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第3章 人生哲学における自己分析

第3章人生哲学における自己分析

哲学研究室文学部A「自分とは何か」という質問があるんですが、よろしいでしょうか?科学哲学者ああ、ソクラテスね。

勉強熱心なのはいいが、今週の授業で古代ギリシャ哲学に入ったばかりじゃないか!来週がヘラクレイトスとパルメニデスだから、ソクラテスについては再来週の授業で詳しく話すつもりだよ。

質問があったら、その後に来なさい。

医学部E授業の話ではなくて、僕らは「自己分析」に関する哲学的見解を教えていただきたいんです。

文学部A私たち、就職活動を始めた三年生で、学生相談室の心理カウンセラーから先生のことを紹介されてきました。

すごい哲学者だから、大学に在籍している間に、一度は訪ねてみなさいって言われて……。

科学哲学者なんだ、君たちは「哲学概論」の受講生じゃないのか。

それで、何を質問したいんだって?経済学部C「自分とは何か」です!科学哲学者「自分とは何か」?それは、自分で考えるしかないだろう。

君の内面は、君しか知らないんだから、君が自分で考えなさい!経済学部Cいえいえ、私は先生に「私とは何か」を聞いているんじゃなくて、「自分とは何か」について質問しているんですけど……。

科学哲学者私に「自分とは何か」を聞いているのかね?とすると、私は「私とは何か」を君に答えるべきだということになるが?経済学部C違います!私が聞いているのは、一般的に「自分とは何か」という質問に対して……。

科学哲学者「一般的」に?そもそも「自分とは何か」という問題を「一般的」に考えることができると思うかね?文学部A先生がおっしゃっているのは、「自分とは何か」という質問は個人のプライベートな領域に踏み込むので、「一般的」に考えることはできないということですか?科学哲学者できないと考えている哲学者もいるし、できると答える哲学者もいるだろう。

いずれにしても、そもそも問題が成立するのかどうかから検討するのが哲学の基本だからね。

今の話から、私の友人の論理学者が作ったジョークを思い出したよ。

これは「私しか存在しない」と主張する「唯我論者」の話だ(32)。

唯我論者唯我論者が言った。

「私しか存在しない。

」「そうだ。

」と私は答えた。

「私しか存在しない。

」「違う、違う!」と彼は言った。

「私は、私しか存在しない、と言っているんだ。

」「それは私が言っていることだよ。

私しか存在しない。

」「違う、違う、違う!」と彼は興奮して叫んだ。

「存在しているのは、君じゃなくて私だ!」「そのとおり。

」私は繰り返した。

「存在しているのは、君じゃなくて私だ。

完全に意見が合いますね!」この時点で、彼は完全に混乱したようだ。

医学部Eあははは、おもしろいジョークですね!でも、冗談ではなくて、僕は本当に「唯我論者」かもしれません。

この世界を認識しているのは僕だから、もし僕が死んだら、世界も同時に消滅するという感覚が幼い頃からあるんですよ。

経済学部CもしE君が死んだとしたら、私は悲しむだろうけど、その悲しんでいる私は、明らかに存在していると思いますけど?医学部Eその君が死んでも、世界は普通に存在すると思う?経済学部Cもちろん、存在するでしょう。

毎日、世界中でたくさんの人々が亡くなっているけど、世界は普通に存在しているじゃない。

私が死んでも、この世界は存在して、他の人たちも普通に生きているに決まっているわ!医学部Eそう「決まっている」と言い切れればいいんだけど……。

僕は、君みたいに自分を客観視できないのかもしれない。

自分が死ぬのは、他人が死ぬのとは、根本的に次元の違う話だと思う。

科学哲学者あははは、なかなかおもしろい哲学論争じゃないか!理学部D先生、僕は、就職活動のために「自己分析ツール」を使って、いろいろな自己分析をやってみたんですが、やればやるほど、「本当の自分」とは何かが見えなくなってきて、困っているんですよ。

科学哲学者「本当の自分」?そもそも君は、「本当の自分」が存在すると思うかね?理学部Dうまく言えないんですが、僕は、何らかの「本当の自分」が存在すると思っています。

ただ、それがハッキリ見えてこないので、進路を決められないんです。

科学哲学者進路というのは?理学部D具体的に言うと、僕は太陽の黒点を研究していて、宇宙物理学専攻の大学院に進学したい気持ちがあります。

ただ、その先、専門研究者になれるかどうかが不安です。

仮に博士課程まで修了できたとしても、宇宙関係の研究機関や教育機関の就職先は、ものすごく狭い範囲に限られていますから。

それで、学部の新卒採用で就職しておく方がいい気がして、就職セミナーに参加してみました。

就職活動は、三年次の秋から四年次の春にかけてなので、仮にメーカーの研究職で内定を得たとして、四年次の夏から秋にかけて大学院入試を受ければ、時期的には両方を目指すことができます。

しかし、就職活動に専念すると説明会や面接で大幅に時間を取られるので、授業や卒業研究が疎かになってしまいます。

大学院入試では、学部の成績や卒業研究の成果も問われるし、専門学科試験の準備もしなければなりません。

下手をして就活と院試のどちらも中途半端になると、「二兎を追う者は一兎をも得ず」になる可能性もあります。

それで、悩んでいるんです。

科学哲学者つまり、君は「自分とは何か」という質問から出発して、「いかに生きるべきか」という疑問に至ったというわけだ。

そういう人生の疑問にぶつかって考えているということ自体、実は、すばらしいことなんだよ!結論から先に言うと、その問題に答えを出すことができるのは「自分」だけ。

つまり、君がどの進路を選択するか、君自身が考え抜いて判断するしかない。

私にできることは、過去の哲学者の見解からヒントを出すことぐらいだが、聞いてみたいかね?

一同よろしくお願いします。

ソクラテス科学哲学者古代ギリシャの首都アテナイに、紀元前四七〇年に生まれたソクラテスという男がいた。

彼こそが、おそらく人類史上最初に、「自分とは何か」という問題について徹底的に考え抜いた人間といえるだろう。

彼は、陽気で、機知に富んで、聡明な人物だった。

いつでも人をからかっているように見えて、強引で頑固な一面もあったがね。

君たちの親戚の中にも、そういう叔父さんが一人くらいいるだろう?法学部B「僕の叔父さん」といえば、「フーテンの寅さん」を思い出しますね。

経済学部C「フーテンの寅さん」って、誰?法学部B知らないの?日本映画の代表的登場人物。

バナナの叩き売りのような「テキヤ商売」をしながら日本全国各地を旅して、行く先々で恋に堕ちるんだけど、必ずフラれる男のこと(33)。

科学哲学者世の中には、いろいろな人間がいるものだが、ソクラテスが他の誰と比べても異質だったのは、質問することだった。

ソクラテスは、誰と会っても、常に質問した。

政治家と会えば「国家とは何か」、法律家と会えば「正義とは何か」と尋ねる。

当時のギリシャには「ソフィスト」と呼ばれる弁論術や教育学の専門教師がいたが、ソクラテスは彼らにも果敢に議論を挑んだ。

若者には「人生で何をするつもりか」と問いかけ、「饗宴」の席では「愛とは何か」を語り合う。

人々は、ソクラテスと会話をしているうちに、いつの間にか「人生に意味はあるのか」とか「いかに生きるべきか」といった「人生哲学」にかかわる深い議論に引き込まれていることに気付く。

話題を変えようとしたり、冗談で話を逸らそうとしても、ソクラテスは相手を掴んで離さずに、さらに別の質問を投げかけてくる。

経済学部Cちょっとシツコクないですか?科学哲学者シツコイよ。

彼は、ものすごくシツコイ人間だった。

しかも彼は、そのことを自覚していた。

ソクラテスは、自分のことを「アブ」と呼んでいたくらいだからね。

経済学部Cブンブン飛び回る虫の「アブ」のこと?科学哲学者その「アブ」だ。

彼は、ごく普通に生活している人間からすれば、実に腹立たしい厄介な昆虫のような存在だった。

しかし、知的好奇心旺盛な若者たちは、ソクラテスの議論を側で聞いているうちに、彼がすべての質問を彼自身にも厳しく問いかけ、他の誰よりも深く考え抜いていることに気付いた。

ソクラテスの「問答」は、相手をやり込めることではなく、純粋に議論によって「真実」に到達することが目的だった。

それを知った若者たちは、ソクラテスを尊敬するようになり、やがて何人かは弟子になった。

プラトンの対話篇医学部Eソクラテスの「問答」は有名ですが、具体的にどのように対話をしていたんですか?科学哲学者ソクラテス自身は、何も書き残していないが、紀元前四二七年に生まれた彼の弟子プラトンが、数多くの「対話篇」を執筆している。

他にも、弟子のクセノフォンや風刺詩人のアリストファネスが彼について書き残しているから、ソクラテスの「問答」がどのようなものだったかについては、かなり詳しくわかっている(34)。

たとえばプラトンの『ラケス』という作品を考えてみよう(35)。

ソクラテスが、当時のアテナイを代表する将軍だったラケスに「勇気とは何か」を尋ねる。

ラケスは、「最前線で敵から逃げずに戦う軍人に勇気がある」ことから「勇気とは忍耐強さである」と主張する。

ソクラテスが「すべての忍耐強さ」が「勇気」に直結するのかと質問すると、ラケスは「思慮深い忍耐強さ」こそが「勇気」だと答える。

しかし、利益を得るために、思慮深く忍耐強く投資する資産家に「勇気」があるとは言わないことを指摘されて、ラケスはその主張を撤回する。

次にソクラテスは、「有利な情勢で忍耐強く戦う者」と「不利な情勢で忍耐強く戦う者」を比較して、どちらに「勇気」があるかと問う。

ラケスは後者の方に「勇気」があると答える。

しかし、「不利な情勢」に陥った原因は「思慮深くない」判断にあったかもしれない。

そこで「思慮深くない忍耐強さ」を「勇気」と呼ぶのも適切ではないことにラケスは同意する。

結果的に、「勇気」とは「思慮深い忍耐強さ」ではなく「思慮深くない忍耐強さ」でもなくなり、「勇気とは忍耐強さである」というラケスの最初の主張そのものが崩れてしまう。

実直な将軍ラケスは、「勇気のことは十分知っていたはずなのに、今ではわからなくなってしまった」と告白する。

ソクラテスは「それでは、もっと考えてみようではないか」と励ます。

これがソクラテスの「問答」に見られる多くのパターンだ。

医学部Eあくまで理詰めで、具体的な反例を挙げながら追及するんですね。

相手の返答も先に読んで追い詰めているとしたら、まるで将棋を指しているような感覚なんだな……。

経済学部C私は好きになれませんね。

というか、近付きたくない人だわ。

科学哲学者ソクラテスが得意にしていたのが、今話したような「論駁法」と呼ばれる方法でね。

彼が「Aとは何ですか」と問いかけると、相手は「AとはBです」のように答えるのが普通だ。

日常会話ならば誰もそれ以上は追及しないが、ソクラテスは「BとはCですか」と問う。

相手が同意すると「CとはDですか」と問いかけ、相手が同意すると「DとはEですか」と問う。

相手が同意すると「しかし、EはAと矛盾しているではないですか」と指摘する。

法学部Bそこで相手は、訳がわからなくなるわけですね。

科学哲学者その「訳がわからない」議論が行き詰まった状態のことを古代ギリシャ語では「アポリア」と呼ぶんだが、ソクラテスは「問答」を繰り返しながら、相手を「アポリア」に導くのが非常に得意だった。

法学部Bそれまで自分が受け入れて、当然だと思っていた知識が打ち壊されるわけだから、嫌がる人もいたんじゃないかな。

科学哲学者ソクラテスを忌み嫌った人間は、数多く存在した。

ソクラテスが「若者を堕落させた」とか「神々を侮辱した」など、ほとんど捏造に近い罪状で訴えられたのも、彼を排斥したい人々がいたためだ。

当時のアテナイの裁判は民主制で、五〇〇人の市民裁判官が投票で判決をくだした。

まず、ソクラテスが「有罪か無罪か」の投票では、二八〇対二二〇で有罪となった。

三〇人が意見を変えれば無罪になる僅差だから、ソクラテスが「今後は言動に注意します」とでも反省しておけば、罰金刑で済んだはずだ。

ところが彼は、自分は完全に「善人」であり、もしアテナイから追放されても「問答」をやめる気はないという挑発的な「弁論」を行った。

そのため、多くの市民裁判官の反感を買い、「死刑か否か」の投票では、三六〇対一四〇の大差で死刑判決がくだされてしまった(36)。

経済学部Cちょっと、信じられない人……。

科学哲学者プラトンの『メノン』という作品では、貴族の息子メノンが、ソクラテスの「問答」で「頭も口もしびれて、何を答えたらよいのか、さっぱりわからない」状態にさせられる(37)。

