第5章成果を出す上司の心得
成果を出す上司に求める「4つのシンボル」バックボーン樹立。
人生は一度しかない/課長のストレスマネジメント部下がついてこない9つの要因/なぜ課長に情報が入ってこないのか「制約の中でこそ名人は腕をふるう」/明確な目的を立てるケインズ「どうあるべきか?」と混迷したときは「原点回帰」サルを背負いすぎる課長/ボスとリーダーの違い作業の虜(とりこ)にならず、仕事の虜になる/モンゴメリー流の人材活用術「身体の大将」は誰であるか/忙しくて困難なときこそ、休暇を取らせる上司の能力と人間性は、叱り方で判断される(部下の人間管理)叱られ方を心得て、範を示す/ドラッカー理論に学ぶ「課長」誰も教えてくれない、自分の価値を高める「セルフコーチング」困難を乗り越えて自信をつける/部下の発達段階に応じたコーチング美味しいフルーツは、どこから来るのか/2倍の法則/課長としての5つの役割自分と会社の内部統制
成果を出す上司に求める「4つのシンボル」藤田社長は、「頭の悪い者は損をするが、ただ勉強ができるだけでは駄目だ。
冴えがない者はビジネスでは使えない」と豪語していた。
この章では、マクドナルドで厳しく鍛えぬかれて身につけたチームワーク力と、使える課長になるための極意をご紹介しよう。
ここで、あなたが「いかに冴えているか」をテストしてみよう。
テストに使うのは、ハーバード流心理テスト、4つのシンボル「Z○□△」だ。
【質問】4つのシンボルのうち、あなたが一番好きなシンボルを直感で選べ。
【回答】「Z」を選んだ者は、頭が悪いが創造力に富んでいる。
「○」を選んだ者は、酒と女に溺れる。
「□」を選んだ者は、理知的で頭がいい。
「△」を選んだ者は、リーダーシップに長けている。
さて、あなたはどれを選んだか?この4つのシンボルの心理分析の結果は、人が生まれながらに持った才能を示しているわけではない。
努力によって、自分をいかに変化させたかによって変わる。
そこで、私は「Z○□△という4つ全てを、自分のなかに持つことができるとしたら、人生を4倍に活かせるだろう」と思いついた。
4つあれば鬼に金棒、いつでも臨機応変に、時宜を得た才覚を発揮でき、冴えのある奴になれるはずだ。
このような能力を持った課長は、人間的にも素晴らしいし、誰からも慕われるような人になれるに違いない、と考えた。
この思考により、「努力次第で人間的魅力を磨くことに成功した」と矜持している。
たとえば、課長のあなたが「○」でおもしろく冗談が理解でき、時にえらく真面目で「□」のように論理的にきちっと話ができ、「Z」のようにみんなに溶け込んで、一味違う存在の「△」になれたら、あなたの職場は楽しく、生産性が上がるはずだ。
その反対に、せこせこして部長にへいこらし、意志薄弱や意味不明で、言われたことだけする課長だったら、部下は大変だろう。
ここで、もうひとつテストをしてみよう。
あなたがハンバーガー世代の課長として、次のどのタイプであるか。
【質問】なぜマクドナルドは、こんなにも売れているのか。
なぜ、どこでもあんなに活気に満ち溢れているのか。
なぜバラツキがないのか。
こんなことに興味を感じながら食べた経験があるか。
【回答】この質問に対して、「ただひたすら何も考えずに食べているだけ」と答えた人は、残念ながらそのままの思考では伸びないし、課長止まりで終わってしまう運命にあるだろう。
何事も、感動と好奇心がない人はつまらない。
マクドナルド社は、2万5千のノウハウを持ったファーストフード・レストランである。
そのノウハウの根幹をなすものは、クロック氏が実践してきた経営哲学にある。
クロック氏の巨大ビジネス構想の神髄である、次の経営哲学は、実に明快で、壮大な戦略思考だ。
・「BeDarng(大胆不敵・勇猛・果敢)」・「BeFirst(迅速)」・「BeDifferent(差異化)」そして、マクドナルド社の経営理念「QSC&V」がレストランビジネスを科学的に管理し、お客様に最大の満足を提供する実践要諦となった。
理念や哲学にもとづく思考と、行動科学がチームを束ねる。
さらに、そこに冴えのある課長がいることが条件だ。
私は、1971年にマクドナルドに入社し、20年間働いた。
その間、クロック氏やクロック氏の右腕であるフレッド・ターナ氏にも、何度も面会する機会に恵まれ、薫陶をうけた。
ハンバーガー大学の学長時代には、戦略にたけた元陸将であり、駐米武官も務めた故竹中義男顧問の隣の席で、いつもご指導いただいた。
そして、陸軍士官学校の教えは、現代のリーダーに失われている「部下やボスを操縦する心理学」や「戦略」の参考になると感じた。
ところで、「noblesseoblige(ノブレス・オブリージュ)」という言葉をご存じだろうか。
これは、若き日にさまざまな人から受けた、ありがたい教えや経験によって、自己形成したプロフェッショナルな叡智を、逆の立場で若い人たちに奉仕することである。
ノブレス・オブリュージュこそ、60歳を過ぎた者の使命だといえる。
私は、マクドナルドで働いていたときに数々の人から学んだ教えを、ノブレス・オブリュージュしたいと思う。
私がそうして伝える叡智は、とくに「現場監督者」として戦略や地政学的に腕をふるう立場で活躍しているフィールドマネージャーやスーパーバイザー、そしてエリア統括のような課長職、本部長の立場の管理職に役立つはずだ。
現場のリーダーたちは、配下に数百人、数千人の従業員を抱えている。
しかも毎日、店舗では数千人、数万人ものお客様に商品やサービスを提供している。
だからこそ、組織の中核である「課長力」を磨き、「使える課長(=Z○□△を備えた人物)」になっていただきたいバックボーン樹立。
人生は一度しかない人生は一度だけしかない。
どんなにつらい仕事や修羅場でも、艱難(かんなん)辛苦(しんく)を乗り越えられるだけの体力と挑戦する気魄(きはく)は、若いときだけに与えられた特権だ。
だから、スポーツでいえば、「金メダル」を取るような試練を、若いときに経験したほうがよいと思っている。
私も課長時代に、「過酷な時期を乗り越えたことで、自分に自信がついた」と矜持(きょうじ)している。
とくに、入社したばかりの日本マクドナルド社は、外資系日本企業の草創期だったので、私は先駆者としてのプライドを持ち、全く新しい食文化創造に燃えて、無我夢中で働いていた。
そのとき、きつい現場がうまく回るように現場を指揮したことが、今では楽しい思い出となっている。
部下の成長や、続々とはじまる新店舗のグランドオープン、売上や利益の構築で成功を実感でき、自分の自信につながった。
待ったなしの会社のスピードに目標を持ち、仲間と一緒に戦うことができたのだ。
「過去は美談になる」といわれることが多い。
しかし、会社の成長とともに世界一といわれる企業に20年間勤めて「無から有」をつくり、マクドナルド退社時は「1000店舗・売上2220億円」の実績をつくったことは確かである。
時代の波をつくった自負は、私の自信そのものとなり、黒船来航かのように、ドラマチックに時代を変える「食文化創造の野望」と「気概」に燃えた課長職時代だった。
なにより、私にとって幸運だったのは、「藤田田」という豪快な創業者に出合えたことだ。
妥協を一切許さない信念、そして好都合な状況や時期をすばやくつかんで的確に行動し、ぶれないリーダーシップを持った藤田社長には、学ぶことばかりだった。
また、人間的には愉快そのものであったし、新しいもの好きな人物でもあった。
ある定例会のときの話なのだが、アメリカ行きの飛行機のなかで、綿できた小指大の、栓のようなものが入ったパックが配られた。
藤田社長は、それを耳栓に使ってしまったのだが、それは生理用品のサンプルだった。
それを知った藤田社長は、「アメリカは進んでいる」と笑っていた。
幹部社員には、「自分の恥を教訓に、いつも進取の精神を持て」と教えていた。
藤田社長にとって、「Z○□△」の「Zの部分」だけが、ほかの人と違ったのだ。
藤田社長は、頭脳明晰にして、創造力に富んでいたからである。
いずれにせよ、人生は「これだ」と思ったときは、とことんやらなければいけない。
課長時代こそ、「人生のバックボーン」をつくる重要な時期である。
ここで勝負を決めないと、気骨のない中年になってしまう。
また、バックボーンをつくることは、決して自分一人ではできない。
みんなに支えられてこそ、為せると
いうものだ。
課長という立場になったら、仕事の重圧と上からの要請、そして部下との狭間で失敗の確率を最小限にし、みんなで成功を噛みしめられるようにすることが大事である。
ふり返ってみると、私が「マクドナルドで働いた経験を自分のバックボーンにしよう」と決めた理由は、それまでの日本にはないビジネスだったことや、日本上陸のタイミングがよかったからだ。
このハンバーガーチェーンビジネスの仕事には、誰一人として先達がいなかった。
我こそはと、21世紀にさきがけた「巨大ビジネスの先駆者」になれることに魅力を感じたのである。
しかも、マクドナルドは「アメリカ発の食文化」だった。
私のこうした予感は的中して、実に多くのチャンスを生かすことができた。
毎年、私は仕事で成長戦略以外を考えず、その戦略のなかで、もっとも重要な課題としたのは「人材開発」だ。
マクドナルド社は、定期採用と中途採用で採用した社員に、猛烈なトレーニングを実施する。
そのとき、私は現場のクルーを優秀な人材に育てる役目を担った。
私の人材開発は、目に見える形で大変な功を奏したのだ。
私はそれらの経験をとおして、課長の使命とは、人を使い、人を管理して成功することだと実感した。
チェーンビジネスは自分ひとりでは何もできないからだ。
課長は、自身の分身をアメーバのように増やしていかなければ、成長戦略など描けないのである。
私が現場で統括スーパーバイザーをしていた32歳のとき、その猛烈な人材開発が藤田社長の目にとまり、ハンバーガー大学の学長に抜擢された。
まさに全社的要請を受け、人材養成の使命を担うことになったのだ。
ハンバーガー大学では、現場を知り尽くしたツワモノを教授団として迎い入れ、彼らに効果的に教えるスキルを特訓した。
講師たちを、受講者であるクルーが一人前に育つ教え方をマスターしたプロフェッサー(教授)に仕立てなければ、受講者にとって不幸な結果になるからだ。
実際には、プロフェッサーに、魅力あるプロフェッサーとして行動できるようになるためのスキルを習得するプログラム「PSS(PresentationSpeechSkill)」を特訓した。
