フォロワーをいかに育てるか理想のフォロワー像を描く部下に主体性を持たせる最悪なフォロワー像マニュアル化による自主性逓減安心安全による自主性逓減部下の成長チャンスとリーダーの手助けフォロワーの資質と目標に合った環境フォロワーのスタイル構築支援フォロワーシップの最終形
フォロワーをいかに育てるかいよいよ、ここからが本書のメインテーマであるフォロワーシップである。
リーダーのためのフォロワーシップ論だ。
繰り返しになるが、この章はリーダーのための知見ではあるが、リーダー自身のリーダーシップスキルだけを磨くことではない。
それ以上に、フォロワーの立場になりきり、そのフォロワー自身が成長することを主眼において議論を進めていく。
そのため、心構えとして本気でフォロワーを育てよう、いや、本気で育ってもらいたいという気がなければフォロワーシップを発揮することはできない。
誰しも、自分自身のリーダーシップについては精一杯努力をしたり、労を惜しまず壁に立ち向かうだろうが、自分のこと以上に、他人の成長を最優先させて行動するのは正直、難しく、とても面倒くさい。
もちろん、他人のために自分を犠牲にすることを好む方もいるかもしれないが、現実的にそう多くはないだろう。
企業におけるリーダーのフォロワーシップとは、自分の成果も上げつつ、部下の育成を優先させるスタンスといえる。
スポーツの指導者であれば、目の前の勝利と将来の育成を同時に求められるのと同じだ。
本章では、現場で自己成果と育成指導に奮闘されている方々を念頭において、フォロワーシップの基本的な考え方と取り組みを紹介したい。
理想のフォロワー像を描く最近企業の間でも、部下に求められる能力として、組織に対して正しく「批判する力」や適切に「貢献する力」が挙げられる。
確かに、フォロワーに求められる能力を種々の言葉に集約すると分かりやすいのだが、これはスキル論に偏りがちになるので、あえてまず大きな視点で考えてみたいと思う。
理想のフォロワー像を描く最初のステップとして、自分がこれまで接してきた素晴らしいフォロワーを思い浮かべると良いだろう。
例えば、家庭での献身的な母親の姿だったり、大学のサークル活動における後輩のフットワークの軽さだったり、会社での雑用を惜しまずやる派遣社員の方だったり、見本としたいフォロワーは実は日常生活の中に溢れている。
そうした思い浮かぶ理想的なフォロワーの姿を、具体的に言語化するというスキルはリーダーとして非常に重要である。
リーダーの口からフォロワー自身がその理想の姿を聞いた後、フォロワーがそのイメージどおりにアクションを起こせるくらい明瞭で伝わりやすいものでなければならない。
部下に主体性を持たせる部下を育成するにあたり、彼らの主体性の向上について、頭を悩ませている上司は少なくないだろう。
そこで私がよく使っているリーダーを支えるフォロワーの主体性の例について、理想像を紹介したい。
ヨットというスポーツ競技を思い出してほしい。
ヨット競技でチームの中心となる人物はスキッパーと呼ばれる艇長である。
競争相手のスピードと進路を計算しながら、風と潮の流れを読み、艇を最善のルートに導く役である。
天才的なスキッパーであれば、凡人では理解できないような直感とセンスでチームを引っ張る。
その際の理想的なフォロワーの姿は、スキッパーの指示を素早く理解し、正確なマシンとなって働くことである。
組織の中に天才的スキッパーがいるのなら、それで何も問題はないが、実際はそのような超非凡なリーダーが組織にいるケースは少ない。
強い風が吹き、潮が荒れている中でのレーススタート。
そこで、リーダーは考える。
主体性のあるフォロワーはリーダーが決断を下すまで、ただ待っているだけではない。
リーダーが考えている間、フォロワーはリーダーが考えるように自分たちも考える。
この強風と潮の流れだとリーダーはA、B、Cの三つの選択肢のうち恐らくBを選ぶだろうと推測し、指示が出る前にBの準備をしておく。
そこでリーダーがBと言った瞬間に「やっぱり、Bだ!」と確認をして実行する。
これが理想的な主体性を持ったフォロワーの姿だ。
全員がリーダーと同じ気持ちでいること。
与えられたり指示されたりするのを待つのではない。
最終的に決断を下すのはリーダーだけれど、常にフォロワーもリーダーと同じように主体性を持って考える。
