第2章銀座のユダヤ人「藤田田」日本マクドナルド創業クロック氏に面会できた日本人/「欧米化」「簡便化」「スピード」に気づいた偉大な人「ハッピー・ビジネス」の輸入/「マクダナーズ」を「マクド、ナルド」と韻を踏む今なお続く、研究開発とマネジメントサイクル/マニュアル巻頭の挨拶ミルクセーキがなかった時代「オッパイの記憶」が大ヒット「パパママ・ストア」で地位が低い。
社員全員を学卒にして外食産業化へ直営方式で戦う。
社長が多くては、舵が切れない/血判書を上申し、人事権を奪還ニューヨークを見ずして、ビジネスは語れん。
かわいい社員には旅を藤田田語録/ダイヤモンド・ロール作戦/科学的管理法によるレストラン革命
クロック氏に面会できた日本人藤田社長はマクドナルドの社員たちに、「日本の商社各社は、クロック氏に会うために毎日のように出向いていたのだが、クロック氏は私を選んだ」と教えてくれたことがある。
藤田社長は、クロック氏と唯一、意気投合した日本人だったのだ。
藤田社長と面会したクロック氏は、日本のマクドナルドの成功を予感し、「藤田社長なくしては、日本マクドナルドの成功は有り得ない」と日本法人の命運を藤田社長に賭けた。
それは、藤田社長が学生時代から「連合国軍総司令部(GHQ)」で通訳をしていた感性と、ひらめきの人であることが、大きな理由だったように思う。
ビジネスにおける交渉というのは、いくら英語がうまくても、相手の懐に入らなければ「相手の心」には響かない。
その点、藤田社長はアメリカ人やユダヤ人を知り尽くしていたのだ。
また、藤田社長は、学生時代から輸入商を営み儲けるために「商材が一流品でなければならない」という強い信念を持っていた。
日本では舶来選考が強かったので、海外商品や海外文化を輸入した当初は、それらを「トップモード」として扱う。
すると、それらの人気に火がついて「ファッション」として流行する。
さらに、その流行が日本中に行き渡った段階になると、生活に便利で必要なモノや文化性があるモノは、市場から消えることなく人々の生活のなかに密着し、溶け込んでいく。
この段階まできて、ようやく「スタイル」になるのだ。
そして、これを「ライフスタイル」と呼ぶ。
藤田社長は、このことを誰よりも知り尽くしていた。
だからこそ、クロック氏に「日本法人のマクドナルド社を任せるパートナー」として選ばれたのだ。
「欧米化」「簡便化」「スピード」に気づいた偉大な人1970年9月13日に、大阪万国博覧会が盛会に終わった。
そして、東名高速道路や東海道新幹線が、日本のスピード時代を後押しした。
まさに、「欧米化」「簡便化」「スピード」という3つの変化の風が吹いていた時代だ。
辞典によれば、「スピード」とは「成功、繁栄」が原義であるそうだ。
ビジネスは、モタモタしていれば、成功することはできない。
スピードは成功をもたらし、繁栄する要素だということを、肝に銘ずべきであろう。
スピードがないものは取り残されてしまう。
最近では、ファーストフードに反撃するかのように「スローフード」というビジネスが登場した。
しかし、スロー(=動作がのろいさま)では、便利さをお客様に提供できないので、これまでどおり、スローフードはゆっくりと味わう楽しみを残したビジネスを展開すべきだろう。
スローフードが、ファーストフードの速さに便乗するようなことでは、本質を欠いてしまう。
「銀座のユダヤ人」として、マクドナルドを創業した藤田社長は、「欧米化・簡便化・スピードの要素を持ったモノは必ず成功する」と先読みしていた。
そのため、「アメリカのハンバーガー文化」「手軽に食べられるハンバーガー」「スピーディなサービス」という特長を持ったマクドナルドというビジネスが日本で必ず大成功する、と確信していた。
ちなみに、カジュアル衣料の製造販売「ユニクロ」を中心とした企業グループ持株会社である、「ファーストリテイリング」の代表取締役会長兼社長の柳井正氏は、自社のマクドナルド化を構想していたという。
ユニクロは、「3つの変化の風」に自社を変化させ、成功を収めている。
もともと重衣料の紳士服屋だったが、のちに簡便化でカジュアルな服装を販売するユニクロにチェンジした。
客単価はマクドナルドの10倍なので、単純にマクドナルドよりも2~3倍のスピードと規模を持つだろうと信じていたそうだ。
「ハッピー・ビジネス」の輸入輸入雑貨販売会社「藤田商店」を営んでいた藤田社長は、最大の輸入商品「ハッピー・ビジネス」を輸入した。
藤田社長は、時の流れというものを読み通していたのだ。
しかもそのハッピー・ビジネスの日本第1号店を、あえて銀座の中心にある一流デパート「銀座三越」のなかに出店させようと奔走したのである。
先述したように、藤田社長がマクドナルドを日本でオープンさせようとしたとき、ほとんどの銀行が融資をしてくれなかった。
そんななか、ただひとつの銀行が、(本店決済では断られてしまったのだが)支店長の裁量で融資してくれたそうだ。
意外と浪花節の人である藤田社長は、絶対に義理を欠かない。
のちに、傍目八目だったその支店長は、出世したに違いない。
当時のことを「マクドナルド売上百億円達成記念パーティ」や「マクドナルド売上1千億円達成記念パーティ」で、藤田社長が忸怩たる想いで語っていたことは懐かしい。
自身の信念にもとづいて「食文化の礎」を築けたことには、感慨もひとしおだっただろう。
全社員や藤田社長と奥様はじめご家族とともに、マクドナルドの快進撃とさらなる飛躍への挑戦を祝った記憶は、今でも鮮明に残っている。
「マクダナーズ」を「マクド、ナルド」と韻を踏むアメリカでマクドナルドは、「マクダナーズ」と呼ばれている。
しかし藤田社長は、日本マクドナルド社の設立登記のとき、「その発音は日本人には受け入れられない」と判断し、さらには、「日本人は韻を踏まなければ駄目だ」と考えた。
そこで「マクド」と「ナルド」で韻を踏む、「マクドナルド」にしたという。
さすが、実によい語感である。
