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第5章マネジャー

目次

第5章マネジャー

21マネジャーとは何か

組織の成果に責任を持つ者

マネジャーとは何か。その定義は何か。かつてマネジャーは、「人の仕事に責任を持つ者」と定義された。

この定義は、当時としては役に立った。マネジャーの機能を所有者の機能と区別した。マネジャーの仕事が、分析、研究、改善の対象となる独立した仕事であることを明らかにした。

加えて、まったく新しい種類の大規模で永続的な組織が、社会的な課題を遂行するために出現したことに注目を集めさせた。

だがこの定義は、あまり満足できるものではなかった。満足できるものだったことは一度もなかった。

組織には始めから、明らかにマネジャーでありながら、しかも責任ある地位にありながら、人の仕事に責任を持たない人たちがいた。

あらゆる組織、特に企業において、今日もっとも急速に増えているのが、「組織の成果に責任を持つ者」である。

彼らは、人の仕事に責任を持つ者、ないしはボスという意味でのマネジャーではない。

今日組織においてもっとも急速に増えているのは、専門家として組織に貢献している人たちである。

補佐や秘書はついていても、基本的に一人で仕事をしている。しかも、組織の富を生み出す力や、事業の方向や、業績に重大な影響を与えている。

新しい定義

したがって今日、マネジャーの真の定義、すなわち誰がマネジャーかを明らかにすることが緊急の課題になっている。

マネジャーを見分ける基準は命令する権限ではない。貢献する責任である。権限ではなく、責任がマネジャーを見分ける基準である。

いわゆるマネジャーと専門家との関係も、マネジャーを責任と機能によって定義することによって、初めてはっきりさせることができる。

専門家の課題

専門家にはマネジャーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。

専門家にとってはコミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。

専門家のアウトプットとは知識であり情報である。彼ら専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。

専門家は専門用語を使いがちである。専門用語なしでは話せない。

ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。

このことを専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。

組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネジャーの仕事である。

言い換えると、専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。

専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。マネジャーは専門家のボスではない。道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。

逆に専門家は、マネジャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。

自らの属するマネジメントを導き、新しい機会、分野、基準を示すことが専門家の仕事である。

この意味において、彼らは自らのマネジャーよりも、さらには組織内のあらゆるマネジャーよりも高い立場に立つ。

専門家の機能と地位

従来、組織のなかに昇進経路は一つしかなかった。より高い地位と報酬を得るには、マネジャーになる必要があった。

その結果、認められ報われるべき者の多くが、そうならなかった。一方で、管理することを望みもしなければ、その力のない者でも、単に認められ報われるためにマネジャーにされた。

機能と地位は切り離さなければならない。軍では昔から行っている。少佐は地位である。

それだけでは、大隊の指揮官すなわちマネジャーであるか、国防総省の研究者すなわち専門家であるかはわからない。

そこで軍では、少佐という地位のほかに、大隊長とかコミュニケーション専門家といった機能上の肩書を与えている。

マネジャーに関する従来の定義は、管理する者は優れているがゆえにより多くの報酬を受けるとの意味合いを持っていた。工場の組立ラインや事務的な仕事については意味があった。

まだ専門家の域に達していない者、すなわち目標や貢献について責任を持つことが期待されていない知識労働者についても意味があった。

しかしこれは、真の専門家というべき人たち、つまり特定の分野については組織内でリーダーと見なされている人たちについては意味をなさない。

野球のスターが、監督やコーチよりも収入が多くとも不思議ではない。専門家によって構成される部門の長たるマネジャーは、その部門のほとんどの者よりも多くの報酬を受ける。

しかし、彼よりも多くの報酬を受けるスターが、一人や二人いることを例外としてはならない。

いわんや望ましからざることとしてはならない。セールスマンについても同様である。花形セールスマンは地域担当販売部長よりも当然多くの報酬を受け取るものとすべきである。