これは私の理想とする組織でもある。
最悪なフォロワー像理想的なフォロワー像を描くことができたら、次に対極視点法を使って、最悪なフォロワー像を描いてみよう。
過去に実際に接触した嫌なタイプのフォロワーを思い出してもいいし、他人から見聞きした経験でも良い。
もちろん、テレビドラマや映画から引っ張ってきても構わない。
万が一、部下が成長しなくても、最低限こんな言動は避けてもらいたいという限界点を明確にしておくことは重要である。
「日経プラスワン」の調査の結果を参考に挙げた。
これらの回答に対して、同感するかしないかは別として、最近の若者の言動を実によく示している。
とても興味深い結果である。
ダメな上司のように一言で表現するのは難しいが、これらに共通して言えることは、自己中心的であり、自分本位であること。
世代の違う人間からすると、他人に対する配慮が欠如していると感じるだろう。
しかし、当の本人たちは、自分たち若い世代の多くが同じ感覚で過ごしてきたため、会社に就職するなど社会に出るまでは、自分たちが相手に対する配慮が欠如しているとは気づかない。
ゆとり教育の中で、まずは自分のことをしっかり考えなさいと言われ続けてきた結果、言動が自己中心的になったのは、むしろ優等生の証かもしれない。
しかし、異なる世代がオーバーラップする企業組織や現実社会からすれば、彼らの言動はどうも違和感があり、これから同じ仲間として仕事を行っていくにはリスクがあると感じてしまう。
特に、直接、顧客とコミュニケーションを密にとる営業のような仕事を任せるのは、非常に勇気がいる。
また、自分本位で育ってきた若い世代が将来、リーダーとなり、もっと若い世代を指導する立場になるころを想像した場合、一抹の不安も覚える。
そんな悩みが今、企業や社会の中で蔓延している。
しかし、何事にも理由がある。
課題には必ず原因があり、原因が見つかれば、対策が見えてくるはずだ。
では、なぜ、ゆとり教育を受けた若い世代は他人に対する配慮がなくなってきたのか。
リーダーたちはその理由を多面的な視点から考えていかなければならない。
マニュアル化による自主性逓減人間の組織というものは、正常であればあるほど、知識やノウハウを蓄積し、組織に対するリスク要因をできる限り減らしていくものである。
それがいわゆる、組織叡智と呼ばれるものだ。
例えば、ある村で老人が毒キノコを食べて病気になった。
すると、村人はその老人が食べたキノコは危険だと分かる。
いくら美しいキノコでも、次から食べないように村中の人々に注意を促す。
また、ある人はフグを食べてしまい病気になった。
しかし、別の人は毒抜きをすればフグをおいしく食べられた。
同じものでも何らかの手を施せば、危険なものが、安全でおいしいものに変わる。
このように人類というものは、たくさんの人々が犠牲を払って、現世に知恵を残してくれているのだ。
企業文化も同じである。
どのようなサービスをすれば、顧客は満足を得てくれるか。
一方で、どのような接客をすればクレームがくるのか。
さらに、どのような工程で作業を進めれば、欠陥のない完璧な商品が効率良くできあがるか。
そのような課題について、過去の全ての失敗事例、成功事例から、一つひとつ丁寧に整理したのが、いわゆる業務マニュアルである。
その種の先駆けの一つが某ハンバーガーショップのサービスマニュアルだ。
世界中どこの店でも、快適なサービスを受け、おいしいハンバーガーを食べることができる。
客が店に入ってから「いらっしゃいませ」のタイミング、注文のときの質問・確認事項、受け渡しの際の声掛け、メニューのバリエーション、注文した商品の質、客が出て行くときの「ありがとうございました」のタイミング。
その他、従業員の服装から、シフトのローテーション、店内の掃除のタイミングまで、マニュアルが指導してくれる。
サービスマニュアルがあれば、どんな国のどんな文化的な背景を持った従業員でさえも、短時間でスムーズに業務をこなせるようになる。
まさに、魔法のような指導本といってもいいだろう。
簡単に言えば、業務マニュアルというものは、ノウハウ(KNOWHOW)を追求したものである。
要するに、こうすればうまくいく、ということがメインに書かれている。
