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第3章神道は「宗教」ではありません。

第3章神道は「宗教」ではありません。

神道を支える精神ここまでお話ししてきたことで、タイトルにある『神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人』がどんな人か、なんとなくわかっていただけたことと思います。正解を言ってしまえば、神社に行かなくても神様に守られる人になるには「浄不浄の線引きをすること」「日常的に、心身を清い状態に整えること」「感謝すること」「素直で謙虚であること」といったところでしょうか。「それだけ?」と思いますか?はい、それだけなのです。そもそも神道は「認める」「許す」、そのうえで「敬意を払う」精神によって支えられているものなのですから。戒律の厳しい宗教がある一方で、神道には戒律そのものがありません。戒律などに縛られなくても、縄文の昔から日本人の中には秩序があった、自分を律することができたと言えるでしょう。食料も取り過ぎたり、食べ過ぎたりすることなく、集落の皆が明日も平等に満たされるように考えられていた。森にいたっては、伐り出した分、新しい木々が育つようにどんぐりやシイの実を埋めていたことがわかっています。森林伐採で今もなお、砂漠化を進めている現代人に対し、新しい木々を育てた縄文人は百年先の子孫のための知恵を備えていたといえます。稲作が始まった弥生時代にくらべ、縄文時代は「劣っていた」という評価は近年、見直されつつありますが、「劣っていた」などとんでもない。現代とくらべても遜色のない、いやそれ以上の知恵をもっていたといえるかもしれません。狩猟と採集だけでも十分、満たされ、神に恵みを感謝し、神とともに暮らした時代。だからこそ、後に続くどの時代よりも長く続いたのではないでしょうか。そのことを証明するように、青森県にある縄文遺跡、三内丸山遺跡は千五百年以上もの足跡を今日に伝えています。静岡県富士宮市をはじめ、富士山を臨む地域には富士山を「神の山」として祈りを捧げた縄文時代の祭祀場跡があちこちに残されています。私は海を渡って、稲作という文化が入る前の縄文時代、その精神こそが本来の日本人の精神だと考えています。そして、それを今に伝えるのが、神道ではないかと思うのです。

日本だからできた『国譲り』この国の建国の歴史として知っておいてほしい神話に「国譲り」があります。大国主神が築いたこの国を天上から見ていた天照大御神が「いい国だから、私の孫に治めさせよう」と思いつくのです。大国主神の息子の中には反対する者もいました。建御名方神は、このとき抵抗し、戦いながら信濃国、現在の長野県にまで追い詰められたと神話は伝えています。そうして御鎮座されたのが諏訪大社です。最終的に大国主神は戦うことなく国を譲り、その代わりに建てられた宮に鎮まりました。その宮というのが出雲大社であることをご存知の方も多いと思います。戦って、力の強いほうが国を治めるのではなく、戦わずして国をよりよくする道を選んだ。この発想は日本人ならではのものでしょう。ここにも「認める」「許す」「敬意を払う」、神道の精神、すなわち縄文の精神が見てとれます。この『国譲り』の舞台となった島根県松江市にある美保神社には、このときのことが『青柴垣神事』という祭礼となって伝えられています。国を奪われた側である人々がどんな形の祭礼を作り上げたか。そこで伝えられるのは哀しみでも恨みでもなく、天照大御神と手を取り合うことでよい国になったという晴れやかな姿です。こうした精神に支えられた日本人に、戒律は必要ありませんでした。神道には、戒律だけでなく、宗教にとってなくてはならない三要素、「教祖、経典、戒律」、そのどれもがないのです。他の宗教がカリスマ的な教祖の存在と経典を用いた布教によって広まり、厳しい戒律によって、その後の信仰が続いたのに対し、神道は呼吸をするように自然に、親から子へと教えられていったのでしょう。または、日本人の本能として教えられずとも備わっていた感覚なのかもしれません。外国人にとって、日本人の信仰心、宗教観は理解しづらく、また日本人も自分たちの信仰心、宗教観は説明しづらいといいます。一神教と八百萬の神という違いだけでなく、こうした精神性もその理解を難しくしているのでしょう。本能として当たり前のようにあるものを言葉で説明することは難しい。その結果、多くの日本人が外国人に質問されてから、「そんなこと、考えたことがなかった」と気づくのだと思います。「日本とは何だ」「日本人とはどんな民族か」、グローバル化が進む中で、そのような問いが多く投げかけられる今、日本人ひとりひとりが改めて、自分の中に連綿と受け継がれてきた精神を見つめ直す必要がある。私はそう考えています。