また、マクドナルドの定款には「ファースト・フード」のことを「高速度食品製造加工販売業」と名訳した。
さらに、広告表現には、星条旗を想起させないために、星印を絶対に使わなかった。
藤田社長は、日本マクドナルド社を、「日本人の日本人によるマクドナルドである」ことを演出したかったのだ。
当時は、日本人のなかにアメリカに強い抵抗を持つ人が少なくなかったからだ。
日本マクドナルド社が拡大している最中だった1986年当時、面白いことに藤田社長がアメリカの超人気テレビ番組「レイトナイト・ショー」に生出演したことがある。
藤田社長は番組のなかで、「Weweresurprised.ThereareMcDonaldsinAmerica.(日本のボーイスカウトがアメリカに来たとき、アメリカにもマクドナルドがあると驚いた)」と話して、この生放送は全米で話題になったとされる。
このようなこともあり、「デン・フジタ」という日本マクドナルド社の社長は、時の人となったのだ。
そして、ハンバーガーの本家本元からは「アメリカハンバーガー文化を日本で大成功させた者」と持てはやされた。
このような言葉をかけられるということは、藤田社長がイメージしていた「マクドナルドの日本での戦略」が成功した証でもあるといえるだろう。
今なお続く、研究開発とマネジメントサイクルそもそも、アメリカはシステムの国である。
「作業分析(モーション・スタディ)」や「人間工学」などが盛んに研究されてきた。
マクドナルド社でも、機器開発や製造ライン、レイアウト研究、調理法、調理時間など、あらゆる研究が行われた。
そして今なお、研究開発とイノベーションは続いている。
アメリカ合衆国の技術者・経営学者であるフレデリック・テイラー氏の弟子たちの一人に、ハロルド・メイナード氏がいる。
彼は、「(1)目標を設定する(2)目標達成のための指揮をとる(3)結果を測定する(4)改善と改革を促進する(5)部下を育成する」というマネジメント・サイクルを提唱した人物だ。
マクドナルド社は、常にこのような賢いマネジメント理論に沿った経営をしてきた。
起業家は、会社がまだ小さなときから、理念を持ってしっかりとしていなければ、会社は大きくはなれないのだ。
マニュアル巻頭の挨拶私は藤田社長に代わって、社長の想いを込めたマニュアル『歴史を書き換えるマクドナルドQSCの下に』の大構想とシナリオライターを任された。
これはもちろん、藤田社長の御決裁を仰いだ結果だ。
このマニュアルのなかで、私は日本マクドナルドのこと、自身の想い入れが強い「ジャンボ・ジェット」に比喩して、「いわば、マクドナルドは人智の結晶である2万5千のノウハウが詰められたジャンボ・ジェットである」とした。
さらに、「マネージャーは、それを操縦するパイロットだ」とも書き記した。
どうやら藤田社長は、この表現をとても気に入ってくださったようで、コンベンションなどのご挨拶時には、「2万5千のノウハウを持ったジャンボ・ジェットが、今や大きく離陸したのであり、諸君の大いなる挑戦に期待したい」と店長諸君の飛躍を願い、激励されるようになった。
ミルクセーキがなかった時代「オッパイの記憶」が大ヒット昔は、保健所が実施する乳製品の衛生基準に「アイスクリーム」はあったのだが、ミルクセーキ、いわゆる「シェイク」はなかった。
よって、日本人にとっては、マクドナルドのシェイクは、「まったく新しい飲み物」のように思えたのだ。
マクドナルドのシェイクは、マシンのホッパーに「シェイクミックス」というミルクベースを投入し、回転ブレードでシリンダー内の壁で凍結している液体を削り取り、カップに抽出している。
それにチョコレートやストロベリー、バニラなどのフレーバーを投入して、かき混ぜると完成だ。
このとき、凍結したシェイクとフレーバーをかき混ぜる機械こそが、クロック氏がビジネスで扱っていた「マルチミキサー」である。
計10本のスピンドル(攪拌機)が付いたマルチミキサーに、シェイクカップをセットして、かき混ぜていた。
こうして、かき混ぜられたシェイクのおいしさは最高である。
また、このシェイクは「科学的なおいしさ」も追求して、ビスコシティー(粘性)がシェイクの決め手である。
ここで、マクドナルドのシェイクにまつわるエピソードをご紹介しよう。
「なぜ、シェイクは売れたのか?」といえば、それは母親のオッパイの記憶を呼び起こすからだ、という。
オッパイの希求は、男女ともに同じで、本能のようなもの。
だからこそ、シェイクを飲むときは口をすぼめて、オッパイを求めるようにストローでシェイクを吸い上げ、快感を感じるのだ。
しかも、マクドナルドのシェイクには、まだ隠された科学的な秘密がある。
それはシェイクのなかに、一定比率で空気を含有させていることだ。
これを「オーバーラン」と呼ぶが、このオーバーランの比率こそが、オッパイを吸っている感覚の決め手である。
これについて藤田社長は、「吸いつかないと、なかなか吸い込めないようになっている」と、シェイクが売れる秘密を語ってくれたものだ。
実は、敬虔なクリスチャンの藤田社長のご両親は、赤ん坊だった藤田社長の口のなかに、十字架を入れたという。
漢字では、「口」に十字架の「十」を書くと「田」となるため、藤田社長の名前は「田(デン)」となった。
もしかすると、藤田社長は幼少期、オッパイを吸うことが許されなかったのかもしれない。
その結果として、オッパイを希求して日本にシェイクを広めたのだろうか。
さらに、シェイクが売れた秘密は、もうひとつある。
それは、飲んだ後に水を欲しないよう、甘ったるくなりすぎず、爽やかな後味を残していることだ。
シェイクは、シリンダーから削り出されるときに「アイスクリスタル」という小さな氷の結晶ができるため、このアイスクリスタルが爽やかなテイストを口のなかに残してくれる。
こういった技術もまた、藤田社長の自慢であった。
3種類のシェイクのフレーバーを用意して、季節やプロモーションによって訴求を変え、お客様に楽しんでもらった。
