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第2章プロプロフェッショナルの仕事とは

目次

洞察12「体験」と「経験」の差が結果を左右する

経験の差が結果を左右することがある。

19年間のプロ野球選手としての生活の中で忘れられないのが、2011年のシーズンだ。ヤクルトはリーグ優勝目前まで迫ったが、最大10ゲーム差をつけていた中日にシーズン終盤で逆転を許して優勝を逃した。

9月、10月の直接対決で1勝8敗と大きく負け越したのが響いた。毎年のように優勝争いを続けていた当時の中日と、優勝経験者は私だけになっていた当時のヤクルトでは何が違ったのか。

一番は選手個々の腹の据え方だったと考えている。優勝経験がある中日の選手たちは、自分たちがやるべきことを明確に理解していた。優勝するために必要なことが、経験で分かっていたと言うべきだろうか。

結果を先に考えるより、今すべき自分の仕事に集中することができていた。だから、緊張状態でも普段通りのプレーができた。

一方で初めての緊張感の中、ヤクルトの選手たちは先に結果を考えてしまっていたように感じる。この好機で打たなければチームが負ける。今日負けると何ゲーム差に迫られてしまう。

先に結果を気にしては浮足立ち、普段なら犯さないようなミスを繰り返してしまった。結果を先に考え、無用な重圧を自分自身にかけてしまっていたのである。

故障者が続出したのも、経験のなさが原因だった。必要以上に気が張っているから、痛みを感じても無理を続けてしまう。プレーを続けられる範囲で止めることができない。

実際、2001年以来、優勝から遠ざかっていた私自身も肺炎に見舞われたりした。シーズン終了後、ヤクルトの選手の多くは「優勝争いを経験できた」と口にしたが、これには強い違和感を覚えた。

私に言わせれば、2011年は優勝争いを「体験」しただけである。「経験」と「体験」は似た言葉ではあるが、大きく異なる。

成功した時に初めて、あの選択をしたから勝利できたと実感をともなって考えられるからだ。

成功体験を経て、個人的な「体験」がチームに還元できる「経験」へと変わる。もちろん、勝負事に絶対のセオリーは存在しない。

ただ、優勝がどういったものか分からないで戦うのと、もう一度味わいたいと思って戦うのでは差が出てくるのは当然ではないだろうか。

それでは、経験の差を補うにはどうすればいいか。

話を2011年に戻すと、当時の落合博満監督には中日とヤクルトの差は練習量の差だと言われたが、言い得ている。棋士の羽生善治さんが著書で次のように書いている。

良いパフォーマンスを出せる精神状態というのは、一番はリラックスして楽しんでいるときで、二番は重圧を感じて緊張しているときだと。

重圧がかかる状態というのは、能力が引き出されるときでもあるという。そして、重圧を感じる中で良いパフォーマンスを出すには、やはり練習量が重要だとも書かれていた。極限状況の中では練習量が心のよりどころになるのは、どんな世界でも同じのようだ。

洞察13プレッシャーの正体とは

プレッシャーという言葉がある。1試合ごと、1打席ごとに結果が出る野球では、絶えずプレッシャーにさらされているともいえる。

それは、一般社会でも同じではないだろうか。例えば、大事な会議でプレゼンテーションを任される。取引先と商談をして契約を結ぶ。

結果を求められる場面では、誰もが大なり小なりプレッシャーを感じていることだろう。

私自身はもともとが緊張しやすい性格だった。打席に向かうときには、緊張で足が震えた。

プロ野球の世界に入って最初の頃は「緊張したらあかん」「緊張しては実力が出せない」とばかり考えたものだった。

プレッシャーとは何か。突き詰めて考えれば、「何かをしなければいけない」と考えたときに生まれるものだと思っている。

例えば「この試合に勝つんだ」「ヒットを打つんだ」という能動的な気持ちを保っているときは、さほどプレッシャーを感じることはない。

それがひとたび、「この試合に勝たなければいけない」「ヒットを打たなければいけない」と受け身に回ってしまうとプレッシャーは増大する。

「試合に負けたらどうしよう」「失敗したらどうしよう」と結果を恐れる気持ちが芽生え、余分なプレッシャーを感じることになってしまうからだ。それでは、良い結果につながるはずがない。

前項の2011年のヤクルトがまさにそうだった。

シーズン中盤まで首位を走っていたが、最大10ゲーム差をつけていた中日に逆転されて、リーグ優勝を逃す結果になった。

当時は優勝争いを経験したことがない若い選手が多く、シーズン終盤の9月以降は中日の本拠地のナゴヤドームでは力を発揮できず、1勝8敗と負け越した。

当然、中日の選手にも重圧はかかっていたはずだ。だが、優勝争いの経験が豊富な彼らは、プレッシャーへの対処法が分かっていたように思う。

「やるべきことはやったのだから、結果はコントロールしようがない」これぐらいの割り切りができていたのだろう。仕事をする上で必ず付いて回るものである以上、プレッシャーから逃げることはできない。

