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第5章ビジネス──マインドセットとリーダーシップ

第5章ビジネス──マインドセットとリーダーシップ成長する企業と経営の意思決定/リーダーシップと硬直マインドセット/硬直マインドセットの有名経営者/しなやかマインドセットの有名経営者/集団浅慮VSみんなが考える/リーダーは生まれつきか、努力のたまものか

第5章ビジネス──マインドセットとリーダーシップ2001年、ビジネス界に衝撃を与える発表があった。

時代の寵児であり、未来の企業であるはずのエネルギー企業エンロンが倒産したというのだ。

いったい何が起きたのだろう。

夢のように有望な会社と思われていたエンロンが、一転して、そんな悪夢のような事態に陥るとは。

経営能力に欠けていたのだろうか。

それとも汚職が原因だろうか。

問題はマインドセットにあった。

マルコム・グラッドウェルが『ニューヨーカー』で述べているように、アメリカの企業は才能偏重の考え方に取りつかれていたのである。

実際、米国随一の経営コンサルタント会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーの専門家諸氏も次のように主張していた。

今や企業が成功するには〝才能重視の姿勢〟が欠かせない。

スポーツの世界に天才がいるように、ビジネスの世界にも天才が存在する。

人並み外れた素質を持つ選手獲得のためにチームが多額の契約金を積むように、企業も卓越した人材の引き抜きに金を惜しんではならない。

そのような人材こそが競争を勝ち抜く秘密兵器なのだから、と。

グラッドウェルが述べているように、この「〝才能重視の姿勢〟がアメリカ的経営の新しい定説」になっていた。

エンロン文化の土台を築いたのも、そして、その崩壊の種をまいたのもこのマインドセットだったのである。

エンロンは、突出した才能を持つ人材を採用した。

そのほとんどが一流大学の学位取得者だった。

そのこと自体に問題はない。

優秀な人材に多額の報酬を支払っても、それだけならば悲惨な結果に至ることはなかっただろう。

エンロンは、才能を盲信したがために、致命的な誤りを犯してしまったのである。

才能崇拝の企業文化がつくられて、社員たちは並外れた才能の持ち主であるかのような振りをせざるをえなくなった。

つまり、硬直したマインドセットに陥るはめになったのである。

そのあとはもうおわかりだろう。

私たちの研究から示されたように、硬直マインドセットの人は自分の欠点を認めないし、改めようともしない。

授業も試験もすべて英語で行なわれる香港大学の学生たちに面接調査を行なった結果を憶えているだろうか。

硬直マインドセットの学生は欠点をさらすのを恐れて、英語の補講授業を取ろうとはしなかった。

リスクを犯してでも学ぼうと思う世界には住んでいなかったのだ。

頭の良さをほめることによって、生徒たちを硬直マインドセットにした研究を思い出してほしい(ちなみに、エンロンでもエリート社員に対して同じようなことをしていた)。

簡単な問題のあとに難しい問題を出し、そのあとで、他の学校の生徒たちにどんなテストを受けたかを伝える手紙を書かせた。

その手紙を読んだ私たちはショックを受けた。

4割近くの生徒が自分の得点を──すべて実際より高めに──いつわって書いていたからである。

硬直したマインドセットのせいで、失敗をどうしても認めたくない心境に追い込まれていたのだ。

グラッドウェルは論説の結びでこう述べている。

生まれつきの才能を重んじる環境にいる人間は、有能な人物という自己イメージが脅かされたとたんに危機的状況に陥る。

「自分の非を認めて行動の改善をはかろうとはしない。

襟を正して投資者や大衆と向きあい、自分の誤りを認めようとはせずに、噓をついてごまかす方に走ってしまう」自己修正能力を失った企業の末路は目に見えている。

エンロンの破綻を招いたのが硬直マインドセットだったとしたら、繁栄する企業にはしなやかマインドセットが備わっているのだろうか?さて見ていこう。

成長する企業と経営の意思決定ジム・コリンズは、企業を良好から偉大へと飛躍させる要素は何だろうかと考えた。

類似する他の企業がそこそこ良い状態に留まっている中で、超優良への飛躍を遂げたうえに、それを長期にわたって維持できたのはなぜか。

この疑問に答えるために、コリンズ率いる研究チームは、5年におよぶ調査研究に乗りだした。

まず、同じ産業の他企業に比べて株式運用成績が大幅に上がり、しかも15年以上、好調が持続している企業を11社選んだ。

そして、飛躍した企業と同じ産業で事業を展開しており、保有する資源もそれほど変わらないのに、超優良への飛躍を達成できなかった企業11社を比較対象企業として選んだ。

さらに、良好から偉大への飛躍を遂げながら、それを短期間しか持続できなかった企業についても調査した。

他社を抑えて躍進する企業にきわだつ特徴は何だろう。

重要な要素がいくつか挙げられるが、絶対的に重要なのは、どのケースにおいても企業を率いる指導者のタイプであると、コリンズは著書『ビジョナリー・カンパニー2飛躍の法則』(前掲)で述べている。

偉大な企業への飛躍を持たらした指導者たちは、我が強くて自分を売り込みたがる派手なカリスマ的人物ではなかった。

謙虚で控えめで、たえず答えを探して問い続け、その答えがどんな厳しいものであっても直視できる人たちだった。

失敗を、それが自分の失敗であっても、真正面から受けとめつつ、その一方で、最後には必ず成功するという確信を失わない人たちだったのである。

どこかで聞いたようなことではないだろうか。

コリンズは不思議に思った。

偉大な企業へと飛躍させた指導者たちは、なぜ、このような一見相矛盾する資質を併せ持っているのだろう。

この指導者たちはいかにして、そうした資質を持つに至ったのだろうか、と。

けれども、私たちにはもうわかっている。

マインドセットがしなやかなのだ。

人間の成長を信じている。

そして、そのことこそがきわだった特徴なのである。

このような指導者は、自分が人より優れていることを証明しようと躍起になったりしない。

トップの座についても上下関係にこだわらないし、社員たちの努力の成果を自分の功績にしたりしないし、人をけなすことで権力を感じようともしない。

そんなことよりも、つねに向上することを心がけている。

周囲にできるかぎり有能な人材を集め、自らの過ちや欠点をしっかりと見据え、将来自分や自社にとって必要となるスキルは何かを率直に問い続ける。

だから、自分の才能に幻想を抱いたりせずに、しっかりと根拠のある自信を持って前進することができるのである。

ロバート・ウッドとアルバート・バンデューラは、マネジメント経験者の多い経営大学院の学生を対象に、興味深い研究を行なった。

学生たちのマインドセットを「硬直」または「しなやか」にすることによって、エンロン型の経営者とそれとは正反対のタイプの経営者をこしらえる研究である。

ウッドとバンデューラはこの経営者の卵たちに、家具メーカーの経営をシミュレートするという複雑な課題を与えた。

従業員1人ひとりの労働意欲が最大になるように、それぞれを適切な仕事に就かせる業務をコンピューター上で行なうというものだ。

もっとも効果的に配置するには、従業員の生産性についてのフィードバック情報をもとに、たえず決定を見直していく必要がある。

ウッドとバンデューラは、学生たちを2グループに分けた。

一方のグループには、この課題は生まれつき備わっている基本的能力を評価するものだと説明して、マインドセットを硬直させた。

もう一方のグループには、マネジメント能力は訓練によって伸ばせるもので、この課題はその能力を伸ばすチャンスなのだと説明して、そのマインドセットをしなやかにした。

学生たちは苦労して課題に取り組んだ。

高い生産性基準を満たさなくてはならず、特に初めのうちは、失敗の連続だった。

エンロン社員と同様に、硬直マインドセットの学生たちは失敗経験を生かすことをしなかった。

それに対して、しなやかマインドセットの学生たちは失敗から学び続けた。

持って生まれた能力を評価されるのを恐れたり、それをかばったりせずに、失敗を

しっかり見据えて、フィードバック情報として利用し、随時戦略を変えていった。

従業員の士気を高める配置方法をどんどん会得して、生産性を順調に伸ばし、最終的に、硬直マインドセットの学生たちよりも高い生産性を上げることができた。

それだけではない。

この難題に取り組んでいる間もずっと、健全な自信を失わずにいた。

リーダーシップと硬直マインドセットコリンズの調査した比較対象企業の指導者たちは、硬直マインドセットのあらゆる特徴を、強調された形で備えていた。

硬直マインドセットの指導者は、硬直マインドセットの人々がみなそうであるように、人間には生まれつき優れた人と劣った人がいる世界に生きている。

何かにつけて自分の優越性を確認しないと気がすまず、会社はそのための舞台にすぎない。

コリンズの調査した比較対象企業の指導者たちは、「偉大な経営者だという世評」を集めることに執心するあまり、往々にして、自分の引退とともに会社が崩壊するような体制を作ってしまっている。

「自分が去った後に会社が転落していくことほど、自分の偉大さを示すものがあるだろうか」とコリンズは述べている。

こうした指導者の3分の2以上は「我が強くて欲が深く」、その点が会社の没落や低迷を招く一因になったとコリンズらは見ている。

そのような指導者のひとりが、クライスラーの社長、リー・アイアコッカだった。

倒産の危機にあったクライスラーを奇跡的に救ったものの、その後、自分を売り込むことに熱中し、在任期間の後半にクライスラーはふたたび凡庸な企業に逆戻りしてしまった。

このような比較対象企業は、コリンズが言うところの「ひとりの天才を1000人で支える」体制をとっている場合が多かった。

良好から偉大へと飛躍した企業のように、層の厚い強力な経営陣を築き上げることをせず、天才には優れた経営陣など不要で、偉大なアイデアを実行する兵士だけで十分であるという、硬直マインドセットの前提に立った経営がなされていた。

