成果の一つは、過不足なく統合された個人になれることである。

論理と言語をつかさどる左脳だけに深く脚本づけられた人は、高度な創造力がなければ解決できない問題にぶつかったとき、自分の思考スタイルの物足りなさを痛感することだろう。

そして、右脳の中で新しい脚本を書き始めるのである。そもそも、右脳がなかったわけではない。ただ眠っていただけなのだ。

右脳の筋肉がまだできていなかったのかもしれないし、あるいは子どもの頃には右脳の筋肉をよく使って鍛えていたのに、左脳を重視する学校教育や社会のせいで、すっかり萎縮していたのかもしれない。

直観的、創造的、視覚的な右脳、論理的、言語的な左脳、この両方を使いこなせれば、脳全体をフルに働かせることができる。

つまり、自分の頭の中で心理的なシナジーを創り出せるのだ。

そして左脳と右脳の両方を使うことが、現実の人生にもっとも適したやり方なのである。人生は論理だけで成り立つものではない。半分は感情によって成り立っているのだ。

フロリダ州オーランドにある企業で「左脳でマネジメント、右脳でリーダーシップ」と題したセミナーを行ったときのことである。休憩時間に、その企業の社長が私のところにやってきて、次のような話をした。

「コヴィー博士、おかしなことを言うようですが、今日のセミナーを聴いていて、会社で実践するのはもちろんですが、実は妻との関係にも使えるかどうか考えていたんですよ。妻とのコミュニケーションがどうもうまくいかなくて困っています。どうでしょう、妻を交えて一緒に昼食をとりながら、私たちの会話がどんなふうか見ていただけませんでしょうか」「いいですよ」と私は答えた。

私たち三人は昼食の席に着き、挨拶を交わして二言三言おしゃべりをすると、社長は奥さんにこう言った。

「今日はね、先生にお願いしたんだ。一緒に昼食をとりながら、我々のコミュニケーションのことでアドバイスをしていただきたいと。私がもっと思いやりのある優しい夫になってほしい、君がそんなふうに思っていることはわかっているんだ。私にどうしてほしいのか、具体的に話してくれないか」彼は左脳派のようだ。

いきなり事実や数字、具体例、各部分の説明を求める。

「前にも言ったけど、具体的にどこがどうというわけではないのよ。何て言ったらいいのかしら、お互いのプライオリティの違いよね。全体的に物事の優先順位が違うような気がするのよ」

どうやら奥さんの方は右脳派だ。感覚的に全体をとらえ、部分と部分の関係性を見る。

「どういうことなんだ、そのプライオリティが違うような気がするというのは?君は私にどうしてほしいんだ?はっきり言ってくれないと、私としてもどうしようもないじゃないか」「だから、何となくそんな感じがするのよ」

奥さんは右脳だけを働かせて、イメージと直感で話をしている。

「あなたは口で言うほど結婚生活を大切に思っていないような気がするの」「じゃあ、大切にするためには何をすればいいんだい?具体的に話してくれよ」「言葉にするのは難しいわ」

そこで彼はもうお手上げだという表情をして、私のほうを見た。彼の表情は「先生、わかるでしょう?先生だって、奥さんがこんなに話の通じない人だったら耐えられないでしょう?」と訴えていた。

「そんな感じがするの。本当に」「そこが君の悪いところなんだよ。君のお母さんもそうだ。まあ実際、女性というものはおしなべてそうなんだが」

彼は、まるで宣誓供述書をとるための尋問さながら、奥さんに質問し始めた。

「住んでいる場所が気に入らないのか?」「そうじゃないわ。全然そんな問題じゃないの」と彼女はため息をつく。

「そうか」彼は必死で自分を抑えている。

「でも、何が問題なのかはっきり言ってくれないなら、一つひとつ確かめていくしかないじゃないか。何が問題で、何が問題じゃないのか。住んでいる場所が気に入らないのか?」

