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第3章 スタイルの確立

第3章スタイルの確立

スタイルの必要性スキルとスタイルの違い中竹のスタイルとは中竹スタイル1日本一オーラのない監督中竹スタイル2期待に応えない中竹スタイル3他人に期待しない中竹スタイル4怒るより、謝る中竹スタイル5選手たちのスタイル確立を重視スタイル確立の鉄則スタイル確立の鉄則1多面的な自己分析スタイル確立の鉄則2できないことはやらないスタイル確立の鉄則3短所こそ光を!スタイル確立の鉄則4引力に負けないスタイル確立の鉄則5焦らず、勇気を持ってVSSマネジメントビジョン設定ストーリー作成シナリオ演出カリスマリーダー後のVSSマネジメントスタイル確立の罠罠1「スタイルがないのがスタイル」は×罠2スキルが全くなければスタイルなし罠3安易なオンリーワン思考罠4無謀な夢罠5情報過多での混乱スタイルの強みスタイルとは、逆境でこそ力を発揮するスタイルを持つと新しいチャレンジができるスタイルの共有個のスタイルから組織のスタイルへ

スタイルの必要性スキルの習得よりも、スタイルの確立こそが、これからのリーダーに必要な条件である。

そうした前提に基づいて、リーダーシップを発揮する上でのスタイルの必要性を展開していきたい。

自分のスタイルを確立するためには、冷静な自己分析を行い、自己認識を的確にしなければならない。

スキルやノウハウといった個別の力をつけることと、実際の現場で自分の本来持っている力を発揮することは、同じではない。

スキルとスタイルの違いここでいうスタイルとは「一貫性」や「こだわり」、あるいは「らしさ」という言葉に置き換えられる。

このような場合にも、対極視点法が有効だ。

スタイルとはどのようなものかを明確にするために、対極に位置づけた「スキル」と対比して考えてみたいと思う。

スキルというのは人間の持っている能力や技術と理解してもらえると分かりやすい。

第2章で触れた企画力、情報収集力、表現力といった「~力」という表現がしっくりいくものである。

そうしたスキルは、基本的に「良し悪し」を軸として評価される。

その人に、そのスキルがあるか否か、もしくはすごく長けているかそうでないかがはっきりとしており、分析手法が体系化されていれば、点数をつけることも可能である。

特に仕事においてはそうしたスキルを、資格制度でランク付けしたり、試験で順位を出したりすることも少なくない。

例えば、「営業力ならオレが会社で一番だ。

しかし、企画力ならば社内では誰もA君には及ばないな」といった具合にナンバーワンを決めることができる。

要するに、その人の持ち得ているスキルが良いか悪いかが価値基準となる。

それに対してスタイルの価値判断は全く別の軸で下されなければならない。

スキルのように点数での比較は極めて難しい。

スタイルが評価される軸は、あるかないか、である。

スタイルを持っているか、持っていないか。

たとえそのスタイルが格好悪かったとしても、それを強烈に持つことが大切だ。

強烈なスタイルを持つのではなく、スタイルを強烈に持つ。

また、スキルは点数化することが可能なため、組織の中でナンバーワンを決めることができる。

一方で、スタイルはナンバーワンは決められない。

「~らしさ」や「こだわり」は、その良し悪しを追求するものではなく、あくまでもオンリーワンを追求する世界の話だからだ。

もちろん、独りよがりな安易なオンリーワンは論外である。

さらに、スキルというものはドット(点)で示されるが、スタイルというものはライン(線)とイメージしてほしい。

スキルはいくら集めてもドットにしかならないが、それを線にするのがスタイルである。

スタイルとは、一見しただけでは判断できない。

だから、初対面でその人のスタイルを見極めるのは困難である。

その相手に何度も会い、たくさんの場面におけるその人の言動をつなげていくことで、スタイルが見出され、理解することができる。

例えば、次の場面での言動をつなげていくとその人のスタイルの有無が見えやすい。

・忙しいときと暇なときの、人への対応や配慮の違い・身体の調子がいいときと悪いときの、仕事ぶりの違い・自分の上司と部下に対する態度の違い・仕事などで失敗したときと成功したときの、人への接し方の違い・職場とプライベートでの、人付き合いの違い・お酒を飲んだときと素面のときの、自己主張の仕方などいずれも、良い悪いや格好いいか悪いかの問題ではなく、一貫性があるかどうかがスタイルの有無につながる。

だからこそ、リーダーは勇気を持ってスタイルを構築してほしいと思う。

中竹のスタイルとは概念的な話だけをしていても分かりづらいので、私自身のスタイルを例に挙げながらスタイルの重要性を説いてみよう。

まず、私のスタイルの大きな特徴は「日本一オーラのない監督」であること。

これは自分でも気に入っているキャッチフレーズの一つでもある。

その他、周りの期待に応えないと同時に、他人に期待しないスタンスを持っている。

また、指導している選手たちを怒ることよりも、逆に私が謝ってしまう。

さらに、私自身がスタイルを重視していると同様、選手たちにもスタイル確立を勧めている。

中竹スタイル1│日本一オーラのない監督私は、早稲田大学ラグビー蹴球部の監督になったころから、学生や周りのコーチに「オーラがない」と言われ続けてきた。

それは、私の前任である清宮克幸氏(現在、ヤマハ発動機ジュビロ監督)が強烈なオーラを放つカリスマ的リーダーだったため、二人のギャップが特に目立ったのではないかと思う。