マネジャーであれ、専門家であれ、マネジメントの一員であることには違いがない。彼らに対する要求に差があってはならない。

マネジャーと専門家の違いは、その責任と活動において、マネジャーのほうが一つだけ余分な側面を持っていることにある。

五〇人の部下を持つ市場調査担当マネジャーと、一人の部下も持たずに同じ仕事をする市場調査専門家との違いは、機能でも貢献でもなく、手段にある。

両者に要求されるものは同じである。彼らはいずれもマネジメントに属する。

22マネジャーの仕事

二つの役割

マネジャーには、二つの役割がある。

①第一の役割は、部分の和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す生産体を創造することである。

それは、オーケストラの指揮者に似ている。オーケストラでは、指揮者の行動、ビジョン、指導力を通じて、各パートが統合され生きた音楽となる。

したがってマネジャーは、自らの資源、特に人的資源のあらゆる強みを発揮させるとともに、あらゆる弱みを消さなければならない。

これこそ真の全体を創造する唯一の方法である。

マネジャーはマネジメントの一員として、事業のマネジメント、人と仕事のマネジメント、社会的責任の遂行という三つの役割も果たさなければならない。

この三つのうち一つでも犠牲にする決定や行動は、組織全体を弱体化させる。あらゆる決定と行動は、三つの役割すべてにとって適切でなければならない。

マネジャーは、個々の活動のみならず、全体の成果を見なければならない。その仕事はオーケストラの指揮者に似ている。

第二オーボエとともにオーケストラ全体の音を聴く。マネジャーも、市場調査の活動とともに全体の成果を見ていく。

②第二の役割は、そのあらゆる決定と行動において、ただちに必要とされているものと遠い将来に必要とされるものを調和させていくことである。

いずれを犠牲にしても組織は危険にさらされる。今日のために明日犠牲となるものについて、あるいは明日のために今日犠牲となるものについて計算する必要がある。

それらの犠牲を最小にとどめなければならない。それらの犠牲をいちはやく補わなければならない。

マネジャーの仕事

実際にはほとんどのマネジャーが、マネジメント以外のことに多くの時間を使う。販売部長は統計の分析を行い、大切な顧客の相談に乗る。工場の職長は工具を修理し、生産報告に数字を書き込む。

だがそれらの仕事は、あらゆるマネジャーが行うべき仕事、マネジャーに共通した仕事、マネジャーだけが行う仕事ではない。

あらゆるマネジャーに共通の仕事は五つである。

  1. 目標を設定する。
  2. 組織する。
  3. 動機づけとコミュニケーションを図る。
  4. 評価測定する。
  5. 人材を開発する。

もちろん、目標を設定するというだけでマネジャーになれるわけではない。狭いところで糸を結べるだけでは外科医になれない。

しかし、目標を設定する能力がなければ適格なマネジャーにはなれない。それは、糸を結べなければ優れた外科医になれないのと同じである。

糸を結ぶ技能を向上させれば、それだけ外科医として進歩するように、マネジャーもこれら五つの基本的な仕事すべてについて、自らの能力と仕事ぶりを向上させれば、それだけマネジャーとして進歩する。

マネジャーの資質

マネジャーは、人という特殊な資源とともに仕事をする。人は、ともに働く者に特別の資質を要求する。

人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。

だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。

最近は、愛想よくすること、人を助けること、人づきあいをよくすることが、マネジャーの資質として重視されている。そのようなことで十分なはずがない。

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。

この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。

好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。

何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。

そのような者は、マネジャーとしても、紳士としても失格である。マネジャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。

マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。

しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。

最大の貢献

イギリスが二〇〇年にわたってインドを支配した背景には、インド総督府の優れた行政能力があった。インド総督府の要員は、最盛期の一九世紀後半でさえ一〇〇〇人を超えなかった。しかも、ほとんどが二〇代の若者だった。

特に頭がよいわけでもない若者の一人ひとりが、特別の訓練も経験もなしに、面積や人口においてヨーロッパの小国に匹敵する広大な地域を治めた。

しかし二〇〇年にわたるトップマネジメントの失政、あるいはその不在を補っていたこの驚くべきミドルマネジメントの偉業を可能としたのは、きわめて簡単なことだった。

彼ら若者には、広くかつ挑戦に満ちた仕事が与えられていた。マネジャーの仕事もまた、十分な大きさと重さのあるものにしなければならない。

マネジャーとは、組織の最終成果に直接の責任を持ち貢献を行う人間であるがゆえに、その仕事は、常に最大の責任と最大の挑戦を伴い、最大の貢献を可能にするものでなければならない。