もちろん、その通りに実行できればいいのだが、必ずしも、作業現場はそうはいかない。
だから、優れたマニュアルには非常時・緊急時の対応策も完璧に示されている。
また、ノウハウという知見は、できる限りあいまいな表現を少なくすることに力が注がれる。
業務マニュアルであれば、誰がいつ読んでも共通に理解されるように作られる。
例えば「顧客への挨拶は心を込めて行う」という項目があるとする。
では、心を込めてとはどういう態度か。
これは、人によって解釈が異なる。
声のトーンなのか、声の大きさなのか、言葉遣いなのか、お辞儀の角度なのか、タイミングなのか、顔の表情なのか、目線なのか。
また、年齢や性別によって、変えるべきなのか、統一するべきなのか。
単に「心を込めて挨拶」という点だけでも、気にしなければならない項目は挙げればきりがない。
すると、いつの間にか、経験知やそれを裏付ける心理学の視点から、それぞれの項目で最も適切な挨拶のパーツが決まっていく。
お客が入り口のドアを通って三歩目のタイミング、お辞儀の角度は45度、両手は揃えておなか、笑顔になるように口角をあげるなど。
それが、マニュアルの中に具体的に組み込まれる。
しかし、そのような素晴らしいマニュアルにも盲点がある。
ノウハウ(KNOWHOW)は示されているものの、ノウホワイ(KNOWWHY)が省略されるのだ。
そもそも、なぜこのようなサービスをするのか。
なぜ、こうした接客をするのか。
なぜ、こんな商品を売るのか。
なぜ、制服が決まっているのか。
なぜ、マニュアルがあるのか。
などなど、ものごとの原点がマニュアルからは省かれてしまう。
すると、原点に立ち返って考えることがなくなる。
もちろん、サービスだけを機械的に提供するロボットであれば、サービスに関する「なぜ?」を考える必要はない。
しかし、働くのはロボットではなく人間である。
以前は、組織の中で当然のように理解されていたことが、一定期間を越えると誰からも理解されなくなる。
極論すると、時代が変化すれば、会社の中で、常識が非常識に、非常識が常識に変わる可能性だって十分にあり得る。
さらに、その変化に気づかないこともしばしば起こるだろう。
それは、原点に立ち戻るチャンスを奪われているからである。
だから、本質を見失わない企業は業務マニュアルの見直しを頻繁に行っている。
優れたマニュアルを駆使すれば、たいていの場合、失敗というリスクを回避できる。
そのため、最近の多くの企業では、学生などのアルバイトや派遣社員の教育指導にコストをかけたくないため、マニュアル指導を中心に進める。
すると、どんなに自己中心的な若い世代でも、見かけ上そこそこ失敗もなく、うまく仕事ができてしまう。
お給料ももらえる。
そんな印象を持って企業に入社している若い世代の社員も少なくないはずだ。
だから悪気もなく、上司からの指摘に「そんなこと、指示されたメールに書いてありませんでした」「先輩からはそんなこと教えてもらっていません」という反応になってしまう。
仮に彼らの失敗に気づいても、突然バイトに来なくなる、逆ギレするといったリスクを考慮すれば、対人指導に手をつけず、マニュアルの一層強化を図るという対応をとることもあるだろう。
全ての企業がこの傾向に沿うとは思わないが、昨今の社会現象を引き起こしているのは、これまで善しとされ、かつ、多大な功績を生み出してきた我々の技術・知識の遺産の副産物の影響が大きい。
こうした傾向に対して、古い世代が自らの責任だともっと感じれば、目の前の驚くような言動をする若者に、怒りを露にするどころか、若者たちに対して申し訳なさを感ずるはずだ。
安心安全による自主性逓減
単なる企業のサービスマニュアルの話に留まらない。
組織であれば、当然、リスクを少しでも排除していくのが進化の始まりだ。
それは、家庭教育も学校教育も同様である。
団塊ジュニアが親世代になるにつれ、自分たちが長年味わった受験戦争から子どもたちをなんとか回避させたい。
高校受験、大学受験、就職試験と大競争の中で、常に蹴り落とされるかもしれないという不安な気持ちやリスクを背負ってきた自分たち団塊ジュニア世代の経験を、できれば自分の子どもたちには味わわせたくない。
それが誰しも抱く本音だろう。
もしかしたら、子どものためでなく、親としても、あんな状況に二度と身を置きたくないという願望が強いのかもしれない。
