人間関係の悩み
秋雨がしとしとと続く中秋にあって、珍しくカラッと晴れた日の午後。しかも土曜日という休日、気分も晴れやかだ。
今日はマスターに話したいことがあり、婚約者と少し遅めのランチを済ませたあと、一緒にマスターの店の扉を開けた。
「山田さん、こんにちは。いい天気ですね」「こんにちはマスター」「どうぞ、お二人ともおかけください」 カウンターにかけて、僕はアイスコーヒーを、彼女はカフェラテを注文した。
「ご紹介が遅れました。婚約者の知美です」「初めまして、知美です。マスターのお話、いつも武史から聞いていて、今日はお会いできるのをとても楽しみにしていました。それと、マスターのおかげで、彼かなり変わってきてるんですよ」 知美が軽くお辞儀をすると、ショートボブの黒髪が揺れた。
ぱっちりとした二重の目と、目の横にできる笑いジワが愛らしいと、僕は思っている。
「本当ですか。それは素晴らしいですね。ちなみに、どんなところが?」「一番は、私の話をよく聞くようになったところです。以前はスマホを見ながら私の話を聞いたり、話の途中でいきなり遮ったりしていましたから。
最近は、真剣に話を聞いてくれています。それで、どうして変わったのか私も気になっちゃって」
「おいおい、恥ずかしいなぁ。そんな最初から暴露しないでくれよ」 マスターは笑いながらアイスコーヒーとカフェラテを出してくれた。
「それで、今日なんですが……彼女が会社の人間関係で少し悩んでいたので、マスターに紹介がてら、アドバイスをいただければと思って来ちゃいました」
「そうなんですね。承知しました、お力になれるか分かりませんが、私でよければお話しください。ただ、今、別のお客様の相談も受けていまして、そちらがもう少しで終わりますから、それまでの間、山田さんがここまで学んできた話を知美さんにもしてあげていただけますか?」
断片的に彼女にはここまでの話をしてはいたが、確かに全体をストーリーとして話してはいなかったのでちょうどよかった。
それに、ただ聞くだけのインプットよりも、人に伝えるアウトプットをすることは、自分の学びや気づきをより深いものにしてくれるので、常に意識して行ったほうがいいと思った。
「はい、分かりました。マスター引っ張りだこですね(笑)。こちらは気にせず、ゆっくり相談に乗ってあげてください」「少しでもお役に立てるのであれば本望です」 そう言ってマスターは他のお客さんとの会話に向かった。
いつも思うけど、こんなにメンタリングをしてもらって、本当にコーヒー代だけで、良いのだろうか?「それじゃ、マスターから学んだこと、しっかり私にも教えてね」 知美は目をらんらんと輝かせている。
僕は一通り、アイスバーグの成長から、成長を阻害する悩みブレーキの各要因まで、自分が理解している限りを話した。
「そうかぁ、断片的には人から聞いたり、本に書いてあったりしたこともあったけど、こんなにしっかり全てのことが繋がっていて、素直に受け入れられそうな話は今までなかったわ。腑に落ちるってこういうことを言うんだろうね。
武史が何かをつかんで、意識や行動が少しずつ変わっているのも、なるほどなって感じがしたよ」「そう?」 僕は少し照れてしまう。
「本当に気づきが多かったけれど、私の今回の悩みは、アイスバーグやブレーキのどの話にも当てはまらない感じなの?」「そうなんだよ。僕も今まで学んだことで、なんとかお前の悩みを解決できればと考えたんだけど、どれもうまく当てはまらなかったんだ。
だからまだマスターから学び切れてない項目があるんじゃないかと思って、知美を連れてきてあげたんだ」 「……そっか」「あれ、どうかした?」「さっきのマスターへの相談の仕方もそうだけど、あなたって最後の最後で〝俺がやってあげた感〟出すよね。私も感謝しているんだから、そんなふうにしなくたっていいのに」
「えっ……。でも、そういうお前だって、何回もマスターの話をしていたのに、ようやく重い腰をあげたんじゃん。ずっとモヤモヤ悩んでいたんだから、チャンスはいくらでもあったのに。まぁ、今日来られたからいいんだけどさ」 少し気まずいムードになった。
僕たちカップルには、こういうやり取りがなぜかよく起こってしまう。このことに関しては一向に改善せず、平行線のままだ。なぜなんだろう? マスターが戻ってきた。
