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第4章ほめて自分が幸せになる生き方

目次

人をほめたければ、まず「自分ほめ」から

パーティーの余興で見かける「シャンパンタワー」。

みなさんも、ご覧になったことがあるでしょう。

グラスをピラミッドのように積み上げ、一番上からシャンパンを注いでいく、あのパフォーマンスです。

頂上にあるグラスから、泡をはじかせながら、ゆっくりと下のグラスにあふれていく美麗なシャンパン。

なおもボトルを傾けると、上から順々に満たされていき、ついには底辺のグラスにまでキラキラした泡が輝きます。

あるパーティーでこのシャンパンタワーの輝く泡に見とれながら、「あ、ほめるってこういうことじゃないか」と、わたしはひらめきました。

自分の中からあふれ出るプラスの感情を「ほめ言葉」に乗せていく。

それが「ほめ言葉の魔法」です。

だけど、その自分のプラスの感情が枯渇していたら、どうでしょうか。

果たして、他の人を満たしてあげられるでしょうか。

人間関係におけるプラスの感情は、シャンパンタワーと同じです。

一番上にあるのが自分です。

まずは、自分というグラスにキラキラしたプラスの感情を注いであげなければ、他の人を満たしてあげられないのです。

では、どうすれば自分の中をプラスの感情で満たしていけるのでしょうか。

そこで重要なのが「自分を知る」ということです。

まず、今まで「自分がよくがんばってきた、よくがんばっている」と思うことを書き出してください。

今、抱えている仕事のことでもいいですし、子育て中の主婦ならがんばっていることは山のようにあるでしょう。

すぐに思いつかないのであれば、学生時代に、クラブ活動を3年間やり遂げたとか、日が暮れるまで趣味に没頭したとかでもいい。

まずは、思いつくまま全部、書き出してみましょう。

それを見て、どんな気持ちになるでしょうか。

「何だ、俺も結構やるじゃないか」「大事にしてきたものを思い出すと、何か不思議に自分が愛おしくなる」ほら、自分をほめるまで、自分が満たされるまでは、あと一歩です。

あなたが人をほめるには、まず自分をほめて、あなた自身を満たしてあげてください。

自分を知って、あなた自身を抱きしめてあげてください。

「ほめ言葉の魔法」を最初にかけるのは、あなた自身なのですから──。

就寝前の「ほめチャージ」で自信を取り戻す

それではここで、自分で自分を満たす、とっておきの方法をあなたにお教えしましょう。

それは「自分へのほめ言葉の充電」です。

寝る前に、ふとんであおむけになり、両手を上に上げます。

そう、大阪の心斎橋で有名なあの「グリコポーズ」のようなイメージです。

胸を張り、呼吸を意識して深くして、縮こまっていた背中、胸を思いっきり開放します。

そして、朝からの行動をひとつひとつ振り返り、思い出します。

「がんばったこと」は何だろうか。

「傷ついたこと」は何か。

そして「乗り越えられたこと」はあるか。

この3つのテーマで一日のできごとを振り返り、自分の中で整理します。

ようがんばったな、傷ついただろう、乗り越えられたじゃないか、と。

わたしはこの振り返りを通して、自分の心に刺さった矢を抜き、薬を塗って自身を癒やすイメージを持っていました。

胸を開放することで新鮮なエネルギーを注入します。

そして、朝、起きたときにはエネルギー満タンになっているとイメージして、静かに眠りに落ちていくのです。

このようなポーズを経てから睡眠に入るようにすると、朝の目覚めが変わりました。

心は爽快だし、頭もくっきりします。

肉体的に疲れていても、やるぞ、という気持ちが心の底から湧いてきます。

寝る前に自分自身をほめて、朝には自分の気持ちを前向きにするのです。

