終章ご縁に導かれて
ご縁をつなげた1本の電話
第5章今から、ここから、自分から変わる
リーダー自身が先頭に立たないと環境整備は定着しない
環境整備や「言語」「認識」「道具」の共通化を進めるにあたって重要なことがあります。それは、必ず集団のリーダーが先頭に立つことです。
これは学校でも自治体でも、もちろん会社でも同じです。新しいこと、特に環境整備に積極的に取り組みたいと思う社員はごく稀です。
いないのが普通だと言ってもいいでしょう。誰もがやりたくないことを、担当者に任せたらどうなるでしょうか。
上からも下からもブーイングです。そのような状態が続けば、担当者の胃に穴があくのは時間の問題です。
会社にいづらくなって、退職というケースもあります。事実、私はそんな実例を数多く見てきました。
環境整備という新しいことを任せようと思った社員ですから、それなりに実力があるはずです。そのような社員をみすみす辞めさせるのはもったいないことです。
しかし、どれほど嫌なことでも、リーダーが先頭に立って進めれば、さすがに誰も嫌とは言えません。文句を言えない状況をつくっていくところから、環境整備は始まります。
▼まずはリーダーが先頭に立とう
リーダーの本気を伝える
はじめから環境整備に取り組みたい社員はほとんどいません。ですから、リーダーにその気がないのなら、始めない方がいいくらいです。
リーダーの言うことは聞き流していい、という事実を1つ残すだけだからです。
今でこそ環境整備が進み、ぴかぴかに磨き上げられている株式会社武蔵野ですが、最初からすべてが上手くいっていたわけではありません。
取り組んではいたのですが、あまり効果が上がらず、「武蔵野の環境整備はままごとだ」とまで言われたこともありました。
この一言が社長の小山の心に火をつけました。何と3週間の海外視察旅行を成田空港でキャンセルし、その期間を環境整備の徹底にあてたのです。
いわゆるドタキャンですから、旅行代金の90万円は1銭も戻ってきません。常軌を逸しています。しかし、それゆえに社長の決心が全従業員に伝わりました。
「社長は本気だ」と、誰もが実感しました。この日から、環境整備の質が一気に向上したのです。
もし小山が、「旅行から帰ってきたらどうにかしよう」と考えたら、状況は何も変わらず、今の武蔵野はなかったかもしれません。リーダーの決心と覚悟は、それほど大きな力を持つのです。
▼リーダーは自分が本気であることを示さなければならない
本気の決定で社員を動かす
リーダーの本気の決定が、環境整備定着の鍵を握ることを示す例を、もう1つ紹介します。それが、関西を中心にインドアのテニススクールを運営しているノアインドアステージ株式会社様です。
同社は2007年から、武蔵野が提供する環境整備定着プログラムに取り組まれています。ノアインドアステージ様の環境整備への取り組みの本気度は、当初から非常に高いものでした。
まず、関西11拠点と関東2拠点から、従業員総勢120名を宝塚校に集めました。会場は、真冬のインドアテニスコート。
ここに布団を持ち込み、テニスコートに寝泊まりして、環境整備の実行計画を策定したのです。
大西雅之社長は、非常に勉強熱心で、それまでもさまざまな会社改善の方法に取り組んできたそうです。しかし、いずれも長続きはしませんでした。
ですから、大半の社員は、またしばらくすれば、環境整備もフェードアウトしていくだろうと、高をくくっていたそうです。
しかし、3カ月たっても、4カ月たっても、5カ月たっても、大西社長は環境整備の取り組みをやめようとしません。
しばらくすると、目に見えて環境整備の効果が現れてきた拠点が出始めました。会社から出てくる空気が変わってきたのです。そして、お客様も増え始めていきました。
各拠点の幹部たちは、毎月、社長と共に、他の拠点をベンチマークに訪れます。その変化を目の当たりにすると、自分たちも本気で取り組まなければ、となり、一気に定着が加速してきました。
結果、わずか2年弱で、同社の拠点数は13から17にまで増え、2010年にはさらに増える予定です。
今では、武蔵野が社員旅行で、ノアインドアステージ様に視察に行き、学ばせていただくほど、非常にレベルの高い環境整備を行っています。この取り組みには、後日談があります。
ノアインドアステージ様は、大西社長のお父様の大西壬会長が経営されている株式会社日東社様の子会社です。
お父様は、当初、ノアインドアステージ様が環境整備の取り組みを始めると聞いて、その効果を疑問視していました。そして、最初のテニスコートでの研修に〝スパイ〟を送り込んだそうです。
しかし、大西社長の本気度と、環境整備の効果に感心し、その1年後には、日東社様でも、環境整備定着プログラムに取り組み始めたのです。
プログラム開始にあたって、私は、日東社様でも、ノアインドアステージ様と同様に、講演をさせていただきました。
講演を始める前、幹部の中には耳を貸そうとされない方が何人かいらっしゃいました。そのときです。
日東社様でも、社長を務めている大西社長が、普段からは想像もできない形相で「俺がやらないと思ったら大間違いだぞ!環境整備をやると言ったらやるんだ!」と、烈火のごとく怒り始めたのでした。すごい決意表明でした。
そして1年後、私が訪問させていただいたとき、日東社様は、ノアインドアステージ様と同様、人も物もまったく違う会社に生まれ変わっていました。
