洞察32戦力外と一軍定着にある意識の差洞察33「狂気」「やんちゃ」は才能の一つ洞察34言い訳は進歩の敵洞察35上達に近道なんてない洞察36本番に強い選手、弱い選手洞察37スランプの唯一の克服法洞察38有言実行にこだわってはいけない洞察39結果が出ないのは努力不足か洞察40マイナス思考は悪くない
洞察41鍛えるべきは「体・技・心」洞察42集中力の鍛え方洞察43洞察力の鍛え方洞察44質の高い睡眠が集中力を高める洞察45チームに必要な個人の自主性洞察46時間をマネジメントする洞察47オフの時間の使い方洞察48ひらめきが訪れる瞬間特別コラム二刀流の答え
洞察32戦力外と一軍定着にある意識の差
プロ野球の世界ではシーズンが終わると戦力外通告が行われる。球団に呼び出され、翌年のシーズンは契約しない旨を通達されるわけだ。
一つの球団の支配下登録選手は最大70人(育成選手を除く)と決まっている。誰かが入団すれば、一方で誰かが退団しなければならない。
ドラフト会議で指名され、希望に目を輝かせる新人がいる裏では、厳しい現実を突き付けられてユニホームを脱ぐことになる選手も多い。
シーズンオフには12球団合同トライアウトが行われ、多くの選手が参加する。所属チームから戦力外を通告された選手たちが、現役を諦め切れずに新しい所属先を求めてプレーする。
翌シーズンの戦力になるのか、それとも構想から外れて戦力外通告を受けることになるのか。
戦力か戦力外かの「境界線」を一言で表すのは難しい。ただ、一つの基準になっているのはチームにおける年齢のバランスと言えるだろう。
チームによって事情は異なるだろうが、球団の編成責任者は翌年のシーズンだけではなく、数年後のチーム作りも見据えて、各ポジションをバランスよく編成しようとする。
実力では若手選手と同じレベルのベテラン選手が、年齢のバランスを考えて戦力外通告を受けることがある。
一方でまだ若い選手でも一軍で活躍できないと判断されれば、早い段階で戦力外となることがある(プロ野球の平均選手寿命は約9年で、平均引退年齢は約29歳とされている)。
「高卒は5年目、大卒、社会人は3年目」。入団してから一軍に上がるまでの猶予期間として、球界ではよく使われてきた言葉だ。
高卒は入団してから5年目、大卒、社会人は3年目までに一軍に上がればいいという意味だが、私の感覚とは少し異なっている。
一軍で活躍する選手で入団から5年もたってから出てくる選手というのは、まずいないといっていいからだ。一軍でレギュラーとなるような選手は高卒でも3年以内に一度は必ず一軍に上がってくる。
高卒であろうが、大卒、社会人であろうが、入団してから3年目というのが、見極めの基準になるといっていい。
ただ、ここで重要なのは3年が見極めの基準になるとはいっても、選手本人が「3年は球団が面倒を見てくれるだろう」と考えるのは間違った考え方だということだ。
高卒1年目の選手は1年間を下半身強化の時間に充て、二軍での試合の出場数も制限する。そんな育成プランを持つチームもあるだろうが、選手本人が「まだ1年目だ。今年は下半身強化に充てよう」と考えているようでは、あっという間に3年が過ぎ、戦力外通告を受けることになる。
逆に1年目から一軍に上がろうと本気で考えれば、今の自分に何が足りないかが見えてくる。その分、練習方法を考えるだろうし、もっと練習しようと思える。
1日も早く一軍に上がって戦力になろう、レギュラーになろうと思えないと、ファームの環境に慣れて満足してしまうからだ。
現役時代、二軍暮らしが長い選手と話をしていたときに、こんなことを感じていた。戦力外を免れることができても「来年こそ頑張ろう」と本気で前を向ける選手は少ない。
ほとんどの選手は「助かった。あと1年やれる」と胸をなで下ろすだけだった。まずは自分が組織の中でどの立場に位置しているのかを感じることだ。
その感性がなければ、戦力外を通告されて初めて自分に足りなかったものに気付くことになってしまう
洞察33「狂気」「やんちゃ」は才能の一つ
プロ野球界には「投手型人間」と「野手型人間」がいるといわれる。投手出身か、野手出身かによって、性格の傾向が異なるという考え方だ。
代表的とされるのが自分本位で考える部分だろうか。一般的に投手出身者は、わがままだとされることが多い。これには、競技の性質が関係しているのだろう。
野球は「受け身」が多いスポーツだ。打撃では投手が投げたボールを打ち、守備では打者が打ったボールを追う。ところが、投手がボールを投げなければ、プレーは始まらない。唯一、能動的な投手には自分本位な性格が多いといわれるゆえんだ。
しかしながら、私の実感としては「投手型人間」「野手型人間」という枠組みだけでは捉えられないと思っている。
2015年のシーズン終盤、ヤクルトの石川雅規が先発投手陣が不足した時期に中4日で先発して勝利したことがあった。年齢的に30代半ばとなり、回復力は衰える。
体への負担を考えれば中5日、中6日と少しでも登板間隔を空けたいはずだが、首脳陣に「中3日でも投げます」と訴えたという。
投手出身者でも彼のようにチーム全体のことを考えている選手もいるし、一方で自分の打撃成績のことだけしか考えていない野手もいる。
「投手型人間」「野手型人間」と一言でくくってしまうのは、いささか乱暴ではないだろうか。
ただ、成功した投手に共通しているのは、登板時には信じられないほどの集中力を見せるということだった。
ピンチの際、マウンドに野手が集まったときにはホームベースの方向を見て「よく外角低めだ、内角高めだと言って投げられるもんやな」と思ったものだった。
打席から打者目線で見るストライクゾーンと、マウンドから投手目線で見るそれは全く違う。安打を許したら負ける、四球を与えたら試合が決するという場面でも、投手が投げなければプレーは始まらない。
ある意味で「狂気」とすら感じるぐらいの闘争心がなければ、長年プロの世界で成績を残すことはできない。
クレバーな投球をするイメージがあるが、石川も然りだった。
ピンチになってマウンドに行った際、少しでも落ち着かせようと声をかけるのだが、何を言っても聞こえていないことがあった。
「無理をして勝負する場面じゃないぞ」と声をかけても、返事は「腕は振れていますか?」だった。極限まで集中しているときには、マウンド上で会話が噛み合わないことも度々あった。
あの小さな体で活躍を続けているのも、闘争心の強さがあるからだろう。
石川とは対照的だったのが、抑えとして大リーグでも活躍された高津臣吾さん(現ヤクルト二軍監督)だった。
高津さんの場合は1イニングを3人で抑えるのではなく、最後にホームさえ踏ませなければいいという考えが徹底されていた。
打線の後続を考えながら、アウトの確率の高い打者との対戦を選択する。ベンチに残っている代打要員まで計算していた。抑えという重圧がかかるポジションで、あれほどの冷静さを保てるのは信じられなかった。
チームに新しい選手が入ってきたときには、少し癖がある性格の方が期待できたものだ。少しぐらい生意気で「やんちゃ」と感じる性格の方が、選手として大成する可能性を秘めていると思うからだ。
洞察34言い訳は進歩の敵