それで彼が怒って、「あなたという人は、顔形からどこから見ても、海にいるシビレエイにそっくりだ」とソクラテスに言う場面が出てくる。

理学部D「シビレエイ」だったら、水族館で見たことがあります。

普通のエイよりも泳ぐ速度はのろいのに、体内に発電器官があって、近付いてくる魚を電気ショックで麻痺させて、ゆっくり食べるんですよ。

経済学部Cソクラテスの顔は、本当に「シビレエイ」に似ていたんですか?科学哲学者メノンは議論で感電させられたから、彼の顔形まで「シビレエイ」に見えたのかもしれないが、いくら何でもそれは言い過ぎだろう。

しかし、ソクラテスが「醜男」だったという記録は、多く残されている。

彼は、ギョロ目で鼻が上を向いて鼻孔が広がり、頭髪は禿げ上がり、背が低くて、首は太く、丸々と太って、太鼓腹だったそうだ。

法学部Bネットで検索したら、ルーブル美術館にソクラテスとプラトンの肖像がありますね。

写真で比較すると、たしかにソクラテスは、頑固で面倒くさそうな顔……。

プラトンの方が、圧倒的にハンサムに作られている。

汝自身を知れ科学哲学者現在のギリシャの首都アテネから一二〇キロほど西北に行くと、「デルフォイ」という都市国家の古代遺跡がある。

世界遺産にもなっている美しい場所だから、君たちも機会があったら行ってみるといいだろう。

古代ギリシャ時代、デルフォイは「世界の中心」とみなされ、アポロンの神殿があった。

ソクラテスは、その神殿の入り口に書かれていた「汝自身を知れ」という格言を人生の目的にして、日々「自分とは何か」を考えていた。

彼が、当時は最高の賢者とみなされていたソフィストや法律学者、あるいは世俗的な成功を収めた政治家や職人らと「問答」を繰り返してわかったことは、いかに人々が「本当に知っていること」が少ないかという驚愕の事実だった。

専門分野に関する知識についても、「いかに生きるべきか」という人生哲学の問題についても、彼らは、本当は何も知らないばかりか、それらについて深く考えようとさえしない。

ただ、当時受け入れられていた知識や常識を並べて、知ったつもりになっているだけだった。

法学部B要するに、賢者と呼ばれる人々が「知ったかぶり」ばかりだったということですね。

その話は、現代でも通用するんじゃないかな。

SNSを見ても、わかったようなことを発言する知識人は多いけれども、僕のような学生から見てさえ、「本当」にわかっている人は非常に少ないと思う。

テレビに登場するコメンテーターやお笑い芸人などを見ても、すごく薄っぺらで浅はかな人間が多いですね。

理学部D専門分野だって「本当」にわかっていることは少ないよ。

宇宙についてだって、これまで電波望遠鏡や人工衛星を使って膨大な研究がなされてきたにもかかわらず、人類が解明しているのは全体のたった五パーセント。

残りの九五パーセントを占める「ダーク・マター」や「ダーク・エネルギー」については、いまだにまったく解明されていないからね。

しかも、自然科学の世界では、何か新たな発見があれば、同時に新たな謎が生じるケースばかりだから、人類の知的探求に終わりはない。

だからこそ、研究がおもしろいんだけどね。

科学哲学者君たちは、なかなかの見識を持っているじゃないか。

大学三年生で、社会や学問についてそこまで見渡せているなら、立派なものだよ。

さて、ソクラテスを尊敬する弟子のカイレフォンが、デルフォイの神殿に「ソクラテスより賢い人間はいるか」という問いを立てた。

神がかりになった巫女が告げたのは、なんと「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託だった。

この神託を聞いたソクラテスは、大いに驚いた。

彼は、自分が「賢い」などとは思っていなかったからこそ、懸命に「問答」を繰り返してきたわけだからね。

しかし、「問答」の結果わかったのは、さきほども言ったように、最高の賢者と呼ばれる人々が、物事について「知っていると思っている」だけで、真に「知っている」人は一人もいないということだった。

そこでソクラテスは、少なくとも自分は自分が「無知」だと知っているからこそ、その点だけでは、わずかながらに自分の方がそれらの人々よりも賢いというお告げだろうと考えるようになった。

これが「無知の知」ということだ。

文学部A「無知の知」という言葉は知っていましたが、今の先生のお話を伺って、ようやく何を意味するのか納得できました。

「私とは何か」という問いに対するソクラテスの答えが、「私は無知である」ということだったわけですね。

たしかにソクラテスが自分の「無知」を自覚したことは、謙虚な発見だと思います。

でも、以前から不思議なことなんですが、それが「哲学の祖」と呼ばれるほど偉大な発見なのでしょうか?

魂論科学哲学者いやいや、とんでもない。

「無知の知」というのは、ソクラテスの思考の出発点にすぎない。

彼は、そこから「自分とは何か」という疑問を追求するために無数の「問答」を繰り返し、考えに考え抜いた結果、ついに「私とは魂である」という結論を導いた。

この「魂論」こそが、良い意味でも悪い意味でも、彼が後世に与えた最も大きな影響だと私は考えている。

文学部A「魂」というのは、「霊魂」の「魂」のことですか?科学哲学者古代ギリシャ語では「プシュケー」と呼んでいるが、日本語の感覚で一番近いのは「魂」という言葉だろう。

ソクラテスによれば、この「魂」こそが「本当の私」だということになる。

この「魂」という概念自体は、遥か昔から存在していた。

たとえば、ソクラテスから三〇〇〇年以上遡る紀元前三五世紀から、古代エジプト人は、人間の死後にも「霊魂」が存在すると信じていた。

エジプト神話では、殺害された「豊穣の神」オシリスが蘇って「冥界の神」になる。

だから古代エジプト人は、身体を保存しなければならないと考えて、死体を「ミイラ」にして大切に埋葬したわけだ。

紀元前八世紀に古代ギリシャの詩人ホメロスの書いた英雄叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』には、「不死の神々」と同時に、死後の人間の「幽霊」が登場する。

このことから、ソクラテスの祖先も「霊魂」の存在を信じていたことがわかる。

ただし、古代エジプトの神話や古代ギリシャの詩に描かれた「霊魂」は、どれも生きた人間の「影」のような、非常に弱々しく、いわば感傷的な存在にすぎなかった。

文学部A日本文学に描かれている「幽霊」も、どちらかというと「影」のような存在ですから、似ていますね。

平家の落武者の幽霊のように壇ノ浦で非業の死を遂げたとか、江戸時代の「四谷怪談」のように、この世に執着を残したまま死んだ者の霊なので、真摯に供養すれば消えてしまう「儚い存在」として描かれることが多いです。

科学哲学者ところが、ソクラテスが発見したという「魂」は、生き生きとした「確固たる不滅」の概念だ。

ソクラテスの「魂」は、身体から分離できるばかりか、死後も存在し続ける。

さらに彼は、「魂」は身体が生まれる前から存在したことも明らかだと信じていた。

医学部Eどうして明らかだと信じたんですか?科学哲学者なぜなら、ソクラテスによれば、人間は生まれてから一度も経験したことがないにもかかわらず、知っていることがあるからだ。

彼は、それこそが生まれる前から「魂」が存在する「証拠」だとみなした。

もちろん、こんな「証拠」は受け入れられないと考える後世の哲学者も数えきれないほどいるから、いまだに「魂論」に対する議論が続いているわけだがね。

医学部E「生まれてから一度も経験したことがないにもかかわらず、知っていること」なんて、ありますか?科学哲学者たとえば、正三角形。

君は、各辺の長さが等しく、まったく同じ六〇度の角度を持つ正三角形のことを「知っている」だろう?現実世界に、このように「完全な正三角形」は存在しない。

どんなに細い線で精密に描いたとしても、線には幅があり角度にはズレが生じる。

だから君は、生まれてから一度も「完全な正三角形」を見たことがないはずだ。

それにもかかわらず、君はその存在を簡単に理解できる。

つまり「知っている」わけだ。

ソクラテスは、「完全な正三角形」と同じように「完全な美」や「完全な正義」が存在し、それらを誰も生まれてから一度も経験したことがないにもかかわらず、すでに「知っている」とみなした。

医学部E「完全な正三角形」を見たことがないのに認識できるという話は、わかる気がします。

しかし、「完全な美」や「完全な正義」が存在するとは思えませんが……。

科学哲学者君が一枚の絵を見て、すばらしく「美しい」と感動したとする。

その感動は、どこから来るのか?ソクラテスによれば、それは君の「魂」が「完全な美」を知っているからだ。

君がその絵を見ているのは、もちろん身体的な「眼」が正常に機能しているからだが、感動するのは君の「魂」が「完全な美」を想い起こしたからだというのが、ソクラテスの見解だ。

文学部A日本語に「心眼」という言葉があります。

身体器官としての「眼」で単に知覚するのではなく、「心眼」で観なければ絵画や骨董の真の価値はわからないなどと言いますが、それがソクラテスのいう「魂」なのかもしれませんね。

科学哲学者「完全な正義」についても、ソクラテスは同じように説明する。

仮に君たちが何か悪事を働こうとしたとする。

失敗に対する恐怖や、捕まった際の刑罰を怖がる気持ちもあるだろう。

しかし、ソクラテスによれば、君たちが悪事を働かない本当の理由は、「完全な正義」を知っている君たちの「魂」がそれを止めるからだ。

イデア論経済学部C映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で、ストーム・トルーパーのフィンが逃げ出したのも「正義」のため?法学部Bフィンは、平和な惑星の住人を虐殺せよという銀河帝国の命令を「正義ではない」と感じて、帝国軍から脱走したんだよね。

ソクラテスのいう「魂」とは、「フォース」のようなものかもしれない。

理学部Dそれは違うよ。

『スター・ウォーズ』における「フォース」とは、銀河の万物を包み込んでいる一種のエネルギーのこと。

だからジェダイは「フォースと共に在れ(Maytheforcebewithyou.)」と言うわけ。

生命体の細胞に含まれる共生体「ミディ・クロリアン」が、その生命体の「フォース」を強めるという設定になっている。

法学部Bしかし、死後も生前と同じ姿で現れるジェダイが出てくるよね。

あれが「魂」の表象じゃないのかな?理学部Dいやいや、ジェダイにとっての「死」は「フォースと一体化する」こと。

特別な方法で、自我を持ったままフォースと一体化することに成功したジェダイもいるということだよ。

法学部Bだから、その「自我を持ったままフォースと一体化」した対象のことを「魂」と呼んでもいいんじゃないかな?なぜなら、映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の中で、ルークが海から……。

文学部Aその先は言わないで!私まだ、その映画を観ていないんだから!理学部Dもちろん、映画の中ではどんな空想物語でも表現できるけど、実際の人間は六〇兆個の細胞の集合体で、死ねば腐敗する物質だよ。

正直言って、「霊魂」とか「魂」なんて、宗教かオカルトの話としか思えないんですが。

科学哲学者その宗教やオカルトばかりでなく、思想や芸術、映画やゲームにまで影響を与え続けているのが、今から二五〇〇年前にソクラテスが生み出した「魂」という概念なんだよ。

さきほど君だって、「何らかの『本当の自分』が存在すると思う」と言っていただろう。

その「本当の自分」が「君の魂」という感覚じゃないのかね?理学部Dそれは、そうかもしれません。

しかし、僕が死んで、つまり僕の脳に血液が循環しなくなって機能を停止したら、その「魂」も消滅するはずです。

科学哲学者死後に「魂」が存在するかどうかの話は別として、現在の自分の中に「本当の私」あるいは「私の魂」のようなものが存在すると思っているんだったら、やはりそこにはソクラテスの影響が考えられるということだ。

ただし、すでに話したように、ソクラテスは何も書き残していない。

そもそも彼は、人々と「問答」を繰り返している最中に現れる「生きた言葉」が重要で、紙に書き記された言葉は「死んだ言葉」だと考えていたからね。

法学部Bライブだけを大事にしているアーティストみたいですね。

科学哲学者我々が知るソクラテスの見解は、ほとんどがプラトンの著作に基づいている。

したがって、どこまでがソクラテスの見解で、どこからがプラトンの創作なのか判断するのが難しい面もある。

これは「ソクラテス問題」と呼ばれて、古代ギリシャ哲学の専門家にとっては、大問題なんだ。

法学部B永遠に解けそうにない問題じゃないですか?科学哲学者精密な文献研究によって、ソクラテスの「完全な美」や「完全な正義」の概念を推し進めて、「美そのもの」や「正義そのもの」を「美のイデア」や「正義のイデア」と呼び始めたのがプラトンであることはわかっている。

プラトンは、彼が開校した「アカデメイア」と呼ばれる学園で「イデア論」を世に広めた。

医学部Eプラトンのアカデメイアの入り口には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」と書いてあったそうですね。

科学哲学者プラトンの「イデア論」の根源にあるのが、幾何学だからね。

君たちは、紀元前六世紀にピタゴラスが導いた「ピタゴラスの定理」を知っているだろう?理学部D直角三角形の斜辺の長さをA、他の二辺の長さをBとCとするとき、「=+」が成り立つ。