一言で言うと、「社長のもとで自分達もやっていこう!」というまとまりが生まれていたのです。
このとき、大西会長が、母校の先生方、そして、ご自分の後任である次期PTA会長さんを連れて、環境整備プログラムの現場に現れました。
あれほど、環境整備の取り組みを疑問視していたお父様が、母校を良くするためにと、先生方に環境整備を見学させるまでに変わったこと、そして、その中のある先生が、「私たち教職員は、お客様という発想がなくて勉強になります」と感想を漏らしたことが、個人的にとても印象に残っています。
日東社様は、マッチ、ポケットティッシュなどPR商品を、企画製造販売するメーカーです。
それまでは、テニスの方にしか気持ちが向いていないと思っていた大西社長の、日東社様への本気が伝わったのでしょう。
また、父・息子のオーナー会社ですから、社員もいろいろと人間関係を見ているところがあったかもしれません。環境整備の成果は目に見えて明らかでした。
これも大西社長が、不退転の決意で率先して取り組むことを決めた結果でした。
環境整備定着の成否を握るのは、リーダーの決定と覚悟、そして実践であること、この事実を、同社の取り組みは、明確に示しているのです。
▼リーダーの決心と覚悟が社員を動かす。実践すれば、会社は変わる
社長が先頭に立てば日本一にもなれる
どんな組織でも、リーダーの決定でいかようにも変わります。地域一、日本一になるのもリーダーの決定次第です。実際に、日本一になった実例をご紹介しましょう。
広島県に本拠を置く、自動車メーカーの販売ディーラー、スズキフロンテ福山販売株式会社様です。同社は、それまでずっと系列のディーラー内で日本一でした。
ところが社長が変わったとたん1位の座から滑り落ち、以来戻ることができません。そこで佐々木通誠社長は、何としても1位に戻ろうと決心します。この決定が重要です。
2位か3位ならまあいい、と社長が決めると、二度と1位になれないのはもちろん、4位以下にどんどん落ちていきます。
1位を目指すところと、1位を諦めたところとでは、社長以下全社員の取り組みが違うからです。
1位に戻る決心をした佐々木社長がまず行ったのは、原理原則の確認です。根は強いか、幹は太いか、枝葉は強いか、を徹底的に見直したのです。
そして、原理原則を実践しました。経営計画書をつくり、経営計画発表会も行いました。当然、最も重要な根っこの部分である環境整備についても力を入れました。佐々木社長自らが幹部と共に現場を回ります。
店舗を展開するエリアが広いので、新幹線による移動も必要でしたが、1日かけて徹底的に点検を行いました。
スズキフロンテ福山販売様は、自動車メーカーのディーラーですから、工場のように汚れやすいところがたくさんあります。点検は本当に大変です。
しかし、佐々木社長自らが工具の置き方から古タイヤの処分まで、満遍なく点検していきました。社長は現場を知り、現場は社長の生の指導を受けます。
互いに実情に沿った改善を図れますし、何よりもコミュニケーションが良くなります。物的環境整備を通して、情報環境整備も高まりました。
こうして原理原則に従い、根から吸収した栄養が幹を通り、枝葉となり、最後には豊かな収穫になるよう、佐々木社長は徹底的に各所をつなげていきました。結果はすぐに出ました。
何と環境整備に取り組んだ翌年に、どれほど頑張っても返り咲けなかった日本一に戻ることができたのです。それから同社はずっと1位を維持しています。
「日本一」と聞くと、カリスマ社長が天才的なひらめきで経営を行っているかのごとき錯覚に陥ります。
目立つことや派手なことをしなくては、日本一などなれないような印象もあるかもしれません。実際は違うのです。
原理原則に基づいて、地道なことを、コツコツとひたすら徹底することで収益が上がり、日本一にもなれるのです。
▼リーダーの決意と、地道なことの徹底で日本一も実現する
変わらなければ、お客様はライバルを選ぶ
「やるぞ」「変わるぞ」と決心したものの、なかなか上手くいかないという話をよく聞きます。しかし、心配する必要はありません。なかなか変われないのが普通なのです。
また、ここまで読まれてもなお、皆さんの中には「変わりたくない」と思われる方もいらっしゃるはずです。それも自然です。
人間は元来保守的な動物です。ですから、基本的に変化を好みません。私自身、さまざまな体験を通じて原理原則を知り、変化の大切さを痛感しています。
それでも、少し気が緩むと「変わらない」ことを選びそうになることもあります。まず、変わるためには、まず目的意識が重要です。
変化は人間の本能に背く行為ですから、何も目的がなくて実行できるはずはありません。変わる目的は、きれいな花と美味しい実(利益)をいただくためです。
いただけない状態が続くと、「あなたは、必要ありません」と市場から退場、すなわち倒産を言い渡されます。どんな会社にも、複数のライバルがいます。
そのライバル各社が、日々変わっていこうと努力する中、1社だけが変わらないでいたらどうなるかは明らかです。周りが進歩しているのですから、取り残されていくだけです。
現状維持でいればとりあえず今の業績が保てると思っていたら、まったくの誤りです。
変わらないでいると、ライバルとの比較で相対的に後れをとってしまいます。そうすると、お客様から見捨てられます。
お金を払って仕事の仕方を教えているのに、ちっとも変わらないのであれば当然です。最後は倒産です。