そこに「いらっしゃる神様」その日本人の本能ともいえる神道がどうやって現在の形に整えられていったのか、その歴史をざっとお話ししましょう。すでにお話しした通り、縄文の時代に山や海、森や木、岩などの自然に大きな聖なる存在を見出した私たちの祖先は、明日の糧のため、自分たちの子や子孫のためにそこで祈りを捧げました。「額づく」という言葉を本書でも何度か使いましたが、その言葉の通り、大地に額をおしつけるようにして祈る姿がイメージできます。「祀る」という字は祭壇の上の蛇を表しています。蛇は今も神様の使いとされています。私どもの神社では白蛇伝説があるだけでなく、普通の蛇なら冬眠しているはずの正月に蛇が姿を現したりします。そうした自然や生きもの、すべてを敬い、共存する。命をいただくときは心からの感謝を捧げる。天変地異が起こらないよう、心からの恐れを抱き、祈りを捧げる。そうした姿が今に続く神道のはじまりといえます。私は時折、祈りの庭の古代祭祀場の前にゴザを敷き、青空の下、祈りを捧げます。正座をすると、冷たいはずの地面がなぜだかあたたかく、地球の中心からのエネルギーが自分の体に注ぎ込まれているような気持ちになります。光と風と木々の揺れる音、香り……。その瞬間、縄文の昔に立ち返った気持ちになります。ありがたい存在がそこにたしかにいらっしゃることを感じながら、そのお名前などはもう気にならなくなります。ただ、そこにいらっしゃる。それだけで十分「ありがたい」という気持ちが溢れてくるのです。縄文時代、人々がそうして額づいていた存在が「神様」として認識されたのは、ずっとずっと後のことです。『古事記』や『日本書紀』を見ると、登場する神様にはきちんとした名前がついています。長い間、人の口から口へと伝わってきたものを初めて文書化したものなので、その名前がいつ頃つけられたものなのか、どのようにつけられたものなのかは知る由もありません。大国主神のように、たくさんの別名をもつ神様もいらっしゃいます。その別名が本当に大国主神を表すものか、また別の存在を表すものなのか、それも議論が分かれるところです。世界遺産にも登録された和歌山県の熊野三山のひとつ、熊野本宮大社の御祭神が古くは「熊野坐神」、すなわち「熊野にいらっしゃる神」とされていたように、その土地にいらっしゃる神様として信仰されていたことがわかります。今に伝わる多くの神様も元はそういう存在であったのだと思います。

仏教伝来による変化やがて六世紀になると、大陸から仏教が伝えられました。絢爛豪華な寺院建築や仏像によって浮かび上がる極楽浄土の世界。その出現に、人々は圧倒されたことでしょう。それまで神の降り立つ場所に額づいていた祈りの形を、仏教にならい、社殿を建て、そこに御神体を祀るようになりました。神像も作られましたが、仏像が手に水かきがついていたり、頭が螺髪だったりと、人間とは違う尊い存在として偶像化されたのに対し、神像はそのまま人間の姿で作られました。男神は百人一首に描かれる貴族たちのように、烏帽子を被り、笏を手にしています。女神も長い髪の着物姿です。これは神様が私たち人間にとって親しいもの、亡くなった先祖が神様であると信じられていた証でしょう。だからこそ、ありがたい存在であるにもかかわらず、私たちと同じ姿として表現されたのです。そして仏教に影響されたからといって、神道の精神は変わりませんでした。骨抜きになるのではなく、「神様も仏様も実は一緒の存在なのです」という神仏習合という日本独特の考え方に発展したのです。一神教の信徒の方々が聞いたら、とても受け入れられないと思いますが、日本人には柔軟な宗教観がありました。これもそもそも、神道が宗教ではなかったという要素が大きいのではないかと思います。宗派によって違いはあるものの、お寺の中に神社があり、神社の中にもお寺がある時代が明治まで続きました。江戸時代、お伊勢参りが庶民の間でブームになったことは広く知られていますね。でも同様に、富士山を信仰する富士講や四国八十八ヶ所巡り、西国三十三観音巡りと、神道、仏教の区別なく人々は信仰しました。江戸から伊勢へ出かけ、その足で熊野三山、西国三十三観音をめぐり、最後は長野の善光寺をお詣りして江戸に戻るという行程をたどる庶民も少なくなかったといいます。一見、敬虔な信仰心がそうさせるように見せて、実は多分に物見遊山的な旅であったということが、弥次さん喜多さんで有名な『東海道中膝栗毛』などにも描かれています。日本人が神様仏様のどちらも受け入れ、手を合わせていたこと。徒歩で何日かけてでも、「行ってみたい」と思わせるものであったことがわかります。もっとも「徒歩で何日もかけられない」という事情もあり、たとえば江戸には多くの富士塚が築かれました。品川神社(品川区)や鳩森八幡神社(渋谷区)、駒込富士神社(文京区)、鉄砲洲稲荷神社(中央区)……まだまだたくさんの富士塚が今も東京には残っています。「本物の富士山には行けないから、近くに作ってしまえ!」といった江戸っ子の信仰心は果たして厚いのでしょうか、薄いのでしょうか。護国寺という地名にもなっている有名なお寺の境内にも富士塚が残っているのは、神仏習合がいかに日本人の中に浸透していたかを伝えているように思います。