科学哲学者当時は「任意の直角三角形において、斜辺を一辺とする正方形の面積は、直角をはさむ二辺それぞれを一辺とする正方形の面積の和に等しい」と表現していた。

この性質が直角三角形に認められることは、ピラミッドのような巨大建造物を設計した古代エジプト文明以来、すでに経験的に知られていた。

だから、実はピタゴラスが「ピタゴラスの定理」を発見したわけではない。

ピタゴラスの最大の功績は、BとCを一辺とする正方形を描くことによって、その面積の合計がAを一辺とする正方形の面積と等しいことを導き、この定理を「証明」した点にあった。

つまり、ピタゴラスは、経験的な知識から一定の数学的パターンを抽象化し、そのパターンが「任意」の直角三角形に対して「普遍的」に成立することを、正方形の面積の基本的な性質から論理的に導いたわけだ。

その意味で、数学に「証明」の概念を最初に持ち込んだのが、ピタゴラスといえる。

医学部E考えてみたら、どんな直角三角形に対しても、常に必ず成立する数学的パターンがあるというのは、すごいことかもしれない。

科学哲学者プラトンが「イデア」という言葉を使うときに意識していたのが、まさにその幾何学における「普遍性」の概念だ。

しかも、この「普遍性」は論理的に「証明」することができる。

だからこそプラトンは、「イデア」の存在に強い確信を抱いたと考えられる。

いかに生きるべきか文学部Aソクラテスの「魂論」がプラトンの「イデア論」に進んでいったことはわかりますが、現実に生きている私たちにとって、どのような意味があるのでしょうか?科学哲学者ソクラテスは、人生において最も重要なことは、「魂の健康」だと主張した。

そのために彼が何よりも必要だと考えたのが「徳」だ。

古代ギリシャ語では「アレテー」と呼んでいるがね。

よく生きるためには、「徳」で「魂」を磨かなければならない。

そして、よく死ぬために、よく生きることが大切だとソクラテスは述べている。

彼にとって、世俗的な人間が最も求めるであろう優れた容貌や豊富な財産、仕事上の成功や身体の健康と長寿でさえ、重要ではなかった。

さきほども言ったように、彼は「醜男」だったし、金持ちでもなかった。

ろくに家事もしないで「問答」ばかりしていたから、帰宅するたびに妻のクサンティッペから怒鳴られ、頭の上から水をかけられたこともある。

経済学部Cあははは、その妻の怒る気持ち、よくわかる気がするわ。

でも、ソクラテスは、どうやって生活していたんですか?科学哲学者彼は、若い頃には戦場で勇敢に戦ったから、当時の軍人年金のようなものを受け取っていた。

それに、彼と同世代のクリトンという裕福な地主の親友がいて、彼の家族の面倒を見てくれていた。

ソクラテスは、職業教師のソフィストとは違って弟子から授業料を取らなかったから、貧しかった。

死刑判決が出た後、クリトンを中心とする友人や弟子が牢獄の門番を買収していたから、ソクラテスは容易に逃げ出して、国外で暮らすこともできた。

しかし、彼が「悪法も法である」と言って、紀元前三九九年、自ら毒杯を飲み干したという有名な史実は、君たちも知っているだろう。

彼の死の間際、クサンティッペが「無実の罪で死ぬなんて」と嘆くのを聞いて、ソクラテスが「それじゃあ、お前は私が真の有罪で死ぬ方がよいのかね?」と言ったとも伝えられている。

経済学部C最後まで、皮肉っぽい人だったんですね。

科学哲学者彼は、自分が、「魂」の命じるままに「徳」を追求した最善の人生を送ったと信じていた。

そのうえ彼は、死後の「魂」の存在を確信していたから、何も恐れず平安のうちに死ぬことができたわけだ。

法学部Bソクラテスの生き方は、それなりに立派だった気がしてきたよ。

文学部Aプラトンは、どのように考えたのでしょうか?科学哲学者プラトンは、初期の作品では、師ソクラテスの発言を尊敬して忠実に書き残していたが、中期から後期にかけての著作では、次第に自分の思想をソクラテスに語らせるようになった。

彼の代表作の一つとして評価されている中後期の『国家』という作品では、「イデア論」がエスカレートして、イデアの世界こそが真の「実在」であって、現実世界は「仮想」にすぎないという過激な見解を主張するようになっている(38)。

ここに登場するのが、有名な「洞窟の比喩」だ。

プラトンは、人間とは、洞窟の中で暗い壁の方向しか見えないように縛られた囚人のようなものだと述べている。

洞窟の外では太陽が光り輝いているが、それがイデアの世界だ。

ところが、洞窟の中にいる人間は、光の影が壁に映るのを見ることしかできない。

つまり、我々の現実世界は、真実のイデアの世界の「影」のようなものだというわけだ。

医学部E「完全な正三角形のイデア」は、僕らから直接見ることができない洞窟の外にある。

僕らは、不完全な正三角形を描くしかない。

それが「影」のようなものにすぎないというわけですね。

科学哲学者「完全な正三角形のイデア」ばかりではない。

プラトンによれば、完全な四角形、完全な円、完全な美、完全な正義、完全な勇気、完全な善、完全な徳のようなイデアも同じように存在する。

現実世界では、どんなものも完全ではないし、時間と共に変化し崩れていく。

ところが、「完全なイデア」は、過去から未来永劫に至るまで、まったく同じように存在する。

だからプラトンは、イデアの世界こそが「永遠」に続く「普遍的な実在」だと信じるようになったわけだ。

理学部Dたしかに、ピタゴラスの定理は、永遠に成立するでしょう。

数学の定理は、たとえ人類が滅亡したとしても、この宇宙において永遠に不滅だとは思いますが……。

科学哲学者プラトンから三〇〇年後、キリストが誕生する。

その後、プラトンのイデア論はキリスト教に大きな影響を与えた。

「永遠に続く普遍的なイデアの世界」といえば、何を想像するかね?経済学部C「天国」ですか?医学部Eそうか!ソクラテスの「魂論」とプラトンの「イデア論」を組み合わせれば、現世で徳のある善行を積んだ「魂」が死後「天国」へ行って祝福されるというキリスト教の教義が生み出されるわけだ。

文学部Aキリスト教の後に登場するイスラム教でも、死後の「魂」はアラーの判断で天国に行くか、地獄で焼き尽くされるかに決まりますよね。

仏教の「魂」は、いろいろな生物の中に入って「輪廻転生」を繰り返しますけど……。

科学哲学者死後にすばらしい天国が待っているという教義は、施政者にとって非常に都合がいいものだが、その理由がわかるかね?文学部A死後に天国に行けるとしたら、死を恐れなくなるから、ですか?科学哲学者そのとおり。

ソクラテスは、戦争で勇敢に戦い、平然と毒を飲むことができた。

死後の「魂」を信じる人間は、死を恐れない。

つまり、最高の兵士になるわけだ。

法学部B数年前、自爆テロを起こそうとして爆弾ベルトを巻いた若者がパリで逮捕された事件がありましたね。

彼らは、イスラム原理主義の宗教指導者から、「異教徒を殺す行為は殉教」だと教え込まれ、死後には「必ず天国に行ける」と言われたことを信じたと自供していました。

その「天国」には、酒と食物が何でもあって、七二人の美しい処女が相手をしてくれるそうです。

医学部E戒律の厳しいイスラム教徒は、現世ではアルコールもギャンブルも禁止だし、断食もある。

彼らからしたら、そういう世界が「天国」なんだろうね。

デモクリトス理学部Dどうして人間は、どう考えても非科学的な「魂」や「天国」を信じてしまうんでしょうか?科学哲学者それには、いろいろな理由が考えられるがね。

古代ギリシャ哲学者の中にも、ソクラテスの「魂論」やプラトンの「イデア論」を批判する者はいた。

「快楽主義」を主張したエピクロスなどは、「ソクラテスはバカだ」と公言していたくらいでね。

エピクロスは、デモクリトスの「原子論」の信奉者だった。

君たちも知っていると思うが、デモクリトスは「万物は原子からできている」と主張した「自然科学の祖」ともいえる人物だ(39)。

理学部D古代ギリシャ時代に「原子論」を主張していたなんて、立派ですよ。

そこから人間は、科学技術を推し進めればよかったのに……。

科学哲学者デモクリトスは、ソクラテスとほぼ同世代の紀元前四六〇年頃に生まれたにもかかわらず、当時の神話や常識にいっさい頼らず、さまざまな物質の性質を純粋に自然現象として研究した人物だ。

しかも彼は、自然現象は「神」の力などではなく、「自然法則」に従っていると考えていた。

太陽や月、雲や海、動物や植物など、さまざまな自然現象を観察していくうちに、デモクリトスは、すべての物質が「原子」と「空虚」の組み合わせで構成されていると考えるようになった。

そこから彼は、宇宙の「空虚」に無数の「原子」があれば、それらの「原子」が渦を作りながら一カ所に集まり、衝突して幾つかの塊を作りながら回転を始めるに違いないと推察した。

理学部D驚いたなあ。

まさにそれは、太陽系で惑星が形成されて公転を始める現象の解説じゃないですか。

二五〇〇年前にそんなことまで考えていたとは、すごすぎる!科学哲学者だが、残念ながらデモクリトスの理論は、古代ギリシャ時代では何も実証できなかった。

なにしろ、顕微鏡と天体望遠鏡が発明される一五九〇年よりも、二〇〇〇年前の話なんだからね。

しかも、デモクリトスの「原子論」は、ソクラテスの「魂論」よりも圧倒的に人気がなかった。

理学部Dどうして、人気がなかったんですか?科学哲学者デモクリトスによれば「万物は原子からできている」から、当然、人間も原子からできていることになる。

つまり人間は、犬や猫、花や木、金属や石ころと同じ原子で構成されているわけだ。

それを聞いてどう思うかね?ソクラテスの「魂」や「徳」の話、プラトンの「イデア」や「来世」の話に比べると、圧倒的に夢がないし、人生の有難味もなくなるだろう?理学部Dそれは、モノの見方でしょう。

人間を単なるモノとしてみたら、原価は一万円程度だという本を読んだことがあります(40)。

経済学部Cたった一万円って、どういうこと?理学部D人間を化学的に分解すると、三四種類の元素から構成されていることがわかっている。

仮に体重七〇キロの人間だと、構成元素は、酸素四六キロ・炭素一三キロ・水素七キロ・窒素二キロ・カルシウム一キロと続くわけ。

一番多い酸素と水素を組み合わせたら四二キロくらいの水になるけど、これをペットボトルで買っても安いものだよね。

一番高価なマグネシウムは三五グラム含まれているんだけど、それだって工業用品店で買って五〇〇〇円以下。

つまり、元素という化学物質として計算して買い取ると、人間の原価は一万円程度にすぎないということ。

経済学部C経済学では、人間の値段といえば「生涯賃金」で考えるのよ。

日本では、景気の良かった二〇〇〇年頃、大卒サラリーマンの生涯賃金が三億円を超えそうだったけど、今では二億六〇〇〇万円くらいにまで落ち込んできているみたい。

理学部Dしかし、人間の価値や尊厳は、金とはまったく別の次元の話だよ。

化学成分で考えたら一万円程度、生涯賃金で考えたら三億円未満なのかもしれないけど、それはすべて、そういうモノの見方に基づいているだけ。

文学部A私、絵が好きなんだけど、数年前にサウジアラビアの大富豪がピカソの「アルジェの女たち」を二〇〇億円で購入したのを知って、ビックリした。

金額だけで言えば、その一枚の絵が、人間何十人もの価値になってしまうわけでしょう?医学部Eたしかに、いろいろなモノの見方があるんだけど、理系の考え方は、人間を「尊重していない」とか「冷たい」と勝手に誤解されてしまうんだよね。

