第5章成功目標とストレス目標第1章でも見たように、人の行動はすべて「目標」で決められている。
ここでの問題は、たいていの人が、自分がどんな目標で動いているか知らないことだ。
自分がどこから来たかもわからないし、目標が正しいか間違っているかもわからない。
自分がどこへ向かっているかもわからないし、そしてもちろん、目標を変える方法もわからない。
皮肉なことに、私たちの多くは、小さな事柄なら明確な目標を決めている。
たとえば、身体を清潔にするとか、どんな服を着るかとか、家を掃除するとか、そういうことだ。
私のクライアントには、軍の関係者や、完璧主義の女性がたくさんいる。
彼らはみな、人生の外側の状況については、厳格な規則を決めてきちんと守っている。
それなのに、人間関係や、過去の記憶など、内面の問題では苦労することが多い。
内面の問題については、多くの人が無意識のうちに目標を決め、自覚がないままその目標の通りに生きてしまっている。
それが、健康問題、経済問題、心の問題、人間関係の問題などの悪循環から抜け出せない理由だ。
そして最後には、人生で本当に大切な分野ですべて失敗してしまうのである。
そこであなたには、今から10分間、祈りを捧げるか、瞑想をしてもらいたい。
そのとき、自分にこう尋ねる──「私は自分の意志で、いちばん大切な分野の目標を立てているだろうか?その目標は、健全で、正しくて、愛と真実から生まれているだろうか?車はいつも完璧な状態かもしれないが、私の怒りの感情はどうだろう?洗濯物は片づいているかもしれないが、子育てについてはどうだろう?」今のあなたは、内面の状態が外側の状況を決めていることを知っている。
だから、内面の目標を決めることの大切さも理解できるだろう。
問題は子育てかもしれないし、または怒りをコントロールできないことかもしれない。
ともかく、いちばん大切なことできちんとした目標がないことに気づいたのなら、きっとこの章が役に立つ。
真の成功へと続く目標を立てることができるようになる。
では、どうすれば、本物の成功につながるような目標を立てることができるのだろうか?数年前、健康問題を抱える男性が私のところにやってきた。
やがて身体のほうはよくなったのだが、彼にはまだ問題があった。
彼はこんなことを言った。
「先生、私は10年前からある目標に向かって努力しているのですが、まったく達成できません。
先生にこんなお願いをしていいのかわかりませんが、力になってもらえないでしょうか」そこで私は、もっと詳しく話を聞いた。
話によると、彼は小さな街でわりと大きなビジネスをしている。
10年前からの彼の目標は、1年で100万ドル稼ぐことだ。
会社の売上が100万ドルという意味ではない。
自分のポケットに入るお金が100万ドルという意味だ。
そしてこの10年で、いちばん目標に近づいた額は50万ドルほどだった。
50万ドルでもたいしたものだが、彼は満足できなかった。
目標を達成できない不満をいつも抱えていた。
この紳士は、いわゆる「タイプA」の性格だ。
高い目標を掲げ、そのための努力も惜しまない。
そして自分の決めた目標を達成できなければ決して満足しない。
彼はいつも前のめりになっていた。
週に80時間働き、従業員にも同じくらいの長時間労働を要求していた。
残業代を出さないこともよくあった。
毒舌で知られ、仕事も手抜きが多かったので、業界での評判もよくない。
あらゆる人間関係で問題を抱え、健康状態も悪化する一方だった。
そこで私は、次の質問に移った。
「1年で100万ドル稼ぎたいという目標について、もっと詳しく教えてください。
そのお金で何をしたいですか?そのお金があれば、あなたの人生はどう変わりますか?」彼はすらすらと答えてくれた。
彼のハート・スクリーンには、10年前からずっと具体的な目標が映し出されていた。
丘の上に豪邸を建て、街全体を見下ろして暮らしたい──それが彼の夢だった。
それに新車の真っ赤なスポーツカーも欲しいし、豪華なゴルフ旅行にも行きたい。
丘の上の豪邸とスポーツカーが欲しい理由を尋ねると、自分が成功者だということが一目でわかるからだという答えが返ってきた。
そうやって成功を見せびらかし、羨望のまなざしを向けられたいと言う。
ここでの問題は、目標そのものではない。