国家神道となるその日本人ならではの信仰の在り方が否定され、神道、仏教が厳しく線引きされたのが明治のこと。国の近代化を掲げ、西洋諸国に追いつくことを命題としていた明治政府の高官たちは「神様と仏様の区別がつかないなど、諸外国にバカにされる」と考えたのです。また、江戸時代までは「寺請制度」としてまとめていた庶民の戸籍を国のもとに一本化するなどの事情もあったのでしょう。もっとも重要だったのは、日本国の元首として改めて戴いた天皇陛下は天照大御神の血筋を受け継ぐ御方であるということ。その正当性を広く知らしめ、強調する目的もあったのでしょう。明治元年(一八六八)に「神仏分離令」が出され、神道は「国家神道」として厚遇されることになる一方、仏教は廃仏毀釈(仏像などが壊される)など、茨の道を歩むことになりました。伊勢神宮に天皇陛下がお出ましになったのも、明治になってからのことです。今では当たり前のように行なわれている「二礼二拍手一礼」という参拝方法もこのときに定められたものです。お話ししたとおり、経典も戒律もない神道では、祈り方も一本化されていませんでした。それについても、この時代に急ピッチで形式が整えられていったのです。「二礼」というと、ただ二回頭を下げるというように受け取られがちですが、本来、二回目の礼は「再拝」。もう一度、頭を下げることで、より深い敬意を表したものです。「二拍手」の意味については伊邪那岐命と伊邪那美命を表す、陰と陽を表す、天と地を表すなど、さまざまな説があります。明治政府によるこの政策は、神道にとっていい点も悪い点もありました。いい点は、自然崇拝から発生した本来の神道の姿を取り戻したこと、悪い点は、体系化したことにより、その地方独特の本来の祈りの形が消されてしまったことです。また「一村一社令」(ひとつの村にひとつの神社)によって、多くの神社が統廃合されることになりました。出雲大社や京都の上賀茂神社、下鴨神社など、政府の方針に屈せず、独自の祈りの形を守り続けているところもありますが、大多数の神社では本来の形は失われてしまいました。私どもの神社も明治時代に起きた火事で、代々伝わってきた古文書が焼けてしまい、わからなくなってしまったものが多くあります。今、焼失を免れたわずかな古文書を頼りに少しずつ本来の形に戻すことを心がけていますが、統一され消されてしまった大多数の神社の祈りの形は永遠に取り戻すことができないのです。

祈りのカタチ「二礼二拍手一礼」には意味がない、とは申しません。でも、それよりも、神様と向き合うときにはもっと大事にしなければならないものがあるような気がするのです。たとえば、人の右側に立つのが好き、左側が好き、誰かに右側に立たれるとどうにも落ち着かないなど、「自分の感覚」というものが誰しもあると思います。それがどうして落ち着くのか、理屈で説明できるものではありませんが、その「自分の感覚」をもっと大事にすべきです。私たちの祖先も理屈でない感覚で神様をとらえていたと思います。理屈がないからこそ、まっさらな気持ちで神様を感じることができたのでしょう。神話は、宇宙のはじまりの瞬間に誕生した神を「天御中主之神」と伝えます。近年の物理学の研究の中で提唱された「ヒッグス粒子」、その性質はまさに「天御中主之神」ではないかと考える人もいます。宇宙がどんなものなのかもわからなかった時代に、私たちの祖先が感覚でつかんでいたものを今の物理学が証明しようとしているのです。人智の及ばないものに真っ向から挑戦するのが現代の科学や物理学なのだとしたら、ただ「感じる」ことに集中した私たちの祖先。案外、そこで感じたことのほうが正解のような気もするのです。「1+1=2」では必ずしもないのかもしれません。「1」と言っていても、正確には1・2かもしれない、0・9かもしれない。目に見えているものよりも、ぼんやりとただ感じていることのほうが真実かもしれません。理屈や常識にとらわれていると見えなくなるものが確実にあります。見えないからこそ感じられる世界がありがたいのです。神社は神様に形式を見せに行くところではありません。魂で向き合うところです。そのときに、単なる形式や誰かからの指図に気をとられていることは、神様と自分との間に何枚ものフィルターをかけるようなものです。せっかくの神様とつながるチャンス、集中すべきは自分と神様のみです。初めてのデートに、相手が恋愛マニュアル本などの知識で頭でっかちになり、すべてその通りにしようとしていたら、どう思いますか?きっと「自分のセンスでデートもできないなんて、つまらない人」と思うのではないでしょうか。マニュアルにとらわれていては、本物のあなたは見えてきません。そういう行為が愚かということはわかるのに、どうして神様の前で同じことをするのでしょう。ありのままの自分、自分の魂と向き合い、それを神様に見ていただくことが大事なのです。そこで感性を研ぎ澄ますこと。基本的な礼、神様に対する敬意があれば、後は神様とあなたの問題です。あなたの魂のカタチなのです。

