MENU

第3章リーダーは解決策を持たなくていい

答えなんて、ハナからわかるわけがない「部下と話し合うのはいいが、『どうしようか』と丸投げで聞いて、部下が言うのをそのまま『それはいい』と言って取り入れるぐらいなら、君は部下と交代しなさい」これは、とある経営者が部長や課長にいつも言っていた言葉である。

部長や課長の中には自分の仕事は「部下に指示する」ことであり、自分で考えることをほとんどせず、すべて部下に丸投げして、上がってきたものにあれこれ注文さえつければいいと思い込んでいる人もいる。

このように思考プロセスをすべて部下に丸投げするような上司は、はっきり言って不要であり、そんな上司なら部下と交代した方がよほど会社のためになる、というのがこの経営者の考え方だ。

また、「自分自身に答えのない指示はするな」と言い切る経営者もいる。

自分にそれなりの答えがない場合、部下の言ってきたものをそのまま丸呑みにするほかはなく、それでは上司の役目を果たしたことにはならないというのである。

この2人の経営者に共通するのは、上司は自分で考え、自分なりの答えを持ったうえで部下に指示をするべきだ、という視点だ。

その観点からすると、上司は既に答えを知っている教師のような存在で、部下の役目はいかにその答えを導き出すかにある。

そして部下の答えは上司のそれをはるかに上回るような答えでない限り、上司の考えた答えに沿った仕事をする流れになる。

たしかに、師匠と弟子の関係ならば師匠の言うことは絶対だ。

師匠は弟子の言動について「それは正しい」「それは間違っている」とはっきり言い切ることができる。

あるいは、明確な判断基準があれば、「君の言うことはこの基準から見てちょっと間違っている」などと言えるかもしれないが、私がこれまで経験してきたホワイトカラー的な頭脳労働の世界では、取り組みはじめた初期段階では「上司も答えを知らない」ことがしばしばある。

そのような中では「上司は答えを持たない指示はするな」というのは、かなり無理がある。

たとえば、あなたはコンサルティング会社でマネージャーをしている。

新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により苦境に立たされている旅行業界や航空業界から「会社を立て直すにあたって、どんなキャンペーンをしたらいいか、斬新なマーケティング提案をお願いします」という依頼があったとしよう。

これは非常に難しい課題だが、うまくいけば日本中の旅行会社や鉄道会社、航空会社などからの依頼が殺到するだけに会社としては何としても成功させたいプロジェクトになるだろう。

会社から重要な任務を受けたリーダーは、自分のチーム内でも選りすぐりの部下に仕事を任せることになるが、この段階で、上司の頭の中に「答え」があるのかというと、それはない。

ビジネスの世界には「たいていの仕事には前例がある」という言い方がある。

たとえば、新入社員にとってはまったく経験のない仕事であっても、それは1年前にも2年前にも新入社員が経験した仕事である場合、前例もあれば、実際に経験してきた先輩もいる。

前例を調べて、先輩に話を聞けば、たとえ自分自身は未経験の仕事であっても、うまくやることができる、という意味だ。

会社にいれば、このように自分にとっては「はじめての仕事」であっても、必ずと言っていいほど「似た仕事の経験者」がいて、先人から学ぶことではじめての仕事もミスなくしっかりとやり遂げることができる。

自分の経験のなさを補い、失敗への恐れを拭ううえでも「前例に学ぶ」というのは重要である。

しかし、今起きているコロナ禍という人類史上初とも言える状況下で、航空会社や鉄道会社は「どうすべきか」という提案を考えるとなると、話は別だ。

こうした場合、基本的には前例などない。

当然、上司も答えなど持っていない。

上司どころか、会社にいるすべての人が答えを持っていない。

ビジネスの世界には、時おりこのような「前代未聞」のケースが発生する。

その中で、どのようなプロセスで答えを見つけ出していくかが、マネージャーの腕の見せどころである。

解決の糸口をつかめばいいもちろん「答えを持っていない」からといって、すべてを部下に丸投げして、上司は何もしなくてもいいということでは決してない。

こんな時に上司に必要なのは、細かな指示を与えることでも、意味もなく部下を叱咤激励することでもなく、状況に応じたサジェスチョン(示唆)を与えることであり、時には「一緒に考える」ことだ。