清宮氏を簡単に表現するとこうなる。

とにかく、どこにいても、誰といても、強烈な存在感で常に集団の先頭に立っている。

どっしりとした体格で、猛獣が眼力だけで獲物を凍らせるような鋭い視線と、自信に満ちた明確な指示で、組織をトップダウンで動かしていく。

一方で、私の場合、集団の中に入ってしまうと、どこにいるか分からなくなるほど、存在感がない。

身長は結構あるものの細身でなで肩のため、人に対する威圧感は皆無。

人ごみに溶け込んでしまうため、ラグビー場でもあまり気づかれることがない。

声には迫力がなく、口調も視線も柔らかで、表情もどこか自信がなさそうに見えるようだ。

このように清宮氏と比較すると自虐的に聞こえてしまうかもしれないが、私は決して自らを卑下しているつもりはない。

「日本一オーラのない監督」というのは、いつの間にか、私のキャッチフレーズとして定着してきたように思える。

私自身がこのキャッチフレーズを気に入っている理由は、明確なメリットがあるからだ。

まず、選手やスタッフ、コーチ陣は監督である私を完璧な人間、いわゆる雲の上の存在と思っていないため、常に同じ目線で素直に意見が言える。

対等に議論もできるし、反抗だってできるだろう。

カリスマリーダーであれば、ときとして「裸の王様」になる危険をはらんでいるが、私のようなタイプであれば、その懸念は少ない。

組織に対する疑問点や私の間違っているところをすぐに指摘してもらえる。

私の方から選手に対して「最近どう?」などと、プライベートの話や将来の仕事に関する話題などを気軽に話しかけることも可能だ。

よりフラットな関係が築けることから、情報が入りやすく、組織内に溜まった不満や意見も比較的耳に入りやすい環境を作ることができる。

単純にいえば、オーラのないリーダーは情報をたくさん仕入れることができる。

もちろん悪口といった嫌な情報も集まってくるが、それは受け取る側が我慢すれば済む話である。

オーラを放っていたり、カリスマ性が突出していると、周りは勝手に天才的リーダー像を描いていく。

一つひとつの言動に重みが増していけばいくほど期待が高まり、小さな失敗も許されないような雰囲気が作られていく。

リーダーは全ての分野において、組織の中でトップでなければならないといった神話が組織の中で展開されることも少なくない。

もちろん、本当に優秀なリーダーはそうした周りからの期待をエネルギーに換え、成功体験を積み上げていくだろうが、必ずしも誰もができるわけではない。

私の場合、オーラがなく、カリスマ性もないので、そもそも周りからの期待値が低い。

だから、ときに馬鹿にされたり、文句も言われるが、無理に背伸びする必要もないことがとても心地よい。

ハードな練習メニューを提示して、不機嫌そうに「チェ!」と舌打ちをされたり、「エー、まじ?」と思わずタメ口で反論する学生がいても、あまり気にならない。

そこに、大人の礼儀を持ち出して、言葉遣いのうんちくを述べても意味があるとは思っていない。

それよりは、グラウンドを離れたとき、そんな一世代違う学生やスタッフと部屋で普通に雑談をしながら、ときにいじられたりするのも楽しいひとときである。

そのため、私の指導方針にはオーラというものは、むしろない方が都合のよい存在なのである。

中竹スタイル2│期待に応えない誰しも、自分に期待をかけられるとうれしいもので、その期待に応えようとする。

これはいわゆる本能の一種だろう。

また、誰しも、他人から良い評価を得たい、褒められたい、認められたいという欲求があるため、期待には積極的に反応してしまう。

また、期待に応えると、相手も喜んでくれることを知っているた

め、本当はできないと分かっていることであっても、誠意だけでも見せたいという気持ちから、ついついがんばってしまった経験は誰しもあるのではないだろうか。

一方で、組織のリーダーの立場であると、部下や周りの期待に反応することで、その瞬間は喜ばれるものの、その期待自体はいつの間にか膨らんでいく。

最初より期待が膨らんでいくと、実はその期待に添うことで、相手を満足させるのが難しくなるという現象が起きてしまう。

リーダーが、目の前(つかの間)の感謝のために周りの期待に応えてしまうと、結局、大きな意味で部下を裏切ってしまうケースがある。

簡単な例を挙げると、私が監督就任1年目に、よく選手から「中竹さん、この練習は単調でつまらないので、清宮さんがやっていたような練習メニューをもっと取り入れてもらえませんか」と言われた時期があった。

彼らも、単に私のやり方を批判しているのではなく、強くなりたいという本心から出た正直な意見だったので、期待に応えるために精一杯、準備したことがある。

実際に清宮さんがやっていたその練習メニューを生の目で見たことがなかったので、意見を言った選手たちや他のコーチ陣にそのメニューのやり方を聞いたり、実際の練習ビデオをチェックするなどして、早速、選手の要望どおりに練習メニューを実践したのである。

すると最初のうちは、選手たちもうれしそうに練習をしていたものの、途中から私の背中の辺りで誰かが「あーあ、清宮さんだったら、もっと具体的なアドバイスがあったのになあ。

うまくいかないときは、笛で練習を止めて、見本を見せてくれたのに。

これだと、何がいいプレイで何が悪いプレイかよく分からないままやらないといけないから意味ないなあ」とつぶやく声が聞こえた。

要するに、見よう見まねで他人が作った練習メニューを実施しても、その練習メニューを考案した人間でなければ、その真意を伝えることはできない。

つまり、練習の内容は悪くないにしろ、質の高い練習を指導することはできない。

選手からの期待に応えることで、一瞬の満足は得られるだろうが、本質の部分で選手の期待に添うことは非常に難しいといえる。

だから、自分で無理だと分かっていること、または、自分のスタイルには添わないものに対しては、最初から、期待に応えないようにしている。

それは、結局は期待を裏切らないためである。

さらに、期待にそもそも応えない態度をある一定期間貫けば、私の経験上、最初はフォロワーから雑音が聞こえるものの、そのうち彼らは期待しなくなり、諦める。

諦めてもらえれば、もう、リーダーの勝ちである。

それがフォロワーの自律の一歩といえよう。

中竹スタイル3│他人に期待しない私は他人の期待に応えないだけでなく、基本的に他人に期待しないことにしている。

なぜか。

それは、他人に過度な期待をすると、がっかりしたり、怒りを覚えたりするからである。

例えば、私の場合、普段からオーラを放っていないということもあり、人からよく馬鹿にされたり、文句を言われたり、生意気な態度を取られることがある。

もちろん、冷静に考えれば、むかつくのが当然だが、そもそも「皆は私のことなんか、どうせ見下しているんだろうな」と理解していると、彼らの態度が至極当然に見えてくる。

そんなとき、しばしば、私ではなく、周りの人間の方が「中竹、学生に、あんな態度とらせていいのか!」と怒りを露にすることも少なくない。

決まってその場合私は「まあまあまあ、しょうがないよ」と見て見ぬふりをする。

そうした私の態度を見て「中竹は優しすぎる」とか「彼は温厚な性格なため甘やかしている」という表現をされるが、自分では全くそうは思っていない。

所詮、人はそれほど私のことを深く理解していないし、また、私が尽くした分だけの誠意を相手が感じてくれるとは毛頭思っていない。

我々はコミュニケーションの誤解の連続の中で生きており、ときに相手から期待を超えた喜びをもらったり、ときに裏切られたような態度を受けながら過ごしている。

要するに、人に期待しないというのは、結局は、私自身に期待していないことである。

そもそも完璧な人間ではないので、常に「所詮、私なんか」というスタンスでいる。

別に卑下しているつもりもないし、悲観的になっているわけでもない。

自分の能力や器は自分が一番理解しているので、このスタンスは実に心地が良い。

例えば、ある人との初対面でのやりとり。

冷静に第三者になりきって、私を眺めてみる。

すると「なんだ、これが中竹か。

早稲田ラグビーの監督のわりには、なんだかパンチがないし、頼りなさそうだなあ」と自分でも思うだろう。

そうシミュレーションしておけば、その相手が本当にそう思ったとして私と接しても、いらいらしない。

普通なら、初対面の相手に格下に思われたり、「上から目線」で物を言われたりすると、非常に不愉快になるだろう。

しかし、最初は分かってもらえなくても、これから何度か会っていけば、分かり合えるだろうという長期的な希望や自信があれば、焦ることはない。

周りからすれば、リーダーとしてのプライドがない、という見方もされるが、逆に、私にとっては無駄なプライドはなるべく持たないようにしている。

非常に難しいことではあるが、このスタイルを貫くことができれば、感情をコントロールすることができる。

人からどんな態度を取られても、いらいらすることはない。

中竹スタイル4│怒るより、謝る私は、昔から人に対して、強気や攻撃的になれなかったため、今でも、人を叱ったり怒ったりすることが苦手だ。

ラグビーを指導している際も、選手を怒鳴ることはほとんどない。

なぜか。

それは、怒っても怖くないからである。

そのことは自分が一番よく分かっている。

性格的にガツガツ人に言うタイプでもないので、怒りたくなったら、自分の負けだと腹をくくっている。

例えば、試合中、ある選手がゲームプランを無視してひどいプレイをする。

また、練習中、集中力に欠け、ミスばかりする。

そのとき、普通の監督なら、選手を怒るだろう。

しかし、私は怒りたい気持ちよりも、選手たちに「申し訳ない」という感情が走る。

直接的に、「ごめん、申し訳ない」と言うケースは少ないが、指導スタイルとして、選手たちの悪いプレイを怒るということはあまりしないように心がけている。

たとえそれが、選手たち自身の気合が足りなかったり、自己管理を怠っていたことが原因だとしても、基本的には彼らに謝りたいという気持ちがある。

なぜなら、選手たちの気合が入るための準備を私が完璧にできていなかったり、自己管理の重要性を理解させていなかったという指導不足に対して、申し訳ないと思うからだ。

私のような怒らないスタイルを持っている人はいかに怒らないように準備するかが肝になるだろう。

もちろん、そのスタンスだけだと、選手の自律成長に支障をきたすので、ときには本気で怒ることもある。

中竹スタイル5│選手たちのスタイル確立を重視私の指導方針として、リーダーの私がスタイルを持つことはもちろん、選手たちにも、自分なりのスタイルを持つことを奨励している。

