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第5章 いつでも心穏やかでいるための考え方

 

目次

譲るだけが礼節ではない

相手に敬意を払う行動や思いやりの心をもつことは、人間関係の質を高めるものです。

日本ではたとえば有事の際も暴動が起きることはなく、比較的冷静な行動ができる人が多いです。

会議などでもみんなの意見を聞いてものごとを進め、無難なところに落ち着かせるというのも日本らしいやり方だと感じます。

一方で、そのような「協調性や調和」が行きすぎてしまうと、他のところで弊害が出てくるのではないかと危惧します。

私が出会ってきた人のなかには、次のような人たちも少なくありませんでした。

・「相手の気持ちを優先すること」ばかりに注力し自分を卑下している人・「みんなと同じ」が協調性だと思い込み、本当に正しいことを口にしない人・「私さえ黙っていれば……」と言葉を飲み込み、言いたいことを我慢する人多くの人にこのような傾向があると思います。

相手への礼節や心づかいは尊いことですが、それはけっして自分のことを犠牲にしたり、ストレスを抱えて業務を行ったりすることとイコールではありません。

また、協調性や調和の意味を都合よく解釈し、自己保身のために利用することも本来の意味とは違ってきます。

もちろん争いごとをけしかけるつもりはありませんが、心を壊さないようにするためには、「自分自身も大切にすること」「周りに流されすぎないこと」「いつも気持ちを押し殺してストレスをためないこと」も忘れないでほしいと思います。

なぜなら、自己犠牲や自己保身が土台となっている関係性は、健全だとは言えないからです。

軋轢を避けるためには、とりあえず相手をほめてもち上げて、心にもないお世辞のひとつでも言っておけばいい……。

そのように考える人がいるかもしれませんが、そうした「世渡りテクニック」はその場しのぎのものであり、表面的な関係性しか築くことはできません。

相手を立てるために一段下がることはあるにせよ、けっして人間として上下があるわけではないのです。

良質な関係に必要なものは、自己保身や見返りを期待したお世辞ではなく、心からの行動や言葉です。

もし相手と意見の相違があったら、頭ごなしに否定することなく、いろいろな価値観があることを受け止めましょう。

そのうえで、「どうすればよりよい結果になるだろうか」と、双方にとっての幸せに向けた話し合いができるといいですね。

「誰が正しいかではなく、何が正しいか」という言葉があるように、相手と自分の双方の幸せを考えることこそが、最高の礼節であり、健全な関係だと考えます。

譲るばかりが礼節ではありません。

自分を抑えてばかりでは、いつしか心が疲れてしまいます。

心穏やかにすごすために自分に嘘はつかないことです。

自分の心が満たされているからこそ、相手を思いやる心にもさらなる余裕が生まれます。

「自分のことも大切に、相手のことも大切に」と考えましょう。

不確かな情報やウワサに振り回されない

どこにいても簡単に情報が入手できる昨今では、意識してコントロールしなければ洪水のようにネット上を流れている情報に飲み込まれてしまいます。

私は心穏やかにすごすために、情報収集は時間を決めて行うことや、ネガティブな情報が多いものは見ないようにしています。

気持ちだけで「見ないようにしよう」としても難しいので、ネガティブな情報を発信する人のフォローをやめたり、もしそれでも気持ちがざわつくようなことがあるなら、SNS自体をやめたりすることも選択肢です。