その目標を決めた動機が、本当の問題だ。
私は彼に、お力になりましょうと答えた。
ただしそのためには、彼の目標に外科手術を施す必要がある。
彼はしぶしぶながら同意した。
1年で100万ドル稼ぎたいと思うのは一向にかまわない。
しかしこれは、「目標」ではなく、「欲求」にするべきだ(両者の違いについてはあとで詳しく説明する)。
100万ドル稼げば、家を買うことができる。
ただし、丘の上の豪邸ではない。
車も買えるが、真っ赤なスポーツカーではない(もちろん、どちらもそれ自体が悪いわけではない。
問題は彼の動機だ)。
そして豪華なゴルフ旅行は、家族旅行に変える。
そして、稼いだお金の一部をチャリティーに寄付することにした。
仕事の専門知識を使って、地域に貢献するという目標も加えた。
また、労働時間は週に50時間までと決めた。
従業員の労働時間を減らし、給料を上げ、さらに福利厚生を充実させる。
エクササイズ、瞑想、散歩の時間も決めた。
もっと健康的な生活を送り、家族との時間も増やす──私の狙いが見えてきたのではないだろうか?彼の目標は完全に作り替えられ、最終的にはこうなった──まず成功「欲求」(目標ではない)は、次の年に100万ドル稼ぐこと。
ただし稼いだお金はいいことのために使う。
健全で、健康的で、人のためになること──言い換えると、愛のために使うということだ。
そして成功「目標」は、今この瞬間を愛の気持ちで生きること、そして「欲求」を達成するためにやるべきことをやることだ。
ただし、結果に執着してはいけない。
すべてを愛(または神)にゆだねること。
これを達成するには、まず彼の内面のプログラムを組み直さなければならない。
それが終われば、自分の欲求を満たしながら、正しい目標に向かっていけるだろう。
カウンセリングで最後に会ったとき、彼は私のやり方にまったく納得していなかった。
「これでうまくいくわけがない。
もし先生に健康問題のほうを治してもらっていなかったら、完全に頭がおかしい人だと思っているところだ」と言っていた。
それからおよそ1年半後、その男性から電話があった。
声だけではまったく誰だかわからず、相手が名乗って初めて彼だと気がついた。
「先生、私です。
覚えていますか?あなたのことを頭がおかしいと言った、あのストレスまみれの男です」──これが彼の最初の言葉だった。
彼は続けてこう言った。
「あれから先生に言われた通りにしてみたんです。
そうしたら、翌年は100万ドル稼ぐことができました。
実際は150万ドル以上です。
今年の稼ぎはそれよりも多くなりそうだ。
今になっても、何でこんなことになったのかまったくわかりません。
まるで魔法のようです。
しかも労働時間は、それまででいちばん短かったのですから」彼の話によると、どうやら人生のすべてが変わったらしい。
今は健康で、幸せで、人間関係も良好で、街での評判も180度変わった。
街でいちばんの仕事をすると評判で、お客は順番待ちのリストができている。
価格を下げ、手抜き工事もしなくなった。
従業員も彼を慕っていて、誰もよそに移りたいとは思っていない。
社内はいつも喜びに満ちていて、他のどの会社でも味わえないような仲間意識がある。
自分の内面を再プログラミングして、ストレス目標を成功目標に変えると、外側の欲求はいとも簡単に叶えられた。
彼のような例は、他にもたくさんある。
物質的な欲求や、偽りの目標に惑わされず、自分が本当に欲しいものを見つけてそれをもとに成功目標を定めれば、必ず成功することになっているのだ。
「目標」と「欲求」の違いもうおわかりかもしれないが、すべてのカギを握るのは、どんな目標を設定するかということだ。
ここからは、成功目標とストレス目標の違いをはっきりさせていこう。
まずは言葉の定義から始めよう。
最初の言葉は「欲求」(または「希望」)だ。
成功につながる欲求には、四つの条件がある。
①真実であること②愛であること③第1章で決めた「究極の成功目標」と調和していること④未来のことであること愛と真実についてはすでに何度か説明した。
ここでは、愛と真実の意味について、もっと具体的に見ていこう。
①真実とは、状況の客観的な事実のことだ。