付け加えるならば、このような天才経営者みずからが優秀な経営陣を嫌う。

硬直マインドセットの人は、自分だけが突出した存在でいたい。

周囲の人と比較して自分の方が上だと思えないと気がすまない。

硬直マインドセットのCEOが書いた自伝には、社員の育成法や指導法について紙幅を割いたものは一冊もない。

それにひきかえ、しなやかマインドセットのCEOの自伝は、人材育成についての深い関心に裏づけられた詳細な検討がなされているものばかりである。

結局、エンロンしかり、天才経営者たちは自社の欠点を直視しようとしなかった。

コリンズはこう述べている。

良好から偉大へと飛躍した食品雑貨チェーン、クローガーは、1970年代に見えてきた危機の徴候──従来の方式の食品雑貨店は絶滅する運命にあるという徴候──に勇敢に目を向けた。

一方、比較対象企業であるA&Pは、かつては世界最大の小売り企業だったが、そのような徴候に目をつむってしまった。

たとえば、A&Pが試みに新方式のスーパーマーケット店舗を開いてみると、旧方式の店舗よりも客の受けが良かったにもかかわらず、その店舗を閉鎖してしまった。

認めたくない結果だったからだ。

対するクローガーは、新しいスーパーマーケットの方式に合わない店舗はすべて閉鎖するか改装するかし、1990年代末にはアメリカ第1位の食品雑貨店チェーンとなったのである。

ちなみにCEOというときまって我の強い人物をイメージするようになったのはなぜだろう。

地味で控えめなしなやかマインドセットの人物こそが、企業を飛躍させる真のリーダーであるとしたら、なぜ、多くの企業がこぞって華々しいカリスマ的指導者を求めるのだろう。

会社よりも自分の利益を優先させてしまうかもしれないのに。

その原因の一端はアイアコッカにあるようだ。

ジェームズ・スロウィッキーがオンラインマガジン『スレート』で述べているところによると、アイアコッカが名を遂げたことにより、アメリカ実業界に転機が訪れる。

財界の大立者の時代はとうに過ぎ去り、CEOといえば「型にはまった組織人間で、好待遇・高収入ではあるが、本質的に面白みに欠ける無個性の人」という大衆イメージが定着していた。

そこに現れてイメージを一新したのがアイアコッカだった。

以来、ビジネス各誌はこぞって経営トップを「第2のJ・P・モルガン」「第2のヘンリー・フォード」などと呼ぶようになり、硬直マインドセットの経営者たちは、そんなふうに呼ばれるCEOを目指しはじめたのである。

企業スキャンダルの多発はそれが原因であるとまでスロウィッキーは主張する。

こうした傾向が続く中、CEOがスーパーヒーロー化したからである。

しかし、私利私欲を追求し自分のイメージアップを図ろうとする人間には、長期にわたって健全経営を続けられる企業の育成はできない。

アイアコッカというカリスマ的指導者には、ロックンロールと同様に、文明の堕落をもたらした責任がある。

そう言っていいのだろうか。

もっとくわしく見ていこう。

さらに、その他の硬直マインドセットのCEO──アルバート・ダンロップ(スコットペーパー社、サンビーム社)、ジェリー・レヴィンとスティーブ・ケース(AOLタイムワーナー社)、ケネス・レイとジェフリー・スキリング(エンロン社)──についても見ていこう。

そうすると、それらのCEOの共通点が明らかになってくる。

全員が、人間には優劣の差があるという信念から出発している。

全員が、自分の優位性を証明して見せる必要に駆られている。

全員が、その証明と誇示のために部下を利用し、部下の成長をはぐくもうとは考えていない。

全員が、私利私欲のために会社を破滅に追いやってしまっている。

このような強烈なエゴはいったいどこから生じるのか。

それはどんな働きをするのか。

なぜそれが自縄自縛になるのか。

それを考える手がかりは、硬直マインドセットにある。

硬直マインドセットの有名経営者リー・アイアコッカ「私はヒーローだ」リーダーシップ研究の第一人者、ウォーレン・ベニスは、世界的企業の経営者たちにインタビュー調査を行なった。

その偉大な指導者たちが異口同音に語ったのは、リーダーになろうとしてなったわけではない、ということだった。

自分の能力を証明することにはまったく関心がなく、ただ自分の愛することを並ならぬ意欲と情熱を傾けてやっているうちに、気がついたら先頭に立っていたのである。

アイアコッカはそうしたタイプの指導者ではなかった。

たしかに、自動車ビジネスを愛してはいたが、最大の目標はフォード社のお偉方になること。

ヘンリー・フォード2世の寵愛を得て、王宮のごとき執務室に座りたかった。

それこそが、自分を評価するモノサシであり、ひとかどの人物である証となるものだったからだ。

私は今、王宮という言葉を使ったが、アイアコッカの自伝には実際「〝ガラスの城〟と呼ばれているフォードの本社ビルは宮殿であり、ヘンリー・フォードは王だった」と書かれている。

さらにこんな記述もある。

「ヘンリーが帝王なら、私は皇太子」「私は、ヘンリー王殿下が特別に目をかけて下さる秘蔵っ子だった」「私たちフォードの首脳陣はみな、王侯の生活をエンジョイしていた。

まるで社会の特等席だった……白い上着を着た給仕が、朝でも晩でも、ボタンひとつでとんで来た。

昼食は重役専用の食堂に集まった……ドーバーの舌平目が毎日イギリスから空輸されてきた」ムスタングの開発と販売促進などでフォードに多大な貢献をしたアイアコッカは、ヘンリー・フォード2世の跡を継いでフォードのナンバーワンになることを夢見ていた。

しかし、フォード2世はそれを望んでおらず、結局、アイアコッカはフォードを解雇されてしまう。

ここで興味を引くのは、アイアコッカが大きなショックを受けたこと、そして、フォード2世にいつまでも激しい怒りを抱き続けたことである。

そもそも、アイアコッカはヘンリー・フォード2世が経営トップを次々とクビにするのを見てきており、アイアコッカ自身も社員の首切りを容赦なく断行してきた。

つまり、フォードのやり口を知り抜いていたはずなのだ。

それなのに、硬直マインドセットが目を曇らせてしまった。

「私は最後まで、自分だけは違う、自分は〝みんなよりも賢くて運が良い〟という幻想を捨てきれなかった。

明日はわが身と悟ることができなかった」自分は生まれつき人よりも優れているという思いこみにとらわれて盲目になっていたのである。

そしてそのとき、硬直マインドセットの逆の面が現れて、彼はこんな疑念に苛まれはじめる。

自分はヘンリー・フォード2世に致命的欠点を見抜かれたのではないか。

自分はやはり人よりも優れてなどいないのではないか、と。

だからそのショックを忘れることなどできなかった。

何年もしてから、2人目の妻が彼を諭した。

「あなたはフォードさんがしてくださったことのありがたみがわかってないわ。

フォードをクビになったからこそ、今のあなたがあるのよ。

財力、名声、影響力ともに高まったのはフォードさんのおかげじゃないの」。

それからまもなく彼は妻と別れている。

自分の能力と価値を買ってくれていた王に、欠陥者として追い払われたアイアコッカ。

その凄まじいまでの恨みを原動力に、面目を取り戻す闘いに挑み、その結果としてクライスラーを救ったのだ。

かつてフォードと1、2を競っていたクライスラーは倒産寸前の危機にあったが、新CEOに就任したアイアコッカは、有能な人材を引き抜き、新型モデルを発表し、政府の財政援助を求めるなど、迅速に行動して会社を再建した。

そして、屈辱を嚙みしめつつフォードを去ってからわずか数年で、サクセスストーリーを綴った自伝を書き上げ、その中で「今や私はヒーローだ」と豪語するまでになった。

ところが、すぐにまた、クライスラーは経営不振に陥る。

硬直マインドセットのアイアコッカは、自分の偉大さをもっともっと大々的に──自分自身に、ヘンリー・フォードに、そして世間の人々に対して──証明しないと気がすまなくなっていったのだ。

クライスラーのCMに出演して自分を売り込もうとしたり、ウォールストリートの関心を惹き、クライスラーの株価を吊り上げるために社費を投じた。

しかし、新車の設計に投資しようとも、製造工程を改善して長期的な利益の向上をはかろうともしなかった。

アイアコッカは、後世の人にどう評価されるか、歴史にどう名を残すかということも気にしていた。

それでいながら、会社を大きく発展させようとはせずに、まったく逆のことをしたのだった。

ある伝記作者によると、部下が優れた新車を提案しても、その設計者が手柄を立てるのを恐れて、なかなか認めようとしなかった。

部下が経営不振に陥ったクライスラーを立て直そうとすると、新たな救世主と仰がれるのを懸念して、その部下たちの排斥を企てた。

自分がクライスラーの歴史から消し去られるのを恐れて、影響力を失ってからもしぶとくCEOの座にしがみついていた。

アイアコッカはもっと偉大な功績を残すことだってできたのだ。

ちょうど、アメリカの自動車産業がいまだかつてない深刻な事態に直面している時期だった。

日本車が米国市場を席巻しつつあった。

日本車の方が見栄えも良く、走行性能も優っていたからにほかならない。

ホンダ車を徹底的に研究した部下たちが素晴らしい提案をしてきた。

ところが、硬直マインドセットに陥っているアイアコッカは、日本車の挑戦をしっかり受け止めてもっと優れた車を開発しようとはせずに、非難と言い訳に終始した。

日本車を痛烈にこきおろし、米国政府に関税や輸入制限の実施を要求したのだ。

『ニューヨーク・タイムズ』は、アイアコッカを批判する社説の中で、「解決への道は、わが国が性能の良い自動車を製造することにあり、日本を叩いてもはじまらない」と述べている。

