人にアドバイスをするときに厳守すべき6つのステップ私はコンサルタントを十数年間やってきたので、顧客へアドバイスすることを生業としていた。だが恥ずかしながら、すべてがいいアドバイスであったかといえば、おそらくそうではない。正直にいうと、私に知識と経験が不足していたがゆえに、まったく顧客の役に立てなかったこともしばしばあった。だが、もっと悪いのは、アドバイスのやり方を知らなかったがゆえに、「相手に話を聞いてもらえない」ときがあったことだ。人へのアドバイスは非常に難しく、気をつかう。また、若造の言うことを、業界経験何十年というベテランが聞く、という状況自体がそもそも普通に生活していればありえないシチュエーションであるため、「人に話を聞いてもらう」ための練習を積まねばできるようにはならない。したがって、社内では何度も何度もシミュレーションを行い、できるだけ話を聞いてもらえる状況をつくり出すスキルを身につけるべく、練習を重ねていた。具体的には、話を聞いてもらうために、次の6つのステップを踏む。STEP1「解決してほしいのか?」「聞いてほしいだけか?」を判別するクライアントと話すときの最初の重要な判断だ。聞いてほしいだけのときは、アドバイスの必要はない。実務的には、「話をお聞きするだけなら、できます」と言う。アドバイスは「アドバイスがほしい」と求められたときだけ行えばよい。経験的には、アドバイスを好んで聞く人は少数である。人は他者の課題には敏感だが、自分の課題は棚に上げるのだ。STEP2相手の話を聞く、相手がやりたいことを聞くために現場では「どうすればよいか、アドバイスがほしい」と言われたときですら、じつは「あなたの解決策を聞きたい」と言われているわけではない。では、相手の真意はどこにあるのか。実際に相手が聞きたいのは、「私がやろうと思っていることは正しいかどうか、少し意見がほしい」である。だから、実務的には「もうすでにやろうと思っていることがあるのではないでしょうか?」と言うことが正解である。「アドバイスがほしい」と言われ、調子に乗って自分の考えるアドバイスをすると、たいていの場合嫌われる。STEP3相手がやりたいことに対して、「何が引っかかっているのか」が肝心「やりたいことをわかっているなら、やればいいじゃない」と言いたくなるが、グッと我慢しよう。もちろん、それは本人もわかっている。やりたいのに、できないからあなたに聞いているのだから、そこには悩みが存在している。だから、実務的には「何か気になることがあるのですか?」と言う。ここでようやく、「本当に相手がアドバイスを求めていること」が判明する。STEP4解決策をすぐに提示せず、相手が本音を語るのを待つようやく悩みを話してもらえ、あなたは相手の心の悩みを知ることができた。が、まだあなたの解決策を提示してはいけない。次にすべきは、相手に心中を整理してもらうことだ。この段階になって、相手もようやく「自分が何に悩んでいるか」を、自ら整理し出す。だから、実務的には「今までに考えたことや、試したことを共有させていただけないでしょうか?」とそっと言う。きっと、相手は本音をぽつりぽつりと話してくれるだろう。STEP5成果が出なかった原因を相手に考えてもらう「今までに考えたこと、試したこと」を話してもらえたら、もう1つ相手に質問をする。実務的には、「なんで、あまり思いどおりにいかなかったのでしょう?」と聞く。相手は問題の核心だと思っている点について述べる。ここで、ようやくアドバイスをする準備ができる。STEP6自分の意見を言わないここまできて、ようやくあなたが話す番になる。全体の時間を10とすると、相手が話している時間が9で、あなたが話す時間はせいぜい1だ。だが、ここで注意点がある。ここでも「あなたの意見」は求められていない。あなたがよっぽどの権威なら聞く人もいるかもしれないが、一般的にはそうではない。あなたがアドバイスしたいことは、「事例」や「昔の偉い人の話」などの他者の話に変換する。直接的なメッセージは、相手を非難していると受け取られるケースが多々あるからだ。非難されていると思った瞬間、相手は聞く気を失う。「私が以前担当した顧客のケースでは……」