少子化の影響や団塊ジュニア世代の背景も重なり、最近では、安定的な子どもたちの将来のためと、子ども本人たちの認識がまだないうちに、特に都心では「お受験」のステージに立たされている。
表現が正しいかは別として、これも家庭における次世代(子ども)の人生に対するある種のリスク回避である。
しかし、もしかしたら、そのリスク回避のプロセスの中で、息子や娘の個々の自主性を低下させてしまう要因があるかもしれない。
ある種の緊張や不安を抱きながら、自分で道を選択し、自分で進むという人生の中で自主性を養う大切なプロセスを親が奪っているかもしれない。
企業にしろ、家庭にしろ、リーダーが考えるフォロワーシップでは、まず、こうした時代の流れの中で、仕方なく自主性を奪われてきたフォロワーたちが数多くいるということを、認識しておかなければならない。
部下の成長チャンスとリーダーの手助け次のケースは、現代社会のマニュアル化やリスクヘッジが引き起こす現象ではなく、どこの組織でも起こり得る自主性向上におけるありがちな障害を紹介したい。
想像してみてください。
営業部長のAさんと、入社3年目の営業マンBさんが、ある企業に勤めている。
これまでの営業部は、営業部長によるトップダウン方式で全ての営業活動を進めてきた。
しかし、さまざまな問題が発生したため、従来のトップダウン方式からは逸脱を図り、今年は営業マンの自主性を重んじるという指針を打ち出した。
「営業マン、一人ひとりの自主性の向上」営業マンが、自分で考えて、自分から行動し、自分で客を獲得し、自分で問題を解決する。
A部長の指導のもと、これまで燻っていた若手のBさんの営業成績は、心機一転、ぐんぐんと上がっていった。
しかし、その勢いは期の途中から停滞し、期末には年間ノルマも達成できるかどうか怪しい状況に陥っていた。
Bさんの性格は、まじめで明るく、普段から人当たりがいいと評判が良かった。
一方で、誰にでもありがちなことではあるが、Bさん自身が忙しさの限界を超えると、他人に対する対応がとても疎かになってしまう。
そして、仕事自体が雑になる。
新しい方針でやる気もあり、初期からがんばりすぎたせいか、期の半ばから疲れが見え始め、先のような状態が続いていた。
繁忙期である期末、オフィスでのBさんの態度は、ギスギス度の最高潮にあった。
そんなときに、大口顧客のトップの担当役員から直々に電話がかかってきた。
この仕事が取れれば、Bさんのノルマは間違いなく達成。
実は、それだけでなく、営業部全体のノルマも大幅達成という状況であった。
A部長は部下に、顧客とのメールのやりとりは自分にもCCで送るように指示していたため、Bさんとその顧客とのやりとりも全て把握していた。
Bさんは、繁忙期に差し掛かり残業が多く、寝不足だったのか、顧客に対するメールの返信が遅い。
ずっと気になっていたときに、その担当役員から電話がかかってきたのである。
営業担当者であるBさんからのメールの返信がないので、大量納期を急ぐ客からすれば、あきらかにクレーム電話だった。
A部長は、Bさんの電話での対応を、どきどきしながら横で聞いていた。
この電話の対応を失敗すれば、失注まちがいなし。
誰もがそう思っていた。
実は、A部長は、先日の重役会議で、営業部の成績低下をひどく指摘された。
最初は、社長も副社長も、今期の営業部の新たな方針に賛同し、エールを送ってくれていたものの、期末が近づくにつれて、株主からのプレッシャーか、とにかく今期はノルマを達成しろという雰囲気になっていた。
Bさんが気だるそうに電話に出る。
「はいはい、分かっていますよ、急いでやっていますので。
えー、こっちも、忙しいんですよー」その対応を目の当たりにした瞬間、A部長の頭から今期営業部が掲げた「一人ひとりの自主性の向上」という目標は、一瞬のうちに吹き飛んだ。
最終的に、A部長は、Bさんの電話をその場で取りあげ、その担当役員に丁寧なお詫びと迅速で的確な対応を行い、なんとか受注することができた。
その後、A部長はすぐにBさんを連れて、その担当役員以下迷惑をかけたお客に、直接、お詫びの挨拶をしに行った。
A部長は、即刻、Bさんを厳しく指導した。
Bさんに対する怒りと同時に、営業部の危機を救ったという安堵感に浸っていた。