たとえば、部下がパソコンの前に座ってひたすら旅行業界や航空業界のデータばかりを見ていたとする。

そんな部下に対して私なら、「過去のデータだけ見ていても、そこに未来の答えはない。

なにごとも、現地・現物・現場に行くのがこういう場合の基本の鉄則なんだ!」と言って、オフィスビルの外に連れ出すだろう。

羽田空港に行ったり、成田空港近くの航空科学博物館に行ったり、あるいは飛行機に関する映画を見たりするかもしれない。

そして、見学をした後に、空港にあるバーラウンジにでも寄り「子供の頃、飛行機にはじめて乗る時ってワクワクしたよなあ」などとワインを片手に語りながら、「これまでの人生で経験した、旅行や飛行機にまつわる最高の瞬間って、どんな瞬間だった?」などと、思い出話をチームでしてみたりもするだろう。

そんな会話の中から、若手の社員が、コロナで暇なキャビンアテンダント(CA)と、この前、合コンしたとでも聞いたなら、「それは素晴らしい!君、なかなかやるじゃないか!今度、ディナーを奢るから、そのCAさんと同僚4~5名に来てもらって、話を聞こうじゃないか」などと、けしかけるかもしれない。

「自分も何が正解かわかっていないから、ちょっと一緒に考えてみよう」とは、そういうことだ。

部下に仕事を指示した後、待っているだけでは、待ちの「丸投げ」だ。

これでは部下が上げてきたアイデアの範疇内でしかよしあしを言えなくなってしまう。

第一、上司としての自分も、ただ待っていて、文句をつけるだけでは、

楽かもしれないが面白くない。

また、そこで「ダメ、やり直して」と言ったとして、部下から「どこがダメなんでしょうか」と言われて、「自分で考えろ」と言うのでは、それこそ「何も考えていない上司」になる。

上司は「答えを持つ」必要はないが、少なくとも部下に指示をする以上は、会社から同じ指示を受けた者として、自分なりに共に考える姿勢を見せることが必要だ。

上司の役目は部下に答えを教えることではない。

部下の考える力を引き出し、上司を超えるほどの最高の答えを出させることだ。

その一助となる気付きや示唆を与えつつ、もしプロジェクトが失敗したら、上司である自分が責任をとる!だから、君が正しいと思うようにやってみろと、「攻め」の丸投げをすることこそが、知識労働で部下から最高のパフォーマンスを引き出す、これからの上司の役割なのである。

POINT問題解決の答えを持って臨む必要はない。

その代わりに、糸口をつかめるよう、部下に示唆を与える。

マネジメントはスポーツであるビジネスというのは、「アートかサイエンスか」で言えば、「アート」だし、ペーパーテストよりもスポーツや音楽に近いというのが私の持論だ。

学生時代を振り返ると、就職活動で体育会系の学生が優遇されたり、体育会系の学生を好んで採用したりする企業が存在したものである。

「今どきの会社って、ほとんどデスクワークなのに、体育会系の人材を採用してどうするんだろう?」と、私自身疑問を感じたこともあったが、社会人になって経験を重ねるにつれて、合点がいった。

体育会系の人材がビジネスの現場で重宝される理由の1つは、「実際のビジネスは、入試のようなペーパーテストよりも、チームスポーツによほど近い」からである。

学生時代に誰もが受けたペーパーテストというものは、学校でそれまで勉強してきたことをベースに出題されるし、必ず正解がある。

他方で、ビジネスというものは先述したように、リーダーでさえも「何が正解か」がわからないままに部下に仕事を指示することもよくある。

「正しい答え」がわからない中で懸命に考えて、選択した行動を、事後的に何とか正解にしようと努力する世界、それがビジネスなのだ。

もちろん、論理的に考えていくことも必要ではあるが、ペーパーテストと違って「唯一絶対なる正解」が存在しない以上、要所要所では自分の感覚やセンスを頼りに決断する場面が否応なしに生じてくる。

本項の冒頭で、ビジネスは「サイエンスというよりアート、スポーツ、音楽だ」と言ったのは、こういうわけである。

さらに体育会系出身者というのは、どんなスーパースターであっても必ずある時期には下積みを経験し、「もう二度と戻りたくない」というほどの厳しい練習に取り組んできている。

そうした中で、もちろんたくさんの負けも経験している。

ある有名なアスリートが「私は勝つことで強くなったんじゃない。

負けることで強くなったんだ」と言っていたが、それほどにスポーツの世界には「負け」がつきものであり、負けることで強くなってきた経験を持つ分、人生で苦汁を飲んだ経験に乏しいペーパーテストが得意なエリートの優等生の秀才よりもはるかに失敗を恐れず挑戦できる。