その日の自分を癒やして、明日の自分を信じる。

どんなつらいときでも、この「自分ほめチャージ」のおかげで、今までがんばってこられたのだと思います。

欧米のビジネスパーソンは「マインドフルネス」「メディテーション」といったメソッド、ワークで自己を整理し、精神統一を図っているそうです。

呼吸を意識し、自己のカラダと対話していくという意味では瞑想、ヨガ、とまったく同じものなのではないかと、わたしは思っています。

ぜひ今日の夜から寝る前に、両手を上げ、胸を開いて寝てみてください。

その日の自分をほめてあげると、明日の自分もきっと喜んでくれるはずです。

「自分ほめ」で生死の境をくぐり抜けて復活

ここで、病気で入院中に自分をほめることの大切さに気づき、見事に復活した友人の山本さんの話をしましょう。

彼は、ある日、突然、心臓の病気で倒れました。

病院に運ばれて、しばらくの間は生死の境をさまよい意識のない状態が続きました。

目覚めたのは入院してから20日後のことだったそうです。

山本さんは、かつて自衛隊にいた経験があり、体力には自信がありました。

そのため、なぜ、自分がこんな病気になるのか、理解できずにいたのです。

しかし、生死の境をさまよったことで「命の大切さ」について考えるようになりました。

入院中のベッドの上で、自分が病気になった理由を、日々考えたのです。

山本さんは自営業で、日々、経営を成り立たせるために奔走していました。

経営が悪化することへの危機感、焦り、自己責任、そしてお金を稼ぐことへの執着に囚われていました。

自分で自分にプレッシャーを与え、心をボロボロにして、体を酷使していたことに気づいたのです。

病気の背景には、自分で自分の心と体をいじめていた暮らしがあったと、山本さんは思うようになりました。

そのときに、以前、私が教えた「ほめ言葉」について、山本さんは思い出したそうです。

「ほめ言葉」はまずは、自分に向けられるもの。

自分の心が満たされて、はじめて、人をほめることができるという話を、以前、わたしがしたことがあったからです。

そのことを、山本さんは思い出したのです。

そこで山本さんは、これからは自分を大切にして生きていこうと思ったそうです。

そして、まずは自分をほめることから始めることにしました。

毎日、ほんとうにささいなことでも自分をほめたのです。

ご飯をふつうに食べられたこと。

便がでたこと。

掃除をしてくれる方に「おはようございます」と言えたこと。

病院で同室のおじいちゃんに牛乳を買ってきてあげたこと──。

そんな当たり前のことでも、「よくやった」と自分をほめました。

やがてボロボロだった心が、少しずつ潤っていくのが自分でもわかりました。

すると、驚いたことに、病気もだんだんと快方に向かったのです。

もちろん、病気がよくなったのは、医者の力が第一であることは言うまでもありません。

しかし、自分をほめることで自分自身が満たされ、心身の調子がよくなってきたことも背景にあるのではないか。

山本さんはそう考えています。

退院した山本さんは、今度は自分の周囲の人をほめるように心がけているそうです。

きっとこれから、彼の幸せのスパイラルが始まるのでしょう。

脳は「他人への悪口」を「自分への悪口」と認識する

みなさんは「脳には人称が関係ない」ということをご存じでしょうか。

脳は「わたし・僕(第一人称)」「君・あなた(第二人称)」「彼・彼女(第三人称)」を認識しないということです。

脳にとって主語はまったく関係がないのだそうです。

「お前は何てできないやつなんだ!」「そんなことをしている限り、君は絶対に成功しません」だから、こんなネガティブな言葉を発したら、脳は「自分は何てできないやつだ」「自分は絶対に成功しない」と思い込んでしまいます。