周囲が変わる以上、変わらないというのはありえない選択肢なのです。では次に、なぜ変われないのかを知りましょう。理由がわかれば、対策もとりやすくなります。
1つは、変わらない方が楽だからです。整理、整頓、清掃は、やらなくていいのなら、それにこしたことはありません。返事、笑顔、挨拶など、面倒くさいに決まっています。
そう感じるのもまた自然です。変わらない方がはるかに楽なのです。楽な方を選ぶのは、人間の本能です。
しかし、だから変わらなくていい、という話にはなりません。保育園児ですら、時間が来れば起きて保育園に行きます。本能に任せて、寝たいだけ寝るというわけにはいきません。
つまり、本能のおもむくままに変わらない、変わろうとしない社会人は、保育園児以下ということになります。
そのような人間が集った会社の存在を、いつまでもお客様が許してくれるはずなどありません。
変われない2番目の理由は、失敗を恐れるからです。失敗することを考えると、どうしても現状を維持したくなるものです。
しかし、本当に悪いのは失敗をすることではありません。変化をしないことです。失敗したら、やり直せば済む話です。失敗からは学ぶところも多くあります。
積み重ねるうちにいろいろなことがわかってきます。そうすると、案外失敗は少なくなります。
変化を積極的に受け入れる人は、経験でこの仕組みを知っています。ですから、どんどん変わり続けられるのです。
変わらないことの恐ろしさは、失敗の比ではありません。一見変わらないように見えて、実は退行していることは、先に述べたとおりです。
変化を阻む3つ目の要素は「抽象性」です。
会社を変えようと言うときに、よく「市場の変化」「時代の変化」「業界の変化」などという言葉が使われます。これらは非常に便利な言葉で、使うと、発言や文章が重厚な感じになります。自分がいかに重要なことを考えているかというアピールにもなります。
しかし、実はこれほど曖昧な言葉もありません。
「マーケット・時代・業界が変化した。我々も変わらねば」と言っても抽象的で、人によって思い浮かべるものが異なります。
その結果、何もアクションを起こすことができなかったり、方向性がばらばらになって、何も変わらないまま終わることになります。
変化を成功させるためには、具体的に考えなければいけません。教え上手なリーダーは、例外なく具体的な言葉を使います。
たとえば、「マーケットの変化」を具体化してみましょう。第1章で「マーケットにはお客様とライバルしかいない」という原理原則を確認しました。つまり、「マーケット」は「お客様とライバル」と換言できます。
「マーケットの変化」とは、「お客様とライバルの変化」となります。さらに具体性を高めるために、お客様とライバルの名前を考えてみましょう。紙に書くとより具体的になります。
ここでは、何十社も考えずに、最も大切なお客様と、最も手ごわいライバルを各2社ぐらい挙げるのが効果的です。
すると、「マーケットの変化」とは、「絶対に失いたくない○○様の変化、手ごわい○○社の変化」というように具体的に見えてきます。
顔の見える個別のお客様とライバルなら、具体的に観察することができます。観察すれば、お客様もライバルも、昨日より今日、今日より明日と変わり続けているのがわかります。
先ほど、「ライバル各社が、日々変わっていこうと努力する中、1社だけが変わらないでいたらお客様から見捨てられる」と述べました。
これでピンとこなかった人も、あなたのお客様やライバルの変化を目の当たりにしたら、自分も変わらなければならないと実感できることでしょう。繰り返しますが、変わりたくないのは人間の本能です。しかし、変わらないと、生き残ることができないのです。
▼「変わらなくてもいい」ましてや「変わりたくない」という意思決定は、自ら「不幸な社会人人生でもいい」という意思決定をしていることに他ならない
今から、ここから、自分から変わろう
世の中には、絶対に変えられないものが2つあります。過去と他人です。
しかし、変えられるものも2つあります。未来と自分です。
例を挙げながら解説していきましょう。過去は変えられません。起きてしまったことには手を着けられないのです。ですから、本書を読んで反省しないでください。
「今までご縁のことなど考えたこともなかった」「環境整備をしてこなかった」――いくら悔いてもどうにもなりません。これからご縁を強く意識し、環境整備に取り組めばいいだけです。
次は「他人」です。ここでいう他人とは、自分以外のすべての人を指します。お客様に向かって「○○社では買わないでください」というお願いはできません。
同様に、ライバルに対して「○○様との取り引きをやめてくれ」と命じることもできません。相手が部下であると、つい自分が教えて変えるもの、と思いがちです。
しかし、その部下も、自分で自分を変えるしかないのです。
あなたは、変えられないものについて思い悩んでいませんか?過去と他人は変えられませんが、未来と自分は変えられます。
手をつけるべきは、ここなのです。変えられないものは変えられないのですから、なんとかしようとするのは無駄な時間です。
未来は変えられます。あなたは、未来の〝どの地点〟を変えますか?この質問は「いつから変わりますか?」と言いかえてもいいでしょう。
正解は、明日でも今夜でもありません。まさに今やって来る次の瞬間から変わる、その決断こそが正しいと私は思います。今すぐがいい理由は2つあります。