「◯◯の経営者の◯◯さんが言っていましたが……」「この本には◯◯と書いてありまして……」もちろん例外もあるが、そういったたとえ話は、「◯◯してください」や「◯◯すべきです」といった直接的な表現よりも相手の心に届く可能性が高い。*「どんなにいい話でも、相手が聞く気にならなければ、ただの戯言だ」と私は先輩に教えられた。私もまったくもって、そのとおりだと思う。
知識レベルに格差がありすぎると、「普通に話しているだけ」なのに相手にとっては「バカにされている」ように感じるiPhoneが故障したので、アップルストアにiPhoneを修理しに行った。故障診断の予約ができなかったので、「当日枠」に入るため、アップルストアまで出かけ、15分くらい待たされたが、無事にiPhoneを診てもらえることになった。*修理の対応をしてくれるアップルストア内にあるGeniusbarに行くと、「あちらの机の席にかけてお待ちください」と言われた。担当者が来るまで、しばらく時間があったのでまわりの人たちを眺めていると、何やら向かいの席が騒がしい。見ると、初老の夫婦がアップルのスタッフに対して、声を荒げている。ついに、初老の男性がキレた。「なんでおまえはそんなに上から目線なんだ!」と大声で怒鳴る。女性も「スタッフを替えて!」と大きな声でまわりにアピールをしており、周囲が少しざわついた。アップルのスタッフは去り、初老の夫婦だけが残された。彼らは「なんでこんな上から目線なんだ、バカにしやがって……」と話していた。話がすべて聞こえてきたわけではなかったので、私に正確なところはわからない。だが、様子を見ていて感じたのは次のことだ。・初老の夫婦は、アップルのスタッフの言っていることをあまり理解できていないようだった。おそらくコンピュータにかなり疎いと思われる・アップルのスタッフは丹念に説明しようとはしていたが、相手の知識の程度が低く、イラついていたようだったおそらく「知識のあるスタッフ」の説明が、「コンピュータに疎い初老の夫婦」にとっては見下されているように感じたのだろう。お互いに不幸な、コミュニケーションの不調だったように感じた。正直にいえば、初老の夫婦は少々短気で、スタッフに対する礼儀を欠いていると感じた。スタッフに対する口調も高圧的で、一種の「クレーマー」的なものを含んでいた。忙しい中で、あのような人々を相手にしなければならないアップルのスタッフには頭が下がる。だが一方、逆の視点から考えると、「アップルのスタッフが上から目線だ」という老夫婦のクレームは、必ずしも理解できないものではない。知識レベルに格差がありすぎると、「普通に話しているだけ」なのに相手にとっては「バカにされている」ように感じることが多々あるのだ。*たとえば、あなたが情報システムに疎い場合、情報システムに詳しい人たちの説明が、「妙に上から目線だ」と感じたことはないだろうか。病院に行ったとき、無愛想な医者が「上から目線だ」と感じたことはないだろうか。学者の講演が「上から目線だ」と感じたことはないだろうか。事実として、知識レベルに格差がありすぎると「普通に話しているだけ」なのに相手にとっては「バカにされている」ように感じることは多く見られる現象である。これは、「知識を扱う人」は、よほど気をつけなければならない。実際に、営業活動においては「提案の中身」よりも、「言い方」のほうがはるかに重要であるようなシーンも多い。だから当然、知識を持つ側の人は、そこで「勉強しない人が悪い」と思ったり、「知識がないからバカにされて当然」といった態度であってはならないだろう。ピーター・ドラッカーは「知識ある人の責任」について、こう述べている。知識ある者は、常に理解されるように努力する責任がある。素人は専門家を理解するために努力すべきであるとしたり、専門家はごく少数の専門家仲間と話ができれば十分であるなどとするのは、野卑な傲慢である。大学や研究所の内部においてさえ、残念ながら今日珍しくなくなってきているそのような風潮は、彼ら専門家自身を無益な存在とし、彼らの知識を学識から卑しむべき衒学に貶めるものである。(『プロフェッショナルの条件』上田惇生訳/ダイヤモンド社)アップルストアのスタッフも、おそらく「話し方」についての訓練を受けているとは思う。が、「スマホの操作に疎い老人」たちが「上から目線だ」と憤っていたのは、ある意味必然だろう。それは、アメリカの大統領選で起きた「エリートが嫌い」「インテリが嫌い」という感情的な反発と構図はまったく一緒である。