自分にネガティブな

刷り込みをしてしまうのです。

これが、いわゆる「言葉の力」というものかもしれません。

そこで問題になるのが、先ほどもご説明した「改善」です。

「善いほうに改める」という言葉の意味の通り、どうしても「悪い点」「短所」がクローズアップしてしまいます。

人の悪いところばかりを見ていたら、脳はその悪い箇所を自分のものだと認識してしまいます。

これって、結構怖いことだと思いませんか。

だけど、ここでポジティブに考えてみてください。

改善の指摘も言葉の選び方次第、考え方次第でプラスに振ることはできます。

たとえば、「そこがあなたのよくないところ」ではなく、「そこをこう変えたら、うまくいくかも」と言ってください。

「その考え方が絶対にダメ」は「上手に進めるにはどう考えたらいいかな」と、子どもに「歯磨きしないと虫歯で痛い痛いになっちゃうよ」と言っていたのなら、「歯磨きをちゃんとしておくと、お医者さんに行かなくてもいいんだよ」と言ってみましょう。

相手や自分をプラスに振るためには、どんな言葉をチョイスしたらいいのでしょうか。

そんな意識を持つだけで、プラスのキーワード、フレーズはいくらでも思いつくはずです。

たかが言葉、されど言葉。

あなたが発する言葉を、もっとも多く耳にするのは、なりよりも自分自身なのです。

愛情を持って「叱る」のなら「ほめ」と同じ

「ほめる」の反対は、「叱る」ではなく「比較」。

わたしはこうお話をしてきました。

でも、先ほどもお話ししたように、「ほめ言葉の魔法」には、ときには「叱る」ことも含まれます。

実は、どちらも根底に愛情があるのです。

ただし、感情に任せて、相手を責めることではありません。

相手のことを想い、それではいけないと思うから「叱る」のです。

感情がコントロールできていて、適切なタイミングで感情を押さえた言葉づかいで行われ、内容は納得のいくもので、その後のフォローもあって初めて、メッセージが相手に届きます。

