1「集団で意思決定する」ことの危険性 ▼人は、サクラに流されやすい
社会心理学には、日本のビジネス界において重要なもう一つの側面がある。社会心理学は、個人が集団になったときに、どんな心理状態になり、それがどのように判断に影響を与えるかについても研究をしている、ということだ。
日本の企業では、一人のリーダーが全権を持ち、責任を持って意思決定をするよりも、取締役会を行って合議制で意思決定をしていくケースが少なくない。
会議の場では、結果的には社長の意見がそのまま通ることが多いかもしれないが、それでも、なぜか責任は取締役たちで分担されるような形態となっている。
「取締役会で、みんなで決めたんだから」「反対だったら、なぜ取締役会で反対しなかったのか」と言われてしまえば、取締役は責任を逃れようと思っても逃れられない。
昔から日本は、一人のリーダーが決めるような社会運営ではなく、みんなで話し合って(あるいは暗黙の了解で)決める集団的な社会運営が特徴とされている。
したがって、個人の判断力よりも、集団の場での判断力についてのダイナミズムを理解しておく必要がある。
社会心理学では、それらを実験によって研究する。だから、比較的実証された研究結果が多い。社会心理学の理論は、一般社会で十分に応用可能な再現性があると考えてもいいだろう。
たとえば、アッシュという人が研究をした有名な同調実験がある。
これは、線分を三つ描いておいて、そのうちどの線分が、もう一枚の紙に書かれた線分と同じ長さであるかを判断してもらう実験だ。
三つの線分の長さは、目の錯覚が起こることもあるが、よく見れば、誰でも正解を答えられるようになっている。この実験によると、一人一人に答えさせていくと、九五%以上の人が正解するそうである。
ところが、三人以上のサクラを交ぜておいた集団で、この線分を見てもらうと、正解率が違ってくる。
八人の被験者のうち七人が実はサクラなのだが、一人目、二人目が間違えてもその人は「バカな奴だ」という感じで笑っている。
だが、その後もサクラが続けて間違うと明らかに不安そうになり、自分の番(六番目)が来ると、三五%もの人が間違えてしまうのだ。
サクラを加えた実験では、個人で判断させる場合よりも、多くの人が判断を間違えてしまうという結果が出ているわけだ。これが「同調」という現象である。
誰かが強制力を働かせたようなシチュエーションではなく、自由に答えてもらっているだけなのに、他の人に意見を合わせようという心理が働いて、答えが同じになってくる。
つまり、みんなが賛成と言っている場では、賛成と言いやすく、反対とは言いにくい雰囲気になるし、みんなが反対と言っている場では賛成とは言いにくい雰囲気ができあがる。こうした雰囲気によって、判断が左右されてしまうのである。
個人個人が判断力を高めていくことは重要であるが、どれだけ個人が判断力を高めたとしても、無意識のうちに集団の雰囲気に流されてしまって、判断を誤ることがある。
日本のように集団の和を重視する社会では、特にこの実験以上にそのような現象が起こりやすいから、気をつけておかないといけない。
■こんな思考に要注意!「みんながいいと言うのだから、おそらくはいいものなのだろう」
▼リスキーシフトに気をつける
政府の審議会などでは、多くの人が意見を出し合うため、「結局は玉虫色の案になってしまった」というようなことがよく言われる。民間企業の社内の会議においても、議論百出で、妥協に妥協を重ねたようなプランとなってしまうことはよくある。これはこれで、常に新しい価値を生み出すことを求められる企業にとっては問題である。
しかし、大勢で合議すれば無難な意見にまとまるということ自体、必ずしも正しいわけではない。
社会心理学の中では、リスキーシフトという言葉が時々聞かれるが、これは大勢で議論をしたほうが、よりリスクの高い結論を導いてしまう可能性が高いという現象だ。
たとえば、対米開戦前の御前会議では、個々の参加者の中に、「アメリカと戦争をしたって勝てるわけがない」と思っていた人は少なくなかったらしい。
しかし、天皇陛下や他の人の前でそれを言うと、腰抜けだと思われてしまう。そんなことから、より向こう見ずな意見を述べてしまう傾向が出てきたそうだ。つまり、集団で合議をすることによって、対米開戦というリスクの高い結論を招いてしまったというわけだ。
社会心理学者の岡本浩一氏は、「ベンチャー企業からヘッドハンティングを受けた」というケースを仮定して行われた、ある実験結果を紹介している。
ヘッドハンティング先のベンチャー企業では、今もらっている年収の倍の報酬が出るとする。
この場合、そのベンチャー企業が来年倒産する確率が一〇%、三〇%、五〇%、七〇%、九〇%だとすると、倒産する確率がどのくらいだったら、その会社に行くのをやめますかということを判断してもらう実験である。
