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第3章一歩踏み出す勇気を持とう

第3章一歩踏み出す勇気を持とう

一世一代のアイスブレイク「では、今週の営業会議を始める」川谷部長の号令で今日も営業会議が始まった。週に二度ある営業会議は、案件の進捗と相談や各人の行動量をチェックする目的で開催されている。創立時からずっと、行動量を重ねることが正義としてこのスタイルが脈々と受け継がれてきた。行動量を算出するために、「逆算思考」を主に使用している。「受注」から逆算して「1日に何件電話することが必要か」まで算出する。会議では、数字達成していないと大抵「行動していないから」という何の解決にもならない結論が出ることが多い。会議では、すぐに本題に入る。特にアイスブレイクはない。今日の会議も重い空気のまま進行していった。だからこそ、布袋尊に言われた通り、自分の発表の前にアイスブレイクをして空気を少しでも軽くしたい。「布袋さんこれは、相当キツいぞ~!!」と心の中で叫び続けた。ふいに「ここだ!」と部長の大きな声が聞こえた。深田は、どこでアイスブレイクを話すかを意識していたあまり何が起こったか分からなかった。どうやら石野が自分の営業について提案をしたらしい。今までにないほど褒められていた。嫉妬が入り混じった。あの野郎……俺の苦労も知らないで。一人ひとり当てられながら案件の進捗や行動量の報告をしていく。次は深田の番だった。川谷部長に名前を呼ばれるところで「すみません、ちょっといいですか」と石野が手を挙げた。「どうした?」川谷部長が聞いた。「少しお腹が痛いのでトイレに行かせてください」と言いながら石野がトイレへと向かった。石野も営業会議にストレスを感じていたのかもしれない。川谷部長の声で一旦休憩になった。「これは一世一代のチャンスだ!」と拳を固く握った。石野が戻ってきたら僕が当てられる。そこで、普段なら淡々と始まるところ、空気を変えるためにアイスブレイクするんだ!後輩の石野もおそらくストレスを感じている。先輩である僕がアイスブレイクをして空気を一変させてから、案件の進捗や行動量の報告へと入っていく。我ながら完璧なシナリオだ……。「すみません。中断させてしまって」と言いながら石野が会議室へ入ってきた。席に着くと川谷部長が「再開する」と伝え、名前が呼ばれた。「いや、皆さんこの前びっくりしたんですよ」と勇気を振り絞り話し出した。「友達にみちひろっているんです。ものすごいアホなやつで、みちひろが、Suicaを忘れてきたので切符を買ったんです。そしたら改札と切符売り場のあの短い距離で、切符なくしたんです。本当に、アホですよね」会議室にまるで誰もいないかのような静まり返った空気が流れた。明らかに話としては弱い。しかし、布袋尊と昨日練習した話の中で、短い尺の話がこれしかなかった。スローモーションで流れているのかと思うほどゆっくりと時が流れる感覚があった。僕、死ぬのかな……。周囲は静まり返っているが、急なことでどうリアクションをしていいか分からない空気が漂っている。全員が川谷部長の顔をうかがっている。「がはははははっ!」。川谷部長がわざとらしく大きな声で笑った。「面白い話だな。俺は、大爆笑だったぞ!」と引きつった笑顔をしている。あの鬼の川谷部長が笑っている。それどころか、すべっている僕を助けてくれた……?本当であれば、「何を言っているんだ!」と怒られてもおかしくないのに。会議室がざわついたのが分かった。僕だけでなく営業部全体が不思議の国に迷い込んだような違和感を覚えている。部長が何かおかしい。川谷部長は「本題に戻すぞ!」と言い咳払いをしながら仕切り直し、会議は進行していった。怒れる川谷部長川谷は、怒っていた。話は営業部「数字達成お祝い会」の日まで遡る。あの日、山本さつきが深田敬に対して感情をあらわにして怒っていた。川谷の乾杯とともに場が収まり改めて飲み直しとなった。深田は、川谷のもとまでやってきた。そして飲み直し始めた。よほど悔しかったのか驚くべき速度でジョッキを空にしていった。「飲み足りないんじゃないか?」と言ってしまったこともありタクシーで送っていかざるをえない空気となった。石野に手配させたタクシーに乗り込んだ。石野は本当にそつがない。そのそつのなさは可愛げがないとも取れるが。それにしても私の腕にしがみついている深田はどうしたものか。「なんで部長の私がこんなことをしないといけないんだ」と心の中で強く思ったが、飲ませたこともあり仕方ないと割り切った。深田の家は、「数字達成お祝い会」の会場からタクシーで7分ほどのところだったのがせめてもの救いだった。タクシーに乗り込むと「川谷部長~、本当にす、すみまへん。迷惑かけちゃって~」、深田のろれつはほとんど回っていなかった。深田は続けた。「川谷部長は、いつも怖いんですよね。数字、数字、数字。分かるんですけどぉ~、今の時代じゃぁ~、誰もついてこないですよ。部長がいると空気が重くなるんですよね」「何だ!その言い方は!上司に対していう言葉か!」。川谷は声を荒らげた。「部長のそういう声を荒らげて鬼みたいな言い方、みんな嫌がってますからねぇ~~~~。たまには褒めたらいいのにぃ」何て失礼極まりないやつなんだ。私が、若手の頃は絶対にこんなことはなかった。いくら酔っても絶対に上司に対して失礼な態度を取ることはなかった。さらに言えば、上司に家までタクシーで送らせるなどあってはならないことだ。「いい加減にしろ!」と怒鳴ろうとしたとき、タクシーの運転手が「着きました」と声をかけた。川谷はお会計を済ませ深田の両脇を抱え、タクシーから降ろした。改めて川谷は肺いっぱいに空気を吸い込み「いい加減にしろ!」と怒鳴ろうとした、そのときだった。深田は「ウエェエエエエエェェ~~~~~~~」と大きな音を立てながら豪快に吐いた。シンガポールの有名なマーライオンが見ても引くほど吐いていた。

