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第2章成長を阻害する1つ目のブレーキ

目次

悩みの本質を探る

「山田さん、いらっしゃいませ」「マスター、お言葉に甘えてまた来ちゃいました」 まだ一度しか来ていないのに、マスターは僕の名前を覚えていてくれて、優しく迎えてくれた。

前回は偶然だったけれど、今回は、マスターから渡された地図の続きが気になって、わざわざ時間をつくってきたのだった。

客先のアポイントを意図的に遅めの時間に設定させてもらい、たっぷりマスターの話を聞ける時間を確保した。

「あれからいかがですか?」「いやぁ、アイスバーグの話、とても勉強になりましたが、それでも、日々の仕事に戻ると忘れがちになりますね。多少意識はしても、行動ができているか自信がないですし、習慣化も難しいですね」

「そうですね。あの話を聞くと『なるほど! 気づきがあった!』と一瞬盛り上がるのですが、日常生活に戻ると、ほとんど今までの行動やふるまいに戻ってしまうのが人間ですからね。良い気づきでも、そのマインドをキープするのは大変ですよね」

「本当におっしゃる通りです。しかし、あらためて周りを見ると、アイスバーグモデルって誰にでも当てはまるんだと思いました。どうしても成長とか変化というと強要されるイメージがありましたけど、なんかいい感じです」

「成長をプレッシャーに感じてしまう人もいますからね。成長と言われると自分の本質を捨てて別のことをやらないといけないのかと感じるのかもしれませんが、自分を活かし、主体的に本質的な成長をすることが人生をより豊かにしてくれると私は思っているんですよ。まぁ、どうぞおかけください」 マスターは、にこやかに話しながら、僕に着席を促した。

夢中になってしまい、つい立ったままで話をしていたのだ。カウンター席に座り、すぐにアイスコーヒーを頼んだ。先日と同じ時間に来たのだが、どうやらこの時間は空いている時間帯らしい。

これならマスターとゆっくり話ができると思うと、自然と口元が緩んでくる。アイスコーヒーを僕の前に差し出しながら、マスターがゆっくりと口を開いた。

「それで、今日はどうされたんですか?」「先日の話の続きが気になって。それともう1つ、具体的なアドバイスもいただきたくて来たんです」

「何かお悩みに直面しているんですね?」「はい、実は、育成に悩んでいた部下が、会社を辞めたいと思っているらしいんです。ただ、これは彼から直接ではなく、別の者から聞いた話なんですが、うちの会社は月 1回、個別面談を組んでいまして、部下からは『次回の面談で伝えたい話がありますので、よろしくお願いします』と言われていました。

気になってはいたものの、こんな話だったとは……と頭を抱えてしまったんですよ。彼との面談で何を話せばいいのか自信がなくって」

「そうだったんですね。ちなみに部下の方は、どんな理由で辞めようと考えていらっしゃるのですか?」「なんでも、給与が上がらないとか、他の会社のほうが自分を高く評価してくれるとか、いろいろと言っているみたいです。そんな彼にどうアドバイスしたら良いのでしょうか?」

「なるほど」 マスターはうなずき、笑みを浮かべながら、また紙を 1枚取り出した。「まずは、これを読んでみてもらえますか?」

悩み多き音楽サークル

お、またなんか出てきたぞと思いながら、この前とは違って何か期待感がある。今度は音楽サークルの話だ。

「えっと、大学で仲間 5人が集まり、音楽サークルを結成しました。リーダーは Aさん(あなた)が立候補し、メンバーで協議の上、 Aさんに決定しました。1年後にある音楽大会で優勝するために、日々練習しています。

ただし、各メンバーがそれぞれ悩みを抱えていて、思うように成果が出ていません。彼らの悩みを分類し、アドバイスを考えてください」

A 情熱的で、 1年後の音楽大会で絶対に優勝したいと思っている。各自の悩みについてどうしたら解決できるかを悩んでいる。

B 最初は頑張っていたが、他メンバーと比べてあまり上達せず、自分は向いていないのでは? と考え、他サークルに行こうか迷っている。

C 音楽が好きで、気楽に楽しめたらいいと参加したが、優勝にこだわりが強い感じや、練習の多さにあまり馴染めない。

D 楽器のスキルが高く、練習方法の変更など強く意見を言うが、上手く伝わらない。他のメンバーが何とかならないかと不満も多い。

E 体が弱い。アルバイトが忙しい。彼女から「もっと自分との時間を取ってほしい」と言われていてサークル活動に集中できない。

マスターがグラスを拭きながら僕に言う。

「『世界がもし 100人の村だったら』という本がありましたが、その本のようにあえて小さい規模で考えてみると本質が見えたりしますよね」「そうですね。しかし悩みの多いサークルですね。ここから彼らの悩みを分類して、アドバイスを考えていくんですね?」

ええ。まずは彼らの悩みは何かということを考えてみてください。それと、外的ではなくて、内的な要因を考えてみてください」「外的ではなく、内的?」

「そうです。外的な要因、例えば病気やお金がない、環境が厳しいなどではなく、内的なもの、例えばその人の考え方や意識、感情によって発生している悩みを中心に考えてみてください。

外的な環境が同じでも人によって悩みの内容や大小に違いがありますよね。ということは、外的要因ではなく、内的要因の中にその悩みの本質が隠れていることが見えてくると思いますので」

「うーん、分かったような、分からないような……」「まぁ、ものは試しです。まずはやってみましょう」

しばらくしてからマスターが声をかけてくれた。

「いかがですか?」「そうですね。2つあると思います。1つ目は、全体的にみんなバラバラで、個人の目標ばかりで共通のビジョンに全く向かっていない。

Dくんもバンドは 1人でやるものではないことを自覚したほうがいいし、 Cくんとは目標のすり合わせをしていく必要があるかと。

2つ目は、そもそもコミュニケーション不足なところです。お互いに思いやりがあれば良いんじゃないかなぁと感じますね。例えば、 Bくんや Eくんには励ましが必要そうですよね」

「なるほど。それらは確かに課題ではありますね。以前にこのケーススタディをやっていただいた方々も同じ点を挙げてくださいました。

その上で、それらの課題が、本当に彼らの悩みを生み出しているのかをより深く考えてみていただきたいのです」「と言いますと?」

「例えば、今、山田さんがおっしゃった2つの課題の対策を、このチームで実施したとして、彼らの悩みは本当に消えるのでしょうか? もしかしたら、一時的にこのチームは良い状況に変わるかもしれませんが、しばらく経つとまた彼らは悩み始めてしまうと思いませんか?」

「確かに、彼らの悩み方を見ていると、僕が言った対策だけでは根本的な解決にはならないような気もしますね。うーん、それより、本質的な課題か……」 しばらく一人で考えてみたが、それ以上アイデアが浮かばなかった僕は、マスターに聞いてみた。

「僕はコミュニケーション不足って結構本質的な課題だと思っているんですけれども、マスターによるとまだ考えが浅いということになるんですよね? う ~ん、難しいですねぇ」

「それでは少しヒントを出しましょう。こちらの絵を見てください」 マスターが 1枚の絵を差し出した。そこには 2台の車が描かれ、こんなクイズが書かれている。

Aさんは時速 80キロをだそうとアクセルを踏んで走っています。Bさんも 80キロをだそうとアクセルを踏んでいるのですが、なぜかブレーキも踏んで、さらにサイドブレーキまで引いています。

どちらが先にゴールに着くでしょうか?」

悩みを減らす5つの方法

「これ、トンチじゃないですよね(笑)」 思わず僕はマスターに聞いてしまった。

「ええ」「そうしたら、どうみても答えは Aさんですよね。どうしてこんな当たり前のことを聞かれるんですか?」

「そう思いますよね。この質問をされたら 10人中 10人全員が Aさんが目的地に早く着くことは分かっています。でも世の中には、驚くほどたくさんの Bさんがいるんですよ。ほとんどと言っていいほど、皆さんブレーキを踏んでいるのではないでしょうか」

「ええ!? そうですか?」 そんなにみんなブレーキを踏んでいるかなと思いつつ、僕は話を続けた。

「みんな頑張ってアクセルを踏んでいるように見えますけど」「では、山田さんの周りに、 Bさんはいませんか? ほら、例えば今の仕事に悩んで、転職をしようか考えているとか……」 そう言われて、ハッとした。

さっきマスターに話した部下がまさしくそうじゃないか。

今の仕事に対してかなり悩んでいて、僕から見ると明らかにブレーキを踏んでいる。

そう考えると営業成績が伸び悩んでいるうちのチームのメンバーも、頑張ってくれているけれど、何かしら悩んでブレーキを踏んでいるかもしれない。

「いましたね。僕の部下がそうでした」「そうなんですよ。全く悩みがなく全力でアクセルだけを踏んでいる人を探すほうが難しいくらい、多くの人が大なり小なり Bさんなんですよね。つまり誰しもが悩んでブレーキを踏んでしまっている状態なんです。

どうして悩むのか、悩みの本質を理解するためには、先に悩みの減らし方を知るのが効果的なのですよ。

ここから『悩みを減らす5つの方法』をお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」 悩みを減らす? そんな方法があるならば、それはすごく役立つなと思った僕はマスターに先を急かした。

「『悩みを減らす5つの方法』ですね。それはすごい! ぜひ教えてください!」

方法 1 ブレーキの存在を知る

マスターは、分かりましたというふうにうなずいて、口を開いた。

「では、始めましょう。まず1つ目が、今お話ししていた〝ブレーキの存在を知る〟ことなのです。

世の中にこの悩みブレーキを踏んでいる人は多いのですが、ほとんどの人があまりブレーキの存在を認識していないんですよ」「1つ目は、〝ブレーキの存在を知る〟ということですね?」 と、うなずいてはみたものの、どこかピンとこない。

「なんとなく分かるような気がしますが。ちなみに悩みブレーキって、具体的にはどういうものがあるんでしょうか?」

「そうですね、いろいろとありますよ。例えば給料が上がらないとか、正しく評価されていないとか、他の会社のほうが自分には向いているんじゃないかとか。

あるいは、今の環境だと身体にも良くない、仕事が忙しすぎてプライベートの時間がとれないとか。1つではなく、いろいろな悩みが複合的に合わさって大きく感じている場合も多いですね」 なるほど。

確かに部下もそんなことを考えているかもしれない。マスターは優しい声で話を続ける。

解決できる、できないとか、どう解決すべきか考える前に、まずは自分には悩みがあり、ブレーキを踏んでいるんだという認識をすること、ブレーキが存在することを知るだけでいいんです。それが最初の第一歩です

そういえば僕自身も、部下が退職を考えていることに対して、どう対応すればいいんだろうと考えており、最近仕事に力が入っていなかったかもしれない。

これもある種のブレーキなんだろうな。

何かを察したのか、マスターは、サイフォンの中をコポコポと上がっていくお湯を見ながら小声でささやいた。

その部下のブレーキをどう外すのかを、上司としては考えていかないといけないですよね」 あぁ、耳の痛い話だ。

前回もマスターとの会話にはギクッとさせられることがあったが、いろんな気づきがあり、自分や周囲の変化につながっていきそうな気がするので、真剣に向き合ってみようと思った。

