1若い人には理由をきちんと説明する
九年前、関東地方のある私立高校の先生全員に対してコーチングの研修を行ったことがあります。この時、研修に先立って、生徒一〇人と先生一〇人に個別にインタビューを行いました。
生徒は先生のことをどんなふうに思っているのか、反対に先生は生徒のことをどんなふうに思っているのか、それぞれの立場から話を聞きました。
二〇人の話からすべてが推測できるわけではありませんが、少なくともそこから次のような現場の風景が浮かびあがってきました。
①生徒の多くは、昔のように先生の話に、とりあえず表向きだけでも素直に従うということをしない。
②そのため、何とかいうことを聞かせようと、より高圧的に出て生徒を震えあがらせている先生がいる。
③その一方で、とにかく生徒に「優しく」接することで状況を改善しようと試みるものの、生徒をまったくコントロールできずに無力感に陥っている先生がいる。
④このどちらかの極に多くの先生が偏っていて、状況に応じて生徒と効果的なコミュニケーションを交わせる人が少ない。
前にも書きましたが、今、日本という社会の中でかつて権威と呼ばれた存在が、軒並み失墜してしまっています。
昔ならば、先生から何かをいわれれば、生徒は「先生」の言葉として受け止め、それなりの敬意を払い応じたものです。
しかし、今日、多くの生徒は先生から発せられる情報を簡単に権威付けたりしません。
ですから、かつての自分の言葉の重みを同じように再現したいと望む先生は、より高みから物をいい、何とか表向きだけでも自分のプライドを守ろうとします。
一方、これは若い先生に多いようですが、生徒を理解しようとカウンセラー的なスタンスに立ち、とにかく傾聴に努めるのです。
しかし生徒はたがが外れたかのように自由にふるまい、先生のいうことを聞きません。先生はどうしたら良いのかわからずに途方に暮れてしまいます。
もちろんすべての学校でそうだといっているわけではありませんが、私が研修をさせていただいたいくつかの学校では、少なくともそうした現状があるようです。
これとほぼ同じことが多くの企業の現場でも起きています。二〇年ほど前までは上司の言葉は尊敬を払うべき対象として機能していました。
それに背くことは会社に背くことであり、終身雇用、年功序列制度の中で競争のトラックから外れることを意味していました。
しかし今の若い人にとっては、上司の言葉はそこまでの重みを持っていません。自分の意にそぐわないことであれば、いとも簡単に反対意見を唱えます。そこで上司は「鬼」か「仏」かという議論が沸き起こるわけです。
つまり、いうことを聞かない社員には徹底的に厳しく、「鬼」となって臨むべきだ。いや、そうではない。叱るのではなく、「仏」のような心を持ってとにかく相手の意見を尊重すべきだ、と。
ところがそうシンプルに割り切ってうまくいくのかというと、そんなことはないものです。
「鬼」になれば、それなら他に行くよと、部下は会社を離れてしまうし、「仏」になればなったで、部下は社会人としての常識を逸脱したような行動を取ってしまいます。
一体どっちなんだと管理職は混迷を深めてしまうわけです。では、どうしたら良いのでしょうか。
もちろん、若い人も人間である以上、基本的には私たちと同じ「原理」で生きていると思います。
周囲から存在が認められなければ、内側はざわつくでしょうし、そのざわつきを解消してくれる人のほうに顔が向くのは間違いありません。
単にほめるというだけではなく、日々の関わりの中で、どれだけ相手にマッチングした積極的なアクノレッジメントをできるかは、やはり大事でしょう。
そして、若い人をアクノレッジする際に、中でも特に大事なのが「理由」という情報を伝えてあげることです。
昔であれば、上司がいえば理由なく部下が従っていたような事柄に対しても、きちんと説明を加える必要があります。
オフィスであいさつするのはなぜ大事なのか。清潔感のある髪形で出勤することがなぜ大事なのか。机を整理するのはなぜ大事なのか。上司とアフター5に語らいあうことがなぜ大事なのか。一つひとつに説明を加えます。
