1本当にほめる
トミー・ラソーダ元ロサンジェルス・ドジャース監督をご存じですか。野茂英雄投手が最初に渡米した時の監督さんです。
彼は現役時代、投手として二勝三敗という成績しか残しておらず、いってみればまったくぱっとしない選手でした。
それがマネジャーとしてはとにかく群を抜いていて、2A(三軍)や3A(二軍)のチームを優勝に導き、その手腕を買われてメジャーの監督に抜擢された人です。
彼はいいます。ほめるというのは、ただ「すごい!」「すばらしい!」と美辞麗句を投げかけることではない、と。
相手が心の底で、他人から聞きたいと思っている言葉を伝えて初めて、「ほめる」という行為は完結すると。だから彼は観察と試行錯誤を大事にします。
例えば、ジョンという選手がヒットを打ったとします。
するとラソーダ監督はいいます。「ジョン、お前は天才だ!!」ところがジョンは顔色一つ変えません。淡々と「サンキュー、ボス」と返しただけ。
これは違うなとラソーダ監督は思います。しばらくしてまたジョンがヒットを打ちます。今度はラソーダ監督は違ういい回しを試します。
「ジョン、あの低めのストレートをよく軸をぶらさずに振りぬけたな」ジョンがほんのちょっぴり笑みを漏らすと、ラソーダ監督は思います。
「これだ」。コーチングのクライアントの社長さんがたまにいいます。
「あんたがほめるのがいいっていうからほめたけど、なんか、『あっそう』みたいな顔してたけどな」。ほめることは技術です。
何気なく人がほめられるかというと、そんなことはありません。
相手をよく見て、相手が日々どんなことを思っているのかを洞察して、どんな言葉を投げかけられたいのかを熟慮して、初めて「ほめ言葉」は発せられるべきものです。
例えば、家族の方──奥さんでも、だんなさんでも、お子さんでも、親御さんでも、誰か一人思い浮かべてみてください。
彼は(彼女は)、いったいどんなほめ言葉を聞きたいと思っているのでしょう。
「いつも早く起きてご飯を作ってくれてありがとう」「いっしょにいると落ちつくよね」「天才!」──五分ぐらいそのことについて思いを巡らす価値はあるかもしれません。
部下も同じです。
その人が喉から手が出るくらい聞いてみたいと思っている言葉は何でしょうか。もしそれを聞いてしまったら、あなたのために何かせずにはいられないと思うような、その言葉は何でしょう。
私の知り合いでコンサルティング会社の取締役をやっている方がいます。彼にこの話をしたところ、彼は一人の部下について真剣に思いを巡らしたそうです。
普段自分が期待しているほどには動いてくれない部下について、彼は一晩考えました。何といってほしいんだろうかと、考えに考え抜きました。そしてついに一つのセリフが浮かんだのです。
「マッキンゼー、ボスコン、いろんな会社で有名コンサルタントを見ているけど、君は彼らと比べても決して引けは取らないポテンシャルを持っているね。君にはとても期待しているし、うちの会社の中心的存在になってほしいと思っている」
これを声を低く落として、部下の眼を真剣に見据えて、心から伝えたのです。それからというもの、この部下の動きはまるで別人のように変わってしまったそうです。
報告が増え、自分からもどんどん提案をしてくれるようになり、お客さんからの評判も見違えるようにあがったのです。
たった一言によってですよ!女子マラソンで高橋尚子選手をシドニー五輪金メダリストに育てあげた小出義雄監督は、高橋選手に「君の土踏まずは世界一だ。マラソンの女王になるために生まれてきたような足だ」
というようなセリフを繰り返し繰り返し伝えました。
高橋選手の才能を早くから見抜いていた小出監督は、自信を付けさせることが高橋選手の飛躍につながると考えてその言葉を選んだのでしょう。
まさに「その言葉」を選んだわけです。なんでも良いということではなかったのです。
もしみなさんが、相手がいちばん聞きたいほめ言葉を見つけて、それを伝えることができるようになったら、世界はまったく違った展開を見せ始めるでしょう。まずは練習あるのみ!