「お待たせしました。知美さん、一通りお話は聞けましたか?」「はい、全部ではありませんが、私なりに気づきが多かったです。彼が変わってきている理由も理解できました」
「それはうれしい限りですね。それで、本日はどうなさいました?」「実は、彼女が周りの人間関係で、ずっと悩んでいるんです。上司は自分勝手で、後輩は……」「武史、私が喋るから」 知美は少しトゲのある口調で、僕を制した。
マスターは二人を見ながら、相変わらずにこやかに聞いている。
「職場の上司と後輩との関係、あと友人関係でも悩んでいるんです。私、営業サポートの仕事をしているのですが、上司は自分の出世しか考えていないような人で、チームの成果を自分のものにするような感じなんです。仕事はできる人なんですが、組織で働いているのに、個人主義って感じで」
「そうなんですか」「それに新人の後輩は、何でも私に聞いてくるんです。指示が出されたあとの仕事は丁寧なんですが、いつも指示を私に求めてくるんですよね。
この前なんて、『ハンコはここに押せばいいですか?』って。『印鑑欄って枠があるんだから、そこしかないでしょ!』って。さすがにイラッとしてしまって」
「それは少し度を越してますね(笑)」「そうなんです! それと、もう一人いまして。高校時代から仲のいい友人で、すごくいい子なんですけど、ちょっと意見が食い違うと、すぐにシュンとなっちゃって。私はただ思っていることを伝えたいだけなのに、勝手に悩んじゃうんですよね」 知美は言いたいことを言い切れたらしく、清々しい様子だ。
「そうだったんですか。それで山田さんは、どんなアドバイスをされたんですか?」 ようやく僕の出番だ。
「はい。今までマスターから教わった、悩みブレーキの話をしたんです。ブレーキを踏んでいる自覚とか、他責にしないは 100%とか、結果は選択できないけど、行動は選択できることとか」
「知美さんはその話を聞いてみていかがでしたか?」「私自身、他責にしていたところがあったなと思いまして、彼女たちが変わる結果を期待するのではなくて、自分で行動を選択しようと思えました。なので、おかげさまで、そこの切り替えは意識ができました。
ですが、彼女たちのブレーキは一体何なんだろうというのが、分からないんです。分からないまま、ずっと自分だけ頑張るのも、正直疲れるなぁ、とも思ってしまいます」
「なるほど。山田さんは、何か他に話しておきたいことは、ありますか?」 マスターがスムーズにファシリテートをしてくれるから話しやすい。
「今回のケースも、彼らに何らかのブレーキがあり、それが周りとの関係を悪くしているんじゃないかとは思っています。
今までマスターに伺った内容は、次の行動や選択を悩んでいる人に適切だと思うんです。でも今回は、彼ら自身が悩んでいるというより『いい大人なんだからしっかりしろよ』とでも言いたくなるような話なので、ちょっと違う感じなんですよね……」 うーん、感覚的だなぁ。
もっと課題抽出や正確な状況把握ができたらいいんだけど。マスターは、微笑みながら 1枚のシートを取り出し、二人の真ん中に置いた。「これが、あなたが言っていた、〝いつものやつ〟ね!」 知美は楽しそうに、シートに目を移した。
もうひとつの音楽サークル
「では知美さん、読んでくださいますか?」「えっと、大学で仲間 5人が集まり、音楽サークルを結成しました。リーダーは Fさん(あなた)が立候補し、メンバーで協議の上、 Fさんに決定しました。
1年後にある音楽大会で優勝するために、日々練習しています。ただし、各メンバーがそれぞれ課題を抱えていて、実際、思うように成果も出ていません。彼らの課題が何で、なぜそうなってしまうか考えてみましょう」
F 情熱的で、 1年後の音楽大会で絶対に優勝したいと思っている。各自の課題についてどうしたら解決できるかがチームの課題と考えている。
G チームの優勝に興味がなく、自分が上達してプロになって、お金を稼ぎたいと考えている。他の人が困っていても助けようとしない。
H いつも自分が正しいと考えており、議論になっても自分の主張を変えることがない。他のメンバーの力がないと考えている。
I 小さい頃のトラウマからか、少し厳しく注意されると、過剰に反応してしまう。その場しのぎの言い訳や意見を言ってしまう。