アイアコッカは社員一同の指導者として成長することもなかった。

それどころか、かつて自分が非難したヘンリー・フォード2世そっくりの、すぐに懲罰を科す、料簡のせまい、孤立した暴君に成り下がっていった。

自分を批判する社員をどんどんクビにしただけでなく、クライスラーを救おうと献身的に働いた社員に報いることもしなかった。

大きな収益が上がっても、社員に分配する気はなく、賃金は低いまま、労働条件は劣悪なままだった。

その一方で、自分は経営が再び傾いたときでも王侯のような生活を続け、ニューヨークの高級ホテル、ウォルドルフにある社長室の改装に200万ドルを注ぎこんだりした。

ついに、クライスラーの取締役会は、手遅れにならないうちにと、巧妙なやり方でアイアコッカを辞職させた。

巨額の年金を与え、多大なストックオプションを提供し、さまざまな役員手当の継続を認めたのだった。

それでも彼は気に入らずに怒りをあらわにした。

後任の社長のもとで経営状態が上向いてくるのを見ると、ますます怒りを募らせた。

何としても王座を取り戻そうと考えた彼は、乗っ取り屋と手を組んで敵対的企業買収に乗りだした。

結局、試みは失敗に終わったが、アイアコッカは会社の利益よりも自分のエゴを押し通す人物であることがだれの目にも明らかになった。

アイアコッカは硬直マインドセットの世界に生きていた。

たしかに入社当初は自動車ビジネスを心から愛し、画期的なアイデアにあふれていたのだが、そのうちに、人よりも優れていることを証明したいという欲求がまさってきて、ついに、楽しむ気持ちを殺し、創造性の息の根を止めてしまうまでになる。

時とともにますますその傾向は強まり、競争相手の挑戦を受けて立とうとはせずに、非難、言い訳、批判者やライバルの抑え付けといった硬直マインドセットの武器を振り回すようになっていった。

それが災いして、本当は人びとの信望を得たくてたまらないのに、逆に、それを失うはめになってしまう。

これは、硬直マインドセットの人がよく陥るワナである。

試験に落ちた学生や、勝負に負けた運動選手は、否応なしに自分のヘマを思い知らされる。

ところが、権力を手にしているCEOは、自分は正しいと思っていたい欲求を、たえず満たしてくれる世界を作り上げてしまうことができる。

どんな警告サインが出ていようとも、自分は完璧だし会社は順調だという耳を喜ばせるニュースだけで自分を取り囲んでしまうことが可能なのだ。

これこそが、前にも述べたCEO病──硬直マインドセットの人が罹りやすい危険な病である。

けれども最近私は、アイアコッカはCEO病から回復したのではないか、と思うことがある。

革新的な糖尿病研究を支援する基金を設立して、みずから多額の寄付を行なっているし、環境にやさしい自動車の開発にも取り組んでいる。

自分の能力を証明しなくてはという縛りから解放されて、自分が心から大切だと思うことに力を注げるようになったのだろう。

アルバート・ダンロップ「私はスーパースターだ」アルバート・ダンロップは倒産寸前の会社を救った。

といっても、本当に救ったと言えるのかどうか。

会社が繁栄を続けるための土台を築いたわけではない。

何千人にもおよぶ人員削減など、リストラを断行したのちに有利な条件で売却したのである。

スコット・ペーパー社の方針転換と売却により、受け取った報酬は1億ドル。

CEOを務めた1年半あまりの間に1億ドルである。

「私が稼いだ金か。

もちろんそうだ。

バスケットボールのマイケル・ジョーダンやロック歌手のブルース・スプリングスティーンと同じく、私はこの業界のスーパースターだ」アイアコッカは口先だけでも、チームワークを重んじ、一般社員のはたらきに敬意を払ったが、アルバート・ダンロップはそれすらしなかった。

「ビジネスの世界に生きるのなら、目的はただひとつ、金儲けをおいて他にない」ダンロップはスコット・ペーパーの社員集会でのエピソードを得意げに述べている。

ある女性が立ち上がって発言した。

「会社の業績が上向いてきたところで慈善寄付を再開したらどうでしょう」。

それに対して、ダンロップはこう答えた。

「あなたが寄付したいのなら、ご自分の金でどんどんやってください。

しかし、わが社は今がここいちばんの勝負どころ……つまり、そんな余裕はないということです」私は、ビジネスは金儲けだけじゃない、などと言うつもりはない。

ダンロップがなぜそこまで金儲けに執着したのかを問いたいのである。

自伝にこう書かれている。

「この業界で伸していかれるかどうかに私の自尊心がかかっていた。

自分の価値を証明したがる子どものようだった……自分の能力を繰り返し証明しないと気がすまないのは今も同じだ」。

自分の能力を証明するにはモノサシが必要である。

社員の満足度、コミュニティに対する責任、慈善事業への貢献などはモノサシになりにくい。

自分の価値を数字で示してはくれないからだ。

けれども、株式運用成績ならばそれができる。

彼はこうも述べている。

「最近の重役会議でよく耳にする〝ステークホルダー〟という言葉ほどばかばかしいものはない」。

ステークホルダーとは、従業員、

地域社会、取引先企業(たとえば供給業者)など利害関係者のことだ。

「多数のステークホルダーの利益から成功を測ることはできない。

成功の程度は株主がどのくらい儲かったで決まる」ダンロップは長丁場の仕事には興味がなかった。

会社のことをじっくりと学び、どのように成長させていくかを考えるなんて、スーパーヒーローには地味すぎて退屈だった。

「どこでもかしこでもうんざりさせられた」。

自伝の中に「アナリストの注目の的」と題する章はあるが、仕事の苦労を述べた章はない。

すべて自分の非凡な能力を証明するために書かれているのだ。

1996年にダンロップはサンビーム社を乗っ取った。

「チェンソー・アル」)と呼ばれる乱暴な経営スタイルで、サンビームの工場の3分の2を閉鎖または売却し、従業員1万2000人の半数を解雇した。

皮肉なことに、サンビームの株価は高騰し、会社を売却しようという彼の目論見は崩れ去る。

買い手がつかなくなったのである!こうなったら会社を経営していくほかない。

となると、収益を上げ続けるか、その見込みを示すかしなければならない。

ところが、ダンロップはスタッフに助言を求めることも、みずから学ぶこともせずに、不正経理で収入を水増しし、疑問を唱える社員の首を切り、困窮の度を深める経営状況を隠蔽した。

結局、自伝でスーパースターを名乗ってから2年も経たないうちに(自画自賛の度をさらに高めた改訂版を出してから1年後に)、ダンロップは失脚して解雇される。

同時に、サンビームは証券取引委員会の取り調べを受け、17億ドルにのぼる粉飾決算の疑いが浮上した。

ダンロップは、マイケル・ジョーダンやブルース・スプリングスティーンのことをまるで理解していなかった。

このスーパースターは2人とも、たえず努力して、困難に立ち向かい、成長を続けたからこそ、頂点をきわめ、その座に長く留まることができたのだ。

ところが、アル・ダンロップは、自分は生まれつき人より優れているのだから学習などしなくてもうまくいくと思いこんでいたのだった。

エンロン──巨大企業の崩壊アイアコッカに続いて1990年代に財界の大物たちが現れたのは歴史の必然のように思われるが、その最たるものがエンロンの経営者、ケネス・レイとジェフリー・スキリングだった。

エンロン創立者で会長兼CEOだったケネス・レイは、自分を偉大な先見者だと思っていた。

『エンロン巨大企業はいかにして崩壊したのか』(未訳、2005年に映画化)の著者、ベサニー・マクリーンとピーター・エルキンドによると、レイは国王が農奴を見るような目で、会社を実際に動かしている社員たちを見下していた。