日本代表でキャプテンを務めたイメージが強いからだろうか、昔から優等生タイプだったと誤解されることが多い。これは全くの勘違いで、アマチュア時代には叱られる機会も多かった。
以前、同志社大学での4年間が人生の転機だったと書いた(洞察❶)。中でもターニングポイントになったのは、1年生のときの出来事だった。
秋のリーグ戦の期間中だった。ある日、朝から小雨が降っていた。雨が上がった後もグラウンドがぬかるみ、しばらくは練習ができる状態ではなかった。
私と3年生の先輩が雨宿りをしながらふざけていると、4年生の先輩はグラウンドの周りを走っていた。
それを見つけた技術顧問の方に、「最後のシーズンに懸けようとしている4年生がいるのに、おまえらは何をやっているんだ」と大目玉を食らった。
反省文をレポートにして提出することになったのだが、今度はその反省文の内容で怒られることになってしまった。当時の野口真一監督に呼び出され、こう言われた。
「おまえの文章は、言い訳ばかりじゃないか。男だったら男らしく、失敗を認めろ。失敗として認めるから、初めて成長できる。言い訳をしているうちは、同じことを繰り返すだけだぞ」それまでは、失敗を認めるのは恥ずかしいことだとどこかで思っていた。
自分ではそんなつもりはなかったのだが、何とか言い逃れをしようと反省文にも言い訳が並んでいたのだろう。
失敗は誰でもするもの。進んで失敗しようとする人間はいない。だが、それを誰かや環境のせいにして逃げていたら、また同じことを繰り返してしまう。失敗の原因を考えて、次への対策を見つけることが反省である。
「言い訳」と「反省」は似ているようでいて、全く違う。失敗を失敗として認めて初めて、次に進むことができる。
実際、ヤクルト時代の野村克也監督もミーティングで「言い訳は進歩の敵」と話されることが多かった。失敗を潔く認めることの大切さに早い段階で気付かせてもらえたのは、自分にとって大きな出来事だった。
大学の講演会に呼ばれたときにいつも話しているのだが、在学中に20歳を迎える大学時代は成長過程においてとても大切な時期だと思っている。
罪を犯したら実名で報道されるようになるわけで、社会的な責任が増す。一方で多くの学生は親に学費や生活費を負担してもらっている。社会的には成人として認められるが、金銭的には親の庇護下にあるわけだ。ましてや周囲にはお酒やたばこ、遊びといった誘惑がたくさんある。いくらでも逃げ道がある中で、自分をコントロールする術を身に付けなければならない。
そういった意味では、自分は高校卒業後に大学、社会人を経たことが19年間のプロ生活に大きく役に立ったと思っている。さまざまな苦労から学ぶことがあったからだ。
大学で野口監督という指導者に出会えたのは、今思い返しても幸運なことだった。「言い訳」と「反省」は似ているようでいて、全く違う。
失敗を失敗として認めて初めて、次に進むことができる。
洞察35上達に近道なんてない
全国各地で野球教室をやっていると、生徒や指導者の方から「野球が上達する近道を教えてください」と聞かれることがある。
冷たく聞こえるかもしれないが「上達に近道なんてない」というのが私の答えである。ほとんどの人が、できるだけ無駄を省いて合理的に物事を運ぼうと考える。
誰だって回り道はしたくないし、努力は最小限に抑えて良い結果につなげたいものだ。上達への近道を知ろうとするのは、当然のことだともいえる。ところが、こうして合理性ばかりを求めていると、弊害が出るケースが多い。
19年間の現役生活を経験した中で、一つ言えることがある。
物事の結果をコントロールすることはできないが、プロセスはコントロールすることができるということである。
野球は団体競技であり、相手があって初めて成立するスポーツだ。試合ごとに相手チームとの勝敗が決まるし、打席ごとにも相手投手との対戦結果が出る。当然、相手の調子やプレーを自分でコントロールすることはできない。
個人のタイムや成績を競う競技とは違い、どれだけ準備を重ねたからといっても、必ずしも良い結果につながるとは限らないのである。
相手がある以上、結果に至るまでの準備までしか、自分ではコントロールすることができない。言い換えれば、大切なのは結果ではなく、どういった準備をしたかというプロセスだともいえる。
どんな世界にも通じる部分があるのではないだろうか。こうしてプロセスを重視して取り組んでいくと、無駄なことがたくさん出てくる。
特に初めの頃は、無駄ばかりと感じることさえあるだろう。
ただ、この一見無駄に見えることが、必ずしも無益だとは限らない。
失敗を重ねる中で、当時の考え方は正しくなかったのだと反省したり、アプローチの仕方を変えてみようという新しい発想が生まれることもある。
結局は無駄なことを経験してきたからこそ、次からは無駄を省けるようになる。無駄なことが、無駄だと気付くことができる。無駄を重ねることが、本当の力を身に付けることにつながると思うのである。
個人だけでなく、組織の場合でも同じことがいえるのかもしれない。
例えば野球では、好投手を攻略するために、チーム方針として早いカウントから積極的に打とうという指示が出る場合がある。これまで何度も対戦し、幾つか別の対策を試した上での積極策なら問題ないだろう。
追い込まれてからでは分が悪いというデータが残っていて、リスクを負った上で積極的にいくのなら納得できる。
ところが、はなから打てないだろうとか、追い込まれてからでは粘れないだろうからというような安易な発想だけでは、積極性とは呼べない。積極性の良い面と淡泊さは隣り合わせだ。
プロセスを欠いてしまっては、ただの淡泊な打撃に終わってしまい、次につながることもない。無駄が無駄で終わらないときがある。
冒頭の質問に戻るのなら、「回り道が近道」ともいえるかもしれない。
洞察36本番に強い選手、弱い選手
第2章ではプレッシャーとの付き合い方について触れた。
プロ野球選手にも「本番に強い選手」「本番に弱い選手」の2通りがいる。練習では素晴らしいプレーを見せるのに、試合になると実力通りの結果が出せない。ブルペンではエース級のボールを投げることができるのに、マウンドでは別人のようになってしまう投手もいる。
現役時代、年下の選手に「試合で緊張してしまって、持っている力が出せない。どうすればいいんでしょうか?」と相談された時には「手っ取り早いのは、そら、すごくなることだよ」と答えていた。
厳しい言い方に聞こえるかもしれないが、緊張した状態でも相手を圧倒できるぐらいの実力を身に付けるのが、プレッシャーを克服する王道だといえるからだ。
例えば10の力量があったとしよう。本番になると緊張して6か7の力しか出せないのであれば、実力を15まで伸ばすように努力すればいい。
実力が15になれば、プレッシャーを受ける場面でも10の力が出せるようになる。あるいは11、12の力が出せるようになるかもしれない。
第2章ではプレッシャーとの付き合い方として、準備を整理立てるアプローチの方法も書いた。
考え抜いて準備を整理立て、それでも本番で結果を残せないのならば、練習を重ねて実力を上げるしかない。