神道が祓いを大事にする理由こうして時代により変化を遂げてきた神道ですが、変わらないのが「穢れを祓う」という考え方です。境内を出れば、常に「穢れ」がついてくる。気持ちの穢れ、物理的な穢れ。穢れは負の要素として、私たちの心身にネガティブな影響を与えると考えられてきました。「穢れ」は「気枯れ」の意味もあります。朝の御来光を拝んだときの清々しい状態が、エネルギー(気)満タンの状態=百だったとしましょう。それが少し外に出ただけで、あっという間に九十、八十になっていく。小さなストレスを受けるたび、どんどん「気」は枯れていってしまうのです。すでにお話ししましたが、新年から半年経った六月三十日には多くの神社で「夏越の大祓い」という神事が行なわれています。茅の輪という茅でできた大きな輪を「8の字」を描くようにくぐることで半年の間についた穢れを祓い、「気枯れ」した身に新しい「気」をいただくものです。半年後の大晦日には「年越大祓」、初詣とそこでも穢れを祓い、新しい「気」をいただく。神道の考え方は理にかなっています。きれいな水に一滴の墨汁を垂らします。すると、水は濁ります。一滴、また一滴と垂らすうち、水はやがて真っ黒になってしまうでしょう。でも、一滴の墨汁が垂れた瞬間に、新しい水を注げばどうでしょう。墨汁よりも多くの水を注ぎ入れれば、水は濁らず、きれいな状態を保てるはずです。その「きれいな状態に戻す」行為が「祓い」です。心身を澱むと、魔が寄ってきやすくなります。それを避けるために、常に祓いをし、淀まないよう循環させるのです。「祓い」は神社で行なう祭礼のすべてにおいて行なわれます。祓串という紙のついた棒や塩湯(塩を溶かした湯)を使った祓いの他にも、たくさんの祓いがあります。神道の用語に「浄明正直」という言葉があります。これは「浄く明るく正しく真っ直ぐ」での意であり、私たちが目指すべき「心の在り方」を示しているように私には思われます。その「心の在り方」のために必要なものが「祓い」なのではないかと思うのです。

日本古来の行事には「祈りと知恵」がある節句も「祓い」という考えのもと、生まれたものです。節句というと、何を思い浮かべますか?三月三日、桃の節句。五月五日、端午の節句、くらいでしょうか?実は「五節句」といい、年に五日あります。一月七日は「人日の節句」といいます。この言葉に馴染みはなくても、「七草粥を食べる日」といえば、わかりますね。現代では「お粥で年末年始の暴飲暴食で疲れた胃腸を休めるため」という説が一般的ですが、それ以外にも七草には毒素を抜く作用があり、体内の浄化を狙ったものでもあります。三月三日は「上巳の節句」。今はこの言葉はほとんど使われず、「桃の節句」となっていますね。伊邪那岐命が黄泉の国から逃げて帰ってくるとき、その危機を助けたのが桃でした。その他にもたくさんの意味あいがありますが、この日は魔除けの効果のある桃の花を飾り、菱餅をいただきます。五月五日は「端午の節句」です。菖蒲の花はその花粉で災いを祓うとされ、笹にくるまれた粽を食べます。笹および、竹も浄化に効果があるとされています。七月七日は七夕です。「七夕の節句」といいます。こちらでもご存知の通り、笹の葉が活躍しています。九月九日は「重陽の節句」。桃に対し、こちらは菊になります。八日の夜に、菊の花の上に綿をかぶせ、翌朝、菊の夜霧と香りが染み込んだその綿で顔や体を清めました(「菊の着綿」といいます)。そして、菊の花びらを浮かべたお酒などをいただきました。以上が「五節句」です。古来より奇数は縁起のいい陽数、偶数は縁起の悪い陰数とされてきました。節句はその奇数が連なる日をお祝いしたのものとも言われますが、それぞれ季節の変わり目でもあり、体調の変化も感じやすい頃にあたります。そう「気枯れ」の時期です。そこで心身を浄化し、旬のものを口にすることで大事な子供や家族の健康を祈ったのでしょう。旬のものをいただくことで自然界からの惠みに感謝をし、浄化もできる。ぜひ、その意味合いを家族で感じながら語り合いながら、楽しんでいただきたいものです。このように、日本古来の行事には祈りを中心にした伝統的な背景と、私たちが健康で無事に過ごすための知恵が詰まっています。今では、クリスマスやバレンタインデー、ハロウィンなどと同列に扱われ、重陽の節句のようにすっかり存在感をなくしてしまったものもあります。クリスマスやハロウィンも本来、宗教的な意味あいがあります。にもかかわらず、すっかりイベント化してしまっているのは少々気の毒な気もします。そもそも、ハロウィンが定着したのは「秋にイベントがなかったから」という理由だそうです。広告業界などが経済を活性化するためにさまざまな仕掛けをしていったのが近年、みごとに実を結んだ、ということです。そういうことで盛り上げたいのなら、なぜ「重陽の節句」や収穫祭でもある「新嘗祭」としないのでしょうか。すべての日本人が本来、大事にすべき「四大節(新年節、紀元節、天長節、明治節)」も名称を変えられ、単なる祝日として形骸化されています。「海の日」があるのだから「山の日」も、と祝日本来の意味すら見失われてきています。しかし、節句や祝日には私たちの祖先が長い歴史に風化されることなく、大切に伝えようと考えた祈りと知恵が込められているのです。一年を細かく刻むことによって、季節の移り変わりを食や草花でしっかりと受け止め、命あることに感謝し、体を慈しむ。ご先祖様が残してくれた宝物を途絶えさせることがないよう、生活の中に取り入れていきたいものです。