リーダーだけでなく、フォロワーも、自分のスタイルを構築することは重要である。

その具体的な手法として、年に数回、リーダーの私と個人面談を行っている。

また、セルフマネジメントという部門を作り、専門スタッフからレクチャーと直接指導を受けることによって、自己の確立を促している。

そのために、監督として大切なことは、個々のスタイルの確立を選手の評価基準に組み込むことである。

ただ単に、選手のスタイル確立を唱えても、選手たちはスタイルを確立することのメリットを享受できなければ、スタイル作りに興味を持たない。

特に下級生には「スタイルの確立」を意識させ、上級生にはワンステップアップの「スタイルの発揮」に力を注ぐようにアドバイスを送っている。

格好悪くても構わない、どんな相手にもブレないパフォーマンス、どんな状況でも変わらないパフォーマンスができる選手を高く評価している。

スタイルを重視した指導方針は、聞こえは良いが、選手選考の基準が非常にあいまいになるため、実は、組織の中に不満が高まりやすい。

先ほど述べたよう

に、スキルは良し悪しで判断できるため、選手選考の基準になりやすい。

そのために、ほとんどの選手は、評価基準というものは試合でのパフォーマンスの良し悪しが全てだという認識が強い。

しかし、私の方針としては、スキルよりもスタイルの重要性を説いて、自分らしくチームに貢献できる一貫性のあるパフォーマンスの発揮を期待している。

スタイル確立の鉄則選手を指導していても感じることだが、スタイルを確立するのはなかなか容易なことでない。

そのためここではスタイルを作り上げていくポイントを整理したいと思う。

まず、はじめに冷静な自己分析が必要である。

そのために多面的な視点で自分の特徴を洗い出すことをお勧めする。

次に、周りや世の中の期待やプレッシャーに負けないこと。

私は、そのような外部の圧力を「引力」と呼んでいる。

最後は、スタイルが見えたら、勇気を持って貫くことである。

スタイル確立の鉄則1│多面的な自己分析自分はどういう人間であるかを認識することは、自分がどのようなスタイルを確立するかを決定するための大きな要素である。

歴史上、偉大な功績を残した人物に共通していえることは、彼らは自己認識を完璧に行っていたということ。

自己認識は最大の武器。

要するに、優れた能力を持っていたこと以前に、自分の能力や思考を完全に理解していたといえよう。

まず、自己分析の基本として、長所短所という項目がある。

自分は何が得意で、何が苦手なのか。

いわゆる単純な能力である。

スキルとスタイルの話で言えば、まずスキルの方である。

どんなスキルを単体として持っているか。

これまでの自分の人生における成功事例と失敗事例の実績を振り返れば分かりやすいのではないだろうか。

また、同じく重要なのは、自分は何が好きで何が嫌いか。

例えば、働くという点で考えれば、どんな業種や形態の仕事が好きなのか。

サービス業が好きなのかメーカーが好きなのか。

また、一つの会社でも営業部が好きなのか企画部が好きなのか。

一方で、混同しがちなのは、先ほどの得意不得意(長所短所)と好き嫌いを同一視して考えてしまうことである。

得意分野=好き、という具合に案外ならないこともある。

例えば、営業が得意だけど、本当は他にやりたい部門があったり、嫌いだったりする。

また、昔はとても好きなものがあり、憧れていたのに、実は年月が経つにつれ、そのものへの執着が知らないうちに薄れてしまっていることもあるはずだ。

人間は人との出会いや経験の中で、嗜好が変わっていくものである。

なので、自分自身が当たり前と思っている考えも、定期的にチェックすることを勧める。

そうして、冷静に自分を分析してもらいたい。

さらに、ものごとに対する姿勢や態度も自己分析では重要な項目である。

論理的に思考するのか、直感的に行動するのか、楽天的でポジティブ思考でものごとを解決しようとするのか、用心深く冷静に実行するタイプなのか。

人間、いくら能力が同じでも、そうしたアティチュード(態度)が違えば根本的に能力を発揮する場面が変わってくる。

もちろん、自分だけでそうした自分の思考、思想、姿勢、態度、性格を完璧に理解できれば問題ないのだが、そのような人はなかなかいない。

よって、自己分析をする際に重要なのは、同僚や上司、部下、友人、家族に自分のことを聞くことである。

しかし、自分のことを他人に真剣に表現してもらうことは、そんなに簡単なことではない。

最近では、さまざまな自己分析サービスが開発されているので、それを試してみるのも良いかもしれない。

スタイル確立の鉄則2│できないことはやらない多面的な自己分析を行った上で、自分にできないことはやらないこと。

能力的に無理なこと、性格的に合わないこと、本能的に避けたいことは、スタイルからそぎ落とした方がいい。

身体が欲していること、好きなこと、ワクワクすることをまず優先的にスタイルに組み込むことが大切だ。

先ほど述べたように、私の場合、怒ることは極力避けている。

それは、怒ることが苦手だからだ。

しかし、リーダーたるもの、いつもメンバーを褒めているわけにもいかない。

怒らなければならないときは、しっかりと活を入れなければならない、といった考えがいわゆる正論だろう。

しかし、怒ることが苦手な人間にとって、無理に怒りの雰囲気を出して、声を荒げ、活を入れようとしても「こんな場面は、リーダーとしてなんとなく、怒った方が良さそうだから今日は怒ろう……」というスタンスならば、真意は伝わらないだろう。

であるならば、結局、上手に怒るスキルを磨くよりは、怒らなくてもいいような環境や状況をリーダーとしていかに作るかを突き詰めた方がはるかに自分らしさの構築につながるだろう。

特に、感情のコントロールはスタイル構築の際の大切な要素であるため、やりたくないことをやらないための準備や戦略を入念にすることをお勧めしたい。

また、組織マネジメントにおいて、リーダー自身ができないことを無理矢理やろうとすれば、必ずといっていいほど、組織は崩壊する。

自分の能力では到底できないリーダーの役割があったとすれば、いくつかの方法で対処しなければならない。

例えば、自分以外のメンバーでその役割を遂行できる人間を探し、任せる。

組織内に適任者がいなければ、外部から探して連れてくる。

それでもいなければ、その役割の要素を分解し、複数人で役割をシェア(分担)する。

もしくは、その役割自体をなくし、代替案を探す。

といった具合に、できないことをやらずに済む方法を考えるしかない。

もちろん、単に自分が怠惰なだけで「できない、やりたくない」というレベルの話は論外である。

スタイル確立の鉄則3│短所こそ光を!次に大切なのは自分のいわゆる短所に光を当てることである。

「いわゆる」という言葉をあえて使ったのは、一般的には長所と言われることが稀な部分に注目するからである。

例えば、背が低い、足が遅い、身体が弱い、不器用、人見知りする、優柔不断、あがり症といった通常、短所の欄に連なりそうな部分を見つめることである。

運動選手であれば、背が低い、足が遅い、身体が弱いというのは、明らかに不利である。

また、いくら努力しても完全に克服することができないこともある。

そうした場合、それらの短所とは一生向き合っていかなければいけない。

だからこそ、その短所が発している光を感じることが大切だ。

その光とは、チャンスである。

人は、何か足りないと思う部分があれば、それを改善しようと試みる。

そこに、チャンスが隠れている。

例えば、足が遅ければ、どうすれば速くなるか、また、足が速いのと遅いのでは何がどう違うのか、どんな場面で足の速さが大切になるのか。

そうした足の速さに関するさまざまな場面をイメージする。

すると、絶対的なスピードでは皆に負けるが、スピードをコントロールすることなら人より長けている、また、方向転換なら負けない、ステップワークならそこそこ通用する、などの方策も見えてくる。

