
●明確な願望が成功への扉を開かせる
二〇世紀を迎えて間もないある日、エドウィン・C・バーンズはニュージャージー州のイースト・オレンジで貨物列車を降りた。
浮浪者のような身なりこそしていたが、心構えは誰にも負けないという意気込みをこめて……。駅からエジソンの研究所へ行く間も、彼の脳裏は活発に働いていた。
あの偉大な天才、エジソンの前で、彼と一緒に仕事がしたいと懇願している自分の姿を想像していたのである。
バーンズは五年間、エジソンのパートナーになりたい一心で、定職にもつかず、職を転々としてチャンスを待っていたのだ。
このようにバーンズは、夢や希望などというロマンチックなものではなく、すべてを超越してしまうほど絶対的な願望を持っていた。
この願望が、バーンズをしてエジソンの研究所の扉をたたかしめたのである。それから数年もしないうちに、バーンズはエジソンの共同経営者になっていた。このとき、彼のあの燃えるような願望はまさに現実化したのである。
バーンズが成功したのは、自分が発揮しうる限りのすべてのエネルギー、すべての脳力、すべての努力、そしてその他あらゆるものをこの絶対の願望、明確な願望に注ぎ込んだことの当然の帰結であった。
※明確な願望を持ち、その実現のために執着して行動すること。
●ただ進むのみ
エジソン研究所での最初の五年間は、たいした機会も訪れることなく過ぎていった。誰が見ても、バーンズはエジソン研究所内におけるただの歯車でしかなかった。
しかし外見はともかく、彼自身は初めてエジソンと会った日からこのかた、彼の「共同経営者である」という心構えを、自分の体の一部と決めていた。
バーンズは何よりもまず、エジソンの共同経営者になりたいと思っていたのだ。だからこそ彼は自分の願望を実現することができた。
バーンズは共同経営者になるため、詳細にわたる計画を立てていた。そしてその計画では、退却するための道はことごとく断たれていた。
これが自分の人生の最大かつ、最後の計画なのだと自分自身に何度も言い聞かせることにより、いっさいの迷いは消し去られていた。そしてついにその計画は実現したのである。
初めてイースト・オレンジ駅に降り立ったときから、彼の心の中には「エジソンからいくばくかの仕事をもらうのだ」という消極的な気持ちはまったくなかった。
バーンズにはエジソンの共同経営者となるために来たのだという確固たる気持ちがあるだけだった。
彼は「エジソン研究所で願望がかなえられなかったときのために、他の道も探しておこう」などとは少しも考えなかった。
自分がやり遂げたいことは、この世でたった一つ、エジソンの共同経営者になるということだったのである。そしてそのためには退却の道はすべて断ち、〝そのこと〟だけに自分のすべての人生を賭けるのだと決心していた。
バーンズは、後もどりすることを自ら不可能にして、勝つか負けるかのどちらかしかないという状態に自分を追いやったのである。バーンズが成功したカギはここにあった。
※退路を断ち、勝負に出る。
●富への拍車
昔、ある偉大な将軍が、戦場で勝利のために重大な決断をしなければならないことがあった。数のうえで自軍に勝る強力な敵軍に、自分の兵を送り込まなければならなくなったのである。
将軍は兵隊を船に分乗させ、見つからないように敵地へ忍び込んだ。兵隊と武器弾薬のすべてを船から降ろすと、将軍は自軍の船を全部燃やすようにと命令した。
めらめらと燃える船を背にして、将軍は言った。
「皆見るがよい。わが軍の船が、今炎上している。わが軍にはもはや逃げて帰る船はない。戦いに勝たなければ生きて帰ることはできないのだ。溺死したくなければ戦え!わが軍は勝つか、あるいは全滅するかのどちらかしかないのだ」
そして、彼らは勝利を収めた。
目標や願望のいかんにかかわらず、勝つためには後退するためのすべての道を断絶しなければならない。成功するために不可欠な燃え上がる願望を心の中に持ち続けるには、そうすることが必要なのだ。
※少しの退路も断つこと。一ミリでも考えたら負ける。肝に銘じる。
●焼け落ちた町に一人残った男
