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第2章なぜ、企業から「コミュニケーション能力」は求められ続けているのか

人事部が学生に「学校」と「会社」の評価の違いについてホントのところを説明したある企業のインターンを見た。人事と現場の方が、かなり熱心にインターンのプログラムをつくっていたので、「仕事の実態が学べた」と、学生も満足度が高いようだった。その最後の交流会のとき、参加した学生の1人が人事の方に聞いていた。素朴な疑問だった。「業務内容はなんとなくイメージがつきますけど、まだ働きはじめるという実感が湧きません。とくに人事とか評価については想像がつきません。自分が仕事でやったことが、どうやって評価されるんでしょう?きれいごとはたくさん聞きますけど、ぶっちゃけどうなのかって思います」人事の人は、しばらく考えていた。「そうですね……。はっきり言うと学校における評価とはかなり違います。たしかにきれいではない話ですが……、聞きたいですか?」学生たちはうなずいた。人事の人は、次のような話をした。*まず根本的に違うのは、評価の尺度が「勉強の成績」から「貢献度」になること。成績は勉強さえすれば1人でも上げられます。でも貢献度は「成果」をまわりが「認めて」はじめて貢献したとみなされます。ここが大きな違いです。自分だけでは評価を上げられません。ちなみに、貢献度が低い人には、言い方はよくないかもしれませんが、通常、あまり発言権がありません。もちろん「発言するな」とは言われません。そうではなく、「聞いてもらえない」という意味での「発言権がない」です。何を言っても、「何を生意気言っているんだこいつ」と思われます。何か言いたいなら、実績をつくるしかない。「発言力は、貢献度に比例する」ですね。要するに、「何を言ったか」は建前として重要なのですが、「誰が言ったか」も同じように大事だということです。2つ目の違いは、「公平」から「不公平」に変わったということですかね。学校では、先生は生徒を一応公平に見ますよね。でも、会社の人は基本的に自分にメリットのあることしかしません。「こいつには高評価を与えよう」という動機は上司にメリットがあるからです。要するに、「上司であるオレの役に立つかどうか、オレが気に入るかどうか」で評価が決まります。逆に、こいつは教えてもダメだなと思われたら、放置されるでしょうね。人って、冷たいんですよ。人事をやっていてよくわかるんですが、ほとんどの人は、自分にしか興味がないのです。3つ目の違いは、「評価軸が1つでわかりやすい」から「評価軸が複数で、わかりにくい」に変わるということですかね。学校や受験は、テストの成績がすべてですし、何をすれば評価されるかがわかりやすかったですよね。でも、会社は違います。評価軸は明示されているものもありますが、暗黙のものも数多くあります。また「何をすれば評価されるか」は普通、教えてもらえません。はっきり言えば、「なんとなく」で判断されることがとても多くなります。「何をすれば評価されるか教えてください」なんて言ったら、上司に「面倒なやつ」と思われるのがオチです。4つ目の違いは、「ルールを守る人の評価が高い」から「ルールをつくる人の評価が高い」に変わったということですかね。学校はルールを守る人が褒められたと思いますが、会社は「皆が納得できるルールをつくることのできる人が偉い」です。要するに、言われたことに従うだけではなく、上司も含めてうまく人を動かすことのできる人になりなさい、ってことです。最後の違いは、なんといっても「短期評価」から「長期評価」に変わったということですかね。学校はせいぜい3年、長くても6年ですが、会社は3年経ってようやく独り立ちというレベルです。なんといっても働く期間は30年、40年ですからね。皆さんはようやくスタートラインに立ったにすぎません。そういう意味では、学歴なんてしょせんは入り口がちょっと違う、という程度です。皆さんが思っているほど、学歴はたいした差ではありません。本当に差がつくのは、これからなのですよ。*自らの「貢献度」をまわりに理解してもらうこと。上司にとって「メリットのある人物」になること。あいまいな「評価される軸」を理解すること。皆の納得するルールをつくること。そして、その4つを長きにわたってやり続けること。これらは、要するに「コミュニケーションスキル」である。社会人として働く、ということは、高度なコミュニケーションのための技術を身につけなければならない、という事実を意味する。