これを一人で判断してもらうと、一〇%とか三〇%を選ぶ人が多かった。だが、集団で話し合ってしまうと、よりリスクの高いほうを選ぶ傾向が出てくるそうだ。
「一生に一度のことなんだから、少しくらいリスクが高くても行かなきゃ」というような反応になるようである。このように集団合議のほうが、むしろ危なっかしい結論になるケースは少なくないのである。
その最も危険な例が、しばしば発生している集団リンチ事件だ。一対一のケンカであれば、相手を殺すまで殴りつけることはあまりないが、大勢でやると、歯止めがきかなくなってしまう。誰も止めることなく、どんどんエスカレートしていってしまう。結局、死者が出てしまうことも少なくない。
会社で売り上げ目標などを決めるときも、気をつけなければならない。
個人レベルでは、「売り上げ二〇%増なんて、無理に決まっている」と思っていても、営業の会議の場になると、勇ましいところを見せようとして「売り上げ二〇%増は必達目標だと思う」「いや三〇%増くらいを目指すべきだ」などと、より高い目標を言ってしまいがちだ。
それに責任が取れるのであればかまわないが、そうでなければ、単なるかけ声だけの絵に描いた餅で終わってしまいかねない。
仮に、売り上げ二五%増を前提にして、仕入れや設備投資などを計画してしまえば、実際には二五%増にはほど遠い結果となって、大きなリスクが跳ね返って来ることもあるだろう。
「時価総額世界一の企業を目指す」という目標を掲げた堀江氏率いるライブドアがその後どうなったかは、説明するまでもないだろう。
集団で判断を下すときには、リスキーシフトについて十分に考慮しておかないといけないのである。
▼集団的浅慮とは何か?
集団で物事を決めるときには、集団的浅慮という現象も起こりやすい。一人で物事を判断するときには、責任の所在がはっきりしているから、緻密に計算をして計画を立て、判断をしていくことになる。
ところが、大勢が集まると、責任が分散されるため、「自分がやらなくても誰かがやる」というような気持ちになり、いい加減な意見になりやすくなる。一人で判断をするときよりも、浅慮になるのだ。
集団的浅慮と似ているが、社会的手抜きという現象が起こることもある。
実験によれば、一人で拍手をさせた場合と、大勢で拍手をさせた場合では、大勢で拍手をしたときのほうが、一人一人の拍手のデシベルが低くなるそうだ。
近年の学校の現場では、日の丸・君が代問題がときどき議論される。
君が代の斉唱が愛国心を育てるという発想をする人もいるようだが、学校で一斉に君が代を歌わせようとするときに、実は、一人一人の声は小さくなってしまっているということにも、気を配る必要がある。
一人で歌わせれば、ある程度聞こえる声で歌うだろうが、集団で歌わせると、一人一人は小さな声でしか歌ってくれない。
このようなことを繰り返し行っても、果たして愛国心が醸成されるかどうかは疑問である。
君が代を大きな声で歌わせたいのであれば、サッカーなどのスポーツ競技をもっと強化して、オリンピックやワールドカップで君が代が流れたときに、感激していっしょになって大きな声で歌う場面を増やしていったほうがいいのではないかと思う。
資本主義国でも社会主義国でも、なぜあれほどオリンピックやサッカーに力を入れるのかと言えば、それらのスポーツを強くすることが国民の愛国心を自然に高めていくからではないかと考えられる。
つまり、一人一人が自主的に歌う場をつくりあげないと、集団的手抜き現象が起こり、愛国意識は高まらないということだ。
ビジネスの場合でもそうだ。たとえば、大事なプロジェクトだからといって必要以上の人員を動員したところで、人数分だけ仕事がはかどるとは限らない。
また、最近はあまり多くないかもしれないが、毎朝社歌を歌ったり、社訓を唱和させることで社内の一体感を高めようとする企業もある。だが、それを無理矢理やらせても愛社精神は生まれない。
社歌を歌わせたり社訓を大勢で唱和させたりして「わが社の社員はこんなに忠誠心が強いんだ」と思っているようなトップの企業は危険である。
一人ひとりの愛社精神は、そういったことをしない他の企業よりもよほど低いという可能性がある。もし本当に愛社精神溢れる会社を作りたいなら、自ら社歌を歌いたくなるような状況に持っていくことが必要なのである。
いずれの場合においても、集団になると、人は他人に依存する傾向が強くなって、手を抜くようになり、考え方の深さも減ってくるということだけは認識しておいたほうがいいだろう。
■こんな思考に要注意!「弊社は毎朝社歌を歌い、社訓を唱和している。社員は愛社精神に溢れている」
▼ブレーンストーミングは本当に有効か?