シェイクが人気になったあとは、マシンの性能が進歩したため、マルチミキサーが不要となり、機械からシェイクをダイレクトに製造できるようになった。
そのため、シェイクの品質を保つことができ、バクテリアなどの衛生管理がしやすくなり、しかも1時間に最大480杯ものシェイクを連続製造できるようになったのだ。
このマシンを製作したのは、アメリカのシカゴ近郊の田舎町「ロックトン」にある、機械メーカーの「テイラー社」。
マシンの製造には時間がかかるが、精密で高額なマシンだ。
そのマシンは厨房内で場所を取らず、洗浄や殺菌、組立、オペレーションしやすく設計されている。
水冷式のシェイクマシンは、さしずめ「ベンツ」といったところだろうか。
私はこのマシンの存在を知ったとき、「こんなマシンが、当時の銀座三越店にあればよかったな」と思った。
かつて、銀座の歩行者天国の日曜日やゴールデンウィークには、毎回シェイクミックス1トン分のシェイクを販売していたからだ。
18坪しかないマクドナルドの厨房には、製造クルーおよそ30人で、グリル2台、フライヤー3バット2基、シェイクマシン2台、マルチミキサー2台を操作していた。
しかも、バックアップ含めたカウンタークルーおよそ30人で、スウェーデン製のレジスター8台を操作し、しかもレジの音は猛烈に稼働しっぱなしであり、火を噴きそうな忙しさだった。
クルーは暗算した金額を一発でレジに打ち込み、ピークは毎時間帯の売り上げが50万円前後で、そのピークが3~4時間は続いた。
マクドナルド日本1号店目である銀座店では、世界新記録の売り上げを何回も更新していたのだ。
その銀座店が入店していた銀座三越食品売り場の責任者は、マクドナルドの売れ行きを見て、毎回興奮してよろこんでくれた。
これこそが、銀座の歩行者天国を彩っていた、マクドナルドの歴史なのである。
「パパママ・ストア」で地位が低い。
社員全員を学卒にして外食産業化へ藤田社長は、「飲食店はパパママ・ストア(夫婦とその家族、あるいはパート・タイマー数名で経営している小規模の小売店)が多く、地位が低い」といつも言っていた。
そのため、「1千億円売らなければ産業とは言わない」と考えて、「外食産業」という言葉がまだなかった時代に、「その地位や名声を確実なもとしていくには、ビジネスマン店長を育成しなければならない」という戦略を描いていたのである。
そのためにも、マクドナルドに大学卒のクルーを配置して、新しい労務政策のなか、まったく新しい食文化を構想していた。
まさに、日本を変えるシステムを持った企業として、マクドナルドはスタートしたのだ。
そして、全員がハンバーガー大学を卒業した称号「ハンバーガー学士・修士」という最終学歴を持ったマネージャーチームが会社全体を動かし、マクドナルドは巨大なビジネスへと成長していった。
1店舗ずつが小さな店舗であり、お客様1人ひとりが来店してくださることによってはじめて、全体としてのマクドナルドがビジネスになる。
そのことを、常に使命としていたのだ。
直営方式で戦う。
社長が多くては、舵が切れないビジネスでは、ひとりの社長がひとつの方針で1千億円を売り上げるまでは、直営で突き進まないと、それこそ会社全体の舵が取れなくなる。
そのため、まだ世間に「マクドナルドが何たるか」を知られていないうちに、マクドナルドのフランチャイズ店オーナー社長を増やすことは、リスクが大きかった。
よってアメリカのマクドナルドでは、「直営:フランチャイズ=25:75」程度の割合で、店舗がコントロールされている。
ちなみに、今なおマクドナルドのオーナー希望者が2万人以上いる、と聞いたことがある。
それほど、マクドナルドのオーナーには魅力があるのだ。
実績と実力のあるマクドナルドのオーナーのなかには、50店舗ほどを受け持っている人が少なくない。
オーナーたちは、店舗設計やデザインに、そのオーナー
独自のカラーを取り入れて、店舗運営を楽しんでいるようだ。
たとえば、海岸通りの店舗では、「海」をイメージさせるデザインでお客様を楽しませ、ダウンタウンの店舗では「アートギャラリー」のようなデザインを施す。
そのように、それぞれの店舗が、実に凝った内装になっている。
そこには、「マクドナルドのオーナー」として誇りと夢を持ち、豊かに働いているオーナーたちの姿がある。
日本でのフランチャイズ比率やエリアオーナーの特徴は、アメリカと同じようになっていくだろう。
血判書を上申し、人事権を奪還1975年、私がマクドナルドで統括スーパーバイザーをしていたとき、マクドナルド本社の「機構改革」がはじまった。
藤田社長は本社幹部として、人事部長を「某銀行本店」から、また、局長クラスを「農林省」(当時)や「国税局」から招き入れた。
そして、藤田社長は社員に、「会社は大きくなってくる。
君たちはよくやるが、今は若く、社会経験が足りない。
会社が社会に伍していくには、それなりの体制がいる。
彼らによく教わってうまくやってくれ!みんなすぐに歳をとっていなくなる」と言った。
意を決して入社した最高幹部たちは、マクドナルドの店舗巡回視察を終えて、「店長の上にスーパーバイザーは要らない。
人件費がムダだ」と藤田社長に視察した意見を進言した。
そして、銀行本店からやってきた人事部長も、「店舗を含めた人事権を、本社人事部が主管する」という改革案を進言した。
創業時から日本担当役員として携わっていたJ・A氏は、この不穏な動きを察知して、「高橋!こんなことを放っておくのか」と顔を青くしながら、私に言ってきた。
さらに、「高橋!昔、侍が指切って血で押す、あれを何と言った?」と言われ、「それは血判書です」と私が答えると、「社長に血判書を出せ!さらに辞書を片手に直談判だ!」と言って、風雲急を告げた。
そう言われた私は、徹夜で学生時代に読んだ幸田一男氏の「組織論」を読み直した。
そして、マクドナルドの「現場管理の在り方」と「現場人事管理の在り方」について、組織論を訴えたレポートを作成し、同僚と連名で、藤田社長に上申した。