普段からよく自分のことを見てくれる。

自分のよいところに気づいて、ほめてくれる。

なによりも自分に関心を持ってくれている──。

そういう安心感があって、そういう人からの一言だから、「次は同じことをしないようにがんばらなきゃ」と素直に思えるのです。

子どもは、叱られることによって善悪が判断できるようになり、大人になるために必要な常識を学びます。

会社の新入社員も、注意されることで、いろいろな学びや気づきをして、社会や組織のルールを学びます。

それだけではありません。

大切なことを教えてもらっているという信頼感も生まれます。

しっかりと信頼関係を前提にした「叱り」が、普段の「ほめ言葉」にとってほんとうに大切なことなのです。

でも、現在は「叱る」ことがとても難しい時代になっています。

親からも叱られたことがないという若者が増えています。

学校でも、ちょっと注意しただけで大問題になることがあります。

企業の現場でも「きつく叱ると今の子はすぐに辞めてしまう」という話を聞きます。

決して人格否定や罵倒をしたわけでなくても、注意をしただけでパワハラと言われかねないご時世なのです。

だから、腫れ物に触るかのような扱いで生徒やスタッフに接し、叱ることなどほとんどないという先生や上司が増えているのでしょう。

しかし、わたしは「叱る」ことも悪いことではないと思っています。

もちろん、理由もなく叱るのはダメです。

克服してほしいから、さらに伸びてほしいから、という気持ちで、ポイントを絞って叱りましょう。

親であれば、子どもに「ダメなものはダメ」と、伝えることが大事です。

スタッフの成長を願う上司なら、「嫌われてもいいが、これだけは言わなければ」と決心して叱ってください。

わたしの経験上、「ほめる」と「叱る」は、5対1くらいがちょうどよいと思います。

ほめることを基本に置きつつも、愛情を持って言うべきことはビシッと言うことが、バランスのとれた人間関係のためには重要なのでしょう。

ほめ言葉は感情的な自分をコントロールしてくれる

「ほめ言葉」は、ときには自分に魔法をかけ、怒りを消し去ってしまうということもあります。

ここで、わたしのエピソードをお話ししましょう。

あるセミナーでのことです。

その最中に、スタッフが、こんな失態をしたのです。

セミナーの講師というのは、常に緊張でいっぱいです。

当時、講師としてかけ出しだったわたしは、プレゼン用のパソコンを操作しつつ、時間配分などで頭がいっぱい。

しかも、受講している人の反応にも気を配って、それに応じた話の内容を考えなければなりません。

そんな状況のなかで、そのスタッフが「原さん、コレどうしたらいいですか」と、以前、わたしが貸しておいたスマートフォンのケーブルを返しに来ました。

スタッフにしてみれば、忘れないうちに返しておこう、くらいの気持ちだったのでしょう。

「頭の中が講演のことでいっぱい、いっぱいなのに、スマホのケーブル?今、聞かなきゃいけないことか?」よっぽどその場で叱ろうと思いました。

でも、ちょっと我慢してみることにしました。

大事なセミナーの最中ということもありますが、いつもとは違うパターンで接してみようと思ったのです。

セミナーが無事に終わってもイライラは収まりません。

今すぐ呼び出して説教をしようかとも思いましたが……。

ちょっと待てよ、と。

依頼主の玄関先で怒ってもみっともない。

駅まで歩いてみたら怒りが収まるかもしれないぞ、と思ったのです。

だけど、やはり駅についても怒りは収まりません。

しかし同時に、何か無性におもしろくなってきて、頭の中で自問自答を始めました。

せっかくここまで怒りを我慢したのだから、いっそどこまで我慢できるか試してやろうじゃないか。

こうしてゲーム感覚で考えていったところ、自分で思っていた以上に我慢できることに驚きました。

「3日間耐えるなんて、今までなかった、すごいぞ、俺」「とうとう、1週間たった。

これはどこまでいくんだろう。

記録達成だな」ここでも、がんばった自分をほめることは忘れません。

我慢できることに満足感も覚えて、気がつくと何と1カ月が過ぎました。

ここまで時間を置きましたが、やっぱり彼の行いはよいものだったとは思えません。

やはり彼を呼び、叱ることにしました。

「今から君を叱ります。

1カ月前の〇〇社のセミナー、覚えてるか。

あのときの……」冷静なわたしの言葉に、彼はびっくりしつつも神妙に聞き入ってくれました。

「すみませんでした。

それは100%、僕が悪かったです」「素直だね。

君もあのとき、いっぱいいっぱいだったんだろう。

これからも一緒によろしく」と握手したのです。

その場で感情に任せて叱っていたら、彼も思わず反発してしまっただけだったかもしれません。

聞く耳を持っていないときにいくら叱っても無駄です。

逆効果になることすらあるでしょう。

ときには、ゲーム感覚で自分の怒りを観察しつつ、冷静に伝わるときを見計らうのも、意外な発見があっていいかもしれませんね。

「人の嫌いなところ」はせいぜい3つしかない

まず、1枚の紙とペンを用意してください。

そして、自分が嫌いな人の嫌なところを書き連ねてみてください。

「態度が偉そう」「無愛想」「常にケンカ腰」なるほど、なるほど。

それだけですか。

まだ紙には余裕があります。

どんどん、思いっきり書いてください。