企業でアイデアを出すための手法として、「ブレーンストーミング」というものが行われることがある。
これは、どんな意見やアイデアであろうと批判をしてはならず、自由に考えを述べ合うという会議の手法で、思ってもみなかったような良い案が出てくることが期待されている。しかし、実はブレーンストーミングでは、あまり画期的な案は出ないと言われている。
これも、集団心理と絡んでいる。ブレーンストーミングのときには、ワイワイガヤガヤと自由にアイデアを出し合っているように見えて、実は、ある人の突出した意見にみんなが流されてしまう傾向があるからだ。
「あの人がおもしろいアイデアを出したから、それに負けないように自分も画期的なアイデアを出そう」という心理状態にはならず、おもしろい意見を出した人の案に引きずられて、ブレーンストーミングが進んでいってしまうのだ。
あるいは、まったく別の発想が逆に浮かびにくくなってしまう。
ブレーンストーミングでは、どんなに自由に話し合っても、みんなが画期的な案を出し合い、ブラッシュアップしていく場にはなりにくい。
また、ブレーンストーミングと言えども、集団の場であることは、よく認識しておく必要がある。集団になると、リードする人とリードされる人が生まれてくることが多い。
先ほど紹介した「集団的手抜き」によって「誰かがいい案を出すだろう」という依存的な発想も出てきやすい。
また、前述したように、誰かが「それ、おもしろいね」と言い、別の人も「それはいいね」という評価をすると、同調効果で、集団の意見に流されてしまう場合もある。
「みんなで知恵を絞ったから、斬新でおもしろい案になる」とは限らないのだ。
本当にアイデアを出し合うのであれば、事前に「ブレーンストーミングをするので、このテーマについて、思い切り斬新な案をなるべくたくさん考えてきてください」という宿題を出しておき、紙に書いてきてもらって、順番に発表していくほうがいい。
家でじっくりと考えてきてもらったほうが、他者の思考に引きずられてしまうことがないので、斬新な案が出てきやすい。そして、それらを一通り発表してもらったあとで話し合っていくというような形を取ることが望ましい。
ブレーンストーミングには、ブレーンストーミングのメリットがあるだろうが、それをやるのは集団であるから、集団心理がマイナス作用として働くこともありうる。
何事でも、集団の場においては、集団心理が働くということをよく理解しておいたほうがいい。
■こんな思考に要注意!「ブレーンストーミングをやれば、きっと斬新なアイデアが次々出てくるはずだ」
2集団凝集性――集団の「感情」が判断をゆがめる▼高い集団凝集性が閉鎖性を生む
集団の中には、仲間意識が非常に強いために、外部情報から隔絶されてしまう危険性を持った集団がある。
本来は、集団的凝集性が高いということは、一丸となって強いチームワークを発揮するための大切な要因だが、判断の際に全員一致の圧力が高まりすぎるために、一人ひとりの判断や情報収集に狂いが生じるのだ。
高い集団凝集性は、ベンチャー企業によく見られる現象である。創業時からみんなで苦労してきているので仲間意識が強い。
「俺たちは、貧しいころからあの狭い部屋でみんなでカップラーメンをすすって、頑張ってきたんだよな」という感覚はよいのだが、「俺たちみんな仲良しだ」「俺たちはみんな同じ意見さ」という気になりやすい。
こうして、集団凝集性が高まることで、外部の情報や外部の価値観を受け入れにくい集団となっていく危険性が高まる。こういう集団では、精神的閉鎖性がもたらされる。
外部からの批判に対しては、それが的を射た批判であっても、「批判するほうが間違っている」と考えがちになる。また、自分たちを正当化する意識が高まって、自己を過大評価するようになってくる。
ライブドアの場合がその典型例と言えるかもしれない。
自社の時価総額が高くなっていることで、自社の力を過大評価し、既存のテレビ局でも何でも買えると思い込んでしまったのだろうか。