医者が患者に病状を説明するときも、いろいろな検査結果の数値や画像を見せながら、努めて冷静に臓器や腫瘍の状態を説明するんだけど、それを快く思わない患者がいる。

そういう患者とのコミュニケーションが原因で、最近は、医者の方がメンタルをやられるケースが増えているらしいんだよ。

エピクロス理学部Dしかし、それでもデモクリトスを信奉した哲学者がいたという話でしたよね?科学哲学者そうそう、エピクロスの話をしていたんだ。

彼は、紀元前三四四年に生まれているから、デモクリトスよりも少し年下になる。

デモクリトスの「原子論」を信奉し、そこから「いかに生きるべきか」を考えた人物だ(41)。

エピクロスによれば、人間は「原子」からできているから、人間が死ねば、その身体を構成していた「原子」も自然に還元される。

したがって、ソクラテスのいう「魂」のようなものが存在するはずがない。

だから彼は、ありもしない夢想の「魂」を信じて市民裁判官に憎まれ口を叩き、挙句の果てに死刑になったソクラテスのことを「バカ」と断言したわけだ。

さらに、「万物は原子からできている」以上、「天国」のように原子に還元できない世界も存在しない。

したがって、人生の目的は、ソクラテスやプラトンが言うように、「徳」をもって善く生きて「天国」に行くようなことではない。

重要なのは、今生きている現実世界で達成すべきことであって、エピクロスは、人生の目的は「幸福」でなければならないと考えた。

理学部Dすばらしい!僕は、エピクロスの考え方に大賛成です。

科学哲学者それでは、どうすれば「幸福」になれるか。

エピクロスは「快楽」によってこそ人間は「幸福」になれると考えた。

だから、彼の立場は「快楽主義」と呼ばれるようになったわけだ。

経済学部C今目の前にある快楽を追い求める人のことを「エピキュリアン」って言いますが、それは「エピクロス」から来ているんですか?科学哲学者名称の語源としてはそうなんだが、いわゆる「エピキュリアン」というのは、後世になって刹那的な「快楽主義」を追い求める人々が登場してから生まれた言葉でね。

エピクロスの思想自体は、まったく異なるものだ。

エピクロスは、今目の前にある「快楽」と、その後に生じる「不快」を比較して、もし「不快」が上回るようだったら、その「快楽」を求めるべきではないと述べている。

つまり、彼自身は良識的な快楽主義者で、いわゆる「エピキュリアン」ではなかったわけだ。

理学部Dその考え方もリーズナブルですね。

科学哲学者エピクロスは、人間の欲求を三種類に分けて考えた。

健康と安定した衣食住のような「自然で必要な欲求」、大邸宅や贅沢品で飾り立てるような「自然だが不必要な欲求」、世俗的な成功や名声のような「自然でも必要でもない欲求」……。

人間が「幸福」になるためには、何よりも苦痛や恐怖のような「不快」から逃れなければならない。

そう考えてみると、「自然だが不必要な欲求」と「自然でも必要でもない欲求」を満たそうとすると、必ず「不快」が付いてくることがわかるだろう。

法学部B贅沢のためにお金儲けをしようとしたり、名声を得るために成功しようとすると、嫌な思いもたくさんしなければならないということですね。

医学部Eまあ、どちらもキリがない欲求だから、そうなってしまう可能性は高いだろうけどね。

科学哲学者そこでエピクロスは、人間が「幸福」になるためには、「自然だが不必要な欲求」と「自然でも必要でもない欲求」をすべて捨て去り、「自然で必要な欲求」だけを追求しなければならないと主張した。

その結果、人間は、あらゆる苦悩から解放される。

エピクロスは、人間にとっての最高の「幸福」は、「平静な心」を実現することだと考えた。

これを古代ギリシャ語では「アタラクシア」と呼ぶんだが、この言葉には「無感覚」という意味もある。

要するに、何も感じない澄み切った水のような心境のことだろう。

文学部A「明鏡止水」の境地ですね。

私、中学まで「剣道」を習っていたんですが、頭に巻く手拭いに「不動心」と書かれていました。

どんな状況になっても揺れ動かない体勢のことだと教えられたんですが、それがエピクロスの「平静な心」につながるような気がします。

でも、人間は必ず死にます。

エピクロスは、死の恐怖に対しては、どのように考えていたんでしょうか?科学哲学者エピクロスは、「死を恐れる必要はない」と述べている。

それは「魂」が永遠だからと考えたソクラテスやプラトンとは正反対の理由でね。

エピクロスによれば、死の瞬間に人間は「感覚」を失って「原子」に戻るのだから、恐怖を感じることはない。

むしろ、その瞬間にこそ、人間は「平静な心」を得られるということになる。

文学部Aなるほど。

「死」の瞬間に「平静な心」を得られるとすると、それこそが「幸福」だということになりますね。

科学哲学者エピクロスは、彼自身の人生でも「自然で必要な欲求」だけを追求した。

すなわち、健康で安定した衣食住があり、人々との友情に満ちた生活だ。

その理想を実現するために、彼は「庭園」と呼ばれる学園を開き、弟子たちを集めて、自給自足の共同生活を送った。

政治や経済、社会とかかわると「不快」が増すので、彼は「隠れて生きよ」と厳命した。

結果的に彼は、非常に質素な生活を送った。

経済学部C「質素な生活」?全然「快楽主義者」らしくないじゃないですか。

科学哲学者たとえば、豪華な食事は「自然だが不必要な欲求」に含まれる。

食べる瞬間には、美味しい快楽を得られたとしても、その後には体重の増加や病気の心配が増すばかりだろう?したがって、エピクロスの食事は「パンと水だけ」。

彼は、これさえあれば、十分幸福だと述べている。

経済学部Cあははは、信じられない。

まるで「禁欲主義」じゃないですか!医学部Eたしかに、「快楽主義」を突き詰めたら「禁欲主義」になるなんて、おもしろいね。

法学部Bところで、アカデメイアを設立したプラトンは、立派な教師だったんでしょう?科学哲学者いやいや、プラトンにも「ダークサイド」があってね……。

スター・ウォーズの哲学経済学部C「ダークサイド」って、もしかして先生も映画『スター・ウォーズ』をご覧になっているんですか?科学哲学者私はね、君たちが生まれるより前の一九七七年、封切られたばかりの『スター・ウォーズ/新たなる希望』から、シリーズ全作品を観ているんだよ!経済学部Cあははは、そんなにお好きだったとは、失礼しました!科学哲学者いや、何も好きで見ているんじゃなくて、研究のために観ているんだ。

哲学的にも、興味深い面があるからね。

もちろん、映像と音楽はすばらしいし、エンターテインメントとしても抜群の映画だとは思うがね。

そもそも『スター・ウォーズ』を生み出した総監督ジョージ・ルーカスは、世界の宗教や哲学を参考にして脚本を組み立てたと述べている。

とくに、ストーリーの流れは、マニ教の神話そのものでね。

私の知人の哲学者は、彼のことを「ハリウッドのマニ教徒」と呼んでいるくらいだ(42)。

医学部Eマニ教というのは、どんな宗教なんですか?科学哲学者二一六年にペルシャに生まれた教祖マニが、イランのゾロアスター教の強い影響下で生み出した宗教でね。

マニの語る神話によれば、世界が始まったとき、「光の王国」と「闇の王国」がバランスをとって共存していた。

ところが、「闇」が「光」の力を欲して「光の王国」を侵略したため、「闇」に囚われた「光」を回復するための戦いが開始された、というわけだ。

現世は、「光」と「闇」の戦いが続いている最中でね。

法学部Bまさに『スター・ウォーズ』そのものじゃないですか!「ライトサイド」と「ダークサイド」がバランスをとって共存していたのに、「ダークサイド」が侵略を始めたなんて……。

科学哲学者マニ教は、「光の王国」が「善」、「闇の王国」が「悪」を表す完全な二元論の世界観で構成されている。

「光の王国」で誕生した「オフルミズド」という名前の英雄が、「悪」と戦うために「闇の王国」に行って戦うが、敗れて「闇の王国」に吸収されてしまう。

法学部Bライトサイドの「アナキン・スカイウォーカー」が、ダークサイドに吸収されて「ダース・ベイダー」になるのとそっくり!そういえば、「ダース・ベイダー」のヘルメットは、ナチス・ドイツの戦闘用ヘルメットに似ているよね。

「ユダヤ人に支配されている」といわれるハリウッドでは、ナチスが「悪」の象徴なんだろう。

科学哲学者ナチス・ドイツのイメージも入っているだろうが、「ダース・ベイダー」の漆黒のマスクと上から下まで黒一色でまとめている装甲服は、実は、戦国時代の伊達政宗の軍服「黒漆五枚胴具足」がベースになっているんだよ(43)。

経済学部C先生、詳しい!そういわれてみると、日本の武将の鎧兜の雰囲気だわ。

科学哲学者『スター・ウォーズ』の方がマニ教よりも進化しているのは、単純な「勧善懲悪」ではなくて、「バランス」という概念を用いていることだろう。

映画の中では、登場人物の内部で「善」が「悪」になることもあるし、「悪」が「善」になることもある。

古代ギリシャ時代のソクラテスやプラトン、キリスト教とマニ教、そしてイスラム教が成立した六一〇年頃の時代の社会構造は、非常に単純だった。

だから、「神」を信じれば「善」で信じなければ「悪」、戒律を守れば「善」で守らなければ「悪」、味方は「善」で敵は「悪」といった絶対的な価値観を人々が容易に信じたわけだ。

ところが、現代のように世界がグローバルに直結し、国際社会の中の一員として物事を判断せざるをえない社会では、単調な「勧善懲悪」が成立しないことは明らかだろう。

もし自分の国だけが「善」だと主張するような国や地域があっても、世界で受け入れられない以上、長期的にはその主張は崩壊していくに違いない。

経済学部Cたしかに、為替相場でも円だけの絶対評価なんて不可能ですからね。

円がドルに対して強くても、ユーロに対しては弱かったりするし……。

金融市場では、さらにポンドやスイスフランのような他の国際通貨の状況も考えて相対的に取引しなければなりませんから、すごく複雑ですよ。

科学哲学者逆に言えば、現代のように複雑な社会で「完全な善」や「絶対的な正義」や「必ず成功する」といった夢のような話があれば、それらは「詐欺」だと思って間違いない。

それにもかかわらず、引っ掛かる大学生が多くて、教授会でもよく問題になるんだがね……。

カルトの罠経済学部C私は、そんな詐欺には引っ掛かりませんよ!科学哲学者今日の元気一杯の君だったら大丈夫だろう。

しかし、仮に来年、就職活動がうまくいかなくて、落ち込んでいたとしたらどうだろう?以前、「メディオス」という「自己啓発セミナー」が流行したことがある。

この会社は、ターゲットを「女子学生」に限定して日本各地で会員を広げた。

私のゼミにいた学生も被害を受けたので、よく知っているんだがね(44)。

仮に来年の君が、うまく内定が決まらず悩んでいるとしよう。

就職説明会に行くと、隣の学生から「自己分析したら、面接で自分の長所や短所をうまく表現できるようになって、一流企業の内定が取れたよ」などと話しかけられる。

君が興味をもって付いていくと「メディオス」の社員が現れ、言葉巧みに「自己分析コース」を勧める。

これは三日間で七万五〇〇〇円掛かるから、君が「高くて払えない」と言うと、社員は消費者金融の学生ローンを紹介して「夏休みにバイトでまとめて払えば楽に返せるよ」などと勧める。

経済学部C普通だったら、そんな男には付いていかないでしょうけど、もしすごく落ち込んでいたら、ありえるかもしれない……。

科学哲学者もともと「自己啓発」というのは、「本来の自分を知る」ためにアメリカの心理学者によって開発されたセミナー主体の実践理論でね。

たとえば、自分が生まれた当時の両親の姿を想像し、過去の自分と両親との関係を振り返るセミナーがある。

誰でも両親との間には、長年にわたる喜怒哀楽の感情があるだろうが、それらを過去に遡って、一つ一つ再確認する。

最後に自分が生まれた場面になって「お父さん、お母さん」と呼びかける場面では、多くの受講生が涙にまみれて絶叫する。

本来は、日常生活で見過ごしている「自分」を発見するための実習なんだが、その自分を周囲に曝け出させるという極端な方法だ。

いったん曝け出した受講生には、それらを一つ一つ否定して、「変革」させるための心理操作として悪用することができる。

その時点で、すでに受講生は「マインド・コントロール」されているというわけだ。

経済学部C私だったら、そんな妙なセミナーからは、すぐに逃げ出すと思いますけど?文学部Aでも、セミナーでは全員が順番に当てられていくわけでしょう?その集団から、自分だけが逃げ出すなんて、簡単ではないと思うよ。