「上から目線」「いつも不機嫌な感じ」「……」あれ、ペンが止まっていませんか。

それに、さっきとだいぶ表現が同じになっているような……。

そうなんです。

嫌いなポイントを挙げようと思ってみても、案外、数えるほどしかないのです。

わたしが「ほめ言葉」を教えてきた経験上、人を嫌いなポイントというのは、だいたい3点ぐらいに絞られてしまいます。

それをよくよく見てみると、だいたい似通ったものなのです。

それも、割り切って考えたら右から左に受け流せるような、小さな欠点がほとんどです。

人を嫌うポイントがこんな程度ということがわかったと思います。

では、あなたが書き込んだ、この紙をどうしましょうか。

今後、この嫌いな内容をそのまま、あなたの心の中に取っておきますか。

これはわたしからの提案ですが、たとえば紙をビリビリに破って、囚われそのものを捨ててみませんか。

それで、相手の嫌いなポイントがなくなるわけではありません。

でも、あなたの心が相手の嫌な面にばかり囚われているのだとしたら、それはお互いに不幸なこと。

その負の連鎖を断ち切るという決意を表す意味でも、心の中の囚われをそのまま、ビリビリに破ってゴミ箱に捨てましょう。

その人との関係をよくしたいのであれば、今後はその人のいいところを見て、ほめるようにするほうがいいでしょう。

とくに、今までに何らかのいきさつがあって、その人の悪いところばかりを見ていたのだとしたら、過去の悪い記憶をお掃除してほしいのです。

囚われを意味する漢字「囚」は、狭い箱の中に人が入っている状態を表しています。

これは、あなたの悩み、思い込みそのものです。

ぜひとも、手元の紙をビリビリに破って捨ててください。

そして、囚われのない世界を、一緒に歩んでみましょう。

ほめることは「赦す」こと

ほめることは赦すこと──。

「ほめ言葉の魔法」を考えるとき、100年以上続くクリスチャンの家系に生まれたわたしは、いつもこの一節を思い浮かべます。

わたしが「ほめ」を考え、学び始める前のことです。

カトリックの教義に興味を持ったわたしは、いろいろな人に「カトリックの中心にあることって何でしょうか」とたずねたことがあります。

そのとき聞いたなかで、もっとも心に残っていることが、「人を赦してあげることです」という答えでした。

「赦す」は、罪などをなくすという意味です。

勘弁してあげる、認めてあげるという意味の「許す」とは違って、宗教的な重みを持つ言葉です。

聖書にも、こんな一節があります。

「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」(「コロサイの信徒への手紙」3-13)責めることがあっても赦してあげなさい。

つまり、どんな宗教でも、人を赦してあげることは難しいものだという前提があるのです。

わたしは、みなさんに、まず自分を赦してほしい、と伝えたい。

いろいろなことで思い悩み、自分を責めている方に、もう自分を責めないで、解放してあげて、と言いたいのです。

自分を包みこんで、愛して、そして赦してあげてください。

自分の心の手当てをしてください。

がんばっていない人など、ひとりもいないのですから。

それができるようになったら、他人にも優しくできるようになります。

相手に嫉妬を覚えたり、依存したくなる気持ちもなくせます。

人の過ちや欠点に囚われない心を持ち、相手を「赦す」ことも、そう難しいことではない、そうわたしは信じるのです。

「ほめ言葉」で未来は変えられる

ここで、わたしと同じクリスチャンの先覚者で、石井十次さんという方のお話をしたいと思います。

明治から大正時代にかけて活躍され、日本で最初に本格的な孤児院を開き「児童福祉の父」とよばれ、わたしがとても尊敬している方です。

実はその方も、ほめられて育った1人でした。

石井さんが子どもの頃、住んでいる村の神社で秋祭りがありました。

おめでたい日ですから、村の人はみな着飾って祭りに向かいます。

石井少年も、母・乃婦子さんの手織りのつむぎ帯を、真新しい浴衣の上から締めて祭りに出かけました。

やがて、神社に着いてみると、境内で友だちの松ちゃんが、数人の子どもに囲まれて、いじめられているではありませんか。

見てみると、松ちゃんが締めている「縄の帯」が原因でした。

みながきれいな着物で装っているなかで、松ちゃんの家は貧しく縄で編んだ帯しかなかったのです。

「くさい、きたない」。

松ちゃんがそんな言葉を浴びせられているなかに石井少年は勇気をもって割って入りました。

そして、その場で、自分の帯と松ちゃんの帯を取り換えたのです。

いじめっ子たちは、その行動に息をのみ、それ以上は何もいいませんでした。

石井少年は、自分のやったことは正しいと思っていたものの、ひとつ心配がありました。

取り換えたその帯は、乃婦子さんが秋祭りのために、わざわざ手織りで新調してくれたもの。

もし家に帰って、その帯がないとしたら、両親は何というだろう。

帰宅して、おそるおそる縄の帯のことを話した石井少年に乃婦子さんがかけたのは「ほめ言葉」でした。

「それは、よいことをしたね。

帯は心配しなくていいよ。

すぐにまた作ってあげます」乃婦子さんは温和で愛情あふれる人で、普段から近所に親のない子がいれば我が子のように優しく接し、貧しい家庭には常に救いの手を差し伸べていたのだそうです。