不安なときこそ情報が欲しくなりますが、それで情報を得たところで何も解決しないどころかますます心配になるのは本末転倒です。

また、気をつけなければならないのは、間違った情報を無責任に拡散しないということです。

「みんなに知らせなきゃ!」という優しい気持ちあってのことだとしても、不確かな情報が広がってしまうと収拾がつきません。

とりわけ、その内容が安全や健康、命にかかわるケースではより慎重さが求められます。

誰もが気軽に発信できる便利な時代ではありますが、どのような言葉で、どのような内容を発信しているかは多くの人に見られています。

人の投稿に便乗して誰かの悪口を書いたり、見る人に対する配慮のない画像や動画を掲載したりすると品格を疑われます。

まずは自分がそのような情報に振り回されたり、ウワサや悪口に便乗したりしないことが大切です。

また、発信するときは「見る人への影響」を想像できる人でありたいものです。

「何のためにやるのか」という優先順位を考える

仕事をするうえで「優先順位を考える」というのはとても大切なことです。

なんでも手当たり次第にやるのではなく、重要度や残された時間などを考慮しながら計画を立てることで、確実性をもって仕事を進められます。

雑然とした脳内を整理することで、「やるべきこと」がクリアになり、迷いなく進めることができるのです。

日常生活においても、「優先順位(=自分が優先したい価値観)を考えること」や、「何のためにやるのかを明確にすること」は心の安定につながります。

なんとなくスッキリしなかったり、一生懸命やっているのに気持ちが落ち着かなかったりするときは、目的と行動が一致していないということが多いようです。

「何のためにやるのか」がはっきりしたことで心に落ち着きを取り戻すということは、育児を通じても経験しました。

仕事、育児、家事に追われていた三十代のころの私は、いつも重圧感のようなものを感じていました。

「母親が仕事をしているから子どものしつけができていない」「子どもがいるから仕事がいい加減だ」「忙しいから家がいつも散らかっている」このようなことを言われないようにしなければ、と常に考えていたのです。

仕事を続けることも子どものいる人生を選んだのも、私自身の選択。

今思えば、誰も私を責めていないのに自分で自分の首をしめているようなものでした。

体力的にも精神的にも余裕がなくなり、ささくれ立った心の私を救ってくれたのはママ友たちの言葉でした。

「夜、寝る前におもちゃで散らかった部屋を片づけるけど、また朝がくればすぐに誰かが散らかしてしまう。

つまり、部屋がきれいな時間はみんなが寝ている間だけ!これって、私以外の家族は片づいた部屋なんか望んでいないってこと?そう思ったら、無理に片づけなくてもいいかなと思うようになったの」「たしかにその通り!」と目からウロコが落ちました。

私は家族が快適にすごせるようにがんばらなければと思っていましたが、家族が本当に望んでいたのは、多少散らかっていてもガミガミ言われることなくリラックスしてすごせる場所だったのです。

もちろん、掃除の行き届いた家であることに越したことはありませんが、「きれいにすること」が目的になっていて、一番大切な、母親である自分が笑っていることを忘れていました。

何事も、無理のない範囲でやればいいのだと気づきました。

「何を大切にするか」を忘れない

また、仕事でも「何のためにやるのか」という目的を忘れてしまうと、心が乱れて業務に支障を及ぼすことがあります。

サービス訓練教官をしていたときのことです。

新人クラスのなかに少し気になる訓練生がいました。

大きな問題を起こすことはなかったのですが、どこかいつも締まらない笑顔をしていて、ニコニコではなく「ヘラヘラ」しているように見えたのです。

その理由はなんだろうと考えていました。

ある日、珍しく彼女がテストの追試になったので、これはいい機会とばかりに少し話をすることにしました。

「今回のテストはどうしましたか?珍しいですね」と声をかけると、ポロポロと涙を流して「クラスに居場所がないんです。

毎日つらいです」とのこと。

地方から出てきて心細く、他の訓練生を見て自信をなくしたのかもしれません。

優しいなぐさめの言葉を期待しているかもしれませんが、甘えを断ち切り、腹をくくってもらうため、あえて厳しい質問をしました。

「あなたはここに何をしにきたのですか?友達をつくりにきたの?」そのとき彼女はハッとして、翌日から凛としたたたずまいと吹っ切れたような笑顔を見せてくれました。

「何のためにやっているのか」を明確にすると、心を強く保つことができるということを彼女が証明してくれたような気がします。

礼節やマナーの講師として独立した現在、私はどの仕事を引き受けるか自分で決めています。

基本的にはどんな仕事も感謝してお引き受けしますが、ときどき「こっちの仕事のほうが、もしかするともっと知名度が上がるかも!仕事がたくさん入るかも!」と、目先の露出や収益に目がくらみそうになることがあります。

ところが、このようなときは何かが心に引っかかるもので、「何のために講師をやっているのか」「人生において大切にしたい優先順位や価値観は何か」を自問自答します。

そうすることで思考が整理され、目先のことに目がくらむことなく、自分が信じた道を歩いていくことができます。

自分とは一生のつき合いです。

「何のために?」「自分にとって大切なことは?」と自分と対話をすることで、心がいま何を感じているか知ることができます。

本当の気持ちがわかれば、あとはそれにしたがって行動あるのみです!