科学哲学者次の段階では、三日間で一五万円掛かる「自己表現コース」の学生ローンを組むことになる。

これは「自分の殻を打ち破る」ための合宿で、多くの「自己啓発セミナー」で実施される「ライフ・ボート」のような実習が行われる。

受講生は、沈没しかけている船に乗っているという想定で、五人乗りの救命ボートに誰が乗るべきかを互いに審議する。

各自が皆の前で「自分は生きる価値がある」とアピールし、その内容を激しく批判し合い、最後に投票する。

選ばれなかった受講生は、これまでの人生を振り返って「遺書」を書く。

文学部A不気味!でも、内部にいるとわからなくなるのかもね。

科学哲学者二つのコースを受講した学生は、すでに人格が変わったようになっている。

最後の「自己実現コース」は一五〇日で三万円と、期間が長い割に極端に受講料が安いが、それは「勧誘活動」を行うためだ。

すでに「マインド・コントロール」は完成し、受講生は、「メディオス」はすばらしいと信じて、積極的に新人を加入しようとする。

一人を勧誘するのに何日かかったかを数値化して競い合い、事務所にはグラフにして貼り出す。

ランキングに応じて徹底した上下関係が強いられ、成功者には旅行やブランド品のプレゼント、失敗者には掃除や洗濯など屈辱的な罰が与えられる。

「メディオス」を離脱しようとする学生は、「向上心のないブスは出ていけ」などと罵倒される一方、「警察も我々の味方だ」などと脅され、報復が怖くて親にも相談できない。

他の学生を勧誘のために使う接待費や交通費で借金が重なり、就職活動どころか、キャバクラなどのバイトで忙しく、大学の単位さえ取れない学生も出てきて、大問題となった。

法学部Bその話だけを聞いていると、「バカな学生だな」と思いますが、徐々に引き摺り込まれていくと、周囲が見えなくなるんでしょうね。

それまでに使った費用が増えれば増えるほど、それを取り返したいと思ってしまうだろうし……。

科学哲学者多くの「カルト宗教」の特徴は、「勧誘こそが自己実現」と洗脳して「アメとムチ」で信者を飼いならし、貢がせることにある。

心も身体も徹底的に支配して搾り取るわけだから、現代社会の最も深い「ダークサイド」の一つといえるだろう。

プラトンの暗黒面理学部Dそれで、プラトンのどこが「ダークサイド」なんですか?科学哲学者古代ギリシャ時代の哲学者の中で、現在もまとまった著作が残っているのは、プラトンと紀元前三八四年に生まれた弟子のアリストテレスによるものだけだ。

だから、どんな古代ギリシャ関係の哲学書を見ても、必ずプラトンとアリストテレスが大きく扱われているはずだ。

ところが、実はデモクリトスには、自然学・論理学・数学・倫理学など広範にわたって、その二人以上に膨大な著作があったことがわかっている。

それにもかかわらず、デモクリトスの書いたものは、後世には断片しか残されていない。

なぜなら、プラトンが残らず焼き払うように命じたからだと伝えられている。

理学部Dそれはひどい!でも、それは伝えられているだけですか?科学哲学者彼が命じたのは史実だという研究者もいれば、単なる噂にすぎないという研究者もいて、現時点では伝えられているとしか言いようがないんだがね。

少なくとも、プラトンの時代に生きていた歴史家アリストクセノスの『歴史覚書』には、プラトンがデモクリトスの著作を集められるだけ集めて、焼き払おうとした話が出てくる。

周囲の学者たちが、そんなことをしても、デモクリトスの著書は広く読まれているから無駄だと諭したとあるから、当時はデモクリトスの著作がありふれていたことがわかる。

この話を紹介した後世の哲学史家ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』には、プラトンが「最高の哲学者」になるために、デモクリトスを「最大の競争者」とみなしていたという話も出てくる。

理学部Dデモクリトスは、プラトンの「最大の敵」だったわけですね。

その感覚は、わかる気がする。

デモクリトスは完全に「理系」で、プラトンは完全に「文系」。

理系と文系の戦いが、紀元前から始まっていたとは……。

科学哲学者ハッキリしているのは、プラトンの著作と認められている三〇を超える対話篇には、数えきれないほどの人間の名前が出てくるにもかかわらず、「デモクリトス」という名前は、ただの一度も登場しないことだ。

対話が「原子論」の話題になって、出てきて当然のはずの場面でも、出てこない。

これは、当時のアカデメイアの学生たちから見ても奇妙なことだったから、プラトンはデモクリトスに「嫉妬」して、無視したのではないかという噂が広がったという。

理学部Dプラトンは、デモクリトスの世界観が優れていることに気付いていたからこそ、恐れたんでしょう?逆に考えたら、デモクリトスは、すごい哲学者だったんですね。

彼の著作が残っていないのは、本当に惜しいなあ……。

科学哲学者実際にデモクリトスの著作が焼き払われていったのは、キリスト教カトリック教会がヨーロッパを支配した中世の「暗黒時代」における出来事だろう。

当時のカトリック教会とローマ帝国からすれば、デモクリトスの「原子論」ばかりではなく、彼の「万物は自然法則に従う。

よって、神は必要ない」という世界観は、大変な「反逆思想」になるからだ。

文学部A歴史的に「焚書」は支配者によって繰り返されてきましたが、本当に卑劣な行為だと思います。

特定の学問や思想を批判するのは自由だと思いますが、「思想弾圧」のような加害行為は、暴力以外の何物でもないと思います。

高貴な嘘科学哲学者プラトンのダークサイドは、そればかりではない。

彼は、さきほど話した全一〇巻に及ぶ『国家』という著作において、どうすれば「正義」を実現し、政治体制を整え、理想の国家を建設できるか、詳細に議論している。

そもそも彼は、アテナイの「民主制」に大きく失望していた。

なぜなら、彼の師ソクラテスが、市民裁判で死刑になったことに衝撃を受けていたからだ。

彼によれば、市民は、物事の全体像を把握する能力にかけ、感情に左右され、平気で非合理な判断をくだしてしまう。

そこでプラトンは、強く安定した理想の国家を建設するためには、厳しい選抜をくぐり抜けた「哲人王」と呼ばれる哲学者が王となり、少数のエリート支配者が国家を運営するのが最善であるという結論に達した。

そのためには、「平民」が疑念を抱かずに、与えられた職務に専念するような社会を作る必要がある。

そこでプラトンが考えたのは、「平民」が生まれながらに「支配者・兵士・労働者」の三種類に分かれ、各々の「魂」が「金・銀・銅」の三種類からできていると皆に信じ込ませるという方法だった。

経済学部Cそれって、完全な「嘘」じゃないですか!科学哲学者そのとおり。

もちろんプラトンも、これが「嘘」であることは十分承知している。

ただし、これは単なる「嘘」ではなくて、社会を安定させるための「高貴な嘘(anoblelie)」だから許されると、ソクラテスに語らせている。

文学部A「魂」を「徳」で磨かなければならないと信じていたソクラテスが、そんな「嘘」で市民を騙せとは言わないでしょう?科学哲学者だから、『国家』に登場するソクラテスは、プラトンの創作したソクラテスに違いないとみなされているわけだ。

経済学部Cそもそも、生まれながらに「魂」が「金・銀・銅」のどれかでできているなんて、誰も信じるわけがないんじゃないですか?科学哲学者その点もプラトンは用意周到でね。

最初の発表当初の世代は信じないかもしれないが、その子どもや孫の世代になれば、ほぼ全国民に信じ込ませることができると述べている。

法学部Bナチス・ドイツの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは、「大きな嘘も一〇〇回言えば本当になる」という趣旨の演説をしていますが、そういうことなんでしょうね。

経済学部Cいくらなんでも、人間は、そんなにバカじゃないでしょう?科学哲学者イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』には、プラトンの「高貴な嘘」が、日本で達成されたと書いてある(45)。

経済学部C日本?日本人が、そんな嘘に騙されたということですか?科学哲学者ラッセルが指しているのは、日本人が天皇を「現人神」と崇めた明治・大正・昭和の歴史のことだよ。

徳川幕府から「大政奉還」によって維新を成立させた明治政府は、天皇を「神格化」させて中央集権的な国家体制を築くため、大日本帝国憲法第三条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めた。

当初は徳川幕府の影響も残っていたから、「五稜郭の戦い」が終わるまで戊辰戦争も続いたくらいだが、その子どもから孫へ二代が経過した昭和になると、「天皇陛下」を「現人神」と国民に信じ込ませることに成功したではないかとラッセルは述べているわけだ。

法学部B明治維新から終戦後まで、日本全国の小学校には、天皇・皇后の写真である「御真影」と「教育勅語」を収めた「奉安殿」という祠のような建物があって、子どもたちは「最敬礼」することが義務付けられていましたからね。

第二次大戦前に制定された「戦陣訓」では「生きて虜囚の辱めを受けず」と投降が禁じられていたため、多くの日本軍兵士が「天皇陛下バンザイ」と叫びながら突撃して亡くなった。

これを大本営は「玉砕」と美化して伝えましたが、連合軍は「狂信的なバンザイ攻撃」と呼んでいた。

悲惨すぎますよ。

終戦後、天皇が「人間宣言」を行い、「神格性」が「架空のもの」であると宣言するまで「現人神」という日本語が存在していたわけだから、ラッセルの言うこともわかる気がします。

医学部E「マインド・コントロール」を分析した映像で観たことがあるんだけど、ナチス・ドイツも映画『意志の勝利』を制作して、小学校や中学校の学生たちを洗脳した。

この映画に何度も出てくるのが、「一つの民族、一つの国家、一人の総統」というスローガンでね。

それに対して、数十万人の民衆が声を合わせて「ジーク・ハイル」(勝利万歳)と繰り返して答える。

あれを子どもが何度も何度も観せられたら、マインド・コントロールされてしまうのも無理はないと思うよ。

デカルト科学哲学者さて、ソクラテスの次に「自己」について考え抜いた人物といえば、「近代哲学の祖」と呼ばれるルネ・デカルトだろう。

デカルトは、一五九六年にフランスで生まれ、カトリック教会のイエズス会が経営するラ・フレーシュ学院で論理学と数学、哲学を学んだ。

その後、ポアティエ大学に進学し、一六一六年に法律学の学士号を取得した(46)。

当時の良家の息子の習慣として、彼はオランダの軍隊に志願入隊し、その後、ドイツへ向かった。

当時は、宗教改革の影響が広がり、神聖ローマ帝国がカトリックとプロテスタントに分離して「三〇年戦争」が始まった時期だ。

とはいえ、膠着状態が続いていたから、彼自身は戦闘を経験せずに済んだ。

結果的にデカルトは、大学を卒業してから約二年間、ヨーロッパ各地を巡りながら、放浪の旅を体験することができた。

経済学部Cいいなあ……。

私も大学を卒業したら、二年間くらい世界を見て歩きたいわ。

医学部Eそうだね。

僕らにとっては、夢の話だけど。

科学哲学者一六一九年一一月一〇日、二三歳になったデカルトは、ドイツ南部のドナウ川のほとりにあるウルムという街にいた。

そして、宿舎の暖炉のある部屋にゆったりと座り、これまでの人生を振り返った(47)。

彼は、大学までは「書物の世界」を中心に勉学に励み、放浪してからは「世界という書物」を体験してきた。

これから自分はどうすべきなのか。

彼は、自分が進む道を発見するために、「自分の全精神」を傾けて、徹底的に考え抜くことを決心した。

法学部B僕らとあまり変わらない年齢なのに、考え抜く決心をしたとは、立派ですね。

科学哲学者もともと彼は、当時のキリスト教の教義やスコラ哲学の学説に、さまざまな疑問を抱いていた。

ラ・フレーシュ学院では、月に一度、クラスの学生全員が参加する討論会があったが、デカルトは、かなりの雄弁家だった。

そこで彼は、相手の発言を安易に鵜呑みにせず、吟味して検討しなければならないことを学んだわけだ。

というわけで、徹底的に考え抜くにあたって、彼は一つのルールを定めた。

それは、これまでに学校や社会から与えられてきた学問や常識のような「既成概念」を、すべて放棄するということ。

つまり、すべてを疑ってみることにしたわけだ。

これが、後に「方法論的懐疑」と呼ばれる方法なんだがね。

法学部B「すべて」を疑うんですか?科学哲学者「すべて」だよ。

君たちも、一緒にやってみたまえ。

今から「すべて」を疑えるだけ疑ってみるんだ。

法学部Bそう言われても、すぐには浮かばないんですが……。

たとえば、今ここにいるC子は、実は人間ではなくてゾンビだとか?経済学部Cなんですって?科学哲学者それでいい。

疑える可能性のあることは、すべて疑ってみる。

文学部A今、目の前にコーヒーカップと皿や、本と書棚が見えます。

これらも幻想かもしれないと疑うことですか?科学哲学者そうだ。

あらゆることが嘘ではないかと疑ってみるんだよ。

医学部Eしかし、そんなことを言い出したら、世界が存在することさえ疑えますよね?すべてが夢の世界なのかもしれないし……。

科学哲学者まさに、そのとおり。

実は、君たちは、今も自分の部屋のベッドの中で眠っているのかもしれない。

今、この研究室にいることだって、夢の世界の出来事かもしれないだろう?経済学部Cでも、頬っぺたをつねったら痛いですが?理学部Dそれだって、夢の中で痛いと思っているだけかもしれないよ。

夢の中で、また夢を見ているのは、よくあることじゃないか。

文学部Aそういえば、そういう小説を読んだことがあるわ。

ある日の朝、少女が目覚める。

と思ったら、それは夢で、「起きなさい!」という母親の声で目覚める。

そこでベッドから出た瞬間に目覚めて、「今のも夢だったんだ」とわかる。

そこで、本当にベッドから出て、窓のカーテンを開けた瞬間に、また目覚める……。

科学哲学者デカルトも、君たちと同じように考えた。

その結果、今、自分が夢を見ていないと断定することができないことに気付いた。

なぜなら、「夢の中」から「夢の外」に飛び出すことは、不可能だからだ。

今、この瞬間が夢でないと断定できないとすると、一時間前も二時間前も、昨日も先週も夢でないと断定できない。

そう考えていくと、自分の過去すべてに遡って、自分の人生すべてが夢ではないとも断定できないことになる。

文学部A「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」……。

現世とは、すべてが夢うつつということですか?医学部E豊臣秀吉の辞世の句だね。

経済学部Cあのね、秀吉が死ぬ間際に「すべてが夢うつつ」だったと表現した話は別として、私たちが今生きている「現実」は「夢」ではないでしょう?