自分の日頃の行いを、我が子がまねてくれたことがうれしかったのです。

このように、ほめ言葉をかけられ、お母さんの背中を見ながら育った石井さんは、貧しい人、困っている人を助けることに喜びと生きがいを感じるようになったのではないでしょうか。

やがて成長した石井さんは、1887年(明治20年)に日本で最初の本格的な孤児院とよばれる「岡山孤児院」を設立。

一時は、1200名を超える孤児を育て、生涯をその救済に捧げました。

わたしは、お母さんからかけられたほめ言葉こそが、石井さんが後に「児童福祉の父」と呼ばれる原点だとおもうのです。

石井さんは、貧しい子どもたちを救うという形で未来を変えていきました。

わたしはもっと「ほめ言葉」が飛び交う社会を作ることで未来を明るくしていきたいのです。

1日何回「ほめ言葉」を言ったかであなたの幸せ度がわかる

あなたは、1日に何回、「ほめ言葉」を発していますか。

相手だけではなく、自分をほめることを数えても構いません。

あなたは何回でしたか。

10回以上という人もいるでしょう。

もしかしたら1回もない人もいるのでは。

人によって違うでしょうが、これだけははっきり言えます。

わたしの経験上、ほめ言葉が多ければ多いほど、人は幸せになれます。

さあ、まずはわたしが推奨している「1日1ほめ」からで結構です。

ほめる習慣を作りましょう。

それができてから、だんだんとほめる回数を増やしていけばいいでしょう。

やがてあなたは、最低1日5回くらい、言えるようになるはずです。

そのとき、あなたの幸福度は100に限りなく近づいていく、とわたしは信じています。

1日に1回も人をほめたことがない、という人にとって、1日5回はハードルが高いと感じるかもしれません。

でも、1日5回は、実はそんなに難しくはありません。

お店で買い物をしたときに、対応してくれた店員さんに一言「ありがとう」と言う。

ほら、これで「1ほめ」できました。

バスに乗ったら運転手さんにお礼を言ってもいいでしょう。

日常のなかで、ほめ言葉を使うシーンはいくらでもあるのです。

この本でご紹介した「ほめ言葉」のメソッドを使えば、家族や同僚といった、いつもそばにいる人たちを、1日に何回もほめることだってできます。

そして、ほめた相手が幸せになれば、相手はこちらに好意を持ちます。

やがて、幸せのお返しが来て、お互いに幸せを与え合う循環ができて──。

それがループのように永久に循環していくのです。

あなたの周囲にいる多くの人とそうした関係性を築ければ、あなたのまわりには幸せオーラが常に満ちあふれた状態になります。

そのオーラは人を引き寄せます。

ほめ上手な人のまわりには、常に人が集まります。

そして、あなたのまわりは、いつもよい人間関係でいっぱいになるでしょう。

いかがでしょうか。

たった一言のほめ言葉をきっかけに、人生が輝き出すことをおわかりいただけたでしょうか。

マイナスな言葉に左右されない生き方

今、マスコミを中心に人のあら探しをする記事や、ニュースが多いように思います。

伝えられていることは、確かに事実かもしれませんが、そのあら探しによってマイナスな言葉が世の中にあふれて、わたしたちの心もそのマイナスな情報に左右されています。

そのために、どんな悪影響があると思いますか。

心の病気になる人や、夢を持てない子どもたち、そして夫婦関係、親子関係など人間関係に悩む人たちが増えています。

多くの人が、マスコミの情報を正しいと思い、必要以上にマイナスな言葉を浴びているのです。

しかも、人はいったん正しいと思い込んだことを、間違っていると自分で修正するのが難しいものです。

いつも読んでいる新聞、ニュースでは相変わらずマイナスなニュースが流されますし、親や上司といった周囲の環境も、生きていくうえでは必要で、そう簡単に変えるわけにはいきません。