それに加えて、精神的に閉鎖性を持ったベンチャー集団になってしまって、外部から批判を受けても、「俺たちのやっていることは、新しい時代に沿ったことなんだ。批判している人たちこそ、ネットのわからない古い時代の人たちだ。俺たちのほうが正しいことをしようとしているんだ」という価値観になっていたのではないかと思う。
だから、外部からバッシングの嵐にあっても、彼らは聞く耳を持たなかった。理不尽なバッシングもあったと思うが、中には、ライブドアのためになるようなアドバイスもあったはずだ。
集団凝集性が高い上に、精神的閉鎖性が強まると、耳の痛いアドバイスや情報を受け入れられなくなってしまう。
そんなことも原因となって、ホリエモンは、時代の寵児から、逮捕者に転落してしまったのではないだろうか。だが、これはホリエモンに限ったことではない。ベンチャー企業なら、どこでも似たような現象は起こりがちだ。
楽天がTBSとの経営統合問題で、うまい落としどころが見つからないのも、ベンチャー特有の高い集団凝集性に一因があるのではないかと考えられる。圧力をかけて無理に集団凝集性を高めようとすると、かえってメンバーの不満を強める危険もある。
ライブドア事件では、ホリエモン逮捕以後に出てきたさまざまな証言から、必ずしも結束力が強くなく、社員の不満も大きかったことが発覚する。
集団凝集性というのは、一丸となって物事を成し遂げる結束力や団結力となる反面、心理的な殻を作って固まってしまって、閉鎖性を持った状態につながることも知るべきだ。
▼国家が集団凝集性を持ったときの危険
ベンチャー企業の例を挙げたが、国家レベルでも高い集団凝集性による問題は起こりうる。戦前の日本も、集団凝集性の高い国家だったのではないだろうか。少なくとも、国民は一丸と信じ込んでいた。
英語は敵国語だということで使用が禁止されたが、それを国民は当然と受け止め、日常で外来語を使うことは仲間うちでは相当問題だったようだ。
さらに、精神的閉鎖性のため、国民は外国からの情報を知ることができず、また、知ろうともしなくなり、戦争しても勝てないということを理解できなかった。
一部の人は世界情勢を知っていたのだろうが、国民には知らされることなく、「団結すれば、日本は勝てる」と思い込み、戦争、そして敗戦へと進んでいってしまった。
今の北朝鮮にも同じようなことが言える。北朝鮮の国民は、世界情勢をどこまで知っているのだろうか。おそらく、本当のことはまったく知らされていないだろう。
極めて閉鎖性が強くなっており、北朝鮮の国民は、「わが国は強い。戦争をすれば勝てる」と本気で思い込んでいる可能性が高い。唯一の救いと言えるのは、北朝鮮が独裁国家であること。
そして、そのトップにいる金正日総書記は、世界情勢のことをある程度わかっているのではないかと想像されることだ。
戦争をすれば自分がイラクのフセイン元大統領のように殺される可能性が高いことを知っているはずなので、自分が死ぬことを恐れて、戦争が抑止されている可能性もある。
この場合、仮に北朝鮮が集団合議制になってしまったほうが、リスキーシフトや集団的浅慮が起こり、無謀な戦争に進んでしまう恐れがある。
感情的になった国民が政府の決定を支持してしまい、抑えることができる強力な独裁者はいないという状態ほど恐ろしいものはない。
国家指導者の判断は、多くの国民に多大な影響を与えるから、指導者たちには、本来、集団心理学的な問題をよく理解しておいてもらう必要があると思う。うまく利用できれば、集団心理学はよりよい政治をするための一つの道具となるはずだ。
▼国民が感情的になったとき、思わぬ方向に進む
感情がどのくらい判断をゆがめてしまうかということを、国家レベルの事例で考えてみよう。
アメリカで同時多発テロが起こった後、アメリカ国民はテロリストに対して、怒りを爆発させた。メディアもテロリストへの報復をみな支持していた。そして、アフガン戦争へと突き進んでいった。さらには、同時多発テロとは直接関係ないと見られていたイラクに対しても、戦争を仕掛けていった。
