戦略には選択とトレードオフがつきものだ。独自性を意図的に選びとるのである。──マイケル・ポーター(経営学者)
1972年にタイムスリップして、S&P500(アメリカの主要銘柄500種)の全社に1ドルずつ投資したとしよう。
その後の30年間で、もっとも多くの収益をもたらしてくれるのはどの企業だろうか。
GE、IBM、それともインテル?金融情報誌『マネー』によると、答えは意外な企業だった。
格安航空会社のサウスウエスト航空だ(1)。
利益を出すのが難しいと言われる航空業界にあって、サウスウエスト航空は毎年めざましい業績を上げつづけた。その秘密は、創業者ハーバート・ケレハーのエッセンシャル思考にあるようだ。
以前あるイベントで、ケレハーがビジネス戦略について語るのを聞く機会があった(2)。
私の胸を高鳴らせたのは、彼がいかにトレードオフを意識しているかという話だ。
大手航空会社がハブ空港を拠点に路線を拡大するなかで、サウスウエスト航空はあえて2都市間を単純につなぐ「ポイント・トゥ・ポイント」路線にこだわった。
凝った機内食で高い料金をとるかわりに、機内食を出さないことを選んだ。座席指定も廃止して、好きな席に座れるようにした。
至れり尽くせりのサービスで価格をつり上げるよりも、単純に乗り物として使ってもらうことにしたのだ。
これらのトレードオフは、コストダウンという戦略に沿って厳密に選ばれたものである。もちろん、捨てることにはリスクもあった。
多様な行き先を望む客が離れていくだろうし、高くてもおいしい機内食が食べたいという人もいるだろう。
それでも、ケレハーは明確なビジョンを持ち、不要なものを切り捨てた。サウスウエスト航空は、格安航空会社だ。
それ以外の何者でもない。金のかかるオプションは、この会社の本質から外れている。
ケレハーはさらに、こう語った。
「あらゆる選択肢を見たうえで、こう言わなくてはならない。
『お断りします。うちのめざす目的に貢献しないことをいくらやっても意味がないんです』と」はじめのうち、サウスウエスト航空は批評家や世間の人から酷評された。
そんなやり方、うまくいくわけがないと思われていた。
「いくら安いからって、行き先も少なく食事も出さないような飛行機に誰が乗るんだ?」ところが2年もたつと、同社の経営は軌道に乗り、大きな利益を上げはじめた。
ほかの航空会社はその成功に驚き、やり方を真似ようとした。といっても、ケレハーのエッセンシャル思考を全面的に取り入れたわけではない。中途半端に片足を突っ込んでみただけだ。
トレードオフを無視することの代償
そんな競合企業のひとつが、コンチネンタル航空(訳者注:現在はユナイテッド航空に併合)だった。
コンチネンタル航空はサウスウエスト航空を見習い、ポイント・トゥ・ポイント型の「コンチネンタル・ライト」というサービスを開始した。
コンチネンタル・ライトは運賃を抑え、機内食や手厚いサービスを廃止。サウスウエスト航空と同じように、1日の発着回数を多くした。
ところが、従来の通常路線と並行しておこなっていたために(コンチネンタル・ライトは同社サービスのごく一部にすぎなかった)、思ったほどコストが削減できない。
結局、厳しい価格競争のなかで、サービスの質がずるずると低下することになった。
サウスウエスト航空が意図的にトレードオフを選んだのに対し、コンチネンタル航空は場当たり的にあれこれ試しただけだった。
著名な経営学者マイケル・ポーターはこうコメントしている。
「戦略的ポジションは、別のポジションとのトレードオフなしには維持できない(3)」要するにコンチネンタル航空は、2つの相容れない戦略を両立させようとしたせいで、競争力を失ってしまったのである。
この失敗は高くついた。相次ぐ遅延や欠航で1日あたり1000件の苦情が寄せられ、損失額は数億ドルに上った。
業績は悪化し、CEOは解雇された。
この話の教訓はこうだ──トレードオフを無視すると、取り返しのつかない損失が待っている。この教訓は企業だけでなく、個人にも当てはまる。あなたのまわりにも、つねに予定を詰め込みすぎる人がいるのではないだろうか。
移動に10分かかる場所で10分後にミーティングが始まるのに、「一本だけ」と言ってだらだらメールを書いている人。
大事なプロジェクトの締切と同じ日に、面倒な報告書の作成を引き受けてしまう人。
親戚の誕生日パーティーに招かれて、映画の約束があるのに「行く」と言ってしまう人。彼らにはトレードオフが見えていない。すべてを同時にできると思っている。
だが現実には、メールを書いていればミーティングに遅れる。大きな締切が重なれば、少なくとも一方が遅れる(仮に両方終わらせたとしても、品質はボロボロだ)。
誕生日パーティーと映画が重なっていれば、どちらかをあきらめるしかない。何かに「イエス」と言うことは、その他すべてに「ノー」と言うことなのだ。何かを選ぶことは、何かを捨てること。
この現実を受け入れられない人は、コンチネンタル航空と同じ運命をたどることになる。中途半端に片足ずつ突っ込んで、あれもこれも失うことになるのだ。