また彼らは、頭で理解していても本番で身体が動かなければ意味がない、ということも経験上、熟知している。

アスリートが普段から厳しい練習に励むのは、練習でできないことが本番でできるはずがないということをわかっているからだ。

練習でぎりぎりまで追い込む経験をしているからこそ、本番で「あと一歩」の頑張りができるのである。

同様に、ビジネスにおいても「頭で理解している」ことではなく、「その場で実際にできる」ことがやはり重要だ。

たとえばAppleの創業者・スティーブ・ジョブズは、若いエンジニアに対してしばしば「君たちは技術と文化を融合させるアーティストだ」と言っていた。

またジョブズは、「仕事はチームスポーツなんだ」とも言って、才能ある人材同士が手を携えることの大切さを説いていた。

そんなジョブズが最もビジネスの理想形として思い描いていたのがビートルズだ。

次のような言葉を残している。

「私のビジネスモデルはビートルズだ。

4人はともに自分のマイナス面をセーブし合っていた。

互いが互いを補っていたのだ。

4人がまとまることで、個々の力を足した以上の力を発揮することができた。

ビジネスの世界でも、偉業は個人によって成し遂げられるのではない。

チームがまとまることで達成されるものだ」ビジネスの成功を決定づけるのは、ペーパーテストの優等生の集団ではない。

個性溢れるアーティスト集団を1つのチームとしてまとめ上げ、総力を結集することのできるリーダーなのである。

信頼できる部下は「抜き打ちテスト」で見抜けエンジニアをアーティストと呼び、仕事はチームスポーツだと信じていたジョブズが滅茶苦茶厳しいリーダーであったことは周知の事実だ。

ジョブズとたまたま同じエレベーターに乗り合わせた社員がジョブズからの突然の質問にうまく答えることができず、エレベーターを降りる時にはクビを宣告されたという逸話も存在するほどである。

この逸話だけ見れば、あまりにシビアな暴君に映るかもしれない。

しかし、仮にその質問がジョブズによる「抜き打ちテスト」だと考えてみると、合点がいく。

リーダーは時に、唐突な抜き打ちテストでチームメンバーの能力や信用度を推し量るものである。

私がとある社長にはじめて出会った時の話である。

業界では、とても有名な方で、私もその社長が出した著書は何冊も読むくらい、尊敬している人だった。

その方から、私が以前に在籍していた企業のトップについて「田端君、彼の部下だったんだよな?」と聞かれた。

自分のかつての上司である。

当然のごとく「はい」と答えると、その社長はなんと、私の元上司のことを散々批判しまくり、「彼に、かくかくしかじか、こんな不義理をされたんだけど、君はどう思う?」と聞いてきた。

私はあまりのことに面食らってしまい、「そんなことがあったとは知りませんでした。

最近は私自身あまりご連絡を差し上げていませんが、部下として一緒に仕事をしていた時は、仕事がしやすい社長だったんですけどね。

人間、いろんな面もあるもんですね。

あはは」と返すのが精いっぱいだった。

その時のことは強烈に印象に残っていて、「どうして出合い頭に、あの社長は、あんなことを私に聞いてきたんだろう」とずっと考えていたが、ある日、はっと気がついた。

「あれは俺の人間性チェックだったんじゃないか」と思い至ったのだ。

あの時の私と同じような質問をされた人の中には、もともといた会社のことやトップについて、目の前の偉い人である、その社長の発言に、つい調子を合わせ

て悪く言ってしまう人もいるはずだ。

そのような人間を見て、彼はどう感じるだろうか。

「俺に媚びて、こいつは元上司を裏切るんだな」と受け取るのではないだろうか。

そして心中で密かに「こいつは信用するに値しない奴。

俺に媚びて元親分を裏切る人間なら、次は俺が裏切られるかもしれない」と烙印を押し、二度と自分から関わることはないかもしれない。

リーダーの抜き打ちテストにはそんな怖さもあるのだ。

私自身も、しばしば部下に対して抜き打ちテストをしていた。

ある会社の役員時代のこと。

夏休みで海外のビーチリゾートでプールサイドにいた。

「暇だな」と思ってスマホを開いたところ、業務連絡が頻繁に行われるLINEグループでの、若手社員間でのちょっとしたやり取りが目に入った。

お客さまに対しての対応方針を巡るやり取りだったが、その中に「えっ」と思うような言葉遣いがあった。

そこで、普段はまず会話に参加しないLINEグループにいきなり登場して、「今のその考え方はどうなの?」と問いかけた。

すると、途端に、頻繁に会話が飛び交う、LINEグループがシーンとなってしまった。

数分後、私をよく知る古参のマネージャーから「田端さんがああ言う気持ちもわかるし、たしかに正論です。

でも、現場の細かいことにいちいち口を出されると、若い社員が萎縮してしまいます。

今、私の目の前で、田端さんの指摘にどう答えるべきか?の会議が始まってますよ。

せっかくの夏休みなんですから、余計なことはせずに、おとなしく海を見ながらビールでも飲んでてください!」と1対1でのLINEメッセージが来た。

私は苦笑しつつ、「まあ、わかってくれればいいよ。

余計なお節介ですまんかった!」と答えて、そのやり取りはそこで終わったが、こうした抜き打ちテストに部下がどう反応するか、どんな受け答えをするかを見れば、その部下が本当に信頼に値する人間かどうかがよくわかる。