また、ファシリテイト・マネジメントを高めることで受講者たちを惹きつけ、授業に興味を持ってもらい、参加意欲を高めることを目指した。
受講者には、最高の環境で最高の授業を受けてもらい、現場で最高の成果をあげてもらわないといけない。
私は受講者に対して「能力」「信用」「信念」を理念に、リーダーたる者は正しい知識を身につけ、人格を磨いて信用を担保とし、ぶれない信念を持つように、と伝えた。
「技術だけにこだわるリーダーにはなるな」と教えたのだ。
また、人を育てる人材教育の組織運営のために、「知識」「環境」「やる気」の3要素を活用した。
そのため、授業中に生徒が眠たくなるような授業は皆無だった。
社員憧れの人材養成機関であり、マクドナルドの知識移転のメッカであるハンバーガー大学の「トレーニングセンター」としての使命は大きかった。
店舗立地や商品、マーケティングなど、どれを取っても会社として重要な戦略ではあるが、「学習する組織」としてのリーディングカンパニーとして、「熱意に燃える集団」をつくることが、人材養成機関の最大の使命だった。
私は、店長時代に「店長募集」のB全ポスターに大きく「味なことやるマクドナルドに君も来ないか」というコピーを考案した。
すると、その言葉は、最初のマクドナルドのテレビコマーシャルに「味なことやるマクドナルド」というフレーズで盛り込まれている。
課長のストレスマネジメント課長には、いろいろな悩みがある。
部下の問題や自身の仕事に忙殺されて時間が足りない、ストレスで不眠に陥るなどを経験して、最後はうつになる人もいる。
課題が蓄積されて、仕事は溜るなか、仕事の期日は刻一刻と迫ってくる。
私の時代にはパソコンがなかったので、考える時間と行動する時間のほうが多かったのだが、現代の課長は、まるでデスクトップ画面のマネージャーになってしまっている。
しかも、それだけ生のコミュニケーションや行動する時間が減ってしまっているのだ。
そのため、ますますストレスが溜って、悪循環に陥りやすい。
農家の長男だった私は、休日には家業の農業をよく手伝い、父が他界してからは主体的に農業に取り組むようになった。
当時は、体力的にもきつかったことを覚えている。
暗くなるまで汗をかき、野良仕事をした。
風呂は薪だったので、とくに冬場は1か月分の薪を作らないといけなかった。
女房が、私の疲れを心配してモツ鍋を作ってくれ、酒を飲みながら家族と語り、そして寝た。
しかし、そんな畑仕事のなかで、目標と達成感を実感することができた。
畑に立つと、大地から先祖が「かまけるな、しっかりやれ」と励ましてくれるようで、「畑仕事が嫌だな」と感じることはなかった。
むしろ、トラクターや草刈り機がなかった昔は、さぞかし大変だったのだろう、と想いをめぐらすことさえあった。
畑仕事の休憩中は、大きな桜の木の下で、不思議と日ごろの大都会でのビジネスのことを冷静に考え、構想を練ることができた。
今でも、畑仕事は気分転換として、私の楽しみのひとつになっている。
エジソンは、「踏みしめられた森でなく、誰も歩かない森を歩け」と言ったらしい。
そのころの畑仕事は、私にとって完全にストレスのアース役になっていたのだろう。
自然との関わりのせいだろうか。
私は、プレッシャーに強い。
これもひとつの強さだと自負している。
いずれにしても、人間は身体が資本であり、週1回は汗をかき、呼吸を変えることに費やす時間が必要なのだ。
それは畑仕事でも、ジョギングでも、何でもいい。
課長職は、そのような強靭な体力と知力を持って、時代の変化に対応できなければ務まらない。
ストレスをマネジメントするためには、物事の先を読んで、見通しを立てることだ。
そして、仕事の腕を磨くことが大切である。
仕事が遅れているときやうまくいかないときほど、不安とストレスを感じることはないだろう。
ストレスにまつわる、こんな話がある。
1980年頃、私はアメリカのマクドナルド本社を訪問していた。
そのとき、アメリカにあるハンバーガー大学では、ストレスマネジメントの授業を行っていた。
その授業中に、時の社長が入ってきて、「何を教えている時間なんだ?」とハンバーガー大学の学長に訊ねた。
「ストレスマネジメントの授業です」と学長が答えると、その瞬間、「何をしている、この馬鹿者!貴重な時間と金を使ってくだらないことを教えて、ウエイストタイム、ウエイストマネーだ!即刻やめろ!ここは仕事を教えるところだ。
仕事のできない奴ほどストレスが溜まるんだ。
ストレスを集団で教えるほど愚かなことはない」と社長が怒鳴ったのだ。
ストレスに対処する方法は人それぞれに違い、自己管理がものをいう。
それからというもの、座学の講義に加えて、「目を閉じていても、当たり前の仕事ができなくてはいけない」と厨房施設を備えた実習質での体験学習やフィールドトレーニングが強化された。
また時間外授業として、放課後に「シェイクチャレンジ」と呼ばれる試合が行われた。
これは、アイマスクで目を隠し、複雑な組み立てが必要とされる「シェイクをつくる最新鋭のマシン480D」を組み立てるという試合だ。
みな、「完璧に組み立てよう」と、その試合に挑戦した。
挑戦者は、いかに速く、確実に組み立てられるかを競い合う。
そして、最もよい成績を残した挑戦者は、ハンバーガー大学の卒業式で、ゴールデン・アワード賞をもらうことができた。
席上、勝者の喜びのインタビューでは「自信がつきました」と語っていたのが印象的だった。
このシェイクチャレンジは、仕事は逃げ腰であってはならない、ということを教えてくれる。
勇気を持って突き進み、仕事をこなす力を養うこと。
誰しも、最初は不安だが、その不安を乗り越えた先で、課長になれる。
挫折する前に失敗を味わい、失敗をバネにしてチャレンジしながら、自分自身を成長に導いていくのだ。
私は米国駐在員のとき「Nopain,Nogain!(苦労もしないで、得られるものはない)」とハンバーガー大学のロン・レズノウ新学長に教えてもらったものだ。
部下がついてこない9つの要因課長とは「小隊長」である。
通常の組織では、リーダーまたはマネージャーと呼ばれているクラスにいる。
チェーンビジネスでは、フィールド管理のスーパーバイザーやエリアマネージャーが課長にあたる。
キャリアは入社7年~10年、店長を経験した現場通のエキスパートぞろいだ。
そのなかで、最も部下がついてこない課長のタイプは、自分の経験を部下に押しつける人だろう。
競合や市場環境など、状況は千変万化している世の中で、「過去の成功体験のみが自分の唯一のスキル」という頑固者である。
しかも、勉強不足で専門知識に疎く、進歩がない。
「自分のエリアの成績が悪いのは、部下のせいだ」と周りに怒り散らす。
「成功は自分のお手柄、失敗は部下のせいにする」ような、度量のせまい課長である。
部下は、そのような課長のことを一目置いていないため、部下との間に距離があり、溝もある。
課長が何か言っても、部下は誰も言うことを聞かない。
これでは、チームワークを取るなど、とても無理だ。
孤立した課長ほど、惨めな姿はないだろう。
では、なぜ部下がついてこないのか?課長が孤立してしまう要因は、たくさんあるかもしれないが、次の9つに集約される。
(1)ケチ(2)細かくマイクロマネジメントする(3)いつも云うことが違う(4)部下を信用していない(5)気分のむらがある(6)仕事ができない(7)部下に関心がない(8)上にへつらい、下に威張る(9)自己管理が甘いこのうち、(1)がどれほど重要なことかを理解してほしい。
ケチな上司は、ついていきたくない上司の代表的なタイプである。
上司は部下に担がれる存在であるが、外で戦う上司にとって部下は会社での家族である。
それを理解せず、なんでも割り勘にするから、そこに人徳が生まれない。
部下にとって、好ましくない上司はご利益(ごりやく)を感じない。
部下からしてみたら、愚かな上司についていくことに、失望と惨めさを覚えるものである。
また、金銭的にばかりではなく、心もケチで余裕すらなく、「この上司に相談したい」という気持ちを部下に抱かせない人もいる。
逆の例として、私がアメリカで働いていたときの体験をお話しよう。
私は、その当時の上司からクリスマスギフトをもらった。
クリスマスプレゼントは、日本でいえば「御歳暮」の位置づけにあたる。
なんと、そのクリスマスギフトの中身は、上司ご夫妻から部下たち夫婦を、「素敵なレストランのクリスマスディナーに招待する」という内容だった。
クリスマスディナーのとき、「ありがとう、今年も君たちのおかげで素晴らしい年になったよ」と上司は礼を言って、豪華な木箱入りの手づくりハムをプレゼントしてくれた。
これらは全て上司のポケットマネーだ。
実に大きな器量を持っているかわかる。
また、上司のボスからは、クリスタル製のウイスキーセットをプレゼントされた。
上司は、プレゼントを部下からもらうのではなく、部下に施すのである。
なんといい話ではないか。
大陸的な魅力だね。
その上司たちは、もちろんその後、出世していった。
また、(2)は細かくマイクロマネジメントするタイプの上司である。
たとえ夫婦の間でも、箸の上げ下げまで言われると、嫌気がさすものだ。
それなのに、
部下には提案書を何回も書き直させる人がいる。
それは本末転倒、支離滅裂、意味不明というもの。
自分で気に入らないうちは、いつまでも細かいことを部下に指図して、どんどん細かくなる。
そして結局、もとの木阿弥となるのだ。
「木を見て森を見ず」とはよく言ったもので、上司として最低の器の小ささである。
ちなみに、提案書なるものは、まず結論を簡潔に書くこと。
そして、提案を3つのA・B・Cにして、それぞれのメリット、デメリット、また予算の大小など、必要な要素を書く。
よって、自分はCを提案する。
このようにまとめるのが、私の基本である。
さて、あなたの結果はどうだろうか?なかなか自分では気づかないものだが、このなかの3つ以上に該当する課長は「課長失格」といわざるをえない。
課長は嫌われるほど厳しくても、別に問題はない。
道理にかなえば、「なるほど」と納得されるからだ。
「陸軍士官学校に学ぶリーダーの自己管理」によれば、「上位者ほど物から人へ、技術から理論へ関心を拡大する。
自然科学的思考から社会、人文科学的思考へ拡大総合する」という。
課長は、自己分野の仕事を熟知したテクノクラート(科学者・技術者出身の、政治家・高級官僚)でなければならない。
その上で、人間である部下に心をよせて、理解を示し、厳しくなければならないのだ。