川谷は、深田のあまりの吐きように怒る気が失せてしまった。深田の背中をさすりながら落ち着かせた。吐いて落ち着いた深田は急に気を使ったのか「ありがとうございました」と言って自分のアパートの方へ千鳥足で歩いていった。「あいつは何なんだ……」。思わず川谷の口から言葉が漏れていた。ここから徒歩10分のところに川谷の自宅がある。決して大きくはない家だが自慢の一軒家だ。川谷部長と恵比寿のプロローグ川谷は、妻と娘一人の3人で暮らしている。妻は、2歳年下で社内恋愛の末に結婚した自慢の妻だ。川谷は正社員として入社して15年間、現在の会社一筋で勤めている。何度か転職しようかと迷うことは正直あった。だが、真面目に、会社に貢献してきた自負もある。数字に対して厳しくなったのは川谷の元上司の影響だ。川谷の元上司は、現在専務となっている。川谷が3年目の頃、元上司の高木が率いるチームに所属していた。徹底したコントロールマネジメントをベースとして行動量で数字を達成するスタイルだ。そのやり方を今でも全うしている。川谷は、どこか今の時代や社員たちにそぐわないやり方なのではないかと感じていたが、このやり方しか自分自身も経験したことがなく、改善するための一歩を踏み出す勇気も知識もなかった。「ただいま~」玄関を開け、家に帰るも妻と娘からの返事はなかった。すでに眠っているらしい。家に着いた安心感からなのかメラメラと怒りが込み上げてきた。数字すら達成していない深田から言われた言葉を一つひとつ思い出していた。気持ちが昂りすぎて眠れない。冷蔵庫からヱビスビールを取り出し、書斎で飲みながら考え出した。「ビールを飲むと心が安らぐ~♪」。CMの歌詞を癖で口ずさんでしまったが、こんなに心が安らがずイライラしながら口ずさんだのは初めてだった。「深田の野郎!俺の苦労も知らないで!どれだけチームで成果を上げ続けることが難しいか。今の時代といっても、お前たちが何を考えてるか全く分からん」グビグビッとビールを飲んだ。「だいたい、たまには部下を褒めろ、だなんて。俺だって高木専務から特に褒められた経験はないぞ。仕事はつらいものなんだよ!」ビールを一気に飲み干し、机に置いた。川谷は、就職活動中に特にやりたいことがあったわけではなかったが、当時部長だった高木と面接で話をした。高級時計に高級スーツ、オールバックでビシッと決めた高木は「バブルの中心にいます」と言わんばかりの姿だった。高木は仕事が楽しいと話し、キラキラ輝いて見えた。就職活動中は、疲れ切った採用担当ばかりを見てきたが、カッコいいと思える社会人とは初めて出会った。それが入社を決めた理由だ。入社したばかりの川谷はがむしゃらに働いた。高木部長に教えられた通り、数をとにかく積んだ。川谷は言われた通りにとにかくやった。「まず黙ってやれ!」がモットーだった高木部長の教えをとにかく学んだ。すると成果が出始め、同期で唯一部長にまで成長することになった。仕事は人生そのものだった。人生を満たしてくれていた。でも、仕事はつらい。いつからこんなことを思うようになったんだろう。今から理想のチームを作ることはできるのだろうか。今更、どうすればいいですか?と誰かにお伺いを立てられる立場でもない。私はどうしたらいいんだ。もし助けてくれる人がいるんなら助けてほしい……。目を閉じて天を仰ぎ、声を出した。「チームのみんなが笑顔で働くためには、どうしたらいいんだ。誰か教えてくれ。俺もまた仕事を笑顔で楽しみたいんだ……」そのまま眠ってしまったらしい。ふと目が覚めた。時計に目を向けた。「4時44分」何とも言えない不吉な数字が目に入った。「4時44分『し・あ・わ・せ』な数字やな~。縁起ええわ~。トレーニングスタートする日にはもってこいやな!」「え?」書斎に一人のはずが、聞いたことのない男の声が耳に飛び込んできた。まだ酔っているのかと思い冷蔵庫へ水を取りに行こうと書斎を出ようとした。「待て!待て!どこ行くの~!せっかく来たのに~!」恐る恐る、声が聞こえる方に目を向けると、ビール缶の前に小さい太ったおじさんが立っていた。左手に鯛、右手に釣り竿を持ち、満面の笑みでこちらを見ていた。そんなはずはない。こんな小さい太ったおじさん、しかも書斎で釣り竿と鯛を持っている。意味が分からない。こんなやつが存在するはずがない。「こんな小さいおじさんは存在しない、と思っているやろ~?存在してるよ。今ここに」釣り竿でビールの缶をカンカンと鳴らし「ここから抜け出してきたんよ~」と言った。ビールの缶を見ると、恵比寿がいなくなっていた。そして、全く同じ小さい太ったおじさんが目の前に立っていた。「まさか、恵比寿様ですか……?」「正解や!神セブンの恵比寿や!」「カミセブン……」「どこに引っかかってるの~。七福神や!お決まりパターンで神セブンって言わなあかんルールやねん。ちなみに、呼び方は恵比寿さんでええよ~。親しみを込めてほしいタイプやから」とニコニコと満面の笑みを川谷に向けた。「よっしゃ、早速トレーニング始めるで!まずな、兄さんはな」「ちょっ、ちょっと、待ってください!トレーニングって何ですか……?」「はぁ。こういうやりとりは、もう撮れ高十分やから説明するだけ時間の無駄なんやけど」「いやいや、撮れ高って意味分からないこと言わないでください。トレーニングって何するんですか!?」恵比寿は大きなため息をついた。「決まってるやん!チームに笑顔を増やせるトレーニングや!お前が『誰か教えてくれ』って言うから釣りの合間に抜けてきたんやん。ほんまに、あとで鯛を冷蔵庫入れといてな。腐るし」「いや、え、恵比寿さんにそんなマネジメントみたいなこと教えられるんですか……」恵比寿の目がギロリと鋭くなった。子供のように頬に空気を入れてムスッとした顔をした。

「兄さん、舐めてもらったら困ります。僕はね、七福神という個性のゴリゴリに強いチームをマネジメントしているんやで。しかも、みんなめっちゃ笑顔やろ」川谷は「確かに」と妙に納得感があった。七福神のメンバーの苛ついている顔は見たことがない。みんな恐ろしいほど笑顔だ。「あんな、兄さんが毎回やっている『詰める』ってアプローチあるやろ?あんなもん絶対やったらあかんで。このままそのアプローチを続けると必ず手遅れになるんや。壊滅するで」。恵比寿の目がぼんやりと光っているように見えた。恵比寿には、営業チームが壊滅する未来が見えているんだろうか……。無力を学習するサーカスの象「なんで壊滅するかというとな、サーカスの象の話知ってるか?」「えー……いや、分からないです」「ほな教えたろ。サーカスの象は、子象のときに足首を木の杭に鎖で繋がれる。子供の象やから逃げようとしても逃げられへん。月日が経って大人の象になったときに力持ちやからいくらでも逃げ出せるはずやのに鎖を足首にハメられているだけで逃げないんや」「何でですか?逃げたらいいじゃないですか!?」恵比寿はブルブルと首を左右に振った。大きな耳たぶと、頬の肉がゆれた。「『学習性無力感』って言うんや。『どうせやっても無理だ』って無力であることを学習し、考えることをやめてしまうんや。兄さんが、やっていることと一緒や。メンバーを否定して、いかに無力であるかを学習させている行為なんや」そのやり方しか知らなかった。でも営業部のメンバーはどんどん無力を学習し考える力を失い続けている。