抜き打ちテストなんて、部下からしたら嫌で仕方ないものだ。

普段は清掃に気を配り、丁寧に掃除をしている飲食店で、たまたま本社から偉い上司が来た時にたまたまゴキブリが1匹出てしまえば、「普段は清潔に気をつけています」という言葉は途端に白々しくなってしまう。

普段はきちんとお客さまへお辞儀をして接客しているお店で、上司が来た時に限ってろくにお辞儀もせず、お客さまの悪口を店員同士でしているところを目撃されたら、「普段はちゃんとやっています」と言い訳をしたところで決して信用されることはない。

リーダーは部下の一挙手一投足すべてを管理監督する必要はないし、そもそも不可能だ。

しかし時には、こうした抜き打ちテストをすると、部下の力量や、信頼できるかどうかを、かなりの高い精度で見極めることができる。

そして、どのようなタイミングで現場に介入し、彼らのモラル、能力を判断するか?これは、上司としての長年の勘と経験に支えられた門外不出の秘伝のタレのようなものである。

POINT本当に信頼の置ける部下は、急な抜き打ちテストを行い、その場での反応を見て見極めろ。

ビジネスの有事には「役者」が必要リーダーの役目は部下に仕事を任せ、部下の力を引き出すことで目標達成することだが、それと同時に、目標未達の際、あるいは部下が何か問題を起こした際には、最終責任を負う覚悟も求められる。

私はある会社で執行役員・事業部長をしていた時、営業チームの予算が未達の時に、自分の側から減給を申し出た経験がある。

目標を達成するために、部下に厳しくプレッシャーをかける以上、まずはリーダーである自分自身が「身を切る覚悟」を示してはじめて、部下に真剣の本気度が伝わると考えたからだ。

上司たるもの、自らの「減給」ですら、社内にメッセージを伝えるための材料として利用すべきである。

リーダーとしての責任のとり方は、まずは、「これは私の責任です」と自分の口で言うことが第一のステップだ。

当然、部下が起こした問題が発覚するまで何も知らなかったということもある。

そうした時、本心では「俺は何も知らなかったし、俺に責任があるの?悪いのは部下でしょ?」と誰しも思うものだ。

もちろん私自身、これまでの経験を振り返り、自分の胸に手をあててよくよく考えても「俺個人はまったく悪くない」としか思えないこともあった。

しかし、リーダーというのは、その部門で起こったことに関しては、たとえ理不尽に感じるものであっても自分に全責任があると考えてしかるべきだ。

なぜなら、そうした厳しい状況を収めるためには、誰かが代表者として、けじめをつけなければならず、その役割を負うのがリーダーであるからだ。

対外的なお詫び訪問や記者会見なら、「俺の名演技を見ておけ」くらいの姿勢で堂々と謝ってこそ真のリーダーだ。

一例を挙げよう。

この数年、UberEatsの配達人が自転車で配達中に歩行者をはねてケガを負わせるといったニュースをよく耳にする。

UberEats側から言わせれば、配達人は個人事業主であり、会社には責任がないということで、UberEats側が謝罪をすることは一切ない。

これはたしかに法律論としては正しい。

しかし、普通の感覚として、UberEatsを代表した会社の人間が、菓子折りの1つでも持ってケガをした人を一度くらいはお見舞いに行くべきだろう、というのが大人の常識であり、誠意というものだ。