〝イヤな相手〟の背景を想像する

誰かに嘘をつかれたり、足を引っ張るようなことをされたりした……。

また、嫌われることをした覚えもないのにきつく当たられたとき、驚きとともに心が傷つきます。

たとえば喧嘩中であるとか、何かしら思い当たることがあれば見当をつけることもできますが、いくら考えても理由がわからないときはとても混乱します。

特に相手がこれまで親しくしていた友達や、尊敬していた先輩であるときには、心の傷はより深くなります。

そのようなときは、まず落ち着いて自分の言動を振り返ることが大切です。

「何か相手を傷つけるようなことをしただろうか?」「失礼があっただろうか?」と考え、もし思い当たることが見つかったら、素直に謝罪して行動をあらためます。

しかし、特に思い当たらないのであれば、それは相手の環境や感情に起因するトラブルかもしれません。

視点の数を多くもつことで、このようなときも必要以上に心を乱されることなく平静でいられます。

自分にどうすることもできない問題については考えないようにするのが正解だとわかり、少し心が楽になりました。

自分よりも容姿がいい人や活躍している人を見て、「いいなあ〜」とうらやましく思うことはありますが、それ以上でもそれ以下でもありません。

努力で変えられないことはあきらめるしかありませんし、努力して得られるものなら自分がそれに見合う努力をすればいいだけのこと。

感情はとかく複雑になりがちですが、思考をシンプルにするのが心を乱さないコツです。

相手が気づくまで距離をとる

とはいえ、身に覚えがない嫌がらせを受けたりしたときは非常に混乱し、「私の何がいけなかったのだろう?」といちいち動揺していました。

そんなとき、ある人が私にこう言ってくれました。

「それはあなたの発言自体ではなく、受け取る側の問題だね。

いろいろな人がいれば、出来事に対するとらえ方もいろいろだよ」たしかに、同じ出来事でも受け取る側の状況や体調次第で感じ方は異なります。

ネット上で「年賀状に子どもの写真を載せることはデリカシーに欠けるか」というトピックスが時折話題になりますが、その年賀状を受け取ってほほえましいと感じる人もいれば、心がチクッと痛む人もいます。

また、自分の子どもが受験に落ちてしまったとき、よそのお子さんの合格が素直に喜べないこともあるかもしれません。

ひとつの出来事でも受け取り方はひとつではないのは当たり前のことです。

他人に対する想像力が足りなかった私は、相手の背景や気持ちを酌むことができなかったのです。

相手に礼節の感じられない行動をされたとき、それを頭ごなしに否定したり、正義をぶつけたりしても何の解決にもなりません。

心の奥底では、本人も矛先を向ける相手が違うということに気づいているはずです。

ですから、気持ちが落ち込むようなことがあったとしても、必要以上に傷つくことはないと思います。

これからも引き続きご縁を保ちたい相手であれば、「相手の心が元気になるまで待ってみる」ということも礼節のひとつだと言えるでしょう。

相手の現状、抱えている悩みなどに想いをはせることができれば、焦らず騒がず解決できます。

うまくいかないことも、いい意味であきらめる

何か問題が起きたときや思い通りにことが進まないとき、「どうすればもっとよくなるだろう?」と知恵を絞り、向上心をもって進んでいくのはとても素晴らしいことです。

小さな挫折でクヨクヨせず、しっかり前を向いているたくましい姿は多くの人を勇気づけるものでもあります。

このような傾向が強い人は、意志が固く行動も伴うため「得たい結果」を手に入れやすくなります。

さらには、ようやく手に入れた結果でさえ、それにいつまでも酔いしれることなく、達成したことは「通過点」と考えます。

そして、また新たなる手に入れたい未来を目指して段階を上っていきます。

いいことばかりのようですが、このような人が目標達成までの行程を「楽しい」と思えなくなったときは要注意。

自分でも気づかぬうちにアクセルを踏みすぎて急ぐあまり、結果が出なかったときに自分のことを責めてしまいがちです。

うまくいくことも小さな失敗も全部含めて、その過程を楽しむことができているうちはいいですが、「つらい、しんどい、むなしい」という感情が湧いてきたら、少し立ち止まってみましょう。