ポジションパワーを使って「やれ!」ではなく、相手のためにわざわざ時間を使って、ていねいに理由を紐解いてあげるのです。
「やれ!」には個の尊重がありませんが、「理由の説明」にはそれがあります。だからアクノレッジメントとして機能します。
前出の慶應大学ラグビー部の上田元監督にしても、早稲田大学ラグビー部の清宮前監督にしても、最近の若い人相手に効果的な指導ができている人は、きちんと説明をしています。
この練習はこのためにあって、このルールはこのためにあるということを説明するために決して時間を惜しまないのです。
学校も、もし一つひとつの決めごとに対して先生が労を惜しまず説明をしていれば、もう少し状況は変わるのかもしれません。
2新しい部下をチームに溶け込ませるには
転職が特別なことではなくあたりまえのことになり、また企業間の合併がしばしば紙面を賑わせる昨今、昔以上に「新しい部下」に遭遇する機会は増えたと思います。
企業内でもさかんに事業の再編成が行われていますから、昔は四月の異動時期だけ心構えをしていれば良かったのが、それこそ唐突に新しい部下はやってきます。
至極当然のことをいうようですが、人は初対面の人に出会うと緊張します。どんなに表向きは、さらりと堂々とふるまっているように見える人でも、身体のどこかに緊張を走らせています。
それは、人は人にとって最大の協力者であると同時に、最強の敵にもなり得るからです。人にとっていちばん危ないのは、虎やライオンではありません。間違いなく人です。
単に物理的な危害を加えられるかもしれないというだけではなく、精神的な被害をこうむる可能性もあります。
顔では笑っていても、まだあまり関係のできていない人に対しては、どこかで防衛をきちんとかけているものです。
ですから、新しい部下がやってきたその日、上司と部下との間には、水面下でものすごい「読み合い」があるわけです。
上司は「よろしくね!」と明るくいいながら、内側では「こいつとうまくやっていけるだろうか」「十分な能力はあるだろうか」「自分のことをちゃんと信頼してくれるだろうか」などと、いろいろなことを思うものです。
一方、部下も「よろしくお願いします!」という明るい返事の裏側で、「仕事をしやすい上司だろうか」「自分に期待をかけてくれるだろうか」と脳をフル回転させています。
時としてこの読み合いが延々と続いてしまうことがあります。半年、一年、場合によっては次の転職までなどということもあるかもしれません。
人である以上、どれだけ仲良くなったとしても、自分を守るために多少はこうした読み合いを継続させるのでしょうが、なるべく早くその「レベル」は軽減させたいものです。
新しい部下がリラックスして仕事に集中できるように、「読み」を適正範囲にまで落としたいことでしょう。
そして、そのためにできる最善のことは、おそらく読み合いをできる限り早く「表面化」させることだと思います。
つまり、新しい部下が来ることで自分が抱いている期待と不安を、後ろ手に隠しておくのではなく、思い切って相手に正直に伝えてしまうのです。
その代わり部下からも、どんな期待と不安を持っているのかを話してもらいます。
三か月前、弊社にも新人が中途で入社しました。手前味噌になりますが、最初の二か月ぐらいはとにかくお互いの期待と不安が表に出るように意識しました。
彼にはメンター(先輩として基本的な仕事の進め方やスキルを教える人)が付き、コーチが付き、そして当然上司も付きました。
がんじがらめにしたかったわけではなくて、とにかく何でも話したかったし、話してもらいたかったのです。
裏でお互いにいろいろと思うようなことをしたくなかったわけです。それでもよく見ていると、彼の中にさまざまな疑問が起こっているのがわかります。すると、その場ですぐに彼をつかまえて話をします。
「少し迷いがあるように見えるけど、どうなの?」。二か月間は目の端に必ず彼を入れていました。
やっと先月です、気負いでもなく、いい顔を見せたいからでもなく、彼が本当にすっきりとした笑顔で「最近、のってきましたよ」といったのは。