リチャード・キンダーに対してもそうだった。

エンロン社長のキンダーは、収益目標を達成しようとして会社経営に本気で取り組んでいた。

王侯貴族のようなレイの生活はキンダーあってのものだった。

キンダーは経営トップの中でただひとり、会社のごまかしを問題にし続けた人物でもあった。

「私たちは自分で作ったドラッグに溺れているのでは?自分で作ったウイスキーに酔っているだけでは?」と。

当然、キンダーの時代は長くは続かなかった。

しかし、賢明で判断力に優れた彼は、パイプラインを買い取る手筈を整えた上で会社を去った。

パイプラインは、エンロン創業以来の貴重な資産でありながら、同社がその価値を見くびっていた資産である。

エンロンを出たキンダーが新たにスタートさせた会社の市場価値は、2003年の半ばには70億ドルにもなる。

ケネス・レイは自分のことしか頭にないにもかかわらず、他人への敬意と誠実さを信条とする「善良で情け深い人」と思われることを望んでいた。

エンロンがその犠牲者からうまうまと生活の糧を吸い上げているときでも、経営幹部宛てにこう書いている。

「冷酷非情で傲慢なやり方は当社にふさわしくない……顧客や将来顧客となる人たちと率直かつ誠実に向きあうのが当社のやり方だ」。

アイアコッカなどと同じく、レイにとって重要なのは世間の受け、すなわちウォールストリートの受けであり、実態はどうでもよかった。

そんなケネス・レイに引き抜かれたのがジェフリー・スキリングだった。

スキリングはリチャード・キンダーに替わって社長兼COO(最高業務執行責任者)に選任され、後にCEOに就任する。

頭の良さは抜群で、レイに「こんな頭の切れる人物には会ったことがない」「まるで光り輝くようだ」と言わしめたほどだ。

しかし、スキリングはその明晰な頭脳を、学ぶことにではなく、人を怖じ気づかせるために使った。

相手に自分ほどの頭脳はないと判断すると(たいていの場合そうだったが)、とたんに冷血漢ぶりを発揮した。

加えて、自分に異議を唱える者は、頭が悪くてこちらの考えを理解できないだけなのだと考えた。

経営の苦しい時期に、CEO補佐として、並外れた経営手腕を持つ人物が採用されたが、スキリングは「やつには理解できない」と言って相手にしなかった。

金融アナリストやウォールストリートのトレーダーに、そんなうますぎる話はおかしいと迫られると、「こんなわかりきったことがきみにはわからないのかね」とバカにしたようにあしらった。

そう言われたウォールストリートの人間はたいてい、自分の理解力に不安を感じ、何とかわかったような気になろうとするのだった。

天才を自負しているスキリングは、自分の考えに絶大な信頼をおいており、利益につながりそうなアイデアを思いついたらすぐ、エンロンの利益を公言してかまわないと信じていた。

硬直マインドセットからくる過度の拡大解釈である。

「非凡な才能を持つ私のやることは絶対に正しいし、その私が動かしている会社のやることも絶対に正しい。

私の才能が価値を作りだし、利益を生みだすのだ」。

何ということだろう!実際に、エンロンの経営はそういう考え方で進められるようになった。

マクリーンとエルキンドが述べているように、エンロンは「実際にはまだ一銭も稼いでいなくても、帳簿上の取引で何百万ドルもの利益が出たように見せかけた」当然ながら、粉飾決算をするだけして、だれもその後始末をしなかった。

そんなことをするのは沽券にかかわると、だれもが思っていた。

そんなぐあいだから、まったく利益が出ていないことも珍しくなかった。

また、エンロン社員同士が争って巨額の利益をムダにするようなことも平気で行なわれていた。

エンロンの経営幹部のひとり、アマンダ・マーティンはこう語る。

「仲間の足をすくって利益をものにすることは、偉大なる才覚の証と思われていた」スキリングはアイアコッカと同様に、自分はだれよりも頭がいいだけでなく、だれよりも運がいいと思っていた。

内情に通じた人によると、スキリングは状況がどんなに不利になっても自分は絶対に損しないと信じていた。

損するわけがない。

何も間違っていないのだから。

スキリングはいまだに不正をいっさい認めていない。

世間がバカで理解できなかっただけ、なのだ。

スティーブ・ケース──天才2人の衝突AOLとタイムワーナーを破滅へと導いたのも、生まれつきの天才たちだった。

AOLのスティーブ・ケースとタイムワーナーのジェリー・レビンはともに硬直マインドセットのCEO。

この2人のもとで両社が合併するとどのようなことになるかわかるだろうか。

ケースとレビンには多くの共通点があった。

2人とも財界きっての知性の持ち主であり、鋭利な才気で人を威圧し、他人の功績まで自分の手柄にしようとした。

2人とも不満や批判には耳を閉ざし、「チームワークを乱す」人、つまり理想の企業という体面づくりに協力しない人をすぐにクビにした。

合併時にAOLは多大な負債を抱えていたため、合併してできた新会社は倒産寸前にまで追いやられた。

普通ならば、2人のCEOが協力して人員の整理にあたり、新会社の救済に努めるところだが、レビンとケースは、自分が新会社を牛耳ろうと権力争いに走ったのだった。

まず最初にレビンが手を引いた。

しかし、ケースには依然として事態の改善に取り組む気がなかった。

実際、新たなCEO、リチャード・パーソンズが経営陣の入れ替えをはかったとき、それに強硬に反対したのもケースだった。

他のだれかが入ってきてAOLの経営立て直しに成功したら、再建の功績はそいつのものになってしまう。

アイアコッカと同じく、他のプリンスに王冠をかぶせるくらいなら会社が潰れてくれた方がましだとすら思っていた。

いよいよ辞職を迫られたとき、ケースは怒り狂った。

アイアコッカと同じく、合併後の業績不振に対する責任をいっさい否定し、自分を辞任に追い込んだ人びとへの報復を誓ったのだった。

天才2人のせいで、AOLタイムワーナーは2002年、1000億ドル近い損失を計上してついに幕切れを迎えた。

企業の1年間の損失額としては、アメリ

カ史上最高額だった。

自分が可愛い「わたし」中心の人びとアイアコッカ、ダンロップ、レイとスキリング、ケースとレビン。

こうした人びとの例を見ると、硬直マインドセットの人物が企業の経営責任を担った場合にどんなことが起こるかがわかる。

いずれの場合も、才気煥発の指導者が、自分可愛さのあまり、会社を危機に追い込む結果となった。

とはいえ、通常の意味での悪事をはたらいたわけではない。

就任当初はそんな意図はなかったにもかかわらず、重要な決断を迫られ、会社の長期的な繁栄よりも、自分のプライドや世間体を守ることの方を選んでしまったのである。

失敗を人のせいにする、自分のあやまちを隠す、株価の吊り上げを図る、競争相手や批判者を徹底的に叩く、一般従業員をバカにする──これらが常套手段だった。

興味深いのは、こうした指導者たちがみな、会社を破綻に導いておきながら、自分だけは無傷で生き残れると思っていた点である。

競争の激烈な業界でライバル企業の猛襲を受けているにもかかわらず、本人はそれとはかけ離れた別の世界に生きていた。

それは、自分だけが偉大である「わたし」中心の世界だった。

自分には特別な権利があると信じるケネス・レイは、エンロン社から年間何百万ドルにもおよぶ報酬を受け取っていながら、会社から多額の融資を受けて私用に使い、親類縁者に仕事や契約を与え、家族旅行に会社のジェット機を使用した。

アイアコッカは、クライスラーが厳しい経営を余儀なくされているときでも、上層部のために贅を尽くしたクリスマスパーティーを催し、王である自分に高額の品を贈った。

請求書は後日、重役たちのもとに送りつけられるのが常だった。

AOLの経営幹部について、元役員のひとりは「何をしても許されると思っている人たち」だったと語っている。

このような指導者たちは、権力を象徴するもので身を飾り、問題点には触れずに美点ばかりほめそやす取巻きに囲まれていた。

自分を天下無敵のように錯覚するのも当然と言える。

硬直マインドセットが作り上げた魔法の国に君臨する優秀で完璧な王はつねに正しい。

その世界に留まっているかぎり不安も不満もない。

わざわざそこを抜け出して、欠点と失敗ばかりの苦しい現実に飛びこむ気になどなるわけがない。

モーガン・マッコールは、著書『ハイ・フライヤー次世代リーダーの育成法』(プレジデント社)の中でこう指摘している。

「不幸なことに、人間には成長のさまたげになることを好む傾向がある。

すでに備わっている強みで、今すぐに劇的な成果を上げたがるのだ。

しかしそれでは、後に必要となる新たなスキルを伸ばせずに終わってしまう……人間は、ほめらえるとその言葉どおりに受け取るが、欠点を指摘されてもなかなか真剣に受け止めようとしない。

悪い知らせや批判には耳をふさごうとする……けれども、新しいことに挑戦する努力を放棄したとたん、とてつもない危険に身をさらすことになる」。

マインドセットが硬直していると、それだけ危険が増すことになりそうである。

残酷な上司マッコールはさらにこう述べている。

自分は生まれつき人より優れていると思っているリーダーは、ともすると、自分より劣る人びとの欲求や感情を無視してかかるようになる、と。

私たちが調べた硬直マインドセットのリーダーの中に、一般従業員を大事にした者はひとりもおらず、だいたいが会社組織の中で自分より下位の者をあからさまに蔑んだ。

するとどうなるだろうか。

そのような上司は、「いつも目を光らせておく」という建前のもとに、部下を残酷に扱うかもしれない。

アイアコッカは、経営幹部の力の均衡を崩そうとしてむごい手口を使った。

タイムワーナーのジェリー・レビンは、残忍なローマ皇帝、カリギュラにたとえられていた。

エンロンのスキリングは、自分よりも知力の劣る者を冷たくあざけったという。

会社組織におけるリーダーシップの専門家、ハーヴィー・ホーンスタインは、著書『問題上司「困った上司」の解決法』(ダイヤモンド社)の中で、このような虐待は「部下をけなすことで相対的に自分の権力、能力、価値を大きく感じたい」という上司の欲求のあらわれだと述べている。