自慢話を聞いてもイラつかないで済む方法人の自慢話を聞いていると腹が立つ、という人はけっこういるのではないだろうか。つい先日も会合で、「アイツ、自慢ばかりでムカつく」「彼はさりげなく自慢話を差し込んでくるよね」といった話で盛り上がっていた。社会人になると、さまざまな人との付き合いが増え、自慢を聞く機会も増える。しかし、そのたびにムカムカしなければならないのはどう考えても損だ。そんな人に、「自慢話を聞いてもイラつかないで済む方法」がある。昔、先輩から教えていただいたものだが、これもコミュニケーション能力のひとつだと思うので、ムカムカして気分が悪くなったときにやってみてほしい。*先輩は言った。「自慢話を克服するためには、まず『自慢話とは何か』を知らなくてはね」「……」「まず、自慢話の定義は『相手の劣等感を刺激する話』のことだと思う」「そんなもんですかね」「そう。だから、興味がないものは自慢に聞こえない。劣等感があるからムカムカする。うらやましいと思うから、嫌な話に聞こえる。自慢話は自分の欲望と素直に向き合う機会だ。つまり、自慢話を軽く聞けるようになるには、自分の中の劣等感と向き合うことが肝心だ」「なるほど……」「そう考えると、相手は自慢をしているつもりがなくても、こっちが勝手に自慢と思ってしまっていることもたくさんある。とくに上に立つ人は、妬まれることはできるだけ避けなくてはいけないから、『謙虚に振る舞え』と言われる」「で、具体的にはどうすればいいですか?」「人の話を聞いて、『あ、なんかザワザワするな』と思ったら、まずは自分の欲を掘り出す。なぜ話を聞いてイラッときたのか、本当にそれがうらやましいのかを冷静に考えると、意外に『あっ、とくにうらやましくないわ。隣の芝が少し青く見えただけ』ということはよくある」「ふーん……」「正体が見えてしまうと、対処は難しくない。『あっ、別にいらないわ』で終了。『昔の武勇伝』なんかは、これでサクッとかわして、メシに集中すればいい。そして、逆に『超うらやましい』と思ったら、そのときは謙虚に『学べることがあるか?』と振り切ってしまうのも楽になる。ノウハウを入手するチャンスと思えば、それほど面倒でもない。そのときは『教えてください』でOK」「なるほど」「あと最後の1つは、『むしろ、かわいい』と思ってしまうこと」「どういうことですか?」「自慢話をしたら普通は嫌われる。でも皆それを知っているのに思わずやってしまう。『こんな人でも褒められたいんだな、人間なんだな』って、思えば腹も立たない。突き抜けるとむしろ『かわいいなこの人』とだんだん思えるようになる」「本当ですか?」「本当だよ。試してみな。だって、自慢話をするようなやつは間違いなく小物だから。どんな成功者でも、自慢ばかりしているようでは……ね」*コミュニケーションの技術にもいろいろあるものだ。「自慢話をスルーする術」も、それなりに役に立つのだろう。
マウントしてくる人はかわいい「あたしのほうがすごいのよ」「オレのほうがカッコいいぜ」そうやってすぐにマウント(マウントポジション)をとろうとしてくる人がいる。いわば、優位な状況を誇示しようとする人のことである。はっきり言って、超かわいい。まず、勝ち気なのがかわいい。「あ、この前、僕も20億円ぐらいの取引まとめましたよ。今も3つくらい同時にやっています」なんて、最高のフレーズだ。「負けないぞ!」という気迫をひしひしと感じるし、「自分のスゴさを知らせたい」というプレゼンテーションを力強く、熱心に、あんなに長時間やり続けることのできる熱意もいい。人が何かに打ち込んでいる姿は感動を覚えるけれど、マウントしてくる人にもまったく同じものを感じる。やる気も気力もない、ヌケガラのような人と比べて、マウントしてくる人はなんとハツラツとしていることだろう。