一八七一年、シカゴに住むパトリック・オリアリーの牛小屋から生じた火はたちまちシカゴ全域をなめつくし、一〇万人もの人々が家を失ってしまった。
このシカゴ火災のあった次の日の朝、商人たちは街角に三々五々集まって、昨日までは自分たちの商店があった焼跡を呆然と見ていた。
そして、この土地に店を再建するか、またはシカゴを離れてもっと将来性のあるどこかよその土地に移るかを話し合いだした。
最後には、たった一人の男を除き全員がシカゴを離れる決意をした。ここに踏みとどまり、店を建て直すと決めたその男は焼跡を指し示してこう言った。
「皆さん、これから何度火災が起きても、私はここに残って必ず世界一の店を再建してみせます」この話は一世紀以上前のことだが、そのときに建てられたビルは、今でも燃え上がる願望を表す記念碑のように、勇ましい姿でそびえ立っている。
他の商人たちと同様、将来性がありそうもないこんな土地は、このたった一人の男、マーシャル・フィールドにとっても、簡単に見捨てることができたはずだ。
このマーシャル・フィールドと他の商人たちとの違いを見過ごしてはならない。というのは、人が成功するか、失敗するかの違いはここにあるからである。
金銭の重みがわかってくる年齢に達すると誰でもお金が欲しくなるものだ。けれども、ただ欲しいと思っていても、お金は手に入ってくるものではない。
しかし心の底から金持ちになりたいという願望を持ち、その願望の成就のために揺るぎない計画を立て、さらに決して心を他のことで迷わせない、という固い決意を持ってその計画を行動に移せば、願望は必ず達成するのである。
※成功するという願望を持ち、願望の成就のために揺るぎない計画を立て、さらに決して心を他のことで迷わせない固い決意を持って計画を行動に移す。願望は必ず達成する。
●六カ条を素直に受け入れても、あなたに何の損もない
巨富を築くためには、次の六カ条に従わなければならない。この中でも重要なのは、第六の項目である。
とはいえ、まだ手にしてもいないお金を、すでに手に入れたものと信じなさいと言われても、そんなことは難しいと思う人がいるはずだ。しかし、ここが肝心なところなのである。
巨富を築くことを執念ともいえるほどに強く願望すれば、あなたが実際そのようになるという確信を持つことは、決して難しいことではない。
要は、本当にお金が欲しいと願い、必ず手に入れるのだという強い意欲を持ち、そして自分自身でそれを必ず手に入れると確信することである。
富豪になった自分の姿を頭の中で明確に想像すること、そうすれば、その実現はもう保証されたようなものである。
※うまくいく気しかない。
まだ心の持つ大きな力を理解していない人々の中には、この六カ条の教訓は実際的ではないと思う人がいるに違いない。
この六カ条がいかに洗練された実証済みのノウハウであるかを理解できない人には、この秘伝が直接、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーから私に伝えられたものであることをお伝えしたい。
※カーネギーの教え
カーネギーは鉄鋼所の一労働者だったが、この六カ条を座右の銘として、世界でもまれにみる巨大な資産を築き上げたのである。
また、この六カ条の教訓の素晴らしさは、ただ巨富を築くためだけに役立つだけではなく、他のあらゆる願望にもそのまま当てはまるということである。
これはエジソンにより実際に試され、その実効性が証明されているのである。この教訓が必要とするのは、難行苦行でもなければ犠牲でもない。
またばかげたことをしろ、と言っているのでもないし、また高度な教育を要求しているのでもない。
これら六カ条をうまく活用するためには、お金というものが、ただ単にチャンス、幸運、ツキによって得られるものではないということも知っていなければならない。
※運ではなくスキル。
そして実際に莫大な財産を築いた人たちは、巨富を築く前には、夢を見、希望を持ち、強い願望を持って計画をつくりあげたのである。
※計画あってのこと。
ここであなたに知っておいていただきたいのは、自分の欲しいものを本当に手に入れることができるのだと自分自身で確信するようにならない限り、莫大な富を手に入れることは、とうていできないという事実である。