自分のやり方がそんなにも間違っていたなんて気づきもしなかった。深田もその一人なのかもしれない。川谷は恵比寿に迫った。「じゃあ、どうしたらいいんですか?私に一体何ができるんですか?」川谷は涙目になり恵比寿に訴えかけた。藁をもつかむ思いでいたら恵比寿が現れた。チャンスを逃すわけにはいかない。「と、その前にや、そもそもトレーニングは受けるんか?そこはっきりさせてもらわんと、僕も教えがいってものがないからさ。やるんか、やらんのか、どっちや?」「やるに決まってるじゃないですか!!本当は私だって営業部のメンバーが笑って過ごせるチームを作りたいんです!」恵比寿は釣り竿を8の字にビュンビュンと振り回した。手に持っていた鯛が宙を舞いながらキラキラと輝いていた。恵比寿はさらに大きく息を吸い込んで言った。「こ・こ・ろ・え・た~~~~~~~~!」部屋がビリビリッと震えるほどの振動があった。妻や娘が起きてこないか心配になったが、恵比寿の言葉が気になってそれどころではなくなっていた。「ふぅ~~~~っ」と息をつき仕切り直すように恵比寿はこう答えた。「まぁ、簡単に言うと心理的安全性を担保してあげたらええわけや」「心、心理的安全性……」急に難しい言葉が飛び込んできたので川谷の頭は少し混乱した。恵比寿が分かりやすく丁寧に話し始めた。「グーグルってあるやろ?あのグーグルちゃんが自社の情報サイト『re:Work(リワーク)』で発表した『チームを成功に導く5つの鍵』っていうのがあるんや。その1つ目の鍵のことを心理的安全性っていうわけや。この心理的安全性っていうのは要するにチームのメンバーが『ここにいてもいい、存在を認められている』って思える状態のことを指しているんや」川谷は、頭の中で営業部のメンバーに対する普段の関わり方を思い返していた。「確かに営業部で『ここにいてもいい』、そんな風に思っているメンバーは少ないかもしれない」「じゃあ、兄さんよ。ここからが本題や。では、どうしたらチームのメンバーの心理的安全性を担保してあげられると思う?」「そうですね……詰めないってことですか?」「そりゃそうや。当たり前や!そんな当たり前のこと言ったら兄さんも『恵比寿、お前!』って腹たつやろ!?もっと簡単な方法があるんや。それはな……」。恵比寿は間をふんだんに使い答えた。「すべらない話」に学ぶ出演者を尊重した仕組み「『笑う』ってことや」「笑う?」「そうや。テレビ番組の『人志松本のすべらない話』って見たことあるか?僕な、あの番組大好きなんやけどな」「あります。妻が好きで一緒に見ています」「愉快な夫婦やのう!あの番組はな、心理的安全性を説明するときに本当に最適な番組や。例えばや、出演者がすべらない話を披露した後、聞いている人たちがするリアクションってもんがあるんや。それは何か分かるか?」川谷は首を傾げながら考える人のポーズをとった。そして小さい声で「あっ!」と閃いたような声を出した。そして答えた。「分からないです」「分からへんのかい!思いついたような仕草すんなや!」「す、すみません」「頼むで。何をするのかというと、1つ目は『すべらんな~』とホストの松本人志さんが全体へ伝える。2つ目は、全員が笑う。この2つをすることにより、出演者は自分の話が面白くて価値があると認識するわけや。だからさらにモチベーションを上げられるし、安心して話ができるわけや」私は、会議のホストとして一度でもモチベーションを上げられる言葉を発したことがあっただろうか。たまには言っていたかもしれない。ただ、思い返せないほどで、日常的に意図して言ってはいない。「まぁ『すべらんな~』ってそんな言う機会ないやろうから『いい意見だね』とか『その案もあるね』とかに言い換えて使うとええわけやな。そうすると意見が言いやすなるやろ」「なるほど、できる限り褒めるようにします」「そうや!ええ心がけやで。もう一つ『笑う』についても言うとくわ。兄さんは、最近、爆笑した?」思い当たることがなかった。そういえば、10歳の娘が小学校で男子から告白された話を聞いたのを思い出した。父親として何とも言えない気持ちになっている

ところを妻から「あなた何て顔しているの?」と言われて苦笑いしたくらいだ。「あのさ、回想してるとこ悪いんやけど、絶対ないって顔してるで。兄さんは、鬼みたいな顔しているって部下も言うてたから『笑う』練習した方がええよ」「確かに深田という部下にも言われました。でも、何で知ってるんですか?」「僕、一応神様やからな。だいたいそういう情報は調べなくても分かるんや。まぁ、布袋尊も向こう行ってるし」「布袋尊……?」恵比寿が「ちょっとまずいぞ」という顔をした。「いや、それはええわ。ほんでや!!紙とペンを貸して」語気荒く、話題を断ち切るように本題へ戻った。爆笑は分解すると9つのステップになる「今から笑いの練習をしよか。普段から笑ってない兄さんみたいな人が笑うとするやろ?そうすると顔が不気味になるから絶対笑いの練習をした方がええんよ」恵比寿は、全身を躍動させさらさらと紙に描き出した(図10)。「これ見てみ!爆笑っていうのは分解すると9つのステップになるんや。この9つのステップを続けて行うと、爆笑してるみたいに見えるんや」生まれて初めて見たステップだった。そもそも、爆笑の所作を分解しようと思ったことがない。「ほな練習するで!」「練習……ってこれをですか?」「そりゃそうやろ~!?通信教育で空手習って達人になるやついるか?コミュニケーションは、実践の中で身につけていかんと!せ~のでいくぞ。せ~の!」川谷は顔を引きつらせながら9つのステップ通りに笑って見せた。「あはっはははっはは!!」。恵比寿は小さい体をよじらせながらゲラゲラと笑っていた。「兄さんの笑顔、不気味やな」と言ってまた体をよじらせた。「もういいです。寝ます。やっている効果も分からないし」川谷は明らかに不機嫌な態度を示した。「ごめん、ごめん、笑いすぎたわ!効果ね、教えたるわ!実はな、人の感情っていうもんは、相手の感情に共鳴して同じ感情を引き出す特性を持ってるんや」「同じ感情を引き出す?」「そうや!簡単な話や。例えば、満員電車でイライラしている人見たらイライラするやろ?他にも、夏の風物詩で怖い話をする人が『怖いな~、怖いな~』ってめちゃくちゃ言うやろ?何で『怖い』ってあえて口にするかというと聞いている人の恐怖心を引き出そうとしてるんや」「では、笑っている人を見ると笑ってしまうということですか?」「よっ!さすが部長や!部長まで上り詰めたゆえんやな!その通りや。だから、笑っている必要があるんや」さっきイライラした態度を取ったからなのか露骨にヨイショをしてきている。でも、確かに恵比寿の言うように、職場で笑っている人がいると、空気が明るくなる。一方で、怖い顔の人がムスッとした顔で仕事をしていると圧迫感を覚えるときがある。専務の高木がまさにそうだった。川谷が若手だった当時は騒がしく意見が飛び交う職場だったが、高木が出社してくると誰も話をしなくなり職場が静まり返った。もしかすると、私が出社して会話がなくなるのもそのせいなのだろうか。雑談が多い職場よりは静まり返っていた方がマシか、と自分を正当化しようとした。すると全てを見抜いているかのような顔で恵比寿がじーっと見つめている。ゆっくりと口を開いた。「雑談が多い職場の方が生産性が高いって研究結果もあるでぇ~。だから兄さんがやってることは絶対におかしいでぇ~」ドキッとした。恵比寿は心が読めるのだろうか。「普通に考えて、雑談が多いと仕事が進まなくて生産性が落ちると思いますけど」生産性を高める「スカブラ」