J 優柔不断で自分の意見や考えがあまりない。人の意見に左右されて行動に一貫性が感じられず、人の指示待ちが多い。
「せっかくお二人で来てくださったので、まず、お二人でこのケーススタディをやっていただいてもよろしいですか?」「面白そうですね! やってみます」 ここに来るまで悩んでいたのが嘘のように、彼女はとても積極的になっていた。
「では、私は少し失礼しますね」 マスターは洗い物を済ませに、洗い場へ戻っていった。「なんかさっき話していた私の上司とか後輩みたいね」 さっそく知美が口火を切った。
「うん、そうだね。さて、彼らの課題が一体何で、なぜそうなってしまうのか……。そもそもチームに興味や関心がなさそうだよな」
「お互いにコミュニケーションが不足してそう。相手のことも理解していないし、自分のことも分かってなさそうよね」「確かに、みんな独りよがりな感じがする。
チームのゴールや、問題解決に向かっていないし、自分の気持ちを優先させている感じだな」「どうして彼らはこういう行動をするのかしら?」
「うーん、お互いに信頼し合えていなくて、みんな自己中だから?」「じゃあお互いに信頼し合えて、組織のゴールが共有できて、コミュニケーションの循環が生まれたら、この問題って解決できるのかしら?」 鋭く知美が質問してくる。
確かにお互いのコミュニケーション不足やゴールの共通認識は大切だけど、それだけが課題ではないような気がする。
「一体、このようになっている原因は何かだよね」 僕はあらためて今回の質問と向き合った。
「そうそう。何が解消されたら、問題が解決されるのかしら? マスターが教えてくださった内容で考えてみましょうか。彼らはアイスバーグのバランスはあまり良くないわね。
でも、バランスが悪いことを、どう解決したらいいのかな? 悩みブレーキを踏んでいるようにはあまり見えないわ」
「うーん、今まで学んだことだけでは解決できない新たなものが関係しているのか…」 すっかり悩んでしまっていた二人のところに、一時的にマスターが戻ってきた。
「いかがですか? 本質的な課題は分かりましたか?」「いえ、まだ……。彼ら一人ひとりは、自己中だったり、優柔不断だったり、トラウマっぽかったり、という書かれている課題は分かるんですが、その本質的な課題は分かっていません」 僕がそう伝えると、彼女も続けて話す。
「組織の方向性の共有とかコミュニケーション不足とかの話をしましたけど、これが解決されても根本的な解決はされないのではという話になりまして。それで、原因を探っていたんですが、はっきりした共通点が見当たらない感じです」
2つ目のブレーキ
「かなり本質に近い議論をされていますね。お二人とも素晴らしいです。すごく情報が多いので、これをどうまとめていくのか、苦労されましたよね」 マスターに褒められるとまんざらでもない。
「それでは、ちょっとヒントを出しますね。実は彼らには共通の ◯◯ブレーキがあるんです。悩みブレーキではない、別のブレーキ。その ◯◯を考えてみてください」
「えっ、彼らにも共通のブレーキが?」 二人は一瞬ポカンとなった。「5分ほどで戻りますね」 そう言ってマスターはまた、席を外した。
「そうか、アイスバーグの成長を阻害するブレーキって、悩みブレーキだけでなく、もう1つあったということか」 「Fリーダー以外の 4人のメンバーの成長も、そのブレーキが阻害要因になっているのね」 「◯◯ブレーキか、何だろう。自己中ブレーキ? 甘えブレーキとか?」
「難しいわね。自分の壁ブレーキ、自尊心ブレーキかな」「どれも、ピッタリ、なるほどってはならないような……」「クイズ番組に出ているみたいね(笑)」 完全に答えに詰まってしまっていたら、マスターがまた戻ってきた。
「いかがでしょうか? 何ブレーキか答えは出ましたか?」「いや、何個か出ましたが、煮詰まっている状態です」 出た候補を紙に書いていたものをマスターに見せながら降参宣言をした。
「お二人の答え、いい感じではありますよ。この ◯◯ブレーキは私が名付けたので、正解、不正解があるわけではないんですが、私はこう名付けました……」 二人はカウンターから前のめりに、マスターに向かって体を乗り出した。
マスターはにこやかに、静かな声で言った。