それでは、プレッシャーとどう向き合っていくのが正しいのか。その答えとしていつも考えていたのが、自分ができる準備を整理することだった。

例えば、得点圏に走者がいる場面で打順が回ってきたとする。

だが、チャンスだからといって、ヒットを打たなければ点数が入らないというわけではない。内野ゴロでも点が入るケースがあるし、外野フライでも得点できる場合がある。

この場面では打った方が良いのか、待った方が良いのか。ヒットを打つしかない局面であれば、どの球種を待ち、どの方向に打てば良いのか。

相手の守備位置や配球の傾向を考え、準備を整理することに集中していた。結果はコントロールできないが、どう準備するかは自分でコントロールすることができる。

準備を整理することで、打てなかったらどうしようと結果を考える思考の隙間が少なくなっていった。結果はコントロールできないが、どう準備するかは自分でコントロールすることができる。準備を整理することで、打てなかったらどうしようと結果を考える思考の隙間が少なくなっていった。

洞察14大きな目標と小さな目標を使い分ける

「将来はプロ野球を代表する選手になりたい」「1年目の目標は新人王になることです」プロ野球の世界に飛び込んでくる多くの新人選手が、こういった目標を口にする。

未体験の世界で成功する姿を思い描き、高い目標を設定する。目標は高く設定した方が成功する。

世間で当たり前のようにいわれている考え方だが、大きな目標ばかりを掲げていては行き詰まってしまうというのが私の実感だ。

2014年の初め、巨人にドラフト1位で入団した小林誠司と対談する機会があった。同志社大学の後輩ということで大学からの依頼に応えてのものだった。

対談中、小林から「もし、宮本さんが新人に戻ったとしたら、これだけはやっておこうということはありますか」と質問を受けた。

少し考えてから私が答えたのは、まずは大きな目標を立てて、それに対して何ができるか、小さな目標を設定してクリアしていくということだった。

ヤクルトに入団した当時の目標は「10年間、プロ野球選手を続ける」ということだった。大学、社会人を経験してプロに入ったのが25歳となる年。35歳まで現役を続けることができれば最高だと思っていたからだ。

ところが、初めて参加した春季キャンプで衝撃を受けることになった。当時のヤクルトのショートには池山隆寛さん(現楽天チーフコーチ)がいた。打撃練習で池山さんの軽々と柵越えする打球を見て、明らかに体力面が違うと感じたからだった。

この瞬間、「まずは一軍に残る」という目の前の目標ができた。即戦力として評価されて入団した以上、一軍に残るのは最低限のことだと考えていたからだ。

一軍に残るには、基礎体力を上げるためのウエートトレーニングの練習量を増やさなければならない、スイングスピードを上げるために、バットを振る量を増やさなければならない、試合に出たときには、状況判断のミスはできない——。

一軍に残るという目標を設定したことで、次々に課題が見つかった。試合に出始めるようになれば、毎日結果に追われるようになる。

レギュラーになり始めの頃は守備、打撃、走塁で何でもいいから一つ良いプレーをしないと、翌日は試合で使ってもらえないという危機感があった。

目の前の目標を設定し続けたのは、レギュラーに定着してからも一緒だった。

「今度は変化球を待って、直球が来たときにはファウルできるようにしよう」。1カ月、あるいは1、2週間という短い期間の中で目標を立てては、クリアするために練習した。

ベテランと呼ばれる年齢になれば、今度はチームが勝利しなければ生き残っていくことはできない。

もっと、もっとという欲があれば、自然に目標が定まってくる。

その点、試合に出続けられるレギュラーという立場の選手は、毎日結果が出るから目標設定が楽になる。いつ試合に出られるか分からないベンチの控え選手と、レギュラー選手で力の差が開いていくのは当然のことなのだ。

大きな目標ばかりを設定しても、苦しくなって妥協する部分が出てきてしまう。一方で小さな目標だけでは、スケールの小さな選手で終わってしまう。

「10年間、プロ野球選手を続ける」と考えていた私が19年間生き残ることができたのは、大きな目標と小さな目標を使い分けていたからだといえる。

洞察15「ロールモデルを持つ」が成長の始まり

「誰々さんのようになりたい」という憧れは、誰しもが持ったことがあると思う。ビジネスの世界では具体的な行動や考え方の模範となる人をロールモデルと呼ぶそうだ。

身近な目標を持つことでその人を観察し、考察することによって行動パターンを身に付けていく。

プロ野球の世界でも真似をすることが上達の近道になることが多い。振り返って見ると、私にもロールモデルと呼ぶべき選手がいた。

PL学園高校時代に憧れていたのは、1学年上の立浪和義さん(元中日)だった。

高校のグラウンドで初めて立浪さんの守備練習を見たときには驚いたのを覚えている。守備範囲の広さ、打球に対するスピード、グラブさばきの巧さとどれを取っても高校生のレベルではなかったからだ。

一歩目が早く、ダッシュ力も優れているので他の選手よりも数歩前で捕球することができる。有望選手が集まっていた当時のPL学園の中でも群を抜いていた。立浪さんは中日にドラフト1位で指名されて入団した。

目安というと失礼だが、立浪さんぐらいできないとプロには指名されないという明確な目標になった。

具体的な行動や考え方の模範となる人をロールモデルと呼ぶと書いたが、毎日、立浪さんの動きを目で追って真似をしていると自然と守備の動きが似てきた。

大学、社会人を経てプロに入ってからも「立浪に似ている」と言われることが多かった。立浪さんが現役を引退されたのは2009年だった。

この頃は代打の切り札となっていた立浪さんが、体のキレを出すためにショートの位置でノックを受けていたのだが、それを見たチームメートの相川亮二が「立浪さんの動き、先輩にそっくりですね」と言ってきたことがあった。