職務設計のまちがい

マネジャーの仕事に関して、正しい職務設計を保証する公式はない。しかし、マネジャーの働きを妨げるようなまちがいを知り、それを避けることはできる。

①もっとも一般的なまちがいは、職務を狭く設計し、優れた者であっても成長できなくすることである。

数年ですべてを身につけられるほど狭く設計した職務では、欲求不満に陥る。結局、さしたる働きもしなくなる。

マネジャーの仕事は、その職にあるかぎり、学び、育つことのできるものにしなければならない。狭く設計した職務は、人と組織を知らぬ間に麻痺させる。

②補佐役という職務、つまり仕事とはいえない職務はさらに有害である。

マネジャーの仕事には、目的、目標、機能がなければならない。自ら貢献できなければならない。責任ある存在とならなければならない。

ところが補佐役には、直接貢献できる仕事がない。自分だけでは責任ある存在とはなりえない。独自の目的、目標、機能がない。

ボスが必要とすることや、ボスに売り込むことのできたことをするにすぎない。そのような仕事は人を堕落させる。

補佐役という職務は、その任務が明確に規定されているならば、若手のマネジャーにとって優れた訓練となる。

期間は限定する必要がある。一定期間の任務を終えたならば、マネジャーの仕事に戻してやらなければならない。

③マネジメントとは一つの仕事である。

しかしそれは、マネジャーが専念しなければならないほど時間を要する仕事ではない。マネジャーに十分な仕事がない場合、マネジャーは部下の仕事をとってしまうものである。

権限を委譲してくれないとの苦情のほとんどは、マネジャーが自らの仕事を十分持たず、部下の仕事をとるために生じる。

仕事を持たないことは耐えがたい。特に働くことが習慣となっている者はそうである。十分な仕事を持たないことは、本人のためによくないだけでない。

やがて働くことの感覚を忘れ、尊さを忘れる。働くことの尊さを忘れたマネジャーは、組織に害をなす。

かくしてマネジャーは、単なる調整者ではなく、自らも仕事をするプレーイング・マネジャーでなければならない。

④マネジャーの仕事は、彼一人あるいはその直接の部下を使うだけで遂行できるものにしなければならない。

会議や調整が必要な職務はまちがっている。頻繁に出張しなければならない職務もまちがっている。仕事と会議が同時にできないのと同様、仕事と旅行も同時にはできない。

⑤マネジャーの仕事の不足をポストで補ってはならない。

報奨をポストで補ってもならない。それは期待を与える。肩書は地位と責任を意味する。

ジェスチャーつまり地位と責任の代わりに肩書を与えることは、あえて問題を起こそうとするに等しい。

⑥「後家づくり」の仕事は設計しなおさなければならない。

一九世紀半ばの大帆船全盛のころ、船会社には「後家づくり」とよばれる船が現れることがあった。なぜかはわからないが頻繁に事故死を起こした。分別ある船主は、そのような船を思いきって解体した。

今日の組織にも、理由はわからないが、その仕事についた優秀な者が次々に倒れる職務がある。仕事自体はよく構成され、こなせないはずはない。しかし、実際にはこなせない。

通常そのような職務は偶然から生まれる。たまたま一人の人間のなかに見られない二つの資質を併せ持つ者が、結果としてそのような職務をつくりだし、しかもうまくこなしてしまったために、職務として確立されたのである。

マネジメント限界の法則

教科書の多くは、一人が監督できる部下の数には限界があるといういわゆる「マネジメント限界の法則」を説く。

だが、そのような法則への信奉はマネジメントをゆがめる。マネジメントの階層を積み重ねるだけである。

コミュニケーションと協力は妨げられ、明日のマネジャーの育成は困難となる。マネジメントの意味さえむしばまれる。

部下が何人いるかは問題ではない。重要なのは、人間の数ではなく関係の数である。部下との関係は、マネジャーの扱う関係の一つにすぎない。

職務設計の視点

かくしてマネジャーの仕事は四つの視点から設計しなければならない。

①マネジャー本来の機能、すなわちマネジャーの仕事そのものがある。

これは継続的な職務である。市場調査部長や製造部長としての仕事である。

②これだけでは、個々のマネジャーに期待する貢献を明らかにはできない。

割り当てる仕事というものがある。個々のマネジャーに対し、組織や上司が設定する責任である。

この貢献の責任が、職務規定に示したものを超えていることが、優れた成果をあげる者の印である。

③マネジャーの仕事は、上、下、横との関係によって規定される。

④マネジャーの仕事は、必要とする情報とその情報の流れにおける彼の位置によって規定される。仕事に必要な情報が何であり、どこから手に入れるかを常に考えなければならない。