元リーマン・ブラザーズCFOのエリン・カランは、ニューヨーク・タイムズ紙に寄せた文章でそうした体験のことを語っている。
「仕事がすべてという生き方をするつもりはなかったんです。でも結局、そうなってしまいました。ちょっとした妥協が、いつのまにか普通になっていきます。
もともと月曜の仕事に備えて、日曜の30分間だけをメールやスケジュールの整理にあてていました。それが2時間になり、1日中になりました。
徐々に日常が侵食され、何もかも仕事に呑み込まれていきました(4)」
この話は、決定的な真実をついている。
タフな選択を自分で引き受けなければ、誰か他人(会社や顧客)にすべてを持っていかれるのだ。
私のクライアントには企業の経営者や役員も多いが、彼らは誰よりもトレードオフが理解できていない人種だと言えるかもしれない。
たとえば最近会ったのは、シリコンバレーで時価総額400億ドルの企業を経営するCEO。
彼はちょうど会社のバリューステートメント(価値観の宣言)を書き上げたところだと言って、私に見せてくれた。
全社員の前で読み上げるつもりだと言う。そこに並んだ言葉を見て、私は思わず眉をひそめた。
「われわれは情熱、イノベーション、実行力、リーダーシップを大切にします」聞こえのいい言葉だが、これらを大切にしない企業がどこにあると言うのだろう。
それに、羅列されているだけでは優先順位がわからない。これらの価値が相容れない状況に置かれたとき、どうやって決断するかが見えてこない。
これとよく似た例で、「顧客、従業員、株主の皆様をもっとも大切に考えます」というステートメントも見かける。
みんなを優先するのは、誰も優先しないのと同じだ。いざというときに顧客と従業員のどちらを大事にするのか、それが見えてこない。
これらと対照的なのが、1982年に起こったタイレノール事件に対するジョンソン・エンド・ジョンソン社の対応である(5)。
ジョンソン・エンド・ジョンソン社の解熱鎮痛剤「タイレノール」は、圧倒的な売上を誇る同社の看板商品だった。
ところがこの年、タイレノールを服用した人が相次いで亡くなった(後の調査で、何者かが瓶に毒物を混入したことがわかった)。
このとき、同社はいかに対応したか。ジョンソン・エンド・ジョンソン社の経営陣は、難しい判断を迫られた。
ただちにタイレノールをすべて回収し、顧客の安全を図るべきだろうか。それとも株価を守るため、安全性のアピールに徹するべきだろうか。
あるいは、被害者の遺族に対する謝罪と補償を真っ先におこなうべきか?彼らには、頼るべき指針があった。
「我が信条」と呼ばれる社訓だ。
創業者のロバート・ウッド・ジョンソンが記したもので、しっかりと石碑に刻まれている(6)。
世の中によくあるミッションステートメントと違って、「我が信条」には優先順位がはっきりと示されていた。
顧客が第一で、株主は最後だ。
この信条にもとづき、同社はすみやかにタイレノールの回収を決定した。どれほど多くの損失が出ようとかまわなかった(損失額は1億ドルにも上ったと言われている)。
顧客の命と、1億ドル。
タフな決断だったが、すでに優先順位は決まっていた。顧客が最優先だとわかっていたから、トレードオフを引き受けられたのだ。
トレードオフから目をそむけても、トレードオフから逃れることはできない。
人はどれかを選ばなければならない
私があるとき相談を受けた会社は、優先順位が決められなくて困っていた。翌年度に実行するプロジェクトを決定したいが、何を選んでいいかわからない。
最優先プロジェクトが18個あるのだ、とIT部門の女性マネジャーは言った。18個。とうてい最優先とは呼べない。
とにかく5つに絞ってください、と私は言った。彼女は社に戻り、各チームと優先順位について話し合った。
そして2週間後、彼女は修正版のリストを持って戻ってきた。最優先事項は17個になっていた。なんと、たったひとつしか減っていない。
彼女はトレードオフを受け入れることができずに、5つのプロジェクトしかできない時間と人員で17のプロジェクトすべてを強行することにした。
結果は当然、失敗だった。彼女のなかでは「全部できるはず」だったのだろう。だが現実はそんなに甘くない。
トレードオフを考えたくない気持ちはよくわかる。そもそもトレードオフが起こるのは、どちらも捨てがたいような状況だ。
高い給料か、長い休暇か。急ぎのメールに返信するか、大事な会議に出席するか。より速くか、それともより良くか。どちらも望むことなのだから、どちらにも「イエス」と言いたくなる。しかし、それは不可能だ。
非エッセンシャル思考の人は、トレードオフが必要な状況で「どうすれば両方できるか?」と考える。
だがエッセンシャル思考の人は、「どの問題を引き受けるか?」と考える。
これはタフな問いであると同時に、より大きな自由につながる問いだ。エッセンシャル思考の人は、自らトレードオフを選びとる。誰かに決められる前に、自分で決める。
経済学者のトーマス・ソエルはこう言った。
「完璧な答えなど存在しない。あるのはトレードオフだけだ(7)」ピーター・ドラッカーは、かつて『ビジョナリー・カンパニー』シリーズの著者ジム・コリンズにこうアドバイスしたと言われている。