私たちの研究でもやはり、硬直マインドセットの人は、自分より劣っている人と比較して優越感を得ようとする傾向があった。

両者は基本的には同じだが、ひとつ大きな違いがある。

こうした上司は部下を傷つけてますますダメにしてしまうのだ。

すると、それだけ自分が有能に感じられてくる。

ホーンスタインは、サンビーム・オスター社の元CEO、ポール・カザリアンについて、こんなふうに述べている。

カザリアンは自分を、部下への要求が厳しい「完全主義者」だと評していたが、それは「虐待者」の別名にすぎなかった。

部下のしたことが気に入らないとすぐに物を投げつけた。

カザリアンの機嫌を損ねた会計検査官にはオレンジジュースの缶が飛んできたこともあった。

能力の劣る部下をいじめるのは、上司がそれによって優越感を得られるからだが、もっとも有能な部下がいじめの対象になることも少なくない。

硬直マインドセットの上司にとって、自分の地位を脅かす存在だからである。

ある大手航空機メーカーに勤務するエンジニアは、ホーンスタインのインタビューを受け、自分の上司についてこう語った。

「彼の標的にされていたのは、特に有能な部下たちでした。

もし課全体の業績を伸ばすことを真剣に考えていれば、良い仕事をしている部下をいじめるなんてことはしないはずです」。

けれども、自分の力量ばかり気にしている上司は、そういうことが平気でできてしまうのである。

上司が屈辱的な仕打ちに出るようになると、職場の空気が変わってくる。

従業員が上司の顔色ばかりうかがうようになるのである。

コリンズは『ビジョナリーカンパニー2飛躍の法則』の中でこう述べている。

比較対象企業(良好から偉大へと飛躍できなかった企業、または、飛躍を遂げながら、それを短期間しか持続できなかった企業)の多くでは、従業員が何よりもまず経営者の顔色を気にしていた。

「社外の現実ではなく、経営者の顔色を第一に心配するような状況を経営者自身が許していると、会社は凡庸になり、もっと悪い方向にすら進みかねない」。

1960年代から1970年代にかけて、チェース・マンハッタン銀行は、支配魔ともいえるデーヴィッド・ロックフェラーの指揮下にあった。

コリンズとポラスの著書『ビジョナリー・カンパニー時代を超える生存の原則』(日経BP社)によると、管理職は日々、何か言われるのではと戦々恐々としながら過ごし、終業時刻になると「ああ、今日も1日、無事に過ぎてくれた」と、ほっと胸をなでおろした。

こうした社風は1980年代後半になっても残っており、経営上層部は新しいアイデアを試すことをきらった。

「デーヴィッドのお気に召さなかったらまずい」というのがその理由だ。

コリンズとポラスによると、バローズ社のレイ・マクドナルド社長もやはり、失敗を犯した管理職を人前でட責し、新しいことに挑もうとする部下の動きを抑えてしまった。

その結果、コンピューター産業の初期にはIBMよりも進んでいたにもかかわらず、やがて先を越されてしまう。

同じことが、コンピューター産業の黎明期にやはり業界をリードしていたテキサスインスツルメンツ社でも起こった。

CEOを引き継いだマーク・シェパードとフレッド・ビューシは、会議で部下の説明に気に入らない点があると、どなり声をあげ、机を叩き、話し手をなじって、ものを投げつけた。

企業家精神が失われていったのもうなずける。

上司が部下をきびしく管理し虐待するようになると、従業員全員が硬直したマインドセットに凝り固まってしまう。

新しいことを学んで、成長し、会社を押し上げていこうとはせず、ひたすら評価を恐れるようになるのである。

上司自身が評価を下されることに不安を抱いていると、やがて、職場の全員が評価を恐れるようになる。

硬直マインドセットがはびこった社内では、勇気や改革の気風はなかなか育たない。

しなやかマインドセットの有名経営者アンドリュー・カーネギーはかつてこう語った。

「私の墓碑銘にはこう記してほしい──自分よりも賢い部下を使う術を知っていた賢者、ここに眠る」さあ、窓を開け放して、新鮮な空気を入れよう。

硬直マインドセットの世界にいると息がつまってくる。

硬直マインドセットの指導者は、たとえ地球を股に掛

けて各国の大物と渡り合っていたとしても、ごく狭い限られた世界から抜け出せない。

マインドセットが常に「自分の優秀さを確かめたい、示したい!」という1点で釘付けにされているからだ。

しなやかマインドセットの指導者の世界に移るとすべてが一変する。

世界が明るさと拡がりを増し、エネルギーと可能性に満ちてくるのだ。

へぇ、面白そう!と思うだろう。

私はそれまで会社経営のことなど考えたこともなかったが、こうした指導者たちの経営方法を学んでみると、世の中にこれほど興味深いことはないのではという気がしてきた。

硬直マインドセットの経営者と比較するために、私は次の3人の経営者を選んだ。

GEのジャック・ウェルチ(根っから控えめなしなやかマインドセットの人ではないが、我を抑えることのできる図抜けた人物)、ルイス・ガースナー(崩壊の瀬戸際に立たされているIBMにやってきて、この企業を救済した男性)、アン・マルケイヒー(瀕死のゼロックス社を生き返らせた女性)。

同じ経営再建のエキスパートでも、アルフレッド・ダンロップとどのように違うかがわかると思う。

ジャック・ウェルチ、ルイス・ガースナー、アン・マルケイヒーは、会社そのものを変容させたという点でも興味をそそられる。

3人は、硬直マインドセットを根絶し、しなやかなチームワークの文化を植え付けることによって、それを成し遂げたのである。

ルイス・ガースナーがやって来てからのIBMを見ると、エンロンですら、しなやかマインドセットの世界に移ればこうなったのではないかと思われてくる。

しなやかマインドセットの経営者は、人間の、自分の、そして他者の、潜在能力と成長の可能性を信じるところから出発する。

そして、自分の偉大さを証明する舞台として会社を利用するのではなく、自分と従業員そして会社全体が成長していく原動力としてそれを活かす。

ウォーレン・ベニスはこう述べている。

状況に乗り、状況に振り回されるばかりで、どこへも向かうことができないボスが多すぎる。

そのような人はボスにはなれても、リーダーにはなれない。

リーダーとは、組織への忠誠を云々する人ではなく、目的地への旅──人々が力を合わせて学びながら進む、よろこびに満ちた旅──について語れる人である、と。

ジャック・ウェルチ「傾聴、信頼、育成」1980年にジャック・ウェルチがGEを引き継いだとき、GEの資産価値は140億ドルだった。

それから20年後、GEはウォールストリートで4900億ドルと評価された。

世界最高の資産価値を持つ企業となったのである。

『フォーチュン』はウェルチのことを次のように評した。

「当代のだれよりも大勢の人から賞賛され、研究され、手本にされたCEO……その経済的影響力を算定することは不可能に等しいが、おそらくGEの実績の何倍にも上る驚異的な数字にちがいない」しかし、それ以上に私が感銘を受けたのは、『ニューヨーク・タイムズ』の特集記事に載っていたイントゥイット社のCEO、スティーヴ・ベネットの言葉である。

「私はGE時代にジャック・ウェルチから従業員を育てるということを学んだ。

……現場で起きていることを知るために、彼はよく最前線で働く工員のもとに出かけていった。

1990年代の初め、ルイヴィルの冷蔵庫工場でときどき彼の姿を見かけた……組立てラインの工員に声をかけては、その話に耳を傾けていた。

私はCEOとなった今でも、現場の工員たちとよくしゃべる。

それはジャックから学んだことなのである」この記事は多くのことを物語っている。

ジャックが多忙な重要人物だったことは言うまでもない。

けれども、アイアコッカのように贅沢な本社ビルで給仕たちにかしずかれたまま、などということはなかった。

ジャックは方々の工場を訪問しては、従業員たちの話に耳を傾けた。

従業員に敬意を払い、従業員に学び、そうすることによって従業員を育成していったのである。

また、チームワークを重視し、王者ぶることもなかった。

ウェルチの自伝の「献辞」や「著者注記」にも、そうした態度の違いが表れている。

自分を英雄視することは容易にできたはずなのに、アイアコッカのように「私はヒーローだ」とも、アルフレッド・ダンロップのように「私はスーパースターだ」とも言っていない。

それにはこう記されている。

「私は1人称を使いたくない。

私がこれまでの人生でなし遂げてきたことのほとんどは、まわりの人たちとの共同作業だからである……本書の中に『わたし』という言葉が出てきたら、それはみな、そうした同僚や友人や、私自身気づいていない人たちのことだと思ってほしい」また、こうも記されている、「そうした人たちのおかげで、私はいつも心から楽しみ、大いに学びながら旅を続けることができ、往々にして、実力以上の評価を得ることもあった」すでに見てきたように、自分の力量の誇示に余念がないCEOのもとで「わたし」中心だった職場も、指導者の考え方がしなやかになると「わたしたち」主体の職場に変わっていく。

ウェルチは、GEという企業から硬直マインドセットを根絶する前に、自分自身のそれを根絶する必要があった。

それはウェルチにとって本当に長い道のりだった。

彼は最初からあのような優れた指導者だったわけではない。

1971年にウェルチがあるポストの候補にあがったとき、GEの人事部長から警告メモが出された。

ウェルチには長所もたくさんあるが、そのポストにつけるには「通常以上のリスクが伴う」。

傲慢で、批判をすなおに受け止めることができない。

自分の才能に頼りすぎて、入念な下準備をせず、スタッフの助言も受けつけない──そんなことまで書かれていた。

さいわいなことに、成功に舞い上がっているときには必ず、目を覚ましてくれるような出来事が起きてくれた。

ある日、若き「ウェルチ先生」が高級スーツに身を包み、買ったばかりのコンバーティブルに乗り込んだときのこと。

頭上の幌を下げようとしてレバーを動かすと、突然、幌を収納する機構の油圧ホースからどす黒いオイルが噴き出して、スーツを汚し、美しい新車のフロント部分の塗装を台無しにしてしまった。