そう、そういう人たちと会うと元気をもらえるのだ。次に、「聞いてほしい」と訴えてくるのがかわいい。自分の子どもが「ねえ~きいてきいてよー、おとうさん~」とねだってくるのと同じで、もう抱きしめたくなる。「ぼく、あの芸能人と知り合いなんすよ!」なんて言われると、もうグッとくる。そうかそうか、そうかー、よかったな~、うんうん、その芸能人と親交を深めた話、もっと聞かせてほしい、もっと語ってほしい、そういうふうに思ってしまう。「この前、マジでヤバイ金持ちの家に遊びに行ったんですよ、で、その家が~」みたいなフレーズを聞かせてくれた女性、はっきり言って最高です。そして、超絶上から目線なのがかわいい。「えー、こんなことも知らないんですか?」なんて言われると、ゾクゾクする。「そう、それ、そのひと言を待ってました!」って感じだ。とくにMの気質がある人でなくとも、上から目線はたまらなく愛しく見えるのではないだろうか。しかも、今朝のニュースサイトに掲載されていた記事を、さも「僕だけが知ってます」的な感じで「業界の人たちは皆、知ってるみたいなんですけど~」なんて言われた日にはもうヤバい。「ええ?本当?」と思わず知らないふりをして、その人の上から目線をできるだけ長く楽しみたい、そう感じてしまう。さらに、勉強家なのがかわいい。そういう人は欠かさずFacebookのタイムラインに目をとおし、インスタグラムでちょっとイケてる人をフォローし、夜の交流会にも足繁く通う。そうして勉強した知識を活かして、こんなふうに言ってくる。「おまえもそろそろインスタはじめないとヤバイよ!」素晴らしい。そんな人のおかげで僕らは最新の情報にアクセスできるし、何が流行っているかを知って、適切に行動できるのだ。彼らはアンテナを高く張っているので、ベストセラーや全米ナンバーワンの映画にも詳しい。そういう人に感想を教えてもらえば地雷を踏むことを避けられるのだ。そして仲のよい友人になってくれるから、ホントにかわいい。世の中にはなぜかマウントしてくる人が嫌いな人が多いので、「この人、かわいい」と思って付き合うだけで友人になってくれる。でも残念ながら、仲よくなるとなぜか「マウントの回数」が減ってくる。もっとマウントしてほしい、もっと自慢してほしい、そう思っているのに、マウントしてくれない。
「最近マウントしてこないね」って聞くと、「オレそんなことしてないし」と言う。やっぱりかわいい。
人に仕事を依頼するのが上手な人は、こうやって頼んでいる人に仕事を依頼するのが苦手な人はけっこういる。たとえば、管理職になったにもかかわらず「自分でやったほうが早い」と手を動かしてしまう人が数多くいるが、それではマズい。人にやってもらわなくてはならないのが管理職である。したがって、相手にこちらの依頼を確実に遂行してもらうためのコミュニケーションスキルは、必須であるとともにマネジメントの要諦でもある。だが、「こちらの依頼を確実に実行させる」とひと口にいっても、その実践はそれほど簡単ではない。*簡単な打ち込み作業を、あなたがアシスタントにお願いするとしよう。「こちらの営業資料のデータを、急ぎで、エクセルに打ち込んでほしいんだけど」アシスタントは言う。「今日はけっこう忙しいんですが……」「夕方までになんとか!」「わかりました……」しばらくしたあとに様子を見ると、期待どおり打ち込まれている……と思いきや、少し見ていくとなんかデータがおかしい。「ここ、間違っていますよ」と指摘すると、「あ、すみません」と直してくれた。だが、あなたは少し不安だった。もう数箇所、データを細かく見ていくと、ほかの部分も少しずつミスがある。おいおい……、ミスだらけじゃないか……。不安になってアシスタントの人を呼ぶ。「これ、ほかの場所にもけっこうミスがあるけど、きちんとチェックした?」「いえ、急ぎだとうかがったので、ひとまず打ち込みました。ミスが多少あるかもしれません」「かもしれません、じゃないよ。これって大事な営業のデータだよ。間違っちゃ困るんだよ」アシスタントはムスッとしている。「わかりました。もう少しお時間をいただけますか」あなたは疲れてつぶやく。