2スーパーアクノレッジメント、任せる
前述しましたように、企業のマネジャーに「人からどのように働きかけられると、いちばんやる気があがりますか?」と聞くと、圧倒的多数の人が「任された時」と答えます。
アクノレッジメントの種類に優劣があるわけではありませんが、このリサーチを見る限りにおいて、やはり「任せる」はスーパーアクノレッジメントだなと思います。
ちなみに任せるというのは押し付けるのとは違います。
任せるというのは、箸の上げ下げまで指示するのではなく、相手の裁量で進められる部分をきちんと与えて仕事を振ることです。
そして最終的な責任はこちら側が取るというスタンスでいって、初めて任せるという行為が発生します。任されると、ものすごく自分の存在が際立ちます。
この集団の中で必要とされていると感じられるし、協力の輪の中に確かに組み入れられているんだなと思います。
だから多少忙しくなったとしても、内側のざわつき、つまり一人になってしまったらどうしようという不安は減るわけです。
人がいちばん疲れてしまうのは、周りから認められているかどうかに自信がなく、その確信を得ようと躍起になってしまう時です。
その瞬間は内側が騒がしいまま、体にも鞭打ちますから、けっこうつらいものです。でも任されたんだと思える時は違います。
認めているというのが前提としてありますから、内側はそれほどうるさくありません。だからより創造的にもなりますし、フットワークも軽くなります。
この任せるというのは、言葉でいうのは簡単ですが、実践するのは実はとても難しいものです。任せる側としては、自分に経験や知識があればあるほど、なかなか簡単には任せられないわけです。
だから、マネジャーの方々に聞いてみると、みんな「任せてほしい」という願望は持っていますが、自分自身は部下にどれだけ任せているかというと、かなり疑わしいといえるでしょう。
中には「任せるのが良いと思ってとりあえず任せましたけど、途中でいろいろ気になるからつい口を出しちゃうんですよね」などという方もいらっしゃいます。
その人に決して悪気はないわけですが、これはすごく、すごくまずいのです。
喉から手が出るほどおもちゃがほしくて、ずっと手に入るのを心待ちにしていた子どもに、それが手に入った瞬間、やっぱり返してといっておもちゃを取りあげてしまうようなものです。
これをやってしまうと、部下のモチベーションは一気に下がり、上司に対する信頼は失せてしまいます。
これを読んでいるみなさんは思うかもしれません。そうはいわれてもね、やっぱり任せられないよと。任せて会社に損失を与えるような大失敗をしたらどうするんですかと。
任せるということは、何の戦略もなく、ただば~んと丸投げすることではありません。バンジージャンプをするように、ただ勇気を奮い起こして飛び込めば良いというものではありません。
私の知る限り、任せるのがうまい上司は、常日頃から部下に何を任せられるのかを一生懸命探しています。
このレベルにいるのだからこれなら任せられるというものを何気ない観察の中で模索しているものです。
このことで失敗しても責任は自分が取れる、もし失敗してもそれは部下の成長にとって大いに役立つだろうというものを探しています。とりあえず振ってみる、ではなくて戦略がそこには存在するわけです。
そして、任せられるものを見つけたら、声のトーンを少し落として、真剣な眼差しで「頼んだぞ」「任せるぞ」といい切っているのです。みなさんは、今の部下には何を任せることができるでしょうか。
3相手の影響力を言葉にして伝える
これまでの人生で他人からもらったいわゆるほめ言葉の中で、今でも覚えている最高の言葉は何でしょうか。
小学校の時に先生からいわれたこと。人生の転機に両親から贈られた言葉。親友が何気ない時にふと発した言葉。ちょっと時間をかけて思いを巡らしてみてください。
私の場合、そう問いかけられると頭の中によみがえってくる一つのシーンがあります。
二四歳の時、私は広告代理店に勤めていて、ふとしたことからあるテレビ局の常務と一対一でお酒を飲むことになりました。
今振り返るとどうしてそうなったのか、なぜ駆け出しの広告マンが放送局の常務のような方とさしで飲むことになったのか、その理由はあまり覚えていません。
が、その時に常務が私にかけてくれた言葉は、今でもとてもはっきり覚えています。少し低く落とした声で常務はこういいました。
「君の前だとなんか正直になるな。気楽に話ができるよ」。
一瞬頭がぼーっとなってしまい、何と切り返して良いのかわからずにもじもじした記憶があります。約二〇年経った今も、そのシーンは克明に内側のスクリーンに刻み込まれています。
相手の行為や存在に対して明確に「言葉」で承認を与える場合、大きく分けて二つのスタンスがあります。
それはYouとIです。
Youのスタンスから相手の行為、存在に承認を与えるというのは、例えば「今回のレポートよく書けてるね」「努力家だね」「すごく優しいわね」などです。
つまり、あなたの行為、存在はこのようにすばらしいと相手に伝えることです。
Iで承認するというのは、相手の行為、あるいは存在そのものが、自分に対してどのような影響を与えているのかを言葉にして伝えることを指します。
「君のおかげで今回の件はとても助かったよ」「君と机を並べているとこっちまでエネルギーが湧いてくるな」。