1つ目は、周りが変わるからです。とにかくライバルよりも先手、先手で徹底的に変わっていかなければ、置いていかれます。
また、お客様はライバル以上に速く変化します。良いものはどんどん取り入れ、駄目なものにはさっさと見切りをつけます。実に厳しい目で見て、判断をくだされます。
変わっていかない会社など、相手にしてはくれません。お客様は各社を比較して選択をしているのです。価格や品質、サービスの変化に実に敏感です。
その感覚に後れを取っているようでは、お客様からの支持をいただくことは絶対にできません。
「今すぐ」であるべき理由はもう1つあります。その方が楽だからです。極端な話、変化を始めるのは明日でも3日後でも構いません。3日間何もしなくても、当面、会社はつぶれません。
しかし、〝どうしてもこのタイミングで始めないと〟というものが存在しないことに関しては、いつからにするのか決めがたいですし、後回しになりがちです。
すると面倒になり、やらなくなります。ですから、「今すぐ」とすればいいのです。
このようにお話しすると、「人間は急には変わらない」と反論される方がいらっしゃいます。それは事実です。
しかし、それはあくまでも変化に要する時間の話です。「今、変わり始めるのは無理だ」ということではありません。
時間がかかるのであれば、一刻も早く変化の実行に着手した方がいいとは思わないでしょうか。
まずは簡単なことから始めるのが正しい決定です。メモをする、靴をそろえる、きちんと返事をする……。今までやっていなかったことを始めればいいのです。お客様もライバル会社も、日々変化しています。
「いつか」「そのうち」などと考えていては、差は広がる一方です。変わると決めたら、とにかく早く始めましょう。もし「今すぐ」変わるのが嫌なら、考えてみてください。
今すぐ変わるのが嫌なのはなぜでしょうか。いつならいいのでしょうか。おそらくほとんどの人は、どちらの問いにも答えられないと思います。ただ面倒くさいだけだからです。
すぐに、という決断ができない人は、まだ「変えたくない」と思っているのです。そのまま突き進むと、悪循環にはまり込んで、抜け出るのに時間がかかってしまいます。
しかし、残念ながらこれも自らの意思決定の結果なので仕方がありません。始めるタイミングは「今」「ここ」しかないのです。
今すぐ、未来を変えることを決めました。では、何を変えるか。もう1つ変えることができるのは「自分」だけです。
お客様、ライバル、部下、上司……他人はあなたの意思で変えることはできません。ですから、お客様に支持されたければ、お客様に喜ばれる変化をすればいいのです。
ただし、現場をよく知らないで変えると、これは取り返しのつかない失敗になってしまいます。お客様に喜ばれない変化を実施したのですから、当然の結果です。
しかし、恐れることはありません。現場に赴いて、起きていることを正しく把握した上で方向性を決めれば、そのような失敗はありえないからです。
現状で部下が思うように育たないのであれば、まずリーダー自身が変わることから始めるのです。
変化したあなたを見て、あなたの教えに気づいたとき、部下も変わります。これが「育った」ということです。
わが社の小山は、株式会社武蔵野の社長に就任したとき、幹部の質のあまりの低さに呆れて全員解雇しようとしました。
しかし、仮に幹部を入れ替えても、同じレベルの人間しか入って来ない、つまり状況は変わらないと気づいたのです。
※もちろん採用は大事だか、同じレベルの人間しか入ってこない。から自分が変わり他の人も見習わせる。
そこで小山は、まず自分自身が変わるところから始めました。この決定こそが、現在の武蔵野の出発点となりました。
変えられないものに手を着けて、いたずらに悩むのは、無駄です。それを仕事と勘違いしてはいけません。過去と他人は変えられませんが、未来と自分は変えられます。
「今から、ここから、自分から」変わっていくのが正しいのです。
▼過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる。「今から、ここから、自分から」
繰り返しを重ねれば良くも悪くも変わる
いよいよ、本書の最後のアドバイスとなりました。「続ける」ことについてお話ししたいと思います。変わろうと決意し、環境整備や言語・認識・道具の共通化を始めた。
けれど、「なかなか続かない」このように悩まれる方もいらっしゃるかもしれません。「続けているけれど、効果が感じられない」と思って本書を手にとられた方もいらっしゃるでしょう。
薬でもダイエットでもそうですが、効果が現れないと不安に陥ったり、焦ったりします。どのようなことも、効果が現れない場合、2つの原因しか考えられません。
- ①正しいことを、正しいやり方でしていない
- ②効果が出るまで続けていない
つまり、正しいことを、正しいやり方で、効果が出るまで続ければ必ず成功するということです。まず、確認です。
※ちゃんと決めたことをやれていない。まだまだ本気度が伝わっていない。
正しいやり方で行われていますか?本書で解説してきたポイントを振り返ってみてください。正しいことであればそこでやめてはいけません。
やめてしまえば、やらなかったのと同じになります。難しいことをしなくてもいいのです。急変しようとすると長続きしません。
ひたすら地道に繰り返していけばいいのです。すぐに効果を実感できない場合がほとんどですが、挑戦している限り、ゆっくりと着実に変わっていきます。