「こんなの、言わなくてもわかるだろうに……」*さて、何が悪かったのだろうか。もちろん、アシスタントの責任にすることもできる。「仕事に取り組む姿勢がダメなのだ」と糾弾することもできよう。だが、このアシスタントの責任にしても、同じようなことが再発する可能性はある。実際、あなたが本当に得たいのは「誰の責任かを特定する」ことではなく、「同じミスを起こさないこと」ではないだろうか。そう考えていくと、これは「頼み方」がマズいという結論に達する。つまり、悪いのは発注者であるあなただ。発注者の頼み方が変わらないかぎり、また同じことが起きる。このアシスタントが起こさなかったとしても、人が替わればまた起きる。もちろん、「いやいや、どう考えてもミスをしたアシスタントが悪いだろう」と言う方も多いと思う。それは理解する。だが、たとえこのアシスタントがミスなく仕事をしていたとしても、さきほどの「打ち込んでほしいんだけど」という依頼は、ある意味「最低の依頼の方法」といえる。なぜなら、「仕事の品質管理の水準」を相手に委ねていることになるからだ。じつは「品質管理を相手に委ねる」のは、最悪の依頼の方法である。*私は新米のコンサルタントだった頃、上司からこう習った。「コンサルの現場では、お客さんに宿題を出すだろう」「はい」「たとえば、営業の業務フローをつくってほしいとき、おまえならどうやって宿題を投げる?」「ええと……ぎ、きょ、業務フローをつくってほしいんですが、お願いできますか?でしょうか……」「ああ?そんなんでお客さんがキチンとつくってくると思っているのか!」「す、すみません……」
「依頼というものは、どの水準のものをつくってほしいのか、きちんと確認をしなければ、絶対にきちんとしたものはあがってこない」「はい……」「フローをつくるときは、どの形式で、どの粒度で、どの範囲でつくるか、そういったことを細かく定めないとめちゃくちゃになるぞ。依頼前にフォーマットをきちんと協議するんだ」品質管理を相手に委ねてしまう依頼のしかたは、たとえどんな水準のものがあがってきたとしても文句は言えない。それは「発注者がサボっているだけ」なのだ。ただ、勘違いしないでいただきたいのは、「品質の水準」は相手に示すが、「品質の管理方法」は相手に任せてもいいということだ。管理方法まであれこれ指示をすると、箸の上げ下ろしまで細かく指示をすることになり、かえって効率が落ちる。よって、さきほどの依頼であれば、このように頼むのが望ましい。「営業の分析用の資料を、急いでつくってほしい。明日の夕方に使うから急ぎで。精緻に分析をする資料だから、ミスが絶対にないようにお願いしたい」「わかりました」「ミスをなくすために、どうするかイメージは湧いている?」「はい、前にもやりましたから。表のレイアウトはこの資料と同じでもいいですか?違うとチェックしにくくなるので。あと、私ともう1人で、ダブルチェックをかけたほうがいいですか?」「うん、そうしてほしい」*プロジェクトマネジメントにおける世界標準の規格「PMBOK」の「プロジェクト品質マネジメント」の項目の一節には、最新の品質マネジメント手法では、次に示す点が重要であると述べられている。検査よりも予防。品質とは計画され、設計され、プロジェクトのマネジメントやプロジェクトの成果物に組み込まれるものであり、検査によって実現されるものではない。トヨタ自動車は「品質は上流工程である設計でつくり込む。検査では品質は向上しない」というコンセプトを持ち、設計を品質管理の要とする。そう考えれば、あがってきた成果品に対して、作業者であるアシスタントにガミガミ言ったとしても、品質はほとんど向上しないことがよくわかるだろう。依頼における品質管理は、最初の段階で「どの程度のものがほしい」かをきっちり明確に示すことが肝心なのだ。適当に依頼しておいて、「こうじゃないんだよなぁ~」とか言ってしまう管理職は、品質管理の初歩から、勉強し直したほうがいいだろう。