どちらが良いということではありませんが、長く人の心に残るのは、どちらかというとYouよりもIであるようです。
それは、人はどこか深い部分では、自分がどのように他人に影響を与えているのか、聞いてみたいと思っているからです。
自分の影響が確認できるということは、自分の存在価値が確認できるということであり、この社会の中における自分の居場所を明確に認識するようなものです。
だから真剣なトーンの「I」はとても強く人の心に届くのです。その常務が私に投げかけてくれたのは、まさにIのアクノレッジメントでした。
その瞬間私の体の「枠」がくっきりはっきりそこに描き直され、彼の言葉は二〇年という月日を経た今日まで私の中に残り続けました。
もし、みなさんが部下に対して、二〇年間相手の心に残るIのアクノレッジメントを伝えようと思ったら、どんな言葉を投げかけますか。実際に伝えなくてもいいですから、ぜひ考えてみてください。
4相手の存在価値を高める紹介
紹介がうまい人というのがいます。それは、決して派手な言葉を使うわけではないけれども、紹介される側の存在価値を確かにその瞬間高めてくれる人です。
第三者に対して(時には大勢の人々に対して)自分に存在価値があることを強く印象付けてくれるわけですから、これは非常に効果の高いアクノレッジメントになります。
だから、その紹介してくれた人から何か頼まれたりすると、いっちょやってやろうか、という気になります。
私は昨年一年間で約二〇〇日、企業に出向いてコーチングの研修を行いました。ごく稀な例外を除いては、研修担当者の方が冒頭で私のことを紹介してくださいます。つまり、一年間の研修で約二〇〇回、他人から紹介されたことになります。
そこで気付くのは、とても心地の良い、その人のために一肌脱ぐぞと思うような紹介がある一方で、居心地が悪くなるような、もう帰ろうかなと思ってしまうような紹介もあるということです。帰りたくなるような紹介は、自分のディフェンスのためにこちらも巻き込んでいくような紹介です。
「コーチングがすべての解答ということではないでしょうし、先生もお若いですから、全部の答えが研修で見つかるわけではないとは思いますが……」。
こんなことをいわれては、どの面下げて前に出て行けばいいんだろうと思ってしまいます。年に二〇〇回研修をしていても、人前で話すということは毎回それなりの緊張があるのですから。
そういう会社に限って講師用のお水もタオルも用意されていなかったりします。ああ、人を大切にするというカルチャーがないんだなと思ってしまうわけです。ものすごくほめてくださる担当者の方もいます。
「鈴木先生はアメリカの大学院を出られ、日本に戻ってきてコーチングを始められました。この分野では草分け的存在です。本も出版されていて、コーチング関係の本ではいちばん売れていると聞いています……」。
決して悪い気はしませんが、そのメッセージを聞いた参加者は自分に対して嫉妬心を抱かないだろうかとか、余計な気を回してしまいます。
居心地はあまり良くはなりません。私にとって最良の紹介は「I」で紹介してくれる人です。
つまり私の講義が、私という人間が、その人にとってどんな意味をもたらしたかを伝えてくれる人です。
「公開講座で鈴木先生のお話を一度お伺いしました。わずか一日の講座でしたが、自分の中にたくさんの気付きがありました。
お話はどれもとても新鮮で、教えていただいたコーチングのスキルを実際に自分の部下に試してみて、確かにうまくいくなと思うものがいくつかありました。
また、私が休み時間にした質問にもとてもていねいに答えてくださって、コーチングを伝えたいという先生の想いに強く自分自身が感動しました……」。
こんなふうに紹介していただけると、もう自分の実力以上のものまでご提供したいというような気持ちになります。
こういう紹介には、二〇〇回のうち一〇回ぐらいしか出会わないのですが。さて、みなさんは自分の部下をどんなふうに周りに紹介しているでしょうか。
自分の課に中途社員やバイトの人が入ってきた時、その新人さんたちに。他の課とプロジェクトが発生した時、他の課のスタッフに。上司が変わった時、その上司に。あるいは担当を引き継ぐ時、顧客に。または自分の家族にというケースもあるかもしれません。
そういう際に、謙遜が高じて部下をおとしめる結果になっていませんか。反対に、相手が受け取りきれない「You」で紹介していませんか。
意外に自分の部下を第三者に紹介する機会は多いと思います。そしてそれは部下を動かすための、またとないアクノレッジメントの機会ともなるのです。ぜひ想像してみてください。次にそうした機会が訪れた時に、どのように部下を紹介することができるのかを。
5怒らずに叱る
コーチングをしている時に、しばしば管理職や経営者から「このご時世、部下を叱っても良いものでしょうか?」という質問を受けます。
先日もある証券会社の幹部の方が、「最近は叱ると辞めちゃうんだよねえ、若いのが」とため息交じりにいっていました。
彼はこういいます。
「一昔前は部下を叱ると、何くそと、激流に逆らって泳ぎ上る鯉のように立ち向かってきたもんだ。毎日毎日目標が決められていて、夕方になって外出先から部下が電話をしてきても、そこで目標に届いていないと『達成するまで帰ってくんなー!!』とどなる。そういう緊張感の中で、ある意味上司も部下も真剣勝負をしていたんだ」と。
