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第3章川の流れに流される人生

還暦ベンチャーと古希学長人生は「運と適応」

還暦ベンチャーと古希学長僕は1948年に三重県の美杉村という山の中の小さな村(現・津市)に生まれ、伊賀上野で育ちました。

中学校のときは陸上部と放送部に掛け持ちで所属していました。

高校でも陸上を続けようとしたのですが記録が伸びなかったので早々に諦め、山岳部と放送部で活動していました。

活動というとずいぶん活発に取り組んでいたように思われそうですがそうでもなく、放送部に入ったのは運動会のときにテントの中に入れるからというだけの理由でした。

この写真は高校のときの放送部のメンバーです。

かなり怠け者の生徒でした。

大学に進むときも、あまり得意なものがなかったので、先輩に尋ねたら、「潰しが効くのはあほう学部(法学部)や」と冗談半分でアドバイスされ、深く考えずに「じゃあ、法学部に行こうかな」と決めました。

両親に相談したら、「お金がないから国立しかあかんで」と釘を刺されたので、家からいちばん近い京都大学の法学部に入学しました。

ところが、大学へ入ると、その頃は全共闘運動という学生運動の全盛期だったので、大学はバリケードで封鎖されて入れず、講義もありませんでした。

今の皆さんと同じようにステイホームしかできなくて、下宿でずっと本を読んでいました。

でも、退屈でも何でもなく、18歳で体験した下宿生活はそれはそれは天国でした。

だって、門限はないし、昼まで寝ていても誰にも叱られない。

それで僕は先輩に聞いたのです。

「大学には、何年間いてもいいのですか?」と。

「8年」といわれたので「よし、8年間いよう」と一人で喜んでいたら親にどつかれました。

「お前、何考えてるのや。

弟もいるで」と。

こんな楽しい大学をもう出なきゃいけないのかと8年の夢が破れてしまった僕は、卒業後は何をしようかと考えたのですが、なりたい仕事が見つかりませんでした。

そこで、せっかく法学部で学んだのだから弁護士になろうと、4回生から司法試験の勉強を始めました。

落ちることは考えていなかったので就活は一切しなかったのですが、同じく司法試験を目指していた友人と生協の食堂でご飯を食べているときに彼が、「滑り止めにどこか会社の1つくらい受けといたほうが安心」といったのです。

僕は昔から人の誘いを断ったことがないタイプなので、面接に行く友人に黙ってついていくことにしました。

友人も一人で行くのが嫌だったようです。

当時は今以上の売り手市場でした。

三条京阪駅の近くにあった友人の下宿から電車に乗って大阪に向かい、着いたところが淀屋橋。

その上に日本生命という保険会社がありました。

友人が、「ここも学生をたくさん採用している」というので後ろからついていくと、「君ら、何しに来たんや」と会社の人に声をかけられました。

「僕らは弁護士になるつもりですが、万が一、司法試験に落ちたら浪人になってしまうので、滑り止めにと思って受けに来ました」と失礼極まりないことを話したら、売り手市場だったのでその人は、「君らはきっと司法試験に受かるだろうが、万が一落ちたらうちで引き受けるから心配しないで勉強してください」と励ましてくれました。

就職はえらい簡単やなと思いながら下宿に帰りましたが、後日、司法試験に落ちてしまい、まさに保険としてほとんど偶然のように面接を受けた日本生命の扉を再び叩くことになったのです。

これが僕の就職です。

日本生命に入ってみたら、結構、仕事が面白かったのです。

実にいい加減な入社のしかたでしたが、入社した以上は給与泥棒とはいわれたくなかったので、一所懸命働きました。

保険業界全体が少しでもよくなるようにと、生命保険協会の財務企画専門委員会の初代委員長として金融制度改革、保険業法改正に関わりました。

ただ、国際業務部長になったとき当時の社長と衝突して、喧嘩というか意見がまったく違ってしまい、子会社に出向になりました。

暇を持て余していたら、友達の紹介である人に出会い、「保険会社をつくりませんか」と誘われたので、面白そうだなと思って「はい」と返事をしたことから、ライフネット生命保険を立ち上げることになったのです。