「そんなことないんや。昔な『スカブラ』って職業があったん知ってるか?」「スカブラ……」「そうや。炭鉱現場ってあるやろ?あそこってごっついストレス溜まるやろ?いつ崩れてくるかもしれへんし、暗いし、汚れるし、肉体労働やし。そこでな、炭鉱現場で働く疲れてる兄ちゃんたちに卑猥な話とホラ話をして息抜きさせる職業があったんや。それを、スカブラって言うたんや」「そ、そんな独特な職業があったんですか」「そうや。でや、炭鉱事業が下火になっていったときに真っ先にスカブラの兄ちゃんたちがクビにされたんや。そりゃそうやわな。卑猥な話とホラ話しかしてへんのやから。でもな、それが大きな間違いやったわけや」大きな間違い!?何の間違いがあるんだろうか。ただの盛り上げ役を切ったところで何の影響もないのではないか。川谷はゴクリと唾をのみ聞いた。「大きな間違いとはなんですか?」「それはな『スカブラ』がいなくなってストレスの捌け口なくなってしまい、士気が落ちて、チームの関係性も悪くなり生産性が落ちてしまったんや」「な、なるほど」「映画の『釣りバカ日誌』なんて典型的やな。釣りしかしてないハマちゃんをクビにしないんや。どう考えても働かず釣りしかしてないんだからクビしても良さそうなもんやろ。引き出し、ルアーしか入ってへんし。でもな、クビにしないんや。彼がいると職場が明るくなるんや!」昔あの映画を見たときに私も思った。何でこの人はクビにならないんだろう。確かに特殊なケースかもしれないが、関係性という側面で見たことはなかった。「兄さん、今日のスケジュールはどうなってるんや?」「社内で営業会議が入っています」「じゃあ、早速『笑う』ところからやってみたらええわ」「分かりました」出社時刻まで練習は続いた。人は簡単に変われない?「いやや!リビングでゆっくりしたいわ~」恵比寿が、大声で駄々をこねていた。「わがまま言わないでくださいよ」「どこがわがままなんや。神様を書斎に監禁するなんて聞いたことないで!」「家族が見たらびっくりしちゃうじゃないですか。バレないようにここにいてくださいよ。お願いしますよ」恵比寿はリビングでゆっくりしたいと言っている。でも、小さい太ったおじさんがリビングでテレビを見ていたら家族が驚くどころではない。「僕はそもそも人に好かれているから神様になってるんや」「僕に会える機会なんて、滅多にないし本当に良い機会になる」「僕は神様やから人の記憶くらい消せるし大丈夫や」「もう何でもいいから部屋から出してくれ」いろんな論法で攻めてくる。しかし、頑なにイエスと言わなかった。記憶を消すなんて物騒なことを大切な家族にされたらたまったものではない。「恵比寿さん、勘弁してください。このiPadを貸しますし、お土産だって買ってくるんで本当にお願いします」「はいはい。分かりました。ここにいたらいいんでしょ。でも、お土産は絶対に買ってきてや。お供え物を買ってこなければバチが当たるぞ」と言うと恵比寿はニヤッと不気味に笑った。ゾクッと体に悪寒が走った。「分かりましたよ!絶対です」書斎の机の上に恵比寿がゆっくりできるようにクッションを用意した。準備を整え、まだ眠っている妻と娘の顔を見に寝室へと向かった。「お父さんは変わってくるよ」とボソッと呟く。妻から「いってらっしゃい」と小さな声が聞こえた。「ありがとう」と呟き家を出た。4時44分から起きていることもあり目が爛々としているのが分かる。いつもより会社に早く着いた。オフィスにはまだ人が来ておらず静けさを帯びていた。早起きしたからなのか、頭はいつもよりクリアーな感じもある。「早起きは三文の徳ってこういうことかな」と他愛ないことを考えながら仕事を進めていた。さて、今日の営業会議の準備でもしようかな。すると、話しかけられた。「おはようございます。川谷部長、昨日は大丈夫でしたか?深田くんを任せてしまってすみません」と山本さつきが心配そうに話しかけてきた。「大丈夫だったよ。ちょっと大変ではあったけど」「何か、大変なことがあったんですか?」「いや、大丈夫だ」正直、大丈夫ではなかったが話せば長くなるし強引に話を終わらせようとした。元はと言えば、この山本さつきが深田を怒らなければ昨日の全ての出来事は起こらなかったのに。苛立ちもあるような、感謝もあるような複雑な気持ちになった。「そうですか……。あと、招待していただいて参加した会だったのにご迷惑をおかけしてすみませんでした」と山本さつきは深々と頭を下げた。「いや、もう大丈夫だから。山本さんのおかげで私もいい勉強になったよ。この話はこれで終わりだ。また営業部の飲み会にも参加してくれ」。そう言うと川谷は自分のパソコンへ目線を戻し作業を始めた。山本さつきは、頭を下げて自分の席へと向かった。山本の後ろ姿を目で追いながら「深田と違って本当にできた子だな」と心から思った。続々と営業部の人間が出社し始めた。時計を見ると8時45分「もうこんな時間か」と思いトイレへ向かおうとする。営業会議は始業時刻9時からいつもスタートしている。遅くとも15分前には全員が出社していることが暗黙の了解としてある。「川谷部長、昨日は大丈夫でしたか?」と声をかけられた。振り返ると石野だった。気遣いも大したもんだな。「あぁ、大丈夫だったよ」「そうですか。良かったです。お任せして申し訳ありませんでした」と伝え、石野はそそくさと自分の席へと向かった。会話のキャッチボールが続かない。あれ?私は、話しづらいのだろうか。トイレで用を済ませオフィスに戻ると、出社時間ギリギリになって走り込んでくるやつがいた。深田だ。肩で息をしながらタイムカードを切っている。昨日の怒りが込み上げてきた。しかし、恵比寿に習った通り、怒らず一言伝えるのが正しい判断だ。気