「それは、〝大きな子供ブレーキ〟です」 僕と知美は、二人で目を合わせた。
大きな子供とは
「なるほどですね。彼らは全く別々の課題を抱えていたと思ったので、1つの言葉で括ることはできないのではないかと感じていたんですが、〝大きな子供〟なら、まだなんとなくではありますが、1つに収まるような気もします」「はい、山田さん、そうなんです。
彼らは当然、大人なんですが、実は彼らの中には大きな子供がいるんです」 マスターは 1枚の紙を出して続けた。
「彼らの特徴をまとめると、自己中心的、他者を理解しない、好ましくない執着がある、トラウマに影響されている、正しい軸がない、となると思います」
「確かに」 二人はうなずいた。
「これって、小さな子供の特徴と同じじゃないですか?」「そうですね。私には姉の子供、甥っ子たちがいますが、駄々をこねているときや喧嘩しているときって、まさにここに書いてあるような状態ですね」 知美が笑いながら答えた。
「子供が中にいるんですか?」「はい、彼らは見た目は立派な大人なんですが、感情のある部分がまだ子供のままで、普通の大人同士のコミュニケーションでは出ない態度や行動が出ているんです」
「そう言われれば、 Gさんや Hさんの周りのことを考えない自己中心的な考え方や態度は、わがままな子供の行動って思うと納得ですね。
それに Hさんのような、お山の大将とは逆に、 Iさん Jさんのような内気でおとなしいタイプや怒られるとつい嘘をついてしまう子供もいますよね」
「その通りです。この『大きな子供理論』で見てみると、世の中の〝なぜあの人はあんな行動をしてしまうのか現象〟もかなり理解できませんか?」
「なるほど、確かに僕たちの周りにもそういう人たちは結構いるかもしれません」 僕は今までの人生を振り返って嫌な思いをしたことを思い返して、その人たちの行動が今回のケースに当てはまることに腹落ちしていた。
「あのね、実は言いづらかったんだけど、この Hさんって、あなたに少し似てるなって思っていたの」 いきなり自分に振られて僕はギクッとした。
確かにさっきも、知美が自己解決する力がないと思い込んで、自分がなんとかしてやろうとして頑固になっていたかもしれない。
しかし、そうはっきり言われるとどうも抵抗したくなる。
「いやいや。そんなことないでしょ。お前がいつもこのケースの Jさんみたく、優柔不断だからそうなってんじゃん。どれだけ僕が気を使っているか分かってるの?」
この際、言いにくいことだけど言ってしまおうと思い、彼女に伝えた。
「山田さん。知美さんも多少優柔不断なところがあるのかもしれませんが、それと知美さんの今の指摘は、全く関係ないですよ。
もしかしたら、ご自身でも指摘されたことに対する自覚があり、それをはっきり言われたので強く反応してしまったんじゃないですか?」 珍しくマスターがキツめの口調で諭した。
「うっ……。すみません、そうかもしれません……」 僕はグウの音も出なかった。
「確かに私、優柔不断なところがあると思う。面と向かって言われるとショックだけど、自信が持てないときが多いかも。マスター、周りにというか、私たちもまさにそうでした」 と、黙っている僕の横で、知美が言った。
「お二人はちゃんとお互いにストレートに言い合える、良い関係ですね」 マスターはいつもに増して笑顔が柔らかい。僕は自分に大きな子供ブレーキがあったことにビックリした。
「お二人だけなく、皆さん大なり小なり〝大きな子供ブレーキ〟を持っていると思います。それが仕事の中で出てしまうと、悪影響を与えていることが多いですよね。もちろん、夫婦関係でも」 うんうんと、僕と知美は力強く首を縦にふった。
「そうかぁ。どうしてあなたはいつも、〝俺がやってやった風〟になっちゃうのかなって思っていたけど、大きな子供が顔を出すからだったのね」「そうだね。お互いに、それがあったんだね。これはきっと部下や上司などの会社の人間関係にも当てはまりそうだなぁ」「あっ、私が悩んでたこと……。
上司や同僚、友達のことって、彼らや彼女の大きな子供の部分に起因してそうね」「はい、その可能性が高いと思い、先ほどのケーススタディをやっていただいたんです」
ブレーキの外し方