相手の心情に寄り添った対応をするだけで会社に対する世間の見方は大きく変わるし、ケガをした人の気持ちもずいぶんと救われることになるはずだ。

リーダーの謝罪も同様である。

チームメンバーが起こした問題についてまったくあずかり知らなかったとしても、「俺は関係ない」と言うことは許されない。

こうした状況下で「私の責任です」と公言し、頭を下げるという「名演技」ができてこそ、一流のリーダーだ。

「申し訳ありません」だけが謝罪じゃないただし、頭を下げるとか謝ることは必要でも、その場合の「言葉遣い」には細心の注意を払う必要がある。

たとえば、UberEatsの担当者がケガをした人のもとを訪ね、菓子折りなどを渡してお見舞いをするのはいいが、その際、「この度は大変申し訳ありませんでした。

今後につきましてはご意向に応じて、弊社として誠心誠意、最大限の対応をさせていただきます」とまで言ってしまうと、どうなるか。

場合によっては膨大な賠償金を求められるかもしれない。

かといって、「当社には何の責任もありません」と見舞いにすら行かないのは非常識である。

この場合は、お見舞いに行ったうえで、「この度は、お見舞い申し上げます。

本件に関して、事故に遭われて、お気の毒に思っております」と言うくらいが適切だろう。

「大変、申し訳ありませんでした」とまで言うのとは大きな違いがある。

こういう重大クレームの場面で、どの程度の対応が、ちょうど良いバランスなのか?の判断は場数が問われる。

リーダーは「名演技」だけでなく、「言うべきセリフ」の細部にまで心を配ることが重要だ。

たとえば選挙に立候補して落選した候補者がよく口にするセリフが「すべて私の不徳のいたすところでございます」だ。

本来、選挙の敗北は候補者1人に責任があるわけではない。

たくさんの支援者がいて、運動員がいて、支えてくれる政党などもあるだけに、たとえば政党のイメージが良くなかったとか、運動員が思うように動いてくれなかったなど、さまざまな理由があるはずだが、選挙結果が出た後に、そんなことを言ったところで何の意味もない。

誰も得をしないからだ。

だとすれば、関わってくれたすべての人への感謝の意味も込めて、「すべて私の不徳のいたすところでございます」の一言で「私の責任」を強調した方がいい。

そうすれば、周りも「君はよく頑張った、俺たちにももうちょっと、何かできることがあったかもしれないな」と慰めてくれるはずだ。

ある国会議員の秘書を務めた人曰く、支持者からの依頼は、結構ヤバめなものも含めて基本的にはすべて受けるという。

もしここで「そのようなものは受けられません」と正論を振りかざすと、途端に議員のイメージが悪くなってしまう。

だから、一旦は「わかりました」と受けて、実は何もしないでおく、という手法だ。

中には当然、支持者の要望がかなわないこともある。

そんな時には支持者を前に「今回は私の力不足でした。

ただひとえに私の責任でございます」と自分の責任を強調して伝える。

すると、最初は怒っていた支持者も後ろめたさがあるだけに、それ以上は言わなくなるという。

このように謝罪一つとってもいろんなやり方があるし、「申し訳ありませんでした」と言うだけが能じゃない。

その場その場に応じた適切な「言葉」の使い分けと、八方に目配りと気配りした演技力が重要だ。

負け戦の撤退戦、火消し役こそベテラン上司の真価が問われる場面なのだ。

ベテラン上司の諸君は、気が重いと嫌がらずに、「見せ場が来た!」と奮起してほしい。

POINTリーダーは最終責任を全うする時、発する言葉の端々にまで意識を向ける。

ハッタリも貫き通せば真実になるリーダーには危機に際して「どうすべきか」を冷静に判断する力も欠かせないが、とはいえいついかなる時にも冷静沈着である必要はない。

リーダーは時に「ハッタリをかます」くらいの演技ができてはじめてチームをまとめることができる。

私がリクルート時代、創刊に深く関わったフリーペーパー『R25』は首都圏全域に、買えば300円くらいする、内容が充実した週刊誌クオリティの紙メディアを、無料で60万部、週刊で配布しよう、というまったく新しい試みだけに、取締役会が創刊のゴーサインをなかなか出さずにいた。

刊行の条件として挙がったのが、『R25』すべての広告ページを取引先である広告代理店が1年間、買い切ってくれることだった。

1ページ100万円の広告費で、毎号20ページ、1号あたり約2000万円として、年間50号なら約10億円になる。

この保証がない限りゴーサインは出せない、というのが会社上層部の考えだった。

一方、取引先の広告代理店にしてみれば発行元のリクルートがリスクをとり、正式に創刊発刊することを決定してはじめて本格的な広告営業活動に入ることができる。

『R25』に企業が広告を出すか否かは、実際に営業活動をしてみないことにはわからない。

たしかに経営視点で考えると、ふたをあけてみないとどちらに転ぶかわからないような新規メディアに、年間約10億円もの買い切り保証など、簡単にできるはずもない。

自分たちに「保証しろ」という前にまずはリクルート自身がリスクをとれというのが広告代理店サイドの言い分だった。

このままでは『R25』を刊行できなくなってしまうという土壇場に立たされた時、助け舟を出してくれたのが田中耕介さんだった。

一体どうしたか。

なんと田中さんは、リクルートの経営陣と、広告代理店の双方に対して同時にハッタリをかますという、離れ業のような芸当をやってのけたのである。

広告代理店に訪問したうえで「今日の午前中の取締役会で創刊が決まったので、どうぞ安心して営業をしてください」と伝え、リクルートの取締役会では「広告代理店の営業担当は既に動いており、広告主の反応がすごくいいからと、先ほど、全ページを買い切りたいという連絡がありました。