その翌日、店舗指導中に藤田社長の秘書から電話があり、「社長が今夜、話を聞く。
17時、同僚と一緒に、銀座にある天ぷら屋に来るように」と言われた。
社長の逆鱗に触れたのか、それとも懐柔作戦か─。
身体に緊張が走った。
招かれたのは、銀座の天ぷら屋「天一」。
私はこのような料亭に来たことがなかった。
17時ちょうどに藤田社長が現れたが、まだ開店間もない頃だったので、私たち以外にほかの客はいなかった。
社長と隣り合わせで座り、揚げたての天ぷらが頂ける、上客が座るようなカウンター席に着かされた。
そして、いよいよ社長が口火を切った。
「会社が大きくなるといろいろあるが、役人や銀行のおっさんには、わからんことがある。
高橋君も書いておったが、あの連中はスーパーバイザーのことはわかっとらんし、現場の働きぶりを見とらん者が、人事評価しても誰もついてこうへん。
そりゃ、怒るのは当たり前だ。
高橋たちがいうように、現場のことは運営部に任す。
IさんにもMさん(藤田社長は目上の者は、さん付けだった)にも、自分から話をするから」。
藤田社長がそう言ってくれてからというもの、ぎくしゃくしていた機構改革は、かえって「現場オペレーションあっての企業だ」ということを、本社の幹部たちにも認識していただけた。
このときほど、運営部の存在が誇らしく、うれしく感じたことはない。
私の行動は反旗を翻したわけではなく、自らの使命や会社にとってのエンジンは何か、現場あっての企業であること、そしてライン人事のあり方の重要性を本社大幹部たちに亀鑑することができたのだ。
働く者にとって、従業員の業務に対する貢献度や職務の遂行度、業績、能力などを一定の基準で査定する「人事考課」ほど、重要なことはないだろう。
人は誰でも、「まともに評価されたい」と願っている。
心のなかで「まともに承認されたい」という欲求があるからだ。
本社で働く人事部が、遠くにいる店舗のマネージャー達を、まともに人事考課などできるはずはない。
実際、それまでの評価は、運営部全体で行なう「評価会議」のなかで、公正で慎重に行われていた。
評価は個人に直接利害をもたらすものであり、個人を尊重することに徹していたのだ。
人を育てるためには、人の熱意が燃えているときに適正に評価し、悪いところがあれば言って聞かせ、「やる気」を持続させなければいけない。
ニューヨークを見ずして、ビジネスは語れん。
かわいい社員には旅をアメリカのニューヨークは、ビジネスのメッカだ。
そのため、「ニューヨークを見ずしてビジネスは語れない」が藤田社長の口癖だった。
スーパーバイザーになって、よい仕事をしている人はみんな、ハンバーガービジネスが生まれた本拠地「アメリカ西海岸のサンフランシスコ」にある熾烈な競合店の状況を視察した。
そして、本部シカゴのハンバーガー大学で、スーパーバイザーコースを受講する。
シカゴのハンバーガー大学をはじめて見た人はみな、その威容さに驚きを隠せないだろう。
そのあとも、シカゴで見るものや食べるもの、行き交う言葉にカルチャーショックとストレスを覚えるのだ。
そんななかで、何とかハンバーガー大学を卒業した人には、「かわいい社員には旅をさせよ」という言葉のとおり、卒業式の翌日からニューヨーク見学がプレゼントされる。
ニューヨークは、生き馬の目を抜く大都市である。
英語のことわざに「Seeingisbelieving.」とあるように「見れば信じるようになる」のだ。
卒業生たちは、ニューヨークという街を見た瞬間に、目から鱗が落ちる。
私もシカゴ駐在中はコーディネーターとして7~8回、ハンバーガー大学の卒業生たちにニューヨークを案内した。
ニューヨークには昼夜問わず、見学するところがいくらでもある。
たとえば、メトロポリタン美術館は圧巻である。
夜は、「42ndStreet」で見る観劇シーンの威容さに驚かされるであろう。
ミュージカルシアターがいくつもあり、道路両サイドに連なる何十台もの黒塗りの8枚ドアー、10枚ドアーの超ロングボディーのリムジンから、フォーマルに着飾った(それこそ、冬は毛皮コートをまとった)男女が、次々とシアターになだれ込んでいく。
そして、23時に観劇が終わると、今度は観客たちが次々となだれ出る。
観光客と観客は通りからさっと消え、真夜中の街の雰囲気は、異様なあやしさと恐ろしさを漂わせるところも魅力的だった。
このような米国出張体験を体験したスーパーバイザーたちは、日本に帰国すると、今まで培ってきた「知識」「環境」「やる気」が今まで以上にパワーアップする。
「米国出張」という大義を持って、本場で本物を見た体験談を、家族や部下、仕事仲間にできることほど、幸せなことはないだろう。
これこそ、ビジネスマンとしての誇りだ。
しかも、当時のマクドナルド社は「出張中の日当」とは別に、かなりの額の「出張支度金」を支給してくれた。
出張の支度で家計が圧迫されないようにと、細かい配慮をしてくれたのだ。
スーパーバイザーたちの奥様も、これにはさぞ、よろこんだことであろう。
折角の機会を生かすために、会社はそこまでして、異国の地で「かわいい社員には旅をさせたかった」のである。
藤田田語録名言を持つ人や、人の心を打つような口癖を持ったリーダーの考えに、人は共感してついていきたいと思うようになる。
だからこそ、名言もないようなリーダーでは力不足だ。
その点、藤田社長は、数々の名言を残した人物なのだが、そのなかから、まずは「女性と口をねらえ」という言葉をご紹介したい。
そもそも、日本でマクドナルドがスタートした原点は「女性と口をねらえ」にあった。
学生時代から、高級輸入商をしていた藤田社長は、終わりのない「女性の欲望」を熟知していた。
実際、高級ハンドバッグやダイヤモンドなどの輸入元であるクリスチャン・ディオールは、女性の欲望を生かして、ビジネスを成功させている。
また藤田社長は、口に入れるもの、消費されるものを狙ってドンピシャと感じた「ハンバーガー」を商品とし、マクドナルドで成功を収めた。