記念日は再生の日五節句以外にも「二十四節気」というものが日本の暦にはあります。一年を二十四分割にして考えているもので、「春分」「秋分」「夏至」「冬至」も二十四節気のひとつ。そうして細かく「節目」を区切ることによって、春夏秋冬それぞれの季節、移りゆく気候の変化が感じられます。五節句と同様、体調の変化にも節目ごとに心を払うことができます。四季の美しさ、情緒に加え、心身を健やかに保つための知恵も感じられる、まことに素晴らしいものだと思います。私はこれを再生のきっかけにするのもいいと考えています。二週間で新たな節目がやってきます。二週間、自分はどんなふうに過ごしていたか、次の二週間で見直すべき点はどこか。神社へのお詣りのように、自分を律するものとして活用することをおすすめします。二十四節気ばかりが節目ではありません。誕生日や結婚記念日、人にはそれぞれの節目があります。特に、誕生日は再生のチャンスです。新鮮な気持ちで新しい一年をどう生き抜くか、しっかりと考えましょう。年齢を重ねると、誕生日は重視されなくなります。でも「もうめでたくない」なんて、とんでもない話です。年齢を重ねただけ、新たな誕生日を迎えられたことに感謝しなくてはならない。命を授けてもらったこと、親のこと、ご先祖様のこと。心を込めて思い返す日にしてほしいものです。ご祈祷に来られた方には「ご家族でいらしていない方でも、名前と生年月日を書いていただければ、その方々に災いがいかないようにお祈りいたしますよ」とおすすめしています。皆さん、大事な家族の生年月日を書こうとなさるのですが、驚くくらい忘れている方が多い。子どもが親の、親が我が子の生年月日を覚えていないのです。お年を召している人かと思えばそうでもない。家族の誕生日は大切なものです。その人が生まれてきてくれたからこそ、現在の家族の形がつくれたのです。そのことにもっと感謝すべきと思います。誕生日以上にないがしろにされがちなのが、結婚記念日です。これも決して忘れてはならない。めでたく結ばれた日の初心を思い出し、「ここから、また頑張ろうね」という日にしないといけません。特に男性が仕事にかまけて、奥さんに感謝をしないことが多いようです。女性を幸せに、きれいにするのは男の仕事です。侍などが女性に三歩後ろを歩かせたのは、何かあったときに女性の身を守るためだったといいます。そんな男意気を今一度、一緒に取り戻しましょう。会社なら創立記念日や上場記念日など、見つければたくさんあると思います。節目を祝うことで、それ以外の日も幸せに過ごせる。竹は節があるからこそ、しなやかで頑丈です。私たちも竹のように節目を大切にしなやかに過ごしたいものです。