私は早稲田大学ラグビー蹴球部で現役でプレイしていたころ、チーム一足の遅い選手だった。

大学生では考えられないほどの鈍足で50メートル走は7・6秒。

これは小学校5年生レベルだ。

しかし、いくらトレーニングをしても進歩しなかった。

そのため、自分のポジションにおけるゲーム中のあらゆる場面を洗い出した際、その瞬間的なスピードが求められる割合を計算してみた。

また、その場面における対策を練ってみると、思わぬ新しい発見があった。

まず、80分間を1チーム15人でプレイするラグビーにおいて、私が守っていたフランカーというポジションで直線的に50メートルを走るシチュエーションはほとんどなかった。

また、瞬間的なスピードが必要な場面では、その動き出し(スタートのタイミング)やゲームの流れの読み、走るコースのうまさを補うことでカバーすることができた。

そもそも100パーセント全力を出して走ったとしても50メートル=7・6秒であるということは、8割くらいで走っても50メートルが7・8秒くらいである。

生理学上、いわゆる全力疾走を一度でも行うと回復までに適度なレスト(休息)が必要となる。

だから、私の場合、試合に臨む際にとても意識していたことは、80分間、絶対に全力で走らないことであった。

いわゆるラグビー界では逆転の発想である。

そもそも、瞬間のスピードでは勝負を捨てた鈍足の私にとって、7・6秒も7・8秒も、大して変わりはない。

所詮、足が遅いことは変わらない。

だからこそ、いかに動き出しやゲーム観、走るコース、運動量で勝負するかに集中していた。

そうすると、当然、チーム内外から日本一足の遅いラガーマンと言われていたが、それもそのはず、鈍足が常に8割程度でしか走らないので、私としてはそう呼ばれるのは当然と思っていた。

先ほど挙げた「日本一オーラのない監督」も、いわゆるリーダーとしてのオーラのなさという、一見短所に思える部分に、あえてチャンスを見出した例と言える。

スタイル確立の鉄則4│引力に負けない私が勝手に定義づけた言葉であるが、「引力」とは周りや世の中の期待やプレッシャーを指す。

周りの目が気になることや体裁・世間体といった見えない圧力も引力と言えよう。

そうした見えない力に負けてしまうと、なかなかスタイルを確立することができない。

リーダーシップという点で言えば、「リーダーはこうあるべきだ!」という無駄な力に揺さぶられるリーダーは少なくない。

例えば、「リーダーは優秀であるべきだ」「リーダーは威厳を持つべきだ」「リーダーは部下を平等に扱うべきだ」「リーダーは明確に指針を示し、部下を引っ張っていかなければならない」といった具合に、なんとなく正しく聞こえる「~すべき論」と戦ってしまう。

実は、先ほど挙げた例は、リーダーが守るべきルールでも条件でもなんでもない。

ただ、多くの人が抱いている単なる印象に過ぎない。

にもかかわらず、多くのリーダーたちはそうした引力と無駄に戦っているように思える。

特に、部下から実際にそのような批判や期待を受けると、それに反応してしまうだろう。

確かに、こうした引力というものは正しく聞こえるため、それに従っていないと自分に罪悪感や劣等感を抱くかもしれない。

しかし、冷静に考えてみると、組織の中でその引力だけに従ったところでうまくいくとは限らない。

また、引力に完璧に応えたところで全員が満足するわけでもない。

最悪なのは、その引力は誰も責任を取ってくれないのである。

極論すれば、「男は男らしく、堂々と売られた喧嘩は買わなければならない」や「女は女らしく、おしとやかで笑顔を絶やしてはいけない」といった偏見も引力と言えよう。

これに従ったからといって、万人から、ご褒美をもらえるわけでもないし、誰もが幸せになるわけでもないということは、皆さんも既にご存じであろう。

要するに、世の中に浸透している「正論」からは、まず自分を切り離してしまった方が良い。

最初は、多少、正論を持ち出されて批判をされることもあるかもしれないが、そこはほんの少し我慢すれば誰もが忘れていくだろう。

スタイル確立の鉄則5│焦らず、勇気を持って多面的な自己分析を行い、短所にも光を当て、自分らしいスタイルを発見できたとしても、それをきちんと発揮しなければスタイルを確立することはできない。

スタイルというのは点でなく線であるため、時間が必要で、1日や1週間では確立されない。

だから、肝心なのはすぐに信頼を得ようとしないこと。

極端に言えば、短時間で築いた信頼関係は簡単に崩れるという考えを持って、焦らずじっくりスタイルを作っていけばいいのである。

そうしたプロセスの中で、新しい意外な自分の型を発見するかもしれない。

そうしたら一石二鳥だ。

最後に、いろいろと述べてきたが、結局は、自分のスタイルを貫くには、最終的に大きな勇気がいるということを強調したい。

そこは理屈ではない。

引力に負けそうになった場合、その意志を支えるのは自分自身のスタイルに対する勇気と覚悟である。

特に、リーダーとしてスタイルを発揮する場合、最初は多方面から批判や反対意見を受けるかもしれないが、それはある意味一つのスタイルができあがりつつあるという証だと思えば楽になる。

一つのスタイルを持つということは、他の価値観を持った人間からは必ず反発されるという原理を理解していれば、「仕方なし」と覚悟は決まる。

最も避けたいのは、部下やメンバーの反発に対して、一喜一憂しながら自分の言動が右往左往することである。

とにかく、万人から認められるスタイルというのは存在しない。

一方で、勇気を出せ、覚悟を決めろ!と言われても、なかなか簡単にできるものではない。

次は、自分自身に勇気をわかせるコツとして私が心がけているVSSマネジメントを紹介したい。

VSSマネジメントVSSとは、Vision(ビジョン)・Story(ストーリー)・Scenario(シナリオ)の頭文字をとった言葉である。

VSSマネジメントとは、この三つのフェーズをマネジメントすることで、スタイルを構築したり、スタイルを発揮する手法である。

もちろん、私が独自に考えた手法であるため、万人に適するとは思わないが参考までに紹介したいと思う。

このVSSマネジメントは、リーダー、フォロワーといった個人に限らず、チームや組織のスタイル構築にも活用できる手法だ。

もちろん、仕事におけるプロジェクトや会議、スポーツにおける試合にも有効である。

簡単に説明すると、三つのステップを踏む。

1ステップまず、ビジョン(Vision)を描く2ステップ次に、現在からビジョンに向かうまでの道のりをストーリー(Story)にする3ステップ最後に、ストーリーの裏側にあるシナリオ(Scenario=台本)を用意するその後、実行していくだけの話だ。