それらの情報を提供してくれる者に対して、必要とする情報の内容のみならず、その理由も理解してもらわなければならない。

さらには、上、下、横の誰が、いかなる情報を自分に頼っているかについても考えなければならない。

これら四つの視点から自らの仕事を主体的に知ることは、個々のマネジャー本人の責任である。

彼に期待すべきことは、自らの職務を書き表し、彼自身ならびに彼の部門が責任を負うべき成果と貢献について提案し、他との関係を列挙し、必要とする情報と他に貢献できる情報を明らかにすることである。

これらのことについて考えることが、マネジャーにとっての最大の責任である。マネジャーたるものは、この責任から逃れることはできない。

23マネジメント開発

体系的に取り組む

未来を予測することは不可能である。したがって決定したことを実行に移し、時には修正してくれる者、すなわち明日のマネジメントを行う者を試し、選び、育てて、初めて今日の意思決定を責任あるものとすることができる。

マネジャーは育つべきものであって、生まれつきのものではない。したがって、明日のマネジャーの育成、確保、技能について体系的に取り組まなければならない。運や偶然に任せることは許されない。

マネジメント開発にあらざるもの

初めに、マネジメント開発に当てはまらないものを明らかにしなければならない。

①マネジメント開発とは、セミナーに参加することではない。

セミナーは道具の一つである。それ自体マネジメントではない。

特定の技能についての三日間セミナーにせよ、二年間にわたる毎週三晩の上級セミナーにせよ、組織全体と個々のマネジャーのニーズに合うものでなければならない。

しかも、いかなる種類のセミナーよりも、実際の仕事、上司、組織内のプログラム、一人ひとりの自己啓発プログラムのほうが大きな意味を持つ。

②マネジメント開発は、人事計画やエリート探しではない。

それらのものはすべて無駄である。有害でさえある。組織がなしうる最悪のことは、エリートを育成すべく他の者を放っておくことである。

一〇年後、仕事の八割はその放っておかれた人たちが行わなければならない。しかも、彼らは軽んじられたことを覚えている。

成果はあがらず、生産性は低く、新しいことへの意欲は失われている。他方選ばれたエリートの半分は、四〇代にもなれば、口がうまいだけだったことが明らかになる。

③マネジメント開発は、人の性格を変え、人を改造するためのものではない。

成果をあげさせるためのものである。強みを存分に発揮させるためのもの、人の考えではなく、自分のやり方によって存分に活動できるようにするためのものである。

雇用主たる組織には、人の性格をとやかくいう資格はない。雇用関係は特定の成果を要求する契約にすぎない。他のことは何も要求しない。

それ以外のいかなる試みも、人権の侵害である。プライバシーに対する不当かつ不法な侵害である。権力の濫用である。

被用者は、忠誠、愛情、行動様式について何も要求されない。要求されるのは成果だけである。

24自己管理による目標管理

四つの阻害要因

組織のなかの人間が果たすべき貢献は多様である。それらの貢献は共通の目標に向けられなければならない。

組織には、人をまちがった方向へ持っていく要因が四つある。すなわち、技能の分化、組織の階級化、階層の分離、報酬の意味づけである。

①技能の分化

三人の石切り工の話がある。何をしているかを聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「最高の石切りの仕事をしている」「教会を建てている」と答えた。第三の男こそマネジャーである。

第一の男は、仕事で何を得ようとしているかを知っており、事実それを得ている。一日の報酬に対して一日の仕事をする。だがマネジャーではない。将来もマネジャーにはなれない。問題は第二の男である。

熟練した技能は不可欠である。組織は最高の技能を要求しなければ二流の存在になる。

しかし専門家は、単に石を磨き脚注を集めているにすぎなくとも、大きなことをしていると錯覚することがある。

技能の重要性は強調しなければならないが、それは組織全体のニーズとの関連においてでなければならない。

この種の危険は、今日進行中の社会と技術の変化のために、きわめて大きなものになっている。

高等教育を受けた専門家が急増している。技能も高度になっている。彼らのほとんどは、それぞれの専門知識によって組織への貢献を行う。そのため技能自体が目的となってしまう危険がますます大きくなる。

