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第3章……「清潔」へのこだわりには、落とし穴がある

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第3章……「清潔」へのこだわりには、落とし穴がある

【Q15】なぜ、全社一斉にワックスがけをしないのか?

武蔵野の床はピカピカです。どれくらいピカピカか。次の写真のような感じです。フローリングの床は、まるでボウリング場のレーンのようにツルツルです。

見学に来た社長が目を丸くして、尋ねます。「どこのワックスを使っているのですか」さぞかし特殊なワックスを使っているに違いない。

そう考えるのは、勘違いです。ではなぜ、ピカピカなのか。第1に、長年、蓄積してきたワックスがけの技術があるからです。第2に、仕組みです。

社員が、床がピカピカになるまで磨かずにいられなくなる仕組みをつくっている。

毎朝、床にワックスがけをします。ただし、全社員が一斉にワックスがけはしません。ここが重要なポイントです。

床にワックスがけをするのは、部署ごとに1日1人。しかも1日に磨くのは、新聞紙1枚分ほどの限られたスペースです。

社員総出で隅々まで磨けば会社中の床がきれいになるといった、単純な話ではないです。

私たちの会社では、全社員が毎朝30分、就業時間を使って環境整備に取り組みます。社員それぞれの作業内容は毎日違って、次ページ下の「作業分担表」にあります。

今日が「1月17日の火曜日」で、作業分担表を見ると、この日の「国松」さんは「トイレ」。トイレ掃除をします。

そして「元木」さんの欄を見ると、「WAX」。床にワックスがけをします。では、どこにワックスをかけるか。それを示すのが、次ページ上の「テリトリー地図」です。

何月何日に、誰がどこをワックスがけするかを、部署の床を新聞紙1枚分ほどの広さにブロック分けして、表示しています。

繰り返しますが、1日に磨くのは、わずか新聞紙1枚分です。だから、ツルツル、ピカピカになる。この意味が分かるでしょうか。

「今日はココだけ!」と区切って磨けば、ワックスをかけた「ココ」と、かけていない「隣」で、ピカピカ度がまったく違います。その違いは次の写真の通り、一目瞭然です。

1カ月前にワックスがけした左側はまた汚れて、磨きたての右側とは差があります。

そこで今日、汚れた側を磨く社員は「自分が今日、磨く床を、隣と同じくらいきれいに!」と頑張ります。社員のなかに競争心が芽生えます。

「なんと!元木さんが昨日、磨いたあの床は、とてつもなくきれいじゃないか。元木さんに負けるなんて、悔しい!今日は自分が、もっときれいに磨いてやる!」と、翌日のワックス担当の石井さんが奮起する。

こうやってモチベーションが上がるのも、作業分担表とテリトリー地図で、誰がいつ、どの床を磨いているかを「見える化」しているからです。

【A】テリトリーを区切るから、競争が生まれる

【Q16】なぜ、床が美しいことに価値があるのか?

社員が毎朝、掃除するのは、床だけではありません。窓ガラスや蛍光灯、椅子やパソコンも毎日、担当を決めて磨いています。

けれど、お客様が「きれいですね」と、驚かれるのは、圧倒的に床です。なぜなら、床に対して、多くの人は「多少、汚れているのが当たり前」という感覚を持っているからです。

普通は汚れている床が、ピカピカに磨き上げられている。そのギャップが、大きなインパクトを生みます。「きれいが普通」な場所がきれいでも、多くの人は気づきません。

「汚れているのが普通」な場所がきれいだと、みんなが気づきます。床が異常にきれいだと、お客様が驚いて、社員を褒めます。

褒められた社員はうれしくなって、やる気になります。こうして、さらに床がきれいになっていき、好循環が生まれます。一度、きれいになった場所は、きれいに保つのが人間の性です。

会社に土足で上がる人も、自宅は土足で上がりません。それは、自宅の床がきれいだからです。だから会社の床も、いったんきれいにしてしまえば、きれいに保つ意識が働きます。

今では、武蔵野の社員にとって、会社の床は「きれいが普通」です。だから、汚れていれば、みんなが気づき、磨き上げます。

【A】「汚いのが普通」の場所だから、インパクトが強い

【Q17】スリッパに履き替える会社の問題点は?