ちなみに、『アクセルだけ踏んで、ブレーキ操作をしなかったら、カーブを曲がりきれず側壁にぶつかっちゃうから、やはりブレーキは必要でしょう』なんて言う人が結構いらっしゃるのですが、そういうことを伝えたいのではありませんからね(笑)。必要なときに踏むとかではなくて、踏む必要がないときにもブレーキを踏んでいるということに対して、なぜ踏んでしまうのかがテーマなので」

「ええ、もちろん、そこは理解しています。あらためて考えたら僕の周囲にもブレーキを踏んでいる人がかなり多いですね」「本当にそうなんです。

ほとんどと言っていいほど、ブレーキを踏みながら仕事や生活をしていますよね。なので、ブレーキの存在をぜひ知ってくださいね」

こうして僕は、仕事や生活に対するブレーキの概念を認識した。これだけでもすごい。

自分の仕事や生活に何かしらプラスになりそうな気がしたが、まだモヤモヤが消えたわけではない。

カウンターテーブルに肘をつき、ストローで氷をカラカラと回しながら考えていたら、もう少し質問がしたくなってきた。

「マスター、例えば部下に『ブレーキがあるよね』と指摘したところで、『じゃあこれからどうすればいいんですか?』という話になりますよね。そんなときにマスターはどうしているんですか?」

そうですよね。どうしたらブレーキを踏まないようにできるのか知りたくなりますよね。それは、手法ではなく、〝ブレーキを踏まない覚悟〟です」「え? 覚悟ですか? あまり使わない概念なので、どう捉えればいいんでしょうか」

「三叉路理論」でみる心の状態

僕がまたモヤモヤと考えていると、コーヒーを淹れ終わったマスターからまた 1枚の図が差し出された。

「これは何でしょう? 道が分かれていますね」「ええ、私が勝手に『三叉路理論』と名づけているんですけどね。覚悟の話をする前にまずはこちらの図について考えてみましょう」 Y字路に見えるその図の分岐点には〝悩み・決断〟と書いてある。

「ところで、山田さんは今の会社は新卒で入られたんですか?」「いえ、僕は中途入社です。前の会社が新卒入社で、今の会社が 2社目です」

「そうですか。では大学のときに、どの会社に入ろうか悩んで前の会社に決めて、その会社から何らかの理由で転職を考え、そのときにいくつかの転職企業候補で悩んで今の会社を選択されたんですよね?」「ええ、そうでした」「そういう分岐点でどちらの道に進もうか悩むのは当たり前で、それはとても大事なことですよね」「はい、僕もそのときは、とても悩みました」「ただ、本当の問題はその分岐点での悩みではなく、悩んだ後の真っ直ぐな道の上でのことなんです」「あっ、さっきの Bさんのブレーキですか?」

よく気づかれましたね。選択したはずの道ですから、全力で進むべきなのに、そこでまたブレーキを踏んでしまっていることです

「なるほど! 当たり前のようですが、こうして図で見てみると、踏むべきでない道中にブレーキを踏んでしまっていることがよく分かります」

そこまでは何となく理解できたけれど、まだまだ腹落ちしきれていない。そんな気持ちで、さらにマスターに尋ねた。

「でも、踏むべきでないことまでは理解しましたが、人それぞれいろんな事情があって選択した道でもやっぱり悩んでしまうことは仕方ないんじゃないですか?」「そうですね、理屈と感情は別物ですから。

理屈ではブレーキを踏まないほうがいいと分かったとしても、感情でブレーキを踏んでしまうことは多々ありますよね。

そのことに関してはこれから追い追い話していきたいと思います」 マスターは、まるで僕からの質問が当然というように答える。

そして、さらに話を続けた。

「その前にまず、私がこの三叉路の図でお伝えしたいのは、感情の問題は置いておき、多くの人が〝迷うべきポイントでなく、しっかり進むべきところでブレーキを踏んでいる〟と認識することが重要だという点なのです」

「はぁ、確かに。今まで悩んでもいいポイントと悩むべきでないポイントを意識したことはなかったな、と半分納得したんですけど、それが分かったとして根本的な解決になるんですか?」

僕は半信半疑の状態で、早く何らかの結論が知りたくて少しマスターを急かし始めていた。

「まぁまぁ山田さん、そのことについてはあとでしっかり時間を取りますから、まずはこの道中でブレーキを踏み続ける状態についてもう少し考えてみましょう」 マスターは僕のはやる気持ちを見透かしたように、ゆっくりと話し続けた。

方法 2 ブレーキを踏まない覚悟

「この選択後の道中で悩んでブレーキをかけているのが、まさに先ほどの Bさんですよね。なぜ悩んでいるかには、給与や、やりがい、上司や同僚との人間関係、プライベートの充実や健康状態などいろいろな要因がありますね」

「そうですね、人って本当に悩み多き生き物ですね」「そして大抵の人が、その悩みの状態がはっきりとした意思決定がされないまま、半年、 1年、 2年と結構長く続いていますよね。

この期間は、アクセルだけを踏んでいる状態より、確実に目的地に着くのが遅くなりますよね」「はい、それは納得するしかないですね」「山田さんは、このブレーキを踏んでいる状態が長く続くとどうなると思いますか?」 おっ、マスターの解説が続いていたけど、急に質問が飛んできたな。

「長くアクセルとブレーキを踏んでいると……。それは車だったらエンジンがおかしくなって故障するんじゃないですか?」「はい、その通りです。車はもちろんですが、人間でも、長くその状態であれば、パフォーマンスが落ちるだけなく、故障してしまいます」

人間で言うと故障とはどんな状態かな、なんて考えつつ聞いていた。

「なるほど、多くの人が故障のリスクが高い行動をしているということですね?」「そうなんです。

皆さん、今の自分が悩み続けている状況は、やむを得ないもので、変えることはできないと思い込んでいるのではないでしょうか」

「確かに。自分の置かれている状況をそこまで客観的に捉えてはいなくて、起こってしまっている状況にただ反応しているのかもしれません」

「そうですね。自分の状況を客観的に見るのはとても難しいことですが、もし、それができれば、その状況に変化が起こる可能性があると私は思っているんです」

僕はここで、ちょっと意地悪な質問をしてみたくなった。

「それがマスターのおっしゃる『三叉路理論』なんですね。でも、それは何か経験を伴っておっしゃっていることなのでしょうか。これまでにたくさんのご相談の実績を持っておられるとか?」

コーヒー 1杯でアドバイスをもらっていながら、失礼な問いだが、それだけマスターに強い興味があるのだ。マスターは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに元の笑顔に戻り、こう答えた。

「私は、以前、数百人の方から、職場での悩みや、退職をすべきかなどの相談を受けアドバイスをした経験があるんです。そのときにこの『三叉路理論』を用いて話をしたんですよ」

えぇ! この人は一体、何者? こんな小さなカフェのマスターが、何百人もの人の悩み相談? マスターの過去の話を聞きたくなったが、なぜかそこはあまり詮索してはいけないオーラのようなものを感じて、もう少しマスターと親しくなってから聞いてみようと我慢することにした。

そして、マスターの話の腰を折らないよう聞くことにした。

悩みを減らすために必要なこと、それは1つ目に〝ブレーキの存在を知る〟こと。そして2つ目に〝ブレーキを踏まない覚悟をする〟ことです」「あ、さっきマスターが言っていたことですね。

ブレーキを踏まない覚悟って一体どんな覚悟なんですか?」 僕はマスターのダイレクトな表現に少し驚いて聞き返した。

ブレーキがそこにあると知ることはもちろん大事なのですが、『よし、このブレーキは踏まないほうが私の人生にとってプラスなんだから、私はブレーキを踏まないように努めてみよう!』って決断する。

覚悟を決めることが実はとても大事なことなのです」「いろいろなことで悩んでいる人が、それぞれの悩みのもとになることを解決できないのに、悩まない覚悟なんてできるものなんですかね?」 マスターの自信に満ちた表情に対し、僕の疑問はより深くなっていた。

スムーズに覚悟を決める方法

「一生その道で悩まずに進む覚悟をするのは、多分難しいですよね」「はい、そうですね。一生の決断は重いです」「よほど意思の強い決断力のある人でなければ厳しいと思います。

私も一生の決断はなかなかできません。そこで良い方法があるんです」 マスターがニコッと笑う。

僕はカウンターから乗り出して聞きたいくらいの気分になった。

「そんな良い方法があるんなら、ぜひ教えてください!」「一生の覚悟ではなく、期間限定で決断するんです。

私のオススメは 2年ですね。

『 2年間はその道をなるべくブレーキを踏まないで進んでみる覚悟をしてみませんか?』という提案です」

「なるほど。2年だったら、一生に比べたら頑張ってみてもいいかなって気にはなるかもしれませんね」

「悩む人って、その決断を必要以上に重く考えてしまいやすいんですよ。

常に一生分の決断をしようとしている感じで。でも、人生でそこまで重要な決断が必要な場面は多くないと思うんです。

それにとりあえず 2年間ブレーキを踏まずに頑張った体験がその後の人生にも大きくプラスになります」

うーん、悩みを減らす方法の全容解明ができたわけではないが、なぜか少し気持ちが軽くなった気がした。

気のせいかな……。

「それと、もう一つ。私が相談に乗った人たちもなんですが、多くの人が、『環境を変えさえすれば自分を悩ませている問題が全て解決する』という、願望に近い気持ちを持っている気がします」「あ、まさに今のうちの部下もそんな感じです」「よく言われる『隣の芝生は青く見える』ですね。

確かに環境を変えることによって、結果的に良くなることはあるとは思います。

でも、決断ポイントのあとで、ブレーキを踏んでしまう思考は、環境を変えたあとも残ってしまうと思いませんか?」

確かに、悩んでいる人って、悩みの原因となる環境を変えることができても、次の悩みや新たな問題が発生したときに、思考パターンが変わっていないから、同じことを繰り返してしまいそうですね

僕はハッとして、目からうろこってこんな状態を言うのかな、と一人で納得していた。マスターは続ける。

「私は、相談されたらいつもその会社に留まることを目的としたアドバイスはしないんです。

『今の会社を辞めるのも、新しい会社に転職するのも、どちらが正しいとは私は決められないし、あなたの人生なのであなたが決める権利があると思います』と必ず言います。

ただ、私がこれだけは正しいと思っていることは、どちらにしてもその選択をしたあとは、その道ではブレーキを踏まずに進んだほうがあなたの人生にプラスになるということです」「すごくシンプルで、反論の余地がない気がしますね」 僕は少し笑いながらなぜか不思議な気持ちになっていた。