「そうねえ……」「先生がせっかく時間を割いてくださっているんだから、『はい』か『いいえ』ではっきり答えてくれよ。今の家は好きか?」

「はい」「よし。それははっきりしたな。じゃあ、欲しいものは全部あるかい?」「はい」「わかった。やりたいことはやっているかい?」

こんな調子がしばらく続いたところで、私は二人のためにまだ何のアドバイスもしていないことに気づいた。

そこで私は口を挟んで、こう聞いてみた。

「お二人はいつもこんなふうに会話をしているのですか?」「毎日こうですよ」と彼が返事した。

「結婚してからというもの、ずっとこうです」彼女はそう言って、またもため息をつく。

私は二人を見ていて、脳の片方ずつしか使っていない者同士が一緒に暮らしているのだなと思った。

「お子さんはいらっしゃいますか?」と聞いてみた。「はい、二人います」「本当に?」私はわざと驚いたような声をあげた。

「どうやってつくったんです?」「どういう意味です?」「お二人はシナジーを創り出したのですよ。普通なら、一プラス一は二です。しかしお二人の場合は一プラス一が四になったのです。それがシナジーなんです。全体が各部分の和より大きくなった。ですから、お二人はどうやってお子さんをつくったんです?」「そんなことはご存じでしょう」と彼は言った。

「お二人はお互いの違いを尊重した。つまり、お互いの違いに価値を置かなければならないんですよ」と私は大声で言った。

違いを尊重する

違いを尊重することがシナジーの本質である。人間は一人ひとり、知的、感情的、心理的にも違っている。

そして違いを尊重できるようになるためには、誰もが世の中をあるがままに見ているのではなく、「自分のあるがまま」を見ているのだということに気づかなくてはならない。

もし私が世の中をあるがままに見ていると思い込んでいたら、自分との違いを尊重しようと思うだろうか。

「間違っている人」の話など聴くだけ無駄だと切り捨ててしまうだろう。「私は客観的だ、世の中をあるがままに見ている」というのが私のパラダイムなのだ。

「他の人間は皆些末なことにとらわれているけれども、私はもっと広い視野で世の中を見渡している。私は立派な視野を持っている。だから私は上に立つ者としてふさわしい人間なのだ」と自負しているのである。

私がそういうパラダイムを持っていたら、他者と効果的に協力し合う相互依存の関係は築けない。

それどころか、自立した人間になることさえおぼつかないだろう。自分の思い込みで勝手に条件づけしたパラダイムに縛られているからである。

本当の意味で効果的な人生を生きられる人は、自分のものの見方には限界があることを認められる謙虚さを持ち、心と知性の交流によって得られる豊かな資源を大切にする。

そういう人が個々人の違いを尊重できるのは、自分とは違うものを持つ他者と接することで、自分の知識が深まり、現実をもっと正確に理解できるようになるとわかっているからなのである。

自分の経験したことしか手元になければ、データ不足であることは明らかである。二人の人間が違う意見を主張し、二人とも正しいということはありうるだろうか。

論理的にはありえないが、心理的にはありえる。そしてそれは、現実にはよくあることなのである。

一枚の絵を見て、あなたは若い女性に見えると言い、私は老婆に見えると言う。

私たちは同じ白地に同じ黒線で描かれた同じ絵を見ているのだが、解釈の仕方が私とあなたとでは違うのである。この絵を見る前に、違う見方をするように条件づけられていたからである。

お互いのものの見方の違いを尊重しなければ、また、お互いを尊重し合い、どちらの見方も正しいのかもしれないと思わなければ、自分の条件づけの中にずっととどまることになる。

人生は「あれかこれか」の二者択一で決められるわけではない、答えは白か黒のどちらかだけではない、必ず第3の案があるはずだと思えない限り、自分だけの解釈の限界を超えることはできないのである。

私にはどうしても老婆にしか見えないかもしれない。

しかし私は、その同じ絵があなたの目には違う何かに映っていることはわかる。私はあなたのその見方を尊重する。そして私は、あなたの見方を理解したいと思う。

だから、あなたが私とは違うものの見方をしているなら、私は「よかった。あなたは違うふうに見えるんだね。あなたに見えているものを私にも見せてほしい」と言えるのである。