持ちを整え話しかけた。「深田、社長出勤か?飲み会の次の日だからこそ、早く来いよ!」。笑顔で話しかけるつもりが顔が引きつり嫌味なことを言ってしまった。私も、よく上司の高木に言われていたのを思い出した。「すみません」と呟き、深田は強張った表情で会議室へと急いで向かっていった。私にあんな憎たらしいことを言ったのを覚えていないのではないか?それにしても、あんな怯えた顔をしなくてもいいじゃないか。私は、みんなにどう思われているんだろう。「詰めて」しまう会議の実態川谷の号令で営業部の会議が始まった。営業全体の数字報告を終え、各個人の進捗状況の報告が始まった。メンバーのほとんどが数字を達成している中、深田だけは手こずっているようだった。「なぜ、お前は数字が稼げないのか?」という問いを深田に投げかけた。改めて自分の改善点を考えてほしいという意図があった。深田はダラダラと言い訳がましいことを言い出した。「お客さんのキーマンに会えてないから」「課題を聞いても課題を持っていない」「テレアポのリストの質が悪い」など、他責とも取れる発言ばかりしている。何なんだこいつは。愚痴ばかり。自分を改善するという意思はないのか?自分の営業力やお客様への対応への改善点は出てこないのか。我慢の限界がきた。「おい!深田!お前は入社してから一回も数字達成してないな!どうしたらいいか言え!分かってんのか?」改めて出た意見にも納得感はなかった。それでも川谷は「考えろ!」と何度も深田に詰め寄った。深田は、「すみません」としか言わなくなってしまった。川谷は、深田の「すみません」に対してもイライラとした。「本当に分かっているのか?」とまくし立てた。ふと気がつくと、会議室は重たく不穏な空気をまとっていた。川谷はハッとした。「私は、またやってしまった……」。深田だけでなく営業部全体の士気が明らかに下がっていた。いつもであれば徹底的にやるが、恵比寿の言葉を思い出した。「このまま続けたらチームが壊滅する」川谷は、血の気が引いていくのを感じた。どうしたらいい?何とか言葉をひねり出すんだ!「まぁ、次回も頑張ろう。深田、誰かの営業の方法を勉強してみろ」そして、出勤時刻まで練習した笑顔を作ろうとした。ただ、どう考えてもうまく笑顔を作れているとは思えなかった。今後の方針を発表しそそくさと営業会議を終えた。川谷は、悶々としながら席へ戻った。自分でやると決めたのになぜ実践できなかったのか、心理的安全性があるわけがない……。そんな言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。「川谷部長」石野が話しかけてきた。「どうした?」「体調でも悪いんですか?ちょっと顔が引きつっていたので」川谷は絶句した。笑顔が不気味に映るどころか体調を心配されている?情けない。私は、笑顔すらまともにできないのか。「いや、大丈夫だ。ありがとう」そう答えると石野は「そうですか」と返し、席へと戻っていった。私は、一体どう見られているんだ。「経路依存性」という呪縛仕事を済ませ家路に着いた。恵比寿と約束した通りお土産を買っていくことにした。神様に渡すお土産は何がいいかと考えた結果、接待などで買っていく1万円ほどする高級和菓子を買った。さすがに、ここまでして文句は言われまい。家に帰り「ただいま」と言いながら玄関を開けた。娘が走り寄ってきた。抱きかかえリビングまで行くと、妻が料理を作っていた。「そのお土産、何?」と聞かれ「あぁ~、これは明日取引先に持っていくんだよ」とごまかした。「あらそう。ご飯は今出しちゃうね」「いや、ご飯は後でいい。ちょっと仕事を済ませてからにするよ。先に食べててくれ。洗い物は俺に任せてゆっくりしてくれていいから」「そう。あんまり無理しないでね」そう伝えると書斎へ向かった。書斎のドアを開けると恵比寿がクッションの上で正座して真っ暗な画面のiPadを睨みつけていた。「あの、何してるんですか?」恵比寿の肩はワナワナと震え、明らかに怒りをまとっていた。「お前、パスワード教えへんかったやろ」「あっ……神様だから分かるかと思ってました……」「分かるか!!ボケ!!めちゃめちゃ暇やったやないか!!」と言うと釣り竿を振り回し、私の頬をパシンと張った。「痛い!痛い!すみません!!」川谷は頬をさすりながら「すみません。うっかりしていました。これお土産です」と買ってきた高級和菓子を自信ありげに渡した。「ほぉ、和菓子か」「接待でも使う高級な和菓子です。お口に合うかどうか」「これはなんで買ってきたんや?」「なんで?」って何だろう。値段も高いし、今までいろんな人に渡してきたが全員が喜んでいた。だから買ってきたのだが他に何か理由がいるのか。「はぁ~、兄さんはほんまに分かってへんわ。このお土産を買った理由は、どうせ『高級だから』とか『みんな喜ぶから』とか、この程度のことやろ?」「そ、そうです」ズバリ言い当てられてしまった。恵比寿は心が読めるのか。「やっぱりそうか。今の話が全部物語ってるわ。『みんな』がって誰のこと言ってるの?そうじゃなくて個々人違うわけや。その前提に立って考える必要があるわけや。成功体験にとらわれすぎや」その通りだ。安易な理由で決めてしまったことに申し訳ない気持ちになった。「すみません。では、また違う物を後日買ってきます」と伝えお土産を引こうと

すると、恵比寿の小さい手がぬっと伸びてきてお土産をガッチリ両手でつかんだ。恵比寿は目を合わせずにボソッと言った。「まぁ、これはもらっておくけど」「いや、もらうんかい!」と思ったが小さい声で「どうぞ」と言って手を離した。恵比寿は、高級和菓子を1つ箱から取り出し、机の上に置いた。そしてジッと見つめると上着の内ポケットに入れた。「え?食べないんですか?」「当たり前やん。お供え物は見て終わりや」神様の常識って何だろう。何のために高級和菓子を買ってきたんだろう。唯一の救いは、お菓子の詰め合わせだったことだ。一息ついたように恵比寿が話し出した。「ほんで今日は、どうやったんや?会社では『笑顔』でいれたか?」川谷は、今日の出来事を洗いざらい話した。うまく笑顔が作れないこと。ついつい嫌味を言ってしまったこと。会議でまた詰めてしまったこと。笑顔でいたら体調を心配されたこと……。恵比寿は、川谷の話の途中からクッションの上で笑い転げている。「腹痛い!あははは!腹痛い!兄さんの笑顔は不気味を通り越して体調不良に見えるんや。腹痛いわ!」笑い転げる恵比寿を見ながら「何なんだ。この失礼な生き物は」と無性に腹が立ってきた。一方的にズケズケと言うばかり、何だこいつ。