もうそこまで頻繁に彼を見なくても良いかなと思った瞬間でした。新しい環境になじむのは口でいうほど簡単なことではありません。お手軽に関係を作れるかというとそんなことはないでしょう。
とにかく話して話させる、すべてをオープンにしていく──それがメンバーをチームに溶け込ませるということだと思います。
3さりげなく女性社員をほめる
弊社の「兄弟会社」であるコーチ・トゥエンティワンは圧倒的に女性が多い会社です。二〇〇二年三月当時の総スタッフ数二五人。そのうちなんと二三人を女性が占めます。
二〇〇一年の一〇月にコーチ・エィとして分社化される前は、私もその「女性社会」の一員でした。男性の読者からは、「なんてうらやましい!」といわれるかもしれません。
確かに男性ばかりの職場よりも、女性が多い職場は華やかですし、賑やかですし、雰囲気も明るいといえます。
研修や講演で外から帰ってきた時に「お帰りなさい!」とはつらつとした声で迎えられると、疲れもどこかに吹き飛んでしまいます。
しかし一方で、実は非常に気を遣う職場でもあります。気を遣わずにぼ~っと過ごしていると厳しいメッセージが飛んできます。
「これ新しい靴なんだけど、気が付いてないでしょう!いやね~、もうちっとも見てないんだから」
「えっ……あっ、靴、いいじゃないそれ」
「遅いよ~、見ててくれなきゃだめよ~」
「すみません」
私は一応会社では社長というポジションにいますが、コーチングを深く学んでしまった女性スタッフは、そんなことはお構いなしに、このように観察を伝えるというアクノレッジメントを要求してきます。
女性はおしゃれに大変な気を遣っており、それに気が付かないということは、私たちの努力に対する冒瀆であり、上司として失格である。
コーチングを提供する会社の社長の行為としては見過ごせない、そういうのです。
こういう話をすると、「それはあなたの会社が特別なんじゃないですか?女性がみんなそういうアクノレッジメントを求めているとは思えませんけど」。
そんな声も聞こえてきそうです。某電機メーカーのコーチング研修でも同じような反論を受けました。
参加していた一人の女性マネジャー曰く、「私はあまりそういうアクノレッジメントが好きだとは思えません。
実際に先日自分の上司から『○○さん最近口紅の色を変えたね』といわれて、虫唾が走る思いをしましたから」。
「人によって何をアクノレッジメントとして受け取るかは違いますからね」とまずは無難な答えをその女性マネジャーに返しましたが、その後にこう付け加えました。
「でも一ついいですか。僕は覚えてますよ、昨日○○さんがイルカをあしらえたとっても素敵なブローチをしていたのを」。
彼女は一瞬虚を突かれたというような顔をした後、「今のはうれしいですね」といいました。「何が違うんですか?」と聞くと、こう答えました。
「私の上司のいい方は、詮索を背後に感じましたけど、鈴木さんのいい回しはとってもストレートで嫌味がなかった。それからいわれて思いましたけど、あのブローチはけっこう気に入っているもので、それを他人に気付かれるとうれしいんですね。
もう一つは、二〇人の参加者がいる中で私のブローチを憶えていてくれたっていうのは、ちゃんと見ていてもらえたんだなと思って素直に喜べました」
自慢するわけではありませんが(実は自慢なんですが)、研修先の企業の部長さんや課長さんから、「うちの女性スタッフ、けっこう鈴木さんのファンなんですよ」といった趣旨の「ニュース」を何回か聞きました。
私は単純なので「えっ、本当ですか?うれしいな~」と満面の笑みを浮かべて喜んでしまうのですが、一方で「アクノレッジメントしてるからね」と内心思っていたりします。
初対面の女性でも、いつも会っている会社の女性スタッフでも、向かい合った瞬間に見るのです。今日のおしゃれの中でこの女性がいちばん他人から気付かれたい「工夫」って何だろうかと。
もし「おニュー」があるとすればそれは何だろうかと。絶対ありますから、工夫は。
そして、それをただごく普通の声(あくまでも普通の声というのがポイントです)で伝えてあげるのです。
そうすると、少なくとも私の経験では、本当にうれしそうな笑顔が返ってきます。私の観察力を育ててくれたコーチ・トゥエンティワンの女性スタッフに感謝します。