藤田社長は、「文化性のないものはすぐに廃れる」という名言も残している。
ハンバーガーという新しい食文化は、「簡便化」「スピード」という2要素があったため、アメリカに浸透して、アメリカの食文化となった。
藤田社長は、「アメリカでも食文化となったマクドナルドが、日本でも必ずや新しい「欧米化」の食文化として、日本のライフスタイルになる」と確信していたのだ。
さらに、「水と文化は高きから低きに流れる」という藤田社長の言葉も忘れてはならない。
日本のマクドナルド第1号店目は、「郊外から店舗を増やす」というアメリカ法人の方針を覆し、東京の一等地にある銀座三越に出店した結果、成功した。
実は、かねてから計画されていた神奈川県茅ヶ崎にある海辺の店舗は、幻の1号店と化したのだ。
ただ江の島には、1978年10月、世界5000号店目を開店している。
そして、海水浴シーズンには、1億円近い月商を記録しているのだ。
最後に、藤田社長の「勝てば官軍」という言葉をご紹介しよう。
これは、法を犯してまで強硬に物事を進めろ、ということではない。
不正は、何より藤田社長が嫌ったことだ。
この言葉は、「物事は頭を使って行え」ということである。
これと裏返しに「頭の悪い者は損をする」とも言っていた。
多くの人は、頭を使わないで物事を進めようとするが、世の中の変化を読むことが重要であり、ひらめきや感だけで勝負することはできない。
日々、真剣に一本勝負するしかない。
そのことをよく理解していた藤田社長は、毎日、為替をグラフに記録していた。
それに基づいて為替トレンドを的確に、しかも慎重に読んでいた。
貿易商の心臓部分である。
私は、藤田社長が「巻物状になった紙」を広げて時代の流れを読んでいる、すぐそばにいたことがあり、その事実を知った。
藤田社長のその姿を、おそらくほかの人は知らないはずだ。
見えないところで努力していた藤田社長は、「物事は頭を使って行え」という言葉を自ら体現されていた。
リーダーとは、まさにこうあるべきである。
ダイヤモンド・ロール作戦藤田社長は、「CS(顧客満足度)」「ES(従業員満足度)」「Profit(利益)」「SalesShare(売上占有率)」の4つを結んでできる、まるで輝くダイヤモンドのような形に、重要な意味を持たせた。
売上の市場占有率と利益確保は、「CS」が高まらなければ成り立たない。
顧客満足は、どこからくるか。
それは「ES」にほかならないだろう。
よって、ダイヤモンド・ロール作戦とは、従業員のために、お金と注意を払う作戦である。
これには、従業員も大いによろこんだ。
マクドナルドは、起業当初からES向上のための対策が進んでいた。
もっともよかったのは、「社員の誕生日を祝う食事会」だった。
毎月、東の社員は京都に集まって、懐石料理や川床料理を楽しんだ。
西の社員は、東京・池袋サンシャインシティの1流中華料理を楽しんだ。
そこで、藤田社長がお祝いの言葉を述べ、幹部社員がそれに続いて、みんなで社員の誕生日を祝うのだ。
社員のなかには、「新幹線に乗るのが初めて」とよろこぶ人もいた。
食事会が終わったあとは、それぞれが付近にあるマクドナルドを視察して帰路についた。
ただ、会社規模が小さいうちは、この食事会を開くことが可能だったが、会社規模が大きくなると、なかなか難しくなってしまったのだ。
そこで、藤田社長は、社員に誕生日の特別休日である「個人の祭日」を設けてくれた。
そして、「家族と食事をしなさい」と1万円のご祝儀を与えてくれたのだ。
しかも、社員の妻の誕生日には、メッセージカードとともに、藤田社長から社員の妻宛てに、花束が届けられるようになった。
藤田社長の心遣いに、私の妻も心から感謝していた。
妻を持つ社員のなかには、妻の誕生日を忘れている人がいるし、覚えていても花束をプレゼントすることは滅多にないだろう。
それなのに、藤田社長から花束だけではなく、メッセージカードまで届くのである。
マクドナルドの社員を支えてくれる妻に感謝することを、藤田社長は忘れていなかったのだ。
会社に利益が十分に出るようになると、藤田社長はオークブルック(シカゴのオークブルックにある米国本社)を説得して、社員に決算ボーナスを支給してくれた。
決算ボーナスは、藤田社長の力と信念の結果だ。
「決算ボーナスの金額の2分の1は奥様の口座に」ということが、藤田社長の夢だった。
「社員の妻が、毎日旦那の尻を叩いてくれるから、旦那は会社で頑張れるのだ」という社員の家族への感謝の気持ちがあったからだ。
また、藤田社長はどんなときも遊び心を忘れず、人心掌握を忘れない人であったから、結婚していない社員がいても、「ボーナスの半分は、妻とおぼしき人でも、内縁の妻にあげてもいい」と定例会で発表しながら、寛大に笑っていた。
藤田社長は、「ハンバーガー無料券」が一枚でも合わなければ激怒するほど、管理には厳格な人物であった。
藤田社長が「企業は外的要因では潰れない」「内部管理の甘さや、蟻の一穴から崩れる」といつも言っていたことをよく覚えている。
しかし、必要なお金を使うことには、実に豪快だったのだ。
藤田社長は、節目の祝いごとを、いつも心から気持ちよく祝ってくれた。
5年・10年・15年・20年と社員の永年勤続を表彰するために、妻同伴可能なパーティを開いてくださり、感謝状と記念品をプレゼントしてくださった。
また、「マクドナルド売上100億円達成記念パーティ」には、クロック氏を招いてくれた。
私は、清潔感があり、気品の高いクロック氏と会って興奮した。
クロック氏は、とても気さくな方で、和太鼓のおもてなしにご自身も叩いてみせるなどの愛嬌を見せてくれた。
小さな千鳥格子の生地であつらえた私のベストを見て、「あなたのベストは、とてもおしゃれだ」と褒められたことを今でも覚えている。
クロック氏が帰国したあと、「日本のマクドナルドはよく運営している」ということでクロック氏から藤田社長にテレックスが入ったそうだ。