しかし、焦点を変えることにより自分で環境をよくしていくことはできます。

それは、「ほめるところを探す」という考えです。

これまで読んでいただいておわかりかと思いますが、自分自身やまわりの人をほめる習慣が身につけば、どんな情報が入ってきても、自分で自分の心を律することができるのです。

そのためにも、「自分によい質問をしてあげること」「まわりのよいところを探そうとすること」を実践してみてはいかがでしょう。

こうしたちょっとしたことで、自分の人生は変わっていくのです。

そして、夢をかなえるためには、自分の長所を見つけること、そして行動することです。

自分自身を肯定し続ければ夢はかならず実現できると信じています。

先ほどご説明したとおり、脳科学で、ほめると記憶力が上がる結果も証明されています。

あきらめない心の強さや、行動する習慣を身につけるためには、「ほめ言葉」は効果的です。

みんながほめ言葉を口にするようになれば、心の病気になる人や、夢が持てない子どもたち、夫婦関係、親子関係など人間関係に悩む人たちが減り、企業の業績も上がり(実際に150社以上)、夢が実現できて、みんなが輝きだします。

そもそも人はお互いのよいところを探し合い、尊敬し合い、当たり前のことに感謝しながら、ほめ言葉が行き交うような人間関係のほうがよいに決まっていますよね。

「人はほめられるために生まれてきた」わたしは、この考えを広く世の中に広めていきたいと思っています。

※ありがたいことに、今、日本だけでなく、世界のいろいろなところで、講演をさせてもらう機会があります。

「原さん、海外での〝ほめ言葉講演〟の反響はどうですか?」とよく聞かれるのですが、「どの国も、一緒ですよ。

みんな、とてもよい笑顔で〝うんうん〟と、うなずきながら聞いてくれますよ」と、わたしはいつも同じことを答えます。

ほめ言葉は、誰もが笑顔になるのです。

そして、乱れた世界をひとつにしてくれる力があると信じています。

わたしは、子どもの教育にチャリティ(寄付)をするために「一般財団法人ほめ育財団」を設立しました。

ほめて育てる教育を日本から世界中に広げるためです。

世界196カ国の人たちを輝かせることをミッションに、精一杯行動すると決めています。

この本を読んだあなたが、ほめ言葉をどんどん発して、まわりを輝かせてほしい。

キラキラ輝く人生を歩んでほしい。

神様からのメッセージをまっとうする人生を、生きてほしい。

ほめ言葉いっぱいの幸せスパイラルに入ることを、心からお祈りして、ペンを置きたいと思います。

最後に、この本を作るためにご尽力をいただいた、アスコム編集長の小林英史さん、担当編集の池田剛さんをはじめ、大切なほめ育の仲間、愛する家族に心から感謝します。

原邦雄はら・くにおほめ育【HoMeIKu】を世界共通語に!世界中の人たちを輝かせる!をミッションに掲げ、子どもの教育にチャリティーをすることを目的に、「一般財団法人ほめ育財団」を設立。

ほめて人を育てる「ほめ育」を196カ国に広げるために、日本だけではなく、アメリカ、中国、インド、カンボジアなどに活動を展開し、のべ50万人にほめることのすばらしさを伝えている。

ハーバード大学やザ・リッツ・カールトンホテルでのセミナーをはじめ、年間200回以上の講演を行う。

テレビ朝日「報道ステーション」やNHKにも登場。

「ほめ育財団」へのお問い合わせはこちらから。

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