「これでも大概の人は完全には納得できないんですけど、一生でなく、 2年間だけ、どちらの道を選んだとしてもブレーキを踏まずに頑張ってみてもいいじゃないかと話しています。そうすると、かなりの人が 2年間だったら頑張ってみようかなって、決断できるんですね」

普段の僕は人の話を鵜呑みにするタイプではないのだが、マスターが言うのなら、そうなんだろうと素直に思った。

「さらに面白いことに、この話のあとで、『転職しないで今の会社で頑張ってみます』っていう人がとても多かったんですよ、私に相談してきた方の場合は」「それは多分、自分の庭にある青くないと思った芝生が、自分の思い込みやブレーキのせいだったかもって感じて、その思い込みやブレーキを外してみようと思ったのかもしれませんね」 僕は今度の部下の面談のヒントを少しつかんだような気になった。

「マスター、ありがとうございます。今日聞いた話を部下にもしてみます。絶対に悩みブレーキに直面する機会ってありますもんね。そのブレーキを外すために、『三叉路理論』があるんだなぁって理解できました」

「まだ全てを話しきれていなので、少し心配ではありますが。でも、インプットだけでなく、アウトプットすることでより理解が深まりますので、ぜひ部下の方に真剣に向き合ってあげてください」

完璧な理解より実践が大事

人は知らず知らずにブレーキを踏んでしまう。でも、ブレーキは踏まないほうが良い。そりゃそうだ。マスターが言うことは至ってシンプルだ。

しかしそれは分かるけど、もう少し他の答えがあるんじゃないかと、複雑に考えようとしてしまう。もっと知りたい。そう思って質問をしようとしたとき、マスターから意外な一言が出てきた。

「キリもいいですから、今日はいったんここまでにしましょう」「えぇ!?」 ここに来てから、まだそれほど時間は経っていないはずだ。

わざわざ時間を空けて来たこともあり、もっと話を聞きたい僕としては、正直肩透かしをくらった気分だ。

「どうしてですか? あ、ここからは有料ですか?」 すがるような目で食い下がる僕を、マスターは笑顔で押しとどめ、

「いやいや(笑)。そうではないですよ。少しお店が混んできたのと、先ほども言いましたが、山田さんにまず実践していただき、その経験の上で次の話に進んだほうが良いと思ったので」

なるほど、悔しいけれど、マスターは先のことをしっかり洞察しつつ、僕の成長も考えてくれているのが分かったので、今日はここまでにして学んだことを実践に移してみることしよう。

部下に対してしっかり向き合えていないのでは、と薄々感じていたところだったので今回はちょうど良いタイミングだと思った。

「そうですね。まずは実践してみます」「頑張ってくださいね。応援していますよ!」 客先訪問の時刻になるまで、残りの時間は先程マスターに言われた内容を思い出しながら、それを部下の状況に当てはめて考えることに費やし、勘定を済ませて店を出た。

今日のマスターとの話が部下との面談でどれほど役立つかはまだ分からない。しかし、少なくとも僕自身の気持ちは、カフェに入る前よりずっと前向きだ。「よし、とにかく実践だ」 と、自分にもう一度言い聞かせ、客先に向けて歩き出した。

知っているとできるの違い

それからあっという間に日々が過ぎ、部下との面談の時間が訪れた。

「それで佐藤、話って?」「山田課長、実は自分、会社を辞めさせていただこうと考えているんです」 早速やってきた。

やはり噂は本当だった。彼の悩みブレーキは何だろうか、と思いながら質問をする。

「そうか。ちなみに、どうしてなんだ?」「今の仕事が本当に自分のやりたいことではないのかと感じていまして。もっと自分に合う仕事があるような気がしているんです」 噂で聞いていた通りだな、と冷静に話を聞き続ける。

「それに、今の自分って、ちゃんと評価されていないと思いますし。山田課長とはうまくやれていると思いますが、他の同僚との人間関係はあまりうまくいっていないので……。

正直言うと、今の給料に関しても、妻からいろいろと言われているんです。そういう状況が重なっているからなのか、最近体調もいまひとつで、環境を変えて新天地で頑張ったほうがいいじゃないかと思ってるんです」 次々に、佐藤の口からブレーキが飛び出してくる。

リアルに体験することで、マスターの言っていたことが余計に腹に落ちたように感じた。

「なるほどな。なぁ佐藤、ちょっと質問させてもらってもいいか?」「あっ、はい」 僕は、マスターに見せてもらったアクセルとブレーキの図をホワイトボードに書き、イメージしていた説明を始めた。

「アクセルを踏んでいる Aさんと、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる Bさん、どっちのほうがゴールに早く辿り着くかな?」「いや、これは当然 Aさんですよね」

「だよな。でも、世の中には目標達成に向かっているつもりでも知らず知らずのうちにブレーキも踏んでしまっている Bさんがたくさんいるんだよ。頑張って走っているつもりだけど、同時にブレーキも踏んでエンストを起こしそうな人が」 「……」

佐藤はホワイトボードを見つめたまま黙っている。この図の意味は伝わっただろうか。佐藤は目線を僕に移して言った。

「でも、自分に合った仕事が見つかればブレーキを踏まずに頑張れるじゃないですか。そっちに行けば給料だって上がるかもしれませんし、妻も喜ぶと思うんですよね」

どうやら佐藤は環境が変わればアクセル全開で走り出せると思っているようだ。

「僕はね、佐藤がうちを辞めてもいいと思うんだよ」「え?」 佐藤は、呆気に取られた顔をしている。当然引き止められると思っていたのだろう。

本当に佐藤が会社を変えることで何の気兼ねもなく頑張れるようになるのならね。でも、次の会社でも全く問題がないなんてことはないだろうし、そのときまた今と同じように頑張っているつもりでも悩みブレーキを踏んでしまうんじゃないかと心配なんだ」「確かに、その可能性はありますね」 佐藤の頑なさが少し緩んだようだ。

「だからいったんは覚悟を決めて、この会社でできるだけ頑張ってみるのはどうだ? 給料が不満だと言っていたけれど、頑張れば上がる仕組みになっているんだし、会社からの評価だって上がるだろう?」 佐藤は考え込んでいたが、しばらくして口を開いた。

「……分かりました。もう少し頑張ってみます」「うん、一緒に頑張って目標達成しよう!」 こうして山場の面談は終わった。

自分なりにやれることはやったものの、正直僕のアドバイスは正しかったのだろうか? 佐藤からもう少し頑張ってみますとの返答はあったけれど、本当にブレーキを踏まずに頑張る覚悟はできたのだろうか? 完全に霧が晴れた感覚はなく、モヤモヤ感が残った状態だった。

そして半月後、また噂を耳にする。なんでも、佐藤は転職活動していて、どこかのエージェントと会っているらしい。

いったんは目標達成のために集中してやると言ったのに、あれは嘘だったのか? 部下との信頼関係が裏切られた気分と自分のマネジメント能力に対する不安が入り混じって、今後どうしていけば良いのか分からなくなっていた。

マスターから教わったことをやってみたものの、〝知っているとできるは違う〟ということを痛感する。もう、一体どうすればいいんだよー!

動かない部下のマネジメント

「あれ、山田くんじゃない。そんな浮かない顔してどうしたの?」 佐藤の一件で沈んだ気持ちで帰る途中、バッタリ会ったのは、大学時代の友人、鈴木優子(ゆっこ)だった。

ゆっこは大学時代から明るくて歯に衣着せぬ物言いをするタイプで、何の縁かバイトやゼミも一緒だったという、とても気の合う女友達だった。

その彼女が少しうつむき加減で歩いていた僕を偶然見つけ、飲みに誘ってくれたのだ。最初は懐かしい大学時代の話で盛り上がったが、いつの間にか、お互いの仕事の話になっていた。酒の勢いもあり、ゆっこの口からも次々と悩みやグチが飛び出してくる。

「開発チームが頑張ってプロダクトを作ってくれているのは分かるんだけど、不具合が多くて顧客からのクレーム対応が大変なのよ。それに企画室も、リリース前にもっとしっかり顧客のニーズを調べて、完璧な状態にしてから販売すべきだと思うのよね」

「そうだよな」「チーム同士の揉め事もあるし、ゆとり世代の部下には何を言っても、さっぱりこっちの指示や想いが伝わらないし」「それも分かるよ」

「私、サブリーダーなんだけど、リーダーもその部下のことを完全に私に丸投げしちゃってるし……」「ゆっこも大変そうだな」 そう言いながら、自分もほとんど同じような悩みを持ちながら仕事していたので、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。

一通り会社の問題や悩みを言い合ったあと、ふとあのカフェのマスターのことが頭をよぎった。こんな二人にマスターだったら何と言うんだろう? すごく気になってきた。

「そうだ、ゆっこ! 面白いマスターがいるカフェがあるんだけど、今度の休みに行ってみないか? なんか仕事や人生の悩みに対して、今まであまり聞いたことがない話をしてくれるんだよ」

突然の誘いにゆっこは驚いたようだったが、学生時代はよく軽いノリと勢いで行動していたので、すぐにその頃の感覚を思い出して乗ってきた。

「へー、それは面白そうね。今週末ならちょうど予定もないし、行ってみたいわ!」 やっぱり学生時代の友達は気兼ねなくていいな、と思いながら数日後の待ち合わせ場所と時間を決めてその日は別れた。

「あ、山田さん。いらっしゃい」「マスター、今日は大学の友人を連れてきました」「こんにちは。鈴木と申します。山田くんにすごいメンタリングをされていると聞いて、楽しみにしてきました!」

「鈴木さん、お越しいただきありがとうございます。いえいえ、そんな大それたことではないですよ。まぁ、お座りください。何になさいますか?」 マスターは相変わらず楽しそうに笑顔で対応してくれる。

マスターは、注文したアイスコーヒーをグラスに注ぎ、二人の前に差し出しながら話しかけた。「それで、本日はどうされました?」 マスターに聞かれて、すかさずゆっこが答える。

「実はですね。部下が、チームの方針や指示に反論ばかりしてくるんです。まだまだ未熟で自分の仕事も完全にできないのに、それを上司や会社の仕組みのせいばかりにして。そんな部下の指導を、上司は完全に私に丸投げしているし、本当に困ってるんです」

さすがゆっこというべきか、初対面のマスターの前でもハキハキとした物言い。

しかし、そんなゆっこにもマスターは動じない。

「なるほど、なるほど」「だから、部下とランチをしたときに『このままだと、どこに行っても評価されないわよ。まずは目の前の仕事を一つひとつ丁寧にやって、それから思うことを意見するのがいいんじゃないかしら?』と伝えたんですよね。でも、一向に変わらないんです。こういう部下をどうすればいいのでしょうか?」

部下がブレーキを踏んでいるのだから、踏んでいるという自覚をさせることと、それを踏まない覚悟を促すことだよな……と、マスターから教わったことを頭の中で僕は反芻していた。

かくいう自分も、うまくいっていないのだが。

さて、マスターはどのように切り返すのだろうか? 僕は、第三者的な視点でいられる状況を少し楽しんでいた。

「それでは、まず山田さん。前回お越しいただいた際にお話しした『アイスバーグ』と『悩みブレーキ』の話を鈴木さんに教えていただけますか?」

なるほど、確かに今日ゆっこがアドバイスをもらうにしても、今までの内容を知っているのと知らないのでは大分違うことは僕にも理解できた。

でも、マスターから教わったことを正しく説明できるだろうか? 知っていることと、相手に説明できることにも大きな違いがありそうだ。

これ、誰の責任?