そのテレックスの文面には、「スーパーバイザー以上の幹部社員に、本国マクドナルドのストック・オプション(株式会社の経営者や従業員が自社株を一定の行使価格で購入できる権利)を無償で供与する」という内容も含まれていた。
その後も、昇進のたびにストック・オプションを与えてくれた。
そして私は、最初の「フリンジ・ベネフィット(企業などが、その役員や従業員などの給与所得者に対し、賃金・給与以外に提供する経済的利益)」で自動車を買った。
日本におけるストック・オプションに対する税務政策は、ずっと後になってから進んだ。
いろいろな意味で、新しいことを先に学ぶことができた経験となったのだ。
科学的管理法によるレストラン革命(1)工場のライン方式をレストラン・サービスに導入アメリカなどの工場の製造ラインで導入されている「流れ作業」は、もともと食肉処理工場で行われていたという。
それを自動車メーカー「フォード・モーター」が自動車の製造ラインに使ったことで広まっていった。
また、19世紀後半から20世紀初冬に、フレデリック・テイラー氏が「科学的管理法」というテイラー・システムを提唱した。
これは、工場の生産管理方式を研究した結果、生み出されたものである。
マクドナルドのレストラン運営には、流れ作業で行なう工場の製造ライン方式と、テイラーの科学的管理法を導入している。
1店舗ずつの厨房が、ハンバーガーをつくり出す小さな工場となり、厨房で作り出されるハンバーガーはバックヤードから前方のサービスカウンターへ移動して、ハンバーガーの完成品がレジからお客様に提供される仕組みだ。
そして、この科学的管理法は、マクドナルドのサービスにまで応用された。
実際にマクドナルドを利用したことがある人であれば、そのシステマチックなサービスを体験したことがあるだろう。
「サービスに工場ライン方式を導入する」といった、科学を取り入れたマクドナルド社の仕組みは、学者であるセオドア・レビット氏によって注目され、1982年にアメリカ合衆国の経営学誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』に寄稿されているほどだ。
(2)サービスを科学した最初の企業「ファースト・フード」と聞くと、多くの人は「ジャンクフード」をイメージするはずだ。
しかし、それは大きな勘違いである。
実際のところ、ファーストフードはクイック・サービスで、スピーディに商品を提供するサービス・レストランなのである。
そのため、サービスを科学せずして、クイック・サービスを提供することはできない。
たとえば、お客様から注文を受けたら、どんなに忙しくても、すばやくお客様に商品をお渡しする必要がある。
しかも、いつでもフレンドリーで、スマイル(笑顔)を求められる。
サービスを大事にしてきたマクドナルドでは、スマイルのないサービスなどは考えられない。
そのため、文化的にスマイルの存在しないロシアのモスクワに、マクドナルド1号店がグランドオープンしたとき、民族的に一番似ているドイツからクルーが派遣され、「スマイル」というサービスが輸入されたほどである。
サービスを提供する「具体的な手順」や、サービスを測定する「チェック」には、科学的なツールが導入されている。
サービスを具体的に計量化して、科学的に評価しているのだ。
役割によって統一されたユニフォームやトレーニングされた無駄のない動き、そしてスマイル。
とくに、サービスの質が悪くなりがちな、忙しい時間帯のサービスを見てもらいたい。
忙しいなかでも、まるで「マクドナルド・サービス・オンステージ・ショー」を見ているように感じたら、それは最高によい状態の店舗のはずだ。
カウンターのお客様サービスでは、「挨拶→注文を受ける→商品を取り揃える→代金の授受→商品を渡す→感謝と再来の挨拶をする」という6ステップが決められている。
お客様第一主義とするマクドナルドのクルーは、サービングタイムとして「お客様から注文を受けてから30秒以内で提供する」ことが基本だ。
お客様が列に並んでいる時間は2分が限界であるため、この並んでいるラインタイムをすぐに判断して、バックアップシステムの手を打たなくてはいけない。
また、注文を受けたときは、おすすめアイテムを紹介したり、お客様が注文し忘れていたりしないかを確認する、いわゆる「サジェスティブセリング」をタイミングよく、歯切れよく行う。
たとえば、「お客さま、ご一緒に熱々のポテトはいかがでしょうか?」と言うことが、お客様に対する気遣いとなる。
さらに、マクドナルドは、お客様あってのビジネスだからこそ、お客様が来店されてから、お帰りになるまで最低3回は「ありがとうございます」と感謝を伝えるように指導されている。
マクドナルドはセルフサービスであるにもかかわらず、お客様からサービスで高い評価を得ている。
サービスの本質は「感じがよい」ことと「速い」ことが命だ。
まるで、サービスが商品であるかのように、また来たくなる「感じのよい場所」をサービスによって作らなければいけない。
だからこそ、マクドナルドはスマイルを「0円」で提供しているのだ。
よいサービスを演出することは、費用がそこまでかかわらないわりに、お客様からの反響が大きい。
もちろん、「商品の品質がよい」ことは言うまでもないだろう。
(3)フレンチ・フライのおいしさのヒミツ~素材~マクドナルドのフレンチ・フライが、世界一おいしい秘密は、まずその「素材」にある。
フレンチ・フライで使われるジャガイモは、アイダホ産のラセットバーバンク種を使用している。
アイダホは北緯42度と、北海道とほぼ同じ位置にあるのだが、昼夜には大きな気温差が生まれる。
ここに、おいしさの秘密があるのだ。
昼間、太陽の光をさんさんと浴びたジャガイモが、でんぷんを蓄えて大きくなる。
そして、夜の冷え込みによって、ジャガイモの糖分がイモ全体に均一に分布される。
では、なぜ北海道のジャガイモではいけないのか。
実は、当時の日本のジャガイモは、糖分がイモの中心に集中してしまい、素揚げすると中心部分が黒くなって、その部分がシンナリしてしまう。