二人の人間の意見がまったく同じなら、一人は不要である。私と同じように老婆にしか見えない人と話をしても、得るものはまったくない。

私とまったく同じ意見を持つ人とは、話す興味は湧いてこない。あなたは私とは違う意見だからこそ、あなたと話してみたいのだ。私にとっては、その違いこそが大切なのである。

違いを尊重することによって、私自身の視野が広くなるだけでなく、あなたという人間を認めることにもなる。

私はあなたに心理的な空気を送り込むのである。

私がブレーキから足を離せば、あなたが自分の立場を守ろうとして使っていたネガティブなエネルギーも弱まる。こうして、シナジーを創り出す環境ができていく。

教育学者R・H・リーブス博士が著した『動物学校』というおとぎ話には、違いを尊重する大切さがよく描かれている。

昔々、動物たちは「新しい世界」のさまざまな問題を解決するために、何か勇敢なことをしなければならないと考え、学校をつくりました。

学校では、かけっこ、木登り、水泳、飛行を教えることにしました。学校の運営を円滑にするために、どの動物も全部の教科を学ぶことになりました。

アヒルは、水泳の成績は抜群で、先生よりも上手に泳げるくらいでした。飛ぶこともまずまずの成績でしたが、かけっこは苦手です。

かけっこの成績が悪いので、放課後もかけっこの練習をしなければなりませんでした。水泳の授業中もかけっこの練習をさせられました。

そうしているうちに、水かきがすり減ってきて、水泳の成績が平均点まで下がってしまいました。

学校では平均点ならば問題ないので、アヒルの水泳の成績が落ちたことは、アヒル本人以外は誰も気にかけませんでした。

ウサギは、かけっこはクラスでトップでした。

ところが水泳が苦手で居残りさせられているうちに、すっかり神経がまいってしまいました。

リスは木登りの成績が優秀だったのですが、飛行の授業で、木の上からではなく地上から飛べと先生に言われて、ストレスがたまってしまいました。

練習のしすぎでヘトヘトになり、肉離れを起こし、木登りの成績はCになり、かけっこもDに落ちたのです。

ワシは問題児で、厳しく指導しなければなりませんでした。

木登りの授業ではどの動物よりも早く上まで行けるのですが、決められた登り方ではなく、自分のやり方で登ってしまうのです。

学年末には、水泳が得意で、かけっこ、木登り、飛行もそこそこという少々風変りなウナギが一番高い平均点をとり、卒業生総代に選ばれました。

学校が穴掘りを授業に採用しなかったので、プレーリードッグたちは登校拒否になり、その親たちは税金を納めようとしませんでした。

プレーリードッグの親は子どもに穴掘りを教えてくれるようアナグマに頼み、その後、タヌキたちと一緒に私立学校を設立して、成功を収めました。

力の場の分析

相互依存の状況では、成長と変化を妨げるネガティブな力に対抗するときにこそ、シナジーが特に強力になる。

社会心理学者のクルト・レヴィンは、「力の場の分析」というモデルを構築した。

それによると、現在の能力や状態は、上向きの推進力とそれを妨げようとする抑止力とが釣り合ったレベルを表しているという。

一般的に推進力はポジティブな力である。合理的、論理的、意識的、経済的な力が働くわけである。

それに対して抑止力はネガティブな力であり、感情的、非論理的、無意識、社会的・心理的な力が働く。

自分だけでなく周りの人たちを見ても、両方の力が働いていることはよくわかる。

変化に対応するときには、推進力と抑止力の両方を考慮しなければならない。

たとえば、どんな家庭にも「場の雰囲気」というものがある。あなたの家庭の「場の雰囲気」を考えてみよう。

ポジティブな力とネガティブな力のかかり具合で、家族同士で気持ちや心配事をどこまで安心して話せるか、どこまでお互いを尊重して話ができるかがおおよそ決まり、家庭の雰囲気を作っている。

あなたは今、その力関係のレベルを変えたいと思っているとしよう。

もっとポジティブな力が働き、家族がお互いをもっと尊重し、もっとオープンに話ができ、信頼感に満ちた雰囲気をつくりたいとしよう。

そうしたいと思う理由、論理的な理由そのものが、釣り合いのレベルを押し上げる推進力になる。しかし推進力を高めるだけでは足りない。

あなたの努力を抑え込もうとする抑止力があるからだ。それは兄弟同士の競争心かもしれないし、夫と妻の家庭観の違いかもしれない。

あるいは家族の生活習慣かもしれないし、あなたの時間や労力をかけなければならない仕事やさまざまな用事も抑止力になるだろう。推進力を強めれば、しばらくは結果が出るかもしれない。