「恵比寿さん、こっちが真剣に悩んでいるのに茶化して面白いですか!?失礼じゃないですか。私だって好きで嫌味を言ったわけでも、笑顔が不気味なわけでもないんですよ。私は変わりたいんですよ!」水がグラスから溢れるように感情が溢れ出てくる。「変わりたくて研修だって受けたこともあります。コーチングとか部長の役割とか、いろいろ受けても全然効果が出ないし、どうしたらいいんですか」恵比寿は、ニヤッと笑いながら話し出した。「ええやないか。やっとビジネスマンの仮面が剥がれてきたな。今の兄さんには『こうあるべき』が顔には張りついてる。そしてそれを人にも押しつけてるんや。あんな、人はなかなか変われへん」私は、営業部のメンバーに押しつけてしまっているんだろうか。「ちなみにな、兄さんが変われへん理由はな」恵比寿は、紙とペンを取り出し「経路依存性」という見慣れない言葉を書いた。「これ聞いたことあるか?」「ないです」「一概に理由はこれだけというわけではないが、兄さんの場合はこれが大きいな。経路依存性というのはな、端的に説明すると上司の高木くんに育てられてきたことをそのまま部下にもやってしまうってことや」確かに、思い返すと上司の高木に受けてきた指導と同じことをしている。「これはな、『嫌だな』『やめてほしいな』って思っていたところまで真似てしまうんや。兄さんも『嫌味だな』って思ったはずやのに伝えてしまってるやろ?これが兄さんの変わらない実態や」「でも、それでも僕は育ったんです」「そうや。兄さんは育った。兄さんには合ってた。でも、一人ひとり個性が違うんや。お土産の話も一緒やで。『この人はどうしたら喜ぶんだろう』、その言葉が『この人はどうしたら成長するんだろう』って問いに変わっただけや」ぐうの音も出なかった。頭では理解しているつもりが自分の行動はまるで違っていた。「自分はチームのみんなが笑顔で働くために部長でいるべきではないかもしれないですね」「兄さん、おめでとう!!」「な、何がですか?何もおめでたいことなんてないじゃないですか!」「人が変わるための一歩は、自分を認識することや。それでやっと葛藤が生まれる。偉大な一歩を踏み出したやないか!」偉大な一歩なのだろうか。何とも複雑な気持ちになった。「あとは、悲観的になりすぎない方がええで。ダメな面も愛すべきところやし、良い面もあるから部長にまでなっているんや。奥さんは、一緒の会社出身なんやろ?働いているとき、どんな印象だったか聞いてみたらもっと自分を知れるんちゃうか?」「え?妻に聞くんですか?なんか照れ臭いというか……」コンコンとノックとともに、妻がドアを開けた。「あなた大丈夫?ご飯は?」と心配そうに声をかけてきた。何というタイミングだ!川谷は、一瞬固まった。恵比寿が机にいるのをどう説明したらいいのか。恵比寿の方に目をやると、恵比寿の姿は消えてなくなっていた。「あれ!?」「あなた聞いてる?」「あぁ、大丈夫だ。明日の仕事をどうしても終わらせたくて……」「そう。無理しないでね」と言うと妻は部屋を出ていこうとした。川谷は、恥ずかしさをこらえて呼び止めた。「あのさ、俺と一緒に働いているときに俺のことどう思っていた?」「何、急に」「頼む。教えてほしいんだ。もっと営業部をいいチームにしたくて」妻は照れ臭そうに話し出した。「う~ん。一生懸命で真面目。自分に厳しくて人にも厳しい。だからあなたに怯えてる人も多かったと思う」「そうか……」「でもね、あなたみたいに仕事に一生懸命になっている人に憧れるって若い子も何人かいたわよ」自分の努力が認められているような気がした。全てが無駄ではなかったと胸をなでおろした。川谷が「ありがとう」と伝えると妻は部屋を出ていった。緊張から解放されたように急に体の力が抜けた。「良かったやん!兄さんは頑張っている。もっとより良いチームを作ろうや」と声がした。目を向けると恵比寿がクッションの上に座っていた。

「急にいなくなったり、現れたりどうなってるんですか?」「神様やから姿くらい消せるやろ。神様界では常識やで」「早く言ってくださいよ。めちゃくちゃ動揺しましたよ~!妻に小さい太ったおじさんをどうやって説明したらいいか!」「小さい太ったおじさん言うなや!恵比寿さんや」「失礼しました」「さぁ、ここからが本題や。続きのトレーニングいくで!覚悟しいや!」「お願いします!」ちょっと未来に光が差してきたように思い、川谷の顔に自然と笑みがこぼれた。今日初めてできた「笑顔」だった。

心理的安全性を生み出す笑顔の技術逆算思考で数字を勝ち取る川谷が行っていた会議同様に多くの会社では「詰める」という行為が行われています。営業会社ではよく行われていることだと思います。今回のケースは「詰める」という行為だけが悪いわけではなく、①思考が停止するまで追い込むこと、②上司側の「改善させたい」という意図が伝わっていない、という2つに問題があるということです。余談ですが、私が、芸人から転職した人事系のコンサルティング会社でも数字に対しての追及はありました。芸人から転職したてで右も左もどころか、何も分からない状態でした。今でも本当によく採用してくれたなと感謝でいっぱいです。当時の私が、営業会議に参加している感覚は「足し算を知らないのに掛け算を教えられている」感じでした。そんな中、見かねた上司が数字を達成させるために「逆算思考」を教えてくれました。それは、「数字のギャップが大きい『受注』『訪問』『テレアポ』などのそれぞれの確率を割り出し計算しろ!」というものでした。割り出した結果、「3秒に1回テレアポをしないと数字達成できない」という結論に至りました。ただのいたずら電話です。こんなやりとりでも上司との信頼関係があり、私が思考停止に陥ることはありませんでした。3秒に1回も電話はできないので手は止まりましたが。さて、仕事柄、取引先の会議に参加する機会が多くあります。よく見かけるのが、議論が活性化しておらず、促されないと意見が出ない重苦しい空気が漂っている光景です。「発表を聞いている側がムスッとしている」「若手が発言できていない」「情報共有だけやっている」「詰めるような問いだけが続く」「結局何も決まらない」などの事象が起こっていることが多いように感じます。そのような会議の場では、米グーグルが発見した、チームを成功に導く5つの鍵の一つでもある「心理的安全性」が担保されていないことがうかがえます。では、どうすれば会議に笑顔が溢れ、活性化されるのでしょうか。お笑いの観点からひもといていきたいと思います。まずは自分から「笑う」恵比寿からもあったように、まずは自分から主体的に誰かの発言に対して「笑う」ということが最も重要です。