「逆だ。俺が立浪さんを見てやってきたんだから、俺が立浪さんに似ているんだ」と慌てて訂正したのを覚えている。

物事に対する考え方や、野球に取り組む姿勢という部分で影響を受けたのは片岡篤史さん(現阪神打撃コーチ)だった。

1学年上の片岡さんとはPL学園で2年間、同志社大学で3年間と計5年間一緒にプレーさせてもらった。プロに入ってからは一緒のチームになることはなかったが、幾度となく食事に連れていってもらった先輩だ。

片岡さんの考え方の基本は、一見非合理と思えるようなことでも一生懸命やることで意味が出てくるというものだった。成果が出ていない時期でも、最後まで何とかしようとする姿勢を示すことで周囲に伝わり、周囲を動かすことがある。そうした姿勢がその後の結果を左右することもある。

片岡さんとはプレーを観ていて気付くポイントも似ていた。

ヤクルトに村中恭兵という投手がいる。良いボールを投げる素質があるのだが、立ち上がりに課題を抱え成果を残せないでいた。

本人も課題を克服しようとブルペンで投げる量や走る量を増やしたりと工夫をしているのだが、それにしては理解できないことがあった。

試合開始の直前に行う5球の投球練習を力を抜いて投げていたのだ。

「何で全力で投げないんだ。試合前の投球練習が一番大事じゃないのか」と叱ったことがあった。

すると、ある試合に解説者として来ていた片岡さんが「なぜ投球練習を一生懸命投げないのでしょうか」と苦言を交えて解説していたと聞いた。

高校時代から片岡さんを間近で観察してきたし、学生時代に教わった指導者も一緒である。野球に対する価値観や考え方が似るのは、当たり前のことなのかもしれない。いずれの先輩も意識的にロールモデルに選んだというわけではなかった。

身近で接するうちに無意識に観察し、模範とするようになったわけである。「誰々さんのようになりたい」という思いを持つことは、向上心の表れと言うこともできる。ロールモデルを持つことは成長の始まりである。

洞察16目配り、気配りが成長を支える

毎年、多くの新人選手がプロ野球の世界に飛び込んでくる。これまではアマチュアだった選手が、野球で年俸を稼ぐプロフェッショナルとしての第一歩を踏み出すわけだ。

ここでは2014年シーズンの新人で注目を集めた、桐光学園高からドラフト1位で楽天に入団した松井裕樹について話をしてみたい。

2012年の夏の甲子園で1試合22奪三振(今治西高戦)の新記録を作り、オープン戦でも4試合で2勝。開幕ローテーション入りしたのだが、開幕から勝てずに二軍落ちすることになった。素晴らしいボールを投げるだけに、どうして1年目から勝てないのだろうと思われたファンもいたことだろう。

ルーキーイヤーの松井を春季キャンプ、オープン戦から見る機会があったのだが、プロの世界で結果を残すには少し時間がかかるだろうなという感想を抱いていた。

目配り、気配りという部分で、成長が必要だと感じたからだった。

例えば、マウンドでの首の振り方である。ストライクを続けて取っているときには、投げたいボールのサインが出なければ自信を持って首を振る。

ところが、ボールが続いてカウントが投手不利の場面では、自信がなさそうに縮こまっているように見えた。これでは打者との心理戦で有利に立たれてしまう。

キャッチボール一つをとっても、気になることがあった。

先輩相手に暴投をしてしまったときに、帽子を脱がずに頭を動かすだけで謝ってしまう。年長者に対しては帽子を脱いで謝るのが普通で、ましてやルーキーである。

帽子を脱がないだけで、反感を買ってしまうこともあるかもしれない。自分を客観視することができない。つまりは周りが見えていないわけだ。

マウンドでも一度セットポジションに入ってからボールを交換する。クイックはするが、ピンチになると忘れて足を高く上げてしまう。

投げるボールは素晴らしいだけに、勝てる投手になるには、こういった心構えの部分を学んでいく必要があるだろうと感じていた。

ビジネスの世界でも、世代間のギャップが仕事をする上での課題になっていると聞く。

私たちが新人の頃も「最近の若いやつはなっていない」と言われていたもので、いつの時代も世代間のギャップは存在するのだろう。

ただ、最近の若手に感じるのは自分で考える力がなくなっているということだ。昔は自分でゴールを設定し、そこに到るまでのプロセスを考えようとしていた。

結果を残している先輩の打ち方を観察して真似してみたり、練習方法を取り入れてみたりした。

ところが最近は、言われたことをやるだけの選手が増えてしまった。時代の変化なのだろうか。昔よりも真面目な選手が多いから、コーチに言われた練習はたくさんこなす。

ところが1と言われたときに自分で2、3、4とは考えようとしない。5と言われれば、5まではやろうとするが、その先の6、7に考えを進めることができない。

もっと自発的に考えれば結果が変わってくるのに、と思うことが多い。

現役時代、新人に助言を求められたときは「プロになったのだから、24時間、野球のことを考えることじゃないか」と答えていた。

食事中であっても、たとえ寝ている間でも、仕事のことを考え続けるのがプロフェッショナルの姿だと思っていたからだ。

プロ野球の選手寿命の平均が約9年で、引退する平均年齢は約29歳である。入団してからわずか2、3年で戦力外になることも多い。使える時間は多いようで少ない。一般社会でも同じことが言えるかもしれない。