②組織の階級化

組織の階級的な構造が、この危険をさらに大きくする。上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までもが、計算され意図された意味あるものと受け取られる。

「人間関係が大切だという。だが、呼びつけて言うのは残業のことだ。しかも、昇進するのは経理への数字をうまくつくれるやつだ」との苦情は、あらゆるところで耳にする。

この問題を解決するには、全員の目を仕事が要求するものに向けさせる組織構造が必要である。

③階層の分離

まちがった方向づけは、階層によって仕事と関心に違いがあることからも起こる。この問題も、よき意図や態度では解決できない。これもまた組織の構造に根ざしている。

コミュニケーションの改善では解決できない。コミュニケーションが成立するには共通の言語と共通の理解が前提となる。

欠如しているのは、まさにそれらの前提である。階層ごとにものの見方があって当然である。さもなければ、仕事は行われない。

とはいえ、階層ごとにものの見方があまりに違うため、同じことを話していても気づかないことや、逆に反対のことを話していながら同じことを話していると錯覚することがあまりに多い。

④報酬の意味づけ

報酬は、組織にとってのコストであり、一人ひとりにとっての収入である。しかも、それは組織や社会における位置づけを表す。成果に対する評価のみならず、人間に対する評価を表す。

正義、公正、公平の観念とも情緒的に結びつく。報酬について公式を求めても無駄である。いかなる報酬にしても、報酬システムが持っているさまざまな意味合いの妥協にすぎない。

最高のシステムであっても、一方において組織を強化し、他方において弱体化する。一方で正しく方向づけし、他方でまちがって方向づけする。

正しい行動だけでなく、まちがった行動を奨励する。しかるに組織内の人間にとって、報酬や報酬システムほど強力な信号はない。

報酬は、金銭的な意味合いがあるだけでなく、トップマネジメントの価値観を教える。自分にいかなる価値があるかを教える。

いかなる位置づけにあるか、いかに認められているかを教える。科学的な報酬システムはもちろん、かなりよいといえる報酬システムさえつくることは難しい。

できることといえば、まちがった行動を褒めたり、まちがった成果を強調したり、共通の利益に反するまちがった方向へ導くことのないよう監視することぐらいである。

目標管理マネジャーたるものは、上は社長から下は職長や事務主任にいたるまで、明確な目標を必要とする。目標がなければ混乱する。

目標は自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにしなければならない。他部門の目標達成の助けとなるべき貢献を明らかにしなければならない。

他部門に期待できる貢献を明らかにしなければならない。目標には、はじめからチームとしての成果を組み込んでおかなければならない。

それらの目標は、常に組織全体の目標から引き出したものでなければならない。組立ラインの職長さえ、企業全体の目標と製造部門の目標に基づいた目標を必要とする。それらの目標は、短期的視点とともに長期的視点から規定しなければならない。

有形の経済的な目標のみならず、無形の目標、すなわちマネジャーの組織化と育成、部下の仕事ぶりと態度、社会に対する責任についての目標を含まなければならない。

適切なマネジメントを行うには、特にトップマネジメントが目標間のバランスを図らなければならない。

最近よく見られるキャンペーン方式のマネジメントなどは、もっとも避けるべき悪習である。節約キャンペーンにしても、その成果は、週給のタイピストの首を切り、高給の役員が下手なタイプを打つだけに終わる。

効果はない。まちがった方向へ導く。一つの側面だけを強調し、他の側面を犠牲にする。目標は組織への貢献によって規定しなければならない。

プロジェクト・エンジニアの目標は、技術部門に対して果たすべき貢献によって規定される。事業部長の目標は、組織全体に対して果たすべき貢献によって規定される。もちろん上位のマネジメントは、それらの目標を否認する権限を持つ。