これは第1章で紹介した「反応吸収」と同様です。無表情でPCを見ている人、頷きもせず見ている人、全く違う作業をしている人……。お客様先ではやっているのに、社内では急に置物のようになってしまう人が多くいらっしゃいます。それは、社内の人間関係を尊重しない気持ちの表れと捉えられても仕方ありません。あなたにどんな意図があろうと、相手に伝わったことがメッセージとなります。例えば、テレビ番組「人志松本のすべらない話」で、全員が無言で聞いていることを想像してみてください。番組は地獄です。だからこそ、出演者が〝すべらない〟話を披露した後に、必ず2つのリアクションをしています。1つ目は、ホストである松本人志さんが「すべらんな~」と伝える。2つ目は、全員が〝笑う〟。この言動により、出演者は自分の話が面白くて価値があると認識し、緊張がほぐれ、勢いがついてきます。発言しやすい空気を意図的に作り出し、ただでさえクオリティが高い〝すべらない話〟がより面白くなる構造になっているわけです。ちなみにお笑い芸人の中で、松本人志さんが「笑う」「すべらんな~」と言うことをビジネスで例えると、「ある若手社員が企画書を書き、それを孫正義さんが『面白い企画だね~』と褒める」のと同じくらいの効果があるでしょう。おそらくその若手社員は「最高の企画書が書けた」と自信に満ち溢れ、心理的安全性が担保されます。逆に、会議がいきづまり意見が出ておらず沈黙が続く中、若手に「なんか意見ないの?」と言うのは、お笑い芸人に対して「さぁ、面白いことやって!」と言うくらい過酷です。このような過酷な状況を、私も最近経験することが増えてきました。笑いのメカニズムを活用した企業研修を提供しているため、担当の方に紹介していただいて研修やワークショップをスタートすることが多いのですが、そこで「本日の爆笑ワークショップを開催していただく中北さんです。どうぞ!!」と紹介されることがあります。「勘弁してください!!」と毎回思っています。お気持ちは嬉しいのですが、どうかおやめください……。爆笑を練習してみる2つ目の〝笑う〟ことは、実は練習が必要です。普段から笑っていないために、川谷部長のように笑顔が下手な人がたまにいます。「なんかこの人の笑顔、不気味だな」とか「無理して笑っているな」など、周囲に妙な印象を与えてしまいます。「ニヤッと笑う」「あざ笑う」など、いろんな種類がある中で、心理的安全性を担保するために効果的な笑いとはどのようなものでしょうか?それは「爆笑」です。腹を抱えて笑うということです。本文でも、爆笑のための9つのステップを紹介しましたね。爆笑の所作を分解するし、各ステップを順序通りに実践すると爆笑しているように見えます。実際に弊社が提供している研修でもペアに分かれて「爆笑を練習するワーク」をします。このワークには2つの効果があります。1つ目は、表情筋が柔らかくなり、自然な笑顔を作ることができるようになります。2つ目は、人の感情は相手の感情に共鳴し、同じ感情を引き出すことが分かるようになります。2つ目の効果については「電車でイライラしている人を見たときに、こちらもイライラしてしまう」「怖い話を得意とする人が『怖いな~、怖いな~』と何度も繰り返すことで、聞く人をさらに怖くさせる」といったことを想像してもらうとイメージが湧くかと思います。現在売れているお笑い芸人さんの中にも、若手時代に鏡を見ながら笑顔を練習していた方もいらっしゃるほど、意識しないと素敵な笑顔にならないケースもあります。その他にも、「気持ち悪いキャラ」で売れている人の中にはどの角度が気持ち悪く映るのかを鏡で見て研究している人までいます。

また、ある時研修に、挨拶をしても返さず、暗い雰囲気をまとった方が参加されました。ペアワークを実施したところ、笑い出しで「ヒャッハー、ヒャハハハ!!」とすごいボリュームの妙な声で笑い出しました。音量も表情もむちゃくちゃでした。そうならないためにも一度、鏡を見て練習してみてくださいね。研修会場の皆さんは彼の笑い声についつい笑っていましたが。雑談すると生産性が上がる「スカブラ」という炭鉱現場で働く職業を紹介しました。彼らのやることといえば、時計を見に行き、時を仲間に告げる。そして卑猥な話やホラ話をして仲間を笑わせること。炭鉱の経営が厳しくなる中で無駄を排除する方針となり合理化のために経営者は、「スカブラ」を解雇しました。「スカブラ」がいなくなった炭鉱内は、士気が落ち、同僚同士の関係が険悪になり効率も生産性も下がってしまいました。嘘のような本当の話です。このような事象から、ある企業では雑談が起こりやすいオフィスを作る研究がなされているなど、「息抜き」の重要度は非常に増しています。皆さんもご存じの通り、昨今テレワークなど出社しない働き方が増え、直に顔を合わせる機会が減り関係性が希薄になる中で、組織のコミュニケーションの質を高める動きが強まっています。例えば、1on1などの「自分らしさ」や「やりたいこと」を引き出す取り組みです。笑顔を習得し、笑顔で働いていると不思議なもので人が自然と話しかけてくるなど、雑談が増え始めます。私も、会社勤めのときは職場でよく話をしていました。偶然、私がお喋りだったということもありますが、今思うと「スカブラ」と同じことをしていました。職場で疲れた顔をした人、悩んでいる顔をしている人、中途や新卒で入社したばかりで馴染めていない人……。このような人を見つけると私は、話しかけに行っていました。そうした効果は絶大でした。特に効果が大きかったのは若手の離職率の低下でした。なぜ若手の離職率が0%になったのか前職は若手の離職率が高い会社でした。私が入社して以降は、会社を辞める若手が少なくなっただけではなく、一時期はいなくなりました。本当に0%になりました。もちろん、一概にこれだけが理由とはいえません。何が起こったかをダニエル・キム氏の「組織の成功の循環モデル」という理論で解説していきます。図11をご覧ください。これは、「関係の質」が高い組織は「思考の質」が高くなるという理論です。一方で、「関係の質」が低い組織は「思考の質」が低くなります。つまり、成果を出したければ結果ばかりに目を向けるのではなく、まずは関係を改善する必要があるということです。具体例でご説明します。グッドサイクル:関係の質が高い場合①関係の質:ものすごく仲のいい友達と旅行に行く②思考の質:こんなこと、あんなことしたい、といろんな意見が出る③行動の質:いろんな意見の中からベストなプランで旅行に行く④結果の質:とても満足してさらに仲の良い友達になるこちらが「グッドサイクル」が回っている場合です。ご覧いただいた通り、関係の質が高いからこそ、結果の質が高まっていくのが分かります。この積み重ねこそが、チームまたは組織の一体感を高める方法です。バッドサイクル:関係の質が低い場合①関係の質:仲の良くない人たちと旅行に行く②思考の質:行くこと自体も憂鬱、一人にもなりたい……と意見が広がらない③行動の質:何となく決めた場所へ旅行へ行くことになる④結果の質:満足度は下がり、もう二度とあの人たちとは旅行に行きたくないと思うこちらが「バッドサイクル」が回っている場合です。そもそも仲の良くない人たちと旅行へ行くのか、という論点もありますが、何となくの折衷案で出された何となくの場所へ行ったところで結果が出るはずもなく、むしろ最悪の場合は疎遠となります。前職で退職者が減った理由の一つとして挙げられるのが、私が話を聞き出すことで、彼らが話しづらかった会社に対して抱えている不満を引き出せたというこ