だから創刊を決めましょう」と伝えたのである。

私は横で聞いていて正直、「そんなことを言って、本当に大丈夫なのか?」と不安になったし、同時にハッタリを堂々と言ってのける田中さんの態度に思わず吹き出しそうになったものだ。

会議の後、私が田中さんに「大丈夫なんですか?」と尋ねると、田中さんはこう言った。

「いざとなったら俺がクビになったらええねん。

田端。

お前までクビにはならんわ」この田中さんのハッタリがあったからこそ前代未聞のフリーマガジン『R25』は晴れて世に出ることができた。

別の時にも田中さんはハッタリで私を救ってくれたことがある。

社内の役員会向けの報告会議で、「この広告営業の進捗状況で、本当に成功するのか?」と私が厳しく詰められていた時、田中さんはこう言ってくれた。

「僕はリクルートに入社して営業人生17年、クオーターが68回ありましたが、62勝6敗と、勝率は9割を超えています。

そんな僕がついているんだから、田端は絶対大丈夫です。

皆さんは、僕のことを信じないんですか?」。

これまた強烈だ。

その場にいた役員の1人が「じゃあ、いいけど、田中、お前そこまで啖呵を切ったのをよく覚えておけよ」と言うほどの迫力あるハッタリだった。

この時も私が「あんなに大風呂敷を広げちゃって大丈夫なんですか?」と後で尋ねると、返ってきたのは「いざとなったら俺がクビになったらええ。

田端、お前は大丈夫だ」だった。

私自身、会社員人生を通じてこの田中さんの啖呵ほど、部下として、心が痺れた瞬間はなかった。

上司は普段は穏やかで冷静沈着であるべきだ。

しかし、困難な状況にぶつかった時に問われるのは人としての胆力の差ではないか。

胆力、気力、気迫のある上司ほどいざという時に頼りになる存在はない。

部下の心に火をつける「上司に必要な資質とは何か」を私に教えてくれたリクルート時代のもう1人の上司が峰岸真澄さんだ。

その後峰岸さんは、リクルートホールディングスの社長となり、会長となる。

現在のリクルートをつくった「中興の祖」とも言える伝説的な上司であり、経営者である。

峰岸さんは『R25』の創刊準備を進めていた際の担当常務だったが、峰岸さん自身は最初の頃はそれほど乗り気ではなかった。

それでも、「首都圏で無料の週刊誌を60万部もばらまく」ためには『R25』を置くために、他の事業部門が街中に持っているラックを利用させてもらうことが必要であり、その事業部の役員を説得するためには私たちも担当役員の峰岸さんの力を借りることが不可欠だった。

ところが、私たちの「ラックを貸してください」という依頼に対し、先方の役員は手にした『R25』を投げ捨てて、「こんなもの、うまくいくわけないだろう」と吐き捨てた。

理由はこうだ。

自分たちのラックは、営業社員ひとりひとりが靴底をすり減らして地道に開拓したものである。

そんな貴重なラックを「こんなうまくいくはずのない負け戦のために貸すわけにはいかない」というのである。

そこに僕の盟友であり、一緒に『R25』をやっていたチームメイトのKさんがこのように指摘した。

「お言葉ですが、そのラックを開拓するためにかかった社員の人件費や、ラックの置き場所の賃料は、会社の経費であって、あなたのポケットマネーじゃないですよね?リクルートの会社を代表して、取締役会が創刊を決議した事業に、なぜ、役員であるあなたは協力を拒むのですか?」まさに正論だった。