「Z○□△」を使い分ける能力こそが、ストレスを感じさせない、よい課長の条件となる。
なぜ課長に情報が入ってこないのか現代社会は、情報が洪水のように溢れているが、そのなかで「自分のところに大事な現場の情報が、なぜ入ってこないのだろうか?」と悩んでいる課長がいるかもしれない。
これは大きな問題である。
とくに、離れた現場を持っているような部門の課長にとっては最悪だろう。
悪い情報こそ、いち早く自分のところに飛び込んでくるような組織が、よい組織といえる。
「情報が、自分ではないところから入ってくる」という、こんな経験はないだろうか。
それまでは知らぬが仏なのだが、事態が一段と悪くなった状態で入ってくるケースだ。
人事絡みの情報について、こんなことが起きる場合がある。
同僚である他部門の課長から「A係長が辞めるって本当か?お前、知らなかったのか」と言われ、「誰に聞いた話だ?」と尋ねると、「飲んでいたときに本人が喋ったよ。
何だか仕事していてもモチベーションがあがらないと言っていたな」と聞いた─。
もし、こんな状況に置かれたら、あなたはどう感じるだろうか。
おそらく「私はA係長の何なんだろう」と感じるはずだ。
「上司が知らないバツの悪さ」や「上司としての存在感のなさ」に愕然とすることだろう。
こうならないように、普段から部下との関係の質を高め、プライベートや仕事の悩みの相談に乗っておく必要がある。
もしかしたら、A係長はあなたを上司として認めていないばかりか、あなたという組織の被害者なのかもしれない。
管理職にとって、職務上で大切な「5C」という役割がある。
5Cとは、次のとおりだ。
・「コミュニケーション(意思疎通、情報伝達と確認、状況報告、交流)」・「コーディネーション(調整)」・「コンサルテーション(経営相談、助言、指導)」・「コントロール(管理、監督、内部統制)」・「カウンセリング(相談)」これらによって、組織の目的と要請、個人の欲求や悩みを相互調整していく。
そして、職場に豊かな人間関係を築き、仕事に高いモチベーションを与える。
課長は「部下の働く価値を高める」ことが肝心な仕事だ。
コミュニケーションは、会議や人事面接など構えたものだけでなく、「対話する」ことで生まれる。
挨拶や朝礼など、もっと日常に気軽な会話を取り入れることはできないだろうか。
「日中関係」だの「マイケル・サンデル教授の正義論」やら「昨晩のプロ野球などの世間話」など、答えのないコミュニケーションをしてもいい。
つまり、普段の何気ない対話から、お互いの考えを自然に伝え合うことが肝心なのだ。
その雰囲気によって、本音が言える下地のようなものが醸成されていく。
話しやすいとか話しにくいという問題は、「普段からよく話すか話さないか」の違いである。
─ところで課長。
昨日、うちのかみさんがテレビで「よい課長、悪い課長」という番組を見て、あなたは人の話をよく聞かないから、出世できないかもね、と言われたんです。
─課長は、人の話をあまり聞かないですよね。
悪い課長なんですかね?─さてと、会議だから言ってくる。
あとは君に任せるよ。
会話があって潤いのある組織は、生産性が高く、仕事の精度も高い。
難しい顔をした組織は、働きにくいばかりか、息が詰まる。
決して、生産性は高くはないだろう。
しかも、ミスが多い。
ただ、真面目を装っていて、働いているふりをしている可能性さえあり、不幸な組織である。
月曜日がくるとブルーマンデーになって、朝が来ると「行きたくない」と言って、憂鬱な気分になってしまう。
職場は、休日遊びに行くときのように「Funplacetogo(行けば何か楽しいことがある)」でなければいけない。
笑顔のある職場は、マネジメントができている証なのだ。
「一人では働けない」と課長には言いたい。
だからと言って、部下の機嫌とりばかりしているのは違う。
「能力」「信用」「信念」を持って、穏やかに率直に、ことにあたるべし。
─ところでオマエ!よい課長の条件は何だと思う?─はい、課長!うちのかみさんは、あなたの上司の橋課長さんみたいな人だって。
「制約の中でこそ名人は腕をふるう」たった1本しかない大根を、いかに料理するか。
料理の名人は、味噌や酢、ゴマ油、少々の調味料で、いくつもの料理を作ることができる。
風呂吹き大根、なます、きんぴら、みそ汁、スティックサラダ、おろし……。
このことは、条件や予算、期間、材料など、限られた制約のなかで、いかに立派な仕事ができるか、と似ている。
私は、「世の中は、神様がよく見ているものだ」とつくづく思うときがある。
高学歴な人ほど不景気に弱いようだ。
学歴など気にせず、好きな道に闘志を燃やした人ほど不景気に強く、景気などに影響されず、頑張っているように思える。
中年の人たちのなかには、再就職の面接で「あなたには何ができるんですか?」と聞かれて、「はい、部長ができます」と答える人がいるかもしれない。
そんなふうに答えてばかりでは、自分の得意な分野がないかぎり、ミスマッチが続いて仕事にありつけないだろう。
たとえば、「あなた今夜は何を食べたい。
魚?肉?…それとも何?」と奥さんに言われるより、「今日、お隣から美味しい鱈もらったのよ。
鱈ちりにしましょう」と制約があるほうが決断は早くなる。
人生もお金も、ある程度「制約」があったほうがうまくいくようだ。
そのため、そういう家庭の子は決して、放蕩のどら息子にはならない。
制約が、自制心と抑制力を持つからだろう。
往々にして、世の中の仕事は、厳しい困難な状況下で、すごい仕事が達成されるものだ。
そして、そこには必ず「名人」と言われる親方や監督、エンジニアがいる。
ドキュメンタリー番組の『プロジェクトX~挑戦者たち~』や『カンブリア宮殿』に登場する名人たちは、何かしらの制約のなかで腕をふるった、ツワモ
ノばかりである。
となると、人が成長するには、困難な条件、すなわち「制約」があったほうが、よい仕事ができるというものだ。
そのなかで、知恵と勇気と挑戦が試される、すなわち「死闘」が始まる。
1978年、「マクドナルドの世界5千号店目を祝う式典」が決まったとき、年商1千憶円に挑戦して、外食産業に金字塔を打ち立てるための、新たな情報ネットワークシステムが必要となった。
そのため、ホストコンピュータや、各店のPOSシステムを構築しなければならなかった。
プロジェクトチームが組まれ、大手電機メーカーに見積りを依頼したところ、18億円や20憶円の見積もり金額が提示された。
そのとき、藤田社長は「見積りの半分の金額で実施しろ」とプロジェクトメンバーに命じた。
開発は難儀し、当初は手を組んだメーカーが挫折した。
過酷な店舗条件下のテストに、カウンターPOSキーステーションやCPUは、技術的に問題が発生した。
その結果、開発の途中で、もう一方のメーカーに、開発要請を依頼した。
すると、そのメーカーは予算や期日、店舗条件などの困難を承知で、開発を引き受けてくれたのだ。
圧倒的に不利な制約条件のなかで、プロジェクトは休日返上で昼夜兼行して行われていた。
そして、何とか第1世代の情報システムは完成した。
神奈川県江ノ島の世界5千号店目は、オープンと式典の日程まで決まっていたので、遅れることは最大のリスクであったのだが、なんとか間に合った。
このような制限のなかでの挑戦は、マクドナルドの店舗建設や資材調達、グランドオープンなどで、年中当たり前だった。
今では懐かしいが、当時は忙しく、知恵を最大限活用した時期でもあった。
それは、マクドナルドの歴史のなかの「プロジェクトX」といえるだろう。
朱子は「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、池塘(ちとう)春草(しゅんそう)の夢、未だ(いまだ)醒めず(さめず)、階前の梧(ご)葉(よう)既に秋声(しゅうせい)」と言っている。
これは、「若いから、若いから」と思っていても、あっという間に年老いてしまう。
だから、なかなか学問をしきれないものだ。
ちょっとした時間も無駄にしてはいけない。
春うららかな池のほとりで、惰眠をむさぼっていたが、ふと肌寒さで気がついてみると、階段の前の桐の木の葉は色づき、あたりはすっかり秋の気配がしているではないか。
このように人生というものは一瞬で年とってしまう。
惰眠など、むさぼっている暇などない、ということを意味している。
何よりも、人生には「時間」という制約があるではないか。
されど、「気がついて、始めた日が残りの人生の最初の日だ」とイギリス出身の映画俳優のチャールズ・チャップリン氏は言った。
だから何事も、何かをはじめようと思ったときが全てだ。
「もう遅すぎると思わないことだ」とも彼は言っている。
明確な目的を立てる「目的がない」ということは、何の対策や方法も立てられず、ただ腕をこまねいている状態である。
何をしてもつまらないし、無意味に感じてしまう。
ただ、私自身が毎日、「目的」と「目標」を持っていたとはいえない。
惰性に流されて終わってしまう、徒労のときだって、もちろんあった。
私は、担当エリアの店舗を巡回していたとき、ある店舗にやってきた部下のスーパーバイザーに「なぜ今日、この店になぜ来たんだ?」と尋ねた。
するとその部下は、「最近、この店に来ていなかったからです」と返事した。
しかしそれでは、「スーパーバイザーとしての仕事」が目的ではなく、「店舗の巡回そのもの」が目的になってしまっている。
これでは暇なときか、店に立ち寄りたいときしか来ないので、意味がない。
『敗戦真相記』(永野護(著)/バジリコ)に書かれた、敗戦の要因5つは意義深く、企業経営の在り方をよく表している。
以下、この書物に書かれた要因から学べることを心に刻んで、ビジネスに生かすことだ。
・目標は具体的でなければならない・失敗するひとの要因の多くは「傲慢さ」につきる・国民の良識と感覚を無視した。
国民をお客様に置き換えて考えれば、経営に役立つ・経験と勘だけではどうにもならない。
科学的に、統計や調査等の判断が必要となる・ワンマン経営に陥らぬよう、取り巻きが諫言をしなければならない。
要は聞く耳をもたなければならないケインズ「どうあるべきか?」と混迷したときは「原点回帰」イギリスの経済学者、官僚であるジョン・メイナード・ケインズ氏は、「Itismuchmoreimportanthowtobee,ratherthanhowtodo.(どのようにやるかということよりも、どうあるべきか、ということのほうが、はるかに大事だ)」と言った。