そのため、全体がシャキッとしたゴールデンブラウンのフレンチ・フライにはならない。
その昔、ジャガイモの専門家である、米国マクドナルドコーポレーションのケン・ストロング博士が、北海道の大地でアイダホと同じようなジャガイモをつくろうと試みたが、当時はアイダホ産のようなポテトは完成しなかった。
そのため、今でも、アイダホ産のジャガイモが工場で一次加工され、冷凍で輸入されている。
(4)フレンチ・フライのおいしさのヒミツ~温泉理論のフライヤー~マクドナルドのフレンチ・フライが、世界一おいしい秘密は、「素材」だけではなく、その「調理機器」や「調理方法」にもある。
調理機器で使うフライヤーは、すぐに温度の下がらない「温泉理論」を利用している。
小さな風呂は、すぐに冷めてしまう。
だが、大きな温泉は、蓋をしなくても何人が入ろうとも、温度が下がらない。
これと同じように、マクドナルドのフライヤーは、冷凍ポテトを連続して入れても、油の温度が下がらないように設計されているのだ。
万が一、油の温度が下がっても、いち早くリカバリーできるので、高温でカラッと揚げられる。
この機械を、家庭ではマネできないだろう。
しかも、フレンチ・フライを揚げる「フライヤー鍋(バット)」の上部で直接火が燃えている状態を作り出し、下部をコールド・ゾーンとしているため、油が劣化せず、大容量の油量を保てるようになっている。
この設計により、熱効率が最大になるメリットもある。
そのため、1時間に2バットの交互連続オペレーションをしても、30キロも大量のポテトをよりよい品質で揚げることができるのだ。
調理時間はすべてコンピューターで管理され、クルーの感覚と経験には頼らない。
科学的管理法を基本とするが、完成したフレンチ・フライのビジュアルキャラクター(完成品基準)は、人間の目で最終確認している。
ゴールデンブラウンの色をした、熱々のフレンチ・フライを目視で確認したら、それをパッケージに満杯に入れて、お客様に提供している。
このように、どの会社にも負けない最高品質のフレンチ・フライを提供するために、素材には妥協を許さず、調理法に細心の注意を払い、科学的にフレンチ・フライをつくり出しているのだ。
さらにいえば、マクドナルド社のモットーでもある「やさしく、愛情をもって取り扱う」ことに注意を払っていることは間違いない。
(5)テニスコート理論の店舗設計~厨房は戦艦マクドナルド号~開発当初からマクドナルドの厨房は、工場のライン方式が採用され、商品を生み出し続ける戦艦となった。
乗組員は、全員が「クルー」と呼ばれ、各ステーションに戦闘配置されている。
従業員の活動エリアをテニスコートにたとえると、ネット中央から半分は厨房であり、もう半分は顧客のサービスエリアとダイニングエリアに分けられている。
実際、内装のレイアウトはテニスコートで検討されたというから、行動科学の原点ともいうべきだろう。
いかにも、アメリカ発のサービスである。
しかし、この厨房を2分の1に分けた設計こそが、レストランを産業化できた理由だろう。
完全なクオリティで商品を大量生産するには、革命的な発想が必要であり、マクドナルドの「テニスコート理論」ともいえる店舗設計に感心した。
(6)経営理念が全クルーを動かす~QSC&V~
マクドナルドが最初に考え出した、「Q:クオリティー(品質)」「S:サービス(サービス)」「C:クリンリネス(清潔さ)」という経営理念「QSC理念」は、今では飲食店業界で広く普及している。
しかし、その多くはお飾りのようにただあるだけで、表層的にしか理解されず、本質を捉えていない。
マクドナルドでは経営理念が完全に理解され、理念をすべてに消化することができている。
マクドナルドでは1980年代に、食事としての高い価値の追求が必要になってきたため、「QSC理念」に加えて、「バリュー作戦(価値)」が展開された。
これを合わせて、「QSC&V」と呼ぶ。
そして、メニューにはL・M・Sという3つのサイズが加わり、ビッグミール化が進んでいった。
マクドナルド社では、これらの経営理念によって、人やモノ、金、情報が構築され、動いている。
マニュアルやオペレーション、店舗設計、購買、品質保証、マーケティングの全てが、「QSC&V」に沿うことが基本なのだ。
(7)「掃除」は立派な文化~Cleanasyougo~レストランを続ける上で、マクドナルドの経営理念QSCのC:クリンリネス(清潔さ)」を維持することが重要であり、マクドナルドで行われる、ほとんどの仕事は掃除なのだ。
暇を持て余して、ただ立っていることは、みっともないことだし、お客様から怠けているように見られる。
そんなレストランに、お客様はやってこない。
だから、クルーは「寄りかからず、常に何かをしてなさい」と指導を受ける。
その理由は、「Cleanasyougo(あなたの行くところすべてきれいにしなさい)」である。
よってクルーは、厨房の各ステーションだけではなく、店舗の内と外など、自らが行く先々で清潔さを維持しなければならない。
その清潔さは、「ガラスに指紋1つないこと」「タイル1枚剥がれていても駄目」ということが基準である。
自分が行く先々で、どこもかしこもピカピカの状態でなければならない。
とくに厨房は、ドライキッチン方式としている。
日本の多くのレストランでは、厨房が水に濡れた状来で、従業員がゴム長靴を履きながらオペレーションしなくてはいけない。
しかし、これでは湿度が高く、不衛生である。
マクドナルドのドライキッチン方式では、床が濡れていないので、ピカピカの革靴でオペレーションができる。
床が滑らず、作業効率はよくなり、しかも安全というオマケ付きなのだ。
しかも、マクドナルドの店舗には、毎日夜中から朝まで清掃作業専門の「メンテナンスマン」がいる。
彼らは、店舗の営業時間外に、とくに念入りに清掃とメンテナンスをしてくれる。
厨房はもちろん、客席やトイレ、駐車場などすべてを、いつ掃除するか、細かくプログラムされているのだ。