取引先を訪れるのに菓子折りを持っていくよう上司から指示されたのなら、会話のきっかけになるように相手の好きな食べ物や出身地を調べてみてもいい。たとえ失敗しても、次に役立つ気付きが得られるかもしれない。

わずかな目配り、気配りの積み重ねがプロフェッショナルの仕事では大きな差を生む。1と言われたときに自分で2、3、4とは考えようとしない。5と言われれば、5まではやろうとするが、その先の6、7に考えを進めることができない。もっと自発的に考えれば結果が変わってくるのに、と思うことが多い。

洞察17時には常識を疑え

野球を始めたばかりの小学3年生か、4年生の頃だったと記憶している。阪神の遊撃手としてベストナインに9度輝いた吉田義男さんが講師を務める野球教室に参加したことがあった。

私が所属していたチームを含めた数チームが募集に応募していたが、運良く当選し、野球教室に参加することができたのだ。

グラウンドで輪になって話を聞いていると現役時代は「今牛若丸」と呼ばれ、阪神の監督も務めた吉田さんと何度も目が合った。

「君、ちょっと前に出てくれるか」実技指導の際には吉田さんから2、3回指名され、輪の中心に出て直接教わることができた。当時の私のポジションは投手で、遊撃を守っていたわけではなかった。

吉田さんにはプロに入ってからも気にかけてもらっていて、あいさつに行くとたくさん話をしてくださったが、どうしてあのとき指名されたのかは、今でも分からない。

当時、野球教室で教わったことは今でも覚えている。ゴロを捕球するときの形はこう説明していた。

「腰を落とせるぐらいに足幅を広げて、(両足を基準に)正三角形の頂点でボールを捕る。そのままだと両足がそろってしまうから、左足を少しだけ前に出す。これがゴロを捕る形」10歳前後で教わった言葉が頭に残っていて、ゴロとはそうやって捕るものだと思っていた。

高校、大学、社会人、プロ野球とレベルが上がっても、基本は変わらない。現役を引退して野球教室を開く機会が増えたが、当時吉田さんに教わった通りのことを今の子供たちにも教えている。

一方で、かつては野球界の常識とされていたことが、変わってきた部分もある。例えば、グラブとは反対側に来た打球をグラブだけで捕る逆シングルと呼ばれる捕球だ。

以前はどんな打球に対しても打球の正面に入って両手で捕ることが正解とされていたが、三遊間の深い打球などは逆シングルで捕ってもよいと理解されるようになった。

正面で捕球しても送球が間に合わないような打球は、逆シングルで捕って投げた方が速い。これは人工芝のグラウンドが増えてきたこととも関係している。

土に比べてスパイクが止まりやすい人工芝では、どんな打球に対しても打球の正面に入ろうとすると、足に負担がかかって故障してしまうからだ。

打撃についても同様のことが言える。以前はバットを上から下の軌道で振るダウンスイングが正しいスイングとされていた。少しでも野球経験がある方なら「上から打球をたたけ」と指導されたことがあるだろう。

ところが最近は、地面と平行に振るレベルスイングが常識となっている。誤解してほしくないのだが、往年の選手や技術を否定しているわけではないし、ないがしろにするつもりもない。

スイングを例に取れば、直球の軌道から微妙に変化するカットボールやツーシームという球種が増えた。こういった動く球にはダウンスイングよりもレベルスイングの方が対応しやすい。

時代や周囲を取り巻く環境の変化によって、基本と呼ばれるものは少しずつ変わっていく。かつては常識とされていたことが、今日では異なることも多い。

かつての常識に縛られてしまっては、思考が止まってしまう。大切なのは常に臨機応変であろうとする姿勢だ。

プロフェッショナルであるためには、時には常識を疑ってみることも必要になる。基本と呼ばれるものは少しずつ変わっていく。

かつては常識とされていたことが、今日では異なることも多い。かつての常識に縛られてしまっては、思考が止まってしまう。

洞察18数字との戦い方

2007年のシーズンのことだ。10月6日の中日戦(神宮)で3打数無安打に終わり、打率は2割9分8厘。翌7日の広島戦(同)では2本の内野安打を放ち、打率が3割ちょうどになった。チームは残り2試合。

当時の古田敦也監督から残り試合を休むかどうかを聞かれた。

プロ野球の世界では「打率3割を打てば、打者として一流」といわれる(同年に打率3割以上はセ・リーグで10人だった)。打率3割と2割9分9厘では価値が大きく異なる。

すでにチームの順位が決まっていたこともあり、個人の記録を優先させてくれたわけだ。ところが、困ったことが一つあった。

打率3割と書いたが、正確には464打数139安打で打率2割9分9厘5毛。四捨五入しての3割だったのである。

初めて3割を打った2000年のシーズンは、当時打撃コーチだった八重樫幸雄さん(現解説者)から「四捨五入は3割じゃないから、ちゃんと打て」と言われて最後まで試合に出続けた。

結局、その年は3割4毛でクリアすることができたが、今回も残り2試合に出て、きっちり打って3割を達成できる保証はどこにもない。とはいえ、私のその時点の3割は四捨五入してのもの。