毎日の積み重ねがいつか実を結びます。変わるのは難しいものです。だからこそ達成したときの効果が大きいのです。
かつて私はすごい言葉との出会いを経験しました。「人間は良いことも悪いことも繰り返せば上手になる」この言葉を残されたのは、鈴木鎮一先生です。
長野県の松本でバイオリンの英才教育に長らく携わり、江藤俊哉さんをはじめ、多くの世界的バイオリニストを育てられた方です。
日本よりも、海外で有名な方でたとえば、アメリカのカーター大統領が赤い絨毯を引いて出迎えたとか、イギリスの雑誌では「20世紀を作った、100人の人」という記事の中で、10人選ばれた日本人の中の一人であるなどの逸話が残っています。
変わろうとして変われないでいると、どうしてもストレスになります。くじけそうにもなります。この言葉は、そういう心を勇気づけ、励ましてくれます。
一方、「悪いことも繰り返せば上手になる」という部分には、ぞっとするようなすごみが感じられます。良いことを繰り返すのが望ましいのは誰にでもわかります。
しかし、「悪いこと」については思いが至りません。この場合の「上手になる」というのは、程度がひどくなることです。いい加減な返事、おざなりな挨拶、曇った表情。
これらも繰り返していると、どんどん習慣化してひどさが増していきます。道に落ちているゴミを拾うのか、捨てるのか、その一見些細に思える行為の積み重ねが、その人の人生を決めてしまうのです。
ゴミを捨てることを繰り返して上手になっている人は、絶対にゴミを拾いません。次第に、ゴミが落ちていることにすら気づけない鈍感な人になります。
目に見える形あるゴミに気づけないのですから、目に見えない人の心に気づけるわけがありません。
一方、ゴミを拾うことを、繰り返して上手になっている人は、絶対にゴミを捨てません。だんだん、ゴミに気づくことも上手になっていきます。どんどん気づく感性が磨かれます。
お客様の心にも、ライバルの変化にも敏感に気づく力が高まります。無意識のうちに日々行っていることが一人の人間をつくり、その集合体が1つの会社の文化をつくりあげているのです。
「人間は習慣の動物である」と言われる所以です。このように繰り返しは、非常に大きな力を持っています。どうせ繰り返すのなら、良いことを選びましょう。
私は、繰り返していくことの成果を自ら体を使って実演し、実感してもらうことがあります。
靴を脱いで椅子の上に登ります。膝は曲げずに、体を前に曲げ、両手を下に垂らします。学校の体力測定で行った、立位体前屈を行います。指の先は、足の爪先を通り過ぎ、両手首が足の爪先につきます。
私は、2009年で50歳になりました。
体の機能が低下する速度は増す一方です。そこで少しでもそのスピードを遅くしようと、自宅はもちろん、出張先のホテルでも柔軟体操を欠かしません。
腹筋や腕立て伏せもしています。どれも、特に難しい運動ではありません。簡単な運動を、ひたすら毎日続けているだけです。
継続することの効果は大きく、最初に比べてずいぶん曲がるようになりました。正直な話、前夜飲みすぎてしまった日の朝はつらいのですが、1日でもやめたら体が味をしめ、2日、3日、1週間とさぼってしまうでしょう。そうすると、体はすぐに硬直化してしまいます。
もう50歳ですから、一度硬くなると、そう簡単には元に戻りません。私は30年余り、柔軟体操という「良いこと」を繰り返してきました。
その結果が皆さんに見ていただく柔らかな体です。一方、柔軟体操をやめるのは、良いことをやめる、つまり悪いことです。
これを繰り返せば、悪いことが上達します。人様の前で実演などできなくなってしまいます。どんなことでも、繰り返せば上達します。
そしてどんなことでも効果が見られるまでには時間がかかるものです。良いことは繰り返しましょう。やめてしまうのは悪いことです。
身についている習慣の善し悪しで、どのような人生を歩めるかが決まっていきます。その差は年齢を重ねるごとに大きくなります。あなたも、良いことを続けましょう。
本書をきっかけに、より良い仕事、より良い会社、より良い人生をつくりあげていただけたら嬉しく思います。
▼人間は良いことも悪いことも繰り返せば上手になる。良いことを続けよう
一倉洋先生、環境整備とのご縁
エピローグにかえて、私のご縁について少しお話しさせていただこうと思います。
私の父母は、戦後まもなく、生まれ育った土地を離れ、長野県南西部の八ヶ岳山麓の標高1400メートルの高冷地に入植しました。
高原野菜の栽培や牧場経営などを手がけましたが、なにしろ1955年8月までは電気も来なかった僻地であり、加えて厳しい信州の気候に阻まれて挫折し、やむなく登山に来られた方向けの小さな山荘を始めることになります。
農業から宿泊業へ、すなわち第一次産業から第三次産業への180度の転身です。商売を軌道に乗せるまでには相当な苦労がありました。
特に母は、生まれ育った温暖な九州・天草から、酷寒の信州への入植。
環境の変化に加え、うまくいかない農業、慣れない山荘の商売、電気もない中での子育て……筆舌に尽くしがたい苦労だったことと思います。
父母は、必死の思いで私を含む4人の子どもを育て、爪に灯をともすような生活を長く続けながら、山荘から民宿、民宿から小さなホテルへと商売を少しずつ大きくしていきました。