ところが今強く叱ると、「それなら外資に行きますから」とか、「そこまでいわれて会社にいたいとは思わない」などと、簡単に若い人が職場を離れてしまうそうなのです。
離職率が高くなれば、マネジャーとしての管理責任も問われますから、「いつでも辞めていいぞ」とこっちがカードを切るわけにもいきません。
さて、どうしたらいいのだろうというぼやきです。
そうした質問、嘆きに対しては、たいてい次のように答えます。
「叱ってもいいと思いますが、怒らないほうが良いでしょうね」。向こうはきょとんとした顔をします。
基本的には、叱るというのは、それをいうのは自分にもリスクがあるけれども、相手の成長のために、リスクを越えて、相手に正直にネガティブなことを直言するということです。
ですからスタンスはForyou(あなたのために)です。
一方、怒るというのは、相手が自分の思いどおりにならないために、自分の中に起こったいら立ち、ざわつきを解消しようと感情を相手に向けて爆発させてしまうことです。
スタンスはForme(私のために)です。
電車の中で子どもにぎゃー、ぎゃーとわめいているお母さんをよく見かけますが、ほとんど怒っていますね。決して叱っているわけではありません。顔を見るとわかります。
ちょっと前までは、上司は部下を気楽に怒れたのでしょう。
目標を達成しない部下にいらつき、あるいは部下に目標を達成させることができない自分にいらつき、さらには部が目標を達成していないということを上から自分が責められる恐怖にさいなまれ、マグマのような感情を部下にぶつける──普通で考えれば相手から「ふざけるな!」と辞表を叩きつけられても仕方のないところですが、以前は怒るということを「システム」がサポートしていた部分があります。
「やらなければどうなるかわかってるんだろうな」というような脅し文句が、企業でも、学校でも、体育会○○部でも通用したからこそ、上は下を心おきなく怒ることができたわけです。
でも今はだめです。怒ると関係が悪くなります。部下が辞めます。業績はあがりません。だからこそ、ちゃんと叱りたいわけです。
相手のことを想い、相手の成長を願い、相手の行動上(人格上ではなく)の否を簡潔明瞭に伝え、そして期待も伝えるのです。
ちゃんと叱ると相手は「自分のことを大事にしてそれをいってくれた」「自分のためにあえて苦言を呈してくれた」と思えるものです。アクノレッジメントを伝えられたと感じるわけです。
そうでない叱り方は「そうはいわれてもねえ」「現場のことも少しは考えてくれよ!」と反発を招いてしまいます。
みなさんは部下を怒っていますか。叱っていますか。あるいは見過ごしていますか。
6自分で答えずに相手の意見を求める
コーチングの哲学を表現するフレーズの一つに「答えは相手の中にある」というのがあります。
上司が一方的に指示を与えてしまうのではなく、少し我慢して部下に問いかければ、実はそこにすばらしい答えが眠っている可能性があるのではないか。
昨今のように急速に変化しつつある経営環境の中では、後方支援の上司よりも、最前線で現場を見聞きしている部下の側にこそ、より妥当な答えが潜んでいるのではないか──こうした考えがこのフレーズの背後には横たわっています。
この考えにすぐに共鳴してくださるマネジャーもいれば、「部下に聞いても良い答えなんかそうそう出てこないよ」というスタンスをなかなか崩されない人もいます。
後者の、スタンスをなかなか変えないマネジャーに、このフレーズが本当に機能するということを知っていただくために、研修で次のような課題を出すことがあります。
「この一週間、部下から相談された時は、自分から結論を出さずに、とにかく最低一回は部下に、君はどう思うんだ、と聞いてください。
たとえ相手から答えが返ってこなくてもいいですから、答えを出すのはその後にお願いします」と。半分くらいのマネジャーは半信半疑で臨みます。
そんなことをしてどうにかなるのかと。血液検査会社のAさんもそんなマネジャーの一人でした。忙しいさなかにあっては、マネジャーがいち早く的確な指示を下すべきだろうと思っていたのです。が、乗りかかった船、彼はとりあえず二週間は、その課題を実践してみようと思いました。
部下が、「この件に関してはいくらに値段を設定すると良いでしょうか」と聞いてくると、それまでは間髪を入れることなく答えていたのに、この二週間は必ず、「君はどう思う?」「その根拠は何か」と聞くようにしました。
二週間もそれを続けていると、今まではただマネジャーの意見を求めるだけであった部下の営業マンが、こちらから尋ねる前から、この件はいくらいくらでいきたいと思います、なぜならこれこれの理由があるからです、といってくるようになったそうです。
Aさんは一言「驚いた」と感想を漏らしていました。
相手の答えを求めるということは、たとえ結果としてこちらが望むような答えが返ってこないとしても、答えを求めたというその事実自体に価値があります。
それは、俺はお前の答えを大事にする用意がある、お前の答えや考え方に関心がある、というメッセージになるからです。
タイガー・ウッズの元コーチのブッチ・ハーモンは、練習の時まずタイガーに聞いたそうです。
「タイガー、今日はどんなボールを打ちたい?」と。前出の慶應大学ラグビー部の上田元監督も選手に聞きました。
「次の対戦相手に向けて、どういう練習をしたらいちばんいいと思う?」と。日産自動車のカルロス・ゴーン社長も聞きます。