ほんのちょっと知美の悩みを聞いただけなのに、マスターって何でもお見通しなんだな。僕はアイスコーヒーのおかわりをして、知美はホットココアを注文した。
マスターが背を向けて準備している間に、ぼーっと窓の外を眺めながら考えていた。大きな子供ブレーキかぁ。
「また考えごとでしょ?」 街の風景と僕の間に彼女がひょっこり顔を出す。
「うん、大きな子供ブレーキさ、僕にも知美にもあるってことが分かったじゃん」「そうだね。それだけで、すごく大きい」
「もちろん。ただ、この大きな子供ブレーキは、いつまでも変わらずにあるものなのかな? 外せるようになれば、仕事でもよりアクセル踏めるよなって思って」
「マスター、そこはどうなんでしょう?」「この話は深掘りすると延々とできてしまうので多くを語りませんが、改善する道はちゃんとありますよ」
背中で二人の話を聞いていたマスターは、準備できたそれぞれの飲み物をカウンターに置き、続けてこう話した。
「まずは、自分や相手の中の大きな子供の存在を認識できましたね。その認識だけでも重要なのです。山田さんに最初の頃にお話しした、悩みブレーキもその存在を認識することで、次の悩みブレーキを踏まないステップに進めましたよね」
「あっ、そうでした」「そして、次は、その大きな子供を育てて、大きな大人にする意識を持つことが大事です」「大きな大人に育てる……。うーん、分かったような、分からないような。もう少し詳しく教えていただけませんか?」
「例えば、小さい頃に子犬に噛まれた経験があり、それがトラウマで子犬がやってきたら、すごく怖がってしまう人っていますよね。山田さんならその人に、どんなアドバイスをしますか?」「まずその人に自覚をさせますかね。
昔はあなたも小さい子供だったから、子犬でも大きくて怖かったかもしれないけど、今はもう大きな大人なんだから、まったく大丈夫だよねって。子犬を蹴飛ばすことさえできるでしょって」
「そうですね、そんなふうに、もう自分は子供のときの自分じゃない。大人になったんだと自覚をさせてあげることなんです。
もちろん、トラウマにまでなってしまっているので理屈で分かってもすぐ反応しなくなるわけではないのですが。
それでも、自分の反応は大きな子供が原因であることを自覚し、その改善を周囲も応援してくれていることが分かると少しずつ変化していきます」
「なるほど」「ということは、私は彼に対して、『もう周りは何もできない人じゃないんだから、解決能力がないと思わないで、信頼してあげる余裕を持ったら?』と伝えれば良いんでしょうか?」 知美が口を挟んでくる。
発言にウッとくるが、抵抗がある時点で僕の中の大きな子供ブレーキが発動しているのだろう。
「そうですね、自分自身で大きな子供を自覚して、その改善をすることはそう簡単ではありません。ですから、自分だけでなく、周囲の人も、その人の育ての親のように、その人の大きな子供に対して愛情を持って育ててあげる、応援してあげることによって、お互い様でみんなの大きな子供が大人になっていくと私は考えています」
「なるほど ー、それが大きな子供を育てて大きな大人にするということなのですね」 さっきまでの謎が大分解明された気分だ。
「さらに、自信過剰や自己中心的な大きな子供が現れている人に対しては、自覚を促すために、少し強めに、その人の長い鼻を折ってあげることも必要な場合があります」
「長い鼻を折るんですか? 恨まれたり、喧嘩になったりしませんか?」
「もちろん、多少のリスクはありますから細心の注意は必要です。でも、しっかりした信頼関係の構築や、その人に対して愛情を持って本気で行えば、その想いは伝わりやすいと思いますよ」
「あっ、さっき珍しくマスターから強めに諭されたのが、もしかしたらそれですか?」 僕はそう言って少し気恥ずかしくなった。
「すみません、言い過ぎましたか?」「とんでもないです、マスターの愛情を十分感じました(笑)。
こちらこそ、子供ですみません。確かに、大きな子供ですもんね。子供の頃からずっとあるから、時間はかかりそうですが、愛情を持って何回か鼻を折られたら少しずつでも変わりそうな気がします」
マスターは、注文の入ったコーヒーを淹れながら続けた。
「それと、このブレーキが発動すると、どうしても負の感情に振り回されてしまうんです。負の感情とは、怒りや恐れ、見栄や自己顕示などです。