これは、架空の話である。
しかし、上司と部下の仕事のやりとりにおいて類似したケースは多いだろう。
このリーダーの行動をどのように解釈するか。
それが重要である。
もちろん、Bさんの対応はふさわしくない。
だから、A部長には、部下であるBさんをきちんと指導する責任がある。
また、営業部として成績を上げ、社長や副社長からの信頼も維持しなければならない。
しかし、今期、営業部という組織を進化するために新たに掲げた「一人ひとりの自主性の向上」はどこへ行ったのか。
営業マンが、自分で考えて、自分から行動し、自分で客を獲得し、自分で問題を解決する、という指針があるならば、営業マンに失敗させて学ばせることで、成長を促すことが第一理念に置かれるべきではないだろうか。
往々にして、そうした自主性を掲げた組織スローガンは、売り上げや利益といった別の目標に一瞬にして吹き飛ばされる。
リーダーが部下を手助けして失敗を回避する。
例えば、あるリーダーはA部長のように「オレの助けにより危機を救った、良かった」という気分に浸る。
また、あるリーダーは大事な場面で部下に良い見本を見せることができた、と満足。
こうしたリーダーは少なくない。
一方で、売り上げや利益、経営者の期待といったいわゆる組織命題に言い訳をして、自ら立てたスローガンすら裏切ってしまったことさえ、忘れてしまう。
もしくは、仕方ないと、勝手に思い込む。
その場合、Bさんの失敗のチャンス、成長のきっかけを奪っているのにもかかわらず、A部長はある意味、自分は手柄を得たと感じているだろう。
しかし、長期的な視野に立ち、営業部という組織変革の観点から判断すると、A部長はBさんの今後の自主性の発揮のためにも、手助けをしてはならなかったのだ。
組織として本気で部下の自主性を高めたいのであれば、部下の大きな失敗を歓迎するくらいの覚悟でやらなければならない。
手助けをしてしまったために、Bさんの自主性の向上と営業マンとしての成長は遅れてしまった。
もちろん、これは極論である。
特に、リーダー側からすれば本音ではく、建前にあたる。
言い訳もたくさんできる。
しかし、これを極論にしない考え方がフォロワーシップである。
リーダーとしてフォロワーシップを発揮していくためには、このようなフォロワーの成長の機会を奪っているケースに早く気づかなければならない。
実はサポート体制がしっかりしている組織であればあるほど、また、きちんと成果を上げている組織であればあるほど、そのチーム内でのフォロワーの自主性
向上の障害が多い可能性は高い。
フォロワーシップとは、企業論理やリスク回避というリーダーの視点ではなく、いかにすればフォロワーが育つかを前提に考えることである。
フォロワーの資質と目標に合った環境これまで述べてきたように、実はリーダー視点だけで組織を作っていくと、メンバーが自分自身で行動し、決断し、責任をとるという環境はどんどん少なくなってしまう。
そのため、リーダーが考えるフォロワーシップで最も大切なのは、フォロワーが自走できる環境をいかに整えてあげるかである。
まず、大切なのは、フォロワーの目標設定である。
組織やリーダーから与えられたクリアすべき課題の設定である。
例えば、あるグループにおける新入社員の今期目標は「業界基礎知識の習得」、入社3年目社員は「顧客とのコミュニケーションスキルの向上」、入社5年目社員は「グループ内リーダーシップの発揮」とした場合、当然であるが、それぞれに整えるべき環境は異なる。
フォロワーの自主性を向上させながら成長を望むならば、当然、リーダーはフォロワーが自由に使える時間を確保してあげたり、社内の顧客情報をできる限りオープンな形で提供したり、誰とでも自由なテーマでプロジェクトを立て実践できるような体制を整えたりすることが大切である。
そうした環境を与えることで、フォロワーが自主的に目標を達成してくれれば、リーダーとしてはハッピーで仕方ない。
しかし、現実はそう簡単にはいかない。
確かに、部下の自主性の向上は、フォロワーシップの大切な要素ではあるが、リーダーは部下の自主性を重んじるべきか、否かを、最初に見極めなければならない。
そして、その結果に対し責任を背負っていかなければならない。