祭りは神事近年、同様にイベント化してしまっているのが神社で執り行なわれる祭りです。本来なら、古来より定められた日に行なわなければならないところ、集客を意識し、土日に変えて催行するところが少なくありません。正式には「例祭」と呼ばれ、「祈年祭」「新嘗祭」と並ぶ大事な神事です。祈年祭は一年の始めに新しい歳神を迎え、その年がいい年であるように祈るもの。新嘗祭は毎年十一月二十三日に行なわれ、その秋に収穫された新米などを神様に備え、五穀豊穣を祝うもの。宮中では天皇陛下が神々に感謝を捧げ、新米を初めて口にされます。この新嘗祭は天皇の代替わりのときに限り「大嘗祭」となります。これは一世一代の重要な神事。日本人全員がその意味合いと歴史をしっかりと学び、見守らなければならないものです。例祭はそれぞれの神社により季節は異なりますが、神様に一年の感謝を捧げる日となります。神輿や山車に神様の御霊を乗せ、氏子町内を巡ります。神輿をただ担ぐだけのものと思っている方も多いかもしれませんが、その名のごとく「神様を乗せる輿」なのです。ここ数年は神輿に人が乗ることを厳しく禁じるようになりましたが、「危険だから」という理由以前に、神様が乗っていらっしゃるものに人が土足で乗っていいわけがないのです。神輿が好きであちこちの祭りに出向いては担いでるという方もいらっしゃいます。今はどこの神社も担ぎ手が少なくなってため、ありがたい存在ではあるのですが、神輿の本質を理解されていないところも目につきます。それも本来は各神社で、その神社に祀られている神様のこと、祭りの意味をきちんとお伝えする義務があるだろうと思うのです。神輿が出る日の前夜、社殿の中にいらっしゃる神様の御霊を神輿にお遷しする神事があるのをご存知でしょうか?その姿は白布で目隠しされ、見ることはできません。しかし御霊が社殿から出るとともに、空気がビリビリと変わることを感じられる方もいらっしゃいます。本来なら頭を下げ、神様のほうを見ることは許されないものですが、現在では皆、スマホを片手に写真や動画を撮るのに忙しいようです。気持ちはわかりますが、スマホ越しに見ていたのでは、きっと神様の「気」を感じる余裕もないことでしょう。いつもは社殿の奥に鎮座されている神様の気を間近で感じるチャンスに、もったいないことだといつも思います。祭りはイベントではなく、れっきとした神事です。そこには神様への感謝と祈りが込められているのです。

日本人は無宗教なのか?長らくの神仏習合の名残りでもあるのか、神社とお寺は何が違うのか、わからない日本人も多いようです。初詣には神社やお寺に出向き、そのほんの一週間前にはクリスマスを祝い、そのまた前にはハロウィンで大騒ぎをする。こんな日本人の姿は外国人には少々奇異に映るようです。その姿は神道の精神、日本人ならではの特長でもあると私は思っているのですが、そうとは知らず、「私は無宗教だから」と、そのことがさもカッコいいことのように語る人が少なくありません。無宗教は果たしてカッコいいものなのでしょうか?神主である私に対しても、そのようなことを言ってくる方がたまにいらっしゃいます。「本当に無宗教ですか?生まれたときのお宮参りや七五三をお父さん、お母さんにしてもらってはいませんか?そうやって折々に祈ってもらったおかげで、こうして立派に大きくなったとは思いませんか?お父さんやお母さんが亡くなったときはどうするのですか?葬式も出さず、放り出すのですか?あなた自身もそうされたいですか?」そう聞くと、相手は簡単に答えに詰まってしまいます。もちろん、お宮参りや七五三をする、しないは自由です。しなくても何事もなく、大人になっている人も多いことでしょう。でも、どんな人にもご先祖様はいます。あなたをこの世に送り出してくれた、ご先祖様。あなたをいつも見守ってくれている存在に感謝を捧げることがカッコ悪いこととは私には思えません。世の中で「すごい」と言われ、尊敬を集めている経営者の多くが信心深いのは、苦しみの中を生きているからだと思います。表向きはそんなことおくびにも出さないかもしれませんが影では「この決断をどうしよう。ここで間違えたら、社員を露頭に迷わせることになる」「今月の給料を払えるだろうか」「無事、社員にお給料を払えた。よかった」などなど、ひとり命を削り、歯をくいしばって働いているのです。そうした苦しみの中にあるとき、人は大いなる何かにすがりたくなるものです。「人は自分ひとりでは何もできない。神様、ご先祖様、どうぞお守りください」と、感謝とともに手を合わせるのです。「無宗教でいい」という人はきっと、この世の本当の苦しみをまだ知らないのではないのかなと思います。どうぞ安心してください。苦しいとき、悲しいときはあなたを見守ってくれる存在に気づけるチャンスかもしれません。心だに誠の道にかなひなばいのらずとても神やまもらむ(菅原道真公)なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行法師)菅原道真公や西行法師も、そんな歌を残しています。あなたはこの歌をどんなふうに感じますか?私は実は、日本人はどこの国の人よりも信心深いと思っています。神道は日本人の本能です。すでにお話しした通り、縄文の昔から誰に強制されるでもなく、自然と身につけてきた知恵なのです。日本の神様は、朝に晩に祈らなけば罰を授けるような神様ではなく、いつも身近にそっといる。まさに空気のような存在です。息を吸うとき、「今から吸いますよ、はい、次は吐きますよ」と意識する人はいないように、神様もきっとそばにいることが当たり前過ぎて、意識しないものになっているのかもしれません。日本人が一見、宗教に無関心、無頓着に見えるのは、実際、どこの国の人よりも神様を身近に感じているから。私にはそんなふうに思えるのです。そして、そんなふうに罰するでもなく、怒るでもなく、常にそばにいて、私たちを見守り導いてくださる神様、ご先祖様という存在がたまらなくありがたく、頭を垂れ、手を合わせずにはいられなくなるのです。