4年上の部下との接し方
年功序列が崩れ、成果主義を導入する企業が増える中で、自分よりも年上の社員を部下に持つ管理職が増えてきました。かつての先輩、時には上司が、今は自分の部下というケースも珍しくありません。
こうした場合、管理職は、どのようにすれば年配の部下とより強い協力関係を作り出すことができるかで、頭を悩ませるようです。
ある自動車会社で行った研修では、先方からの依頼で、自分よりも年上の部下に対してどのように接するかをテーマに二時間ディスカッションしました。
ほめても、お前になんかほめられたくないというような顔をされるし、こちらから歩み寄って挨拶したとしても、気のない返事を返されるだけ。
一体どうすれば彼らを動機付けることができるのか、侃侃諤諤の討議が展開されました。
二時間にわたるああでもないこうでもないの議論の結果、最終的に行き着いたのは、どうも彼らは相談されるとモチベーションが高まるようだということでした。
たまたまわからないことがあって、ちょっと教えてくれませんかと聞きに行くと、しょうがないな、というような顔を最初はしながらも、どこかうれしそうにきちんと教えてくれたり、チームをどうまとめたら良いかわからないので、ちょっとアドバイスしてくれませんかと投げかけると、身を乗り出して話してくれたりということがあったというのです。
こうした相談はこれまで偶発的に起こっていたわけだけれども、年上の人の「雰囲気」を変えたいのであれば、意識してそれを行ったら良いのではないか。
教えてもらう必要がないのに嘘をついて相談するのは良くないけれども、日頃から教えてもらえること、相談できることを探していて、なるべく頻繁に問いかけると良いのではないか──こうした結論を導いてそのディスカッションは終了しました。
実は、かくいう私も年上の部下が何人もいます。
中には一〇歳以上年上という方もいて、どのようにすればアクノレッジできるのか、多少迷うところがありました。
しかし、このディスカッションをリードしてからは、取るべき道筋がわりとはっきりとしました。そうか、相談すれば良いのかと。
それからは頻繁に年上の部下には質問をするようにしています。
彼ら彼女らのほうがくわしく専門的に知っていると思われる事柄は、なるべく自分一人で答えを出さずに、聞きに行きます。
実際相手はよく知っているわけですから、こちらとしてもとても助かるのです。
そしてこのことを意識し始めてから、年上だからものがいいにくいというのがとても少なくなった気がしています。
おそらく相手の出方を待つのではなく、こちらから積極的に仕かけるというのが習慣になったからだと思います。
ほめるというのは、ほめている側がほめられている側を評価していることになります。つまり、ほめている側が「上」、ほめられている側が「下」という構造を表現しやすくなります。
ですから年上の部下からすると年下の上司のほめ言葉はなかなか受け取りにくいものです。
そこへいくと相談する、教えてもらうは、聞く側が「下」になりますから、年上の人にとっても受け取りやすいアクノレッジメントになります。
上司であるというプライドはちょっと脇に置いて、どんどん年上の部下に相談を持ちかけたらどうでしょうか。教えてもらったらどうでしょうか。最優先したいのは、何よりも協力を仰ぐことなのですから。
5上司に対するアクノレッジメント
コーチング研修を実施した後には、参加者にアンケートに答えてもらいます。そうすると非常に多いのが「上司にもこの研修を受けてほしい」というコメントです。
上司がコーチングを学んでくれれば、自分がもう少し仕事をしやすくなるということなのでしょう。アンケートに対してのコメントだけではなく、研修中にも、部下対策よりは上司対策を教えてほしいという管理職はたくさんいます。
飲み屋さんでビジネスマンのこんな話し声が聞こえてきたりします。
「あの部長いい加減にしてほしいよな。まったく自分の都合ばっかりでさ」。
それで、その言葉が生まれた背景を突きつめていくと、結局上司は自分に対するアクノレッジメントが足りない、もう少し自分を認めるべきだ、という上司の承認不足に対する不満だったりします。