「部下の主体性の尊重」は、なんとなく聞こえがいいため、盲目的にフォロワーの自主性に任せてしまいがちだ。
しかしそれはとても危険なことである。
場合によっては、自主性が全く逆効果になることもある。
このグループの新入社員の場合であれば、目標である「業界基礎知識の習得」を達成するために、スパルタ指導のように徹底的に追い込んで、内部テストを毎日実施し、合格点をクリアできなかったら、更なる課題を提示するやり方でもよい。
また、入社3年目社員の目標のように「顧客とのコミュニケーションスキルの向上」であっても、彼らの自主性を無視して、飛び込み営業1000本ノックのように、ひたすら顧客との接点を拡大させ、修羅場や苦い経験を積ませる方法もある。
入社5年目社員の「グループ内リーダーシップの発揮」でも、本人の意思にかかわらず無理矢理、新規プロジェクトを立ち上げさせてリーダーをやらせたり、戦略会議の議事進行に抜擢したりといったやり方もある。
肝心なのは、目の前のフォロワーの意識レベルと能力レベルの正確な把握である。
どう期待値を込めても、自主性に任せてもうまくいかないと思ったら、徹底的に管理するしかない。
自主性に任せても目標を達成できないのなら、自主性を排除して目標達成させるべきだ。
ただし、組織の方針が「とにかく失敗も含めて自主性の発揮」という成長の定義にあてはまるならば、ひたすら管理を排除し、自主自律の空間と時間を提供するべきである。
要するに、組織の中で、リーダーとフォロワーはお互いに「目標」や「成長」という言葉の定義をすり合わせておかなければならない。
その上で、自主性尊重か管理体制かの環境を決めていくべきである。
フォロワーのスタイル構築支援リーダーがやるべきフォロワーシップの最も大きな命題は、フォロワー一人ひとりにスタイルを構築させることである。
メンバー各人に対して理想のスタイルを、フォロワーと一緒になって時間をかけて作り上げていかなければならない。
もちろん、リーダー自身がスタイルを強く持っておくことは大前提である。
極端にいえば、フォロワーになりきり、スタイルを模索してあげる。
そのためにはフォロワーの心身に入り込むためのスキルも必要だ。
ときにフォロワーの自己分析を手伝い短所に明るい光を当ててあげる。
ときにフォロワーに押し寄せる引力を断ち切り、世の中の無駄なプレッシャーから解放してあげる。
ときにフォロワーの焦りをぬぐい、勇気を与え、励ましてあげる。
フォロワーのスタイルの構築のために、場合によっては、リーダー側のメリットも無視しなければならない。
結局のところ、やや青臭く言えば、リーダーがフォロワーシップを発揮する際に、最も大切なのは、部下やメンバーに対する見返りを求めない愛である。
フォロワーシップの最終形私がリーダーとして、常々、思い描いているフォロワーシップが発揮された理想の組織とは、次のような組織である。
リーダーである私を優秀なフォロワーががっちりと支え、徐々にフォロワーが自立していき、各人がリーダーを超越し、最終的に私が必要とされなくなってしまう組織。
元来怠け者である私は、突き詰めていくと何もやりたくないというのが本心だ。
そのため、組織の中で、自分にしかできないことをゼロにしたいと思っている。
通常、リーダーはその組織の中でリーダーにしかできないことがあればあるほど、リーダーとしての威厳を発揮し、存在感を出すことができるだろう。
リーダーのためのリーダーシップの観点から言えば、それこそがリーダーたる所以と断言できる。
しかし、リーダーのためのフォロワーシップという観点から言えば、リーダーにしかできないことをゼロにすることが、リーダーの最大の役割といえる。
だから、私はラグビー部の監督としては、選手やスタッフ、他のコーチ陣にどんどん任せ、委ねている。
もちろん、彼らが失敗しても怒らない。
というか、怒れない。
委ねた側の責任だからだ。
もちろん、任せる勇気は必要だし、失敗しそうな学生をじっと我慢しながら見守ることも求められる。
しかし、リーダーシップよりフォロワーシップを極めたい私には、そうするしかない。
それが私のスタイルだからだ。
そのうち「中竹さん、もう要りませんよ」と言われたら本望である。
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