しかし、生意気な若者から正論を言われて、カチンときたのか、鬼の営業マネージャーで有名だったその役員は怒髪天を衝く勢いで激怒した。

その怒りたるやすごかった。

私自身これまでのビジネス人生を通じて、ここまで怒った人は見たことがないと言うほど、すさまじいものだった。

相手が烈火のごとくキレているあいだ、峰岸さんは一言も発することなく、ただ黙って聞いていた。

その帰り道のことである。

峰岸さんが急にこんなことを言い出した。

「お前ら、悔しくないのか?」私たちが「悔しいです。

だって全然理屈になってないじゃないですか」と答えると、こう言った。

「俺も悔しい。

この事業、絶対うまくいかせてやるぞ。

絶対だ」それまでは担当役員が峰岸さんと言われても、峰岸さん自身があまり乗り気ではなかっただけに、私たちも冷ややかに見ているところがあったが、この時の「滅茶苦茶理不尽に怒られる」という共通体験をしてはじめて、私たちは峰岸さんと心が1つになった気がした。

その日以来、それまでは週に1回だった進捗報告が、毎日、夕方には峰岸さんから私の携帯に電話がかかってくるようになった。

常務が自ら平社員に電話をかけて売り上げ状況を聞くなど考えられないことだったが、毎日、「今日はいくら広告が売れたんだ?」と受けながら、私自身峰岸さんの本気を感じることができた。

熱意は人から人に伝染する。

『R25』はもともと、私の無謀な熱狂から始まったプロジェクトだったが、それがみんなに伝わり、田中さんや峰岸さんといった上の人間の熱意と重なり合うことで本物の熱狂に変わることになった。

上司は万能である必要はないし、部下への指示についていつも解決策を持つ必要はない。

しかし、「ここぞ」という場面では強い決意と情熱を持って事にあたる必要がある。

そんな上司ならば部下は絶対に信頼するし、上司と一緒に難しい課題にも率先してあたる気概を持つようになるのだ。

POINT部下から絶対的な信頼を集めるには、重要な局面ではリスクをとって臨む姿勢を見せること。

いかに大勝ちさせるかが、腕の見せどころ上司の重大な役目に、「右か左かの判断がつかない状況下で、どの道を選ぶかを決める」というものがある。

一方の道を行けば絶対的な成功が約束されているとか、もう一方の道を行けば間違いなく失敗すると事前に見通しが立てば判断はたやすい。

しかし、ビジネスの世界では満場一致で「Yes」と言うような意思決定は、たいていの場合、既にタイミングが遅過ぎるのだ。

むしろ「Yes」と言う人よりも「No」と言う人が多いくらいの方が、大きな成功を手にできる確率が高いが、そこには少なからず失敗する可能性がつきまとうだけに、上司としてその道を選ぶにはかなりのリスクをとることになる。

結果として、世の中のほとんどの上司は負けるリスクを回避するために、無難な選択肢を選ぶことになる。

たしかに失敗はしないかもしれないが、得られるものは非常に少ない。

何が正解かが見えず、選択肢のいずれを選んでも失敗するリスクがつきまとう場合、一体、上司はどのような基準で判断すればいいのだろうか。

ここで参考になりそうなエピソードを紹介したい。

私がリクルートを辞めてライブドアに転職した2005年4月当時は、堀江貴文さんがまさに「時代の寵児」として脚光を浴びていた時だった。

しかし、そこから徐々に雲行きが怪しくなりはじめ、転職から1年も経たない2006年1月、堀江さんは逮捕されてしまった。

それまで堀江さんやライブドアを散々持ち上げてきたマスコミの論調も一斉に手のひらを返し、ライブドアはもはや「未来のない会社」という烙印を押されてしまった。

社員の退社も後をたたなかったが、私自身はなぜか、辞めようとは考えなかった。

逆に、「ライブドアが潰れかかった今の状況こそ、俺にとってはおいしいかも?」と考えたのだ。

その理由はこうである。

たとえこのまま会社が潰れて、取引先や株主から総スカンを食らっても、それは私の責任ではない。

堀江さんや、堀江さんを逮捕した東京地検特捜部には責任があるかもしれないが、田端信太郎という個人が責任を問われることはない。

せいぜいニートになるくらいのことである。

さらに、こうも考えた。

みんなが会社から逃げ出す中、自分だけが残って、その後会社を見事に立て直したとしたら──?周りの大企業の事例を見渡しても、危機に陥った子会社や事業部門を見事に立て直した立て役者が、その後、大いに出世した、ということもある。

勤め先企業が危機に陥っても逃げ出さず、困難に立ち向かった人は必ず高評価を得る。

「あのライブドアの再建に力を尽くした」という評価を得れば、私個人のキャリアの値打ちは一気に跳ね上がるだろう。

そう考えた私は、職を辞することなく、会社再建に身を投じようと決心したのだ。

ローリスク・ローリターンの打ち手を選んだところで、得られるものはほとんどない。

そんなのは誰でもできることだ。

やるならハイリスク・ハイリターンの勝負に出るべきと言うのは簡単だが、目の前にいくつかの選択肢があり、どれを選んでも何らかのリスクがある場合、いつも必ず百発百中で正しいジャッジができるということは絶対にない。