私は、朝は暗いうちから、夜は手許が見えなくなるまで働いていた父母の姿をつぶさに見ていました。
この経験は、現在の私の仕事観や価値観にも大きな影響を与えています。四男として育った私は、大学を卒業してすぐ、両親が経営する池の平ホテルに入社します。
父母が始めた小さな、小さな山荘は、このとき、すでに長野県内でも有数の規模に成長しており、大勢の従業員を抱えていました。
私は、経験のない自分がいきなり経営の中枢に参画することに、正直、不安がありました。
大勢の従業員の生活がかかっています。そして、父母が大変な苦労をして育ててきたホテルです。それを私の代で傾かせるようなことがあってはならない。一刻も早く力をつけなければ、と思いました。
力をつけるためには、「現実」「現場」での体験が必要不可欠です。宿泊業ですから、まさに365日24時間の生々しい現場の積み重ねです。
縁あって池の平ホテルを選んでくれた従業員に「ああ、二世に生まれて来なくてよかった」と思われるくらいまで、現場で汗をかき続けることがスタートラインだ――そう自分に念じながら現場経験を重ねました。現場体験と同時に大切なのが、理論です。
確固たる経営ノウハウを習得し、一層、経営を安定させたい、それも若くて吸収力のあるうちにと思い、積極的にさまざまな経営セミナーに参加し、勉強しました。
どれも大変に有用なセミナーでしたが、特に1986年に出会いをいただいた、一倉洋先生の「後継社長塾」というセミナーに大きな感銘を受けました。
本書で繰り返し述べてきた、「社会人にとってお客様がいかに大切な存在であるか」ということ、そして、「環境整備」の重要性を、私に叩き込んでくださったのが、一倉洋先生でした。
一倉定先生とのご縁で小山昇と出会う
一倉洋先生の父君は一倉定先生といい、これもまた大変に有名な経営コンサルタントです。
一倉定先生もすでに亡くなられましたが、現在でも「一倉教」と言われるほど熱烈な信奉者が全国にいます。
私もかねてより先生のご高名はよく存じ上げており、「いつかお父さん(一倉定先生)のセミナーも受講してみたいものだ」と思っていました。
そのチャンスは、一倉洋先生のセミナーを修了した翌年の1987年に訪れました。このセミナーには、当時株式会社武蔵野の社長に就任したばかりの小山も参加していました。
そこで私は初めて、小山と出会うことになります。セミナーの主題は経営計画書の作成ノウハウについてでした。
このとき、小山が持っていたのが、第2章で述べたように、現在も武蔵野で使っている手帳サイズの経営計画書でした。
「この人の話を聞いてみたい」。そう思って私は初対面にもかかわらず、持ち前の人懐っこさで小山に近づいていきました。
そして、夜な夜な小山の部屋で、他の参加者とともに、小山の「講義」を聞きました。
この当時から、小山には、〝らしい〟逸話が事欠かないのですが、そちらについては、わが社のメルマガ「『社長と幹部と社員のカン違い』から目を覚ませ!!」に譲ることにいたします(http://www.musashino.co.jp/)。
とにかく、そのようにして、オーストラリアでのセミナーは修了しました。この時点で私は、まさか武蔵野に入社して小山の下で働くことになろうとは露ほども想像していませんでした。
事実、それから半年間、小山からはまったく音沙汰がありませんでしたし、私も日常の忙しさにまぎれて連絡を取ることもありませんでした。普通は、そこでご縁は途切れるものでしょう。ですが、小山は違ったのです。
「ご縁」をつなげた1本の電話一倉定先生のセミナーを修了した半年後の1988年3月、1本の電話がかかってきました。電話の主は小山でした。受話器の向こうで彼は言いました。
「矢島さん、これからそっちに行っていいですか?」。
聞けば小山は、毎年3月になると都内のシティホテルに缶詰めになって経営計画書をつくっていました。
一倉定先生は、「経営計画書は、会社の魂のようなものだ」とおっしゃっていましたが、小山は本当に魂を込めて書き、できあがるころにはグッタリしていたのです。
そして、その後、東京を離れ、リフレッシュするのが習いでした。私が嫌なはずはありません。
半年前、話を聞きたくて訪ねて行った相手が、今度は向こうから、こちらに「来てくれる」のですから。小山はこのとき、2泊したと記憶しています。
帰り、最寄りの茅野駅に送る車中で小山は言いました。「信州の大自然の中でリフレッシュするのもいいな。矢島さん、これから毎年お邪魔していいかい?」。そして本当に、翌年の3月も小山は来たのです。
しかもそれは、実に10年近くも続きました。このように、小山は一度決めたことは絶対に守る強さがあります。
それが、武蔵野の成長や、小山を慕って学びたいと集まってこられる全国の経営者・幹部の方々からの支持につながっているのでしょう。
小山の滞在中、私は業務の合間を見つけて話を聞いたり、教えを請うたりしていました。
しかし、私だけが、一方的に教わっていたわけではありません。池の平ホテルでは、定期的に外部から講師を招いて社員教育を施していました。
西順一郎先生のマネジメントゲーム研修や、ハガキ道の坂田道信先生の講演もその一つです。
私はその都度、小山のところに出向き、「今度はこういう先生が講演しますよ」「こんな研修をしますが、参加しませんか」などと誘いました。
小山も快く参加してくれました。こうした経験は、現在の武蔵野で開催している各種研修の基になっています。