マスターが本業の仕事をしている間に、多少たどたどしさはあったけれど、僕は一通りマスターから会得した内容をゆっこに伝えた。

「いかがでしたか? 鈴木さん」「はい、学生時代でもですし、社会人になっていろいろな研修を受けましたが、今日聞いた話は、初めて聞く話ばかりで、自分の視点が大きく変わるような感覚がありました!」「そうですか。

それはよかったです。

では、次なんですが、この表に数字を記入してもらってもよろしいですか? 山田さんもどうぞ」 いつものやり取りが始まるぞ。

ゆっこは戸惑いながら表を見ている。

「記入の仕方ですけど、先ほど鈴木さんがおっしゃっていた問題や、皆さんの会社で起こっているさまざまな課題に対して、その責任は誰に何%あるかを感覚的に記入してください」

「責任の割合、ですか?」 僕とゆっこはキョトンとした表情でしばらく黙ってしまった。

最初は皆さんビックリされます。責任の割合なんて考えたことないですよね? でもこのワークをやってみると、ある本質的なことが分かってくるんですよ」 マスターは、穏やかな笑顔で僕らを諭すように説明を続ける。

「腹落ちはしていないと思いますが、あまり深く考え過ぎないで、直感的に割合を書いてみていただけますか。

数字の合計は 100なるようにしていただければ、あとは何の制約もありません」 このワークの趣旨や意図は謎だけど、まあ、やってみるか。

二人はモヤモヤしながらも数字を記入していった。

「私は、役員 50%、部長 25%、社員 10%、自分 15%ってところね。山田くんは?」「役員が 35%で、営業所長が 20%、社員が 10%で、僕が 35%かな」

「なるほど。では、次にお二人がこのワークをやったあとに、学生時代の先輩と飲みに行ったと仮定してください。その飲み会の場で、お二人がこのワークのことを先輩に話をしました。

そうしたら先輩は、お二人に『自分に 100%責任があると思ったほうが良いと思うよ』とアドバイスしました。さあ、その先輩はなぜそう言ったのだと思いますか? また、その先輩に共感できますか?」 変な例え話だとは思ったが、まあ、それも含めてのワークなのだろう。

自己責任と当事者意識

ゆっこは感情がすぐ顔に出るタイプで、すでに嫌そうな表情をしている。そして、マスターの問いに、間髪入れずに答えた。

「全く共感できないです! 例えば、部下のことにしても、確かに私の指導力にも責任はあるでしょうが、会社全体の採用基準や育成制度、部下本人の努力不足など、私の権限の範囲外のこともたくさんあります。ましてや、それ以外の会社の問題まで自分の責任が 100%なんてあり得ないです!」 自分の責任割合 15%と書いたゆっこは、少し強い口調だ。

「鈴木さんのおっしゃることは理解できます。山田さんはどうですか?」「僕も正直、あまり共感できないですね。自分がやったことに責任を持つのは当然だと思います。でも、自分の権限や責任外のことには、それぞれの責任者がいるんだし、あくまで自分の責任の範囲で頑張るべきだと思います」

自分の責任割合 35%の僕も答え、マスターに正直な気持ちを続けて語った。

「それに、仮にも自分に 100%責任あると考えたら、すごくプレッシャーを感じてしまいます。それに自分がそんなに影響力があるのか? とも思います。もちろん自分が少しでも関わっている仕事では、自分にも責任はあると考えて取り組みはしますよ。でも、僕の場合は、何か問題があるたびに考え過ぎてしまうところがあるので、 100%なんて言われたら、責任を感じてプレッシャーやストレスになります」

うーん、我ながら歯切れの悪い答えだが、ゆっこも、そうよねという顔でうなずいている。

100%は全く共感できない。しかし、反発した意見を言いながらもモヤモヤする気持ちを感じていた。

その先輩は、一体何が言いたいんだろう? 会社の回し者か? でも会社とは関係のない先輩という設定なんだから、会社に都合の良い思考にさせようということでもないだろうし。マスターは、洗い終えたラテボウルを拭きながら二人にこう伝えた。

「今までにも、このワークをたくさんの人にやってもらいましたが、責任割合はお二人とはぼ近い数字の人が多かったです。最初の感想も、大変似たものでした」

ほら、またたくさんの人にやってもらったって、このマスターは何者なんだ?

「会社全体の問題や他部署のことまで責任を取らされて評価や給与が下がったら、全くもって損以外の何ものでもないと思います!」 ゆっこが収まらない気持ちをさらにぶつける。

それでも、マスターの表情は一向に変わらない。ずっと穏やかなままだ。

「はい、しっかりお二人の本音を伝えていただきありがとうございます。実はこのワークはあえてエッジが効いた深い議論ができるように、 100%の責任といった強い表現を使わせていただいているんです」 あれ? わざとみんなが過剰に反応するようにしているのか。

でも、それってなぜ?「では、ここでいったん〝責任〟という言葉は強いので、それを〝当事者意識〟と置き換えて考えてみましょう。

その上で当事者意識のパーセンテージの大きい人と小さい人では、思考や行動にどんな違いがあるか考えてみませんか?」 責任と当事者意識を置き換える? うーん、どう考えればいいんだろう?「例えば、部下のことですが、たしかにお二人が部下の成長を考え、結果を出せるように頑張っていらっしゃるのは理解できます」 僕たちの気持ちを見透かすように、マスターの説明が続く。

「その気持ちは大切ですが、ちょっと先ほどの割合で考えてみましょう。例えば、上司としての当事者意識が 10%のリーダーと 80%のリーダーでは、部下に対する行動にどんな違いがあると思いますか?

そうですね、当事者意識の低いリーダーだったら、『成長しない、結果が出ないのは部下本人が悪いんだから』と考えるし、そう考えれば、それらに対する対策は早めに止めてしまうでしょうね」「山田さん、その通りですね」 ゆっこが負けじと発言した。

当事者意識が高いリーダーなら、『自分自身の意識や行動をどう変えていけば、部下がもっと良くなるのか』を考え、いろんな工夫や努力をすることが考えられますよね。

でも、それって部下に対する甘やかしや、チーム全体の時間配分のバランスを崩してしまうリスクもあると思うんですが……」

「鈴木さん、いい意見ですね。当事者意識の高いリーダーのほうが、確実に改善する努力をしますよね。それと甘やかしや時間配分のリスクですが、これは、あくまでも私の考えなのですが……」

メリットとデメリット

ゆっこの意見もその通りだと思って聞いていたが、それに対してマスターがどう反論するのか、とても興味深かった。

「物事には、全てメリット・デメリットがあり、どちらか一方しかないということは、ほとんどないと私は思っています。

ですから、部下に対する指導や育成でも、当事者意識を高く持っていれば全てがうまくいくわけではありません。

甘やかしやバランスを崩さないように細心の注意や工夫をすることは当然のことだと思います」 一呼吸おいてマスターが続ける。

ただ、当事者意識の低いリーダーは、多くのことを部下のせいだと決めつけて努力や工夫をしませんから、状況が改善される機会は、当事者意識の高いリーダーより圧倒的に少なくなると思います」 多くの人の成長を見守ってきたであろう瞳には、経験からくる説得力がある。

なるほど、当事者意識が高い・低いを比較する議論では、高い場合のリスクだけを挙げて、『だから当事者意識が低いほうがいい』という論理展開は確かに成り立たないな、と思った。

全てが腹落ちしたわけではないけれど、ワークの最初に感じたような抵抗感は消えてきているし、マスターが何を伝えようとしているのかが、少しだけ分かり始めたのかもしれない。

その先輩の言いたいことは、当事者意識が低いほど、ある意味、思考停止状態になってしまい、改善や変化する努力をしなくなってしまうってことですか?

「山田さん、良いところに気がつきましたね! そうなんです! 『自分も多少責任はあるけど、他の誰かも、自分より大きな責任があると思う』と思えば思うほど、当事者意識が低くなっていき、思考がだんだん停止していくということです」「う ~ん。そういうものなのかしら?」 ゆっこはまだ納得がいかない様子だ。

僕はなんだか心の奥底がチリチリと痛む。

部下に関する話だけなら納得できるかもしれないのですが、全社や他部門に関してまで自分に責任があるって考えるのは、やっぱり無理がありませんか?」 ゆっこは食い下がって質問を続けた。

そういえば、学生時代のディベート大会で情勢が不利なときでも諦めずに反論を続けていたっけ。

「ではこの事例はいかがでしょう? 最近ウチの会社に活気がなくなってるよね、とか社員のモチベーションが下がってるよね、という話はよくありますよね?」「ウチの会社でも、あるあるですね」 二人とも大きくうなずいた。

「そう言っている人たちって、どんな心境や当事者意識でその話をしていると思いますか?」「たぶん、その会社の状況に関しては、ほとんど当事者意識は持っていないでしょうね」「その問題は幹部や人事の責任だと思っているような気がします。

もしくは、あまり深く考えずに言っているのかもしれません」 ゆっこと僕は続けて答えた。

「そうですね、これらの発言って、かなり評論家的っていうか、ほとんど当事者意識は感じませんよね。では、当事者意識の高い人なら、どんな発言になると思いますか?」

当事者意識 100%を目指すべきか

なんか、どんどんマスターの術中にハマっていくようだけど、なぜか少し心地良い感じもする。

「当事者意識が高い人だったら、何かしら自分が具体的に行動を起こすことを考えるんじゃないかしら。

自分のチームでイベントのようなものをやるとか、全社が活気づくような施策を提案するとか」 否定的な意見を言っていたゆっこが肯定的な発言をし始めた。

「少なくとも、明るく挨拶するとか、部下とのランチでみんなを元気づけるとかは、個人でもできますよね」 僕も負けまいと続けた。

「お二人ともいい感じですね。当事者意識の違いがふるまいや行動の違いとなることを理解されてますね」

「100%まで完璧に当事者意識を持つべきかは別として、確かにやはり当事者意識が低すぎる人が多いと組織が良くならないのは理解できたように思います

常日頃から部下に『当事者意識を持って行動しなさい』って言っていたけれど、自分の当事者意識があまり高くなかったかもしれないと感じ始めました」 僕は意見を言いながらも、少し反省しているような気分になっていた。