それでも「これを選べば面白いことになりそうだ」という勘が働いたら、そこで一気に賭け金を上げて勝負に出ればいい。

世の中には、よく考えてみると、ミドルリスク・ハイリターンのような話もあるものだ。

勝ち負け自体の勝率を上げるのは、現場のプレイヤーの仕事だが、賭け金をコントロールするのは、上司の仕事だ。

そして賭け金のコントロールさえうまくいけば、3勝7敗くらいの勝率でも、トータルの収支では勝ち越すこともできる。

自分の手持ちのカードを上手にやりくりしながら、ここぞ!という時に賭け金を吊り上げ、良いカードを切り、少ない勝利から取り分を最大にするのが上司の役割だ。

五分五分の勝負では、自分の胸に手をあてろもちろん中にはどんなに考えても、どちらが正解か判断できず、自分でもどちらを選べばいいかわからないという判断もある。

そんな時には「どっちが得か損か」ではなく「自分は誰のために、何のために、仕事をしているのか」を問うことが必要だ。

そして、さらに結果の評価は、歴史の審判が下すだろう、くらいにまで達観してしまえば怖いものはない。

京セラを創業し、その後、auのブランドで知られるKDDIの創業や、経営危機に陥った日本航空の再建などに辣腕を振るった稲盛和夫さんはこうしたリスクの高い難しい決断に際しては、毎晩ベッドに入る前に「動機善なりや、私心なかりしか(その動機は果たして、自分だけではなく他者にも受け入れられるものだろうか、自己中心的な考えで事を進めていないだろうか)」と心の中で何度も問いかけることで「自分は正しいことをやろうとしている」という確信が持てた時にはじめて決断した。

このように、難しい判断にあたっては稲盛さんが実践してきたような「自分自身を問う」姿勢が欠かせない。

また、判断には大局観も欠かせない。

幕末の江戸城無血開城を決断したのは勝海舟と西郷隆盛の2人だが、江戸を火の海にするのか、それとも潔く明け渡すのかというぎりぎりの選択を迫られる中、2人の中にあったのは「こんなことをしたらみんなから大バッシングを受ける」といった恐れや、「どっちが得か損か」といったつまらない計算ではなく、50年後、100年後の「歴史の法廷」に立つ覚悟だった。

文字通り大局観である。

同じ頃、越後・長岡藩の家老として財政の立て直しに辣腕を振るい、戊辰戦争ではガトリング砲を自ら操作して官軍と戦ったことで知られている河井継之助は次のような言葉を残している。

「地下百尺底の心をもって、事にあたる」、つまり、棺桶に入れられて地下深くに眠った後に振り返ったとしても、「良い」と言えるような行動をせよ、という意味だ。

河井の行動に関しては今もなお賛否両論あるが、少なくとも決断に際して河井は、自分が死んだ後のことまで考えて、それでもなお「良いことだ」という確信を持てるかどうかを判断基準としていた。

こうした河井のリーダーとしての肝の据わり方に惹かれる人は今も多い。

ビジネス上の決断においても、上司はこうした覚悟を持って臨む覚悟が必要だ。

難しい判断を迫られた時には、「自分は誰のために、何のために仕事をするべきなのか」という基準に照らして、「自分は最善を尽くした、決して恥ずかしい仕事をしたとは思わない」と言うぐらいの強い思いを持って判断すればそれでいい。

もちろんビジネスの世界は結果責任なので、結果として周りから批判されたり、「辞めろ」と言われたりするかもしれない。

そうした批判は甘んじて受ける。

ただし、自分としては決して間違ったことや、恥ずかしいことはしていないし、その時点では最善を尽くしたのだ、という自負心があれば、決して後から悔いることはないはずだ。

いつもリスクの低い無難な決断しかしないリーダーに大きな仕事を成し遂げることはできない。

リーダーは時にハイリスク・ハイリターンの勝負に出なければならないこともあるし、周りをすべて敵に回してでも決断しなければならない時もある。

そんな時、支えになるのが「自分は恥ずかしいことはしていないし、常に最善を尽くしている」という確固たる自信なのである。

「世の人は我を何とも言わば言え。

我が成す事は、我のみぞ知る」坂本龍馬の言葉である。

人を率いるリーダー、上司たるものかくあるべしだ。

POINT大勝ちできるかもしれない重要な局面では、賭け率を上げて勝負に打って出ろ。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次