休んだ後に八重樫さんが言ったとおり「四捨五入は打率3割と認められない」と言われたら、たまったものではない。

翌日の試合前にチーム関係者や担当記者に調べてもらうと「公式記録上は四捨五入も3割に認められる」と言われ、「じゃあ、試合には出ません」と欠場を決めたのだった。

プロ野球選手は相手や自分自身だけでなく、数字とも戦っている。打席に入れば、電光掲示板に打率、本塁打、打点が表示される。あれは想像以上に気になるものだ。新聞を開けば、打撃成績が目に飛び込んでくる。

他球団の自分と同じポジションの選手がどれだけ打っているかを調べたこともあった。個人成績は翌年の年俸に跳ね返ってくるわけで、日々の数字が気になるのは当然のことだ。

高い打率を維持しているときは、打撃が好調なうちにもっと安打を稼いでおかないといけないという思いがあった。

いつ50打席連続で無安打になるか分からない。そうすると5分ぐらいは簡単に下がってしまうからだ。逆に打率が低いときは「最低限、チーム打率さえ打っていればいい」と考えるようにしていた。

チーム打率が2割5分なら、2割5分5厘打っていればいい。

極端な言い方をすれば、最低限チーム打率さえ打っていれば、チームに迷惑はかけていないといえるからだ。数字と戦っているのは、ビジネスの世界も同じだろう。売上げ目標の達成率など、成果を数字化して評価されることも多いと聞く。

一方で「数字を意識するな」という言葉を目にすることもあるが、これには違和感を覚える。どんな世界でも、仕事の結果としての数字はシビアに意識した方が良いと思うからだ。

例えば、今月は何件の新規契約を結びたい。売上げを何パーセント上げたい。これぐらいの数字を残したいという具体的な目標を立てるから、目標に到るまでのプロセスを考えて準備をする。

成果が出なければ、アプローチの仕方を変えようと考えることもできる。

数字を意識せずに逃げているようでは、成果を残したとしても運に左右された一時的なものであったりして、プロセスを欠く結果に終わってしまう。

洞察19プロが迫られる孤独な決断

スポーツ選手には、決断を迫られる場面が多い。移籍先を決断するときや、現役引退を決めるときが代表的な例だろうか。

試合中の一つのプレーも、幾つかある選択肢の中から選んだもので成り立っている。その意味では決断の連続だといえる。「決断力」という言葉がある。

物事を決断する力という意味だが、決断を迫られた場面ですぐに決断できる人もいれば、時間をかけてもなかなか答えを出せない人もいる。

私自身は何かを決めるに当たって、悩んで決められないという経験をしたことがほとんどなかった。せっかちな性格による部分が大きいのかもしれない。周囲からは「悩まずに決められてうらやましい」と言われたこともある。

私からしてみれば、長い時間をかけて悩める方が不思議だった。一つ言えることは、悩むのは「結果」を基準に考えてしまうからだということだ。

結果には良い結果と悪い結果がある。

例えば移籍を決断する際にしても移籍するメリット、デメリットがあれば、残留するメリット、デメリットがあるのは当然だろう。どちらを選んだとしてもデメリットがあるのなら、悩んでしまうのも当然だ。

どちらの選択肢にも悪い側面があるのだとしたら、自分がどうしたいかという点を基準に考えた方が、答えは出しやすい。たとえ悪い結果が出たとしても、自分がどうしたいかに従った方が、納得しやすいのではないだろうか。

結局は決断をするのは自分である。結果に対して責任を負うのも自分だ。

決断するに当たっては誰かに相談をしたり、背中を押してもらったりすることはあるだろうが、基本的には孤独な作業だといえる。物事を決断するときに一つの物差しにしていたのは、自分の損得は考えないということだった。

日本プロ野球選手会の会長を務めたときには、純粋にプロ野球を良くするためにはどうしたら良いのかという基準で考えるようにしていた。

選手会の利益のために動くのか、あるいはファンのことを考えて動くのか。

全ての権利を主張するのは現実的には不可能で、交渉の過程ではチームを運営する経営者側に譲らなければならない部分が出てくる。

選手側のメリット、デメリットばかりを考えていては、選手会の代表として決断することなどできない。自分の損得を優先して考えてしまっては、行動には移せない。

そもそも選手会会長を引き受けた際にも、自分の損得は考えなかった。前任者の古田敦也さんが球界再編問題で先頭に立ってきていたから、次の会長を互選で決めるというのは選手会として正しくないと考えたからだった。

損得勘定をすれば負担になるのは分かっていたが、誰かが自ら立候補するという意思表示をするべきだと考えたわけだ。

決断に際して悩んだことはないと書いたが、私の性格は母の影響が大きいのかもしれない。

考え込むことが多い性格だった父とは対照的に、母はすぐに切り替えることができる性格だった。母から吹っかけた形の夫婦げんかでさえも、その日のうちに自分から仲直りしようとした。

父にしてみれば、先ほどまであれだけ怒っていたのにどういう神経をしているんだと思っていたことだろう。

私自身も夫婦げんかをしたときには、自分から謝ることがある。自分から謝ってでも、次の日に嫌な感情を持ち越したくないのである。

洞察20験担ぎは気持ちのコントロール

プロ野球の世界では「験担ぎ」をする監督や選手が多い。有名なのは南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也監督だろう。