「提案のコンペ」で勝率を劇的に上げる方法私は仕事でさまざまな会社の「提案書」の作成を手伝うことがある。通算すれば、それこそ何十、何百と提案書を書いたが、毎度、同じことを思うので、それについて書いてみたい。「提案書」の作成は、特殊なスキルではなく、誰でも身につけることのできるスキルであり、しかもさまざまなシーンで役に立つ、汎用性の高い「コミュニケーションスキル」である。これから仕事を頑張りたい人、起業したい人、成果を出したい人にはぜひ身につけていただくとよいだろうと思う。なぜなら、「顧客から仕事をもらう」「上司に動いてもらう」「部下に動いてもらう」といった、仕事において重要なシーンすべてに「提案」という活動が含まれるからだ。だが、実際に「よい提案書」をつくることのできる人にはあまり出会わない。なぜか。それはおそらく「提案書」という名前そのものが悪いと、私は考えている。「提案書の作成」というと、「提案を考えること」と誤解してしまうからだ。具体的にいえば、「何を提案するか?」を考えることに提案書の作成の大部分の時間を使う。「提案書」なんだから、当たり前じゃないか、と言う方もいるだろう。そこに落とし穴がある。経験的に、「提案書」を作成をするにあたって最も時間を割く必要があるのは、「提案を考えること」ではなく、「相手の真の要望を理解し、それを文書化すること」だ。つまり、こういうことである。「PRをやりたい。媒体に露出を増やして、問い合わせをたくさんもらいたいので、PR活動に関して提案をしてくれないか」という依頼をもらったとする。多くの人は「それでは」ということで、・媒体に露出を増やす方法・プレスリリースの書き方・メディアまわりの方法・記者発表の方法などを考え、提案書に盛り込むだろう。だが、これではあまりよい提案書にはならない。先に述べたように、提案から考えてはダメなのである。ほとんどの人は、提案から考えると「お客さんが本当にやってほしいこと」ではなく「我々ができること」を提案してしまうのだ。「PRをやってほしい」と言っているから、PRの提案をしたんじゃないか。何が悪いんだ、と言う方もいるだろう。じつはそれが間違っている。私の経験では、お客さんが声をかけてくるときに、「本当の要望」はまず言語化されてこない。具体的にさきほどの例では、「PRをやりたい」と言ってきたその背後にある動機のほうが、はるかに重要である。たとえば、なぜPRを積極的にやりたいのかといえば、そこには次のようにさまざまな理由がある。・後発のサービスだから?・競合製品と異なる市場を狙いたいから?・特定のターゲットにリーチしたいから?・Coolなサービスであると思われたいから?「営業でヒアリングすればいいじゃない」と言う方もいるかもしれないが、営業のヒアリングだけではまったくもって不十分である。それはあくまで「担当者の主観」「管理者のバイアス」「経営者の思い込み」などが盛り込まれた、事実の一側面にすぎない。そのため、提案書を書くときには「その会社がサービスを使いたいと思う理由と背景」を、できるかぎり多く収集しなければならない。・今までのプレスリリース・CEOの発言・その会社について出版された本・webの記事・採用募集要項・社員のブログそういった断片的な情報をつなぎ合わせ、「この会社がPRしたいと思った、本当の意図、背景、有効性」などを突き止めるべく努力する。だから、提案書を作成するプロセスで最も時間をかけるべきは、「お客様からのご要望」をできるだけ丁寧に、詳細に、背景を踏まえて言語化、文書化するこ
とだ。具体的にこの例では、提案書のいちばん最初に、「お客様からのご要望」のページを入れ、そこに詳細を記述する。・目的1後発の不利を覆すために、見込み顧客に対する認知度を向上させたい2競合がリーチしていない市場に対して先にアプローチしたい・目的を実現するための具体的な目標1媒体露出を30%向上させる2複数のターゲット媒体(別紙参照)において、◯以上の記事数を獲得する3◯◯市場調査において、顧客満足度1位となる提案の前にこのページがあるだけで、びっくりするくらいお客さんの反応がよくなる。ここで重要なのが、これらはあくまで「我々の提案」ではなく、「お客さんの要望」であるとすることだ。そして、プレゼンテーションでは、最初に「我々がヒアリングし、文献にあたったところでは、これがお客様のご要望だと認識しています」と述べる。