「君のアイデアを聞かせてくれないか」と。意見を求めるというのは、その相手に対する大きなアクノレッジメントです。相手の中では期待されている、信頼されているという意識が高まります。
信頼してくれている人に対しては、行動を起こして応えたいという気持ちが沸き起こるものです。だから部下に問いかけたいのです。たとえ答えが返ってこなくても、「どうしたら良いと思う?」と。
できれば真剣に相手の目を見据えて、君にはそのことを解決する能力がきっとあるという雰囲気を前面に押し出して。
7謝ることの力
ある不動産会社の社長をコーチングしていた時のことです。
この社長は、年齢は五〇代半ば、身長は一七五センチメートルぐらいあり、白髪頭をオールバックにしています。
いつも一重の目から鋭い眼光を周りに放っていて、基本的にはトップダウンのマネジメントスタイルで会社を経営してきました。
いつもはこちらから問いかけないと話し出さない社長が、その時は自分から口火を切りました。聞くと、福岡にいる部下が新規事業で一億円近い損失を出した。
本来なら頭から湯気を出してどなりつけるところだけれど、この新規事業は自分が旗振り役となって進めてきたもので、損失の直接的な原因は部下にあるものの、無理を承知で急かしてきた自分にもかなりの責任があると思う。
今、部下はこのことでとても苦しんでいるだろうから、少しでもその心労を和らげるために、自分が福岡まで行って謝りたいと思うがどうだろうか──という内容でした。
社長は私にこう問いかけました。
「謝ってもいいと思うか、鈴木さん。社長たるもの、やはり社員に謝るべきではないとも思うが……君はどう思う?」。
私は答えました。
「社長が謝ったら、きっとその社員の方は喜ぶと思いますよ。謝っても社長が失うものは何もないんじゃないですか」。
長い沈黙がありました。実際には三〇秒ぐらいだったのかもしれませんが、私には本当に長く感じられました。軽く咳払いをし、社長は一言、低く落ち着いた調子でいいました。
「わかった。謝ってくるよ」。
社長はその三日後、多忙なスケジュールを何とかやりくりして福岡に赴きました。朴訥な社長ですから多くは語りませんでした。
たった一言、部下の眼を真剣に見据えて「本当にすまんかったな」、そう伝えたそうです。次のコーチングのセッションで社長が切り出しました。
「実はな、福岡に行った次の日、部下からメールが来たんだよ。ちょっと読んでいいか」
そのメールには、社長がわざわざ福岡まで自分のために足を運んでくれて、そして一言謝ってくれて、どれだけ自分が救われたか、どれだけ感動したか、どれだけこの会社で働いてきたことを誇りに思えたか……等々、その部下の想いが延々と綴られていました。
トータルで五分ぐらいかかったでしょうか、終始社長は本当にうれしそうにそのメールを読んで聞かせてくれました。上司も人間です。判断を誤ることはあるでしょう。
みなさんは、これまで部下に謝ったほうが良いのではないかとの想いが頭をよぎったことはありますか。その時は結局どうされましたか。
部下に謝るのは、そう簡単なことではありません。
自らの組織の中におけるアイデンティティが危険にさらされる可能性があるのですから、何の負荷もなくできることではないでしょう。
しかし、逆にいえば、謝られたほうは、その言葉が真剣であればあるほど、上司が自らのアイデンティティをリスクにさらしてまで、部下である自分のアイデンティティの確保に努めてくれたと思うでしょう。
つまり、組織の一員として君を必要としているという、とても強いメッセージ、アクノレッジメントを受けたと思うわけです。
今度、謝ったほうが良いのでは、との気持ちが浮かんだら、腰を引きながら「ごめん、ごめん」ではなく、一歩踏み出し、相手をほめ認めるという意識で謝ってみませんか。これまで以上の信頼関係が醸成されるきっかけになるかもしれませんから。
8ノーという選択権を与える
もう二年くらい前になりますが、東京の青山にあるフランス料理の店で知人と食事をしていました。
横から大きい声が聞こえるのでそちらのほうに目を向けると、いかにもビジネスマンという感じの男性が六人で一つのテーブルを囲んでいるのが見えました。
大きい声の主は、その中で真ん中に陣取った五〇過ぎの男性です。あまりに声が大きかったので、聞くともなしに聞いていると、その男性は大手商社の部長さんで、あとの五人は全員部下のようでした。
部長さんはいろいろなことについて話されていましたが、基本的な文章構成はほとんどすべていっしょでした。
「いいか、これからの中国との取引はな……」「課長になるっていうことはな……」「子どもを育てるっていうことはな……」。
すべてが、ものごとはこうすべきだという一方的な押し付けでした。
彼の正面向かいに座っている部下の人たちは部長から丸見えですから、本当に言葉の一つひとつに一生懸命あいづちを打っていました。
問題は部長の横に座っていた二人の部下です。
基本的にはふんふんとうなずいているのですが、部長の視線が来ないと思うと、斜め下を向いて、「はあ~っ」とため息をもらしているのです。
でも部長はそんなことには気付かずに延々と持論を展開させていました。
研修でマネジャーに、過去にアドバイスを上司、あるいは同僚から受けた際に、そういういわれ方をするとどんなに良いアドバイスでもちょっと聞けないなと思ったのは、どんな時でしたかと聞くと、多くの人が、一方的に押し付けられる、有無をいわさぬアドバイスと答えます。