清潔は、究極的には気づきの問題です。

オフィスに入るとき、靴からスリッパに履き替える、いわゆる「二足履き」の会社が、よくあります。あれは清潔そうに見えて、実は不潔です。

靴で床に上がらないから、床がきれいと思っているが、同じスリッパを何年も使っているから、スリッパの裏が汚いです。

だから、床も汚れています。そんな単純なことにさえ、社長も社員も気づけない。

「二足履きにすれば、きれい」という、最初の思い込みにとらわれ、時間の経過とともに「汚くなった」事実に、気づけない。

こういう感性の鈍い人は、お客様の変化に、気づけません。

私は、環境整備点検(第8章で詳述)で、床にゴミ1つ、髪の毛1本、落ちているのを見つけると、その部署に「×」をつけます。

「ゴミが落ちていた」から、「×」ではありません。「ゴミが落ちていたのに気づかなかった」から、「×」です。

会社にゴミが落ちているのには、2つのパターンが考えられます。

第1に、ゴミが落ちていて、社員が「気づいていた」のに、ゴミを拾わなかったパターン。人間はものぐさな生きもので、これはある意味、自然なことです。社員を叱るほどの話ではありません。

そういう社員に、嫌々ながらでも強制的に「ゴミを拾わせる」仕組みをつくるのが、社長と幹部の仕事です。

第2に、社員がそもそも、ゴミが落ちているのに「気づかなかった」パターンがあり、こちらは大問題です。

ゴミの存在に気づけない社員にゴミを拾わせるのは、どんなに仕組みを整えても至難の業です。

床に落ちているゴミに気づけないのは感性の問題で、スリッパの底の汚れに気づけないのと同じです。

こういう人は、仕事も遊びも、あらゆる面で気づきの能力が低く、お客様の望むことにも気づけません。そんな社員ばかりの会社は成長しません。

社員の気づきの力を、教育の力で高めなければなりません。だから、私は毎朝、社員に新聞紙1枚分のワックスがけを課します。きれいな床と汚れた床の違いを、自分の目で確かめる。

汚れた床が、きれいに変わっていく様子を、目の当たりにする。その繰り返しのなかで、社員の気づきの力は確実に高まっていきます。

【A】スリッパの裏の汚れに、気づいていない

【Q18】掃除に力を入れすぎることの問題点は?

掃除を通じた人材教育に力を入れる社長は多く、私もその一人です。しかし、そこには落とし穴もあります。

掃除は、環境整備の1項目です。

環境整備は、「整理、整頓、清潔、礼儀、規律」の5項目から成りますが、掃除は、そのうちの「清潔」を推進する活動です。

しかし、「清潔」は、基準が曖昧な概念です。掃除をした結果、どのレベルの清潔が実現すれば十分かを評価するのが難しい。

2人の社員が掃除をして、同じ程度の「清潔」になっても、ある上司は「よくやった」と褒めるのに対して、別の上司は「まだまだダメだ」と叱る。そんな事態に陥りやすい。それでは社員のモチベーションは下がります。

だから我が社は、多くの経営判断を幹部に委ねる今でも、環境整備点検で「床がきれいか」をチェックするのは、社長の私がやっています。

幹部の採点では、現場が納得しません。それくらい、清潔のジャッジは難しい。それに比べると「整頓」は、基準が明確で、分かりやすい概念です。

モノが決まった場所に、決まった方法で置かれているかは、誰が見ても、客観的で明らかです。

次の写真のように、ハンガーを「1、2、3、4……」と順番に並べるのを、「6、1、2、3……」にしていたら、ダメ。

そんなことは、小学生でもジャッジできます。はすなわち、初心者でも取り組めることを意味します。

つまり、清潔のほうが、整頓よりもずっと高い力量が要求されます。だから、環境整備に力を入れるなら、まず整頓からです。

整頓がある程度できたら、次は整理です。清潔は「さらにその後」の順番が正しい。

学校のカリキュラムを思い出せば分かるでしょう。1ケタの足し算のできない子供に、いきなり2ケタの掛け算をやらせて、学力が上がるでしょうか。

整頓ができない社員に、掃除をさせるのは、それと同じくらい愚かなことです。

【A】いきなりレベルの高いことを求めすぎている

【Q19】なぜトイレ掃除が、若者の心をほぐすのか?