※自分で手に入れると決意しないと、自然には手に入れることはできない。

●ビジョンの力
富を手にしたいと願っている人々は、私たちの生きているこの世界が絶えず進み続けているということを念頭におく必要がある。
次から次へと新しい指導者、新しい発明、新しい教育法、新しい市場が現れ、また新しい書籍や文学、また新しいテレビ番組や新しい映画といったものが生まれている。
これら新しいものが次々と生まれていき、増えていくその背後にあって、それらの誕生の源となっているものが、「強力かつ明確な願望」であることを見逃してはならない。
※明確な願望から新しいものを次々に産んでいく。
明確な願望や目標、欲するものに関する知識、そして、それを絶対に手に入れるのだという強い願望こそ、〝新しい何か〟を生むエネルギーなのである。
※欲する物に関する知識も必要。
世界を代表する指導者として尊敬されてきた人々は、常にまだ見ることもさわることも不可能な未来を断固として信じ続ける力を持っていた。
※不可能な未来を信じる、実現すると決意する。
その力で高層ビルを建て、都市を築き、工場を造り、人間の生活を便利で楽しくする飛行機や自動車などのありとあらゆるものを創造してきたのである。
この変化に富んだ多様な世界で成功したいならば、あなたのことを空想家だと軽蔑する人々の言葉を気にしてはいけない。
先駆者たちの夢こそが、この貴重な現代の文明をつくったのである。文明の活力の源となっているのがその開拓精神だということを忘れてはならない。
そしてこの開拓精神は、明確な願望と確固たる行動によって、相互にその力を高め合っているのだ。私たちは、自分の才能を市場に送り出す、素晴らしい機会を持っているのである。
であるならば、思いきってあなたの夢に挑戦することだ。もし失敗したらどうしようかといった考えは、無視することだ。どんな失敗にも必ず成功へのきっかけがひそんでいるものである。
エジソンは、電気を使った明かりを夢みた。一万回以上にわたる失敗にもめげず、実現するまでその夢は捨てなかった。
ウエーランは、タバコのチェーンストアを設立することを夢見て、アメリカ最大のユナイテッド・シガー・ストアーズをついに作り上げた。
ライト兄弟は、空飛ぶ機械を作りたいと夢みた。そしてその夢が単なる空想ではなかったことは、今日、空を見上げれば明らかである。
マルコーニは、目に見えない電波の力の利用に自分の夢を賭けた。そして今日のラジオやテレビが生まれたのである。
しかし、電線を使うことなく空中に電波をとばし通信することをマルコーニが発表したとき、友人たちが彼を精神病院に連れていったという笑い話もある。
注意深く観察すれば、今日の私たちの周りには、発明のチャンスが昔以上に、いたる所にあることがわかるはずである。
●〝窮〟を転じる
何かになりたい、何かをしたいという燃え上がる願望がすべての出発点となる。無関心、怠惰、あるいは野望が欠如するところには決してビジョンは生まれない。
※願望のないところにビジョンは生まれない。
成功している人々の多くが、最初はみじめな状況から出発していることを忘れてはならない。彼らは多くの、中にはほとんど絶望的な困難をも克服して願望の実現に到達したのである。
※だいたい絶望的な困難を克服している。
成功した人はたいてい、このような最悪の状態がそのまま人生の転機に直結しているものである。そういうときにこそ、もう一人の自分との出会いがあるのだ。
名著『天路歴程』の作者ジョン・バンヤン(一六二八~一六八八)がこの作品を完成したのは、宗教裁判に敗れて彼が投獄されたのちのことである。
O・ヘンリー(一八六二~一九一〇)が初めて自分の中に潜んでいる天才的な才能に目覚めたのは、オハイオ州の州都コロンバスの独房の中であった。
彼は銀行員だったときに公金横領の嫌疑で告発され逃亡したが、妻の危篤を知って戻ったところを逮捕されたのである。
ヘンリーは不運に遭遇したが、この三年間の刑務所生活の中で、もう一人の自分に出会うことができたのだ。