また、武蔵野が日本経営品質賞に取り組む契機にもなった南後浩先生、末松清一先生との出会いもここでありました。
小山が足繁く池の平ホテルに通うにつれて、噂を聞きつけた小山の社長仲間や、一倉定先生、一倉洋先生らとご縁のあった人たちが続々と全国からやって来るようになりました。
少し名前を挙げさせていただくと、長野の久保田輝男様、北海道の高橋敏幸様、静岡の佐野富和様、東京の矢澤宣志様、大阪の志村隆夫様、福岡の川本元様、秋田の金沢正隆様……。
いずれも中小企業ながら、名物社長としてマスコミへの登場も多い有名な方ばかりです。
私も、業務の合間を縫って勉強会に積極的に顔を出し、机を並べて一緒に勉強していたものです。
余談ですが、小山は気をきかせて、オフシーズンの平日に来て勉強会を行い、お客様が増える週末には東京に帰ります。
このあたりに、ずうずうしさの裏に隠れる小山の気遣いが表れていると思います。
私はその頃から、現実・現場・現物を変える実務者でありたいと思っていました。そのためには異業種の、さまざまな経験や勉強をしている社長に教えを請うのが一番だと考えていました。この勉強会は私にとっては、本当にありがたいものでした。
武蔵野、日本経営品質賞とのご縁
こうして、私は、勉強会に積極的に参加しては、社内にフィードバックして、組織の改善に努めてきました。勉強の目的は、ホテル経営のため。
学んだことをいかに活かし、いかに会社を良くするかと常に考え、実践してきました。環境整備のために、自らカッターを持ってダンボールの蓋を取っていったのも、その一例です。
入社から15年、ホテル業務はやりがいがあり充実していましたが、私は、その後、会社を辞める決断をします。悩みや迷いはもちろんありました。
当時、私はすでに結婚して2人の子どもを抱えていましたし、私が辞めれば、母が悲しむことはわかっていました。
会社を辞めようかどうか迷っているとき、勉強会で知り合った社長たちにも相談しました。
ありがたいことに、多くの方が「それならばわが社に来てください」「人材を探している会社を紹介しましょう」とおっしゃってくださいました。
小山に相談すると、彼はこう言いました。
「矢島さん、あんたは2代目だし、どうせいずれホテルに戻るんだろう。するとあんたを引っ張ってくれた社長に大迷惑をかけることになる。であれば武蔵野に来なさい。俺はオーナー社長だし、同族経営でもない。うちなら、途中でホテルに戻っても迷惑はかからないよ」
ハッとしました。それでなくても私は「ご縁」の1つを断ち切って転職しようというのです。
さらに私の転職を斡旋してくれた社長にまでも不義理をするような真似だけは、絶対に慎まなくてはいけません。
小山から、ご縁を大切にすることの重要性を改めて教えてもらったのです。小山の言葉が契機となって、私は、武蔵野に入社を決めました。1996年4月のことでした。
それから、14年、現在の私は、たとえばセミナー講師として全国を回り、多くの方とお近づきになる機会をいただき、素晴らしい経営者の薫陶を得る機会をいただいています。だからといって、私は何一つとして特別なことをしてきたわけではありません。
ただただ、いただいたご縁を大切し、これまで多くの先生方から教わってきた、「会社の現実、現場、現物を、お客様に喜んでいただくために、どのように変えればよいか」という原理原則を愚直に実践してきただけのことです。
ご縁を大切にする気持ちを持っていたから、普通の人よりも少し上手に「今から、ここから、自分から」変わり、正しいことを続けてくることができたのだと思います。
現在、武蔵野は中小企業としてはそれなりの地歩を築いたといっていいと思います。小山昇は「名物社長」として、ベストセラーを連発し、メディアの取材なども受けるようになりました。
そして、経営サポート事業部を通して、300社以上の中小企業経営者・幹部の方々が、武蔵野に学びにいらっしゃいます。
セミナーには、6000社が参加され、メールマガジン「『社長と幹部と社員のカン違い』から目を覚ませ!!」は、4万5000人の方々にお読みいただいています。
本書の冒頭でもふれたように、武蔵野が飛躍した大きな契機は、2000年度の日本経営品質賞を受賞したことにあります。
わが社に、この日本経営品質賞の存在を教えてくださったのが、池の平ホテル時代の勉強会で小山ともどもご縁をいただきました、南後浩先生、末松清一先生です。両先生は、時に徹夜までしながら、わが社のサポートをしてくださいました。
そして、実に3年もの長きにわたる取り組みの末、2000年、受賞にこぎつけるまでに組織改革ができたのです。
その後も、改革は続き、2004年、2009年とさらなるレベルアップを図っています。
「(武蔵野の)事業の成長力の源泉はすべての職場で徹底的に仕事のPDCAを廻していること。これらの活動を可能にしているのは、環境整備により仕事を徹底する風土と現場重視の考え方が浸透しているからである」(2009年評価レポート審査総括より)
これは、社長の小山を筆頭に、わが社が原理原則に基づいて、会社を変える決定と覚悟をし、継続してきた結果です。
お客様が喜ぶ方向に改革をし、正しいことを続ければ、必ず会社は変わり、成果を得ることができます。
そして、このような結果をいただけたのは、もとをたどれば、すべてのご縁がつながったから、というのは、本章で述べてきたとおりです。