では、それぞれを詳しく見ていこう。

ビジョン設定昨今あちこちで「ビジョン」という言葉を目にするようになった。

特に、社会人になればなるほど、企業に属せば属すほど、その言葉に触れる機会が多くなるだろう。

最近では、高校生や大学生にもなじみの深いワードとなっているようだ。

「君の将来のビジョンは?」と問われたり、「我が社のビジョンは……」と社長が語る。

要するにビジョンというのは、将来に向かって思い描いた最終ゴールであり、理想像である。

例えば、大学の入学式。

この時点でビジョンを描ける新入生は大学生活での充実度がアップする可能性が高い。

単なる学生サークルの域にとどまらず、大学を卒業する時点で会社を三つ四つ経営しているというビジョン。

卒業する前に司法試験や外交官試験に受かって、4年後にはもう現場で働いているというビジョン。

もしくはスポーツ選手ならば、学生の時分からプロアスリートとして世界で活躍するというビジョン。

一方で、このような華やかなビジョンではなく、誰もが避けたくなるような、また世の中からあまり注目されないような分野で、生死をかけた人助けを仕事として始めようとしているビジョンも素敵だ。

大学生であれば、どのような勉強をして、どのようなサークルや運動部で活動をするかという4年間のプロセスをビジョンとして設定することが大切だ。

さらに、プロセス以上に大切なのは起点、中間点、終点などの具体的なイベント時におけるビジョンである。

例えば、入学式で何を感じ、2年生の修了をどのような形で通過し、卒業式をどのように迎えるか。

入学式:「初めて着たスーツ。

今は、ちょっとぎこちないが、この4年でこのスーツがピタッと決まる大人になる。

さあ、とにかく、今日からたくさんの人と話そう。

そして、今までやったことのないことに、勉強やスポーツに挑戦するぞ」2年生修了時:「ゼミの海外研修で、英語でプレゼンして、世界中にたくさんの友人を作る」卒業式:「一生の仲間という財産を得ることができた。

この4年間はとにかく最高だった。

この経験があれば社会に出るのが本当に楽しみだ」。

本気で感動して、仲間と抱き合っているシーン。

スポーツであれば、自分が引退するまでのビジョン、それぞれのシーズン毎のビジョン、各ゲームのビジョンと、具体的にイメージを設定することが大切である。

例えば、シーズンビジョンであれば、長い長いトーナメントの決勝戦で、試合に勝った瞬間、ガッツポーズでうれし泣きしている姿を強く持てるか。

シーズンの節目ごとにそのビジョンを共有することも効果的である。

ビジョンというものは、イメージすればするほど、鮮明になっていく。

毎日、1分間でもイメージできればそのビジョンは実現される可能性がアップする。

ビジョンを設定する場合、大切なのはその具体性である。

また、ビジョンには「ワクワク感」が必要だ。

ビジョンを思い浮かべるだけで、アドレナリンが出てやる気が倍増するようなものでなければ、モチベーションを維持できない。

ストーリー作成「ビジョンは大切だ」と言う人はたくさんいるのだけれども、もっと大事なのは、ビジョンにたどり着くまでのプロセスである。

ストーリーとは、その現時点からゴールであるビジョンまでへの道のりである。

大学生であれば、入学から卒業までの4年間の過ごし方を指す。

何の苦労もなく、真っすぐなストーリーでビジョンを達成できれば問題ない。

しかし、現実はそう簡単にはいかない。

簡単に達成できるビジョンは恐らく設定の時点で魅力あるものではなく、ワクワクしないだろう。

通常、ビジョンに到達するまでに、たくさんの誘惑であったり、壁であったり、邪魔が入る。

ビジョンに加え、そうした障害を乗り越えてたどり着くまでの道のりを将来のストーリーとして描いておくことが大切である。

映画やドラマでも、主人公が、途中で挫折したり、迷ったり、失敗したりしながら、紆余曲折を経てこそ、ハッピーエンドで人は感動する。

仮に主人公が、なんら苦労もせずに、最初から最後まで普通に過ごし、普通に成功する物語であれば、見ている人は心を揺さぶられることもなく、時間が過ぎていく。

このようなケースは、現在点からビジョンまで、真っすぐで単調なストーリーといえる。

ストーリーを自分で描く際に必要になるのが、自分のスタイルである。

自分自身を冷静に分析し、今の己の能力や性格からスタイルをイメージする。

そして、そのスタイルの中で、ビジョンに向かうまでの自分のストーリーを作り出す。

要するに、自分が主人公であれば、自分が映画のスクリーンに映し出されている姿をイメージする。

例えば、最初はなかなかうまくいかないとしても、何回か失敗を味わっても、それらの経験知を積めば3年間で必ず一流になれる。

このような挫折を含めたストーリーを描いておけば、本当に挫折や失敗がやってきても、挫けることはない。

なぜ、ビジョンだけでなく、ストーリーが大切かという理由は、すべての挫折や失敗を乗り越えるためである。

例えば、ある挫折や失敗を「点」の状態として捉えた場合、それは明らかにビジョンから遠ざかっているケースもある。

その落ち込んだ「点」だけの状態が全てだと受け入れてしまうと、たとえ強い人間であってもへこむだろう。

しかし、それを単なる点でなく、実は明るいビジョンへ繫がっている成功ストーリーのライン(線)の一部であり、右上がりの起点として捉えることができれば、「ここが踏ん張りどころ!」だと前向きに努力することができるはずだ。

人生であれ、仕事であれ、プロジェクトであれ、会議であれ、一本の電話であれ、障害はつきもの。

だからビジョンの前に立ちはだかる障害をきちんと予測するべきである。

これはスポーツでも一緒だ。

チームに圧倒的な強い力があれば、もちろん真っすぐなストーリーで勝利を収めることができるが、敵チームも必死である。

スポーツの試合だと、いくら準備をしたところで、必ずミスが出る。

だからこそ、ある程度のミスを想定したストーリーを描いておくことで、逆境でも打ち勝つことができる。

ビジョンには「ワクワク感」が必要であるといったが、ストーリーには映画の主人公のような「抑揚感」が必要である。

シナリオ演出ビジョンとストーリーが揃えば、最後に重要なのはシナリオだ。

いわゆる台本作りである。

抑揚のあるストーリーを描いたとしても、ストーリー通りに主人公を演じられるかどうかは、きちんとした台本を用意し、その演技をいかに仕込むかにある。

映画やドラマであれば、感動ストーリーの見えない裏には、優秀な監督や演出家がいて、台本と演技を何度もすり合わせながら、一つの作品を編集して完成させる。

しかし、人生にはリハーサルもなければ、編集作業でカットすることもできない。

要するに全てがぶっつけ本番である。

だからこそ、シナリオ作りと個人練習が大切なのである。

そのシナリオ演出と自己努力の領域は、スクリーンには出てこないとても地味な裏方の領域だ。

先ほどのストーリーは挫折や失敗で這い上がるための勇気づけと説明したが、シナリオというのは、そうした逆境の際に、吐く台詞だったり、演じる身振りだったり、心の持ち方に当たるものである。

そのためにも、スクリーンには出てこない誰も見てないときの努力や、人に言わないけれど胸のうちに秘めている己だけの信念を大切にするべきである。

カリスマリーダー後のVSSマネジメントカリスマリーダーの後任者というのは、一般的に、さまざまなプレッシャーを受ける。

例えば、カリスマ社長の二代目、カリスマ首相の後継者、カリスマキャプテンの後任者。

どの分野においても強烈なカリスマリーダーの後を引き継いだリーダーというのはさまざまな障害を乗り越えていかなければならないものである。

そんなケースほど、VSSマネジメントが役に立つ。

なぜなら、ビジョンに向かっていても、障害や苦境ばかりが起こり得るからだ。

私は2006年に早稲田大学ラグビー蹴球部の監督を引き受けたのだが、前任の清宮監督があまりに強烈なカリスマリーダーだったゆえ、自己のスタイルの発揮という点で貴重な経験をすることができた。