独房では、なかば強制的に想像力を使うことを余儀なくされるものだが、この想像力を彼は積極的に用いる術を発見した。その結果、自分が偉大な作家であることに気づいたのである。
チャールズ・ディケンズ(一八一二~一八七〇)はラベル貼りの職人などさまざまな職業を転々とする生活を送っていたが、失恋の痛手が世界的な作家への道を開いたのである。
ヘレン・ケラー(一八八〇~一九六八)は二歳のときの疾病がもとで、視覚、聴覚、そして言葉を失うという三重苦に襲われたが、その痛ましい不幸にもかかわらず、歴史上にその名を残している。
彼女はその生涯を通して、敗北を認めさえしなければ、誰にも敗北などありえないのだ、ということを立証したのである。
※敗北は認めない、かならずやり遂げる。
ロバート・バーンズ(一七五九~一七九六)は、スコットランドの無教育な田舎者であると同時に、アルコール依存症だった。しかし、彼はその美しい心を詩にすることによって、世に貢献した。
彼の詩は人々の心からとげを抜き、きれいなバラの花を咲かせたのである(『蛍の光』の原曲となったオールド・ラング・ザイン、『故郷の空』の原曲など多数ある)。
ベートーヴェンは、耳が不自由で、ミルトン(『失楽園』を書いたイギリスの詩人)は目が見えなかった。
しかしこの二人の夢は、見事な芸術として実を結び、その名は一躍有名になったことは周知のとおりである。
単なる望みを持つことと、願望を現実のものとして受け入れようと心の準備をすることは、もともとまったく違うことなのである。
必ず実現すると心から信じないかぎり、願望を受け入れようとする心の準備はできない。それにはまず信念を持つことが必要である。
そして信念を持つには心を開くことが必要となる。つまり素直さと心のゆとりが必要なのだ。心を閉ざしていては信念や勇気は湧きようがない。
みじめで貧しい人生に満足しているよりも、お金持ちになろう、成功しようと決意するほうが簡単であることがこれでおわかりいただけると思う。
次の詩が、この普遍的な真実を教えてくれている〔訳注…アール・ナイチンゲール著『人間は自分が考えているような人間になる‼』(きこ書房刊)七四ページはヒル博士のこの部分を引用したものである〕。
自分の人生を安く人生に売った者は()やがて蓄えが減ったとしても人生はまったくビタ一文も支払ってはくれない人生は雇い主と同じだしかも欲しいだけの給料をくれるだが、ひとたび給料を決めてしまったらあとはその給料の多寡と関係なく困難な勤めに耐えていかなければならない。
しかし、どんなに惨めな仕事でも精いっぱい努力すれば人生は請求しただけの報酬を喜んで支払ってくれるものだ。
※常に全力で挑む。
●願望が堅い壁を打ち破る
ここでの話のまとめとして、私が出会った優れた人物を紹介しよう。私が初めて彼と出会ったのは、彼が生まれて数分後のことだった。この赤ん坊には耳がなかった。
医者は、「一生耳と言葉は不自由のままでしょう」と言った。だが私はこの医者の診断を信じなかった。信じない権利が私にはあると思ったからだ。なぜなら私がその子の父親であったからである。
私は心の中で息子(二男である)が必ず聴覚を取り戻し、話せるようになると確信していた。必ずその方法があるはずだと思った。
なぜそう私が確信したのか、合理的な説明はつかないが、私は何とかしてその方法を見つけだそうと思った。
そのとき私はエマーソンの言葉を思い浮かべていた。自然の法則は私たちになすべきことを教えてくれる。ただ素直に従うことだ。人にはそれぞれの方法で生きる手立てがある。
耳をすませて静かに聞けば、正しい法則があなたにも聞こえてくるだろう。そしてその「正しい法則」こそ、〝願望〟なのである。
私は息子ブレイアが決して耳の聞こえない人間ではない、ということを強い願望として頭に刻み込んだ。
私のこの願望は、その後一度として私の中から消えたことはなかった。私は心の中でブレイアが回復すると確信していたのである。
ブレイアは絶対に耳が聞こえるようになるのだ、と毎日繰り返し自分に言い聞かせた。少し大きくなるにつれて、ブレイアにはほんのわずかとはいえ、その表情の動きによって、聴力があることがわかった。