ゆっこも先ほどの苛立った表情から一転して、神妙な顔つきになっている。

「当事者意識の高い人が多い組織が良くなることは、大分理解していただいたと思いますので、次に、お二人が気になっている 100%の話をしましょうか」「ぜひ、お願いします!」 二人は前のめりになりながら言った。

「先ほども言いましたが、このワークで責任という言葉を使ったのは、議論が活発になり、より皆さんの本音が聞けるようにするためです。

100%責任とって評価が下がるとか、格下げになるとか、そういうことではありません。まず、そこは理解してください。その上で、さっきは当事者意識が低い人と高い人の違いを考えましたが、今度は当事者意識 80%の人と当事者意識 100%の違いを考えてみませんか?」

マスターはきちんと二人の理解に合わせて質問のレベルを変えているようだ。

「80%は結構高いほうじゃないでしょうか? そのぐらいあれば上司としては十分ですし、具体的な行動もするでしょうし」 ゆっこが答えた。

「僕も 100%と 80%の違いのイメージがあんまりわかないです。100%の当事者意識を持つことに対して、なぜか軽い恐怖感のようなものがあるのかもしれません」 僕も遠慮せずに本音を話した。

「そうですね、強制されて、腹落ちしてないのに無理にやろうとするのは良くないですから、あくまで自分で納得して主体的にやってみようとなったらそうしてください。

その前提で、少しだけ考えていただきたいのは、 80%や 90%の高いレベルの人でも残りの 10%から 20%を他責にしてしまうことにより、ある大事なものを失っている可能性があるということなんです

うーん、そうかもしれない。でも、人間そこまで完璧を目指す必要あるのかな。その程度はいいんじゃないだろうか。

自分に甘いところがある僕はそんなことを思ったが、ここは口には出さずにマスターの話を聞き続けよう。

あるべき姿と現実論

話の続きを待つ二人に、マスターはまたニコリとして、こんな提案をしてきた。

「どうでしょうか。私がずっと解説するよりも、少しお二人でこのテーマについてディスカッションしてみてはいかがでしょう。話しやすいように私はここから少し離れますから。あっ、一つだけアドバイスを。そのディスカッションが滞ったときは、この袋に入ったカードを見てください」

言葉を返す間もなく、マスターは中が見えない袋を僕たちの前に置き、カウンターを離れて別のお客さんのところへと行ってしまった。

「山田くんはマスターの話、どこまで腹落ちした?」 ゆっこが興味深げな顔で聞いてきた。

「そうだな、責任と言われたときは、すごく抵抗感があったけど、当事者意識って置き換えたら、それは少ないより多いほうがいいことは納得できたよ。でもまだ 100%っていうのには同意できないな」「うん、私もほぼ同意見よ」

うーん、これでは議論が発展しないので、僕は少しだけマスター寄りの意見を言ってみようと思い直してゆっこに提案した。

「100%って、理由は分からないけど二人とも何かすごくリスクが高くて、損をするイメージを持ってるじゃん。それがなぜで、そんなリスクが本当にあるのか考えてみないか?」

「なるほど、確かに固定観念というか、強い思い込みみたいなものもあるかもしれないわね。

自分の責任が 100%って考えてみたとして、自分ができる範囲で行動を起こそうとしてみる。

例えば部下とか同僚と食事に行って皆がやる気が出る話をしたとしたら、それがうまくいかなかったとしても、別にそれで責任を取らされたり、減給されたりするわけではないのよね」

そうだな。多分だけど、何かやってもどうせ無駄だと思って、無駄になってしまうことをやるのは損だという心理が働いているのかもしれない気がする

「うん、山田くんの言う通り、自分の決められた仕事の範囲以外のことをやって、認められなかったり、無駄になったりしてしまうことを嫌って、そんな意識を持つことや行動することにブレーキをかけているのかもしれないわ。それが 100%を拒絶する要因なのかな?」

少しだけ本質に近づいてきたかもしれない。僕はさらにゆっこに提案した。

「だとしたら、逆に 100%が本当に無駄なのか、損なのか考えてみないか? そうだな、考えやすいようにあまり大きな行動でなく、小さめの行動で考えてみようか。例えばチームの雰囲気を良くするために、朝元気に明るい挨拶運動を自分から積極的に始めたと想定してみようか」

「あら、それは分かりやすい事例かも。やることのメリットは何かしら?」「まず、それって投資や根回しが必要なわけではないから、比較的簡単にできることがメリットといえばメリットかな。それにその活動が少しずつ広まれば、チームや会社の雰囲気が良くなっていく可能性はあるよね」

「じゃあ、デメリットは?」「最初に一人で始めるのは勇気がいるよな。『山田さん、どうしちゃったんですか? 急に』って言われるかも。

それに一人がその活動を始めても、その輪が広がらずに、誰も明るく元気に挨拶を返してくれなかったら、恥ずかしい気持ちや損をした気持ちになるかもね」

「結局デメリットって、気持ちの問題が大きいみたい」「うーん、ここまでは分かったけど、このあとどんな議論をすればいいだろう?」

二人とも考えがいきづまり、しばらく黙ってしまった。

「そうだ、さっきマスターが何か渡してくれてたよね?」 どちらともなく思い出し、カウンターに置かれた袋に目を向けた。そうか、マスターは二人の議論がいきづまることを完全に予測してたのか。

ますますマスターって何者なんだろう? と不思議になる。ゆっこがその袋を開けたら 1枚のカードが出てきた。そのカードには一言〝自分のアイスバーグの成長〟とだけ書いてあった。

「これってなぞなぞ?」 ゆっこは怪訝な表情でつぶやいた。

他のお客さんと話しているマスターを見たら、こちらは見ていなかったけど、少し笑ったような気がした。

この議論の解決の鍵は〝自分のアイスバーグの成長〟か……」 しばらく考えこんだ僕はハッとして言った。

捉え方次第で気持ちは変わる

「これって損得の問題ではなく、自分のアイスバーグの成長として考えてみてくださいってことなんだよ!」

「なるほどね。私たち行動するときに損得ばかりにとらわれていたんじゃない? その行動をすることが自分の成長に必要かどうかって視点で考えたら、少し違って見えてくるかもしれないわ!」 二人が知らず知らずに熱く語っていたら、マスターが戻ってきて微笑んで言った。

「ディスカッションはいかがですか?」「はい、自分たちって結構打算的だったり、自分のプライドが傷つくのが嫌だったりで、当事者意識の高い行動を避けているのかもしれないと気づきました。

何もしなければ損をする感覚にもならないし、プライドも傷つかないですから。でも、その分、自分が成長する機会を失っているのかもしれないですね」 ゆっこも続ける。

私も振り返ると、学生の頃は損得よりも、正義感とか仲間のためとかを思って、本気になって挑戦したときのほうが、それがあまりうまくいかなかった場合でも、成長したなって思い出してました」「お二人とも、素晴らしい議論をされて、とても良い気づきを得られましたね。

おっしゃるように、最近の世の中では自分にとって損か得かで物事を判断し、行動してしまう傾向が強くなっているような気がしますね。

でも、当事者意識が高いと、単純に自分の目先の損得というより、長期的な自分の成長やその成長によって、チームや会社、お客様や社会にプラスになるという視点で行動できるようになるんです」 マスターの解説には腹落ちするものがある。

確かに自分も損か得かで物事を考えて仕事をしているし、長期的な自分の成長やチーム全体のプラスになるかどうかという視点で物事を判断する機会も少ないと思う。

「そういう話であれば、 100%の責任感とか当事者意識というのも、最初に比べればかなり受け入れやすくなりました。

そのほうがより自分が成長できる機会も増えますし、損得にとらわれない人間関係が築けそうです」「はい、 100%他責にしない、当事者意識 100%の考え方が腹落ちすると大きなメリットがあると私は考えています。成長の機会が圧倒的に増えますし、悩みもすごく減る可能性が高いと思いますよ」「悩みも減るんですか?」 二人は同時に聞いた。

はい、これは私自身の経験と、この話をお伝えした方々からの感想なのですが、この考え方や行動が身につけばつくほど、気持ちが楽になったり、悩みが減ったりする傾向が強くなるようです」「ぜひ、詳しく教えてください!」 ゆっこはカウンターに身を乗り出して興味津々な様子だ。

マスターは、そんなゆっこの勢いにも動じない。

何か問題が起こったときに、『自分は悪くないのにな』とか、行動を選択するときに『損か得か』と考えるのは、結構モヤモヤしたり、フラストレーションが溜まることってないですか?」 僕とゆっこが、まぁとうなずくと、マスターはさらに続けて言った。

「他の人の考えや行動を変えるのって難しいですよね。ですから、そう考えて悩んでいても、状況が改善することってあまりないと思うんですよ。

それよりは、誰が悪いとか、損だとか考えずに、自分にできることは何だろうって考えて、小さいことでもいいので、やると決めて行動する思考と習慣を身につけると悩みづらくなっていきます。

それに、そのほうが自分の成長にも繋がることが分かっているので、心の健康にもとてもプラスなんです

方法 3 他責にしないは 100%

「確かに、自分の責任と他者の責任の区分けって難しいですよね。会社でも、いろんな問題が起こると、その原因は役割分担が明確になってないからじゃないか? という意見がよく出るのですが、役割分担を明確にして解決するってイメージは湧かないんですよね」 確かに。

僕もゆっこに続く。

当事者意識を 100%持つと意識しても、そんなにリスクや損はないかもしれないですね」「まだ、全て腹落ちしているわけではないですけど、なんかマスターの話を聞いてると、 100%他責にしない思考や行動も良いかもって感じてきました

僕も完全にしっくりきたわけではないが、この当事者意識 100%という姿勢で臨む努力をしてみてもいいかなと少し考えた。

ここであらためてこの話は何からスタートしたのか考えた僕が言った。

「マスター、この〝他責にしないは 100%〟というのが、『悩みを減らす5つの方法』の3つ目ですね!」 僕の言葉にマスターは、にこやかにうなずいた。

「お二人はとても真剣にこのテーマに関して議論をされて、しっかりした気づきを得られていますね。この気づきは、お二人の今後の仕事や人生にとても役に立つと思います。

もっと話をしたいのですが、お店も混んできてしまったので、今日はこのあたりにしておきましょう。もちろん、お店にはゆっくりしていってください」

「あ、はい。もっとマスターのお話を聞きたいところですが、これ以上マスターの時間をいただいては営業妨害になってしまいますね」「マスター、今日はありがとうございました。

本当にアッと驚くような話ばかりでした。私、当事者意識を 100%持つようにしてみます。これからも、もっともっと学ばせてください!」 来たときとは表情や目の色が変わったように思えるゆっこが言った。

「今日の学びをぜひお仕事などで実践されて、その結果も教えてくださいね」 二人で、今日学んだことや気づいたことを一通り振り返ったあと、再度マスターにお礼を言い、解散した。

当たりクジが買える店?