コギト・エルゴ・スム科学哲学者デカルトは、すべてが夢だと主張したわけではない。

ただ彼は、君が言うように「現実は夢ではない」ことを、証明できないと言っているんだよ。

逆に言えば、我々が当たり前のように「現実」だと感じていることが、実は真実ではない可能性がある。

もちろん、その可能性は非常に低いとは思うが、ここで大事なことは、我々が「現実は夢ではない」と断定できないことにある。

経済学部C断定できないって、気持ちが悪いんですが……。

科学哲学者気持ちが悪くても、仕方がない。

断定できないんだからね。

さらにデカルトは、邪悪な悪魔が、あらゆる意味で彼を騙しているかもしれないと想定した。

たとえば、彼は、彼の顔や頭、手や足、身体があると思っているが、それさえ悪魔に騙されているのかもしれない。

現代風に言えば、水槽の中で培養されている脳に電極が取り付けられて、「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」の五感に「バーチャル・リアリティ」の刺激が与えられているだけかもしれないと疑ったわけだ。

医学部E映画『マトリックス』の世界じゃないですか!未来社会では、人間がAIに飼いならされて皆「バーチャル・リアリティ」の「マトリックス」という世界を見せられているのに、誰も気が付かない。

科学哲学者その発想の原点にいるのが、デカルトだよ。

それを具体化したのは、ハーバード大学の哲学者ヒラリー・パトナムでね。

彼は、『マトリックス』が公開されるよりずっと前の一九八二年の論文で「水槽の脳」という思考実験を提案している。

経済学部C哲学者って、よくそんな気持ちの悪いことを思い付きますね。

「現実」が「夢」かもしれないとか、自分の身体が「水槽の脳」だなんて……。

そんなに何もかも疑い続けたら、きりがないでしょう。

タマネギの皮を剥き続けたら何もなくなってしまうように、すべてが消え去ってしまうでしょう?科学哲学者あははは、それが消え去ってしまわないのが、実におもしろいところなんだよ。

デカルトは、あらゆることを疑った結果、どうしても疑うことのできない「確実な真実」を発見した、というわけだ。

経済学部Cそれは、何?文学部Aなんとなく、見えてきた気がする。

仮にすべてが夢の世界の出来事だとして、それでも、私が疑っているということ自体は、疑えないということかしら……。

法学部Bでも、それも夢だったらどうする?文学部Aそれも夢ではないかと疑うこと自体は、残るでしょう。

つまり、私が疑っている、あるいは疑い続けているということ自体は、タマネギの皮を剥いても剥いても、消え去ることがないはずなのよ!科学哲学者すばらしい!今君は、デカルトと同じ結論に到達したんだよ。

デカルトは、いかなる悪魔に騙されていようと、今の自分が何層もの夢の中にいようと、その内部で疑っているという自己の意識だけは、疑うことのできない確実性を持っていると考えた。

これを、デカルトは、「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」と表現したわけだ。

法学部Bなるほど!自分が存在していないのではないかと疑うこと自体が、逆に自分が存在していることの証明になるわけだ。

医学部Eちょっと待って。

デカルトの論法でいくと、どんなに何層もの夢の中にいるとしても、「考えている行為」自体が残ることはわかる。

しかし、その「考えている行為」を「私」がしていると断言できるのかな?つまり、もし悪魔が「私」のフリをしていたらどうなるんだろう?科学哲学者あははは、君はデカルトよりも先に進んでいるじゃないか!今、君が気付いた点は、後世の哲学者たちも指摘した批判でね。

実は、デカルトが厳密に導いたのは「思考」が存在することだ。

ところが、デカルトにとって、「疑う」あるいは「考える」のは「私」以外にありえないという先入観があった。

だから彼は、「コギト・エルゴ・スム」を「確実な真実」とみなしたわけだ。

しかし、実際には、非常に奇妙なことではあるが、「自分以外の存在」が「自分の存在」を疑う可能性もある。

その「自分以外の存在」は、実は自分ではないにもかかわらず、自分だと信じて「自分の存在」を疑うという可能性でね。

経済学部Cあの、先生、わからなくなってきたんですが……。

科学哲学者我々が一七世紀のフランスの哲学者と同じ立場で考えなければならないから、難しくなる面もあるんだよ。

デカルトの時代の哲学では、「思考」のような「属性」は「主体」がなければ存在できないとみなすのが当然だった。

それで彼は、その大前提を暗黙のうちに使っている。

ところが、後世の哲学者は、その大前提から自由になったから、もっと別の可能性に気付くことができたというわけだ。

これが現代では、「意識」とは何かという研究になっている。

理学部D僕らとデカルトでは、知識のバックグラウンドが違うから、前提も異なるということですね。

科学哲学者簡単に言えばそういうことだ。

専門用語では「共約不可能性」と呼んでいるんだがね。

たとえば、同じ「太陽」という用語が、アリストテレスにとっては天動説の「地球を周回する星」だが、コペルニクスの地動説以降では「地球が周回する星」を意味する。

我々の時代になると、実際に人工衛星が写した「太陽」の画像や映像を見ることができる。

この三者では、「太陽」の概念がまったく異なってくることがわかるだろう。

どの時代の哲学者も、その時代の知識を吸収し、懸命に考え抜いて、興味深い結論を導いてきたことはたしかだ。

しかし、残念ながら、彼らが暗黙のうちに用いている大前提は、時代遅れになっているものも多い。

この話題に関連して、おもしろいジョークを思い出したから、紹介しよう(48)。

哲学者の夢ある哲学者が、次のような夢を見た。

最初にアリストテレスが現れたので、その哲学者は言った。

「あなたのすべての哲学について、一五分ほどで概要を教えてくださいませんか?」その哲学者の驚いたことに、アリストテレスはわずか一五分の間に、莫大な量の事柄を凝縮した見事な解説をしてくれた。

しかし、あることを哲学者が反論すると、アリストテレスは答えられなかった。

論駁されたアリストテレスは、消えてしまった。

次に、プラトンが現れた。

だが、このときも同じことが起こった。

プラトンに対する哲学者の反論は、アリストテレスに対するものとまったく同じものだった。

プラトンもこれには答えられず、結局消えてしまった。

続いて、歴史上の著名な哲学者が次々と現れた。

しかし、この哲学者は同じ反論を唱えて、全員を論駁することができた。

最後の哲学者が消えた後に、この哲学者は独り言を言った。

「私は今眠っている。

これが全部夢であることも知っている。

それでも、私は、すべての哲学に対する普遍的な反論を発見したのだ!明日目を覚ましたら、この反論を忘れてしまっているかもしれない。

それでは、人類にとって大損失になる!」彼は、

不屈の精神で自分の目を覚まさせ、机に駆けつけると、その普遍的な反論を書き付けた。

そしてベッドに飛び込み、ほっとして眠った。

翌朝目を覚ますと、彼は机に駆け寄って、自分が何と書いていたかを確認した。

そこには、次のように書いてあった。

「それは、あなたが勝手に言っているだけでしょう!」

意識経済学部Cあははは、このジョークはおもしろい!でも、先生も哲学者だから、私も先生に「あなたが勝手に言っているだけでしょう」と言っていいんですか?科学哲学者私はね、哲学者ではなくて「科学哲学者」なんだよ!私の信念は、「科学を抜きにした哲学も、哲学を抜きにした科学も、どちらも成立しない」ということだ。

両方が必要不可欠。

その両方を研究している科学哲学者は多くはないが、私はそのうちの一人だ。

医学部Eだから先生の研究室には、哲学書に加えて、英語版の『サイエンティフィック・アメリカン』と『サイエンス』それに『ニュートン』が並んでいるんですか!科学哲学者科学雑誌を読むのは、私の趣味のようなものだからね。

日進月歩で突き進む科学のさまざまな分野の新発見や新理論ほど興味深いものはない。

君たちも、理系や文系などの大学の専攻に拘らずに、今後どんな分野に就職したとしても、暇さえあれば科学雑誌を読むといい。

驚異的に幅広い発見があるはずだ!医学部Eその科学で「意識」についてわかったことがあるんですか?科学哲学者我々は「自己」について、ソクラテスからデカルトにいたる見解を眺めてきたわけだが、実は「意識」とは「脳の創り上げた幻想」だと言ったら、驚くだろうね?文学部A驚きます!それは、どういう意味ですか?科学哲学者この事実は、一九八三年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校の神経生理学者ベンジャミン・リベットが行った実験に基づいている(49)。

リベットは、頭骸骨を切開した被験者の「随意運動野」に「運動準備電位」を測定するための電極を取り付けて、被験者の目の前に秒針代わりに黒い点が回転するモニターを設置した。

そこで彼は、運動準備電位の変化を測定すると同時に、被験者にモニターを見ながら「指を動かす」ことを意図して、その瞬間に黒い点がどの数字の位置にあるのかを報告するように求めた。

その結果は、衝撃的だった。

この実験を何回繰り返しても、被験者が「指を動かす」ことを意図した瞬間よりも三五〇ミリ秒から五〇〇ミリ秒前に、すでに随意運動野に運動準備電位が生じていることが発見されたんだよ!法学部Bもう少しわかりやすく説明していただけませんか?科学哲学者そもそも人間が指を動かすことができるのは、まずその人間が「指を動かす」ことを「意識」し、その指令が脳の「随意運動野」に伝わり、そこで「運動準備電位」が上昇して、電気信号が運動神経を通じて指の筋肉に届くからだというのが、神経生理学の常識だった。

医学部E「神経生理学」は、来年受講する予定なので、まだ勉強していないんですが、それが常識だということはわかります。

科学哲学者ところが、リベットの実験によれば、ヒトが「指を動かす」ことを「意識」するよりも三五〇ミリ秒から五〇〇ミリ秒前に、すでに指を動かすための指令が「無意識」的に発せられていたことになるわけだ!法学部Bそれは興味深い。

もしそれが事実だったら、すべてを決めているのは「無意識」だから、人間に自由意志は存在しないことになりませんか?科学哲学者冗談ではなく、本気でそのように考えている哲学者も最近出てきているくらいだよ。

もっと日常的にわかりやすい例で考えてみよう。

仮に時速四五キロで車を走らせているところに、突然、少年が目の前に飛び出してきたとする。

これを運動準備電位測定によるシミュレーション実験で確認すると、被験者は少年が飛び出してきた瞬間から一五〇ミリ秒でブレーキを踏み、その被験者が少年を見たと「意識」するのは、五〇〇ミリ秒後であることがわかった。

この実験により、少年を見た瞬間にブレーキを踏むという行動が、被験者の「意識」を経由せずに、被験者の「無意識」で決定されていることが立証されているわけだ。

経済学部C私も車を運転しているから、よくわかります。

運転していて何かが目の前に見えた瞬間、条件反射でブレーキを踏む。

でなければ、轢いてしまうじゃないですか。

科学哲学者そこで興味深いのは、いつ少年が見えたかを被験者に尋ねると、「飛び出してきた瞬間」だったと答えることだ。

経済学部C当たり前ですよ。

少年が見えたからこそ、ブレーキを踏んだわけでしょう?科学哲学者いいかね、もう一度よく私の言うことを聞いてほしい。

君がこの実験の被験者だとしよう。

君が車を運転していると、少年が視界に入り、その一五〇ミリ秒後に足が条件反射的にブレーキを踏む。

ここで重要なのは、ここまでの行動がすべて「無意識」によるもので、君の「意識」は、まだ少年に気付いてはいないし、何の行動命令も出していないということだ。

実験結果によれば、ブレーキを踏んでから三五〇ミリ秒経った後に、初めて君は少年を「意識」し、自分の足がブレーキを踏んでいたことに気付く。

さらに興味深いのは、この時点で君の「意識」は、五〇〇ミリ秒を遡り、「少年が飛び出してきた瞬間、それを見た自分は、慌ててブレーキを踏んだ」と記憶を巧妙に書き換える点だ。

つまり君は、書き換えられた「幻想」をあたかも事実であったかのように「意識」しているんだよ。

経済学部C要するに、少年を見てブレーキを踏むという行動は、私の「意識」を無視して「無意識」が勝手に行っていた。

ところが、すべてが終わった後に、あたかも私の「意識」の命令で行動したかのように、後付けのイメージ処理がなされるということですか?科学哲学者そのとおり。

さきほど「意識」が「脳の創り上げた幻想」だと言ったのは、そういう意味だ。

法学部Bもしそういうことであれば、たとえば僕が誰かを殺したとしても、それは僕の「無意識」が悪いのであって、その犯行の瞬間を「意識としての自己」は知りませんでしたということになりませんか?科学哲学者なかなか興味深い質問だ。