何だかんだいっても一年のうち大半の時間は会社で過ごすわけで、直属の上司からどれだけアクノレッジメントされているかが、気分の浮き沈みを決定付けるといっても過言ではないでしょう。
それだけ上司が大きい影響力を持つのは紛れもない事実です。研修でこんなことを聞くこともあります。
「これまでの会社生活を振り返ると、どんな時にモチベーションが高まり、どんな時に下がりましたか。年単位ぐらいで思い起こすとどうでしょう?」そうするとかなりの数の人が、上司とうまくいっていた時はモチベーションが高かった、その逆の時はずいぶん低かったといいます。
上司とうまくいっていたというのは、簡単にいってしまえば、その上司がアクノレッジしてくれていたということです。うまくいっていなかったというのはその逆。
とすると、いかに上司に自分をアクノレッジさせるかというのが非常に大事になってくるわけです。ここで問題となるのが、業績が良ければ、いい仕事をすればアクノレッジされるのかということです。これがそう単純にはいかないものです。
研修をしていて生気のない課長さんに、「結局何が問題なのですか」と聞いていくと、「部の存続の危機に、部を救うようなすばらしい仕事をしたのに、大した評価をもらえなかった。そのことを今でも恨みに思ってるんです」などというのです。
上司に対する不満の多くは、こんなにやっているのに、どうしてあの人は認めてくれないんだというものです。
つまり、本人の主観では業績はあげているし、それ相応の仕事をしているのにアクノレッジメントが少ないのはなぜなんだということです。
このことからもわかるように、良い仕事=アクノレッジメント獲得ではありません。これが世の不条理であり、すべての不満の出所です。ではどうしたらいいのでしょうか。
研修で「鈴木さん、上司に対してはどうしたらいいんでしょう?」という話を聞くと、迷わず、本当に迷わず、「一に報連相、二に報連相、三四がなくて五に賞賛」といいます。
報連相(報告、連絡、相談の略)は上司に、「あなたのことを信頼しています」「頼りにしています」ということを伝える最も効果的な手段です。ほとんどの上司は自分を頼ってほしいと思っています。
なぜなら頼られるというのは、存在価値を増してくれる行為で、組織の中での自分の位置が強く確認でき、内側のざわつきが減るからです。
逆に報告も連絡も相談もされないというのは、自分は上司として認められていない、ひいてはこの組織の中でやっていけるのだろうかという不安を誘発してしまい、非常にまずいのです。
だから、報連相がなく、業績をあげるだけの部下は、結局上に引きあげられなかったりします。それでは賞賛については、なぜ必要なのでしょうか。結局上に行けば行くほど、なかなかほめられる機会はないわけです。
おそらくみなさんの上司は、ほめ言葉なんか俺は必要ないみたいな顔をしているでしょうが、そんなことは絶対にありません。これは断言できます。絶対ほめてほしいと思っています。
そして多分、みなさん以上にみなさんの上司は賞賛に飢えています。だからもう、何でも構わないですからほめてみてください。ネクタイでも、何でも。
そしてみなさんが意識的にアクノレッジメントを上司に与え始めると、アクノレッジメントが向こうから返ってくるようになります。
いいんですよ、別に上司からのアクノレッジメントなんて必要ない、やりたい仕事だけをとにかくやりさえすればいいんだ、別に出世なんてしなくても構わないという人は。
でももし、心安らかな職場環境を実現したいとすれば、上司に対してもアクノレッジメントを与えることです。その上司がどんなにいかめしい顔をしたコントローラーだとしても。
6営業上手は「売らない」
「トップ営業マン」と呼ばれる人に何人も会ってきました。証券会社で、北海道にこの人ありといわれている人。大手の複写機メーカーで一〇期連続で営業目標を達成している人。
情報通信の会社で、新規開拓をさせたらこの人の右に出る者はいないといわれている人。年収で一億円近く稼ぐ生保の営業マン……。