結果としてそのアドバイスを行動に移しましたかと聞くと、これまたほとんどの人がノーと答えます。一方的なアドバイスにはアクノレッジメントがありません。
相手のことを考えているとか、相手を心底大事にしているというよりは、教えたい、自分にはそれだけの知識があることを誇示したいという、アドバイスする側のニーズを満たしているにすぎないことが多いのです。
そうした部分を感じ取れば、いくら表向きはイエスといっても、相手がそのアドバイスを行動に転化することはありません。
だからアドバイスする時には相手に選択権を与えたいものです。「僕はこう思うけれども、君はどう思う?」と。
別にそれに対してノーといっても構わない、その権利が君にはある、ということを明示してアドバイスをしたいものです。
なぜなら選択権を与えるということはアクノレッジメントだからです。君の判断を僕は最優先させるといっているわけですから、そこには相手に対する承認があります。
たとえそのアドバイスを相手が選ばなかったとしても、「この人は自分の判断を重く受けとめて、優先させてくれた」という意識が相手の中に残るのは、長い目で見れば上司部下の関係にとって非常に良いのです。
ところが実際に現場で多いのは、圧倒的に、余計なおせっかい、強制、押し付けです。
これは「判断は常に上司がするものだ、君はそれに従え」といい続けることになりますから、部下はそのたびごとに「逆」アクノレッジメントをされることになります。
このパターンは、親と子どもの間でも非常に多く交わされるコミュニケーションで、これが子どもの自尊心や自発性を削ぎ取っていくことは想像に難くありません。
最近、医療の世界でコーチングを学ぶ人が増えてきています。それはドクターであったり、看護婦さんであったりします。杏林大学の保健学部では学部の一講座になっているくらいです。
その理由はいくつかありますが、特に重視されている点は、ドクターがコーチングの手法を生かしながら、どういう治療を施すのがいいのかを最終的に患者さんに決めさせると、経過が良くなるケースが多いということです。
もちろん、何の説明もなく「どうしますか?」ではなく、「これと、これと、この治療法がある。それぞれにこういうメリットとデメリットがある。最終的な判断はあなたに任せるから選んでほしい」と伝えるわけです。
このように治療法を選定させると、一方的にドクターが治療法を決定する場合に比べて、患者が早期に回復するというリサーチが出ています。
相手に治療方法を決めさせることには、さまざまな意味合いがあると思いますが、おそらく何よりも大きいのは、患者さんが、自分の判断をドクターが信頼してくれているという想いを抱くことでしょう。
すると関係は対等になり、依存ではなく責任の意識が強く芽生え、そして何とか病気を乗り越えようとする強い力が生まれます。
ドクターが、「こんな選択肢があるけどどう?」みたいなことではまずいでしょうが、「あなたにはそれを選ぶ権利があるし、与えられたデータの中でそれを判断する力もある」、そんな気持ちを込めていうと、そこにはアクノレッジメントが生まれます。
みなさんはどれだけ、部下に選択肢を与えていますか。アドバイスの機会をアクノレッジメントのチャンスとしていますか。
9部下を接待する
マネジャーから「部下が口ではやるというのに、蓋を開けてみるとやっていないということがけっこうあるんですが、どうすればいいんでしょう?」という質問を受けることがあります。
するとすかさず「部下を接待してますか?」と返します。向こうはきつねにつままれたような顔をしながらこういいます。
「部下をですか?接待???」と。
もしあなたが営業マンで、とても大事なお客様と食事をすることになったとしたら、どのようにふるまいますか。まず場所の選択から始めますよね。
大事なお客様であればあるほど、ここに来て良かったと喜んでもらえるような場所を選ぶでしょう。隣の居酒屋にふらっと行ったりはあまりしません。
ドアを開けてお客様を先に通し、先に座っていただき、そしてお酒が出てくればそれを相手に注ぐ。お醤油が必要であればお客様の小皿にすっと差す気遣いを見せ、つまみが切れれば次に何を食べたいかを問いかける。
そして何よりも相手の話に真剣に耳を傾け、一言一句聞き漏らさない。
当然お金はこちら持ちで、別れ際には、今日という時間がいかに楽しかったか、同席することができてどれだけ光栄であったかを伝える──おおむねこんな流れではないでしょうか。
これとまったく同じことを部下にすればいいのです。最初から最後まで同じことを。
「ええ~、なんで!」という人もいるかもしれませんが、接待とは、要するに「相手がいかに自分にとって大切な人であるかを伝える場を設ける」ということです。
何とかこのお客様とパートナーシップを組みたいと思えば接待するわけですし、この女性を(男性を)何とか口説き落としたいと思えば、やっぱり接待するでしょう。
部下を本気で動かしたいと思ったら接待してもいいと思いませんか。
デール・カーネギーが書いた『人を動かす』という本は、モチベーション理論の名著といわれています。
一九〇〇年代の初頭に書かれた本ですが、その内容は今読んでもとても新鮮で、気付かされる部分がたくさんあります。