イラク戦争に関しては、当時から反対する人がいたようだし、今ではブッシュ政権を批判する人も少なくないようだが、しかし、その当時は米国民全体の中に「あの国も危ないことをしそうだから、叩いておいたほうがいい」という感情的な雰囲気がまだ残っていた。
その証拠として、イラク戦争に対しても、開戦当時は多くの米国民がある程度の支持をしていた。だが、現在は、冷静になった多くのアメリカ人が、イラク戦争への疑問を投げかけている。
冷静になって振り返ってみると、「怒り」という感情が国民を支配して、アフガン戦争、イラク戦争への流れを作ってしまったことに気づき、「私たちはあの時、感情的になっていたんだ」と客観的に判断をすることができるようになったからであろう。
だが、それにより失われた人命や経済的損失はもはや戻ってはこない。しかし、米国を笑うことはできない。わが国を振り返ってみても、そのような事例は枚挙にいとまがない。
盧溝橋事件の際に、石原莞爾らは戦費がかかりすぎることなどを理由に日中戦争回避を主張していたが、多くの国民の怒りのため、日中戦争にのめり込むきっかけとなってしまった。
そして最近も北朝鮮の拉致事件に関して、国民全体が怒りを感じ、感情的になった。対話と圧力のうち、圧力を支持する人が増え、制裁の強化が求められた。
共同歩調をとってくれていた米国は、イラク戦争の泥沼化で北東アジアには関心が回らず、北朝鮮との二国間交渉を進めてしまっている。
少なくとも、外国の対応が変わってきている中、落としどころを見失っている感が強い。どの国でも同じであるが、国民全体が怒りの雰囲気に包まれると、それによって「判断」が何らかの形で左右されてしまうという点は知っておいてもいいだろう。
▼企業活動も、感情が支配することが多い
企業は比較的、冷静な判断基準の下に業務を進めているように思えるが、実際には感情に左右されることも多い。特に、同業のライバル企業に対して遺恨を持ち、「あの会社にだけは負けるな」という指示が飛んでいるような企業も多いだろう。
たとえば、小説にもなった小田急と西武の箱根山戦争などのように、長く対立が続いた企業もある。
箱根を巡る観光客の奪い合いによる感情的な対立で、便利な共通乗車券などが発行されなかったりと、そのしわ寄せが顧客に及ぶことで明らかな不利益が出るにもかかわらず、長年対立をやめなかった。東武とJRも日光バトルを繰り広げたと言われている。
どの程度感情的なものが支配していたかは不明だが、総帥同士や現場社員の間では感情的になっていた人もいたかもしれない。
これらの感情を無視することで失敗する代表例が、企業同士の合併であろう。
あえて例を挙げるまでもなく、合併を発表してもすぐ白紙撤回したり、合併後にさまざまな問題を起こす企業は跡を絶たない。
もちろん、成功した企業も多いので一概には言えないが、ライバル会社同士の合併は規模を追求するという面で確かに有利に見えても、社員同士の「感情」を無視してしまっては、本来得られるべき効果は得られなくなってしまう。
昨今は単なる合併ではなく、敵対的買収が世間の話題に上ることも多いが、ドライな考え方をするアメリカ企業の場合でも、敵対的買収で成功した事例は非常に少ないそうだ。
まして、和を重んじる傾向のある日本においては、敵対的買収はなかなか成功しにくいようである。買収された側の社員に感情的な反発が強ければ、モチベーションは下がり、働いてもらえなくなってしまう。これでは、買収が成功したとはいえないだろう。
買収についての経営判断を下すときには、資本の論理や、財務数値だけでは、推し量れないものがある。
A社とB社の売り上げを足しても、「1+1=2」とはならずに、「1+1=1・5」となる場合もある。
人間社会では、感情が支配する部分もかなり大きなウェイトを占めているから、集団心理学的な要素も考慮して、経営判断を下す必要があるだろう。
■こんな思考に要注意!「あの会社だけには、何があっても絶対負けるな!」
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