しかし私には、とりあえずそれで十分だった。
もし少しでも聞きとることが可能であるのなら、その脳力を伸ばすことができるに違いないと考えたからである。こうして予想もしなかったことから希望の光が見えてきたのであった。
●一生を変えた出来事
私が蓄音機を買って帰ってきた日のことだった。生まれて初めて音楽を聞いてブレイアはとても興奮し、蓄音機がすっかり気に入ったように見えた。
二時間以上も蓄音機の端を歯でかむような姿勢をして、彼はレコードを聞いていたのである。
ブレイアのこの姿勢は大変重要な意味を持っていたのだが、骨伝導〔訳注…骨の振動により、音が伝わること〕という現象を聞いたことがなかったので、私は何年もその意味がわからなかった。
ブレイアが蓄音機に飽きたころ、私は彼の頭骨の斜め下方の少しとがった骨の部分に唇をあてて話してみた。そうするとよく聞こえているらしいことがわかった。
こうして私の声が彼に聞こえていることがわかったので、私は直ちに、彼に「聞きたい、しゃべりたい」という願望を持たせようと考えた。
それからまもなくのことだが、私はブレイアが寝る前に物語を聞くのが好きなことを発見した。
そこで私は彼に〝聞こえるようになりたい〟という強い願望を抱かせるような童話をつくって、夜ごとに聞かせることにした。
話すたびに、飽きがこないよう新しい脚色を加えつつ、その物語を繰り返し聞かせたのである。
このようにして、彼が背負っているハンディキャップは負い目でも何でもなく、大きな価値を持つ一つの財産であることを、彼の心に植えつけたかったのである。
どんなハンディキャップも、それに匹敵するだけの利点を持っているのだとする考え方を、これまで私は実践し広めることに努めてきたが、当時は、正直なところブレイアのハンディキャップがいったいどうやって財産に転化し得るのか、まったく見当もつかなかった。
今、当時の経験を振り返ってみると、息子の、私に対する信頼が驚くべき成果に結びついたように思う。私が教えることに対して、彼は疑うということをしなかった。教えに対してとても素直だったのである。
私は(そのハンディキャップにもかかわらず)彼が兄より有利なものを持っているのだ、と教え込んだ。そしてその利点がいずれ多くの面で現れるだろうとも語った。
一例をあげれば、学校の先生は、彼に聴覚がないことを知れば、特に彼に注意を払い親切に扱うであろう、などといったことである。
また、アルバイトで新聞売りになれるような年ごろになれば(そのとき彼の兄はすでに新聞売りのアルバイトをしていた)、兄よりも有利な立場になるであろうと教えてやった。
買う人は、新聞売りの少年が耳がないにもかかわらず、一所懸命に仕事をしているのを見れば、励ましのためにより多くのチップをくれるに違いない、と考えたからである。
事実そのとおりだった。七歳ごろになると、私の教えが有効であったことがだんだん判明してきた。
もっとも数カ月にわたって、ブレイアは新聞を売りたいと言い続けたが、母親はなかなかそれを許さなかった。そこでとうとう、ブレイアは自分で道を切り開く決意をした。
ある日の午後、わが家の使用人たちが気を許しているスキに、彼は台所の窓から抜け出しておもてに出るのに成功した。
そして近所の靴屋から六セントを借り、それで新聞を卸してもらってすぐに売り払い、その売り上げでもっと多くの新聞を買うということを夕方まで繰り返し行ったのである。
借りた六セントを耳をそろえて返してもなお、四二セントの儲けがあった。その夜、私が帰宅すると、彼はそのお金をしっかりと握ったまま眠っていた。
母親は彼の手を広げそこに握られていた硬貨を見て泣き出したが、逆に私はブレイアの最初の成功を見て、心から喜んだ。というのは、私の教えたことによって、ブレイアに自信が芽ばえたことを知ったからだ。
母親は耳の不自由な少年が哀れにも命がけでお金を稼いだという見方をしていた。しかし、ブレイアは私の目には、勇敢で自立した小さな実業家として映った。自分自身でやってのけたために余計にその価値は大きいものがある。このことで彼は彼自身の一生に役立つものを得た、という感触が私にはあった。