実は、もっと驚かせるかもしれないが、神経生理学的な見地から、「意識」というよりも「自己」という概念そのものが「脳の創り上げた幻想」だと考えている科学者もいるんだ。

もともと脳は、すばらしい幻想を生み出す機能を持っている。

たとえば、一枚の写真は、実は、二次元平面にいろいろな色のインクの点が並んでいるだけの物質だが、君たちの脳は、これを三次元画像としてイメージするだろう?さらに、これらの二次元画像をまとめて高速で動かす映画では、もっと立体的な三次元映像を実感できる。

だから「自己」という概念も、脳によって写真や映像のように複雑に構成された「幻想」だという考え方もあるわけだ。

カミュ理学部Dやはり自然科学はすばらしいですね。

神経生理学で実験的にそこまで立証されていたとは……。

科学哲学者しかしね、科学だけでは不十分だ。

それを最後に話しておこう。

フランスの哲学者アルベール・カミュは、一九四二年に発表した『シーシュポスの神話』の冒頭で、「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。

自殺ということだ。

人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」と述べている(50)。

カミュによれば、自殺の問題に比べれば、真理の追究は「遊戯」にすぎない。

たとえば、地球と太陽のどちらがどちらを回るのか?カミュは、そのような「本質」に関する問題は、人間に与えられた「実存」に比べれば、どちらでもいいことであり、「取るにたらない疑問」にすぎないと述べている。

理学部D真理の追究が「遊戯」で「取るにたらない疑問」?僕たち人類にとって最も重要な目的は、真理の追究じゃないんですか?科学哲学者たとえば、ガリレオを考えてみよう。

彼は「地動説」が真理であることを知っていたにもかかわらず、当時のキリスト教会の異端審問所で拷問にかけると脅されて、生命の危険が迫ると「地動説」を放棄した。

自分の生命があるからこそ人は真理を主張できるわけだから、その生命に関する議論の方が差し迫っているというのがカミュの論法だ。

彼によれば、もちろんガリレオの自説撤回は正しい。

「実存は本質に優先する」のだから、当然のことだよ。

文学部A「実存は本質に優先する」というのは、どういう意味ですか?科学哲学者「実存」とは「現実存在」のことで、要するに、我々がこの世界に現実に存在しているということだ。

これは、カミュと同時代に活躍したフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの言葉で、文字どおり、先立つのは「実存」であって、「本質」は後付けにすぎないということだ。

人間は、世界に何らかの意味を求めようとする。

科学者や哲学者、宗教家や芸術家も、この世界には何らかの意味や目的があると信じて、「真理」や「正義」、「神」や「美」を追究する。

それらが世界の「本質」に違いないと勝手に想定しているわけだが、そんなものがあるという保証はない。

文学部Aとすると、この世界には意味がないということですか?科学哲学者意味がないかもしれない。

多くの人間が、この世界には何らかの意味があると思い込んでいるが、カミュは、そのこと自体が根本的に間違っているかもしれないと主張しているわけだ。

地球上では、無数の生命が繁殖を続け、進化してきた。

進化論的に明らかなことは、なぜか種は本能的に生き延びようとして、遺伝子を残そうとすることだ。

しかし、それに意味や理由があるのか?ハッキリしていることは、世界に無数の生命の「実存」があることだ。

それなのに人間は、そこに何らかの「本質」を懸命に探し求めている。

それをカミュは「不条理」と呼んだ。

文学部A私たち人間は、何らかの「本質」に頼らなければ、不安になるからではないでしょうか。

医学部Eたしかに、人間には弱い面があるからね。

とくに病気になったりすると、何らかの「本質」を求めるようになるのかもしれない。

科学哲学者カミュの『シーシュポスの神話』の主題となっている「シーシュポス」とは、最も聡明であるにもかかわらず、それゆえに神々を侮辱したため、罰を与えられた人間だ。

その罰とは、休みなく岩を転がして山の頂まで運び上げ、山頂に達した岩が自らの重みで麓まで転がり落ちると、再び岩を山頂まで運び上げ、再び岩は転がり落ちて、また岩を転がし、ということを永遠に繰り返すという罰だ。

カミュは、「死へ向かう一方で生きなければならない人間」が、シーシュポスに与えられた罰と同じように「不条理」な存在だとみなしているわけだ。

法学部Bしかし、ガリレオは信念を曲げましたが、拷問されても、最後は火刑に処せられたとしても、自分の信念を曲げなかった人間はたくさんいますね。

しかも、一般には信念を曲げなかった人間を英雄視する傾向が強い。

これまでの人類の長い歴史を考えてみると、むしろ自分の信念を貫いたために死んだ人間の方が多いように思いますが、それも「不条理」なのでしょうか?科学哲学者それこそが、まさに不条理じゃないか!歴史を振り返ると、「自分が生きるに値するための理由」を持つ人間同士が、その理由のために殺し合うことがある。

たとえば、敬虔なキリスト教徒とイスラム教徒は、どちらも「自分が生きるに値するための理由」を「信仰」と答える。

そして、まさにその理由のために、今でも戦闘状態にある紛争地帯が、地球上に幾つもあるんだからね。

カミュは、「自分が生きるための理由」が「自分が死ぬための理由」になっていることこそが、人間に内在する「自己矛盾」だと指摘している。

形而上学的反抗文学部Aこの世界がカミュの言うように「不条理」だとして、それでは私たちは、どうすればいいんでしょうか?科学哲学者カミュによれば、不条理に対処する方法は三つ考えられる。

第一の方法は「自殺」で、これは実行すれば自分がこの世界から消滅するわけだから、不条理も同時に消え去ることになる。

しかし、実存する人間は、何よりも根源的に生を欲するはずだから、それを超えてまで自殺を肯定する思想は存在しないとカミュは結論付けて、この方法を拒否する。

医学部E自殺を「自由な死」と呼んで、人間の自己決定権の当然の行使だと主張した哲学者もいましたよね?科学哲学者それは、ニーチェだ。

しかし、カミュにとって、自殺は「不条理」からの「逃避」であり、真の自由に逆行する行為だから、その意味でも自殺は受け入れられないことになる。

第二の方法は「盲信」で、これは不条理を超えた何らかの「理由」を信じることだ。

その理由として考えられる代表が、「宗教」と「科学」だろう。

この世界で、いかなる「不条理」に遭遇しても、それは「全知全能の神の与えた試練」だとか、「科学的あるいは合理的な理由」があるはずだとみなせば、それは実質的には「不条理」ではなくなる。

つまり、何らかの「本質」を「実存」に優先して信じる方法だ。

理学部Dちょっと待ってください。

そこで「全知全能の神の与えた試練」と「科学的あるいは合理的な理由」を並べるのは、おかしくないですか?もちろん僕は、必ずしも科学が人間の抱えている問題すべてを解決できるとは思っていませんが、それでも、何かを勝手に信じ込む「信仰」と、証拠に基づく「科学」は、まったく別物でしょう。

そもそも、世界が「不条理」であることを前提に議論を進めることに問題があるんじゃないですか?世界が「合理的」であることを前提にしなければ、科学は意味をなさないわけですから……。

科学哲学者なかなか鋭い指摘だ。

君の意見もよくわかるんだが、科学者の「証拠」が間違っていたり、科学者がデータを捏造するような事件もあるだろう?カミュにとっては、「信仰」も「科学」も、「生きていく」という実存の前では、同じように役に立たない。

たとえば、「不治の病」そのものは「信仰」も「科学」も救うことができない。

この「不治の病」に罹った人間は、死ぬしかない。

それが「実存」だというわけだ。

医学部Eたしかに「実存」という言葉は、重いですね。

科学哲学者カミュは、「宗教」にしても「科学」にしても、そのような「本質」が存在するという根拠を認めなかった。

カミュによれば、「宗教」や「科学」を「盲信」することは「哲学的自殺」に相当するわけだ。

文学部Aそれで、「不条理」から逃れる最後の方法は何でしょうか?科学哲学者第三の方法は、「反抗」だ。

これは、世界が「不条理」であることをそのまま認めて、真実を包括するような科学的・合理的あるいは宗教的な「本質」も存在しないことを理解し、さらに人生に意味がないことを受け入れ、そのうえで「反抗」するということで、これをカミュは「形而上学的反抗」と呼んだ。

文学部Aその「形而上学的反抗」とは、どういう意味ですか?科学哲学者カミュは、一九五一年に発表した著作『反抗的人間』において、「形而上学的反抗」とは「人間が生まれながらに与えられた条件に対して立ち上がる行動である」と定義し、「形而上学的反抗者は、創造によって欺かれたと宣言する」と述べている(51)。

文学部Aその「創造」というのは、神による創造説のことですか?科学哲学者そのように解釈することもできるだろう。

ただ、ここでカミュが「欺かれた」と言っているのは、我々人間が、この不条理な世界に勝手に「創造」されたことを指している。

我々は、いわば世界に投げ出されて存在しているわけだが、それに対して「反抗」を「宣言」する趣旨と考えればいいだろう。

医学部Eまだわからないんですが、その「反抗」は誰に対してするんですか?僕らを生んだ両親とか祖先に対して?科学哲学者いやいや、そういう卑近な話じゃない。

我々は、生まれた時点で、海を漂っている船に乗っているようなものだ。

そもそも、なぜ海にいるのか、なぜ自分が船に乗っているのか、どこに行くのかもわからない。

とにかく生まれた以上、生きていくために、雨水を飲んで、魚を食べて、船を修理しながら漂っていく他に道はない。

カミュが「形而上学的反抗」と言っているのは、その与えられた「不条理」な状況そのものを安易に受け入れるのではなく、まず「反抗」して、次に何ができるか考えてみようということだろう。

文学部Aカミュの話を伺っていると、すごく文学的な感覚がします。

科学哲学者彼は、一九五七年に四三歳の若さで「ノーベル文学賞」を受賞しているくらいだから、哲学者というより文学者と呼んでもいいかもしれない。

カミュは、「我反抗する、ゆえに我々在り」と述べている。

もちろんこれは、デカルトの「我思う、ゆえに我在り」のアナロジーだが、ここで注意してほしいのは、「我」の反抗が「我々」の存在につながるという結論だ。

つまり彼は、反抗の「連帯意識」による「存在」を説いているんだよ。

カミュは、紀元前ローマのスパルタカスの反抗に始まる「歴史的反抗」のように、一人の「反抗」が「連帯意識」に広がって「革命」につながる過程を理想像とみなしていた。

おそらく彼は、「形而上学的反抗」が、理解し合える人間同士をつなぐと考えていたんだろう。

経済学部C『スター・ウォーズ』で、あらゆる種族の宇宙人たちが反乱軍で一緒に戦うのと同じ感覚!