おわりにここまで、私たち日本人と神様、ご先祖様のご縁についてお話ししてきました。最後までお読みいただきありがとうございます。神様、ご先祖様というありがたい、あたたかい存在を少しでも身近に感じていただくことができたら、これほどうれしいことはありません。こんなに心強い応援団を背負っていながら、その存在に気づかない人、気づいていてもどこか考え違いをしている人が多いように思います。「明日が来るのがつらい」という人が日々、私どもの神社へとやってきます。そのつらさは自分が自分の心に、耳に蓋をしているからに他ならないのですが、その数は減ることがありません。とはいえ、私もその気持ちがよくわかるひとりでもあります。三十代の頃、何もかも嫌になったことがあり、気がつけば、福井県の東尋坊の崖の上に立っていました。ご存知の通り、自殺者が多いことで有名な場所です。その崖の先端へと歩みを進め、あと一歩踏み出せば、すべてから解放されるというとき、正面から強い風を受け、後ろに倒されてしまいました。そのとき「自分は何をしてるんだ?」と、はっと我に返ることができたのです。あのとき私を後ろに引っ張ってくれたのは神様なのか、ご先祖様なのか、確かめる術はありません。「お前にはやらなくてはいけないことがまだまだある。それなのに、何をやっているんだ」という声が聞こえたような気がしました。あのとき背後から風が吹いていたら、私は今、この世にはいないのです。心を開かせる祈りの庭そうして、あと一歩のところで大事な声に気がつくこともあれば、すべてを否定して、何も聞こうとしない人もいます。神社へそういう方がいらしたときは、黙って祈りの庭に連れていき、気が済むまで並んで座ってみることにしています。祈りの庭は森です。周りを木に囲まれ、澄んだ空気をさらに芳しいものにしています。「この森、気持ちがいいでしょう。ここに生えている木たちは皆、二百年、三百年ぐらいは生きていますよ。虫食い穴も開いていますけどね。台風で隣の木が倒れてきて、傷ついていますけどね。でも根を張って、苦しくても数百年黙って、ずっと踏ん張っているんですよ」静かに、そんな話をしていると、隣に黙って座っている人の頑なだった心がだんだんと開いてくるのがわかります。森の中で土や空気を感じると、心がすうっと開いていきます。どんな人だって、同じ土の上に立っていて、同じ空気を吸っているという気持ちになれるのです。同時に、「不幸なのは自分だけ」「どうして、自分ばかり」という恨みの感情も溶けていく。「人と比較する」ということもなくなっていくのです。緑のもたらす作用かもしれませんが、私はこうした森の中で神様と一体になって、祈りを捧げていた本来の私たちの姿。縄文の心を取り戻せるからではないかと思うのです。都会にいても木はあるでしょう。つらいときは、木を見上げ、「この木は何を思っているんだろう」と、木の気持ちになってみてください。強風や雨、雪にさらされても、風邪もひかずに頑張っている。夏の激しい暑さを一身に受け、不平も言わず、私たちのために涼しい木陰をつくってくれている。あなたよりも本当はどれほどつらいでしょう。今、ここに生きていられるありがたさ今のこの世に、日本に生きる私たちは本当に幸せです。もしも人ではなく、植物や動物でこの世に生を受けたら?この国ではなく、今も戦争をしている国に生まれていたとしたら?今ではなく、先の大戦の頃やもっと昔に生まれていたとしたら?皆様はどう思いますか?今、ここに生きていられることをありがたいとは思いませんか?少なくとも、私はそう思います。あなたが今抱えている百の感情の中で「悲しい」「つらい」「苦しい」はどれだけの割合でしょう?冷静に見てみれば、それほど多くはないのではないですか?もし、「うれしい」「楽しい」「幸せ」という感情よりも多いと思われるのなら、今から、ひとつずつ減らしていきましょう。一気に喜びばかりにしようとするから、余計につらいのです。ひとつひとつ、着実に減らしていけば、いつかは喜びが多数に変わります。その減らし方も本書でお伝えしたつもりです。儲かること、自分だけが幸せになることを求めるより、社会に貢献すること、人の役に立つことを求めていけば必ず答えは出ます。運気を上げるために神社へ行くのではなく、神様、ご先祖様を知り、認め、感謝しましょう。私どもの神社へいらっしゃる経営者の方に私がいつもお話しすることがあります。「会社を経営するあなたに、あなただけのお役目があるように、あなたの下で働く社員さんひとりひとりに、その人にしかできない役目があるのですよ。あなたは社員さんのことをよーく見て、その人それぞれの役目が果たせるような環境を整えなければなりません。それがあなたの役目でもあるのですよ」何かを感じ取ってくださった社長さんの会社は徐々に業績が上がっていきます。よく見ていると、「社員がすぐに辞めるので困る」と話されていた社長さんは「社員が頑張ってくれるようになりました」と報告してくださり、商売繁盛のことばかりご祈願されていた社長さんは「社員たちの健やかな成長」を祈るようになります。自分のためではなく、身の回りにいる誰かのために動くこと、誰かのために祈ることが、その人をよりよい方向へと導いていることがわかります。使命、役目は誰にでもあります。そこに大小も優劣もありません。ある日、子どもがひきこもりになってしまって悩んでいるお母さんがご祈祷にやってきました。お話しするうちに、そのお母さんは我が子のお役目を「他の子と同じように学校に行くこと」と思っているのが伝わってきました。私はお母さんにこう言いました。