負の感情にコントロールされた人は、全体視点で考えられず、論理的な判断や行動ができなくなります。結果、仲間が離れ、リーダーであれば部下がついてこなくなってしまいます。
負の感情をコントロールできることは、成長するための大きな要素であり、リーダーシップにも大変重要なことなのです」
上司の鼻を折るなんて
振り返ってみれば、自分もチームメンバーに対して「お前にはできないんだから、僕がやってやる!」といった大きな子供の部分を出して接していたところがあるような気がする。
うーん、今日も順調に深く胸に刺さるなぁ。
「でもマスター、大きな子供ブレーキを外すことって自分も相手も相当エネルギーを使いますし、外れるかどうか分からないところもあるじゃないですか。そういった場合はどのように対応すればいいんでしょう?」
隣で聞きながら考えていた知美が尋ねた。仕事のことを想像しての質問だろう。
「そうですね、自分の悩みブレーキや大きな子供ブレーキを外すのも簡単ではありませんが、他人のブレーキを外すのはさらに難しいので、必ずできると考える必要はないと思います。そこは〝結果は選択できないが、行動は選択できる〟でいいと思います」
「あっ、こういう場面でその考え方を使えばいいんですね!」 まさに習うより慣れろだな、と納得した。
「はい、ブレーキを外すという結果ではなく、その人が少しでも気づきを得るためのサポートにフォーカスしましょう」
「分かりました。ただ、もう少し具体的に教えていただきたいです。例えば上司の長い鼻を折るなんてこと、すごく高度な技術だと思いますし(笑)」 知美も、マスターとの会話を楽しんでいるようだ。
マスターは、知美の言葉にうなずきながら、カウンターの下から 1枚の紙を出してきた。
「これは最初にお伝えすべきだったかもしれませんが、大きな子供の育成を考える場合、難易度 4パターンの図があるので説明させてください」「難易度 4パターンですか?」 本当にマスターはいろんな例えとか図式化が得意だなあと感心してしまう。
「説明だけでは分かりづらいのでこの図を作ってみました」 マスターはそう言って、お得意の図の説明を始めた。
育成の難易度
「この図は、円の外側にいくほど、あなたが大きな子供を育てるのが難しくなることを表しています。以前お話をした、〝関心の輪と影響の輪〟で言うと、自分の大きな子供ブレーキも育てるのは簡単ではありませんが、他者に比べれば育てられる可能性は高いので影響の輪で、最も外側の取引先や他人の子供ブレーキはほぼ変えられないので関心の輪、その間の部下や上司、家族はその中間のボーダー(境界)となりますね」
確かに、この前一人で来たときに見せてもらった〝関心の輪と影響の輪〟の図に似ている。それをさらに細かくした感じか。
「知美さんの悩みの対象が誰かによって、ブレーキを外すサポートの努力をすべきかどうかを冷静に考えてみてください。
それから行動に移したほうが、効果の度合いや、上手くいかなかったときの落胆回避にもなると思います。
ここまで、私が一方的に話をしてしまった気がするので、どうでしょう? また、お二人でこの図についてお話されてみませんか?」
「あ、はい。やってみます!」 自分たちで話すことで、より理解を深めるコツをつかめてきた気がするのと、話すことによって知美とより相互理解が深められるチャンスだとも思えてきた。
「この図、すごい納得だなぁ。自分の大きな子供ブレーキを見つけて向き合うことだけでも大変だもんね」 知美が口火を切った。
「確かに、なかなか言いづらいことだね。知美にはさっき言わせてもらったけど、これからも何かあれば伝えていきたいと思ってるよ」
「私たちはこれから夫婦になるんだし、お互いに愛情を持って、伝え合うことをしていきましょう」「まぁ難しいけれど、時間をかけてお互いに大きな子供を育て合うしかないよな」「うん。で、問題は部下よね?」
「仕事上の関係なら、部下が一番イージーモードではあるけれど、それでも、大きな子供を育てることは、骨の折れる作業ではあるよね」
「うんうん、ここで言うボーダーゾーン Aって、一見簡単そうに見えるけれど、そもそもすごく慎重にやらないといけない気がするわ」