もしかすると、「向上心・好奇心」が行動の動機であったのに、それがいつしか「欠乏感・不足感」を満たすことにすり替わってしまったのかもしれません。

「もっといい成績を残したい」「もっとお金を稼ぎたい」「もっといい暮らしがしたい」というような目標を立てることは、なんら悪いことではありません。

ところが、誰かと比較して「もっと!もっと!」と自分をあおってしまうときは、欠乏感や不足感にとらわれているときだと言われます。

ライバルを設定することが行動のエネルギーになるなら良策でしょうが、それによって自分を責めてつらくなってしまうのは本末転倒のように思います。

たとえ現在の立ち位置が納得いかないものだとしても、潔くそれを受け入れることも必要です。

また、努力してもどうにもならないことはサッとあきらめてしまう、いい意味での図太さを持つことも心穏やかにいられる秘訣かもしれません。

どこに行っても上には上があり、他人と張り合っていてもきりがないからです。

・自分にやれることを精いっぱいやること・今の自分が残せた結果をしっかり認めてあげること・比べる相手は他人ではなく、過去の自分であることこのように地に足をしっかりとつけた考えをもっておけば、人の目を気にしてつらくなったりむなしくなったりすることはありません。

感謝のハードルを下げる

公共の場でのふるまいには人の目を意識した行動が求められますが、人生の進め方において気にすべきは他人の目ではなく、「どうすれば自分と大切な人が実り多い人生をすごせるか」です。

多くを望まず今あるものに感謝することや、感謝のハードルを下げておくことが幸せを感じる心を育みます。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本にとどまらず世界中の人が「当たり前にあった日常生活」を奪われてしまいました。

大切な人と何も気にせずおいしいものを食べてお腹を抱えて笑ったこと、テーマパークや旅行や趣味を存分に楽しめたこと、店を開ければお客さまに会えたこと。

それが当たり前にあったときには、そのすべてがどれだけ幸せなことか気づけませんでした。

「もっと!もっと!」「足りない!足りない!」ではなく、まずは今ある幸せにしっかり目を向ける。

その等身大の自分を受け入れたうえで、「もっとよくなるためには、どうすればいいだろうか?」

「自分にやれることは何だろうか?」と考えることができれば、欠乏感や不足感に襲われることなく自分の心だけを見つめていられます。

自分軸はぶらさない。

でも、しなやかに

相手への敬意や配慮あるふるまいは、人間関係を育むうえで大切なことだと書き綴ってきました。

自分の利を追求するのではなく利他の心をもって接すれば、相手を大切に想う気持ちが伝わります。

ですが、「相手を大切に想う気持ち」と同じくらい大切にしてほしいことがあります。

それは自分軸です。

生き方や仕事のやり方においてどのような価値観をもち、何を大切にしたいのか。

その答え合わせをしたいときに戻ってくる心の自分軸です。

迷ったときに照らし合わせるためのものですから、その根っこがぐらついてしまったり、または軸そのものがなかったりする場合には、何を指標に進めばよいのかわからなくなってしまいます。

人の意見に流され、長いものに巻かれるだけの人生は、摩擦こそ少ないでしょうが、とてもつまらないものです。

自分の人生の主人公は、紛れもなく自分自身です。

揺るぎない自分軸をもっていれば、大きく道に迷うことはありません。

しっかりハンドルを握っていきましょう。

ただしこの自分軸、あまりにも強固なものであると、「頑固」「融通がきかない」と言われるものになります。

では、どのような自分軸であれば自分自身を見失うことなく、周囲とのバランスを保つことができるのでしょうか。

恥ずかしながら、私には「頑固」「融通がきかない」という傾向がありました。

白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプで、筋の通らないことが大の苦手。

たとえ相手が上司や先輩でも、折れないこともありました。

それについて後悔しているわけではありませんが、今思えば、そこまでかたくなである必要がなかったこともたくさんあったように思うのです。

これは「長いものに巻かれる」という惰性やあきらめをすすめているのではなく、「そこまでなら、まあいいか」と許容できるグレーゾーンを上手に設定できればよかった、ということです。