「山田さん、いらっしゃい。先日は鈴木さんをお連れいただき、ありがとうございました」 ゆっこをここへ連れてきたのは、もう 2週間も前になる。今日はようやく時間ができて、客先からの帰りにカフェに立ち寄ることができた。

「マスター、あのあと電話でもゆっこと話したんですけどね。彼女も大分刺激を受けたみたいで、『仕事や家庭でいろいろ変化があった!』って興奮して話していましたよ」「家庭でもですか?」 マスターが笑いながら言った。

「そうなんですよ。ゆっこは結婚して 3年目なんですけど、ここに来る前は、夫婦喧嘩が多かったらしいんです。でも、それがマスターのおかげで減ってきたようなんです」「それはうれしいご報告ですね」 にこやかなマスターが満面の笑みに変わる。

「以前の喧嘩も、内容自体は、そこまで深刻ではなかったようなんですけどね。詳しい状況までは分かりませんが、今までは、すぐに意見がぶつかって腹を立てることが多かったのが、ここに来てから衝突が減ってるらしいんです」

「そうですか ~。ちなみに山田さん、なぜ鈴木さんの夫婦喧嘩が減ったか分かりますか?」「おそらくですけど、ゆっこが不満を言うだけでなく、改善するためには何が必要かを考えるようになったからではないでしょうか? ここへ来る前に飲んだときには、『ダンナは片付けができなくて、何でも出しっぱなし』とか『休みの日は一日中ソファでごろごろしてる』とか不満をこぼしてたんですけど」

「どこの家庭でも、同じような風景があるんですねぇ」「でも、他責にしないは 100%の話をマスターから聞いたあとは、旦那さんが進んで片付けをするようになる工夫だったり、無理のない休みの日の楽しみ方を考えたりして、少しずつ喧嘩が減ってきたって言ってましたから」

「まさに前回の学びを実践してくださっているんですね。私もうれしい限りです」「マスターのおかげです」 今度は僕も婚約者を連れてこようかな? なんて思いながらお礼を伝えた。

「それで山田さん、今日はお一人でどうされましたか?」 マスターが僕のアイスコーヒーを準備しながら、質問を投げかけてきた。

「はい。あれからゆっこと電話で話をしながら、部下に対してどのように接していけば良いのかという話題になったんです。そこで、どこか責任割合を部下に置いてしまって、ゆっこも僕も当事者意識を 100%持って部下に接していなかったね、と気づきました」

「それも素晴らしい気づきですね」「ありがとうございます。なので、今度は責任割合を相手に置かず、当事者意識を 100%持ってやってみようとは考えているんです。

ただ、部下に対して、当事者意識を 100%持って接したときに、本当に良い結果になるんだろうか? という議論になったんです」「ふむ。と言いますと?」

「ビジネスは結果が命ですから、やはり結果にこだわることを重視したいと思うんです。そうすると、部下に結果を出させるのは、リーダーである自分の指導や指示に 100%責任があると考えたとき、部下が『結果については 100%上司の責任』とならないか心配なんです。部下もしっかり当事者意識を持って仕事をしてくれるといいのですが、上司である僕に依存して甘えが出ても困るなぁ……と思いまして」 そして、僕にとっては現在の最大の悩みの種、部下の佐藤のことも切り出した。

「あと、近々また部下との面談もあるんです。その前に、マスターの話を伺いたいと思って、今日は参りました」

「部下の結果に対する責任というのは、良い質問ですね。ところで山田さん、結果って選択できると思いますか?」「え、結果ですか? ビジネスでしたら、選択できるならしたいと思いますけど」

「お気持ちは理解できます。ですが、未来の結果は選択できません。行動だけが選択できるんです」「え?」 僕は鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしていたのだろう。

マスターが白い歯を見せて笑った。

「損得勘定ではなくて、当事者意識を持ち、 100%他責にしないほうが成長でき、成果にもつながることは、それなりに理解したつもりです。

しかし、結果を選択できないのであれば、意味がないんじゃないでしょうか? 僕はあくまでも結果にこだわりたいですね」

「多くの方にこの話をしているんですが、山田さんのような意見の方がほとんどです」 マスターはそう返す。

僕は考えながら、こんな質問をしてみた。

「では、どうして結果は選択できなくて、行動は選択できるのでしょうか?」

「山田さんが宝くじ売り場に行ったとしましょう。そのとき売店の方に『一億円の当たりクジをください』って言ったら売ってくれますか?」「マスター、そんな売り場あったらすぐ飛んで行きますよ(笑)」「そうですよね。

では、明日とても大事な営業で大手の会社を訪問することになっていたとして、 100%契約は取れますか?」

「はぁ、契約が取れるよう最大の努力はしますが、談合でもしていなければ当然 100%取れると事前に約束はできないです」

悩んでも意味がない

「つまらない質問をしてしまい、すみませんでした。でも、このことがとても大事で、多くの人が人生や仕事で『宝くじ当たるかな? 当たるんだったら買おうかな』とか『明日の営業で契約取れるだろうか』って、すごく真剣に悩んでいるんです」

「はい、誰でもそうだと思います」 マスターがなぜこんな当たり前のことを言っているのか理解できないまま会話は続いた。

「理論的に考えれば、将来のことは誰にも選べないと分かっているのですが、感情的には何か行動を起こすときにいかにも結果が選べるかのような気がして、どのどの行動が一番結果に結びつくか過剰に悩んでしまいますよね。

もちろん、より効果的なものや、確率が高い行動や選択はありますので、真剣にその部分を考えることは正しいですし、それを止めましょうといっているのではありません」

「うーん、いまひとつ違いが分からないのですが?」「何か行動をするときや、意思決定をするときには最も良いと思うものを選択する。でも、選択したあとは完全に自分の元から離れて、結果は選択できないものだと思う。

最初は結果と行動を切り離して考えるのはとても難しいのですが、この考え方ができるようになると、本当に迷いや悩みが減少します。

私はそうでしたし、このことをお教えしたたくさんの方からも、そう言っていただいています」

「結果は選択できないと考えるだけで迷いや悩みが減るんですか?」 僕は高校生のとき、好きだった女の子に告白したけど、振られてしまったことを思い出し、なんとも言えない感じになった。確かにあのときだって交際 OKという結果を期待して夜も眠れなかった。

でも、今になって冷静に思い返すと、告白するか、しないかの選択権はこちらにあったけれど、それを受け入れるかどうかの選択権は彼女が持っていたのだから、僕には結果を選択することはできなかったんだ。

顔を上げてマスターに伝える。

「確かにそうですね。常に結果は選択できないです。恥ずかしい思い出話ですが、学生時代に告白した女の子に振られたことがありました。ただ全力で告白しましたし、彼女の好きなこととか話題になりそうなネタとか、いろいろなことを知ろうとしていました」

「青春ですねぇ。山田さん、しっかり行動を選択していたじゃないですか」「いや ~、でもすごく悩みましたよ、あのときは」「今は皆さん少しでも早く結果を欲しがる傾向にあるように思います。

売り上げ、目標数字の達成、昇給昇格など、結果に集中し過ぎて、本質を見失ってしまっているように見えます。

本当は、最善の結果を出すための行動に集中したほうが、良い成果が期待できるのに、逆に行動が甘くなったり薄くなったりすることがありますよね」

「おっしゃる通りだと思います。結果を生み出すために、どう行動をするのかを考えるべきだということも。しかしビジネスになると、どうしても結果にこだわって、そちらに考えが集中しちゃっていますね」

方法 4 結果は選択できないが、行動は選択できる

「山田さん、そこは少し良い方法があるんです。騙されたと思って、結果が心配で行動や意思決定に悩んだときに『結果は選択できないが、行動は選択できる』と呪文のように唱えてみてください」「呪文ですか? 分かりました。

やってみます」 笑いながら答える僕に、マスターもニンマリとしている。

「今日も、山田さんのお役に立てればと私なりに真剣に話すことを選択しています。でも場合によっては、退屈で無駄だって山田さんに思われているかもしれないじゃないですか。でもそうだったとしてもそれは結果で、私には選べませんからね」

「いやいやマスター、そんなことないですよ!」 慌てて遮る。実際そんなことないからだ。

「例えばの話です(笑)。私も最初からそう思えていたわけではないんですよ。前職での経験の中から、徐々にその考え方をするほうがいいと気づいたのです。気持ちもすごく楽になりましたし、良い成果が上がるようになっていったと思います」

「前職の経験ですか。どんな経験だったんですか?」 マスターの前職は、最初からすごく気になっていたので思いきって聞いてみた。

「はい、私が担当役員をしていた事業部では。顧客企業が500社ほどありまして、その顧客 15社ごとに一人の担当者がいたんです。

で、その顧客企業から何らかのクレームがあった場合、その担当者がクレームの対応をします。

その担当者が処理できない場合はその上司の課長、その課長でも解決できない問題は部長に上がります。そしてその部長でも難しい問題が私へと上がってきました」

マスターは天井の一点を見つめて、さらに言葉を続けた。

「これがかなり深刻なものや、解決策はなさそうな問題ばかりなので、最初はその問題に直面すると気が重く、正直、顧客企業との面談も億劫だったんです」 予想以上に、すごい答えが返ってきた。

マスターは大きな会社の役員で、そんな仕事をしていたんだ。経歴をさらに詳しく聞きたくなってきたが、マスターの話は、そのままどんどん進んでいく。

そんな気が重い面談を何度も行っていたときに、〝結果は選択できないが、行動は選択できる〟という言葉を知ったんです。もちろん、この言葉の存在自体はもっと以前から知っていたかもしれません。

しかし、自分が悩んでいたそのときに、すっとその言葉の本質を理解できたのです」「その言葉の本質ですか?」

確かに言葉って、ただ知っているのと体験を通して深く痛感するのは違う。それは僕にも理解できた。

「結果は選べず行動は選べる、という当たり前のことですが、その選べない結果に意識や関心が向きすぎて、行動や計画に意識が向かず、ベストを尽くせていないかもしれないということに気づいたのです。

そう気づいてからは、選択できない結果にはとらわれず、どんな結果でも受け入れるという覚悟を持って、深刻な面談に臨む努力をしました。そうしたら、その後はどうなったと思います?」

「えっ、それで結果に変化があったんですか?」「はい、私が考えていたより、ほとんどの問題が、良いほうに解決したんです」 マスターにあえて確認はしなかったが、この〝結果は選択できないが、行動は選択できる〟が、「悩みを減らす5つの方法」の4つ目であることは間違いない。

「考え方が変わっただけでなく、私の態度も変わっていたでしょうし、ベストを尽くすために、積極的に解決策も考えて臨んだのが良かったんだと思います」

部下とどう向き合うか

「マスターの実話を聞けて、〝結果は選択できないが、行動は選択できる〟の深い意味と、その考え方を会得すると、自分の仕事や人生にとって大きなプラスになることが少し理解できたように思います。