「分不相応な生活をしていたことを思い知らされる出来事だった。

平手打ちを食らって現実に引き戻された。

貴重な教訓だった」自伝の「慢心」と題された章には、ウェルチが企業買収に乗りだし、自分は間違いを犯すわけがないと自惚れていた頃のことが記されている。

エンロン型の文化を持つウォールストリートの投資銀行、キダー・ピーボディを買収した彼は、GEに何億ドルもの損失を出す大失策を演じてしまう。

「キダーの経験はけっして忘れない」と彼はいう。

「自信と慢心は紙一重。

このときは慢心がまさり、私に終生忘れえない教訓を与えてくれた」ウェルチは本物の自信とはどういうものかを学んでいった。

「何ごとにもオープンな姿勢を保っていられること、変化を積極的に受け入れ、新しいアイデアを、その出所に関係なく取り入れられる勇気」こそが真の自信なのだ。

地位や肩書、高価なスーツや高級車、企業買収の成功などとは関係ない。

本当の自信はマインドセット──成長しようとする気構え──にこそ表れるものである。

そう、謙虚さこそ出発点となる。

では、経営手腕はどのようにして身につけたのだろうか。

ウェルチは自分の体験から、目指すべき経営者のあり方を学んでいった。

部下に評価を下すのではなく、部下を育て、導いていくしなやかマインドセットの経営者こそが目指すべきあり方だった。

まだGEの若手エンジニアだったとき、彼は工場の屋根が吹き飛ぶほどの凄まじい化学爆発を起こしてしまった。

すっかり動転した現場責任者の彼は、どんな処罰をも受ける覚悟で上司に事故原因を説明しようと、160キロの道を飛ばして本社に駆けつけた。

そこで彼が上司から受けたのは、じつに理解ある協力的な対応だった。

ウェルチはそのときのことをけっして忘れない。

「チャーリーの対応に私は深い感銘を受けた。

……部下が過ちを犯して落ちこんでいるとき、上司が果たすべき役割は、部下に自信を取り戻させることなのだ」出身校ではなく、マインドセットで採用を決めるという優秀な人材の集め方も失敗体験から習得していった。

初めのうちは立派な学歴に弱く、MITやプリンストン大学やカリフォルニア工科大学の卒業生ばかりを入れようとした。

ところがそのうちに、学歴はあまり重要ではないことに気づく。

「結局、私が求めているのは、情熱にあふれ、何かをやり遂げようとする意欲に燃えている人材であることがわかってきた。

履歴書を見ても、心の中の熱さは伝わってこない」やがて、CEOに就任するチャンスが到来する。

3名の候補者はそれぞれ、自分こそが最適任であることを現職CEOに示さなくてはならない。

ウェルチは、自分が将来性豊かな人材である点を強調した。

卓抜した才能や類まれな経営手腕を売り込むのではなく、これから経営者として大きく成長していくことを約束したのである。

結局、CEOの座に就いたウェルチは、その約束をしっかりと果たしていく。

会長兼CEOに就任するや、社内の率直な意見を把握するために、ウェルチは本音で話しあえる環境づくりに乗りだした。

経営幹部を集めて、GEという企業の好きな点、嫌いな点、変革が必要と思われる点を尋ねたのである。

そのような質問を受けた経営幹部たちはびっくり仰天した。

それまでずっと、ボスのご機嫌をうかがうことに慣れっこで、そんなことを考える気にもなれずにいたのだ。

さらにウェルチは、「GEは自惚れを脱して成長を続ける企業である」ことを社員たちに広く知らせた。

彼はまた、エリート主義を一掃しようとした。

エリート意識ほどしなやかマインドセットと相容れないものはないからだ。

ある晩、GE内での人脈づくりの場ともなっている経営上層部のクラブに招かれて講演したときのこと。

ウェルチは耳当たりの良いことは何ひとつ言わず、逆に、集ったメンバーに一撃を食らわせた。

「私はみなさんのなさっていることに何の価値も見出せません」そして、社員と会社のためにもっと有意義な役割を果たすにはどうすればよいか考えてみるように求めたのだった。

それから1か月後、クラブの会長が新しいアイデアを携えてウェルチのもとを訪れた。

このクラブを地域社会に奉仕するボランティア組織に変えようという構想だった。

それから20年後、GE社員全員に開かれたこの組織は、4万2000人もの会員を擁するまでになる。

その活動も、スラム街の学校で勉強を教えたり、必要な地域に公園や運動場や図書館を作ったりと、自分の我と欲を追求するのではなく、他人の成長に貢献するものに変わっていった。

部下に無理やり結果を出させようとする横暴な上司を、ウェルチは辞めさせた。

アイアコッカはそうしたやり方を黙認し、高く評価することさえあった。

結局自分の利益になるからである。

ウェルチ自身も、過去を振り返って身に覚えのないことではなかったが、未来に向かって歩みだすGEにはあってはならぬことだった。

500人の管理職を前にして「前年に好成績を上げたにもかかわらず辞めてもらった4人の経営幹部について、その理由を説明した。

……当社の価値観にそぐわない行動が見られたからであると」。

このようにして、部下を脅すのではなく、教え導くことで業績を高めようとする方針を定着させていった。

加えてウェルチは、個人の才能にではなく、チームワークに対して報酬を与えるしくみを作った。

GEでは創業以来、エンロンと同様に、優れたアイデアの発案者個人に報奨を与えてきた。

しかし、ウェルチは、アイデアを実現させたチーム全体に報奨を与えようと考えたのだ。

「その結果、リーダーが功績を独り占めするのではなく、チーム全員で共有することを求められ、社員同士の人間関係に大きな変化が起きた」ジャック・ウェルチはけっして完璧な人間ではなかったが、成長しようとして一心に努力した。

そのひたむきさゆえに、彼はエゴを抑えて、現実を見据え、人間的な温かみを失わずにいられたのである。

それが結局、彼の旅を実り豊かで、しかも大勢の人びとに達成感をもたらすものにしたのだった。

ルー・ガースナー「硬直マインドセットの根絶」1980年代のIBMは、エンロンと同じような状況にあった。

ひとつだけ違う点は、このままではまずいことを取締役会の面々がよく理解していたことだ。

IBMには昔から独善的なエリート主義の社風があった。

社内にチームワークなどなく、いつも縄張り争いに終始していた。

いったん商品を売り込んだらそのまんま、顧客サービスへの配慮など無いに等しかった。

けれども、業績の悪化に直面しなければ、だれも何とかしなければとは思わなかっただろう。

1993年、ルー・ガースナーのもとに、次のCEOを引き受けてほしいという依頼がきた。

辞退した。

が、再び頼まれる。

「アメリカのためにやってほしい。

クリントン大統領に電話して、引き受けてくれるように説得してもらおうと思っている。

どうかお願いしたい。

今わが社に必要なのは、あなたがアメリカン・エキスプレスやRJRナビスコでやったような、戦略と企業文化の変革なのだから」結局、ガースナーは依頼攻勢に負けて承諾するが、なぜ引き受けたのかは本人にも定かでない。

ともかく、こうしてIBMは、社員の成長とそれを育む企業文化の創成を信じる指導者を得たのだった。

ガースナーはどうやってIBMにそのような社風を創っていったのだろう。

まず、ウェルチがしたのと同様に、社内の上下のコミュニケーション経路を開いた。

就任6日目に、IBMの社員全員に次のようなメールを送っている。

「これから数か月かけて、私はできるだけ多くの事業所やオフィスを訪問するつもりです。

そして、可能なかぎり大勢の社員のみなさんと会って、会社を強くする方法をともに語りあいたいと思っています」著書の献辞には次のように記されている。

「会社を、同僚を、そして自分自身をけっして見放さなかった大勢のIBM社員に本書を捧げる。

この人たちこそが、IBM再生の真の立役者である」と。

ウェルチと同じく、ガースナーもエリート主義を攻撃した。

エンロンと同様に、IBMの企業文化では社内での地位こそが重要な意味を持っていた。

ガースナーは、IBMの経営の根幹を握っていた経営委員会を廃止して、上層部以外の社員から広く意見を聴くようにした。

しなやかマインドセットの立場に立つならば、少数の選ばれた人たちだけに意見を求めるのはおかしい。

「会社組織のどの位置にいる人かということは、私にとってはどうでもいいこと。

地位や肩書とは関係なく、問題解決の力になれる人たちに集まってもらってともに話しあおう」その次の課題は、社員が一丸となって行動する姿勢を作ることだった。

ガースナーは社内政治に明け暮れている社員をクビにし、同僚の力になろうとする社員に報酬を与えた。

IBMの各営業部門が互いにけなしあって、顧客からの仕事を奪い合うことをやめさせた。

また、経営幹部に対する賞与の額は、担当部門の業績にではなく、IBM全体の業績に基づいて決定するようにした。

少数の社員だけに報いるつもりはなく、全員が一丸となって協力しあうように、というメッセージだった。

エンロンの場合と同様に、うまい話には飛びつくものの、取引が成立するとその後のことはなおざりにされていた。

計画実行の失敗が繰り返され、会社がそれを際限なく許していることに愕然としたガースナーは、決定事項は必ず遂行するように要求した。

天才的な思いつきだけではダメで、それを成し遂げてこそ意味がある、というメッセージだった。

最終的に、ガースナーが力を入れたのは顧客サービスの向上だった。

当時、顧客たちはIBMに欺かれたように感じて怒りを募らせていた。

IBMが独善と自己満足に陥り、顧客のニーズに応えようとしなかったからである。

顧客たちはIBMの価格設定に不満を抱き、その官僚体質に憤り、システムの統合にまるで非協力的であることに苛立っていた。

ガースナーは、この米国最大手の企業の情報担当部長175名を前に、顧客サービスを最優先課題とすることを宣言し、その裏づけとして、メインフレームの価格を大幅に下げることを発表した。