人も会社も、単独では存在しえません。必ず誰かに助けられています。それが「ご縁」だと、私は思います。ご縁をどのように受け止めるかは、すべて自分の意思決定に基づくもの。
だから、失敗も成功も、「今の自分に起きていることは、100%自分の決定」なのです。つまり、日々の自分の意思決定が、幸・不幸を決めます。
であれば、あなたは、今から、ここから、何を始めるでしょうか――最後にあらためて、この原理原則を確認していただきたいと思います。
おわりに
29年間、多くの師から学び、現場で実践してきた経験をもとに、より良い仕事、人生を目指す方々の助けになりたいという思いで本書を書きました。
最後までお読みいただき、まことにありがとうございます。
日々たくさんの本が出版される中で、本書とご縁を結んでいただき、心から感謝します。
朝起きたら「やるべきこと」があり、私を待っていてくれる人がいる──今の自分は、多くの恩人なくしてはありませんでした。
このような幸せがあるのも、両親から生を受け、真剣に仕事に向かう姿を幼い頃から見せてもらったおかげです。
ありがとうございます。
そして、私が弱音を吐いたり仕事を投げ出したりすることなく、今日までやってきた理由には、身近な人たちの死があります。
原理原則という形で自らを律することができるのは、志半ばで倒れた彼らの思いがあるからだと感じています。
一人は、両親の入植後、寒さと極貧による肺炎で生後半年で亡くなった次兄、矢島政人です。私は、長い命を与えられています。だらしない生き方をしては、兄に申しわけが立ちません。
もう一人は、従姉妹の長男、鈴木研一です。少年時代からスピードスケートを始め、長じてからはオリンピックでのメダル獲得が嘱望されるほどの選手でした。
それが、19歳で白血病を発症し、「余命半年です」「お正月を越せるかどうか」といった告知を何度も受けながら、2年後に亡くなりました。無念だったことでしょう。
彼の無念を思うとき、私は「自分を甘やかし、自分を不幸にする人生を断じて送ってはならない」と気持ちを新たにするのです。
彼の壮絶な生きざま、死にざまは、『生への熱情〜愛息が残してくれた心の財産』という書籍にまとめられています。
私だけでなく、多くの方にとって、励ましや戒めとなっています。そして、経営コンサルタントの一倉洋先生。
日本の企業経営者に自覚を促す指導を通して、その志と使命を自覚した経営者と共に世の中に影響を与えて日本を甦らせたい──ずっと想い念じ続けていらっしゃった先生。
先生は病魔に侵された身体をおして、20代の駆け出し経営者だった私に、さまざまな真理を教え諭し、原理原則を意識する直接的なきっかけを与えてくださいました。
先生とは2年ほどのお付き合いでしかありませんでしたが、それでも先生の言葉は今でも心の箴言として、私の奥底に深く深く刻まれています。
先生がいらっしゃらなければ、今の私はありません。現在のような人生を送ることもできていなかったでしょう。
ありがとうございました。
志半ばで倒れた先生の遺志を引き継ぐことが、私の使命である、今は、そう思っています。一倉洋先生が亡くなってから数年後、先生の教え子たちで追悼集『飛翔』をつくりました。
1992年に、私がこの追悼集に寄せた文章を、転載して本書の締めくくりとさせてください。最後までお読みいただき、ありがとうございます。
深謝***一倉先生の教え「だから二世は嫌いだ!」。
吐き捨てるようにもの凄い迫力で叫ばれた洋先生の口からは、お客様第一主義から始まる経営者としてのあるべき姿や人間としての基盤等について、生まれて初めて聞く凄まじい言葉が語られてゆきました。
私と洋先生との初めての出逢いは、一九八六年の十一月二十五日、晴海グランドホテルでの「後継社長塾」でありました。
以来「想念の会」(六本木)、一九八七年九月の経営計画合宿(オーストラリア・パース)とその反省会(八芳園)のわずか四回の出逢いでありました。
しかし今でも、その時々の先生の表情や一言一句が鮮烈に私の脳裏に焼付いております。
「人を呪わばあなふたつ。」「情けは人のためならず。」「万事に感謝せよ。」「マイナスの想念は発信せず、プラスの想念を発信し続けること。そして〝宇宙のパワー〟に支援されるような想念・言動を続けること。その入口が環境整備・礼儀作法。これが運気を良くするコツ。」等々。
そしてそれ迄の人生観を覆すようなショッキングな言葉
「捨てるという事ができて経営者として半人前である。経営の世界では捨てる事がすべての出発点である。」「より多く捨てられる人程強く、捨てた量に比例して人間が深くなる。」に出逢い、愕然としました。
最初は半信半疑であった自分ですが、病魔と闘いながらも正に命懸けで思いを伝えんとする先生の姿と、〝使命感〟から来る〝気〟に接している内に、先生の並々ならぬ深い愛情がひしひしと伝わって来て、思わず目頭を押さえたことが何回あった事でしょう……。
あれから数年経ちますが、年をおう毎に、洋先生がおっしゃられていた事が「宇宙の原理原則」に基づいた真理であったと気づかせて頂いている毎日です。
己が一命を挺してまでも、未熟な若輩者に正しい道を教え導いてくださいました〝信念の人〟一倉洋先生──二十代の後半に先生と出逢わせて頂いた事に、今もって毎朝毎晩先生の遺影を前にして衷心より感謝しております。
有難うございました。
合掌
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