なぜ、志望動機が「スキルアップしたいから」ではいけないのかある企業から採用面接の手伝いをしてほしい、と頼まれたときのこと。面接官たちと話をしてわかったのだが、「スキルアップを志望動機とする応募者」に嫌悪感を示す人がそれなりの数いた。私は「スキルアップ」をなぜ嫌悪するのか、理由がわからなかった。そこで私は、この話を知り合いの人事をやっている友人に伝えたところ、「うちでもスキルアップしたいという応募者は、ウケが悪いんだよね」という回答だった。「どういうこと?」と聞くと、『うちが人を採用する理由は、応募者のスキル向上のためじゃない』と言って採用を見送る面接官がけっこういる」とのこと。「ふーむ」と思う。「では、どんな志望動機ならいいの?」と聞いてみる。すると、「いちばんウケがいいのが、『私の◯◯の経験が、御社のビジネスに貢献できるから』という言い方かな」と言う。私は、この「テンプレ的回答」が非常に面白いと思ったので、「つまり、利己的ではなく、会社に奉仕をするような志望動機なら、ウケがいい。そういうこと?」と聞いた。「うーん、まあそういうことになるかな」と言った。私はさらに、彼にこう聞いてみた。「ちなみに、その発言の裏はどうとるか?つまり、『本当にそう思っている』のか、『口先だけそう言っている』のか、その真偽はどうやってたしかめるの?」彼は、少し考えていたが、こう答えた。「いや、それは少し突っ込んだ質問をすれば、本当にそう思っているかどうかはすぐにわかる。たとえば、『具体的にはどのようなことですか?』とか、現在のプロジェクトの実例をあげて、応募者に『こういうシーンではどうしますか?』と聞けばすぐわかるだろう。ごまかしは利かないと思う」私は納得したので、「なるほど。たしかにそうだね」と彼に言った。しかし、なんだろうか。何か違和感がある。発言の真偽が見抜けるのであれば……。私は彼にもう1つ質問をした。「たとえば、『スキルアップ』を志望動機にした人に対しても、『会社にどのように貢献したいですか?』と聞き、続けて真偽をたしかめれば、どのような志望動機であってもいいのではないか?」彼は、それを聞き、沈黙した。「うーん、まあそうかもしれないな。『スキルアップ』を志望動機に掲げたとしても、実際は会社に貢献したいと思っているかもしれない。そりゃそうだ」「じゃあ、面接官には釘を刺しておいたほうがいいかもね。『テンプレ的回答』をした人を優先的に採用する、ってのは不合理なんじゃないか、って」しかし、彼の回答は意外だった。「いや、たぶんそれはないな。『テンプレ的回答』をした応募者は、相変わらず優遇されると思う」「なんで?」「社会人は、「建前」と、「本音」を使い分ける能力も重要だからさ。面接のような場で、『建前を言うこともできない』ってのは、やっぱり未熟なんだと判断されるだろうな」「なるほど……」「とくにうちの会社のように大企業になると、『建前』で発言するように求められるシーンがいくらでもある。それが嫌なら、うちには来ないほうがいい」「ふーむ。なるほどね……。ちなみに、個人的に『建前』についてどう思っている?」「無駄に決まっているだろ」「なんだ、そう思っているなら、なんで変えようとしないんだ」「変わんないよ。でも、変える必要もあまり感じない。それで人間関係が円滑になるならな」*社会人のコミュニケーションとは、そういうものなのだ。

就活で「コミュニケーション能力」が重視される理由を簡潔に説明する就活の面接において、最も重視される能力は相も変わらず「コミュニケーション能力」だ。経団連の調査(「2016年度新卒採用に関するアンケート調査結果」)の概要によれば、現在では約9割近くの会社が選考において「コミュニケーション能力」を重視している。