問題を解決しようとするとき、人は「こうやろう、ああしよう」とだけしか考えない短絡的な思考に陥る。
問題の本質を捉えない場合が多く、表面的な現象にとらわれがちである。
「国の在り方」などについての政府の混迷ぶりは、まさにそのように思えてならない。
「課題を解決しなければ」とよく言うが、では「課題」とは一体何か?課題と戦略について、知己のマーケティング戦略家M氏は、大変明快な見解を教えてくれた。
課題とは、「戦略を達成する上で、障害となっていること。
期日が決まっている宿題のようなものである」と。
そして、戦略とは「目標を達成するための知恵である」という。
よって、明確な戦略がなければならない。
私は、スポーツや企業は、よい戦略を持った、強いチームが勝つと思っている。
戦略を達成する上で、あらゆる問題があるが、多くの場合は問題自体を発見できないでいる。
障害が発生して、はじめて問題に気づくことが多い。
たとえば、ただでさえ目標までの進捗が遅い部署は、スタッフが2人辞めてしまい、目標の達成が危うくなった。
そのため、一部のスタッフに負担がかかるようになり、スタッフから不満が出はじめた。
部署内の混乱は、ほかの部署からも噂されて、誰もその部署には異動を希望しない。
課長のあなたの責任でもあるが、どのように部署を刷新すればよいのかわからない。
こんな状況は、本社などのオフィスだけではなく、現場の店舗や事業所でも見られることだ。
こんなとき、まずは「スタッフが辞めてしまった真の理由」をハッキリと掴む必要があるだろう。
そして、それぞれのスタッフと個人面接を実施し、全体にくすぶっている不満を正しく見つけ出すのだ。
この時点で、「この部署は、いかにあるべきか」を再構想できるはずだ。
そして、仕事の洗い出しや障害となっていること、個人面談や業務仕訳、優先順位、重要度、緊急性、仕事の適正と再配分の計画を総括していく。
さらに、今後の方針と、部署のあり方について、会議で話し合う。
「部署のあるべき形」を示し、どのように業務推進していくかの方針を提示し、話し合いの参加意欲を昂揚して、調整していく。
この段階で、新たな人事異動や部内からの昇進、他部からの異動を含め、部署のあるべき統制を図るのである。
サルを背負いすぎる課長無能な課長になってしまう最大の敵は、サルを背負いすぎてしまうことだ。
ビジネス書『1分間リーダーシップ─能力とヤル気に即した4つの実践指導法』(K.ブランチャード(著),小林薫(翻訳)/ダイヤモンド社)のなかにも、こんな比喩が出てくる。
部下が、難題を持って課長のもとにやってきた。
そして「課長、なんとかしてくださいよ。
僕らでは、あの件は手に負えません。
何とかしてください、課長!」と言われ、課長は「そうか、君じゃ駄目か、わかった。
この件は、俺に任せておけ。
俺が何とかする」と言って、部下の問題を簡単に引き受けてしまう。
こうして、部下自身が解決しなければならない問題を、いつの間にか、いくつも引き受けてしまうのだ。
部下の問題が、上司の肩に飛び乗ってしまうことは「サル」と例えられる。
無能な上司は、サルを何匹も背負うはめになり、首がまわらなくなって、さらに無能化してしまう。
しかし部下の難問を、上司であるあなたが引き受けてしまったところで、何の解決にもならない。
課長は、山のように積まれた問題に埋もれて、首がまわらないのでは困る。
いつまで経っても、仕事が未処理のままになってしまうからだ。
これでは、身から出た錆で、ストレスも溜まるだろう。
なかには、最初からサルを背負ってしまう課長がいる。
サルのような厄介な仕事を誰にも任せず、自分でセッセコ、セッセコ手を付けて、部下に全く任せられない課長のタイプだ。
何でもかんでも自分でやる。
その結果、一年中、部下を一人も育てられない。
自分だけがマメで仕事はよくやるし、ほかからの評判はいい。
しかし、「課長はマメだね!」と褒められて、よろこぶような課長では、どうしようもない。
そうではなく、部下全員がマメにならなければ、部下の成長はないのだ。
そうしなければ、部下は難しい仕事を経験できないばかりか、部下自身の能力を磨けないままになってしまうだろう。
マメな上司の下にいる部下は、成長のチャンスを失ってしまうので悲劇である。
その一方で、サルを全然寄せつけないような課長もいる。
このタイプは、「体育会系」とも呼ばれる上司だ。
「課長、ここはどうすればよいのでしょうか?」と部下に言われても、「馬鹿者!そんなことは自分で考えろ!いちいち、そんなことを聞くな!わからないときは、自分で調べろ!」と言って、済ませてしまう。
しかし、実際のところ、こんな上司は自分自身でも、その解決方法を分かっていないのだ。
上司が威張り散らすのは、「自己防衛」の表れとしか言えない。
そんな大きなサルは、やがて木から落ちることになるだろう。
そんな状況になっても、「俺はそんなこと知らなかった」と言って上司は責任逃れする。
ボスとリーダーの違いサルの話をしたので、ここで「ボス」と「リーダー」の違いについてもハッキリとさせよう。
「ボス」は、絶対的な地位と存在感がある。
ボスは存在しているだけ、また、腕を組んで座っているだけでも、そこにいる意味がある。
そうすることで、集団は外敵からを守られるからだ。
一般的には、ボスは上司のことを意味するが、感覚的には、動物の親分そのものである。
もちろん、ボスにも「よいボス」と「悪いボス」がいる。
部下にとっては、「面倒見がよい」「物分りがよい」「気前がよい」「情けがある」「頭が切れる」といったタイプが、自慢のボスとなるはずだ。
一方で、「リーダー」はプレイングマネージャーとして、部下と同じように仕事をしながら、チームを統率する責任者のことを指す。
リーダーとは、下から持ちあげられ、横から支えられている人で、仕事ができ、信頼されて頼りになる人のことをいう。
ボスは部下と縦でつながっているが、リーダーは横で1人ひとりのメンバーとつながっている。
リーダーは、仲間とほぼ同じ仕事をするが、特別任務やトレーナーとしての能力、異常事態(予期せぬこと)に対応できる能力を備えていなければ、職務が務まらない。
一般的に、課長はリーダーとして存在し、チームをワークさせていく人で、その課長の上にボスがいる。
このように、上位者ほど「マネジメント」することが仕事になる。
みんながボスでは、舟は山に乗り上げてしまうだろう。
作業の虜(とりこ)にならず、仕事の虜になる本来、創造的な仕事というものは魂を持ち、その仕事に改善工夫をして、よりよい方法や生産性を考えることだ。
しかし、毎日のように同じ仕事をしていると、とかく惰性に流されてしまい、ルーティン化した仕事が「作業」に変わってしまう。
モチベーションが下がり、マンネリ化する。
そして、毎日が膨大な作業量に忙殺されているだけで、「作業の虜」になってしまうのだ。
これでは、会社で働いていても、幸せにはなれない。
そうではなく、ルーティン化された仕事が磨かれてイノベーション(技術革新)され、ほかの企業の仕事よりも、優れることが求められる。
ルーティンを大事にしながら、仕事を工夫することによって、ほかの企業と差別化を図ることができるのだ。
また、そのノウハウがあれば、結果がついてくるので仕事は楽しくなる。
「毎日のように仕事が終わらないほどある」という事実は幸せなことだ。
しかし、毎日の仕事に進歩や深化、一捻りの工夫をする楽しみを持つことが必要だ。
『論語』のなかにも、「それを知る者はそれを好む者に如(し)かず、それを好む者はそれを楽しむ者に如(し)かず」とある。
これは、ただ知っているだけの人よりも、これを好んでやっている人にはかなわない、好んでやっている人よりも、これを楽しんでやっている人にはもっとかなわない、という意味である。
記録的快挙を達成したスポーツ選手のなかにも、競技後のインタビューで「いやあ、楽しんで競技ができました」と答える人が多い。
おそらく、「苦しさ」を「楽しさ」に変換したからこそ、己の力を発揮できたのだろう。
「喜びのドーパミン」という作用が、結果に大きく働いたのだ。
世の中の発明発見の多くは、健全な不満の結果でもあるし、仕事を楽しんだ努力の結晶でもある。
仕事がうまくいかないとき、人は「うまくいかなった理由」を探すものであるが、それは愚かなことなのだ。
モントゴメリー流の人材活用術イギリス陸軍バーナード・モントゴメリー元帥は、部下を4つのタイプに分けて重用したと言われる。
それが、次の4タイプだ。
(1)利口で真面目(2)利口で不真面目(3)馬鹿で真面目(4)馬鹿で不真面目そして、将来、このなかで最も将官にふさわしい人材は、(2)利口で不真面目であると言ったそうだ。
それは、(1)利口で真面目だけでは、融通が利かないから駄目であり、(3)馬鹿で真面目は、飯ばかり食べて使い物にならないので殺してしまえと言った。
また、(4)馬鹿で不真面目は、使い道があるかもしれないから生かしておけ、と言ったという私は、モントゴメリー元帥のこの哲学的な考え方を聞いたとき、衝撃を受けた。
そして、この考え方にもとづいて部下を分類すると、意外と人事管理はスムーズに運んだ。
将来的に役立つ人間は誰か、最も駄目な部下は誰か、ラインからラインスタッフに人事異動すべきは誰にするか、当てにならない人は誰かなどが、はっきりとわかった。
ところで、ハーバード大学教授の哲学者、政治哲学者、倫理学者であるマイケル・サンデル氏は、東京大学で開催された特別授業のなかで、講座を受けている人たちに、こんな問いを出した。
難破船の乗組員4人がボートで漂着した。
船長は、身体の弱った雑用係の少年を殺し、3人は肉と血で命をつないだ。
あなたが裁判官なら、どんな裁きを下すか?。
これは、正義と善をつなぐ、対話講義の問いの一部である。
経済性を追求しなければならない組織は、全ての人を平等には扱えない。
そこには、「公正」という名の割り切りが必至である。
組織を客観的に見立てることが組織を生かし、ひいては犠牲者を出さないで、組織活動を通じて収益に変えることができるのだ。
マクドナルドに携わっていたとき、私はいつも店長や次席、3番目という組織運営の戦略的構造を考えなければいけなかった。
店舗規模や店舗のタイプ、難易度によって、適材適所を考えて配置しても、不満を訴える人がいる。
「あいつが、どうして自分より先にスーパーバイザーになれたのか?自分のどこが悪いのか、教えてほしい」というような内容だ。
それに対して私は、「あそこのエリアは彼のほうがうまくいくと思った。