私が、監督就任から自分のスタイルを確立し、ブレずにそのスタイルを発揮できたのは、VSSマネジメントを行っていたからである。

監督就任当初は、大げさでなく、部員からの信頼は全くなかった。

なぜなら、前監督は、それまで10年近く低迷していた早稲田ラグビーを1年で引き上げ、5年間のうち3回の優勝と2回の準優勝という輝かしい結果を残した名将である。

それに引き換え私の場合、監督就任直前まで東京大手町のオフィス街で働くビジネスマン、ラグビー指導経験ゼロ、ラグビー選手としての実績も乏しく、身なりや風格もカリスマからはほど遠かった。

まず、私が掲げたビジョンは「学生の主体性を尊重し、共に考え、共に戦うチーム」である。

そのビジョンは、完璧なトップダウン方式で「常勝ワセダラグビー」を築き上げた清宮前監督の指導方針とは対極にあった。

基本的に、カリスマ後の後任者が受けるプレッシャーは、前任者との比較である。

前任者はカリスマ性を前面に出したスタイルで結果を出しているため、組織の中では往々にして、前任者のスタイルが「絶対善」になりがちである。

指導を受ける学生側に指導者との出会いに関する経験値が少なければ、目の前の成功者(=前任者)の手法やスタイルが、唯一正しいものに見えるのは、仕方のないことである。

そのため、後任者の手法やスタイルが、どんなに素晴らしく、その人にぴったり合ったものだとしても、最初は必ず否定されるものである。

そのようなカリスマリーダー後の前提と仮説を十分に把握していれば、最初から後任監督が選手からの信頼を勝ち取って、うまくチーム運営することなどをストーリーに組み込むことは決してない。

私の場合、学生やスタッフ、OB、ファン、メディアから、相当な批判を浴びながらシーズンを過ごしていくことなどは、残念ながら、ある程度は最初からストーリーに組み込まれていた。

そのため、ストーリーの前半はほぼ右下がり。

抑揚というより、「抑」ばかりのストーリーを描いていた。

しかし、シーズン終盤、ある出来事をきっかけに、劇的にビジョンに近づくという展開を期待していた。

その出来事の時点で、どういう台詞を吐き、どういう態度を取るべきかを、シナリオにイメージしていた。

そのときのエピソードを紹介したい。

監督に就任した1年目、シーズンも残すところあと1ヶ月という終盤に差し掛かったある週末、部内である事件が起こった。

夕方の練習を終えて、私がいつもどおり車で帰ろうとしているところに、部員の一人が、車に向かって「中竹、死ねー!辞めろー!」と大声で叫んだというのだ。

実際にその雄叫びを聞いた部員やコーチスタッフは多かったのだが、たまたま私はその瞬間には車に乗り込んでいたため、その罵声に全く気がつかなかった。

一瞬にして部内では混乱が広がったそうだ。

チームの代表である監督に反逆したような態度をとった部員は、原則、退部か休部である。

それが早稲田大学ラグビー蹴球部の暗黙の掟となっていた。

私は、やっとチャンスが来たな、と感じた。

この事件で、逆にチームがまとまる、そんなストーリーを描いていた。

そして、そのストーリーに合った最高のシナリオを作った。

学生からすれば「正直、中竹監督は頼りない監督だけど、一世代違う若者から罵声を浴びせられたのは、さすがにかわいそうだなあ」という同情みたいな感情はあったにちがいない。

そんな雰囲気の中、ここでどんな態度をとるか、それで私の真価が問われる。

そう思うと、その学生に対する個人的な怒りや悲しみはすっ飛んでいった。

心地良い緊張の中、とてもワクワクした気持ちになった。

そして、週が明けた翌々日、私は、監督に就任してからそれまでで最も胸を張って練習場に向かった。

その日に、彼を会議室に呼ぶと、びっくりするくらいのふてぶてしい態度で入ってきた。

胸を大きく張り、腕組みをして、このまま殴りかかってくるつもりではと思うほど、気が立っている様子だった。

彼は会議室に入ってくるなり、開口一番こう言った。

「オレはやめる覚悟できました、みんなの意見を代弁します」そうして、私に対するあらゆる不満を述べ続けた。

例えば、選手たちの練習や試合でのパフォーマンスを見ないで、単なる個人的な好き嫌いでメンバー選考を行っていること。

寒い日や雨の日になると、試合を見ないで、すぐに監督部屋に戻ってしまうなど、いくつかの細かい事例を挙げた。

私はこんなチャンスはもう二度とないなと思い、とにかく学生の中で広がっている不満を全て聞き出してやろうと必死だった。

まだ、あるか?もう、ないか?という質問に追われるように、彼は言いたいことを全て言ったようだった。

そして、最後に私は尋ねた。

「よく分かった。

では、一つ聞きたい。

今の話は全てお前自身が、直接、見たことなのか?」すると、彼の表情が変わった。

なぜなら、彼の言葉は全部、人伝えの噂だったからだ。

組織に不満を持った人間がいる場合、往々にして、リーダーの理不尽さや失敗は雪だるま方式で大きくなっていく。

声高らかに、リーダーの悪い噂を立てれば、その噂は徐々に大きくなって広がっていく。

そして面白いことに最終的にあたかも事実のような形で元の場所に戻っていく。

例えば、ある人間が「あいつは、あんなことしたらしいよ」という噂を流せば、それがいろんな人間にわたる間に「あいつは、あんなことしたんだよ」というあたかも断定的な事実となって動いていく。

そして、再度、噂を最初に流した張本人のところに話が戻ってくれば、「ああ、やっぱり、噂じゃあなく、本当だったんだ、あいつはひどいな」という展開になる。

これが、噂が間違った事実となる瞬間だ。

相手は本来純粋な学生だ。

最初から悪意があったわけではない。

この噂の論理をある程度、理解できていれば、感情に揺さぶられることもない。

この場面での私のシナリオには「しょうがない、しょうがない。

学生にしたら、一生懸命がんばっている証拠だ。

ただ、ちょっとしたボタンの掛け違いで、組織になじめなくなってしまったんだ」という反発分子の学生の心情が書かれていた。

だからこそ、穏やかに、少し微笑みながら次の台詞を吐いた。

「びっくりするかもしれないが、オレは、お前が見ていないと言った練習や試合は全部見ているよ。

そして、すごくはっきり覚えている」私は冷静に、かつ、胸を張って堂々と、その試合の展開やそのときの選手のプレイについて、細かく説明した。

彼の目は既に泳いでいた。

更に続けて「それだけでなく、最近のお前のプレイから練習中の態度まで全て鮮明に覚えている。

なぜなら、お前のことがすごく気になってしょうがなかったから。

なんて声をかけようか、ずっと考えていたんだよ」。

気が付くと、彼は泣きじゃくっていた。

そして、私は言った。

「オレは、先週の全体ミーティングのときに、何か不満や意見があるなら、直接言ってきてくれとお願いしたよな。

一対一で話を聞くから、と。

それなのに、お前は陰口を叩いたり、ゆがんだ形で反抗的な態度を取った。

そんなお前は男らしくない。

オレは、監督に反抗したという部員と監督の問題ではなく、その男らし

くない態度をとったという事実が、男同士として許せない」彼とは、その後ゆっくりといろんな話をした。

高校時代の話や家族の話、決まっていた就職の話まで。

会議室に入って2時間後には、二人の間の誤解は解け、ストーリー通りの信頼の絆が生まれていた。

「では、これからのお前に何ができる?」彼は即座に、私に対して、彼と同じように思っている部員の誤解を解くと約束してくれた。

「それならば、お前は、退部や休部にする必要はないな。

明日から練習だ」私は、心配している他のコーチ陣にも、その旨を伝えた。

翌日、彼はこの一件について、部員全員の前で謝罪した。

結果としてこの事件をきっかけに、部内の雰囲気は良い方向に進んだ。

この一件は、まさしく、VSSマネジメントを行うことによって、逆境をチャンスと見立て、最高のイメージを持って学生との対話に挑戦し、お互いの信頼関係を作るビジョンを実現することができた例といえる。