二百数十ページあるその本の中で、カーネギーが繰り返し繰り返しいっているのが、もし誰かを動かしたければ、本当にその人を動かしたいのであれば、彼(彼女)に対して「重要感」を感じさせろ、ということです。
重要感、英語で言えばsenseofimportance。これをどれだけ相手に伝えられるかによって相手の動きは変わるというわけです。
だからたとえ相手が部下であったとしても、飲食を共にするせっかくの機会には、重要感を伝えたいところです。
上司が自分のストレス発散のために部下を飲みに誘い、酒を注がせ、聞きたくもないであろう愚痴や小言を延々聞かせるというのは、まずいわけです。本当にまずいのです。
これをやっておいて「最近部下が動かないんだ」というセリフはいってはいけないでしょう。
先日弊社のスタッフがある食品販売の会社にヒアリングに行きました。
その会社の販売店の売上が、マネジャーが替わるとまったく別物になってしまうとのことで、売上をあげられるマネジャーとそうでないマネジャーでは、いったい何が違うのかをリサーチするというのがその目的でした。
東京のある販売店では、Aというマネジャーの時には売上が減少の一途をたどり、職場を離れる人が何人も出ました。これではまずいと思った本部はBというマネジャーに指揮を執るように指示を出しました。
Bマネジャーが統括をするようになって二か月もすると、なんと販売員全員が自分の売上目標をクリアし、そして一年経っても誰も仕事を辞めませんでした。
そこで、この販売店の販売員何人かに、いったいAさんとBさんでは何が違うのかと聞いたところ、いくつかのことが明らかになりました。
まず、この販売店では毎週月曜日、朝に例会をやるのですが、その時に伝えることがAさんとBさんではまったく違うのです。
Aさんはひたすら数字に言及したそうです。目標に対して現在何%だ、あとこれだけやらなきゃだめだ、というように。
一方のBさんは数字のことは一切いいません。
その代わり「今日は外は雨だからな、足とか滑らせて転ぶなよ。気を付けて行ってこい」などと、部下を気遣う言葉ばかりを頻繁に投げかけるのです。
それからこんなこともありました。
冬の寒い日、営業マンが外から帰ってくると、Aさんは自分のために入れたコーヒーをふ~ふ~いって飲みながら、大して視線も合わせず、気のない声で「お疲れ」といっていました。
対するBさんは、寒さで体を硬直させて帰ってきた営業マンを見ると、「おい、コーヒー飲むか?」といって、わざわざ自分が席を立ってコーヒーを入れてくれました。
部下はもう感動するそうです。そして思います。この人のためにがんばりたいと。接待は夜だけに行われるものではありません。昼間の接待も十分可能です。
お客様に対して使うその「技」を、ぜひ部下に使ってみませんか。あまり構えず気楽な気持ちで。
0メールはクイックレスポンスで
人を動かすことがうまい人は、とにかくありとあらゆる機会をアクノレッジメントのために使っているようです。そういう人にとっては、サイバー空間すらアクノレッジメントの格好の場となります。
私がコーチングしているベンチャー企業の社長さんの話です。この会社は店頭公開を果たした会社で、ここ数年で社員は二〇人から五倍近い一〇〇人に増えました。
現在も業績は好調です。
この社長さんの元には毎日一〇〇〇通を超えるメールが来ます。
一〇〇〇通です!これらのメールは自動でソートされ、すぐに読む必要があるメール、後回しにして良いメール等に分けられます。
それでもすぐにリターンする必要があるメールは二〇〇通近くあるそうです。
彼は家のコンピューターを専用線につないでいて(つまりつながりっぱなし)、朝六時に起きるとまずメールをチェックします。
いちばん先にチェックするのが、午前二時、三時まで会社に残って仕事をしていた部下が送った日報だそうです。
そしてその日報にはすぐに返事を書きます。想像してみてください。
明け方までへとへとになって働いて家に帰り、わずかな睡眠を取って会社に出てみると、そこには明け方自分が書いた日報への返信がすでに届いているのです。
しかも社長から。
そこから感じ取るメッセージが「お疲れ」なのか「体壊すなよ」なのかはわかりませんが、きっとその社員は「ああ、がんばってよかった」と思うでしょう。
日報ですから特に返事を書く必要はないのです。そのままにしておいても何の問題もありません。でも彼はそうしません。
うまくいっている会社は、何気なくうまくいっているわけではないんだなと強く思いました。
第1章の最初で、弊社の立ちあげに協力してくれたアメリカ人コーチのことをお話ししました。
彼に最初に弊社の社長がコンタクトを取った時は、まだ本当にコーチングが事業として成り立つのかどうか不明瞭で、雲をつかむようなところがありました。日本に招くのもコストがかかることですから、リスクがあったわけです。
その彼とパートナーシップを組んでやってみようと思えたのは、何よりもメールに対する彼の返事がとても速いことでした。
コーチングや、事業の展開の仕方についてわからないことがあって、社長がメールを送ると、時差がある中でどうしてそんなにメールが速く返ってくるんだというくらい返事が速いのです。
これを三、四回経験して、自分たちの中における彼に対する信頼はあっという間にできあがりました。