ただ、もちろん人事だから約束はできないが、君には大きな出番がくるはずだから、備えておいてくれ。
これは、単なるタイミングの差だ」と答えていた。
現場の仕事やライン人事には、熟練技能が必要不可欠である。
ものづくりに必要不可欠な職人的な身体熟練、そして知的財産のような思考熟練が必要になる。
現代は、ものづくりであってもなくても知識社会だ。
この両方の経験の熟練技能が備わってこそ、ほんとうによい現場の指揮ができる。
もちろん、「Z○□△」を備えたキャラクターと能力も必要だ。
真面目なだけでは使えない。
倉庫番には、真面目で融通の利かない人が向いているというが、先はないだろう。
「身体の大将」は誰であるかこれは、葵のご紋である「肛門」さまの話だ。
1976年10月、「誰が身体の大将か」というテーマで、第1回目の「身体の先進国首脳会義」が開かれた。
参加国は、「脳」「口」「心臓」「胃」の4か国である。
このとき、まず議長国の脳が、「今さら言うまでもなく、誰が身体の大将だって?脳であるこの私が身体の大将に決まっているだろう。
脳の私がいろいろと考えて指令を出さなければ、何もはじまらないじゃないか。
だから、脳の私が身体の大将さ。
そうだろ、みんな?」と言った。
すると心臓が、「いやいや、それは違うでしょう、脳さん。
心臓の私が動かなければ、みんな死んじまう。
そうだろ、みなさん?この私が身体の隅々まで血液を送っているから、みなさんは生きていられる。
だから、身体の大将は、心臓の私に決まっている。
こんなこと議論しなくたって、決まっていることなのさ」と笑った。
すると、口がこう言った。
「いやいや、それは違うだろ。
聞いていれば、好き勝手なことを言いやがる。
じゃあ、なにかい?口がなくたって、生きてられる保証はあるのかね?口の私が食べたり飲んだりしているから、みんなは生きていられるのさ。
旨い思いをできるのは、誰のおかげかね!」と声を荒げた。
そのとき、胃が「やあやあ、みなさん勝手なことを言ってもらっては困りますよ。
身体が元気でいられるのは、胃である私が食べ物を消化して、栄養を吸収している事実があるからじゃないですか。
胃の私がいなければ、生きることは不可能だ。
だから身体の大将は私さ。
みなさん、そうでしょうが」と熱弁した。
それを、会議室の外で聞いていた、ある部位が「なになに、身体の大将が誰だって。
そんなうまい話があるなら、俺も混ぜてもらおうじゃねーか!」と扉を叩いた。
「いい話をしていると聞きました、私も入れてください」「なに、肛門か?」「はい、肛門です」「お前のような汚たならしい部位には、この会議に参加する資格などない!ここをなんだと思っているのか。
汚らわしい、とっとと出て行け!」「何?汚らわしくて、資格がねえだと?クソ、もうゆるさね~。
俺は怒ったぞ。
思い知らせてやる!」。
そう激怒した肛門は、「俺はもう断固として、開門しねーからな。
みんな覚悟しろよ」と怒った。
そして数日、1週間、10日と経過して、脳はイライラして頭痛にめまい。
心臓はドキドキ、腹が張って苦しくなり、食欲など皆無。
胃はムカムカ、どうしようもなくなってきた。
そして2週間後─。
みんなイライラして、我慢も限界だ。
そして、全ての部位が困って、「先進国緊急対策会議」を急遽開催した。
「これでは、我々の身が持たん。
もう苦しくて、我慢ができん。
みんなで肛門に謝ろう。
賛成する者は挙手してくれ。
うぉ!全員賛成か。
さっそく、肛門に謝ろう」。
そして、それぞれが肛門の前に行って、「肛門さま、あなたが身体の大将です。
我々は間違っていました。
どうか許してください」と頭を下げた─。
このように普段、私たちは意外と人を見下げていることが多い。
世の中、毎日コツコツと下働きをしてくださる方がいて、「その人のおかげで自分が生かされている」ということに気づけないでいる。
たとえば、会社や駅のトイレが毎日気持ちよく使えるのは、掃除をしてくれる清掃スタッフの方々がいるからだ。
もし、清掃してくれる人がいなかったら、トイレはたちまち汚くなり、その場所に幻滅する羽目になるだろう。
会社のチームワークも、これと同じだ。
マクドナルド社は、全員が「クルー」という船の乗組員であり、各自が持ち場を持っている。
私は、それぞれが自分の持ち場で責任を果たすことで、よいチームワークができあがると確信している。
忙しくて困難なときこそ、休暇を取らせる「忙しい、忙しい」と口ぐせのように言う人がいる。
確かに、仕事には山場がある。
しかし、いつも忙しく働いている人は、時間管理や仕事の優先順位、仕事への意識に問題がある。
太平洋戦争の最中に、米国海軍は「3交代勤務」のシフトを使っていた。
戦いが終わり、戻ってきた艦上から降りた兵隊は、疲れを癒す休暇に入って、テニスを楽しんだといわれる。
艦上でまさに戦っている隊、そして陸上で訓練を重ね、戦闘態勢を磨き、乗艦待ちをする兵隊だ。
戦争中にも、人事管理システムに衛生要因(少しでも欠けると不平・不満につながる要因のこと)を外さないでいたようだ。
実に、大した国である。
戦争中にもかかわらず、米海軍はこのような体制がとれていた。
しかし、近代国家である日本では、名ばかりの管理職や過労死事件が起こる。
なんとも情けない話だ。
私はスケジュールを作成するとき、必ず、「規程の休みは入れなさい。
そして会議やイベント、目的巡回を組み込み、ボスのニーズや緊急対応のための予備日を確保しなさい」と教えてきた。
そもそも人間は機械ではないし、感情を持っている。
疲労困ぱいし、消耗した身体で、やる気が持続するはずはない。
休むことができないので、損をしたような気持ちになって、思考は常にネガティブに働く。
逆に、休暇をとりリフレッシュすると、身も心も爽快で創造的になり、快活に働ける。
その結果、ヒヤリハットやクレームが減る。
とくに、サービス業にとっては現場の最前線で働く人こそが、顧客接点そのものであり、労務管理は最重要といえる。
顧客に感じのよいサービスが施されることは、仕事の目的そのものである。
従業員の犠牲心から、顧客の犠牲者が生まれるのだ。
休暇は最高の薬であり、ゆとりのなかから生まれる創造力は格別である。
適度な休みがあることで、仕事にメリハリを持ちながら、生産的に働くことができるのだ。
上司の能力と人間性は、叱り方で判断される(部下の人間管理)日本マクドナルドの顧問であった故竹中義男氏は、叱ることについて、次の5つを教えてくれた。
ここでは、それぞれについて、詳しく述べていこう。
(1)叱ることを正しく適用する(2)叱る目的を外れない(3)叱る方法を適切にする(4)叱りのTPO(5)叱りの代替を考えない(1)叱ることを正しく適用する・褒めることと叱ることの回数や熱意が3対1なら部下は向上する。
1対1なら叱る効果は多少あるが、1対3なら叱る効果があまりないことを知る。
・部下の能力などに応じた事前のアドバイスで、叱る回数はかなり減らせる。
・感じるままに叱ったり、気分にまかせてヒステリーになって叱ると効果はない。
・基準を立て、不公平にならないようにする。
・能力がないことを怒ってはならない。
自分の子がそうであるように、人には生まれつきという面もある。
・規律を乱している者を放置したり、闇討ちしないで叱るべきだ。
(2)叱る目的を外れない・部下の成長と組織の効率向上が目的である。
この目的さえ外れなければ、情熱を込めて叱るべきだ。
・部下をバカにし、恥をかかせ、自分の怒りをぶちまけるために叱ってはならない。
・自分の成績のために叱る心があると、部下は敏感に感じて反発する。
・叱ることによって自信を失わせ、再挑戦の意欲をくじくようでは逆効果である。
(3)叱る方法を適切にする・叱る根拠や理由をはっきりさせる。
もし事実が不明な場合は、叱る前に事実関係を部下に述べさせる。
・部下の失敗は自分の指示、トレーニング、チェックなどにも責任があることを述べる。
部下に対しても責任感じていることを知らせる。
・部下が言い訳として述べたいと考えていることも理解していることを知らせる。
良い点はほめる。
それでもなお、叱る点があることを説明する。
・軽蔑、馬鹿にした表現、見放したり、のけ者にした態度をとらない。
ぐさりと心臓を刺したら再起できない。
・部下の言い分をさえぎらずに聞いてやり、納得させる。
・過去の良かった点や信頼していることを分からせるような話題に移す。
・自分の過去の失敗、失敗しかかったこと、再挑戦した例などを話してやる。
個人的問題で叱る時は、特にこれが欠かせない。
・改善策を相談し、新しい目標と再挑戦の機会を与え、援助の姿勢を示す。
・後日、なるべく早い時期に良い点を褒める。
(4)叱りのTPO・一般的には、直ちに叱る。
まとめて叱ったり、思い出して過去の失敗も引き合いに出して叱ると、部下を腐らせるばかりで、教育効果はない。
・一般的には、2人きりのところで叱る。
・部下の前で叱らないのが原則だが、彼の主だった部下も一緒に集めて、彼の面子を重んじながら、全員の奮起をうながす叱り方もある。
・同僚の前では叱らない。
・上司の前では叱らない。
・個人的問題は、彼の部下や同僚に知られないように、柔らかな雰囲気の時、処、方法を選ぶ。
(5)叱りの代替を考えない・叱らないで人事などで報復すると、陰険な上司として他の部下の心も離れる。
・直接叱らないで、同僚などに不満を言ったり、矯正を指示すると、信頼関係がなくなる。
・叱らないで上司に告げると恨みに思う。
・叱らないで、言いふらすと憎みに思う。
・皮肉や、当てこすりは叱りの代替にはならない。
叱られ方を心得て、範を示す・上司が叱るのはコミュニケーションと考える。
・叱られるのは、期待されているのだと考える。
・悪いところが直せると考える。
・叱られながら、責任を自分以外に探さない。
・言葉を悪意にとらず、善意にとる。
・途中で弁解しない。
・反抗的態度やふくれ面をしない。
・誤解があれば、叱られ終わってから、穏やかに話す。
・理由や要点が分からない時は、叱られ終わってから、穏やかに尋ねる。
・自分の責任を認めてわびる。
・上司の指導、配慮などに感謝していることを現す。
・再挑戦の決意を示す。
・改善策を考え、分からない点は教えてもらう。
・同じ失敗は2度しないようにする。
・叱った上司に遠ざかるそぶりをしないで、叱られた後は返って接近する努力をする。