こうした営業マンは、端から見る限りにおいて、まずものすごく腰が低いといえます(媚びているという意味ではなくて、謙虚であるということです)。
偉そうな素振りを微塵も見せません。そしてアクノレッジメントがものすごくうまいのです。
うまいというと技巧的に聞こえるかもしれませんが、もうアクノレッジメントが「生き方」になっているという感さえあります。
だから、とても自然に(少なくとも周りにはそう見えます)、人を大事にしているというメッセージをふんだんに伝えています。
例えばある外資系保険会社の営業マン。
一二年前、このコーチングというビジネスを立ちあげた時、私もフルタイムの一営業マンでした。始めからコーチングを実践する機会があったわけではなく、当然お客さんを見つけなければいけませんでしたから。
そこで何人かの「トップ」といわれている営業マンに教えを乞いに行ったのですが、その一人が彼でした。
その中で彼が主催する勉強会に混ぜてもらったり、お客さんと話しているところを聞かせてもらったり、直接営業について伝授してもらったりもしました。
すごく驚いたのは、彼がちっとも「売らない」ということです。
それまで営業経験のなかった私は、営業というと「買ってください!」と迫っていくものなのだろうというイメージがありましたが、彼はちっとも売りません。
では何をしているのかというと、とにかくよく人の話を聞いています。別に保険の売りに繋がることを聞き出しているわけではないのです。ただ、何でもよく聞いています。
そして相手が今興味があることや、関心のあることを自分の中にインプットしておいて、折に触れその情報を提供してあげるのです。
独立を考えているなどという人がいれば、自分のネットワークから店頭公開をしたベンチャーの社長を紹介して引き合わせてあげる。
ワインが好きだというのを聞くと、彼が足で見つけた厳選レストランをメールですぐに送ったりする……等々。
何気ない話の中で出てきた何気ないことを彼が真剣にすくいあげてくれることに、多くの人は感動するのです。しかもやってあげたというような嫌味がみじんもありません。
本当にこの人は何かをしてあげたくてやっているんだなという感じが伝わってくるのです。それで、その結果として、こんな人に保険を任せたいと周りが自分からドアを叩いてくるわけです。また別の営業マンの話です。
彼はある情報通信の会社で五年近くトップ営業マンとして活躍した後、コンサルティング会社を起こした人です。
彼は私どもの会社とアライアンスを組んでいることもあって、幾度も営業に同行したことがあります。彼も、全然売りません。
もう少し押した方がいいんじゃないのと、提携しているこちらとしては思うのですが、とにかく売らないのです。
何をしているのかというと、もうひたすら、
- 「お会いできて良かった」
- 「この会社のファンだ」
- 「この会社の製品のここが良い、あそこが良い」
- 「雑誌に載っていた社長のこの言葉を憶えている」
といったふうに、とにかく相手自身の、あるいは相手の会社の存在価値を高める言葉を連発するのです。
とっても自然に。お世辞にはまったく聞こえません。
ある時、彼と同行して電機メーカーへプレゼンテーションに行ったのですが、その時の彼の話の切り出しには本当に驚いてしまいました。
「知人、友人を含めて御社の担当をさせていただいている人間を何人か知っています。それで今日ここに来る前に、彼らに御社を担当していてどうかということを聞いて参りました。彼らはみな口を揃えていうんです。
一度御社の担当をすると、すっかり御社のファンになってしまうと。ファンになるから御社のためには寝る間も惜しんで仕事をしたくなると。私もいつかそんな御社のファンクラブの一員にぜひなりたいと思って、今日は参りました」
これが全然臭くないんです。むしろとても自然に聞こえました。この電機メーカーは今でも彼の会社と弊社のビッグクライアントの一つになっています。
もちろんそれだけが売れる理由ではないでしょうが、売れる営業マンのコンピテンシーの一つはアクノレッジメントであると、確信しています。
結局お客さんのほうでもほしいのは、筋が通っていて気の利いた企画書の前に、「味方」なのですから。