必要なリソースや、ニーズ、能力、市場の動向、お金の問題、時間的な問題など、とにかく欲求を達成するのに必要なことで、客観的に測定できることだ。
これは、欲求の「何」の部分にあたる。
たとえば、72歳になる紳士が、プロフットボールのクオーターバックになりたいという欲求を持っているとしよう。
彼の欲求は、真実と調和しているだろうか?状況にまつわる客観的な事実から、可能だと判断できるだろうか?②一方で「愛」は、状況にまつわる主観的な事実を指している。
「何」ではなく、「なぜ」の部分だ。
そもそも、その「欲求」を持ったのはなぜなのか。
誰のための欲求なのか。
利己的な動機で、あなたが欲求を叶えることで誰かが何かを失う、または誰かが傷つくことになるのなら、その欲求は愛の基準を満たしていないことになる。
72歳でプロのクオーターバックになりたいという欲求は、真実の基準は満たしていないかもしれないが、愛の欲求を満たすことなら十分にできる。
逆に、先ほどの男性の100万ドル稼ぎたいという欲求は、真実の基準は満たしているかもしれないが(会社を経営していて、それなりに成功しているという状況を考えれば、可能と考えておかしくない)、愛の基準は満たしていない。
彼の動機を見れば、それは明らかだろう。
つまり、どちらの欲求も成功欲求の基準を満たしていないということだ。
会社を経営する男性の場合は、欲求の中身を見直し、自分の時間とお金を他者のために使うことにしたので、愛の基準も満たすことができるようになった。
欲求について、あと一つだけ指摘しておきたい。
欲求は、「究極の成功目標」と矛盾しない内容でなければならない。
第1章に戻り、「何よりも欲しいものを手に入れ、想像した通りの結果になったら、どんな気分になるだろう?」という質問について、もう一度よく考えてみよう。
究極の成功目標は、物質や外側の状況ではなく、あなたの内面であるべきだ。
それは心の平安かもしれないし、愛かもしれないし、喜びや安全かもしれない。
とにかく、内面がポジティブな状態になることだ。
あなたの行動は、すべてそれを目指して行われている。
だから、究極の成功目標である内面の状態と矛盾するような欲求を持つと、かえって逆効果になるということだ。
例をあげよう。
中年の父親がいるとする。
彼の究極の成功目標は心の平安だ。
そして成功欲求は、大学に入り直して工学の学位を取ることだ。
そこで彼は、家から通えるところにあり、優秀な工学部があることで有名な大学に願書を出した。
結果は合格だった。
彼は有頂天になった!しかし実際に学校に通い始めてみると、心の平安という究極の成功目標と矛盾していることに気がついた。
仕事と学校の両立で忙しくてストレスがたまり、さらに家族との時間がとれないこともプレッシャーになっていた。
このストレスは、計画の見直しが必要だというサインだ。
もしかしたら、工学以外の学位に変えたほうがいいのかもしれない。
またはもしかしたら、大学はすっぱりあきらめるべきなのかもしれない。
ここで大切なのは、究極の成功目標を、成功欲求の犠牲にしてはいけないということだ。
そして最後に、欲求とはたいてい、まだ起こっていないことを願う気持ちだ。
だから欲求を他の言葉で言い換えると、「希望」になるかもしれない。
それは、内面で望んでいる何かであり、信じている何かであり、起こって欲しいと思っている何かであり、目標にして頑張っている何かであるが、それが本当に起こるかどうかはわからない。
欲求は、私たちの進む方向を決めてくれる。
欲求について大切なことはもう一つある。
欲求を決めるときは、それが実現することを期待してはいけない。
欲求に向かって努力しているときもそれは同じだ。
結果はすべて、神(または愛)にゆだねなければならない。
「目標」の条件さて、次は「目標」の定義だ。
目標もまた、次の四つの条件を満たしている必要がある。
①真実であること②愛であること③100パーセント自分でコントロールできること④今この瞬間に実現できることこの四つの条件をすべて満たしていれば、それは立派な成功目標だ。
四つの条件のうち、欲求と決定的に違うのは③の「100パーセント自分でコントロールできる」という点だ。
ここでは絶対に100パーセントでなければならない。
つまり、今すぐできることか、または今から30分以内にできることでなければならない。