しかし、抑止力がある限り、徐々に推進力を強めることは難しくなっていく。

バネを押すようなもので、強く押せば押すほど強い力が必要になり、そのうちバネの力に負けてしまい、元のレベルに突然跳ね返ってしまうのである。

ヨーヨーのように上がったり下がったりを繰り返しているうちに、「しょせんこんなもの。そう簡単には変われない」と諦めムードになっていく。

しかし、ここで諦めずにシナジーを創り出すのである。

Win-Winを考える動機(第4の習慣)、まず相手を理解することに徹し、それから自分を理解してもらえるようにするためのスキル(第5の習慣)、他者と力を合わせてシナジーを創り出す相互作用(第6の習慣)、これらを総動員して抑止力に直接ぶつけるのだ。

抑止力となっている問題について、心を開いて話し合える雰囲気をつくる。

するとがちがちに固まっていた抑止力が溶け始め、ほぐれていき、抑止力が推進力に一変するような新しい視野が開けてくる。

人々を問題の解決に巻き込み、真剣に取り組ませる。すると誰もが問題に集中し、自分のものとしてとらえ、問題解決の一助となる。

そうすることで、全員が共有できる新しい目標ができ、誰も予想していなかった方向へ話が進んでいき、上向きの力が働き始める。その力が興奮の渦をもたらし、新しい文化が生まれる。

興奮の渦の中にいた全員がお互いの人間性を知り、新しい考え方、創造的で斬新な選択肢や機会を発見して、大きな力を得るのである。

私はこれまで、心底憎み合い、それぞれに弁護士を立てて自分の正当性を主張する人たちの仲裁を何度も引き受けたことがある。

しかし裁判に訴えれば、話し合いは紛糾するばかりで、事態は悪化するばかりだった。

そうはいっても信頼関係はないに等しいから、法廷で決着をつけるしか方法はないと当事者は思い込んでいる。

そういうとき私は当事者双方に、「お互いが満足できるWin-Winの解決策をお互い見つける気はありますか?」と聞く。

たいていは肯定的な答えが返ってくるが、双方とも、そんな解決策などあるわけがないと思っている。

「私が相手の合意を取りつけたら、Win-Winの解決を目指してお互い本気で話し合いますか?」と私は聞く。

これもまた、答えはイエスである。ほとんどのケースで、驚くような結果になる。

何ヵ月も法廷で争い、心理的にも当事者双方を苦しめていた問題が、ものの数時間か数日で解決してしまう。

しかもその解決策というのは、裁判所が当事者に提示するような妥協ではない。

当事者同士で話し合い、シナジーのプロセスから生まれる解決策は、それぞれの当事者が主張していた解決策よりも優れたものになる。

それだけではない。

当初は修復不可能なほど破綻していたかに見えた関係が、この解決策をきっかけにして関係が長く続いていくケースがほとんどなのである。

私たちの会社が行っている能力開発セミナーで、あるメーカーの経営者から、債務不履行で長年の得意先から訴えられているという話を聞いた。

メーカーも得意先もそれぞれの立場の正当性を主張して譲らず、相手のほうこそ倫理観に欠け、信用できないと思い込んでいた。

このメーカーが第5の習慣を実践してみると、二つのことが明らかになった。

一つ目は、そもそもの発端は話の行き違いによる誤解で、非難し合っているうちに問題が大きくなったこと。

二つ目は、双方とも最初は悪意などなく、裁判に持ち込んで余計な費用を使いたくはなかったが、それ以外の方法が見つからなかったことだった。

この二つがはっきりしたら、第4、第5、第6の習慣の精神が発揮され、問題はあっという間に解決し、両社の取引関係は今もうまくいっているという。

もう一つの例を紹介しよう。ある日の早朝、宅地開発業者から電話がかかってきた。切羽詰まった声で助けを求めていた。

銀行から借りた金の元金と利息を期日どおりに支払わなかったために、銀行が差し押さえに出ようとしていて、彼はそれを阻止するために仮処分を申請しているという。

銀行に返済するためには、追加融資を受けて土地の造成を終え、宅地を販売しなければならないのだが、銀行側は、返済期日を過ぎている貸付金が返済されるまでは追加融資には応じられないの一点張りらしい。