ドラッカー理論に学ぶ「課長」マネジメントを学ぶ上で避けては通れない経営学者ピーター・ドラッカー氏は「これからは、ビジネスマンもマネージャーも自らの内に、知識人(インテレクチュアル)と経営陣(マネージャー)という2つの文化を一体化して生きねばならない」と言った。
これは昔のような、たんなる頭でっかちのインテリや、古いタイプの教養人のことではない。
だからと言って、商売オンリーの仕事人間のことでもない。
「言葉」と「アイデア」と「概念」の世界である知識世界と、「仕事」と「アクション」と「人間関係」の世界であるマネジメントの世界の2つをバランスよく同時にこなすことが、「ニューエデュケーテッド・カルチャード・パーソン」である。
ドラッカー氏は、『明日を支配するもの─21世紀のマネジメント革命』(P.F.ドラッカー(著)/ダイヤモンド社)のなかで、「成功への道は自ら未来をつくることにより、切り拓くことができる」とも言っている。
よって課長は、経営者と生産活動のブリッジ・マネージャーである。
1流大学を卒業しても使えない人がいるし、3流大学を卒業して使える人もいる。
どちらにも言える「使える人」には、適応力がある。
適応できない人は、潜在能力と経験がたくさんあっても、組織のなかで使えない。
思い出してほしい。
太古の昔に、巨大な身体をした恐竜でも、氷河期に適応できなかったがゆえに、化石と化してしまったことを。
私たちもミスマッチに適応できなければ、企業で生き残ることは難しい。
適応力というのは、実に大切な資質なのだ。
そもそも、「課長の仕事とは何か」と言えるものなどないのだ。
課長として適応するには、ドラッカー氏のいう「ニューエデュケーテッド・カルチャード・パーソン」になる必要がある。
真剣によい仕事をしてきて、仕事の経験を自分のものにできたかどうか。
いくつの経験を積んだか。
そして、何人の上司に仕えてきたか、が大事である。
課長という立場は、自分の人生の「分水嶺(分水界をなしている山のみね)」といえる。
知識や腕前を磨いて専門職の頂点に立ち、一方で、管理職になったばかりでマネジメントの犬かきをはじめた時期だ。
その時期は、ちょうど製品ライフサイクルの第2のSカーブを開発している段階のようなものといえるだろう。
ここで、「第1のSカーブ」と「第2のSカーブ」について説明しよう。
たとえば、かつてテレビは白黒表示だった第1のSカーブ時代から、カラー表示になった第2のSカーブ時代に突入して、第3のSカーブで液晶表示になった。
このような製品のイノベーションがもたらすライフサイクルのように、変化・成長して衰退するまでのカーブがS字に似ているので、このように呼んでいる。
専門職は、第1段階のSカーブである。
そのとき、ただ漫然と仕事していたら、そう遠くない将来に埋没してしまう。
「万年課長」とでもいう域を超えられなくなってしまうはずだ。
可もなく不可もない「冴えない課長」になって低迷してしまう。
私は、「課長5年をひとつのけじめとして、第2のS字カーブを設計しなさい」とアドバイスしてきた。
5年より早い段階で、昇進の機会が得られればよいが、6~7年と経過しても変化がない場合は、何か問題を抱えていることになる。
課長時代は、「専門職のスペシャリスト」として突き進むか、「ジェネラリスト」として、これまでの専門職の領域を生かし経営参画しながら、現場を把握したマネジメントをしていくか選択をしたほうがいい。
つまり、「部下を持たない人材としてエキスパートになる道」か「人をマネジメントして組織を動かし、全体の生産性を確保する道」のどちらを進むかを決める、人生の岐路(分水嶺)にいるのだ。
私のこれまでの経験から、「自分だけがすぐれている」と自負する、いわゆる「唯我独尊タイプ」で専門分野に興味を持ち、潜在能力も兼ね備えているが、残念ながら人に配慮できない人には、この話を早めに伝え、人生の進むべき方向性を導くようにしている。
どちらかと言えば、このタイプは研究家に向いている。
自らの能力を生かすために、決断は早いほどよい。
誰も教えてくれない自分の価値を高める「セルフコーチング」自分自身の価値を高めるには、自分の仕事をコンサルティングしたほうがよい。
「なぜこの仕事があるのか」「このままでいいのか」「この仕事は何かで代用できるのか」「この仕事の問題は何か」「何が変わればもっとよくなるのか」「これで貢献できているのか」─。
このように、自分の仕事に問題意識を持って、自分自身に問いただし、自分自身の潜在能力を引き出すことだ。
賢い人は、自分が無能やずるい自分にならないよう、賢く自分を攻撃して、改善・提案している。
望ましい人事異動では、このようなことが強制的に実行できている。
よく、自分の仕事は自分だけのものにして、ほかの人がわからないように囲ってしまう人がいるが、そういう人は、「自分が不要になる」ことを恐れているのだ。
しかし、その本人が休んでしまえば、誰もわからない状態に陥る。
そのため、その人をほかに人事異動させることができない。
しかも、このような人の場合、たとえ忙しくても、「今の職場を変わりたい」とさえ思っていない。
満足もしていないし、特段の不満も持っていないものである。
適当に存在を実感している「ずるい奴」なのかもしれない。
そもそも、コーチングとは「幌馬車」など馬車を意味する「コーチ」のことであり、トレーニングは汽車(トレイン)が語源だ。
汽車は乗客を乗せて、駅から駅へと人を運んでいる。
そして乗客は自分の降りるべき駅で降りて、個別で馬車に乗り継ぎ、それぞれの目的地を目指す。
汽車は目的地である最寄り駅まで、大量の乗客を運ぶため、トレーニングでも「団体訓練」が可能である。
しかし、馬車に乗れるのは、せいぜい2人程度だ。
そのため、コーチングという言葉を使うときは、個々のニーズに応える「個別訓練」を意味する。
「個々のニーズ」とは、その人の心にある個々の要求を引き出し、応えられるように問いかけることである。
コーチが、目的地まで勝手に連れていくわけではない。
コーチは、個々の能力を引き出すマネージャーなのだ。
それはまるで、大名の子弟の教育係を務めた「守役」のような存在であるといえよう。
わがままを矯正し、適切なアドバイスをして、お坊ちゃんの心のなかにある芽を育て、育むことに本質がある。
お互いの心は、実の親より強い信頼関係で結ばれていなければいけない。
また、セルフコーチングのコーチ役が見習うべき考え方は、学者の諸説や論考、先人の知恵や教えのなかにある。
私は、学者が研究しつくした学説や論考に、自己の置かれた経営の現実を照らし合わせ、深く考察することが好きだ。
たとえば、ロータリークラブを初めて設立した米山梅吉氏は、「歴史とは人事の記録である」と言った。
そうなると、自分の歴史はどうだろうか。
人生の糧として、人事異動の辞令の歴史をさかのぼって考えてみた。
いつ、どこで何の辞令を受け、どんな活躍をしたのか。
どんな失敗をして辛酸をなめたのか。
その歴史を噛みしめて、そのときは、どうあるべきだったか。
このような想いを巡らせてみると、「自分の未来を拓く人事は、自分自身で導くことができたかもしれない」という考えが不思議と浮かんだ。
「自分の歴史は、自分の在り方によって、幸せにも不幸にもなりえる」ということを認識すべきである。
家族や上司、会社は、協力者にすぎないのだ。
自分の仕事をコンサルティングしてセルフコーチングすることで、自分の能力を生かすことができる。
これこそ、「セルフモチベーション」である。
また、ドラッカー氏は『明日を支配するもの─21世紀のマネジメント革命』のなかで、次のことを考え、これからの時代は自らをマネジメントしなければならないと述べている。
・「自分は何か。
強みは何か」・「自分は所をえているか」・「果たすべき貢献は何か」・「他との関係において責任は何か」・「第2の人生は何か」そして、自分の強みを知る方法について、次のようにアドバイスしている。
「誰でも自分の強みはわかっていると思うが、たいていが間違いである。
知ってい
るのは、強みというよりも強みならざるものである。
それでさえ間違いのことが多い。
何事かを成し遂げられるのは、強みによってである。
弱みによって何かを行うことはできない。
もちろん、できないことによって何かを行うことなど、とうていできない」。
私は、このドラッカー氏の問いに再度目を向け、過去の自分を照らし合わせる方法として、「マインドマップ」を利用することを思いついた。
自宅から駅前のマクドナルドに向かい、ピークが終わった昼下がりのマクドナルドで、ビッグマックを食べてコーヒーを飲みながら、哲学的にマインドマップを書きだしてみた。
すると、不思議なことに現場検証でもはじめたように、手が止まらなくなったのだ。
幹脳から、どんどん末梢神経に至る思考が流れて、自分の描いているマインドマップが、自分の神経細胞であるような感覚を覚えた。
そもそも「マインドマップ」とは、イギリスの著述家であるトニー・ブザン氏が発明したものだ。
幹となるセンターイメージから、何本もの「コアイメージ」の枝を巡らせ、そこからさらに分類してイメージを展開していく。
私は今、本書を執筆するにあたり、マインドマップを用いて、全体の構想を練っている。
もちろん、センターイメージは「課長」であり、実際に課長に至ったときのリアルな状況を掘り起こし、そして課長時代の自己分析と、上司や部下に馳せた悪戦苦闘の歴史をマインドマップ化した。
合わせて、仕事の成功を収めるのに役立った、あらゆる分野の学者や偉人達の教え、戒めの言葉などを記したのだ。
困難を乗り越えて自信をつける私は、「失敗談を聞かせてくれ」とよく人に訊く。
失敗は、そこで投げ出してしまえば失敗のままであり、失敗を「失敗ではないもの」にする努力をしなくてはいけない。
失敗を失敗でないところまでカバーできれば、失敗はなくなるだろう。
まさに、「失敗からの脱出」である。
まるで、屁理屈のようであるが、これが「努力」というもの。
できるまで、やることだ。
アフリカの大地には、必ず雨を降らせる祈祷師がいるという。
そう聞くと、素晴らしい祈祷力を持っていると思いきや、なんと雨が降るまで祈祷し続けるというのだ。
そう聞いて、「なんだ、それだけのことか」と思えば、それまでだ。
その祈祷師の凄さは、成功するまで何日、何十日も辛抱して祈祷し続けることにある。
途中で諦めたら、何もならない孟母断機の教えと同じである。
私たちの仕事も、これと同じだ。
困難に挫けず、やりぬくことこそ、最大の自信となる。
困難を乗り越えられずに途中で投げ出してしまえば、「挫折」して自信を喪失する。