真実が目標の「何」の部分で、愛が「なぜ」の部分だとしたら、コントロールは「どうやって」の部分だ。
この条件があることによって、成功目標の範囲がだいぶ狭くなるだろう。
しかし、これは絶対に必要な条件だ。
たいていの人は、この③の条件をなかなか受け入れることができない。
たとえば、100万ドル稼ぎたいというあの男性の場合、稼ぐ額を100パーセント自分でコントロールすることはできない。
だからこれを目標にすることはできない。
また、ここで言うコントロールとは、健全なコントロールだ。
不健全なコントロールとは、第4章でも少し触れたが、100パーセント自分でコントロールできない結果を欲しがることだ。
それは真実でもないし、愛でもない。
意志の力を使ってムリヤリ結果を出そうとするのはかえって逆効果だという考え方も、すぐに納得できない人が多い。
たとえば、私のクライアントたちにも、自分の外側の期待は完全にポジティブだと主張する人がたくさんいた。
そこで私は、もしその期待通りの結果にならなかったら、何を考え、どう感じ、何を信じるかと尋ねる。
彼らは一瞬、困惑した表情を浮かべると、そうなったらひどい気分になるだろうと答える。
この反応は予想通りだ。
ここで思い出して欲しいのは、無意識のいちばん大切な仕事は、私たちを危害から守ることであって、ポジティブなものを作り出すのは目的ではないということだ。
そのため、私たちの中には葛藤が生まれる。
顕在意識ではポジティブなつもりだが、無意識では、少なくとも部分的にはネガティブになっている。
この不協和音がストレスを生む。
そして大切なのは、顕在意識と無意識が戦うと、いつでも無意識が勝つということだ。
100パーセント自分でコントロールできないのに、無理に理想の結果を出そうとすると、ストレスがとてつもなく大きくなる。
それにほとんどの人は、その状況で望み通りの結果を出すことはできない。
たとえ結果を出しても、長い目で見れば幸せではないし、満たされてもいない。
たしかに、大きな結果は信念から生まれる──しかし、どんな信念でもいいというわけではない。
真に偉大な結果は、すべて真実を信じる気持ちから生まれている。
健全なコントロールは、いつでも愛と真実が根底にある。
ごくシンプルに言えば、健全なコントロールとは、正しい行いだ。
逆に不健全なコントロールは、あなたが目指している結果を台無しにしてしまう。
なぜならつねに恐怖から生まれているからであり、そしてすべての恐怖は嘘を信じることから生まれる。
心配(ストレス)と、不健全なコントロール(結果を生む信念とは対極にあるもの)は、基本的には期待や意志の力と同じようなものだ。
心配が期待であり、不健全なコントロールが意志の力だ。
意志の力だけで期待を実現しようとすると、自分との調和が失われ、慢性的なストレスにさらされる──たとえ本人はそれに気づいていなくても。
つまり、目標は、100パーセント自分でコントロールできなければならず、しかも健全なコントロールでなければならないということだ。
何かを健全にコントロールできるなら、それを今すぐに実現することもできる。
それに、その結果を見れば、それが健全なコントロールだったか、それとも不健全だったかが容易にわかる。
健全なコントロールは平安と喜びを生み、不健全なコントロールは不安とストレスを生むからだ。
それでは、自分の目標が、正しい目標の定義に当てはまらなかったらどうすればいいのか。
定義に当てはまらない目標は、成功目標ではなく、ストレス目標と呼ばれる。
自分の目標がストレス目標だとわかったら、とるべき道は一つしかない。
それは、目標を変えることだ。
ストレス目標を目指すのは、失敗への最短距離になる。
たとえ真実と愛の条件は満たしていても、100パーセント自分でコントロールできないのなら、ストレスのもととなる期待が生まれ、そのせいで失敗するからだ。
自分の目標がストレス目標なのか、それとも成功目標なのか、いちばん簡単に見分ける方法を教えよう。
今の自分に、不安、不満、イライラなど、怒りに付随する感情があるなら、それはストレス目標を追い求めているからだ。
まず再プログラミングを行って、愛をもって生きられるようにならなければならない。