勝利した試合の日に着ていた下着は翌日も着替えないのだという。チームの連勝が続けば、ずっと同じ下着を着ていたというのだから徹底している。

私も若い頃には験担ぎをしていた。こだわっていたのは生活リズムだった。朝、目が覚めたらまずはスポーツ新聞に目を通す。次に洗面所で歯を磨いてから、顔を洗う。

その日の試合でヒットが打てなかったら、今度は顔を洗ってから歯を磨くように順番を変えていた。

自分が決めたルーチンを守らないと「今日は打てないのではないか」「試合でエラーをしてしまうのではないか」と落ち着かなかった。

一度ルーチンを気にし始めるようになると、ソックスをどちらの足からはくかまで気になってしまう。

毎日のように増えていくルーチンを覚えておかなければいけなくなった。

元来、面倒くさがりの私はある時に「これでヒットを打てたり、チームが勝てたりするんだったら、練習しなくてもいいんじゃないか?何のために毎日、苦しい練習しているのだろう」と気付いた。

そう考えると、翌日からルーチンを気にすることがなくなった。顔を洗う順番を考えなくてよくなったので、ずいぶんと気が楽になったのを覚えている。

誤解してほしくないのだが、験担ぎをすること自体を否定しているわけではない。

大事な仕事の際に締めるネクタイがある。大切な商談の前には濃いコーヒーを飲むことをルーチンにしている人だっているだろう。

習慣としての験担ぎは、気持ちの切り替えのスイッチになる。結果をコントロールできない場面では、験担ぎをすることで不安を取り除けることがあるのも事実だろう。

それだけ、仕事に対して準備をしているともいえるからだ。ただ、験担ぎで他人に迷惑をかけるようになってしまっては本末転倒だ。

名誉のために名前は伏せるが、ヤクルトに在籍していた某選手はベンチ内で通るルートを験担ぎにしていた。他の選手が座っていて歩くスペースがないにもかかわらず、その目の前を通るのを習慣にしていた。

彼は攻守交代でベンチに戻る際には一番左側の通路を通ってベンチに帰ると決めていた。混んでいるときには立ち止まって待っているので、たまりかねて「あっちから帰れ」と怒鳴ったことがあった。

一番ひどかったのは、たまたまトイレで用を足し、流すのを忘れたときのことだった。当日の試合で3安打すると、翌日もトイレが流されていなかった。

験担ぎにこだわることを知っていたチームメートからは「絶対、○○さんだ」と苦情の声が上がった。

これは聞いた話だが、在京球団に在籍していたある選手は試合前にロッカールームからベンチに向かう際、誰かに声をかけられると「あー、もう」と怒ってロッカールームに戻ったという。

ロッカーからベンチまで、誰にも声をかけられてはいけないと決めていたわけだ。最初は集中方法だったのだろうが、チームメートもたまったものではない。ここまでくると、準備としてのルーチンとはいえないだろう。

洞察21異文化コミュニケーションの鍵

プロ野球のチームには、外国人選手が在籍している。「助っ人」と呼ばれることも多いわけだが、外国人選手とのコミュニケーションには気を使うことが多かった。

長年、チームを引っ張ってきた古田敦也監督が現役を引退し、高田繁監督(現DeNAゼネラルマネジャー)が就任した2008年のことだった。

2月に沖縄県浦添市で行われた春季キャンプで、アダム・リグスと言い合いになったことがあった。投手と内野手が状況によった守備隊形を確認する、投内連携と呼ばれる練習中のことだった。

リグスは一塁を守っていたのだが、何度も簡単なミスを犯した。来日4年目を迎え、日本の野球やチームへの慣れもあったのだろう。練習をただこなしているだけなのは誰の目にも明らかだった。

当時は若い選手がチームの主体になり、一からチームを作り上げていかなければならない時期だった。外国人選手とはいえ、一人の怠慢プレーを許していては成熟していないチームに悪影響が出てしまう。

「おい、何やっとるんや」と日本語で怒鳴ったのだが、リグスも何か文句を言われたのが分かったのだろう。あからさまに不機嫌な態度を取り、一触即発の雰囲気になってしまった。

投内連携の練習後、通訳を交えて話し合いの場を持った。

リグスは顔を真っ赤にしながら「お前はキャプテンだから気持ちは分かる。でも、言い方というものがあるだろう」と抗議をしてきた。

2005年に来日したリグスは同年に打率3割6厘(規定打席には未到達)の成績を残し、翌年にはチーム最多の39本塁打を記録した実績があった。

元メジャーリーガーとしてのプライドが、チームメートの前で叱責されることを許さなかったのだろう。

冷静になっていた私は「まあ、リグスが言っていることもその通りだな」と思い、「皆の前で怒鳴ったのは悪かった」と謝ることにした。

ただ、続けて「古田さんが抜けて、現状はチームが変わらなければいけない時期だと思っている。キャプテンとして、今年は厳しくしていくつもりでいるから。そのことだけは、頭に入れておいてくれないか」という話をした。