プレッシャーを克服する一番の方法は、実力を上げることなのである。
間近で見ていて「本番に弱い選手」に共通していると感じるのは、試合に通じる練習をしていないということだった。
例えば、打撃マシン相手の打撃練習では素晴らしいスイングをするのに、試合になると自分のスイングができなくなってしまう選手も多い。
理由は簡単だ。打撃マシンは一定の球速のボールしか投げてこない。プロのレベルの選手が打撃マシンを相手に打てば、ほとんどがバットの芯に当たるのは当たり前だ。
ところが、実際の試合では同じ球速、軌道のボールが来るわけではない。本番を想定した練習をしていないから、実際の投手が投げるボールに対応することができない。
例えば、練習から「変化球が来るだろう」と準備をした状態で「真っすぐが来た」と直球を打つ練習をする。あるいは、打球の方向を決め、引っ張らずにセンター方向に打つ練習をする。
同じ練習時間の中でも、工夫のしようはいくらでもあるのである。逆に「本番に強い」といわれる選手には、頭が良いと感じさせられる選手が多い。
最近でいえば、阪神の福留孝介だろうか。
大リーグのシカゴ・カブスなどでも活躍した福留だが、40歳となり、全盛期に比べれば力は落ちているはずだ。ところが、2016年シーズンには打率3割1分1厘をマークするなど、試合を決める局面での活躍が目立った。
今まで積み重ねてきた練習と、この場面、このカウントでは、この球種が来るとヤマを張る胆力に長けているからだろう。その証拠にヤマが外れたときには、平気で見逃し三振をしてベンチに帰ることがある。
試合を左右する場面では、ヤマを張れる選手が強い。来たボールに対応するタイプの選手は、予想通りの結果を出せることが多いからだ。
洞察37スランプの唯一の克服法
スポーツ選手は時として壁にぶつかることがある。望んでいる結果を試合で残せない、失敗が続くといった期間が続いて、精神的にも参ってしまう状況に陥る。
こういった精神状態になるのは、スポーツ選手だけではないだろう。どんな仕事をしていても、壁にぶつかることはあるはずだ。「スランプ」という言葉がある。
不調が続いている選手に使われることが多いが、私はこのスランプという表現を、プロに入ってからは一度も使ったことがなかった。
これには、父の教えが影響している。小学校高学年の頃のことだ。スランプという言葉を覚えたてのときに、試合でヒットを打てないことがあった。
「ああ、スランプだ」と何げなく漏らすと、普段は優しい父に叱責された。「スランプというのは、プロの一流選手が使う言葉だ。おまえが打てないのは、ただ下手くそなだけだろう」と言うのである。
それからは、一度もスランプという言葉を使ったことがなかった。
「調子が悪い」と嘆くことはあっても、スランプという表現は絶対に使わないようにしようと決めていたわけだ。今になって振り返ると、とても素直な性格だったのである。
スランプを克服するには、どうすればいいのだろうか。
講演などでも質問されることが多いテーマだが、答えから言ってしまえばスランプ克服法なんてないと思っている。結局は苦しい状況を突き詰めるしかないからだ。
野球選手で言えば、スランプは選手として上達するときに直面する壁と言い換えることができる。上達するためには壁を避けて通ることはできない。気分転換で逃げようとする選手は、いつかまた同じ壁に出くわすことになるからだ。
もちろん、不調の時期が永久に続くわけではないから、何かの拍子で一時的に調子が上向くことはあるだろう。だが、また同じ壁にぶつかったときに「前に見た壁だな」と気付くことになる。
私も何試合も安打が出ないときに気分転換をしようとしたこともあるが、頭のどこかで野球のことが気になってしまった。せっかく気分転換をしようと遊びに行っているのに、全く面白くないのである。調子が悪いときには、遊んでいる暇はない。なぜ結果が出ないのかを考えて、練習に打ち込む。
スランプは選手としてレベルアップするチャンスともいえるのだから、耐えて、立ち向かうしかないのである。一つ気を付けたいのは、失敗する方法を続けていてはいけないということである。
続けて結果が出ないのであれば、方法自体を疑い、違うアプローチを試みなければならない。間違った方法を続けていては、深みにはまることになってしまう。不思議なもので失敗は次の失敗を連れてくるものである。
犯したミスをすぐに取り返そうとすると、必ず大きな失敗につながる。
エラーをした内野手が、間に合わないのに一塁に投げて悪送球になるというのは、よく見る光景だろう。
失敗には必ず原因がある。失敗の原因を考えて取り除かなければ、同じ失敗を犯すことになる。スランプは選手として上達するときに直面する壁と言い換えることができる。上達するためには壁を避けて通ることはできない。耐えて、立ち向かうしかない。
気分転換で逃げようとする選手は、いつかまた同じ壁に出くわすことになる。
洞察38有言実行にこだわってはいけない
現役時代の私はシーズン前に抱負を聞かれると「チームで優勝したい」と答え続けていた。
とりわけ、チームの中心選手と呼ばれる立場になってからは「打率3割以上を打ちたい」「ゴールデングラブ賞を取りたい」といった個人的な目標を公言することは、ほとんどなかった。
シーズン終了後に行われる契約更改後の記者会見では、次のシーズンに向けた目標を聞かれることが多い。
メディアに求められる形で「来シーズンは本塁打を増やしたい。そのためにシーズンオフの間に体重を何キログラム増やそうと考えている」「2桁勝ちたい。そのためにキャンプでは新しい変化球を覚えたい」と、目標を公言する選手が多いのも確かだ。
周囲に目標を公言する。これ自体は決して悪いことではない。誰だって目標を達成できないときに笑われるのは嫌だから、一生懸命に練習するだろう。
目標を公言することで、突き詰めて取り組むことができるようになることだってあるだろう。だが、周囲に目標を公言することで、柔軟性が失われてしまう可能性がある。
周囲に目標を公言したが、目標やそこに至るまでの方法論が間違っていたとする。
それならば前言を撤回できればいいのだが、中には「公の場で言ったからには、とりあえずは取り組まなければならない」と思考を停止してしまう選手もいることだろう。
これでは、回り道になってしまう。
自分が皆の前で発言したからには、責任を持って成し遂げなければならない。もちろん、有言実行は素晴らしいことではある。
しかし、その思いに縛られ過ぎると、間違ったと気付いても思考が停止し、極端な回り道をしてしまうことになりかねない。
成長していく過程では、臨機応変さというのが重要になるのである。
木に例えるなら軸となる根と幹があって、枝葉の部分は臨機応変に変えていくというのが理想だ。自分の中に確かな目標設定があり、そこに至る段階として課題をクリアしていこうという気持ちがあればいい。
周囲に目標を公言することで、柔軟性が失われてしまっては元も子もないのである。
私も若い頃は「打率3割を打ちたい」と目標の数字を設定することがあったが、ベテランと呼ばれるようになってからは、本当にチームとして優勝したいという思いだけだった。