不安や怒りは、必ず失敗につながる。
仕組みを説明しよう。
・何らかの形で不安や怒りがあるなら、あなたの目標はストレス目標だ・ストレス目標を追い求めている人は、遠からず不安、恐怖、心配、悲しみ、不寛容、自分は価値がない、罪悪感、羞恥心、恐怖から生まれる思考や思い込みなどを経験する・現在の状況に対して、ネガティブな思考、感情、思い込みがあるなら、あなたは「比較」という問題を抱えている・「比較」の問題があるということは、「期待」の問題もあるということだ・「期待」の問題があるということは、意志の力を使って欲しいものを手に入れようとしているということだ・意志の力で状況をコントロールしようとしているということは、ストレスを抱えているということであり、ストレスはいずれ必ず失敗につながる(ストレスのある状態を別の言葉で表現すると、不健康で、不幸で、現在の状況に満足していないということだ)・目標を達成できなかったのなら、それはストレス目標だったということだ反対に、外側がどんな状況でも、内面は喜びと平安を感じているなら、正しく成功目標を設定したということだ。
もちろん、たとえ成功目標を持っていても、失望することはある。
しかし、正しい目標を目指している人は、そこですぐに立ち直り、絶望することはない。
どんな状況でも、どんな障害があっても、内面は深い喜び、平安、充足感、感謝の状態だ。
ストレス目標は即席の快楽を求める気持ちから生まれている。
この法則に例外はない。
成功目標を達成するには、結果を神(または愛)にゆだね、すべての瞬間で愛を選ぶために、快楽を遅らせることが必要になるからだ──そして本書を通してずっと言っているように、その姿勢こそが幸せへのカギだ。
これに反することは、すべて失敗につながる。
ストレス目標を健全な欲求に変えるストレス目標からすべてのストレスを取り除くのは簡単だ。
ただ健全な欲求に変えるだけでいい。
たとえば、吹雪の日に牛乳が切れて、どうしても歩いて買いにいかなければならないとしよう。
スーパーまでの距離は2・5キロほどあり、しかも足場の悪い森の中を歩いていかなければならない。
足元に注意していないと転んでしまうだろう。
スーパーは高いアンテナのすぐ隣にあり、そのアンテナは自宅からも見ることができる。
そこで質問だ。
あなたはスーパーまで、ずっとアンテナを見上げながら歩いていくだろうか?もちろん答えは「まさか!」だろう。
ときおり見上げることはあるかもしれないが、無事にスーパーに到着したいのなら、足元をしっかり見て歩かなければならない。
足をひねってねんざしたり、穴に落ちたりしたら、スーパーへ行くという第一の目的を果たせなくなるからだ。
つまり、最終的な結果ばかりを見ていたら、その結果にたどり着けないということだ。
成功目標までの道のりには、危険な森と同じように、たくさんの穴や木の根っこがある。
人生でもっとも大切なことほど、それを手に入れるまでの道のりは平坦ではない。
ときには道が見えないことさえある。
それなのに、たいていの自己啓発プログラムは、アンテナだけを見ていなさいと言っている。
アンテナの姿を思い描き、実際に触れたところを想像する。
絶対にアンテナから目を離さない。
そうでないと、アンテナにはたどり着けないと言う。
そしてそのアドバイス通りにした結果、あたりは転んで起き上がれなくなったり、穴に落ちて這い上がれなくなったりした人たちであふれることになる。
それもこれも、足元をしっかり見ていなかったからだ。
アンテナは「欲求」であり、「目標」ではない。
あなたの目標は、きちんとした足場に次の一歩を踏み出すことだ。
なぜなら、次の一歩の積み重ねが、
最終的に欲求を手に入れることにつながるからだ。
アンテナのことは片時も忘れないし、たまに顔を上げてアンテナの姿を見る。
そうやって自分が正しい方向に進んでいることを確認する。
しかし、道の半分まで来たときに、寒くて、疲れて、お腹が空いて、もう家に帰りたくなったとしよう。
そのとき、ちょうど知り合いの家の近くを通りかかる。
知り合いはあなたに、どこへ行くのかと尋ねる。
あなたは、スーパーに牛乳を買いに行くと答える。
すると知り合いは、「わざわざスーパーまで行くことはないよ。
ここからすぐのところにコンビニがあるから」と言う。