しかし、それらの目標を規定することは、一人ひとりの責任である。自らの属する組織の目標の設定に参画することも、一人ひとりの責任である。

自己管理 目標管理の最大の利点は、自らの仕事ぶりをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。

したがって目標管理は、たとえマネジメント全体の方向づけを図り活動の統一性を実現するうえでは必要ないとしても、自己管理を可能とするうえで必要とされる。

自らの仕事ぶりを管理するには、自らの目標を知っているだけでは十分ではない。目標に照らして、自らの仕事ぶりと成果を評価できなければならない。

そのための情報を手にすることが不可欠である。しかも、必要な措置がとれるよう、それらの情報を早く手にしなければならない。

それらの情報は、彼ら自身に伝えるべきであって上司に伝えるべきではない。情報は、自己管理のための道具であって、上司が部下を管理するための道具ではない。

こうして自己管理による目標管理は、人間というものが責任、貢献、成果を欲する存在であると前提する。大胆な前提である。

しかしわれわれは、人間というものがほぼ期待どおりに行動することを知っている。私が初めて目標管理を提唱して以来、この言葉はスローガンとさえなった。

今日では文献も多い。講座、セミナー、映画さえある。目標管理を採用している組織は多い。

しかし、真の自己管理を伴う目標管理を実現しているところは少ない。自己管理による目標管理は、スローガン、手法、方針に終わってはならない。原則としなければならない。

哲学という言葉を安易に使いたくはない。できればまったく使いたくない。大げさである。しかし、自己管理による目標管理こそ、マネジメントの哲学たるべきものである。

25ミドルマネジメント

人員過剰の問題

五〇年代の初め、コンピュータとオートメーション化が新聞の見出しをかざっていたころ、ミドルマネジメントの滅亡は時間の問題と言われた。

しかしこれほど早く、しかも完全にはずれた予測も少ない。まさにこの予測が広まりつつあるさなかに、ミドルのブームが始まった。

あらゆる先進国においてミドルマネジメント以上に急速に増加した労働力はなかった。急速な増加は行きすぎを伴う。もたらされるものは混乱と無駄である。

ミドルマネジメントについても、過剰となることほど害の大きなものはない。成果を越えた害を与える。成果と意欲に害を与える。

事実、ミドル・ブームとそれに伴う過剰人員は、特に大組織の士気と動機づけに悪影響を与えた。

かつて企業、政府機関、学校、病院に大挙して就職していった人たちの不満や挫折感も、主たる原因は人員の過剰にあった。

給与はよく、待遇もよい。だが、仕事、挑戦、機会がなかった。忙しいだけだった。仕事ではなく、互いに作用し合うことに忙しかった。

今日では、高学歴の有能な青年、特に有名ビジネススクールを優秀な成績で卒業した若者たちには、就職先として中小企業や中都市の市役所を選ぶ者が増えている。

彼らは「仕事があるから」と答えている。何よりもまず、ミドルマネジメントから脂肪分を除去しなければならない。

「本当にしなければならないことは何か」を検討し、「必要のないこと、削減したり廃止すべきことは何か」を考えなければならない。

今後も彼らは増加していく。その増加を方向づけ、管理し、マネジメントする必要がある。

新種のミドルマネジメント

かつてのミドルもなくなりはしなかった。それどころか、逆に増加した。工場長、セールスマネジャー、銀行の支店長である。

しかし本当に増加したのは、製品、製造、工程、税務、市場調査、マーケティング、広告の専門家である。

かつては知られることもなかったような仕事の人たちである。この新種のミドルは、知識専門家である。

伝統的なミドルは命令する人だった。これに対して、新種のミドルは知識を供給する人である。

伝統的なミドルは、下に向かって、すなわち自分に報告する人間に対して「権限」を持つ。新種のミドルは、上や横に向かって、すなわち自分が命令できない人間に対して「責任」を持つ。