「だとすると、その先の上司や同僚なんてさらにハードじゃないか? 『〝結果は選択できないけど、行動は選択できる〟でいい』ってマスターは言っていたけれど、どうやって向き合っていけばいいんだろう? うーん。あっ、だから落胆回避って言っていたのか」 マスターがテーブル席を片付けながら、少し笑ったように見えた。
「どういうこと?」 知美はのぞき込むように僕を見ている。
「ボーダーゾーン B以降に変化を促すことって、本当に難しいじゃん? でもこういった図や大きな子供ブレーキの存在が分からなければ、そんな上司に振り回されちゃうよね」「そうね。私、振り回されてたもん」
「だから『あぁ、そういう人がいるんだな』と理解しておくだけで、自分の心の負担が減ると思わない?」
「なるほどね。かなり減るし、それによって自分自身の対応も落ち着いてできそうね。そうか、その意味で〝結果は選択できないけど、行動は選択できる〟なのね!」「その通りです。お二人とも、素晴らしい気づきですね」 マスターが戻ってきた。
「マスターが見せてくれた図が分かりやすかったから、今回は特にスムーズでした」 得意気に僕は話した。
「それは良かったです。先程もお伝えしましたが、この大きな子供ブレーキは、他人のブレーキを外すのはさらに難しいので、必ずできると考える必要はありません。ですが、相手を理解しておくだけでも、全然モヤモヤが違いますよね」
「そうですね。この図のおかげで、これからどうやっていろいろな人と接すればいいかの指針が見えた気がします。あとは行動するだけですね。マスター、ありがとうございました」
知美も仕事上の人間関係の問題が、大分クリアになったようで喜んでいる。
「これでアイスバーグの成長を阻害する2つのブレーキが見えましたね」 マスターがさらりと言った。僕の頭の中に、初めてお店を訪れたときに見せられた『成長の地図』がパッと浮かび上がった。
「あの逆行する矢印は、このことだったのか!」「ん、なになに?」 知美が不思議そうにしている。
マスターは真意が分かったらしく、うれしそうに笑っていた。
「マスター、いつもありがとうございます。また長居してしまいました。今日はこのへんで失礼します」「あぁ、ちょっと待ってください。こちらをどうぞ。ささやかながらお土産です」 マスターから手渡された箱を開けると、シュークリームが入っていた。
皮がパリッとしていて、中身のとろとろ感を想像すると、すごくおいしそうだ。
「わぁ! すみません、お気遣いいただいて。本当にありがとうございました! これからも彼をよろしくお願いします」 知美も上機嫌だ。
「はい。お互いが大きな子供ブレーキについて学んだことで、これからのコミュニケーションも変わってくると思います。
原理原則を知って、大きな大人を育ててくださいね。
そして、より素晴らしい家族を築いてくださいね」 心からの祝福をいただき、本当にうれしかった。
「マスター、ありがとうございました。シュークリームももちろんですが、このお話が僕たち二人の何よりの宝物です」「そう言ってくださればうれしいです。
実は、まだとっておきが残っていますからね」 とっておき? 一体何なんだろう?「また来ます」 そう言って、僕たちは店を出た。
「なんかさ、私も誤解してたよ」 家までの帰り道で、知美がつぶやいた。
「え、どういうこと?」「あなたがね、『お前のためだ』と言うたびに、私は自分が優柔不断だからダメなのかなって思っていたんだよね。でも、あなたの大きな子供ブレーキが発動していたんだなって思ったら、私、もっと自分らしく選択して良いんだって思えたよ」
「そっか。僕も、そんなにお前のことや周りのことを心配して、自分ばかりが頑張らなくてもいいのかもしれない」
「そうそう、きっとそうだよ。これ、まだまだ〝子供〟が出てくると思うから、一緒に会話しながらお互いに、大きな〝大人〟になっていこうね。それと……」「それと?」「会社の先輩とか後輩とか、友人のこと、また相談してもいい?」
「うん、一緒に解決していこう。今度は優柔不断にならずに、自分の選択に自信を持ってやってみるのが良いと思う。応援するからさ」 知美はうれしそうに、僕を見て、また手を繋いだ。
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