それに、今までも自分がいかに選択できない結果にとらわれていたのかにも気づかされました」「はい、少しご理解いただいたところで、先ほどの部下の方との面談の件に戻りましょうか」「あっ、そうでした。そこがこの話の入り口でしたね」

僕は、以前にマスターから教えてもらった、ブレーキの話を部下の佐藤にしたこと、その場は納得したようだが、しばらくするとまた転職活動を再開したことを話した。

そして次の面談も近いので、前回の二の舞にならないようにしたいのだと話した。

「山田さんは、部下との関係性で、当事者意識 100%の考え方をすることで、もっと良い影響が出せると考えられるようになられました。ただ、そう考えて一生懸命頑張っても、結局部下の考えや行動を変えることはできないと心配されていましたよね」

「はい、全くその通りです」「山田さんが、当事者意識 100%で部下と面談しても、部下が退職を思い留まり、より前向きな考え方に変わるかどうかは選べませんよね。

ただし、当事者意識 100%で臨むのと、 50%で臨むのでは結果に違いがある可能性があります。

同じように、結果を心配して臨むのと、行動にのみフォーカスして臨むのも大きな違いがあると思いませんか?」

「うーん、確かに。商談でも交渉でも、全力で話したほうがうまくいく確率は確実に上がりそうですね」

そう答えながら、僕は心の中で、これまでの面談では当事者意識も弱く、結果にフォーカスしていたなぁ、と反省していた。

「私も前職では多くの退職希望面談を行いました。そのとき『どうせ何を言ったって変わらないだろう』と思わないで、その部下との面談時間の 1時間から 2時間は、真剣に部下と正対していました。

相手の人生にとって、どんな選択をすることが良いかを真剣に考え、アドバイスすることだけにフォーカスして、結果はどうなっても受け入れる覚悟でした

「そうなんですか。その退職面談で部下の方々はどうなったんですか?」「はい、どのぐらいの比率が正しいのかは分かりませんが、かなりの比率で私のアドバイスを理解してくれました。

会社に残った彼らは他者からの評価も高くなり、昇格もしていきました。もちろん、少数ですが面談のあとに辞めていった者はいます。

しかし、私は行動にベストを尽くした自信がありましたので、後悔したり悩んだりはせずに、他の部下の成長を考え続けることができました」

「なるほど、〝部下の気持ちを変えるには、どんなアドバイスをするか?〟というテクニカルな話の前に、その面談にどう臨むかがとても重要なことなんですね」

「そしてこの考え方は、山田さんだけでなく、山田さんの部下にも同じことが言えるんです。山田さんの部下も行動でなく、結果を心配して悩んでいませんか?」

「あっ、そうかもしれません。僕の部下は『仕事を頑張っているつもりだけど、このままこの仕事を続けてもいい結果は出ないんじゃないか』とか『職場の人間関係がうまくいかないから、環境を変えたほうがいいんじゃないか』とか、行動するより前に悩んで動けなくなっている節がありますね」

「やはりそうですか。今日お話をさせていただいた『悩みを減らす方法』は、山田さんの会社でのあり方や部下との接し方だけでなく、部下の方の悩みを減少させて、ブレーキを外してあげるサポートにもなるんですよ

「おっしゃる通りのような気がします。僕にも、部下に対しての接し方やアドバイスに迷いが多かったですし、その状態で部下の悩みを解消させるのは不可能だということに、気づかせてもらいました。

『なんで部下は僕の言っていることが理解できないんだ』とか『こっちは頑張っているんだから結果を出してくれないと困る』とか、部下だけでなく、僕も他責にして、結果のみに執着していたんですね」

マスターの話は原理原則や本質的だと思ってはいたけれど、ただ単に机上の空論を並べるのではなく、マスターの体験に基づくものだから、言葉が深く胸に染み入ってくる。

特に今日は、前職の話を詳しく聞けたからなおさらだ。こうして自分のアイスバーグがさらに成長していくのかな。これから、もっと質問したいことも出てきそうだ。

方法 5 関心の輪と影響の輪

おかわりのアイスコーヒーを注文して、しばらく待っている間、さらに深く考えてみると、いくつかの疑問点が出てきた。そこへちょうどマスターが2杯目を目の前に出してくれたので、聞いてみることにした。

「マスター、部下との面談を頭の中でシミュレーションしていたのですが、ちょっと突飛な質問をさせてもらってもよろしいですか?」「ええ、何でも構いませんよ」

「例えば部下が、今より大幅な給与のアップを望んでいたり、他の部署の人間がその部下の良からぬ噂を流していると悩んでいたりした場合は、どうしたらいいのでしょう? どれだけ行動を選択したとしても無理なものは無理じゃないか、というときがありますよね。このような場合、どのように考えればいいんでしょうか?」

「なるほど。山田さん、〝関心の輪と影響の輪〟の話はご存知ですか?」「関心の輪と影響の輪ですか? いえ、聞いたことがないです」「この話が、『悩みを減らす5つの方法』の5つ目の話となります」 そう言いながら、さらに 1枚の図が出てきた。

「これが、部下のことと関係があるんですか?」「ええ、そうです。関心の輪と影響の輪はスティーブン・ R・コヴィーの『7つの習慣』という本に書かれているのですが、とても素晴らしいので、ここで使わせてもらっています。

例えば、山田さんは今の日本の税金が高いという不満はお持ちですか?」「はあ、日本の税金ですか。そうですね、僕も給料がそんなに高いほうではないですし、額面に対して税引き後の手取りを見ると税金高いなぁとは思いますね」

「そうですよね、ほとんどの方はそう思いますよね。そうはいっても山田さんは、そこまで深刻に税金について悩まれているわけではないでしょうが、もし、その税金に関して深刻に悩んでいる人がいたとしましょう。

その方は、この図でいう関心の輪と影響の輪のどちらで悩んでいると思いますか?」

「すみません、関心の輪と影響の輪の意味がよく分かっていないのですが……」「あっ、失礼しました。

説明無しで質問してしまって。

では、この税金が高いことを深刻に悩んでいる方を仮にタナカさんとして、そのタナカさんを例に関心の輪と影響の輪の説明をしますね」「はい、そのほうが分かりやすそうなので助かります」「実は、タナカさんが、日本の税金の高さに悩まなくなる方法が2つだけあるんですが、山田さん何だと思いますか?」 マスターは本当に質問が好きだな、と思いつつ思い出した。

こういう質問で相手の深い考えを引き出すのって、そういえば会社の研修でも習ったような気がする。たしかコーチングとかファシリテーションだったっけ。

「悩まなくなるには税率を下げなければなりません。でも、普通なら、そんなことできないですよね?」「はい、いい線いってますね、山田さん。そうですよね、税率を変えるにはタナカさんが国会議員や総理大臣になる必要があります。もしくは、日本より税率の低い国に移住することです」

「あっ、確かに税率って国によって違いますよね。でも、その国の永住権や市民権を取るのも大変そうだし、ましてや、そこで職を見つけるもの難しそうですね」「その通りです。

2つの方法とも不可能ではないのですが、難易度はとても高い。こういうものを〝関心の輪〟に関する悩みと定義しています。

そして、タナカさんが本当に国会議員や総理大臣になって減税法案を通したり、他の国に移住したりする場合は、その税金の悩みは〝影響の輪〟の中に入ります」

「なるほど、同じような悩みでも、どちらの輪の中の問題かで、全く次元が変わるのですね?」

「ですから、税金で悩んでるタナカさんにとって、関心の輪で悩んでいることは、行動を変えない限りは単なる悩み損なんですね」

「そうか。だとしたら、僕の部下も給料のことや他人の噂に関しても、具体的な行動がないとしたら、ただ悩むために悩んでいるだけになってしまうんだ。

考えて改善の余地がある問題にフォーカスして、関心の輪に関することには悩まないほうが人生楽になるかもしれませんね」

「はい、そうやって悩みに関しても整理すると、いろいろ悩んでいることが、もしかしたら半分以下にできるかもしれません」

マスターは、僕の気づきにうなずき、さらに言った。

私も関心の輪と影響の輪を分けて考えることができるようになってからは、以前だったら悩んでいたようなこともほとんど悩まなくなり、本当に楽になりました。

もし、ネットで私の悪口を書かれていたとしても、それを消す方法がないのであれば、私はそれをわざわざ見て悩むことはしません。

逆に私の影響の輪が大きくなることにより、周りの人により好影響を与えられることに関しては、努力して大きくしようとは思います。

ところで、山田さんの周りには関心の輪で悩んでいる人が多くありませんか?」「うーん、そうですね、確かに結構いるかもしれません」 そう答えながら周りの友人、知人を思い浮かべてみた。

「先ほどの選べない結果もそうですが、自分にはどうすることもできないことでも関心だけはあって、悩んでしまうんですね。

昇級や昇格、税金も自分が決められることではないし、人からの評価も、良かれと思ってとった行動でも、相手がどう思うかはその人次第ですよね。

もちろん努力することはできますけど」 なるほど、僕にもマスターが何を言わんとしているのかやっと理解できてきた。

〝関心の輪と影響の輪〟は僕にも部下にも必要な話ですね。まず、僕は部下が悩んでいることについて現状の関心の輪なのか、影響の輪なのかをしっかり見極める必要がありますね。

もし、関心の輪の悩みが多いのなら、そのことを教えてあげて、それらのことで悩まないように意識するか、もしくは彼の影響の輪を少しずつ大きくして、改善するように指導するか」 マスターはニコニコしながら、相づちを打ってくれている。

「そして、僕にとっては、彼に影響を及ぼせるアドバイスをすることにベストは尽くすけれども、できなかった場合は、そのことでくよくよ悩まないように意識することですね。面談のときに、手のひらに、関心の輪と影響の輪を描いていこうかな(笑)」

「山田さん、頑張ってください。応援しています」 マスターに応援されると、さらに元気が出る気がする。

少しだけ勇気が湧いてきました。僕の影響の輪を大きくすることもアイスバークの成長の一つなのかもしれませんね」 前回の佐藤との面談のときは、マスターから〝ブレーキの存在を知る〟〝ブレーキを踏まない覚悟をする〟という2つのことを教えてもらったばかりだった。

しかし、その後、〝他責しないは 100%〟〝結果は選択できないが、行動は選択できる〟〝関心の輪と影響の輪〟についても教えてもらうことができ、「悩みを減らす5つの方法」全てを知ることができた。おかげで部下との面談の厚みが増しそうな気がする。

悩みを分類し、整理してみる

もう少しだけ僕は居させてもらおうと思いながら、アイスコーヒーに口をつけて、ここまでのことを振り返って考えていた。

「そうか。僕はブレーキの存在を知り、踏まない覚悟のことを知ったけれど、結局それを知っただけで、知識を伝えるだけになってしまっていたんですね」

「そうですね。分かることとできることは全く違います。伝える人の想いや態度も大切ですからね。どこか他責にしたり、結果に執着したり、関心の輪と影響の輪が曖昧になっていれば、それが相手にも伝わってしまうんです」「肝に銘じます」 一つひとつの考え方が深すぎて、全部を分かりきったとは言えないが、あとは行動するのみだろう。