おそらく、今後もこの傾向はあまり変化しないだろう。かぎられた時間の選考で「コミュニケーション能力」を適切に判定できるかどうかはともかくとして、「コミュニケーション能力」を重視する会社が多いのには、はっきりとした理由がある。だが、その前にあらためて「会社が求めるコミュニケーション」とは何かを明らかにしたい。なぜなら、多くの学生はそれを少し誤解しているからだ。たとえば「自分のコミュニケーション能力が高いことを証明するエピソード」を求めると、たいていの学生は、次のようなアピールをする。「会話を盛り上げるのが得意です」「友だちがたくさんいます」「初対面の人とも気後れせず話せます」そうやってアピールをする学生の気持ちはわかる。なぜなら、彼らにとっての「コミュニケーション」は、それしか存在しなかったからだ。「一緒にいて楽しい」ということが、学生にとって必要なコミュニケーション能力の本質である。だが、企業におけるコミュニケーションの目的は「一緒にいて楽しい」ではない。「一緒に仕事をして成果が出る」なのである。ここが、企業と学生が大きくボタンを掛け違っているところだ。では、「一緒に仕事をして成果が出る」ための「コミュニケーション能力」、すなわち企業が必要としている「コミュニケーション能力」とは具体的にいえば何か。それは、「自分のアウトプットを誰かに利用してもらうための力」だ。*たとえば、プログラマーになったとしよう。手元でつくっているプログラムはそのままお客さんに売ることはできない。つくっているのは大きなソフトウェアの一部であり、これを社内の誰かに渡して、うまく利用してもらい、最終的にお客さんに届けなければいけない。そして、「誰かに渡す」ためには、必ず高度なコミュニケーションが必要になる。「どのように使うか」「注意点は?」「どのように品質を担保しているか?」「何を目的としてつくったか?」そういった取り決めがなければ、あなたのアウトプットはうまく利用されない。すなわち「成果が出ない」ことになる。別のたとえをしよう。あなたが営業用のチラシをつくっているとする。ただ、これを使うのはあなただけではない。同僚、上司、他部門の人、社長が使うかもしれないし、他社の人がさらにほかの人に製品を紹介するために使うかもしれない。そう考えれば、結局「あなたのアウトプットをほかの人がうまく利用できるかどうか」はとても重要だ。「チラシを誤解なく使えるかどうか」「表現はチラシを使う人が理解しやすいか」「はじめてこれを見る人が正確に理解できるか」「これを持っていく営業マンが、顧客の興味を喚起できるか」そういったことはすべて、「コミュニケーション能力」を必要とする仕事である。極端なことをいえば、「自分のつくったものが、そのまま売れる」ときには、あまり「コミュニケーション能力」は必要ない。たとえば、わたしの家の近所のラーメン屋に、死ぬほど美味いところがあるが、そこの店主は「コミュ障(コミュニケーション障害の略)」だ。だが、その店主がコミュ障であっても関係ない。ラーメンをつくるのは店主ただ1人だし、私がそれを食べることは誰に教わらなくても可能だ。*現代社会は高度な「知識労働者」を必要としている。知識は専門特化したときにこそ、活かされるものだ。すると、必然的に仕事は分業となる。すなわち、「アウトプットを誰かに利用してもらわなければ、何ひとつ成果を生み出せない」ということになる。「知識労働」は本質的に「コミュニケーション能力」が高いことを要求する仕事になっている。上手なコミュニケーションをとることは、じつは成果を生み出すために必須の仕事なのだ。だから、「コミュニケーション能力はあったほうがいい」ではない。「コミュニケーション能力が高くないと、仕事ができない」のである。「コミュニケーション能力」の低い人は、「知識労働」に向かない、という事実こそが、企業が就活において「コミュニケーション能力」を求める真の原因なのである。

「企業が採用したい人」は「コミュニケーション能力の高い専門家」に変わってきているという話新卒採用の時期になると、企業側は「採りたい人物像」を決める。面接でどのような質問をすれば、望ましい人物が採用できるのかを検証し、採用者の質を向上させるためだ。この「望ましい新卒を一括で採用する」という日本独特の採用の慣行が「日本的風土の会社」を生み出してきた。だが、「採りたい人物像」の変化が、最近では大きくなっているように感じる。たとえば、政府の統計において20年前と比べて大きく変化したのが次の項目だ。1990年代との比較では、「コミュニケーション能力」(14・3%ポイント増加)、「積極性、チャレンジ精神、行動力」(10・1%ポイント増加)、「仕事に対する熱意・意欲、向上心」(8・7%ポイント増加)の割合が大きく増加した(「平成25年版厚生労働白書」より)。ただ、統計では「本当に重要な変化」はあまり見えない。統計はあくまで「すでに起きたことの集計」にすぎないからだ。変化の兆しは常に現場にある。そして、その現場の感覚においては「少数精鋭」が重要であるテクノロジー系企業において「採用が変化しているな」と思わせてくれる会社が増えている。では、どのように「採りたい人物像」が変化しているのか。たとえば、次のような変化が見られる。1「忠誠心の高い人物」よりも、「ネットワークを築くことのできるコミュニケーション能力を持つ人物」がほしいひと昔前は「会社への忠誠心が高い人」が好まれていた。逆にいえば、「全部の時間を会社のために使え」「会社の外では余計なことをしないでほしい」「副業などはもってのほか」という人事の方の話を本当によく聞いた。しかし、現在では「副業」「社外人脈」「SNSでの発信」への許容度が格段に上昇している。先進的な会社では、むしろこれらのことを「推奨」しているといえる。ある会社では「TwitterとFacebookのフォロワー数と、友人数はどの程度ですか」と面接で聞いていた。閉鎖的な「忠誠心」から、オープンな「ネットワークを築くことのできるコミュニケーション能力」に、企業の求める能力はシフトしつつある。2「コミュニケーション能力の高い専門家」であってほしい昔は「専門家はコミュニケーション能力が低い」と判を押すように語られていた。それは、専門家と非専門家がはっきりと分かれていた時代の話である。そのような時代では、専門家の言ったことを、非専門家が翻訳すればよい、という役割分担ができていた。だが現代は、誰もが何かの専門家でなければ仕事にならない。高度に専門化された仕事が増えた現在では「何かに特化した知識」を持つ学生が歓迎される。これは文系か理系かという話ではなく、「学生時代に成し遂げたこと」が重要視されるということだ。ただし、「専門家」はその知識を誰かが利用しないかぎり、無価値な存在である。だから今は、専門性があるだけではなく「コミュニケーション能力」が重視される。ある人事担当者は言った。「たぶん、優秀な学生とそうでない学生の差は、大学の1、2年生のときにはすでに埋めがたいほどついていて、就活がはじまるとそれが表面化するだけですよ。結局、我々は『どれだけ積み上げてきたのか』が見たいんです」3すべての社員が「リーダーシップ」を持たなくてはならない「たぶん学生さんはリーダーシップを勘違いしていると思いますが、リーダーシップとは、リーダーをやったかどうか、人を使った経験があるかどうかで判断されるのではなく、『成果に対する責任をどこまで積極的に引き受けようとするか』という態度の問題です」とある人事責任者は言う。「どんなに役職が高くても、人を従えていても、意思決定と責任を引き受けない人は、リーダーではありません」一般的にテクノロジー系企業では、扱う内容が高度になればなるほど、上司よりも現場のほうがはるかに知識を持っている。意思決定は上司よりも現場の社員のほうがうまくできなくてはならない。しかし、意思決定は「私が責任を引き受ける」という態度を持つ人間でなくてはできない。そのために必要なのが「リーダーシップ」である。お気づきの方もいると思うが、こういった変化はすべて「労働集約型企業」から「知識集約型企業」への移行に伴う変化である。そして「知識集約型企業」では、これまで以上に「コミュニケーション能力」が重視される。なぜなら、「知識」は先に述べたように、「ほかの誰かが活用して、はじめて価値を生む」ものだからだ。このことに関して、ピーター・ドラッカーは次のように述べている。専門家にとってはコミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。専門家のアウトプットとは知識であり情報である。(『マネジメント[エッセンシャル版]』上田惇生訳/ダイヤモンド社)