そこで知り合いにお礼を言い、目的地を変えてコンビニに向かい、牛乳を買って帰る。
これで時間は半分ですんだ!これが、最終的な結果を手放すということだ。
欲求に向かって一歩ずつ着実に歩いていくが、それ以外の可能性に対してもつねにオープンでいる。
他にもっといい目的地が見つかれば、方向転換する。
未来のことは誰にもわからないのだから、最初に決めた結果にこだわる必要はない──ただそれを認めればいいだけだ。
それに加えて、最悪の結果だと思っていたものでも、長い目で見れば最高の結果だったということもあるだろう。
たとえば私にとっては、結婚3年目でホープに追い出されたのがまさにそれだった。
当時は、もう人生は終わりだとまで思いつめていた。
しかし、もうお話ししたように、あれは私の人生で最高の転機になった。
正直なところ、25年前は、自分がここまでの成功を達成できるとは想像もしていなかった。
もし最終的な結果にばかりこだわっていたら(つまり、周りの期待に応えることばかり考えていたら)、今の私は存在していなかっただろう。
当時は、今の私の仕事は存在さえしていなかったのだから!このような体験をしたのは、何も私だけではない。
大勢の人を前に講演するとき、私はよくこんな質問をする。
「最初は最悪の出来事だと思ったけれど、あとから考えたらとてもよい出来事だった、または人生で最高の出来事の一つだったとわかるという経験をしたことがある人は手をあげてください」。
すると、たいてい、ほぼすべての人が手をあげる。
私の経験から言えば、たいていの人は人生の目標があまりにも低すぎる。
たとえばそれはお金だったり、出世だったりする。
そこには愛も、喜びも、平安も、親密で心が満たされる人間関係も、内面の幸せもない。
ここで、第1章を思い出そう。
ある特定の結果を目標にすると、たとえそれを達成しても、なぜか達成する前よりも惨めになってしまうことが多い。
なぜなら、それでも内面は満たされないということに気づいてしまうからだ。
ここで大切なのは、自分にとっていちばんの結果を決めるとき、理性や顕在意識はあまり頼りにならないということだ。
あなたも自分の経験から、それは実感できるだろう。
私たちにできるのは、今この瞬間を、愛と真実をもってきちんと生きることだけだ。
いつでも今この瞬間を愛と真実をもって生きられるようになったら、自分は大きな成功を収めているということを実感するだろう。
他の誰かをうらやましく思う気持ちもなくなるはずだ。
人は誰かを愛していると、ごく自然にストレス目標を健全な欲求に変えることができる。
たとえば、あなたも、あなたが心から愛する人も、何か「今日やりたいこと」があるとしよう。
愛する人が、目をキラキラ輝かせながら「今日はこれがやりたいの」と言ってきたら、自分のやりたいことなど簡単にあきらめて、相手の希望に合わせるだろう。
その人を本当に愛しているなら(つまり、「はじめに」で見たように、エロスの愛ではなくアガペーの愛で愛しているなら)、自分のやりたいことをあきらめるのは、嫌々そうするわけではないし、義務感からでもない。
愛の力で、「そうしなければ」が「そうしたい」に変化したのだ。
愛の力で、相手のやりたいことが、あなたのやりたいことになった。
この境地に到達するのはたしかに難しい。
最終的な結果がすべてだという考え方に、ずっと支配されてきたからだ。
今の社会は、結果がすべてだ。
伝説のフットボール・コーチのヴィンス・ロンバルディも言っていたように、「勝利はすべてではない。
勝利は唯一のものだ」ということだ。
しかし、どうやらロンバルディは、この言葉が「結果がすべて」という意味で解釈されたことで、かなり苦労を味わってきたようだ。
彼自身は、そういう意味で言ったのではないからだ。
彼にとっての勝利とは、すべてを出し切ったという満足感でフィールドをあとにすることであり、選手たちにもいつもそう言っていた。
勝敗は関係ない。
つまり、あのヴィンス・ロンバルディでさえ、勝利は結果ではなく、過程であると考えていたということだ。
そもそも、過程の積み重ねが結果になるのだから。
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