「保険料を半分にして、安心して子どもを生み育てられる社会を実現したい」「若い人たちが心置きなく人生にチャレンジできるよう、安くてわかりやすくて便利な生命保険をつくりたい」という思いで準備を重ね、戦後初の親会社に保険会社がいない独立系生命保険会社を還暦の年に開業しました。

ライフネット生命には10年間携わりました。

次の写真はサラリーマン時代の僕です。

今より髪の毛がありますね。

そうして、ちょうど10年間ライフネット生命を経営し、売り上げも100億円を超えたので、そろそろ若い人に任せたほうがいいかなと思ってライフネット生命を辞めました。

「還暦ベンチャー」の後は、皆さんも知っているように「古希学長」になりました。

辞めたときにたまたまAPUが日本で唯一、学長の国際公募を行っていて、偶然にも誰かが僕を推薦してくれたのです。

「推薦されていますが、インタビューを受けませんか?」といわれ、「でも、国際公募だったら条件があるでしょう」と尋ねたら、「はい、3つあります」と。

ドクターを持っていること、英語がペラペラであること、大学の管理運営経験があること。

僕は3つともありませんでした。

「候補者は何人いるんですか?」と尋ねたら、「104名がノミネートされています」とのこと。

それを聞いて、受かるはずがないと思いましたが、「大学の学長の国際公募って、どんなインタビューをされるんだろう。

面白そうだな」と受けてみたら選ばれてしまいました。

そして、2018年1月からAPUの学長を務めています。

選ばれた以上は、もう頑張るしかありません。

人生は、そんなものです。

自分で道を選んでいるわけではなく、いろいろな出会いの中で決まっていくものだと思います。

好きなものややりたいことが明確にわかっていたら、それを追求すればいいでしょう。

例えば、世界的なテニスプレイヤーの大坂なおみ選手のようにもの凄い才能があったら、テニスで生きていこうと割り切れますよね。

ちょっと羨ましいです。

でも、大坂なおみのような才能がある人は数十万人に一人、いや、もっと少ないかもしれません。

ほとんどの人は彼女のようなずば抜けた才能や個性は持っていないと思います。

好きなものややりたいことが見つかっていなければ、人生に迷うのは当たり前。

しかも、勉強を続けていれば、好きなものも変わっていきます。

そうでしょう?小・中・高校・大学とずっと同じ科目が好きだった人もいるかもしれませんが、少しずつ変わってきませんか?あるいは、小学生のとき何になりたかったですか?その頃なりたかった職業とは違う仕事に就いている人がほとんどではないでしょうか。