すると、リグスは「分かった」と納得してくれた。外国人とのコミュニケーションが難しいのは、プロ野球界でも同じだ。言葉が違えば、考え方も、文化も異なる。

日本人選手にとっては当たり前のことが、外国人選手にとっては受け入れられないことも多い。

若いときはよく分からずに接していたが、ベテランとなり、チームのキャプテンとなってからは、外国人選手を食事に連れていったりもした。

日頃からコミュニケーションを取っていなければ、急に何かを注意しても聞く耳さえ持ってくれないからだ。外国人選手と接する上で気を付けていたのは、彼らの考え方や文化を可能な限りは尊重するということだった。

彼らは日本に出稼ぎに来ている立場だ。異なる文化の中に飛び込み、思うようにならないことも多いだろう。

ただ、外国人選手とはいえ、最低限のチームの決まり事は守らなければならない。日本人の文化や気質を理解してもらい、その中で持っている力を出せる環境を作りたい。

洞察22活躍する外国人選手が持つ「共通のスキル」

前項で、外国人選手と接する上では、彼らの考え方や文化を尊重することが大切だと書いた。

ヤクルトのチームメートでうまく付き合うことができた外国人選手といえば、2013年にシーズン60本塁打でプロ野球記録を更新したウラディミール・バレンティンになるだろうか。

思い出すのは2011年8月17日の横浜(現DeNA)戦(神宮)だ。一回に先発の七條祐樹が8失点して降板し、四回まで最大9点差をつけられていたのだが、最終的には10対10と追い付いて引き分けた試合だった。

四回の第2打席に中前適時打した私は、次の守備から森岡良介と交代した。同年は優勝争いをした年で、シーズンはこれからが重要な意味を持つ時期でもあった。

ベテラン選手のコンディションを考慮した首脳陣から「次の回から代わるか?」と聞かれて「どちらでも構いません」と答えたのだが、「それじゃあ、やめて(交代して)おこう」と交代することになった。

試合中、来日1年目だったバレンティンが「宮本はチームのために試合に出ないのか」と詰め寄ってきた。四回に3ランを放って気分が乗っていたというのもあるのだろう。

残されたシーズンを考えて首脳陣の判断で交代していた私は「お前に言われる筋合いはない」とそれから10日以上、バレンティンとは話さなかった。

しばらくすると、私と同い年の近藤広二通訳が「バレンティンが謝罪したがっている」と言ってきたので、話し合いの場を持つことにした。

ただ、話し合う場所には気を使った。過去の経験上、外国人選手は思ったよりもプライドが高い場合が多い。多くの選手が着替えをするロッカールームで話しては、バレンティンも他の選手の目が気になるだろうと思ったのだ。

「ちょっといいかな」と扉の閉まるマネージャー室を借りて、お互いの意見を交換することにした。バレンティンとはその後も2、3度、マネージャー室で話したことがあった。

2013年には投手ゴロを打った際に、一塁に走るそぶりも見せずにバッターボックスの中で防具を外したことがあった。ベンチに戻ってきた時には、思い切りベンチを蹴り上げて怒りを露わにした。一塁に走るのは基本中の基本である。

バレンティンが足に故障を抱えていたのは知っていたが、凡退したからといって一塁に走らないという行為を許していては、チーム全体の士気に影響してしまう。

反省をしたのか、次の試合からは真面目に走るようになった。バレンティンは気分屋ですぐすねるところがあったが、肝心な時にはチームや選手に敬意を払った発言をしていた。

こちらが理由を明確にして注意をすれば、素直に理解を示すこともあった。

私の引退試合となった2013年10月4日の阪神戦(神宮)でバレンティンは60号を放った。

報道陣には「ミヤモトサンの最後のゲーム。シンヤのためにも打ちたかった」とコメントしてくれたという。バレンティンの発言がどこまで本音だったかは分からない。

ただ、周囲の状況や日本の文化を考え、こうしたコメントを残さなければならないと思ったのだろう。こうした、ある種の「ずる賢さ」は日本で活躍する外国人に共通するスキルだと考えている。

洞察23プロフェッショナルは言い訳をしない

フリーエージェント(FA)制度が導入されて以降、日本でも米大リーグのように長期契約を結ぶ選手が増えてきた。

ところが、その大リーグで確かな実績を残しながら、「(駄目なら辞められる)1カ月契約が良い」と言ってはばからない選手がいた。黒田博樹だ。

実際に米国で複数年契約を打診されながら、毎年1年契約を貫き通したというストイックさ。自分を追い詰めて土俵際で戦い続ける姿勢。

大げさに言えば、PL学園高校の先輩を除くと、一番尊敬に値する野球選手だと思っている。彼は大リーグ7年間で79勝を挙げた。

メジャーの高額のオファーを断って2014年オフには古巣の広島に復帰を決断し、日米の野球ファンを大いに驚かせた。

復帰初年度の2月、キャンプを訪れてブルペンでの投球を見た際には、投球フォームがコンパクトになっている印象を受けた。

以前、日本にいた頃にはもう少し左肩が開いて投げていた記憶があったが、それがなくなっていた。日本ではほぼ中5、6日の登板間隔で先発するが、大リーグでは中4日が主流。

頭のいい投手だ。新しい環境に適応するため、肩や肘への負担が少ない投球フォームに変えていったのだろう。

グラウンドでは目の前を素通りしていったので、冗談で「冷たいやないか」とLINEのメッセージを送った。

「たくさん(球界の)OBがいる中で宮本さんにあいさつに行ったら、宮本さんが気を使うでしょう」という返信には、思わず笑ってしまった。彼との出会いは、2004年のアテネ五輪だった。