●願望はひとまず実現した
教師たちがよほどの至近距離で大声で話してくれたときを除いて、ブレイアは、ほとんど耳が聞こえないまま、小学校、中学校、高等学校、大学を卒業した。
聾学校には通わなかった。私は彼に手話を習わせたくはなかった。彼には健常者と付き合い、普通の人の生活をさせてやりたかったのだ。私にはそうできる、という確信があった。そして私は、その考えを貫き通したのである。
もちろん、ときには学校関係者と熱い議論を交わすことにはなったが……。高校生のころ、電気を使った補聴器を使用してみたが、役には立たなかった。
しかし、大学生活も残すところあと一週間というときに、彼の人生の最大の転機となるできごとが起こったのである。
それは偶然のことであったが、ある日、新しい補聴器をためしてみる機会があった。あるメーカーが突然、見本として送ってきたのだ。
似たような装置を用いてこれまでうまくいったことがなかったので、彼はあまり積極的にためそうという気は起きないようだった。
ブレイアは無造作にその補聴器を耳にセットし、スイッチを入れてみた。するとどうだろう。生まれてこのかた、ずっと念願してきた正常な聴力が、まるで魔法のように現実のものとなったのである!生まれて初めて、普通の人と同じように聞くことができたのだ。
この補聴器によって、まったく新しい世界が開けたのである。ブレイアは飛びあがって喜び、母親に電話をかけに行った。
そして母親の声を完璧に聞き取ることができたのである。また次の日には、授業中に教授の声を、はっきりと聞き取ることができた。
本当に初めて、他の人と自由に会話を交わすことができたのである。これはまさしく別世界に飛び込んだようなものであった。
こうして願望はようやく、かないつつあった。しかしまだ、私たちは完全な勝利を手にしたとは思わなかった。
というのも、私は彼が背負わされた障害を何らかの方法で、障害に匹敵するだけの財産に転換する決意をしていたからである。願望はあらたなステップへと一歩踏み出した。
⑥●障害を財産に変えるインスピレーション
ブレイアは音のある世界という、生まれて初めての経験に恍惚としていた。そして、補聴器のメーカーに手紙を書き、熱っぽく自分の体験を報告した。
手紙を読んだメーカーは、彼をニューヨークに招いた。ニューヨークに着くと、彼は、工場を案内されながら、技師にまったく新しく開けた世界のことを話していた。
ちょうどそのとき、あるインスピレーションが彼の頭に浮かんだ。そのインスピレーションこそが、彼の障害を財産に変えるきっかけとなったのである。
そのとき彼の心に浮かんだヒラメキによって、耳の聞こえないまま一生を過ごさなければならない何百万人もの人々に、富と幸福を与えることができたのだ。
そのインスピレーションとは次のようなものであった。
彼らに自分の体験を伝えることができれば、補聴器を使用しないまま、一生を終えてしまう数多くの耳の聞こえない人を助けることができるのではないか……。
こうして一カ月間、ブレイアは研究に没頭した。彼は補聴器メーカーのマーケティングを徹底的に分析したのである。
ブレイア自身の喜びを他の耳の聞こえない人々とも分かち合おう、という強い願望に促されて、彼はがんばりとおした。
彼は自分の調査結果に基づいて入念な二カ年計画をメーカーに提出すると、メーカーは、直ちにそれを実行するための役職に彼をつかせることを決めたのである。
もしブレイアがハンディを背負った人々に彼が体験した喜びと希望を与えたい、という願望を持たなかったら、これらの人々が喜びと希望を見出すのは、もっとずっと後になってからのことになっていたに違いない。
何よりも、私たち夫婦がブレイアの心構えをプラスの方向に形成していなかったならば、ブレイアはただ耳の聞こえない人間として一生を送ったに違いないと、確信している。
私たちは彼の心に、聞きたい、話したい、普通の聴力を持った人として生きたい、という燃えるような願望を植えつけたのであるが、その願望は不可能を可能にする力を発揮して、彼の聴力をよみがえらせたのである。