ニワトリが先か卵が先かの堂々巡り、答えの出ない膠着状態になっていた。

その間、宅地開発プロジェクトは一歩も進まず、そのうち、道路には雑草が生え、造成を終えた数少ない区画に家を建てていた人たちは、こんな状態では不動産の資産価値が下がってしまうと腹を立てていた。

市当局も、一等地の開発が遅れに遅れ、見苦しい状態になっていることを問題視していた。

訴訟費用は銀行と開発業者の両方ですでに何十万ドルにも膨れ上がっているにもかかわらず、審理が始まるのは数ヵ月先の予定だという。

万策尽きていた開発業者は、第4、第5、第6の習慣の原則を試してみることにしぶしぶ同意した。

再度の話し合いを持ちかけられた銀行は、彼以上にしぶっていたが、仕方なく応じた。話し合いは、銀行の会議室で朝八時からスタートした。

ピリピリとした緊張と双方の不信感が手に取るように伝わってきた。銀行の役員たちは、何もしゃべるなと弁護士から口止めされていた。

法廷で不利になるような言質をとられないように、発言は弁護士が全部引き受け、役員たちは黙って聴くだけの姿勢で臨んでいた。

私は話し合いが始まってから最初の一時間半を使って、第4、第5、第6の習慣について説明した。

九時半、私は黒板のところへ行き、開発業者から聴いた話をもとにまとめておいた銀行側の懸念事項を書き出した。

最初のうち、役員たちは何も話さなかったが、Win-Winの解決策を見つけたいのだというこちらの意向を繰り返し伝え、まずそちらの考えを理解したいのだと熱心に訴えると、彼らも次第に態度を軟化させ、銀行側の立場を説明し始めた。

自分たちの立場を理解してもらえたらしいと感じ始めると、会議室の雰囲気は一変した。

問題を平穏に解決できるのではないか、そんな期待感に出席者たちの気持ちが高揚し、話し合いの場が活気づいてきた。

役員たちは、弁護士の制止を振り切ってさらに心を開いて話し始め、銀行としての立場を説明するだけでなく、「この会議室を出たら、頭取から真っ先に『金は回収できたか』と聞かれます。何と答えればいいでしょうね?」と個人的な不安まで口にする役員もいた。

一一時の時点ではまだ、役員たちは銀行側の主張のほうが正しいのだという態度は変えていなかったものの、言い分はきちんと理解されていると思うようになっていた。徐々にかたくなな態度は消えていった。

その頃には銀行側も開発業者の言い分に耳を傾ける余裕が出てきたように見えたので、私は黒板の反対側に開発業者の主張を書き出した。

その結果、双方とも相手の立場をよく理解でき、それまでのコミュニケーション不足が誤解を生み、お互いに相手に対して現実からかけ離れた期待を抱いていたことに気づいたのである。

Win-Winの精神でコミュニケーションをとっていたら、問題がこれほどこじれることはなかったという反省も生まれた。

双方がこれまで感じていた慢性の痛みと急性の痛みを共有できたことに加え、問題を前向きに解決したいという熱意が話し合いを推し進めた。

会議終了予定の正午頃には、会議室はシナジーの熱気に包まれ、創造的なアイデアが湧くように出てきた。全員が、このまま話し合いを続けたい気持ちになっていた。

開発業者が最初に出していた案をたたき台にして、全員でWin-Winの解決策を目指すことになった。シナジーから生まれたアイデアを加え、原案をより良いものに磨き上げていった。