彼らは専門家である。彼らの決定と行動が、組織の方向と能力に直接影響を与える。

P&Gで洗剤、ユニリーバで食品、フィリップスでテレビを担当するプロダクトマネジャーは、地位と報酬から見るかぎりミドルの一員にすぎない。さしたる権限はない。

しかし彼らは、製品の開発、市場への展開、市場での成績に責任を持つ。新製品の開発を決定するのは、主として彼らである。

新製品の仕様や価格を決定するのも、彼らである。テストマーケティングの方法や地域を決定するのも、彼らである。販売目標を決定するのも、彼らである。

直接的な権限を持たず、命令はできない。だが、新製品の成功を左右する広告費や販促費の支出を管理する。

P&Gのプロダクトマネジャー、品質管理担当の技術者、税務担当の専門家は、いずれもラインのマネジャーではない。

スタッフでもない。彼らの仕事は助言や教示ではない。現業の仕事をする。

地位、報酬、職務はトップマネジメントでなくとも、P&Gに与える影響に関しては、トップマネジメントと同じ責任を負う。

彼らといえども、「われわれの事業は何か、何であるべきか」「目標は何か。優先度の高いものは何か、何であるべきか」「資金や人材などの基本的な資源をいかに配分するか」などの意思決定を行うことはできない。

しかし彼らは、これらの意思決定に対してさえ、それを行うために必要な知識を供給することによって貢献する。

しかもそれらの意思決定は、彼ら新種のミドルが自らの責任と権限に基づいて実行に移さないかぎり、真に効果のあるものとはならない。ミドルは消えなかった。伝統的なミドルさえ消えなかった。

しかし昨日のミドルは、知識専門家による知識組織へと変貌しつつある。

知識専門家とは、知識を仕事に適用し、かつ知識を基礎として、組織全体の能力、成果、方向に影響を与える意思決定を行う者である。

これら新種のミドルの知識専門家を効果的な存在とし、成果をあげさせることが、われわれにとっての新しい課題である。それは今日、マネジメントの中心課題である。

26組織の精神

天才をあてにするな

組織の目的は、凡人をして非凡なことを行わせることにある。天才に頼ることはできない。天才はまれである。あてにできない。

凡人から強みを引き出し、他の者の助けとすることができるか否かが、組織の良否を決定する。

同時に、組織の役目は人の弱みを無意味にすることである。要するに、組織の良否は、そこに成果中心の精神があるか否かによって決まる。

①組織の焦点は、成果に合わせなければならない。

②組織の焦点は、問題ではなく機会に合わせなければならない。

③配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定は、組織の信条と価値観に沿って行わなければならない。

これらの決定こそ真の管理手段となる。

④これら人事に関わる決定は、真摯さこそ唯一絶対の条件であり、すでに身につけていなければならない資質であることを明らかにするものでなければならない。

成果を中心に考える

あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。

目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。成果とは何かを理解しなければならない。

成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。

すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。

それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。

そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。

組織においてもっとも重要かつもっとも困難な問題は、長年真摯に働いてきたがもはや貢献できなくなった者の処遇である。

帳簿係として働いていた者が、組織の成長に伴い五〇歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなる。

人は変わらないのに、仕事が変わってしまった。だが、ずっと真摯に働いてきた。そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならない。

だからといって、その者を担当役員にしておくべきではない。彼の無能は組織を危うくするだけではない。士気を低下させ、マネジメントへの不信を生む。

馘にするのはまちがいである。正義と礼節にもとる。マネジメントの真摯さを疑わせる。組織の精神というものを大切にするマネジメントは、この種の問題を慎重に扱う。

機会に集中する

組織というものは、問題ではなく機会に目を向けることによって、その精神を高く維持することができる。

組織は機会にエネルギーを集中するとき、興奮、挑戦、満足感に満ちる。問題は無視できない。だが、問題中心の組織は守りの組織である。それはいつになっても、昨日を黄金時代と考える組織である。

それは、悪くさえならなければ成果をあげていると考える組織である。人事に関わる意思決定成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定こそ、最大の管理手段であることを認識する必要がある。

それらの決定は、人間行動に対して数字や報告よりもはるかに影響を与える。組織のなかの人間に対して、マネジメントが本当に欲し、重視し、報いようとしているものが何であるかを知らせる。

真摯さなくして組織なし

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定において象徴的に表れる。

真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。

ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。

だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。彼らはそのような者をマネジャーに選ぶことを許さない。真摯さの定義は難しい。

だが、マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない。

①強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。

できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。

②何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。

仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。

③真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネジャーに任命してはならない。

そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。

④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。

そのような者は人間として弱い。

⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。

そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。

知識もさしてなく、仕事ぶりもお粗末であって判断力や行動力が欠如していても、マネジャーとして無害なことがある。

しかし、いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。

組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。

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