どちらでもいいこと、さして重要と言えないことはどんどん譲ればいいのです。

そうすれば、「これだけは絶対に譲れない」ということへの主張が際立ちます。

「それほど自分の意見を主張しない人がああ言っているのだから、相当大切なこだわりがあるのだろう」「いつもこちらの意見を受け入れてくれる人だから、今回ばかりはあちらの意見を優先しよう」駆け引きにも似ていますが、つまり、たいして重要ではないことは手放して、本当に大切にしたいことに注力できる環境を整えるのです。

自分軸を木でたとえると、揺るぎない強さが必要なのは「根っこの部分だけ」でいいのだと思います。

風が吹いたとしても、根をしっかり張り巡らせていれば、根こそぎ倒れてしまうことはありません。

地表にある幹や枝はしなやかに揺れるくらいのほうが、肩の力を抜いて生きていくことができます。

また、しなやかさがあれば、自分軸という心がポキッと折れることも防げます。

自分に大切にしたい信念があるように、相手にもまた相手なりの価値観があります。

大切だと思うものが似ている相手だとしても、完全一致することは難しく、どこかに必ず違いはあります。

その違いを解決してくれるのが、いい意味での「まあ、いいか」というグレーゾーンです。

自分軸の根っこはぶらさず、でも地上に出ている部分はしなやかに。

人に流されることなく、他人を上手に受け入れて心穏やかに自分の人生をコントロールしていきましょう。

おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました。

目には見えない「心」を形で表すということ、礼節を大切にすることで周りにどのような影響を及ぼすのかということについて、私なりにお伝えしてまいりました。

本書の執筆開始時から始まった新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、世の中が大きく変わりました。

感染拡大の当初は不安、混乱、利己的な考えによって、マスクの高額転売、デマの流布、詐欺行為というようなやりきれないニュースが毎日のように報道されました。

一方で、経済的打撃を受けつつも自粛に協力している店を応援しようという動きがあったり、足りないマスクを手づくりで補うための輪が広がったり、リスクを背負って第一線で働く医療従事者に心を寄せる言葉が聞かれたりしました。

今回の出来事は、緊急事態においてのふるまいが人によって大きく分かれることを浮き彫りにしたと思います。

・苦境に立たされたときに、どのようなふるまいをするのか・大変な想いをしている人たちに、どのように接するのか・「自分さえよければいい」という行動をとるのか、助け合いや支え合いを大切にするのか・感謝の心をもって前向きに改善を目指すのか、不平不満ばかりを口にして、さらに周囲を暗くするのか本書でも「上辺だけ」「形だけ」ではなく、まずは「心ありき」と何度もお伝えしましたが、仕事に対しても人とのかかわり方においても、どれだけ心を大切に向き合っているのか、非常事態になるとよくわかります。

また、外出制限や経済的危機にさらされることで、自分がこれまでも、そしてこれからも大切にしたいことが明確になったような気がします。

これからまだまだ変化があると想像します。

しかし、「やり方」の変化や進化があるとしても、「在り方」という心の部分、人としての節度ある行動は変わることなく大切であり続けるはずです。

仲間と一堂に会し、一緒に食事をすることができた少し前の当たり前の日常。

会いたいときにすぐに大切な人に会いに行くことができた日常。

それらが失われつつあるからこそ、「本当にかけがえのないものは何か」と考え、気づくことができたように思います。

目に映る大切なもの、こと、お金。

生活するうえではそれらも欠かすことはできませんが、人は人とのかかわりのなかでこそ、心からの幸せを感じると言われます。

目には見えない心にある想いを「見える形」「聞こえる音」にしてしっかり相手に伝えていきましょう。

人は自分一人では何もできません。

私たちは支え合って生きています。

ならば、損得勘定のない心で他者との関係を育んでいくことが、みんなで幸せになっていく一番の方法ではないかと思うのです。

その結果として、「あなたなら安心して任せられる」「またあなたと一緒に仕事がしたい」「あなただから応援したい」「あなたに出会えてよかった」という言葉の行き交う、プライスレスな瞬間に出会うことができるのではないでしょうか。

心は目に見えない抽象的なものです。

どうしてもぼんやりした扱いになりがちですが、目に見えないことにこそ多くの価値が隠されています。

お読みいただきましたみなさまが実り多い日々をおすごしになるために、本書がお役に立てばこの上ない喜びです。

どうか、みなさまとみなさまの大切な人々が幸せでありますように。

令和2年8月七條千恵美

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