殿様商売にあぐらをかくのではなく、顧客の満足を第1に考える企業である、というメッセージだった。

就任以来、努力に努力を重ねて3か月、ガースナーはウォールストリートのアナリストから厳しい評価を受ける。

「IBMの株価が一向に上昇しないのは、ガースナーが無為無策だからである」ガースナーは、どんなに叩かれても不撓不屈の精神で傲慢経営の改善に取り組み、ついにIBMを「瀕死状態」から蘇らせた。

それはいわば短距離走だった。

ここまでならダンロップにもできたろう。

しかし、その先にはもっと難しいIBMが業界の主導的地位を取り戻すまで、その方針を堅持していくという課題が待ち受けていた。

それはマラソンレースだった。

2002年3月、ガースナーがCEOを退いてIBMを社員たちに返したとき、株価は当初の800パーセントにまで上昇し、IBMは「情報技術サービス、ハードウェア、パソコン向けを除く企業向けソフトウェア、高性能カスタム半導体の分野で世界一」になっていた。

とうとう、業界の動向を左右するトップ企業に返り咲いたのである。

アン・マルケイヒー「情熱、気骨、猛勉強」このIBMに、総額170億ドルの負債を抱え込ませ、信用格付けをがくんと引き下げ、証券取引委員会の調査対象にし、さらに、株価を1株63・69ドルから4・43ドルに下落させたらどうなるか。

2000年にアン・マルケイヒーが引き継いだゼロックス社はそんな状態だった。

事業の多角化に失敗しただけでなく、主力の複写機までもが販売不振に陥っ

ていた。

しかしその3年後、ゼロックスは四半期連続で黒字を達成。

2004年、『フォーチュン』はマルケイヒーの改革を「ガースナーのIBM以来の再建劇」であると評価した。

彼女はどうやってそんなことを成し遂げたのだろう。

ゼロックスの命運を握るCEOにまでマルケイヒーを成長させたのは、信じがたいほどの猛勉強だった。

彼女はアーシュラ・バーンズなどの幹部とともに、企業経営の核心部分をもらさず徹底的に学んだ。

たとえば、『フォーチュン』の記者、ベッツィ・モリスが述べているように、マルケイヒーは自分の下した決断の影響が貸借対照表の数字にどのように現れるかを予測できるように、負債、棚卸資産、税、通貨などについて学んでいった。

週末のたびに大きなバインダーを家に持ち帰り、月曜日に最終試験でもあるかのように夢中で勉強した。

マルケイヒーがゼロックスの経営を引き継いだときに、その資産額、売上高、管理担当者など、単純なことを尋ねても答えられる者はいなかった。

彼女はそうした財務指標や責任の所在を把握しているCEOになったのである。

マルケイヒーは確固たる態度で会社再建を進めていった。

ゼロックスの経営は破綻しかけており、会社は倒産の危機にあるという、直視しがたい厳しい現実を1人ひとりに告げ知らせ、従業員の3割削減を断行した。

といっても、チェンソー・アルとは違っていた。

みずから下した決断の苦痛に耐えながら、各部署を回って従業員たちと語りあい、「もうしわけない」と詫びた。

冷徹な態度を貫いてはいても、心の中はいつも熱かった。

もし会社が潰れたら、残された従業員や退職者はどうなるだろうと考えて、真夜中まで眠れずに過ごすこともよくあった。

従業員の働く意欲や成長を大切にしたマルケイヒーは、賃金はカットしても、ゼロックスの企業文化のユニークで素晴らしい面は絶やさないように心を配った。

ゼロックスは、退職パーティーや退職者の集いを行なう企業として、業界内でも有名だった。

また、マルケイヒーは経営再建に向けて苦しんでいるときでも、士気向上のために昇給は廃止せず、誕生日休暇の制度もそのまま続けた。

物心両面から会社を救おうと考えたのである。

その努力は、自分自身やエゴのためではなく、会社を救おうとして限界まで頑張っている従業員全員のためだった。

こうして2年間、奴隷のごとく働き続けたが、『タイム』を開くマルケイヒーの目に入ってくるのは、タイコ社やワールドコム社のCEO─不正会計によりアメリカ史上最悪の経営破綻を招いた人物─と一緒くたに扱われている自分の姿だった。

けれども、それから1年して、ようやく努力が報われたことを知る。

取締役会のメンバーのひとり、プロクター&ギャンブル社の元CEOからこう言われたのだ。

「ゼロックスの取締役に名を連ねることをまた誇らしく思うようになるなんて、想像もしていなかった。

私は間違っていたよ」マルケイヒーは短距離走に勝ちつつあった。

次に待っているのはマラソンレース。

ゼロックスはそこでも勝利を得ることができるだろうか。

ゼロックスはあまりにも長いこと現在の栄誉に安住し、変化を拒んできたがために、飛躍の好機を逸してしまったのだろう。

自分を変え、会社を変えようとするマルケイヒーのしなやかなマインドセットが、またひとつアメリカ企業を救う力になるかもしれない。

ウェルチ、ガースナー、マルケイヒー──。

3人とも成長を信じていた。

3人ともあふれんばかりの情熱で仕事に取り組んだ。

3人とも、指導者に求められるのは、頭の良さではなく、成長と情熱だと信じていた。

硬直マインドセットの指導者は、結局、従業員にむごい仕打ちを行なったが、しなやかマインドセットの指導者はどんなときも感謝の気持ちで従業員に接した。

驚異の旅を可能にしてくれた従業員を、感謝の念を持って見上げるこうした人びとこそが、みんなから真の英雄と呼ばれる経営者なのである。

ちなみにCEOは男性に限られるのか。

CEO自身が書いた本や、CEOについて書かれた本を読むと、そう思うのではないだろうか。

ジム・コリンズの著書に登場する、企業を良好から偉大へと飛躍させた指導者たちは(そして、比較対象企業の偉大とはいえない指導者たちも)全員が男性だった。

それはおそらく、これまでずっと企業のトップは男性に限られていたからだろう。

数年前までは、女性が大企業のトップの座に就くなど考えられないことだった。

実際、大企業の女性経営者の多くは、メアリー・ケイ・アッシュ(化粧品会社の創設者)、マーサ・スチュワート、オプラ・ウィンフリーのように、自ら起業したか、キャサリン・グレアム(元ワシントンポスト社主)のように、相続によって引き継いだかのいずれかだった。

けれども、変化のきざしが見えてきた。

ビッグビジネスで主要なポストに就く女性が増えてきている。

2、3年もしたら、ほとんど女性だけでこの章が書き上がってしまうのではないだろうか。

いや、そうではない気もする。

2、3年後には、男性女性を問わず、主要企業のトップから、硬直マインドセットの指導者がいなくなっているのではないかとは思う。

集団浅慮VSみんなが考える本章の前半でロバート・ウッドらの研究を紹介したが、彼らが行なったもうひとつの研究も興味深い。

この研究では、3人1組のマネジメントグループを全部で30組ほど作った。

そのうちの半分は、3人全員が硬直マインドセットのグループ、残りの半分は、3人全員がしなやかマインドセットのグループだった。

硬直マインドセットの人が「マネジメント能力は一定で、あまり伸ばすことはできない」と信じているのに対し、しなやかマインドセットの人は「マネジメント能力はいつでもかなり伸ばすことができる」と信じている。

したがって、前者が「マネジメント能力が有る人は有るし、無い人は無い」と考えるのに対し、後者は「経験を活かせばマネジメント能力を伸ばすことができる」と考える。

グループを作ってから数週間経ったところで、前回と同じ、家具メーカーの経営をシミュレーションするという複雑な課題を与えた。

従業員をうまく配置してモチベーションを高め、生産性が最大になるようにもっていく点は前回と同様である。

しかし今回は、ひとりで課題に取り組むのではなく、さまざまな選択肢やフィードバックの結果をグループで協議しながら意思決定を下していく。

スタート時点では、硬直グループとしなやかグループとでマネジメント能力に差はなかったが、時間が経つにつれて、硬直グループよりもしなやかグループの方が明らかに成績が良くなり、グループ活動が長くなればなるほど、ますますその差が開いていった。

今回もやはり、しなやかマインドセットの人の方が硬直マインドセットの人よりも、失敗やフィードバックからはるかに多くのことを学んでいた。

しかし、それ以上に興味を引いたのは、グループとしてのはたらきだった。

どのような決定を下すかを話しあうとき、しなやかグループのメンバーの方がはるかに率直に自分の意見を述べ、ためらうことなく反対意見を表明した。

グループの全員に人の意見から学ぼうという姿勢が見られた。

それに対して、硬直グループでは、自分と相手とではどちらが頭が良いかを気にしたり、アイデアを出しても叩かれるのではないかと恐れたりして、そのような率直で、実りある議論は生まれなかった。