過去に私も、新しくグランドオープンした店舗の売上が伸びず、悪戦苦闘したことが何度もある。
そうなると、家賃はかかるし、人件費がペイしない。
それでも営業し続けると、水道光熱費もかかって、次第に途方に暮れはじめる。
そこで、販売促進の手立てを考えて、チラシ配りなどを最低限の予算で実行する。
責任を感じていても、物事がすらすらと進まず、改善しない。
最低限しかいない従業員の士気は、なかなか上がらない。
それでもやりぬくのだ。
近隣のレストランやそば屋には昼飯や夜食のときに足を運び、文房具や入用なものは、全て近隣の商店でまかなって顔を売り、義理を売って見込み客を増やした。
こうした努力の積み重ねが、ある日突然、ティッピングポイント(それまで小さく変化していたある物事が、突然急激に変化する時点)を超えて人気が出る。
それは、まるでパンデミックのようだ。
すると、これまでが嘘のように、商品がよく売れた。
また、マクドナルドのテレビコマーシャルは、麻薬のように効果を発揮した。
これとは反対に、新店舗のグランドオープンから連日大盛況で、売上の勢いが止まらなかったことが何度もある。
すると今度は、トレーニングが間に合わないので、人手が足りなくなる。
すると、クルーたちは全員疲れて、疲労困ぱいになった。
しかし、このうれしい悲鳴と言える困難を乗り切ることが、リーダーとしての腕の見せどころでもあったのだ。
ときに、全員が総出になる状態だったが、テリトリーをあげて応援態勢を取り、順番にクルーを休ませて、状況をリカバリーさせた。
リクルートや面接採用、トレーニングを常時並行して行った。
トレーニングは、返って忙しい方が簡単に実行できた。
異常に売れ続ける状態によって、「厨房」という軍艦の中で団結心が生まれ、困難なオペレーションを克服することにつながったのだ。
私は直接、260店舗ものグランドオープンを指揮したが、このような困難を乗り越えたことは、後々の店舗開発や広告宣伝、オペレーションの改善で、大きな自信となった。
とくに、若い人たちには、「若いうちに現場の仕事をこなしなさい」と言いたい。
若いうちは身体が元気で、無理ができる。
若い時期こそ、第一線の現場体験を逃してはならないのである。
その第一線の現場体験は、専門職になる人にとっても、マネジメントサイドに昇進するにとっても、大きなバックボーンになるはずだ。
米国マクドナルドコーポレーションでは、本社の経営幹部として入社した人に、「ファースト・トラック」というシステムで、店舗実習の勤務を経験させている。
ダウンタウンの大型店舗や郊外のドライブスルー店舗、ライセンシーオーナーの店舗など、それぞれタイプの異なる店舗で3か月間程度の実習を経験して、地区のBOCオペレーションコースを受講するのだ。
その後、本社ハンバーガー大学のAOCトレーニングクラスを受講することとなる。
それらを経験して、経営幹部となる仕組みだ。
新入社員たちは、この体験実習によって、店舗の全てを短期間で学ぶことができる。
経営哲学や経営理念、QSC、ストアーマネジメント、カスタマーファーストなどを肌で吸収する。
また、その一方で、現場クルーから、多くの経営幹部が誕生している。
マクドナルドは、オペレーションあっての会社なのだ。
部下の発達段階に応じたコーチング世の中には、単純にコーチングを個々に行うことだけではなく、あらゆる指導法が存在する。
そのなかで、部下の発達段階に応じたコーチングが必要だ。
「1分間リーダーシップ」によれば、大きく4つの指導法があるという。
・スタイル1【指示型リーダー】具体的な指示命令を与え、仕事の達成をきめ細かく監督する。
・スタイル2【コーチ型リーダー】引き続き指示命令を与え、仕事の達成をきめ細かく監督はするが、決定されたことも説明し、提案を出させ、前進できるように援助する。
・スタイル3【援助型リーダー】仕事の達成に向かって部下の努力を促し、援助し、意思決定に関する責任を部下と分かち合う。
・スタイル4【委任型リーダー】意思決定と問題解決の責任を部下に任せる。
発達段階に応じたリーダーシップスタイル「指示型」「コーチ型」「援助型」のリーダータイプは、指示を出したり監督したりすることによって指導を行なうが、「委任型」のリーダータイプは、自発的なリーダーとしての成長を見守るために、部下自身に判断を委ねている。
「指示型」「コーチ型」「援助型」が直接指導ならば、「委任型」は間接指導と言えるだろう。
リーダーには、意思決定と問題解決の責任を部下に任せ、部下のリーダーとしての成長を促し、その発達段階に応じたリーダーシップスタイルを取ることが求められる。
美味しいフルーツは、どこから来るのか「美味しいフルーツは、どこから来るのか?」と聞かれると唐突かもしれないが、これを知れば、企業風土そのものが、いかに大事なことかを理解できるだろう。
「フルーツ」が果物を意味することは、誰もが知っているはずだ。
実は、そのフルーツの語義・語源を掘り起こすと、実に意義深く、本質的なことを理解できる。
フルーツとは、「土壌の産物」が原義である。
また、フルーツが複数あるときは、「成果、報い」を意味する。
これにより、おいしい果物は、恵まれた環境に適合した、土壌の産物であることがわかる。
それでは、企業の成果はどこから来るのだろうか?企業風土に育まれた「生産活動の結果」であるとわかるだろう。
企業の風土、すなわち土壌は、次の「3S」で言い表される。
・「ストラクチャー(組織構造)」・「システム(機能)」・「スタイル(企業文化・企業風土)」この3つがしっかりしていないと、よい成果は生むことができない。
そのため、企業の成果である果物(=成果)がたわわに実るには、企業風土や企業文化が、やる気や活力を育むもとになることを理解すべきである。
こういったことを根ざせる土壌が大事なのだ。
ちなみに、カルチャーとは「cultivated(耕す)」が原義である。
よって、農耕文化はすべての原点となっている。
課長となる人は、人を耕し、仕事をする人になってほしい。
2倍の法則ドラッカー氏は、「仕事は考えているよりも2倍の時間がかかるものだ」と指摘している。
それなのに、上司は口癖のように「おい!まだ、資料ができていないのか。
遅いじゃないか!早くしろよ!」と部下を叱咤する。
これでは、部下のモチベーションが上がらない。
たしかに、いつも手をつけているルーティンワークは、作業を完了する時間がある程度は読めるはずだ。
しかし、新規のプロジェクトなどの完了の目処が予測できない仕事は、時間との戦いであり、一番のリスクは遅れることある。
私は、若いときに銀行のオンラインデータ通信の開発プロジェクトに参画したが、1年間のプロジェクトの予定が、実際は2年間かかっている。
その原因は、システム統合とOS開発の遅延だった。
とくに、延滞損害金は大きかった、と記憶している。
当時、私は駆け出しの新米の頃で仕事を覚えさせてもらった立場だったのだが、現場責任者にとっては延滞が一大事だったはずだ。
また、その後も同様に、仕事で情報システム開発の遅延を経験している。
システム移行や現場教育、サービス体制など、どれをとっても大仕事である。
郵政民営化した後の、郵政の宅配システムを自前管理にしたときも、システムが機能しなかったことがある。
それほど、予期せぬトラブルの対応に時間を取られてしまうものだ。
ドラッカー氏は、全てお見通しであったというわけだ。
よって、組織の上に立つ人は、大胆な行動をとれるように、十分に緻密な計画を練り、采配とリスク体制を敷くべきである。
現場が不安がる状況を招く第1の原因は、「見通しが立たない」ことだ。
見通しが立たないことほど、不安がつのることはない。
だからと言って、単純に「作業時間の見積もりを2倍にすればいい」というわけではない。
新しい仕事では、予期せぬ事態が発生するものであるが、リスクを恐れずに仕事を進めなければいけない。
ときに、予期せぬ事態が、偉大な発見に繋がることだってある。
そもそもマネジメントとは、失敗の確率を最小限にすることであり、マネジメントの最大の本質は「合意を得る」ことだ。
プロジェクトメンバーや関係者と、事をうまく運ぶために合意をとりつけて、うまく仕事を推進する。
このようなことが、担当リーダーである課長のマネジメント責務であると、心得ておこう。
課長としての5つの役割『「自分の未来」を拓く─「真の能力」を発見し、いかに学び、働き、生きるか』(ボブオーブレー(著)、小林薫(著)/マネジメント社)のなかで、「親の役目」について次のように述べられている。
この理論は、なかなか興味深い。
課長は部署の運営をしていく上で、部下にとっての親のような立場であるため、有効なアドバイスとして覚えておきたい。
それぞれについて解説していこう。
親としての五つの役割(1)投資家:親は子供たちが最大限の結果を生むために、その自由に使える資源を使う。
(2)戦略家:若者は、意思決定の結果に対して部分的にしか理解しないので、親は選択肢に優先順位をつけ、決定の結果を評価するのを助ける。
(3)メンター:親は子供の話を聞き、能力開発に加わる。
(4)触媒者:親は子供への期待を設定し、自分自身が設定した限界を超えたところまで到達するように後押しする。
(5)模範者:親は長所短所の両方にわたって子供の行動パターンを設定し、自らもその方向づけのロールモデルとして行動し、子供が見て決して無関心にならないようにする。
(1)投資家としての親やれ学費であるとか、寮費であるとか、私立は高いとかを考えるとき、親が裕福であるかどうかが重要な条件である。
それと同じように、会社の部署にとっての投資家理論は、「ギリギリな予算か」「豊富な予算編成であるか」など、戦略や目標管理による優先順位が、重要なファクターとなる。
いずれにしろ、部下たちにとって親の立場にいる上司は、「予算は心配するな、しっかりと研究開発しろ」と部下たちが最大限の結果を出せるように、予算の投資家としての機能を果たすべきである。
(2)戦略家としての親戦略家としての親は、子供の教育のために、よい環境を選ぶことが重要だ。
親と同じように、企業の部門における課長は、戦略的でなければならない。
私が現場を見ていたとき、N君という部下がいた。
N君は、人間関係を築くことが得意で、骨身惜しまず仕事に打ち込み、責任感が強く、場合によっては何日も徹夜を惜しまなかった。
しかも、英語が得意だったので、横須賀店のグランドオープンに、彼を配属した。