優勝ができないのなら、何とか3位以内に入って一発勝負のクライマックスシリーズを勝ち抜きたかった。
あえて目標設定をしていたとすれば、年俸として2億円を稼いでいたとしたら2億円分の働きをしなければいけないとは考えていた。
シーズンが終わって最終成績が出たときに、年俸に見合った(あるいはそれ以上の)数字を残していれば翌シーズンの年俸が上がる。
逆に年俸に見合った成績を残せていなければ、翌シーズンの年俸は下がってしまう。例えば、年俸5億円を稼いでいる選手が打率3割、20本塁打を打ったとしても、それは当たり前のことなのである。5億円をもらっていたら、5億円分の仕事はこなさないと評価はされない。
洞察39結果が出ないのは努力不足か
プロ野球の世界では、素質や能力を高く評価されてドラフト1位で入団したものの、一軍で目立った成績を残せずに戦力外になってしまう選手がいる。
一方で、ドラフトでは下位指名で入団したのに、結果を残し続けて一流と呼ばれるようになる選手もいる。
一般的に前者は「努力をしなかった」と評価されるだろうし、後者は「努力をした」と表現されることが多いだろう。ビジネスの世界でも、同じではないだろうか。ほとんどの会社では入社試験や面接を通過して入社する。入社の段階では、ほとんどが素質や能力を認められているはずなのである。
ところが、数年もすると結果を残せる人と、結果を出せない人に分かれてしまう。それでは、結果を出せなかった人が全く努力をしていなかったのかといえば、そうとも限らないだろう。
実際、私と同じくらいの練習をこなしていたのに、二軍暮らしから抜け出せなかった選手もいたはずだ。一般社会でも時間をかけて努力したのに、努力に見合った結果が伴わないケースもあるだろう。
むしろ、それほど努力をしていなかった人の方が、努力をしていた人よりも好結果を出すことだってあるかもしれない。努力と結果は必ずしも結び付くわけではない。なぜなのだろうか。
よくよく観察すると、それは正しい努力をしているのか、それとも間違った努力を続けているのかということなのである。
兼任コーチをしていた際、ヤクルトの選手数人にこんな質問をしたことがあった。「ゴロを捕球するときには、バウンドのどこ(の段階)で捕ったらいいと思う?」放物線を思い浮かべてみてほしい。
一度、地面でバウンドしたボールはあるところまでは上昇し、また地面に向かって下降を始める。バウンドの「上がり際」で捕るのか、それとも、バウンドの「落ち際」で捕るのかの二択なのである。
捕球する際の正解は「上がり際」である。野球用語で言えば、ゴロはショートバウンドで捕るのが、正解なのだ。
なぜならショートバウンドで捕ろうとすれば、グローブを立てて捕ろうとしなければならないので必然的に捕球面が大きくなる。さらには、前進して捕球することにつながる。結果的に、下半身を使って投げる動作にも連動するからである。
ところが、くだんの質問に対しての答えを聞いて、驚いてしまった。何年も野球をやってきたプロ野球選手、それも一時期はレギュラーを張っていた選手の中にも「落ち際」と答える者がいたのである。
「落ち際」で捕球しようとするとグローブが寝ていてもいいし、打球が来るのを待って捕った方が捕りやすくなってしまう。当然、下半身を使って投げる動作には連動しない。
それでは、いくら練習を重ねても上達するはずがないのである。努力にも正しい努力と間違った努力がある。
努力の方向性を誤ってしまっては、努力を重ねれば重ねるほど求める結果からは遠のいてしまう。努力の方向性だけは、見誤らないようにしたい。努力と結果は必ずしも結び付くわけではない。
それは正しい努力をしているのか、それとも間違った努力を続けているのか、ということなのである。
洞察40マイナス思考は悪くない
人は物事をポジティブな方向に考えるプラス思考の性格と、ネガティブな方向に捉えるマイナス思考の性格とに大別できるという。私はといえば、紛れもなくマイナス思考の性格である。
現役時代に選手としてプレーしていたときにも、あるいは普段の生活を送る中でも、最悪の事態を想定して行動することの方が多い。
世の中には「マイナス思考の自分を好きになれない」「ネガティブな思考を克服して、ポジティブな思考になりたい」といった悩みを抱えている人も多いそうだ。
しかしながら、マイナス思考自体は悪いことではないと思っている。物事というのは、もちろんうまくいくことをイメージしなくてはいけないが、基本的には思い通りにならないことの方が多い。
どんな仕事をしていても、思い描いた通りになることは少ないはずだ。にもかかわらず、ポジティブな面ばかりを考えてしまうと、ネガティブな面が現れたときに対応が遅れることになる。
野球を例に取るなら、投手の継投策が分かりやすいだろうか。
試合終盤に僅差で勝っている場面では誰であってもセットアッパー、抑えと役割通りに継投していきたいものだ。ところが、そううまくいくとは限らないものだ。
期待して送り出された投手が打ち込まれ、試合をひっくり返されるケースを何度も見てきた。
監督や投手コーチといった立場では、継投で送り出す投手に期待する一方で、常にうまくいかなかった場合も想定しておかなければならない。
石橋をたたいて渡るという言葉があるが、最善と思えるプロセスを積み重ねていくしかないのである。その意味ではポジティブな面を考えるプラス思考より、最悪の事態を考えるマイナス思考の方がリスクを管理できるといえる。
名将と呼ばれる指導者にマイナス思考の性格が多いのも、うなずけるはずだ。一方、選手目線でいえば、マイナス思考を積み重ねることでプラス思考に変えることができるといえる。
2015年のラグビーワールドカップで優勝候補の南アフリカ戦に勝利した日本代表を変えたのが、エディー・ジョーンズヘッドコーチの過酷な長期合宿だったと聞いた。
従来は体力勝負では世界に勝てないと決め付けていたが、世界標準のパワーがなければ同じ土俵に立てないと、徹底的にフィジカルを鍛えたのだという。
「これで大丈夫だろうか」「もっと鍛えた方がいいのではないか」というマイナス思考で準備を重ね、試合では「これだけやったのだから」とプラス思考に変えていく。マイナス思考を積み重ねて最後にプラス思考に変えるのは、準備として正しい順番だといえる。
私の経験でいえばPL学園高校でのシートノックがそうだった。
「送球が逸れて(一塁を守る)先輩の手が少しでも伸びたらまずい」「エラーをしたらチーム全体の雰囲気が悪くなってしまう」練習でのシートノックは、試合で打球を処理するよりも緊張したものだった。
毎日厳しい環境の中で練習を重ねていたから、試合での緊張は感じなかった。
マイナス思考を積み重ねることで、最後には「あれだけ厳しい練習をこなしたのだから」とプラス思考に変えられるのである。
洞察41鍛えるべきは「体・技・心」
人間にとって大切な三つの要素として「心・技・体」という言葉がある。精神力、技術力、体力を表す言葉で、スポーツや武道の世界で使われることが多い。
「心・技・体がそろって初めて力を発揮できる」といった表現を、一度は耳にしたことがあるはずだ。