とです。話を聞いてみると、新入社員や若手社員が職場の中で、本音で悩みを打ち明けたり、気軽に話せたりするラフな関係がなく、孤独を感じている人が多かったのです。そこで人と人を繋げる役割を「スカブラ」として担いました。そうすることで、会社全体として関係の質が向上し成果が出やすい状態を作ることができました。バッドサイクルは断ち切れるのか私が訪問する企業の多くでは、信頼関係がない上司・部下間で「バッドサイクル」が起きています。「1on1」の施策を会社の方針で実施してみるものの、そもそも信頼関係がないために効果が全く上がりません。上司・部下の双方にとって価値のない時間だけが流れることで、話すことすら無駄な時間と認識してしまう方もいるほどです。その結果、より深い溝を両者間で作っています。ちなみに、私の前職で実施した施策は、「スカブラ」だけでありません。「中北軍団」という軍団を作りました。これはお笑い芸人の上島竜兵さんの「竜兵会」を真似て作ったものになります。そもそも何をミッションにして立ち上げた軍団かというと、「会社の新しい福利厚生になる」ことです。大手には「家賃補助」や「社食」などがあるように、この会社には「中北軍団」がある、と言われるような軍団にしようとしました。「中北軍団」では、会社に入社し「人とコミュニケーションがうまく図れない」「成果が出ずにモチベーションを下げている」人たちを集めて、月に1回飲み会を開いていました。飲み会ではただ楽しく飲むだけでは効果が薄いので3つのことを実施していました。①最近やりがいを感じた仕事を共有する成果が上がらないと、会社への不満を溜めたり、うまくいかないと自分を責めたりする傾向があるため、まずは頑張った自分を承認することを目的としています。②上司・先輩の良いところを探す普段から注意や指導を受け続けていると心の余白が減り、フィードバックを受け入れることすら難しくなり、相手の嫌なことばかりが見えてしまいます。主人公の深田敬のように思考停止してしまうのです。そうならないために、改めて上司・先輩の良いところはないかを探します。注意や指導を受け入れる心の余白を作ります。③互いの改善点1つ、良い点3つを伝える褒め合うだけでは傷の舐め合いになってしまいます。ですので、最後には信頼関係ができている仲間同士で、改善点の指摘をします。また、良い点を3つ伝えることで承認のシャワーを贈ります。そうすることで、会社にいても良いという心理的安全性を担保します。このような飲み会を開くことで自分たちの会社を好きになり、自分の仕事に自信も持て新たな一歩を踏み出すことができました。自律の根幹は「好き」という気持ちここで自律についてお話しします。様々な会社とお仕事する中で「自律的に自ら考えて行動する人」を育てたいというニーズをよくお伺いします。私は自律の根幹は、「会社を好きという気持ち」または「ロイヤリティ(忠誠心)」であると考えています。例えば、あなたが男性だったとしましょう。好きな女性とお付き合いをするためにサプライズをします。この女性が何を好きで、何に喜び、どうしたら付き合えるのかを必死で考えます。一方で、好きではない女性にはサプライズをしませんし、喜んでもらえることをそもそも考えません。この違いがまさに自律の最初の一歩だと考えています。つまり、会社を好きであれば自然と会社をより良くするために自律的に行動するということです。会社を好きになる最初の一歩としては、社内の人間関係があると考えます。「憧れる上司」「信頼できる先輩」「一緒にいて楽しい同僚」がいるからこそもっとこの会社で働こう、恩返しをするんだ、という気持ちが湧いてきます。私が知る中で一番驚きの施策をしていた会社があります。その施策の名前は「白飯会議」というものです。その会社は介護事業をしており、毎月1回の責任者10名が集まる会議がありました。その会議では、「入居者の数を増やす」「ミスの報告」などを主な議題として進めていました。もちろん会議は非常に暗く詰められる雰囲気が蔓延していました。そんな中、新しく社長になった方がいました。その方は、会議に問題意識を持ち「一旦、数字やミスはいいから現場で感動したことはなかったのか?」と尋ねました。すると、責任者からは「利用者の家族に感謝された」「利用者から『あなたに会えてよかった』と言われて嬉しかった」などの感動的な話が聞けたそうです。すると10以上の感動的な話を聞いた責任者の一人が会議の最後に「感動的な話でお腹がいっぱいになりました」と言ったそうです。そこで新しい社長は「感動的な話はおかずになるかもしれない」と考え、次から会議に炊飯器を用意して人の感動的な話をおかずに「何杯ご飯が食べられるか?」という取り組みをしたそうです。人が話した話で白飯をかき込む。「いや~、あなたの話はいいですね。3杯いけました」本当に、こんな光景があったそうです。不思議な光景ですね。そうすると責任者たちは徐々に変わっていきました。会議に向けて感動的な話を準備しようとするのですが、自分の経験した話だけでは限界があります。そのため、部下に「感動的な話がないか」をヒアリングするようになりました。今まで「数字が」「ミスは」を問い詰めていた責任者が全く別の質問をするので、会社の風土が大きく変わったそうです。めちゃくちゃな話ですよね。でも、本当の話です。これも会社を好きになってもらう施策の一つです。さて、ここから川谷は、営業部のメンバーが笑って過ごせるチームを作るために、恵比寿から人と人を繋げる技術を学んでいきます。頑張れ、川谷部長!

 

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