「さて山田さん、前回のケーススタディ、覚えていますか?」「思い出しました。音楽サークルの話ですよね」「そうです。前回の話も含めて、5つの方法を心掛けることで、悩みを減らし、自信を持って行動できるようになると思います」「それで、音楽サークルのメンバーの話に戻ると、ブレーキとか三叉路とか他責とか、こういうチェック項目に当てはまるような、悩みがあるんですよね?」 今日の話をまとめた図が出てきた。

たった1つで整理がされてしまっている。

「ああ、こうしてみると分かりやすいですね」「それぞれの悩みに対し、〝目的やゴールの共有〟や〝個別課題に対するコーチング〟といった皆さんが通常考える対策も無駄ではないですし、アイスバーグやブレーキの話、悩みを減らす考え方だけが有効だと言っているのではありません

「ええ、それは分かります」「しかし、前者の対策だけだと、そのときは本人も納得したような気にはなるのですが、根本的、本質的に自分の軸ができているわけではないので、同じような課題に直面するたびにケアや相談が必要となって、主体的、自発的な課題解決にはならないんです」

「受動的な一時的解決になりそうですもんね」「それよりも、図のように原理原則を通して整理してみると、ずっとモチベーションが持続しますし、主体性を持って、自走できるようになるんです。個人の成長阻害要因である悩みブレーキを消して、成長は加速しますよ」

「そうか。僕自身がより多くの部下を持ったときに、こうした評価軸がないとバラバラに対応して部下自身があまり自走しなくなりそうな予感がしますね。

だからこそ、今のうちにこれらの原理原則に基づいた対応をすることが重要なんですね」「はい、これは私が考える原理原則なので、あくまで参考として心に留めていただければ……」「いやー、すごい腹落ち感でした」 心地良い疲労感があった。

それとやるべきことが、まだまだたくさんあるんだなと感じている。まずは部下との月に一度の定期面談からだ。

「また長居しちゃいました。いつもありがとうございます。今度はまた別の者を連れてきます」 婚約者のことを想像しながら、僕は伝えた。

「どなたですかね? 楽しみにしております」 マスターはまた会えることを、心から楽しみに思ってくれている様子だ。

だからこそ、また来たくなる。会計を済ませて、最後に1つだけ、あらためて僕はマスターに質問をした。

「マスター、最後に1つだけアドバイスいただけますか? 次の部下の面談ではおそらく退職の話も出ると思うのですが、マスターならばこの状況で、今まで教えていただいた原理原則を使ってどう話をされますか?」 マスターはしばらく考えてから切り出した。

「そうですね、その面談の中で話がどう展開するか、部下の方がどこまで山田さんの話に共感されるかなどによって変わってくるとは思います。

ですが、まず大事なことは、話の持っていき方とか、会社にとっての損得より前に、その相手の方がどういう意思決定することが、その方にとって、もっとも良い人生になりそうかを原理原則に沿って真剣に考えて、しっかり向き合って話をすることだと思います。

そうすれば自ずと良い方向に向かう確率は高くなると思いますし、たとえ、結果的に部下の方が退職することになったとしても、会社にも山田さんにも、部下の方にとってもポジティブな結果だったと思えるのではないでしょうか。

人生の選択において、片方だけが圧倒的に正しく、片方は完全に間違っているということはないので、真剣に選択されたあとは後悔なく前に進むタイミングだと思います」「なるほど。

〝ブレーキを知る〟〝ブレーキを踏まない〟〝他責にしない〟〝行動を選択する〟そして、〝関心の輪で悩まない〟ですね。

そして、〝決断したら、されたら、それを受け入れ前に進む〟ということですね。

それに、アイスバーグのときに学んだように、いかにテクニックだけで部下に接するのではなく、部下の人生を真剣に考え、正しいふるまいと行動でアドバイスすることで結果の大きさも変わるということですね」「山田さん、素晴らしい気づきですね。

ぜひ、部下の方を自分の弟だと思って面談してあげてください」 確かに、他人でなく、弟と思うと、より真剣に愛情を持って考えられるかもしれない。

相変わらずマスターの例えは分かりやすいし、本質的だな。「今日もありがとうございました」 しかし、とんでもないカフェがあったもんだ。マスターに別れを告げて、ドアを開けると生ぬるい風が入ってきた。

周りの人が両手を広げて何かを確認している。雨なのか? と思った瞬間にまたハッとした。雨が降るか降らないか、これは結果だ。

しかし僕はコンビニで傘を買うか買わないか、選択をすることができる。なるほど、面白いぞ。

さて、どんな行動の選択をしようか? ネクタイを再度締め直し、気分も新たに僕は歩き出した。

部下との面談

「それで、最近はどうなんだ?」 マスターの話を聞いてから数日後、定期面談の日がやってきた。ミーティングルームに佐藤を呼び、僕は覚悟を決めて、この場に臨んだ。

100%他責にせず、関心の輪と影響の輪の境界線を明確に引き、今までの反省も伝えようと思っていた。

それで全力で行動するだけ、あとは天に任せようと思った。

「山田課長から言われたブレーキのこと、正直あのときはよく分かっていなかったのですが、いろいろなことがあってよく分かるようになってきました」 意外にも佐藤から話を切り出してきた。何か心境に変化があったらしい。

「何かあったのか?」「はい。正直に申しますと、あれから転職活動をしていまして、候補の数社と具体的な話をしたんです。

具体的な話になるとやはり帯に短し襷に長しで、自分の理想に近いものではありませんでした。

それと、人事の方たちと話をして『佐藤さんは、現在の会社に不満をお持ちのようですが、おそらく、弊社に入社いただいても不満な点は出てくると思います。そうなっても佐藤さんは転職せずに弊社で頑張っていただけますか?』といった質問をされたんですよね。

そこで課長がおっしゃっていたブレーキを踏んでいることを思い出したんです。転職しても結局ブレーキを踏まない覚悟が必要なんだと」

「そうだったのか。しっかりと受け止め、真剣に考えてくれてありがとう」「でもだからといって、ここに勤めていていろいろな問題や妻の指摘が変わるというわけではないですし……。

転職が全てを解決してくれるものでないことは分かったんですが、結局どうすればよいのか。正直悩んでいます」

「なるほど、佐藤の気持ちもよく分かるよ。ここから少し僕に話させてほしいんだ。最近学んだ話で、きっと佐藤の今後のためにも役に立つ話だと思うから」

「はい、ぜひ聞かせてください」 以前はやや反抗的な感じだった佐藤が、すごく素直になったことに少し驚いた。

多分僕がいつもの威圧的な態度ではなかったのと、いろいろ悩んで少しでも解決の糸口を見つけたい気持ちがそうさせているのかもしれない。

僕はそれから、マスターから学んだことを、なるべく押しつけや断定的にならないように気をつけつつ、佐藤の悩みが減り、好ましい意思決定ができるようにと想いを込めて真剣に話をした。

また、一方的に話をするのでなく、マスターほどうまくないものの質問も織り交ぜて、佐藤が自分事として考えられる工夫もできる限りしてみた。

いつもなら「でも……」や「そうはいっても……」的な返しの多かった佐藤が、僕の質問にも素直に、前向きに答えてくれることがうれしく、同時に今までの自分の上司としての未熟さに恥ずかしさも感じた。

一通り、マスターから教わった考えにプラスした自分の気づき、学び、想いを話し終えたあとに、僕はどうしても付け加えたかった言葉を続けた。

「実は佐藤に謝りたいことがあったんだ」「え?」「この前、佐藤にはブレーキを踏んでいて、そのブレーキを踏まない覚悟をすることだって伝えただろう?」「はい」「実は、僕もブレーキを踏んでいたと思うんだ。

佐藤が退職を考えていることに対して、どう対応すればいいんだと、躊躇してしまっていた。正直、お前のせいにしていたところもあったよ。そんなふうに他責にしてブレーキを踏んでいた。そして全力で佐藤の将来に向き合えていなかったんだ」

「……そうだったんですね」「僕も最初はそんな状態だったけれど、さっき話した原理原則の話を聞く機会を得て、いろいろな気づきや学びがあったんだ。

もっと他責にしないで佐藤やチームと向き合って、みんなの成長を真剣に考え行動すべきだったと反省している。課長として力不足で申し訳なかった。

でも、まだいろいろとやれることは残っていると思うから、佐藤がこのまま辞めてしまうのは残念でしかたない。

佐藤もまだ悩みは尽きないだろうけど、僕もこれからもっと頑張るから、この会社でもう一度、一緒にやってくれたらうれしい」

今までのように結果にとらわれることなく、自分でも驚くほど素直に言葉が出た。今まで見せたことがない僕の姿に佐藤はビックリしている様子だった。少し時間が空いて、佐藤は答えた。

「ありがとうございます。自分のことをそんなに真剣に考えてくださっていたんですね。それに山田課長も悩まれていたんですね。今日、山田課長からいろいろお話を聞いて自分も反省や気づきがたくさんありました。

自分の今までの人生の中でずいぶん勘違いしていたなと。それに、悩みを減らす考え方を教えていただいて、気持ちも楽になった気がします」 今日僕は、本音で魂を込めて話した。

それで辞められても仕方ないと覚悟を決めていたので、佐藤の反応には驚きを隠せなかった。

「そっ、そうか、佐藤。それは良かった。原理原則や本質が分かると今までとは違う視点で考えることができて、そこまで深刻に悩まなくともいいんじゃないかと思えたんだ」

「はい、少し理解できます。もちろん、まだ完全ではないですが、もう少しブレーキを踏まずに頑張ってみてもいいかなと思えてきました」

「うん、佐藤、それがいいよ。僕もブレーキを踏まずに頑張るから、一緒に頑張ってみよう! お互い他責にしないで、自分の人生のオーナーシップを持って」

「はい、まだ完璧な自信はありませんが、誰かのせいで自分が損をしているとか考えずに少し頑張ってみようと思います」

内心、こんな結果になったことにビックリしたが、ここから佐藤と共にスタートラインに立ったような感覚を覚えた。

これが結果を意識せずに、行動のみにフォーカスするということなんだと思った。

そして、今回はより良い結果だったけれど、例えば、佐藤が退職を決意するといった違う結果になっていたとしても、僕は後悔せずに次に進めたのではないかと思った。

その後、佐藤はつきものが落ちたかのように日々の仕事に打ち込み、それに比例するように成果もぐんぐん上がっていった。

上司の僕にとっても頼りになるチームのメンバーであり、部下からも慕われるリーダーへと成長していった。

そんなふうに、紆余曲折を経て、佐藤が同期の出世頭となっていく話は、まだ誰も知らない。

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