僕は小学生の頃は、ロケットをつくって火星に行きたいという夢を持っていました。

でも、今は大学の学長というまったく違う仕事をしています。

やりたいことはコロコロと変わるし、やりたいことがうまくいかなかったら、目標を変えればそれでいいのです。

新しいことにチャレンジすればいいだけの話です。

だから、やりたいことや好きなものが見つからなくても焦る必要はまったくありません。

一生かかって探せばいいのです。

人生は、川の流れに流されていくようなもの。

やりたいことがある人は、その目標に向かって一所懸命に泳ぎ切ればいい。

でも、まだやりたいことや好きなものが見つかっていない人は、そのまま流れに身を任せていけばいいのです。

たまたま流れ着いたところで一所懸命やれば、面白いことが見つかるかもしれません。

考えてみたら、僕も司法試験に落ちたからこそ日本生命という会社に入り、ベンチャー企業を立ち上げる機会に恵まれ、今はAPUの学長を務めているのです。

すべてが偶然で、川が流れ着いたところで懸命に生きてきただけです。

運は自分の力では左右できません。

だから、繰り返しになりますが、やりたいことや好きなものが見つからなくても焦る必要はまったくないのです。

「人・本・旅」で勉強していくうちに何かが見つかればいいし、見つからなくても全然心配しないでいいと思います。

僕だってまだ、人生で本当にやりたいことは見つかっていないのですから。

人生は「運と適応」僕は一種の「歴史オタク」です。

人間の歴史を見ていると、99パーセント以上の人は一生やりたいことが見つからないまま死んでいるように思います。

20代、30代で自分のやりたいことがわかっている人は圧倒的な少数派です。

例えば、皆さんは好きな人をどうやって選んでいますか?世界には78億人の人間が暮らしています。

その中から、理想の相手を一人ひとり丁寧に選んでいる人はどこにもいません。

たまたま相性がよい人と出会い、たまたま結ばれたに過ぎません。

人生にとって何よりも大事なパートナー選びでさえ、偶然に左右されているのです。

僕の人生のモットーは、「悔いなし、貯金なし」です。

そのときどきに好きなことをやればいいという楽天的な考え方です。

何よりも僕は、わくわくドキドキすることが大好きです。

せっかくAPUという岸に流れ着いたのですから、これも運命だと受け入れて、APUを少しでもわくわくドキドキする場所に変えたいと仕事に励んでいます。

同じ人生を送るのなら、わくわくドキドキする人生のほうが絶対に面白いはず。

そのために人間は勉強をするのです。

最後に1つ。

僕は宇宙が大好きです。

宇宙、すなわち時間と空間をコントロールする理論の1つは、アルベルト・アインシュタインの相対性理論です。

同じように、相対性理論に相当する人間社会を律する理論はチャールズ・ダーウィンの進化論ではないでしょうか。

「分け入っても分け入ってもダーウィン」という言葉がありますが、皆さんもダーウィンの理論はご存知ですよね。

「将来何が起こるかは誰にもわからない」という事実を前提とした理論です。

新型コロナウイルスが世界中でこんなに猖獗を極めると想像した人は誰もいません。

明日何が起こるかは誰にもわからないのです。

「何かが起こったときに、強いものや賢いものが生き残るわけではない」とダーウィニストは指摘しています。

つまり、人間が動物である以上、生き残るために必要なのは「強さ」や「賢さ」や「大きさ」ではなく、「運」と「適応」がすべてなのです。

適切なときに、適切な場所にいるという「運」を生かしながら、その運に対応できたものだけが生き残っていけるのです。

それがダーウィン以来の自然淘汰説の神髄です。

僕は人生をそのように考えています。

人生は「運と適応」ですから、川の流れに身を任せていけばいいのです。

好きなものが見つかるまで、やりたいことが見つかるまで。

そして偶然、どこかに流れ着いたらそこで「適応」できるように頑張ってください。

頑張るために必要となるのが「知識×考える力」です。

でも、駄目だったらまた川の流れに身を任せていけばいいのです。

『置かれた場所で咲きなさい』という名著があります。

著者である渡辺和子さんはとても立派な方です。

「置かれた場所で咲けるように頑張ったらいい」と。

「でも、咲けなかったら、世界は広いから、好きなところに飛び出していけばいい」と。

皆さんも自分のやりたいことや好きなものを見つけるまで、広い世界にどんどん飛び出していってほしいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

全共闘運動「全共闘」は全学共闘会議の略。

1968年から69年にかけて、日本の各大学でバリケードを張るなどの武力闘争を先導した学生運動の連合組織。

淀屋橋大阪の中心的なビジネス街。

大阪市役所のすぐ南側に架かる橋が淀屋橋で、その周辺地域を淀屋橋と呼ぶ。

地下鉄御堂筋線と京阪電鉄の淀屋橋駅がある。

ちなみに京阪電鉄京都線は、三条駅と淀屋橋駅をつないでいる。

ライフネット生命「若い世代の保険料を半分にして、安心して子どもを産み育てることができる社会を作りたい」というキャッチフレーズで、2008年に出口さんが開業した生命保険会社。

当時は珍しかったインターネットを主な販売チャネルとした。

相対性理論ドイツの理論物理学者であるアルベルト・アインシュタイン(1879~1955年)が打ち立てた理論。

例えば、止まっている人は動いている人よりも時間が早く進むという奇妙な理論もその1つ。

双子の兄がロケットに乗り、光速に近い速度で数か月間移動し続けた後に地球に戻ってくると、双子の弟は何歳も年上になっていたという「双子のパラドックス」も相対性理論から導き出された。

進化論イングランドの自然科学者、チャールズ・ダーウィン(1809~1882年)が、著書『種の起源』で提唱した生物の進化に関する革命的な学説。

生物は絶えず小さく変化し、その変化自体には方向や目的はないが、環境が長い時間をかけてその変化を選び取っていくという考え。

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