実際の罵倒された瞬間の状況だけを切り取れば、リーダーにしてみれば最悪な場面である。

そのため、反逆した学生を即座に切り捨てたり、厳しく叱ったりすることは、ある意味、簡単であり、他から賛同を得やすい。

なぜなら、組織の暗黙の掟になんとなく当てはまるからである。

また、リーダーとしてのプライドや立場、権力から見れば、黙って許した方が、批判を受けやすい。

しかし、こうした状況でこそ、いわゆる「引力」に負けずに、自分のスタイルにこだわれるかが問われると思う。

私は、普段から学生に「意見があればいつでも、何でも聞く」とコミュニケーションの機会をオープンにしていた。

また、学生を怒るより、我慢して自発的な行動を待つといった姿勢がスタイルの一つであった。

だからこそ、この件が起きたときに「ストーリー通り、チャンスが来た」と思えた。

そして、シナリオどおり演じることができた。

どんな出来事でも、それを単なる点でなく、線(=ライン)として捉えることができれば、どんな壁にでも勇気を持って立ち向かうことができるはずだ。

スタイル確立の罠スタイルを作り上げる際の鉄則を整理したので、次はそのプロセスで起こりがちな失敗を挙げてみたいと思う。

罠1│「スタイルがないのがスタイル」は×「特徴のないのが特徴」といった言葉遊びのような表現があるが、「スタイルがないのが私のスタイルである」というのは単なる言い訳に過ぎない。

なぜなら、スタイルの基準はあるかないかで決定されるので「スタイルがない」という時点でアウトだからだ。

確かに最初は誰しも自分のスタイルを見つけるのには苦労する。

自分しかできないことや自分だからできることを探そうとしても、なかなか見つからないものである。

しかし、だからといって「スタイルがない」ということは誰にもあり得ない。

問題なのは自分で自分のスタイルを認識できていないだけである。

罠2│スキルが全くなければスタイルなしスキルは点であるため、点だけを盲目的に集めてもスタイルにはならないが、だからといってスキルが一切なければスタイルは確立されようがない。

濃い線を描くためには、濃い点が必要である。

そのために、まずは点を作ることから始めた方が良い。

特に、新しいステージに行った場合はスタイルを悩むよりは、とにかく点=スキルを身につけ磨くことに専念した方が効率的かもしれない。

新しいステージとは、例えば、学生からの就職、別の業種へ転職、リタイア後のセカンドライフへの挑戦などである。

先ほどまで、スキルばかり盲目的に集めてもダメだ、という論旨を展開したが、だからといって基礎となるスキルが全くなければ話にならない。

スタイル構築で悩んで足を止めているくらいなら、どんどん点を身につけていった方が、自分のスタイルの幅を広げるチャンスが生まれる。

罠3│安易なオンリーワン思考スタイルはナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンを目指すと説明してきたが、だからといって安易なオンリーワン思考は非常に危険である。

自分のスタイルをキャッチフレーズで表現した場合、その表現が全く適していなければ、それはオンリーワンとはいえない。

例えば、私が自分自身のことを「常に狂気に満ちた最強のカリスマリーダー」と名乗った際に、その説明では誰も私をイメージできなかったとしよう。

その場合、そのスタイルの表現はオンリーワンとはなり得ない。

スマップの歌に「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」というフレーズがあるが、それはとても共感できる。

まさしくスタイル論の考え方に近い。

しかし、だからといって、その人自身とその表現されたスタイルが、一致していなければ全く意味がない。

「こだわり」や「その人らしさ」が滲み出て初めて、オンリーワンのスタイルになるのである。

もし、キャッチフレーズをつけるならば、オンリーワン選手権で優勝するつもりで自分の表現方法を探すと良いだろう。

要するに、オンリーワンを追求することにおけるナンバーワンを目指すことである。

罠4│無謀な夢何事も諦めるな。

できないことなんて、何もない。

大きな夢を持ち、それに向かってがんばれ。

世間ではよく聞く話だ。

確かに、若いうちは自分の可能性に限界を決めず、何事にもチャレンジすることが大切である。

しかし、語弊があるかもしれないが、私は指導している学生に対しても「無謀な夢は持つな」と常々言っている。

きちんと冷静に自己分析をして、自分がどれくらいの器なのかを測れ、と。

二流選手は二流選手らしく、三流選手は三流選手らしく。

一流選手だけが、一流選手を目指すことができるのだ、と。

大学生であっても例えば上級生になれば、卒業までの時間は折り返し地点を過ぎており、努力できる期間も限られている。

にもかかわらず、自分の弱点を全て克服したい、新たな武器を作りたい、憧れの●●選手のような完璧な理想像を描きたいと、主張する者がいる。

確かに、夢や希望は偉大な方がいいのだが、これまで生きてきた中で、自分の格付けはどれくらいか、また、大まかな成長プロセスはどれくらいか、は把握できるはずである。

もちろん、理想は大切であるが、現実に残されている時間と、自分のスタイルとを照らし合わせて、身の丈に応じた目標を決めなければ、スタイルはいつまで経ってもできあがらない。