ここで「認識が違いますよ」「事実と違いますよ」と言われたら、そこでプレゼンテーションが終わってしまうからだ。逆に、顧客はそこが完璧にできているとき、「ああ、我々が求めていたのはこういうことだったのか」と頭がすっきりする。この「すっきり感」なくして、提案を受け入れてもらうことはできない。*誤解を恐れずにいえば、コンペで負ける原因のほとんどは、「提案が悪いから」ではない。「『我々(顧客)のやってほしいこと』を提案書が外しているから」だ。言い換えれば、自分たちのできること、やりたいことだけを並べる提案書がほとんどであり、真に要望を理解している提案が少ないからだ。だから、「お客様のご要望」が正確に記述できた時点で、コンペの勝率はびっくりするくらい上がる。もちろん、コンペで勝てるかどうかは提案書の質だけによるわけではない。そこには政治や予算、人間関係などが複雑に絡むし、「コンペの前にすでに勝敗は決まっていた」なんてこともよくある。だが、少なくとも「提案書がわかりやすく、的確に我々(顧客)のニーズを把握している」会社は、「勝てる可能性の高い」会社である。
「承認欲求の強い人」は認められず、逆に「承認欲求のない人」ほど評価されるという皮肉最近、「承認欲求」という言葉をよく耳にする。web上で気軽に承認をやりとりできるツールが提供されているからかもしれない。そして、「承認欲求」といえば、ある人物のひと昔前を思い出す。*彼は悪い人ではなかったが、1つだけ褒められないクセがあった。それは「仕事を抱え込んでしまうこと」だった。若手で経験も浅かったその人物は、自分が引き受けられる以上の仕事を「褒められたい」「失望されたくない」という理由で引き受けてしまい、結局あとで問題が発覚する、ということもしばしばだった。ええカッコしいのその人物に業を煮やした上司は、一喝した。「その場しのぎで安易に仕事を引き受けるのはやめろ。できないときは、できないと言え」「そういうわけでは……」「言い訳はするな。実力に見合わないことをしても、認められるどころか信頼を失うだけだ」「私は悪くありません。頼まれたら引き受けてあげたいのです」「違う、おまえは嫌われたくないと思っているだけで、自分の実力を認める勇気もない」「しかし……」「おまえが『できる人間と思われたい』と願っていることは理解できる。だが、自分の仕事を振り返って見てみろ。あせって自分を大きく見せようとするな」その人物は、数年後にこう言っている。「怒られてよかった。いいカッコをしなければ、という思い込みが消えたから。おまえは実力不足、とはっきり言われたので、逆に仕事に集中できるようになったのかもしれません」過去の彼のように「手っ取り早く承認を求める人」は、残念ながら企業内で大きな問題になることも多い。とくに、それをはっきり言ってくれる指導者がいない場合は、なおさらだ。彼らはたとえば、次のような発言をする。・上司が褒めてくれないので、やる気が出ない・地味な仕事は皆が認めてくれないので、やりたくない・見てくれている人がいないので、やめてしまおう・なぜ、あいつよりオレのところに先に話をとおさないのだ・オレのほうが学歴はいいのに、なんであいつが先に出世するのだ反対に、承認欲求を自己のコントロール下に置いている人は、次のように発言する。・上司をうならせるような仕事をしよう・地味な仕事こそ、大事にすることが自分のためになる・見ている人がいないときこそ、自分が自由にできるチャンスだ・私は彼を信頼しているから、私に相談するかどうかは彼に委ねよう・彼の実力が上だったということか。頑張ろう当然、このような考え方のほうが実力はつく。実力がつけば、認めてくれる人は自然に増える。人からうらやましがられたり、褒められたりすることに頓着しないことが、結果的に人の評価を受けるのだ。また、彼らは積み上げてきた自信や「自分の中の評価尺度」があるので、他者の評価、賞賛を「参考意見」ととらえる。それゆえ、まわりの人間は彼と適度な距離を保つことができ、彼は「付き合いやすい人間」と感じてもらえる。逆に、承認欲求の強すぎる人は、「何でオレを褒めないんだ!」