その店舗は、米軍横須賀海兵隊基地が近く、空母や原子力潜水艦が何度も寄港するような場所にあった。
そのため、4~5千人ものアメリカ人水兵が寄港し、店は水兵で溢れかえったのだ。
そんなロケーションだったので、彼は自身の英語力によって有力な情報を事前にキャッチして、それはうまく店舗運営を進めていた。
私は、彼の手腕を買い、開発が進んだ沖縄地区にある沖縄1号店目にあたる、「マクドナルド嘉手納店」のグランドオープンの店長として、彼を派遣した。
そして、彼の現場経験を生かして、その後はハンバーガー大学にプロフェッサーとして招いた。
N君には、彼の得意な英語と現場経験を生かし、アメリカからのマニュアルの翻訳・編集に携わってもらった。
もちろん、その後の彼の活躍も、実に目覚ましいものであった。
(3)メンターとしての親親は子供のメンターとして、子供の話を聞いて、能力開発に携わる役割があるという。
そもそも、企業のマネジメントメンターは、チームや部下たちに彼らのやりたいことを、やりたい方法で任せるわけにはいかない。
日本で最初にドライブスルー店をオープンする半年前、アメリカのアトランタやナッシュビル(テネシー)を視察したことがある。
アメリカのドライブスルーは売上の45%を占め、雨の日には売上の55%になった。
だが、日本でドライブスルーを開始してみると、車の侵入経路とは反対からお客様の車が入場し、お客様が車に乗ってオーダーしないこともあるなど、現場はてんてこ舞いだった。
そこで、ドライブスルーの敷地内に、道路の交通標識と同じ標識を作成して対策を講じ、混乱した現場にブレーキをかけることができたのだ。
このようにメンターとなる上司は、親のように秀でた経験と経験的感性を持って、チームや部下たちに適切なアドバイスをして、悩みを解決できる人になることが求められる。
そうでなければ、上司は馬鹿にされるし、いざというとき当てにはされない。
「メンタリング(mentoring)」は大事なことなので、もう少し触れておこう。
ここでは、小林薫氏がアドバイスしている内容について、いくつかご紹介する。
●メンタリングは、若者に何をすべきかを教えたり、若いときに自分が何をしていたかを教えたりすることを意味しない。
メンタリングは物事の対処方法について、自分自身ならではのやり方を見つけるように手助けをすることである。
●その一方で、メンタリングは受け身の聞き手に堕たり、すべてに同意することでもない。
メンタリングは、道徳的な次元で、正しいこと、やりがいのあること、効果的なことは何かということに関するコミュニケーションをすることを要求する。
●アイデアを刺激するために、質問を投げかける。
正しい質問がなされれば、問題について話すだけで解決案が浮上してくる。
(4)触媒者としての親親は、子供への期待を設定して、自分自身が設定した限界を超えたところまで、子供が到達するように後押しする役割がある。
「触媒」とは、自分自身は変化せず、自分の力を介して、相手が変化する化学変化を意味する。
よって、押し付けがましい物言いや態度は避けて、北風と太陽の力のように環境変化を与え、無抵抗に意図する方向へと子供を誘うのだ。
このとき大切なのは、子供や部下がやる気を損ねてしまわないように、配慮することである。
だからと言って、腫れものに触るようなことはしない。
また、親は自分にできなかったことを子供に押しつけてはいけない。
自信と勇気を与えるような大局的見地(大きな観点に立ったものの見方)から、夢を抱かせるテクニックが必要である。
相手が納得する大局的見地の例として、「天網恢恢疎にして漏らさず」という老子が述べた言葉を参考にするとよいだろう。
これは、「空の網は広くて目が粗いが、悪事はお天道さまがかならず見ている。
だから、悪いことは決してやってはいけない」という意味だ。
このように、大きなものを比喩すると、大局感を養うことができる。
「雪のように白いワイシャツ」「大空のように澄み切った青」「海のように深い母の愛」など、表現が触媒の機能を果たす。
触媒のテクニカルなことを理解したら、上司はどのように部下をモチベートしたらいいのかを考えることだ。
私を学長に推薦してくれたマクドナルド米国本社から、日本の指導に来ていた顧問J・A氏は、私のことを「君は声も大きいし、人材開発がうまい。
現場のリーダーシップは誰にも負けない。
アメリカの学長に負けないよ」と言ってくれた。
私に与えられた「使命」の大きさを、これ以上ない表現で教えてくれたのだ。
そのとき、私の心のバケツは、「希望」という黄金水で満ち溢れたことを、はっきりと記憶している。
(5)模範者としての親親は、長所短所の両方で、子供の行動パターンを設定して、自らもその方向づけのロールモデルとして行動すべきだ。
そして、子供が見ても決して無関心にならないようにする。
子供は、親の背中を見て育つものだからである。
模範者としては、自分自身が他者から見て、かっこよく映らなければ失敗だろう。
「あんなに辛い立場の仕事は、俺には真似ができない。
よくできるな」と思われたら、誰も後にはついてこない。
このような模範者のロールモデルは、見られたものではない。
模範者は「憧れの存在」として、人よりも勉強して物知りで、仕事に明るく、ぶれない、武士道精神を持ちながら、上司にへつらわずに、部下に媚を売らず、毅然とした人になることだ。
また、模範者は倹約しても、ケチであってはならない。
さらに、公私混同は絶対に避けるべきだ。
自分と会社の内部統制蓮(はす)は、汚泥のなかで可憐な花を咲かせ、しかも汚泥層のなかにある蓮根(れんこん)は、無菌状態だという。
自浄作用がしっかりしているのだ。
汚れなきこの蓮の姿は、仏教の世界でこよなく愛された。
不垢(ふく)不浄(ふじょう)、しかも花果同時、種子千年という極めて優れた植物である。
企業が長期繁栄(ゴーイングコンサーン)を実現する上で、この蓮の姿を目指さなければならない。
内部統制やコーポレートガバナンスがしっかりと実行されていて、規律ある企業体であらねばならないのだ。
企業は、外的要因では潰れないのである。
課長の自己管理は、億万長者の成功要因にあるように、正直で規律を求め、人との信頼関係を築くことが第一優先だ。
もちろん、世界最小のコミュニティである「家族」との絆は、最も大切な心の内部統制の礎である。
心休まる安楽の地こそが、家庭であるべきだろう。
幸せな笑顔は、職場の衛生要因となる。
生産性は高まり、ヒューマンエラーはなくなり、改善はイノベーションを産む。
このような企業体の風土は、最高のフルーツを実らせることになる。
ただ、よく課長が陥る失敗として、次のようなことがある。
課長になると、急に偉い態度になる人がいる。
生意気な態度で、鼻持ちならぬタイプだ。
しかも、部下が無能に見えてしまっている態度が、あからさまに分かる。
誰もついていきたくない、典型的な課長タイプだろう。
ところが、本人は全くこのことに気づいていない。
唯我独尊で、組織を動かせない。
その結果、組織はバラバラとなり、退職者が続出する。
そのとき、コトの重大さに気づいた会社が、慌てて課長を降格する。
そこで、課長は痛みを味わってみてはじめて、無礼をしてきた人たちの心の痛みを知るのだ。
そうではなく、課長はオーケストラの指揮者であり、チームの調和を保つことが要求される。
指揮がなければ、演奏は聞けたものではない。
課長は、「偉い」のではなく「組織をうまく束ねる名人」でなければならないのだ。
または、それほどに課長自身が有能でなくても、束ね方が有能であれば、みんなの潜在能力を最高に引き出せる触媒者になれるだろう。
ドラッカー氏は、「強みの上に己を築け」と言っている。
上司である課長は、部下一人ひとりの「強みらしきもの」や「潜在能力らしきもの」のアンティシペーター(読み)をすべきである。
そのために、昼食時間や飲み会での対話を通じて、それぞれの部下の癖や特技などに興味を示すことが必要だ。
これらの細やかな観察によって、個々人の才能を判断することができて、その結果、仕事の割り当てやポストが空いた場所への異動のチャンスを与えることができる。
鷹揚で先読みできる課長として、部下の見込みや強みを生かし、部下を昇進させてあげることができる。
それから数年も経てば、「課長!今の自分があるのは課長のおかげです」と言われる。
それに対して、あなたはこう答えるのだ。
「いや、君の実力だよ。
今夜は時間あるか。
あそこで待っているよ。
じゃあ、またあとで」─。
組織統率の潤滑油として、とくに私は「酒宴マネジメント」をこよなく愛してきた。
これほど有効な方法は、ほかにはないと思っている。
無礼講でオープンな雰囲気のおかげで、部下たちの本音を聞き出せる。
人間関係が円滑になるのは、酒の場の流れだろう。
しかし、無礼講といえども、礼節は失わないことである。
古来、酒は神聖なものであり、祭りごとには欠かさず献上されるものだ。
国賓の晩餐会や昼食会にも欠かさず置かれ、その国々の銘酒がふるまわれ、美酒柔和な雰囲気を醸し出し、友好を深める役割を持つ。
古代ギリシャでは、シンポジウムが「酒宴」を意味するらしい。
それくらい民衆がそれぞれの意見を述べて、質問に応答するという真剣な討論会でも、酒が「友好の役目」を果たしたということだろう。
とかく、世知辛い現代ビジネスでは、せっかく出張して集まった会合や研修会は、コスト削減が先立ち、この一番大切な機会を持たないで終わることが多いようだ。
夜の食事会ですら、「酒=何か内部統制リスクが高まる」といった錯覚すら感じている人もいる。
「マネジメントとしての対話」という、意味のある機会を失っているように思えてならない。
酒は、正しく楽しく会食にあて、美酒団欒をもって接すべき「もてなしの文化」なのだ。
私は、「家族が一人も酒を飲まなかったら」と想像しただけで、血が逆流してしまう。
家族全員が楽しく飲んで語る団欒は、とても健全である。
このように、「酒」と「対話」がマネジメントの血液といえる。
日本の小説家、詩人である国木田独歩は「コーヒーは哲学であり、酒は宗教である」と言ったそうだ。
古代ギ
リシャや国木田独歩は、酒に対して、実に造詣が深いではないか。
浅はかな時流に流されない、確固たる信念と物事の本質的な魂を持って、教え導く課長になってもらいたい。
メンターであり、触媒者として─。
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