罠5│情報過多での混乱現代社会の進化に伴い、多彩多様な情報が溢れ出ている。

そのため、何か一つのテーマであっても、さまざまな理論や解釈が存在し、何が正しくて何が適しているかを見極めることが非常に難しくなっている。

例えば、ゴルフを上達させたい、と思っている人がいたとする。

彼は、まず、同僚が勧めるゴルフの本を買ってみた。

なんとなくフォームの大切さが分かったので、次の週にはその本で紹介されていたDVDを買って、ビジュアル(視覚)で勉強を始めた。

次に、練習場に行ってワンデーレッスン(一日指導)を受けてみることにした。

しかし、そのAコーチに教わったことが先日買ったDVDで紹介されていたことと少し違っていた。

なんとなく迷いが出てきたので、再び書店に行った。

すると、Aコーチが言っていたような考え方のゴルフ教本が置いてあった。

思わず、これだと思って買い、再び、ワンデーレッスン(一日指導)へ。

しかし、残念ながら前回のAコーチに付いてもらえず、別のBコーチが指導をしてくれることに。

すると、そのBコーチは、先日買った本やDVD、前回のコーチとも違った打法で彼を指導することに。

何が正しいか分からなくなった彼は、思わず「みなさん、おっしゃることが違うのですが、私はどのやり方でゴルフを上達させればよろしいのでしょうか」と漏らした。

すると、その新しいコーチは「私が、前回あなたに付いたAコーチの師匠なので、私のやり方を学べばよいでしょう」と。

しかし、翌週、Aコーチに会ってその話をすると「確かに、Bコーチは私の師匠ですけど、彼の理論は少し古いので、あなたには適していません。

私の最先端のゴルフ指導理論の方が断然早く伸びますよ」と。

このように、本やDVDに限らず、たくさんの媒体、複数の専門家に会えば会うほど、何が正しいかが見えなくなることが少なくない。

それぞれが単発であれば正しいと理解できる情報はいくらでも入手することはできるのだが、結局、自分にとって適した情報をどう手に入れるかがとても難しいのが現実である。

そうした事態に対応するために必要なものは、本当の「知=インテリジェンス」である。

私は、知とは、迷いをなくすための道具だと定義付けている。

A君に役立つ情報と、B君に役立つ情報が異なるように、世の中に溢れ出ている情報はそれが的を射ていても、必ずしも必要なものではない。

自分を迷わせる情報であれば、それは削除していくべきだ。

逆に、勇気を与えてくれる情報はスタイルを築くための道具である。

スタイルの強みスタイル確立の鉄則と罠を紹介したのだが、ここからはスタイルを持つことの強みを示したいと思う。

スタイルとは、逆境でこそ力を発揮する人間は、いくら素晴らしい能力をたくさん身に付けたとしても、土壇場で発揮できる能力は数少ない。

例えば、ラグビーというスポーツでは、ボールを持った選手は、基本的に三つの選択肢を得られる。

一つはボールを味方にパスする、二つめはボールをキックする、三つ目はボールを持って走る。

パスも、キックも、ランニングもどれも全て得意な選手であっても、その場面では一つのオプションしか選択することができない。

結局は、使う場面がないまま封印せざるを得ないスキルや能力というのは、仕事やスポーツをやっている人にとって多いだろう。

練習ではたくさんやっているのだが、まだ一度も本番で使ったことのない能力。

これらは、残念ながら、能力を持っていないことと等しい。

人間が逆境や追い込まれた場合に対応する行動パターンは、ほぼ似ているようだ。

弱気になって怖じ気づくのか、妙に冷静に対処するのか、明るく前向きに開き直るのか、または、無意味に逆ギレするのか。

スタイルを強く持てば持つほど、それは逆境で大いに力を発揮する。

結局、人は逆境でこそ真価が問われる。

普段、どんなに偉い人も、どんなに馬鹿にされている人も、苦しい場面に追い込まれたときの態度がその人のスタイルであり、器である。

スタイルを持つと新しいチャレンジができるスタイルを確立すると、困ったときに立ち戻る場所ができる。

そのため一つのスタイルを築いた人間には進化が期待できるのである。

それは、既に持っているスタイルを軸に、新しいチャレンジができるからである。

今までやったことのない領域のこと、仕事におけるプロジェクト、または人との接し方において、新しいスタイルを発見するためにチャレンジするときがあるだろう。

そんなとき、既にスタイルを構築している人とそうでない人の間には大きな差がある。

それは、失敗したときや行き詰ったときに、立ち戻れるところ、芯の部分があるかないかだ。

また、最初のうちはワクワクしながら新しいものにチャレンジしていても、結果がすぐに出なかったり、うまくいかない時期が続くと、誰しも迷ってしまうだろう。

その際に、自分らしさを見つめ直すよりどころとなるのはスタイルしかない。

勇気を持ってチャレンジするためにも、自分自身のオアシスとなるスタイルは必要だ。

だから、自分を変えたいと思っている人ほど、まずはベースとなるスタイルを築くべきだと思う。

スタイルの共有個のスタイルが確立され、それが組織全体に浸透すれば、スタイルの共有が可能となる。

そうなれば、組織内に無言のコミュニケーション=暗黙知が成立する。

そうなれば必ず組織力がアップする。

強い組織とは、仲間同士が、それぞれのスタイルを理解している組織だ。

私の指導の下、早稲田大学ラグビー蹴球部にも、自分のスタイルを強烈に持てるようになり、最終的にレギュラーとなった選手がいた。

そのA選手は、背番号8でナンバーエイトという一般的には花形ポジションであるにもかかわらず、体格的にも運動能力(いわゆるスポーツセンス)でも、かなり低いレベルであった。

例えば、ボールを取るのは苦手でぎこちなく、よく落とす。

また、味方のサポートをするために走ってはいるものの、勝手に躓いて一人で転んでしまいサポートに遅れることもしばしば。

当然、そのような彼は、4年生になるまでは公式戦の経験も乏しかった。

しかし、最終学年では、シーズン中の全試合に出場し、不動のレギュラーとなった。

それはなぜか。

A選手には強烈な武器があったからだ。

それは、強烈なタックルだった。

ラグビーにおけるタックルとは、敵の突進を防ぐための守備側に許された唯一の方法である。

A選手のタックルはすさまじかった。

どんな巨漢にも襲い掛かり、ひるまずに頭から向かっていく。

勇気のある男だった。

大げさに表現すると、チームが攻撃しているときは、仲間の邪魔をせず、静かにグラウンドに伏せている。

だから、ボールなんて触ることはほとんどない。

一方で、チームが守備に回った途端、仮面ライダーのように現れて敵に強烈なタックルを見舞い、ピンチを救う。

決して格好は良くないが、ピンチのときに頼りになる選手だった。

それが彼のスタイルだった。

その彼のスタイルは、チームメイトたちもよく理解していた。

「A選手に、ボールをパスすると必ず落とす」と、みんな分かっていた。

だから、チームメイトは、A選手が自分のサポートに来ても、あえてボールをパスしなかった。

しかし、敵のチームは、そんな事情を理解しているわけではないので、通常通り、A選手のマークをする。

そうするとうまい具合にダミーになるわけで、敵のマークを一人つぶすことができる。

チームメイトはみんな理解しているので、「あうん」のうちにサインプレイが成り立つのだ。

逆に、守備に回った場合、どんなに大きな相手が来てもA選手ならば、一発のタックルで倒すことができるという暗黙知がある。

普段なら二人がかりでマークしてタックルしなければならないような敵のエースがボールを持ってきても、そこにA選手がいれば、一人で十分だった。

すると味方は次の選手へのマークを意識することができた。

このように、一人のスタイルを通じてサインプレイを成立させることができるのだ。

繰り返しになるが、スタイルには良し悪しというのは関係なく、格好悪かろうが、とにかく強烈に持つことが最大の武器である。

個のスタイルが組織の中で浸透すれば、暗黙のうちにコミュニケーションが図られ、パフォーマンスを向上させることができるのである。

個のスタイルから組織のスタイルへチーム内でスタイルを共有することのメリットを述べたが、さらに話を進めると組織においてメンバーの全てがそれぞれのスタイルを共有できると、自ずと組織のスタイルが明確になってくる。

それはどんな逆境に立たされても、立ち戻る場所を知っている組織。

例えば、原価高騰に伴い大幅な赤字が続き経営難に陥ったとしても、不慮の事故や不祥事が起き組織が混乱しても、組織のスタイルが強くあれば必ず復活することができるだろう。

世間を見渡しても、安定した企業ほど、スタイルを強く持っているように思える。

自動車という枠を超えて、今や世界のトップ企業となったトヨタ自動車であ

ったり、ソニー、NEC、パナソニックなど国内外で活躍している企業にはそれぞれのスタイルが見える。

もちろん、現在に至るまでにさまざまな苦境を乗り越えてきたのだろうが、その原動力となっていたのはそれぞれの芯、スタイルだったのではないだろうか。

そして、本当の強さの証は、変わらない芯の部分をベースに、時代の変化と共に進化し続けている部分を両方備えていることだと思う。

スポーツ界では、往々にして、チームのスタイル同士の戦いが人々を魅了する。

ラグビー界ではヨコの早稲田とタテの明治、アップアンドアンダーの慶應、自由な発想の同志社などなど。

リーダーがスタイルを持ち、フォロワー全てがそれぞれのスタイルを持つことで、組織のスタイルが確立されたとき、チーム力が上がると同時に、個のスタイルがより強固になる。

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