「コミュニケーション能力」が最も貴重な能力となる時代ある研究者と「コミュニケーション能力」について話したときのことだ。*研究者の彼は言った。「広義でのコミュニケーション能力がこれほど重要になった時代は今までになかったし、今後、コミュニケーション能力はもっと重要になる」「なぜ?」「その前に、コミュニケーション能力とは何か、という話がある」私は答えた。「人の気持ちを汲んで話したり、行動したりする能力だと思っているけど」「それは、コミュニケーション能力のほんの一部を表しているにすぎない」「んー、よくわからないな」「コミュニケーション能力の本質は、人のつながりをつくり、影響を与える力だからだよ。コミュニケーション能力の高い人は他者への影響力が大きい人、ということになる」「たとえば?」「たとえば、言うことがわかりやすかったり、メッセージ性の強い言葉を使えたりする人は、コミュニケーション能力の高い人だ。ほかの人に何らかのアクションを促せる。たとえば一般人でもTwitterのフォロワー数が10万、20万という人がいる。彼らはコミュニケーション能力の高い逸材だ。もう少し拡張すれば、皆が喜ぶものがつくれたり、実際に会ったことのない人のニーズを汲めたりするなども、すべてコミュニケーション能力の高さの証といえる」「なるほど、そうかもしれない」「学者の世界も、じつはコミュニケーション能力が必要だ。今、価値ある研究は1人で完結させることが難しくなっているからね。皆の興味があり、インパクトの大きいテーマを考えられるかどうか、これも広義でのコミュニケーション能力といってもいいんじゃないかな」「面白い……」「そこであらためて『今後、重要な能力』とは何かを考えてみる。もちろん、今までもコミュニケーション能力は一貫して重要だったけれど、1人の人がつながれる人数がかぎられていた世界では、個人のコミュニケーション能力の差がそれほど増幅されなかった」「うん」「ところが、1人がつながれる世界が際限なく広がっている今、単純作業はコンピュータが代替し、ある程度、高度な作業もAIがこなせるようになれば、記憶力や問題処理能力はむしろ個人間の差が小さくなる。では、最後に残るのは何か?人間に価値ありと思わせるクリエイティブな能力、要は、人のつながりをつくり、インパクトをもたらす能力、つまりは、『コミュニケーション能力』にほかならない。コミュニケーションを媒介する手段は言葉にかぎらず、絵、データ、ソフトウェア、文章、物、など多岐にわたる。それらをつなぐのはwebだ。『表現をする人』が、最も重要な存在となる」*社員に「コミュニケーション能力」を要求する企業はなくならない。いや、むしろ増えている。大学入試もAO入試枠の拡大などコミュニケーション能力重視となりつつある。それは、個人の「コミュニケーション能力」を際限なく増幅する装置、webと媒体の発達が背景にあるのかもしれない。

 

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