それでは「心・技・体」のどれから鍛えていけばいいのだろうか。私は順番が異なると考えている。並べ替えるのなら「体・技・心」の順番になる。
もう少し細かく分類するのなら、「心(半分)・体・技・心(残り半分)」の順番になると思っている。最初に来る「心」は志や熱意のことだ。
例えば野球選手であれば「野球がうまくなりたい」とか「将来はプロ野球選手になりたい」といった根底にある情熱、熱意のことを指す。
ビジネスマンなら「任された仕事で大きな成果を挙げて評価されたい」、学生であったら「第1志望の会社に就職したい」といった志を抱くことだろう。
そうした志や熱意が強ければ強いほど、「体」を作るための厳しい練習や訓練にも耐えることができる。初めに来る「体」を作る上での「心」と捉えていただきたい。
では、なぜ「体」が「技」や「心」よりも先に来るのかといえば、技術力や精神力は体力が基本になっているからだ。「体」とは簡単に言えば丈夫な体のことである。
そもそも丈夫な体が備わっていなければ、高度な技術を身に付けようとしても体力が持たない。ここでいう「技」とは、簡単に身に付く技術のことではないからだ。
一つの世界で生き抜いていくためのセールスポイントや、強みになる技術力を身に付けるのは、並大抵のことではない。
どんなに志を抱いていても、丈夫な体を備えていなければ体が持たない。それこそ、無理を続ければ故障にもつながってしまうだろう。
丈夫な体があるから、高いレベルの技術が習得できるし、強い精神力を発揮することができる。どんな職業でも、仕事をしていく上で体力は必要だろう。
さて、野球の世界で突き詰めて考えていくと、基本になる「体」が丈夫で強く、速く、大きくなれば、目指す「技」の方向性が見えてくる。
強さ、速さ、大きさというのはいずれも重要な要素であり、それぞれをレベルアップさせていくことが大切だが、なかなか理想通りにはいかないものだ。
だからこそ、自分の武器になる部分を鍛えようとするし、弱点を補おうとする。「技」を習得していく上での方向性を見極めるためにも、「体」が重要になってくるのである。
言うまでもなく、「体」は「心」にも影響する。体力に余裕があれば、さまざまな場面で余裕が生まれ、新しい発見にもつながる。
限界まで疲れて練習をするよりも、体力のゆとりと目的意識を持って練習をする方が技術も身に付くのは明らかだろう。「体」「技」の順番に鍛えていけば自ずと「心」も強くなっていく。
そうして「体・技・心」がそろうのである
洞察42集中力の鍛え方
集中力とは何だろうか。どんな小さな子供でも、集中力はある。目の前の玩具に集中して、飽きずに遊び続けることもあるだろう。
ただ、小さな子供の場合には長続きしない。ひとたび関心を失うと、たちまち集中できなくなってしまう。文字通り、玩具を放り出してしまう。
どうやって集中力を鍛えていけばいいのだろうか。一つには、毎日何かを継続することが大事なように思える。例えば腹筋を鍛えるにしても、飽きずに続けることが重要になる。
最初は5分しか集中できなかったのが、15分集中できるようになり、次第に30分、1時間と集中して鍛えられる時間が延びていく。
こうした訓練が、集中力を高める土台になる。
恥ずかしい話だが、私自身、野球以外には全く集中力がなかった。勉強にも集中力を向けられれば良かったのだが、授業中は教師の声がほとんど耳に入ってこなかった。やはり、好きなことだから集中できるという面はあるのだろう。
何をやるにしても、目的意識を持って取り組むのと、漠然と取り組むのとでは、集中力に差が出るのは当然のことだ。
例えばバッティング練習一つを取ってみても、打撃フォームの改善したいポイントを意識して振れば、自然と1球1球に集中する。
今のスイングは悪い癖が出ていたな、今のスイングは良かったと考えを巡らせるようになる。一方でただ気持ちよくバットを振っているだけでは、集中力が高まるはずもない。
プロ野球の世界では、素質がありながら、集中力が持続しないために定位置をつかめない選手もいる。そういった選手は、おしなべて好不調の波が激しいものだ。
集中しているときにはチームを助けるような素晴らしいプレーを見せるが、集中力を欠いたときはチームの足を引っ張る凡ミスを犯す。
だから、首脳陣からの信頼を得ることができず、定位置をつかむことができない。ただ、こういった選手は思いがけない集中力を発揮することがある。
チームが不調のときは、選手全員の調子が悪くなる傾向があるが、時としてこういった選手が流れを変えるプレーをすることがある。
指導者にとっては使い方が問われるタイプの選手ともいえるだろう。
集中力が高い選手といって真っ先に思い浮かぶのは、プリンスホテルの先輩に当たる小川博文さん(現DeNA一軍打撃コーチ)だ。
一緒にプレーはしていないのだが、プリンスホテル時代には「九回の小川」と呼ばれていたという。九回にビハインド、あるいは同点という場面では大げさではなく打率10割だったという。
劣勢の場面では「小川に回せ」と言われていたという話を何度も聞かされていた。印象に残るのは1995年のヤクルトとオリックスとの日本シリーズ第4戦(神宮)だ。
オリックスに在籍していた小川さんは、九回に完封目前の川崎憲次郎から同点本塁打を放ち、オリックスがヤクルトに逆転勝利した。
入団1年目だった私は途中出場で二塁を守っていたのだが、打たれた瞬間に「九回の小川」というフレーズを思い出していた。
洞察43洞察力の鍛え方
この書籍のタイトルにもある「洞察」という言葉を辞書で引いてみると、「鋭い観察力で物事を見通すこと。見抜くこと」とある。
チームにおいて脇役だった私が19年にわたって現役を続けられたのは、相手を知り、自分自身を知ることに努めたからだと書いてきた。では、どうすれば洞察力を鍛えることができるのか。
現役時代、楽天との交流戦で、PL学園高校の後輩でもある松井稼頭央と打者走者が見えるかどうかの話をしたことがあった。
雨が降るKoboパーク宮城の試合でのことだった。当時ヤクルトのラスティングス・ミレッジがショートゴロを打った際、打席で足を滑らせて転んでしまった。
ショートを守っていた松井は、ボールをグラブに当ててはじき、一度は一塁に投げるのを諦めてしまった。
ところが、ボールを拾ったときに打者走者のミレッジが走っていないのに気付き、慌てて一塁に投げたが、結果はセーフになった。
私がショートを守っていた感覚でいえば、ボールを追っていながらでも「打者が転んだ」と気付くはずである。翌日、試合前の練習中に松井にその話をすると、驚いた顔をされた。
「ウソでしょう。(打者走者が)見えるわけがないじゃないですか」「いや、見えるやろう」読者の方にも試してもらいたいのだが、真っすぐに前方の一点を見詰めていても、前方の周辺は視界に入る。
たとえボールを追いかけていたとしても、打者走者の進み具合は視野に入るはずなのである。
足の遅い打者であったり、一生懸命に走っていないのが見えたりしたときには、ゆっくりと捕球してから投げても間に合うという話をした。
すると今度は神宮での楽天戦で、ヤクルトのバッターの打った球が詰まって高いバウンドの打球になった。さほど足の速くない打者だったのだが、松井が前進してきてはじいてエラーしてしまった。