集団浅慮にも似た状態に陥っていた。

「集団浅慮」という言葉は1970年代の初めに、アーヴィング・ジャニスが広めた。

集団浅慮とは、集団の全員が同じ考え方をするようになって、異論を唱える者や批判的な立場を取る者がいなくなり、その結果として、集団が非常に危険な意思決定を下してしまう現象をいう。

ウッドの研究からわかるように、それは硬直マインドセットのせいである場合が少なくない。

人びとが天才的な指導者を盲目的に信じるようになると、集団浅慮に陥る可能性がでてくる。

米国のピッグズ湾侵略(キューバを侵略し、カストロ政権を倒そうとして失敗に終わった秘密計画)は、集団浅慮が招いたものと言える。

明敏な頭脳を持つケネディ大統領の顧問たちが、このときに限って思考停止に陥ってしまったのだ。

なぜだろう。

あのケネディがやることならうまくいかないはずがないと、全員が信じこんだからである。

内情にくわしいアーサー・シュレジンジャーによると、ケネディの側近たちは、彼の能力と運の良さに絶大な信頼を寄せていた。

「1956年以来、すべてが彼にとって良い方向に進んできていた。

大統領候補指名を勝ち取り、さらに大方の予想を裏切って当選。

側近たちはみな、ケネディにはミダス王のごとく、手に触れる物をことごとく黄金に変える能力があり、負けることなどありえないと思うようになっていた」シュレジンジャーはこうも述べている。

「上級顧問のだれかひとりでも反対していたら、ケネディは思いとどまったにちがいない。

けれども、だれひとり異を唱えなかったのである」。

このような事態を防ぐために、ウィンストン・チャーチルは通常の指揮命令系統から独立した特別部署を設置した。

ジム・コリンズによると、この部署の任務は、首相のカリスマ的な性格を恐れることなく、悪いニュースをそのままフィルターを通さずに首相に伝えることだった。

そのおかげ

で、チャーチルは安眠を得ることができた。

集団浅慮による偽りの安心感に浸っているわけではないと確信できたからである。

集団浅慮に陥るおそれがあるのは、集団のメンバーが自らの才能と優越に慢心しているときだ。

エンロンの経営幹部は、人よりも優れている自分たちの考えはすべて優れている、だから間違うわけがない、と信じていた。

ある社外コンサルタントが折に触れてエンロン社員に「御社の弱点はどこだと思いますか」と尋ねたが、だれひとりその質問に答えられなかった。

質問の意味すら理解できなかったのだ。

「私たちは完璧だと信じて疑わなくなっていた」とある経営幹部は語る。

ゼネラルモーターズの元CEO、アルフレッド・P.・スローンのやり方は、これと好対照をなしている。

経営方針を決める幹部会議の見解が全会一致になると見たスローンは、こう提案した。

「全員がこの決定に全面的に賛成のようですね……この件は、次回のミーティングまで持ち越しましょう。

時間をおいて反対意見が出てくるのを待つと、この決定がどういうことなのかがもう少しわかってくると思います」紀元前5世紀の史家、ヘロドトスによると、古代ペルシャでは集団浅慮に陥るのを防ぐために、スローンと似たやり方がとられていた。

全員がしらふのときに下した決定を、酒に酔っているときにもう一度検討し直したのだ。

リーダーのマインドセットが硬直していて異を唱える者につらく当たる場合にも、集団浅慮に陥るおそれがある。

内心は批判的な考えを持っていても、だれも口に出して言わなくなるからである。

アイアコッカは、自分の構想や決定に批判的な者の口を封じようとした(クビにすることもあった)。

部下が提案したコンパクトな小型車は、まるで転がるイモじゃないか、という彼のひとことで却下された。

クライスラーのごつい大型車がどんどん市場シェアを減らしているのに、反対意見を出すことなどだれも許されなかったのである。

デービッド・パッカードは、それとはまるで正反対で、自分に公然と逆らった社員にメダルを贈った。

ヒューレット・パッカード(HP)社の共同創立者のひとりが次のような話を紹介している。

何年も前のこと、HPの研究室でディスプレー装置の開発にあたっていた若手エンジニアに、2人は研究の中止を言い渡した。

すると、そのエンジニアは「休暇」を取ってカリフォルニアの旅に出かけ、興味を持ってくれそうな客のもとに立ち寄っては、その装置を見せて相手の反応をうかがった。

脈がありそうだと判断した彼は、会社に戻って研究を続行し、管理職を説得して何とか製品化まで漕ぎ着けた。

結局、そのディスプレー装置は1万6000台を売る大ヒットとなり、3500万ドルの売上を達成する。

後日、HPの技術者集会で、パッカードはその青年に「通常のエンジニアリング業務を逸脱した反抗的、挑戦的な行為」を讃えるメダルを授与したのだった。

硬直マインドセットには集団浅慮を招く要因がそろっている。

たとえば、リーダーは絶対に過ちを犯さない神様だと思われている。

集団のメンバーが自分たちには特別な才能や権力があると思っている。

リーダーが自分のエゴを通すために反対意見を押え込んでしまう。

リーダーに認めてもらいたくて全員がリーダーになびいてしまう、といったぐあいである。

したがって、重要な決定を下すときには、どうしてもマインドセットをしなやかにしておく必要がある。

ロバート・ウッドの研究で明らかになったように、マインドセットをしなやかにして、能力は一定で、伸ばすことはできないという幻想や重荷から解放されれば情報をフルに活用して、オープンな議論を交わし、より適切な意思決定ができるようになる。

リーダーは生まれつきか、努力のたまものかウォーレン・ベニスが優れたリーダーたちにインタビューを行なったとき、「だれもが口をそろえて言ったのは、人はリーダーに生まれつくのではなく、リーダーになるのであり、しかも、外的な条件によってではなく、自分自身の力でリーダーになるのだということ」だった。

ベニス自身もやはり、「年齢や環境に関係なく、だれでも自己変容の可能性を秘めている」と考えている。

といっても、だれもがみなリーダーになれるわけではない。

悲しいことに、ほとんどの経営者が、そしてCEOさえもが、ボスにはなれてもリーダーにはなれずにいる。

権力をふるうばかりで、自分や従業員や組織全体を変えることができないのである。

なぜだろう。

ジョン・ゼンガーとジョゼフ・フォークマンはこう指摘する。

経営者になりたての頃は、ほとんどの人が無我夢中で勉強する。

指導を受け、訓練を積み、さまざまな考え方を受け入れ、仕事の進め方を時間をかけて懸命に模索する。

成長への意欲に燃えている。

ところが、いったんひと通りのことを習得すると、それ以上技量を磨こうとはしなくなる。

あまりに大変そうだからか、もう学ぶことはないと思うからか。

むしろ、今の仕事をこなすことに満足して、リーダーを目指そうとはしなくなるのである。

モーガン・マッコールはこんなふうに述べている。

才能は生まれつきだと思いこんで、成長の可能性を秘めた人材を求めようとしない組織がなんと多いことか。

そのような組織は、リーダーに成長しうる人材をどんどん逃がしてしまうだけではない。

天賦の才への信仰が、天才に祭り上げられた人を押しつぶし、傲慢で保身的で向上心に欠ける人間に堕落させてしまうかもしれないのだ。

能力の育成を重んじる文化を作ろう。

そうすれば、その組織からはおのずとリーダーが育ってくる。

マインドセットをしなやかにするには?▼あなたの職場は硬直マインドセットだろうか、それとも、しなやかマインドセットだろうか。

あなたは周囲の人から評価を下されていると感じているか、それとも、成長を助けてもらっていると感じているか。

自分から率先して、職場のマインドセットをしなやかにしていこう。

過ちを犯したら、保身にまわるのではなく、過ちをしっかりと認めよう。

フィードバックをもっと活かし、失敗からもっと学ぼう。

▼あなたは部下に対してどのような態度をとっているだろうか。

部下のことよりも自分の権威を守りたがる、硬直マインドセットの上司になっていないだろうか。

部下をけなすことで自分の優位性を確認しようとしてはいないだろうか。

自分の地位が脅かされるのを恐れて、業績の良い部下の成長を妨げてはいないだろうか。

部下の仕事能力の向上をうながすには、どんな方法があるだろう。

実習、研修、コーチングなどを考えてみよう。

力を合わせて仕事するチームの仲間として部下に接するには、どうすればよいだろう。

さまざまな方法を列挙し、実際に試してみよう。

自分はすでにマインドセットのしなやか上司だと思っても、やってみよう。

適切なサポートや成長をうながすフィードバックは、益にこそなれ、害になることはない。

▼あなたが経営者なら、しなやかな観点から会社を吟味してみよう。

ルイス・ガースナーが行なったような企業文化の改革が必要だろうか。

エリート主義を根絶し、自己点検、オープンなコミュニケーション、チームワークを重んじる社風を作るにはどうすればよいか、よく考えてみよう。

ガースナーの名著『巨象も踊る』(日本経済新聞出版社)を読んで参考にしよう。

▼あなたの職場は集団浅慮に陥りやすくなっていないだろうか。

もしそうだとすると、意思決定のプロセス全体が誤った方向に流れてしまう。

それを防ぐために、別の見方や建設的な批判が出てくるように工夫しよう。

たとえば、だれかにわざと反対意見を述べてもらい、逆の立場から自説の欠点を見つける。

ある問題を別の側面から議論してみる。

投書箱を設置し、従業員に意思決定プロセスに参加してもらう、など。

人間は、独自の思考を進めながら、同時にチームの一員としての役割を果たすことができる。

その両方の力をフルに発揮できるようにしていこう。

 

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