野球に対して真摯に取り組む姿勢や広島に帰ってからの在り方を見ていると、尊敬できる選手だと感じていた。彼は言い訳をすることが一切ない。

打たれたら「すみませんでした」と頭を下げる潔さと、勝っても「誰が勝ったんだろう?」というぐらいの謙遜の雰囲気があった。

思い出すのは2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。黒田は大会前の練習試合で右手に打球を受けて負傷してしまった。

代表に残って回復を待つ道もあったのだろうが「日本代表は(故障を)ごまかしながらやる場所ではない」と自分から辞退した。

選手枠を一つ削ってしまっては、日本代表に迷惑がかかると考えたのだろう。黒田の復帰が、広島に個人成績以上の影響をもたらすことを私は確信していた。

伸び伸びとやっている若いチームに、勝負の厳しさやプロのあるべき姿を伝えられる選手が加わる。野球とは何か、野球選手とは何か、エースと何か。彼から学べることは多い。果たしてその確信は現実のものとなった。

復帰2年目の2016年に広島は25年ぶりにリーグ優勝を果たした。黒田も10勝を上げたが、この年限りでユニホームを脱ぐ決断を下している。

アテネ五輪が終わった2004年のシーズン終盤のことだ。シーズン中には敵チームと食事をしない彼がケガで登録抹消となり、広島で食事をしたことがあった。

繁華街を歩いていると「あ、宮本だ」と何度も声をかけられた。主将を務めた五輪の直後ということもあり、露出が増えていたためだろう。

当時、隣を歩いていた彼が「なんで俺、広島の選手なのに声かけられへんねん」と嘆いていたのが懐かしい。今や「日本の黒田」。

これからは広島だけではなく、日本球界のために経験を伝えてもらいたい。

洞察24年俸交渉に感情は持ち込むな

シーズンオフの風物詩に契約更改交渉がある。シーズンで残した成績を基に、球団側と翌年の年俸を話し合う。プロ野球選手にとっては、来年度の給料が決まる交渉の場である。

2014年の契約更改交渉で注目を集めたのは、中日の大島洋平だった。

報道によると当時の落合博満ゼネラルマネジャー(GM)との最初の交渉では、1775万円増の年俸7400万円を提示されて保留した。

落合GMが就任して以来、初めての保留選手だったという。

「1年前の交渉で限度額まで下げられて、取り戻そうと頑張った。下げられる前の年(7500万円)に届いていない。納得できない」と主張し、2度目の交渉も平行線だった。

年俸調停も考えたというが、3度目の交渉で初回と同じ提示額でサインした。

「僕が納得すればいいと思った。どちらかが折れないと終わらない」と矛を納めたという。

プロ野球には年俸調停制度(参稼報酬調停制度)がある。条件が折り合えない場合に年俸調停委員会が双方の言い分を聞き、年俸額を決定する制度のことだ。

年俸調停委員となる調査委員を務めていた立場からいえば、選手が納得できるのであれば制度を活用すればいいと思っている。

年俸調停となれば球団の言い分もあるし、選手の言い分もある。同じ成績の選手の年俸と照らし合わせながら、それまでの経緯も含めて見極めなければいけない。

ただ一つ問題なのは、年俸調停にかけると球団側が選手に対して悪い印象を抱いてしまうということだ。

「なんだ、雇ってやっているのに年俸調停にかけやがって」「年俸調停にかけるような面倒くさい選手はいらない」といった日本的な思考が理由なのだろう。

過去には年俸調停の翌年に他球団にトレードで放出された例もある。年俸調停制度は定められたルールである。金額以外の感情を持ち込むのは止めるべきだというのが私の本音だ。私自身の契約更改交渉を振り返ると、こんなことがあった。

5年契約の3年目を終えた2006年のオフのことだ。3年目を終えると年俸が上がる契約を結んでいたのだが、同年は故障もあって73試合の出場に止まっていた。

年俸のダウンも覚悟していたのだが、下交渉ではアップを提示された。球団からの評価はうれしいのだが、73試合の出場では素直に喜ぶことができない。

「僕自身、すっきりすることができないんですよね」と何人かに相談すると、ある知人から「それなら、球団に還元されるように使ってもらったら」という助言をもらった。

当時、リハビリで二軍施設の戸田球場で外野フェンス沿いを走っていると、ネットの傷みや金具のさびが目立つことに気付いた。

そこで契約更改交渉の席で「もともと考えていなかった分なので、年俸の増額分(約1000万円)から使ってほしい」と外野フェンスの修復をお願いすることにしたのである。

交渉担当者からは「ありがとう」と感謝をされた。他の球団の幹部からは「あれは本当の話なのか?」と驚かれたものだった。プロにとって契約更改は選手としての価値を決める場でもある。

私は交渉の席では「これだけの金額がほしい」と素直に提示するようにしていた。

球団側に少しでも安く抑えようだとか、選手側に少しでも多く引き出そうという気持ちがなければ、大方同じラインの金額が出てくる。

そこから納得するまで話し合えばいい。契約更改の場は会社としての考えを聞くことができる場でもある。プレーヤーとしてどういった評価をし、期待をしているのか。企業として中長期的にどういったビジョンを描いているのか。年俸の金額以外にも目を向けるべき点は多いのである。

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