翌日の練習中、松井に「この間、言っただろ」と言うと、「絶対に言われると思ったんです」と苦笑いしていた。
内野手は視界を広く保たなければいけない。特にショートを守っているときには、視野を広く保とうとしていた。
打者はもちろん、セカンドランナーがちょっとした動きを見せたときにも、視界の隅で捉えておかないといけないからだ。こうした感性は、日々の生活の中で養われると考えていた。
「この人は今、何を考えているのだろう」「今の表情はどんな心理からきているのだろう」このように目の前にいる人の表情一つ一つを観察していた。
例えば、脱いだ靴の並べ方一つ取っても、選手の性格が透けて見えることがある。
「あいつは面倒くさがりな性格だから、脱いだ靴をそろえて置かないはずだ」と思っていたら実際にそうなったこともあった。
こうした感性が仕事につながるのは、どの世界でも同じではないだろうか。
洞察力につながる感性は、日々の生活の中で養われるはずである。洞察力は、日々の生活の中で養われると考えていた。脱いだ靴の並べ方一つ取っても、選手の性格が透けて見えることがある。
「あいつは面倒くさがりな性格だから、脱いだ靴をそろえて置かないはずだ」と思っていたら実際にそうなったこともあった。
洞察44質の高い睡眠が集中力を高める
睡眠に関する書籍が売れているそうだ。深く眠り、心地よく目覚めることができれば疲労を回復できる。世界的に見ても睡眠時間が短いといわれる日本人は、質の良い睡眠を取ることに興味があるようだ。
自慢ではないが、私はいつでも眠ることができる。睡眠について悩んだことは、これまでに一度もないといっていい。「昨日は考え事をしていて寝付けなかった」といったような話を聞くと、不思議でしようがなかった。
どんなに大きな問題を抱えているときでさえ、就寝する時間になれば自然と寝付くことができた。
不振で食欲が落ちていようとも、布団に入って目を閉じているうちに気が付けば朝を迎えている。
切り替えが早いというよりは、純粋に睡魔の方が勝ってしまうわけだ。
以前、原辰徳さん(前巨人監督)の著書の中で、東海大学などで監督を務めた父親の原貢さんから「悩み事や考え事は、布団の中で考えてはいけない。暗い中で、良い案は浮かばない。電気をつけて部屋を明るくし、いすに座って考えなさい」と助言されたという話を読んだことがある。
素晴らしい言葉だと思うと同時に、私の場合は別の意味でも布団で考え事をしてはいけないと思ったほどである。
いつでも寝られることは有利に働いたといえる。プロ野球は移動時間が長いからだ。セ・リーグでは東京から広島まで、新幹線で4時間かけて移動した後に試合をすることがある。
若い頃には東京駅で乗ってすぐに眠りにつき、気付けば広島駅に到着していたということもあった。宿舎としているホテルから球場までバスで20〜30分移動するというときにも、すぐに眠ることができた。
わずかな移動時間でも睡眠に充てることができるかどうかは、試合でのパフォーマンスや集中力に影響する。睡眠で心掛けていたのは、睡眠時間を確保することだった。
必要な睡眠時間は年齢や性別、基礎代謝量などで個人差があるそうだが、私の場合は8時間は眠るようにしていた。例えば遠征先でのナイター後は、食事を終えてから午前1時か2時過ぎに就寝することになる。
若い頃は翌日の午前9時頃から指名練習があったため、睡眠時間が8時間に満たないことがあった。
そんなときは練習に参加し、ウエートトレーニングから帰ってきた後に、球場に向かうバスの出発時間までホテルの部屋で眠るようにしていた。
昼食はコンビニエンスストアで買ってきた弁当をかき込んだ。ホテルの昼食会場が開く時間まで待つより、睡眠時間を優先したかったからだ。40歳を迎える頃からは、練習後の昼寝も取り入れるようになった。
試合前のミーティングが始まるまでの空き時間に10分、15分でも仮眠を取るのである。ミーティングや試合に集中できるという意味でも、昼寝には効果を感じていた。
私以外でよく眠るといえば、ヤクルトに同期入団した稲葉篤紀(日本代表監督)だった。まだ広島市民球場が使われていた時代、宿舎のホテルから球場まではバスで5分ほどの距離だった。
さすがの私も眠らなかったのだが、横を見ると稲葉は寝息を立てていた。
洞察45チームに必要な個人の自主性
言うまでもなく、野球は団体競技である。チームには監督が決めた方針があり、場面によっていくつかの決め事がある。団体競技である以上、決め事が失われてしまってはチームとしての機能は失われる。
一方で、そうした決め事を超えた個人の自主性がチームを動かす力になる場合がある。
1993年の日本シリーズ第7戦で古田敦也さんが見せた「ギャンブルスタート」は有名だが、私もベンチからの指示に反して動いたことがあった。
日本一になった1997年のことだった。
巨人戦の試合終盤でピンチを迎え、ショートを守っている場面で、ベンチからは「三遊間を締めろ」という守備位置の指示が出ていた。
だが、自分の判断で二遊間を締め、センター前に抜けそうな打球を捕球してアウトにしたことがあった。投手が投球モーションに入ってから、徐々に守備位置を変えていった。二遊間に寄っていなければ、捕球できない当たりだった。
投手は左の加藤博人さんで、打者は右のペドロ・カステヤーノだった。
過去のデータ上では確かに三遊間への打球が多かったのだが、その試合での加藤さんの投球内容とカステヤーノのスイングのタイミングを見ると、引っ張った打球が三遊間に飛んでくるようには思えなかった。
外野も極端な前進守備は敷いていない。打球がレフト前に抜ければ本塁での勝負になるかもしれないが、センター前に抜けたら1点は覚悟しなければいけないという理由もあった。
当時の内野守備コーチは現役時代に名ショートとして鳴らした水谷新太郎さん(現ヤクルト二軍チーフ兼内野守備走塁コーチ)である。
ベンチからの指示を無視した私の動きには気付いていたはずだが、ベンチに戻ると「ナイスプレー」と声をかけてもらった。
1997年は入団して3年目のシーズンだった。過去2シーズン、時間をかけてベンチとの信頼関係を築いていたから、許されたプレーだったといえる。
自主性が生まれるのは、どういった瞬間だろうか。正直、自主性という言葉の定義がよく分からないというのが実感だ。ただ、個人として自主性が生まれるためには、段階を踏むことが重要だと感じている。
例えば、高校や大学から入ってきたばかりの選手に最初から自由だけを与えてしまっても、プロの世界で戦っていくことはできない。
プロの世界で戦っていくための練習方法を学習したり、選手として目指すべき方向性を強制されたりする期間が必要だろう。
そうしてしばらく経験を積み、ある程度の技術や考え方が身に付いてきたら、今度は強制されるだけでは選手として次の段階には進めない。自分で考えることを学ばなければ、変化していくことができないからだ。
自主性が生まれたのを感じたといえば、2015年シーズンのヤクルトの川端慎吾がそうだった。
2006年に市立和歌山商業高校から入団した頃から打撃技術には目を見張るものがあったのだが、故障が多く、シーズンを通して出場することができないという弱点を抱えていた。