我が社は、内定者研修で必ず、トイレ掃除をさせます。できるだけ汚れた公共トイレを探して、便器から床までくまなく掃除します。かつてはスポンジは使っても手袋は使わず、全員が素手でした。今は抵抗を示す親御さんがいて、手袋を使う人も多くいます。

当の内定者はといえば、最初は怖がっていても、先輩の指導を受けながら、内定者仲間とトイレ掃除に取り組むうち、便器がどんどんきれいになり、楽しくなってきます。

最後は、弾けるような笑顔で終えます(こちらを参照)。

なぜでしょうか。ここに人間の心理の妙があります。目は怖がるけれど、手は怖がらない。目は臆病だけど、手には勇気がある。

私たちは、トイレ掃除に臨む内定者にいつもこう説明します。人間の嫌悪感や恐怖感は、目から入った情報を基に脳で生まれます。

一方、人間の手足は、脳や目が感じるほど、嫌悪や恐怖を感じません。真っ暗な場所に迷い込んだときのことを思い出してみてください。お化け屋敷を想像していただければいいでしょう。目から見える景色に、脳は最初、激しい恐怖を感じます。

しかし、どんなに怖くても、手探りで状況を探ることはできます。何かに手が触れたら、それを手掛かりに、そろそろと足を動かし、歩き出します。脱出の突破口は、そこから開けます。

ここから分かるのは、何か困難な状況に直面したとき、最初に目や頭に頼ってはいけないことです。まずは何も考えずに手足を動かし、体を動かす。

目に見える景色におびえ、頭で考えてじっとしていたら、何の解決策も生まれません。

「考より行」です。

この真理を若者に教えるのに、一番いいのがトイレ掃除です。便器のなかに手を突っ込むトイレ掃除を、最初は誰でも尻込みします。

けれど、先輩たちが「目は怖がりだけど、手は勇気がある」としつこく言うので、思い切って手を突っ込み、便器を磨いてみる。

すると、みるみるきれいになっていく。こうなると俄然、面白くなってきます。人間とは、自分のしたことの結果が目に見えて分かると、やりがいを感じます。

そのうち、便器が自分の顔が映るくらい、ピカピカになります。最初は手で触れるのも嫌だった便器が、最後はキスしたいくらいにきれいになる。

こんな奇跡が数十分のうちに体験できるから、誰もが夢中になります。

胸がワクワクする面白い体験は、小さなストレスを乗り越えた先にしかありません。

子供にとって勉強はストレスですが、理解できれば、学びの深い喜びがあります。新入社員に営業はストレスですが、初めて売れたときは大きな達成感があります。

好きな異性に告白するときは逡巡しますが、思い切ってぶつかりデートにこぎつけたら、天にも昇るような心地です。

そして、トイレ掃除の喜びは、最初に勇気を振り絞って「便器に手を突っ込む」という、小さなストレスを乗り越えた先にしかありません。

社会人になったばかりの人は、例外なく、根拠のない自信を抱いているものです。私たちが過去に実施した内定者アンケートからも明らかです。

なぜなら、学生は頭で考える経験ばかりが豊富で、実際に行動した経験が乏しい。だから、「自分は仕事ができる」と思って入社します。

しかし、いざ仕事をしてみると、「自分は全然できない」という事実に直面します。打ちひしがれて、「もう嫌だ」と、逃げ出そうとする若者もいます。

けれど、「そこで逃げたら、仕事の本当の醍醐味は、いつまでたっても味わえないよ」と、教えてあげなければなりません。

そんな真理を、実体験を通じて伝える手段が、トイレ掃除であり、日々の環境整備です。

【A】目は怖がりだが、手には勇気がある

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