「偉大な企業をつくるか、偉大な思想をつくるか、どちらかだ。両方は選べない」そこでコリンズは思想を選んだ。
彼の会社は従業員3人の小さな会社にとどまったが、彼の思想は世界中に広まり、数千万人の人びとに影響を与えている(8)。
トレードオフは痛みを伴うが、絶好のチャンスでもある。選択肢を比較検討する過程で、自分の本当の望みを明確に知ることができるからだ。
サウスウエスト航空のように一貫した選択ができれば、その結果は理想的な成功となって返ってくる。
あるとき、ボストンへ向かう飛行機の中で、私はエッセンシャル思考の夫婦に出会った。
話を聞くと、ふたりはハーバード大学にいる息子に会いに行くところだと言う。息子が一流大学に合格したのがうれしくて仕方ない様子だった。
「いろんな習い事もやらせてみたんですけど、あの子にとってはハーバード大へ行くことがいちばん大事だったんですね。
だから習い事はすべてやめさせて、勉強に専念してもらいました」私は別に、ハーバード大学に合格するのが大事だと言っているのではない。
目標は何であろうとかまわない。
この夫婦のすごいところは、息子にとっていちばん重要なことを見定め、それ以外のことを切り捨てた決断力だ。こんな話もある。私がまだ新婚だった頃、とても幸せそうな子連れ夫婦に出会った。
私と妻は彼らに学ぼうと思い、「秘訣は何ですか?」と訊いてみた。彼らが教えてくれた秘訣のひとつは、趣味の活動に参加しないことだった。
夫はゴルフをやめ、妻は読書クラブをやめた。子供と過ごす時間を優先するためだ。
おかげで子供たちとの関係は最高のものになり、ゴルフや読書の集まりから得られた以上の幸せを受けとっているという。
エッセンシャル思考の人は、トレードオフを当たり前の現実として受け入れている。そんなものなければいいのに、とは考えない。
「何をあきらめなくてはならないか?」と問うかわりに、「何に全力を注ごうか?」と考える。小さな違いだが、積み重なると人生に大きな差がついてくる。
ユーモア作家デビッド・セダリスの「笑え、ワライカワセミ」という短編のなかに、オーストラリアのアウトドアツアーで出会ったガイドの話が出てくる(9)。
ガイドの女性はマネジメント講座に通っていて、そこで習った話を参加者たちに語った。
「4つ口のガスコンロを想像して」と彼女は言う。
「ひとつめのコンロは、あなたの家族。2つめは友人。3つめは健康で、4つめは仕事。成功するためには、そのうちのひとつの火を消さなくてはいけない。そしてもっと成功するには、思い切って2つ消すことが必要なの」もちろん、これは単なるジョークだ。
エッセンシャル思考は、成功するために家族や健康を犠牲にするやり方ではない。だが、この問いが真実をついていることも事実だ。家族、友人、健康、仕事。
それらの利害が衝突したとき、私たちはこう問わなくてはならない。
「自分はどの問題を引き受けるのか?」トレードオフを無視したり非難したところで、何もいいことはない。
トレードオフとは、戦略的に、そして慎重に選びとるべきものなのだ。
多数の瑣末なことのなかから、少数の重要なことを見分けるエッセンシャル思考の人は、そうでない人よりも多くの選択肢を検討する。
逆説的だが、それが事実だ。
非エッセンシャル思考の人はあらゆる話に反応し、何でもとりあえずやってみる。だから多くのことに手を出すが、すべて中途半端な結果しか得られない。
それに対してエッセンシャル思考の人は、何かに手を出す前に、幅広い選択肢を慎重に検討する。
そして「これだけは」ということだけを実行する。行動を起こす数は少ないが、やると決めたことについては最高の結果を出す。
ここからのPART2では、数ある選択肢のなかから本質的なものを見極めるための技術を紹介する。
非エッセンシャル思考に慣れている人は、そのプロセスを面倒だと感じるかもしれない。だが、見極めることこそが、エッセンシャル思考の真髄だ。
本当に重要なものごとを見極めるために必要なことは5つ。
じっくりと考える余裕、情報を集める時間、遊び心、十分な睡眠、そして何を選ぶかという厳密な基準だ。
非エッセンシャル思考の人は、これら5つをとるに足りないものだと考える。あればいいという程度の贅沢品、あるいは無能の証拠。
「もちろん考える時間があればいいと思うけれど、あいにく仕事が忙しくてね」「この会社に入ったからには、睡眠不足は覚悟してください」「遊び心なんてふざけたことを言ってないで、さっさと働けよ!」忙しく動きまわることを有能さの証だと思っている人は、考えたり眠ったりする時間をなるべく減らそうとする。
しかし本当は、立ち止まる時間こそが、生産性を高めるための特効薬だ。立ち止まる時間は無駄な寄り道ではなく、前に進むための最短コースを教えてくれるのである。
エッセンシャル思考の人は、なるべく時間をかけて調査・検討し、意見を交わし、じっくりと考える。そうすることで初めて、本当に重要なものを見極めることが可能になるのだ。
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