一二時四五分頃、開発業者と銀行の役員は、できあがった計画を携えて住宅所有者協会と市当局に向かった。

その後もいろいろと面倒なことが出てきたものの、法廷での争いは避けることができ、宅地開発プロジェクトは無事に完了した。

私はなにも、裁判に持ちこむのがいけないと言っているのではない。状況によっては法的手段に訴えなければならないこともある。

しかしそれはあくまでも最後の手段である。

あまりに早い段階から裁判を視野に入れたら、たとえ予防策のつもりでも、ときには、恐れと法律のパラダイムに縛られ、シナジーとは逆の思考と行動プロセスを生み出してしまう。

自然界のすべてはシナジーである

生態系という言葉は、基本的には自然界のシナジーを表している。すべてのものが他のすべてのものと関係し合っている。この関係の中で、創造の力は最大化する。

「7つの習慣」も同じである。

一つひとつの習慣が持つ力は、相互に関係し合ったときに最大の力を発揮するのである。部分と部分の関係は、家庭や組織にシナジーの文化を育む力でもある。

問題の分析と解決に積極的に関わり、自分のものとして真剣に取り組むほど、一人ひとりの創造力が大きく解き放たれ、自分たちが生み出した解決策に責任を持ち、実行できるようになる。

そしてこれはまさに、世界市場を変革した日本企業の力の神髄であると断言できる。シナジーの力は実際に存在する。それは正しい原則である。

シナジーは、ここまで紹介してきたすべての習慣の最終目的であり、相互依存で成り立つ現実を効果的に生きるための原則なのである。

チームワーク、チーム・ビルディング、人々が結束して創造力を発揮すること、それがシナジーである。

相互依存の人間関係においては、他者のパラダイムをコントロールすることはできないし、シナジーのプロセスそのものも自分ではコントロールできない。

しかし、あなたの影響の輪の中には、シナジーを創り出すための多くの要素がある。

あなたが自分の内面でシナジーを創り出すとき、その努力は影響の輪の中で完全になされる。

自分自身の分析的な側面と創造的な側面の両方を意識して尊重し、その二つの側面の違いを生かせば、あなたの内面で、創造的なエネルギーが解き放たれるのだ。

敵対心を向けられるような厳しい状況にあっても、自分の内面であればシナジーを創り出すことはできる。

侮辱を真に受ける必要はないし、他者が発するネガティブなエネルギーは身をかわしてよければいい。

他者の良い面を探し出し、それが自分とはまるで異なっていればなおさら、そこから学んで視野を広げていくことができる。

相互依存の状況の中で、あなたは勇気を出して心を開き、自分の考え、気持ち、体験を率直に話すことができる。

そうすれば、他の人たちもあなたに触発されて心を開くだろう。あなたは他者との違いを尊重することができる。

誰かがあなたの意見に反対しても、「なるほど。君は違う見方をしているんだね」と言えるのだ。相手の意見に迎合する必要はない。

相手の意見を認め、理解しようとすることが大切なのである。

自分の考えと「間違った考え」の二つしか見えないときは、あなたの内面でシナジーを創り出して、第3の案を探すことができる。ほとんどどんな場合でも、シナジーにあふれた第3の案は見つかる。

Win-Winの精神を発揮し、本気で相手を理解しようとすれば、当事者全員にとってより良い解決策が見つかるはずだ。

第6の習慣:シナジーを創り出す実践編

1あなたと考え方のまるで違う人を一人思い浮かべてみる。その人との違いを土台にして第3の案を見つけるにはどうしたらよいか考えよう。

今あなたが進めているプロジェクトや直面している問題について、その人に意見を求めてみる。自分とは違う考え方を尊重して耳を傾けてみよう。

2あなたをイライラさせる人の名前をリストアップする。

あなたの内面が安定していて、自分と他者の違いを尊重できるなら、その人との違いを生かしてシナジーを創り出せるだろうか。

3もっとチームワークを高めてシナジーを創り出したいと思う状況を一つ挙げる。

シナジーを創り出すためには、どのような条件が必要だろうか。

それらの条件を揃えるために、あなたにできることは何だろうか。

4今度、誰かと意見が違ったり、対立したりしたとき、相手の立場の裏にある事情を理解するように努力してみる。

その事情を考慮して、お互いのためになる創造的な解決策を話し合ってみよう。

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