この四年間にずいぶんとアメリカ人のコーチたちとのネットワークも広がり、彼らにメールを送ることがしばしばあります。
そうするとたまに「今誰それは不在であり、いついつオフィスに帰るので、そうしたらメールを送ります」という文章が自動送信で流れてきたりします。
日本でもこれだけメールのやり取りが普及していながら(前記のベンチャー企業の社長さんほどではありませんが、私も一日二〇〇通近いメールを受け取ります)、「今いないからちょっと待っていて」というような自動送信書をもらったことがありません。
向こうが投げたボールに対して、そのボールをすぐに返す、というのは相手に対するアクノレッジメントとなります。
逆にボールをいつまでも返さないでいると、その程度にしか自分のことを思っていないのだと思われかねません。
アメリカ人は言葉の上でもシステムの上でも、とてもアクノレッジメントが進んだ国です。アクノレッジメント先進国です。
それは、多種多様の人種、民族が集まっているために、お互いの間に起こる摩擦をできる限り軽減させたいという意識が、アクノレッジメントを進化させたのだと考えられます。
形式だけが進んでしまって、心がついていっていないという問題が昨今のアメリカの一部では見られる気がしますが、形式の部分でも良いところがあれば、私たちも取り入れて良いのではないでしょうか。
みなさんも、メールにはすぐに返信しているよと思っているかもしれませんが、問題は部下から来たメールに対してそれをしているかということです。
「えっ、もう返事が来たんだ」というようなスピードで。できれば相手に対する承認と感謝の言葉を添えて。相手が一瞬そのメールから視線をあげられなくなるような言葉を添えて。ぜひ試してみてください。
1贈り物をする
マンツーマンのコーチングは、通常三~四か月を一クールとして行います。
一クールが終わると、もう一クールコーチングを実施するのかどうか、契約を更新する意思があるかどうかをクライアントに尋ねます。コーチングをしていて、ある意味最も緊張する瞬間です。
いくら日頃のセッションで「コーチングは役に立ちますねえ」などとクライアントがいっていても、契約を更新しないということは、結局その程度だったということになるわけですから。
スポーツ選手のコーチが、選手のほうから、あなたの世話にはもうならない、一人でやるからと絶縁状を突きつけられるようなものです。
もちろん、リピートする場合もあれば、しない場合もあるのですが、中には頻繁にリピート契約を取るコーチというのがいます。
いろいろとリサーチしていくと、高いリピート率をあげているのは、決して切れの良い「すごい!」といわれるようなコーチングをしているコーチばかりではありません。
それどころか、そういう切れの良いコーチングを表に打ち出すようなコーチの中には、意外にリピート率が低い人もいたりします。
では、何クールも何クールも繰り返しコーチングを受けたくなるコーチというのは、いったい他のコーチと何が違うのでしょうか。
いくつか要素はあるのですが、そのうちの一つはどうも「贈り物」をたくさんしている、ということらしいのです。
例えば、クライアントが部下のマネジメントをテーマにコーチングを受けていたりすると、マネジメント理論として秀逸といわれているような本をわざわざ買って来て贈る。
雑誌に役立つ情報が載っていれば、すぐにコピーを取ってそれを贈る。誕生日などはもちろん憶えていて、カードや心のこもったプレゼントを贈る。
出張に行けば、その出張先から短い言葉を添えて絵葉書を贈る──等々、たくさんの贈り物をしているわけです。
贈り物をされるとうれしいのは、突きつめると、自分のために時間と体とお金をわざわざ使ってくれた、その相手の努力が贈り物の向こう側に垣間見えるからです。
ポイントはどれだけの努力がそこに介在するかです。高額であれば良いというものではありません。
億万長者からブランド物をプレゼントされても、その人に対する気持ちは劇的には変わらないでしょうが、同じような暮らしをしている友だちが、本当にいつもお世話になっているからと奮発して買ってくれた物にはありがたみを感じるはずです。
暇で暇で時間を持て余している人からもらった長い手紙よりも、どこにそんな時間があるのだろうと思うくらい超多忙な人からもらった短い手紙に感動を覚えたりするものです(もちろん内容にもよりますが)。
つまり、リピート率が高いコーチというのは、クライアントに、こんなに自分のことを思ってくれているんだ、味方なんだと始終感じさせているわけです。
「味方」を人は簡単に手放しはしないということです。だからこそ、部下に対しても贈り物をしたいものです。大げさなものでなくても良いから、忙しい合間に贈り物を見つけましょう。
営業の帰りにケーキやお饅頭を買って帰る。出張に出ればお土産を買って帰る。部下の誕生日は必ず自分の手帳に付けておいて、ちょっとしたものをプレゼントする。
部下が悩んでいるテーマがあれば、一方的に自分の考えを伝える代わりに、そのことを解決するヒントとなるような本を贈る。
ちょっと風邪気味の部下には栄養ドリンクを買ってきてあげる──このように君のことを大切に思っているというメッセージを「もの」に乗せて伝えるのです。
自分にはできないなどといわないでください。犬の世話をすると犬が大事に思えてくるのと同じで、部下に贈り物をしているうちに、部下のことが一層大事に思えてきますから。
コメント