マニュアルには、「テーブル1卓の清掃標準時間は1分」と決められている。
掃除は上から下へ、奥から外が基本だ。
モップは、横8の字で綿先を立てて拭く。
そうすれば、タイルの目地がきれいになるからだ。
このように、マクドナルドでは「清潔さの維持」にお金と時間を投資し、神経も使っている。
清潔さを求めることは、経営理念の厳守事項であるが、クルーのモラルの維持管理の基本でもあり、掃除をすることで心を磨ける。
Cleanasyougoを実践することで、「アウェアネス(正しい知識に基づく注意力)」を喚起して、細かなことに気がつく人間になれる。
だから、マクドナルドにおいて、掃除は立派な文化であり、クオリティ管理やサービス管理など、すべての仕事のベースとなっている。
さらに言えば、マクドナルド社は創業時から、清掃活動を通じて地域社会に奉仕活動をしている。
毎日、お店の周囲2220㎡の清掃をしているのだ。
向こう3軒両隣のブロックにゴミが落ちているほど恥ずかしく、店舗イメージを幻滅させるものはないであろう。
きれいな街は、レストランをより魅力的なものに見せてくれる。
これも「Visibility(視認性)」を強調して、美観を保つ方法のひとつだ。
(8)店内エアフローが「熱効率」「衛生」「快適さ」を決める厨房に排気ダクトを何本も持っている関係上、店内の換気システム「エアフロー」は、とても重要である。
ガス機器の完全燃焼と二酸化炭素、調理Vapor(油湯気、調理臭)の排気、空調温度管理と、複数のコントロール要素となっているからだ。
お客様が店舗を出入りするときに発生する空気の出入りは、正常なエアフローに障害をきたす、外的な要因となることがある。
よって店内は、外部からの冷気や熱気、排気ガスの多い空気、埃や虫などの侵入を防がなくてはいけない。
そのように、「ポジティブ・エアー」な店内の空気圧を保つために、厨房の排気ダクトから排気流量より多くの「フレッシュ・エアー」を厨房裏から投入している。
こうすることで、お客様が出入りするときに、空気が店内から外に流れる仕組みだ。
このようにして、店内は衛生的で、爽やかな環境を維持することができる。
ただ、空調システムに詳しくない日本では、この考え方のエンジニアリングがなく、エンジニアたちはアメリカでこの知識を学び、日本のマクドナルドに導入している。
(9)徹底した品質管理とイールド管理マクドナルドの行動科学による品質管理は、細部にわたっており、その徹底度はものすごいものがある。
1店舗あたりのロスは、全店で見れば大きくなるため、フレンチ・フライやコーラ、コーヒー、調味料など、すべてに「イールド(歩留り)」が決まっている。
そもそも、これをしっかりと捉えないと、品質がバラバラになってしまうからだ。
しかも、歩留りは利益に及ぼす影響が大きい。
無駄やムラを徹底的に排除して、しっかりとした品質管理と利益管理をする上で、イールド管理は絶対条件となる。
イールド追求は、必須オペレーションなのだ。
缶の中身は、ゴムヘラでなめたように取るし、チューブやバックからは中身を絞り出す。
これが、マクドナルドでは当たり前の作業なのだ。
フレンチ・フライのイールドが高い場合は、量が少なく、お客様に損をさせている可能性が高い。
その原因はクルーのトレーニング不足や、フレンチ・フライを入れるバッグの使用数が間違っているからかもしれない。
一方で、フレンチ・フライのイールドが低い場合は、お客様に規定よりも多くの量をお渡ししてしまっている可能性が高い。
その原因も、スティック折れが多い、扱いが悪いなど原因がある。
またイールドが高いときと同様のことなどが考えられる。
搬出入のハンドリングチェックや、在庫の再確認が必要となるだろう。
このように、すべての製品のイールド管理は、運営を見直す指標であり、原因を追及してオペレーションを改善し、最高の品質を確保するものである。
(10)ホールディング・タイムという厳格な品質管理食品の鮮度を大事にするマクドナルドでは、原材料から完成品に至るまで、「ホールディング・タイム」が決められている。
こうすることで、可能なかぎり、お客様に「できたて」を提供できる。
できたてを提供できるマクドナルドの厨房は、小さな工場であり、マクドナルドは高速の食品製造・加工・販売を得意とするレストラン産業なのだ。
生産効率を高めるための技術体系であるトヨタ自動車の生産方式「ジャストインタイム生産システム」と同様に、マクドナルドでは「MFY(メイド・フォー・ユー)」という、作りおきは一切せずに、お客様のオーダーと同時に製造を開始するシステムを利用している。
以前から、私は自動車を販売するトヨタと、ハンバーガーを販売するマクドナルドは、よく似ていると感じていた。
私は両社の製造法を合流させた考え「トヨナルド」という商標を登録したこともある。
両社とも、ひとりが複数の異なる作業や工程を遂行する技能を身につけた作業者、いわゆる「多能工」の育成をモッ
トーとしている。
そうすることで、ひとりがいくつもの仕事とポジションをこなすことができ、一人ひとりの生産性は極めて高くなる。
多能工のゴールは、「品質管理ができる」ことであり、売上が低い時間帯は、ひとりが複数のポジションをカバーできる、なんとも合理的なシステムなのだ。
また、売上が高いときには、ひとつのポジションを複数のクルーがバックアップできるシステムでもある。
また、生産現場で連続する工程間の仕掛在庫を最少にするための仕組みである「カンバン方式」は、POSシステムの画面表示で再現されている。
「現場」や「改善」といった言葉は、トヨタ自動車だけのものではない。
マクドナルドが秒単位で製造販売をしている歴史は、まさに現場と改善の歴史でもあり、むしろトヨタ自動車以上かもしれない。
システム思考による技能や、熟練多能工の技能は、お客様にご満足いただける源泉となっているのだ。
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