ブレイアは正常な聴力を願望して、それを手に入れた。まさにチャンスは準備をしていた人間のもとに飛び込んできたのである。
もしハンディに打ちのめされたまま過ごしてきていたならば、彼はその障害を財産に変える術もなく、この社会を生きていかなければならなかったであろう。
明確な願望と、燃えるような確信、信念が、ブレイアにも、また周囲の人々にも幸福をもたらしたのである。
●心の力は驚異に満ちている
マダム・シューマン=ハインク〔訳注…一八四一~一九一三。ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのオペラの演出家として知られている。
ドレスデンでデビュー(一八七九)したのち、バイロイトでワーグナーのオペラを歌い続ける。一九〇五年に米国に帰化〕についての短い記事を読むと、彼女が歌手としていかに成功を収めることができたのか、そのヒントを得ることができる。
この記事は「願望の持つ偉大な力」をよく示しているので、あえて引用しよう。
まだ駆け出しのころ、マダム・シューマン=ハインクは、ウィーン皇室オペラのディレクターに会いに行った。声のテストを受けるためである。
だが、ディレクターは、彼女の声をテストしようとすらしなかった。彼はこの風采の上がらない少女を見るとこう言ったのである。
「君のような特徴のない子が、オペラでどうやって成功するつもりなのかね。まあ、そういう途方もない望みは棄てて、ほかに仕事を見つけたほうがいい。君はどんなにしても歌手にはなれないよ」
ディレクターは、オペラの知識については豊富であったかもしれないが、「燃えるような願望の力」についての知識は、まったくなかった。
もしそのディレクターに、多少なりともその知識があったなら、一度のテストもせずに将来の天才を見逃す、などという間違いはしなかったであろう。
かつて、私の仕事仲間が病気で倒れたことがある。病気はどんどん悪化して、ついに入院して手術を受けるということになった。そのとき医師は「助かるチャンスはほとんどない」と私に言ったものである。
しかしそれは医師の判断であって、患者はそうは考えていなかった。担架で病院に運ばれようとしたとき、彼は私にこう言った。
「心配しないでください。数日で退院しますから」そばにいた看護婦は、同情のまなざしで彼と私を見つめた。
しかし、私との約束どおり、彼は無事に退院したのである。「もうだめだ」と考えていたのは医師のほうで、患者は「必ず治る」と確信していたのだ。
「生きたいという意思の力が彼を救いました。もし、少しでも死を受け入れるスキが彼にあったなら、手術は決して成功することはなかったでしょう」と後で医師は私に言ったが、そのとおりなのだ。
生きたい、という意思の力、これは燃えたつような願望そのものである。私は願望の力を信じる。というのも、私はそれを裏づける多くの人々を見てきたからである。
燃えたつような願望を持って、どん底から出発して、地位と富を手にした人たちを数多く、私は見てきた。
片足を棺桶に突っ込んだような人が、燃えたつような願望を持って、再び健康になるのを見てきた。燃えたつような願望を持って、不幸のどん底からカムバックした人も見てきた。
ブレイアは耳がないにもかかわらず、普通の、しかも幸福な人生を歩むようになった。そして彼も、燃えたつような願望を持っていたのである。
エッセンス②()()
▼願望や目標が完全に心をとらえたら、もう迷うことはない。成功はあなたのものだ。
▼この章で示した「願望実現のための六カ条」は、願望や目標を黄金に変えるノウハウである。アンドリュー・カーネギーはこのノウハウで巨富を手に入れたのである。
▼願望や目標は、一時的敗北を成功へのステップに変える。マーシャル・フィールドが焼跡に世界一の店を再建したのも願望の力であった。
▼耳のない少年が聞こえるようになり、「素質がない」と言われた少女が一流のオペラ歌手になり、医師に見放された病人が回復したのも、すべて願望や目標の力による。
▼自分で認めないかぎり「限界」などというものはない。

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