7子どもとうまく接するためには
先日、ある研修の参加者からメールをいただきました。そこにはこんな文面がありました。
「コーチングの研修を受けて、部下との関わりはやっとスタート地点に立ったところですが、最近、ちっともこれまで僕に話をしてくれなかった中学二年の娘が話しかけてくれるようになったんです。
これはひょっとすると、部下とのこと以上に自分にとっては大きな事件で、どうしても先生にそのことをお知らせしたくなってメールを書きました」。
実はこうしたメールをいただいたり、お話をお聞きするのは珍しいことではなく、わりとよくあることです。
研修の際にも、最近部下との間にどんな課題がありますかと聞いても、いや~、部下よりも娘ですよ、息子ですよ、という人がけっこういるのです。
年々増えてきているような気がします。
企業やスポーツと違って、普通家庭には「利益をあげる」とか「勝つ」といったような明確な目的がありません。
企業であれば、上司が部下に何かを伝える時は、これは会社の利益に結びつくことだからやってほしいといえますし、スポーツのチームであれば、勝つためにこれをしてほしいといえるでしょう。
ところが家庭においてはそう単純にはいきません。
欧米を始め、多くの国民が宗教をある程度信奉している国では、親は宗教を基準に子どもに話をすることができます。
「これをして」といって、もし子どもから「何で」といわれれば、極端な話「聖書に書いてあるからよ」と答えられるわけです。
それが、多くの日本の家庭では、説明の論拠を宗教に求めることはまずできません。ある意味では、戦時中は楽だったかもしれません。「日本国のために」といえましたから。高度経済成長期も同じです。「より豊かな生活のために」といえましたから。
九〇年代半ばぐらいまでは、高度経済成長期の名残で、同じ拠り所を使えたのではないでしょうか。
それがここにきて、何を基準にして子どもに話をしたら良いのか、アドバイスしたら良いのか、親がわからなくなってしまっているようです。
昔の基準を持ち出して、「勉強しないとだめだぞ」などと子どもにいうと、「勉強していい大学に入っても、それで何なの。
その後いい会社に入ったってリストラされて終わりじゃない」などと反論されます。すると親は子どもをコントロールできないいら立ちからつい声を荒げてしまうのです。
そうすると子どもはますます親に反発して、するとますます親はいら立って……もう雪ダルマ式にお互いの間に溝が開いていってしまいます。
それで、「子どもが最近話してくれないんですよ」というセリフが生まれるにいたるわけです。では、どうしたらよいのでしょうか。
魔法のような答えがあるわけではないのですが、少なくともコーチング研修に参加されたマネジャーの方は、アクノレッジメントを子どもに実践することによって「成果」をあげられているようです。
冒頭のメールを送ってくれた参加者の方も、とにかくひたすら娘さんをアクノレッジしたそうです。
しかも相手が受け取りにくい、Youのアクノレッジメントではなくて、Iのアクノレッジメントで。
「お前がお母さんの手伝いしてるのを見てるとちょっとうれしいな」「部活一生懸命やってるよな、お父さんなんかお前くらいの頃はさぼってばっかりだったからな。一つのことに熱中しているのはなんかすがすがしいな」等々。
子どもの行為をよく観察して、それについて自分がどう思ったかを相手に伝えればいいのです。相手にどう思ってもらおうとか、見返りを期待せずに、ただ主観を伝えます。そんなことは他人からほとんどいわれたことはありませんから。子どもだって。
もし子どもに話をしてもらいたければ、とにかくアクノレッジメントをたくさんすることだと思います。いいんです。叱ることなんて考えなくて。
とにかくほめてほめてほめ続け、アクノレッジメントのシャワーを浴びせるのです。
「大事にしてる」「かけがえのない存在だ」「それでいいんだ」……もう、ばんばんいってください。
「がんばれ」なんかはいわなくていいのです。「いつもご苦労様、がんばってるな」、それだけでいいんです。だって本当にがんばっているはずですから。