現役時代から川端には「中心選手は少々の痛みがあっても休むな」と話し続けてきたのだが、2015年のシーズンは試合がない日には自主的に治療院に通って体のケアに努めていたのだという。
それもあってか全試合に出場し、打率3割3分6厘で初めて首位打者を獲得した。故障を克服するにはどうすればいいかを自分で考え、変化することができたからだろう。
団体競技である以上、決め事が失われてしまってはチームとしての機能は失われる。一方で、そうした決め事を超えた個人の自主性がチームを動かす力になる場合がある。
洞察46時間をマネジメントする
時間を上手にマネジメントする。ビジネスの世界には、そんなテーマがあると聞いたことがある。どんな仕事であったとしても、時間を有効に使うことができる人は仕事ができる。
それは、プロ野球の世界であっても同じように感じる。一方で、決められた時間に遅刻をしてしまう人がいるのも事実だ。プロ野球では団体行動をする場面が多い。
例えば、宿舎としているホテルから球場に移動するバスの出発時刻や、試合に向けたミーティングが始まる時間、練習が始まるのは何時何分と、集合時間が決められている。
こうした団体行動の場面で遅刻をすると周囲に迷惑をかけることになる。たとえ5分の遅刻であったとしても、一人の遅刻で何人、何十人もの時間を奪うことになるからだ。
どれだけ練習に真面目に取り組み、良い動きを見せていようとも、首脳陣やチームメートからの信頼を失ってしまう。
監督は次の試合に先発で使ってみようと考えていたのに「遅刻をするような甘い考えの選手は試合では使えない」「他の選手に示しがつかなくなってしまう」と二軍行きを命じられることだってあるだろう。
積み重ねていた努力さえ、一度の遅刻で無駄になってしまうわけだ。私にとっては時間を守るのはごく当たり前のことで、特別なこととして考えたことはなかった。
時間を守ることに対して厳しい感覚が身に付いたのは、PL学園高校での経験が大きいと思っている。当時は全寮制で厳しい集団生活を送っていた。1年生は上級生よりも早く起床して準備しなければならないが、目覚まし時計を鳴らしてはいけないという決まりがあった。
目覚まし時計を鳴らさずにどうやって起きるのか。代々受け継がれてきた技があった。起床時間を示す針と短針が重なる「カチッ」という小さな音で起きるのである。
信じられないかもしれないが、寝坊をしたら大変なことになるという緊張感があれば不思議と起きられるものなのである。当時の厳しい上下関係の中では、そもそも遅刻をすることは考えられなかった。
今でもPL学園高校の先輩と待ち合わせをするときは同じだ。待ち合わせ時間の15分前に到着していれば大丈夫な場合でも、自然と30分前には待ち合わせ場所に着いてしまう。
何歳になっても、先輩に対しては「先に着いて待っていました」という雰囲気で迎えないといけないと思ってしまうからだ。
プロに入ってからも遅刻はしなかった。現役時代は練習が始まるかなり前に球場に到着していた。人がまばらなクラブハウスで、落ち着いた気持ちを持って心と体の準備をする。
何より時間に余裕を持って用意をしたいという思いが強かった。
例えば、練習が始まる5分前にクラブハウスに飛び込んで、慌てて着替える。飛び出すように球場に向かい、そこで何かの用具を忘れたと気付く。そうやって慌てることが、性格的に嫌いだったわけだ。
現役を引退してからも、その考えは変わっていない。例えばゴルフは朝が早い。それでも、スタートの1時間前にはゴルフ場に着くように計算して、家を出るようにしている。
誰かを待たせたり、慌てたりすることが基本的に嫌なのである。緊張感があれば、遅刻は避けられる。遅刻をしてしまうのは、どこかで仕事や相手への敬意を欠いているからといえるかもしれない。
洞察47オフの時間の使い方
遅刻の話に続いて、時間の使い方について書いてみたい。
時間をうまく使える人間は仕事ができると書いたが、成果が上がらない時に「時間がない」と言い訳をする人が意外に多いようだ。
例えば、練習をする時間がなかった。勉強に充てられる時間が足りなかった。仕事のメールを返信する時間がなかった、と言い訳をする人もいるだろう。
この「時間がない」という言葉を耳にすると、この人は時間の使い方が下手なのだなと感じてしまう。時間は作ろうと思えば、作れるものだと思うからだ。
一日のスケジュールを頭の中に描いてみる。一つの仕事が終わり、次の仕事までの合間に30分ぐらいの空き時間があるとしたら、できることは意外にあるものだ。
近くの店に預けていたスーツを取りに行く。必要だった買い物をさっと済ませてしまう。
そうすることで改めて別の日にスーツを取りに行ったり、買い物に出かけなくても済むようになる。後日やろうと思っていた簡単な仕事を済ませてしまうだけでも時間は作れる。
引退してからはプロ野球の試合の解説や講演会、野球教室などの仕事があるが、1週間先までの予定は頭に入っている。
何かやらなければいけないことができたら、スケジュール帳を開かなくても、どの日時に入れられるだろうかと自然と考える癖が付いている。
現役時代を振り返ってみると、シーズン中は予定を詰め込むことはしなかった。誰でも年齢を重ねるにつれて、自然と目が覚めるのが早くなるものだ。
チームの中には試合のある日に朝から散歩に出かけ、観光名所を訪れたという話をする人もいたが、私は一切しなかった。それよりも部屋で寝転んでいる方が良かった。
シーズン中は無駄な労力を使いたくなかったし、散歩をするぐらいなら休養を優先したいという考えもあった。ただ、オフシーズンの時間の使い方にはこだわっていた。
オフシーズンを迎えて最初にすることが、春季キャンプまで数カ月分のトレーニングの予定を組むことだった。ウエートトレーニングに充てる時間や球場で体を動かす時間と、ある程度のスケジュールを事前に決めるようにしていた。
プロ野球選手にとって唯一、一日の時間を自由に使えるのがオフシーズンといえる。誘われればゴルフにも行きたいし、テレビ番組に呼ばれれば出演したいと考えるのが普通だ。
ところが、ゴルフやテレビ出演で必要な練習ができなくなっては本末転倒になってしまう。最初に翌年のシーズンに向けた練習のスケジュールを決めてしまい、予定に影響しない時間の中で受けるようにしていた。
オフシーズンに頻繁にテレビに出演していた選手が活躍できなくなると、「テレビにばかり出ているからだ」と批判を受けることがある。
だが、プロ野球選手なのだから、自分の名前を知ってもらう機会でもあるテレビ番組には極力出た方が良いと思っている。もちろん、練習が最優先であるのは変わらない。長く第一線で活躍している選手には、この線引きがうまい選手が不思議と多いから面白い。
線引きという点では、故障との付き合い方もその一つだろうか。
2009年の9月28日、クライマックスシリーズ出場を争っていた阪神戦(神宮)で一塁にヘッドスライディングした際に右手の親指を剥離骨折したことがあった。