自分とは何か科学哲学者さて、君たちの「自分とは何か」という質問に対して、過去の哲学者の見解を話してきたが、少しはヒントになったかね?文学部A私は、ソクラテスの「私は無知である」の真意がわかってよかったです。

いくら勉強しても「無知」のままだとは思いますが、就職してからも、勉強は続けるつもりです。

それから、文学作品ばかりでなく、科学雑誌も読んでみようと思います。

法学部B僕は、ソクラテスからプラトンにいたる「私は魂である」という考え方、とくに「徳」で魂を磨くという人生観に興味を持ちました。

彼らのいう道徳的な「善」が「法」とどのように関係するのか、考えてみたいですね。

プラトンの『国家』も読んでみるつもりです。

彼の「ダークサイド」を知りたくなったので。

経済学部C私が共感したのは、カミュの「私は反抗的人間である」かな。

たしかに人間は、海に勝手に投げ出されているみたいな存在で、それを受け入れるのが当然だとか、それがすばらしいことなんだと教えられるけど、逆に、そういう話を疑って「反抗」するという発想もあると思った。

おもしろかったです!理学部D僕は、デモクリトスの「私は原子である」が強く印象に残っています。

僕も彼のように、自然現象を突き詰めて考えてみたいと思いました。

ここで話しているうちに、中途半端な気持ちでは研究できないことに気付きましたから、大学院進学に絞って卒業研究を進める決心がつきました。

医学部E僕が何よりも驚いたのは、リベットの「私は幻想である」という見解ですね。

「意識」の問題に、自然科学がこんなに踏み込んでいるとは知らなかった。

その一方で、何もない時代のデカルトが「方法論的懐疑」だけで「意識」に到達したのも立派だと思います。

今日のお話を伺って、本当に人間はすばらしいなと思えてきました。

科学哲学者「自分とは何か」という問題は、君たちに一生ついて回るだろう。

ただ、この問題を考えているのは、君たちだけではなく全人類だからね。

あらゆる人々が、この問題を考え続けて、無数の答えが生み出されているわけだ。

もし困ったら、自分一人で悩まずに、身近な人や書物に相談してみることだよ。

一同ありがとうございました。

おわりに本書に登場する「文学部A・法学部B・経済学部C・理学部D・医学部E」の大学生五人組は、二〇〇七年発行の拙著『哲学ディベート』で創作したキャラクターである。

本書で新たに登場した「就職アドバイザー・心理カウンセラー・科学哲学者」の三人を含めて、登場人物はすべて、議論の展開に都合がよいように創作した仮想人格であり、特定のモデルが現実に存在するわけではないことをお断りしておきたい。

さて、晩年の孔子は、『論語』において次のように述べている。

「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(52)」「私は一五歳で学問を志し、三〇歳で独立し、四〇歳になってあれこれと迷わず、五〇歳になって天命を知り、六〇歳で人の言葉に素直に耳を傾け、七〇歳で思うままに生きても人の道から外れなくなった」という趣旨である。

ここに孔子を引用した理由は、孔子の業績を称えるためではなく、単純に彼が「年齢に応じて、自分は変わった」と素直に述べているからである。

一般に「自己分析」という言葉を使う際に見過ごされているのは、「自己分析」の「自己」が、どの時点の「自分」を指すのかという点である。

何歳の「自分」なのか、昨日の「自分」なのか今日の「自分」なのか。

もっと言えば、今朝の「自分」と今夜の「自分」でさえ、何らかの出来事によって、大きく変化している可能性がある。

誰でも自分の誕生期・幼児期・少年期・青年期といった過去の写真を見比べてみれば、外見上の「自己」が別人に移り変わっていく経緯がわかるだろう。

ところが、いかに外見が変化しても、内面には「確固たる不滅の魂」としての「自己」が存在するというのが、古代ギリシャ時代から続くソクラテス的な見解である。

心理学でも、人間が「自己アイデンティティ」あるいは「自己同一性」を保つことは、既成事実のように扱われている。

しかし、神経生理学的に考えると、人間の「脳神経系」は外界からの刺激によって常に機能的・構造的に柔軟に変化する「可塑性」という性質を持つことがわかっている。

つまり、実は外見だけではなく、内面の「自己」も大きく変化し続けているわけである。

これは『哲学ディベート』の中で「自己決定権」との関連で詳しく議論した結論だが、「自己」は確定的ではなく、実際にはいくらでも「揺らぐ存在」といえる(53)。

逆に言えば、「自己」はいくらでも生まれ変わることができるのである!この言葉を、過去に成果をあげられなかったり、現在に不満があったり、あるいは未来に夢を抱けない読者に贈りたいと思う。

「はじめに」で述べたように、本書には、大学生諸君から受けたさまざまな質問や、逆に教えてもらった経験談が多く組み込まれている。

これまで情報提供してくださった大学生と大学院生諸君に、深く感謝したい。

青山学院大学・お茶の水女子大学・國學院大學・城西国際大学・上智大学・多摩大学・東京大学・東京医療保健大学・東京女子大学・日本大学・放送大学・山梨医科大学・立教大学の受講生諸君、どうもありがとう!光文社新書編集部の古川遊也氏には、『反オカルト論』に引き続き、大変お世話になった。

毎度のことだが、結果的に、当初の執筆スケジュールを大幅に超過してしまったことをお詫びしたい。

國學院大學の同僚諸兄、ゼミの学生諸君、情報文化研究会のメンバー諸氏には、さまざまな視点からヒントや激励をいただいた。

それに、家族と友人のサポートがなければ、本書は完成しなかった。

助けてくださった皆様に、心からお礼を申し上げたい。

二〇二〇年二月二三日高橋昌一郎

参考文献本書で引用した時事的な文献については、以下に出典を示してある。

その他、本書で用いた事実情報は、原則的に以下に挙げた文献やサイトから得たものである。

本書で扱った話題は多岐にわたり、参考文献も際限なく挙げることができるのだが、代表的な文献と読者の入手しやすい推奨図書を優先してあることをご了承いただきたい。

1石渡嶺司『キレイゴトぬきの就活論』新潮新書、二〇一七年、石渡嶺司・大沢仁『就活のバカヤロー』光文社新書、二〇〇八年、杉村太郎・熊谷智弘『絶対内定二〇二〇』ダイヤモンド社、二〇一八年、田中研之輔『先生は教えてくれない就活のトリセツ』ちくまプリマー新書、二〇一八年参照。

2講談社「二〇一九年度入社採用筆記試験」(https://kodansha.saiyo.jp/2019/contents/exam/)より引用。

3前掲サイトより引用。

4日本経済団体連合会「採用選考に関する指針」二〇一八年三月一二日改定版(http://www.keidanren.or.jp/policy/2018/015.html)より引用。

5講談社「二〇一九年度定期採用データ」(https://kodansha.saiyo.jp/2020/contents/guide/)より引用し加筆修正。

6古今亭志ん朝「芝浜」(https://www.youtube.com/watch?v=SuzPNeZSns)参照。

7文部科学省・厚生労働省・経済産業省「インターンシップの推進に当たっての基本的考え方」(改定版)(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/12/15/1365292_01.pdf)より引用。

8ニコニコニュース「まさに因果応報⁉内定辞退を『お祈りメール形式』で送った就活生に拍手喝采」(2014/09/16)(https://news.nicovideo.jp/watch/nw1236114)より引用し加筆修正。

9厚生労働省「若年者の就職能力に関する実態調査」(https://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/01/h01293.html)より引用。

10経済産業省「社会人基礎力」(https://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/index.html/)より引用。

11本章では、榎本博明・安藤寿康・堀毛一也『パーソナリティ心理学』有斐閣アルマ、二〇〇九年、小塩真司『性格を科学する心理学のはなし』新曜社、二〇一一年、高橋昌一郎監修『コミュニケーション論』情報文化研究会、二〇〇三年参照。

12トニー・ブザン/佐藤哲・田中美樹訳『頭が良くなる本』東京図書、二〇〇六年、トニー・ブザン/近田美季子監修・石原薫訳『マインドマップ』小学館集英社プロダクション、二〇一八年参照。

13「無料マインドマップ作成ソフト」(https://freesoft100.com/pasokon/mindmap.html)参照。

14ジェームズ・ペネベーカー/獅々見照・獅々見元太郎訳『こころのライティング』二瓶社、二〇〇七年参照。

15嶋田利広・尾崎竜彦・川﨑英樹『実践SWOT分析』マネジメント社、二〇一七年、山田英夫『ビジネス・フレームワークの落とし穴』光文社新書、二〇一九年参照。

16武藤雪下編著『幸せをよぶ心理学』北大路書房(二〇〇三年)より引用して加筆修正。

17文化庁「敬語おもしろ相談室」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/keigo/)より引用して加筆修正。

18MichaelCanaleandMerrillSwain,“TheoreticalBasesofCommunicativeApproachestoSecondLanguageTeachingandTesting,”AppliedLinguistics「」。

“”()LanguageandCommunication19高橋昌一郎『〈デマに流されないために〉哲学者が選ぶ「思考力を鍛える」新書!』(https://honsuki.jp/series/shikouryokuwokitaeru)参照。

20竹内一郎『人は見た目が9割』新潮新書、二〇〇五年、竹内一郎『結局、人は顔がすべて』朝日新書、二〇一六年参照。

21HazelMarkusandShinobuKitayama,“Cultureandtheself:Implicationsforcognition,emotion,andmotivation,”PsychologicalReview()22菊池聡『「自分だまし」の心理学』祥伝社新書、二〇〇八年参照。

なお、このセクションについては、高橋昌一郎『哲学者が選ぶ「思考力を鍛える」新書!第一〇回なぜ人は自分をだますのか?』(https://honsuki.jp/series/shikouryokuwokitaeru/12897.html)と重複した記述がある。

23エイブラハム・ツワルスキー/笹野洋子訳『スヌーピーたちの性格心理分析』講談社プラスα文庫、二〇〇一年参照。

24EdwardHiggins,“Selfdiscrepancy:Atheoryrelatingselfandaffect,”PsychologicalReview25高橋昌一郎『反オカルト論』光文社新書、二〇一六年参照。

26河合隼雄『ユング心理学入門』培風館、一九六七年参照。

27RaymondCattell,DescriptionandMeasurementofPersonality,NewYork:WorldBook,1946.RaymondCattell,Personality:ASystematicTheoreticalandFactualStudy,NewYork:McGrawHill,1950.28LewisGoldberg,“Analternative‘descriptionofpersonality’:TheBigFivefactorstructure,JournalofPersonalityandSocialPsychology:59,6,1216–1229,1990.LewisGoldberg,JohnJohnson,HerbertEber,RobertHogan,MichaelAshton,RobertClongingerandHarrisonGough,“Theinternationalpersonalityitempoolandthefutureofpublicdomainpersonalitymeasures,”JournalofResearchinPersonality()29「NEOPIR下位特性」表は、小塩真司『性格を科学する心理学のはなし』新曜社、二〇一一年、八三ページより引用。

30村上宣寛「日本語におけるビッグ・ファイブとその心理測定的条件」『性格心理学研究』第一一巻第二号、二〇〇三年、七〇〜八五ページ参照。

31IBM「PersonalityInsights」(https://www.ibm.com/watson/jpja/developercloud/personalityinsights.html)参照。

32レイモンド・スマリヤン/高橋昌一郎訳『哲学ファンタジー』ちくま学芸文庫、二〇一三年、五九ページより引用。

33山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』は一九六九年第一作から二〇一九年第五〇作までの全五〇作品が公開されている。

34クセノフォーン/佐々木理訳『ソークラテースの思い出』岩波文庫、一九七四年およびアリストパネース/高津春繁訳『雲』岩波文庫、一九七七年参照。

35プラトン/三嶋輝夫訳『ラケス』講談社学術文庫、一九九七年参照。

36プラトン/久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』岩波文庫、一九六四年参照。

37プラトン/藤沢令夫訳『メノン』岩波文庫、一九九四年参照。

38プラトン/藤沢令夫訳『国家』岩波文庫、上・下巻、一九七九年参照。

39藤沢令夫責任編集『世界の名著9:ギリシャの科学』中公バックス、一九八〇年参照。

40寄藤文平『元素生活』化学同人、二〇一七年参照。

41エピクロス/出隆・岩崎允胤訳『教説と手紙』岩波文庫、一九五九年参照。

42マーク・ローランズ/筒井康隆監修/石塚あおい訳『哲学の冒険』集英社インターナショナル、二〇〇四年参照。

43仙台市広報「映画『スターウォーズ』のダースベイダーは伊達政宗の兜をモデルに制作された…?」(https://archive.is/20070208041057/http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/snew9/page01.html)参照。

44藤倉善郎『「カルト宗教」取材したらこうだった』宝島社新書、二〇一二年参照。

なお、このセクションについては、高橋昌一郎『哲学者が選ぶ「思考力を鍛える」新書!第三回なぜカルト問題は他人事ではないのか?』(https://honsuki.jp/series/shikouryokuwokitaeru/8648.html)と重複した記述がある。

45バートランド・ラッセル/市井三郎訳『西洋哲学史』みすず書房、一九六九年参照。

46野田又夫責任編集『世界の名著22:デカルト』中公バックス、一九六七年参照。

47ルネ・デカルト/山田弘明訳『省察』ちくま学芸文庫、二〇〇六年参照。

48レイモンド・スマリヤン/高橋昌一郎訳『哲学ファンタジー』ちくま学芸文庫、二〇一三年、六一〜六二ページより引用。

49ベンジャミン・リベット/下條信輔訳『マインド・タイム』岩波書店、二〇〇五年参照。

50アルベール・カミュ/清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮文庫、一九六九年参照。

なお、このセクションの記述については、高橋昌一郎『感性の限界』講談社現代新書、二〇一二年と重複した記述がある。

5

アルベール・カミュ/佐藤朔・高畠正明訳『反抗的人間』新潮社、一九七三年参照。

52貝塚茂樹責任編集『世界の名著3:孔子・孟子』中公バックス、一九六六年参照。

53高橋昌一郎『哲学ディベート』NHKブックス、二〇〇七年参照。

高橋昌一郎(たかはししょういちろう)國學院大學教授。

専門は論理学・哲学。

著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『反オカルト論』(光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『改訂版小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など。

情報文化研究所所長、JAPANSKEPTICS副会長。

自己分析論2020年3月30日初版1刷発行2021年3月26日電子書籍版発行著者―高橋昌一郎発行者―田邉浩司装幀―アラン・チャン発行所―株式会社光文社東京都文京区音羽1166(〒1128011)https://www.kobunsha.com/電話―編集部03(5395)8289メール―sinsyo@kobunsha.com®本書の全部または一部を無断で複写複製(コピー)することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています。

©ShoichiroTakahashi2020

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