「お母さん、ご心配なのはわかりますが、何も、学校に行く、仕事に就くばかりがお子さんの使命ではありませんよ。もしかしたら、他に何かあるのかもしれません。それを『よその家の子と同じように学校に行くこと』を使命のように、お子さんに押し付けてはいませんか?」自分の使命、役目はその人にしかわかりません。己の魂との対話の中で、一生をかけて果たしていくものです。見つけるのは簡単なことではありませんが、「必ずある」ことだけを本人も周囲も信じ、歩を進めていってほしいのです。後悔を抱えて生きる病気などで明日を迎えられるかわからない人たちもいます。しかし、どのような状況でも、今このときは「生きている」のです。不幸の中にいても、今日、今このとき、あなたは「生かされている」。苦しいことばかりかもしれませんが、この世に体を持って生まれて来た、それが神様、ご先祖様からの最高のプレゼントなのです。そして、あなたが幸せであるように、今この瞬間もメッセージを送ってくれているのです。とはいえ、人はいつもポジティブで清らかではいられません。ネガティブな感情も、消えない後悔もあることでしょう。私にもあります。中学二年生のときに亡くなった祖父に最期まで優しい言葉をかけることができなかった。その後悔は四十年以上もトゲのように心臓に刺さったまま、いまだにチクリと痛みます。けれども、それも人間なのだと思うのです。後悔の分だけ、祖父のことを忘れずにいられます。同じ後悔をしないように、人に優しく接することができます。そのことをつい忘れそうになったとき、トゲがチクリと痛むのです。もしかしたら、これは祖父がそうしてくれているのかもしれません。祖父もまた今では立派な先祖神なのですから。一点の曇りもない幸せよりも、痛みを抱えながらのほうが人はより幸せを感じられるもののようにも思えるのです。生きているのではなく、生かされているこの度、こうして本を出版するというありがたい機会をいただきました。「いただいた」というよりも、半ば強引に背中を押された感じがしています。これは「神様、ご先祖様、仏様からの頼み」であると感じ、使命感の中で初めての体験と格闘いたしました。私を守ってくださっている神様方が、知人であり、タイガーマスクとして全国の養護施設にランドセルを寄付している中谷昌文さんを通じて、このような道筋をつけてくれたのだと思います。日本文化案内人の秦まゆなさんとは、本書が出来上がるまで、神様について、神話について、神事について、いろいろな言葉を交わしました。その有意義な時間の中で、このような形にまとめられたこと、紙面をお借りして心から御礼を申し上げます。また、双葉社様にはこの企画をお選びいただき、多くのスタッフの皆様方にお力添えをいただいたことに心から御礼を申し上げます。そして、出版に際し、家族や神社の仲間、多くの方々からの助言や、サポートをいただきました。感謝申し上げなければならない方は記せばきりがありません。私は生きているのではなく、生かされているのだと、改めて感じ入りました。ここに多くの皆様方に心から御礼を申し上げます。日本人は世界一心配性聞くところによると、日本人は「世界一心配性の民族」だそうです。「セロトニントランスポーター遺伝子」という心配性の遺伝子があり、これが長いと楽観的になり、短いと悲観的になる。日本人は圧倒的に短い人が多いのだそうです。スペインやイタリアのラテン系は当然のように長い人が多いそうで、ひとつの説としては間違っていないのかもしれません。日本人が心配性なのは、災害の多い国であることも大きな要因のように思います。でも、そんな私たち日本人を守るように、神社は全国に八万社を数え、そこには摂社末社があります。近所を見回せば、小さなお稲荷さんや祠もあちこちにあるはずです。それだけ多くの神社があるということは、それだけ多くのご先祖様がそこに祈りを捧げていたということの証であります。私たちは今この瞬間も、そうしたご先祖様の祈りに守られているのです。遠い遠いご先祖様に感謝し、この美しい日本の未来へ、この国の本当の姿、本当の思いを一緒に伝えていこうではありませんか。本書を通じて、皆様が自らの生き様を明確にし、神様、ご先祖様の思いに応え、清々しい心持ちの中でこの世でのお役目をお果たしいただける助けになれば、誠にもって幸いです。平成三十年六月吉日滋賀県近江八幡市賀茂神社岡田能正

スタッフ底本装丁・底本デザイン後藤奈穂(draw.design)編集協力吉田浩(株式会社天才工場)秦まゆな編集更科登(双葉社)

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