チームは初めてのクライマックスシリーズ出場をかけて戦っていた。シーズンは佳境でリハビリをする時間は残されていない。試しにバットを振ってみると激痛が走ったが、耐えられないほどではなかった。
担当の医師からは「指が曲がったままになってしまいますよ」と止められたが、別に曲がっても大丈夫だろうとプレーを続けることを決めていた。
「親指が曲がっていると困ることがある。ボタンを開けるときや、日常生活の中で引っかかってしまうこともある」と説明していた医師も最後には「それでもやるというのであれば、添え木をしてやりなさい」と許可をしてくれた。
話はややそれてしまったが、優先順位を見誤らない、線引きをする——これらが時間を作るコツではないだろうか。
洞察48ひらめきが訪れる瞬間
仕事をしていく上で、ひらめきが訪れる瞬間がある。スポーツ選手の場合、それまでできなかったプレーがある日から急にできるようになる。あるいは、苦手としていた相手に勝てるようになるといった瞬間だ。こういった瞬間は、何もスポーツ選手に限った話ではないだろう。
これまでできなかった仕事が、ある日を境にできるようになることもあるはずだ。
とはいえ、ひらめきが訪れる瞬間は、ただ待っていて来るものではない。
現役時代はサイドスロー、アンダースローの投手との対戦が苦手だった。例えば、中日に鈴木義広という投手がいた。身長が190センチメートル近くと大柄で、サイドから変則的に投げる投手だった。
通算で17打数1安打と完璧に抑えられることになった。大げさな表現ではなく、グラウンドで顔を見るのが嫌になるほど、相性が悪かったのだ。
サイドスロー、アンダースローの投手というのは、上から投げるよりもボールのスピードは遅くなる。球速は120キロ台と遅いはずなのに、不思議と打球が詰まってしまうのである。
元ロッテの渡辺俊介や、西武の牧田和久も、120キロ台の球速のボールで詰まらせるピッチングを得意としていた。サイドスロー、アンダースローの投手と対戦するたび、打席でのアプローチの仕方を考えていた。
サイドスロー、アンダースローの投手を打てないのは、対戦した経験自体が少ないからかもしれない。あるいはボールをリリースする手元が見えにくいからなのか。
ボールの軌道に外側からバットを合わせて打とうとしたこともあるし、普段より打席の前に立って打ったこともあった。対処法に気付いたのは、現役を引退する3、4年前のことだった。
サイドスロー、アンダースローの投手はプレートの端を使って投げることが多いので、リリースするポイントが普通の投手よりも打者寄りになる。
物理的にインコースのボールは打者との距離が短くなるわけだ。そこをいつもの感覚で打ちにいこうとするから、体の軸が投手側に引き出される。結果として打球が詰まってしまう。
それならば、タイミングを取ろうとせずに「トスバッティングのような感覚で打ってみよう」と思い立ったのである。実際、トスバッティングのように打つと、鈴木のボールをバットの芯で捉えることができた。
結果はセカンドゴロだったが、それまでの打席での感覚とは明らかに違った。渡辺や牧田との対戦でもこの方法を試してみると、タイミングが取れるようになったのである。
もちろん、サイドスロー、アンダースローに対しての苦手意識が完全になくなったわけではなかったが、以前とはまるで変わったのだ。
この方法にもっと早く気付いていれば結果が変わったのにと思ったこともある。だが、何もせずにいてひらめきの瞬間が訪れたかといえば、それほど都合のいい話はないはずである。
試行錯誤をして失敗を積み重ねていたからこそ、ようやく気付くことができたはずなのだ。
例えば、テレビドラマでは、仕事に悩んだ主人公がいつもより早く出社したことで、清掃担当者から助言をもらって解決策がひらめくといった場面が描かれることがある。
待っているだけでは、行き詰まりを打破することはできない。何もせずにいてひらめきの瞬間が訪れるとか、それほど都合のいい話はない。試行錯誤をして失敗を積み重ねていたからこそ、ようやく気付くことができたのである。
特別コラム二刀流の答え
答えを出すべき時期に差しかかっているのではないだろうか。日本ハム・大谷翔平の二刀流についてだ。2013年の入団以来、大谷の投手、野手の二刀流は大きな注目を集めてきた。
投手としても、打者としても大きな才能を持つだけに、どちらか一本に絞る決断を下せないのは理解できる。
ただ、右足首の故障で2017年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を辞退したように、ひずみが出始めているように感じる。
投手と野手の練習が必要な二刀流が、体に大きな負担をかけているのは間違いない。
足首の故障が体からの信号なのか、あるいは偶然なのかは分からないが、どちらか一本に絞る時期に来ているのではないだろうか。
現役時代、2013年5月23日の日本ハム対ヤクルト戦(札幌ドーム)でプロ1年目の大谷と対戦する機会があった。彼にとってはプロ初登板・初先発の試合で、結果は遊撃内野安打、遊ゴロの2打数1安打だった。
デビュー戦でも150キロ台後半のストレートを投げていたが、打席ではスピードガンの表示ほど速くは感じなかった。
実際、同戦は五回6安打2失点でマウンドを降りている。当時から比べれば、ストレートの質、制球、変化球の精度と全ての面で成長を感じることができる。
何よりも状態が悪くても、悪いなりの投球ができるようになったことが大きい。マウンド上でその日の状態に応じて対応することができる。
どんな調子であっても、ある程度の投球ができるのは好投手に欠かせない条件の一つだ。打者としても、2016年のシーズンで22歳時点の松井秀喜よりも上だったといえるだろう。
同年の侍ジャパンの強化試合(オランダ戦)では東京ドームの天上に打球を当てた。打撃練習でもスイングスピード、パワーを含めて驚かされることが多かった。
ただ、である。
二刀流での10勝、20本塁打ももちろん素晴らしいが、厳しい言い方をすればどちらも中途半端にも思えてしまう。あれだけの素質を持つだけに、どちらかに専念して球史に残る記録を残してもらいたいというのが本音だ。
それでは投手と打者、どちらに専念するべきだろうか。プロ野球関係者としての立場で言うならば、投手一本の大谷が見てみたい。投手ならば歴代最高の選手を目指せる。
大リーグに戦いの場を移すということを前提に考えるなら、全米レベルでも一番の投手になる可能性があるからだ。
一方で野球ファンの視点で言うならば、打者として大リーグで40本塁打する姿も見てみたい。こちらも前例がないだけに、日本人が長距離砲として活躍する姿を見てみたいからだ。
大谷を見ていると、努力の方向性や計画性がしっかりしているのだなと感じさせられることが多い。オフシーズンを経験するごとに体が一回り大きくなっているからだ。
将来を見据え、計画的に正しい努力を重ねることができるのだろう。ずば抜けた素質を持った人が、このような正しい努力をされるとライバルは困ってしまう。
ライバルたちの本音は、「せめて才能だけでプレーしてくれ」だろうか。
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