「頑張ったのに、認めないのか!」と常に不満を抱える。もちろん、彼らをなだめるために大人の対応をする人もいるが、彼らの相手をするのは面倒なため、徐々にまわりは彼らを相手にしなくなり、彼らはますます孤立する。当然、実力もつかない。アドラー心理学では、承認欲求について次のように述べている。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれない。(『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健/ダイヤモンド社)逆説的ではあるが、認められたい人ほど認められず、評価を気にしない人ほど認められる結果となる。「承認欲求」を必要としない人ほど、逆に他者から承認され、それを求める人ほど孤立してしまう。人間関係とは、誠に皮肉なものだ。
「よい人間関係」は衝突することを前提としている職場でも、それ以外でも、人間関係が悩みの種になることは少なくない。*あるwebサービスを運営する会社の社長と話をさせていただいたとき、「よい人間関係とは何か」という話になった。通常、よい人間関係というと、・気が合うこと・話が盛り上がること・お互いを尊重できることなどの特徴があがってくるが、その経営者は「そんなものはよい人間関係とはいえない」と言った。「僕は、人を多く見てきているからよく思うんだけど、『気が合う』とか『お互い尊重できる』とかって、本当に苦しい状況に追い込まれたときには簡単に壊れるんだよね」「苦しい状況というのは?」「たとえば、一緒に起業したけどうまくいかない、とか」「ほう」「片方の人物がすごく仕事がうまくいっているけど、片方は全然うまくいかず、落ち込んでいる、とか。大病を患った、とか」「なぜ、壊れてしまうのでしょう?」「気が合う、ってのがワナだね。多くの人が『気が合う』って感じているのは、実際は衝突がないだけ。表面をなぞっているだけの人間関係だよ」「たとえば?」「うちの会社で、こんな話があった。昔、部長が2人いたんだよ。業績がよいときは、すごくよい人間関係だと皆思っていた。何せお互い衝突することはほとんどない。たまに議論があっても、『じゃ、あなたの案でいきましょう』と、簡単に合意できる」「はい」「意思決定も早いし、これはよい人間関係だと。お互いを尊重しているんだと。私もほかの皆も思っていた」「……」「でも、それ、全部ウソだったんだよね。私の人間理解が甘かったんだが、よい人間関係って、衝突の上に築かれるものであって、和やかさの上には築かれない」「なぜそう思ったのですか?」「会社の業績が伸び悩みを見せはじめたとき、『なんか雰囲気悪いよね』と誰もが感じていたけど、誰もその原因がわからなかった」「はあ……」「で、1人ひとりに時間をつくって『何が問題か』と聞いて回ったら、よくわかった。皆が『言いたいことがあるのに、黙っている』という状態だった。『なんで直接言わないんだ』と聞くと、『人間関係を壊したくない』って言うんだよね。これ、メチャクチャヤバイと思った。つまり、人間関係を壊したくないと思う心が、人間関係をさらに悪化させる、ってことだ」嫌われまい、嫌われまいと思うと、気に入られようとしてかえって卑屈になってしまう。よい人間関係を生もう、いい友だちでいようと思うと、ビビってしまい、かえって心を開くことができない。社長はさらに言った。「だから、オレはもう『よい人間関係』は『衝突があること』が必須の条件と思っているよ」「でも社長、衝突があるからといって、よい人間関係とはいえないですよね。いがみ合っているだけとか」「もちろんそうだ。だから『衝突』はベースにあるだけ。人間同士はもともと衝突するもの、そういうように考えることがまず出発点」「その先には何が?」「簡単だよ。衝突の先にあるのは、対話だよ。相手の話を聞いて理解しようとする姿勢」*オランダの哲学者であるスピノザは著書『国家論』の中で、「私は人間を嘆かず笑わず嘲らず、ただひたすら理解しようと努めた」と述べている。「よい人間関係」とは、衝突を恐れず、相手を理解しようとする姿勢そのものである。そう言っていいのかもしれない。
コメント