子どもだってけっこうぎりぎりのところでつらい思いをしてやってるんですから。もういいと思いませんか、何も付け加えなくても。
そしてこの場に帰ってくればとりあえず安心できる、自分が自分でいられる、家をそんな空間にしてあげることが先決ではないでしょうか。
一〇〇のアクノレッジメントがあれば一のメッセージが伝わるかもしれません。いちばん大事なメッセージが。それで十分だと思いませんか。
8配偶者にもアクノレッジメントが必要
ここまでいろいろなアクノレッジメントを紹介してきましたが、結婚されている方はどれくらい配偶者に対してアクノレッジされているでしょうか。
研修でも参加者の方に聞くことがあります。
「三択で答えてください。自分は奥さんを(コーチング研修の参加者の九五%は男性なので)頻繁にアクノレッジしている、まあまあアクノレッジしている、ほとんどアクノレッジしていない。さて、どれでしょう」。
平均すると、頻繁にが二割、まあまあが四割、ほとんどしてないが四割といったところになります。
「確かにしてないよな~」なんていう反省ともあきらめとも取れる言葉が漏れたりします。ほとんどしてないという方々に「付き合っていた時はアクノレッジしてましたよね。
用もないのに電話する、ちょっとしたことで本当にうれしそうにありがとうという、頻繁にプレゼントを贈る。
それがいつから変わっちゃったんですかね」と突っ込みを入れると、「やっぱり釣った魚にはねえ……」とお決まりの文句が返ってきます。
先日、外資系のコンサルティングファームで、コンサルタントに対してコーチングのトレーニングをしていた時のことです。
コーチングのデモンストレーションを全体の前でしようとクライアント役のボランティアを求めると、一人の女性が手をあげました。
「仕事のことではないんですが、いいですか?」ためらいがちに彼女はいいました。
通常は仕事のことに関してのコーチングしかしませんが、時間に余裕があったこともあって、彼女の申し出を受け付けました。
彼女は語り始めました。自分には五歳になる子どもがいて、朝、保育園に子どもを預けてから出勤する。コンサルタントというストレスの高い仕事を日中こなし、夕方五時に子どもをピックアップ。家に帰ると子どもと旦那のために食事の支度をする。
その後も洗濯、掃除と次から次へと家事をこなし、ベッドに入るのは午前一時。毎日毎日けっこうぎりぎりのところでがんばっていて、ちょっと精神的にもきつい。もう少し生活に余裕を持つことはできないものだろうか、と。
ご主人を始め他の人の手を借りることはできないのか、仕事の負荷を減らす工夫はないのか、などいろいろな可能性をいっしょに探っていきました。
しかしどんな提案をしても彼女は、それはこういう理由でだめ、あれはああいう理由でだめと返してきて、なかなか埒があきません。
いい加減こちらも手の打ちようがなくなり、「要するにどうなるといいんですか?」と、ちょっと突き放すように彼女に問いかけました。
彼女は床を見つめながらひとしきり考えた後、低い、それでいてきっぱりとした口調で一言こういいました。「旦那に感謝してほしい」一瞬部屋全体がし~んとなりました。
参加者の大半を占める男性のまばたきが、その瞬間止まったのがわかりました。それくらい彼女の衷心からの一言にはインパクトがあったのです。
その場にいた「亭主」たちは多かれ少なかれみな思ったことでしょう。「そうか、『奥さん』は感謝されたいんだ」と。
人が抱える大半の不満の原因は「私は自分が努力しているほどに周りから大切にされていない」というところにあります。
夫婦喧嘩の九九%は「相手はもっと私を大事に扱うべきだ」というところに根ざしています。奥さんも旦那さんも同じことを思っているのです。
だとしたら、相手がそれを自分に提供するのを待つのではなく、相手がほしいものを先に与えてしまったらどうでしょうか。
付き合っていたあの時のように「いつも感謝してるよ」と、相手の眼を見て真剣に伝えるのです。
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